阿吽の世界へ ~心豊かに生きる・後編

前編より ~

「心豊かに生きる」の時間も残すところ30分あまり。さて、みんなは共に階段の間を埋めていくことができるのでしょうか?!

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たえちゃん:
しゅうくんが素の自分を出した最初の段階と後の段階を今考えてみると、後の段階ではしゅうくんは意見を出すたびに「それで大丈夫かな?」とか「いいかな?」とみんなに確認していました。

いさどん:
それは、しゅうくんがみんなに配慮していたということですね。

たえちゃん:
そうです。

みかちゃん:
進化していった。

いさどん:
それはどのように進化していたのですか?

みかちゃん:
最初は相手の気持ちを考えないで独りよがりだった。それが今度は独りよがりだとわかったから、みんなと確認を取っていくようになった。

しゅうくん:
最初の頃は、自分が正しいと思ってみんなに言っていました。

いさどん:
ということは、最初はある意味押し付けるような感じだったということですね。

しゅうくん:
はい。それで自分が学んだ後では、自分が感じたことを情報として出すようにしました。

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いさどん:
それは、ひとつの意見として出していたということですね。

しゅうくん:
そうです。

みかちゃん:
それはすごく違うよね。

いさどん:
大分階段がかかってきましたね♪

みかちゃん:
みんなもそういったしゅうくんの違いは感じていましたか?

やすこちゃん:
真学校の最後のほうでは、しゅうくんはそれほど感情を乗せずに発言しているような印象を受けました。

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いさどん:
そうすると、そこでのしゅうくんの正直な発言は調和につながる発言になりますね。しゅうくんもみんなも、そこに至るのに大分時間がかかりましたね。

さて、この時間がかかったことに対して、もっと早く、極端なことを言えば瞬間にできる方法はないのでしょうか?

エリちゃん:
何かの結論をみんなで出す前に、みんなが自分を表現できたと感じる場を持つことが大切なのかどうか、今考えています。

いさどん:
それは自分たちの気持ちを出す場を先に持つということですか。

エリちゃん:
もし、自分の意志がまわりと違うのであれば、自分の一部を全体の調和に足すために、それを出していくということです。

いさどん:
それは何でも言える場を最初に設けるということですか。

エリちゃん:
何でもかどうかはわかりませんが、もしその場に共鳴しないのであればそれを表現するということです。今、わたしがここで言いたいのはしゅうくん一人がこの場の混乱に責任があるのではなく、少なくともわたしは、いさどんがみんなで場を創っていると話したことを理解しようとしているのです。だからわたしは今、トオマスが話したこととのギャップを埋めようとしています。みんなの心はしゅうくんが出したものをそれぞれ解釈しているので、もしみんなが自分を正直に表現していったら、そこには調和の場がもたらされるかもしれないのです。しかし、しゅうくんだけが自分を表現すれば、まわりの人たちはしゅうくんが押し付けがましいとか、怖いと解釈し、不調和が生まれるのです。だから、ここで質問なのですが、もし誰かがみんなをエーッと驚かせるようなことを出しても、みんなもそこから自分を出していけば、それは調和になるモデルとなるのでしょうか。

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いさどん:
それをわかりやすく解説すると、しゅうくんはここの中のひとりとしてここが良い場であるべきだという善意のもとに、それはあくまでも彼の価値観で素の自分を出したのです。エリちゃんはそれをみんなでやったほうがいいのではと考え、そのことによって正直な場ができて、その結果ここが少し混乱するかもしれないけれど、みんながこの場を良い場にしようとする心が共通していれば、最終的には調和の場になっていくということですね。

エリちゃん:
それがわたしが言いたかったことです!これは小さな仕組みだけではなく、大きな仕組み、たとえば家庭、教室、政府機関といった組織でもそうなのですが、みんながコミュニケーションをとるために話したり、意見が聞かれることを許さない仕組みであれば、わたしたちは調和に到達することはできないのです。なぜならそれは一部の声を聞くだけだからです。

トオマス:
エリちゃんが言ったことを聞いて思ったのは、もし僕が明快に客観的に聞いていなければ、他者の意図を聞くことはできないということです。そこでは自分自身の価値で聞くことになるからです。そうすると僕は、「それは違うよ!合わないよ!」と言うことになってしまうのです。それで他者の話を自己流に判断してしまうのです。それでは僕たちは現実に調和的な仕組みや目的を得ることはできません。だから、僕たちは他者を聞くときには明快で客観的である必要があるのです。そしてそれは自らの価値観を変えることになるかもしれないのです。

いさどん:
それは対象と寄り添うということですよね。さて、階段はどのくらい埋まったでしょうか(笑)?

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一人ひとりにはそれぞれオリジナルな事情があるので、ここで一律の共通認識を持つ必要はないと思います。しかし、明らかに一人ひとりはこの1ヶ月間を経て、変化していることは確かです。ここで何か完璧なものを得て、これからの人生をスタートしていくのではなく、自分の本当に出会い、その位置をスタート地点にして次へ進んでいけばいいのです。

1ヶ月間の学びを通してみなさんにお伝えしたかったことは、広い世界観を持つことによって、自分のキャパを広げ、世界に多様性を観て、いろいろなあり方を認めましょう、ということです。それは外に向かっての取り組みです。逆に内に対しては、自分の真実を知りましょう。それはあなたにとって受け入れがたいことでもあるかもしれません。多くの人は自らの幻想を見ているのです。そして「こういうふうに見られたい」「こういう人でありたい」と思って生きているのです。それが自分に対する囚われた感情です。ですから、感情をオーバーラップしていたら、本当の自分は観えません。そして感情をオーバーラップしていたら、外の世界も常に自分の感情を通して見ることになりますから、本当の世界を観ることはできません。そういったあなたに対して、常にこの世界はあなたの心の状態を忠実に反映した出来事を返してくれるのです。それがこの世界に生きることであると同時に、神様の意志であり、宇宙の法則なのです。

そこで、まず大切なことは、自分にとって印象が良かろうが悪かろうが、真実の自分と向き合う勇気を持つことです。それには努力が要ります。その勇気と努力の上に広い世界観がないと、ありとあらゆる可能性・多様性の中で真実の自分をより分けて、観ることはできません。まず内を観て、本当の自分と向き合い、それを認める。そして外を観て、あなた以外の多様性を認める。その中であなたが生まれてきた意味を存分に発揮するためには、この世界に存在する自分に与えられたピースを見つけるということです。そこにはあなたにしかできない役割があって、自分自身が充実した人生を送りながらこの世界の役割を果たすこともできるのです。

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今日はこの階段を埋めていくという話をしました。途中でトオマスが最終結論の話をしてくれましたが、それはすでに完成された境地の場が用意されていて、この世界に存在しているということです。しかし、今はこの段階にいるのですから、そこにはいきなり到達できないのです。ですから、わたしたちはその過程を踏んでいきながら、そこへ行くための道である階段を一段ずつ登っていかないといけないのです。そこに思惑や感情が入れば、その過程を飛び越えたくもなるのです。そこで、冷静に自らの感情にも他者の感情にも寄り添っていく必要があるのです。

そういった歩みの過程では、遠回りをすることもあります。無駄な時間を使って、エネルギーを無駄にすることもあります。それはなぜかというと、自らの感情がオーバーラップすることにより、本当の自分自身も相手も観ていないからです。

先程のしゅうくんの話に戻ると、ここに集った人たちはこの場を良くしようという善意でここにいました。しかし、多くの人が自分との違いを先に見るのです。それは自我が優先しているからです。つまり、自分の基準が優先しているのです。

日本では、「一を聞いたら十を知る」という言葉があります。カタカムナでいうと、ヒフミヨイムナヤコト(一二三四五六七八九十)のプロセスを経て熟知したヒト(一+十=十)は、人の完成された悟りの姿です。それは一から十までの道とも言えますが、ヒトは一と十であり、その間がありませんね。道がわからないものは一から十まですべてを歩まないといけないとも言えるのですが、ひとたびその仕組みがわかったものは、現れている現象の奥にその本質をすべて観ることができるのです。

