地球が成長している~あなたが主役の時代

いさどん:

実は、謝りたいのは本当なんだけれど、
今までやってきたことはすごく有効だった。
有効だったけれど、
これからの道を皆が行くためには、
意識の転換が必要であるということ。

こんなに心磨きを大切にしている人たちって、
なかなかいないよね。
これは普通じゃない。
やはり、何かの強い力が働いている。
そして、心磨きを大切にして生きている一人一人が、
そのことにしっかりと共鳴している。

ようこ:

いさどんが謝りたいと言ったのは、
いさどん自身がそう思っているというよりも、
神様がそうさせたのだと思ってた。

いさどん:

ごめんなさいと言って謝りたいのではなくてね。
ただ、一方の方向から皆を誘導していたことになるから。
一般的にいうごめんなさいという感情があるわけではない。

もし、心のボタンの掛け違いをしている人がいて、
そういう人に、「いいんだよ、いいんだよ」と、
そのままそちらに行くことを容認するかと言ったら、
それは見守っていくことが大切なんだ。
そうでないほうへ本人が気づくために、
「いいんだよ、いいんだよ」と見守っていく。

光の存在である神様が、
神様の意思でこの世界に闇を創った。
闇が目的なのではない。
光が目的なのだから。
でも、その光のために、
闇を創らないといけなかった。
そうすると、
光と闇が相互に支え合っているのだから、
どちらも大事なものとしてこの世界にある。

そこで、神様が光だけを大切にして、
光のほうへだけ向かおうと言ってしまったら、
それは、真実に対する半分の回答になり、
人々は一方のほうへだけ価値観を持ってしまう。
今までは、学びの段階として、
「よいほうへ行く」ということのほうがわかりやすいから、
そう伝えてきた。
しかし、実は両方が大事なんだよ、と。

今、気持ちがすさんでいる人が、
すさんでいる自分の心にふさわしく暗くなっていくのは、
ある意味、楽なほうへ行っている。
最終的に自殺することも、
楽なほうなんだから。

自殺することは最も不幸なことだと言ってきたけれど、
果たしてそうだろうかと言ったら、
自殺の反対は、命を全うして光のほうへ行くということ。
自殺は命を絶って闇のほうへ行くということなんだけれど、
それは右と左の両極を支えているということ。
そこには、生き方の両極の事例ということしかない。

最近は、光のほうへ行って命を全うし、
人生を完成させ悟りへ行く人がほとんどいない。
逆に、途中で命を絶って
闇のほうへ行く人が多くなってきている。
それは、今の世の中を表わしている現象にしかすぎない。

現象を冷静に観て、
私たちはどうしたらいいのかという
判断をすればいいのである。
現象を冷静に観るためには、
そういう事例も必要である。
それこそ、他人事であっても
自らの痛みを伴うくらいの現象が起きると、
その分だけ学ぶ力が働く。

それを、自殺することは
不幸だ、だめだと言うのは一方通行の話で、
それをだめだと決めつけてしまったら、
そこから学べることはなくなってしまう。
こっちが大切でこっちがだめとしてしまったら、
出来事の奥にあるメッセージが観えなくなってしまう。

この世界にある出来事の重みは、全て同じである。
そういう学びの段階に入ったということ。
全てが尊い。

一人一人が自分の意思で、
どういうふうに生きることがいいのか、ということを選ぶ。
それが多様性だから。
そこでは、こっちがいいよ、
こっちへ行こうよという言葉がなくなる。
一人一人が自分の意思で、
ひとりごとのように自分の生き方を探して、
自分の意思で歩んでいく。

それが、一人一人の道であり、
その人オリジナルの生き方であり、
その上で極めていく。
その結果、気づいたら、
同じことを求めている人たちがいる。
それはなぜかというと、
全て同じもとから生まれてきて、
同じもので維持されているから。
同じところへ行くのは、当たり前のこと。
皆それぞれ、ばらばらの歩みをしながら、
一つのものであるということに目覚めていく。

こうやって語って公開することは、
また誘導していることになるのだろう。
でも、ついつい語ってしまう。

それが噴き出るのも僕の個性だから、
個性として、それも大切にしないといけない。
ひとりごとだから。

ようこ:

ひとりごととして、公開すればいいよね(笑)

いさどん:

そう、いさどんの「おやじの館」はひとりごと。

ようこ:

おやじのつぶやき、とかね。注意書きで、
「決して誘導しているわけではありません(笑)」と。

いさどん:

あなたのために語っているのではありません。
いさどんのつぶやきです。

問題を抱えた人たちに、
もっと、ひとりごとを聞いてもらえればいいんだよね。
情報提供。
いいも悪いもなく、
「こういうふうに見えますよ。
あなたはどうしますか?
この世界では、どちらも大切なことですよ。」

16年近く歩んできて、
その前からすると30年近い歩みなんだけれど。
ずいぶん来たものだなと思う。
ここまで来たかと今振り返って、景色を観ている気分。

富士山のような一気に登っていく山ではなくて、
なだらかな山を上がったり下りたり、
上がったり下りたりしながら、
ハイキングのような感じで
ずいぶん長いこと来たなという心境だね。

そして今、ちょっと高い山の峠に来て、後ろを眺める。
峠のふもとにある村が見えている。
あそこを通ってきたんだよねと、そういう心境だね。

ようこ:

昨日の夜は、
16年近くの大晦日のような感じだったね。

いさどん:

そうそう。本当にそういう感じだった。
僕は一瞬、
「今日は何日なんだろう?
これは、何かの記念日なんだろうか」と思った。

ようこ:

ようやく、一人一人の時代が来た。

いさどん:

今まで言っていたことが、
こういう方向へ実現するんだと。
一人一人の時代で、一人一人が輝いて、一人一人が主役の時代。
こうしなきゃ、
ああしなきゃと今まで言っていたことが、
全く逆の表現で実現するぞと。
こうしなきゃと言っている時には、
なかなかならなかった。

ようこ:

いさどんの今年の目標の、
「いさどんが目立たなくなる」ということも、
今まで、一人一人の意識が大切だ、
一人一人がリーダーとして場を創っていこうと言ってきたけれど、
なかなかならなかった。

いさどん:

「今年は僕を目立たなくしてほしい」って
皆に向かってお願いしたけれど、
皆にもお願いするべきだったけれど、
自分にもお願いをして、
その両方が気づいた時に完成するってことだったんだね。

今年の目標が、
12月のこの時に来て、
やはり約束通り達成されるなと。
この暮れの一年の振り返りには、
目標達成されましたと言って、
喜びとも悲しみともどちらでもない顔をして。
そこには達成という言葉もない。
そこにある空気を皆で共有する。

昨日ミーティングが終わった後、
「いさどん、ありがとう」って
何人かが僕のところへ来た。
皆が、「今までありがとう」と言って、
まるで、僕が旅立っていくのを見送ってくれるような、
僕が臨終の時を迎えてお別れを言っているような。
それこそ大晦日のような。
この空気、面白いなと思っていた。

大きな学びのきっかけとなったものに、そ
こから自立していく自分が
「これからは自分で歩んでいくから、今までありがとうね」
と言っているような。
ありがとうと言って、
その先に別々の暮らしがあるかと言ったら、
一緒なんだよね。それが面白い。
また、新しい道を一緒に歩む。

私たちは、
神様のことをどんどん気づいていって、
いつも「ありがたい、ありがたい」と言う。
「神様ありがとうございます」と言うけれど、
それじゃそこで終わりなのかと言ったら、
また次の旅が始まっている。
「この段階の神様ありがとう。
次の段階の神様よろしくお願いします」
という感じだよね。

だから、
「ここまでのいさどん、ありがとう。
次に一緒に行くいさどん、よろしく」
という感じなのかね。

ようこ:

心の師弟から同志へ。

いさどん:

そうそう、僕も同じなんだよね。
「ここまでの皆、ありがとう。
ここからの皆、またよろしく」という感じだね。

ようこ:

年末の心の大掃除がいい感じで進んでいるね。

いさどん:

まだ年末まで時間があるから。
これが整備されて、
きっと、どんどんどんどん皆の心の中に、
決めごとがなくシンプルになっていく。
その快感を味わうと、さらに掘り下げて
高めていけるということだよね。
下げるのも上げるのも同時という。
それを喜びとするようになるんだろうね。

国を司る人々が、
「真剣にこの国をよい国に導きたいと思うのですが、
どうやっても上手くいきません。
風の便りに、理想の暮らしをしている人々がいると聞いたので、
そこへ行ってどうしたらいいのか聞いてこようと話し合って、
ここまで訪ねてきました。
どのようにしたら、この
国はいい国として治まるでしょうか」と尋ねる時に、
「それは制度でもなく、
言葉で表されるものでもありません。
ここの人々の暮らし方を観て下さい。
これが、あるべき生き方ですよ」と、それを見せるだけ。

今、僕はこれを本にして出す必要があると思っていて、
そのタイトルを考えている。
イメージはあるけれど、まだ言葉は出てこない。

ようこ:

来年は、本作りが進みそうだね。

いさどん:

年内にこれが終わって、来年は本作りにかかる。
いろいろな価値観、宗教やイデオロギーや哲学、
そういったものがどれも共通して尊いということを
理解するためのつなぎ役。酵素のような本。
これはまさしく、あなたが主役になるための指南書。

人間たちは、
過去にメシアたちからいただいた財産に、
ずっとおんぶしてきた。
そろそろ自分たちが、その財産を受けて、
さらにそれに積み重ねて、新たな時代を歩んでいく。
そういう時代が来ている。

誰もが神の子であり、
誰もが人であるとしたならば、
誰もがキリストやブッダになれる。
イエスやブッダとして生きていける。
それが求められている。
過去に、イエスやブッダは特別な人として存在していた。
人々の指針であった。
そこには、尊きものとまだ途上のものがいた。

これからの時代は、
一人びとりがイエスやブッダであり、
誰もが真実を観るものとして生きている時代。
それは宗教ではない
宗教は、伝えるものと伝えられるものによって
創るものだから。
それは真実ではない。
全ては対等であり、平等の世界である。

地球が成長している。
地球が成長している。
地球が成長している。


皆のひとりごと

昨夜は、木の花憲章の話し合いの前に、
急遽、いさどんブログ「一人一人に問う」を
皆でシェアすることになりました。
「皆それぞれ、思うことをひとりごととして出していったら?」
といういさどんの提案に、
どんどんひとりごとが出てきました。

いさおちゃん:

はい、ネガティブ代表!
僕はここに来てもうじき4年になるけれど、
一番大きな転換になるかもしれない。
すごく衝撃を受けています。
いさどんが並べていったマイナスのことは、
大体僕は考えているし、
自分の中でそういう考えとプラスの考えが衝突して、
それでずっと苦しんできた。
マイナスな感情を持ってちゃいけないと自分を責めてきたし、
それが外れたらどんなにいいんだろうと思っていた。
だから、ここで橋がかかるのかなって。

たっちゃん:

心の中で起こる綱引き、
エネルギーの引っ張り合いも、
世の中で起こっていることも
似ているなと思っています。
始めは、善と悪がはっきりした状態から、
それがどんどん多様化して、
善だか悪だかわからないのが
今の時代かなと思っていて。
コミュニティも同じだと思っていて、
ある程度多様化した時に
生まれてくるものがあると思っています。
一つの方向性に進んでいくよりも、
多様なエネルギーのかたまりが
生み出すものがあるのかなって。

みかちゃん:

いさどんが皆を誘導してきたという見方は、
私がここに出会った当初、ここはそうだなと思っていました。
「いさどんさえいなければ、ここはいい場所なのに(笑)」と。
ここに来てからは、
なるべくポジティブにポジティブにとやってきたけれど、
自分の中から否定的なマインドが消えたかというと、
何ひとつ消えていない。
天国を感じたかと思うと、
自分の想いが出てきた瞬間に
地獄に落ちるということの繰り返しで。
ただ以前と違うのは、ここに来て、
自分の内からだけではなく
外から観るということを訓練されたなって。
今の話を聞いて、進化を感じて、
またひとつぞくぞくする。
言葉では言い表せないけれど。
いいの?タガを外しても、って。

たっちゃん:

ここまで来たのかと思って。
まず、お礼を言いたい。

いさどん:

僕はお詫びをしたい(笑)。

たっちゃん:

人類は、こういう場を創ってきたのかなと思って。
イエスやブッダやそういったものが現れて、
一つの方向性をもって教団を創ってきた歴史がある。
でも、引っ張ってきたものは必ず崩壊した。
そこを超えてこなかったから、今がある。
そして今、木の花はこういう段階なんだなと思って。
一定の方向へ持ってっちゃいけないと思いつつも、
お礼が言いたいなと。
ありがとうございます。

みかちゃん:

私もお礼を言いたいです。
ここまで一緒に旅をしてきて。

まりちゃん:

1週間前いさどんに、
「10年ぶりくらいにじっくり話そうよ。
笑かし合戦なしで真面目な話をしようよ(笑)」って言っていたら、
今日夕方、そういう時間がふっとできて。
人をやる気にさせるにはどうしたらいいと思う?って聞いたら、
今日その話が出るぞって。
私はね、誰かに言われてやるとか、
誰かに言われて反省することも必要だけれど、
やっぱり「自ら」というのが一番早いと思うからって。
今の話を聞いて、
やっぱり「自ら」というところへ来るんだなと思いました。

まり姉:

「いさどんがこういうふうに言っていた。
いさどんが前にこう言っていた。」と皆が言うことに対して、
自分が敏感になっていた。
私も昔は、いさどんのことを神様のように思っていて、
悩みを聞いてもらったりしていたけれど、
聞いてばかりではいかん、
自分も語る人にならないと、と思ってきた。
この生き方が大事だと思って自分で選んできているから、
いさどんがお詫びといっても、
うーんと思うだけで、
いさどんはいさどんで、
私たちは私たちで選んできているから、
悔いはない。
今までのことに全く後悔はない。

れいちゃん:

やっぱり今日のコメントは本当にびっくりで、突然で。
このことから、いさどんについて思うことは、
この15年間、いさどんは神様からの啓示があって
こういうことになっているんだけれど、
生身の人間としてはここを守ってきた。
皆が食べることも寝ることもできるように守ってきてくれた。
私はその中で、まだまだ精神的にも子供であって。
でも、いつまでも子供のままではいけないと思います。
変革という話が最近出てきたんだけれど、
それに合わせて、こういうことも出てきているのかなと思います。

まこっちゃん:

僕はここに来る前に、
3年間引きこもっていたんだけれど、
ここに来て本当に幸せで、
どんな状況でも幸せに思える心ができて、
ありがたいなって。
昨日、ひまわりまでいさどんと車で一緒になった時に、
ふと自分は「いさどんのことを
あんまり想ったことがなかったな」と思って、
じゃあいさどんのことを想った時に
何ができるのかなって、
神様に聞いてみたりしたんだけれど。
今、自分が幸せに思えるということを
皆の前で言えることが、
皆のためにもなるし、
いさどんのためにもなるかなって。
いさどんも僕も一緒だから、
僕が幸せならいさどんも幸せかなって思います。

ちなっぴ:

私はあほなのか、
いさどんから詫びたいという言葉があったんだけれど、
何を詫びたいのかがよくわからなくて。
だって実際に、ここが始まって、
いろんな出来事があって、ここまで来て、
こうやって沢山のメンバーが集って、
こんなに素敵な場所があるのに、
どこが詫びたいのかなって思いました。
そして、これから道代ちゃんが
世界にいろんなことを発信していって、
どんどんすごくありがたい流れがきていて。
いさどんに言われたからではなくて、
本当に皆が世の中のためになりたいから
集っていると思うし、自分もそうだから。
ただただ、ありがたいなと思います。

こうちゃん:

一人一人に任せなきゃということを想っていて。
それは一人一人が、自分のことを客観的に捉えて、
自分で見つめてどう持っていくのか、
やったらいいよねって。
でも、そうじゃなきゃここは脱せないよ、
だからそうしようよと言うと、
今までと一緒になっちゃうから言わないけど(笑)

りょうちん:

以前僕がここを出ていくと言った時に、
皆から言ってもらった言葉があったから、
今自分はここにいると思っていて。
自分に何か一つの方向を与えてもらうことで、
自分の中からもう一つの方向が出て、
確認していくことができて。
ここには確かに一つの方向があるのだけれど、
それによって自分の答えも出てきたなと思っています。
いさどんからマインドコントロールという言葉が出てきたけれど、
やっぱり自分で選んできたなと思います。

