木の花と社会の架け橋として

今回のブログでは、
9年間のうつ病を克服するため
11月3日から2月8日までケア滞在をしていた
「きっこさん」とのインタビューを皆さんともシェアしたいと思います。

ようこ:
3ヶ月のケア滞在を振り返ってみていかがでしたか?

きっこさん:
ここは自分が願えば叶ってしまう
ミラクルなところだと思っています。
例えば、自分の想っていることが
そのままいさどんの口から出てきて、
まるで自分の頭の中を読みとられているような不思議な体験をしたり、
『ここではシュークリームは絶対食べられないんだ』となぜか思った時に、
4時のおやつになんとシュークリームが出てきたり
というようなことがよく起こるのです。
でも、その願いというのは
知的なレベルで「何かをしたい」とお願いするようなものではなく、
そういったレベルを越えた想いが
そのまま実現するように感じています。

私はここに来る前10年以上薬を飲んでいましたが、
ここに来た翌日には
自然に体から薬が離れていきました。
自分の意志で断薬したという感じではなかったですね。
1週間くらい眠れない日々が続いたにもかかわらず、
眠れなくてもかまわないんじゃないか、
必ず眠れる時が来るのだからと思えたのは、
ここの場の力だと思っています。

ようこ:
きっこさんは順調にケア滞在を過ごしていき、
そのまま薬を一切飲むこともなく、
規則正しい生活リズムを取り戻していきましたね。

そしてここの生活にも慣れてきた頃、
自分の中に根深く残っていた
今までの職場の人間関係やご家族に対する
ネガティブな感情をメンバーとシェアし、
手放すことによって、
きっこさんの心も安定してくるようになりました。

その頃、もともと言語病理学(言語障害学)の研究者であり、
言語聴覚士と臨床心理士の資格を持っていたきっこさんに、
「臨床の仕事を再開したい」という想いが
湧き上がってきたと話してくれました。

きっこさん:
「ここで与えられる仕事は全て自分のリハビリになる」と思って、
就職に向けて前向きに心身を整えていきました。
そうしたら、2月には
臨床のお仕事の話が舞い込んできました。

ようこ:
心身ともに健全になったきっこさんは、
2月8日にはケアを卒業し、
今後は一般の生活体験に切り替えてここで生活することを決めましたね。

きっこさん:
4月からは週2日東京で働き、
残りの5日間は木の花で暮らすという生活をスタートさせる予定です。

ようこ:
このケア滞在を今後のお仕事にどう活かしていきたいですか?

きっこさん:
3ヶ月間のケア滞在で、
大きく2つのことを学んだと思っています。
まず1つ目は、精神性、魂の領域なくして、
自閉や重度の知的障害のような、
ある意味で治ることのできない
脳障害を持った人たちを救うことはできない
という確信を持つことができたことです。
以前からそういったことは
大切なこととして捉えていましたが、
それはここで言う精神性と比べると
非常に浅いものだったと感じています。

今までは重い障害児を見ていると、
辛くなって胸が痛くなり
こちらが先に絶望してしまって、
無力感で自分を責めてしまうことがありました。
また、自分の専門が活かされないという
ジレンマもありました。

今思うのは、
自分の持っている知識や科学的なものは、
もちろん勉強することによって
磨いていくことはできるけれども、
そこには限界があるということ。
やはり魂の領域の問題だというスタンスを持たない限り、
私は彼らに何もできないし、
親御さんを支えることはできないということに気づきました。

それを全面に出すことはしないけれど、
私自身自分を責めず、
そういう心で接していくことによって
親御さんが変わっていくことはできるんじゃないか。
そういう支えになら私はなれるんじゃないか、
と思うようになりました。

私の兄弟たちは
「重い障害のある子たちと関わったら、
またうつ病になるわよ」と心配していますし、
きっと、以前の私なら
同じことの繰り返しだろうと私も感じています。

