「おやじの館」から「心の湯治場」へ

2009年7月から始まったいさどんブログ「おやじの館」。ブログが出来たきっかけは、「いさどんの話をひとりだけで聞くのはもったいない!」と思ったようこが、まずは大人会議でその話をメンバーとシェアするようになり、さらに多くの人と共有するためにブログ上で公開することになったのでした。この「おやじの館」という名前はいさどんがつけたものであり、当時58歳のいさどんは、「僕は20年ごとに人生の節目を迎えており、60歳からはうつや自殺者をなくす活動をしていきたい」と語り、そういった人々に心の道を伝える場を「おやじの館」と称したのでした。

それから約2年が過ぎ、この5月3日には60歳の節目として生前葬が行なわれることになりました。生前葬まであと数日となったある朝、いさどんから「5月3日を迎えるにあたって、おやじの館の看板を改めたい。もう僕の体は僕のものではなくみんなのものだから」という話がありました。30数年、色々な人の相談に乗ってきたいさどんですが、これからは世の中の行き詰まりや問題のある人の相談にますます専念していくことになるのでしょう。

うつや自殺願望など心の問題のみならず、親子関係や夫婦関係の不和、子育て、進路の悩み、職場での行き詰まり等、どんな悩み事でも相談にのります。そういった今目の前にある問題事から、「生きる目的は何なのか」、「どうやって精神性を高めていけばいいのか」、「宇宙はどうやって始まったのか」といったスケールの大きな質問までお答えします。

以前いさどんは、「僕の中には5つの存在がある。1宇宙人ピトピ、2御中主命(ミナカヌシノミコト)、3聖者イサジ、4人間いさどん、そして5古田偉佐美」と言っていましたが、相談者がいさどんから何を引き出すかによって、現れてくる存在が違ってくるようです。そして、5月3日以降はさらに多くの存在が引き出されることになる予感がしています。

みんな一人一人の心に平穏と喜びが訪れ、地球上、さらに宇宙全体が愛・善意・調和で満たされますように。一人一人が真理に目覚めるようサポートしていく場、それが「心の湯治場」です。


自らの経験を他者のために生かす

31歳のすーくんは仕事のストレスと昼夜逆転の生活が原因で25歳の時にうつ病と診断され、仕事をやめて母親のもとに戻って生活していました。そんなすーくんが母親と一緒に初めて木の花を訪れたのが2月の下旬。その時は木の花に1泊し、いさどんと面談をして母親の暮らすヤマギシに戻っていきました。その約1週間後、ヤマギシの地でいさどんはすーくんと再会し、その時のことをこう語ってくれました。

「1週間後彼と再会したら、『調子が悪いんです』と汗を額から流している。『どうしたの?』と聞いたら、『いさどんが健康になるためには木の花でケアを受けて、薬をやめなさいと言ったし、太りすぎの体は食べ物の食べ方が間違っていて、肉も食べすぎている。それでは体に悪いよと言われたから、帰ってきて薬をやめました。火曜日にお医者さんに行って薬をもらう予定だったけれど、お医者さんにも行かなかったし、肉も食べちゃいけないといさどんが言うから食べなくなった。それで体重は2kgやせたんだけれど、調子が悪くて』と言うのです。『それは当たり前だよ。薬をやめるのは将来の話だし、仮にやめたとしても心を安定させるサポーターがいてやるべきだ。医者に通っていた人が急に自分の判断でそんなことをしたらおかしくなるよ。でも、僕はあなたの言うことを評価する。良くなりたいとそこまで思ってのことだから。その心を忘れないで、とりあえず明日薬をもらいに行きなさい。それからまずは薬で不安定な心を安定させて、木の花においで。そのやる気があれば良くなるから』ということで今度木の花に来ることになりました。」

その数日後、すーくんは「今の自分を変えたい」ということで木の花を訪問しました。ケアサポーターのいさおちゃんと同室になり、ケア滞在がスタートしたのでした。ケアがスタートしてからも紆余曲折がありましたが、薬とタバコの量を少しずつ減らしていき、10日後にはどちらもやめることが出来ました。ゲーム依存や引きこもり的な姿勢も解消され、1ヶ月後には見事ケアを卒業。以下に、すーくんが書いてくれた「木の花ケア滞在記」をご紹介します。

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「木の花ケア滞在記」

自分は自分をどうにかしたくて3月11日に木の花に来た。でも、1週間で帰ろうと思っていた。治したくて来たのに、治らなくても良いと思っていたんだと思う。社会復帰がしたくて社会適応訓練事業に行っても、しんどいからやめるというのを何度も繰り返していたのと同じだと思う。したいことをしてみて、辛かったらやめれば良いというのを何度も繰り返して、自分はダメ人間だと思うことに慣れてしまったんだと思う。

それで、今回もダメだったから帰ろう、辛いから帰るのもダメな自分では仕方ないと思って帰ろうとしたら、母さんに「治るまでは帰ってきても受け入れない」と言われて目の前が真っ暗になった。帰りたくても帰れないから、仕方なく木の花に残ることにした。泣くだけ泣いて、半分ヤケになって「やってやる!!」と思った。     (3月19日)

それでも何回も脱走を考えた。どのルートをどの時間に行けば良いか。だけど、どう考えたところでホームレスになるだけだと思って、もう少し頑張ろう、もう少し頑張ろうと思って目の前の事に集中するように努力していったら、「自分にも出来る」と思えるようになっていった。この時から少しずつ明るくなっていったんだと思う。  (3月23日)

次に、薬の離脱症状が出てきた。(22日から断薬)めまいや吐き気、偏頭痛で作業が出来ないくらい辛かったけど、せっかくケアに来てここまで頑張ったのに薬を飲んだらまたふりだしに戻ってしまうと思って、薬だけは飲みたくないと思って耐えた。キッチンスタッフの皆にも、「それは良くなる為に必要な苦しみだよ」と声をかけ続けてもらって頑張れた。26日に母さんが来てくれたのも、すごく励みになった。母さんに元気な姿を見せたくて頑張れたという部分が実際に沢山あったので、来てもらって良かったと思う。

あと、「怠けたいから休む」のと、「体調が悪いから休む」の違いに悩んだ。自分の中の怠けたい心が「体調が悪い」と言っているのかどうかに悩み、「とりあえずやってみて、無理だったら休む」というふうにすることで、朝7時に起きるという生活リズムだけは崩さずにすみ、自信がつくことで気持ちがどんどん明るくなっていった。

だけど、薬の離脱症状で食べられない日が始まって、食事の時間は憂鬱になってしまった。さらに、そこに食養生が始まり酵素玄米を食べるのが辛くて、結局食養生は途中でやめた。

あと、離脱症状が峠を越えたぐらいから咳がひどくて喉が痛くなり、同時に頭痛も来て休むことがかなり増えて、「風邪だろうなぁ」と思っていたら、ケアサポーターのいさおさんに「離脱症状で喉も痛くなるよ」と言われて、自分はもう離脱症状は無くなったと思っていたから驚いた。そして、結局寝込む日が何日も続いた。

何日も寝たり起きたりで段々「すーくんは怠けている」と周りの人に思われているのではないかという気持ちも出てきて、自分にイラついて早く治したくて、いさおさんに「医者に行きたい」と言ったら、その日の午後に面談で「休むのが必要な時に休むのは悪いことではない」と言ってもらって楽になった。それと同時に、「引き篭もるのは自分をいじめること」とも言ってもらって、本当に自分の気持ち次第というか、自分を冷静に見つめる大切さを考えながら休んだ。

あと、後ろ向きな「けど、でも」が自分の口癖になっていることを何度も指摘されて、それは結局何でも悲観的に考えてしまう自分の癖だったり、「自分には出来ない」とすぐ諦めてしまう癖なんだろうなぁと思って、「どんなことも良いことがあるし、どこからでも良い方向に持っていけるんだから、悲観する必要は無い」と思ったら、気持ちが楽になった。

体調が悪い次の日は、皆が「体調はどうですか?」と聞いてくれて、「悪いです」と答えるのもなぁと思って、「良いです」と答えたら嘘をついている気になって、やっぱり「あんまりなんですよねぇ」と答えていたら段々気持ちまで暗くなってきて、薬の離脱症状は短くても3ヶ月続くと言われたからどうしたものかと思っていたら、体と心は別なんだからそう言えば良いだけだなぁと思って、「体はしんどいですけど、心は元気です!」と答えるように変えたら、楽になった。

10日の座談会でいさどんに「すーくんは賢いから、その時求められている答えを判断して出すところがあると思う」と言われて、それは自分でも自覚していたのでどうしたものかと考えていたら、「答えを考えるだけの時間を自分に与えなければ良い」と思ったので、10日のミーティングで出す時も卒業コンサートのコメントもあえて考えないで話して、このケア滞在記も考えずに思ったことを書いています。「正直・素直・相手を信じる」というのをやったら、そういうのも無くなっていくだろうし、評価されたい気持ちは置いといて、自分の良くない所もポンポン出していこうと思う。

これからの抱負としては、11日の晩に「やっていけるかなぁ?」と不安になったりもしたけど、「やれることを一つずつやっていく」だけなんだから、何も不安になる要素なんて無いなぁと思った。やれないことをやれと言われているわけじゃなくて、やれることをやるだけだから。

いらない薬はいらないし、タバコもやめられた。ゲームは使い方次第では有用なものになると自分は思っているから、冷静な自分を常に立てて上手に付き合えたらと思っている。面白くても何の役にも立たないゲームも世の中には沢山あるので。

まずやることは毎朝7時に起きて運動をして、出来ることを一つずつやってリハビリにしていくことだと思っているので、確実に淡々とやって実力にしようと思う。あとは「正直・素直・相手を信じる」を心に置いて、周りの人と沢山話をして沢山言ってもらって、皆から愛される人間になっていく。

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そして、すーくんが出発する前の晩卒業コンサートが開かれ、いさどんは次のように語りました。

「問題を持って来た人が卒業していくことは本当に嬉しいことです。ひとりひとりのことをその人が卒業する度に振り返るのですが、すーくんも途中ではやっぱり大変だったよね。1週間も経たないうちに帰りたい、帰りたいと言い出して(笑)。

初めに、お母さんからすーくんが引きこもっていることを聞いて、何とかしてあげようというところからこのケア滞在が始まったのですが、すーくんはそういった生活を卒業すると同時に、今回はいくつものことを卒業しました。まず、一番良いことは病気が卒業出来ました。だから、薬がやめられたし、ゲームもやめられました。当初すーくんにゲームのことを聞いたら、「絶対に手放せない」と言っていました。布団の中にもぐってゲームをするようなゲーム依存生活でしたね。それから、今はちょっとだけウエートオーバー気味ですが、ここに来てから9kg減量出来ました。そういう色々なことをここで卒業出来ました。そして何よりも、魂の形通りとても愚痴っぽくて前向きではなかった人が、今は客観的に自分を見てそれを語れるようになりました。これは大変大きな変化です。

