銀河の旅へ

昨年の大晦日の大人会議では、いさどんが「銀河の旅」と題して2時間近くにわたるお話をしてくれました。今回のブログではその時の様子をご紹介したいと思います。

なお、今回の原稿のテープ起こしは、地球家族を実践している情熱家、もとやんも半分以上受け持ってくれました。もとやん、どうもありがとう!

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いさどん:
今日は大晦日、通常のミーティングとは違ってこんな時間になりました。この時間が持たれるきっかけになったのは、1週間くらい前のことです。朝、ようこちゃんと話をしました。僕はいつものように夢の中から帰って来たわけです。最近の僕は、この世界に肉体を持っていることを不自由に思ってきています。僕の中にある想いはいつも広く大きな想いの中にあるのです。心を上の方に向けると、僕の中に浮かんでくるイメージの世界では雲が観えます。その雲は地球上で見える雲ではありません。なんとか星雲とよく言われるような、銀河の雲、宇宙雲です。それが想いの中に浮かんで観えます。日々、そんなことに想いを馳せていると、目が覚めてこの世界が現実なのかどうなのか考えてしまいます。

私たちの生きている世界は、移ろいゆく世界です。僕は来年の5月になると60歳になるのですが、ついこの間、3歳だったという意識があります。ついこの間小学校に上がった記憶があります。そして、ついこの間高校を出て、20歳で社会に出ました。自分の記憶をたどってくると、すべてがあっと言う間のように思います。一年前の今日を想うと、あっという間でした。元旦の初日の出を見に行った記憶があります。その時に「今年が始まる、今年も種蒔きが始まるなぁ」と思っている間に、もう今年が終わろうとしています。年が明けるとまた種蒔きの事を思います。そして、あっと言う間に月日は流れていきます。これがこの世界ですね。そして、生まれた時はこんなに小さかった。その時は髪の毛があったのかなかったのか記憶はありませんが、今は髪の毛がありませんけれど(笑)、途中はあった時もあります(一同、笑)。あの生まれてきた時の姿を想うと、今は妖怪のようですね(一同、笑)。

私たち人間は3年を区切りにしてすべての細胞が変わると言います。そうすると、60年という年月は、単純に言えば20回も入れ替わったことになるのです。どこからどこへ変えたかと言うと、土と自分の循環です。そして、そのエネルギー源はすべて光です。私たちは光と生きる旅をしているわけです。そういったことに想いを馳せていると、日々の移ろいゆく生の在り方が想い出されます。子どもの頃の無邪気だった頃から一人前になって恋をし、そして当たり前に欲を持ってお金を稼ぎたいと思い、それも実現してきました。僕は30歳で今の生き方の元になる心をいただくようになりました。普通の人たちより20年も早く、40歳にして定年を迎えました。それから20年を経て、来年の5月3日で60歳になろうとしています。その間には色々なことがありました。そして、「私はこういうものです」とか、「こうである」とか、自分を特定することは出来ませんでした。その時その時に起きる現象を通して一喜一憂しながら歩んできたのです。これは生きているということの証です。今までのことは良い思い出になっています。

そして、この間朝起きた時にようこちゃんに、「ようこちゃん、僕はそろそろこの器の中に入っていることが窮屈になってきた」と言いました。どうも今の自分の発想が、肉体の中に入っている魂にしては大きすぎて窮屈に感じています。ですから、魂が内側から圧力をかけ外側の皮をグングン押して、バカバカバカバカと圧力をかけてくるのです。バリバリとヒビが入ってきて、僕の中から魂のヒナが出ようとしている感じです。人間は肉体の中に魂が封印された状態でいます。これが肉体人間の姿です。肉体人間と言っても肉体が生きているわけではありません。魂が生きているのです。生命力のもとになる光が魂から放たれています。それは肉体の設計図でもあります。その光の設計図にふさわしく肉体ができている。原料は全て光です。原料が光だということは、我々が光で出来ている霊的なものだということです。それに対して肉体という物質は、陰陽で言えば陽です。そして、見えないものである魂(陰)がそれを束ねているのです。肉体人間という我々は3次元の世界にいただいている姿です。その体が窮屈で仕方がないと思い出したのです。ということで、まとっている衣(肉体)を取り去って魂だけになるということは、どういうことか分かりますか?

みんな:
死ぬ。

いさどん:
はい、死ぬということです。僕は「死にたい」と言っているのです。ただし、最近よく流行っている自死ではありません。30年前に流行っていたのは家庭内暴力でした。最近、離婚もよく流行っています。ここのところニートやひきこもり、うつ病が流行っていますね。ここ10年ばかり流行っているのは自殺ですね。あまり良い流行ではありませんが。こういった人々は生きることの意味を理解出来ないでいるために、生きることを儚んで、死を選ぶことになってしまいます。僕の言っている死はそういった暗いイメージの死ではなくて、「肉体の中にいることが窮屈だから、積極的に体の中から抜け出したい」という思考を持っているということです。ただし、これを実行するかどうかは、僕の意思にかかっているのです。僕がそれを望んだ時にはそうなるでしょう。望まない時にはそうならないでしょう。死ぬことは誰でも可能なわけです。ただし、それが自分の生きている目的にあっているかどうか、ということについては色々です。その結果、自分に何がもたらされるか。そこに大切があるのです。

そんな会話をしていたわけです。その結果、器を抜けて自分は何がしたいかということを思ったわけです。僕がその時に思ったのは、「旅がしたい」でした。それは新幹線に乗ってどこかに旅行に行くような、そういう旅ではないのです。ここでみなさんにお断りしておかないといけないのは、ここで一緒に家族として暮らしているメンバーの人たちは、僕が奇妙な人間であるということはよく知っていると思います(笑)。訪問されるゲストの中にも、奇妙だからこそここにおいでになる方もいらっしゃるのですが、今日はそういったことに全く慣れていない人もいるかもしれませんので、ちょっと断っておきたいと思います。今からお話しする話は、この大人会議の中の「みんなの心のシェア」ではありません。それから、みなさんに理解してもらいたいと思って話す話ではありません。ここにいる、「いさどんのひとりごと」です。「いさどんワールドを語る」ということで話します。そのことがみなさんの中で何か新しい視点を生むかもしれない。みなさんの価値観を正すかもしれません。

