2015年「船出の年」を迎えて

新年明けましておめでとうございます!

木の花ファミリーでは、2015年を「船出の年」と銘打ちました。そして新年を迎えるにあたり、いさどんはメンバーたちへ、以下のように語りました。

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昨年末、2014年の収穫感謝祭を行いましたが、そこで降神祝詞、昇神祝詞を奏上し、祭場に神様に降りていただき、祭事に立ちあっていただきました。私たち地上に生きる人間が日々生きられることは、天の意志(天体の法則)が地に働き、地に実りが降り、そして、私たちは生きていけるのです。
そのことに改めて感謝しながら、その神様との関係がどのような仕組みになっているのかを、新たな年を迎えるにあたって改めて振り返ってみたいと思います。それを私たちが迎える新年の指針にしたいと思います。

地球は一日に一自転します。そして一年で365回自転しながら、太陽を一周(公転)するのです。それを繰り返しながらこの星は宇宙を旅しています。そのような中で一年という節目を毎年迎えながら、私たちは生き、年を重ねて、寿命を迎えます。この宇宙的物理性が私たちにいのちをもたらし、そしてそれこそが神様の実体だとわかってきました。
私たちは一昨年の11月にカタカムナ(上古代、日本列島に存在した宇宙物理学)と出会ってから一年と少しが経ちましたが、宇宙的仕組みで生きる意識は常に今までもありました。それがカタカムナに出会って、宇宙の物理性が私たちの意識の中にさらに入ってきたのです。以前はこういった神事を行ったときには、本当に神様の存在と生きることの意味をつなげて感じていたかというと、なかなかそこまでの深い意識にはなりにくいものでした。本来は、特別なときに天の存在を想うだけではなく、常日頃の想いや生活の仕組みの中に感じていくべきことです。

毎日朝が来て夜が来ること、夜には眠ってまた朝を迎えること、そして食べ物をいただくこと、その沢山の緻密な繰り返しの中で四季に出会い収穫をいただくこと、そういった私たちが当たり前にしていることすべてが宇宙の物理法則の仕組みからもたらされているのであって、それこそが神様の働きなのです。そして、その仕組みが私たちにいのち・命(みこと)としての立場を与え、いのちを紡がせ、私たちは寿命を迎えるということなのです。
それは私たちの日常、とても身近にあることです。私たちの命の営み、すなわち私たちの存在そのものが神様が存在する証でもあるのです。私たちは毎日その仕組みの中に生き、いのちを紡いでいる神様の顕れなのです。

ですから、私たちすべてのものがいのち・命(みこと)としてつながって存在していると捉えたときに、カタカムナを通じてそういった物理的仕組みを改めて認識することができました。そして、それは私たちに高い意識をもたらします。私たちは日々の生活にそれだけの宇宙の妙(不思議な仕組み)をいただき、そこからいのちをいただいて生きているものとして、そのような高い意識のもとに生きていくためにはどのような心になったらいいのでしょうか。

それには、「謙虚」な心が大切です。この世界の仕組みがあって、その仕組みとともに私たちは生きている、もしくは生かされているという謙虚な心がまずは必要なのです。

それとは反対に、こうしたことに気付かなかったときにはどのような想いで人は生きているのだろうかと振り返ることも可能です。
そこでの人々は、自らの都合で予定を立てて、自らの想いを実現させるために生きてきたわけです。そういった意識には「生かされている」という感謝の心がありません。ましてや、そこには宇宙天体の働きや自然生態系のことなど意識にはありません。また、自らの想いを実現したいわけですから、他者に配慮する心も薄れます。それが今のような世の中の現状を創ってきたのです。

木の花の畑隊のこうちゃんからは、「今年の収穫はスーパー台風などの天候の影響を考え、心配したのですが、お蔭様で」という話がありました。「お蔭様」という言葉は太陽があることへの感謝のことなのです。その感謝の心が人を謙虚にし、他の存在があること、この世界があること、この世界が自らを生かしてくれていることに気付かせてくれるのです。
ですから、その心は他者のためにこの世界のために生きる心を湧き出させてくれるのです。それが働く(傍を楽にする)ということです。そしてこれこそが感謝(命の仕組み)の精神だと気付いたときに、人々はそういった精神で生きることを実感として生活の中に感じ、豊かに生きる段階になるのだと思います。

