広がる「読書ゼロ」は日本の危機?~時代はグワァーッと、大きく動きだした!

いさどんブログ、4ヶ月ぶりに復活!!

この4ヶ月間の間、木の花ファミリーでは実に様々な出来ごとがありました。社会を見れば、衆院選での自民圧勝からアメリカとキューバの半世紀ぶりの国交正常化まで、世界各地で様々なうねりが起き始めています。
今日は、衆院選に先立つある日の大人ミーティングでのいさどんの話をご紹介します!
 
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僕が今ここに立っているのは、何か話すべきことがあるわけじゃないんです。ただ、話すべき話の元になる、何か時代の岩盤のような、巨大なエネルギーがうねってるのを感じてます。

僕たちは今、この場所にいるでしょ。そしてこのように僕はしゃべってるでしょ。その僕たちの、今立っているこの大地が、こう、グワァーッと、うねって、動いてる。みんな、感じない?
地球が、今ね、(手で回転の方向を表しながら)こういうふうに回ってるんだよ。向こう側が北で、こういうふうに回転(自転)しながら、こういうふうに進んでる(公転)。
地球がこういうふうに回ってるから、そこにこんなふうに風が吹いてる。頭だけで考えるとわけがわからなくなるけど、感覚的に、グワァーッと、動いてるなあ~~、と感じない?

地球は回る。それは、トキが回るということです。
実は、明日起きる出来事というのは、決まってるんだよね。今日起きる出来事は、昨日の出来事の延長線上にあるでしょう。ということは、昨日の出来事は一昨日の出来事の延長線上にある。そうやってすべてつながってる。だから、明日起きることも、明後日起きることも、僕たちには具体的なことは実際に起きてみてから「ああこういうことか」とわかるんだけど、その流れは既に決まってるのよ。

我々が生きるということは、時代が示している何かの目的に沿って、地球が動いていく。地球が動いていくことは、宇宙が動いてる証しです。その宇宙の動きにふさわしく、出来事が起きていく。
我々は、その動きを感じながら、そこで起きる出来事に立ち会っていく。もしくは、自らの意志で、共に現象を顕していく。それが、生きるということです。
そのようにこの世界の仕組みを捉えれば、時代とか、社会とか、歴史とか、そういったものは、私たちのと同じ、命なんです。

この時代に何が起きているのかを探り、何が大事かを捉えるためには、いつでもその時代にふさわしい事が起きていることを、知らなければいけません。
そこで人間目線でやね、今こういうことが起きてるからこうしよう、と画策したところで、時代(トキ)の流れは変えられない。時代の流れとは宇宙の法であり、それは星々の関係、地球の動きから来てるんです。

土地によって、人間の人柄にも傾向があったりするでしょ。例えば、毎日毎日雪の北陸や東北では、冬になるとうつになる人が多くなったり、自殺率も高い。でもその代わり、耐えることを知ってるよね。それをその人の個性や個人の考え方だと捉えるかもしれないけど、実は土地や気候が、そこに暮らす人に、そういった感情の元を与えてる。
たとえば戦前の人は「鬼畜米英!」って信じて、アメリカやイギリスと戦ってたわけでしょ。もっと昔にはキリスト教を弾圧してたわけでしょ。それが戦後になると、信教の自由が制定されて、それまで国が統制をしてきた反動で、愛国心を忘れて、みんなてんでバラバラに物や金の豊かさを求めるようになったね。宗教もバラバラで、ご利益主義ばかりが広がった。日本ぐらいいろんな宗教があるところはないよ。と同時に、昔から日本ぐらい神様を祀ってるところはない。これも、環境とか風土とか、時代が、人の心をつくってきた。ところが人々は、自分が心をつくってると思ってるんだよ。

今日はNHKのクローズアップ現代で、日本人の半分が本を読まなくなったという特集をやってました。

NHK「クローズアップ現代」より
NHK「クローズアップ現代」より

そこで番組は大学生を集めて、本を1日に2時間読む人と、0.5時間読む人と、まったく読まない人に小論文を書かせて、その内容にどのような傾向があるのかを調査した。そしたら、本を読む人は自分で思考する力が身に付いていて、読まないでネットで情報を集める人は思考力が身に付いてない状態だと。
今はネットで検索すれば、たくさんの情報が簡単に出てくる。本を読まない学生たちは、たくさん並んだ検索結果の中から有効なものとそうでないものを一瞬で判断し、必要な情報だけをさっさと集めていく。ところが、本を読む人は、図書館に行って調べるね。ある特定のことを調べるのに本1冊分の情報が出てくる。するとそこには、必要な情報と不必要な情報が関連して載っているから、全体を読み解く力がついてくると言うんだよ。
本を読まない学生は、情報はたくさん集めるんだけど、結論となる個人の意見の部分は少ない。本を読んでいる学生は、意見の部分が多い。それで番組は、本を読まない学生が増えていることを「これは問題だ」と言っている。

はい、これを問題だと思う人!
(数名が手を上げる。)
じゃあ問題だと思わない人。
(数名が手を上げる。)

僕はね、この番組を見て、おお~、時代が来たな~、と思ったんだよ。
大学はね、これは危機だから、本を読ませなきゃ、と言うんだよ。だけど戦後、この国は本をいっぱい読んで、活字社会になったんだよ。その結果、今の社会の現状があるんだよ。
みんな活字で知識を得て、それで頭ばっかり回してわかったつもりになってやってきて、時代を生きる、流れをいただく、ということを失ってしまったんだよ。

本を読まなくなった今の学生たちは、なぜそうなったのかと言ったら、知識ばかりを優先して人智で回していく社会はもうやめようよ、というメッセンジャーかもしれない。本人たちはその意味に気付いてないかもしれないけどね。
たとえば引きこもりの人たち。引きこもりは一般的には問題だと取られるけど、僕はそういう人たちが現れてきたのを見て、いい時代が来たな~と思うんだよ。なぜかと言ったら、彼らはこの今の社会に馴染めないで、抵抗してるってことだから。

だから本を読まなくなった学生たちも、活字はもう古いよ、というメッセージを発してるのかもしれない。正しいか正しくないか、大事か大事でないかは、ピンポイントで「これ!」と直感でわかればいいんだよ。その方が物事の本質をついてる。
分厚い本を持って来て、全部読んで論文書いてそれがOKなのかと言ったら、それって自分の考えなのかどうか、自分の成長に役立ってるかどうか、わかりゃせんじゃん。考える力が身に付くっていうけど、本当にそれが自分の考えなのかどうかってことなんだよ。結果的に知識に溺れて、深い人間性を失っていくことにもなるんだよ。

僕は30歳の時に天からこういった道をいただくようになって、始めの天からの指示は、「活字は毒である。活字から離れなさい」ということでした。その代りに「千日の行をいたせ」と言われて、3年間毎日瞑想したんだよ。その瞑想が終わったら活字に触れて良し、と言われた。
なぜかと言うとね、活字の奥にあるものを読み解ける者になって、初めて活字に触れてもいい、ということだったんだよ。活字の内容を丸呑みにして活字に溺れる者は、活字が毒になる。酒に溺れる者と同じ。頭ばかりまわって、経験もしてないのにわかったつもりになる。それで本質がわからなくなっていく。

こんなことを大学の先生に言ったら、とんでもない理論やって言われるだろうね。だけど大局からものを観たら、この戦後の活字社会が、今の日本の実態を作ってるんだよ。
その社会に対して、若い人たちが抵抗している現象が現れ始めた。そして、時代が、インターネットやスマホの登場で活字を不要にして、たくさんの情報の中から直感で真実を受け取れる人々の出現を予言している。
そんなふうに捉えたら、この日本人の活字離れという現象からも、希望が湧いてこない?
(数名から「湧いてくる~」の声。)
いや、なんか、無理やり賛成を要求してるわけじゃないのよ。(みんな:笑)

そういうことが、今の時代の人たちにはまだわからない。だから、安倍さんは投票日が近付くにつれて、国民の目の前に人参をぶら下げるどころか、アメをばらまくようになった。票が欲しいだけだから。で、それに釣られる国民がいて、自民党が絶対多数を取ることになるんだよ。そういう国なんだよ、まだ。

昨日、選挙民の意識調査の発表があったんですよ。今、日本の有権者は何を求めてるのか。経済です。
GDPが上がるべきだと思いますか、という質問に対して、80%が上がるべきだと答えてる。
じゃあ、上がるべきではないと答えてる人たちはなぜそう思うのかといったら、GDPが上がるほど所得格差が増えるから、と。ということは、格差が増えなければGDPが上がるのは歓迎だということだね。かくさんが増えるならすけさんはどうするのか、と。(チーン)
どちらの人たちも、経済が豊かさにつながると考えてる。

だけどね、今のままで経済が豊かになると、地球環境はどうなるか。

IPCCの報告より
IPCCの報告より

このままの経済が発展していくと、地球環境がどんどん悪化して、人類にとってものすごく厳しい時代になる、ということは、この選挙で誰も言ってない。
IPCC( 国連の気候変動に関する政府間パネル)は、現在の地球の気候変動に対して今後30年以内に画期的な対策を打たないと、人類は後戻りのできない危機的な状況に陥ると警告してる。その発表はついこの間のことですよ。でも、今回の選挙では、IPCCの提言について何も論じられていない。それは、有権者が未来の地球のことよりも、目の前の経済的豊かさを求めているからです。
2008年のリーマンショックの時に、地球温暖化指数が一時的に下がりました。ところがその後世界中が経済を活性化していく中で、再び地球温暖化指数は上がってきた。人間の経済活動が影響していることは明らかであり、これ以上現在のような経済を活性化することは、さらに地球環境を悪化させることにつながるから止めなさいと警告されているのに、実際は選挙で票を得ようと思ったら経済発展ばかりを謳う政治家と、それを支持する国民がこの国の実態です。

生態系から食料生産まで、世界中で気候変動による影響が起きている
生態系から食料生産まで、世界中で気候変動による影響が起きている

そういった世の中の、奥を観る。日本人の活字離れが進んでいることは、悪いことなのか。
ものごとを「いい!」と言う人と、「悪い!」と言う人がいる。その判断が、どこを向いているのか。狭~く経済だけを見ていたり、知識を駆使してテストに答えを出すような捉え方をしていたら、「天意」が人のあり方に反映しなくなって、人為がこの世界にはびこることになるんだよ。

この間見たテレビ番組では、中国の四川大学で、地震の前に8匹のマウスが全て異常行動を起こし、動物が地震を予知する能力があるということを科学的に示したと言ってました。
今日本には、地震予知を色々な手法でやっている人がいて、東海大学のような日本の大学の研究者の一人と、山梨県にいる独特の方法で地震予知をする(FM電波を受信して、その電波の乱れと周波数を計算して地震を予知している)人が、番組に出てました。この人は個人的に地震観測をしていて、会員さんに地震情報を伝えているそうです。この間の長野県の地震も予測していたし、さらに来年の2月頃に関西でマグニチュード7.8クラスの地震を予測してる。その人は場所と大きさと時期をプラスマイナスで予測していて、今の地震予知ではそのようなことはできないそうですが、その人は独特の方法で、何回か当てている。その番組の中で、四川大学の8匹のマウスが異常行動を起こして動物が地震予知をするということを科学的に立証したというわけです。

そこで、直感で感じたのは、人間は生物の最高傑作といわれていて、動物が持っているもの、例えば、犬は人間の何百倍もの臭覚を持っていると言われているけど、そうした動物が持っていると言われているものを、本来人間は全て持ち合わせているんだ、と。人間は全てにおいて最高のものとして創られた。ところが、今の人間は物理的なところに意識が捉われてしまって、そうしたことを失ってしまった。いわば、本来火事場の馬鹿力のように秘められた力が人間にはあるんだけど、それを忘れてしまった。

我々人間の脳が15%しか働いていないと言うのは、逆に言えば85%は隠れているということでしょう。それがある境地に至れば、それを発揮して使うことができる。人間はその進化をこれからしていく。
それは科学という世界ではなくて、人間の内面の探求です。それには心が関わってくる。人々が自我に汚染されていてはできないことであり、ある意味悟りを開かないとできないことです。

地震予知にしても、例えばその山梨の人から情報をもらって、自分の住む地域に地震が来るかどうかを予測する。そうしたら、その前に逃げるとか、地震保険に入っておくとか、人間的に考えたら色々な対応策が考えられるけど、その人に頼ってそのように対応するんじゃなくて、もしかしてその人のやっている地震予知法も、マウスが異常行動を取る能力も、人間の中に直感として内在するものなんじゃないか。そしてそれを呼び覚ませばいい。
それはできると思う人間にはできるし、できないと思う人間にはできない。その能力に、みんなストッパーをかけているんだよ。

僕は今、ものすごく大きなうねりを感じてます。今までにない、世界的な動きになると。これもある意味、地震予知みたいなものだよね。
どういう意識を持って日頃生きているかで、人間に湧いてくる思考は変わってくる。高くて広い意識を持っていれば、天意が降りてくる。でも、低い意識なら、人為の損得勘定で思考する世界。
大切なのは、そういうことが読み解けること。それには、客観的視点の、さらに奥が読み解けるということが必要なんです。それだけ広い、客観の奥までの世界観を持っているということです。
僕はそういうことをひしひしと感じて、これはすごく大事だと感じてます。ここには心の病気を抱えた人がたくさん来て僕を悩ませたりするけど、これも実は僕を悩ませてるんじゃなくて、時代やな~、と。時代がこういうことを顕してくれてるんです。

