愛とお米があればいい

いさどん:

富士山麓へ来て木の花を始めた頃の気持ちが、
今でも自分の中で全然変わらないんだよね。

ようこ:

今ふと思ったのは、
私は毎朝こうやっていさどんと話をするけれど、
ある朝ここに来てみたら、
「あれ、いさどん静かによく眠っているな」
そして、そのままいさどんの目が覚めなかった。

そこで思うのは
「いさどんは与えられた役割を
全て果たしきったんだね。
だから肉体を返上する時が来たんだね。
おめでたいね。ありがたいね」
ということ。
今までは、
単純にさみしいなと思うだけかと思っていたけれど、
最近のいさどんの皆を想う愛の深さを思った時に、
「いさどんは、
十二分に役割を果たし切ったってことだな。
ありがたかったな」
と思うかもしれないと、
そんな気持ちになった。
もちろん、その時にならないと
わからないことだけれど。

そしていさどんが旅立った後も、みんなと
「あの時のいさどんはああだったね。
面白かったよね。
そういえばあんなこともあったね。
ありがたかったね」と、
本人がいなくてもいろいろな話で盛り上がったり。
「いさどんはあんなことを話していたけれど、
自分たちは今それができているのかな。
まだまだ足りないから、
やり続けるしかないよね」
と話しているようなイメージが浮かんできた。

いさどん:

いい景色だね。

ようこ:

人は、死んだ後に
本当の評価が観えるのかもしれない。
いつまでも想ってもらえる人と、
すぐに忘れ去られてしまう人と。

いさどん:

そうだね。
でも、いたか、いなかったかわからないくらい、
皆の中に入っていて、
その人が特別もてはやされるのではなく、
この世界の中にその心が浸み込んでいけば
いいのかもしれないよ。

この世界が変わっていくためには、
新しい概念がいる。
その時に、「この国をよろしく」と言って、
昭和天皇の魂が僕のところにおいでになった。
あれは本当だったと思う。

僕が特別な人や有名人という形で
よろしくと言われたのではない。
誰の考えだからということではなく、
その心が世の中に広がっていくための
種であるということ。
ただ種であるということだけでいい。

種から生まれたものが、
種とは全く違うような形になって成長し、
種をつくった元のものとまた同じものになり、
また沢山の種をつくり、
その沢山の種が風に乗って飛んでいけばいい。

ようこ:

幸せの種。平和の種。

いさどん:

誰がそれを広めたとか、
そんなことはどうでもいい。
よし、思い切りこの心を広げなきゃ!
食べるものがそんなになくても、
生きて命をつないでいけば、役割は果たせる。
愛とお米があればいい。

♪愛とお米があればいい♪

愛とお米があればいい 愛とお米があればいい

讃えよ命 いただく恵み

与えよ愛を 御心のまま

開けや心 歌えや命

天の喜び 地に花開け

愛とお米があればいい 愛とお米があればいい


生活と理想をひとつにする時代

僕には前に進めようとする心と
それにブレーキをかけようとする心の両方がある。
前に行こうとする心が強くても、
現実にはなかなかその通りになっていかないことがある。
人生ってそういうものだな、
と今までは思っていた。

しかし、ここ1、2年は、
ブレーキをかける方が多く、
現実の方が先に進んでいく。
僕の方が慎重になって、
「そんなに上手くいかないよ」
と思うことが多くある。

そんな中、去年の後半頃から、
いろいろな人とのつながりが出来ている。
僕よりもここを訪ねてくる人たちの方が、
純粋で疑いなく進んでいこうとしている。
僕の中には
「また障害物が出てくるかも」とか、
「人はそんなに簡単には動かないよ」
という想いがある。
それを、流れの中で出会ったことだから、
流れのまま行きましょうということで
日々を過ごしている。

去年の後半くらいから出会った人たちというのは、
僕が考えていることを語ると、
それを僕が考える以上に受け取って反応してくれている。
今まで僕は、
「人間はまだそこまで気づかないだろう」とか、
「これは特別な考えだから普通の人には」と思っていた。
でも、そういった人ばかりではないということがわかった。

事が動き出した。

面白いのは、
以前と逆になってきているということ。
以前は、自分の中から湧き出してきた
高い理想をどんどんやっていこうとしても、
現実にはなかなかそうはならなかった。
今は、慎重に慎重にしているのに、
事はどんどん進んでいく。