そんないさどんは、人間です。そして、みなさんと同じように生きていて、同じように思考も働いています。ただ、ちょっと普通の人と違うみたいです。ここの生活もこの日本という国にあって、もうじき18年目に入るのですが、こういった生活を提案してきたのも、そこいら辺りにはありそうにないことです。ひょっとして、このマニアックな生活は世界中に類を見ないかもしれないですね。こういった世界をみなさんに誘って歩んできたということは、ここに集った人たちも変わり者なのですが、僕自身が飛びっきり普通でない発想を持っているということです。その飛びっきり普通でない発想の奥にある、日頃みなさんにお話ししていない、そして最近生まれてきた新鮮な部分を公開しよう、というのが今日のこの場所です。それはいくつかの分野に分かれていまして、分けると五つにも六つにもなるものです。ようこちゃんやみかちゃんは日々そういったものに付き合ってくれています。(他にもいますけれど。)それを公開することは日々が忙しくて出来ませんでしたが、今日はその中の一つ、「銀河の旅」についてお話しします。

というわけで、そういうことを了承いただいて聞いていただければと思います。人によっては新しい視点、「それは面白い!ぜひ自分もそんな旅を行ってみたい!」と思うかもしれません。僕には以前から体から抜け出したい願望がありました。生きていることは不自由でした。ところでみなさん、毎日食べ物を食べる、これは自分の意思で食べていますか?面倒くさいでしょう。食べるだけならばいいのですが、美味しいとかまずいとか味覚もあってお腹も空きますから、それを満たすということで食べ、喜びもあるようですが、食べた結果全部自分に取り込めばいいのに、排泄しなければいけないですね。この排泄するのを喜びを持って排泄する人いますか(一同、笑)?1週間も便秘だったら出た時は嬉しいかもしれないです(笑)。そういうことは出来ればないほうがいいと思ってしまいます。食べた分を全部使い切れば、こんなに食べなくてよいはずです。それから、呼吸することは休みなくやっていますね。呼吸することを1分間止めることは、普通の人にはなかなか出来ません。たいていの人は1分以上止めると、みんな気絶しますね。僕は1分くらいはやれますが。昔、3分くらいやったことがあります。訓練すると長く出来ます。しかし、30分止めるといっちゃうかもしれません。そういうふうにして、私たちは日々自由に生きているかのごとく思っているのですが、この世界では縛られて生きているわけです。

極めつけは心臓の働きです。生命の始まりの時、お母さんの胎内で細胞分裂が始まります。細胞が2つ、4つ、8つというふうに2分割で分裂していく中で、最初に出来るのは血液です。機能としては始めに心臓が出来ますよね。それからどっくんどっくんと鼓動を始めます。これは一時も休みません。心停止ということは死ですから。これをなんとか休めてやりたいと思ってしまうのです。ずっと働いているのだから、私たちは毎日眠ります。疲れたら休みますね。しかし、それとは違う意味で休みなく働いているのがこの心臓です。血液の流れも休みがないのです。これだって休ませてやりたいと思うのです。へそ曲がりなことを考えるとですね、「生きているということはなんて不自由なのだろう」と思うわけですよ。この体というのは、さらに地上に縛られて生きている。それで心臓が止まらず呼吸も止まらず、食べ物も食べ続け、排泄し続け、そして赤信号も止まらなきゃいけない。もう、縛られっぱなしでしょ?

そういう中で、まだ縛られているものがある。そういったものの仕組みの中に取り込まれている、この「思考」がある。思考は見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れるという五感によって反応して動いているのですが、それって表面的なことでしょう。人間はそんなことにも良いとか悪いとかで縛られているのです。もし五感がなかったら、そういう思いは必要ありません。美味しいとかまずいとか、美しいとか汚いとか、そういうことはなくなるのです。というふうに、私たちは不自由な世界で縛られている。どのくらい縛られて生きているかといったら、100%完璧に縛られている。何に縛られているかというと、この肉体に縛られているのです。私たちは肉体が思考しているわけではないのです。肉体が生きているわけではないのです。肉体が歩いているわけではないのです。物を食べているわけではないのです。話しているわけではない。そうすると、そこの中に自分と言える存在を特定する五感を束ねている意志、それは六感の部分ですね。それが「心」です。それがあって、それが五感を束ね、五感と心を合わせて「六根」と言います。その六根が健全であるから私たちは健康に生きられるのですが、そういう仕組みで私たちはこの世界に縛られているのです。この肉体というものを持つことで、この地上に縛り付けられているのです。肉体から私を取り去ってやると、肉体の殻を抜け出したということで死ぬということです。そして、死んでどうなるのかというと、どうなりますか、みなさん?     

ちなっぴ:
魂と分かれて、肉体は微細になって自然に還っていきます!

いさどん:
そうです。どうなるかというと、この肉体の生命を束ねている元が魂、生命力ですね、それが抜けますから、そうするとこの世界に微細になって広がっていきます。腐って、そして自然界に全部散らばっていきます。自然に還るわけです。今もそうですよ。自然からもらっては返し、もらっては返しているのです。60年僕が生きると、20回も総入れ替えしたことになります。それと同じように、死を迎えると肉体は繰り返しの因縁から解放されるものですから、全てをこの世界に還元します。そうすると、魂だけになります。これを見ることは出来ません。物質ではありませんから。これを消滅させることはとりあえず出来ません。消滅させる方法はあります。ありますが、この状態を消滅させることは出来ても、大元の魂を消滅させることは出来ません。これはこの世界を創っている元の二つの中の一つだからです。もう一方の肉体は塊との縁から離れて消えたのかということになりますが、これは消えたのでしょうか?

