健全なる精神に健全なる肉体が宿る

5年前から陰性腎臓病という病気を患い、体質改善のためケア滞在をしているたかちゃん。
今日は、ケアをスタートしてから10日が経ったということで、いさどんと話をする機会を持ちました。

いさどん:
10日が過ぎてみてどうですか?

たかちゃん:
体調は特に変化はないですね。悪くなっている個所はありますが。

いさどん:
どこがですか?

たかちゃん:
膝ですね。膝のつまりや心臓のあたりに痛みがあります。

いさどん:
それは医療的にはどういうことなんですか?

たかちゃん:
西洋医学的にはわからないという世界になってしまいますが、
東洋医学では、腎機能が衰えると心臓や肺、泌尿器の機能が落ちてくるので、
そういう弱っている個所に症状が現れてくると言われています。
自分の体に合わないものを食べたり、化学物質系のものを浴びたりすると、膝がつまってきます。

いさどん:
症状が悪くなったり良くなったりするということは、
良くなったら良くなったでいいばかりとは限らないし、
悪くなったら悪くなったで好転反応ということもあるし、
ちょっと様子を見てみないとわからないですね。気分的にはどうですか?

たかちゃん:
気分的には落ち着いています。
病気というものに捉われたくないので、土いじりを通して前向きに気持ちを持たせてもらっています。

いさどん:
気持ちとしては前向きに出来ているということですね。
10日もいれば、ここでの生活にも大分慣れてきたと思います。

ここにたかちゃんのケア記録があるのですが、「自分の正直を出すのが下手」と書いてあります。
これは、たかちゃんのような陰性の人の特徴です。
この世界は陰陽でバランスが取れているのですが、
陰性が強ければ陰性現象が起きることになっています。
そこで自分をちょっと押してみて、陰性から中庸の方へ持っていくようにすると、
違和感があるかもしれませんが、その違和感を押していくと新しい世界を体験することが出来ます。

僕は人の心のバランスを見るのですが、心のバランスというのは体のバランスでもあります。
「病気」は「気が病む」と書き、「病体」とは書きませんからね。
たかちゃんも自分のペースでいいのですが、
ちょっと自分を押してやるということをやってみたらいいと思います。
沢山負荷をかけるとストレスになりますが、
ちょっとだけ負荷をかければ、そんなにエネルギーを使わないで新しい自分が見えるようになります。

心の病気でここに滞在する人には、「最初の1週間から10日くらいは
とりあえず自分のペースで過ごしてもらったらいいですよ」と言うのですが、
そのあたりからはこちらが課題を提案します。

あなたは心の病気でここに来たわけではないのだから、
自分をちょっと前に押してやる程度で自己表現出来るといいですね。
実はたかちゃんは自己表現がすごく好きなんです。
個人的には沢山話をしているし、色々な考え方を持っています。
ところが、全体の中ではそれを共有しません。

たかちゃん:
色々と考えてしまうもので。。。

いさどん:
そうそう。たかちゃんを客観的に観察すると、そこではバランスを欠いているということです。
つまり、言いやすいところでは沢山話すけれど、
自分が苦手だと思うところでは極端に言わないという癖があります。
たかちゃんは自分のバランスが崩れていることに気づき、
どこでも必要に応じた自分を表現していくということが大切です。

それを「言われたからやる」ということではなく、「自分でやってみよう」となると面白くなります。
やっていくと新しい世界が見えてくるので、「これって結構悪くないな」ということになります。
たかちゃんは、多少意識があるのかもしれませんが、自分の中に違和感を覚えているはずなんです。

たかちゃん:
違和感だらけですよ。

いさどん:
自分の心のアンバランスというものは、知らない間に自律神経などに影響しています。
それが何かの形で内蔵にも影響していきます。
たかちゃんの病気は微妙でわかりにくい病気ですよね。
もし、自分の心の微妙なアンバランスが腎臓病として現れているのだとしたら、
心のトレーニングの結果、面白い答えが出るのかなと思っています。

病気の状態に対して「元気」という気が元通りの状態は、
自然体で、何も負荷がかかっていない無理のない状態のことです。
元気になると、体も自動的に元に戻るようになります。
自動的に自分を歪んでいた方から正常な方へ戻そうとする働きが現れてくるのが、
一番いい解決方法です。

西洋医学だったら物理的にこういうふう、
東洋医学だったらこういうふうと捉えるのだろうけれど、
僕は医学の視点ではなく、体も心の表現と見ます。

たかちゃんのケアがスタートしてから10日程日にちが過ぎたし、
自分でもそういうことを感じているのかなと思い、今日伝えられたらいいと考えていました。
僕があなたの病気に対して思っていたのは、
確かに物理的な病気ではあるけれど、これは精神的なところから作用しているということです。
今の話を聞いて、どう思いますか?

たかちゃん:
精神性からくるということについては、自分ではよくわからないんです。
今まで物理的な症状が大変でしたから。
心のトレーニングをやっていくことによって、
本当に自分の症状が好転するのか未知の世界ですからね。

いさどん:
未知だからこそ、挑戦してみる必要があると思います。
極端な話それが見当違いだったら、やる意味がありません。
たかちゃんは自分の中で決めつけるところがあります。
それが陰性的に決めつけていくと、行動せず確認しないで決めつけていくことになります。

バランスのいい形というのは、「とりあえずやってみないとわからない」ということです。
それが陽性だと「これは絶対!」ということでどんどん進んでいってしまいます。
そうすると、アクセルを踏みすぎてしまい、
違っていたらまたその分戻らないといけなくなってしまうんです。

一番バランスがいいのは、「とりあえずやってみよう、
答えを見てそこで判断すればいいや」という心の持ち方です。
それが気楽というものです。

たかちゃん:
「とりあえずやってみよう」というのは、とりあえず今、何をすればいいんですか?
皆の前で今日話すということですか?

いさどん:
今日話せとは言っていません。
それはこちらが強要することではありません。
受身の側に立って、「じゃあ、何をすればいいんですか?
今日やるということですか?」と決めつける癖が出てきています。

たかちゃん:
皆の前で自己表現していくことによって、症状が緩和されていくということですか?

いさどん:
それは行ってみないとわからないことです。
「なるほど。それは新しい取り組みですね。
でもどうなるかは、行ってみないとわからないですね」と、
答えを求めようとせず、否定もしないという状態で行くのがバランスがいいですね。

答えを見ずにわからないからNOと言う人もいれば、
答えを見ないのに「こうだ」と決めつけて暴走する人もいるように、
自分の癖が未来を決めているわけです。
だから、今僕が話していることを自分自身で確認してもらいたいと思っています。
先に進んでみて、「あの時は言われていることがよくわからなかったけれど、
こういうことだったんだ」と気づけたらいいですね。

音痴な人はいません。
練習すれば皆リズムに乗れるようになると言われています。
それと同じで、あっちへ行く心の癖がある人が、こっちへ行けないということはありません。

たかちゃんは、今はどちらかと言うと話好きだし、
理論的なことも考えるし、色々な考えも持っています。
ただそれを、一部の人にしか出していません。
一部の人に出すということは、出しやすいところに出してしまうから、
ある意味では研鑽していくということが出来ません。
他の人の意見と混ぜ合わせたり、
取り入れることをしないから物別れに終わることもあります。
これは人生のマイナスになります。

受け取る時には受け取り、混ぜ合わせる時には混ぜ合わせ、
自分を主張して認めてもらう時には認めてもらうということが出来るようになると、
これは人生にとってプラスとなります。

そういった微妙な心模様が自分の体の状態となって表われているのだとしたら、
あなたのアンバランスな心の癖が難しい病気として表われている、という見方が出来ます。

たかちゃん:
そういうことをやっていかないと、結局体が治っていかないということですか?

