天との共同作業

いさどん:
この世界は全体で一つにできている。心が壊れた人たちは個の意識が強すぎて孤立してしまったわけだから、自らの世界観を広げ、調和の中に存在することを知ると心を立て直すことができる。それはその精神にふさわしいメッセージであり、全体はすべてを包括して表現している。ここではそういった視点を学んでいる。
ところが、宗教や一般のセミナーは「自己啓発」と言って、参加者に得になることを提供する。それをうたい文句に欲をくすぐる世界を創って人をたくさん集めている。

ひとみ:
そういう意味では、ここと全く違うね。

いさどん:
ここでは先に自らの精神構造を知り、本来人間に与えられたポジションを理解した上で、この宇宙から託されている人間の役割に目覚めて、それを果たしていく人をつくる。それが全体のために生きることにつながる。
結局、人は自らの影響範囲の中で生きていくのだが、そのスタート地点が違う。自らが健康に生きることは世の中のためであり、世界の仕組みに忠実に生きていくために、この仕組みが循環するように意識を持って生きていくのか、それとも、世界から自らを切り離して、自らの幸せや健康を先に意識して進もうとするのかでは、やっていることは同じでも、意識が違うのだから全く違うことになる。その違いを理解していないと、これを生きる意味がない。
だから、占いのように求めるのではなく、自分自身と世界の構造を知り、自らが社会に何を与えているのかを悟って、自らの問題点を改善することによって世界に貢献していくことが大切だ。

この世界に貢献することを優先して生きることはブッダとして生きることになる。しかし、結局スタートが何であるかによって、自らの問題点を解決して健康に生きることでも、同じようで全く違うことになる。これは菩薩道と人間道の違いだ。
多くの人は人間道の段階にいるので、それを投げかけて理解させようとすると、無理が生じる。だから、奥にある種が目覚めようと旬が来ている人だけを束ねていく。これからは、そのような人々に縁がある予感がする。そのためにこの生活をやっている。
しかし、そこではまだ今までと同じように自分にとって都合の良いものを求める人とも出会う。その人々には20世紀型の意識が残っており、そういった心がこれからは行き詰まっていく。そして、次の時代を迎えるためにも、新たな種が今、芽生えようとしているのではないかと思う。

ひとみ:
今までの人々は世の中のためというより、自分が安心する場所を求めていたわけだから。

いさどん:
だから、まだまだそういった世界観の人は少ない。

ひとみ:
いるはずなんだけどな・・・

いさどん:
いやいや、予備軍はたくさんいる。たとえば自分のことばかり考えている人の中にも、そのことに気付こうとしている人がいる。それはどちらかというと、男の人より女の人のほうが多いだろうと思う。次の時代は陰の目覚めだから、女性性が目覚めるということだ。男の人は理屈っぽいからね。

ひとみ:
男の人の中の理屈で生きていない人は隠れているんだろうね。

いさどん:
女の人はもちろんそうだが、男の人でもまだ役割の旬が来ていない人は時代の裏にいて、表に出ていない。

ひとみ:
新しい時代を生きる若い子とはまだつながっていっていないしね。

いさどん:
それがどのようにつながるのかはわからないが、決して我々に縁がないということではない。しかし、世の中の流れがすべてここにつながると言っているのではない。いろいろな働きがあって、それがうねりとなっていくわけだから。

ひとみ:
でも、まだ若い世代の人たちは、他の世代とかみあっているというよりは同世代で固まっている感じだよね。

いさどん:
それは同じ属性の者が引き合っているという状態なのだろう。ここのように雑多な人間が集まるのとは違うんだよ。
ここは相変わらず雑多な者たちが集まっていくのか、それともそういったものが歩みの目的を確認し融合して進化していくのかは解らない。しかし、元はこの世界全体が進化・成長しているのだから、雑多な者を集めてそれが調和していくのだとは思っていた。
我々も魂の故郷が同じ者たち(天の同じところから降りてきた者たち)が集まってくるのかと思ったけれど、そういう者は既に集まってしまっているのではないかと思う。ある程度の揺るぎない者が集まってきた結果、余裕があるから雑多な者を集めていく次の段階に入っている。次のステージを踏んでいるからこそ、このスタイルになっている。
初期の頃の僕たちが多様性を取り入れてやれたかというと、それは初期の仕組みを固めるための時代で余裕のない段階では難しい人は入れられなかった。その覚悟が固まったからこそ、次に進んできたのだろう。

確か晃ちゃんたちが来たころで、ここが始まって10年くらい過ぎたころにみんなに話したことがある。
「木の花も形が整って安定してきた。もともとのここの始まりは世の中の家庭問題などで困っている人たちの受け皿になることで始まったのだから、ひきこもりや鬱病などの問題を抱えている人たちを預かろう」ということになった。
「そのためには、まず、みんながそういった世のため人のための意識を持とう。そうしたら意識が天に繋がって、必要とする人たちが来るから」ということで外の人を受け入れるようになった。