みんな:
消えていない。

いさどん:
消えないでしょう。宇宙は何も供給されないし、減りもしない。ただ充満しているだけの世界なのです。ですから、肉体を構成している要素というのは、新しい構成物質として他者に移っているだけのことで、何も消えていないのです。この世界では私たちは消えることがないし、そういう意味では今世の縁が切れたことを死と言っているだけで、実は死んでいないのです。この世界に死はないのです。ただ在り続けているのです。それが「あってあるもの」という言い方なのです。

そうすると、僕が「この殻を破りたい」と言ったのはどういうことなのか。「抜け出したい」と言ったのはどういうことなのか。この姿から卒業したいということで、この姿を卒業して殻との因縁をお返しして、魂の縁だけになるということです。それはどういうふうになるかというと、質量がありません。先程の六根ということからすると、一根だけになる。意識だけになるのです。しかし、この意識がここの世界にとらわれていると、自由ではありませんよね。死んでからもこの世界に未練が残って成仏出来ない、というのがそういう例です。

僕はこの広い世界、宇宙のことをずっと考えているのです。そうすると、そこが自分の故郷なのです。自分の思考の中にあるルーツ、それが故郷です。それで、僕の故郷は銀河です。みなさんの故郷はどこですか?

けいごくん:
東京!

いさどん:
東京!ハハハハハッ。分かりやすかった。そういう言い方も出来るよね。他にみんなの故郷ってどこにあるの?

メンバー:
太陽!

いさどん:
それは全ては光だということ?それは物理的な光という意味でもあるよね。他に故郷ってどこにありますか?

メンバー:
地球!

いさどん:
地球。地球がみんなの故郷。他は?

メンバー:
大本の神様。

いさどん:
色々な捉え方で自分を捉えていった時の出発点が故郷ですよね。だから、僕で言ったら岐阜県の美濃市というところが故郷だと言ってもいい。そういうことでもいい。東京だと言う人もいるわけだよね。例えば、お母さんっていう人もいるでしょう。お父さんだとかね、土だとか、地球だとか、いくらでも故郷はあるじゃないですか。故郷ってどこにあるの?そうやって並べていったら、どこにあるの?

どんどんどんどん故郷を並べていったら、それをまとめるとどこにあるの?この世界が故郷じゃないですか。すると、私たちは故郷にいて、故郷を思っているという。僕が「銀河の旅」と言ったけれど、ここはどこにあるのですか?

みんな:
銀河!

いさどん:
銀河にあるじゃないですか。それで、今、宇宙の旅をしているじゃない(一同、頷く)。宇宙船と言ってもいいし、惑星と言ってもいい。それに乗って固定しているわけではないのです。太陽のまわりを高速で回っている。自転しながら。そして、太陽系の太陽は止まっているのかというと、実は天の川銀河の中の端のほうにあって、銀河自体が回っているのです。では、旅をしているんじゃない?みんな、銀河の旅をしていない?

みんな:
してまーす!

いさどん:
それじゃ、今日の話、「銀河の旅」は終わっちゃうじゃない(一同、笑)。今、実際に私たちは銀河の旅をしています。そして、私たちは地球人だろうか?

みんな
宇宙人!

いさどん:
宇宙人ですよね。というふうに捉えていくと、私たちは日々を特定してなんだかんだいって生きているのは何なんだろう?そう思えてくる僕の気持ちがわかりますか?「この殻から抜けたいなぁ」って。ご飯がどうだとか、ちょっと食べ過ぎてここが苦しいとか、ちょっと厚み増してきたなぁとか、髪の毛が薄くなったなぁとか。それこそどうでもいいことじゃない?単なる形状にしか過ぎなくて、それは一時のもの。変化するもの。なんだかどうでもいい話でしょう。そして、今のような気持ちになったのです。

ここでまた付録の話をします。(ここからいさどんは立って話し始めました。)僕の田舎の話をしたいのですが、「待っていました!」って言う人はいる(笑)?僕の故郷、岐阜県美濃市乙狩1872番地。江戸の中期頃から続いているうちのご先祖様。もしも僕が後を継いだら、14代目の家でした。今は猿と猪が住民登録をしているようなところです(一同、笑)。おじいちゃん、おばあちゃんばっかりでね。それで若い衆が75才を過ぎているかな(笑)。そんなところになっていますが、最近は行っていません。昔、僕はそこで木の花の生活を実現しようと思っていました。そこを「菩薩の里」と名付けようと思っていました。そこに住む人々は自らの喜びを喜びとするのではなく、他者の喜びを自らの喜びとする。そういった人々が集って、そして村を作り、桃源郷のような理想の世界を生きること。そんな村をつくる夢を持っていました。そこにはまだ両親が住んでいました。僕が40歳の頃です。

その前にもう一つ、大事な話をしなければいけません。僕は今度の5月3日で60歳になります。これは僕の認識では4回目の生まれ変わりなのです。ゼロ歳で生まれました。それから20歳で名古屋に出ました。それで職業を持つ時代を過ごしました。20年間。その間の30歳の時に心の道に出会ったのです。自分の人生を80年としたら、その半生の40年を折り返し地点として、あと10年自分の中から湧き出してくる欲の想いを実現していこう。そして、残りの半生40年は、世のため人のために生きていこう。40歳からはお金を得るために日々を生きることをやめようと決めたのです。そして、40歳で職業を辞めようと思いました。そこで定年を迎えたわけです。40歳で定年を迎えるのですから、普通の人と比べると20年は早いのです。おかげさまで20歳で社会に出て、25歳で会社を立ち上げ、30歳で啓示を受けて、そこから10年残り火のように仕事をして、そして40歳の誕生日の前日に、「もうこれからは日々をお金のために生きない。世の中のために自分の人生を生きる」と決意し、そこから始まったのがこの出会いです。

そして、木の花ファミリー、エコビレッジの生活。60歳からの20年間は僕の最後のステージです。ここでもうひとつ、この間ようこちゃんに話した内容をお話しします。それがまた、この銀河の旅の話のきっかけにもなっているのです。今までは5月の誕生日には当然誕生日会をやってもらいましたが、今度の60歳の誕生日には何をするでしょう?

メンバー:
お葬式?

いさどん:
もうだいぶ噂が広まっていますね(笑)。そうです。葬式をします。

みんな:
エッー!!