羽を広げすぎないようにと考えることもある。
しかし、それを一人で出来るのかと言ったら、
一人でできはしない。
そうすると、僕がそんなふうに考える必要はない。
まわりの人たちの心に響くように、
自分の中にある変わらぬ想いを
語っていくだけでいいんだろう。

私たちの生活は普通ではない。
しかし、これを支持する人たちが
これからますます出てくるのも流れである。
面白いのは、
そういう予測を自分でしておきながら、
「そんなに上手いこといくのかな」という心や、
それがなっていくと、
「えっ、本当になるの?」という想いも出てくる。
もっと自分を信じてあげなきゃと思う。

僕には裏表がない。
私利私欲がない。
あなたは何を考えているのですか?
と問われたら、
そこにあるのは、本当に良い世の中が来ること。
この世界を動かしている存在に皆が目覚め、
この世界の仕組みの中で生かされていること、
そしてすべてのものがひと連なりのものであり兄弟である、
ということに気づくこと。

そうしたら、
当たり前に自分を想うように
人のことを想えるようになり、
そのつながりの中で
人々が平等で平和で愛ある生き方が出来るようになる。
皆が笑っている姿を自分の中にイメージして、
そういう世の中が来ること。
何が希望なのかと言ったら、それだけ。

疑いのない、争いのない、偽りのない、
皆が笑っていられる世の中。
独立した個人の笑いではなく、
皆で一緒に歌い笑いながら生活している。
生活の中に笑いがあり、喜びがある。
そういった世の中が来ること。

私たちは、
人類として過去に尊い教えをもらった。
キリスト、ブッダ、
沢山の聖者たちから道をいただいた。
それはどれをとっても原則は同じものです。
彼らが一体何を語ったのだろうと
心の目で見通してみると、この世界の仕組み。
ひと連なりであるということ。
ひと連なりであるということは、
全部つながっているのだから
全て自分自身だということ。
他を己と思って愛しなさい。
他と思えるものも自分ですよ。
だから、それを愛しなさい。

連なるということは、
悪意では成立しない。
善意を持って連なりなさい。
この世界を創っているものは、
別々の姿をし、いろいろな役割をしている。
どれも重要で不必要なものはない世界だから、
平等な世界です。
調和の中で、
一つのものに束ねられている。

世界の人々に対して
過去のメシアたちが伝えようとしたことは、
そのようなことだろうと思う。
人間たちがそのもとにある心を理解できたら、
聖者たちのような生き方だったのだろう。

しかし、人間たちは、
この世界を見通してみるのではなく、
個人という立場から
自分のエゴでまわりを見ていくようになった。
その結果、自分という概念を得るようになり、
広くこの世界を見通してみるということを忘れてしまって、
この地上だけに特定する概念で
物事を捉えてしまっている。

どんなに大きな組織のトップであろうが、
有名人であろうが、皆同じ人間である。
ただ、そこに大きな差ができた。
どこに差ができたかというと、
「自分がそれだけのものになった、
他の人とは違うんだ」という心を持ったからである。

この国が皆にとって良い国でなくてはいけない。
それを皆で創り上げていく。
その国というのは、
日本という国だけではなく地球国のこと。
過去に聖者たちが
私たちに残してくれた財産を指針としなさい。
一番の根本はこの宇宙の仕組み。
宇宙の仕組みには、生活も全てが含まれている。
私たちの存在も、もちろんその中に入っている。

私たちは、道徳や宗教を通じてそれを学んできた。
それなのに、ベースの心が「自分が」
というところになってしまい、
この世界を見通して
日々を生きるということを忘れてしまっている。

いろいろな宗教が人々を導びこうとしてきたし、
理屈や道理を知っている人は沢山いる。
しかし、実際にそれを生活に落とし込んでいる人は
ほとんどいなくなった。
そのような日々を送ることを
喜びとしている人もほとんどいなくなって、
頭の中だけの学びとなってしまっている。
そういう矛盾の中で生活している人がほとんどで、
特に宗教のリーダーたちに
そういう生き方をしている人が多いと思う。

私たちがこの生活を始めて、もうすぐ16年になる。
ただ淡々とやってきたのは、
「皆で」ということ。
「平等」ということ。
「調和」ということ。
全て同じ概念で、粛々と生活の中でやってきた。

そして、世の中の人たちもそのことに気づき始め、
気づいた人たちがつながろうとしている。
特に、ある程度の物を獲得してきて満足している人たち。
そういう人たちが、その満足で終わってはいけない。
自分の能力や財をもっと違う形で活かさないと、
自分の我を満たしただけでは価値あるものにはならない。