トキが刻まれて、地球がゴォーッとまわって、トキを刻んでいく。それが僕の生命を表しています。僕が今何を考えているかによって、明日に、明後日に、未来に何が起きるかが決まってくるんです。
時代が自分より一歩ずつ先に出来事をつくってるとしたら、その歩幅を、自分がどれだけのスケールで捉えているか、ということだよね。せまーい歩幅で捉えていたら、ちょこまかちょこまか歩いてやね、障害物も見えないからそこにぶつかったりしてね。
生きるってことは、そういうことやね。

僕が今、ここに立ってる。これは・・・岩盤だよね。宇宙の精神の、法則の岩盤の上に立ってる。それがグワァーッと、動いてるな~~!と感じるわけ。動いてるな~と感じて、何を考えるかといったら、その動きを見て、その動きに合わせて自分の直感を働かせて、時代を生きていく。

ということは、そこに自分の考えはありません。グワァーッと動いている時代のうねりに対して、ふさわしい心で、その時その時でピピピピピッと受け取りながら、生きていく。
そうしたら、何も考える必要はないよね。過去を思う必要もない。あるものがその都度出てくるだけだから、ただそれを受け取っていく。

これは巨大なエネルギーですよ。
この間、中国が行き詰ってるという話をしたよね。今回の選挙でも、安倍さんの話を聞いていると、この国はもう終末状態ですよ。
今、イスラム国が出てきたでしょ。アメリカはそれを叩こうとしてる。だけど叩こうとすればするほど、アメリカは終末を迎えるよ。だって、イスラム国の誕生は、アメリカがこれまで中東でやって来たことの結果なんだから。その自業自得の結果を潰そうとするのは、自分の垢を学ばないで潰してしまえという発想ですから、そういう姿勢は宇宙の法則の中では必ず行き詰まる。

世界の価値観が、ゴローッと変わる時が、今、来てます。それは、テレビの中のちょっとしたニュースからでも観えます。観る意識のある人には、観えます。
今度の大人サミット(2015年1月10日〜12日開催)では、「客観」のさらに奥にある、「客観背後」がテーマです。そのためのデータはどこにあるのかといったら、もう何でもいい。その日のニュースから持って来てもいい。宇宙原理のネタはどこにでもある。
今、日本では選挙に行かない人が増えてきた。興味を持てないとかね。じゃあ、何でそういうことが起きているのか。表に出てこれが正しいと言われてることや、みんなが心の奥で「何か変だよ」と思っていることの、奥を観る。正しいと言われていることと、間違っているといわれていることを対比させながら、なんでその状態が起きているのか、という背景を観ていったら、その現象や時代の背後が観える。
ちょっと人と話すだけでも、何であなたはそういった考え方をしてるの?それはどんな感情から出てきたの?と探って行ったら、客観背後の世界に行きつくよ。
そういうことを観る目を育てる。そのベースになる心を育てる。それが大事なんです。

いつかこの国を司る人々が訪ねてきて、「私たちは良い国を創ろうとして、今まで一生懸命やってきました。でもどうにも良い国を創ることができません。どうしたらこの国を良い国へと導くことができるのでしょうか」と聞かれたら、僕はこう答える。
「それは、仕組みや手法ではありません。ここに生きる人々の、心を見てください。この心が表現された時、そこは良い国となるでしょう。」

その時のために、我々は今までこの生き方をしてきました。そして、本当にそういう時代が来たと思うんです。この大きなうねりの中で、僕はそれを、ひしひしと感じているんです。
 
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★2015年1月10日(土)〜12日(月/祝)、第8回大人サミットを開催します。
大人サミットとは、年齢、職業、宗教、国籍等ありとあらゆる枠を超えて多種多様な人々が集い、地球の未来を真剣に語り合いながら、次世代の生き方を発信していくネットワークの場です。時代が大きくうねり始めた中での開催となる今回は、はたしてどんな場になるのか。皆さまのご参加をお待ちしています!! → 詳細・お申し込みはこちら

 


集団的自衛権の行使容認を見てみよう

先月、日本政府は、他国への攻撃に自衛隊が反撃する集団的自衛権の行使を認めるために、憲法解釈を変える閣議決定をしました。戦後69年を迎えた今、“平和国家”をうたいながら歩んできた日本のあり方が、大きく転換しようとしています。
この件について、いさどんとメンバー数名、ゲストも参加しての座談会を行いました。

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ともこ:
今日のテーマは、集団的自衛権についてです。
「宇宙視点で見てみよう」のシリーズは去年の5月に始まりましたが、その第1回の時のテーマが「憲法改正を見てみよう」でしたね。

いさどん:
あの時の話が、ここにつながったね。自民党に票を入れるのはいいけど、こういうことが起きますよ、と予言したんだよね。
本来、この集団的自衛権の行使についても、憲法を改正してからやるべきなんだよ。ところが、憲法改正には国民感情からして大きな反対があって、国民投票をしたら明らかに否決される。だから、それをやらずに集団的自衛権を行使できるようにするには、今の憲法の解釈を変えればいいということで、今回のことがあるんだよ。しかし、それは国民感情を無視していることでもあるよね。

ともこ:
「憲法改正を見てみよう」では、政治に無関心な国民がこれによってもっと考えるようになるきっかけになればいい、という話だったね。

いさどん:
Japan holds Perliament Upper House Electionそう、国民が考えるきっかけになるんじゃないかと期待していたんだよ。それでその後の参院選もすごく面白いものになるだろうと思っていたら、国民はアベノミクスのアベじゃなくてアメにつられて、自民党へ圧倒的な議席を与えた。国会で議論をしようにもしなくて済んでしまうほどの環境を、国民があの時に与えてしまったんだよ。
だから今は、予測通りのことが起きてるってことさ。僕がNHKの解説委員か、いやそれこそ玉音放送みたいに国民みんなに「それ見たことか」と言いたいところだけど、残念ながら「木の花ファミリー通信」止まりです(笑)。

ともこ:
大丈夫、ここから広がっていくから(笑)。
確かに今回はそれ見たことかということが起きてるんだけど、未だに国民の関心てあまり高くない気がするんだけど。

いさどん:
違うよ。集団的自衛権を行使するというのがどういうことなのかが、よくわかってないんだよ。そうでしょ?

さかもっちゃん:
全然考えてなかったです。

いさどん:
多くの人がわかってないから、議論も何もないんだよ。

ともこ:
ちなみに「憲法改正を見てみよう」の時の結論は、このまま進んでいって国民が目覚めないようなら、この国はもう北朝鮮にあげちゃった方がいいね、ということでした。

いさどん:
宇宙的視点に立てば、別にオウム真理教が世界を支配して、浅原彰晃が世界の実権を握って、みんなが彼の考えに沿ってそれが最高だと思うようになれば、そこには平和が訪れるわけですよ。
だって、今の現実を見てごらん。人類は地球や他の生命に負荷をかけ続けて、その結果が自分たちに返って来ている。これからもっと大変なことが起きるよ。これは全部自分たちのやったことのツケでしょ。ある意味、物質至上主義の人たちがこの世界を独裁しているわけだよ。
今はいろんな価値観があって対立しているけれど、もしも共産主義が独裁すれば共産主義の平和な世界ができるんだし、資本主義が独裁すれば資本主義の平和ができる。誰か1人優れた王が立って全てを支配すれば、そのもとに平和はできる。そう考えたら、別にキム・ジョンウンが独裁してもいいわけだよ。みんなで「将軍様ー」って言ってればいいんだから。初めからそうだったら全然問題ないのに、対比するから問題が発生してくる。
まあそんな宇宙視点に立った半分悟りみたいな話をしてても始まらないけどね(笑)。

ともこ:
そうです(笑)。

いさどん:
現実にはなかなかそうはいかないから、今の日本の立場を分析して、現状をどうしていったらいいか、ということだよね。
僕は、集団的自衛権については反対でも賛成でもないんだよ。だいたいね、日本人て虫がよすぎるのよ。何かというと、戦争とか武力行使には反対するくせに、そういった力の仕組みに守られて今の自分たちの生活があるということは、全く考えないのよ。

ともこ:
うん。世論調査でも、集団的自衛権の行使について「認める」か「認めない」かの二択だと、「認めない」、つまり反対派の方が多数なのに、そこに「必要最小限は認める」という選択肢が入って三択になると、一気にそこを選ぶ人が増えて容認派の方が多数になるんだよ。

いさどん:
戦争反対ということが日本人には刷り込まれているから、二択にすると「あんなことは二度とあっちゃいけない」と反対するに決まってるんだよ。その割に、個人個人はいがみ合ってるけどね。
国民は自民党を支持しているけれど、その政府の言い分はというと、太平洋戦争は我々にも理があったんだ、としている。欧米の植民地政策からアジアを開放して大東亜共栄圏をつくるんだという、今のEUみたいな構想を持っていたんだよ。ところが構想は立派だったとしても、日本は天皇を軸として他国を植民地支配する独裁国家を考えていた。天皇を軸にといっても、それは天皇陛下には申し訳ない話で、実は軍閥がそういうことを企んでいたんだけどね。
そのナショナリズムの視点からしたら、確かに日本は朝鮮を植民地にしたけれども、それによって不安定な朝鮮国内の状態が安定したとか、逆に朝鮮の側から日本に要請があったとか、戦後には多額の賠償金を復興のために出しているとかいう見方もできる。
だけど僕の面談でもね、例えば夫婦が来て、二人の関係を調整するために僕が仲裁に入ることがあるでしょう。その時に、お互いに相手のことを言われている時にはその通りだと同感するのに、自分のことを言われると同感できない、という人たちがいる。それじゃあうまくいかないよ。自分の主張を通すために話し合うなんて、話し合いじゃない。二人の関係を今後どうしていくのか、という視点に立って、初めて話し合いが始まるんだよ。

そういう意味で言ったら、今の日本では外交にもならないね。もしももっと本音で話し合う場を持って努力すれば、集団的自衛権は不必要になってくるはずだよ。

ともこ:
政府の見解としては、日本の軍事力を高めることで日本に戦争を仕掛けようとする他国の企みをくじく、ということのようです。

いさどん:
そういう考え方の人たちにとっては、それが正当なんだよ。確かに、そういう抑止力的効果もあるんだよ。
でも逆に言えば、備えれば備えるほど、相手も脅威に感じるわけだ。だから相手も軍事力を上げる。そうするとこっちもそれを脅威に感じて、また軍事力を増強する。こんな無駄ってある?
日本の自衛隊の予算は、世界で5本の指に入るよね。これだけのお金を国連にでも入れたら、世界の飢餓が救えるよ。

みんな:
ほんとだよ~。

いさどん:
中国やアメリカあたりの軍事予算なんか使ったら、世界中の人々の生活がもっと向上するよ。
そういうふうにしてみんなが手を結べばいいんだけど、なぜか恐怖のもとに、対抗心をお互いに持って、緊張感の中で抑止し合うことを平和と言ってるんだから、おかしな話だよ。

じゅんぞう:
このケンカって、アメリカが日本に来いよ来いよって言ってるの?それとも日本が積極的にやってるの?

いさどん:
P1050455世界情勢が反映されたものだから、アメリカは日本に圧力をかけてるだろうね。
だけど日本はずるいんだよ。アメリカの傘の下にいて、美味しいところだけ取っていたいっていうのが日本の国民性でもあるし、政治もそうなってる。いい例は、スイスだよ。スイスは永世中立国だよね。だけど自国の軍隊も持っていて、徴兵制もある。それは今の世界情勢から言ったら国家としてはバランスがとれていて、国民は国のことを大事にしているし、国を大事にするということは結束しているということだよ。
日本の憲法9条は戦後にGHQが来て生まれたものでしょ。もしも自分たちの国を本当に大切に思うならば、改めて国民投票をしたらいい。皆でもう一度考えて、集団的自衛権についても、まず国民に問うて、憲法を改正してからやるべきだと思うよ。そうしたら、今回のようにそうは簡単に行かないよ。
ところが、国民はそこがすごく曖昧なんだよ。ただ自分たちの側にとって都合のいいところだけを取り上げて、憲法改正に反対する。もしも今の現状のままアメリカとの同盟関係が崩れたら、日本は国が成り立っていかないだろう。その時に、国民はそれを迎える覚悟ができているのか、ということになる。ある意味、自立のチャンスでもあるけれど、今の日本はとても日和見的で、僕はこういう国民性は嫌いだね。本来の大和民族が持っている調和や世界の規範となる国家の精神というのは、封印されてしまっているよ。

まり姉:
日本国らしい自衛権というのはどういうものなんだろう。

いさどん:
それは国民が決めることだし、国家が決めることだから、僕は何も言えないけれど、僕流に言わせてもらうなら、武器や、戦争に関する全てのものを放棄することだよ。

まり姉:
刀狩りみたいにするってこと?