いさどん:
西洋医学でそれを治すことは出来るかもしれません。
例えば鬱だったら脳の分泌物が足りない場合、
それを補うことによって治すことが出来るかもしれません。
でもそれは、あくまで根本から治したわけではないので、その種はまた違う形で出てくるものです。
たかちゃんの場合、その種が今体の病気として出ています。

「エネルギー消費」というのは、一人の人間が消費するエネルギーが10あるとしたら、
マイナスに10表現する人もいれば、プラスに10表現する人もいれば、
プラス5マイナス5で表現する人もいます。

それをなぜ全部マイナスに表現するのか、なぜ全部プラスに表現して暴走するのか、
プラスとマイナスのバランスを取ったらいいのにと思うかもしれません。
でも、それもあまり賢い方法ではなく、
10というエネルギーの消費能力があるとしたら、
必要な時にはマイナスに10出せるし、プラスに必要な時にはそちらに10出せるということが、
最大限にそのエネルギーを活かしていることになります。
それが、自分の癖の持っていき方を理解出来ている人であり、
冷静に自分を捉えられている人ということです。
その人の能力を最大に発揮していくことが出来ます。

しかし、それが出来ない人というのは、自分の癖のままに生きているということになります。
知らない間に癖が出てくる状態で生きているから、
「何だか知らないけれど、また同じところへ来たな」とか、
「また人間関係が同じように行き詰まっているな」ということになります。

それは、自己コントロールが効いていない状態です。
自己コントロールが効かない状態で生きている人のことを
「不器用」と言ったり、「賢くない」ということになります。
自分の癖を上手にコントロールしている人は、「あの人賢いね」と言うことになり、
単に大学で勉強が出来て賢いというのとは違う賢さがそこにはあります。

同じことを同じようにくり返す人はいますよね。
本人にはやっている意識がない状態です。
僕はよく「Mの精神」と言いますが、
自分が苦手だと思う方へ積極的に進んでいくことが大切です。
ただ、積極的にといっても、自分が苦痛になるほど積極的になる必要はありません。
出来る範囲でそこへ向かっていき、
そのうちにその快感がわかると、苦痛な方へ苦痛な方へ自ら進んでいくようになります。
そして新しい自分が見えてきます。

どうですか?これは思ったこともなかった話でしょ。
でも、そういう世界があるんです。
その延長に、この難しい病気に対して何かいい答えが出る、と僕は思っています。

ただ、あなたの中に起きていることだから、誰も治してあげることは出来ません。
たかちゃんは、意外と自負心があるのか、
自分で考えたことは色々とやってみるけれど、人の話はあまり聞きませんね。
耳では聞くけれど、結局自分で考えたことを行動します。
そういうことにも気づけるといいですね。

たかちゃん:
沢山話は聞いているはずですが。

いさどん:
「聞いているはずだ」と言うのだけれど、
自分を活性するような話ではなく、自分と共鳴するような話を好んで聞く傾向があります。
いいですか?そこがポイントです。

今までのたかちゃんの癖として、
自分と共鳴するような人とは好んで会話するし聞くのだけれど、
自分が変化していくような話になると。。。

たかちゃん:
そういうところはありますね。

いさどん:
自分が嫌だなと思う方へ自分を持っていかないと、人間というのは変わっていきません。
結局、自分壊しですから。

今まで自分の思うがままに生きてきて今の状態があるのだから、
それを変えようと思ったら、今までの自分を壊さないといけないのは当たり前のことです。
自分を壊すことに喜びを感じるくらいじゃないと、いい答えは出ません。

たかちゃん:
結論から言うと、僕って我が強いということですよね。

いさどん:
そうですね。だから、自分で自分を磨いていくということです。

たかちゃん:
そうですね。ここは自分磨きにはもってこいの場所ですよね。

いさどん:
健全なる精神に健全なる肉体が宿ります。
たかちゃんは、西洋医学から東洋医学まで今まで色々な健康法をやってきました。
しかし、それで答えが出なかったということは良かったと思います。
もし、そこで答えが出ていたら、あなたは心磨きというところに行き着きませんでした。
その手前で満足して終わっていたかもしれませんが、
その代わり、問題事の種は残っているわけですから、
また違う現象として自分の前に現れることになります。

だから、治療法が有効でないというのはいいことです。
マジックのような話ですが、
「あれがいいんじゃないか、これがいいんじゃないか」と外に答えを求めることをやめ、
内に答えを求めていく時が来たのかなと思います。
ぜひ、何らかの手ごたえを掴んで帰っていってもらいたいですね。
心の手ごたえを掴むと、体調も良くなっていくものです。


素直が一番!PART II

4月4日から、ここでケア滞在をしている17歳のあーちゃん。
友人関係が上手くいかなくなって不登校となり、ただ今高校を休学しています。
ここに来る前は、お昼頃起きてからパソコンゲームをして、
寝るのは夜中の2時という生活を送っていました。
規則正しい生活リズムと、健全で安定した心を
身につけるためにケア滞在をしているあーちゃんの、
初めての大人会議での心の報告を皆さんともシェアしたいと思います。

あーちゃん:
ここに来る前は、お母さんやカウンセラーの先生に
言われたことに反発することが多くありました。
「こうした方がいいよ」と言われ、
「こうした方がいいんだな」と頭ではわかっているんだけど、
「自分の好きにさせて下さい」と思っていました。

ここに来て色々な人の話を聞いたら、
それは自分の勝手だったということが何となく理解出来るようになって、
「人の言うことをまずは素直に受け入れてみよう」と思いました。

そうすると、その時々の中で一番いい方法を皆さんがアドバイスしてくれるから、
物事が本当にスムーズに行って、「ああ、なるほどな」と思いました。
素直になることが大事なんだと思いました。

今日のきくらげの切りこみ作業でも、
私は最初ずっと、膝の上に置いてちまちまやっていました。
そうしたらよしどんに、「こういうふうに置いてやるといいよ」と教えてもらったんだけれど、
自分のやり方で慣れていたから、「本当かな?」と疑っていました。

でも、「素直が大事だと学んだから実行しないと」と思ってやってみたら、
すごく早く出来るようになりました。
その時は、ちょっと恥ずかしかったし、
言いにくかったので言わなかったのですが、
午後の作業もはかどったし、良い勉強になりました。
ありがとうございました。

昨日の午後、少しへこんでいたんですけれど、
みっちゃんが話を聞いてくれました。
言われたことをそのまま「そうだな」と受け入れて、
そこから考えをどんどん広げていくようにして自分の中で決着をつけたら、
心がすーっと軽くなりました。
「受け入れるということはこんなにもプラスになるんだな」と思って、ちょっとびっくりしました。

みっちゃんには、いつも話を聞いてもらってすごく感謝しています。
ありがとうございました。

最近は、すごく早く目が覚めるようになって、
生活リズムもだんだん良いサイクルになってきているので、このまま頑張りたいと思います。

いさどん:
良い感じだね。
初めてお母さんがここに連れてきた時に、
「困っているんです」とお母さんが言う割には、
この人の言う話に筋道が通っていることがあって、
「よく物が見えているから後は実行するだけ」という感じでした。

今日は100点満点の報告をしてくれました。
それをしっかり物にして、卒業してもらいたいと思います。
帰ったらまた元に戻ることがないように、ちゃんと身につけてもらいたいと思います。
良い感じですね。素直が一番!

