まだまだです!は順調な証

2泊3日の滞在ですっかり病気が良くなり元気になったけいくん(詳しくは、「2泊3日の滞在でも」をご覧ください)。そのけいくんから、「僕はもう元気になったから、今度はお姉ちゃんの番だよ。お姉ちゃんが木の花に滞在してきたら?」と言われたお姉さんのゆうちゃんが、ここで1ヶ月と少しの間ケア滞在をしました。今回のブログでは、ゆうちゃんのケア滞在記と「主治医」であるいさどんからのコメントを紹介したいと思います。

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「木の花ファミリー ケア滞在記」

2011年2月の中旬から40日間、木の花ファミリーでお世話になりました。最初は弟の病気の相談で弟と母と一緒に木の花ファミリーに来たのですが、私には何かがあり、色々と行き詰まっていたのです。それで、私は木の花ファミリーにケアをお願いすることに決めました。きっかけだった弟の方は、いさどんと面談をして数日滞在しただけで、すっかり統合失調症が良くなりました。だから、自分の方も簡単に良くなるものだと甘く見てケアを受けたものの、なめていた自分がいて、本当に滞在中は苦しみました。

そんな中、ファミリーの人たちは毎日温かく優しく接してくださって、私のうつ的な状態を全身全霊で治してあげよう!という気持ちがいつも温かく伝わってきて本当にありがたかったです。しかし、その反面、私は我が強くて自分のことは棚に上げ、「人を正したい、自分はいつも正しい」という思いがありました。他人の言うことを素直に聞けないので、同じくケアで滞在している人に怒りを感じたり、おせっかいをしてみたり、ケンカをふっかけたりと、以前からの癖がここでも繰り返し出てきました。ファミリーの優しさに心を閉ざし、「早く家に帰りたい」と思ったことは何度もありました。こんなに長い時間をかけて自分の心をみつめる機会はなかったので、挫折して逃げ帰りたいと何度も思った自分でした。そんな我の強い自分も、「自分のやり方で良くしたい、治したい」という思い(この考え方は私の昔からの癖)も滞在中にとうとう底をつき、苦しくて号泣していた時に、やっと主治医であるいさどんの厳しい言葉が心に素直に入ってくるようになりました。親にも言われたことがなかった自分なだけに、直したほうがいい性格上の癖をいさどんに言われた時には辛くて受け入れがたかったです。しかし、そこを受け入れたら、病気になるほど頑固で見栄っ張りでかっこばかりつけていた自分に気がつきました。そうやって自分を正しく捉えることが出来た時に、いさどんの愛情を感じることが出来るようになりました。

その後は毎日作業が楽しく、自分が思っているより自分が小さい器で、情けないところが沢山あることを受け入れたら、ファミリーの人たちと自然の中に囲まれたここでの暮らしが本当に楽しくなりました。毎日目の前のことを集中してやっていく。無駄な考えが湧けば切り替えて、目の前の作業に集中することが健全な心なんだと教わりました。歌をうたって、笑って、みんなと食事をして、クタクタになるまで畑のお手伝いをさせてもらって、美しい富士山や木や花を眺める日々がいただいたものだと思えて、幸せな気持ちをいっぱい味あわせてもらい、いつのまにか苦しい道を抜けて、豊かな心をいただいていました。ここに来る理由となったのは家庭環境のトラウマだったのですが、木の花ファミリーで教えてもらったことは、苦しかったトラウマ時代も実は私にとって必要な経験であったこと。来るべきタイミングがやってきて、木の花のみんなに助けてもらえたこと。すべて与えられ、必要な経験だったのだと学ばせていただきました。

まだまだな私ですが、これからもいただく謙虚な気持ちで、ファミリーのみなさんと学ばせてもらいたいと思っています。今回は体験を書く機会を与えてくださって、本当にありがとうございます。ありがとうございました。

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そして、ゆうちゃんがここを出発する前日の大人会議で、いさどんはゆうちゃんに次のような言葉を送りました。

いさどん:
ゆうちゃんは最初、ケア相談で訪れた弟の付き添いでここに来ました。その時は、「ちょっと落ち着きのない人だな」とは思ったけれど、まさか彼女がここへケアで来ることになるとは思いもしませんでした。弟は短期間の滞在で奇跡のように回復し、それでお姉ちゃんにもケアを薦めてくれたようたようでした。

その後、ゆうちゃんがうつ病ケアを受けにここに来た時には、「この子は難しい子だな」と思いました。というのは、自分で自分の状態を判断していて、「私はそんなに重くない。1週間くらいで良くなる」という判断をしていたからです。それはよくあることで、そういう取り違いをしている人は逆に難しく、時間がかかるケースです。

今は持って生まれた魂のように、謙虚で人に力をもらいながら、そしてもらったことを今度は人のために生かすという人になりました。あなたは陰性だから、人からいただきながら、そのいただいたことを感謝して人に生かしていくというタイプなのです。ところが、ここに来た当初は逆のエネルギーが沢山出ていました。自分のことを自分で判断し、エネルギーもちょっと雑な感じで、ガンガン押し通すような雰囲気でいました。「これは逆転現象が起きているから、このことに気づくのにちょっと時間がかかる」と捉えていました。

しばらくはそういう状態が続いていたのですが、1週間が経って面談をした時に「どう?あなたが予定していた1週間が経ったけれど、これで良くなったと思う?」と聞きました。そこではすでに素直になってきていて、「ダメです!どんどん自分のダメな部分が観えてきました」と言いました。ケアで預かる場合、だいたいいつも最初の1週間をフリーに過ごしてもらい、それからこちらから観える景色を伝え、本人に1週間を振り返ってもらって感想を聞き、その時点で今後の見通しを立てていきます。彼女の場合は、この時点で1週間でいいと思っていた自分の間違いに気づけたので、ようやくここでケアのスタートラインに立てたのです。