そのときに、今の話の中では本質をどこに観ればいいのでしょうか?まず、そこに登場する人たち全員に善意があったのです。そして、善意を最初のベースにおいて物事を観たときに、お互いの善意の違いを理解し合えば、あとはつなげるだけなのです。それが「一を聞いたら十を知る」ということです。実は、途中の学びはヒトが完成されるといらなくなるのです。

それを違う言葉で表現すると、「阿吽(あうん)」です。日本の言葉には48音があり、「あいうえお かきくけこ・・・ん」で終わります。そうすると、「あ」と聞いたら「ん」と答える。それですべてがわかって、そこに調和が生まれるのです。これが宇宙の最終の実相です。そして人間にとって可能な最終到達地点です。わたちたちが目指すべき到達地点はそこなのです。

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ということで、階段の間が抜けていたのを一気に埋めていきましたが(笑)、みなさんにそれぞれの個性があるように、それぞれの心にふさわしくどこかが抜けているのかもしれません。みなさん、ヒトという完成されたものの道があることを理解してください。そして、みなさん一人ひとりにふさわしく、その抜けている道をこれから自分で埋めていき、ぜひ「ヒト」として完成された人生を生きてもらいたいと思います。この仕組みがわかったものは「ヒト」となり、「一を聞いて十を知る」ことになり、そして「阿吽」の世界を生きることになるのです。

では、時間を少し過ぎましたが、これにて1ヶ月間の真学校のすべてのプログラムを終了します。みなさん、ありがとうございました(みんな、拍手)。

いさどんに抱き着くトーマス
いさどんに抱き着くトーマス

――

 
この日の夜の大人会議では、今日のプログラムの時間についてシェアする場が持たれました。その中でトオマスは次のようにみんなにシェアしました。
トオマス:
こんばんは!

みんな:
こんばんは!!

トオマス:
今日の講座が終わったとき、僕はトイレの外でひそかにいさどんを待っていました(笑)♪

いさどん:
(拍手!!!!)

トオマス:
というのも、今日僕は「ようこ」になろうとしたのです!

いさどん:
僕がトイレから出たら、トオマスによく似たようこがいてね(笑)、どちらだか区別できませんでした(みんな、爆笑)。

トオマス:
僕は今、もっと繊細であるよう取り組んでいるところです。それでトイレから出てくるいさどんにタオルを差し出したのです♪

いさどんがトイレから出てきたとき、「最後の最後ですべてを料理できましたね」と伝えました。「ヒト」の境地に到達するのは山登りのようです。山の頂上が「ト」です。しかし、いったん「ト」に到達したら、また下に降りてくる必要があるのです。そして、他者と共にまた登っていくことが大切なのです。

この1ヶ月間の真学校は僕たちにとって心と向き合う練習の場であり、それは道場のようなものです。そしてこの世界は僕たちが実践していく場です。そこで僕たちは共に歩んでいくのです。

もし僕たちがこうした学びすべてを1ヶ月間の真学校の初日に知っていたら、それでは真学校は成立しませんでしたね。常にもうひとつの山があるように、常にもうひとつの真学校があるのです。だから、僕はまた次回ここに戻ってくるのを楽しみにしています!

いさどん:
今日の一番のメインイベントは、講座が終わった後に僕がトイレに入ってトイレから出てきたときの出来事です。以前、真学校の受講生には講座の中で話したことがあるのですが、僕はトイレに入るとき中にある手洗いを使わず、いつも流し台のところに行って手を洗います。流し台の前にはタオルがかけてあります。僕が手を洗って、そのタオルを取ろうとすると、すっとそのタオルが自動的に上がってくるのです!だから、僕はタオルを取るためにかがんで足を曲げる努力をしなくても、手をタオルのほうに向けただけで、タオルがちょうど良い高さに上がってくるのです。いつも「あれっ!」と思うと、そこにようこちゃんがいて、パッとタオルを上げてくれるのです。それはなぜかというと、たとえ足を曲げるにしろ、手を少し伸ばすにしろ、そのエネルギーをようこちゃんは僕に使わせないようにしているのです。僕のエネルギーを少しでも僕にしかできない役割に使ってもらうために、ようこちゃんはサポートしていると言うのです。この話はようこちゃんの心構えということで受講生のみんなにも以前話したことがあったのですが、今日トイレから出たら、タオルを胸の前で持ちながら両手で僕に差し出す人がいたのです!それで、「ようこだ!」と思ったのです(笑)。トオマスは流しのところではなく、トイレの入り口の前に立っていたのです。それから僕は流しへ行って手を洗い、トオマスが差し出してくれたタオルを使って手をふきました。そのときに話したのがさきほどトオマスが話してくれた話です。

しゅうくんの話は、彼が感情的だったときから、1ヶ月間の真学校を通して学んでいき、そこで自分のイメージが悪くなって振り返り、みんなに心を配るようになっていきました。しゅうくんは最初も素の自分を出してまわりを混乱させました。みんなも素の自分を出して、場を修正しようとしましたが、できませんでした。しかし結果として今日、最終的にしゅうくんが発言したことにより、みんなにもたらしたものはみんなの調和でした。

実は今日、僕は企んでいました。というのは、この1ヶ月を通してどうしてもここまでは語りたいということが自分の中にはあったのですが、全体の場がそこまで語る段階に至っていなかったのです。だから、実はとうとう語らずに終わりそうだと思っていました。そうしたら、今日の最終プログラムの中でしゅうくんが手を挙げ、自らの振り返りを語り始めました。そのとき、時間は1時間弱しか残っていませんでしたね。そして、みんなの考えを聞いていくうちに、僕はある映像を組み立てるイメージをしながらファシリテートしていました。途中でトオマスが一番上のトを語りました。最終到達地点を語ったのです。それはそのとおりなのですが、その間に階段がいるのです。階段がないのに、一番下の話から一番上までの話はつなげて理解できないからです。そうしたら、僕が誘導していくうちに、たえちゃんがその途中の階段をかけ、よしやんがかけたり、いろいろな人がその間を埋めていった結果、ヒからトまでの階段の十段が少しずつかかっていきました。

そのような中でエリちゃんから「みんなで自由に話せる場をつくったらいいのでは?」という話が出ました。それはそのとおりなのですが、みんなが自由に話せる場はなかなかできないのです。それはある意味仕上がった場所ですからね。それから、みんなが自由に話せる場所であっても、そこに共通した目的がないと、話がたくさん出て、時間がたくさんかかってしまうのです。コミュニケーションの学びの場では人が心を開いて何でも話せる場を創って対話していくことが大切だといわれるのですが、実はそこを超えた世界があることを、1ヶ月かけてみなさんに伝えたかったのです。

今日は講座の最終日だったのでそこまで到達したかったのです。途中では「今日はちょっと無理かな?」と思ったのですが、しゅうくんのシェアから最初の一が語られ、そのあとトオマスから十が語られ、途中が語られていく中で、いろいろな人がその間を埋めていきました。しかし実は、このように時間をかけて埋めていかなくても、たちどころに通じる心のあり方があるのです。

それが日本で言う「一を聞いて十を知る」です。最初、みんなの元にある心は善意でした。みんなが言葉の奥にある善意を互いに感じとれたら、自動的に互いの心がつながり、そこで信頼の場ができあがり、一から十の場ができるのです。そこに集ったということが一ですから、そしてみんなが善意だと確認できれば自動的に十になるのです。カタカムナで十は完成を示すのですから、みんなが善意であることが理解できれば、その場は心が完全にオープンで、駆け引きも何もない場になります。そこではみんなが正直に出していく場ですから、「あなたはどう?」「あなたは二段ね」「あなたは五段ね」「あなたは八段ね」とポンポンとはめていくと、たちどころに一から十が完成するのです。