みっちゃん:
このミーティングで報告することも、すぐにこうやって実行してくれて、
素晴らしいなと思いました。

あいちゃん:
最近、すごく楽しそうでいいなと思いました。
「仕事がはかどる」なんて言葉を聞いて、ただ作業をするだけじゃなく、
そういうことも考えているんだなと思ってびっくりしました。

よしどん:
午前中、ずっと二人で向かい合って作業をしていました。
最初はすごくゆっくりやっているのを見て、
「一生懸命やっているんだろうな」と思い黙っていました。
でも、色々とアドバイスをしたら、最初はすぐにはやらないんだけれど、
その後自分で切り替えて、速くできるようになりました。
意識してやっているんだなと思い、変化が見られて良かったです。
しかも、それがこういう気づきになって嬉しいです。
これからもこの調子で続けて下さいね。


生まれ変わった日

昨夜の大人会議では、ちよこさんの件についていさどんから報告がありました。
今回のブログでは、それを皆さんともシェアしたいと思います。

いさどん:
今朝はいよいよ、ちよこさんが決意したようで荷物をまとめていました。
朝、僕が起きてくるのを待っていたそうですが、
待ち切れず2階へ上がって洗面所にいたところでパジャマ姿の僕に出会いました。
ちよこさんは洗面所の前の板の間に座って、深々と頭を下げ、
「長い間、お世話になりました。ありがとうございました。今日で失礼します」と言いました。
僕は、「あなたの決意ですから、僕はそれに対してどうこう言えませんので、帰っても構いませんよ」と伝えました。

その後、いつものように堂々巡りの話があり、
「帰られるのはいいですが、どうしても確認しておきたいことがあります。
あなたが帰ることに対して娘さんはどういうふうに思っているのでしょうか」と聞きました。
ちよこさんは、「昨日電話した時には、『帰ってきたいのなら帰ってきてもいいよ』と言っています」と答えました。
それを確認しようと、彼女の携帯から娘さんに電話をかけてもらいました。

娘さんと話をしたら、ちよこさんが言っている症状は娘さんと暮らしていた時と全く同じでした。
「あなたは娘さんのところでもここへ来てからも、同じ人をやっていますね。
大変信頼出来ますし、頑なにそのネガティブな姿勢をやり抜くのは大したものです。
どこでも同じ姿勢で一貫性がある!」とほめました(笑)。

ただ、本当にほめられるのは、逆の方向に行く方がほめられることなんです、という話をした後に、
僕もこれ以上彼女にアドバイスをしても仕方がないから、彼女の意志に任せようと思ったんです。

娘さんは電話で、「お母さんが帰ってくるのはいい。
ただ、途中で何かがあるのが心配で、家へ直接帰ってきてもらいたい」と言っていました。
一番印象的だったのは、「もしお母さんを失ったら、その後私が生きていくのは地獄のようだ。
それがどれほど苦しいか」と言っていたことです。
「だから、決してそういうことがないようにお願いします」と僕に言いました。

電話を切ってから、「さあ、どうしようか」と僕は思っていました。
ちよこさんは、「いさどんを困らせて申し訳ない」と言っていました。
僕もこれ以上彼女を強制するわけにいかないし、
私たちのスタンスとしてやる気のない人を預かることは出来ない。

ここでケアをスタートした頃は、「誰でも治したい」という一心で、皆で一生懸命取り組んでいました。
しかし、「良くなりたい」という意志のない人や旬でない人も預かっていたので、
相手も辛かっただろうし、私たちも大変でした。
だからこそ、それからはやる気のある人だけ預かろうということになりました。
そして、本人が希望しない場合はすぐに手放してあげよう、
それがその人の意志を尊重することになると思ってやってきました。

しかし、今回ちよこさんの意志を尊重しても、
自分の中に何となく「それでいいんだろうか?」という想いもありました。
ちよこさんに、「久しぶりに神様に聞いてみたいんだけれど、いい?」と聞いたら、
「お願いします」と言われるので、神様に聞いてみることにしました。
「どうしたらいいでしょうか?」と。

そうしたら、最初は何も答えが出ません。
「答えが出ないということは、いつものように自分で考えろ、ということだ」と思っていたら、おもむろに出てきました。
「間違いを許すな。正しいことを正しいと伝えよ。そして、目には目を、歯には歯を。」

少しの間それを考えわかったのは、彼女は間違いを生きているということです。
この世界に正しいと間違いはないと僕は解釈し、
その人が自分で望む道を歩ませること、
そして自分で気づいて自分で這いあがってくることが大事だと思って今まで接してきました。
これは結構有効だったし、僕も楽でした。
しかしどこかで、言い訳を出来るように接していたということに気づいたのです。

つまり、この世界に正しい、間違いがないとしても、それは広い意味で捉えた時のことで、
今現在の間違いというのはあるんだということです。
人はなぜ苦しみを与えられているのか、なぜ喜びというものを求めているのかといったら、
その目的は学んで成長していくことであるし、正しい道を歩んでいくということです。
人が喜びの方へ歩むことが本来の道だとしたら、
自滅していくものをそれが自分の意志だからといって認めてしまったら、
間違っている道を勧めることになると思ったんです。

そこで、「どうしたらいいんだろう?」と思った時に、「怒れ。怒りをもって伝えよ」と言われたんです。
ただ、僕の中に怒りという感情が湧いてこなかったので、「これはきつく言おう」と思ってこう言いました。

「ちよこさん、今、神様から言葉をいただきました。
僕は、あなたに対してどうしたらいいのかと聞いたのですが、気づきをいただきました。
僕は自分が言い訳の出来る接し方をしていて、それでいいと思っていたのですが、
あなたのおかげでその間違いに気づかせてもらいました。

つまり、間違っているものにそれでいいと言ってはいけない。
間違っているものには間違っていると伝えることが正しい道で、
それをあなたらしくていいと言うのは言い訳だということを今教わりました。
だから、あなたに伝えます。