いさどん:
それは違うよ。刀狩りは、時の権力が強制的に取り上げることでしょ。そうじゃなくて、日本の国が一切の武力を放棄することだよ。戦わない国になる、ということだよ。

ともこ:
それは一人ひとりの意志のもとにあるってことだよね。権力が強制的に武器を取り上げるんじゃ、強制的に国民を戦地へ送り込むのと同じ仕組みになっちゃう。

いさどん:
私たちは永世中立国です、と言って、どこかの国が侵略に来たらどうぞウェルカムと言って、他の国がそれではいけないでしょうとなったらそっちでケンカしてもらえばいい。
まあそんな僕の話を聞いたらダメだよ。それで戦争になって死んだらどうするんだーって言われても、戦わないのだから死ぬことはない。それどころか死んだらもうこんなこと考えなくていいんだから本望じゃないの、ってことになっちゃうから(笑)。

じゅんぞう:
宇宙視点ですね。

いさどん:
生きることに囚われてなきゃ、どうってことないんだよ。
だからね、何で今、こういう状態になってるのかってことなんだよ。21世紀になっても、なぜ未だに軍事力によって平和の均衡が保たれるような状況にあるのかと言ったら、利害の主張し合いと、お互いへの疑心暗鬼があるからでしょ。だから、本当はどうなのか、ということを観ていくことが必要なんだよ。
例えば、習近平さんに、なぜそんなに軍事力が必要なのですか、うちが武力をもつのを止めたらあなたも止めますか、それともうちからアメリカに話をしたらいいですか、と、そんなことを公に対談したらえらいことになっちゃうから、陰で根回しをする。日本人が外国へ行くたびにそういう話をしていったら、少しずつ警戒は取れていくよ。しかし現実には、そういうことをする人がいないんだよ。
軍備なんて、使わなければ古くなるし、それを維持していくだけでもすごいお金がかかる。それを国民生活が豊かになるために使えば、すぐに地上天国ができるよ。

ともこ:
そういう話を聞くと、世の中もだいたいみんな賛成するでしょ。戦争なんてない方がいいし、そのお金をもっと別のことに使った方がいいって。でも現実にはこの世論調査のように、「必要最低限は持っていたい」っていう本音がある。「もしも他の国が攻めてきたらどうしよう」っていう恐怖が心の中に渦巻いてるんだよ。それは、自分の心を相手に投影してるだけなのにね。

いさどん:
それは自分を守る心でしょ。自分を守ってる人間は成長しないよ。自分の考えに囚われてこれが正しいなんて囲っていたら、成長はしない。

なかのん
集団的自衛権に反対している人たちも、実は自分を守る心からそうしていて、結局は賛成派と同じなんだよね。

いさどん:
だから、そこから抜け出て、自分からも抜け出て、客観的な目線でそれがなぜ起きているのかを観て、そこからどうしていったらいいのかを相手と話し合う。
地球は宇宙にあって、生命の世界として十分に豊かに創られてるんだよ。なのに今の世界は貧しいでしょう。例えば今の社会はモノをたくさん持っている人とそうでない人の格差がすごくあるけど、じゃあこれを平均的にしたら豊かなのかというと、そういう世界はあまり豊かじゃないのね。平均的にしちゃうと、それは「一律」という勘違いの平等になる。
本当の豊かさというのは、その人の人間性とか、そのお国柄にふさわしくものや出来事があって、その多様性こそが豊かさなんだよ。だから北極や南極に行けば氷の世界だし、赤道直下へ行ったらバナナが勝手に出来るんだし、それが自然の豊かさでしょう。それを地球を一律平均気温15℃にしましょうなんてことになったら、何も面白くないでしょう。
だから、お互いを認め合って、あなたの特徴を活かしてね、私のところも活かしますから、という話し合いをする地球運営サミットでも立ち上げればいいんだよ。小さいけど、その走りが大人サミットだよ。

まり姉:
個人を活かすのも国を活かすのも同じだね。

いさどん:
本来紛争なんてものは、宇宙視点から観たら地球という星にはいらないものなんだよ。だけど今の地球人には、自分たちが地球人だという認識もない。日本人なんて、日本人だという高い認識もないでしょ。だって愛国心がないもの。大和魂が戦時中に歪められて表現されたけれど、本当の意味での大和魂が復活することは、日本にとっても世界にとっても大切なんだよ。もしかするとそれは、12000年前のカタカムナ的宇宙観から再生されるのかもしれない。
愛国心も、いずれは手放す必要があるね。だって自分の子供がかわいい、自分の家族がかわいいと身内に囚われている人は、その枠を超えられないから、こういった今の世界を創っていくんだよ。

ともこ:
うん。政府は日本国民の安全を守るためとか、平和を守るためとか言うんだけど、日本だけのため?って、聞けば聞くほどしらけちゃう。

いさどん:
そういった身近なものだけを守ろうとする心が、疑心暗鬼を生んで、対立の構造を生むんだよ。

Gaza airstrikes ともこ:
イスラエルとガザの状況と一緒だね。

いさどん:
一緒だよ。

ともこ:
今回のイスラエルの攻撃によるガザの死者は約2000人。その3分の2が民間人だって言われてる。

いさどん:
アメリカはイスラエルのことを絶対に非難しない。なぜかと言ったら、アメリカはイスラエル資本に支配されてるから。ロシアがウクライナに侵攻すると制裁だとか何とかいうのに、イスラエルにはお咎めなしで好き放題にやらせてる。今は、そんな横暴な国の言いなりになってるんだよ、日本は。アメリカさん、あなたは間違ってるよ、と言うだけの気骨がないといけないのに、今はモノカネでつながってるから、そんなことはあり得ない。

db1336c9bd6a1d30ed9cdf018ccbe2acともこ:
イスラエルの言い分としては、ハマスが攻撃してくるから自分たちの安全を守るためにはやむを得ないということ。その根本となる心は集団的自衛権と同じなんだよね。それで本当に解決ができると思ってるのかな。

いさどん:
イスラエルの武力は圧倒的だけど、ハマスは窮鼠猫を噛むという感じで、どうせやられるなら少しでもやっつけてやろうという感じでやり続けるから、被害はどんどん大きくなる。それを無理やり力で収めたところで、憎しみは残るから、またいつか再発する。だから地球運営サミットが必要なんだよ。

ともこ:
それをさらに宇宙視点で観てみると?

いさどん:
まあ今までの話は地上視点と言うか、人間視点だよね。
存分に話していいということなら、まずは軍備完全放棄。そしてそれを世界に宣言する。でもそれも人間視点だよね。

時代から観ていったら、こんなバカなことはもっとガンガンやればいいのよ。つまり、集団的自衛権なんてもので変に抑止して戦争を先送りにしなくても、とことんやって痛い思いをして、こんなことはもうこりごりだよ、となったら、もうやらないよ。だから、人間はまだやり足りないんだよ。

まこっちゃん:
まだ正直が出てない。

いさどん:
出てないよ。性格が悪いのに、まだそれを隠してる。性格が悪いんだから、とことんそれを出して、ぶつけ合って、行くところまで行って「もうやめようよ」となるしか仕方ないよね。これは地球規模人類規模の話ね。
だけどそこで迷惑なのは他の生命だよ。人間のためにあるんじゃないんだから。もう一つ、霊的に言うと「お前たち何をやっているのだ」と天之御中主(アメノミナカヌシ)は言うわね。「私が地に柱を降ろすことですべての生命が周って、その中で役割を果たしてくれるのかと思ったら、人間たちはそれを壊していったい何をやっているのか」と。そう言うと、その上の神さまが、「いや、それもこの世界をおもしろくするために私が仕組んだのだ」と(笑)。それを聞いて天之御中主が「えー!お父さんあなたが仕組んだんですか、私はそれを知らないから深刻になっちゃいましたよー」と言うと「しんこくは3月15日までじゃ」と。(チーン)

結局、何があったっていいんだよ。650光年先のベテルギウスがそろそろ超新星爆発しそうだという話がある。もしそうなったら地球も大変なことになるわけだけど、軸が20度ずれているからまったく影響がないと言われている。しかし、影響があったらおもしろいね。
その時に、うわー死にたくないー、というものたちと、ああいよいよ来たか、じゃあ次のステージに行くか、という覚悟あるものたちとに、分類されるんだよ。うわーとなっているものたちは使いものにならないから、宇宙空間に放っておくね。次のステージはどのようにすればいいですか、じゃあ今度の新天地はアンドロメダでどうだ、となったら、みんなでまた船団を組んで、種を持って、次のステージに行くんだよ。種を持って。そしてまたそこで、新たな命の物語が始まる。そこからまた50億年くらいかければ、新しい地球ができるんじゃないの。だから、何があってもどうってことないのよ。

人間は、常に何かを所有しているからいけないんだよ。宇宙視点で観るとそういうことになるんだよ。
太陽がらせんを描きながら銀河の周りを1周するのに2億2600万年かかるでしょう。らせんの1回転は25800年だから、銀河を1周する間に約8760回転するわけだよ。銀河の冬至が25800年ぶりと言っても、銀河を1周する間の8760回転のうちのたったの1回なんだよ。たいしたことないんだよ。

じゅんぞう:
自分の命に囚われすぎてるから、戦争も起きるってことですよね。

いさどん:
命と言うか、利害のとりこになってるんだよ。

じゅんぞう:
「愛とお米があればいい」からスタートすればいいってことですね。

いさどん:
そうだよ。だからここで語られている精神が世の中に広まれば、集団的自衛権も議論する必要がなくなるんだよ。
いろいろな問題ごとを超えるにはどうしたらいいですかと聞かれるけど、一番身軽に出来ることは天に心を向けること。自分を磨けば天の視点、つまり直感が降りてくる。
もう一つは、世界観を広げること。この世界はこういった仕組みになっていて、太陽も水も空気も大地も全ては一つで循環していて、我々もそれを共有しているバクテリアのような存在だとしたら、バクテリア同士で争うかってことなのよ。
世界観を広げたら確実に自分は超えられる。そうしたら争いはなくなりますよ。そして豊かな社会ができる。たったそれだけのことだよ。

だから、集団的自衛権についての議論なんて何もいらないんだよ。まずは日本の総理大臣が木の花塾を受講することだね。

ともこ:
安倍さんに招待券送ろうか(笑)。

いさどん:
安倍さんもきっとこの話を聞いたら「おっしゃることはその通りです。でも忙しくて参加できません」と言うだろうね。じゃあ何で忙しいのか、ということさ。ダメな方向に忙しくしているからこそ、視点を変える必要があるんだよ。視点を変えれば、こちらの方がはるかに効率的でエネルギー消費も少なくて、平和な世界を創っていくんだよ。国民の健康や平和を守るために、って、政府の回答にも書いてあるじゃない。それが本当にできるんだよ。
だけど安倍さんは、個人だったらそれをできるけど、日本の代表という立場に立ってしまうと国家エゴの代表になってしまうから、それができないんですよ、と、とても殊勝(首相)な顔をして「アイムソーリー(総理)」と言うんだよ。(チーン)

やっぱりこれから日本の代表になるような人は、地球の外に出てものを考えられるような人じゃないといけないね。そうすると、若田光一さんか?(笑)

さかもっちゃん:
話のスケールがでかくて、自分の中に話が入ってきてるのかどうかわからない・・・

いさどん:
そんな自分の思考は抜きにして、全部開放してさ、だーっと入れてやればいいんだよ。あ~なるほどな~、っていうだけでいいんだよ。

さかもっちゃん:
それでいいんだ。そこで考えちゃうんだよね。

いさどん:
それを自分で吟味して吟味して、なんてことをすると、固まってはねのけるようになっちゃうんだよ。
今みたいな話って、ゆるめる話でしょ。ゆるめてゆるめて、シンプルに日頃の自分を観ると、あー自分は締めてたなー、というのがわかるよ。

集団的自衛権の話も、視点をちょっと変えれば全く必要のない話だよ。人は本当に無駄なことをしている。そのエネルギー、いらないでしょ。自分に囚われないで、それってこういうことじゃない?と言われたことに対して「そうだね」と進んでいけたら、今まで無駄に使っていたエネルギーを他のことに使えるんだよ。
もしもみんながそうなったら、世の中はすごく効率がよくなるよ。ストレスもないから無駄なお金も使わなって、地球も喜ぶよ。だから、いかに無駄なことをやっているか、日々自分をチェックしていくことだよ。

天はこう言ってるよ。「十分に、命も、豊かさも与えておる。それを表現するかしないかは、おまえたちの意識の問題だ」と。


人生は自分を知る旅である

今年3月に30歳になったNちゃんは、「30歳になる直前になんだか心がざわざわしてきて、いてもたってもいられなくなって・・・」ということで、いさどんに相談に来ました。3年前に2カ月間ここでケア滞在をし、うつ病を克服したNちゃんですが、今後安定した心で生き生きと毎日を過ごせるように、今回子供2人と一緒に木の花ファミリーに長期滞在をすることを決めました。

そして、長期滞在が始まってから約1ヶ月が経ち、Nちゃんの夫のKくんがファミリーを訪れ、いさどんと話す場がもたれました。今回はその面談の模様をご紹介します。
 
*   *   *   *   *   *   *   *   *   *
 
いさどん:
今回Nちゃんがここに来ている目的について、二人の中で共通の認識はありますか?

Kくん:
どうですかね・・・正直、人に説明する時にどう説明していいのかわからないのです。彼女自身がこれからの人生を生きていくことを見据えた上で、自分をもっと成長させたいというところから、今ここで生活している、と捉えているのですが。

いさどん:
Nちゃんはそのつもりでやっているのですよね?