しかし、今は一人ひとりの意志を聞いて、一段一段をはめる作業がいるのです。そこでは互いの善意が確認し合えていたら、細かい打ち合わせはいらなくなりますね。誰かが「あなたには一をやってもらいたいんだ」と言ったら、あなたは「これは最終的にはここにつながるんだね」と理解し、まわりにいる誰かが「それだったらわたしは二をできるわ」と言うようになっていき、それが「阿吽」の世界につながるのです。人の求める究極の世界は「阿吽」なのです。そうすると、その場では心の調整もいらなくなります。

この1ヶ月間の真学校を通して、そういった世界があるというところにまで僕はみんなをいざないたかったのです。そして今日、それに間に合ったと思ったときに、講座の後にトイレに入ってトイレから出たら、トオマスがようこちゃんをやっていたのです!以前僕がしたようこちゃんの話をトオマスは直観で感じ取り、タオルを僕に差し出していたのです。

トオマスは最初に十を語りましたが、それは正解なのです。それは、みんなが共通して北極星を持つことにつながるからです。しかし、トオマスはいつも北極星を先に語りますが、みんながまだそれを理解していないところで北極星の話をしても、それでは意味がありません。それで、トオマスが僕にタオルを差し出した後に話したのは、登山をして頂上に到達したものはそれだけの価値を知っているのだから、逆にこれから登山するものにその道を示すことができるのです。そうすると、頂上に到達した後、また降りてきて、一から行くものに寄り添っていくと、ヒフミヨイムナヤコトの道を他者にいざなうことができるのです。トオマスもこれからそのように生きていけるといいね、と伝えました。

それで今日は無理かなと思っていた話が、そこで完成したのです!僕がこの1ヶ月間、みなさんに伝えたかったことが最後の最後で語れました。僕はとても満足しています。

トオマス:
しゅうくんと僕が一緒に歩いたら、「ヒト」になりますね♪
※トオマスは、ヒール(かかと)とトゥ(つま先)を交互に「ヒ」「ト」「ヒ」「ト」と動かしました。(みんな、笑)

僕は今、いさどんのようですか(笑)?

いさどん:
(OKとジェスチャー♪)

トオマス:
僕は子どもの頃、取り扱い説明書を読むのが嫌だったので、「僕は何でも知っているよ」と思って、バイクを組み立てるときでも何でも、途中のプロセスを抜かしてきました。

いさどん:
だから、壊してきたのでしょう(笑)。

トオマス:
そのとおりです!それで最終的には自分自身に怒って、最初のステップに戻って適切なる方法でやり直さないといけなかったのです。だから今は、すべてのプロセスが大切なのだと本当に感じています(みんな、大拍手♪)

 

 


阿吽の世界へ ~心豊かに生きる・前編

2016年3月12日、「1ヶ月間の真学校」は無事終了しました。3月11日の「心豊かに生きる」という最後の講座の中で、受講生ひとりひとりがこの1ヶ月間を振り返る時間が持たれました。その中で、受講生のしゅうくんは以下のようにこの1ヶ月間を振り返りました。

しゅうくん
しゅうくん

しゅうくん:
僕は1ヶ月間の真学校を受ける前はここでヘルパー滞在をしていたのですが、この1ヶ月間はそのときとは違い、常に生活を共にしている仲間との間で自分の癖がたくさん出て、こんなにも僕はまわりをひどい状況にさせるのだと自分の影響力の大きさに気付かされました。こうやって僕は不調和を起こしていくのだと知ることができました。この1ヶ月間、日記で自分のことを振り返りながら、なんとなく自分のことはわかっていましたが、その状態がそもそも囚われていたことにやっと気付いたところです。わかっていたけれど、やってこなかったことが今、わかったところです。
これから自分がどのように生きていくのかをここ数日間考えていたのですが、自分としっかりと向き合っていくのだと感じています。自分の中では気になることがたくさんあって、自分が大きなことで悩んでいるのならまだいいのですが、自分自身が嫌だからとか、そういった狭い世界観の中で僕は悩んでいるのです。だから、そこから離れて世界観を広げていくことを、これから謙虚に素直に取り組んでいきます。僕は今まで本当に傲慢だったと思っています。今は素の自分を出していることで、少し楽になっています。

いさどん:
ひとつ質問があります。これまでは自分の癖をそのまま出してきて、それはある意味、素の自分を出してきたということですよね。

しゅうくん:
はい。

いさどん:
そこは反省しているのですよね。

しゅうくん:
はい。

いさどん:
反省した結果、今話していることは、ある意味これからも素の自分を出していくという結論に至ったのですよね。

しゅうくん:
素の自分を出していく・・・それは、自分自身で素の自分を認めて、それをコントロールしていくということです。

いさどん:
もう一度言いますね。結局、しゅうくんがやってきたことは自分の癖をよく理解せず、癖のままに表現してきて、素の自分を出したことがこんなにも全体に大きな影響を与えているのだと学んだのです。その結果、結論はやはり素の自分を出していくことなのだと言っていましたね。それは矛盾だと言っているのではありません。その最初の素の自分を出したことと、後で気が付いて素の自分を出そうという結論に至ったこととでは、一体何が違うのでしょうか。

問題の元となった素の自分と、学んだ後に素の自分を出すことによって「これで行こう!」と感じている素の自分との違いは、一体何なのでしょうか?

みかちゃん:
それはこの前一緒にご飯を食べていたときに話したよね。癖のままに出す素の自分と、客観目線も入れた上で出す素の自分の違いについて混乱している人が多いから、正直を出すことがいいことなのかどうなのか。正直を出したらそれでいいのか、という話をしたね。

しゅうくん:
そうそう!でも、それをどのように説明したらいいのか・・・。

いさどん:
どちらも同じ素の自分ですからね。これはとても重要なポイントなのですが、今の世の中もある意味みんな、素の自分を出しているのです。その結果、社会は今のような状況に至り、行き詰っているのです。しかし、自分らしく正直に生きることによって、これは解決できると思うのです。ですから、今までの正直に出していたことと、その後の正直の違いをわかる必要があるのです。「このように素の自分を出していけばいいのだ!」と理解できると、次のステージへ力強く進んでいくことができます。さあ、みなさん、考えてください!

よしやん:
そのふたつは同時にいるんじゃないかな?自分の好きな自分と自分の嫌いな自分の両方が混在している。

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いさどん:
混在しているのはわかりますが、自分の好きな自分というのもそれは自分基準になっている場合が多いのです。これはポイントですよ♪自分の心地良い自分を素に表現したときに、それがまわりにとって良いかどうかはわかりません。それこそが独りよがりですからね。

たえちゃん:
客観視点を持って自分を観て、まわりを把握して、自分を出していく。

いさどん:
それは最終目標ですね。自分を入れた大きな枠の中で自分を観て、全体を把握した状態で自分を表現することは最終目標です。今、ここで質問していることは、最初に素の自分を出したときに不調和をもたらしたしゅうくんがいました。その素の自分はある意味問題だったのです。しかし、そういったことも学んだ上で、最終的にしゅうくんはやはり素の自分を出していくことが大切なのだという結論に至ったのです。それは正解だと思います。以前の不調和をもたらした素の自分と「やはり素の自分を出していくべきなのだ!」というポジティブに解釈できる素の自分の違いは、一体何なのでしょうか?

たえちゃん:
最初の素の自分は感情が伴っていて、感情をコントロールしていない素の自分。

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いさどん:
それは全体に何をもたらしましたか?

のぶくん:
しゅうくんの感情の痛みだと思います。

いさどん:
いや、しゅうくんはまわりに何をもたらしましたか?

のぶくん:
まわりに不調和をもたらしたことで、しゅうくんが傷ついて、そこで学んだということではないでしょうか?

いさどん:
それはしゅうくんが学んだのですか?