あなたは間違っている!
あなたが向かおうとしている方向は、あなたにとってもまわりのものにとっても、誰のためにもならない。
それは間違っている!
その間違いを歩むために神様はいらっしゃるのではないし、人は生まれてきているのではない。
間違いは正すためにあるのであって、間違いをそのままやり続けるためにあるのではない。
だから、あなたは間違っている!」ときつく言いました。

僕は繰り返し、「あなたは間違っている!そんなことは許さん!
僕はあなたのいいようにしなさいと言ったけれど、それは間違っていた。
だから、自分の間違いも正せた。
あなたがこの状態で娘さんのところへ行くのは間違っている!
だから、僕は許さん!帰さん!!」と言いました。

そうしたら、ちよこさんの様子が変わって何も言わなくなりました。
今までは、何かを言うと彼女の中から、「でもね」という言葉がすぐに出てきていましたが、
今日は黙ってしまい、静かに聞いていました。

僕がその時にわかったのは、
「ああ、これから『おやじの館』をやる。
自分で命を絶とうとしている人たちと接する。
その時にその人たちの強く深い苦しさと、
『お母さんにもしものことがあったら、私はどれほど苦しいでしょう』と言うちよこさんの娘さんのようなまわりの人たちに接していくのだろう。
それだけの決意を僕も持たないといけないし、
その時に、『いいよ、いいよ』と言っているような今までの姿勢ではいけない。
間違いは間違いとして、間違いを歩むものに怒りをもってでも表わしていかないといけない」と思いました。

ただ、今日は僕の中に怒りの感情があるわけではなく、大事なことを強く伝えました。
1時間半だったか、随分時間をかけてちよこさんとお話しました。

僕は、「あなたには今まで『考えて下さい』と言っていたのですが、あなたには考える必要がない。
間違った方へ行くな。正しい方へ行け。僕に任せなさい。
それを受けてもうちょっと内省しなさい」と言って、ちよこさんの部屋から出てきました。

それから僕は下へ降りていき、他のゲストとお話していたのですが、
ふと庭の方を見たら、なんと、ちよこさんはなかのんと一緒に菊芋の処理をしていました。

僕が、「怒りをもってでもこれを伝えないといけない」と思った時に感じたのは、
彼女は今まで自分のエネルギーが強く、人の言うことを聞いてこなかった。
誰も彼女を叱る人がいなかった。
彼女の心が暴走するのを止めてくれる人がいなかった。
彼女をふと見た時に、「彼女は叱られたいんだ」と感じました。
しかし、叱るというよりも、強い心で導く必要があると感じて、そうしました。

そしてその瞬間、「自分の命を絶とうと本当に行き詰まった人たちには、
その行動が間違いであるということを真剣に伝えることが最も有効なんだ」ということを知りました。
何となくこれからやろうとしていることが見えてきたと感じました。
非常に良い時間でした。

僕はちよこさんを通して、
自分がこれからやろうとしていることが甘かったかということを知り、
これからは真剣勝負だと思いました。
ただ、真剣勝負だからこそ、怒りということよりも、
正しいことを正しいと強く相手に伝えることが大切だと思っています。

「間違いは間違いだ」という強い心をこれから出していく必要があるのだと思い、
今日、自分が生まれ変わったような気がしました。

ようこ:
私もその場にいたのですが、本当にすごい場に居合わせたなと思っています。
木の花に来てから2年半になりますが、
その中で一番、もしかしたら人生の中でも一番心が動かされた瞬間でした。
いさどんを通して神様の想いの深さと、
それを受けたちよこさんの心の変化を目の当たりにした時に、
私にとっても生まれ変わったような節目の日となりました。

木の花のケアにとっても、第1ステージの誰でも受け入れた時代があり、
その後に第2ステージの旬の人を受け入れ、その人の意志を尊重する時代があって、
今日から第3ステージに入ったのだと思っています。
正しいは正しい、間違いは間違いということをしっかり、真剣に伝えていく時代。
本当に今日は節目の日でした。

いさどん:
話が終わってちよこさんの部屋を出た時にようこちゃんを見たら、
赤い眼をしていて眼がうるうるしていました。
このひとがこうなるのは珍しいことでした。

ようこ:
私は泣いていました。愛の深さに感動して。
あんなに自己主張をして止まらなかったちよこさんが黙ってずっと聞いていた姿を見て、
真剣さが特効薬なんだと本当に実感しました。

いさどん:
ちよこさんには突破口がなかった。
「今の状態を逃れられるなら、どうなってもいい。
地獄へ落ちてもいいから死にたい。
薬を飲んで廃人になった方がいい」と言っていましたから。

翌朝、いさどんを見つけたちよこさん。
「いさどんを見ると話かけずにはいられないんです」といつものように話し始めましたが、
今までとはちょっと違う様子です。

いさどん:
今日は、にこにこ笑顔が出ているだけ良かったね。

ちよこさん:
自分が全部悪いと言われた、昨日の言葉が大きかったんです。
本当にショックでしたから。

いさどん:
僕もあなたに出会えて良かったと思っていますが、
ちよこさんにとっても良かったと思うんです。
ちよこさんの中で、取り組むという姿勢を保てていますから。

娘さんは本当に心配していましたよ。
「お母さんが自暴自棄になってもしものことがあったら、私はどんなに辛いんでしょう」と。

ちよこさんのブログを読んでコメントを下さる方も沢山いらっしゃるんですから、
良いふうに活かしていかないといけませんね。

ちよこさん:
ブログのコメントは何度も読んでいます。
特に霊のことで悩んでいる人のコメントは、そこばかり読んでいました。

いさどん:
そうやって、他の人からのコメントでちよこさんに学びや気づきの機会があるように、
あなたのブログを読んで他の人が勇気付けられることもあるんですよ。
人のためにもなれるんです。

しかし、それがダメだったという内容だけのブログだったら、
読んだ人は「やっぱり私と一緒でダメなんだ」ということになりますよね。
少しでもちよこさんの中に回復する兆しがあれば、人に力を与えることが出来るんです。

でも、ちよこさんは今、一生懸命頑張っている状態ですから、
それだけでも人に力を与えることが出来るんですよ。

ちよこさん:
はい、これからもよろしくお願いします。

いさどん:
道は一方通行しかないと考えて下さい。回復の道しかないんですから。


「私って馬の耳に念仏みたいなものやね」

昨日、「もう帰りたいんです」と言っていたケア滞在中のちよこさん。
今朝もいさどんの顔を見るなり、「いさどん、私。。。」と話し始めました。

ちよこさん:
ここにおってもどうにもなりません。

いさどん:
僕が思うのは、「ここにいてもどうにもなりません」と言っても、
行くところは結局娘さんのところになりますよね。
娘さんのところは普通の家庭だから、
いくら親子だといっても、いつもちよこさんのことばかり構っていられないし、
そればっかりやっていたら疲れて変になるかもしれません。