今回はヤマギシの春日山からケアサポートチーム立ち上げということで6人の人が来てくれて、1週間をすーくんとともに過ごすことになりました。すーくんの変化をみんなで振り返りながら、こういった人たちをサポートし、社会でしっかり通用する人に変えていくという取り組みのためにここを訪れました。これはヤマギシの中だけの問題ではなく、ちょうどこの間大きな震災がありまして、これから色々な意味で世の中が行き詰まることになります。日本中で行き詰まった人を支えていかないといけない時に、私たちのような血縁を超えてみんなで助け合う社会というものがこれから必要になってきます。そういった中で、ヤマギシという大きな組織がそういった世の中の行き詰まりを解決出来るところになるということは非常に大切なことであり、これからの世の中にとってたいへん必要なことだと思っています。そういった意味では、今回はケアの当事者ということだけではなく、すーくんにもその経験者として今後行き詰まった人のためにも生きていってもらいたいと期待しています。これからどうやってすーくんをサポートしていくのかということもありますが、サポートされる側はいずれ卒業して、そういった人たちのために生きていってほしいと思っています。

その人が本当に生き生きとするということは、本人も生き生きですが、他人にも生き生き、喜びを与える人ということです。ですから、自分の存在が自分にも他者にも喜んでもらえるような生き方をしてもらいたいと思っています。それが人の生きている価値なのだと思います。他人の荷物になっていくのも生き方なのかもしれませんが、それはあまり喜ばしい生き方ではありません。ぜひ前向きに生きていってもらいたいと思います。

ケアの人が卒業する時にはいつも言うことですが、私たちに一つの事例を与えてくれ、卒業することによってここの取り組みにまた一つ実績をつくってくれました。そういう意味でいつもありがたいことだと思います。卒業するということは新しい旅立ちですから、気を緩めずに今の気持ちをしっかりと持ち続けて、今の姿勢のもとに今後もしっかりと生きていってもらいたいと思います。

まずは卒業おめでとう!私たちにも良い勉強をさせてくれました。ありがとうございます。これから100点満点というふうにはいかなくても、大変な時にはここで学んだことを思い出したり、アドバイスが必要であればまた連絡をしてください。縁があって出来た家族がここにもいるということですから、また遊びにも来てください。それから、ヤマギシの方にも自分を支えてくれる沢山の家族がいるのだから、そういった人たちと仲良く暮らしてもらえればと思います。

卒業おめでとう!そして、ありがとうございました。

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そして、すーくんが卒業してから1週間後、すーくんの近況を教えてくれるメールがヤマギシのケアサポートチームから届きました。「お母さんが近くにいると甘えてしまうから、お母さんのいる場所から離れたところで自立したい」というすーくんの希望が叶い、新たな場所で新しい仕事に取り組み始めているそうです。そして、ケアサポートチームの勉強会にも参加しているということで、今後自らの経験を他人のために生かしていく人になっていくのでしょう。

すーくんの活躍をみんなで応援しているからね!すーくんが帰ってくる時には、大好物の特製おやきを作って待っているからね。


2泊3日の滞在でも~その後

いさどんブログ「2泊3日の滞在でも」に登場したけいくん。ヤマギシ会からの紹介でここを知り、いさどんとの面談を受け、ここに2泊3日滞在しただけで断薬することが出来たとブログの中でお伝えしました。そして数日前、ここを訪れたことがあり彼を知るヤマギシの方から、「僕のブログにこんなことを書きました」というメールが届いたのです。

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先日、大阪のおっさんの集いに参加したら、けいくんが参加していた。彼は長い間、精神的な病気で家にずっと引きこもっていた青年なんやけど、そういう自分を変えたくて、今年の最初に木の花ファミリーに行ってきた。
1月の中旬ごろに彼に会ったときは、「今の自分でええんやなあと思えた。他人と比較しても仕方がない。今出来ること、今思えることからやってみようと思う」と言って、何かしら明るくなったように思った。
そして1ヶ月経過して、今週彼に会ったら、別人のようになっていた。何と人材派遣会社に就職して仕事をやり始めていて、今後はパソコン教室に通って、安定した生活をしていけるようにしたいと前以上に明るく話していた。
自分の気持ちに素直に表現しているように思う。とっても楽そうに話している。彼の発言に、みんなうなずくことが多い。こんなけいくんを見て、その日のおっさん達は驚きやら感動やらで、その場にいい風が吹いているように思えるんや。
彼をこんな短期間に変えさせたのは一体何やろうかね?勿論自分しかないんやけど、その自分のエネルギーはどこから涌いてきたのかな?

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そして、今日けいくん本人から次のようなメールが届いたのです。

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過日は二泊三日でお世話になりました。今、姉がお世話になっているのと、現状を伝えるため報告も兼ねてメールを送らせてもらいました。

あれから脳から何かが溢れてくるような感覚に襲われました。止まっていた思考が動きだしたような…。
物や物事が点で捉えられるようになり、思考は常に「それは本当はどうなんだろうね?」と自問自答を繰り返す毎日でした。例えば、「寒い。」「本当はそれはどうなんだろうね?」「案外寒くない、暑いかも知れない。」「冬だから」みたいに固定観念にとらわれない感覚になり、思い込みが少なくなり、冬なのに裸で過ごしたりしても平気なぐらい、人とは感覚がかなり狂っているようでした。今はその脳から溢れる感覚は大分落ち着き、寒いものは寒いといった感じになりました。落ち着いたらおかしな事に、長年あった震えの体質がほとんど出なくなりました。だから今は元気といえば元気です。

現状ですが、木の花から帰ってから今まで精神安定剤や睡眠薬の類いの薬を全く飲んでいません。薬抜け成功したと言ってもいいのでしょうかね…。最初は眠れなかったのですが、最近は睡眠時間が短いなりに熟睡もできています。上で書いたような震えも止まりました。かなり健康体です。

今は自分で環境を整えるべく、資格を取るため職業訓練の申し込みをしました。近々面接と試験です。受かれば補助金を受けながら職業訓練、今はパソコン時代なのでWindows検定を手に入れるつもりです。
試験の合否はわかりませんが、職業訓練が始まる3月までの間に繋ぎとして登録制の日雇い派遣を始めました。なので、微妙にですが引きこもりから復帰も出来ました。繋ぎとはいえ毎日仕事がないのが残念です。

沢山の人を導きたい自分…。いさどんほどではありませんが、自分もそれなりに人と出会っていろんな体験をしたつもりです。今、ネットを駆使してmixi内でアニメのキャラになりすまして、アニメキャラのカリスマ性を利用して人生相談所を開いています。悩みを抱えている人たちに対してアドバイスをして、いい方向に導いています。結構評判もよく、導いた人はいい方向に進んでくれています。いい方向に進んで感謝されたりするのが、堪らなく嬉しいですね。

小さいとはいえ、自分なりに環境を整えたり、導いたり、やりたいことをやれて前に進めているように感じているのが現状でしょうか…。今はこんな感じです。一つ一つを大事にして進んで行きたいですね。

追記:
今、姉が心の立て直しということでそちらに滞在していますが、弟としてはみんなの力で姉の認識の甘さを打ち砕いて、大事なことが何かに気づけるように導いてほしいと思っています。いさどん含め木の花にはそれだけの環境があると思っているので、姉をよろしくお願いします。

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そして、けいくんから「僕はもう元気になったから、今度はお姉ちゃんの番だよ。お姉ちゃんが木の花に滞在してきたら?」と言われたお姉さんが今、ここに滞在しています。こうやって、心が元気になっていった人が次の人を元気にしていく。この「弾み車の法則」があるからこそ、ここではみんなの心がどんどん健康になっていくのです。ひとりひとりの健康が社会全体の健康をつくっています。さあ、あなたの心は健康ですか?


聖者イサジ、道を説く

今回のブログでは、いさどん改め「聖者イサジ」がメンバーになるためにお試し滞在中のゆたかくんと面談した時の模様をお伝えします。(注:ちなみに、いさどんには1宇宙人ピトピ、2御中主命(ミナカヌシノミコト)、3聖者イサジ、4いさどん、5古田偉佐美の5つの名前があります。)

PDFファイルはこちらからダウンロードできます

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イサジ:
今日は何が聞きたいの?

ゆたかくん:
とりあえず、今世の自分の役割を知りたいです。

イサジ:
今世での役割か。。。それはあなたの自覚です。

ゆたかくん:
自覚ですか?

イサジ:
人は自分の世界というものを自分の思考の中で持つ。そうしたら、自分を喜ばせる思考がどこにあるか。

ゆたかくん:
自分を喜ばせる思考。。。

イサジ:
あなたは毎日何を喜びとしている?

ゆたかくん:
今ですか?

イサジ:
今でもいいし、将来のことでもいい。

ゆたかくん:
今は作業をやっている間に色々と気づくことがあって、それが嬉しいです。

イサジ:
気づきというのは自分が成長するということ。新しいことを知ってそれを積み重ね、自分が広がっていくとか大きくなっていくこと。その結果、何か目的につながる。そうなることを喜ぶということは、その次に望むことがあるから。それは何?

ゆたかくん:
そこまでなっていない人をそこまで上げてあげることです。

イサジ:
それは世のため人のためということ。いつからそんなことを思っているの?

ゆたかくん:
25、26歳の時に仏教を勉強していて、そのくらいからです。

イサジ:
どうして25、26歳の時に仏教を勉強したの?

ゆたかくん:
それ以前にちょっと素行が悪くて、ちょっとひどい目にあって。。。

イサジ:
どんなことをしていたの?

ゆたかくん:
薬物を吸引していました。マリファナと幻覚系の合法ドラックです。

イサジ:
合法ドラックだけれど、今は合法じゃないけどね。

ゆたかくん:
はい。それをやっていて、事故に遭ったのです。

イサジ:
どんな事故?

ゆたかくん:
マンションの2階の手すりを乗り越えて、飛び降りたのです。

イサジ:
それは気分が良くて飛べるつもりだったということ?

ゆたかくん:
混乱していて、よくわかっていませんでした。

イサジ:
それで大怪我をした。

ゆたかくん:
はい。それで入院をしました。

イサジ:
マンションというのは自分の家の?

ゆたかくん:
会社の寮です。

イサジ:
会社の仲間とそういうことをしていたの?

ゆたかくん:
いえ、会社にそういう人はいませんでした。前の職場ではいました。

イサジ:
そのつながりでそういうことをしていた。

ゆたかくん:
はい。

イサジ:
それで?それをやって入院してどう思ったの?