のぶくん:
そうです。

いさどん:
そうすると、まわりはどうだったのですか?

のぶくん:
まわりも学んで、しゅうくんも学びました。

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いさどん:
ということは、しゅうくんが感情をコントロールしないで出した結果、まわりもしゅうくんも学んだとしたら、それは悪いことではありませんね?しかし、その状態だと学びは学びでも、良くない見本として、つまり教訓としての学びになりますね。その教訓を超えていくときに、やはり素の自分を出さないといけないとしゅうくんは言いましたね?僕もそうだと思うのです。そこで、振り返る前と後とでは何が違うのか?場を乱すような素の自分を出し続けることと、振り返った後の素の自分を出すこととは違いますよね?

しゅうくん:
感覚ではわかるのですが・・・

いさどん:
言葉にならないということですね。

しゅうくん:
はい。

いさどん:
あなたは以前の素の自分を出したときの体験と、その後に「やはり素の自分を出すべきだ」という体験の両方をしたのですよね。その感覚の違いを言葉にしてみたらどうですか?

しゅうくん:
以前はとても苦しかったです!まわりに自分の感情をバーッと出したときにはみんなとの距離をとても感じました。それで自分もどんどん苦しくなっていって、孤独になりたかったし、そうするとまたどんどん自分が辛くなっていくと思って、「これではまずい!」と思って切り替えたのです。

いさどん:
そのときに、まわりを混乱させようと思って、やっていたわけではありませんね?

しゅうくん:
はい。

いさどん:
感情のままに出したとき、何が目的だったのですか?

しゅうくん:
・・・これといった目的はなかったのですが・・・。

いさどん:
ただ言いたいことを言っただけですか?僕はあなたのしていたことを把握していますよ。

たえちゃん:
しゅうくんが感情を出してコントロールしていないときにわたしが感じたことは、「俺はこんなに一生懸命やっているのに、なんでみんなわからないんだ!」というような空気を感じました。

いさどん:
すばらしい!しゅうくんの心はそれですよ♪その背景として、しゅうくんの想いには何があるのですか?

よしやん:
自己嫌悪?

いさどん:
そうですか??

よこなおちゃん:
認めてほしい心。

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いさどん:
そうですか???

たえちゃん:
「俺の言うとおりにしろよ」とか??

いさどん:
そこで、なぜみんなは言うとおりにする必要があるのですか?みんなが言うとおりにした結果から、しゅうくんは何を求めているのですか?

たえちゃん:
自分の成功??

いさどん:
ここでしゅうくんは自分の成功を望んでいますか?当事者であるしゅうくんはどうですか?少なくとも、正解はあなたの中にあるのですよ!これがあなたから出てこないとしたら、自分の感情に対してそれを認識せず、感情のままに出しているということです。しかし、その感情が湧き出てきた元にあなたの意志があるはずなのです。その意志がもう一度何だったのかを確認できるといいですね。

今すぐ出てこないようなので、僕が少し誘導しますが、しゅうくんは最初に力強く想いを出して、素の自分を出した結果、ここを混乱させたと自分で認識しているのですよね?

しゅうくん:
はい。

いさどん:
しかし、混乱させようと思って出しましたか?

のぶくん:
混乱させたいという気持ちもあったと思います。

いさどん:
しゅうくんに混乱させたいという気持ちがありましたか?それは彼の意志ですか?もしかしたら、自分の気持ちを重ねていませんか?

のぶくん:
もちろんそうです。自分視点でしかしゅうくんを捉えられないので、そう言っています。

いさどん:
本当はそこを卒業するといいのですよ。この場所はしゅうくんに寄り添ってみんなで考えることが大切なのです。そこを自分視点でしか捉えられないところに、のぶくんの課題があります。あなたの中には人が同じような共通点を持っていると安心する心があるのです。そこで、あなたの感情はより強く動きます。しかし、今はあなたの感情は抜きにして、しゅうくんの感情について振り返る必要があるのです。

のぶくん:
どうやって振り返るのですか?

いさどん:
そこは本人に聞くということです。自分から見て決め付けるのではなく、本人に聞くのが大切なのです。

のぶくん:
でも、本人でもわかっていない気持ちはありますよね?

いさどん:
それを誘導して紐解いていくのが人のために寄り添うということです。今この時間は、みんなでしゅうくんの気持ちに寄り添おうとしているのです。ですから、そこで自分の感情をオーバーラップさせては、真実は観えてきません。

さて、しゅうくんははじめに強い意志で素の自分を出しました。そうしたら、場が混乱しました。しゅうくんはその混乱を見て、自分が素を出すとまわりを混乱させるのだと気付き、それでは自分に対する印象がよくなかったので自分に対して落ち込んだのです。そのしゅうくんがはじめに自分の意向をよく考えないでそのままストレートに出した心の元は、この場に混乱をもたらそうと思ってやったかどうか?それはどういう心でやったのでしょうか?本当は本人に聞いているのですが、本人がその答えを出せないので、みんなで探っていきましょう。

りょうこちゃん:
みんなとつながりたいから。

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いさどん:
しゅうくんはみんなとつながりたいのですよね?

しゅうくん:
はい。

いさどん:
つながりたい目的は何ですか?

しゅうくん:
より良い世界を創りたい。

いさどん:
そうです!しゅうくんはより良い場を創りたかったのです。しゅうくんはこの場がまとまっていないと彼流に感じたので、この場を良い場所にして、みんなとつながっていきたいと思ったのです。そしてそれを実行したのです。それは悪いことですか?

しゅうくん:
悪くはないです。

いさどん:
しかし、悪い印象しか残っていませんね?

しゅうくん:
はい。まわりから、僕がいらいらしているとか怒っているというフィードバックをもらったので。

いさどん:
しゅうくんが全体に投げかけた意向は、善意ですよね。そのことについてみんながクレームを言ったのは、悪意ですか?

しゅうくん:
悪意ではなかったです。

いさどん:
しゅうくんは全体を良くするために投げかけたのですが、そのことによってこの場が乱れたので、みんなもこの場を良くするために自分の想いを出したのですよね?ここで少し僕がファシリテートしますが、しゅうくんも善意で出した。みんなもそのことによって善意で出した。しかし、当初ここには何が起きたのですか?不調和が起きましたね。みんなは善意で出しているのに、不調和が起きたのです。ということは、ここで何を観るべきなのでしょうか?何を観たら不調和ではない世界が観えてくるのでしょうか?

これはテストを受けているようですね(みんな、笑)。

かずえちゃん:
彼が出した奥の客観背後を観る。

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いさどん:
ハッハッハ。それはまたハイレベルなことを言いましたね(笑)。

かずえちゃん:
その奥にある真意を観たいと今思いました。

いさどん:
そうすると、その奥にあるしゅうくんの真意、みんなの真意を観たら、何が観えてきますか?

たえちゃん:
みんなと調和したい心。

いさどん:
そうです!そこにはみんなと調和したい善意の心しかありませんよね。そこだけを観ていけば、いつでも善意の場ができるのです。しかし、その奥にある善意を観るに至らないと、善意の場にならないし、調和にならないのだと僕は思うのです。

さて、一番重要なところへ来ましたね!しゅうくんが感情的だったことを何気なく振り返ったことから、今わたしたちはとても大切なところへ来ています。少なくとも、しゅうくんが出した不調和は彼の善意から出たこと、さらにその不調和が起きたことに対してみんなはそれを改善しようとして善意から投げかけたのです。しかし、結果としては不調和の場ができました。そこで、みんなの元の心を観たら、すべて善意でした。善意だけだったら、問題はないはずですよね?

よしやん:
その善意を押し付けがましく感じる?善意だけど、悪意の善意?ちゃうなあ(笑)。

いさどん:
えっ!悪意の善意があるのですか??

