21世紀は一人ひとりの目覚めの世紀です

改めまして、皆さん新年明けましておめでとうございます!
2015年大晦日の夜から2016年元旦にかけて、ファミリーでは「おひさまハウスひまわり」のホールに毛布をしきつめ、みんなで語り合う時間を持ちました。今日は、間もなくカウントダウンが始まろうとする中いさどんが語り始めた、新たな年を迎えるにあたってのお話をお届けします!

 

「21世紀は一人ひとりの目覚めの世紀です」
(2015年から2016年にかけてのいさどんの挨拶)

世の中でボーナスと言うと、定期給とは別に支払われる特別な給料のことです。わたしは久しぶりにボーナスをいただきました。

今年の春、69歳の女性と知り合いました。彼女は7歳の頃からミツバチを飼いたいと思っていたそうです。彼女は旦那さんを亡くしてから6年が経つということで、今一人暮らしをしています。きっとさびしかったのでしょう。猫をお友達として飼ってはいるのですが、蜜蜂の世話がしたいと思い立ったのです。それで、わたしが富士地域の養蜂協会の支部長をしているものですから、わたしのところに問い合わせが来て蜂を譲ることになりました。そうした縁で彼女とは親しくなり、時々お茶がてら、ミツバチの飼育の指導も兼ねて、彼女のさびしさを紛らわすためのお付き合いが始まりました。

以前は旦那さんと一緒にラブホテルを経営していた彼女が、旦那さんが亡くなってからは一人では経営していけないので廃業し、ようやく今年になって廃業届けを出したことを知りました。それまでは、旦那さんとの思い出をなくしたくなかったので、無理して管理をしてきました。しかし、年齢的にも限界を感じ、わたしと出会った頃がちょうど良いタイミングだったのでしょう。「これからどう生きていったらいいのでしょうか?」と彼女はわたしに相談してきたので、思い切ってこの土地を手放してみたらどうですか、と提案しました。彼女は今まで、この土地を手放すのは旦那さんとの思い出が消えるようでさびしい、と思ってそのまま持ち続けていたのですが、結局お金にならないどころかお金が出て行くだけで、今、3箇所でパートをしながらその給料と年金で税金を支払い、自分の生活をまわしている状況でした。彼女に譲った蜂についても、たった一回採蜜できただけで、蜂の育ちも今年は天候が悪いせいかそれほど良くなかったのです。わたしが時々行って管理していなければ、今頃全滅していたことでしょう。

そのような中、来年も蜂を育てていきたいという延長に、維持することが負担になってきたあの土地を彼女は最終的には売却することを決めたのです。おそらく、わたしに出会っていなければ、彼女は相変わらずあの土地を売ることはできなかっただろうと思います。彼女があの土地を売ると決めたとき、わたしはある人のことを思いついたので、わたしの友人を通じてその人に土地を買ってもらえるよう話を進めることにしました。そして今年の7月頃に土地を売る話が出てから、ようやく年内にその土地の売買が成立したのです。

その途中ではいろいろあったものですから、わたしの友人は「これほど苦労したのだから、不動産屋と同じように仲介手数料をもらわないといけない。法律的には素人でも1回は仲介手数料を受けとってもいいという法律がある。今回、間に不動産屋が入っていないので、僕にはその権利があるはずだ。いさどん、彼女に仲介手数料は通常3%だと連絡しておいて」と言うので、「僕はお礼をもらうつもりはありませんが、あなたが仲介手数料をもらうことは構いませんよ」と伝えたのです。また、彼女も「何かお礼をしたいのですが、お礼はどのようにしたらいいのでしょうか?」とわたしに聞いてくるので、「本来の手数料からすると、もっと高くなりますが、区切りがいいので100万円を彼にお礼として支払ったらいいのではないですか。売るのが難しい土地を彼は一生懸命交渉してくれたのですから」と正直に伝えました。わたしの友人は、「もし100万円の手数料をもらえたら、半分の50万円をいさどんにバックするからね」と言っていたのですが、彼女はわたしの友人に全額渡すのではなく、わたしと彼に最初から50万円ずつ分けてお礼として持ってきたのです。こうして、わたしのところに50万円のボーナスがやってきました。