それが出来ないとなったら、ちよこさんは病院に行くしかありませんが、
病院に行くとしたら、閉じ込められた状態になるんですよ。

ちよこさん:
一度入院したことがあるからわかります。

いさどん:
病院ではこんなふうに付き合ってくれる人もいないだろうし、
「とりあえずここにいて下さい。具合が悪ければ薬を飲みましょう」ということです。

そうやって、キャッチボールしながら良くなっていこうということがない場所です。
薬が強くなればなるほどその人の人格は麻痺し、自分を忘れていくことになります。
生きていても自分を表現出来る環境がなければ、むなしい日々の繰り返しになります。

「ここにおってもどうにもなりません」とちよこさんが言うから、
僕は無理強いするつもりはないので、
「ここにいなかったらどうなるんだろう?」ということを今考えました。
ちよこさんのように悪く悪くものを考える癖とは違って、
当たり前にどうなっていくんだろうと考えました。

そうすると、松尾芭蕉の俳人ではないはいじん(廃人)になってしまうからね。
これははいじん違いだよ(笑)。

今、こうやって語りかけているのは、
ちよこさんの中にある正気の部分を引き出そうとしているからです。

ちよこさん:
でももう死にたいんです。

いさどん:
それは最終的には個人の自由ですが、
死んだらどうなるのかということをちよこさんは知っていますよね。
今だって、そういう考え方をしていると、
ネガティブな心が膨れ上がってしまいます。
死ぬとそれがピークの状態が続くことになります。
生きているからそれを改善することも出来ますが、
ピークの状態で死ぬとそれで止まってしまうんです。
それがずっとあり続けることになります。

今、ちよこさんは僕の話を頷きながら聞いていますよね。
それはあなたの中に冷静に聞こうとする部分と混乱している部分があって、
僕は今、ちよこさんの中の冷静に聞こうとしている部分に働きかけているから、
この会話が成り立っているんです。

今の状態が辛いというのはずっと聞いているからわかりますが、
代わってあげることは出来ません。
でも、理解はしています。
だから、そういうのは幻だとも言いません。
「そのままの状態でいいですよ」とも言いません。
そこを何とか越えていくためのお手伝いなら出来ます。

「薬を飲むのをやめなさい」とも言いません。
しかし、薬を飲んでも効かないのなら、
薬から離れて正常な心を引き出す作業をした方が良くなるんだと思います。
薬を飲んだら効くということなら、「それも良かったね」とも思います。
辛いままにしてはいけないから、薬も時には頼る必要があります。

でも、ここに来た時と比べたら大分進歩しましたよ。
色々なことに取り組むようになりました。

ちよこさん:
自分の癖がね。もっと楽観的であればいいのだけれど。

いさどん:
悪いふうに考えてしまうのが病気であるのなら、それは治したいですよね。
それが癖であったら、なおさら取りたいですよね。
僕はちよこさんを見ていると、傾向として二面性があり、
前向きで明るくどんどんアクセルを踏んでいくちよこさんと、
行きすぎてしまって自分を振り返り、
振り返りすぎてしまって進めなくなってしまうちよこさんがいると思っています。
行きすぎてしまうのも、先案じを行きすぎてしまい、
「ダメだ、ダメだ」と自分で決めてしまうちよこさんがいるんです。

出来れば、前者のちよこさんを育てたいです。

ちよこさん:
私もそうなりたいです。

いさどん:
でも、慎重なちよこさんも育てないといけないのですから、バランスですね。

ちょっと気になるのは、ちよこさんは薬を10年近く飲み続けてきたでしょ。
そうすると、薬じゃないとコントロール出来ないことになり、
ちよこさんの頭の中にそういう仕組みが出来てしまうんです。
何でも悪く捉えてしまったり、
「ダメだダメだ」という方向にしか行かない仕組みが頭の中に出来てしまうと、
心の問題を越えて機能障害になっていきます。

そうすると、今僕がこうやって
ちよこさんに語りかけている方法では治らなくなってしまいます。
だから、そこへ行ってしまう前にこうやって言葉かけをして呼び戻し、
ちよこさんのコントロールの中にちよこさんを戻しておきたいと思っています。
機能障害になると、うつ病みたいな段階ではなく、
例えば統合失調症の段階に入ってしまいます。

そうなると、回復するための時間とエネルギーは大変かかります。
今ちよこさんはそうやって「ダメだダメだ」と言いながら、こういう話も聞けていますよね。
それは、ちよこさんがまだ機能障害ではなく、
ちよこさんの心の癖が今の状態をつくっているということです。

今はちよこさんの正常な部分に語りかける作業が出来ると思って、その可能性を見ています。
あとは、ちよこさんの意志です。

ちよこさん:
それが問題ですよね。

いさどん:
ちよこさんの意志は僕の意志ではありませんから、そこはちよこさんにお願いしたい。
ぜひ冷静な部分を前に出して下さい。
でも、「ダメだ」ということに対して、「やりなさい」と強制することはしませんから。

ちよこさん:
早く楽になりたいんです。

いさどん:
その楽になる方法ですが、現状のままでは楽ではありませんよね。
楽になる方法として考えられることは二つあります。
今僕が語りかけていることを受け、コツコツと取り組んでいく。
そこに明るい自分をなるべくイメージして抜け出していくようにする。
その作業をするか、それともちよこさんが口癖のように言う「死にたいんですよ」ということを実行する。

ちよこさん:
でも、私死にたくないんですよ。

いさどん:
そうでしょ?だから、そういう言葉を言わないことが大切なんです。
どんなに辛くても、そういう言葉を言わない。
言葉の力は大きいですよ。

ちよこさん:
言霊ですからね。

いさどん:
わかっているじゃないですか(笑)。
自分の口から発したものが自分の未来を創るんです。
昨日僕が評価したのは、
僕の顔を見て「辛いんです」と言いかけてから、
「あっ」と止めて、「これが私の癖なんですよね」と言ったじゃないですか。

段階ですからね。
想いがあって口に出そうになったら止める。
そうやって自分をコントロールしていく。
それをやり続けると、想うという段階で気づくようになりますから、
そうしたら想いの段階で「こういうふうに想っているな」と気づき、止めることが出来ます。
そうやって、だんだん自分の中でその想いの種を封印していくと、そのうち想わなくなるものです。
想わなくなると種が機能しなくなって消えていきます。

今はそれこそ、種に芽が出て外からもよくわかるくらい育っている状態です。
そのうち実がなって収穫しないといけなくなりますよ。
芽が出て実がなって収穫するという段階になると、
その実が全部また種になって、また伸びて、
どんどん増えていくことになっていきますからね。

だから、自分の中で早く収穫して消化してしまうことが大切です。
「これはこういうことだから、もうやらない」という手法です。
ちよこさんは今まで随分育ててきて、種が大変多くなってきましたからね。

これは、ここにいてもどこにいても同じですよ。
それだったなら、ここにいてそれを回復するトレーニングをするのが賢明ですよね。

ちよこさんに必要なことは、
まず、自分が今どういう状態なのかを冷静に振り返って判断する。
今までどういうふうに生きてきて、今はどういう状態なのか。
そして今自分はどうしたらいいのか。
そういったことを冷静に考え、
自分一人で出来なければ、こうやって人に助けてもらう。
冷静な自分をコツコツと育てていけば、
どうしたらいいのかが自然に見え行動出来るようになり、正常な自分を取り戻していけるのです。
それが自分の中で完全に落ちたら、揺るぎのないものになります。