よしやん:
善意でいても相手がうっとくるということは、善意の押し付け的な感情を感じて、こちらも感情が出てしまう。

いさどん:
それは受ける側の理論ですね。被害的に受けていると、「あなたの善意は悪意が混じっている!」という話になってしまうのです。そうではなく、一番元の心が善意であるということは、善意でしかないのです。しかし、なぜそこで不調和が生まれるのか、考えてみましょう。

トオマス:
僕に思い浮かんだイメージを伝えますね。ここの場のように僕たちが輪になっているとします。それで僕たちはみんな、織物をつくるための糸を1本ずつ持っているとします。僕たちはそれぞれ意図を持っています。しかし、僕たちがその意図を解釈するときには、僕たちはその場に感情をもたらします。そして他の人もみんな互いの意図を解釈し始めます。だから、「これはそういう意図ではなかったから、変えてみよう」ということになるのです。そこで僕たちが自分自身の中でゆるぎないものとなって、確固たる意図を持ったときに初めて、それはその場に反映され始めるのです。だから、僕たちが自分自身の中でゆるぎないものとなると、僕たちは柱になるのです。僕たちは他者にとっての柱にもなれるのです。僕たちが揺れ動くことがなければ、僕たちは状況を変える必要はありません。僕たちは自分たちの意図に対してただ確固たる必要があるだけです。そして、僕たちはありのままの姿で紡がれた調和をその場に観ることができるのです。

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いさどん:
トオマスは最終結論を言ってくれました(笑)!今、トオマスは最終結論の十のところの話をしてくれたのですが、どうもこの場はまだ二か三にいて、これからその先に行くところです(笑)。大分間が抜けていますね。これからそこを埋める必要があります。

たえちゃん:
しゅうくんが感情とともに、善意で素の自分を出したときに、みんながそれをどのように感じるのかをしゅうくんは考えていなかった。

いさどん:
それを解説すると、しゅうくんの最初の素の心はこの場を良くしたいという心で出したのですが、その強い想いはみんなのことを考えないで、しゅうくんの自分の想いだけを出したのです。しかしそこで考えなければいけないことは、彼は善意でこの場のためにやっていたということです。そのときに、善意であっても、この場に不調和の種が蒔かれたということです。

かずえちゃん:
それはまわりへの配慮がなかったということですか?

いさどん:
そうとも言えますし、逆に捉えると、まわりに配慮がなかったということはしゅうくんの姿勢はどうだったということですか?

たえちゃん:
自分よがりだった。

いさどん:
そうですね。

トオマス:
僕のしゅうくんとの体験をシェアすると、僕はしゅうくんの誠実さを感じてきました。僕たちがお誕生日会や修了パーティの練習をしているときや部屋にいるとき、またお風呂にいるときでも、しゅうくんは本当に何かポジティブなことをシェアしたいのだと感じていました。同時に、しゅうくんから不安定さも感じています。だから、しゅうくんは外に気持ちを出しても、それがどのように受け取られるのかわからず、みんながそれをどのように思うのかを知る前に修正してしまうようなところがあるのです。
それから、僕がただ「ありがとう!」と感じているときでも、しゅうくんは僕がそれをポジティブに感じていることを知らなかったこともあります。僕たちは同じ言語を話しませんが、僕は「それはいいね!」と伝えたいだけなのです。たとえばお風呂場での出来事でも、「僕はそれを知らなかったから、教えてくれてありがとう!」と伝えたかっただけなのです。しかし、しゅうくんはそのとき僕に対して感情的だったことを感じました。もしくは、しゅうくんはしゅうくん自身に対して動揺していたのかもしれません。だから、しゅうくんの最初の意図は人の役に立つものであったのに、そのように事は成らなかったということです。しかし、しゅうくんにはポジティブな意図があったことを僕はわかっていたので、僕たちが話し合えば、僕にはしゅうくんの意図していたことがわかるのです。そのようにして、僕たちは一緒にギャップを埋めることができました。

いさどん:
トオマスは大分上から降りてきて、僕たちがわかる言語のレベルになってきましたね(みんな、爆笑)。

トオマス:
はい!今は五まで来ましたか(笑)?

いさどん:
まだ大分間が空いていますから、このプログラムの時間が終わるまでにそれを埋める作業をしたいと思っています。もう一度話を整理すると、しゅうくんはこの場を良くしたいという強い意気込みで、正直な自分を出しました。その元の心は善意です。しかし、まわりの人たちは彼が独りよがりの方針を出したことによって、それを受け取れないがためにここに混乱が起きたのです。それに対してまわりの人たちは、その混乱を修正し全体の場を良くするために、善意でしゅうくんに投げかけたのです。しかし、そのときにまわりの人たちはしゅうくんを問題児として受け取っていたのかもしれませんね。問題児だと感じていたからこそ、しゅうくんも含めてこの場を健全にするために投げかけたのかもしれません。

そして今トオマスが、しゅうくんは誠実な人で、彼は善意のもとにいることをシェアしてくれました。しかし、実際にはここに混乱が起きたのです。だからその混乱を観て、しゅうくんは自分の起こしたこととして振り返って落ち込んでいたのです。それから事がいろいろと成っていった結果、彼はそれを学習し、「やはり素の正直な自分を出すべきだ!」という結論に至ったのです。

全体に混乱をもたらした最初の素の自分も善意であり、後からそれを学び修正して「やはり素の自分を出すべきだ!」というしゅうくんの結論も善意なのです。この違いを埋めていくと、この階段がすべて埋まると思うのですが、いかがでしょうか?

 

後編に続く~

 

 


祈りの言葉 2016

木の花ファミリーでは、食事の前にいつもお祈りの時間を持っています。「1ヶ月間の真学校」受講生より、このお祈りの時間にはどんな意味があるのかという質問を受けて、いさどんが改めてその意味を語りました。

 

 祈りの言葉 —    

あなたの御心のままに あなたの御心のままに あなたの御心のままに
わたしはあります

あなたの御心のままに あなたの御心のままに あなたの御心のままに
わたしはあります

あなたの御心のままに あなたの御心のままに あなたの御心のままに
わたしはあります

あなたはわたしなのですから
わたしはあなたなのですから

あなたの御心に全ての人々が目覚め
平和で安穏なる幸せな世が訪れんことを願って
努めて参ります

無限なるあなたに無限なる感謝を
永遠なるあなたに永遠なる感謝を

アーメン、合掌

 

いさどん:
一般的に「祈り」というのは、人間が自らの願いを叶えたいために、神仏に対して願掛けの心で想いを向けることだと解釈されるでしょう。もしくは対象なしで、ただ自らの中に巡る願望を成就しようと願うのが一般的な祈りの現状です。

それに対して、本来の祈りは想いを巡らせ、その想いの奥にある宇宙創造の物理エネルギーによってこの世界を創造すること。宇宙創造の物理性(波動)が世界を創っているのです。宇宙(生命)は循環し巡り巡って、変化・変容・変態を繰り返し、進化し続けるものなのです。それはわたしたち地球生命のあり方と同じです。それは宇宙自体が生命だからです。

生命というのは、「生きる命」と書くでしょう。「命」とは「みこと」、それは現象世界に顕れた神のことだから、生命とは生きる神ということなのです。この世界は、大本の神様の存在する陰(潜象世界)のひずみが、陽(現象世界)へ生み出されて動き出しました。それがこの世界の生命の成り立ちで、その成り立ちとなる物理性を理解した者が奏上することで、本来の祈りの意味を成し、その目的を達成することになります。たとえばカタカムナを奏上するのは、本来の祈りです。ですから、本来の祈りの姿勢としては、まず自らの意識を高め、思考を無にしてその場に臨むことが望ましいのです。

その結果として、祈る者の心が美しく磨かれていきます。その人の内なる鏡がきれいになった時に、外にある宇宙創造の仕組みが内なる鏡に映り、内なる想いと宇宙創造の想いとが共鳴し矛盾がなくなっていく。そして、その美しい想いがこの世界に実現されていく。それが祈るということなのです。