昨年・2014年の「うねりの年」(2013年は「出会いの年」)は、木の花ファミリーにとっての禊の年でした。禊というのは、洗礼を受けて自らの余分なものを捨て、本当に必要な姿となって生きていくことです。その禊を受けるときには、心に覚悟を持って、「いただきます。余分なものはそぎ落とし、必要な分だけいただいていきます」という決意をいただくのです。
そして、禊の年が終わると、次に何が来るかというと、その覚悟を持って今度は行動に移るのです。その行動が「船出」となるのです。船が出るということは、いよいよその姿勢(決意)を持って私たちが世にこのような形で生活していることの意味を示していく(行う)ことです。

そういったことを想うと、私たちはカタカムナという「知」に出会って「知意行一体」の大事を知りました。昨年一年は禊によってファミリーひとりひとりが自らの「意」を確認し、新たな年を迎え、いよいよその「行」が始まります。
その行は誰のためにあるのかというと、それを謙虚な心で行ずるのであるならば、世のため人のためにあるのです。私たちはこの世界の仕組み(カラクリ)に気付いたものとして、天の仕組みが地上に降りて、地上が円滑に営まれるための受け皿としての役割を果たしていくのです。
しばらくの間、天を意識しない地上の在り方が続きましたので、気付いた者としてその尊い意識をまだ気付かぬ人たちに示していくことが、これからの私たちの在り方です。そこでは自らにとらわれない強い決意が必要になってきます。その決意をするためには、いただいていることの尊さを知り、先に気付いた者の宿命として、無理解の中を歩むことにもなりますから、そのために謙虚に道をいただきながら、覚悟を持って粛々と生きることが大切なのです。

私たちは天の存在と共に、自らの意志を超え、共に生きるものとしてこの生活をしているわけですから、自らにとらわれているようなことでは与えられた役割を果たすことはできません。そのようなことでは、こういった生活をしていても、途中でその決意が鈍るようなことにもなります。
しかし、最終的に全ての魂はその役割を終え、また天にかえっていくのです。そのときに、十分に役割を果たし胸を張って旅立てるかどうかを考えると、これは自らのためでもあるのです。ですから、その決意を持って、こうした節目節目にその決意の確認をし、歩んでいきたいものだと思います。

そして、自ずとひとりひとりの中にその決意が湧いてきたとき、世の中のまだ気付かぬ人々もその新たな時代のうねりを直観で感じ、つながり、新たな時代を創造していくときが来るのです。すべての存在がこの法則の中に存在しているわけです。
そして今、時代は変わろうとしています。それは、ひとりひとりに気づきと直観が働き出すということです。その結果、人々の縁が紡がれたこのような生き方が必要となってきます。その時代が示す新たなモデルとして感じられる場所を、みんなと創っていきたいと思っています。

私たちは天然循環法と名付けた宇宙物理法則により、田畑の作物に美しい四十八音の響きを響かせながら育てていますが、私たちの精神の響きにふさわしく、その恵みは与えられるものなのです。ですから、ただ響きを奏上すればいいのではありません。そこに美しい四十八音の響きを響かせるにふさわしい者の行によって初めて、有効であるのです。
そうすると、私たちが日々の生活の中で調和の心を成し遂げた上で、ひとりひとり高い波動量の者となり、かつそれがネットワークして増幅していくことが大切です。その生活自体が作物や料理、子育てなど日常生活の全てに反映されていく ――――― それが本当の意味での天然循環法の生活なのです。

これはひとりひとりの意識波動が上がってこそ、成っていくことです。しかし、それは特別な人を目指すことではありません。それでは神通力のようなもので、「その人にしかできない」という特別な世界を創ってしまいます。
そうではなく、その仕組みを知り、その高い意識を持った者たちが調和しネットワークして、生活に反映させ、行じたときに(それを直会という)、地球に人類の新たな時代の雛形が示せるのです。

ですから、畑や田んぼの責任者が心配しなくてもいいのです。みんなでその意識で生活をし、その心をもって、美しい響きが生活すべてに響きわたったときに、当然のようにひとりひとりがそのような波動量を有し、有難い恵みのもとに生きていけるのです。それが当然のように展開されていく世界 ――――― それがこれからの世の中の見本となります。それが私たちの新たな年のテーマ・「船出」なのだと想います。

ぜひ、そのような場所をみんなで創っていきましょう。
みなさん、新年もよろしくお願いします。
 
 


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