いさどん:
農について語るなら、「農」という字を語らなければいけない。
「農」という字は、「曲げる」に「辰」と書く。「辰」には「自ら」という意味があるそうだから、「農」という字は「自ら曲げる」ということを表している。自然界の中であるべき姿が曲がって現れたもの、本来の姿でないもの ――― それが農ということになる。
「自然」の「然」という字は、「然り(しかり)」と読むね。だから自然は、自分で然るべき状態になったもの、自分がなるようになったもの、ということ。対して「天然」は、天の法則によってなるようになったもの、ということになる。
この世界に現われるということは、「ない世界」である潜象界から歪みが発生することによって生まれて来ているのだから、自ら歪んだ状態になっている。それがこの世界の自然であり、人間の姿だよ。
そしてそれが「農業」になると、さらに歪む。「業」、つまりなりわいとして、それで飯を食おうという意向が働くことになるから。そういった心があると、その心の波動が自然のものに影響して、さらに歪められていくことになる。それが農業だよ。
有機農業は「穫ってやろう」「食ってやろう」という世界。自然農も、結局はすでに歪んで曲がっているものに、人間の理屈を付けて獲得しようとしている姿。それを人間が食べ物として摂るということは、歪んでいるものを摂ることになる。だから、たくさんの量を必要としたり、摂れば摂るほど歪みが生まれたりする。
「食」という字は「人を良くする」と書くでしょう。だから、本来食べ物というのは、人を良くするためのものなんだよ。
そして、人が門の間に入ると、「閃き(ひらめき)」になる。閃きというのは、人間を、いろいろと思考して歪んだり濁ったりする前の状態に戻すこと。つまり直感のことを言っている。
閃き(直感)が常に生まれる状態にするためには、歪んだり濁ったりしたものを取り去ろうとするのではいけない。歪みを取るには、一度潜象界に返して、きれいな状態にする必要がある。そして潜象界から生まれ出たばかりの状態のものにしていただく。
そのためには、自然は歪みがあることによって成り立っているという仕組みを理解して、それを正せる者がやらなければいけない。それは、天の然るべき状態を理解した者でなければできない。もしくは、天の然るべき状態に戻す手法によって、それが可能になる。
そこで、カタカムナのうたいを奏上して、歪んでいるものを正すことが大事なんだよ。自ずから歪んでいる自然を、天然の状態に正して、それを自らに受け取ると、我々の体の一番元にある観念体(光でできた生命の設計図)のところに戻って、もう一度組み立て直すことができる。それを理解した者たちがやる農法。それが「天然循環農法」と言える。
現象世界では人間の体にも、心にも、歪みがある。この間からのともちゃんの心の姿を観ていたら、自分に囚われて濁っているから、遠ざけた。そうしたら、始めは媚を売って、それを正してもらおうとしてた。でも、他の人の姿を観ることで自分との違いが見えてきて、それがわかってきたようで、姿勢が変わった。
そんなことを考えていたら、農という姿が出てきた。自ずから曲がっている状態がわからない者に対して、それを伝えてやる必要があると思った。それで下から突き上げて、体(生命)の歪みを真っ直ぐにするように、体の中に一本の柱(天之御中主大神・あめのみなかぬしのおおみかみ)を通して、正しい状態にした。その時に、縦を通すと横のエネルギーが発生する。それがエクスタシー(高御産巣日神・たかみむすびのかみ・陽であり男性性)であり、至福感(神産巣日神・かみむすびのかみ・陰であり女性性)だよ。だから、蓮華座の状態を保ちながら、縦の力を通した。これが、仏の交わりの姿だよ。
縦に天之御中主大神、横に高御産巣日神と神産巣日神のエネルギーが発生して、現象界の歪みやひずみを正していくことの理屈をわかった人間が、自然という「自らが然るべき状態」になっているものから「自ら」を取って、大本の「天の然るべき状態」に正すことができる。そうすると、現象界の歪みや濁り、汚れたものが一度潜象界に還り、大本の姿に戻り、現象界に還ってくる。それは、この現象界でつくられた歪みを解消することになる。
これは宇宙創造の造化三神の働きから、宇宙の成り立ちのエネルギー源であり、銀河に星が生まれる構造と同じなんだよ。
ともこ:
木の花は、「農業」をやっているわけじゃないんだね。
いさどん:
農業をやっている人たちは自然を科学して、そのメカニズムを解明し、自らの目的を達成しようとしてきた。そして、それを世の中に認めてもらおうとしていたんだよ。
道は天から降りてくるもの。そして天に還っていくもの。ところが、現象界に現れて歪んだものに媚を売っていては、昇る道も見えなければ、降りてくるものの受け皿にもなれない。
人間は地上に降りて、自我の意識に囚われ、天の存在を忘れてしまっている。だから、天に向かってもう一度、我々の存在が本来何であったかを思いださなければいけない。その道理は、歪んだ世の中に媚を売っているようなことではわからない。ましてや、世の中に今現在通用している現象を分析しているようなことでは、囚われの中で表面を分析しているだけだから物事の本質が観えてこないんだよ。