ゆたかくん:
これじゃいけないと思い始めて、そこから指針を見つけようと仏教を勉強し始めました。

イサジ:
仏教といっても幅が広いけれど、どういう仏教ですか?

ゆたかくん:
全般的にです。色々なお坊さんが書いた本を読んでいました。

イサジ:
それで何に気づいたの?

ゆかたくん:
何に気づいたか。。。

イサジ:
仏教の本を読んで、さっき言っていた「自分を高めていきたい、学んでいきたい」という思いが湧いてきたわけだ。

ゆたかくん:
はい。

イサジ:
世の中の人に学んだことを伝えていきたい?

ゆたかくん:
まずは自分が出来るようになってからですが。

イサジ:
それから5年経ったけれど、学んだことはある程度マスター出来た?

ゆたかくん:
マスター。。。いや、全然出来ていないと思います。

イサジ:
今までの5年間は何をやっていたの?

ゆたかくん:
介護ヘルパーなどの仕事をしたり、インドに旅行に行ったりしました。

イサジ:
インドは仏教の勉強の延長に行ったということ?

ゆたかくん:
そうです。

イサジ:
何か気づきはあった?

ゆたかくん:
気づき。。。

イサジ:
インドも今は改革、解放だからね。あそこは精神性の発祥の地ではあるけれど、欲の世界でもある。その両方の誘惑の世界だからね。

ゆたかくん:
そこでもちょっとマリファナをやってしまって。。。

イサジ:
ハッハッハ。弱いね。

ゆたかくん:
でも、そこで精神的に高い人たちに会ったりして、ダライラマにも会ってきました。ダライラマが住んでいるところに行って、そこでティーチングのような講習を受けました。

イサジ:
その結果は?

ゆたかくん:
日本に帰ってからは、自分を逆に見失ってしまったというか。。。

イサジ:
自分を見失うということは、インドでは何かを持っていたわけだ。その前の飛び降りてしまったことから仏教を勉強した時にも、何かを持っていた。でも、日本に戻ってきて日本人を眺めていたらそれに流される自分がいて、その何かを見失ったということではないの?

ゆたかくん:
はい。。。

イサジ:
だから、日本に帰ってきて仕事に就き、今の一般的日本人の価値観の中に流されたということだね。

ゆたかくん:
はい、そうです。

イサジ:
それで、こういうところを探していたというわけだ。ここへ来て何日になる?

ゆたかくん:
1週間くらいです。

イサジ:
そうすると、「そろそろ自分の探していたところに行き着いたな」という感じはしていない?

ゆたかくん:
しています。

イサジ:
そうしたら、さっきの質問はもう既に答えが出ている。

ゆたかくん:
・・・?

ようこ:
今世の役割という質問。

ゆたかくん:
ここに来て、「一段落ついたな」というふうには思っています。

イサジ:
さあ、これからだ。これからどうするか?今編集していた原稿にこんなことが書いてあったぞ。「この世界は想いで出来ています。自分の中に今日はお酒が飲みたいとかパチンコをやりたいという思いがあったり、いつも子どものことやお金のことばかり考えていると、未来にその世界が展開されるのです。それがこの世界です。私たちが想ったことが起こるのです。」「自分の中から湧き出てくる無限の記憶。それが過去をよみがえらせてくるのです。そして、その結果次のステージはどうしようかと考えていて、そのどうしようかの想いの中から次の世界が実現していく。」

つまり、自分の考え、自分の中から想いが湧き出てくるということは、自分の中に想いの種があるから湧き出てくるわけだ。だから、自分の意識レベルに合わせた未来が訪れてくるわけだ。

ゆたかくん:
はい。

イサジ:
それが想念の連続となり、未来を創っていくわけです。そうすると、損得勘定をして辻褄合わせをしながら生きる姿は、今時の人々が生きている姿そのものです。それもお金が欲しいとか、欲しいから他人の物を盗むとか、そういうことも現実に創り出すけれど、しかしもっと大きなスタンスで捉えていくと、もっと古い過去、今世のものではなくて前世の時代というのは記憶から離れている。それが私たちの中で記憶の書棚、図書館のようなものになっていて、ふっと想いとして湧き出てくる。それが過去の軌跡の中で培ったもの。今湧き出てくるものは過去の延長にあるものであって、そういった過去から現在までのものが積み重なって今の魂が取る思考となり、人間性が出来ているわけだ。

例えばマリファナを吸うことも、飛び降りることも、その結果仏教に出会うことも、それからインドに行くことも、そして日本に戻ってきて普通の世界に入ってそこで矛盾を感じることも、今、新鮮に経験しているようで、実は過去のあなたの積み重ねが今の思考を生んでいるのであって、その思考がもとになって現在から未来を創っていくわけだ。

そうすると、「理由はないけれど何かがしたい」とか、「なぜだかわからないけれどあの国に惹かれる」というのは、いきなり今湧き出てきた想いではなく、ずっと積み重ねてきたその人の物語の中にあるもの。そして、その積み重ねの延長に今回生まれてきたというわけだ。

ゆたかくん:
はい。

イサジ:
そして、その話を今こうしてしているということは、つまり未来は決まっているということだ。わかる?

ゆたかくん:
いや、ちょっとわかりません。。。

イサジ:
過去があって、過去の積み重ねに今がある。今は今の上で今を生きているようだが、そのベースは過去の積み重ねによってここまで来ている。だから、今の思考はこれまでの過去の積み重ねでここにある。ということは、過去にも現在があって今にも現在がある。現在の連続が過去になっているということ。現在の連続が過去になっているということは、現在の連続が未来を創っていくということだから、今自分の中から湧き出てくることは過去の積み重ねの結果、今湧き出てくるのだし、今湧き出てくることはこれが積み重なって未来を創っていくわけだ。

自分がこれからどう生きるのかは、マリファナを吸いたくて仕方がない心があれば、未来にマリファナを吸っている自分がいて警察に捕まるという未来を創っていくわけだ。今、「人のためになりたい」と言っているということは、そういう過去の積み重ねがその心になっていて、これはそのまま想っていけば未来にそういう人になれるということになる。

「世の中のためになりたいという大事に気づいてそれを人に伝えるということが、僕の役割なのでしょうか?」と思ったことを誰かに「そうです」と言ってもらって、それで進んでいくのが本当に自分の目覚めなのだろうか。僕はその問いに私心をはさまない。あなたの人生にはあなたの私心をはさめばいい。

そうすると、今のようにあなたの思考を分析して、それはどのような思考の仕組みかを情報としてあなたに伝えると、あなたが自分で判断出来る。そうすると、人生というのは誰と契約して、どういう目的のもとに生きて、そして未来はどうすると観えるのかということがわかってくる。ここで注意しなければならないことは、私心がある人に相談するとそちらの目的プラスこちらの目的が合わさって、「あなたはこうあるべきだ」と言われ、あなたの心が濁ることにもなる。

ゆたかくん:
そうですね。

イサジ:
それはあくまでも、そちらの人生はそちらにあって、こちらの人生はこちらにあるわけだ。しかし、それでは冷たい、寂しいということにもなる。では、ここに集っている人たちが何をしているのかというと、独立して自分を観て、他者とつながり、そこからもう一つ大きな自分を観た時に、人は一つの枠の中で共通した他者との自分を持つことが出来るのだ。例えば私たちの体で髪の毛と皮膚が共通した自分を表現出来るのと同じように、我々も別々だけれど共通したものを表現出来ると気づいた時に、こういった世界が展開出来る。これは何を表わしているのかというと、宇宙の実相。自然界の実相。

その中に我々がいることに気づけば、この生き方はこの世界を表現しているすべての人々にそれを伝えることが出来る。人々に伝える方法として、過去には宗教などの教祖的な伝え方があったけれど、それはもう古い。なぜ古いのかというと、人々は独立した貴いものだからである。優れたものがいて一方的に伝えることは、教祖と信者という関係が出来て、いつまでも信者は信者で在り続け教祖が必要になってしまう。すべてが貴い。平等の貴さがそこでは現れてこないことになる。そういう時代は終わり、すべての人々が独立して自分の意志を持ち、平等の中で世界は出来ている。それがこれからの時代の在り方ではないか。

今、あなたが問いかけた「僕の今世の役割を知りたい」ということについて、私はその答えは出さないけれど情報だけは提供した。答えはあなたが持っているのだから、自分で出せばいい。そして、答えを出した人が今ここに集っている。それがあなたの問いに対する答えだ。

一人一人がしっかりと自立して光って生きている。教祖と信者というランクが出来たら、本当に平等に光っていることにはならない。この世界を自らが担っているということに気づいた時に、人は本当に生き生きしてくる。そうだと思ってやろうとした時に、どこで行動しても真実は観えてくる。宇宙の中の どこにいてもみな平等なのだから。例えば木の花で与えられている役割でもいいし、外で与えられている役割でも同じこと。ここだけが特別な世界なのではなく、すべて平等な世界だから。それを知っていくために、我々は敢えてこういうライフスタイルを取っている。そのスタイルがもっと展開されていけば木の花はなくてもいいかもしれない。しかし、これがある意味在り続けることも大事かもしれない。その答えは我々が持っているのではなくて、この世界を動かしているものの意志の表われであるということ。

ゆたかくん:
よくわかりません。

イサジ:
何が?

ゆたかくん:
わからないものからの意志?