いさどん::
僕の肉体人間としての精神を葬ろうと想っています。そして魂として生きる。葬式をするといっても、肉体はまだ続きますから心配しなくても大丈夫(笑)。ただ、物質的な価値観のもとに日々を生きないというだけです。僕は40歳から「菩薩の里」を自分の故郷につくろうと思っていました。ところが、「両親のもとに行って両親の面倒を見ながらご先祖を守りたい」と思っていたら、両親があまり喜ばないのです。当時の僕は愛知県小牧市で内装の仕事をしていました。それまで仕事も順調にいっていたものですから、生きていくには十分なお金がありました。それで、これから両親のもとで暮らしながらこういう心を人々に伝えていく人生を歩もうと思って、半年くらい両親のもとにいたのですが、次第に両親が悩むようになったのです。40歳は若いですよね。いい若いもんが仕事もしないで、毎日箱の上に土を入れて種を蒔いているのです。何をやっているのかといったら、花の種を蒔く勉強をしていたのです。「お宅の息子さん、病気なのですか?うつ病になって、リハビリで家に帰ってきているのですか?」という感じ(一同、笑)。世間様にどう説明していいのかという親の気持ちは分かると思いました。

そして、そこでもう一つ僕は気づきました。自分は最高の親孝行をしようと思っていたのです。普段から求めている心は、世のため人のために生きていくはずだったのです。ところが、知らない間に自分の両親、自分のご先祖様のことが主になっていました。そのことを両親は教えてくれたのだと気づいたのです。親孝行や親切も、相手が望んでこそ初めて親孝行や親切になります。押しつけては不幸を生むことになると気づいたのです。そして、仲間の待つ小牧に帰ってきました。そこで今ここでともに暮らしている創設メンバーの人たちに伝えました。僕は結局、世のために生きると言っておきながら、自分の身内、親、先祖のことを優先に考えていたこと。人の喜びを自らの喜びとするのが菩薩の生き方だと言っておきながら、自らのことを優先していたことを伝えました。その反省から富士山麓での生活を決意しました。そして、それが今世の故郷からの出発だったのです。

僕は30歳で心の道をいただくようになりました。さかのぼって、19歳の時に頭の上におばあさんが座っていることに気がつきました。この人は僕が15歳の時に亡くなったおばあさんです。この方は一般の宗教でいう守護霊さんという存在でしょう。私たち子孫に色々な利益をもたらしてくれる存在です。ですから、僕にも仕事のことや色々な人間関係の中で、僕の努力以上に良いことを引き起こしてくれるのです。それは僕がそれにふさわしい人だったからです。子どもの頃から両親のことを大切にし、そしてご先祖様を敬う心が強くありました。そういう不思議な子どもでした。だからこそ、おばあさんが亡くなった後に、大事な子孫に対して先祖を代表して僕を守りに来てくれていたのだと思うのです。それはありがたいことです。

でも、今はそのようなことを全く歓迎しません。もしもおばあさんが今僕の上に現れたら、僕は伝えるでしょう。「ばあちゃん、自らに近いものを大事に想って、いつまでも後ろの方を向いていないで、まっすぐ前を見て次の自らの生き方に向かって、魂磨きにまた地上に降りておいで。そして、いずれ綺麗な心になって昇天する道を歩んでください。それが守護神であっても、そういった特定の人間の欲を叶え利益を与えるような神が存在するから、御利益宗教がいつまでも地上にはびこるのです」と。でも、その当時はそういうことを「ありがたい」と思っていました。僕もそういったレベルだったのです。そして、ご先祖様のおかげで商売は順調良くいきました。色々ありましたが、僕の努力以上のことが叶った時代だったのです。

そして、30歳の12月26日のことです。僕の頭の上にいたおばあさんに代わって、知らない男性が頭の上に現れたのです。そこから心の物語・木の花ファミリー物語が始まりました。本当はもっと前からあるのでしょう。実際には5年ほど前にのりちゃん、れいちゃん姉妹には出会っていました。その後じゅんじマンやはるちゃんにも出会いました。そんな中で僕の頭の上にいたおばあさんの代わりに現れた男性が、のちに黄金の仏となって僕の上に現れるのです。それがみなさん良くご存知のお釈迦様だったのです。。。(いさどんは目に少し涙を浮かべています。)その時のことを思い出すと言葉に詰まってしまいます。それから9年間、この道についての学びをいただくことになりました(みんな、静かにいさどんの言葉に耳を傾けています。)この学びの物語は、簡単に言葉で表わすことは出来ません。いつか改めてそのための機会があると思います。

僕はこの道をいただいてから29年になります。そして、世の中の不幸な人たち、問題事に出会った人たちの話を聞いて、問題事の奥にある意味を学んできました。そんな中で人の在り様を見て、それを活かしていくことを教わりました。ですから、お医者さんや心理学の世界で人の心を研究している専門の人たちでも理解出来ない心の仕組みを捉えることが出来るようになりました。これはどこかで学んだものではなく、この世界で他にはない方法であり、天からいただいたものです。それがあるからこそ、心身の病気や人々の行き詰まりがどこから来るのかということを僕は伝えることが出来るのです。そして、それが問題事なのかといったら、問題事は私たちに問題事の種があることを教えてくれるものです。問題事を避けて通る人は、常に問題事とともにあることになります。人生は常にひとつのことを克服すれば、新しい問題事がその人の前に現れてきます。それはその人に問題事の種があるからです。学習してそれを取り去った時に、病気でも何でもそうですが、その問題事は消えるものです。そういったことを学ばせてもらいました。

そして、その出会いから1年後に僕はお釈迦様の故郷へ行くことになりました。師匠の吸った空気、嗅いだ匂い、そして踏んだ土、それを体感したいと思ってインドへ行ったのです。でも、あの方はもう二千数百年前に亡くなってしまいました。僕のインドの旅は2週間ほどの旅だったのですが、毎日泣いていました。インドに着くまで全く気づかなかったのですが、インド行きの飛行機の中で同乗した添乗員に、なぜ自分がインドに来たのかという話をしていたのです。そうしたら、そろそろカルカッタですという機内放送が流れて、その時僕は「ところで今日は何日ですか?」と添乗員の田中さんに聞いたのです。「今日は12月26日ですよ」と彼は答えてくれました。12月26日はその方が自分の頭の上に現れた記念日なのです。誰もそんな計算をしていないのに、その記念日の日にインドのカルカッタ空港に降り立つことになりました。

そして、飛行機の扉が開いたのでした。その時にふぁーと吹いてきた風とともに出会ったその空気の匂い。その時に僕は何を感じたかというと、「帰ってきた」という想いです。今までの自分が懐かしいと思う経験の中ではもっとも強いもので、「久しぶりに帰ってきた」という感じがしたのです。そして、その時に僕はわかったのです。自分が過去にインド人だったことを思い出したのです。それからインドの旅をしました。その旅はブッダの聖地巡りの旅だったのです。行くところ行くところで、自分がそこにいたことを思い出す旅をしました。