この世界にすでに現れている歪みや濁り(人工的現象・自然的現象)を受けて、そこから天に向かって一本の柱を立て、天に意識を向ける。もしくは天の意識を降ろし、受け取る。この縦の道が必要なんだよ。しかし、長い間地上目線・人間意識で生きてきた人々は、横の働き(損得・善悪)の陰陽の意識だけでこの世界を創ってきた結果、縦の働き(宇宙創造の大本の働き)を忘れてしまっている。それが、性の奥に隠されている神秘なんだよ。
「農」について考えていたら、「性」ということが浮かんできた。
今現在の人々の意識の中には、人間(生命)の原点である性が歪んでいる。それは、縦の意識なしに、男と女の横のエネルギーだけで行われると、農と同じように自ずから歪むものになる。自ら然るべき状態になる、つまり、自らの中から湧き出る欲求や歪み、濁りによって曲がっていってしまう。それを正すのが、縦(天之御中主大神)の力だよ。
ともこ:
私、今、何だかよくわからないけど、体の中がすごく違う感じがするんだよ。まさに、一本筋が通ったような感じ。
いさどん:
それは、そういった意識を持ったものが提供できることだよ。
考えてごらん。あなたの中に、何かが歪んでいたから僕は遠ざけていたんだよ。そしてあなたは迷いの状態から、自らを正さなければ、と意識をこちらに向けて、その意志が伝わった時に、そのための行為に出会い、歪みが正された。つまり、自ずから歪んでいる状態を理解したものが、自ずから正さなければ、と思った時に、初めて元の状態、天に通じる縦の力が働くんだよ。
だから、この出来事をありがたくいただきなさい。これを、今まであなたが味わってきたものと一緒にしてはいけないよ。あなたが今まで味わって来たものと同じ意識でこの言葉を聞くと、世の中の人々のように忌まわしいものに思えるんだよ。
ともこ:
うん。本当にそう思う。
いさどん:
これは農も同じだよ。その心がわかった者が表現できる世界。天の然るべき状態に自らを戻す。それが「天然」。
自然には常に我があって、自らの然るべき状態になろうとしているんだよ。自然農や自然農法は、まだそこの状態で、そこからさらに「獲ってやろう」「食ってやろう」という意識で生業にしているのが有機農業や一般の農業だということだ。そこでは、その順番に歪みやひずみが大きくなっていく。
コミュニティでは、調和の意識がなければ成り立たない。そこに、自分が自分がという心が自然に働いていったら、バラバラの世界ができる。木の花は、はじめから天の意志によって成り立ってきた。
それでも初期には未熟な者たちがいたから、それを育ててきた。やがて「エコビレッジ」を語って自らの好き勝手をやりたい者たちが、その延長に調和の世界を創ろうとして入ってきた。そして、その心を調整する段階に入っていった。
そこでは己の歪みによって表された問題を抱えた者たちを正す時に、一本の線を縦方向に通すために厳しい対応が必要だった。道理のわからぬ者に対応するには、そういった作業が必要だったんだよ。
そこで大事なことは、その縦の線、つまり天から降りてくるものと天に向かう流れを理解して、自ずから天に向かって然るべき意識になることなんだよ。全ての者がその縦の道に目覚めればいいわけだ。そのようにここは進化してきた。そして今がある。
今の社会の人々は横しか向いていない。天の存在を忘れてしまって、欲(自我)の世界を展開している。グローバル化された世界の価値観も、みんな同じような意識が横に広がってなっているんだよ。
しかし、本来は歴史の奥に、時代を刻む目的(縦の意識)がある。それはひとりひとりの個性そのものが天とつながり、それぞれのポジションで役割を果たしながら、横のネットワークでつながっていくことなんだよ。
ところが、縦がなくなって横だけのネットワークになると、我が広がって、天がなくなるから、自分の位置を忘れてしまってけじめがなくなる。誰もが同じような価値観を求めるようになって、バラバラの状態になってしまう。縦の意識が目覚めると、自らの個性的な立ち位置がわかるから、横にぶれてもすぐに元へ戻れるんだよ。それが、天然の意識で生きるということだよ。
ようこ:
まさに、カタカムナの「十(ト)」だね。統合して、整う。
ともこ:
今までは、ホームページなんかで木の花のメンバーの役割分担を説明する時には、「一人ひとりが個性や得意分野を活かしながら全体で一つとして機能していく」みたいな書き方だったね。
いさどん:
そこには足りないものがあるだろう?一人ひとりが自ら天とつながって、天の然るべき状態をそれぞれが降ろしてくると、今の状態や、生まれてきたことの意味がわかって、そこで人は安定するんだよ。その上で横にネットワークする。「九(コ)」から「十(ト)」になる。
ともこ:
今までも木の花は天と共にあったけれど、そこまでの意識じゃなかったね。
いさどん:
違うよ。今までは、1か所から降ろされていたものをみんなが共有していたんだよ。これからは、一人ひとりが目覚めて、それがネットワークしていくようになる。
一人が立つ状態から、たくさんの人が立って、それがネットワークして、さらに大きな柱となる。まさしく「ヰ」(カタカムナで言う「悟り」)だね。
ようこ:
そうだね。だから今までは菩薩の里にはなっていなかったんだね。縦の線が1本だけじゃ「ヰ」にはならない。
いさどん:
それが、「〇(輪)」の中にいる。その姿が理想郷「ヰ」だよ。
心を常に美しい方、正しい方に向けなさい。
その時に、未熟な段階では人に向けて正してもらう。次の段階では、天に向けて正していく。
それができない者は、人に委ねなさい。
常に自らの心に囚われていては、エネルギーがもったいない。
そのエネルギーを、世の為人の為に役立てなさい。