6月3日から7日まで、河口湖周辺の会場で「国際コモンズ学会」が開催されました。この学会は、自然資源、人工物などを複数の人々でどのように調和的に活用していくか、それを管理する組織や社会的な仕組みなどを研究することを目的にしています。
そして6月6日、そのフィールドトリップの一環としてエントリーした木の花ファミリーを、アジア、アメリカ、アフリカの各地から17名のゲストが訪れました。
見学ツアー、昼食、ウエルカムコンサート、プレゼンテーションの後には座談会の場がもたれ、いさどんはじめ数名のメンバーも参加しました。その中である外国人の方から、「コミュニティメンバーになるときには皆さんの財産も一緒に持ち込み、コミュニティ全体と共有することになると思いますが、もしコミュニティを離れたくなったらその財産はどうなるのですか?」という質問が投げかけられ、いさどんは次のように答えました。
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いさどん
そういった質問をする人はよくいます。では、なぜそういう質問が出るのかというと、メンバーである人の精神性が共有できていない場合にそういった質問が出るのです。
ここのメンバーになるときには、まず、木の花の世界観を皆で共有してもらいます。それは「木の花憲章」という形でつくられているものであり、それを理解した上でメンバーになるわけです。ただ、多くの人がここのメンバーとして参加しますが、すべての人がその意志を継続できるのかというと、時々メンバーから抜ける人もいるということです。そのときに適用される規約もありますが、それ以前に、メンバーとしての意識が共有できているかどうかがとても重要なことになります。
皆さんは「コモンズ」の研究をされているわけですが、私たちは土地などの物理的なもののみならず、精神性まで共有する生活を送っています。ですから、悲しみや喜び、そして学ぶということも皆で共有するわけです。そして、それは決してここだけのものではなく、自然の仕組みを紐解いていくと、この世界自体がまさしくそういった姿になっています。
今日は、皆さんとそこのところを共有したいと思い、今この場にいます。
例えば、私たちはひとつの太陽のもとにいのちを紡いでいます。さらに、ひとつの海のもとにも、私たちはいのちを紡いでいます。太陽が降り注ぎ、雨が降り、そして大地に植物が芽生えてきます。その芽生えてきた植物は私たちのいのちに変わるわけです。そして、私たちは嫌いな人とも共通の空気のもとに生きています。
それから、この空間です。私たちはこれを大地の上にある生活空間と思っていますが、実は宇宙空間も私たちは共有しているわけです。今、共通して私たちは1秒間に30km移動しています。それを1年続けると、太陽のまわりを一周することになります。そして、秒速470mでこの星は自転しています。それで、今日のお昼に出会ったみなさんと一緒に夕暮れを迎えようとしています。
そうやって、私たちはこの世界の仕組みから自分たちを観てみると、共有していることが沢山あるのです。その中でも、もっとも共有しているものが時空です。過去から未来へ時間が刻まれていく中で、私たちは瞬間を共に歩んでいるわけです。
その中で、地球の生態系は様々な生命がそれぞれオリジナルないのちを表現しています。それは生態系として循環しているわけですから、小さく観ると弱肉強食になります。しかし、ライオンとシマウマの関係で言えば、お互いが存続するために絶対必要なものとして、いのちのバトンタッチ、リレーがされているということなのです。
ライオンに食べられたシマウマは確実にライオンのいのちに変わっていくのです。そういった生き物は自らの体を大地に返し、植物になり、それが循環しています。宇宙も含めて、私たちは共通した中にいると考えたときに、自らと他者との区別がどこにあるのだろうかと私は思います。
人類の中には相変わらず沢山の対立がありますが、二百何十万種と言われる地球上の生命の中で、この世界の仕組みに対してこういった矛盾を生きているのは人間だけです。その仕組みを知り、他者と自らが同じであり、さらに、他者によって自らが生かされていることに気付けば、すべてを共有するのは当然のことなのです。ですから、違いによって対立したり、違いに興味が行くほうが不自然だと思うのです。
多くの人々が病気や対立、国家間の戦争によって苦しんでいます。それは自分という意識から外を観て、違いを比べるからです。
私たちは地球人、インド人、アメリカ人、そして人間、一体何なのでしょうか?もしかしたら、私たちは宇宙人でもありますよね。そうしたら、地球の外からこの地球の姿を観ると素晴らしい世界ですが、宇宙の仕組みやこの宇宙に唯一存在する地球生態系の仕組みから私たち個人を観たときに、自らと他者を区別する必要があるかどうかです。
私たちは共通の地球上に生きているすべての生命と家族なのです。そして、人間はその能力を持ってこの生態系を壊すこともできれば、より発展させることもできるのです。
「ハルマゲドン」という言葉がありましたが、それはある意味破壊ということで人々は恐怖に思っていました。しかし、そういった個人のエゴや自らの側の主張ではなく、全体の仕組みに目覚めて、地球人として、もしくは宇宙人として、生態系の中の一端を担う一人として調和し、共有して生きていく平和な時代を築くために、古い価値観を壊すという意味でのハルマゲドンなのだと私は思っていました。
私は21世紀の早い段階に人類はそのことに目覚めるのではないかと期待しています。私のイメージの中にはそれがあって、皆にこの生活を提案し、実践し始めたわけです。
日本には東京大学という大学があるのですが、その大学院の日本や外国の学生たちが昨年ここを訪れました。彼らはサスティナビリティ(持続可能性)ということについて研究していました。