(ここで、2016年になりました♪
 いさどんの話を聞いていた皆から拍手が起こります。)

ところで、皆さん、今スクリーンに「HAPPY NEW YEAR 2016」と出ていますが、何か変わりましたか?何も変わっていませんね。変わっていないということは、実は変わり続けているということなのです。今、2015年から2016年になりました。それは、新たな世界に進んでいるだけのことであり、毎日がそうなのです。最近特に感じていることなのですが、お正月だからといって特別なことはありませんね。同じように時空の旅をしているだけなのです。そして、常に未知なる世界へと進んでいるだけなのです。

ただ、これを区切りとするならば、今までを振り返ってこれからどうするのか、と考えるきっかけにすることはできます。しかし、未知なるところへ進み続けているという意味では同じことです。2012年12月21日、銀河の冬至を迎え、宇宙的には新たな価値観の時代へ入りました。ですから、そういったことを感じる人にとっては、世の中の情勢を観ると変わってきたことがわかります。時代は、確実に今までの価値観とは違う価値観に移行していきます。そこに乗るかどうかがこれからは重要なこととなります。

そのときに、今までの価値観の流れに乗り続けていくということは、終わっていく流れに乗っていくことになります。それは、時代が250年、800年、1600年、3000年、6450年、12900年、25800年という様々なターニングポイントを迎え、そのピークに達したときに、下降していく流れに乗り続けるのか、それとも次へ昇っていく流れに乗るかどうかです。

自らの囚われを外した人は、新たな流れに乗っていくことができます。しかし、自らの枠の中に閉じこもっている人には、なかなかそれができません。今までは、枠の中に閉じこもり、競争や差別を発生させてきた時代でした。しかし、そういった時代が終わることは明らかであり、たとえば中国は十数年後にはGDPが世界のNO.1になるだろうと言われているのですが、実際には環境問題などいろいろな面でその前にブレーキがかかることでしょう。ですから、そうはならないのです。その推測は、現状を表面的に観てそのまま進んでいくとしたらという話であって、現実にはそうはならないように、これは中国が発展するかどうかという話ではなく、世界中の発展の質が変わるということなのです。

そこで、これからの時代はどのような生き方に乗っていけばいいのでしょうか。今、わたしの頭の中に「賢い選択」という言葉が浮かんできました。しかし、ここでは賢いと言ってはいけません。それはなぜかというと、そのことに気付いた人は当たり前に次なる流れに乗っていくのですし、それに気付かない人は当たり前にそれを外していくだけだからです。それを賢いとか賢くないというのは、結局自分がすることは良いことで、しないことは悪いことと区別することと同じだからです。しかし、そこにはそういった概念もないのです。気付いた者が当然のように新たな時代の流れに乗っていくだけのことなのです。

世の中には賢いと呼ばれる人たちがたくさんいますが、そういった人たちの多くが自らの囚われから外れることができません。そうすると、何のためにその優秀な頭脳を使い、何のために豊富な知識を得ているのでしょうか。
世の中の賢いと呼ばれる人たちは、自分の認識では良いことをしていると思っていることでも、実際は人間社会の争いの元や環境の悪化など様々な社会の矛盾を招く原因となっています。ですから、本当の意味での賢明な考えが浮かばず、それが本当により良い社会や自らの健全につながる生き方ができていないのが現状です。それは世の中に混乱をもたらすだけではなく、自らにも混乱をもたらすことになるのです。
学校のようにまだ学びを実践しない段階の場所では、たくさんの知識を得て、それを試験や研究という形で上手に表現できれば優秀な人と評価されます。ところが、実際に社会でそうした学びを生きる段階に入ると、職場で複雑な人間関係に対処する必要も出てくれば、家族を持てばその家族の中のコミュニケーションを円滑に進める必要も出てきます。生き方についても、無駄がなく効率が良いほうがいいのですが、自らの囚われの中で生きていると、不要な思考をまわし無駄な行動をした結果、自らに負荷をかけることにもなるのです。