美しくなった者は、この世界、つまり神の物理性を内なる鏡に映し出し、そしてそのまま生きていくと、今度はその神の物理性が内から外に発せられて、この世界が美しくなっていく。つまり、自分の内なる鏡に映るということは、外と内が合わせ鏡になっていて共に共鳴し響き合うということなのです。

 
祈りの言葉を解説すると −−−−

 
あなたの御心のままに あなたの御心のままに あなたの御心のままに
わたしはあります

「あなた」というのは、自らを取り囲むこの世界の物理性(神)のことです。それは大宇宙の法でもあり、エネルギーと解釈してもいいし、法則と解釈してもいいし、神と解釈してもいいのです。わたしたちの外にあって全てに遍満し、宇宙全てに響き渡り、この世界を運営しているそのものなのです。その仕組みのままに「わたしはあります」ということです。この宇宙創造の仕組みのままに、神様のままにわたしはある(有・あってあるもの)、ということを宣言しています。

それと同時に、「ない(無・なきてなきもの)」ということも宣言しています。つまり、宇宙創造のままにわたしはある、ということは、宇宙創造のそのままの姿がわたしの内なる鏡に映っていて、その中にわたし自身という我はありません、ということです。つまり「あります」ということは、あなたのままにあって、わたしはありません、ということを言っているのです。ですからここでは、宇宙の本質である「あってあるもの、なきてなきもの」を表現しています。

一つのことを三回唱えるのは、「ミ」ということで、満ち満ちていることを表しています。つまり、絶対で揺るぎがありませんということです。あなたの御心のままに、宇宙創造の響きのままに、神様のままに、わたしは写し鏡としてそのままの姿であります。だからこそ、わたし自身のエゴや我というものは一切ありません。そしてそれは、わたしの中に満ち満ちて絶対です。それを三回唱え、揺るぎない意志を表しています。

三回唱えることを三度繰り返すということは、絶対の絶対の絶対の意志を表しています。「絶対」を三回繰り返して、くどく言っているのです。「ク」は「九」だから、「九」の絶対の境地に到達すれば、その次にカミ(命・食)をいただき、強い意志を持って「十(統合)」につながるのです。

 
あなたはわたしなのですから
わたしはあなたなのですから

「あなた」という宇宙創造のエネルギー(あなた=神)はわたしなのですから。わたしは宇宙であり、あなたなのですから、区別することはできません。なぜなら、わたし(自我)はない(無)のですから。それが、あなたはわたしなのですから、わたしはあなたなのですから、ということです。

 
あなたの御心に全ての人々が目覚め
平和で安穏なる幸せな世が訪れんことを願って
努めて参ります

「あなたの御心」、つまり宇宙創造のエネルギーに、全ての人間が目覚める。目覚めて、あなたの世界と人間が創る世界が一体となる。「平和で、安穏なる幸せな世」というのは、地上天国、ユートピアのことです。そして神人和合の世界のことを示しているのです。

そしてわたしは、平和で幸せな世(みろくの世)が訪れんことを願って、生きるということをいたします。努めて参ります。つまり、努力します。それがわたしの意志です。世の為人の為に生きます、という決意と行動(知意行一体)のことです。

 
無限なるあなたに無限なる感謝を
永遠なるあなたに永遠なる感謝を

アーメン、合掌

「無限なるあなた」とは、無限なる宇宙(神)。「永遠なるあなた」とは、永遠なる宇宙(神)。
「感謝」というのは、その目覚めに到達した自らの喜び、ありがとうございますということです。
最後の「アーメン、合掌」は、宗教などの特定した思想信条を問わないことを示しています。

無限なる感謝、無限なるありがとうございます。永遠なる感謝、永遠なるありがとうございます。有難いことに気づいたならば、有難い宇宙の神秘が世界に紐解かれ、有難いが現れる(有ることが難しい宇宙の神秘が現れて御座います)。有難宇御在益(ありがとうございます。)

そして、アーメン、合掌。人の歩むべき道は一つ、心は一つということ。

宇宙創造の物理性がこの世界を創り、人々がそのことに気付いて美しきものとなり、それをこの世界に表現するものとなっていく。その結果人々の境がなくなり、そして、天と地の境もなくなり一つとなって、地上に理想郷を創っていく。それが祈りの言葉に込められた意志なのです。

 

 


社会という池に、あなたは何を流しますか

「1ヶ月間の真学校」修了を4日後に控えた3月8日の夜、受講生たちも参加しての大人ミーティングで、いさどんは以下のように語りました。

この日、受講生たちと共に長野県の皆神山を訪れた帰り道に富士山の前で記念撮影
この日、長野県の皆神山を訪れた帰り道に富士山の前にて、受講生たちと一緒に

いさどん:
僕の心にある絵が浮かんできました。

そこに池があります。
その池が汚れているかいないかは、その周りで生活している人の姿勢の現れなのです。自分の生活の仕方を振り返らない人々は、池が汚れていることの原因に気が付きません。

池の水は自分たちの命であり健康や幸せの元です。しかし自らの姿勢を見ないものにとっては、その池が汚れているのは、「世の中のせい、他者のせい」なのです。しかし池をきれいに保つためには、誰の心にも共通する姿勢がないとなりません。

「私たちは、その命の池をきれいにして、みんなで美しく保ち、そして健康に生きていきましょう。」

この池というのは、私たちの創っているこの社会のことです。
その社会に向けて自分がどんな響きや心を流しているのか。
その結果、今の社会というものをつくっているのです。
誰もが自分は健康でありたいと思い、池の水を飲むときに、健康な水をいただきたいものです。

しかし、その社会の池を作っているのは、あなたなのです。
そこで「あなたはきれいな水をいただいて健康に生きていくということをしたくありませんか」と言ったら、誰もが「そうしたい」というのです。そのためには、あなたが流す心の水をきれいにしないと、社会の水・池はきれいにならないのです。簡単なことですね。

それをするにはどうしたらいいのでしょうか。それは、心の目を開けて自らを観ることです。
自らが美しくなっていけば、同時に自らを取り囲む社会もきれいになってゆくのです。
そんな明快で当たり前の道を、今の時代を生きる人々は忘れているのです。
そんな当たり前のことですが、それをただひたすら真面目にまじめにやっていけばそれが世の中を美しくすることになり、それがこれからの見本となるのです。簡単なことでしょう。

それなのに、きれいになることを「損をする」ことのように思い、素直に受け取らず、ゆがんだ心で社会の池を汚して生きている人たちがいるのです。

あなたはあなた自身をどうしたいのか、生活の糧としてある大切な社会の池をどうしたいのか、そこに暮らす一人一人が自らに問うべきだと思うのです。

そんな映像が今浮かんできたのですが、これはとても明快な話なのです。しかし、世の中にはこのことを明快に理解して生きる人が、まだまだ少ないのです。せめて私たちは、この場をそういった明快な人たちの生活の場としての見本にしたいものです。

真学校に参加された皆さんも、自らがこのプログラムに参加する前にはどのような心だったのか、そして今どんな心をしているのか。
これから真学校が終わって次のステージに旅立っていくときに、どのような心で旅立ちたいのか、自らの価値としてあなたはどんな自分でありたいのか、正直に自らの心に向き合い、そして、真学校の終了を迎えてもらいたいと思います。

 

 


21世紀は一人ひとりの目覚めの世紀です ~ エリちゃんのメッセージ編

「1ヶ月間の真学校」を受講中のエリちゃんは、カタカムナ講座を受けた日の日記にこう書いていました。

――

今日は本当に書くことがたくさんあります。今日講座の中で伝えられたことすべてに共鳴し、深く同感します。私の魂が今日の講座はとても重要なものだとわたしに伝えるのです。

ここ数年における私のビジョンだけではなく、夜に見るいくつもの夢が、いさどんによって今日ここにつながりました。わたしは今ここでわたしの運命を生きていますし、カタカムナはそのことに大いに関係しています。