その後は、少しずつ自分の実態を認めていく作業に入っていきました。自分を実態とは違うように思いたい、そういう理想を自分にダブらせているとその分だけ余分な時間がかかりますが、彼女はどんどん自分を認めていくという作業に入っていったことを覚えています。

そして、1ヶ月が経った時に僕としては、「今、卒業するのにはちょっと厳しいな」という見解を持っていました。ただし、これはこちらから「ダメだよ」と伝えるのではなく、本人に聞いてみて、本人がどれだけ自分自身を正確に捉えているかということが大事なポイントでした。そこで、「どう?自分で良い状態だと思う?」と聞いてみたら、「まだまだです」と言いました。これが順調だということです。それで、「まだまだです」という言葉を聞けた時に、「卒業はそんなに遠くないな」という見解を持ちました。

それから1週間は、ゆうちゃんがここに滞在していることが気にならなくなっていました。それは何かといったら、ここもひとつの社会ですから、社会の中にいるその人が違和感を発しないという状態です。つまり、調和の生活が出来るようになったということです。調和の原理というのは、まずは謙虚であること。そして、そこで自分が学んでいること。学ぶということは成長しているということです。そういう人は社会では違和感を発しないのです。自分が特別に良くみてもらいたいとか、自分を主張したいといったことがなくなっている状態です。謙虚で学んでいる状態というのは、社会全体を良くすることが出来ているということでもあります。彼女の存在に違和感を感じないと思ったので、急遽面談をすることになりました。それで、「自分のことをどう思う?」と聞くと、本人は「毎日楽しいです」と言いました。そこで、「そうだね、もう卒業の時が来ているね。あとはお母さんと段取りをして、帰る日にちを決めよう」ということになったのです。

ここにケアで来るひとりひとりはその人流に歩んで、その人流に卒業を迎えていきます。歩みも期間もすべて別々ですが、今回も良い物語を見せてもらいました。こういう形で送り出せるということは本当に感謝です。良い勉強になりました。本人にとっても希望のある充実した期間だっだと思うのですが、それが昨日からだんだん不安が出てきて、今日のお昼には僕のところに来て、「私、このままここを離れて大丈夫なのかな?」と不安そうに言いました。「それは当たり前だよ。最後の面談でも伝えたけれど、今の点数は70点だ。だいたい70点取れば合格点。でも、満点にはあと30点足りないよ。この30点をなぜ残して卒業なのかというと、自分の道は自分で歩み、築き上げるものだからです。仮にここで90点や100点をもらったとしても、その点数は仕上がれば仕上がるほどここで与えてもらったものになる。それは木の花依存症やいさどん依存症にもなりかねない。だから、不十分であっても合格ラインがもらえたのだから、そこから社会に出て、自分で築いていく。そうすると、それが自分の人生になるんだよ。あなたらしい人生を歩んでいくことが大切で、自覚のもとに自分の人生を積み重ねていく。だからこそここでの経験をもとにして次もやっていける自信も身につくのだし、それが自分の気づきだからこそ人の役にも立つ人になれる。それがここのケアの原則です。そういうことが本人にとっても大事だからね」と伝えました。

これからの歩みも順風満帆に行かないこともあるでしょう。今は、自分が今までどのように歩んできたのか、なぜ今まで迷いの道にいたのかということはマスターしています。そうしたら、これからは色々な問題事に出会ったとしても、それをチャンスとして活かしていくことが出来るようになっています。最近ゆうちゃんが「ありがたいです」と言うように、問題事によって自分の中にある種を表現させてもらい、自分の行動を振り返って自らを見直すチャンスなのだと気づいたら、問題事は人生を生きていくための糧になるわけです。

そして、私たちは世の中で行き詰まった人たちのために、ここでこのような暮らしをしています。そういう人たちのおかげで私たちも育てられているということでもあるのです。やはりこういう精神性に基づいた仲間を増やしていきたいと思っています。私たちの生き方がそういったきっかけとなることを望んでいるのです。人生はいつどこでどうなるのかはわかりません。これからゆうちゃんは僕たちとちょっと距離を離れて生きていくことになりますが、私たちと同じ志を持って生きていってもらいたいと思います。離れていても、同じ志の仲間として生きていけるということです。

ゆうちゃん、卒業おめでとう!そしてありがとう!

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そして、ゆうちゃんが卒業してから数日後、ゆうちゃんのお母さんからファミリーに電話がかかってきました。

「本当にどうもありがとうございます!ゆうがこんなに変わって、変わって。人はこんなに変われるものなんですね!みなさんのおかげです。本当にどうもありがとうございました。いさどんさんにもよろしくお伝えください。」

けいくんが元気になり、ゆうちゃんも元気になり、お母さんもこれからは安心してご自身の人生を歩まれていくことでしょう。自分の健康はまわりの人も幸せにしていきます。「まだまだです!」は順調な証。けいくん、ゆうちゃん、これからも共に謙虚に学びながら歩んでいきましょうね。


「おやじの館」から「心の湯治場」へ

2009年7月から始まったいさどんブログ「おやじの館」。ブログが出来たきっかけは、「いさどんの話をひとりだけで聞くのはもったいない!」と思ったようこが、まずは大人会議でその話をメンバーとシェアするようになり、さらに多くの人と共有するためにブログ上で公開することになったのでした。この「おやじの館」という名前はいさどんがつけたものであり、当時58歳のいさどんは、「僕は20年ごとに人生の節目を迎えており、60歳からはうつや自殺者をなくす活動をしていきたい」と語り、そういった人々に心の道を伝える場を「おやじの館」と称したのでした。

それから約2年が過ぎ、この5月3日には60歳の節目として生前葬が行なわれることになりました。生前葬まであと数日となったある朝、いさどんから「5月3日を迎えるにあたって、おやじの館の看板を改めたい。もう僕の体は僕のものではなくみんなのものだから」という話がありました。30数年、色々な人の相談に乗ってきたいさどんですが、これからは世の中の行き詰まりや問題のある人の相談にますます専念していくことになるのでしょう。