しかし、これを間違いと言ってはいけません。たとえば、今までは引きこもりやニート、家庭崩壊は間違いだと捉えられてきたのですが、これは間違いではないのです。これは、そのような意識でそのように生きると、そのような現象が起きるだけのことであり、これは間違いということではないのです。それはあくまでも情報であり、この世界は忠実に自らの姿を示してくれているだけなのです。ですから、もし賢い人がいるとしたら、そのような仕組みを知り、自らが生きた結果から学び続ける人のことを指すのでしょう。

わたしたちが生きているといろいろな困難に出会うのも、自らの行いに対してふさわしく現象が起きるのですから、人生とはまさしくその連続そのものなのです。これは、物理性です。その生き方のもとは精神性であり、人間の性質がもたらしているのですが、精神性すらが人生という形でその人の物理性を表現しているのです。ですから、最終的にはすべて物理性なのです。

しかし、その仕組みが観えない人々は、目の前にあることを避けて通ろうとします。これは自分にとって都合の悪いことから逃げて通るということですが、それでは闇雲(やみくも)に生きていることになります。一般的に闇雲と言うと、先の見通しもなく結果や是非を考えずに物事を進めるという意味ですが、闇雲に生きれば、未来に何が来るのかがわからないのではなく、確実に混乱が来るのです。そういった仕組みを理解し、理に叶ったことをすれば、何が来るかはわからなくても、現象として理に叶ったことが起きるので、それは先が観えているということでもあります。これからの時代はそういった生き方が必要なのですが、今、世界中が闇雲なのです。今、世界が闇雲のピークを迎えているということは、わたしたち一人ひとりがその状態になっているということです。

21世紀は一人ひとりの目覚めの世紀です。つまり、新たな時代の扉が開いたことに気付いた者は道理に沿って進んでいきますし、それに気付かぬ者は道理から外れていくだけのことです。それは大人サミットに参加したこうたんの話と同じで、これまで彼は世の中を優秀に生きてきたのですが、それは時流と合っていたために優秀とされていたのであって、60歳を前にして彼は多くの疑問を持つようになったのです。そのときに、人は自らの心を変えることによってのみ、楽に生きられるようになるのですが、自らの心を変えずにそのまま進み続けていったら、苦しくなるのです。今、人々がそういったことに目覚める時代が来たのです。

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そのような真実が明快になり、わたしの心は今、たいへん晴れ晴れしています。今回、土地を売却できた69歳の女性は、長年、中途半端で明快ではない生き方をしてきました。ところが、わたしと出会って人生に希望が生まれました。わたしは彼女との出会いから、あの土地を手放すことによって、人生の荷物をひとつ降ろしてあげることは、「世直し」だと思ったのです。ですから、お礼については何も考えていなかったのですが、彼女は「よく考えてみたら、100万円をお礼するというのは納得がいきます。他になかなか買い手がないのに紹介してくれたのですから、当然だと思います。しかし、100万円すべてを古田さんの友人にお渡しするのは変だと思ったのです。どちらかというと、古田さんに多くお礼をするべきだとも思ったのですが、こちらで半分ずつ分けて持って来ました」と言うのです。まるで、彼女はわたしの友人の意向を最初からわかっていたようなのです。そのような経緯で、わたしのもとにボーナスがやってきました。

わたしは今、40数年前に仕事でお世話になっていた70代の女性に17万円を貸しています。彼女は、お正月を明けたらここにお世話になります、と言うのですが、借金だらけの人生になっているので、彼女とのことも今後どうなっていくのか、粘り強く観ているところです。この件についても、69歳の女性と同じように、一人の人の人生の行き詰まりを改善できたらと思い、そのきっかけとして、半年前に彼女から突然電話がかかってきてお金を貸してほしいと頼んできたときに、お金を貸してあげることにしたのです。今、その行く末を観ているのですが、このことも「世直し」として捉えています。