そのときに彼らは、「私たちは知識としてサスティナビリティということを研究してきましたが、実際の現場はほとんど見たことがありませんでした」と言うのです。それで、ここを訪ねてきたのです。そこで、私はこう伝えました。
「制度としてのサスティナビリティはいりません。私たちの存在が地球上の生態系というひとつの生命システムの中にあることに気付けばいいのです。もっとも、地球は宇宙の中にたったひとつで存在しているのではなく、太陽のもとに他の惑星と調和しているわけです。さらに、太陽は止まっているのではなく、2億5千万年かけてこの銀河系をまわっています。そういったことからすると、私たちは自分である前にこの世界の仕組みの中に存在し、この世界そのものだということになります。そのことに気付いたときに、自らを主張する前にこの世界のために生きて、そしてこの世界に生かされているということになるのです。」
これが究極の「コモンズ」だと思います。そういった考えのもとに、私たちはメンバーを迎えています。ですから、ここのメンバーであろうがなかろうが、私たちは常にこの世界を共有しているのです。
残念ながら、地球上でここまで共有している人々の暮らしをほとんど聞いたことがありません。しかし、私たち人類は、地球人として、さらに宇宙人として目覚めたときに、そういった暮らしが地球で可能なのか?人類にとってそれが可能なのか?といったときに、そのモデルが必要になってくるわけです。それを求めてきた人たちのために、私たちはここでこの生活をしています。
ですから、その精神を持っていることが大切なのです。その精神を十分に持てていない人は、自由に普通の生活をすればいいということで、ここを離れていくときに引きとめることはしません。
そういった時代が21世紀のうちに地球上に訪れます。広い世界観を人々が持つことによって、政治家や宗教家に世の中を良くしてもらおうと頼まなくても、ひとりひとりが目覚めれば良い世の中ができるはずなのです。
外国人ゲスト
私は皆さんが経験や専門知識をこうしてシェアしてくれたことに対し、感謝を述べたいと思います。私たちは世界中のコミュニティを研究している学者や実践者のグループなのですが、もし私たちが突っ込んだ質問をしているのであれば、それは皆さんのコミュニティを否定するものではなく、どのようにコミュニティが運営されているのかという詳細を見出し、それを世界中にある他のコミュニティと共有したいからなのです。ですから、皆さんのコミュニティでは何がよく機能し、どのような問題があるのかを知りたかったので、私たちはとても具体的な質問をしました。
いさどん
私たちが質問される多くのことは、コミュニティを研究する人もこういった暮らしに興味を持っている人でも、細かいところに興味が行くものですが、私たちはなぜコミュニティが必要なのか、そもそもコミュニティとは何なのか。もっと広い視点から自分たちを観ていくと、実は私たちは「地球コミュニティ」に生きていることが理解できるわけです。
そうすると、小さなルールというものは、そこに出会った人たちの個性としてあればいいのです。ですから、それはコミュニティによって違っていいわけです。それから、そのコミュニティを形成するメンバーひとりひとりも窮屈な決まりごとに縛られる必要はないのです。
窓の外に観える植物や、土の中にいる虫や動物たちすべてが自らを誇らしく表現しながらこの世界を紡いでいるように、私たちもそうやって自分の尊厳を保ちながら生きていけるようになるのです。それがコミュニティの理想だと思うのです。
外国人ゲスト
私たちのグループを代表して、こうやって皆さんが私たちを温かく迎えてくださったことにお礼を申し上げたいと思います。
いさどん
残念ながら、今回は少ししか皆さんとお話する時間がとれませんでした。ただ、私たちは今日物理的に出会って、初めて知り合ったように思うかもしれませんが、この星の上に同じ生命の人類として共に生きてきたわけです。皆さんは「コモンズ」ということを研究していらっしゃるということですが、皆さんの資料を私は見せていただいて、まさしくここはコモンズの精神を表現している場だと気付いたのです。
そういうことからすると、初めて出会ったのではないですし、いつかまた、地球の未来に向かって私たちひとりひとりがどのような意識を持っていったらいいのか、皆さんともっと深く話し合える機会を持てたらと願っています。
素晴らしい生命の星であるこの地球上に存在する200万種類以上の生命の中で、たった1種類、人類だけが特別な生き物なのです。思考し、喜び悲しみ、未来を創っていくことができる生き物なのです。他の生命にそのような能力は与えられていません。
しかし、その能力を人類だけのためや個人だけのために使ったら、人間以外の生命はそのことによって大きな迷惑を被るでしょう。そして、この素晴らしい生態系は壊れ、多くの人々が人間の中にいながら苦しんでいくことでしょう。人間の能力をどちらの方向に向けるかによって、未来はかかっているのです。
未来を経済界の人たちや賢い大学の先生、政治家たちなど特別な人たちに任せず、ひとりひとりがそのことに目覚める時代が来ていると思います。これはとても優しく、ソフトで平和的な革命です。そして、それが21世紀中に訪れると私は思っています。
外国人ゲスト
本当に感謝しています。この座談会の時間自体が私たちにとってとても大切な時間でした。私たちにたいへん多くのことを考えさせる機会となり、ありがとうございました。
いさどん
ぜひまたお会いしましょう。
研究者への回答を避けたのですね。
「ケースバイケースです。絶対のルールはありません。今のところ木の花の場合は。。」といった情報も出さず?