うつや自殺願望など心の問題のみならず、親子関係や夫婦関係の不和、子育て、進路の悩み、職場での行き詰まり等、どんな悩み事でも相談にのります。そういった今目の前にある問題事から、「生きる目的は何なのか」、「どうやって精神性を高めていけばいいのか」、「宇宙はどうやって始まったのか」といったスケールの大きな質問までお答えします。

以前いさどんは、「僕の中には5つの存在がある。1宇宙人ピトピ、2御中主命(ミナカヌシノミコト)、3聖者イサジ、4人間いさどん、そして5古田偉佐美」と言っていましたが、相談者がいさどんから何を引き出すかによって、現れてくる存在が違ってくるようです。そして、5月3日以降はさらに多くの存在が引き出されることになる予感がしています。

みんな一人一人の心に平穏と喜びが訪れ、地球上、さらに宇宙全体が愛・善意・調和で満たされますように。一人一人が真理に目覚めるようサポートしていく場、それが「心の湯治場」です。


自らの経験を他者のために生かす

31歳のすーくんは仕事のストレスと昼夜逆転の生活が原因で25歳の時にうつ病と診断され、仕事をやめて母親のもとに戻って生活していました。そんなすーくんが母親と一緒に初めて木の花を訪れたのが2月の下旬。その時は木の花に1泊し、いさどんと面談をして母親の暮らすヤマギシに戻っていきました。その約1週間後、ヤマギシの地でいさどんはすーくんと再会し、その時のことをこう語ってくれました。

「1週間後彼と再会したら、『調子が悪いんです』と汗を額から流している。『どうしたの?』と聞いたら、『いさどんが健康になるためには木の花でケアを受けて、薬をやめなさいと言ったし、太りすぎの体は食べ物の食べ方が間違っていて、肉も食べすぎている。それでは体に悪いよと言われたから、帰ってきて薬をやめました。火曜日にお医者さんに行って薬をもらう予定だったけれど、お医者さんにも行かなかったし、肉も食べちゃいけないといさどんが言うから食べなくなった。それで体重は2kgやせたんだけれど、調子が悪くて』と言うのです。『それは当たり前だよ。薬をやめるのは将来の話だし、仮にやめたとしても心を安定させるサポーターがいてやるべきだ。医者に通っていた人が急に自分の判断でそんなことをしたらおかしくなるよ。でも、僕はあなたの言うことを評価する。良くなりたいとそこまで思ってのことだから。その心を忘れないで、とりあえず明日薬をもらいに行きなさい。それからまずは薬で不安定な心を安定させて、木の花においで。そのやる気があれば良くなるから』ということで今度木の花に来ることになりました。」

その数日後、すーくんは「今の自分を変えたい」ということで木の花を訪問しました。ケアサポーターのいさおちゃんと同室になり、ケア滞在がスタートしたのでした。ケアがスタートしてからも紆余曲折がありましたが、薬とタバコの量を少しずつ減らしていき、10日後にはどちらもやめることが出来ました。ゲーム依存や引きこもり的な姿勢も解消され、1ヶ月後には見事ケアを卒業。以下に、すーくんが書いてくれた「木の花ケア滞在記」をご紹介します。

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「木の花ケア滞在記」

自分は自分をどうにかしたくて3月11日に木の花に来た。でも、1週間で帰ろうと思っていた。治したくて来たのに、治らなくても良いと思っていたんだと思う。社会復帰がしたくて社会適応訓練事業に行っても、しんどいからやめるというのを何度も繰り返していたのと同じだと思う。したいことをしてみて、辛かったらやめれば良いというのを何度も繰り返して、自分はダメ人間だと思うことに慣れてしまったんだと思う。

それで、今回もダメだったから帰ろう、辛いから帰るのもダメな自分では仕方ないと思って帰ろうとしたら、母さんに「治るまでは帰ってきても受け入れない」と言われて目の前が真っ暗になった。帰りたくても帰れないから、仕方なく木の花に残ることにした。泣くだけ泣いて、半分ヤケになって「やってやる!!」と思った。     (3月19日)

それでも何回も脱走を考えた。どのルートをどの時間に行けば良いか。だけど、どう考えたところでホームレスになるだけだと思って、もう少し頑張ろう、もう少し頑張ろうと思って目の前の事に集中するように努力していったら、「自分にも出来る」と思えるようになっていった。この時から少しずつ明るくなっていったんだと思う。  (3月23日)

次に、薬の離脱症状が出てきた。(22日から断薬)めまいや吐き気、偏頭痛で作業が出来ないくらい辛かったけど、せっかくケアに来てここまで頑張ったのに薬を飲んだらまたふりだしに戻ってしまうと思って、薬だけは飲みたくないと思って耐えた。キッチンスタッフの皆にも、「それは良くなる為に必要な苦しみだよ」と声をかけ続けてもらって頑張れた。26日に母さんが来てくれたのも、すごく励みになった。母さんに元気な姿を見せたくて頑張れたという部分が実際に沢山あったので、来てもらって良かったと思う。

あと、「怠けたいから休む」のと、「体調が悪いから休む」の違いに悩んだ。自分の中の怠けたい心が「体調が悪い」と言っているのかどうかに悩み、「とりあえずやってみて、無理だったら休む」というふうにすることで、朝7時に起きるという生活リズムだけは崩さずにすみ、自信がつくことで気持ちがどんどん明るくなっていった。

だけど、薬の離脱症状で食べられない日が始まって、食事の時間は憂鬱になってしまった。さらに、そこに食養生が始まり酵素玄米を食べるのが辛くて、結局食養生は途中でやめた。

あと、離脱症状が峠を越えたぐらいから咳がひどくて喉が痛くなり、同時に頭痛も来て休むことがかなり増えて、「風邪だろうなぁ」と思っていたら、ケアサポーターのいさおさんに「離脱症状で喉も痛くなるよ」と言われて、自分はもう離脱症状は無くなったと思っていたから驚いた。そして、結局寝込む日が何日も続いた。