今、僕が相談に乗る時には自分の中から話が湧き出してきます。僕が話す話で、僕自身も初めて聞く話をすることがあります。しかし、それは新しい話ではありません。僕の中には記憶の奥にある無限の泉があるのです。その中に折りたたまれている記憶がよみがえってきているだけなのです。だから、それは過去の事実なのです。そして、その記憶のもとに想いが湧き出てくるのです。その時も故郷へ帰ってきたという強い想いが湧き出てきました。それは、僕が今回日本人として生まれてきて、30年ちょっとこんなに強い郷愁を覚えたことはなかったことでした。「インドは私の故郷なんだ」と気づいたのです。それと同時にわかったのは、「僕はあのヒマラヤの標高が高いところで、長い間暮らしていたことがある。それから何回か人間の体をいただきながら、今回日本人として生きている」ということがわかったのでした。そしてその旅が終わり、日本に帰ってきました。

そして、いつの頃からか記憶にないのですが、毎日夜になると星が気になり出したのです。たった一つの星が気になるのです。その星がいつも僕の気を引くのです。チカチカチカチカしながら。それは風の作用でチカチカなる、そういうものかなと思ったのですが、そのチカチカが僕の心を引きつけるのです。それで、いつも気になるからその星を見るようになりました。そして、ある時それをジィッと見ていたら、その星に無償に郷愁を覚えるのです。その懐かしいと思う郷愁の強さは、あのカルカッタの空港で感じたものよりはるかに強いものでした。僕がインドで感じた郷愁よりもはるかに強いものがその星から感じられるのです。「この感覚は何だろう?」と思い、それをずーっと見ていました。そうすると、その星が何かを僕に言っているのです。何かを伝えてきている。「何を言っているのだろう?」と思っていました。

はい、ここでみなさんに質問です!その星は僕に何を言っていたでしょうか?

ちなっぴ:
早く帰ってキンセイ(一同、笑)!

いさどん:
その星は僕に、「早く帰ってキンセイ。早く帰ってキンセイ」と言っているのです(笑)。「あの星は何という星なのだろう?」と思っていたら、金星でした(一同、笑)。だから、「早く帰ってキンセイ」と言っていたのです。僕はその時に気づいたのです。「僕はあの星から来ているのだ。あの星が故郷なのだ」と確信しました。僕は以前インド人であったことを確信していましたが、でもその前はあの星から来ているのです。そして、今間違いないのは、僕は岐阜県の美濃市というところで生まれた。これも確信です。今、3つの故郷のことを言いました。

最近、僕はこの体の中にいることを不自由に感じています。だから、いつも死にたい願望があるのです。でも、自殺のような死にたい願望ではありません。この体の中にいるのが不自由で仕方がない。だから、いつでもこの体を返上したいと思っています。しかし、その時はまだ来ていません。今回生まれてきた目的があるからです。その約束は果たさないといけません。それは自覚しています。ですから、自殺するようなことはありません。でも、もし神様が僕に「おまえの願いを一つだけ叶えてやる」と言われたら、私には一つだけ願いがあります。それは、この体をお返ししたいということです。しかし、それは今は出来ないのです。僕が今回生まれた目的を果たすことが条件ですから。そのことは理解しているのですが、相変わらずそんなことを想っているわけです。それが強くなって、今回脱皮したいということを言っているわけです。

そして、これから僕の故郷、金星の話をします。僕には、以前より金星が自分の故郷であるということがわかってきました。でも、「自分がその故郷にいた頃、どうやって生活をしていたのだろう?そこにはどういう人々がいるのだろう?」ということまではわかりませんでした。これはみんなに話していないことですが、僕はヒマラヤで暮らしている頃の自分がどういう生活をしていたか、ということを知っているのです。それはまた別の機会に話をするとして、今日はもう一つの故郷、金星の話です。僕の田舎です。そこには車はありません。テレビもありません。家もないのです。僕の故郷にも大気はあります。地球の大気は何となくブルーですね。地球を外から見ると青っぽいじゃないですか。私たちが地上にいて見てもブルーに見えませんが。この大気が金星ではもうちょっと濃いのです。物理的にも太陽に近いところにあります。ただ、地球とはちょっと仕組みが違います。それは物理的な要素が優先されているところではないのです。霊的な要素が優先されているところなのです。宇宙はすべてそういった世界ですね。3次元で生命の形を取っているのは、今のところ地球だけだと思います。わざわざそういうふうに創ったのです。金星も物理的生命の世界ではないのです。ですから、金星にも人々はいます。僕の金星の家族というのは、あのウルトラマンに出てくるようなウルトラの父とかウルトラの母とか、そういうものではありません。でも、お父さんやお母さん、兄弟のような人はいます。

みんな:
・・・?

いさどん:
これからちょっとイメージしてみます。自分がいるでしょう?この自分の中にある自分が大きくなった。そうしたら、この器をパッと脱いで、そしてヤドカリのように新しい器をもらうでしょ。そういうスタイルとか、もう一つは自分が大きくなっていって、自分というものを形成するよりも余分なものが出来たら分裂していくのです。余分なところを切り取って、離してやるのです。そうすると、それが大きく育っていきます。クローンみたいなものです。すると、これは親子とも言えるし、兄弟とも言えるし、同じものとも言える。僕の田舎にはそういう人々がいます。わかるかな?宇宙にはそういう人々や生活あってもおかしくないでしょ?そういう人たちが故郷にいるとして、僕は単身赴任で来ているから、かみさんや子どもたちのような人々がいるのです。どの人もすべて身内なのです。

大気はピンクです。地球はブルーの星でしょ?それに対して金星はピンクです。鮮やかなピンクではなく、ちょっと爽やかなピンクです。そういった世界に人々はいるのです。その生活は地球とはちょっと違います。私たちは肉体と魂のセットになったものです。金星は3次元世界には生命のない世界です。ということは、肉体のない状態です。魂の存在だけです。そこで、暮らしている人々の姿をちょっと説明してみますと、ある人は楕円の縦長で、背の高い人は4メートルぐらいあります。細くて長いです。ある人は3メートルくらいでちょっとメタボかな。ひょろっとしている人もいれば、ちょっとメタボかなという感じの人もいます。私たちにはひとりひとりに個性的な表情があります。ところが、この人たちは顔を持っていません。足も持っていません。でも、個性はあるのです。どういう個性を持っているのかというと、色と先程の形です。その色が面白い!全部「虹」で表現されているのです。地上の虹というのは光が屈折して七色に変化します。これは霊的な世界でも物理的な世界でも同じです。そして、金星でも地球でも同じです。