イサジ:
そういうことか。わからないものはわかるんだよ。わからないというのは、わからないところから見たらわからないのであって、わかるところから見たらわかるんだよ。この世界にあるものの目的は何なのか。ただ、木があって土があって、植物と土の関係、空気、風、太陽の光、色々なものがある。そこにあるものがあることはわかりますか?ではこれは、ただただ無秩序にあるのかということです。そこには秩序があるのです。しかし、秩序は木を見ただけでは見えない。その秩序は見えるものから見ていってそれをつなげていくと、見えないものが見えてくる。それがあちら側の意志の現れ。それを観ようとするとそこに感じられる。そこに木があって雨が降っていたら木が濡れる。雲っていたら太陽が照らない。雲が去れば太陽の光が射してくる。すべては完全なる秩序の中にある。その秩序というのは意志がないと保てない。それがあちらの意志。我々はその秩序を学びながら、すでにその秩序の中に組み込まれている。我々はその秩序の中にいる。我々が個々に目的を持って生きているということは、結局そこにある木や土、雨や水、太陽の光の秩序と同じものであるということ。

難しい話だけれど、あなたが仏教の話を出すからこういう話になるのです。もし子どもにもっとわかりやすく言うとしたら、「生きていることは自分の力で生きているの?」と聞く。「今日、ご飯を食べたでしょ?今、呼吸をしているでしょ?水を飲んだでしょ?心臓が動いているでしょ?そういうふうに生かされているんだよ」と伝える。そういった原則、生かされているという原理の上に我々は表面的な意識を持っていて、自分が生きていると思っている人はそういう意識でいるわけです。しかし、その深いところまで気づいていったら自分の思考というものは薄くて、その前に大前提の原理、原則があって初めて現象が成立しているということに気づく。そうすると、その薄い思考で捉えているという意識は消え去ってしまい、生かされているという意識になる。

あなたが本当のことを人々に伝えたいと思ったとする。それはニセモノがこの世界にあると思うから、本当を伝えたいということを思う。何かを「本当ではない」と思うから、本当を伝えたいと思うのである。そうすると、今は人々が本当を知らない世界ということになる。自分も知らない。人々も知らない。そこで、自分は本当を知って本当を人々に伝えたい。では、その本当は何かといったら、思考のベースに観えてくる原理。その原理から生み出される現象が現れる。そして、その現象の奥にある知恵が現れる。宇宙の知恵、真理。その真理のもとに人がある。それが歓びであり、その歓びのもとに原理、原則が示すこの世界の目的がある。それは「浄土」とも言うし、「地上天国」とも言う。色々な言い方になる。

ここにあるメンバーのこまねちからもらった手紙にこんなことが書いてある。「正しい食べ物を正しい食べ方でみなと食べ、自分に正直に暮らしていく。こうした身魂磨きを続けていくことこそが、あちら側の意志に基づくことにつながると信じているのだがどうだろう。最後に一句。神様の 教え守りて 粛々と 歩み続ける 我こそ 神なり。」つまり、粛々と歩み続けることが目的なのだと。

ゆたかくん:
粛々と歩み続ける。。。

イサジ:
ただただ学び続けて、磨き続けること。それがこの世界に生み出された目的であって、形が現れるとさらに次の形が現れ、それは変化し続けるものだ。だから、求め続けること。

ゆたかくん:
求め続けること。。。

イサジ:
そこに歓びがあって、それが求める原動力、エネルギーになる。それが続いていく限り、我々はいつも新鮮な気持ちになっていく。それが生命。いのちの表現ということ。だから、どこかに終着地点を設けてはいけない。

それで、「僕のやるべきことは何でしょうか?」という最初の質問に戻る。あなたのやるべきこととは?

ゆたかくん:
何だろう。。。

イサジ:
いきなり答えを出そうとするのではなく、心の扉を開けた時に今目の前にあること、一番身近に想うことにまずは取り組んでいけばいい。テストをもらって満点を取りたいと考えるよりも、最初の一問目を見てそれを解くことをするべきなのだ。人はテストをもらったら、先に満点を取りたいという心が働く。満点を取りたいと思う前に、1問目から取り組んでいけばいい。

ゆたかくん:
目の前にあることからやっていけばいいだけか。。。

イサジ:
そうすれば、間違っていれば間違いがもらえるから、またやりなおせばいい。合っていればそれを糧にして次に進めばいい。

ゆかたくん:
それが心磨きですか?

イサジ:
心を磨くのも、「磨こう!」と思って磨いたら、正解を先に求めることになる。しかし、それで正解かどうかはわからない。それは磨いた結果、答えをもらうだけのこと。ということは、どうしたらいい?

ゆたかくん:
これからもよろしくお願いします!

イサジ:
ハッハッハ。これで今日の話は終わりだ。良い時間だった。

ようこ:
「聖者イサジに弟子の僧が教えをいただきに来た」という感じだったね。

ゆたかくん:
今日のような光景は、昔、映画で観たことがあるような気がします。

イサジ:
本来は、こうでなくてはいけない。つまり、師がいてすべてを伝える。それを忠実に守る弟子。それは師弟の関係をつくるだけ。たしかに、語りかけることは必要だけれど、自らの中から知恵を引き出し自らで悟っていくことが大切だ。そうでないと、人は成長しない。

ゆかたくん:
その通りです。

イサジ:
仏教の下地があってよかったね。

ゆたかくん:
ハッハッハ。たしかに。

ようこ:
インドに行ったことも、今日の学びの肥やしになっている感じだね。

ゆたかくん:
今日は本当にどうもありがとうございました。


銀河の旅へ

昨年の大晦日の大人会議では、いさどんが「銀河の旅」と題して2時間近くにわたるお話をしてくれました。今回のブログではその時の様子をご紹介したいと思います。

なお、今回の原稿のテープ起こしは、地球家族を実践している情熱家、もとやんも半分以上受け持ってくれました。もとやん、どうもありがとう!

PDFファイルはこちらからダウンロードできます

いさどん:
今日は大晦日、通常のミーティングとは違ってこんな時間になりました。この時間が持たれるきっかけになったのは、1週間くらい前のことです。朝、ようこちゃんと話をしました。僕はいつものように夢の中から帰って来たわけです。最近の僕は、この世界に肉体を持っていることを不自由に思ってきています。僕の中にある想いはいつも広く大きな想いの中にあるのです。心を上の方に向けると、僕の中に浮かんでくるイメージの世界では雲が観えます。その雲は地球上で見える雲ではありません。なんとか星雲とよく言われるような、銀河の雲、宇宙雲です。それが想いの中に浮かんで観えます。日々、そんなことに想いを馳せていると、目が覚めてこの世界が現実なのかどうなのか考えてしまいます。

私たちの生きている世界は、移ろいゆく世界です。僕は来年の5月になると60歳になるのですが、ついこの間、3歳だったという意識があります。ついこの間小学校に上がった記憶があります。そして、ついこの間高校を出て、20歳で社会に出ました。自分の記憶をたどってくると、すべてがあっと言う間のように思います。一年前の今日を想うと、あっという間でした。元旦の初日の出を見に行った記憶があります。その時に「今年が始まる、今年も種蒔きが始まるなぁ」と思っている間に、もう今年が終わろうとしています。年が明けるとまた種蒔きの事を思います。そして、あっと言う間に月日は流れていきます。これがこの世界ですね。そして、生まれた時はこんなに小さかった。その時は髪の毛があったのかなかったのか記憶はありませんが、今は髪の毛がありませんけれど(笑)、途中はあった時もあります(一同、笑)。あの生まれてきた時の姿を想うと、今は妖怪のようですね(一同、笑)。

私たち人間は3年を区切りにしてすべての細胞が変わると言います。そうすると、60年という年月は、単純に言えば20回も入れ替わったことになるのです。どこからどこへ変えたかと言うと、土と自分の循環です。そして、そのエネルギー源はすべて光です。私たちは光と生きる旅をしているわけです。そういったことに想いを馳せていると、日々の移ろいゆく生の在り方が想い出されます。子どもの頃の無邪気だった頃から一人前になって恋をし、そして当たり前に欲を持ってお金を稼ぎたいと思い、それも実現してきました。僕は30歳で今の生き方の元になる心をいただくようになりました。普通の人たちより20年も早く、40歳にして定年を迎えました。それから20年を経て、来年の5月3日で60歳になろうとしています。その間には色々なことがありました。そして、「私はこういうものです」とか、「こうである」とか、自分を特定することは出来ませんでした。その時その時に起きる現象を通して一喜一憂しながら歩んできたのです。これは生きているということの証です。今までのことは良い思い出になっています。

そして、この間朝起きた時にようこちゃんに、「ようこちゃん、僕はそろそろこの器の中に入っていることが窮屈になってきた」と言いました。どうも今の自分の発想が、肉体の中に入っている魂にしては大きすぎて窮屈に感じています。ですから、魂が内側から圧力をかけ外側の皮をグングン押して、バカバカバカバカと圧力をかけてくるのです。バリバリとヒビが入ってきて、僕の中から魂のヒナが出ようとしている感じです。人間は肉体の中に魂が封印された状態でいます。これが肉体人間の姿です。肉体人間と言っても肉体が生きているわけではありません。魂が生きているのです。生命力のもとになる光が魂から放たれています。それは肉体の設計図でもあります。その光の設計図にふさわしく肉体ができている。原料は全て光です。原料が光だということは、我々が光で出来ている霊的なものだということです。それに対して肉体という物質は、陰陽で言えば陽です。そして、見えないものである魂(陰)がそれを束ねているのです。肉体人間という我々は3次元の世界にいただいている姿です。その体が窮屈で仕方がないと思い出したのです。ということで、まとっている衣(肉体)を取り去って魂だけになるということは、どういうことか分かりますか?

みんな:
死ぬ。

いさどん:
はい、死ぬということです。僕は「死にたい」と言っているのです。ただし、最近よく流行っている自死ではありません。30年前に流行っていたのは家庭内暴力でした。最近、離婚もよく流行っています。ここのところニートやひきこもり、うつ病が流行っていますね。ここ10年ばかり流行っているのは自殺ですね。あまり良い流行ではありませんが。こういった人々は生きることの意味を理解出来ないでいるために、生きることを儚んで、死を選ぶことになってしまいます。僕の言っている死はそういった暗いイメージの死ではなくて、「肉体の中にいることが窮屈だから、積極的に体の中から抜け出したい」という思考を持っているということです。ただし、これを実行するかどうかは、僕の意思にかかっているのです。僕がそれを望んだ時にはそうなるでしょう。望まない時にはそうならないでしょう。死ぬことは誰でも可能なわけです。ただし、それが自分の生きている目的にあっているかどうか、ということについては色々です。その結果、自分に何がもたらされるか。そこに大切があるのです。

そんな会話をしていたわけです。その結果、器を抜けて自分は何がしたいかということを思ったわけです。僕がその時に思ったのは、「旅がしたい」でした。それは新幹線に乗ってどこかに旅行に行くような、そういう旅ではないのです。ここでみなさんにお断りしておかないといけないのは、ここで一緒に家族として暮らしているメンバーの人たちは、僕が奇妙な人間であるということはよく知っていると思います(笑)。訪問されるゲストの中にも、奇妙だからこそここにおいでになる方もいらっしゃるのですが、今日はそういったことに全く慣れていない人もいるかもしれませんので、ちょっと断っておきたいと思います。今からお話しする話は、この大人会議の中の「みんなの心のシェア」ではありません。それから、みなさんに理解してもらいたいと思って話す話ではありません。ここにいる、「いさどんのひとりごと」です。「いさどんワールドを語る」ということで話します。そのことがみなさんの中で何か新しい視点を生むかもしれない。みなさんの価値観を正すかもしれません。