でこちゃん:

いさどんが、ここは主義でもイズムでもない、
と言っていたことが実感だなと思っていたの。
私を育ててきてくれた人が共産党だったり、
自分もヤマギシにいたこともあったけれど、
ここでは自然と調和して、
そこから学んでいくということが本当に実感できて。
ここで元気にやっていけるのが幸せだなと思います。

みちよちゃん:

私もネガティブのかたまりのような人間だから、
「ここで心を磨いていくには、
こういうふうに考えないといけないんでしょ。
そうしないとここにいられないんでしょ。
だから仕方なくやるわよ」という心が、
最初はいっぱいあった。
でも、今は自分が楽になっていて、
枠も広がったと思うし、結果としてすごくいい状態があって。
今どっちを選んでもいいんだよと提示された時に、
やっぱり今まで学んできたやり方を選ぶだろうなって。
でもそれは、こうしなきゃいけないからということではなくて、
自分で選んでやっているなという実感を持てることがすごく嬉しい。
外に対してここのことを伝える時にも、
「私がこの生き方を選んでいる」と伝えると、
木の花に対してアレルギーを持っている人にも
より伝えることができるのかなと思いました。
一人一人の自覚と責任が問われるなって思うと同時に、
嬉しい感じ。

あきちゃん:

私は共同生活とか、
農的な暮らしをしに来たつもりではなくて、
いさどんのところへ学びに来たというのがあって。
どんどん枠が広がって考え方が変わっていった。
何もわからないところから学ばせてもらって、
また一つこういうものが出てきて、
自分自身を考えて学んでいくんだなと思いました。

じゅんじまん:

いさどんの言葉というのは本当に深いな、
といつものことながら感心して聞いていました。
ネガティブに考える時も、よくここまで考えるなと(笑)
本当に素晴らしいなと。
いさどんの癖で、深く考えていくと、
もうどんどんどんどんそちらのほうへ考えていく。
今聞きながら、最初はいさどんの癖かなと思っていた。
でも、よくよく考えてみたら、神様の癖だと。
神様はそうやっていろいろなものを表わされる。
来年からは変革の年ということで、
また新たなきっかけとなる話だと思って聞いていました。
いさどんは、神様のことを忠実に表現しているだけであって、
皆、いさどんについてきたわけではない。
昔のいさどんは、こんなに細かいことを語らなかった。
その時その時の状況に応じて語ってきている。
今はこれでいいなと。
人それぞれ想いはあるけれど、
我々はどこに想いを持っていけばいいのか。
ネガティブに想えばネガティブな想いがあるし、
ポジティブになればポジティブ。
その真ん中に行ったらいいなと。
振れても、真ん中に心を持っていけばいいなと。
だから、一人一人がやっていけばいいなと思いました。

らぶちゃん:

私はここで一番、
木の花ファミリーやいさどんと出会ってから
時間が短いのだけれど、
ここに来て最初に思ったのは、
いさどんがいてそれがありきだなと感じた。
もちろん、いさどんのことはすごいなと思うし、
勉強は沢山させてもらっているけれど。
でも、ここにいる皆の志が本当に高くて、
それぞれの人が向上心を持っている姿を見て感じたから、
私はここにいたいなと思いました。
ベースはもちろん一つで、
人それぞれいろいろな形で、
言葉にしたり行動したりしているのを感じるから、
そういうところがいいなと思います。

えいこばーちゃん:

私もいさどんと出会って
ありがたく導かれたと思っています。
この年になっても、いろいろ吸収ができて、
一般の年寄りだと年を取っているからもういいよ、
という感じなんだけれど。
毎日がすごくありがたくて幸せだなと思います。
夫を亡くして、
皆のために少しでも
お役に立てたらいいなと思ってここに来て、
こんなところにいれて、
最先端のことが次から次へと起きて、
本当に幸せだなと思っています。

みほちゃん:

さっきいさどんが皆に謝りたいと言ったことで、
私はすごく目が覚めたというか。
今までいさどんや他の人が
「自分で考えていこう」と強く言っている時でも、
そこまで応えなかったけれど、
いさどんが謝りたいと言ったことがすごく応えて。
これからは、自分で考えていかなきゃなという
想いが強くなりました。
さっきじゅんじまんが言っていたように、
揺れながらでも、真ん中を歩いていく。
一人で揺れても、皆がいるから
また戻るということもあると思うから、
揺れながらでも真ん中を歩いていくことが、
私もいいなと思って聞いていました。

いさおちゃん:

多様性という意味で幅があるなと。
こういう話を聞いて、
ネガティブな話が全部わかると言って
胸が痛くなるくらいうーっとなっている僕と、
「何のことだかさっぱりわからないよー。
何がごめんなさいなの?」という
ちなっぴまでの距離はすごいよなって(笑)

みかちゃん:

今の皆の話を聞いていてすごく安心したのは、
ここにはゆるぎない絆と多様性があるということが確認できたこと。
神様の信託という言葉かどうかはわからないけれど、
いさどんが一手にそれを背負って、
ここの場のまとめ役として、
今まで親代わりに役割をしてきたけれど、
もう皆が巣立つ時期に来たのかなと思います。
本当にこの5年間、自分が育てられたな、
今は全く不安がない、楽になった、
ありがたいなという言葉しかないな。

のりちゃん:

昨日憲章の話し合いをしている時に、
木の花の進化を感じてね。
私たちが愛知県から来て、
ぼろ家からスタートした時の
ミーティングの景色との違いがあまりにもあってね。
そこでいさどんは、
「俺はここを守るんだ。こんな奴らとやっていけるか」
と言って家出もした。
「ここではパソコンなんかやるもんじゃない」
と言っていたのが、今は何台もあって(笑)
とにかく、この15年の進化がすごいスピードだなと思うの。
そこでいさどんが一貫して言っていたのは、
「俺はここを守るんだ」って。
だから、ここの調和を壊すものにすごく厳しかった。
いさどんは神様の媒体で、
それも神様の意思で、その結果
今ここがあるなって。
過去を振り返ってみて、
その延長で前を見れば一本道だから、
私は本当に順調だなと思います。

あいちゃん:

私はいさどんと一番長い友達なんですけれど、
いさどんからマインドコントロールという言葉を聞くと、
自分一人ではとても歩んでこれなかったなと思います。
いさどんの力や皆の心を感じながら、
ここまで自分を見つめたり、高め合ったり、
どんなことでも共有し合ったり、
ワンネスが根底にあったんだと思っています。
10年前は、皆自分のことばっかりだったから、
最終的にはいさどんからの
「これはこういうことだね」という
締めの言葉を待っていることが多かった。
今は、皆で語り合うことで真実が生まれて、
どの人からも心が発信されて、
いいも悪いも全部が愛なんだなと感じています。
学べることが本当にありがたくて、
皆の心でここができあがっていくんだなと思っています。


ひとりひとりに問う

今朝は、起きた途端にネガティブな想いが湧いてきた。
世の中にはいろいろな人がいる。
フリーな立場にいる人たちが、
ここの活動や発信していることについて
どのように考えるだろう。

最近の僕のブログにしろ、
木の花が発信している情報にしろ、
非常にマニアックだと思っている。
ここの世界の中だけにある、
内弁慶のようなものと取れないこともない。
それに対する外からのブレーキや
メッセージを客観的に検証してみると、
たとえば、以前ここを訪れた方から、
「対外的に発信することは、多少調整して、
出すことと出さないことを
考えるべきなんじゃないだろうか」
というメールがあった。

元メンバーからは、事実を捻じ曲げて、
自分の都合のいいように解釈する手紙が送られてきた。
「結局、いさどんワールドなんだよ。
理想のところに共鳴しようと思ったけれど、
強制が強いから出てきてやった」と。

ここのところ、
体験ツアーの参加者の人数が落ちてきたり、
野菜などの消費者の伸びも落ちてきたりしている。
これも、ここが発信しているものが
影響しているのではないか。

また、ブログに対するコメントが
最近少なくなったことについても、
ここが非常にマニアックな世界に
入っていくことに対して、
ついていけないということの表われではないか。

ここには、沢山の人たちが訪れるけれども、
継続してここに関わるということが定着しにくい。

ここは、今まで人々が歩んできた
価値観を否定する存在である、という見方もできる。

私たちが進めようとしている綾部のプロジェクトも、
とんとん拍子にはいかない。
そういったことも、
私たちが一方的に事を進めていこうとする結果として
起こっているのではないか、
と考えてみる必要がある。

僕がバランスを欠いて、
マニアックなところへ走っていることに対して、
皆を巻き込んですまない、と
皆に伝えるべきかなと。
なぜかというと、ある見方からすれば、
確かに一つ一つの言葉や
ここの在り方について話していることは、
筋道が通っていて、その通りである。

しかし、筋道を通していった時に、
誰もがそれを正しいんだと思ってしまって、
一種のマインドコントロールのような世界になり、
内弁慶のような場をつくってしまうことになる。

今朝、なぜ自分に
いきなりこんな発想が浮かんできたかということを、
客観的に検証してみようとするのだけれど、わからない。
「朝の想いは、神の意志」ということからしたら、
神様の意思であるという見地からものを観る必要もある。

全くここに利害を持たないところから、
ここはどんなふうに見えるんだろうとずっと考えてみた。
超否定的な、非難的なメッセージが、
そこにはありえるなと思う。
では、どうしてそういうことが起きるのかというと、
自分たちがやっていることを一方の方向だけから観て、
他方の方向を観ないから。
一方をいいものにして、
他のところを一切観ない時に、
陥りやすい現象である。

それを追っていった時に、
今朝のこの想いは何だろうと。
未来に対して暗くて孤立したここの景色が観えてくる。
ここの存続が危ぶまれるような状況になっている。
そういう発想にもなってくる。

それをさらに展開させると、
そういう懸念があるからこそ、
それをかき消そうとして、
最近の僕のブログにしろ、
ここから出ているメッセージがあるのだとも思う。
見えない危機を感じて、見えない意識を働かせて、
そういうところに陥っていくのではないか。

私たちはここで、
一般社会とはちょっと違う生き方をしている。
ことによっては、大いに違う生き方をしている。
それは全ての人に否定されるものではないけれど、
一般社会という枠からすると、
なかなかできないことであったり、
アレルギー的に否定されるものである。

それを私たちが、
新しい社会の概念として捉えている。
それはこちらにとって都合のいい勝手な解釈で、
マスターベーションのようなものだ。

今、ここに対して
ネガティブに受け取った場合の表現を全部出してみた。
僕自身としては、
巧みに語ることによって、
皆をそこへ巻き込んで、
もっと悪い言い方をすれば、
皆をマインドコントロールしている。
だから、皆に詫びなきゃいけないという心が湧いてきた。

こういったネガティブな考え方を
心の専門家として見ると、
うつ病の始まりになる。
物事を悪く悪く、
どんどん悲観的に取っていった時に、
心の病気になっていく。

ここ2、3日、僕は重い夢を見ていた。
それから、ここのところ、
ちょっと疲労が溜まっている。
僕はうつ病を患っている人に
「まずは休みなさい。
環境を変えてフリーな時間を持ちなさい」と
提案するんだけれど、
自分にもそう言えるなと思っていた。