でも、魂というものを
心の奥で実感している今の私なら、
親御さんがどんなに錯乱しようが、
私は混乱せずに必要なことを伝えることができる、
という確信をここで持つことができました。
ただ、私も強い人間ではありませんし、
心がだんだん擦り減っていくこともあると思うんですよね。
だから、木の花とのつながりは
ずっと持っていたいと思っています。

もうひとつ、精神性以外に私がここで学んだことは、
その精神性を支えている日々の体験の大切さです。
黙々とみんながやっている
毎日の金品に捉われない単純な作業が、
人間をどれくらい救っているか
ということを実感しました。
だから、東京で働くようになっても、
まず自分はトイレの掃除をして
部屋を拭いてまわるところから始めようと思っています。
偉そうな顔をして、
「はい、診断してあげます」というスタンスは絶対取らず、
そういうところから自分のスタイルを
しっかりつくっていこうと思っています。
そのことを仕事先の方にも伝えたら、
すごく喜んでくださいました。

この臨床のお仕事はお金のためではなく、
自分が木の花と社会の懸け橋になるために
するのではないかと思っています。
かつての物が見えなかった自分のような人が
世の中には沢山いるわけですよ。
自分はここにいることによって
自分を高められるかもしれない。
でも、世の中には以前の自分のように
苦しんでいる人が沢山いると思うんです。

だったら、自分だけがきれいになるのではなくて、
自分がその苦しさを味わってきたからこそ、
そういった人たちとの懸け橋になれればと思っています。
本当にそういうことが出来るのかは別にして。
そうすると、自分が一番必要とされていることが
見えてくるような気がしています。

ようこ:
もう1つ、きっこさんの中に湧いてきたのは、
「ここで色々なことを教えていただいた感謝の気持ちから、
本を出したい」という想いでしたね。

きっこさん:
幼児を含めたここの人たちの素晴らしさを
素朴に描いてみたい、と思っていたところ、
実はいさどんも
『本を誰か書いてくれないかな。
きっこさんしかいないかな』と
思っていたのだと話してくれました。
以前自分が何冊か本を出したことのある出版社に
企画書を提出したところ、
非常に前向きなお返事をいただきました。
これから色々な人のお力が
必要になってくると思いますので、
皆さんよろしくお願いします。

ケア卒業から一般の生活体験に切り替えた時に、
呼び名も「きっこさん」から「エリー」に変え、
社会復帰に向け順調に日々を送っています。
そんなエリーに、ケアの「主治医」である
いさどんはこう語りました。

いさどん:
エリーは、ここの生活や存在を世の中に伝えるために、
神様より私たちのもとに派遣された方だと思っています。
エリーと話をしたのは、
エリーがこういった職業にいること、
そこで病気になったこと、
良いことも悪いこともあったけれど、
そのどちらもここで私たちとつながるために
あったことだと思うと、
そのどちらも大切でありがたいことだと確認をしました。

エリーの高い能力が社会の中で活かされ、
エリーがさらに生き生きと輝けるよう、
みんなで応援しています。

幼児たちにピアノを教えるエリー
幼児たちにピアノを教えるエリー

約束の場所へ

うつ的な心の改善のため、
2月16日からケア滞在をしている
21歳のみずほちゃんは、
積極的に大人会議で
自分の心の報告をしています。
今回のブログでは、
最近のみずほちゃんの
大人会議での報告を
皆さんともシェアしたいと思います。

昨日の大人会議では、
自己主張をくり返してしまって
いさどんさんに注意されたので、
今日は自分がどれくらい
自己主張をしているのか見つめていました。

そうしたら、言おうとすることのほとんどが
自己主張や自分アピールで、
話せることがなくなってしまいました。

お昼はそのことで気分が暗くなり、
のんちゃんに「感情が動いてないみたいに見えるよ」
と言われたりしました。
それでストレスが溜まったのか、
お昼休みに無性にチョコが食べたくなり、
コンビニに行こうとしました。

そうしたら、シーツを持ったまり姉に会って、
「ちょっとシーツを運んでくれる?」と言われました。
時間がなかったので、
「今コンビニに行こうと思ってて」と言うと、
「えっ、コンビニに行くの?!」と驚かれました。
私も驚きました。
「コンビニなんていつでも行っていいんだよ」
と言われたと思っていたので、
とても軽い気持ちでいたんです。