そんないさどんは、人間です。そして、みなさんと同じように生きていて、同じように思考も働いています。ただ、ちょっと普通の人と違うみたいです。ここの生活もこの日本という国にあって、もうじき18年目に入るのですが、こういった生活を提案してきたのも、そこいら辺りにはありそうにないことです。ひょっとして、このマニアックな生活は世界中に類を見ないかもしれないですね。こういった世界をみなさんに誘って歩んできたということは、ここに集った人たちも変わり者なのですが、僕自身が飛びっきり普通でない発想を持っているということです。その飛びっきり普通でない発想の奥にある、日頃みなさんにお話ししていない、そして最近生まれてきた新鮮な部分を公開しよう、というのが今日のこの場所です。それはいくつかの分野に分かれていまして、分けると五つにも六つにもなるものです。ようこちゃんやみかちゃんは日々そういったものに付き合ってくれています。(他にもいますけれど。)それを公開することは日々が忙しくて出来ませんでしたが、今日はその中の一つ、「銀河の旅」についてお話しします。

というわけで、そういうことを了承いただいて聞いていただければと思います。人によっては新しい視点、「それは面白い!ぜひ自分もそんな旅を行ってみたい!」と思うかもしれません。僕には以前から体から抜け出したい願望がありました。生きていることは不自由でした。ところでみなさん、毎日食べ物を食べる、これは自分の意思で食べていますか?面倒くさいでしょう。食べるだけならばいいのですが、美味しいとかまずいとか味覚もあってお腹も空きますから、それを満たすということで食べ、喜びもあるようですが、食べた結果全部自分に取り込めばいいのに、排泄しなければいけないですね。この排泄するのを喜びを持って排泄する人いますか(一同、笑)?1週間も便秘だったら出た時は嬉しいかもしれないです(笑)。そういうことは出来ればないほうがいいと思ってしまいます。食べた分を全部使い切れば、こんなに食べなくてよいはずです。それから、呼吸することは休みなくやっていますね。呼吸することを1分間止めることは、普通の人にはなかなか出来ません。たいていの人は1分以上止めると、みんな気絶しますね。僕は1分くらいはやれますが。昔、3分くらいやったことがあります。訓練すると長く出来ます。しかし、30分止めるといっちゃうかもしれません。そういうふうにして、私たちは日々自由に生きているかのごとく思っているのですが、この世界では縛られて生きているわけです。

極めつけは心臓の働きです。生命の始まりの時、お母さんの胎内で細胞分裂が始まります。細胞が2つ、4つ、8つというふうに2分割で分裂していく中で、最初に出来るのは血液です。機能としては始めに心臓が出来ますよね。それからどっくんどっくんと鼓動を始めます。これは一時も休みません。心停止ということは死ですから。これをなんとか休めてやりたいと思ってしまうのです。ずっと働いているのだから、私たちは毎日眠ります。疲れたら休みますね。しかし、それとは違う意味で休みなく働いているのがこの心臓です。血液の流れも休みがないのです。これだって休ませてやりたいと思うのです。へそ曲がりなことを考えるとですね、「生きているということはなんて不自由なのだろう」と思うわけですよ。この体というのは、さらに地上に縛られて生きている。それで心臓が止まらず呼吸も止まらず、食べ物も食べ続け、排泄し続け、そして赤信号も止まらなきゃいけない。もう、縛られっぱなしでしょ?

そういう中で、まだ縛られているものがある。そういったものの仕組みの中に取り込まれている、この「思考」がある。思考は見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れるという五感によって反応して動いているのですが、それって表面的なことでしょう。人間はそんなことにも良いとか悪いとかで縛られているのです。もし五感がなかったら、そういう思いは必要ありません。美味しいとかまずいとか、美しいとか汚いとか、そういうことはなくなるのです。というふうに、私たちは不自由な世界で縛られている。どのくらい縛られて生きているかといったら、100%完璧に縛られている。何に縛られているかというと、この肉体に縛られているのです。私たちは肉体が思考しているわけではないのです。肉体が生きているわけではないのです。肉体が歩いているわけではないのです。物を食べているわけではないのです。話しているわけではない。そうすると、そこの中に自分と言える存在を特定する五感を束ねている意志、それは六感の部分ですね。それが「心」です。それがあって、それが五感を束ね、五感と心を合わせて「六根」と言います。その六根が健全であるから私たちは健康に生きられるのですが、そういう仕組みで私たちはこの世界に縛られているのです。この肉体というものを持つことで、この地上に縛り付けられているのです。肉体から私を取り去ってやると、肉体の殻を抜け出したということで死ぬということです。そして、死んでどうなるのかというと、どうなりますか、みなさん?     

ちなっぴ:
魂と分かれて、肉体は微細になって自然に還っていきます!

いさどん:
そうです。どうなるかというと、この肉体の生命を束ねている元が魂、生命力ですね、それが抜けますから、そうするとこの世界に微細になって広がっていきます。腐って、そして自然界に全部散らばっていきます。自然に還るわけです。今もそうですよ。自然からもらっては返し、もらっては返しているのです。60年僕が生きると、20回も総入れ替えしたことになります。それと同じように、死を迎えると肉体は繰り返しの因縁から解放されるものですから、全てをこの世界に還元します。そうすると、魂だけになります。これを見ることは出来ません。物質ではありませんから。これを消滅させることはとりあえず出来ません。消滅させる方法はあります。ありますが、この状態を消滅させることは出来ても、大元の魂を消滅させることは出来ません。これはこの世界を創っている元の二つの中の一つだからです。もう一方の肉体は塊との縁から離れて消えたのかということになりますが、これは消えたのでしょうか?

みんな:
消えていない。

いさどん:
消えないでしょう。宇宙は何も供給されないし、減りもしない。ただ充満しているだけの世界なのです。ですから、肉体を構成している要素というのは、新しい構成物質として他者に移っているだけのことで、何も消えていないのです。この世界では私たちは消えることがないし、そういう意味では今世の縁が切れたことを死と言っているだけで、実は死んでいないのです。この世界に死はないのです。ただ在り続けているのです。それが「あってあるもの」という言い方なのです。

そうすると、僕が「この殻を破りたい」と言ったのはどういうことなのか。「抜け出したい」と言ったのはどういうことなのか。この姿から卒業したいということで、この姿を卒業して殻との因縁をお返しして、魂の縁だけになるということです。それはどういうふうになるかというと、質量がありません。先程の六根ということからすると、一根だけになる。意識だけになるのです。しかし、この意識がここの世界にとらわれていると、自由ではありませんよね。死んでからもこの世界に未練が残って成仏出来ない、というのがそういう例です。

僕はこの広い世界、宇宙のことをずっと考えているのです。そうすると、そこが自分の故郷なのです。自分の思考の中にあるルーツ、それが故郷です。それで、僕の故郷は銀河です。みなさんの故郷はどこですか?

けいごくん:
東京!

いさどん:
東京!ハハハハハッ。分かりやすかった。そういう言い方も出来るよね。他にみんなの故郷ってどこにあるの?

メンバー:
太陽!

いさどん:
それは全ては光だということ?それは物理的な光という意味でもあるよね。他に故郷ってどこにありますか?

メンバー:
地球!

いさどん:
地球。地球がみんなの故郷。他は?

メンバー:
大本の神様。

いさどん:
色々な捉え方で自分を捉えていった時の出発点が故郷ですよね。だから、僕で言ったら岐阜県の美濃市というところが故郷だと言ってもいい。そういうことでもいい。東京だと言う人もいるわけだよね。例えば、お母さんっていう人もいるでしょう。お父さんだとかね、土だとか、地球だとか、いくらでも故郷はあるじゃないですか。故郷ってどこにあるの?そうやって並べていったら、どこにあるの?

どんどんどんどん故郷を並べていったら、それをまとめるとどこにあるの?この世界が故郷じゃないですか。すると、私たちは故郷にいて、故郷を思っているという。僕が「銀河の旅」と言ったけれど、ここはどこにあるのですか?

みんな:
銀河!

いさどん:
銀河にあるじゃないですか。それで、今、宇宙の旅をしているじゃない(一同、頷く)。宇宙船と言ってもいいし、惑星と言ってもいい。それに乗って固定しているわけではないのです。太陽のまわりを高速で回っている。自転しながら。そして、太陽系の太陽は止まっているのかというと、実は天の川銀河の中の端のほうにあって、銀河自体が回っているのです。では、旅をしているんじゃない?みんな、銀河の旅をしていない?

みんな:
してまーす!

いさどん:
それじゃ、今日の話、「銀河の旅」は終わっちゃうじゃない(一同、笑)。今、実際に私たちは銀河の旅をしています。そして、私たちは地球人だろうか?

みんな
宇宙人!

いさどん:
宇宙人ですよね。というふうに捉えていくと、私たちは日々を特定してなんだかんだいって生きているのは何なんだろう?そう思えてくる僕の気持ちがわかりますか?「この殻から抜けたいなぁ」って。ご飯がどうだとか、ちょっと食べ過ぎてここが苦しいとか、ちょっと厚み増してきたなぁとか、髪の毛が薄くなったなぁとか。それこそどうでもいいことじゃない?単なる形状にしか過ぎなくて、それは一時のもの。変化するもの。なんだかどうでもいい話でしょう。そして、今のような気持ちになったのです。

ここでまた付録の話をします。(ここからいさどんは立って話し始めました。)僕の田舎の話をしたいのですが、「待っていました!」って言う人はいる(笑)?僕の故郷、岐阜県美濃市乙狩1872番地。江戸の中期頃から続いているうちのご先祖様。もしも僕が後を継いだら、14代目の家でした。今は猿と猪が住民登録をしているようなところです(一同、笑)。おじいちゃん、おばあちゃんばっかりでね。それで若い衆が75才を過ぎているかな(笑)。そんなところになっていますが、最近は行っていません。昔、僕はそこで木の花の生活を実現しようと思っていました。そこを「菩薩の里」と名付けようと思っていました。そこに住む人々は自らの喜びを喜びとするのではなく、他者の喜びを自らの喜びとする。そういった人々が集って、そして村を作り、桃源郷のような理想の世界を生きること。そんな村をつくる夢を持っていました。そこにはまだ両親が住んでいました。僕が40歳の頃です。

その前にもう一つ、大事な話をしなければいけません。僕は今度の5月3日で60歳になります。これは僕の認識では4回目の生まれ変わりなのです。ゼロ歳で生まれました。それから20歳で名古屋に出ました。それで職業を持つ時代を過ごしました。20年間。その間の30歳の時に心の道に出会ったのです。自分の人生を80年としたら、その半生の40年を折り返し地点として、あと10年自分の中から湧き出してくる欲の想いを実現していこう。そして、残りの半生40年は、世のため人のために生きていこう。40歳からはお金を得るために日々を生きることをやめようと決めたのです。そして、40歳で職業を辞めようと思いました。そこで定年を迎えたわけです。40歳で定年を迎えるのですから、普通の人と比べると20年は早いのです。おかげさまで20歳で社会に出て、25歳で会社を立ち上げ、30歳で啓示を受けて、そこから10年残り火のように仕事をして、そして40歳の誕生日の前日に、「もうこれからは日々をお金のために生きない。世の中のために自分の人生を生きる」と決意し、そこから始まったのがこの出会いです。

そして、木の花ファミリー、エコビレッジの生活。60歳からの20年間は僕の最後のステージです。ここでもうひとつ、この間ようこちゃんに話した内容をお話しします。それがまた、この銀河の旅の話のきっかけにもなっているのです。今までは5月の誕生日には当然誕生日会をやってもらいましたが、今度の60歳の誕生日には何をするでしょう?