Nちゃん:
はい。

いさどん:
それについては着々と進んでいますよ。

Kくん:
はい。ただ、僕がこの1ヶ月を過ごしてみて、理屈ではそれを理解しています。彼女がここに来る前に手紙をもらい、そういった内容も書いてあったので、それが必要なのだということは頭では理解しているのですが、実際心の面ではついていっていないのです。仕事は変わっていませんが、家に帰ってきても彼女も子供たちもいませんし、今仕事が結構忙しいということもあって、やらなければいけないことは沢山あるので常にこなしているという感じなのですが、こなしても仕事がどんどん増えている状態です。
そういった状況もあって、自分の中で消化しきれないところもある上に、今回のことがあって、家に帰ってさみしいとか、子供の顔も見られないという気持ちがあります。彼女にとって本当に必要なことだと頭では理解していますが、心がついていっていないので、彼女にどうしてもあたってしまいそうで、彼女がこちらに来てからずっと連絡を取っていませんでした。彼女から電話がかかってきても、わざと出なかったときもありましたし、「なぜこんな想いをしないといけないんだ」と思ってしまったこともあります。

それで、昨日こちらに来て、彼女から「これから外勤をしたい」と言われたときに、「なぜ急にそんなことを言い出すのだろう」と思ったのですが・・・

いさどん:
その話の中身は聞きましたか?

Kくん:
はい、聞きました。聞いたのですが、彼女が「外勤をしたいので車を使いたい」と言ったのです。僕は正直なところ、これ以上今の自分の環境を変えたくない気持ちがあって、休みの日にちょっとゴルフに行くことが今は息抜きになっているのです。でも、彼女が車を使うとなると、ゴルフに行けなくなるので嫌だと伝えたのですが、彼女から「ゴルフを手放せないから車を手放したくないの?」と言われて。彼女としてはそれを言っただけなのですが・・・

いさどん:
ゴルフというのは、車のゴルフじゃなくて、打つゴルフのことだよね(笑)?

Kくん:
そうです(笑)。

いさどん:
車の話が出て、ゴルフが出てきたら、車なのか、ゴルフなのかと思ってね(みんな:笑)。

Kくん:
後から冷静になって考えてみたら、彼女はそれを言っただけで、そこに何もないのかもしれないのですが・・・ここに来る前にお金の話になったときに、これはいくらであれはいくらで、と家計の話になって、彼女が「これだけ大変なんだから、あなたのおこづかいを減らせばいいね」と言ったことがありました。僕からすると、「あなたの都合でここにいるのに、なぜ僕のおこづかいを減らすことになるの?」という感覚があり、今回の車のことに対しても同じような気持ちがあります。

いさどん:
そのあたりがお互いの中でしっかりと落としあえていないということですね。

Kくん:
はい。理屈では、そういう意味では理解・・・もしかしたらこれは理解していると言えないかもしれないですが、表面的には、理論上で文を読んでいるような感じの理解の仕方はしているのですが、心で落とし込めていないので、純粋にそこを応援していこうと思えていないのです。

いさどん:
それはスタート地点ではどうでしたか?

Kくん:
スタートから複雑でした。

いさどん:
複雑というのは、二つの心があったということですか?

Kくん:
そうです。心から純粋に応援しようと思えていないというか・・・

いさどん:
僕はこの話を聞いて良いことだと感じています。それはなぜかというと、今までの状態でNちゃんが何年もいたとしたら、結局あなた方の家族は崩壊するかもしれないからです。

Kくん:
そうですね。

いさどん:
それを長いスタンスで見て、崩壊しないようにする為に長期的な対策を打たないといけないということで、その長期的な対策の中のある一点に今取りかかっているということです。これはある意味、難しい家庭の病気の治療のようなものです。それを健全にしていくための最初の取り組みが今回のことなのです。
それについて、僕は彼女を見ていて順調に進んでいると思っています。それで、順調に進んでいるNちゃんの取り組みと、あなたも同じ家庭を構成している一員としてそれを認識し、家庭を健全にしていく為に同じような気持ちで取り組まないと意味がありません。Nちゃん一人が改善されても、あなたとの関係が悪くなったら、何にもならないわけですから。僕は彼女から、今あなたが孤独な状態だと聞いていたので、「Kくんはもっと頻繁にこちらに来て、心の調整をここでしていくといいね」という提案をしたのです。
今回のことで一番健全になっているのは、子供たちですよ。

Kくん:
そうですね。

いさどん:
あなたが向こうにいて、仕事から帰ってきたときや休みのときに接していたときの子供たちの状態と、ここへ来て1ヶ月経った子供たちを見て、何か違いはありますか?

Kくん:
そうですね、今のほうが健全だと思います。

いさどん:
以前の家庭環境で子供を育てていたときや、ここに来たばかりのときでもそうでしたが、Nちゃんと子供たちはべったりとくっついて切り離せない状態でしたが、今は子供たちがとても自立していて、健全に育っています。
そういった環境をつくって子供たちに与え、子供を健全に育てていくのは親の務めなのです。しかし、実際にはNちゃんが直接育てていたかもしれませんが、あなたは父親としてその環境が提供できていなかったわけです。そういったことも含めて、現状はとても良い成果が現れています。

Nちゃん自身が仕事を始めるというのは、彼女自身が楽をしようということではなく、あなたに経済的に負担をかけていることが良くないので、負担を少しでも減らす為に外勤したいという提案を彼女から受けたのです。そのことに対して僕は何も言っていませんし、まだここに来てから1ヶ月しか経っていませんしね。

Nちゃん:
そこなんですけど、私もよくよく考えてみたら、そこには逃げもあったところがあって・・・

いさどん:
どこからどのように逃げるのですか?

Nちゃん:
キッチンスタッフの中にいることが・・・キッチンの仕事はすごく好きなのですが、ただメンバーに馴染めなくて・・・

いさどん:
それはメンバーに馴染めないのではなく、あなたが馴染まないのではないですか。

Nちゃん:
そうです、私が馴染まなくて・・・

いさどん:
言葉は正しく使わないとダメですよ。

Nちゃん:
自分が馴染もうとしなくて・・・

いさどん:
つまり、自分が馴染もうとしなくて、自分の癖が出て、そこに居づらくなったことに対して、そこから逃げの心で外に働きたいということですね。それで、外で働きたい理由がKくんに負担をかけない為ということにしたということですか?

Nちゃん:
はじめはそう思っていたんです。でも、よくよく考えてみると、私は毎日キッチンにいて、「早く働きに出たいから、早く探そう」と思い始めて・・・

いさどん:
そうしたら、目的はキッチンから逃げ出すことになりますね。

Nちゃん:
そうです。そこで、「なぜ早く働きに出たいと思うのだろう?」と考えたときに、キッチンから出たいという気持ちが出てきたので、昨日振り返っていました。

いさどん:
ところで、キッチンのどこから逃げたいのですか?

Nちゃん:
キッチンの・・・

いさどん:
キッチンスタッフのやじーのことですか?

Nちゃん:
やじーは大好きです(笑)!

いさどん:
でも、ついこの間まで、あなたはやじーのことが嫌だったんですよね。

Nちゃん:
嫌だったんですけど、いさどんに面談してもらって、私の心がおかしかったことがわかりました。

いさどん:
それで、やじーは良くなったということなら、他に何が嫌なのですか?

Nちゃん:
・・・・・・何が嫌なのか・・・

いさどん:
よくわからないのですか?

Nちゃん:
はい、気持ちだけ・・・

いさどん:
それは、自分の心の動きをしっかりと観ていないということです。
たとえば、気分が悪いとか不愉快だと感じたときに、その不愉快を発生させているのは何か、自分は何に反応しているのだろうと対象を観たとします。そうすると、その対象はどのような姿勢なのだろうか、そのことに対して自分はどのような感情を持っているのだろうか、と捉えたときに、自分を正さないといけない場合もあれば、相手を正さないといけない場合もあるのです。それを冷静に見つめて、相手に伝えるべきことは伝え、自分のことは自分で収めていく。それができないときには誰かのサポートを受けて、その判断を正しいところへ落として、不愉快の原因を解消していくことが大切なのです。

そこまで皆やらないかもしれませんが、Kくんがゴルフができなくなるというのも、ゴルフをやりたいのは何かストレスがあるから、ゴルフに行きたくなるのです。心の持ち方が健全であれば、エネルギーは綺麗に使えるし、無駄がないので、能力は沢山発揮できるようになります。

そのときに、Nちゃんは今何の目的でここで生活しているのかが明快でないといけないのです。それを今は練習しているわけですから、やじー以外のキッチンの何が問題なのかと一人一人他のメンバーを挙げていくと、のんちゃんが問題なのか、それともはるちゃんが問題なのか、というわけにはいかないわけです。Nちゃんは今、そういった自らの心の癖に取り組む為にここにいるのですよね。それから、そういったことをやれていないあなたが、子供たちと今までの生活で接していてあのような関係をつくっていたのですから、それは大変なことになっていたのですよ。それも含めてあなたをサポートできないKくんがいて、ああいった家庭ができていたわけですから、Nちゃんの心はなおさら改善されないということです。それを今、家族ごとまとめて修理中なのです。

そういった意味では、今KくんはNちゃんの話を聞いていてわかると思いますが、Nちゃんにはまだ未熟なところはあるとしても、こうやって自分のことを冷静に捉えられるようになってきています。これは過去にはなかったことです。それだけ進歩していたら、あなたはそれを喜ばしく思って、それでこそあなたたちが将来もう一度本来の生活をするときに、そういったベースのもとに子育てにしろ、家庭を築いていくべきだと考えるとしたら、良い方向に進んでいると思うのですが、それではダメですか(笑)?

Kくん:
ダメではないです(笑)。僕は長期的に見ていないというか・・・

いさどん:
そこが、今度はあなた自身の問題でもあるのです。

Kくん:
そうです。それは自分自身の問題です。

いさどん:
そのあなた自身の問題が、結局彼女と気持ちがわかりあえない、彼女の気持ちを理解できないことになって、「なぜ僕が普通に働いて、ちゃんと稼いできて、そして子供もいて家族があって、Nちゃんは一日を主婦として過ごすだけなのに、それができないのだろうか?」という気持ちがあなたの中にあると思います。では、何が問題なのかというと、そこの心の組み立て方が間違っていたら、どのような体制ができていたとしても、うまくいかないのです。だから、そのベースになる心の状態を今、組み立て直しているのですが、このようなことは精神科に行ってもなかなか治らないですよ。

Kくん:
そうですね。たぶん、彼女が以前ケア滞在でお世話になったときのような状況で生きていれば、自分はそんなことを想わないと思います。

いさどん:
彼女がもうちょっと重い状態でいたら、ということですね。

Kくん:
きっとそうだと思います。

いさどん:
ただ、以前の状態でももちろんそうかもしれませんが、彼女自身の状態が以前より良くなっているとしても、今度は子供との関係や他の問題が現れてくるので、全体の状況としては以前より軽いということではないと僕は観ています。それから、話がNちゃんのトラウマだけの問題ではないことにすでになっているものですから、問題としてはほっておけない状態だと思っていました。
しかし、Nちゃんのスタンスが変われば、今のように冷静に自分を見つめようとすることもできるのです。それが、家にいたら、自分を観て振り返ることはなかなかできません。ここのように軸がしっかりとしているところで生活していれば、彼女は自らの問題は自らの問題として捉えることができるようになるわけです。しかし、今彼女が家に帰ったとしても、Kくんがその軸になることは難しいのですから、逆にお互いにそういったものの捉え方を学びながら、力を合わせて話し合っていく場をつくっていくことが大切なのです。

一番簡単なのは、僕がそこに行って、お爺ちゃんとして暮らし出して、「これはこうだぞ、あれはああだぞ」と伝えれば問題ないのですが、そういうわけにはいかないでしょう(みんな:笑)?僕には僕の面白い生活がここにあるのですから(笑)。僕があなたたちのお爺さんとして、逆養子縁組・・・養子ではなく、養爺縁組をするとか、そういったことはどうですか(みんな:爆笑)。

Nちゃん:
大歓迎です(笑)!!

いさどん:
大歓迎はいいけれど(笑)。親が子供を養子縁組することはあっても、父親を養子縁組するようなことがあったら、面白い!「これは法律にありませんので、検討しますのでお待ちください。国のほうへも相談してみます」と言われたりして(笑)・・・やってみましょうか?

Nちゃん:
面白い!