今回、あるところから思わぬお金が入ってきて、あるところで思わぬお金が返ってこないということは、相殺すれば33万円プラスなのですから、それはそれでいいだろうと思って観ています。そして、人生とはそういうものだと思うのです。つまり、お金が返ってこないから、そこで帳面合わせをするのではなく、トータルして人生の帳面を観ることから考えたら、徳がある人は人生を通して徳があるのです。ですから、徳を積むということは、人に対して、そして世の中に対してどのように考え、何を提供するかによってその結果が返ってくるのです。

今日、年末ジャンボ宝くじの抽選会がありましたが、1等賞が7億円で、前後賞あわせると10億円ということで、年々1等賞の賞金金額が上がってきています。それはなぜかというと、金額を高くすると、それにつられて買ってしまう人がいるからです。しかし、宝くじの売り上げの半分近くは政府が使い、経費を差し引くと、約45%が当選金として還元されるだけです。誰かに当選することは確かなのですが、その確率はどんどん低くなっていて、当選した人の人生は狂っていくものなのです。そして、当たらない人は、どんどんお金を持っていかれてしまうのです。ですから、当たった人の喜びはたくさんの不幸の上にある仕組みになっています。そうすると、一見、得したように思えても、実はそこで徳を捨てていることになります。宝くじを買うこと自体が徳を捨てることになるのです。そして世の中も、そういった矛盾に加担しているのです。時代は21世紀を迎え、わたしたちはそろそろそういったカラクリから抜け出す時が来ています。

物事というのは、道理が通っていれば、道理に沿って答えが出てきます。しかし今、世の中全体が道理から外れているのです。先程のこうたんの話にも出てきましたが、2秒間のマインドコントロールがわたしたち一人ひとりの中に浸透しており、多くの人々は自分のことばかり考えて生きているのです。自分のことばかり考えている人に、これからは、良い人生は来ません。事実、これは物理性なのです。

そこで、他者のことを考えるといっても、それはボランティア活動をするとか、寄付行為をすることではありません。大局を観て、この世の中の情勢を観て、それが健全になるように、そして結果、自らの徳積みになるように生きていくことが大切なのです。それは、表面上いくら寄付をしたところで、これからの時代、徳積みにはならないのです。そういった大局的視野をもとにした生き方がこれから大切なのだと思うと、やることは地味です。自らと向き合い、コツコツ生きていくと、それにふさわしく日々の中で答えが出てくるのです。毎日を逃げずに、しっかりと道理のもとに、流れと共に生きていくことが、物理的に難しい時代をこれから迎えても、より健全な未来を創っていくのです。

誰も、他者から正してもらう必要はありません。自らの問題はすべて、自分で解決できるようにプログラムされているのです。真に自らと向き合えば、一人ひとりが自分のことは自分で解決できるのです。それはなぜだと思いますか?

それは、出会うことすべてが自らの行いのもとに現れてきたことだからです。自分がやってきたことだから、自分がやめていくだけのことなのです。そこで改めるために何が必要なのかというと、今までとは違う考え方を持つ必要があるのです。ところが、これまでと同じ考え方の延長に解決しようとすると、それではいつまでたっても問題を先送りしているだけであり、同じことが起き続けます。そこから目を開けて、目の前に起きている現象をしっかりと観たら、自らを救うことができるのです。そうやって、一人ひとりが自らを救える時代が来たのです。

ボーナスの話は、お金の話でわかりやすいのでこれをボーナスと伝えたのですが、これはお金に限った話ではありません。いろいろな出会いもそうですが、人生を通じていつもわたしたちはボーナスをもらっているのです。それは、給料のように約束どおり毎月来るものではありません。ある日、今まで積み重ねてきたものが満期を迎えて現れるようなものなのです。