今までたくさんのメッセージがわたしのもとに来て、わたしはそれをどうしたらいいのかわからなかったので、書き留めてきたのですが、それをシェアする場所がありません。わたしは特にいさどんやようこにシェアできることを知っています。あなたたちの波動はとても銀河系的なので、特にふたりの近くにいるとありがたいのです。

――

そこで、ようこ通訳のもと、エリちゃんがいさどんと話す場が持たれました。まず、いさどんは次のように語り始めました。

(いさどんとエリちゃんの前回の会話についてはこちらをご覧ください。)

 
いさどん:
わたしはなぜ今日この時間を持とうと思ったのか、よくわかりませんでした。ある意味、これは天の意向ですからね。わたしは意味がわからずに、何かの行動を取ることがあるのです。それは、人生を自分のものだと捉えていないからです。

あなたに聞きたいことがあります。本来、人間は霊的な存在です。ですから、自らの本質に目覚めると、今の人間たちのように物質的なことに追われて生きるようなことはおかしいと思うようになるのです。ただ、人間たちがこのような進化を経験するために、今のような時代を迎え、それが今、収束を迎えています。あなたはアメリカという極めてその象徴的な国に生まれ、象徴的な国の出来事として迫害された人種の血も引いているので、今の時代を余計に不自然に感じられるのです。そしてそれは、新しい時代を切り開いていくために重要な霊性だと思うのです。

天の命によって始まった木の花ファミリーには、時代を動かす宇宙的な意志がたくさん直結しています。最初、わたしはそのことがよくわからなかったのですが、だんだんその重要性を理解するようになり、今はそのことだけを一番の目的としてここで活動しています。霊的な差はありますが、ここにいるメンバーはどの人も新しい時代を切り開くモデルになることを自覚してここにいるのです。そこに差があるのは、皆で力を合わせ調和していくという意味では、差がある場所でこそそれが実現されるべきだからだと思うのです。

特にこの2016年は、ここにとっては新しいメッセージを世界に向けて発信する年でもあるのです。これは、地球規模のことですから、宇宙的な話なのです。わたしたちにとっては、地上的な生き方をするよりも、時代を意識して生きることのほうが重要なのです。そういったことも踏まえて、あなたがわたしにシェアしたいと日記に書いていたメッセージについてやいろいろな想いを聞かせてもらえればと思います。

エリちゃん:
わたしが日本に来てからたくさんのメッセージがわたしの元にやってきました。あなたがそれをどのように感じるのかを聞いてみたいと思います。なぜなら、今あなたが話したこととそれらのメッセージは似ていると感じるからです。ここ1年半の間、わたしの体は「腹(ハラ)でわたしの声を聞きなさい。腹にあなたの意識を収めなさい」と伝えてきました。

数ヶ月前、地球の中心がわたしに話しかけてきて、「あなたの意識を地球の中心につなげなさい」と伝えてきました。その地球の中心というのは、わたしの腹とつながっている感覚があるのです。それはへその緒でお母さんと胎児がつながっているような感覚です。

いさどん:
それは正しい捉え方ですね。

エリちゃん:
そうですね。そして、わたしの意識を地球の中心につなげたとたんに、わたしはとても安心したのです!それから、地球の中心はわたしの意識が宇宙につながるように伝えてきました。その宇宙とは父なる宇宙です。地球の中心は、ただ楽しむためにつながりなさいと伝えてきました。それは恋人同士の関係のように、宇宙の愛を表現するたくさんの方法のひとつなのです。それは、人間の目的であり、運命でもあるのです。人間の心が開かれていくと、宇宙との交わりが可能になるのです。

日本に来るのは今回2度目なのですが、日本に来てから地球の中心がわたしに向かって「一緒に時間を過ごしましょう」と誘ってきました。それはとても簡単でシンプルなことです。お母さんが子どもに「一緒にいましょう」と言うように、ただ一緒にいましょうというメッセージでした。

わたしは1ヶ月間の真学校を受ける前に東京にいたのですが、そのとき地球はわたしに「もし、もっと多くの人間が地球と一緒に時間を過ごすとしたら、地震などの地球の変化を人間たちに知らせることでしょう」と伝えてきました。このメッセージはわたしにとって大切なものでした。ですから、いさどんに伝えたいと思いました。しかし、こういったメッセージを、たとえば地震を防ぐために使おうとは思っていません。

次に、わたしが愛知県の伊良湖にいたときにやってきたメッセージについてお話しします。

いさどん:
わたしは伊良湖のことはよく知っていますよ。伊良湖の近くに名古屋がありますね。わたしは富士山麓に移住してくる前に名古屋に長い間住んでいました。

エリちゃん:
まあ、知らなかったわ!そもそも、今回わたしが日本にいるのも、地球からここに来なさいと呼ばれて来たようなものなのです。それで日本に来てからたくさんのメッセージがわたしのもとに降りてきて、その意味が今わかり始めてきたのです。伊良湖では、ある山がわたしに向かって、「あなたの目的は地球の声をいろいろな場所で聞き続けることです」と伝えてきました。そしてそれは祝福を意味しており、常に地球と共にあり、意識を向けていなさいというメッセージだったのです。

その後、山がわたしに伝えてきたこととして、これはシェアすることが少し恥ずかしいのですが(笑)、なぜなら性に関することだからです。ただ、いさどんはこのようなメッセージを知りたいと思っている人を知っているかもしれないので、お伝えしますね!

いさどん:
ハッハッハ。性に関することについては、1ヶ月間の真学校の中で講座がありますからね。

エリちゃん:
ハッハッハ。そのとおりですね!

いさどん:
たとえば、先程あなたは宇宙と交わるという話をしましたね。

エリちゃん:
はい、しました!

いさどん:
宇宙の成り立ちは人の交わりと同じです。ただ、人々は人の交わりが宇宙の成り立ちと同じであることを知らないだけなのです。本来、人の交わりはとても神聖なものなのです。そして、人間の意識を高めてくれるものでもあるのです。そこまでのことを外の人々に伝えるのは、今回の講座が初めてです。

エリちゃん:
その講座を受けることはとても楽しみだわ!実は、伊良湖の山からは、とても特定したメッセージももらっているのです。そのメッセージはこの性に関する講座を受けると、より深く解釈することができると思っています。そのメッセージとは、わたしが4つの異なる大陸の4つの異なるコミュニティで4人の異なる男性とそれぞれ4人の子どもをもうけ、季節毎に1人の子どもと過ごすというものです。それは地球の自転とともに生きるという意味でもあります。

いさどん:
子どもをもうけるときに重要なのは、当事者である男女の意識がこの宇宙の法のどのレベルにアクセスしているのか、ということです。たとえば低い意識のものが子どもをもうけるとしたら、宇宙の法の低い意識にアクセスしていることになります。その低い意識でもうけた子どもと高い意識でもうけた子どもとでは意識の質が違うのです。今までの時代は、賢くても意識の低い子どもたちがたくさん生まれていました。そのような人たちが世の中を支配してきたので、企みの中で優秀さが優先される社会をつくってきたのです。しかし、意識が高く、かつ優れたものが子どもをもうければ、意識の高い子どもが生まれてきて、調和的で豊かな世界が自ずと現れてくるのです。

あなたが受けたメッセージは、今までの人間の価値観からすると常識から外れたことのように捉えられるため、あなたは少し恥ずかしそうに話していましたね。しかし、これは新しい時代にとってとても重要なことだと受け取りました。あなたは簡単に4つの大陸といいましたが、それは国境を越えるということで民族や人種の垣根を超えることを意味するのです。これからの時代はそのような魂が生まれてくる必要がありますし、実際にそこでいのちを育む物理的な現象としては人間の男女の交わりかもしれませんが、その精神はもっと意識の高い存在である、たとえば宇宙と地球、大陸同士という意識が交わっているようなものなのでしょう。

本来、わたしたちは宇宙や地球の自然ネットワークの中で生かされているはずなのに、人間たちの日常の意識はそういったことを忘れてしまっています。それどころか、いのちの仕組みすら忘れ、近代の人間たちの活動はいのちの仕組みをどんどん破壊していくようなことさえしているのです。ですから今、この矛盾した世界があるのです。そのことに対する答えとして、矛盾や痛みが今この世界に現れているのです。それを正しく捉えれば、その反対のところに解決策があることは明快です。

ですから、あなたのような人は、今までの社会的価値観で言えば、変な人だったのです。その極めつけがいさどんです(笑)♪

エリちゃん:
ハッハッハ!そのとおりですね!だから、わたしはあなたに何でも話せるのです!