辛いことはそれを解決するために与えられているのですから、
それが自分に与えられたテーマだとしたら、
それを喜びに変えていくことが人生の目的であり、醍醐味でもあるのです。
ただ「辛い辛い」と生きているのではなく、
山が大きければ大きいほど喜びは大きいものです。
辛いことを喜びに変えていかないと、
それを与えられた本当の意味がわからないということになります。

そして、自分がそれを越え他人に伝えられるようになったら、人のために生きられます。
こういった人を「ブッダ」と呼び、尊い人になります。
だから、ちよこさんも尊い人になれるのです。

今ちよこさんは、自分の問題事を自分の中に閉じ込めてしまい
悩みにしているので、少しも楽にはなりません。
毎日そんな生活をしていたら、地獄を生きているようなものです。
まず健康になるだけでも、自分にとって喜びですよね。
その喜びを人のために活かそう、
自分の喜びを人のために活かせたら、徳積みになるんです。

私たちは、ちよこさんがそうなるためのお手伝いをしているんです。
それは、ちよこさんが健康になって生きるということだけではなく、
僕は世の中を良くしたいからこういったことをしているんです。

それが不可能だとしたら、ちよこさんはここに来ていないでしょう。
病院の隔離病棟へ行って、それこそ入退院をくり返すことになっていたかもしれません。
もっとひどくなると、自分で命を絶つようなことにもなります。
そういうことじゃないから、ここに来ているんですよね。
時間がかかったとしても、あきらめずに信じていけば大丈夫です。
あとは、ちよこさんの心次第です。

先程と比べて落ち着いてきていますよ。
「ダメだダメだ」という心があると落ち着かないのですが、
「そうだ、私は全部わかっているんだよね」という心になれば、落ち着いてくると思います。

ちよこさん:
わかっているんですけれど。。。

いさどん:
だから、またそうなってくる時に、
今度は自分が自分に言葉かけをしてあげるんです。
今は僕が言葉かけをしていますよね。
今度は自分が自分に言葉かけを出来るようになればいいんです。

ちよこさん:
私って、馬の耳に念仏みたいなものやね。

いさどん:
すごい!よくわかっていらっしゃる(笑)。
馬の耳に念仏なんてぴったりです。でも、馬よりましですよ。
こうやってキャッチボールが出来ていますし、ちよこさんは全部わかっているんですから。

ちよこさん:
わかりました。またしばらくやってみます。

いさどん:
「またしばらくやってみます」ということは、
「またしばらくしたらこうなります」ということを言っているようなものです。
そこはもうちょっと進歩して、
「わかりました。取り組みます」というふうになると、一歩先に行けます。

僕もちよこさんと話しているとすごく勉強になります。
人間は多かれ少なかれ、そういう要素を持っています。
ただ、ちよこさんはすごくいい例として、
極端に見せてくれているのだから、ありがたいと思っています(笑)。

ちよこさん:
なんで私はこんなふうに生まれてきたんでしょうね。
私も他の人のようだったらいいなと思うんです。

いさどん:
でも、それはわかりませんよ。
他の人になったら、また別の問題があるものです。
ちよこさんが他の人になるのではなく、
ちよこさんは今自分の人間性をわかっているのだから、
問題のあるところを卒業して、いい部分を伸ばせばいいだけのことです。
他の人を羨むのではなく、ただその作業をすればいいんです。
人はそのために生きているのですから。

問題事が発生すると、
「あっ、行きすぎたんだな」とちょうどいいところを知ることが出来ます。
ちょうどいいところを教えてもらって、人は正しく歩けるんです。
自然でも何でもそうですが、
そうやって自分の一番いい落としどころを探していくのが人生です。

ちよこさんは違うふうに生まれたかったんですよね。
そうしたら、今生まれ変わればいいんです。

ちよこさん:
もう、いつも話が長くなりますね。

いさどん:
毎回毎回同じことを話しているのだから、
そりゃ話は長くなりますし、時間はかかりますよ(笑)。
時間はかかっても、僕はこうやって付き合っています。
話していくと、ちよこさんはだんだん落ち着いてきて、
最後には笑えてくるちよこさんが表われてくると思っています。
いくら笑わそうと思っても、笑えない人もいますから。

ちよこさん:
ごめんなさいね。また繰り返しますけれど。

いさどん:
でも今日は、
「ごめんなさいね、また繰り返しますけれど」と予告しているということは、
何となく自分を既に掴んでいるということです。
以前はちよこさんの中にある混乱が次から次へと出てくる状態でしたが、
自分で客観的に「ああ、私はきっとまたこれを出すだろう」と捉えています。
これは、自分の中から湧いてくる混乱にただ翻弄されているのではなく、
それだけ自分を捉え出したということでいい傾向ですよ。

そうやってちょっとでもいいところを見つけていく。
それって前向きなことですよ。
今日の会話は今までで一番進歩しています。
話が少し前に進みましたから。

ちよこさん:
じゃあ、これで終わらせていただきます。

いさどん:
素晴らしい!
いつもは僕の方から「これで今日の話は終わりです」と言い出すのだけれど、
そちらから話を締めたのは初めてですよ。
今までは、「けど」「けど」と言って、
「私の話に付き合って下さい」と言っていた人が、
自分の方から話を締めたんですから、すごい進歩です。

ちよこさん:
また、よろしくお願いします。

いさどん:
ハハハハッ。わかりました(笑)。こちらこそよろしくお願いします。


「私、もう帰りたいんです」

朝起きてくるなり、
「私もう帰りたいんです」と言うケア滞在中のちよこさん。
早速話を聞くことにしました。

ようこ:
ちよこさんは3月27日からここに来ているから、
今日で10日になるんだね。

いさどん:
まだ10日しか経ってない?
毎日あまりにも沢山のお話をするので、
もう3ヶ月くらい付き合ったような雰囲気がするけれど(笑)。
僕は、多い人で1週間に1回面談するくらいで、
普通は2週間に1回くらいしかお話しないんです。

ちよこさん:
もうここにいても辛いので、兵庫に帰りたいと思っています。

いさどん:
ここで提供することを受け取り、
キャッチボールするということが出来ない時には、
どんなにこちらが改善したらいいと思っても、苦痛になってしまいます。

しかし、どこへ行っても自分の心はついていきますからね。

ちよこさん:
兵庫の娘のところへ戻っても辛いのはわかっているんですけれど。。。

いさどん:
家へ戻っても同じことが起きるとわかっているんですね。

ようこ:
薬を飲んでも飲まなくても辛いのと同じ話ですね。
ここにいてもどこへ行っても辛いと言うのは。

ちよこさん:
霊障のことはもうそんなに気にならなくて、
今は自律神経が思うようにコントロール出来ないんです。
これさえ取れたら。。。

いさどん:
この間までは原因が霊障でした。
そのうちに、自律神経から原因が違うことに変わったりするものです。

ちよこさん:
昨日もいらいらして眠れなくて。
薬を飲んでも効かなくて、寝たり起きたり寝たり起きたりで。
その後また薬を飲んだら2時間くらい眠れて。。。

いさどん:
じゃあ、薬が効いたから良かったですね。
そこで「ああ、良かった。効くようになった」と喜べばいい。
良かったのに、どうしてまた具合が悪くなっているんですか?
以前は薬を飲んでも全然効かなかったのが、
今はまた効くようになって良かったじゃないですか。