何日も寝たり起きたりで段々「すーくんは怠けている」と周りの人に思われているのではないかという気持ちも出てきて、自分にイラついて早く治したくて、いさおさんに「医者に行きたい」と言ったら、その日の午後に面談で「休むのが必要な時に休むのは悪いことではない」と言ってもらって楽になった。それと同時に、「引き篭もるのは自分をいじめること」とも言ってもらって、本当に自分の気持ち次第というか、自分を冷静に見つめる大切さを考えながら休んだ。

あと、後ろ向きな「けど、でも」が自分の口癖になっていることを何度も指摘されて、それは結局何でも悲観的に考えてしまう自分の癖だったり、「自分には出来ない」とすぐ諦めてしまう癖なんだろうなぁと思って、「どんなことも良いことがあるし、どこからでも良い方向に持っていけるんだから、悲観する必要は無い」と思ったら、気持ちが楽になった。

体調が悪い次の日は、皆が「体調はどうですか?」と聞いてくれて、「悪いです」と答えるのもなぁと思って、「良いです」と答えたら嘘をついている気になって、やっぱり「あんまりなんですよねぇ」と答えていたら段々気持ちまで暗くなってきて、薬の離脱症状は短くても3ヶ月続くと言われたからどうしたものかと思っていたら、体と心は別なんだからそう言えば良いだけだなぁと思って、「体はしんどいですけど、心は元気です!」と答えるように変えたら、楽になった。

10日の座談会でいさどんに「すーくんは賢いから、その時求められている答えを判断して出すところがあると思う」と言われて、それは自分でも自覚していたのでどうしたものかと考えていたら、「答えを考えるだけの時間を自分に与えなければ良い」と思ったので、10日のミーティングで出す時も卒業コンサートのコメントもあえて考えないで話して、このケア滞在記も考えずに思ったことを書いています。「正直・素直・相手を信じる」というのをやったら、そういうのも無くなっていくだろうし、評価されたい気持ちは置いといて、自分の良くない所もポンポン出していこうと思う。

これからの抱負としては、11日の晩に「やっていけるかなぁ?」と不安になったりもしたけど、「やれることを一つずつやっていく」だけなんだから、何も不安になる要素なんて無いなぁと思った。やれないことをやれと言われているわけじゃなくて、やれることをやるだけだから。

いらない薬はいらないし、タバコもやめられた。ゲームは使い方次第では有用なものになると自分は思っているから、冷静な自分を常に立てて上手に付き合えたらと思っている。面白くても何の役にも立たないゲームも世の中には沢山あるので。

まずやることは毎朝7時に起きて運動をして、出来ることを一つずつやってリハビリにしていくことだと思っているので、確実に淡々とやって実力にしようと思う。あとは「正直・素直・相手を信じる」を心に置いて、周りの人と沢山話をして沢山言ってもらって、皆から愛される人間になっていく。

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そして、すーくんが出発する前の晩卒業コンサートが開かれ、いさどんは次のように語りました。

「問題を持って来た人が卒業していくことは本当に嬉しいことです。ひとりひとりのことをその人が卒業する度に振り返るのですが、すーくんも途中ではやっぱり大変だったよね。1週間も経たないうちに帰りたい、帰りたいと言い出して(笑)。

初めに、お母さんからすーくんが引きこもっていることを聞いて、何とかしてあげようというところからこのケア滞在が始まったのですが、すーくんはそういった生活を卒業すると同時に、今回はいくつものことを卒業しました。まず、一番良いことは病気が卒業出来ました。だから、薬がやめられたし、ゲームもやめられました。当初すーくんにゲームのことを聞いたら、「絶対に手放せない」と言っていました。布団の中にもぐってゲームをするようなゲーム依存生活でしたね。それから、今はちょっとだけウエートオーバー気味ですが、ここに来てから9kg減量出来ました。そういう色々なことをここで卒業出来ました。そして何よりも、魂の形通りとても愚痴っぽくて前向きではなかった人が、今は客観的に自分を見てそれを語れるようになりました。これは大変大きな変化です。

今回はヤマギシの春日山からケアサポートチーム立ち上げということで6人の人が来てくれて、1週間をすーくんとともに過ごすことになりました。すーくんの変化をみんなで振り返りながら、こういった人たちをサポートし、社会でしっかり通用する人に変えていくという取り組みのためにここを訪れました。これはヤマギシの中だけの問題ではなく、ちょうどこの間大きな震災がありまして、これから色々な意味で世の中が行き詰まることになります。日本中で行き詰まった人を支えていかないといけない時に、私たちのような血縁を超えてみんなで助け合う社会というものがこれから必要になってきます。そういった中で、ヤマギシという大きな組織がそういった世の中の行き詰まりを解決出来るところになるということは非常に大切なことであり、これからの世の中にとってたいへん必要なことだと思っています。そういった意味では、今回はケアの当事者ということだけではなく、すーくんにもその経験者として今後行き詰まった人のためにも生きていってもらいたいと期待しています。これからどうやってすーくんをサポートしていくのかということもありますが、サポートされる側はいずれ卒業して、そういった人たちのために生きていってほしいと思っています。

その人が本当に生き生きとするということは、本人も生き生きですが、他人にも生き生き、喜びを与える人ということです。ですから、自分の存在が自分にも他者にも喜んでもらえるような生き方をしてもらいたいと思っています。それが人の生きている価値なのだと思います。他人の荷物になっていくのも生き方なのかもしれませんが、それはあまり喜ばしい生き方ではありません。ぜひ前向きに生きていってもらいたいと思います。

ケアの人が卒業する時にはいつも言うことですが、私たちに一つの事例を与えてくれ、卒業することによってここの取り組みにまた一つ実績をつくってくれました。そういう意味でいつもありがたいことだと思います。卒業するということは新しい旅立ちですから、気を緩めずに今の気持ちをしっかりと持ち続けて、今の姿勢のもとに今後もしっかりと生きていってもらいたいと思います。