いさどん:
今ここへ来て、わたしはこの生き方に確信を持っています。それは、新たな時代を迎えるにあたって、非常に重要な役割をしているということです。ところが社会を見渡せば、社会の中には様々な矛盾が発生し、問題が起きているにも関わらず、ほとんどの人々が今時代のターニングポイントを迎えていることに気付いていません。だからこそ、人々の中にその気付きの兆しがなくとも、この生き方を続けていくことが重要であり、極めて狭い道を奇跡のように探しあてた、あなたとのような出会いが来るのです。

エリちゃん:
ありがとうございます!

いさどん:
この生き方の大切さを思えば思うほど、そして世の中に矛盾を感じれば感じるほど、確信はますます強くなっていくのです。

そういった中で、性に関する話はこれまで世の中に出せませんでした。それは人々の物事の捉え方が逆転していたからなのですが、特に性に関することについてはその本質から全くかけ離れた解釈がされていたからです。ですから、それがいかに神聖なものであるのかを理解した上で、行うことが大切です。神聖なものとしての性の行為は、全人類のみならず地球や宇宙、それから時代の進化を請け負う行為でもあるのです。性を通してこの世界はいのちを紡ぎ、時代を紡いでいるのですから。新たな時代を迎える今、性を汚れたものや秘め事として解釈するマインドコントロールから、人々は解放されなければいけないのです。

ですから、あなたが山から受けたメッセージについても、あなたがメッセージの意味を理解するためにここに来たとも感じています。なぜなら、カタカムナは男女の交わりの真の意味を解き明かしているのです。そして、ちょうどわたしたちも今、その中で最も重要なところを解き明かしている段階にいるのです。

今回、性の講座の中でそういった智慧をみなさんに伝えることができます。ただ、これは極めて秘伝なのですから、人の意識が高くなければ、その優れた智慧を興味本位に受け取り正しく活かすことができません。今まで人類はそのような間違いをたくさん犯してきました。ですから、そういった高い意識の状態になったものでなければ、正しく宇宙の法を降ろすための交わりにはならず、宇宙や地球、大陸の代理としての行為にはならないのです。つまり、性に伴う行為はシャーマニズムと同じことなのです。宇宙意識を降ろすための受け皿としての人をつくることが先にあり、それが最も大切なことなのです。

そういったことは講座の中で情報として伝えますが、本来はその経験を持って、高い意識レベルに到達するための積み重ねが必要です。これはとてもハイレベルで重要なことなのですが、同時に危険なものでもあるのです。ある意味、性は今の人類を没落させた原因でもあります。人類は20世紀までの1000年間の霊的な没落の時代を経て、これから2000年から3000年に向かって、霊的な花が咲く時代に移行しているのです。

今、時代は大いなるターニングポイントを迎え、新たなサイクルに入ったのですから、わたしたちもそういったことを伝える準備を始めていますし、だからこそ、そういった智慧を求めてくるあなたのような人がその証として、ここに訪れるのです。

地上的解釈に囚われ、宇宙を生きていることを認識できないような人々にとっては、ここで提供される情報は一体何のことを言っているのか、想像もつかないような話なのです。しかし、わたしたちが生きているということは、明らかに宇宙的・霊的な無限なる連鎖の中に存在しているのです。ですから、人類は目覚めれば、極めて非合理的なこれまでの生き方をたちどころに変容させることができます。そのためには、わたしたち一人ひとりの意識改革がこれから必要とされています。21世紀は一人ひとりの目覚めの世紀なのです。

あなたが少し恥ずかしそうに冗談っぽく言っている話を、もっと堂々と語り、そして明快にその意味を知るべきだと思うのです。

エリちゃん:
そのとおりですね。わたしが完全にオープンであるときには、わたしは自分自身の運命について知っています。

いさどん:
そうですね。だから相手次第であなたは完全にオープンになれるということですね。わたしは30年以上前にこの道を歩み始めたときには、どこを歩いていて、なぜこの道を歩んでいるのか、全くわかりませんでした。しかし、わからない自分に対して、わかることが大事なのではなく、このわからない道を歩んでいくことが大事だと言い聞かせてきました。今は、道がはっきりと観え、明快に歩んでいます。

エリちゃん:
わたしにもそれが必要ですね!

いさどん:
少しずつそうなっていけるといいですね。いずれにしても、意識がどこにあるかによって、出来事は全く別のものに解釈できるのです。ですから、心の位置が変われば、景色は変わって観えてくるものです。時代は完全に価値観を逆転するときを迎えています。時代が切り替え時を迎えているときには、今までの価値観が過去のものとなり、新たな常識が生まれてくるのです。ですから、今までの時代であれば語れなかったことも、これからは堂々と確信を持って示し、それが社会に通用する時が来ているのです。わたしたちの出会いは、今日のこの時間も、宇宙の流れや天の意志であるように明快です。これからもきっとわたしたちは時代の先端の立場を担っていくものとして、連携していくことでしょう。

エリちゃん:
わたしもそう思います!

いさどん:
わたしたちは今地球上にいるので違う言語を話しますが、宇宙意識になれば言語はひとつしかないのです。わたしたちが違う言語を話しても、通訳を通して心が通じ合えるように、わたしたちの奥にある意志を共通にすれば、その目的はひとつなのです。これから人々の意識が上がれば、言語に多くを頼らなくても心が通じるようになるでしょう。

宇宙意識に連動して地球上の役割を果たすものは、意識が高く、これからの時代には重要な存在です。時代が変わろうとしているときには、天は地上にいるものたちに連携を図ることを求めるのです。そして、地上のものもそれを受けて天に意識を向けるのです。それは、地上的な快楽に浸っているものの意識とは全く価値観が異なるものです。その大いなるものにつながる意識のレベルでは、時代を運営するために自らの存在があるのです。そういった広く高い意識を持つためには、地上的エゴや欲望に翻弄されていてはいけません。やはりそこでは自らをしっかりと観て、その役割にふさわしく精神性を磨く必要があるのです。

ですから、宇宙や地球、山と通じると感じるものは、普通の人たちと同じレベルで心が一喜一憂しているようなことではいけないのです。さて、あなたにその自覚を持てるかどうかが問われているのです。

エリちゃん:
はい、その自覚を持てます!これから精神性を高めていくよう努めていきます。今日はどうもありがとうございました!

いさどん:
また時間を持ちましょう。

――

 
面談後のエリちゃんの日記には、「いさどん、ようこ、そして飛躍的に精神性を進歩させるこのような場を創り維持するみなさんのネットワークすべてに感謝します。わたしは進歩し続けることに全力を注ぎます。何という旅でしょう!共に楽しむためのこの宇宙船を見つけたことを嬉しく思います。永遠なる感謝を」と書いてありました。

確実に一人ひとりの心に変化が現れ始めている1ヶ月間の真学校。エリちゃんのみならず、受講生全体から新たな息吹が感じられる今日この頃です。

同じく受講生のたえちゃんとエリちゃん。1ヶ月間の真学校もいよいよ折り返し地点です!
同じく受講生のたえちゃんとエリちゃん。1ヶ月間の真学校もいよいよ折り返し地点です!