自分で自分の価値を築き上げていくということ。
「有形のものではなく、無形のものを優先して
価値を見い出していくことが大切なんだ」
ということに気づいた人たちが、
見えない力の働きでここに集まってきている。

新しい時代の見本を皆で世界に示そう、
「何となく変だね」と思っていることをもとに、
皆で世の中を変えていこう、
というところに共鳴しているのだと思う。

それは、私たち人間が勝手に思っていることではなく、
何かがそれを束ねようとしている。
宇宙を、地球を束ねている魂が、
この世界を導こうとしている。

何千年も前から
聖者たちが導きを残してくれた結果、
今があるのだとしたら、
その聖者たちの「全てが一つである」
という志を私たちは受け継ぎ、
その精神を持って次のステージに進んでいく。
それは、イエスやブッダのような聖者たちが
絶対ということではなく、
その生き方や教えを新たなものにしていく。
そうすることによって、
私たちと共に聖者が生きていく。
一人一人の中に聖者がいる。

私たちは神の分御魂であり、
私たち一人一人の中に聖者の精神や神が住んでいる。
その心を持って日々の生活を実践していく。
過去の聖者たちが残していった財産を守っていくだけでは、
新たな道が生まれない。
それを新たなものへとつなぎ成長させていく。

今までは、
初めの教えを守っているだけで成長がなかった。
それでは新たな知恵も湧いてこない。
これからは、特定の聖者や特定のリーダーが導くのではなく、
皆で考えながら創っていく時代。
「皆の時代、一人一人が主役の時代が来ます」
とずっと言ってきたけれど、まさしくその時代が来た。
皆で創る仕組みがこの世界を動かしていく。
それこそが宇宙の仕組みである。
私たちの生活のもとにある仕組みが、
理想を実現しようとしていると感じる。

私たち一人一人の中にイエスやブッダがいる。
私たちはその尊い心をもとに、
生活と理想が別々だった
この世界をひとつにする時代が来ている。
そういったことをわからず自分の欲に走っている人や、
欲が満たされず怒りや恐怖の中にいる人たちも、
不安のない安心できる仕組みができていくと、
だんだん氷のように固くなった心が溶けていく。
自分で自分のことを抱えなくていいんだ、
皆に安心して任せればいいんだと気づいていく。

それを先駆けとしてやることは大変な困難が伴う。
事が進んでいない時にやるのは大変である。
しかし、なっていけばいくほど、
「やっていて良かったね、そうだったんだね」
という確信が私たちの中に生まれてくる。
そうやって皆が引き寄せられて、つながっていく。

美しい心の人たちの生活。
それがこの星で実現すると、
この星が本当の意味で美しい星になる。

理想は、外れながら真実を見い出していく。
右へ行ったり左へ行ったりすると、
幅が広くなる。
ところが、真実を持つという心を忘れると、
右へ行ったら右のまま行ってしまう。
それでは真実が観えてこない。
右へ行ったり左へ行ったりしながら、
中央にある真実を見つけていくことが大切である。

自分を取り巻く世界に
自分が何をもたらしているのか。
それが観えることが大前提である。
一本道で行くのではなく、
外れることによって理想が見えている。
外れないで理想に行き、
それが理想なのかと言ったら、
確認はできない。
一本の道を行ったらそれが絶対だということになり、
この世界になぜそういったものが創ってあるのか、
そのことの価値が観えなくなる。
多様性がなくなってしまう。
面白くも何ともない。
ただ必死なだけになってしまって、
楽しめなくなってしまう。
それは味気ない世界である。

喜びがある世界。
喜びがこの世界のスパイスとなっている。
外れるから喜びが生まれる。

その全体像を理解していくと、
知恵が湧いてくる。
ところが、知恵がないのに知識だけ詰め込んでいくと、
知っているというだけでそれを活かすことが出来ない。
この世界には
良いことと悪いことがあるように見えるけれど、
実は両方が支え合いこの世界が成り立っていて、
そのどちらも同じく大切で良いことだということ。

なぜなら、もとは善意と愛と調和でできているのだから。
そこが出発点で、
それを影のように支えるように
悪意、孤独、対立、不調和がある。
一対だからどれも大切であり、
それをありがたいと思えるようになったら、
その影の方は消える。
そこに光が当たるから。