まずは卒業おめでとう!私たちにも良い勉強をさせてくれました。ありがとうございます。これから100点満点というふうにはいかなくても、大変な時にはここで学んだことを思い出したり、アドバイスが必要であればまた連絡をしてください。縁があって出来た家族がここにもいるということですから、また遊びにも来てください。それから、ヤマギシの方にも自分を支えてくれる沢山の家族がいるのだから、そういった人たちと仲良く暮らしてもらえればと思います。

卒業おめでとう!そして、ありがとうございました。

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そして、すーくんが卒業してから1週間後、すーくんの近況を教えてくれるメールがヤマギシのケアサポートチームから届きました。「お母さんが近くにいると甘えてしまうから、お母さんのいる場所から離れたところで自立したい」というすーくんの希望が叶い、新たな場所で新しい仕事に取り組み始めているそうです。そして、ケアサポートチームの勉強会にも参加しているということで、今後自らの経験を他人のために生かしていく人になっていくのでしょう。

すーくんの活躍をみんなで応援しているからね!すーくんが帰ってくる時には、大好物の特製おやきを作って待っているからね。


2泊3日の滞在でも~その後

いさどんブログ「2泊3日の滞在でも」に登場したけいくん。ヤマギシ会からの紹介でここを知り、いさどんとの面談を受け、ここに2泊3日滞在しただけで断薬することが出来たとブログの中でお伝えしました。そして数日前、ここを訪れたことがあり彼を知るヤマギシの方から、「僕のブログにこんなことを書きました」というメールが届いたのです。

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先日、大阪のおっさんの集いに参加したら、けいくんが参加していた。彼は長い間、精神的な病気で家にずっと引きこもっていた青年なんやけど、そういう自分を変えたくて、今年の最初に木の花ファミリーに行ってきた。
1月の中旬ごろに彼に会ったときは、「今の自分でええんやなあと思えた。他人と比較しても仕方がない。今出来ること、今思えることからやってみようと思う」と言って、何かしら明るくなったように思った。
そして1ヶ月経過して、今週彼に会ったら、別人のようになっていた。何と人材派遣会社に就職して仕事をやり始めていて、今後はパソコン教室に通って、安定した生活をしていけるようにしたいと前以上に明るく話していた。
自分の気持ちに素直に表現しているように思う。とっても楽そうに話している。彼の発言に、みんなうなずくことが多い。こんなけいくんを見て、その日のおっさん達は驚きやら感動やらで、その場にいい風が吹いているように思えるんや。
彼をこんな短期間に変えさせたのは一体何やろうかね?勿論自分しかないんやけど、その自分のエネルギーはどこから涌いてきたのかな?

――

そして、今日けいくん本人から次のようなメールが届いたのです。

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過日は二泊三日でお世話になりました。今、姉がお世話になっているのと、現状を伝えるため報告も兼ねてメールを送らせてもらいました。

あれから脳から何かが溢れてくるような感覚に襲われました。止まっていた思考が動きだしたような…。
物や物事が点で捉えられるようになり、思考は常に「それは本当はどうなんだろうね?」と自問自答を繰り返す毎日でした。例えば、「寒い。」「本当はそれはどうなんだろうね?」「案外寒くない、暑いかも知れない。」「冬だから」みたいに固定観念にとらわれない感覚になり、思い込みが少なくなり、冬なのに裸で過ごしたりしても平気なぐらい、人とは感覚がかなり狂っているようでした。今はその脳から溢れる感覚は大分落ち着き、寒いものは寒いといった感じになりました。落ち着いたらおかしな事に、長年あった震えの体質がほとんど出なくなりました。だから今は元気といえば元気です。

現状ですが、木の花から帰ってから今まで精神安定剤や睡眠薬の類いの薬を全く飲んでいません。薬抜け成功したと言ってもいいのでしょうかね…。最初は眠れなかったのですが、最近は睡眠時間が短いなりに熟睡もできています。上で書いたような震えも止まりました。かなり健康体です。

今は自分で環境を整えるべく、資格を取るため職業訓練の申し込みをしました。近々面接と試験です。受かれば補助金を受けながら職業訓練、今はパソコン時代なのでWindows検定を手に入れるつもりです。
試験の合否はわかりませんが、職業訓練が始まる3月までの間に繋ぎとして登録制の日雇い派遣を始めました。なので、微妙にですが引きこもりから復帰も出来ました。繋ぎとはいえ毎日仕事がないのが残念です。

沢山の人を導きたい自分…。いさどんほどではありませんが、自分もそれなりに人と出会っていろんな体験をしたつもりです。今、ネットを駆使してmixi内でアニメのキャラになりすまして、アニメキャラのカリスマ性を利用して人生相談所を開いています。悩みを抱えている人たちに対してアドバイスをして、いい方向に導いています。結構評判もよく、導いた人はいい方向に進んでくれています。いい方向に進んで感謝されたりするのが、堪らなく嬉しいですね。

小さいとはいえ、自分なりに環境を整えたり、導いたり、やりたいことをやれて前に進めているように感じているのが現状でしょうか…。今はこんな感じです。一つ一つを大事にして進んで行きたいですね。

追記:
今、姉が心の立て直しということでそちらに滞在していますが、弟としてはみんなの力で姉の認識の甘さを打ち砕いて、大事なことが何かに気づけるように導いてほしいと思っています。いさどん含め木の花にはそれだけの環境があると思っているので、姉をよろしくお願いします。

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そして、けいくんから「僕はもう元気になったから、今度はお姉ちゃんの番だよ。お姉ちゃんが木の花に滞在してきたら?」と言われたお姉さんが今、ここに滞在しています。こうやって、心が元気になっていった人が次の人を元気にしていく。この「弾み車の法則」があるからこそ、ここではみんなの心がどんどん健康になっていくのです。ひとりひとりの健康が社会全体の健康をつくっています。さあ、あなたの心は健康ですか?