一つ言えることは、
どんなことがあってもちよこさんは不満になるということです。
それが心の傾向としてあります。何でも不満。
「おかげさまで、ありがたいです」と感謝する心がありません。

今だって、以前より落ち着いて話が聞けるようになっています。
でもそう言うと、きっとここで、
「いや、それは外から見えるだけで、
中はそうじゃないんです」と言うんでしょう(笑)。
何しろ、「そうですね、そうやって見ると少し気が楽ですね」
という心が生まれてきません。

兵庫に帰るという話も、
ここから自分の娘さんの家へ台風を持っていくようなものです。
そんなことは誰も喜んでくれませんよね。

ちよこさん:
娘が病んでしまうかもしれません。

いさどん:
僕は、その人が「これじゃいけないな」と
そこから抜け出そうとするきっかけを
提供してあげることしか出来ないと思っています。
実際に物理的な病気については、物理的な対処が必要ですが、
物理的な病気の奥にある心の癖も同時に見ていかないといけません。
物理的なことだけで、病気が起きているわけではないのですから。

物理的なことを解決すれば良くなることも中にはあるでしょうが、
ほとんど心の問題が形になって表われているものです。
それをしっかりと見ていき気づきを提供したいと思っていても、
本人がそのことに気づかないといけません。
これは薬ではなかなか取れないものです。

ちよこさん:
他の人にも同じことを言われました。
薬も他人も何とかしてくれない、最終的には自分だけだと。

いさどん:
自分だけだと言いますが、
ここにはこうやって付き合ってくれる人もいるわけです。
しかし、あなたの人生ですから、
最終的には自分がそこを乗り越えていかないといけません。
あなたの人生という旅の上で起きている出来事ですから。
そういったことを何とも思わない人もいますし、
逆にありがたいと思う人もいます。

ちよこさん:
いつも自分中心になってしまって、他が見えないんですよね。
だから、健康なほうに持っていけないんです。

いさどん:
持っていけないというのが今の状態です。
それを「嫌だ嫌だ」というところに
増幅させる心がちよこさんの中にあります。
「今はそういうふうに持っていけない状態なんだな」と思うだけでいいんです。

「薬を飲むのをやめなさい」とか
「~するのをやめなさい」と言われているのではなく、
何でも出来る環境にちよこさんはいるわけですから。
今どういう環境が与えられているのかといったら、
まわりが一切負荷をかけないで、
自分の状態が忠実に外に出る環境にいるわけです。
ということは、自分自身の中を見ている状態です。

それで、「自分はこうだったんだ、
その部分をこう変えればいいんだな」というところに持っていければいいんです。
そういういい環境にいるのですよ。

僕は、薬が効かないのが一番いいことだと思っています。
薬が効くと、自分の中にある種を誤魔化してしまうんです。
その種を見せるために問題事は起きているのですが、
薬を飲んでそれを押さえてしまうと問題事が出ないから、
「薬を飲めばいいんだ」ということになり、いつまでたっても種が取れません。
種があるということにも気づけません。

しかし、薬が効かないというのは、
種をはっきりと見せてもらっている状態なのだから、
後は種を取ればいいという作業になってきます。
種がある限り、薬で抑えようが他のところへ問題事を持っていこうが
辛い状態は起き続けますから。

ちよこさん:
でも本当にいらいらして、一晩中いても立ってもいられないんです。

いさどん:
そういう時はそういうふうに過ごせばいいんですよ。
それを「嫌だ嫌だ」と言うのではなく、
一晩でも二晩でもそういうふうに過ごしていくと、
疲れてきて眠れるようになるんです。
つまり、座ったり立ったりということを一晩中やっているということは、
まだ自分に力があるということです。
それを消費してやると、人間は確実に
「ああ、疲れた」と眠れるようになります。
ちよこさんの場合、そのエネルギーの消費がまだ足らないということです。

ちよこさん:
でも、もう帰りたいんです。

いさどん:
帰るのは一向に構いませんよ。
ただ、話を聞いてみれば、
娘さんがそれで歓迎するとは思えません。
私たちにとってちよこさんは、心に余分な距離がない関係です。
だから、「お母さんがそんな状態では家が大変です」とか
「お母さんだから良くなってほしい」という感情がありません。
私たちはただ忠実にちよこさんの状態を伝えているだけですから、
ここでの私たちの関係はいい距離だと思います。

ところが、血縁の家族の関係だと距離が近いので、
余計にお互いの気を病むんですよ。

ちよこさん:
そうなんです。娘がかわいそうで。

いさどん:
娘がかわいそうと言う割には、
そのおみやげを持って今から家へ帰ろうとしているわけですから、
それは賢明なことではありません。
ちよこさんは、大変なことをわざわざしようとしています。

ちよこさん:
また、いさどんに怒られてしまって。。。

いさどん:
怒っていません(笑)。
一度も怒ったことはありません。
人が怒っていないのに、「また怒られる」と言って
それを知らない人が聞くと、「あそこではいつもそうやって叱るんだ」とか、
「あの人はかわいそうに、怒られているんだ」となるんですよ。
僕が被害妄想になりそう(笑)。

ちよこさんは、「大変だ、大変だ」と
問題事を増幅させているのだから、
冷静に自分を見ていかないといけませんね。

ちよこさん:
それに集中出来たらいいんですけれど。。。

いさどん:
だから、自分で出来ない時には人に委ねればいいんです。
それは、人の言うことを聞くということです。
ちよこさんにはこちらが言うことをはねつける傾向があります。
「あなたは今こういう状態ですから、こういうふうに思いましょう」ということに対して、
「でも私はこうなんです」と反論します。
「そうですね、そう考えればいいんですね」という言葉が出てきません。

ちよこさん:
それが沁みついているんですね。

いさどん:
そうなんです!
今、ちよこさんはいいことを言いましたね。
そこで本当に気づいてもらいたいのは、
ちよこさんは自分がもらっているものを全部はねつけているということです。
この状態だって神様からいただいているんです。
「あなたの中にこういうものがあるよ」ということを忠実に表現してもらっているんですよ。
この世界にあるものに無駄はないわけですから。

「私の中にあるものがこうやって表現されて
、私に気づきを与えてくれているんだ」と気づいたら、
ありがたいという気持ちが湧いてきます。
今のちよこさんにはそういう感謝の心がありません。

ようこ:
「貧乏神も厄病神も神のうち」の話の中でも、
彼らは「ありがとうという言葉が一番嫌いだ」って言っていましたよね。
反対に彼らは「嫌だ嫌だ」という心は大好きだから、
彼らに「私のところに来て下さい」と言っているようなものですよ。