しかし、全てが消えてしまったら面白くない。
影のところから光の方へ出ていくから
「明るいね」と気づける。
だから、行ったり来たりしながら楽しめばいい。
ゲームのように楽しめば、
たちどころに問題は消えていく。

そうしたら、
いつの時代もこの世界は地上天国である。
始めから今もこれから先もずっと、
そのことに気がついたら
この世界はたちどころに地上天国となる。
そして私たちは肉体を返して天国へ行く。
そのことが理解できなければ、
肉体をこの世界に返しても天国へ行けない。
地の国、地獄に留まってしまうことになる。
暗い光のない世界に。

「優秀であることが大切だ」と言って、
人々は知識を求め、
優秀な人たちが支配する世の中ができた。
その結果、こういう社会が出来た。
なぜそれを見直さないといけないかと言ったら、
優秀な人たちは
自分が優れているというふうに思っているから
謙虚ではない。
謙虚でない人たちの世界ができて、
生かされているとか、つながるとか、
人を想うことが大切ということを
忘れてしまっている時代である。

私たちはどんなものであっても、
この世界が創られた後に創られたのである。
今現在も、その世界の目的によって維持されている。
そこに気づかないと、
この世界の目的を知ることができない。
いつも、自分独りよがりの、
あるいは人間よがりの世界しか観えない。
その視点でしかこの世界を観ることができない。

だから、
優秀であるということが仇になってはいけない。
優秀であるということは、
この世界の奥にある真理を観ることできるということであり、
それを観ることによって知恵が湧いてくる。
そうすれば、
この世界にあるテクノロジーも物もそこから来る富も
ずっと有効に使える。
人々のために平等に、有限なるものすら
無限に使える時代が来るはず。
そういう人々が大事な時代になった。


自然体の自分を取り戻して

一昨日の夜、
12月11日からケア滞在をしていた
あんべちゃんの「卒業コンサート」が行われました。
二十数年間、
ギャンブルやアルコール、ニコチンへの依存に
苦しんできたあんべちゃんですが、
見事一ヶ月で卒業となり、
翌朝、皆から祝福されながら
ファミリーを発ちました。

そのあんべちゃんの卒業のあいさつと
主治医であるいさどんからのメッセージ、
そしてメンバーからの祝福のコメントを
皆さんにシェアしたいと思います。

あんべちゃん:

皆さん、本当にありがとう!
今日一日いろいろ考えていて、
まとまったことを話したいとか、
まとまったことを話さなきゃいけないという
感覚があったんですけれど、
それは自然体ではないなと思いました。

ここに来たおかけで
自然体であることの大切さを実感したのと、
ここの生活のおかげで豊かさを実感できたので、
今ある自分の自然な気持ちを話そうと思っています。
何も用意していない今、
漠然と浮かんでくる言葉で話してみようと思っています。

ついさっき感じたことは、
「生きていて良かったな」ということです。
こんな豊かな生活ができて、
こんな豊かな人々とのつながりを得ることができて、
本当に生きていて良かったなと思っています。
自分を嫌いにならないで良かったなと思いました。
これも皆さんのおかげです。
これから、またちょくちょく来ます。
皆さんとのつながりを大切にして、
自分を嫌いにならないで、
頑張って生きていきたいと思います。

ありがとうございます。

いさどん:

あんべちゃん、卒業おめでとうございます。
いつも思うのですが、
おめでとうということと同時に、
ありがとうという想いを持っています。
人と人がつながって幸せな生活をする。
それを喜びとする。
そういうふうに想い、
ここの生活が始まりました。

今の世の中は、
沢山の価値や豊かさにあふれています。
しかし、豊かであるがために、
その豊かさを維持していこうという心が働き、
新たな問題が起きている。
そういったカラクリの中で
得ようとすること、維持しようとすることじゃなくて、
問題が発生した時にそれを解決していくこと。
それが、世のため人のため。
そうやって生きていこうと、
この生活が始まった、
というふうに記憶しています。

思い出すと、一ヶ月くらい前に
あんべちゃんのお母さんから相談があって、
「うちの息子は、とても私の手には負えません。
どう導いたらいいかわかりません」
というような悩みの電話がありました。
そこで僕は、
「とりあえず彼に聞いてみてください。
自分で今の状況を良いと思っているのだろうか。
そこから抜け出したいと思っているのかどうか、
彼に聞いてみてください」と言いました。