「行ってもいいけど、行かん方がいいと思うでー。
おやつやってあるんやし。
チョコ食べたいってどんな気持ちから来てるん?」

「いやぁ、チョコを食べたいって気持ちで。。。
我慢してもストレス溜まるのかなと思うし。。。」

「それやって先のことを決めてんねやろ?」

「んーー。。。」

「じゃあ、私がいなかったら、黙って行ってたん?」

「はい」というやりとりがいくつかあって、

「別に行くなと言っているんじゃないんやで。
行きたかったら行ってき」と言われて、

「はい。。。じゃあ行ってきます」
という感じでコンビニに向かいました。

向かう途中で、
話が違うよーという反発の気持ちや、
めんどくさいなぁという気持ち、
そんなに気軽にコンビニに行けないんだと残念に思う気持ち、
これって恥ずかしいことなんかなぁという気持ちが出てきました。

そうしたら、車に乗ったクララとスズケンに
「本宅に行くなら送ってくよー」と声をかけられ、
「コンビニ行くだけなんで大丈夫です」
と言うはめになってしまい、
あーあと思いました。

コンビニに着くと、
もうなかなか来れないだろうし、
とまとめ買いをもくろむ私が出ましたが、
これが私の不安ぐせなんだなぁと思いなおし、
ガーナチョコを一箱買って帰ってきました。
それで部屋で2つ食べてみたんですが、
なんだか美味しくないし、
落ち着きません。

それでお風呂でようこちゃんに話してみました。
そこで教えてもらったのが、
また人の話を自分に都合の良い風にとる
くせが出ているねということ。
「1日3000円の滞在費をかけてここにいるのに、
チョコレートに逃げていたら
お金を貸してくれたご両親や彼の了さんも悲しむよ、
60人みんなが応援しているからね」と言われ、
これを機に変わろうと思い、
ようこちゃんにチョコレートとお金を預かってもらうことにしました。

それでいくぶんスッキリしたんですが、
今度はそのことを大人会議で話すのが怖くなりました。
でも、それをキャサリンとゆみちゃんに話していて、
私の強い自己主張の元には
人から愛されたい気持ちがあることに気づいたのです。
人から認められたりほめられたりしないと愛されない、
と思いこんでいたのです。

ほめられたいだなんてエゴだ、
と頭ではわかっているのに、
心では認められないと安心せず、
ほめられないことが明るみに出るのをとても怖がっていました。

そして父のことを思い出しました。
仕事から帰ってきたら
成績が良いと時々ほめてくれて、
家で居場所が無かった私には
それがとても楽しみで、良い子を演じてきたこと。
それから、勉強のできない弟には冷たい父のこと、
高校で落ちこぼれて父からそっけなくされたこと、
弟につきっきりの母が
私が寝込んだ時だけ猫かわいがりしてくれたことなど、
色々なことを思い出しました。

私は16歳から19歳までうつ病だったんですが、
母にかまってほしくて
自分からうつ病になっていったんだろうし、
治るのを遅らせたのも自分だったんだと思います。

自分に甘くしていって
自分をダメにして同情されたい、
という意識が私には根強くあり、
それが自分に都合の良い風に話を受け取る
今のくせにつながっているのかなぁと思いました。

明日からは人に好かれようとするんじゃなくて、
愛されていると信じて
人を愛していこうと思いました。

みずほちゃんが今の気持ちを
明るく正直に報告してくれた後、
みんなからは暖かい拍手が湧き上がりました。
ちょっと恥ずかしそうなみずほちゃんに、
みんなからは、「素晴らしいね」
「勝手に良くなっていく見本のような事例だね」
「感動しました!」「いい報告だったね」
と沢山のコメントが続きました。

ケアの「主治医」であるいさどんが、
「ここがどんどん『約束の場所』になってきたなと感じます。
こういったことをみんなで共有するいい時間は、
そうそうできることではないよね」と発言すると、
みかちゃんが「では、歌います!」と
『美しいいのち』を歌い出しました。

