木の花ファミリーでは毎年秋になると、春にファミリー皆で田植えした田んぼで「稲刈り神事」を行い、その後、収穫したお米をみんなで味わう「直会(なおらい)」の神事を行います。2020年は、秋分前日の9月21日に直会が行われました。まず始めに田んぼ隊が挨拶をし、続いてジイジが以下の話をしました。
ジイジ:
今日は年に一度の「直会(なおらい)」の日です。「直会」とはどういう意味か知っていますか?
今日は、今年採れた新米をいただく会です。毎年この日がやって来ます。地球は宇宙の中を、ものすごいスピードで太陽と一緒に移動しています。そして、二度と同じ場所へは行かないようになっています。ということは、地球の上に住んでいる私たち人間も、去年とはまったく違うところにいるということです。
去年と違うどころか、昨日とも違います。地球は秒速約30㎞で移動していますから、1日で約2,592,000㎞移動します。それだけの距離を、さらに自転し、振動しながら移動しています。それが地球の実体です。その上に私たちは住んでいます。
明日は秋分ですね。ということは、1年の4分の3が過ぎるということであり、太陽の周りを4分の3周したということです。もっとも、地球の1年の始まりは、本当は元旦ではなく春分ですから、そこからすると秋分は太陽の周りをちょうど半周したことになります。そしてその中心である太陽も、螺旋を描きながら銀河の中心の周りを回っています。その太陽の周りを地球が回り、その周りを月が回っています。そうして地球上では、太陽の陽の働きと、月の陰の働きによって海に満ち引きが起こり、それによって海に生命が誕生し、今、地球上はたくさんの命でいっぱいになりました。
今、田んぼ隊が今年の作柄について話をしてくれましたが、今年の7月はずっと雨が続いて「今年のお米はどうなるのだろう」と思っていました。今、ほとんどのお米農家は、化学肥料を使っています。そしてたくさん収穫するためにたくさんの種を播き、密植と言って苗を詰めてたくさん植えます。そうすると、雨が続くと茎が弱くなります。そして夏になり、ぐっと暑くなると、今度は実がたくさん実ります。そうするとどうなるかと言うと、頭は重くなるのに体は弱いので、稲が転んでしまうのです。今年は日本中でそういう田んぼがたくさんありました。
昔はお米が生活の糧でしたから、とても大切に育てていましたが、今ではお米の値段も下がり、親や先祖が残してくれた田んぼを受け継がなければいけないという義務感でやっている人も多く、あまり丁寧にお米を育てていません。しかしここは農的共同体ですから、お米が生活の基盤です。ですから木の花ファミリーの田んぼ隊は、お米を大切に育ててくれています。毎年気候はいろいろに変化しますが、木の花ファミリーの田んぼで稲が転ぶのを見たことはほとんどありません。それだけ体がしっかりしているということです。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と言うように、たくさん実るほど頭が重くなります。そのたくさん実ったものをしっかりと支えるだけの体を持っていなければいけません。今年もお陰様で新米を収穫することができましたが、まだこれからも大きな台風が来るかもしれません。地球温暖化などが原因で巨大台風が増え、これからお米が採れなくなることもあるかもしれない。そういった意味では、人間の生き方を考えなければならない時代が来たということです。
さて、1年が経つのは、地球が太陽の周りを回っているからですね?春分、夏至、秋分、冬至というのは、宇宙と太陽と地球の関係によって生まれるものです。その宇宙の仕組みのことを、天の仕組みといいます。何故でしょうか。
今、私たちはここにこうして立っています。そうすると天が上で、地は下ですね。では、地球の反対側にいるブラジルの人たちにとっては、どちらが天でどちらが地になりますか?そう、日本にいる私たちとは反対になり、私たちにとっての下が天で、上が地です。つまり、地球の外側は宇宙ですが、宇宙はすべて天だということです。