いさどん:
実際に貧乏神も厄病神もこの敷地の中には入ってこられませんが
あなたの心の中に住み着いているものについてはどうすることも出来ません。

ちよこさん:
だから、ラップ音がポンポン鳴るんですね。

いさどん:
ラップ音がポンポン鳴るって言ったって、
まわりの人には何も聞こえていませんよ。
でも、ラップ音がしたって別にいいじゃないですか。
それを「ラップ音がするんですよ」と
すごく辛そうに苦しそうに表現するのがちよこさんの癖です。
耳鳴りは誰でもしているものですが、
慣れているものには気になりません。
珍しい人にとっては耳鳴りを大ごとのように感じるものです。

そういう意味でいったら、当たり前だと思ったら何でもなくなるんです。

ちよこさん:
そうですね。ラップ音の話は余分でしたね。

いさどん:
以前のちよこさんは、
「ラップ音がしてラップ音がしてたまらないんですよ」と僕に訴えていたじゃないですか。
でも今はそれを「ラップ音の件は余分な話でした」と言えるだけ進歩しているんですよ。
それを評価する心がないと、ラップ音がなくなっても、
また次の問題事を探すようになります。

一つ一つどんどん消化していって、卒業していけばいいんです。
それを「嫌だ嫌だ」と自分で抱え込み、
なくなると次の新しいことを探すんです。

僕がちょっと困ったものだなと思ったのは、
「ここではどうにもならないんです。だから、娘のところへ帰ります」と言って、
では娘さんのところで何が起きるのかと考えたら、
その方が恐ろしいことです。
私たちはあなたが病んでいても、
こうやって冗談を言ったり、
「こういう心の持ち方をしたらいいですよ」という話をするだけで、
私たちが病むことはありません。
しかし、あなたが娘さんのところへ行って家族までが病み出したら、
そちらの方が恐い話です。
でも、ちよこさんは平気でそういうことを言うんです。

ちよこさん:
でも、ここにはいづらいんです。

いさどん:
それはあなたがいづらいだけで、
私たちはこういった対応には慣れていますし。
ちよこさんが病んでいるのに私たちも一緒になって病んでいるようなことでは、
とてもこんなことは出来ません(笑)。

確かに、辛そうなちよこさんの顔は、
私たちにとってもあまり良い景色とは思いません。
でも、それはあなたの問題であって、私たちの問題ではありません。
私たちは私たちで毎日「ありがたい」と思って生きていますから。

ところが、ここを離れて娘さんまで病んでしまったら、
それは社会にとっても問題です。
娘さんだって、健康になって帰ってきてほしいはずです。

こうやって客観的に自分を見ていく話をしていれば、
ちよこさんも落ち着いてきますよね。
あなたが一人でいると、ラップ音も復活するわ、
過去生が何だの霊能者が何だのという話になってしまうのですから、
そういう不安な方へ自分を誘導するのではなく、
自分を落ち着かせるように
客観的に自分を見ていく訓練をするべきだと思います。
そうすれば、自立神経も安定してきます。
結局、ちよこさんの外では何も起きていませんから。

ちよこさん:
でも、やっぱり死にたくなるんです。

いさどん:
最後には死んでしまう人もいますが、
そういう人は広い意味で、
自分が死んだらどういうところへ行くのかということを捉えていません。
今の苦痛から逃れたいばかりで、心が狭い状態です。
心が狭い状態の人は生きていても狭い人生を送ることになりますが、
死んでも魂は死にませんので、
狭いところに自分が封印されているようなことになるのです。

生きていればこうやって状態が良かったり悪かったり、
人の話を聞けば少しは楽になったりしますが、
こんなことで死んだらそういうことはなくなりますからね。
それはそれで恐ろしい世界なんですよ。
あなたは今までそういう勉強をしてきて、知っているのだから。

あなたが死んだ先を知っているということはいいことです。
それを知らなかったら、
たちどころに逝ってしまう人もいます。
僕がいくら「それはダメですよ」と止めたところで、
逝っちゃうんです。
それは不幸なことです。
娘さんのところに行く以上に不幸なことです。

もう一つ気づいてほしいことは、
僕もようこちゃんもあなたが楽になるように一生懸命お話しています。
しかし、一番楽にならなければいけないあなたが、
自分を楽にさせないようにしています。
もっと自分を楽にしてあげないといけないのに。

これって結構面白いでしょ(笑)?
すごく愉快な世界です。
「楽になりたい!」と言う人が自分を辛くしていて、
楽な人が自分のことではないのに、
一生懸命その人が楽になるようにしている。
これって面白い景色じゃない?
人間にはこういうところが沢山あって、僕は「変な生き物だな」と思うんです。

ちよこさん:
。。。そうしたら、もう少し頑張ってみます。

いさどん:
何回も言うようだけれど、
頑張るというのは今の状態を押さえつけていく状態です。
頑張ることもいいですが、
ありのままを受け入れていくことが大切です。
ありがたいことに薬は効かないんですから、
今のありのままの自分を受け入れていくしか仕方ありませんよね。

例えばどこかが痛い時に、
痛み止めを飲んだら楽になるかもしれませんが、
痛み止めがない場合や痛み止めが効かない状態なら、
痛みと付き合うしかありません。
それはすごくいいことです。
そのことを味わいなさいということです。
それで人間は成長することが出来ます。
痛み止めがあることにも感謝することが出来ます。

それを自分の中に受け入れた時に、
次のステージに進んでいくことが出来ます。
難しいかもしれませんが、受け入れるということです。
自分の中に種があるのですから、それを認めるということです。

だから、頑張るのではなく、
「先を楽しみにして、もうちょっといようと思います。よろしくお願いします」でいいんですよ。

ちよこさん:
そうですね。よろしくお願いします。

ようこ:
まだ10日しか経っていないんですから。

いさどん:
たった10日ですよ!
僕はさっき、ようこちゃんからそれを聞く前には、
ちよこさんが来てからもう3ヶ月も経っていて、
3ヶ月以上ここにいる人はほとんどいないから、
「いい加減あなたは卒業しないといけませんよ」と言おうと思っていました(笑)。
でもたった10日なんだよね。

これは逆に言えば密度が濃い生活をしているのですから、
1ヶ月もしたら随分変化するんだろうと思っています。
10日でちよこさんのコメントが大分変わってきていますよね。
霊障のことは忘れてきているし、
ラップ音も「あれは仕方がないんです」というところまできています。

始めは、ラップ音と霊障の話ばかりで、
僕に「お祓いして下さい」と言っていました。
お祓いは効かないし、薬は効かない、そして死んだらどうなるか知っている。
これはもう最高ですよ。もう完璧(笑)!

ようこ:
あとは、素直に人のいうことを聞くだけ!

いさどん:
そうそう。そんなところでどう?
ちょっと笑えるようになりましたね。

ちよこさん:
わかりました。やってみます。ありがとうございました。

いさどん&ようこ:
ああ、良かった、良かった!