♪美しいいのち♪

野に咲く花々 何て美しい
けれど その上を嵐が通ることもある
来る日も来る日も 雨に打たれて
風に吹かれて それでも生きている
いつしか 嵐も終わりを告げて
何もなかったかのように 青空が広がる

空を見上げれば 太陽に向かって
二羽の鳥たちが はばたいてゆく
まるで 私の心 解き放つように
自由に弧を描き そして燃えて消えた

美しいいのち 美しいいのち
いつか約束した地へと 私も歩き出す
野に咲く花のように 空飛ぶ鳥のように
過ぎゆく嵐のように 私も生きている

美しいいのち 美しいいのち
やがて この星全てが輝き出し
美しいいのち 美しいいのち
やがて 全てのいのちが響き合うだろう


月や星、太陽に話しかけたらPARTⅡ

先日の大人会議では、
月や星、太陽に語りかけたら」のブログを
みんなでシェアしました。
今回はその時の様子を紹介します。

なかのん:
僕がまだここのメンバーになる前に
ゲストで来ていた頃、
いさどんが僕にこんな話をしてくれました。
それは「実現しないことに感謝する」という話です。
願いが叶うと、願い通りの狭い世界に入り、
どんどん狭くなっていってしまう。
でも、願いが叶わないことによって、
自分の願い通りではなく、
与えられたことに眼が向いていく
ということを話してくれたんですよね。
このブログを読んで、
そんなことを思い出していました。

あと、自分に湧き出る想いや感情というのは、
始めは全て神様から与えられたものなんだな
と最近思っています。
そこに自分のこだわりや捉われが加わっていくと、
自分だけの考えになっていってしまうのだと考えています。
始めの神聖なものだけ
持っていられたらいいのかなと思ったりもします。

たっちゃん:
「自分で考えると狭い世界に
自分を閉じ込めてしまいます」というのは、
まさにそうだなと思います。
とかく自分で考えてしまうなと思っています。
だからこそ限界があるなと思っているんですけれど、
僕自身もっと大きなものに委ねていくということを意識して、
かつ考えることは徹底的に考えていく。
使えるものは使って、委ねていく。
そういうことをやっていこうかなと
このブログを読んで思いました。

いさどん:
最近ここを訪れる人の中に、
「ここを科学的に分析して
みんなにわかるようにしないといけない。
そうしないと世の中に伝わらない」
とおっしゃる人もいるのですが、
僕は相変わらず神様の話ばかりしている(笑)

昨日ここを訪れた人の中にも、
「神様って聞くだけでだめなんです。
光って言ったらなおさらですよ」
と言っていた人もいました。
しかし、私たちは納得いかないところで
生かされているんです。
どんなに自分が納得したいと思っても、
実はわけがわからない世界に生かされている。

そして、わけがわかった時には、
もう言葉では表現できないような世界にいるってことです。
これは先の先の話なんです。
だから、どんなに伝わらないと言われても、
やはりこれは語り続けないといけないなと思っています。

こちらからは神様を通して観ていて、
向こうからは科学的分析で観ているだけのことであって、
その真ん中には真実があるのだから。

みかちゃん:
私たちがこういった精神性を
世間に向けて発信し始めたのは
つい最近のことで、
ちょっと前までここは「木の花農園」だったんだよね。
ここは農園です、あやしい所ではありませんって
世間にとってわかりやすい形でやってきた。
それが今や、
ブログでこういった話をどんどん発信していく時代になってきた。

でこちゃん:
「自分で考えるのをやめにしました」という所がいいね。
私もこれ以上世界を狭くしたくないので、
自分で考えるのをやめにします(笑)