メンバー:
お葬式?

いさどん:
もうだいぶ噂が広まっていますね(笑)。そうです。葬式をします。

みんな:
エッー!!

いさどん::
僕の肉体人間としての精神を葬ろうと想っています。そして魂として生きる。葬式をするといっても、肉体はまだ続きますから心配しなくても大丈夫(笑)。ただ、物質的な価値観のもとに日々を生きないというだけです。僕は40歳から「菩薩の里」を自分の故郷につくろうと思っていました。ところが、「両親のもとに行って両親の面倒を見ながらご先祖を守りたい」と思っていたら、両親があまり喜ばないのです。当時の僕は愛知県小牧市で内装の仕事をしていました。それまで仕事も順調にいっていたものですから、生きていくには十分なお金がありました。それで、これから両親のもとで暮らしながらこういう心を人々に伝えていく人生を歩もうと思って、半年くらい両親のもとにいたのですが、次第に両親が悩むようになったのです。40歳は若いですよね。いい若いもんが仕事もしないで、毎日箱の上に土を入れて種を蒔いているのです。何をやっているのかといったら、花の種を蒔く勉強をしていたのです。「お宅の息子さん、病気なのですか?うつ病になって、リハビリで家に帰ってきているのですか?」という感じ(一同、笑)。世間様にどう説明していいのかという親の気持ちは分かると思いました。

そして、そこでもう一つ僕は気づきました。自分は最高の親孝行をしようと思っていたのです。普段から求めている心は、世のため人のために生きていくはずだったのです。ところが、知らない間に自分の両親、自分のご先祖様のことが主になっていました。そのことを両親は教えてくれたのだと気づいたのです。親孝行や親切も、相手が望んでこそ初めて親孝行や親切になります。押しつけては不幸を生むことになると気づいたのです。そして、仲間の待つ小牧に帰ってきました。そこで今ここでともに暮らしている創設メンバーの人たちに伝えました。僕は結局、世のために生きると言っておきながら、自分の身内、親、先祖のことを優先に考えていたこと。人の喜びを自らの喜びとするのが菩薩の生き方だと言っておきながら、自らのことを優先していたことを伝えました。その反省から富士山麓での生活を決意しました。そして、それが今世の故郷からの出発だったのです。

僕は30歳で心の道をいただくようになりました。さかのぼって、19歳の時に頭の上におばあさんが座っていることに気がつきました。この人は僕が15歳の時に亡くなったおばあさんです。この方は一般の宗教でいう守護霊さんという存在でしょう。私たち子孫に色々な利益をもたらしてくれる存在です。ですから、僕にも仕事のことや色々な人間関係の中で、僕の努力以上に良いことを引き起こしてくれるのです。それは僕がそれにふさわしい人だったからです。子どもの頃から両親のことを大切にし、そしてご先祖様を敬う心が強くありました。そういう不思議な子どもでした。だからこそ、おばあさんが亡くなった後に、大事な子孫に対して先祖を代表して僕を守りに来てくれていたのだと思うのです。それはありがたいことです。

でも、今はそのようなことを全く歓迎しません。もしもおばあさんが今僕の上に現れたら、僕は伝えるでしょう。「ばあちゃん、自らに近いものを大事に想って、いつまでも後ろの方を向いていないで、まっすぐ前を見て次の自らの生き方に向かって、魂磨きにまた地上に降りておいで。そして、いずれ綺麗な心になって昇天する道を歩んでください。それが守護神であっても、そういった特定の人間の欲を叶え利益を与えるような神が存在するから、御利益宗教がいつまでも地上にはびこるのです」と。でも、その当時はそういうことを「ありがたい」と思っていました。僕もそういったレベルだったのです。そして、ご先祖様のおかげで商売は順調良くいきました。色々ありましたが、僕の努力以上のことが叶った時代だったのです。

そして、30歳の12月26日のことです。僕の頭の上にいたおばあさんに代わって、知らない男性が頭の上に現れたのです。そこから心の物語・木の花ファミリー物語が始まりました。本当はもっと前からあるのでしょう。実際には5年ほど前にのりちゃん、れいちゃん姉妹には出会っていました。その後じゅんじマンやはるちゃんにも出会いました。そんな中で僕の頭の上にいたおばあさんの代わりに現れた男性が、のちに黄金の仏となって僕の上に現れるのです。それがみなさん良くご存知のお釈迦様だったのです。。。(いさどんは目に少し涙を浮かべています。)その時のことを思い出すと言葉に詰まってしまいます。それから9年間、この道についての学びをいただくことになりました(みんな、静かにいさどんの言葉に耳を傾けています。)この学びの物語は、簡単に言葉で表わすことは出来ません。いつか改めてそのための機会があると思います。

僕はこの道をいただいてから29年になります。そして、世の中の不幸な人たち、問題事に出会った人たちの話を聞いて、問題事の奥にある意味を学んできました。そんな中で人の在り様を見て、それを活かしていくことを教わりました。ですから、お医者さんや心理学の世界で人の心を研究している専門の人たちでも理解出来ない心の仕組みを捉えることが出来るようになりました。これはどこかで学んだものではなく、この世界で他にはない方法であり、天からいただいたものです。それがあるからこそ、心身の病気や人々の行き詰まりがどこから来るのかということを僕は伝えることが出来るのです。そして、それが問題事なのかといったら、問題事は私たちに問題事の種があることを教えてくれるものです。問題事を避けて通る人は、常に問題事とともにあることになります。人生は常にひとつのことを克服すれば、新しい問題事がその人の前に現れてきます。それはその人に問題事の種があるからです。学習してそれを取り去った時に、病気でも何でもそうですが、その問題事は消えるものです。そういったことを学ばせてもらいました。

そして、その出会いから1年後に僕はお釈迦様の故郷へ行くことになりました。師匠の吸った空気、嗅いだ匂い、そして踏んだ土、それを体感したいと思ってインドへ行ったのです。でも、あの方はもう二千数百年前に亡くなってしまいました。僕のインドの旅は2週間ほどの旅だったのですが、毎日泣いていました。インドに着くまで全く気づかなかったのですが、インド行きの飛行機の中で同乗した添乗員に、なぜ自分がインドに来たのかという話をしていたのです。そうしたら、そろそろカルカッタですという機内放送が流れて、その時僕は「ところで今日は何日ですか?」と添乗員の田中さんに聞いたのです。「今日は12月26日ですよ」と彼は答えてくれました。12月26日はその方が自分の頭の上に現れた記念日なのです。誰もそんな計算をしていないのに、その記念日の日にインドのカルカッタ空港に降り立つことになりました。

そして、飛行機の扉が開いたのでした。その時にふぁーと吹いてきた風とともに出会ったその空気の匂い。その時に僕は何を感じたかというと、「帰ってきた」という想いです。今までの自分が懐かしいと思う経験の中ではもっとも強いもので、「久しぶりに帰ってきた」という感じがしたのです。そして、その時に僕はわかったのです。自分が過去にインド人だったことを思い出したのです。それからインドの旅をしました。その旅はブッダの聖地巡りの旅だったのです。行くところ行くところで、自分がそこにいたことを思い出す旅をしました。

今、僕が相談に乗る時には自分の中から話が湧き出してきます。僕が話す話で、僕自身も初めて聞く話をすることがあります。しかし、それは新しい話ではありません。僕の中には記憶の奥にある無限の泉があるのです。その中に折りたたまれている記憶がよみがえってきているだけなのです。だから、それは過去の事実なのです。そして、その記憶のもとに想いが湧き出てくるのです。その時も故郷へ帰ってきたという強い想いが湧き出てきました。それは、僕が今回日本人として生まれてきて、30年ちょっとこんなに強い郷愁を覚えたことはなかったことでした。「インドは私の故郷なんだ」と気づいたのです。それと同時にわかったのは、「僕はあのヒマラヤの標高が高いところで、長い間暮らしていたことがある。それから何回か人間の体をいただきながら、今回日本人として生きている」ということがわかったのでした。そしてその旅が終わり、日本に帰ってきました。

そして、いつの頃からか記憶にないのですが、毎日夜になると星が気になり出したのです。たった一つの星が気になるのです。その星がいつも僕の気を引くのです。チカチカチカチカしながら。それは風の作用でチカチカなる、そういうものかなと思ったのですが、そのチカチカが僕の心を引きつけるのです。それで、いつも気になるからその星を見るようになりました。そして、ある時それをジィッと見ていたら、その星に無償に郷愁を覚えるのです。その懐かしいと思う郷愁の強さは、あのカルカッタの空港で感じたものよりはるかに強いものでした。僕がインドで感じた郷愁よりもはるかに強いものがその星から感じられるのです。「この感覚は何だろう?」と思い、それをずーっと見ていました。そうすると、その星が何かを僕に言っているのです。何かを伝えてきている。「何を言っているのだろう?」と思っていました。

はい、ここでみなさんに質問です!その星は僕に何を言っていたでしょうか?

ちなっぴ:
早く帰ってキンセイ(一同、笑)!