それを得るためには、毎日、自らの姿勢・心・行動をよく理解することが大切です。それは、損得勘定をベースに理解するのではなく、濁りや矛盾のない美しさをベースに理解するのです。その証は、先へ行ってみればわかります。その証は、今まで歩んだことを観てみればわかるのです。
とかく人は表面的に帳尻を合わせてうまいこといくのではないかと考えてみたり、宝くじが当たるような起死回生の出来事が起きるのではないか、と期待するものです。しかし、そのようなことは決してありません。この世界は物理性ですから、それは方程式のようなものなのです。それは因果応報の法則のもとに、忠実に現象化されます。
そういった意味では、奇跡は起きません。この世界に奇跡があるとしたら、当たり前の積み重ねの延長に今までとは違う出来事につながり、それを奇跡と言うのです。それは人と人の相乗効果でもたらされることであり、生命世界の仕組みです。本来、生命は集まれば集まるほどダイナミックかつエネルギッシュで、豊かな世界ができるのです。

今年は新たなプロジェクトがたくさん立ち上がりましたが、そのひとつに「納豆製造機」プロジェクトがあります。3日前、木の花創立以来良くしてもらっている鉄工所の社長さんに、納豆製造機のステンレスの箱を作ってもらうよう頼みに行きました。その時、「年末だから急いで作らなくても大丈夫ですからね」と伝えたのですが、彼は早速それを作ってくれたようで、今日持ってきてくれたのです。「これで図面どおりですよね」と言いながら、とても嬉しそうでした。
彼が作ってくれたステンレスの箱に発泡スチロールを断熱材として貼り、みきちゃんの実家から来たこたつのファンを電熱器にして、まこっちゃんが作ってくれるタイマーをセットすると、納豆製造機が出来上がるのです。通常、納豆製造機を買うと36万円するのですが、今のところ、お金は0円です。
彼がステンレスの箱を持ってきてくれたとき、「ところで社長、この代金はいくらですか?」と聞いたら、「いいよ、いいよ!」と言うのです。彼にはちなっぴが作った正月用のしめ縄のお飾りをあげたり、毎月お米を渡しているのですが、まるで物々交換をしているようです。それも、納豆製造機の話を彼にする前に、「この図面は複雑だから直接話をしたほうがいいので、彼のところに行かないと」と思っていたら、ちょうどお飾りを取りにきた彼と話をすることができたのですから、そのように流れに乗っていると物事はとんとん拍子に進むのです。

そういった延長で、わたしたちが何も企んでいないのに、今年は新たなプロジェクトがたくさんあります。わたしたちがいろいろな出会いをつないでいって、情報と共に繁栄していったら、これからさらにたくさんの出会いがあることでしょう。ですから、未来は希望にあふれています。それはきっと社会をより良くするために役に立っていくことでしょう。しかし、それはこちらの思惑で成ったものではありません。そこが大切なところです。すべて、ボーナスなのです。

これからの時代は、自らの思惑や損得で得たお金ではなく、人とのつながりの中で豊かにいただいたものによって生きていきたいものです。2015年から2016年にかけての年越しを、ここでは独特の世界観の中で迎えました。この独特の世界観は、国営放送の紅白歌合戦の中にも、ゆく年くる年の中にもありません。それは、宇宙の中にある地球のターニングポイント、太陽のまわりをたった一公転した切り替わりから示されるものです。

毎日、一瞬一瞬コツコツと自らに向き合えば、自分が生きた分だけ自分がどのような者なのかを教えてもらえるのです。ですから、2016年はそうやって多くのことを蓄積しながら、発信していく年です。

みなさん、もう来年のテーマが出てきました!(皆:え~~!!)今年2016年の「発信」から、来年2017年のテーマは「爆発」です!(皆、大拍手!!)今年は様々な情報を蓄積しながら発信していき、その発信がいよいよピークに達し、来年は爆発するのです!!そういうのはどうですか(笑)?(皆、大拍手!!)中東で空爆しミサイルが爆発するよりも、中国のガス爆発よりも、どこかの国が原爆を破裂させるよりも、ずっと良い爆発ですよ!

ということで、みなさん、
新年あけましておめでとうございます!!
今年はそのような方針でやっていきましょう。

元旦の朝、初日の出に向かって
元旦の朝、初日の出に向かって

 

 


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