みかちゃん:
歌います!
皆がコンサートで毎回聞いている歌です。

♪むかし むかし♪

むかし むかし 人と自然に 
境はなくて 友として支え合っていた
むかし むかし 人とけものに 
境はなくて 友として尊敬し合っていた

いつの頃からか 私たちが
心通わなくなってしまったのは
いのちを小さな小さな箱に
閉じ込めてしまったのは

私は確かに 空であり 星であり 月であり
太陽であり 雲であり 雨であり 土であり
木々であり けものであったのに

いのち脈々と 空と地を自由に
かけめぐってた かつての日々へ
私たちは 又還ってゆく
心で全ての いのちたちと自由に
話していた かつての日々へ
私たちは 又 還ってゆく

カトケン(2ヶ月の農業体験滞在中):
いさどんのブログとみかちゃんの歌で
この場がすごくいい空間になったなと感じました。
僕も、「自分の考えを置いて
出会うことを優先にして生きようとした時に、
この自由な世界と広い世界が観えてきました」
という文章に本当に共感できるなと思いました。

僕はここに来る前から
学校の先生になりたいという
目標を持っていたんですけれど、
やっぱりそういう目標や自分のやりたいことを持っていると、
どんなにエネルギーをかけても
なかなか思うように進んでいけなくなるという感覚がありました。

でも、木の花ファミリーに来てからは、
カーリングのストーンのように
少ないエネルギーで良い方向に進んでいき、
さらにそれを手伝ってくれる人たちが沢山いる。
今まで体験したことがないくらい自分が軽くて、
どんどん良い方向に進んでいくのを感じています。

いさどん:
やはり、こういった文章を裏付る
ここの生活があるからこそ、
人の心に響くものがあるんだろうな
ということを改めて思いました。


牛にまたがってまで

最近はファミリーを訪れる多くの方が、
プレゼンテーションを希望されています。
プレゼンテーションでは、
創立者であるいさどんがファミリーの歴史、
農業から精神性までの全体像を訪れた方に伝えます。
昨日は4時間もの内容の濃いプレゼンテーションが行われ、
ゲストのお一人は以下のような感想を終了後にシェアして下さいました。

ゲスト:
お話を聞きまして、
大体、理屈ではなく感覚で理解できるような内容でありました。
その中で木の花ファミリーはベジタリアン
ということが言われていたのですが、
私はやっぱり肉が好きだと思っているんですよね。

だけど、私が本当においしいと思っている肉を食べるのに、
自分で牛にまたがって屠殺して、
その血を抜いて解体し自分のところへ持ってきて、
本当に食べられるのかと自分に問うた時に、
「私にはできないな」と思いました。
もしそうしなければ肉が食べられないのだったら、
私は肉を食べなくてもいいなと思ったんです。

今日もプレゼンテーションの前に
見学に行かせていただいたのですが、
その時に鶏舎で鶏を撫でたんですよね。
あれを殺して食べてもいいよと言われても、
自分は殺せないですよ。

だから、私はベジタリアンではないのですが、
いのちを殺していただくというのはできないなと思いました。
それに、ここであんなにおいしいお食事をいただけるのなら
あれで満足だなと思ったんです。

今日はベジタリアンであるということが
非常にリアリティを持って感じられました。
色々と気づきをいただきまして、
本当にありがとうございました。

いさどん:
素晴らしい!
「いのちの食べ方」という映画があるのですが、
いのちがまだ生きていこうとしている途中で殺されると、
その無念が肉に移ってしまうのです。

さらに肉だけではなく、
その無念が昇天できずにこの世界に漂い、
実は霊的にこの星を見ると、
この星は青い星ではなく、
暗いグレーの星になっていると言われています。
そういった魂が
この星に暗い影を落としているという見方もあります。

さあ、皆さんは今夜何を食べますか?