そしてその天は、どんどん移動します。地球は、約7分間で地球1個分を移動しています。全然感じられないでしょう?この新米をいただく会が始まってから10分ほどが経ちましたが、もう既に地球1個分以上を移動しているということです。それでも宇宙のスケールからしたらとてもゆっくりなのですが、地球上の私たちの感覚からするとものすごい速さでしょう?それなのに、それがまったく感じられない。だから人間は、自分たちがそういった宇宙の仕組みの中で生きていることを忘れてしまったのです。
宇宙と連動している地球の動きが、地上に春夏秋冬をもたらしています。その中で、私たちは春の訪れを喜び、田植えの時には豊作を祈願し、秋には実りに感謝して収穫をします。その恵みをいただくことで私たちの命はつながり、そのことへの感謝を捧げるのが神事です。
作物とは、天の仕組みが地上に顕されたものです。人間もそうです。天の仕組みが地上に顕され、食べ物ができ、それを食べることによって自らの命がつながっていく。もしくは、新しい命が生まれてくる。寿命を迎えれば肉体は消滅しますが、魂はまた新たな人間として生まれ、この地球上で命をいただいていく仕組みになっているのです。
それは天の仕組みですから、神様の仕組みです。それが宇宙の法則です。神社へ行って合格祈願をする神様とは、ちょっと違いますね。この宇宙を運営している仕組みのことです。
神様は地球という場所を創り、それを宇宙の見本としました。宇宙の見本とはどういうところかと言うと、みんなが仲良く、助け合い、つながり合って生きる場所です。それが地球の生態系です。いろんな生き物がつながり、いろんな出来事が重なり合い、それによって地球という星ができているのです。宇宙中を探しても、こんな星は他にありません。
命は、「みこと」と言います。神様が人間になろうとして降りてくる最初の姿を「みこと」と言います。イザナギノミコト、イザナミノミコトなど、神様の名前には「みこと」が付いていますね。
「みこと」は「命」と書きます。それが生の状態、つまり生きていることを、「生命」と言います。生命とは誰のことですか?そう、みんな生命ですね。動物も植物も微生物も、みんな生命です。「みこと」が生の状態であるのが生命であり、その中でも人間は、こういった宇宙の仕組みを紐解き、考えることができる能力を持った唯一の生命です。何故なら人間は、神様の代理として地上に降り、その役割を果たすものとして生まれてきたからです。
ところが今の人間は、自分のことばかり考え、天のことを忘れてしまいました。1日が経つのは地球が自転を1回したからですが、そういうことも考えないのです。1年が経つのは地球が太陽の周りを1周しながら宇宙を旅していることを、考えないのです。しかし命をいただくということは、そこに宇宙の法則が働いており、神様の代理という役割として生まれてきた人間が、神様と共にそれを表現していくことなのです。
その時に、神様には体がありません。生の体を持っていないのです。そこで神様は、自分もその生命の仕組みを感じるために、自らの代理として人間を地上に降ろしたのです。
神という字は、旧字体で「神」と書きます。神様は地球に様々な生命を生み出し、その進化の過程で、私たちの先祖はある時サルに至りました。その時に神様は、「あっ、我らの受け皿をあれにしよう!」と思ったのでしょう。あれを受け皿として私たちの魂(みこと)を降ろし、地上を生きることにしよう。こうして神様は、「申(サル)」を自らの魂の「示し」としました。それが「神」です。
ですから人間とは、生命の中でも特別な存在です。サルにみことの魂が降り、生で生きている状態 ——— それが人間なのです。ですから人間は、他の猿とも違い、地球上で特別な存在でしょう?