「ちょっと時間をください。聞いてみます」
ということで、
しばらくしてまた電話がかかってきました。
「自分はこのままじゃいけないと思っている。
何とかもう一度自分を取り戻したいと思う、
と言っています」と言うものですから、
「それならば、一度こちらへ来てみてください」
ということになりました。

初めて会った時に、
よくあることなんですが、
彼の姿は老人のように見えました。
本来、老人であっても、
希望があっていいはずです。
今、死を迎えようとしている人だったって、
新たな旅立ちという夢をもっていいはずなのに、
「まだ若いのに随分と老けたもんだな」と思いながら、
この老人を復活させたいなと思いました。

本人の意思を聞いたら、
健康な自分を取り戻したいという
強い意思が明らかでした。
それで、ここの生活が始まりました。
最近は特にそうなんですが、
特別なことはほとんどしていません。
僕がカウンセリングをしたわけでもなく、
時々節目の時に相談に乗っただけでした。

この場所にいると、
一人一人がとても個性的で出来上がっている。
皆の心に大きな定まりというものが観えている。
その中にあんべちゃんも生活していて、
この場所が人を癒し、治し、
希望ある生活に導くんだなと思いました。

私たちは、これを本当に大事として、
これからも世の中に広めていく。
困っている人たちのためにこの生活をしていく。
さらに、ここだけではなく、
もっと広くいろいろなところで、
このような生活が営まれていくんです。

苦痛が人々を導いて
喜びとなるような世界を広げていきたいと思った時に、
あんべちゃんは救われたのではなく、
本当の自分に出会ってそれを取り戻した。
そして、これからその恩恵を受けて
ありがとうと暮らしていくだけではなく、
今度はそれをもって社会に出て、
社会に対して役立ててもらう。

そうすることによって、
今度は自分がありがとうと言われる。
ありがとうと言われるということは、
今度は自分に値打ちがついたということです。
相手からは値打ちをもらったんだから、
自分からもありがとうと言う。
そういった輪が広がっていくことが
大事だと思っています。

今朝、あんべちゃんが
これからの決意を細かく箇条書きにしていました。
真面目に自分の目標を立てて達成していく。
そういう人だからこそ、
目標が崩れた時に責任を感じ、
自分を責めてしまう。
そういった出来ない自分から逃げるために、
今までギャンブルなど
健康でない方向へ歩んでいったんだなと思います。

今朝、僕が伝えたのは、
「あんべちゃん、固いね。
真面目に仕組みをつくって、
そのように達成することは素晴らしいこと。
でも、それではつまらないだろう。
自分の枠の中だけだから。
そして出来なかった時に、
自分を責めることになってしまう。
それは固い話だ。

車を運転する時に、
ハンドルでもブレーキでもアクセルでも、
全部、遊びがある。
それで初めて健全な運転が出来る。
それと同じように、人生にも
遊びがないといけないんだよ。
楽しみながらいくということが大事で、
だからと言って遊びばかりでは動けない。
そのバランスが大事だ」
ということでした。

それに対してあんべちゃんは、
「全くそうですね」と答えました。
真面目すぎて
自分が潰れてしまったあんべちゃんが
そのことを知り、
先程のあいさつで
「自然体でなくちゃいけない」と
早速取り入れた。
これが、ここの効果ですね。

以前のあんべちゃんなら、
自分が書いたものを持ってきて
そのまま述べただろうに、
今日早速それを取り入れ、
「自然体で湧いてくる言葉を語ります。
沢山約束せずに、とりあえず旅に出てみて、
やれるようにやってみます」と言う。
一番いい答えですね。
その言葉で、
今回のケアの卒業になったなと思い、
良かったなと思いました。

いろいろな人がここを卒業していきますが、
最近は優等生ばかり。
来る人は皆、健全になって卒業していきます。
一人一人が自分の人生の中で問題をもらい、
答えを見つけて、卒業していく。
あんべちゃんのオリジナルの人生に対して、
これからこの卒業を
活かしていってもらえたらいいなと思います。

何はともあれ、とても良かった。
おめでとうと同時にありがとうという言葉で、
今日卒業のあんべちゃんへの言葉とします。
ありがとうございました。

追伸ですけれど、
今日あんべちゃんとここに来る途中に
車の中で話したのは、
「これからいろいろな場所でいろいろなことが始まる。
あんべちゃんは、まず社会に出て
自分なりに挑戦してもらって、
それはそれで頑張ってやってください。
でも、いろんなことが始まる中で、
例えば琵琶湖の研修センターが立ち上がったら、
ホテルの厨房の責任者がいる。
それは一つの例だけど、
何か話があった時に、
また帰っておいで」
という話をしました。
(一同拍手)

(ここで、ケアのスタート時と終了時の
あんべちゃんの写真がスクリーンに映し出され、
皆から歓声と共に大拍手が沸き起こりました)

みっちゃん(司会):

素晴らしい!良い写真だね。
何か、あんべちゃんに対してコメントがある人はいますか?