いさどん:
そうやってご意見番がいたらいいんです。Kくんももう少し自分を磨かないといけませんよ。そのときに、あなたがさみしく感じるのもわかりますが、そうであるならば、Nちゃんが今ここに子供を連れて自らの心に取り組んでいて、子供たちもここで心磨きをしているわけですから、「僕も皆においていかれないように、ここへ来て自分も皆に歩調を合わせて学んでいこう」という心になるほうが、長い目で観たら大事だと思うのですが、どうですか?ストレスがたまるからとゴルフへ行っている場合ではない、と僕は思いますが。

Kくん:
そうですね。

いさどん:
だから、もっと頻繁にここに来たらいいですね、という提案をしたのです。ここに来さえすれば、僕がこのような話をして、あなたは「ああそうだ」と思い出すのですが、一人でいたらこのような話を思いつくこともないでしょう。

Kくん:
それは、自分でもそう思います。たぶん、このまま行ったらあまりにも皆と差ができすぎて、一緒に暮らせないだろう、と思っています。自分の程度の低さもすごく認識していて、ゴルフやおこづかいの話をするのも程度が低いと自分でも思うんです。

いさどん:
Nちゃんがそこまでなるかどうかは、彼女の意識の問題ですし、あなたももちろんそうですが、僕が考えているのは、これからの時代の人々はやはり地球規模でものを考えないといけないということです。あなたの家庭が今日一日何をするのか、それが日本中の家庭になって、世界中の家庭になって、それが未来の地球の環境をつくります。これから非常に厳しい時代が訪れますからね。そうすると、一軒一軒のひとりひとりがそれを考えないといけない時代がもう来ているのです。あなたたちはまだ若いので、30年後、40年後も生きていますよね。そのときに、どんなに大変な状況になっているかは、今データとして出ています。その為に、どのような精神で生きるべきなのかです。
僕はあと20年弱で旅立っていく契約になっているのですが、誰の魂も死ぬわけではありません。肉体があろうがなかろうが、地球に関わりながら生きていくのです。僕たちはその地球の未来のことを憂いて今このような生活をしているわけです。あなたたちは30年後、40年後、まだ地球上にいる可能性が高い。そのとき、あなたたちがお年寄りになっているとしても、あなたの子供たちはその厳しい環境の真っ只中にいて、あなたたちはどう家族を守っていくのかと考えると、そのときには家族単位の問題ではすまないことになっているのです。
今、そういった時代が来ているのですが、世の中の人たちはそういったことをあまりにも考えていません。そういった意味では、もっと広い視点で物事を考えたときに、「これが充実した人生なのだ」というこれからの時代にふさわしい生き方があると思うのです。僕はそれを押し付けるわけではありませんが、そういったことを出会った人に伝えながら、そういったことを考えて生きる人は立派な人だと捉えています。今、世の中の景気がどうのこうのと言っていますが、それは結局自らのエゴであったり、企業のエゴであったり、社会のエゴ、そして国家のエゴの結果なのです。それが地球環境を壊し、自分たちにも、それから自分たちの子孫にもたいへんな思いをさせるのですから、これからの人々はそういった広いスタンスでものを考えるべきだと思うのです。
・・・ついつい演説をしてしまった(みんな:笑)。

Kくんも、「そんなことを僕はなかなか考えられないし、難しい」と思ったとしても、仮にそうであるならば、そのような話を聞いて、それから自らの状態を観て、どちらが大切なのかと問われれば、それは一目瞭然だと思います。そうしたら、自分の考えがその程度ならば、もっと優れた考えに馴染んでいこうとするのが、より良い人生を生きる為の賢明な選択だと僕は思います。

Kくん:
わかります。

いさどん:
そこで、「わかるのだけど・・・」と言っているようなことでは女々しいだけのことで、そのうち子供から「お父さん、何をぐちゃぐちゃ言っているの?」と言われてしまいますよ。あの子たちは始めは抵抗しますが、すぐに大切なことを受け取ります。それより、親のNちゃんのほうが、キッチンがどうのこうのと言っていますが(Nちゃん:苦笑)、子供たちはスカッとしてここでの暮らしをエンジョイしていて、もう別人のように生活しています。かえって親のほうが面倒くさいものです。

僕は人の人生を僕の考えに巻き込もうとは思っていません。しかし、伝えないといけないことはある、と思っています。それは、全ての人間に、自らが何者で、そして自分がどう生きるかによってこの世界にどのような役割を果たしているのか、もしくは今の人間の在り方で進んでいったらこの世界にどのような影響を与えていくのかに気づいてもらいたいのです。それは、私があなたに何かをしてほしい、ということではないのです。それはひとりひとりがよく考えていくことなのです。

このように聞いていけば、大切な話だと思いませんか?僕は、Kくんが会社や取引先などでは出会えないような人です。僕は自分のことを歴史的な人物だと思っています。しかし、今の人々はそのことがわからないので、色々と言いますが、先を進みすぎているから人々には理解できないだけのことなのです。

この世界には人々がもっとイキイキとできる生き方があります。さらに、イキイキとした良い生き方が、良い死に方につながって、優れた魂として昇華し、次に役割として地球上に降りて、世の中に優れたものをもたらす道もあります。私たちの存在は生死を超えたものなのです。それが本当の生きる価値なのです。
そういった高い精神のもとに子育てをしたら、人にはその種があるのですから、そういったことを受けて優れた人として育っていきます。子供にもそれぞれに我がありますから抵抗するときはありますが、親が本当に大事を生きていたら、その大事の種が芽生えてくるのです。特に、ここで育った子供たちではなく、外で普通に育ってコンビニなどの食べ物に慣れている子供たちは、あの危険なものがおいしいものになってしまっています。しかし、子供だからこそ、そのことに対してどこかで違和感を感じていて、正しい食べ物と出会ったときにはすぐに正しいものに馴染めるようになっていくのです。逆に、そういったものばかり食べていると、育てにくく扱いにくい子供ができるようになっていきます。

どちらにしても、物事をそのように広く捉えないと、どんなに大切なことをやっていたとしても苦痛になることにもなるのです。Nちゃんは今、大切なことをしているのに、それをきちんとやっていないから、キッチンの作業が苦しくなるのですよ(みんな:笑)。
きちんとやっていないから、キッチンが苦しくなるのです!

Nちゃん:
もう2回目(笑)!

いさどん:
それで、キッチンできっちりやっていないから、外へ出ていって、チキンでも食べたいという心になるのです(笑)。

Nちゃん:
ハッハッハ!上手い(笑)!でも、本当に自分の心を流していました。

いさどん:
僕は毎回伝えていますが、あなたは強いくせに、結局自らをそうやって傷つけてダメにする要素があるのですから、そこは常に気を付けて振り返らないといけません。自分を傷つけて、さらに他人まで傷つけるのですから。

(Kくんに向かって)あなたはこんなふうに上手くNちゃんに伝えられないでしょう?

Kくん:
はい(苦笑)。

Nちゃん:
じゃあ、養爺にしないと(笑)!

いさどん:
養爺縁組という制度があるかどうか、市役所に行って聞いてごらん(笑)。戸籍係に行って、「養爺を迎えたいのですが」と言ったら、「判断ができませんので、裁判所に行ってください」と言われて、裁判所も「事例がありませんので、ちょっと国のほうに聞いてみます。最高裁まで行ってください」と言われるかもしれませんよ(笑)。

Nちゃん:
最高裁(笑)!

いさどん:
そこで、Kくんのもやもやを解消するには、どうしたらいいと思いますか?

Kくん:
どうしたらいいのでしょうね・・・どうしてもこの1ヶ月、ここに足が向かなくて・・・日帰りであればいつでも来られるのですが。

いさどん:
それで、どうしたらいいと思いますか?この間、Kくんが孤独を感じているという話を聞いたので、それはいけないから、一回Kくんを呼んで話をしようとNちゃんに言っていて、今回あなたがこちらに来たので、今話をしているのです。Nちゃんを修理する為の作業にとりかかっている延長として、あなたのことも考えているわけですが、心がほころびているからこちらに持ってきてほころびを直すということではないのです。あなたの自立した心の安定が大切なわけですから、まずは今あなたが心の中にあることを全て出したので、ではこれからどうしたらいいのかを話し合っているのです。

Kくん:
心の中にあるものは全て出しました。

いさどん:
出した結果、次へ向けてどうしたらいいと思いますか?

Kくん:
やるべきことは、もっと頻繁にこちらに通って、そういったことに触れていくことなのかなと思っています・・・

いさどん:
その後、「けど」と言いますか(笑)?

Kくん:
・・・

いさどん:
人間は、「けど」「でも」と言うから、僕は人間が嫌いなのです。人間以外のものは「けど」「でも」と言いません。

Kくん:
感情に振り回されていると思います。

いさどん:
あなたの人生なのですから、いかに曇りなく充実して生きるかという意味では、あなたはあなたで今考える必要があると思うのです。

Kくん:
そうですね。

いさどん:
本当は、僕が考えている方向に人が目覚めていけば、人間は地球に良い貢献ができるのです。それは僕の一番の大事業ですが、そこまでの意識を持たない人に僕は無理強いしませんし、まずは今の自分の人生を良くするところから順番に取り組んでいけばいいのです。そういった意味では、さきほどあなたが「僕はここに頻繁に通うべきですね」と言った後に、何が出てくるのですか?その後に「けど」「でも」が出てくるのか、それとも「そうします」ということなのか、どちらなのですか?

Kくん:
どうでしょうね・・・今はそう思っていますが、感情にコントロールされている気がします(苦笑)。

いさどん:
だから、自分の感情を自分でコントロールできる人と、自らの感情にコントロールされている人がいるのです。やはり、自らをコントロールする人でないと、賢明な人生は生きられません。未来の自分がどんな人であるのか、イメージできますか?

Kくん:
・・・あまりイメージできませんね。

いさどん:
それは、今を生きているということでもありますが、ただ時に流されているだけではダメですね。それは「人生を生きている」ということにはなりません。そして、「生かされている」わけでもないのです。ただ流されているということです。
そういう人も世の中にはいますが、僕は人生の価値を考えると、やはり人は「生きる」べきであり、生きるときにエゴで生きるのではなく、「時代とともに生きる」「時代の役割を果たしながら、大きな充実を得ながら生きていく」ことが大切だと思います。自らの中から湧き出てきた欲求を満たしながら生きていくと、欲求はどんどん膨らんでいきます。その膨らんだ欲求を満たすことが豊かさであり自由だと思って進んでいくと、今のような地球と人間の関係ができるわけです。今のような人間同士の関係ができるわけです。そして、今のような国家と国家の関係ができ、今のような人間と自然界の関係ができるのです。人間がそんなことをやり続けていったら、地球にとって癌ということになるのです。

・・・また、講演してしまった(笑)。

Nちゃん:
パチッパチッパチッ(大拍手)!

いさどん:
これは大切なことです。しかし、この後に「けど」「でも」と言う人がいるから、僕は人間が嫌いなのです。だから、朝起きたときに「また今日も生きないといけない。また分からず屋たちに伝えないといけない」と思うのです。僕のこの悩みがわかりますか?「仕方がない」と思いながら、人間たちに付き合って生きていますが。僕はこういった役割のもとに生まれてきたわけですからね。
そこでNちゃんには、「もっと意識の高い自分でありたい」心がどこかにありますよね?

Nちゃん:
あります。

いさどん:
「いさ爺のような生き方がしたい」と思っていますよね?そのわりにあなたは、自分の足を鎖につないで歩いているようなものです。本来、人間は食べていければいいのです。生きられればいいのです。しかし、貧しくてもいけません。貧しいと、蓄積しようとするのです。だから、心が貧しくてはいけないのです。
生きること、つまり食う・寝る・生きる、そういった生活に不安がない状態になったときに、人は「自分が何者であるのか」を知る旅に専念できるのです。それが優れた人間をつくる始まりになります。ですから、お金に追われていたり、ましてや自らの欲の心にコントロールされているようなことでは、優れた人生は生きられません。今の人間たちの姿勢は、まず地球が喜びませんし、なによりも自らの価値が高まりません。

Kくん、どうしたらあなたはご機嫌に生きていけますか?良く考えてみてください。

Kくん:
はい。

いさどん:
僕から出てきた話であっても、人間として生きることの大切さを考えたときには、あなたがそのことを大事だと思えば、それはあなたの考えになります。しかし、それをどうでもいいと思えば、ゴルフのほうが大事だということになるのです。Nちゃんもそうです。
あなたが本当に自らをバランスの良い人にして、生きていることが本当に社会の為になって誇れるあなたになったときに、子供たちがあなたを見て「そういうふうに生きたい」と思い、あなたの人生は豊かなものになるのです。そのためには自己コントロールが必要です。そこで物事に囚われて、「けど」「でも」と言っていては豊かになりません。しかし、それはそう思ったときに思えることであって、「やっぱり、でも・・・」と言っているようなら、僕は僕の考えを押し付けるつもりはありませんが、あなたの中には確実にそういった真理を求める心があるのです。

(ちょっと英語を話しているような口調で)ミナサン、ドウシマスカ?いずれ僕も外国に行くことになると思うので、今英語の勉強をしているのです。(英語風に)ソレデ、ドウシマスカ、ミナサン(みんな:笑)?コレカラハ言行一致デ、イキテイキマショウネ(みんな:苦笑)?大分英語が上手くなったでしょう?発音はバッチリですね(笑)!

Nちゃん:
私はここでしっかり自分を上げていきたいので、流さないで出しながら、そして皆に見てもらいながら、やっていきたいです。

いさどん:
今、あなたはすごく成果が出ていますよ。1ヶ月で子供たちも大変扱いやすくなりましたし、後はNちゃんとKくんをお互いに扱いやすくするだけですよ!

Nちゃん:
ハッハッハ!

Kくん:
そうですね(笑)。

いさどん:
残っているのは、親のほうなのです。

Kくん:
自分の問題だと思っています。彼女はここにいれば大丈夫だと思いますから。実際、「どうでもいいや」と思う自分もいて、ぐちゃぐちゃなんですよ。

いさどん:
それは自分というものを確立できていないということです。確立できていないのであれば、それをどうでもいいとほっておいたら腐りますよ。しかし、それをどう整理して、優れたものに使えるようにするのかといったら、そこは逃げないで取り組んでいくことです。自分でできなければ、「自分が何を目指しているのか」というもっと先の目標を見て、そこにどう進めばいいのかわからなければ、誰かに仕立ててもらっても、出来上がったときには自らの人格になるのです。それが、自らに囚われがあると、「僕流にやりたい」となって、かえってできないことにもなります。自分に道がない人のほうが、優れたものをパッと自分のほうに引き寄せられるのですから、そのほうがいいのです。だから、方法は何でもいいのです。「何が最終目標であり、何を得るか」をしっかりと見据えていけば、それでいいのです。終わりよければ全て良し、ですよ。

少し話が飛躍するかもしれませんが、Kくんは半導体製造の仕事が忙しいと言っていましたね。それは今の時代には重要な仕事かもしれませんが、それがどんどん浸透していくと、人間の能力を奪っていくことにもなるのです。そういった人工のものが世の中に浸透して便利になればなるほど、本来人間が持っていたコミュニケーション力を奪っていきます。しかし、だからといってそれを否定するのではなく、その優れた能力を人々がコントロールして使い切れる人になったときに、人間の高い能力やテクノロジーは人類や地球の健全化、そして個人の質を高めるためのものになるのです。ですから、テクノロジーに使われるのではなく、それを正しく使いこなせる人間にならないといけません。

そして、それと同じように、自らの心についても同じことが言えるのです。自らの心をしっかりと認識し、その特徴をつかんで、必要なときに必要なように使い分けられる人になったら、それはその人の個性として人生に活かすことができます。しかし、それをせずに、ただ湧き出てくる感情や欲のままに生きていたら、それは癖となって出てくることになって、害ばかり起きるのです。だから、自分を知ることが必要なのです。それで、自らを知って、魂磨きをすることで自己コントロールすることが、これから人間にとって最も大切なことになるのです。

・・・また、演説してしまった(笑)。

Nちゃん:
パチッパチッパチッ(拍手)!