今、湧いてきたネガティブな思考は、
ただネガティブなだけなのか、
それとも、そこのところへ
気づかずに進んでいった結果なのか、
どういう捉え方をしようとも、
いずれにしろ、
ここの状態を否定する考えがずっと出てきた。

大人のメンバーに対しては、
そこへ皆を引っ張ってきた自分がいて、
申し訳ない。
子供たちについては、
皆の未来を極端な強制の中に置いて申し訳ない、
ということを想っていた。

これを、うつ病の始まりとも言えるな、と診断していた。
今、ひとつずつ挙げてきたことを検証していくと、
そうとは言えない。
どれも、「それはこういうものの見方をしたらこうなる」という、
違う解釈ができる。

世の中にはいろいろな人がいて、
人々の受け取り方は自由である。
マイナスな発想は、私たちの中にも常にあるはず。
自分の願いを叶えて、
自分の好きなように生きていきたいという心は、
誰にでもある。

それを、自分の意思で制御して
生きていくことが大事という心も出てくる。
その葛藤はなんだろうと思う。
私たちがどちらを選んだかというと、
自分の中から湧き出てくる葛藤をコントロールして、
自分の中に秩序を持たせようとしてきた。

悪く考えていけば、
うつ病のようになっていくし、
自分の中にある欲望をどんどん叶えていけば、
体のバランスを崩す。
それは、自分の内には心や体の不健康、
外には社会の不健康をもたらすから、
コントロールして生きているのが私たちである。

神様に、この想いは何ですかと問うてみた。
最近、全然心を向けていなかった。
一人で歩んできたなと思って、心を向けてみた。
そうしたら、何も回答がない。
かすかにあるなと思うのは、進んでいけばわかる。
そこには、何も問題はなしともあるとも、何もない。

それを、見捨てられていると捉えることもできれば、
もう十分に託してあるので自分の道を歩め、とも取れる。
「我即神也」である。

ずっと今朝の想いを挙げながら、
常にいい方向いい方向へ誘導しようという心を、
もし一方通行としたならば、
逆の悪い方向へ悪い方向へ、
いろいろと考えてみた。

僕は、そういう一方通行で
皆を誘導しているのではないか。
それこそが、
マインドコントロールなんだというところに行き着いた。

そこから、さて、どうしていくのか。
僕のワールドの押しつけ、
マインドコントロールを皆に問うて、
一人一人にどうしていきたいのか考えてもらう。
それが必要なんだなと。
でも、必要なんだな、と言うと、
必要なということをもう既に押し付けている。

つまり、今の世の中に、右と左があって、
だから真ん中があって、この世界ができている。
いろいろなことが移り変わって、
今の世の中の状況があり、
その中に私たちもいるのだから、
一人一人がそのことに気づいて、歩む道を選択する。
それが大事だと思った。

僕の中には、
さっきの悲観的なものの見方に対する代替案がある。
マイナスだとしたら、
それを打ち消すプラスの考え。
プラスだとしたら、
それを打ち消すマイナスの考えや見方がある。
今までも、そこのところを社会や人の
トラブル、不健康と捉えて、
私たちがどちらの方向へ行くべきか考えて歩んできた。
それが一方通行であるということ。

しかし実際、世の中にはいろいろな考えがあって、
人間がどちらへ行くかは自由である。
そうしたら、自分の進む方向を
一人一人がもう一度、自分で検証して、立つべきだと思う。

それをまた、大事というと、
それもまた方向付けになる。
そこで、一切方向付けをしない。
材料だけを提示する。
敢えて、今は「こちらの方向が大事」という
ポジティブな発想は語らないで、
ネガティブな発想だけを語った。
ずっと今まで、ポジティブなことばかり示して、
「そちらに行くことが大事」と語ってきたから。
敢えて、そちらのほうは全然語らず、
ネガティブな発想だけを語り、
それ自体も自由な選択肢の一つですよ、と。

誘導は一切なくて、個が自分の道を選んだ結果、
もし共にあるとしたら、結果同じだったね、と。
共通の意識を持つ人が集まったね、ということ。
今もそうなんだけれど、
よりそのことをしっかりと確認したい。
敢えてこんなことはする必要はないのかなとも思うんだけれど、
敢えてする必要があるのかなと。

私たちがどうするべきなのかということには、
もう一つ、尺度があって、
この社会やその中にいる私たちの位置。
それは、心の位置であったり、
具体的な生活の位置であったりする。

この世界ができてきた成り立ち、
人間的な概念を超えた自然や地球、
宇宙というものの見方から、ここを観ることもできる。
この世界は、創られて維持されている。
そこから捉える。
未来についてはわからない。
過去と現在の視点から、これを捉える。

その視点と合わせて、
さらにこのフリーな世界で、
どう私たちが生きていくのか、
考える必要があるなと思う。

この結論は、個々に任せようと思う。
憲章を創る前に、
これを皆に提示しようと思っている。

そうやって、僕の縛りから皆を解き放ちたい。
皆に皆を預けたい。

もしあなたの中に神がおられて、
それを信じたら、行動して下さい。
あなたの意思として、行動して下さい。

決して一つの方向や、
イデオロギー的なことや
宗教的な方向に誘導して、
それに誘導されたものたちが集まって
生きている場所ではない。
独立した個人が、その個人それぞれの思考の中で
大事と思うことを選んで、
選んだ時に共通するものに出会って、
それが集ったものである。