●国の傘下で、お金を道具に。
お金の話は重要な情報です。
国家の傘下に暮らしているからです。
社会保障制度や健康保険制度 そして納税義務にによって自助公助を実現しようという建前の社会に居ます。
弁護士は電卓をはじきます。
国は税率で国民を制御します。
自己責任と自立、自活が期待されます。
●研究者の役割
研究者が、新しい制度を国に提案するとき、お金を含めて政策を描くことが期待されます。
論文に書かれた情報の質(信憑性、実現可能性)を見極めようとするとき
●筆者の仮説である
●実際に観察された事例である
この2つの違いは大きいです。
研究者からの質問
「コミュニティメンバーになるときには皆さんの財産も一緒に持ち込み、コミュニティ全体と共有することになると思いますが、もしコミュニティを離れたくなったらその財産はどうなるのですか?」
「どのようにコミュニティが運営されているのかという詳細を見出し、それを世界中にある他のコミュニティと共有したいからなのです。ですから、皆さんのコミュニティでは何がよく機能し、どのような問題があるのかを知りたかったので、私たちは具体的な質問をしました。」
社訓は理解した。
具体策は?という質問でした。
2020年現在、私も同じ質問がしたいです。
●神はサイコロを振らない
博打ではなく、信じること。
先ず天啓を信じること。
「信じる」を人に求めるとき
天啓を見聞きするリーダーの確信が頼りです。じいじか、釈迦か、ナザレのイエスか。誰か信頼する方の発言を信頼するのみ。自身の実感が無いうちは。
●コミュニティ存続に欠かせないもの
天啓を見聞きするリーダー不在の場合、過去の口述を伝承するのか。
伝承する過去の情報を経典化するのか。
ヤマギシのような想念信念ある団体であることが、木の花が協力を惜しまない必須条件?
安全安心を求める俗世ニーズだけではコミュニティは存続しないのか?
● 天啓不在のコミュニティ
天啓に代わる信念や想念
それを支える事業シナリオが必要。
営利目的dwなくNPOとしてでも
設立時の法人資本金が##
メンバーの拠出金が###
扶養家族の教育費経費に###
無償貸与の田畑が##ha
賃借の家が1人あたり##平米
必要な収穫が1人あたり##t
必要な売り上げが1人当たり##円/月
生鮮食品の売り上げ
加工品の売り上げ
サービス業の売り上げ
などなど
描ききって、設立当初、生産が軌道に乗らないうちは、足りない分を免税や補助金などの制度設計を要望するなど。
→制度設計のお仕事:東大京大などの研究者と役人が、現行制度と矛盾しないように調整。
●法律に首根っこをつかまれる
農地2022年問題
以前 自宅で間貸しの民泊を初めて、世界中からのゲストと数週間から数ヶ月の共同生活を楽しんでいました。
退職後の楽しみが出来たなぁ と喜んでいましたが、 民泊を規制する制度ができて、あっという間に禁止されました。
国に 様々な出会いの場という個人の幸せを奪われた心地がしました。
農業2022年問題 の影響も気になります。農地所有者が負っている、農地管理の義務が解除されると、所有者は通常の転用手続きと同様の方法で農地を転用することができます。 農業を行うよりも宅地として利用するほうが利益であると判断した所有者は、農地を宅地に転用してマンションなどを建てます。
木の花の命綱である農地が、管理義務の代行として無償貸与されている現状が ずっと続くのか。
不動産学でいうところの
☆失うと困る土地建物は購入する。
☆市場で賃貸で調達可能な土地建物は賃貸する
という原則。
余談ですが、コンビニなど出店競争激しい業態では、実務上は充足している立地であっても、ライバルの進出を最も恐れる立地に空きが出た場合は、あえてライバルの出店を阻むことを目的に、何件も同じ立地に出店することがあるとのことです。