いさどん:
先日、宝くじの話(詳しくは、いさどんブログ『覚悟しております』をお読みください)をしたでしょう?こういった気付きに目覚めることは、宝くじに当たるよりも貴重なことですよ。今世界にこのようなことを考えて、地球のことを想って生活している人々が一体どれだけいるのでしょうか。あなたは今そういった場に出会えました。ましてや、あなたのように自分がそういった生き方をしようとする人は本当に貴重な存在ですよ。出会えたこともそうですが、自分がそこに共鳴し、これからそういった生き方をすることは、本当にありがたいことなのです。それが「価値」というものだと思うのですが、いかがですか?

Nちゃん:
すごいところに出会ったと思っています。一度離れたのに、またここに来ることになったのも御縁をいただいたからだと思っています。

いさどん:
それだけあなたがこの道に縁が深いということです。血縁というのは、法律上切っても切れないものですし、DNA上の情報としても、切っても切れないものです。しかし、さらに広い意味で捉えると、私たちは人類という起源が同じものとして、切っても切れないものなのです。もっと広く言えば、私たちは生命として、大地から切っても切れないものなのです。これは水とも、太陽とも、風とも、空気とも、宇宙とも、切っても切れないものです。みんな同じものなのですから。
だいたい、人間が宇宙で言ったら点にもならないような小さな地球の中でこのように繁栄しているのに、自らそのことが全くわからないこと自体がおかしな話なのです。僕が話していることは当たり前の話ですが、それがわからない人間たちに伝えようと思って今回地球に降りてきたのです。

Nちゃん:
私もここに出会っていなかったら、全く知らないまま人生が終わっていたと思います。

いさどん:
しかし、それは事実なのです。Kくんは、昨日ここに来ましたね。それはこの場所にここがあるからです。しかし、あなたは昨日ここに来たつもりですが、昨日から24時間経った今、昨日のここと今日のこの場所は違うのですよ。すでに170万2080㎞も離れているのです。地球は秒速30㎞で移動しながら太陽と共にいるのですから。それが宇宙の事実です。今、目の前にいるこの場所で手をパチッと合わせると、音が出ましたが、この空間は今は地球上ですが、1時間12分すると宇宙空間に移動してしまうのです。そうやって宇宙は常に移動しているのです。
僕たちがこうやって話しているうちに、太陽がどんどん上に上がっていきますよね。そして、そのうち西へ降りていきます。あれは実際には降りていっているのではなく、地球がマッハ1.3でまわっているのです。こういったことも全て事実なのです。そして、私たちは二度と同じところへ行くことはありません。自分自身ですら、二度と同じ自分には出会えないのです。つまり、二度と同じ時間はなく、二度と同じ自分はいないということです。

そうしたら、自らも常に変わっていかないといけないのです。生命は変わり続けることに意味があるのですから。そして、進化するということは、古い自分をどんどん捨てて、新しい自分になるということです。古い自分に捉えれていることは執着していることであり、執着していたら新しい自分にはなれませんし、そこには進化も成長もありません。成長しないところに、希望は生まれないのです。成長しないから、古いものに執着するのです。そして、執着するから、成長しないのです。それを繰り返しているのです。生きるということは、進化・成長することによって、宇宙の構造を表現しているのです。そうやって、私たちも生きることで宇宙を創っているのです。

・・・また、いさどんワールドを話してしまった(笑)。

Nちゃん:
その話をこの間、面談でしてもらったので、やっぱり今もすでに未来というか・・・

いさどん:
瞬間に未来に行っているのです。ということは、未来は何なのかといったら、どんどん近づいてくるものでもあるし、過去はどんどん離れて行って、あるのは今の連続だけです。しかし、この今は止めることができないのですから、特定できないものです。そういった世界の中にいて、人生という旅を自由自在に楽しんでいくことが本当の姿なのです。

Nちゃん:
私は過去にかなり執着していました(笑)。

いさどん:
良い執着ならいいのですが、恨み・つらみの執着だと人生を楽しめませんね。

Nちゃん:
だから、今はすごく楽になりました。今でも執着が出ることはありますが、それは過去だと捉えられるようになったので、それだけでもすごく楽です!

いさどん:
そこをコントロールできるようになったということですね。あなたたちの家庭でこれまで生産されてきたものは、ここで生産されるものとはあまりにも違うものでした。そして、あなたたちの家が我が家かといったら、実は地球が私たちの共通の我が家なのです。ですから、ここを我が家だと思えば、いつでもあなたたちの家になるのです。さらに、僕は地球が家だとは思っていないのです。僕にとっては宇宙が我が家ですからね(笑)。今はこの小さな器に入ってわからず屋の人間に伝えるのが少し面倒くさくなってきましたが、僕の想念の中にはもっと広い世界はありますし、誰でももっと広い心になれるのです。

Kくん、少しは気持ちのガス抜きにはなりましたか?

Kくん:
そうですね(笑)、もう少しここに通うようにします。自分の心が安定してやれるのが一番ですからね。今はやっぱり自分が安定していなくて、振り回されているので辛いです。

いさどん:
これは何をやっているのか、どんな目標があってやっているのかという客観的なスタンスを持ったら、目の前のことに囚われる必要はないです。それがないと、目の前のことに振り回されて、不必要なことにエネルギーを使うようになります。

Kくん:
仕事でも、今は結構冷静に考えられなくて、仕事場で出すことはないのですが、自分の中で葛藤があります。

いさどん:
それは、そういったことばかりやっていると、そのうち自分が壊れたりしますよ。

Kくん:
壊れますね。

いさどん:
そうすると、場合によっては誰かのせいにしたくなるものですが、それは自分が未熟だからそうなるのです。
「人生は自分を知る旅である。」ですから、そうやって負荷をかけてもらって自らの実態を知りながら、自分で自分の修理をしていくのです。

Kくん:
ここ1ヶ月生活していて、この生活が過ぎると自分が壊れると思いました。

いさどん:
そう、でもありがたいことに、1ヶ月でこうやって自らを振り返って見つめ直し、スタートラインに立てたと思ったらよかったと思いませんか?

Kくん:
そう思います。今までは自分の中にそういった葛藤がなかったのです。わりと安定してやれてこられたと自分では思っていたのですが。

いさどん:
それは良いことですが、もし人生が成長する為にあるとしたら、あなたの場合は低空で安定していたことになります。低空で安定すると、人生の目的は必ず変化・変容・変態することになりますので、その低空安定には負荷がかかるようになっているのです。それは神様の意志であり、この宇宙の法則です。ですから、時が来たということですね。
本当は、この世界の法則に委ねて、自らを法則とともに生かすとしたら、人は本当の充実を得ることができます。そうすると、無駄なエネルギーを使わなくなって、地球も良くなります。ところが、人間がそのことをよくわかっていないので、どんどん地球環境に負荷をかけ、それが人間だけではなく全ての生命に、そして地球自身に影響を与えているのです。それは天に向かって唾を吐いた状態です。それが今の人間の成せる技です。
しかし、それをKくんが1ヶ月かけて少しストレスがたまり負荷がかかりましたが、学び、その意識を超えた新しい高い意識のあなたがいるとしたら、それは全てにとって良かったことなのです。ですから、今、地球がこのような状態でいることも、それを学んで次につなげれば、人類の本来の役割として地球に貢献していけるのですが、人間は学ばなければ単なる地球にとって癌細胞です。あなたの言う、病気になるのと同じことなのです。

これからKくんは、無理のないところでここに通ってきて、Nちゃんの取り組んでいる姿を見たり、子供たちの変わっていく姿を見たり、ここの人たちの生活を見て、自らをそこに沿わせていけば、また安定できると思いますよ。そして、今自分がやるべきことにつなげていくといいでしょう。

(Nちゃんに向かって)きっちんとキッチンで仕事してください。

Nちゃん:
はい(笑)。

いさどん:
一つの選択肢として、Nちゃんは外勤してもいいのですよ。それが逃げではなく、前向きに次のステージに行くということならば、それでもいいのです。しかし、とりあえずキッチンで変な空気を醸し出すようなもやもやしたものがあるのならば、とりあえずそれは解消してから次のステージへ行くほうがいいですね。気持ちが良いからキッチンで作業していてもいい、ということであれば、そこで続ければいいでしょう。そもそもお金というものは、健全なる精神のところに健全なるお金が湧いてくるものなのです。不健全な精神のもとにはその人間が勝ち取らないと、得られないようになっているのです。そして、不健全な精神のもとに無駄なお金を使って、お金はどんどんザルのように減っていくのです。それは貧乏神の仕組みですからね。ところが、健全に生きていくと自然に生きられるように与えられるのです。それが自然ということです。

Nちゃん:
キッチンできっちんとやってから、次へ行きます(笑)。

いさどん:
そうしてください。
Kくんは家にいるような感じでここで過ごして、また明日からのあなたのスタンスに立ってやってみてください。今というものに囚われない生き方がいいですね。流れのままに生きていったら、人にとってそれが本当の自由ですから。

Nちゃん:
最後にひとつ、質問があります。

いさどん:
どうぞ。

Nちゃん:
キッチンで作業をしていて思ったことは、私はかなりその場の雰囲気を壊していることを感じていて、それで「自分は悪魔だ」と思ってしまうのです。

いさどん:
そうやって、また自分を責めているのですね。悪魔というのは、魔法使いみたいなものですから、天使に変身できるんですよ。自らに囚われて、あくまでも悪魔でいたいなら(みんな:苦笑)、それはそれでいいですが、いつでも天使に変身できます。それは裏返しの心ですから、どちらの側を採用するのかというだけです。人間の中にジギルとハイドがあるように、どちらを採用するかだけなのです。
それをコントロールできなくて、場所をわきまえずに悪魔が出てくる状態でいると、統合失調症のようなことになります。自分の中にある精神がコントロールされず、統合されていない状態です。たとえば、不愉快な心が出てきたら、「それはこういう状態ですよ」と自らに言い聞かせてあげられることが、自己コントロールができて、人格が統合されている状態です。Nちゃんの場合、今の状態が進んでいくと、自らの中で心の分裂が起きて統合失調症になります。自らを攻撃する心が自分から切り離されて、語りかけてくるようになってくるのです。

自分が悪魔だと思えば、逆を行けばいいのです。それは両刃の剣で、僕はあなたが敏感で鋭いからこそ、大事なところで使いものにしたいと思っています。僕はNちゃんという包丁をどうやって使っていこうかと考えていますが、あなたにはその自覚がなく、自分で自分を下手に使おうとするのです。ですから、そういうものは「いさどん、使ってください」と(笑)、使い切る人に使ってもらえばいいのです。そして、僕を養爺にすればいいのです(みんな:笑)。

Kくんでは使い切れないでしょう(笑)?

Kくん:
逆に切られます(笑)。

いさどん:
それこそ使おうと思ったら、返り討ちにあってしまうでしょう(みんな:笑)。僕にはそれができますから、良い所に出会いましたね。

Nちゃん:
お願いします!

いさどん:
でも、いずれは自分で自己コントロールできる人にならないといけませんよ。そういった意味では、未来は楽しみです。

「人生は自分を知る旅である。」
そして、学び、成長する為にあるのです。
 
 


目覚めるとは?

