収穫の時代 〜 私たちは、何のために生まれて来たのか

木の花ファミリーでは、毎年12月に一年の恵みへの感謝を込めて「収穫感謝祭」を行います。以下、2021年収穫感謝祭でのジイジのお話をご紹介します。


今年も一年の農の締めくくりとして、収穫感謝祭を迎えました。ここに、今年一年の活動の証として供物が供えてあります。これはどこから生まれてきたかというと、太陽がもたらしたものです。そして、太陽が一方的に与えてくれたのではなく、地球の生命活動、地・水・火・風・空から始まる、植物、動物、そういったものの調和の延長にもたらしてくれたものであります。そういった仕組みを私たちは、毎日糧として頂き、一年を生きてきました。

本来、命が生きるとは、太陽の恵みを地上に頂き、それを受け、様々な自然活動がそこに働きを持って貢献していく。そして、我々命の代表である人間や動植物がその恵みを頂くことであり、収穫することは、取るということではないのです。ですから、生きるという事は頂くという事であり、頂くという事は謙虚な心から生まれる姿勢なのです。そういった土に近い生き方をしながら、土から恵みを頂くという事は、本当は生きるものの原点であり、人間はその極めて代表的なものでなくてはいけません。

食べ物を頂く以外に、今年は二つの新しい命(仲間)を頂きました。それから、農作業などをして、その収穫物を食べたり、それを販売し生業とする様々な生き方の中で、新しい知恵も頂きました。そのように時が過ぎて行く中で、人間はどんどん賢くなり、本来この世界に豊かさをもたらさなければならないものです。しかし、人間がこうしたいああしたいと思うとついつい自分の都合ばかりを考えるように、我々の活動も色々な問題に出会うことがあります。さらに、ここ木の花ファミリーの活動にだけではなく、日本にも世界にも、コロナウイルスを始め、環境の悪化、不健全な社会情勢など、地球規模の矛盾が沢山起き、私たちは農をベースとして生きるものとして、順風満帆な一年を過ごしてきたわけではありません。しかし、その順風満帆でない事を通して、小さく自らのエリアを通し、その姿勢、心の在り方を振り返り、どうしてそうなったのか、そして大きく国レベル、地球レベルで人類としてどうであったのかという事を、振り返り、学習し、次の時代に繋げていくべきことなど、そういった学びも頂きました。

今朝、ニュースを見ていました。すると、世界各国の生産額GDPは落ちているにも関わらず、株価が高騰し金融システムではお金は余っている。その中で、コロナ禍の生活の延長にゲーム産業が最も伸びている。こういったお金の仕組み、ゲームの仕組み、たくさんの産業という『業』の付く生き方があり、その中でも土に縁のない生き方が、お金や物の浪費という豊かさをもたらしています。そのように、今の時代が出来ている事がよく解ります。私たちは、農業ではなく、命を頂くとして、生きていますが、その活動は金銭的には生産性が低いのです。しかし、そういった『業』とつく産業が生み出すお金の世界の全ては、農業を始めとして、医療業界から様々な分野において人々が欲深な生き方をすることで、それが地球規模の問題を今、生み出しています。そういった地球規模の問題は、これから更に激しくなっていく事は確実です。

もう一つ、先ほどここへ来る前、着替える合間にテレビを見ましたが、夕べ、アメリカのいくつかの州に大きな竜巻が発生し、今のところ70名ほどの人が亡くなったそうです。全体像がまだ見えていないので、100名以上亡くなっている可能性もあります。アメリカのバイデン大統領は、この事を竜巻の災害では過去最大のものであると語っていました。これも何かしら自然が人間の行いに対してメッセージを送っているのではないかと思います。これから一年も経てば、また収穫の時期を迎えますが、収穫というのは都合のいいものだけを頂くだけではいけないのではないかと思うのです。いろいろな問題事を頂いて、厳しい時代に、そのことで何が与えられているかという事であり、恵みではなく、問題事を頂いたという事は、襟を正せという事です。ところが、問題事を頂いても、自らの襟を正すのではなく、自らの能力を使って回避し、乗り越えて、今までと同じ生き方をしようという人間たちが現れました。これは、人間の能力の高さでもあります。しかしながら、人間がこの姿勢を取り続けていると、問題ごとを通して全てそうですが、その姿勢を正すまで自然や天は、繰り返し繰り返し、私たちにその反省を促す為に問題事を与えます。それが今この時代に、究極の示しとして現象が現れているという事ではないかと考えるわけです。こういった捉え方をする人々が世界中にどれだけいるかと考えると、今はまだ皆無に近いですね。

世界を代表するアメリカと中国は今、いがみ合っています。そこに国家の利権を最優先するロシアがウクライナに侵攻しようとし、それに対してアメリカがNOという。その企みが上手く行けば、中国が台湾に侵攻する口実になるとも言われています。丁度80年前に起きた太平洋戦争は、日本が真珠湾を攻撃した1941年12月8日に始まりました。それから80年経ったのですが、今とてもきな臭いムードが地球上に漂っています。21世紀に入り既に21年経っていますが、そんな状態の人間の姿勢を考えると、とても愚かしい姿が観えてきます。