今、私たちには肉体があります。そこから肉体を取っても、いきなり魂になるわけではないのです。肉体から魂(肉体の生命力)が抜けると肉体生命との縁が切れるから、肉体はすべて消滅して自然に還ります。私たちが通常生きている状態では、肉体の内側には幽体というものが形成しています。そして、その中に霊体というものがあって、その中心部分に私たちの元になる光の設計図があります。これは生命の完成されたものです。光の設計図ですから、宇宙の創造主が設計したもので完璧な姿をしています。それに基づいて肉体が形成されているのです。僕は今肉体人間です。たまたま指を落としてしまいましたが、これは物理的に指がないだけで、幽体、霊体の世界では指はあるのです。だから、僕が死んだとしても、幽体、霊体の状態でみんなの前に現れることは可能です。これはイエスの復活と同じです。その時には完璧な状態で、髪の毛もふさふさなのかは知りませんが(一同、笑)、その人が一番エネルギッシュな状態で現れます。僕の場合は今のこのままの姿かもしれません。

僕の故郷の人々は肉体を持っていませんから、いきなり幽体、霊体の世界です。幽体、霊体の状態を幽霊と言うでしょ?幽霊には足があるのです。完璧な姿なのです。その幽体、霊体というものが何で出来ているのかというと、わかるかな。例えば4メートルの背の高さの縦長の楕円形の人がいたとします。それは幽体の姿です。私たちにはそれにふさわしく肉体が形成されているわけですから、肉体がなくなっても霊体はあり続けるわけです。だから、死んでも健康な状態で出てくるのです。死んだ時に血をだーっと流していたり足がないという姿は、不健全な状態です。健全な幽霊は健康体です。肉体から解放されているわけですから。みんなは不健全な幽霊ばかり考えているけれど。うちの田舎の人たちの体は虹で表現されているのです。虹が横にチチチチチチッと表現されているのです。だから、七色になっているわけです。普通、地球上の虹というのは円形状に七色で出来ています。でも、僕の田舎の人々の姿を形づくっている虹は、虹が細かくみじん切りの状態になり、連なって体のまわりにある感じです。

みかちゃん:
プリズムシートで光見ると、全体がチチチチチチッとなっているよね。

いさどん:
そうそう!そういうイメージだと思ってください。つまり、もとの材料は光です。大気がピンク色のところに、ちょっとオレンジっぽいような、ちょっと黄色っぽいような、ちょっと赤っぽいような違いがあるだけです。薄いブルーもあります。黒いものとか、地球でいうネガティブ的な色の人はいません。ずんぐりの人がいたり、のっぽがいたりということです。

そこでお話しするわけです。対話をする時にその人の方を見るでしょ?名刺はありません(笑)。ぱっと見ると、「あなたはそうですね」、またこちらを見て、「あなたはそうですね」ということです。話さなくても姿を見ただけで、どういう人かわかります。音声ではないのですが、音声に変えると、「ブッ」「ブッ」「ブーン」「ブーン」「ブッ」と、なかなかリアルには出来ません。上手に出来ません(一同、笑)。でも、そうやってここの世界でも話せない?言語をやめてね。(「ブッ」「ブッ」といさどんはみんなに話しかけてみます。みんなも真似してみますが、なかなか難しそうです。)でも、こんなに不自由なものではありません。それで、話す時に光の強弱でバッ、バッと反応するのです。これは音声ではないのです。空気で伝導しませんから。光がザッ、ザッと振動するのです。それは音にしたら今のような不細工なことになって、イメージが壊れるのですが(笑)。それが僕の故郷の人たちです。

ともちゃん(書記):
あっ!データが消えちゃった(一同ざわめく)!

いさどん:
どうも話がぶっ飛び過ぎで、パソコンが飛んじゃったみたいです(笑)。でも、録音しているから大丈夫!さらに田舎のことを思い出してみると、自分の中の記憶が湧いてくるのです。僕は今ここの地球で変わりものでしょ?変わりものというのはある意味では良いかもしれないけれど、ある意味では孤独なところもあるのです。だから、こうやってここに変態ばかりを集めて(笑)、孤独じゃない世界をつくっている。一般社会に生きていたら、孤独になっているでしょう。僕はさみしがり屋ですから、同じような変態を集めて仲良し社会を創らないと寂しくて仕方がないのです(一同、笑)。

どうも向こうでも僕はあの人たちに馴染めなかったようです。「あなたたちは何が毎日楽しいの?」と。つまり、あの人たちは喜びを持っていない。そのかわり、悲しみもない。ただただ素晴らしい。素晴らしい、本当に素晴らしい世界!ブッダやイエスそのままの人ばかりがいる。そんなところで暮らしてどう思いますか、みなさん?

みかちゃん:
わからない(笑)。

いさどん:
わからない?例えば想像してみて下さい。そこで毎日暮らしていたらどうですか?