みこ(4才):

はい!あんべちゃんのスープは
とてもあまくておいしかったです。

あんべちゃん:

また今度来るときにつくるからね。

みっちゃん:

チャーハンも子供たちに大人気だったね。

えいごばあちゃん:

あんべちゃんは、
何か作っている時にすごく生き生きしているの。
その生き生きしているのを忘れないで、
ずっとやっていってほしいなと思いました。

あいちゃん:

日に日にたくましくなって
変わっていくあんべちゃんの姿を見て、
こちらも嬉しかったです。
あんべちゃんのお料理に対する姿勢が
私の学びになったなと思いました。
残り物をまた違う形にしたり、
皆が喜ぶようなものを作ってくれたり、
本当に勉強させてもらいました。
また、いつでも戻ってきていいからね。
行ってらっしゃい!

あんべちゃん:

いってきます!
頑張らないように頑張ります(笑)

この後も続々と皆からのコメントが続きました。
これもひとえに、
あんべちゃんの自分と向き合う真面目な心と
自分の得意なお料理で皆を喜ばせようとする想いが、
皆の感動を呼んだ結果なのだと思います。

皆から祝福されて
ここを卒業していったあんべちゃん。
あんべちゃんの人生がこれから美しく花開くよう、
皆で心から応援しています。


メールマガジンについてのお詫び

「おやじの館」メールマガジン管理人のいさおです。

31日深夜、不手際でメールマガジンの登録リストを消去してしまいました。たいへん申し訳ございません。ご購読くださっていた皆様は、誠にお手数ですが、サイト右上の「メールマガジン」欄より、再度登録をお願いいたします。

また、ご登録いただいていない方には、この機会にぜひご登録をおすすめします。「おやじの館」の内容をブログの掲載と(ほぼ)同時にメールでお届けいたします。

ご迷惑をおかけいたしましたことを深くお詫び申し上げます。どうぞよろしくお願い申し上げます。


じゅんこさんの変革 ~ 9日間の滞在を終えて

この年末、お料理を学ぶことと
鬱的な心を改善したいという目的で、
9日間ファミリーに滞在していたじゅんこさん。
滞在最終日の夜の大人会議で、
9日間の感想を皆にシェアしてくれました。

じゅんこさん:

わずか9日間でしたが、
感謝の気持ちでいっぱいです。
ここに来るちょうど1年前の12月、
私はもっと鬱でした。
死んでしまおうと本気で考えていました。
その時に、私は大変高額なお金を払って、
「心を学ぶ」というある施設で、
12月に1週間、
1月、2月、3月に2泊3日ずつ滞在しました。
そこに行く前に
その先生の本をいろいろと読み、
やはりその先生も玄米菜食を推奨していたので、
これは信じられるなと思って行きました。

そこでは、講義が沢山ありました。
ありがたいお話があったんですけれども、
「あれ、言っていること、本で書いてあることと
やっていることが違うんじゃない」ということが、
非常に沢山あったんです。
結果として私は、失望してしまいました。

そのあと、心が苦しくて苦しくてたまらなくなり、
もう1回、8月くらいに別のところに参加しました。
そこも素晴らしいなと思って行ったんですけれど、
言っていることとやっていることが
ちょっと違うということを感じました。

私は鬱で非常にネガティブになっているのに、
結局は、私のネガティブな心を受け取ってくれない。
いろいろなことを言っていても、
結局ポジティブな考え方の人しか
相手にしないようなところだったんです。

落ち込んだ気持ちを引きずって1年経ち、また12月。
どうしても心が収まらず、夫に怒鳴り散らし、
もうたまらなくなって医者にも行ったのだけれど、
医者はもともと嫌いなので薬を飲むつもりもなくて。