では神様はなぜサルを器として自らの魂を降ろし、人間の世界を創ったのかと言うと、この宇宙の仕組みを地球上に表現するためです。みんなで仲良く調和し、美しい世界を創ろう。すべてがつながり循環する、命の世界を創ろう。そう考えたのです。そして今も、地球はその法則のもとに運営されているのです。
みんなは、神様から地球上の運営を託されています。その時に人間は「カキクケコ」なのです。
「アイウエオ」には、宇宙創造の原理が示されています。でも今日は直会ですから、「カキクケコ」をカタカムナで紐解いてみましょう。
「カ」は宇宙の最極小微粒子です。これが質的転換を起こし、土になったり植物になったりして、お米もできます。人間もすべて、元は「カ」からできています。その「カ」が、「キ(起・気・木・生)」、つまり生命としてビシッと立ち、繁栄している。そしてそれが「ク(自由)」の渦となり、「ケ(気配)」となって「コ(転がり出る)」となる。気配とは生命の元です。何になるかわからないものが、様々な縁によって転がり出ることで生命となる。「カキクケコ」とは、直会の仕組みを表しています。
お米を食べない、つまりご飯を食べないと、力が出ませんね。ですから「カ」=宇宙の原料が、「キ」=起動したものを、「ク」=食うのです。「ク」には「ウ」が隠れています。そして「キ」とは、気のことです。それは生命エネルギーです。
天はこのような仕組みを創り、人間に与えました。なぜ人間に与えたのかと言うと、自分も一緒にそれを楽しみたいからです。「私の代わりに、おまえたちにそれを味わってほしい。」そのために神様は、人間に肉体を与え、地上に降ろしました。
ですから食べ物を食べる前には、「いただきます」と言って感謝をします。そして味わいます。食べ物を噛み、味わうと、天の神様はその人間の味覚を通して「ああ、こういう味か」と味わうのです。神様は体がなく、味覚もありませんから、自分では味わうことができません。ですから神社では、新米を収穫した時などに直会会を開きます。そこでは、五穀や旬の野菜をお供えします。そして「神様、あなたに感謝し、今からこの恵みをいただきます」と祈りを捧げます。そこでただお祈りをしただけで片付けてしまっては、意味がありません。それを調理し、みんなが「美味しい、美味しい」と味わうことで、神様はみんなの体を通して、一緒にそれを味わうのです。「食べ物をいただく喜びとはこういうものか。私が願っていたことが、人間を通してこうして実現でき、よかったよかった」と神様も一緒になって喜ぶ。これが天地一体の人々の生き方です。
直会とは、神様と直接会うということです。ですから私たち人間は、お供えしたものを神様と一緒にいただくのです。
今日は新米をいただく会ですから、収穫したお米をみんなで一緒にいただきます。いただくのは、お米だけではありませんね。そして、今日だけでもありませんね。直会の神事は1年に1回だけのことですか?本当は違うでしょう?毎日毎日、私たち人間は神様の一部として、直会をしているのです。
いつも感謝し、毎日を直会の心で生きていくと、人間は謙虚になり、みんなで助け合うようになり、調和の世界ができることでしょう。そうすると、今地球上に起きているたくさんの災害が、穏やかになります。
今は人間がこういった宇宙の仕組みを忘れ、自分のことばかり、モノやお金のことばかり考えるようになりました。しかしこの世界は「カキクケコ」、つまり、宇宙の仕組みによって命の原料が様々に変化し、まるで生命の海のような、とても豊かな星を創ったのです。宇宙中を探しても、こんな星は他にないのです。
そのことを人間が理解せず、感謝を忘れ、これ以上命の仕組みを無視していけば、天の神様は望んでいないことですが、これからさらに生き辛い世界が人間に与えられることでしょう。それは、人間に大切なことを伝えるためです。今ここにいる人たちは、そのことを知っているのですから、これからそれをもっとたくさんの人々へ広げていきましょう。そのことをしっかりと心に刻む日として、私たちは今日、今年の直会の神事を迎えたのです。
新型コロナウィルスによって経済が揺らぎ、世界が大きく混乱している世の中のことを思うと、今年の直会の神事を特別意義深いものにしなければならないと感じながら、お話を終わりたいと思います。
こちらはニュージーランドに住んでおりますが、
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リンチ久枝さま
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