聖者イサジ、道を説く

今回のブログでは、いさどん改め「聖者イサジ」がメンバーになるためにお試し滞在中のゆたかくんと面談した時の模様をお伝えします。(注:ちなみに、いさどんには1宇宙人ピトピ、2御中主命(ミナカヌシノミコト)、3聖者イサジ、4いさどん、5古田偉佐美の5つの名前があります。)

PDFファイルはこちらからダウンロードできます

――

イサジ:
今日は何が聞きたいの?

ゆたかくん:
とりあえず、今世の自分の役割を知りたいです。

イサジ:
今世での役割か。。。それはあなたの自覚です。

ゆたかくん:
自覚ですか?

イサジ:
人は自分の世界というものを自分の思考の中で持つ。そうしたら、自分を喜ばせる思考がどこにあるか。

ゆたかくん:
自分を喜ばせる思考。。。

イサジ:
あなたは毎日何を喜びとしている?

ゆたかくん:
今ですか?

イサジ:
今でもいいし、将来のことでもいい。

ゆたかくん:
今は作業をやっている間に色々と気づくことがあって、それが嬉しいです。

イサジ:
気づきというのは自分が成長するということ。新しいことを知ってそれを積み重ね、自分が広がっていくとか大きくなっていくこと。その結果、何か目的につながる。そうなることを喜ぶということは、その次に望むことがあるから。それは何?

ゆたかくん:
そこまでなっていない人をそこまで上げてあげることです。

イサジ:
それは世のため人のためということ。いつからそんなことを思っているの?

ゆたかくん:
25、26歳の時に仏教を勉強していて、そのくらいからです。

イサジ:
どうして25、26歳の時に仏教を勉強したの?

ゆたかくん:
それ以前にちょっと素行が悪くて、ちょっとひどい目にあって。。。

イサジ:
どんなことをしていたの?

ゆたかくん:
薬物を吸引していました。マリファナと幻覚系の合法ドラックです。

イサジ:
合法ドラックだけれど、今は合法じゃないけどね。

ゆたかくん:
はい。それをやっていて、事故に遭ったのです。

イサジ:
どんな事故?

ゆたかくん:
マンションの2階の手すりを乗り越えて、飛び降りたのです。

イサジ:
それは気分が良くて飛べるつもりだったということ?

ゆたかくん:
混乱していて、よくわかっていませんでした。

イサジ:
それで大怪我をした。

ゆたかくん:
はい。それで入院をしました。

イサジ:
マンションというのは自分の家の?

ゆたかくん:
会社の寮です。

イサジ:
会社の仲間とそういうことをしていたの?

ゆたかくん:
いえ、会社にそういう人はいませんでした。前の職場ではいました。

イサジ:
そのつながりでそういうことをしていた。

ゆたかくん:
はい。

イサジ:
それで?それをやって入院してどう思ったの?

ゆたかくん:
これじゃいけないと思い始めて、そこから指針を見つけようと仏教を勉強し始めました。

イサジ:
仏教といっても幅が広いけれど、どういう仏教ですか?

ゆたかくん:
全般的にです。色々なお坊さんが書いた本を読んでいました。

イサジ:
それで何に気づいたの?

ゆかたくん:
何に気づいたか。。。

イサジ:
仏教の本を読んで、さっき言っていた「自分を高めていきたい、学んでいきたい」という思いが湧いてきたわけだ。

ゆたかくん:
はい。

イサジ:
世の中の人に学んだことを伝えていきたい?

ゆたかくん:
まずは自分が出来るようになってからですが。

イサジ:
それから5年経ったけれど、学んだことはある程度マスター出来た?

ゆたかくん:
マスター。。。いや、全然出来ていないと思います。

イサジ:
今までの5年間は何をやっていたの?

ゆたかくん:
介護ヘルパーなどの仕事をしたり、インドに旅行に行ったりしました。

イサジ:
インドは仏教の勉強の延長に行ったということ?

ゆたかくん:
そうです。

イサジ:
何か気づきはあった?

ゆたかくん:
気づき。。。

イサジ:
インドも今は改革、解放だからね。あそこは精神性の発祥の地ではあるけれど、欲の世界でもある。その両方の誘惑の世界だからね。

ゆたかくん:
そこでもちょっとマリファナをやってしまって。。。

イサジ:
ハッハッハ。弱いね。

ゆたかくん:
でも、そこで精神的に高い人たちに会ったりして、ダライラマにも会ってきました。ダライラマが住んでいるところに行って、そこでティーチングのような講習を受けました。

イサジ:
その結果は?

ゆたかくん:
日本に帰ってからは、自分を逆に見失ってしまったというか。。。

イサジ:
自分を見失うということは、インドでは何かを持っていたわけだ。その前の飛び降りてしまったことから仏教を勉強した時にも、何かを持っていた。でも、日本に戻ってきて日本人を眺めていたらそれに流される自分がいて、その何かを見失ったということではないの?

ゆたかくん:
はい。。。

イサジ:
だから、日本に帰ってきて仕事に就き、今の一般的日本人の価値観の中に流されたということだね。

ゆたかくん:
はい、そうです。

イサジ:
それで、こういうところを探していたというわけだ。ここへ来て何日になる?

ゆたかくん:
1週間くらいです。

イサジ:
そうすると、「そろそろ自分の探していたところに行き着いたな」という感じはしていない?

ゆたかくん:
しています。

イサジ:
そうしたら、さっきの質問はもう既に答えが出ている。

ゆたかくん:
・・・?