ちなっぴ:
素晴らしいだけで感動がなさそう。

いさどん:
でも、素晴らしい。素晴らしかったら感動するはずじゃない?しかし、私たちが素晴らしいとか感動するというのは、つまらないことを知っているからです(一同、頷く)。辛いことを知っているから、素晴らしくないことを知っているからでしょ?だから、ここには喜びが沢山あるのです。あそこは素晴らしい世界です。本当に素晴らしい!多分、宇宙はそういうふうにしてほとんど創られているのです。なぜ宇宙は始まったのか、なぜこの世界を創り出したのかという話ではその物語が出てくるのですが、そのままの物語が金星にも火星にもあって太陽にもあります。それぞれ個性は違うけれど。そこにいる人々にはそれぞれにふさわしい人柄というか、人類柄というか、星柄というものがあるのです。

僕はそこで思い出したのです。「そういえば、つまらなかったなあ」と。この世界を創造された神様も、はじめは一つだけだった。偏った一方の世界だけだったのです。それは完璧だから、つまらなかった。この世界は陰陽のバランスで出来ています。すべては相反する二つによって創られ保たれています。陰と陽は50:50の関係ですが、先にあるのは陰の方です。陰(魂)がもとになり、それにふさわしく陽(物質)が形成されていきます。聖書の言葉に「はじめに言葉ありき」とありますが、言葉は言霊であり陰のことを指します。はじまりは想いだけであり、物理的なことはなかったことになります。その陰だけの世界から物理的世界(陽)が生み出されてきたことになります。

そうすると、私たちの世界は観えない想いによって創られているわけです。創られた世界(陽)と想いから生み出す世界(陰)。想いの世界だけでは片方の世界なのです。善意、愛、調和(陰)の世界。幸せはそこにないのです。喜びもそこにはないのです。僕はその世界はつまらないと思っていたようでした。そうしたら、「おまえは劣等生ではないか(そこでは劣等生というものはなく単なる個性なのですが)。劣等生としてその個性を活かしてきなさい」ということで、1000年ほど前に地球に派遣されて来ました。それで、まずはインドに降り立ったのです。今回の派遣はとりあえず1000年契約です。時給がいくらかは知りません(一同、笑)。年給かもしれませんが、給料は多分ないと思います(笑)。「役割をしっかりと果たした」ということでおそらく何かはあると思うのですが。向こうでも馴染めなかった。僕がそれを間違いとしてではなく、愚かさとしてでもなく、「個性として役割を果たしてきなさい」ということで地球に来たのです。向こうの貴さをもとにして、ここにある喜びを表現すること、それが役割です。ここには喜びがあり、幸せがあるのです。そして、喜びや幸せがあるということは不幸がもとにあるということです。だから、両方がセットになっているのです。喜びも不幸も超越した一方の世界へ行きたいのなら、僕の田舎に行けばいい。それで、いつぞや故郷のことを思い出し、向こうは「帰ってキンセイ、キンセイ」と僕を呼んでいることがわかりました。最近になって、僕はそろそろこの殻を脱いで自由に世界を旅したいと思うようになりました。スペースシャトルはいらないのです。このままで行けます。

この世界は想いで出来ています。自分の中に「今日はお酒が飲みたいな」とか、「パチンコをやりたいな」という想いがあったり、いつも子どものことやお金のことばかり考えていたりすると、未来にその世界が展開されるのです。それがこの世界です。私たちが想ったことが起きるのです。その究極は核融合です。太陽の中には核融合が起きていて、毎日、水素爆弾、原子爆弾の爆発が起きているのです。そして、そういう世界を人間は頭の中で描いたのです。現実に兵器にして戦争のネタにしているのです。そんなことも出来るのです。つまり、私たちが想うことは何でも出来ます。パソコンでも携帯電話でも、全部私たちが頭の中で描いたことなのです。そこで想うのは、自分の中から湧き出る無限の記憶。それが過去をよみがえらせてくれるのです。故郷のこと、そこでどうだったのか、そしてここへ来てどうなったのか、心の旅はどうだったのか等です。

その結果、次のステージはどうしようかと考えていて、「旅行に行きたいな」と思ったわけです。その時に、「自分の故郷だけではなくて太陽系を旅したい」と思ったのです。それは可能だと思ったのです。普通の人々は地球由来の人たちですから、地球で肉体を終わると宇宙空間、地球の外側に行き、そこのどれほど高い位置にいるかによってまた下がったり上がったりするのです。外から来た人々は元いた惑星に戻ります。僕は「故郷には合わないから、違う惑星に行きたいな」と思うようになりました。

そこで今日の「銀河の旅」の話になるのです。いやいや待て、太陽系なんてそんな狭いことを考えなくても、天の川銀河だけでも200億もの恒星があるのです。その一つ一つに惑星があるのです。そこには私たちのような3次元世界の生命世界はほぼありません。そういう世界が現実にあって、3次元世界の思考ではこの宇宙は理解出来ません。その思考の延長に「太陽系を抜け出してしまおう!」と、宇宙雲のイメージが湧いてきたのです。「銀河から銀河へ旅しよう!」ということを考えていました。僕が「銀河の旅へ行くよ」と言ったら、ようこちゃんが「私も行こうかな」と言いました。ここにいるみんなは「一緒に行きませんか?」と言ったらどうしますか?

みんな:
行くー!!

いさどん:
今日のゲストの方、このとんでもない話はいかがですか(笑)?なかなか初めて出会ったゲストにこういう話をする人はいません。ここが怪しいところと思われるだけですから(笑)。僕は5月にお葬式をします。そして、物理的な目的のもとに日々を生きないという生活をしようと思っています。しかし、まだ肉体はあります。とりあえず契約はあと20年、今世の最終章です。その後どうするのかです。「ここに残るもよし、好きなようにせい」ということらしいです。それで、僕は銀河の旅に出ようと思っています。その時にみんなが一緒に行くかどうかはその時になってみないとわかりませんが、別にあわてなくても時間といったものを超越した世界ですから。多少後から来たって、最近良いナビも出来たし(笑)、いつでも合流出来る世界です。心配することはありません。

今、僕は現実世界のこの地球を自分の役割分治めているのですが、先程1000年ほど前にこの星に来たと言いました。1000年が派遣の一区切りですから、今世で僕の派遣が終了することになりますので、新たな旅に出ようかなと思っているのです。ひょっとして、みんなもそうかもしれない。みんなの記憶がそのようによみがえってくれば、そうなるでしょう。そして、人間はどうしてこの地球に生まれてきたのかということがわかってきます。今、アメリカでは何年か前から火星の地球化計画というものを立てているのを知っていますか?具体的な話は知りませんが、これは1000年かけて行なう計画です。火星の大気をつくるために地下に眠っている水を蒸発させるのです。そのことによって大気をつくり、1000年後に人類を移住させるという計画があるのです。それは物理的な体を持っていく計画ですから、非常に幼稚な方法です。