そして、また私はいろいろ探したんです。
日本全国いろいろなところに電話をして話をしました。
でも、納得できるところがなかったんです。

そんな時、
「そういえば1年前、
1回目の高額なお金を払ったところで、
木の花ファミリーという、
よくわからないのだけれども
皆で生活をしている
素晴らしいコミュニティがあるって聞いたことを
ふと思い出して、ホームページを見てみたんです。
そうしたら、
ホームページに自然療法というのがあって、
「もうこれしかない」と思って
電話をかけました。
本当にすがるような想いでここに来ました。
だから、私は木の花ファミリーについて
全然知らなかったんです。

最初のいさどんとの面接で、
いさどんに何度も言われたことは、
私にはネガティブなところがある。
私の考え方には癖があるということでした。
今まで2回高いお金を出して失敗した経緯もあったので、
ここを信じていいいのか、
またここも同じなんじゃないか、
ここでもだめならどうしようと、
不安で不安で仕方がありませんでした。

面接のあと、
いさどんから「読んでみるといいよ」と
ブログのコピーをいただき、
早速読んでみたら、
私の中にすとんと落ちるものがありました。
まさに私のことだ、と思いながら読みました。

それから皆さんと一緒に生活していたら、
何も講座があるわけでもないのに、
固くきゅっと縮こまっていた私の心が、
一日一日、何があるわけでもないのだけれど、
開いていったんです。

私は最初、
人が怖いと皆さんに申し上げたんですけれど、
それはここでも実際に同じでした。
正直に言うと、
一番最初に怖いなと思ったのは、
メンバーのゆみちゃんでした。
厨房で皆笑いかけてくれるのだけれど、
ゆみちゃんはコツコツやっていて、
「やはり料理のできない私が厨房なんかに入って、
この人には迷惑なのかな」と思っていたんです。

同室のまりちゃんに、
まりちゃんは私のケアの担当だと伺っていたので、
「実は、ゆみちゃんがね」と相談してみたんです。
そうしたら、まりちゃんは、
「じゅんこさん、それは違うよ。
あなたには癖がある。
あなたの観方がそうだからそう思うのであって、
皆があなたと同じようにひとに接するわけではないよ」
といろいろ話をしてくれたんです。

それで、きっと神様が与えてくれたのか、
まりちゃんに相談した次の日に、
たまたまゆみちゃんとお風呂が一緒になったんです。
最初、私は「どうしようかな」と思ったんですけれど、
ゆみちゃんが、「実はね」って、
どうしてゆみちゃんがここに来たのかを
話してくれたんです。

別にゆみちゃんは
私に対して悪い感情なんか何も持っていなくて、
あっけらかんと話してくれていた。
「そうか、これが私の癖なのか。
ゆみちゃんは私を嫌っているわけでも何でもないのに、
私が勝手にゆみちゃんの表情を見てそう思いこんでいる。
これが癖なんだな」ということがわかりました。

皆さんは、
食事の後の片付けも皆で率先してやっている。
厨房に入っていっても、
皆、何をどう指図するわけでもないのだけれど、
何か楽しく、
「ありがとう」と自然に声を掛け合っている。
本当に私にとって生まれて初めての調和、
「ひとと調和して心地いいというのは、
こういうことなんだな」というのを、
心と体で実感した9日間でした。

あんべちゃん
(注:11月11日からケア滞在中。
詳しくは木の花ファミリーブログをご参照ください。
外食産業で長いキャリアを積んできた彼は、
じゅんこさんのお料理の先生を自ら買ってでてくれました)は、
私にとって都合のいい人としていたわけなんですけれど、
厨房の方、厨房以外の方も
絶対にあんべちゃんから料理の技を学びたいんじゃないかなと。
私だったらそう思うよなって思っていました。
毎日毎日私は、
実は厨房の皆さんに悪いな悪いなと思いながら、
あんべちゃんにお料理を教わっていました。

でも、厨房の皆さんが、
「じゅんこさん、これができてよかったね」って
いつも声をかけてくれていました。
私は本当に今恥ずかしいし、
稚拙な表現しかできないんですけれど、
そうやってひとのことを喜んでくれるんだというのが、
すごく嬉しくなりました。

また、私がここに来て2日目にまさちゃん
(注:ファミリーメンバーになりたいと
お試し滞在をしていましたが、
4日目にここを離れました)のことがあって、
それも大きな発見でした。
まさちゃんは、
まさにちょっと前の自分を見ているような感じでした。