それから、いろいろな人たちが訪ねて来るようになった。パニック障害の人が来たり、社会で一度成功したように勘違いした人が来たり、自分の欲がコントロール出来ずに女性問題や離婚を繰り返して行き詰っている人が来たり、このような生活を希望していないのに人に連れられて来るような人、他にもそういった雑多な人たちが集まって来た。本当に「雑多」という言葉がぴったりの場になっていったと思う。そういった意味ではこれから不要なものが削ぎ落とされて仕上がり、次の段階に行こうとしているのだと思う。

そして、残った覚悟のある者たちが、これからは雑多ながらに意識を統一することは、ハーモニーを描くということだ。今までは雑音が入り混ざっていたが、これからはハーモニーを紡いでいく人々が集まって来る。それは本来のここの大切な役割を果たしていくことになる。
社会にはここの存在を必要とする者がこれからもまだまだ出てくる。その人たちを調和的に仕立てて社会に還元していく役割がこれからもあるのだから。それが、今ケア(木の花ファミリーが提供する自然療法プログラム)の人たちが増えてきている証なのだろう。
そういったここの変遷を理解した上で、このような役割を果たしていく自覚を皆が持っていくのは大切なことだ。ひとりひとりが自らのポジションをしっかりと担って、全体の推進役になるもう一つ高い意識を持つ目標があるということだ。

ひとみ:
オーケストラの奏者が音を奏でるには指揮者の方を見ていないといけない。

いさどん:
まだまだ人間は自分のことばかりを優先している。「己を失くして世の為人の為に」という大切がわからない。言葉を聞いても脳にそれを解釈して落とす場所が開発されていない。
つまり、脳の中に菩薩としての分野があるのだが、そこが活性されず働いていないから種が芽生えてこない。それで、“もどき”をやってしまうんだよ。21世紀は、菩薩の脳を発達させて、それを現実化していく精神性の時代。それはこれから始まる。

ひとみ:
精神性の時代と言われても、その精神性とはどのようなものなの?

いさどん:
精神性にもランクがあって、「己の為の精神性(20世紀型)」から「己をなくして人の為に生きる」というランクがある。

ひとみ:
みんな、己をなくすのが大変なんだね。

いさどん:
自分に捉われている人間は、己をなくすことは自分がなくなってしまうと思っている。しかし、己をなくすと、己を超えた己が現れてくるんだよ。そして、さらに己をなくすと、さらに次の己が出てくる。それを繰り返していくと人々はブッダとなり、天とつながる人になる。
それは神人和合となって、人々の意識は宇宙と一体になっていくんだよ。それが21世紀に現れるユートピアなんだ。ところが、多くの人が我の意識レベルでそれをやれているつもりでいる。人間はまだ自らを自分の内に閉じこめている。

ひとみ:
自分のイメージは捨てられないんだね。

いさどん:
そう。我を越えられない状態で自らと向き合おうと思ったらできない。「ありがとうございます、いただきます」という精神になった時にそれができる。そうやって初めて、自らを超えた自らの世界に行ける。それが成長するということ。

ひとみ:
そういう意味では、雑多なメンバーの中でそれを練習してきたんだね。

いさどん:
この世界は多様性の世界(宇宙と地球生態系)で人間の世界も多様性に表現されている。意識のそろっている者を集めていくと簡単に行ける。しかし、雑多な者たちが行くからこそ、この世界の仕組みにふさわしい表現をしていくことになる。
それが人間だけのためであったら、他の生き物を無視することになる。だから、人間も含めてすべての生命生態系とともに意識があることが、ハーモニーを奏で調和を表現する世界につながる。それを託されているわけだから、同じ楽器で同じ旋律を奏でることとは違うことなんだよ。それが「難しいことを与えておるゆえ」という言葉の意味で、それを理解して進みなさいということだよ。あぜ道の話と一緒だね。

しかし、このような話はよほど意識して聴く気がある人でないとわからない。自らが救われたいと思っているようなレベルの人達ではわからない。そうすると、これがわかる人たちが集まってくるのは、我々が集めるのではなくて、時代が天とともに集めることで、そのような時代が来るということだ。

ひとみ:
やっぱり天との共同作業なんだね。

いさどん:
だから、常に天を意識して共同作業していく。しかし、「天との共同作業」と言うと、世の中に浸透しにくい。まだ世の中の人々は「天」という意識も、「いただく」という意識もなく、自らの納得できることをやろうとしている。それを言葉で伝えても、まだ意味がわからない状態なんだよ。
だから、我々は一般の人たちが理解できないことをやっているということでもある。これは、先を行く者の宿命なんだから、それを理解しておく必要がある。

ひとみ:
メンバーでも、もっと天との共同作業という意識を持ってやれるよね。

いさどん:
天との共同作業をするためには、意味なく事がやれる人にならなければいけない。

ひとみ:
天との共同作業というのが、今とても私の意識にヒットした。

いさどん:
天との共同作業をするには、「あれがしたい、これがしたい」と言っているのではなく、とらわれない意識で意味のあることをやれる人にならなければいけないのだよ。
 
 
「アワの歌」

アカハナマ イキヒニミウク

フヌムエケ ヘネメオコホノ

モトロソヨ ヲテレセエツル

スユンチリ シヰタラサヤワ
 
 


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