月や星、太陽に語りかけたら

先週末、毎月恒例の体験ツアーが行われました。
ツアーのプログラムの一つ、プレゼンテーションの時間には、
参加者の一人、アメリカ人のグレゴリーから次のような質問がありましたので、
皆さんにもシェアしたいと思います。

グレゴリー:
いさどんは30歳の時に、
天からメッセージが降りてくるという
霊的な体験があったと言っていました。
それは話言葉のようなものなのでしょうか?
それとも、夢のような形なのでしょうか?
どのような形で降りてきたのか教えてください。

いさどん:
私たちは自分の思考、想いを持っています。
自分が考えて生み出す思考、想いもありますし、
自分が考えないでふっと湧き出るものもあります。

私たちは体というものをもらって、
地球という世界に生きています。
ということは、この世界のいろいろな作用によって
生かされているわけです。
生かされているということは、
私たちが自分の思考を自分の中だけで
つくり出しているわけではないということです。

さらに、私たちは、
眼には観えない宇宙の意志のようなものの
影響も受けているとも言えます。
惑星と惑星の関係によって、
その思考が生まれることもあります。
そうすると、自分の思考なのか、
宇宙の思考なのか、地球の思考なのか
ということが区別できません。

自分が考える以前に
ふっと湧き出るファーストインスピレーション、
これは宇宙の思考、地球の思考ですね。
そこで、私たちを越えたものがあるということに
私たちは出会うことが出来ます。

それから、私たちは言語というものを持っています。
距離が離れていても、
心を見ることが出来なくても、
言語によって自分の意志を相手に伝えることが出来ます。

それと同じように、
自然の世界もそういったものによって
成り立っているわけです。
観るだけで、あの木がどう想っているのかということを、
感じる人には理解することが出来ます。
それは、絵や音楽などの芸術で表現するようなものです。
私たちは、そういった物理的な神様と出会うことも出来ます。

しかし、そういった物理的なものを全部省いて、
直接心が私たちに降りてくるということもあります。
それが、僕が受けている天からのメッセージです。
神様というのはこの世界全てを持って自分の体ですから、
全てを持って自分を表現されているのです。
だから、私たちの心や言葉も神様がつくったものです。
この世界にあるもの全ては、
神様が降ろされ維持されているものです。

私たちは人を観た時に、
「この人怒っているね」とか、
「この人笑っているね」ということが
話さなくてもわかることがあります。
それと同じ現象で、
この世界は観えないものでつながっているのです。
そこから、言葉が直接降りてきます。
だから、こうやって話しているように、
神様と対話することも出来るのです。

日本には神社がありますよね。
そこに神様が皆座っていらっしゃるのです。
わかっている人は神様に話しかけています。
「私は誰誰で、今日はこんな用事で伺いました」と。
そうすると、
「そうか。実はな、
おまえが来るのはもう既にわかっておって、
待っておったぞ」と対話が出来るのです。

ところが、
「私は自分の全てを知って生きているのだ」というふうに、
自分自身を自分の中に閉じ込めている人は、
そういう世界を観ることが出来ません。

地球なんて宇宙の大きさから観れば微小なものです。
それが宇宙空間に浮いています。
そして太陽のまわりを規則正しく回っています。
こんなことは、私たちの認識では考えられません。

その考えられない法則が
私たちをつくっているのだとしたら、
私たちは自分の考えという枠を手放し、
知らないことにより自分たちが生かされているということに気づいた時に、
そこの世界とつながれるようになるのです。

以前私は、
自分の考えを沢山持っていたのですが、
天から知らないことを沢山与えられ、
自分で考えることをやめるようにしました。
自分で考えると、
狭い世界に自分を閉じ込めてしまいます。
自分の希望を持つと、
自分の希望という欲の世界に自分を閉じ込めて、
返ってそれが不自由だということに気がついたのです。

だから、
自分の考えを置いておいて、
出会うこと、起きることを優先して生きようとした時に、
この自由な世界と広い世界が観えてきました。
確かにそこに魂がいて、
私に語りかけてくるのです。
そして、その後対話したことが
起きてくるようになりました。

この世界で本当に願いを叶えたければ、
夜の星を見て、
月を見て、
昇る太陽を見て、
沈む太陽を見て、
語りなさい。

実現するのはその方が早いですよ。
人間はあれがしたい、
これがしたいと自分の力で叶えようと思うものですが、
月や星や太陽と対話する方が、
ふさわしい出来事が早く実現します。

考えられないことかもしれませんが、
これって本当なんです。