だから、これは特定の誰かワールドではない。
皆ワールドである。


来年は変革の年~宇宙ドラマのクライマックス

いよいよ来るぞ。変革の大きな波が。
皆でその波乗りを楽しんでいこう。

ここは、ここの在り様のようにあり続けている。
そして、新しい価値観を
世の中に提示しようとしている。
それはなぜかというと、
世の中がいろいろな意味で行き詰ってきている。
世の中の人々が、
個人個人の価値観で生きてきた結果、
何か全体が忘れてしまっているものを
気づかせようとする力が働いているからである。

自然が人間の営みにNOと言っているように、
病気や環境破壊、人間関係など
いろいろな問題が世の中に起きている。
世界的には大きな対立はなくなり、
人間たちには自分たちの枠の中で、
秩序を保っているように見えるかもしれない。
しかし、実際には、個々の人間の中で、
大きな葛藤として戦争が起きている。

私たち人間は、
宇宙という生命の中で生み出され、
現在もその生命の仕組みの中で生かされている。
明らかに、この世界があって、
私たちが後から生まれてきている。
後から生まれてきたものというのは、
前のものに何かニーズがあって、
生み出されてきているはずである。

つまり、
私たちが生み出されてきたのには、目的がある。
その目的に沿って生み出されたはずなのに、
今、生み出された全体からNOという答えが沢山出ている。
それを受け取ろうとしている流れもあるけれど、
人間たちの中には、受け取ろうとする心と
受け取るまいとする心が対立している状態である。

ここでは、対立するのではなく、
大本の目的、
私たちを生み出した仕組みのほうへ移行する、
途上の生活をしている。
そういったことを生活全体に、
それこそ、村のようにしてやっているのが、
ここの平和を提案する生き方である。

自然やこの世界の仕組みの側に立って
ここを進めていこう、
人間が地球の意思に沿って
平和に生きていこうという生き方。
地球と対立する生き方から、
地球の意思に沿った平和的な生き方へ。
環境、食など部分的なことだけではなく、
全てのことにおいて
この世界と平和的に生きていこうとする生き方を、
ここは示していると思う。

大きなくくりで言えば、
宇宙意識、地球意識のメッセージを、
僕らがまさしく代理としてやっている。
その意識を
私たちはしっかりと持っていないといけないし、
持っているからこそ、
今までこうやって歩んでこれた。

さらに、世の中にこういった考え方が
爆発的に広がろうとする今、
それに対して抵抗しようとする力は
非常に大きなものである。
それは、生半可なエネルギーではない。
その強いエネルギーは、
私たちの生き方に対して
一見、大きな逆風のように見えるかもしれない。

しかし、考えてみたら、
ここでこの生き方を小さく伝えていることよりも、
世の中が逆風としてうねり出した時に、
私たちはそれを波ととらえ、
波乗りのサーファーになれば、
逆にそれがもっと広く広がる。

なぜ、今の価値観じゃないといけないのか。
今の価値観であり続けると、
どれほど知らない間に沢山のものに負荷をかけ、
沢山のものを混乱に追いやったり、
絶滅に追いやったりしているのか。
そういったことに気づかなければいけない。

沢山のものどころか、
自らの生活、自らの社会を、
どれほど対立や混乱に追いやっているか。
そこを根本的に考える必要がある。
これを形で世の中に示すために、
私たちは役割として、
始めからこの生活をいただいてきたはず。

そして今、変革の時が来ようとしている。
私たちは、そういう使命を持ったものの自覚として、
その波に乗り、大いにその波乗りを楽しもう。

人間社会や一般常識は、
自然や地球の仕組み、
宇宙の仕組みから外れて、
自分たちを創り出したものと対立している。
それに対して、もっと恒久的で、
人々が本当に喜び合える、
皆が支え合って喜び合える社会創りをする側に
僕らは立っているのに、
何を恐れる必要があるのか。

そのことを人々に目覚めてもらうための役割というのは、
どんな大きな産業を興すよりも、
どんな教育をすることよりも、
どんな政治をすることよりも、
大事なことであるはずである。

そうすると、ここでの生活の一つ一つが、
とても大切だということに気づく。
それが、一人一人の中でしっかりと認識していないと、
自分の中から湧き出てくるエゴによって、
自分では気づかないうちに、
自分が侵害されることに対しての
アレルギーが生まれてくる。

そのアレルギーは、
どういうメッセージかというと、
その現象が起きているあなたの中に問題があって、
あなたの生活スタイルのもとにある精神を変えなさい、
それを変えることによって健康になれるんですよ、
というメッセージである。

今まで、縁があるものだけに、
ソフトにこのメッセージを伝えてきた。
そしてその証として、小さいけれど、
ここに理想郷を築いてきた。
でも、まだユートピアにはなっていない。
なぜかというと、ユートピアは、
その小さなコミュニティだけのためにあるのではなくて、
世の中全てが理想になるべきものだからである。

特定の宗教や団体のためにあるものではなく、
全人類が地球の上で何ものであって、
今後地球とどうつきあっていくのか。
さらに、私たちは宇宙の中にあって、
今後、宇宙をどう生きていくのか。

このまま進んでいったら、
人間は地球の中の単なる異物であり、
癌細胞であり、秩序を乱すものであって、
その人間の姿勢を宇宙にまで広げていってしまう。
人間は本来尊い存在であり、
この世界に本当の意味での平和をもたらすもの、
理想をもたらすものの先駆けであるはず。

今、この世界に大変革が起きようとしている。
その抵抗勢力が、実は人間の中にあるということに気づき、
その大変革のための心を育てていくという時が来ている。
そのために、私たちの生き方があり、
今まではソフトに示してきて、
それに対する抵抗、無知、無理解があった。