ようこ:
今世の役割という質問。

ゆたかくん:
ここに来て、「一段落ついたな」というふうには思っています。

イサジ:
さあ、これからだ。これからどうするか?今編集していた原稿にこんなことが書いてあったぞ。「この世界は想いで出来ています。自分の中に今日はお酒が飲みたいとかパチンコをやりたいという思いがあったり、いつも子どものことやお金のことばかり考えていると、未来にその世界が展開されるのです。それがこの世界です。私たちが想ったことが起こるのです。」「自分の中から湧き出てくる無限の記憶。それが過去をよみがえらせてくるのです。そして、その結果次のステージはどうしようかと考えていて、そのどうしようかの想いの中から次の世界が実現していく。」

つまり、自分の考え、自分の中から想いが湧き出てくるということは、自分の中に想いの種があるから湧き出てくるわけだ。だから、自分の意識レベルに合わせた未来が訪れてくるわけだ。

ゆたかくん:
はい。

イサジ:
それが想念の連続となり、未来を創っていくわけです。そうすると、損得勘定をして辻褄合わせをしながら生きる姿は、今時の人々が生きている姿そのものです。それもお金が欲しいとか、欲しいから他人の物を盗むとか、そういうことも現実に創り出すけれど、しかしもっと大きなスタンスで捉えていくと、もっと古い過去、今世のものではなくて前世の時代というのは記憶から離れている。それが私たちの中で記憶の書棚、図書館のようなものになっていて、ふっと想いとして湧き出てくる。それが過去の軌跡の中で培ったもの。今湧き出てくるものは過去の延長にあるものであって、そういった過去から現在までのものが積み重なって今の魂が取る思考となり、人間性が出来ているわけだ。

例えばマリファナを吸うことも、飛び降りることも、その結果仏教に出会うことも、それからインドに行くことも、そして日本に戻ってきて普通の世界に入ってそこで矛盾を感じることも、今、新鮮に経験しているようで、実は過去のあなたの積み重ねが今の思考を生んでいるのであって、その思考がもとになって現在から未来を創っていくわけだ。

そうすると、「理由はないけれど何かがしたい」とか、「なぜだかわからないけれどあの国に惹かれる」というのは、いきなり今湧き出てきた想いではなく、ずっと積み重ねてきたその人の物語の中にあるもの。そして、その積み重ねの延長に今回生まれてきたというわけだ。

ゆたかくん:
はい。

イサジ:
そして、その話を今こうしてしているということは、つまり未来は決まっているということだ。わかる?

ゆたかくん:
いや、ちょっとわかりません。。。

イサジ:
過去があって、過去の積み重ねに今がある。今は今の上で今を生きているようだが、そのベースは過去の積み重ねによってここまで来ている。だから、今の思考はこれまでの過去の積み重ねでここにある。ということは、過去にも現在があって今にも現在がある。現在の連続が過去になっているということ。現在の連続が過去になっているということは、現在の連続が未来を創っていくということだから、今自分の中から湧き出てくることは過去の積み重ねの結果、今湧き出てくるのだし、今湧き出てくることはこれが積み重なって未来を創っていくわけだ。

自分がこれからどう生きるのかは、マリファナを吸いたくて仕方がない心があれば、未来にマリファナを吸っている自分がいて警察に捕まるという未来を創っていくわけだ。今、「人のためになりたい」と言っているということは、そういう過去の積み重ねがその心になっていて、これはそのまま想っていけば未来にそういう人になれるということになる。

「世の中のためになりたいという大事に気づいてそれを人に伝えるということが、僕の役割なのでしょうか?」と思ったことを誰かに「そうです」と言ってもらって、それで進んでいくのが本当に自分の目覚めなのだろうか。僕はその問いに私心をはさまない。あなたの人生にはあなたの私心をはさめばいい。

そうすると、今のようにあなたの思考を分析して、それはどのような思考の仕組みかを情報としてあなたに伝えると、あなたが自分で判断出来る。そうすると、人生というのは誰と契約して、どういう目的のもとに生きて、そして未来はどうすると観えるのかということがわかってくる。ここで注意しなければならないことは、私心がある人に相談するとそちらの目的プラスこちらの目的が合わさって、「あなたはこうあるべきだ」と言われ、あなたの心が濁ることにもなる。

ゆたかくん:
そうですね。

イサジ:
それはあくまでも、そちらの人生はそちらにあって、こちらの人生はこちらにあるわけだ。しかし、それでは冷たい、寂しいということにもなる。では、ここに集っている人たちが何をしているのかというと、独立して自分を観て、他者とつながり、そこからもう一つ大きな自分を観た時に、人は一つの枠の中で共通した他者との自分を持つことが出来るのだ。例えば私たちの体で髪の毛と皮膚が共通した自分を表現出来るのと同じように、我々も別々だけれど共通したものを表現出来ると気づいた時に、こういった世界が展開出来る。これは何を表わしているのかというと、宇宙の実相。自然界の実相。

その中に我々がいることに気づけば、この生き方はこの世界を表現しているすべての人々にそれを伝えることが出来る。人々に伝える方法として、過去には宗教などの教祖的な伝え方があったけれど、それはもう古い。なぜ古いのかというと、人々は独立した貴いものだからである。優れたものがいて一方的に伝えることは、教祖と信者という関係が出来て、いつまでも信者は信者で在り続け教祖が必要になってしまう。すべてが貴い。平等の貴さがそこでは現れてこないことになる。そういう時代は終わり、すべての人々が独立して自分の意志を持ち、平等の中で世界は出来ている。それがこれからの時代の在り方ではないか。

今、あなたが問いかけた「僕の今世の役割を知りたい」ということについて、私はその答えは出さないけれど情報だけは提供した。答えはあなたが持っているのだから、自分で出せばいい。そして、答えを出した人が今ここに集っている。それがあなたの問いに対する答えだ。

一人一人がしっかりと自立して光って生きている。教祖と信者というランクが出来たら、本当に平等に光っていることにはならない。この世界を自らが担っているということに気づいた時に、人は本当に生き生きしてくる。そうだと思ってやろうとした時に、どこで行動しても真実は観えてくる。宇宙の中の どこにいてもみな平等なのだから。例えば木の花で与えられている役割でもいいし、外で与えられている役割でも同じこと。ここだけが特別な世界なのではなく、すべて平等な世界だから。それを知っていくために、我々は敢えてこういうライフスタイルを取っている。そのスタイルがもっと展開されていけば木の花はなくてもいいかもしれない。しかし、これがある意味在り続けることも大事かもしれない。その答えは我々が持っているのではなくて、この世界を動かしているものの意志の表われであるということ。

ゆたかくん:
よくわかりません。

イサジ:
何が?