そして昨日のさのっち。
「メンバーでいるか迷っている」と言うさのっちに
皆があんなにいろいろ伝えていたのに、
今日さのっちが、
「改めてメンバーとしてやっていきたいと思いますので、
皆よろしくお願いします」と言ったら、
そのさのっちを皆が拍手で受け止めた。
今までの私の考えだと、
「人ってこうだ」っていう先入観を持ったら、
なかなかそれを変えられなかった。
だから、人が怖いなと思っていたんですけれど、
たった一日でさのっちが変わって、
皆さんもそれを素直に受け止めて拍手をした。
その心に非常に感動しました。

わずか9日間ですが、
あいちゃんもはるちゃんもやすえどんも、
皆みんな、「実は私もこうだったんだよ」と、
私の近くにいた人たちが話をしてくれて、
私とあまり関わりがなかった人たちも話をしてくれて。
本当に幸せに包まれて、
「優しさってこういういいものなんだな」って思いました。

講座を受けたわけでもないのに、
こういう心地よさなんだな、
これをひとに返していけばいいんだな、
っていうことがわかった9日間でした。
キャサリンもいつも英語で話しかけてくれてありがとう(笑)

私はこれから俗世間に帰ります(笑)。
そこでは皆がこんなに優しく、
前向きな気持ちを持っているわけではないです。
私が住んでいるところは、
3時半くらいになったら暗くなって、
4時になったら真っ暗です。
雪もすごく降り積もっているところで、
私はひとりぼっちです。
そこにいったん帰ります。

そこで私の気持ちがどうなるか、
まだわからない。
でも、暖かい炎が私の胸に灯りました。
それと、ちょこっとだけ料理の基礎を学びました。
あったかい味噌汁を今日は習いましたし、
夫にちょっとずつ作ってあげたりして、
少しずつやっていきたいと思います。

46年間、私はこの癖を持って生きてきました。
まさか9日間でこの癖が治るとは、
そんなに調子よくいかないんじゃないかなとも思うので、
また学びに来たいと思っています。
私は信じられる木の花に巡りあえた。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。
本当に今回は短い時間でしたけれども、
ありがとうございました。

(皆の心からの暖かい拍手がじゅんこさんを包みました)

ちなっぴー(キャサリン):

You make me happy!!

じゅんこさんが変わっていく姿を見て、
私たちはありがたいなと思うし、
勲章をもらった、宝をもらったなというふうに思いました。
ありがとう!

じゅんこさん:

こっちもありがとう!
みんな、すごい!みんながすごい!

いさどん:

これからここがやっていこうとすることに、
また確信が持てた。
じゅんこさんの場合は、
最初の面接の段階でいきなり癖が出てきた。
でも面接の中で解決したからね。
今日の発表も聞きながら、
笑顔が本物になったなと思ってね。
今までいろいろあっただろうけど、
悪いことじゃなかったね。

じゅんこさん:

はい!全部必要だった。

いさどん:

ぜひ、高い料金ではなくて
安い料金で心を治すところをつくりたいな(笑)
ここでは、講義をするわけではないし、
一緒に生活するだけだよね。
私たちは一緒に生活して、作業しながら、
おしゃべりをして、よくなっていくんだから、
こんな簡単なことはないよね。

じゅんこさん:

理屈ではないんです。
すごいことをいくら言われたって、
そんなのは机上の空論。
そうじゃなくて、やはり経験している人。
実践している人の姿が一番大きい。
それが一番納得できました。

私は心の中では、
今まで決して幸せではなかった。
でも、この9日間で今、すごく幸せなんです。
だから、今の私の笑顔は本物。
今までは、職業柄、
ひとに不機嫌な顔を向けるのは礼儀じゃないな、
と思ってやっていました。
でも自分はハッピーではない、
だから作り笑いだったんだ。

今は幸せだから、
自分の笑顔が本物になったんだということがわかりました。
人と接してこなかったから、
そう指摘してくれる人との出会いもなかった。
だから、心が暖かくなることもなかった。

皆さんの貴重なお時間ありがとうございました。
ご清聴ありがとうございました。

ファミリーに来たばかりのときは
人が怖いと緊張していたじゅんこさんですが、
昨夜の大人会議では、持ち前のユーモアで
皆の笑いをとるまでに明るい心を取り戻しました。
翌朝、皆に見送られる中、
晴れやかな笑顔でここを出発していったじゅんこさん。
本当に短期間で
ここまでひとの心は変われるということを、
身を持って実証してくれました。

さあ、「変革の年」がスタートしました。
じゅんこさんの変革に、皆で続いていきましょう!