いさどんブログ「この世界に、マインドコントロールを受けてない人っているの?」の中に出てくるいさどんと天の会話を、いさどんが次のように解説しました。
 

「こういった世界に誰がしたのですか?・・・あなたですね。」
「わかるか?」と返事が返ってきた。
「わかるか?」「やっとわかった?」という心が降りてきた時に、それは軽いノリで伝えられているけど、「それが目覚めるということなのですね。私はあなたの真意を理解しました。」ということになる。

 

これは、「この複雑な構造を理解させるために、人間の世界に複雑な矛盾を沢山配置したのかがわかるか?」と天が伝えているのです。それはあまりにも複雑なので意地悪をされているみたいですが、よく考えてみると、それは人間が招いたことなのです。つまり、人間にとって自業自得だということです。天は、「あなたの持っているカルマがあなたにその現象を与えたのですから、自らの行動がどんなことをもたらすのかをこの仕組みによってあなたに伝えているのです。それがわかりますか?そのことを理解したら、あなたは自らや他者に優しい世界を生きるでしょう。そして、そういったことを人々に伝えるようになるでしょう。」と伝えているのです。

そういったことがわかるようになると、「それが目覚めるということなのですね。私はあなたの真意をやっと理解しました」ということになるのです。

そこで、「今まで不満を言ってごめんね」と僕がフレンドリーに天に向かって言うと、天からは「いいのですよ。そこから観ているのだからそれは仕方のないことです。しかし、始まりはこういうことだったのです」と返ってくるのです。

世界に問題事が沢山あって大変だと思うと、人は意地悪をされているように思うものです。僕は、人が意地悪をしているとは思いませんでしたが、「この仕組みを創っている天が意地悪をしているのだろうか」と一瞬考えてしまいました。しかし、そこをよく観ていくと、それは自業自得だったことがわかるのです。そして、その仕組みがわかればわかるほど、自らの行いが自らに返ってきていることがわかるのです。

そうやって、「自らの愚かしさがわかること」を「目覚める」と言います。だから、自らを手放す方へ進めばいいのです。

元々、天の意志を外れて我々の存在はありえないのです。ということは、我々は天のマリオネットであり、自ら働くことは我々に与えられていないのに、それが与えられているかのように想ってしまっているのです。

逆に捉えると、神様はそれをゲームのように我々に仕掛けているのです。
「気が付くかな?どうかな?私とあなたは同じものなのに、別々と捉えているのだろうが、そのことにいつ気が付くのだろうか?」

それで、人間があまりにも気付かないと、天もいらだってきます(笑)。それに対して、僕が「あなたは心が狭いですね。逆にゲームを仕掛けたのですよ」と伝えると、「やられてしまいましたな(笑)」と返ってくるのです。

だから、常に自らを自覚しながら、天と共に歩むことが続いているのです。
 
 


この世界に、マインドコントロールを受けてない人っているの?

農と性について語った「天然の意識で生きる」、それを受けて語った「コノハナ人としての新たな時代の生き方」を大人ミーティングでシェアした翌日の、いさどんとともこの会話です。
木の花ファミリーはマインドコントロールされている、という人がいますが、はてさて、それではマインドコントロールとは、いったい何なのか?!
 
*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *
 
いさどん:
毎日こうやって同じような話を、みんなが似たような価値観の中で語り続けていくと、これはマインドコントロールということになるのかね?

ともこ:
そうだね、マインドコントロールと言ってもいいよね(笑)。

いさどん:
これだけ価値観を共有しようとする場所にいたらね。

db6f65c6ともこ:
マインドコントロールって何だろうね?

いさどん:
たとえば、毎日安倍総理の話が出てきて、「経済を活性させましょう!」と言われ続けたら、それもある意味マインドコントロールだよ。

ともこ:
でも、かかるマインドコントロールとかからないマインドコントロールがあるよ。私は毎日安倍総理の話を聞いても、たぶんそのマインドコントロールにはかからない。

いさどん:
それは興味がそこに行かないからだね。だから、マインドコントロールは何かと考えていくと、確かに今ここがやっていることは完璧なマインドコントロールをしようとしていることにもなる。しかし、そこに強制しようとかマインドコントロールしようという意図は働いていない。

ともこ:
働いていないね。

いさどん:
結果として、これは強烈なマインドコントロールになるとは思うけど、たとえばここで語られていることに興味がない人がいるとする。それで、ここで毎日その話を聞いていると、「やっぱりそうだよ!」と考えるようになるのだろうか?

ともこ:
そうなるかな・・・?

いさどん:
たとえば障害者支援センターの紹介でここに来たAちゃんや長期滞在者のBちゃんのような人は、ここの生き方に共鳴しているわけではないよね。では、あの人たちの中にそういった感情が強くなっていくのだろうか?

ともこ:
感情というのはわからないけど、生活様式というか、人のために動くというふうにはなっていってるよね。

いさどん:
たとえば、木の花に対するバッシングの中には「土日の休みもなく働かされる」と書いてあったけど、誰が働かせているのか?ここにはそういった人はいないでしょ。例えば、食べることを休むことはないのだし、生きることも休むことはない。それは生活するということで、毎日あり続けることだよ。そしてここでは、働くことも生活をしているだけなのだから、毎日あり続けて当然のことじゃない?

ともこ:
うん。別に休みがほしいって感覚はないね。疲れたらその時には休むんだし。

いさどん:
でも、生活することが働くこと、という考え方が定着していない今の社会では、生活の中で休むことと働くことが別になっている。それはひどいマインドコントロールだよ。人間以外どころか、人間自身も生活すること自体を絶対休まないのにね。
我々は、生活することと働くことを区別していない。しかし、一般社会では生活することと働くことを別にしている。働くことは仕事だと考えているけれど、本来働くことは生活することなんだよ。

そこで、視点を広く持って、人間と地球の関係について話すと、「そのような生活に関係のないことを言ってマインドコントロールする!」というようなニュアンスの反応があるを感じるのだけど、今の地球の現状を考えたら、国を挙げてそういったことを考えないといけない時が来ているんだよ。それを実践して生活していることに対して、マインドコントロールだと言われるんだよ。

ともこ:
「宇宙なんておかしなことを言ってマインドコントロールして!」ということだよね(笑)。

いさどん:
宇宙の話は、事実だからね。昔、人間が空を観て考えていた想像とは違って、今はNASAのデータに基づいて考えているわけだから、事実なわけだよ。

ともこ:
事実だよ。だいたい、マインドコントロールを受けていない人は世の中にいないよね?

いさどん:
マインドコントロールがない世界はない、ということだよ。そうすると、さっきともちゃんが「私は安倍総理の話を聞いてもそこに興味が湧かない」と言ったけれど、そこに興味が湧く者が集まって、その意識をお互いに刺激し合いながら維持している世界はマインドコントロールの世界だよ。

今の人間は変だよ!人間社会のやってきたことに限界が来ているのだから、そこで新しい扉を開けないといけない時に、いつまでたっても開けようとしない。それは、何か強烈なマインドコントロールがあって取れない状態だよ。
逆に、そのマインドコントロールを解こうとすることを、我々はやっている。今の医療にしろ、経済システムにしろ、教育にしろ、福祉にしろ、どれを取っても本当に矛盾だらけでしょ。

ともこ:
性もそうだよね。

いさどん:
そう。それを「あそこはマインドコントロールしているのだ!」と言われてもね。
僕はどう考えても、実体としては、マインドコントロールをしていると思うんだよ。しかし、そのマインドコントロールは、ものの捉え方を変えて、新たな視点を持っていこう、そして単なるマインドコントロールという心の状態だけではなく、それを生活まで反映させよう、という“超マインドコントロール”をしていて、それは別のマインドコントロールを解こうとする目的の元にやっているわけだよ。

ともこ:
それは視点を広くするマインドコントロールだよね。今、自分のことだけを考えて生きている人たちが、もっと自分の思考範囲を広くするマインドコントロールだと思う。

いさな(0歳)
いさな(0歳)

いさどん:
(いさなに向かって)素晴らしい子!
なんて傑作な子なの!

いさな:
わあ!

ともこ:
いさなは傑作で生まれてきて、毎日こういう話を聞いて育つんだね。

いさどん:
そう、毎日与えられる環境がその人の人柄を引き出してくる。色々な人柄がその人の中には内在されていて、魂の約束としてどういった人格として生きていくのかを人間は設定してきている。だから、人格の可能性は全てあって、その設定にふさわしい環境を与えられるところに降りてきているんだよ。
だから、この人は毎日、この宇宙的な話や視点を広げる客観性とか、今まで人類が持っていなかった領域のことばかりを聞いて育っているんだよ。

ともこ:
それが日常会話だものね。

いさどん:
いきなり朝からそれでスタートするのだから(笑)。それで、まわりには血縁を超えた人々の暮らしがある。

ともこ:
そう考えると、マインドコントロールって何だろうね?いさなは自らその環境を選んで生まれてきているでしょ?

p1130331いさどん:
例えば、マインドコントロールについて書かれた本を見ると、マインドコントロールは悪いものだと書かれているものが多いと思わない?しかし、マインドコントロールは日常の中に当たり前にあって、「この世界は全てマインドコントロールですよ」という意図で書かれているものはない気がするんだよ。
マインドコントロールというと悪いことであり、オウム真理教の「オウム」と聞いただけで悪いことにしてしまっている。しかし、「オウム」とは本来、宇宙根源の響きのことだよ。

いさな:
イェイイェイ!

いさどん:
なぜ、今日このような話をしたのかというと、ここ何日かのことを想い返してみて、僕はみんなをマインドコントロールしてきたと思うんだよ。あるテーマに向かって、毎日色々な投げかけをしながら深堀をしているでしょ。
昨日読まれた文章を聞いている時に、なぜあのような長い文章になるのかと思っていた。一通り体系づけて話していくと、ああなってしまうんだよ。あれをみんなに聞いてもらって、みんなからもフィードバックをもらいながら、一段落ずつ深めていく必要があると思う。最初は感覚的に受け取ればいい。しかし、感覚的に受け取って「そうだ」と信じる心が出来た後に、一段落ずつ分析していくと、全体像に対してひとつひとつの部品に魂が入っていって、それが機能するようになる。
それをやらないとその投げかけが生きないと思ったときに、それはすごいマインドコントロールだと思った。しかし、それは絶対にやるべきことだと思った。今の社会のマインドコントロールが進んでいったら、今の世の中を観て「変だ」と感じないようになってしまう。ここでやっているのは、社会にマインドコントロールされている者をそれから解き放って、次の時代に必要なマインドコントロールをしているんだよ。

昔、マインドコントロールの最たるものは統一教会だと騒がれていて、そのマインドコントロールを解くのにキリスト教の牧師さんがそれを引き受けてやっていたんだよ。それで、その牧師さんが何を伝えたのかといったら、「普通の生活に戻りなさい。当たり前の生活をしなさい」と伝えていた。その牧師さんは自分たちの正統とするキリスト教の神様を信じ込ませたいわけだよ。それっておかしいでしょ?

ともこ:
ここのことをマインドコントロールだと言う人は、マインドコントロールは自分で考えることをなくさせてしまう、というイメージを持っていて、それでここをマインドコントロールだと批判するんだよね。

いさどん:
ここでは「自分で考えなさい」と伝えているんだけどね。

ともこ:
そうなんだよ!楽して答えをもらおうと思っても、絶対に教えてもらえないよ(笑)。でも同時に、昨日の天然農法の話にもあったように、「自分」というものの考えがあると天とつながれないわけでしょ。

いさどん:
そうだよね、「自分で考えなさい」と伝えながら、「自分を捨てなさい」と伝えている。それを外から見て、「人に考えなくさせるからこれはマインドコントロールだ」と言う人もいるんだけど、自我が勝ってしまったら天然の意志が感じられなくなってしまうのだから、自我を打ち払って天に耳を傾けなさいという話なんだよ。
マインドコントロールについて考えていくと、何がなんだかわからなくなるね(笑)。

ともこ:
わけがわからなくなるね!

いさどん:
人間はおかしな生き物だよ。だいたい、マインドコントロールという言葉を気楽に使っていること自体、おかしいね。

ともこ:
おかしいよ。ここがマインドコントロールをしているとして、その行為の元になっている心がどういうものかということは全く考えられてないし、その結果がどうなっているのかも全く観られていない。

いさどん:
部分的に区切って、「あそこは特別な考えを押し付けている」と捉えているけど、その物語を全て紐解いて観ているのかといったら、観ていないんだよ。

ともこ:
ここをマインドコントロールだと批判する人たちは、これをやり続けた先にどういう世界ができるのかを予測しているのかな?たとえば、いさどんの言いなりの世界ができるとか。

いさどん:
それは素晴らしい世界だよ!

ともこ:
そうなんだけど、それをネガティブに予測しているのかな?

いさどん:
だから、僕の言いなりの奴隷のような世界ができると思っているんだよ。

ともこ:
やっぱり、観察が足りないね。実際には、そうではないからね。

いさどん:
そう。あまりにも一方的に、それもネガティブで感情的な捉え方で結論を安易に出している状態だからね。

ともこ:
結局、マインドコントロールってよくわからないね。

いさどん:
わからないのに、安易に確信を持ってその言葉を使っている。

ともこ:
確信を持っているね。

いさどん:
それは、とてもあいまいな状態で確信を持っている。ものを観察したり特定するときに、前もって結論を決めてしまってからものを見ているので、そのような状態になるんだよ。

ともこ:
自分の結論に合わせてものを見ているんだよね。

いさどん:
だから、それはものを観ていないことになる。

ともこ:
それは自分の中にあるものを観ているんだね。ものを観るときに不安や恐怖から来る決めつけがベースになっているよね。

いさどん:
そう。マインドコントロールを分析していったら、そこらじゅうがマインドコントロールだらけであって、そうすると、それをマインドコントロールと呼んでいいのかという話だよ。情報をもらって認識していくこと自体が、マインドコントロールだからね。

ともこ:
カタカムナのうたいの奏上も、マインドコントロールに観えるんだろうね。

いさどん:
あれは、マインドコントロールを解いていくためにあるんだよ。結局、現象界に現れたものは全てギャップからできているから、マインドコントロールされていると言える。そこに自らという特定ができて、対象を計っていくわけだ。
その位置が変われば価値観も変わるのに、そのこと自体も現象界のギャップだから、自らを特定して何かを観たらその特定のマインドコントロールにかかる。そういった特定が沢山あって、そのネットワークがこの世界の多様性だということすら、全てマインドコントロールなわけだよ。ギャップによって現象界ができているのだから、現象界は全てマインドコントロールだということだよ。

それを全てなしにして、ギャップが起きる前の状態に戻していくことをやっているのがカタカムナ奏上なのだから、それは究極のマインドコントロールを解く作業をしているんだよ。しかし、その世界に安易に出会ったら、「これはマインドコントロールだ!」とアレルギー的に反応する人もいるだろう。それは実際にその本質を観ていない状態だよ。