ゆたかくん:
わからないものからの意志?

イサジ:
そういうことか。わからないものはわかるんだよ。わからないというのは、わからないところから見たらわからないのであって、わかるところから見たらわかるんだよ。この世界にあるものの目的は何なのか。ただ、木があって土があって、植物と土の関係、空気、風、太陽の光、色々なものがある。そこにあるものがあることはわかりますか?ではこれは、ただただ無秩序にあるのかということです。そこには秩序があるのです。しかし、秩序は木を見ただけでは見えない。その秩序は見えるものから見ていってそれをつなげていくと、見えないものが見えてくる。それがあちら側の意志の現れ。それを観ようとするとそこに感じられる。そこに木があって雨が降っていたら木が濡れる。雲っていたら太陽が照らない。雲が去れば太陽の光が射してくる。すべては完全なる秩序の中にある。その秩序というのは意志がないと保てない。それがあちらの意志。我々はその秩序を学びながら、すでにその秩序の中に組み込まれている。我々はその秩序の中にいる。我々が個々に目的を持って生きているということは、結局そこにある木や土、雨や水、太陽の光の秩序と同じものであるということ。

難しい話だけれど、あなたが仏教の話を出すからこういう話になるのです。もし子どもにもっとわかりやすく言うとしたら、「生きていることは自分の力で生きているの?」と聞く。「今日、ご飯を食べたでしょ?今、呼吸をしているでしょ?水を飲んだでしょ?心臓が動いているでしょ?そういうふうに生かされているんだよ」と伝える。そういった原則、生かされているという原理の上に我々は表面的な意識を持っていて、自分が生きていると思っている人はそういう意識でいるわけです。しかし、その深いところまで気づいていったら自分の思考というものは薄くて、その前に大前提の原理、原則があって初めて現象が成立しているということに気づく。そうすると、その薄い思考で捉えているという意識は消え去ってしまい、生かされているという意識になる。

あなたが本当のことを人々に伝えたいと思ったとする。それはニセモノがこの世界にあると思うから、本当を伝えたいということを思う。何かを「本当ではない」と思うから、本当を伝えたいと思うのである。そうすると、今は人々が本当を知らない世界ということになる。自分も知らない。人々も知らない。そこで、自分は本当を知って本当を人々に伝えたい。では、その本当は何かといったら、思考のベースに観えてくる原理。その原理から生み出される現象が現れる。そして、その現象の奥にある知恵が現れる。宇宙の知恵、真理。その真理のもとに人がある。それが歓びであり、その歓びのもとに原理、原則が示すこの世界の目的がある。それは「浄土」とも言うし、「地上天国」とも言う。色々な言い方になる。

ここにあるメンバーのこまねちからもらった手紙にこんなことが書いてある。「正しい食べ物を正しい食べ方でみなと食べ、自分に正直に暮らしていく。こうした身魂磨きを続けていくことこそが、あちら側の意志に基づくことにつながると信じているのだがどうだろう。最後に一句。神様の 教え守りて 粛々と 歩み続ける 我こそ 神なり。」つまり、粛々と歩み続けることが目的なのだと。

ゆたかくん:
粛々と歩み続ける。。。

イサジ:
ただただ学び続けて、磨き続けること。それがこの世界に生み出された目的であって、形が現れるとさらに次の形が現れ、それは変化し続けるものだ。だから、求め続けること。

ゆたかくん:
求め続けること。。。

イサジ:
そこに歓びがあって、それが求める原動力、エネルギーになる。それが続いていく限り、我々はいつも新鮮な気持ちになっていく。それが生命。いのちの表現ということ。だから、どこかに終着地点を設けてはいけない。

それで、「僕のやるべきことは何でしょうか?」という最初の質問に戻る。あなたのやるべきこととは?

ゆたかくん:
何だろう。。。

イサジ:
いきなり答えを出そうとするのではなく、心の扉を開けた時に今目の前にあること、一番身近に想うことにまずは取り組んでいけばいい。テストをもらって満点を取りたいと考えるよりも、最初の一問目を見てそれを解くことをするべきなのだ。人はテストをもらったら、先に満点を取りたいという心が働く。満点を取りたいと思う前に、1問目から取り組んでいけばいい。

ゆたかくん:
目の前にあることからやっていけばいいだけか。。。

イサジ:
そうすれば、間違っていれば間違いがもらえるから、またやりなおせばいい。合っていればそれを糧にして次に進めばいい。

ゆかたくん:
それが心磨きですか?

イサジ:
心を磨くのも、「磨こう!」と思って磨いたら、正解を先に求めることになる。しかし、それで正解かどうかはわからない。それは磨いた結果、答えをもらうだけのこと。ということは、どうしたらいい?

ゆたかくん:
これからもよろしくお願いします!

イサジ:
ハッハッハ。これで今日の話は終わりだ。良い時間だった。

ようこ:
「聖者イサジに弟子の僧が教えをいただきに来た」という感じだったね。

ゆたかくん:
今日のような光景は、昔、映画で観たことがあるような気がします。

イサジ:
本来は、こうでなくてはいけない。つまり、師がいてすべてを伝える。それを忠実に守る弟子。それは師弟の関係をつくるだけ。たしかに、語りかけることは必要だけれど、自らの中から知恵を引き出し自らで悟っていくことが大切だ。そうでないと、人は成長しない。

ゆかたくん:
その通りです。

イサジ:
仏教の下地があってよかったね。

ゆたかくん:
ハッハッハ。たしかに。

ようこ:
インドに行ったことも、今日の学びの肥やしになっている感じだね。

ゆたかくん:
今日は本当にどうもありがとうございました。