しかし、僕のシュミレーションは、人類が地球上で生き辛くなった時に、もしくは細胞分裂のような形で地球を離れる必要が起きた時や人類が増え過ぎてしまった時に、人類移住計画を考えているのです。その方法の前提として、人間が肉体人間であるという執着から離れる必要があります。離れるということはいのちを絶つということですが、絶たなくてもいいのです。自動的(自然)に抜ければいいのです。幽体離脱のように体から抜ければいいのです。そうすると肉体からの束縛から自由が得られます。肉体人間の時のように心臓が止まることはないし、呼吸に縛られ、体の機能のためには食べないといけないといったことから解放されるのです。では、何を持って存在しているのかです。それは、プラーナです。気、生命力を持ってのみ、生きている状態になります。

その状態でみんなで行くのだったら、簡単な乗り物でもつくりましょう。これは重力といった一切の物理的なものに影響されません。エネルギーは想念です。ですから、「みんなで移住しましょうか!」と旅に出るのです。「今度はどこに行こうか?」と語りながら銀河を旅していくのです。そのうちに新しい移住先も見つかるでしょう。移住先の星を見つけたら、魂たちはその星を取り囲みます。その魂たちは強い生命力の念を持っていますから、星のまわりにいてその星に念の影響を与えていくのです。そうすると、その星が変化していきます。二酸化炭素の熱い星だったのがだんだん冷やされていきます。冷やされていくと雨が降って海が出来ます。そこには色々な物質が存在しています。もし地球のようにしたければ、アミノ酸を原料にして細胞分裂させればいいのです。そうやって酸素対応型の生命の星を創ったとしましょう。その次に何をするのでしょうか。哺乳類を創ろうか?いや、やめておこう、それは前に失敗したじゃないか。二足歩行で不安定で、「不安だ不安だ」と愚痴ばかり言っていたじゃないか。四本でも安定するのだから、六本だったらさらに安定するだろう。六本足にしよう。そして、あの時失敗したのは、まず目が前に二つあるというのがまずかった。それを横にずらし、もっと広い視野にする。さらにそれをとび出させてもっと大きくして、ひまわりの花のように目の中にいくつもの目をつくったら、さあ、これを何というでしょうか?

みんな:
・・・・?

いさどん:
複眼!これで視野が広がる。さらに、今までは地上に縛られて視野が狭かった。どうしても物質的な肉体を持つと、惑星の重力に縛られることになる。だから、この重力に縛られない装置をつけよう。地上に縛られていたからこそ、地表にはいずりまわって、「何か良いことはないかな?」と下ばかりを見て、物を拾うかケンカをするくらいだった。だから、もっと視野を広く高くしたい。そして、羽をつけた。でも、鳥の羽ではだめです。鳥はバタバタと羽ばたかなければ飛べません。ちょっと休みたいとなったらそのまま真っ逆さま。これは今、人間が考えている程度のことです。そうすると、今度の私たちの魂の受け皿は何がいいでしょうか?

みかちゃん:
トンボ!

いさどん:
そう。トンボは空気を泳いでいる。だから、羽が止まっているみたいに見えても瞬間移動出来るし、ちょっと疲れたなと思ったら風に乗っていればいいのです。こういう生命が出来るのを待っていて、魂の受け皿が出来上がったら天孫降臨です。地上が収まってきたゆえ、天の神々が地上の整備のもとに降りてきた。いのち(命)は「みこと」ですから、神々のことです。天のみことが降りてくる。そして、子孫を増やしていく。今度は不調和や対立のない世界、貴い魂だけが降りて、イエスやブッダばかりの世界を創ろうと。しかし、そうするとまた「つまらないなあ」ということになるのでしょうか(一同、笑)。「また旅に出ようか」と(笑)。そうやってどんどん繰り返して、きっと私たちの先祖も、「あの失敗はもうやめようか」ということになったと思うのです。そして完璧を目指したのです。それは一方の世界でした。それでここに来て、あの故郷を思い出し、「あの完璧はやめておこう」となって、またこの失敗作を創って今、楽しんでいるのかもしれない(笑)。

さて、私たちは今、銀河にいますよね。さっき、「銀河の旅に行く人!」と言ったら、みんな手を挙げました。でも、今この瞬間もその旅の途中なんじゃない?私たちは現在銀河の旅人なのです。10億年先だか30億年先だか、50億年先だか、次の旅立ちは来るでしょう。その時には、ぜひまたみんなで一緒に旅立って、新しいフロンティアを楽しみたいと思います。とりあえず今、いかに私たちが面白く広い世界にいるのかということです。今日はそういうことをみんなに伝えたいと思いました。これについて話をしていると、私たちの心は広がっていきます。そして、大晦日どころか、来年1年中でも話してしまいそうです(一同、笑)。また、この仕方のない話を聞いてくれるみんながいるからこそ、僕もまだここにいて生きがいがあります。誰も聞いてくれなくなったら、本当にこの殻を破って「さようなら!」と行きたいところですが、付き合ってくれる沢山の変態たちがいるから、僕は地球上にいてまだうつ病にならずにすんでいます(一同、笑)。こうやって話しながら、「僕は幸せものだ。まだ旅立たないぞ」という確信を持ちました。とりあえず、今日の話はここまでにします。どうもありがとうございました(一同、拍手)。

みかちゃん:
ここで2曲歌います!

♪岩の舟

月夜の晩に 岩の舟 人々乗せて 海へとすべり出す
人々どこからか集い来て 次々と舟にすべりこむ

人の世の海を渡る 岩の舟に乗って 夜の海をどこまでも 
雲の波かき分けてゆくよ 人々集い 人々歌う 月の宴

人の世の海を渡る 岩の舟に乗って 夜の海をどこまでも
月の光を浴びてゆくよ 月の宴

♪星がささやく
ああ 星が降る
ああ 星が降る夜
ああ 無限の星が
ああ 私にやってくる
ああ 星がささやく
ああ 星がささやく
忘れていた記憶 今よみがえる
星々の記憶が 私の中で目覚める
この宇宙のすべてが 私の中にある
星がささやく 私の体の中で
星がささやく 星がざわめく
星がささやく 星がざわめく
からだに こころに おまえが宇宙だと 星がささやく
星がささやく 星がざわめく
こころに からだに おまえが宇宙だと 星がささやく

(一同、拍手。)

―そろそろ我々も、宇宙人として地球の意識と対話して歩んでいきたい―
             宇宙人ピトピ(旧名 いさどん)


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