ともこ:
よっぽど自分で考えていたいんだろうね。自分の考えをなしにすることが、人間にはできない。

いさどん:
それを恐怖に感じる人間が、自分がなくなることを恐れて何かの情報を得ることを「植えつけられる」とネガティブに捉えたときに、「マインドコントロールされているんじゃないか?」という発想に膨らんでいく。情報をどんどん取り入れて自らを拡大していくことによって自分自身の特定をなくしていくことは、マインドコントロールから自らを外していく作業なのに、それをマインドコントロールされていると感じるんだよ。だから、全く正反対の受け取り方になってしまう。

ともこ:
やっぱり観察がないね。そうやって自分で考えようとして創ってきたのが今の社会でしょ。問題だらけの結果が現実に現れてきているのに、まだ自分の考えでやれると思っているんだよね。

いさどん:
宇宙を人間にとって都合の良いように運営できると考えているんだよ。我々は宇宙から生み出されたものだから、宇宙に従ってこそ、本来の姿になる。なんだか、馬鹿馬鹿しくなってきたね。人間と付き合っていて時々嫌になるのはそこなんだよ。当たり前に考えて当たり前のことを言っているだけの話なのに、そんな当たり前の事が特別になってしまっている世界だね。

ともこ:
そうだね。宇宙の話も当たり前なのに。

いさどん:
僕からしたら、宇宙の話でも何でも、道理に沿った当たり前の話だよ。それなのに、変わった人ということになる。

ともこ:
宇宙の話をしていると非現実的な変わった人で、電子マネーとか株とか経済のバーチャルな話をしていることの方がリアルな現実なんだよ。

いさどん:
そう。電子マネーどころか、お金に追われて毎日生活している人がいる。この間も福祉施設のコンサルタントという人が来ていたけど、なにしろ頭の中はお金のことだけで、福祉業界でいかにお金を稼ぐかということばかり考えている。彼を観て、「あなたは頭が狂っている」と僕は思うけれど、世の中にはそういったことが常識の人が沢山いるんだよ。

ともこ:
すごいマインドコントロールだね。

いさどん:
そう。ひどい話で、僕は話を聞いていて嫌になった。お年寄りが老いていく福祉の世界すら、そういった金儲けのネタとしか考えていない。それなのに、それが正常ということになっているんだよ。

ともこ:
そこに本人は疑問を持たないんだね。見事なマインドコントロールなのにね。

いさどん:
たとえば、人が鬱病になったり引きこもったりすることも全て、思いこみの中から生まれてくる。だから、それを解き放ってやれば病気はすぐ治る。ただその思い込みが強いから病気の状態にいるだけだよ。
それを解明して、病気の状態から解放するメカニズムはここに既にできている。だから、それに乗るか乗らないかであって、それに乗るということは病気から解放されるマインドコントロールだということだ。

ともこ:
そう。病気もマインドコントロールだね。自分にマインドコントロールをかけている。

いさどん:
そうだよ。それと、お酒がないと生きて行けない状態もマインドコントロールだよ。生活習慣病もそうだけど、当たり前に毎日その常識から離れられないのがマインドコントロールということになる。だから、そこから解き放ってやれば健全になる。それはどこに解き放つのかと言うと、宇宙の法則、自然界の循環の法則に解き放つと、人間の体は自然の生態系の法則と同じになって循環して健全になっていく。
しかし、自然自体が歪んでいるということが最近になってわかってきた。自然はこの世界の美しい調和の歪みによるネットワークで成り立っているんだよ。

人は、自分が現在持っているものを否定されるのが嫌なんだよ。それは、自分に執着しているから。
僕は一つだけ気になることがある。それは、一昨日、農と性の話があって、昨日それをもう一度深めた時に、農の話についてこうちゃんがコメントをした。その時に、もともとの有機農業や自然農法の癖が出ていて、肥料をやって採ろうとする考えが残っているわけだよ。岡田茂吉(自然農法の創始者)は肥料を入れることは毒であると言っている。特に、畜糞とか人間の糞のような堆肥は毒であると言っている。しかし、そんなことを言っても現実には作物ができないから、自然農法をしてきた人たちは、肥料を使い続けて科学しながら解明してきたのだけれど、画期的な答えはまだ出せていない。

そこから、我々は今、これがなぜ限界に来ているのかを気付き出して、天然農法へと段階的に移行している。ということは、やはり毒を使ってからそれを正常にする、ということをしていてはいけないんだよ。毒は始めから使わないで正常化する作業をしないと、手間がかかるからね。
昨日のミーティングでこうちゃんは、かぼちゃの出来が悪いという話を出した。堆肥を入れて窒素を補給したのに、結果として窒素欠乏の症状が出ている。だから僕は、それは自然農法がやってきたことそのものだと伝えたんだよ。それは、人間が分析して答えを出してやろうという考えだよ。
しかし、せっかくだから土の地力を生かしてやるとしたら、その辺の草を刈ってきて上からマルチをして、土を裸の状態から保護して、後は土が循環していく力をいただくところに気を降ろすと、これが岡田茂吉の提唱した自然農法になる。それにプラス、カタカムナ奏上で天然農法になる。

ただ、こうちゃんには以前の自然農法や有機農法の亡霊が憑りついていると思うからその話をしたのだけど、それを聞いても彼の心は晴れていかなかった。「そうだね!」とならないんだよ。それはなぜかと思って観ていたら、自分がやったことを否定されたと受け取っているんだよ。
そこでは化学農法で育ててきた作物と量や質を競争しないで、何か別のものがあるぞということを追及していけばいい。それで、「採らなければいけない」とか、物質的に質のいいものを採ろうとする想いに追われていることから、自らを解放しようよ、という話をしたんだよ。
それは、こうちゃんの気持ちを楽にしようとしたのだけど、結局楽にはなっていかなかった。だから、よほどそれを説明しようかと思ったのだけど、とりあえず伝えたのだから、そこでは「そうだね!」と直感が降りてくることが大切だったんだよ。そこで直感が降りてくるのではなく、説明してもらってやっとわかったという話になってしまうと、本末転倒になるからやめたんだよ。

結局、有機農業や自然農法のマインドコントロールを解く話をしたのに、解放されなかった。自分がやったことに対して、間違っていたと言われたと受け取っている感じがした。「僕はあなたの側なんだよ。あなたに楽になってほしい。そして、本物の本物の本物をこれから追及していく場所をみんなでつくっていこう」という話をしたのだけど、通じていなかったなあ。

ともこ:
一昨日の性の話の時でも、いさどんは今のようなことを言っていたのだけど、聞いている側は、「自分にできるだろうか」という想いに囚われながら聞いてしまっていたね。

いさどん:
結局、一昨日の話を昨日して、昨日の話をまた今日しなければいけない。本当は、その話が出た時に、直感人間だったら「そうだね!」「よくわからないけど、そっちがいいね!」となっていく。しかし、一昨日の話を昨日して、昨日の話を今日してというふうに手間がかかる。でも、それをしていかないと事が成っていかない。それを丁寧に丁寧にやっていったら、これはすごいマインドコントロールだと思ったんだよ。これからも徹底的にマインドコントロールしていくぞ(笑)。

ともこ:
そのマインドコントロールだったら、みんなも望んでいるわけだよね。

いさどん:
ここを離れた人たちでも、そのマインドコントロールを求めてここに来て、そして納得していたはずなのに、ある時、それを嫌だという自我の感情が出てきて、それで全く逆の視点を持ち、今のような立場に立っている。だから、これはいつ逆転するかわからない話でもあるんだよ。

ともこ:
この前ホームページの自然療法プログラムのページを見ていて、あれは元メンバーが書いたものだけど、やっぱり彼はもともと目的が違っていたのかも、と思ったの。あれを読むと、「個人」の改善がベースになっているな、と思う。摩擦の起こる心をいかに個人がコントロールしていくか、みたいなところに主眼が置かれて書かれていて、彼の目的はそういう段階だったんだな、と思った。

いさどん:
だから、彼は自分が救済されることが一番だったんだ。しかし、そうやって凝り固まっている人間を柔らかくして、広い視点のところに持っていくことは大事なんだよ。
ところが、自我は彼にとって強烈な執着であったから、それは強く抵抗するものとなって、こちらが柔らかくしようとしても「強要されたくない」という感情がどこかに働いていたのだろうね。しかし彼は、自らの本来求める道に戻って、自らの力でどのように自分自身を導いていくのかといったら、それができない人でもあるんだよ。だから、それを与えられる場を失って苦しいだろうとは思う。マインドコントロールされることの心地良さと豊かさをどこかで求めながら、そうなっていくことを否定する自分が同居しているのだからね。

ともこ:
それは苦しいね。

いさどん:
だから、今は楽じゃない生活をしていると思うよ。それは彼らの今の生活を実際に観なくてもわかるよ。仏の世間解だからね。しかし、分析すればするほど奇妙な世界だね。人は自らがとっているスタンスで生きていることを妙ではないと思っているけど、わかればわかるほど妙な世界に生きているんだよ。

「こういった世界に誰がしたのですか?・・・あなたですね。」
「わかるか?」という返事が天から返ってきた。
「わかるか?」「やっとわかった?」という心が降りてきた時に、それは軽いノリで伝えているけど、「それが目覚めるということなのですね。私はあなたの真意を理解しました。」ということになるんだよ。

ともこ:
昨日の朝、お風呂掃除をしていたらまりちゃんがお風呂場まで来て、「わかったよ!」と言ってきたの。その前日のまりちゃんへのインタビューで、「なぜまりちゃんの心は変わってきたの?」と訊いたら、まりちゃんは「この道の価値がわかってきたからだと思う」と答えていたのだけど、昨日はお風呂場まで来て、「価値がわかればわかるほど自分の小ささやしょうもなさが観えてきたんだよ。そうしたら当然選ぶのはこっちの道でしょ。」と言っていた。

いさどん:
そう。自らを手放す方に行けばいいんだよ。

ともこ:
でも、人はわかればわかるほど、むしろ自分の我が大きくなっていって、自分がわかった側になるんだと思う。

いさどん:
それは知識的な学習の場合だね。しかし、実際に知恵が湧いてくる状態でも、わかればわかるほどその者の器は大きくなっていく。ところが、知識的にわかる人はどんどん知識に捉われ、器は硬くなり、世界は小さくなっていくんだよ。その人が真実だと特定した世界にね。だから、大きくなるという意味ではどちらも大きくなると言える。すごく妙な世界だよ。
今の世界で優秀だと言われている人たちは自分でも賢いと思っているから、そうでない理屈がくると腹が立ち、否定したくなる。エコビレッジを考えている人たちや大学の先生、テレビに出てくるコメンテーターでもそうだけど、自分たちがそういった人間の枠を作って世界を計っていることを知らないんだよ。

何だか訳のわからない話になってきたね。ともちゃんも完全にマインドコントロールされたね(笑)。

ともこ:
された(笑)。でも、これは自分で望んだマインドコントロールだから。

いさどん:
このマインドコントロールはアメノミナカヌシの力だよ。

ともこ:
だから、このマインドコントロールには確信がついてくるんだよ。

いさどん:
それは、この延長に行けばいいのだという確信だね。

ともこ:
そう。

いさどん:
だから僕は、「人間は命を紡ぐ人生という魂の旅をしています。その延長に行き着く目的がこの道の先にあるのです」と伝えたんだよ。それは間違いないことだ。

ともこ:
そこに私はとても自信をもっているのだけど、世間でマインドコントロールされている人たちも、それはそれで確信があるのかな?

いさどん:
それはないだろうね。世間のマインドコントロールというのは、とりあえず、何か特定の概念から解き放って一般社会に出し、それで終りだからね。それ以上の責任を持つ者がいないんだよ。例えば牧師さんだったら教会にいて、「神様に学びなさい」と言うぐらいで、通常のマインドコントロールを解く世界は、たとえばオウム真理教に行っている者にそういった概念を捨てさせて、「普通に会社に行って仕事をしなさい、それで生きていきなさい」と言うだけで、後はほったらかしだよ。

ともこ:
そこに新たな確信と希望は持てないよね。

いさどん:
だから、次の保証はない。たとえばオウム真理教に入った人は、もともと社会に潜む家庭の問題や個人的な問題から何かの疑問を感じて、オウムに入信したんだよ。だけど、彼らをオウム真理教から救済するという人たちは、そこのところまでは責任を持たない。どうしたら私はオウムに魅力を感じたようなエネルギッシュな人になれるのでしょうか、と彼らがオウムに代わる価値観を求めたら、その人が持っている新たなマインドコントロールを代わりに提供することになる。しかしそれをしたら逆マインドコントロールになってしまうから、それをしないで、「毎日会社に行って働きなさい、いい人と出会って結婚して家庭を持ちなさい。そして、平凡な人生を生きなさい」と、それだけで終わりなんだよ。

ともこ:
それでは、もともと疑問を感じていた周りとの問題も解決されているわけではないから、結局何も解決されないことになるね。

いさどん:
そう、何も解決されない。
マインドコントロールという言葉は、ただ攻撃をするネタとして使われている。それを使う人たちは、社会の側に立って、自分とは価値観の違うものを攻撃する。だから、このマインドコントロールという言葉を使っている人たちは、本当に深く物事を捉えていない人たちなんだよ。
そこで、自らを振り返り、他者と自らを平等に客観的に観る視点を持ちたいものだね。