そして今、私たちの役割を果たす時が来ている。
その役割は、この宇宙ドラマの中のゲームのように、
クライマックスを迎えようとしている。
それを大いに楽しんでいこう。

皆がつながって皆で喜べる世界を創るために、
私たちはこの生活を送っているのだから。
使命は大きい。
しかし、古い価値観から観たら、異物に観える。
でも本当は、何が異物なのか、人々に伝えないといけない。

そこで、恐れの心が出たり、
一番大事な大本の信念を持っていないと、
この時代を逆行するようなうねりに呑みこまれてしまう。
楽しむどころか、私たち自身が苦痛の中に入ってしまう。
先駆けだったものが、単なる異物として潰されてしまう。

しかし、私たちは、そんなやわな心で
この生き方を選んで生きてきたわけではない。
その波を大いに活かし、
私たちはその大きな抵抗の波に乗って、
波乗りを楽しもう。

確かに抵抗はあるし、
それは巨大な抵抗のようにも思われる。
私たちは、このような清らかな心で
世の中のことを考えて生きているが、
人間の無知な部分、愚かな部分は、
それに対して後押しをするかもしれない。
自然や宇宙の仕組みや流れは、私たちを応援している。
これを応援せずに地球の未来があるのかといったら、
ないのだから、当たり前のことだ。

そして、今、沢山の人々が、
そのことに目覚めようとしている。
何も恐れることはない。
実際に問題があるのは、人々の心の中にある、
真実へ行こうとする心と
真実を行くことに対して抵抗する心との
葛藤であるのだから。

その葛藤が、個々であったり、
社会であったり、国家であったり、
今、矛盾として出ている。
敵は己の中にあるのに、
己の中を観ないで外に問題事を見つけ、
外の対象に攻撃している。
これは、人間がずっとやってきた、
戦争を引き起こした心そのもの。

私たちは、大切な役割をしている。
ここが始まった時から持っている精神をベースにして、
流れに任せればよい。
今は踏ん張る必要はない。
その波を待ち構えていて、
その波に乗って、皆で楽しめばよい。

すごい波が来た。
これを楽しまない手はない。

目先の小さいことでちまちまとしているのではなく、
この宇宙ゲームを楽しんでいこう。
僕らには、この調和で平和で大切な仲間と生活がある。
これを地球中に広げたい。
その大きな志は、誰にも犯すことができない大事なもの。
その側に立っているものが何を恐れる必要があるのか。

大事を生きているということに気づいたら、
人々は堂々と自信を持って歩んでいける。

ようこ:

未知なるものが恐怖ではなく、
実は喜びの種だったということだよね。
そう考えると、心次第で、
こんなに楽しい時代はないよね。

いさどん:

これからどんどん変わっていく時に、
変わっていくことに対する恐怖がすごく大きな抵抗になって、
私たちにも向かってくるけれど、
逆に私たちはそのエネルギーを利用して、世の中を変えていこう。
そういうチャンスでもある。

そういう時が来る。
年が明けたら、賑やかになるぞ。

ようこ:

どんな年だろう?
去年が、洪水で、今年が、津波で。

いさどん:

来年は変革の年だ。
洪水が来て、津波が来て、
そして汚れたものを全て洗い流して、
本当の生き方に皆が目覚めていく。
そのためのスタートの年だね。

すべてが、深い深い愛の中にある。
すべてが深い深い愛の中で私たちは生きていて、
そのことに気づけば、人間は対立せずに、
すべてを運命共同体として、
この世界を創っていける。
そこには、全く新しい世界が展開される。

人間はそろそろ、
狭い人間だけの価値観だけで生きていてはいけない。
自然の仕組み、地球の意思、
この宇宙の壮大なドラマの中に、
自分たちが生み出されていることに
気づかないといけない。

何を恐れる必要があるのか。
これほどの巨大な後押しがあるのに。
たとえ私たちが社会通念を壊すものであろうが、
その根本にあるのは、この世界が本当に平和で、
人々が輝いて幸せに生きていくための大事を持って、
日々を生きているのに。
それを怖がってしまったら、
世の中はいつまでたってもよくならない。

ようこ:

変革の年を恐怖の年とするのも、
喜びの年とするのも私たち次第だね。

いさどん:

そうだよ、そういうことだよ。
このメッセージを世の中に示す時が必ず来るから。
そして、一人一人に問いたい。
あなたは本当に、
自分のために今を生きているのか。
そして、自分というのは、
あなたという自分の姿をしているあなただけではなくて、
この世界全体があなた自身ですよと。


「おやじの館」へようこそ

僕の中に、
「おやじの館」のイメージというのがあってね。

洞窟があって、その奥へ入っていくと、
ずっといくつか部屋があって、
一番の奥の奥に、おやじがいる。
そこで、何をしているかと言ったら、
にやっと笑っているだけ。

人々はそこへ入ってきて、
その人流に、
玄関まで来て帰っていく人もいれば、
次の部屋まで来て帰っていく人もいれば、
だんだんだんだん慣れてきて、
一番奥まで来て、
その「にやっ」に出会って帰っていく人もいる。

玄関にだけ来て、
一番奥のおやじの姿を見ないで帰っていく人もいる。
そういう場所。

今でも、僕に出会わないで、
「ありがとう」と言って帰っていく人もいれば、
仮に僕と出会ったところで、
表面的な話をして帰っていく人もいる。
深い人間性を垣間見て帰る人もいる。

それは、
おやじを観たのではなくて、
あなたを観ていくことですね。