私たちは、今日の収穫感謝祭を、収穫を頂いてありがたい、自分たちが生きていければいい、という事ではなく、そろそろ自分たちの襟を正して振り返り、人間の地球に対する横暴を正しくしていくことにつなげることではないでしょうか。今までは、拡大の時代でしたから、欲望の延長にただ便利がいいように、ただ物が豊富である豊かさが求められてきましたが、これからは量より質を考えなければいけない。生き方というのも、自らの生き方が自らに幸せをもたらすのは当然ですが、同時に社会やこの世界の仕組みに則って社会が豊かになっていかなければいけない。社会だけでなく、地球が歓迎する豊かさの追求をしていかなければならないのです。それが、このようにテクノロジーを使い、不必要なまでの利便性の追求と、異様なまでに溢れる物と、それがいずれゴミを生み出す現状は、そういった様々な問題が溢れこの時代を運営してきた人間の責任であるのです。その役割を果たせた時に初めて、人間は高い意識の秩序をもたらすものであるという事が表現できるのです。様々な問題を収穫する時代が来ました。良い事も悪い事も収穫する。良い事は感謝すればいいが、悪い事は感謝の前に何故それをいただいたのかという振り返りをし、そしてそれをもたらした人間性を改め、自らの価値が上がるための本当の意味での心からの感謝をしなければいけないという事です。

その為に、私たちは何をしなければならないのか。昨夜、みんなで映画(ラーヤと龍の王国)を観ましたが、あの映画の中で争っている人々が融和し優れた社会を創る為には、互いを信じあう事こそが最も求められることでありました。そして、互いに信じあう為には、正直である事。何でも語り、何でも語れる、何でも聞き、何でも伝える、共に生きていくという事をしたら、その姿は地球の命の仕組みですね。そういった事をもう一度人間は、自分たちが最も優れているという、おごった立ち位置にいつまでもいないで、正しく受け取り、尊い者となり、他の生き物の為に生きる。そして、人間たちが本来地球に降ろされた意味を表現する。その価値を取り戻す時代が来たからこそ、この厳しい時代が始まっているのではないかと思うのです。

日々、こんな事を考えながら365日経つとまた、来年も収穫感謝祭が来ます。ここにお供えしてある供物はこの時期ですからだいたい似たようなものが、毎年お供えしてありますが、それは同じものではないですね。これは数か月前までは土だった、あるいは、数か月前までは施肥として私たちがそこへ入れた栄養だった。さらにその前は成長の過程では空気だったり、水だったりしました。様々なものが変化してここへ至っているという事は、天地一体、地球の大調和の働き、流れだけでなく、天体の動きが、こういった大いなる動きをもたらしている。ですから、私たちは宇宙を生きる者として生まれてきました。

丁度今、日本の民間人として初めて宇宙へ行っている人がいます。宇宙ステーションから、人の欲望をくすぐり、人の気をひくような事を言っていますが、お金でも何でも、心が貧しい者が持つと本当に無意味な貧しいことに使います。それはお金の事だけでなく、すべてのものが豊かになるという事は、心が豊かであるという事が先に優先されないと、正しく世の中のために使われるという事にはなりません。

年々、生きるという事は感慨深くなっています。一年を通して深い学びを頂く。その一番は、人の価値を収穫する事です。そうやってみんなで、その価値を収穫する為に生きる。生きていないとその価値を収穫できません。肉体を頂いてその心を健康に運営していないと、その価値は積み重なりません。

この生のサイクルが終わると、自分を積み重ねるという事は次に生まれてくるまではありません。今は命を頂いた体があるからこそ、時と共に人生があり、色々な事に出会う事によって、自分の価値を積み重ねるという仕組みになっているのです。

この道理をいつも念頭において、日々、一年365日、クリスマスや正月、自分の誕生日などいろいろな記念日がありますが、毎日、朝を迎え、夜を迎え、その都度、瞬間瞬間に、自分たちは一体何のために生きているのかを意識し、スケールの大きな心で生きていきたいものです。

そういった自覚ある一年を生きる為に、こういった記念日があるのではないかと思います。自覚を持って一年を送ってもらいたい。そうすれば、この頂く人生は、心の成長としてその人の価値を付けるものとなる。この価値だけが死んでからも持っていくものです。

その為に人生があるのだという事を今の人類に伝えられる見本が、ここで示せるのではないか。そんなに遠くなく世の中は完全に行き詰ります。その時に、ここにその見本があるという事が言えるように生きていきたいものだと思います。くれぐれもその事を一人ひとりの命題として自覚し、歩んで行ってもらいたいものだと思います。これは、誰かが誰かにお願いする事ではなく、自分が自分に言い聞かせ、この道を歩むことを選んだことの自覚として頂きたいと思います。という事でまた、この記念日では、一年後にお会いしましょう(笑)

ずっとこれをやっていきますから。馬鹿な事もいろいろ提案しますが、自分を捨て、空っぽにし、日々、365日マツリの精神で生きていきたいものだと思います。今日、そういった大事を理解し納得して生きていけるという事は、その境地に到達したという事で目出度い事です。収穫感謝祭、おめでとうございます。そして有難うございました。

ツイスト踊る?(笑) (ツイストには質的転換の意味があります)

みかちゃん:
それでは、心を収穫するという事が一番大事な事だと思いますので、みんなで歌いましょう。

 

※みんなで合唱した歌の歌詞を載せます☟

『♬この世界をつくっているのは』

蒔いた種を刈り取るのは一人ひとりの責任
みんなで蒔き続けた種が今もこの世界を創っている
心の中に色んな 想いの種をみんな抱えている
何もかも 誰かのせいにすることはできない

ならば

あなたはこの世界にどんな想いの種を蒔きますか
そしてこの世界にどんな花を咲かせますか

この世界をつくっているのは
この世界をつくっているのは
この世界をつくっているのは
この世界をつくっているのは

私たち ────

 


One thought on “収穫の時代 〜 私たちは、何のために生まれて来たのか”

  1. 世界の本質を捉えた素晴らしいメッセージですね。ありがとうございます。

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