いさどん:
その星は僕に、「早く帰ってキンセイ。早く帰ってキンセイ」と言っているのです(笑)。「あの星は何という星なのだろう?」と思っていたら、金星でした(一同、笑)。だから、「早く帰ってキンセイ」と言っていたのです。僕はその時に気づいたのです。「僕はあの星から来ているのだ。あの星が故郷なのだ」と確信しました。僕は以前インド人であったことを確信していましたが、でもその前はあの星から来ているのです。そして、今間違いないのは、僕は岐阜県の美濃市というところで生まれた。これも確信です。今、3つの故郷のことを言いました。

最近、僕はこの体の中にいることを不自由に感じています。だから、いつも死にたい願望があるのです。でも、自殺のような死にたい願望ではありません。この体の中にいるのが不自由で仕方がない。だから、いつでもこの体を返上したいと思っています。しかし、その時はまだ来ていません。今回生まれてきた目的があるからです。その約束は果たさないといけません。それは自覚しています。ですから、自殺するようなことはありません。でも、もし神様が僕に「おまえの願いを一つだけ叶えてやる」と言われたら、私には一つだけ願いがあります。それは、この体をお返ししたいということです。しかし、それは今は出来ないのです。僕が今回生まれた目的を果たすことが条件ですから。そのことは理解しているのですが、相変わらずそんなことを想っているわけです。それが強くなって、今回脱皮したいということを言っているわけです。

そして、これから僕の故郷、金星の話をします。僕には、以前より金星が自分の故郷であるということがわかってきました。でも、「自分がその故郷にいた頃、どうやって生活をしていたのだろう?そこにはどういう人々がいるのだろう?」ということまではわかりませんでした。これはみんなに話していないことですが、僕はヒマラヤで暮らしている頃の自分がどういう生活をしていたか、ということを知っているのです。それはまた別の機会に話をするとして、今日はもう一つの故郷、金星の話です。僕の田舎です。そこには車はありません。テレビもありません。家もないのです。僕の故郷にも大気はあります。地球の大気は何となくブルーですね。地球を外から見ると青っぽいじゃないですか。私たちが地上にいて見てもブルーに見えませんが。この大気が金星ではもうちょっと濃いのです。物理的にも太陽に近いところにあります。ただ、地球とはちょっと仕組みが違います。それは物理的な要素が優先されているところではないのです。霊的な要素が優先されているところなのです。宇宙はすべてそういった世界ですね。3次元で生命の形を取っているのは、今のところ地球だけだと思います。わざわざそういうふうに創ったのです。金星も物理的生命の世界ではないのです。ですから、金星にも人々はいます。僕の金星の家族というのは、あのウルトラマンに出てくるようなウルトラの父とかウルトラの母とか、そういうものではありません。でも、お父さんやお母さん、兄弟のような人はいます。

みんな:
・・・?

いさどん:
これからちょっとイメージしてみます。自分がいるでしょう?この自分の中にある自分が大きくなった。そうしたら、この器をパッと脱いで、そしてヤドカリのように新しい器をもらうでしょ。そういうスタイルとか、もう一つは自分が大きくなっていって、自分というものを形成するよりも余分なものが出来たら分裂していくのです。余分なところを切り取って、離してやるのです。そうすると、それが大きく育っていきます。クローンみたいなものです。すると、これは親子とも言えるし、兄弟とも言えるし、同じものとも言える。僕の田舎にはそういう人々がいます。わかるかな?宇宙にはそういう人々や生活あってもおかしくないでしょ?そういう人たちが故郷にいるとして、僕は単身赴任で来ているから、かみさんや子どもたちのような人々がいるのです。どの人もすべて身内なのです。

大気はピンクです。地球はブルーの星でしょ?それに対して金星はピンクです。鮮やかなピンクではなく、ちょっと爽やかなピンクです。そういった世界に人々はいるのです。その生活は地球とはちょっと違います。私たちは肉体と魂のセットになったものです。金星は3次元世界には生命のない世界です。ということは、肉体のない状態です。魂の存在だけです。そこで、暮らしている人々の姿をちょっと説明してみますと、ある人は楕円の縦長で、背の高い人は4メートルぐらいあります。細くて長いです。ある人は3メートルくらいでちょっとメタボかな。ひょろっとしている人もいれば、ちょっとメタボかなという感じの人もいます。私たちにはひとりひとりに個性的な表情があります。ところが、この人たちは顔を持っていません。足も持っていません。でも、個性はあるのです。どういう個性を持っているのかというと、色と先程の形です。その色が面白い!全部「虹」で表現されているのです。地上の虹というのは光が屈折して七色に変化します。これは霊的な世界でも物理的な世界でも同じです。そして、金星でも地球でも同じです。

今、私たちには肉体があります。そこから肉体を取っても、いきなり魂になるわけではないのです。肉体から魂(肉体の生命力)が抜けると肉体生命との縁が切れるから、肉体はすべて消滅して自然に還ります。私たちが通常生きている状態では、肉体の内側には幽体というものが形成しています。そして、その中に霊体というものがあって、その中心部分に私たちの元になる光の設計図があります。これは生命の完成されたものです。光の設計図ですから、宇宙の創造主が設計したもので完璧な姿をしています。それに基づいて肉体が形成されているのです。僕は今肉体人間です。たまたま指を落としてしまいましたが、これは物理的に指がないだけで、幽体、霊体の世界では指はあるのです。だから、僕が死んだとしても、幽体、霊体の状態でみんなの前に現れることは可能です。これはイエスの復活と同じです。その時には完璧な状態で、髪の毛もふさふさなのかは知りませんが(一同、笑)、その人が一番エネルギッシュな状態で現れます。僕の場合は今のこのままの姿かもしれません。

僕の故郷の人々は肉体を持っていませんから、いきなり幽体、霊体の世界です。幽体、霊体の状態を幽霊と言うでしょ?幽霊には足があるのです。完璧な姿なのです。その幽体、霊体というものが何で出来ているのかというと、わかるかな。例えば4メートルの背の高さの縦長の楕円形の人がいたとします。それは幽体の姿です。私たちにはそれにふさわしく肉体が形成されているわけですから、肉体がなくなっても霊体はあり続けるわけです。だから、死んでも健康な状態で出てくるのです。死んだ時に血をだーっと流していたり足がないという姿は、不健全な状態です。健全な幽霊は健康体です。肉体から解放されているわけですから。みんなは不健全な幽霊ばかり考えているけれど。うちの田舎の人たちの体は虹で表現されているのです。虹が横にチチチチチチッと表現されているのです。だから、七色になっているわけです。普通、地球上の虹というのは円形状に七色で出来ています。でも、僕の田舎の人々の姿を形づくっている虹は、虹が細かくみじん切りの状態になり、連なって体のまわりにある感じです。

みかちゃん:
プリズムシートで光見ると、全体がチチチチチチッとなっているよね。

いさどん:
そうそう!そういうイメージだと思ってください。つまり、もとの材料は光です。大気がピンク色のところに、ちょっとオレンジっぽいような、ちょっと黄色っぽいような、ちょっと赤っぽいような違いがあるだけです。薄いブルーもあります。黒いものとか、地球でいうネガティブ的な色の人はいません。ずんぐりの人がいたり、のっぽがいたりということです。

そこでお話しするわけです。対話をする時にその人の方を見るでしょ?名刺はありません(笑)。ぱっと見ると、「あなたはそうですね」、またこちらを見て、「あなたはそうですね」ということです。話さなくても姿を見ただけで、どういう人かわかります。音声ではないのですが、音声に変えると、「ブッ」「ブッ」「ブーン」「ブーン」「ブッ」と、なかなかリアルには出来ません。上手に出来ません(一同、笑)。でも、そうやってここの世界でも話せない?言語をやめてね。(「ブッ」「ブッ」といさどんはみんなに話しかけてみます。みんなも真似してみますが、なかなか難しそうです。)でも、こんなに不自由なものではありません。それで、話す時に光の強弱でバッ、バッと反応するのです。これは音声ではないのです。空気で伝導しませんから。光がザッ、ザッと振動するのです。それは音にしたら今のような不細工なことになって、イメージが壊れるのですが(笑)。それが僕の故郷の人たちです。

ともちゃん(書記):
あっ!データが消えちゃった(一同ざわめく)!

いさどん:
どうも話がぶっ飛び過ぎで、パソコンが飛んじゃったみたいです(笑)。でも、録音しているから大丈夫!さらに田舎のことを思い出してみると、自分の中の記憶が湧いてくるのです。僕は今ここの地球で変わりものでしょ?変わりものというのはある意味では良いかもしれないけれど、ある意味では孤独なところもあるのです。だから、こうやってここに変態ばかりを集めて(笑)、孤独じゃない世界をつくっている。一般社会に生きていたら、孤独になっているでしょう。僕はさみしがり屋ですから、同じような変態を集めて仲良し社会を創らないと寂しくて仕方がないのです(一同、笑)。

どうも向こうでも僕はあの人たちに馴染めなかったようです。「あなたたちは何が毎日楽しいの?」と。つまり、あの人たちは喜びを持っていない。そのかわり、悲しみもない。ただただ素晴らしい。素晴らしい、本当に素晴らしい世界!ブッダやイエスそのままの人ばかりがいる。そんなところで暮らしてどう思いますか、みなさん?

みかちゃん:
わからない(笑)。

いさどん:
わからない?例えば想像してみて下さい。そこで毎日暮らしていたらどうですか?

ちなっぴ:
素晴らしいだけで感動がなさそう。

いさどん:
でも、素晴らしい。素晴らしかったら感動するはずじゃない?しかし、私たちが素晴らしいとか感動するというのは、つまらないことを知っているからです(一同、頷く)。辛いことを知っているから、素晴らしくないことを知っているからでしょ?だから、ここには喜びが沢山あるのです。あそこは素晴らしい世界です。本当に素晴らしい!多分、宇宙はそういうふうにしてほとんど創られているのです。なぜ宇宙は始まったのか、なぜこの世界を創り出したのかという話ではその物語が出てくるのですが、そのままの物語が金星にも火星にもあって太陽にもあります。それぞれ個性は違うけれど。そこにいる人々にはそれぞれにふさわしい人柄というか、人類柄というか、星柄というものがあるのです。

僕はそこで思い出したのです。「そういえば、つまらなかったなあ」と。この世界を創造された神様も、はじめは一つだけだった。偏った一方の世界だけだったのです。それは完璧だから、つまらなかった。この世界は陰陽のバランスで出来ています。すべては相反する二つによって創られ保たれています。陰と陽は50:50の関係ですが、先にあるのは陰の方です。陰(魂)がもとになり、それにふさわしく陽(物質)が形成されていきます。聖書の言葉に「はじめに言葉ありき」とありますが、言葉は言霊であり陰のことを指します。はじまりは想いだけであり、物理的なことはなかったことになります。その陰だけの世界から物理的世界(陽)が生み出されてきたことになります。

そうすると、私たちの世界は観えない想いによって創られているわけです。創られた世界(陽)と想いから生み出す世界(陰)。想いの世界だけでは片方の世界なのです。善意、愛、調和(陰)の世界。幸せはそこにないのです。喜びもそこにはないのです。僕はその世界はつまらないと思っていたようでした。そうしたら、「おまえは劣等生ではないか(そこでは劣等生というものはなく単なる個性なのですが)。劣等生としてその個性を活かしてきなさい」ということで、1000年ほど前に地球に派遣されて来ました。それで、まずはインドに降り立ったのです。今回の派遣はとりあえず1000年契約です。時給がいくらかは知りません(一同、笑)。年給かもしれませんが、給料は多分ないと思います(笑)。「役割をしっかりと果たした」ということでおそらく何かはあると思うのですが。向こうでも馴染めなかった。僕がそれを間違いとしてではなく、愚かさとしてでもなく、「個性として役割を果たしてきなさい」ということで地球に来たのです。向こうの貴さをもとにして、ここにある喜びを表現すること、それが役割です。ここには喜びがあり、幸せがあるのです。そして、喜びや幸せがあるということは不幸がもとにあるということです。だから、両方がセットになっているのです。喜びも不幸も超越した一方の世界へ行きたいのなら、僕の田舎に行けばいい。それで、いつぞや故郷のことを思い出し、向こうは「帰ってキンセイ、キンセイ」と僕を呼んでいることがわかりました。最近になって、僕はそろそろこの殻を脱いで自由に世界を旅したいと思うようになりました。スペースシャトルはいらないのです。このままで行けます。

この世界は想いで出来ています。自分の中に「今日はお酒が飲みたいな」とか、「パチンコをやりたいな」という想いがあったり、いつも子どものことやお金のことばかり考えていたりすると、未来にその世界が展開されるのです。それがこの世界です。私たちが想ったことが起きるのです。その究極は核融合です。太陽の中には核融合が起きていて、毎日、水素爆弾、原子爆弾の爆発が起きているのです。そして、そういう世界を人間は頭の中で描いたのです。現実に兵器にして戦争のネタにしているのです。そんなことも出来るのです。つまり、私たちが想うことは何でも出来ます。パソコンでも携帯電話でも、全部私たちが頭の中で描いたことなのです。そこで想うのは、自分の中から湧き出る無限の記憶。それが過去をよみがえらせてくれるのです。故郷のこと、そこでどうだったのか、そしてここへ来てどうなったのか、心の旅はどうだったのか等です。

その結果、次のステージはどうしようかと考えていて、「旅行に行きたいな」と思ったわけです。その時に、「自分の故郷だけではなくて太陽系を旅したい」と思ったのです。それは可能だと思ったのです。普通の人々は地球由来の人たちですから、地球で肉体を終わると宇宙空間、地球の外側に行き、そこのどれほど高い位置にいるかによってまた下がったり上がったりするのです。外から来た人々は元いた惑星に戻ります。僕は「故郷には合わないから、違う惑星に行きたいな」と思うようになりました。

そこで今日の「銀河の旅」の話になるのです。いやいや待て、太陽系なんてそんな狭いことを考えなくても、天の川銀河だけでも200億もの恒星があるのです。その一つ一つに惑星があるのです。そこには私たちのような3次元世界の生命世界はほぼありません。そういう世界が現実にあって、3次元世界の思考ではこの宇宙は理解出来ません。その思考の延長に「太陽系を抜け出してしまおう!」と、宇宙雲のイメージが湧いてきたのです。「銀河から銀河へ旅しよう!」ということを考えていました。僕が「銀河の旅へ行くよ」と言ったら、ようこちゃんが「私も行こうかな」と言いました。ここにいるみんなは「一緒に行きませんか?」と言ったらどうしますか?

みんな:
行くー!!

いさどん:
今日のゲストの方、このとんでもない話はいかがですか(笑)?なかなか初めて出会ったゲストにこういう話をする人はいません。ここが怪しいところと思われるだけですから(笑)。僕は5月にお葬式をします。そして、物理的な目的のもとに日々を生きないという生活をしようと思っています。しかし、まだ肉体はあります。とりあえず契約はあと20年、今世の最終章です。その後どうするのかです。「ここに残るもよし、好きなようにせい」ということらしいです。それで、僕は銀河の旅に出ようと思っています。その時にみんなが一緒に行くかどうかはその時になってみないとわかりませんが、別にあわてなくても時間といったものを超越した世界ですから。多少後から来たって、最近良いナビも出来たし(笑)、いつでも合流出来る世界です。心配することはありません。

今、僕は現実世界のこの地球を自分の役割分治めているのですが、先程1000年ほど前にこの星に来たと言いました。1000年が派遣の一区切りですから、今世で僕の派遣が終了することになりますので、新たな旅に出ようかなと思っているのです。ひょっとして、みんなもそうかもしれない。みんなの記憶がそのようによみがえってくれば、そうなるでしょう。そして、人間はどうしてこの地球に生まれてきたのかということがわかってきます。今、アメリカでは何年か前から火星の地球化計画というものを立てているのを知っていますか?具体的な話は知りませんが、これは1000年かけて行なう計画です。火星の大気をつくるために地下に眠っている水を蒸発させるのです。そのことによって大気をつくり、1000年後に人類を移住させるという計画があるのです。それは物理的な体を持っていく計画ですから、非常に幼稚な方法です。

しかし、僕のシュミレーションは、人類が地球上で生き辛くなった時に、もしくは細胞分裂のような形で地球を離れる必要が起きた時や人類が増え過ぎてしまった時に、人類移住計画を考えているのです。その方法の前提として、人間が肉体人間であるという執着から離れる必要があります。離れるということはいのちを絶つということですが、絶たなくてもいいのです。自動的(自然)に抜ければいいのです。幽体離脱のように体から抜ければいいのです。そうすると肉体からの束縛から自由が得られます。肉体人間の時のように心臓が止まることはないし、呼吸に縛られ、体の機能のためには食べないといけないといったことから解放されるのです。では、何を持って存在しているのかです。それは、プラーナです。気、生命力を持ってのみ、生きている状態になります。

その状態でみんなで行くのだったら、簡単な乗り物でもつくりましょう。これは重力といった一切の物理的なものに影響されません。エネルギーは想念です。ですから、「みんなで移住しましょうか!」と旅に出るのです。「今度はどこに行こうか?」と語りながら銀河を旅していくのです。そのうちに新しい移住先も見つかるでしょう。移住先の星を見つけたら、魂たちはその星を取り囲みます。その魂たちは強い生命力の念を持っていますから、星のまわりにいてその星に念の影響を与えていくのです。そうすると、その星が変化していきます。二酸化炭素の熱い星だったのがだんだん冷やされていきます。冷やされていくと雨が降って海が出来ます。そこには色々な物質が存在しています。もし地球のようにしたければ、アミノ酸を原料にして細胞分裂させればいいのです。そうやって酸素対応型の生命の星を創ったとしましょう。その次に何をするのでしょうか。哺乳類を創ろうか?いや、やめておこう、それは前に失敗したじゃないか。二足歩行で不安定で、「不安だ不安だ」と愚痴ばかり言っていたじゃないか。四本でも安定するのだから、六本だったらさらに安定するだろう。六本足にしよう。そして、あの時失敗したのは、まず目が前に二つあるというのがまずかった。それを横にずらし、もっと広い視野にする。さらにそれをとび出させてもっと大きくして、ひまわりの花のように目の中にいくつもの目をつくったら、さあ、これを何というでしょうか?

みんな:
・・・・?

いさどん:
複眼!これで視野が広がる。さらに、今までは地上に縛られて視野が狭かった。どうしても物質的な肉体を持つと、惑星の重力に縛られることになる。だから、この重力に縛られない装置をつけよう。地上に縛られていたからこそ、地表にはいずりまわって、「何か良いことはないかな?」と下ばかりを見て、物を拾うかケンカをするくらいだった。だから、もっと視野を広く高くしたい。そして、羽をつけた。でも、鳥の羽ではだめです。鳥はバタバタと羽ばたかなければ飛べません。ちょっと休みたいとなったらそのまま真っ逆さま。これは今、人間が考えている程度のことです。そうすると、今度の私たちの魂の受け皿は何がいいでしょうか?

みかちゃん:
トンボ!

いさどん:
そう。トンボは空気を泳いでいる。だから、羽が止まっているみたいに見えても瞬間移動出来るし、ちょっと疲れたなと思ったら風に乗っていればいいのです。こういう生命が出来るのを待っていて、魂の受け皿が出来上がったら天孫降臨です。地上が収まってきたゆえ、天の神々が地上の整備のもとに降りてきた。いのち(命)は「みこと」ですから、神々のことです。天のみことが降りてくる。そして、子孫を増やしていく。今度は不調和や対立のない世界、貴い魂だけが降りて、イエスやブッダばかりの世界を創ろうと。しかし、そうするとまた「つまらないなあ」ということになるのでしょうか(一同、笑)。「また旅に出ようか」と(笑)。そうやってどんどん繰り返して、きっと私たちの先祖も、「あの失敗はもうやめようか」ということになったと思うのです。そして完璧を目指したのです。それは一方の世界でした。それでここに来て、あの故郷を思い出し、「あの完璧はやめておこう」となって、またこの失敗作を創って今、楽しんでいるのかもしれない(笑)。

さて、私たちは今、銀河にいますよね。さっき、「銀河の旅に行く人!」と言ったら、みんな手を挙げました。でも、今この瞬間もその旅の途中なんじゃない?私たちは現在銀河の旅人なのです。10億年先だか30億年先だか、50億年先だか、次の旅立ちは来るでしょう。その時には、ぜひまたみんなで一緒に旅立って、新しいフロンティアを楽しみたいと思います。とりあえず今、いかに私たちが面白く広い世界にいるのかということです。今日はそういうことをみんなに伝えたいと思いました。これについて話をしていると、私たちの心は広がっていきます。そして、大晦日どころか、来年1年中でも話してしまいそうです(一同、笑)。また、この仕方のない話を聞いてくれるみんながいるからこそ、僕もまだここにいて生きがいがあります。誰も聞いてくれなくなったら、本当にこの殻を破って「さようなら!」と行きたいところですが、付き合ってくれる沢山の変態たちがいるから、僕は地球上にいてまだうつ病にならずにすんでいます(一同、笑)。こうやって話しながら、「僕は幸せものだ。まだ旅立たないぞ」という確信を持ちました。とりあえず、今日の話はここまでにします。どうもありがとうございました(一同、拍手)。

みかちゃん:
ここで2曲歌います!

♪岩の舟

月夜の晩に 岩の舟 人々乗せて 海へとすべり出す
人々どこからか集い来て 次々と舟にすべりこむ

人の世の海を渡る 岩の舟に乗って 夜の海をどこまでも 
雲の波かき分けてゆくよ 人々集い 人々歌う 月の宴

人の世の海を渡る 岩の舟に乗って 夜の海をどこまでも
月の光を浴びてゆくよ 月の宴

♪星がささやく
ああ 星が降る
ああ 星が降る夜
ああ 無限の星が
ああ 私にやってくる
ああ 星がささやく
ああ 星がささやく
忘れていた記憶 今よみがえる
星々の記憶が 私の中で目覚める
この宇宙のすべてが 私の中にある
星がささやく 私の体の中で
星がささやく 星がざわめく
星がささやく 星がざわめく
からだに こころに おまえが宇宙だと 星がささやく
星がささやく 星がざわめく
こころに からだに おまえが宇宙だと 星がささやく

(一同、拍手。)

―そろそろ我々も、宇宙人として地球の意識と対話して歩んでいきたい―
             宇宙人ピトピ(旧名 いさどん)