自らの経験を他者のために生かす

31歳のすーくんは仕事のストレスと昼夜逆転の生活が原因で25歳の時にうつ病と診断され、仕事をやめて母親のもとに戻って生活していました。そんなすーくんが母親と一緒に初めて木の花を訪れたのが2月の下旬。その時は木の花に1泊し、いさどんと面談をして母親の暮らすヤマギシに戻っていきました。その約1週間後、ヤマギシの地でいさどんはすーくんと再会し、その時のことをこう語ってくれました。

「1週間後彼と再会したら、『調子が悪いんです』と汗を額から流している。『どうしたの?』と聞いたら、『いさどんが健康になるためには木の花でケアを受けて、薬をやめなさいと言ったし、太りすぎの体は食べ物の食べ方が間違っていて、肉も食べすぎている。それでは体に悪いよと言われたから、帰ってきて薬をやめました。火曜日にお医者さんに行って薬をもらう予定だったけれど、お医者さんにも行かなかったし、肉も食べちゃいけないといさどんが言うから食べなくなった。それで体重は2kgやせたんだけれど、調子が悪くて』と言うのです。『それは当たり前だよ。薬をやめるのは将来の話だし、仮にやめたとしても心を安定させるサポーターがいてやるべきだ。医者に通っていた人が急に自分の判断でそんなことをしたらおかしくなるよ。でも、僕はあなたの言うことを評価する。良くなりたいとそこまで思ってのことだから。その心を忘れないで、とりあえず明日薬をもらいに行きなさい。それからまずは薬で不安定な心を安定させて、木の花においで。そのやる気があれば良くなるから』ということで今度木の花に来ることになりました。」

その数日後、すーくんは「今の自分を変えたい」ということで木の花を訪問しました。ケアサポーターのいさおちゃんと同室になり、ケア滞在がスタートしたのでした。ケアがスタートしてからも紆余曲折がありましたが、薬とタバコの量を少しずつ減らしていき、10日後にはどちらもやめることが出来ました。ゲーム依存や引きこもり的な姿勢も解消され、1ヶ月後には見事ケアを卒業。以下に、すーくんが書いてくれた「木の花ケア滞在記」をご紹介します。

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「木の花ケア滞在記」

自分は自分をどうにかしたくて3月11日に木の花に来た。でも、1週間で帰ろうと思っていた。治したくて来たのに、治らなくても良いと思っていたんだと思う。社会復帰がしたくて社会適応訓練事業に行っても、しんどいからやめるというのを何度も繰り返していたのと同じだと思う。したいことをしてみて、辛かったらやめれば良いというのを何度も繰り返して、自分はダメ人間だと思うことに慣れてしまったんだと思う。

それで、今回もダメだったから帰ろう、辛いから帰るのもダメな自分では仕方ないと思って帰ろうとしたら、母さんに「治るまでは帰ってきても受け入れない」と言われて目の前が真っ暗になった。帰りたくても帰れないから、仕方なく木の花に残ることにした。泣くだけ泣いて、半分ヤケになって「やってやる!!」と思った。     (3月19日)

それでも何回も脱走を考えた。どのルートをどの時間に行けば良いか。だけど、どう考えたところでホームレスになるだけだと思って、もう少し頑張ろう、もう少し頑張ろうと思って目の前の事に集中するように努力していったら、「自分にも出来る」と思えるようになっていった。この時から少しずつ明るくなっていったんだと思う。  (3月23日)

次に、薬の離脱症状が出てきた。(22日から断薬)めまいや吐き気、偏頭痛で作業が出来ないくらい辛かったけど、せっかくケアに来てここまで頑張ったのに薬を飲んだらまたふりだしに戻ってしまうと思って、薬だけは飲みたくないと思って耐えた。キッチンスタッフの皆にも、「それは良くなる為に必要な苦しみだよ」と声をかけ続けてもらって頑張れた。26日に母さんが来てくれたのも、すごく励みになった。母さんに元気な姿を見せたくて頑張れたという部分が実際に沢山あったので、来てもらって良かったと思う。

あと、「怠けたいから休む」のと、「体調が悪いから休む」の違いに悩んだ。自分の中の怠けたい心が「体調が悪い」と言っているのかどうかに悩み、「とりあえずやってみて、無理だったら休む」というふうにすることで、朝7時に起きるという生活リズムだけは崩さずにすみ、自信がつくことで気持ちがどんどん明るくなっていった。

だけど、薬の離脱症状で食べられない日が始まって、食事の時間は憂鬱になってしまった。さらに、そこに食養生が始まり酵素玄米を食べるのが辛くて、結局食養生は途中でやめた。

あと、離脱症状が峠を越えたぐらいから咳がひどくて喉が痛くなり、同時に頭痛も来て休むことがかなり増えて、「風邪だろうなぁ」と思っていたら、ケアサポーターのいさおさんに「離脱症状で喉も痛くなるよ」と言われて、自分はもう離脱症状は無くなったと思っていたから驚いた。そして、結局寝込む日が何日も続いた。

何日も寝たり起きたりで段々「すーくんは怠けている」と周りの人に思われているのではないかという気持ちも出てきて、自分にイラついて早く治したくて、いさおさんに「医者に行きたい」と言ったら、その日の午後に面談で「休むのが必要な時に休むのは悪いことではない」と言ってもらって楽になった。それと同時に、「引き篭もるのは自分をいじめること」とも言ってもらって、本当に自分の気持ち次第というか、自分を冷静に見つめる大切さを考えながら休んだ。

あと、後ろ向きな「けど、でも」が自分の口癖になっていることを何度も指摘されて、それは結局何でも悲観的に考えてしまう自分の癖だったり、「自分には出来ない」とすぐ諦めてしまう癖なんだろうなぁと思って、「どんなことも良いことがあるし、どこからでも良い方向に持っていけるんだから、悲観する必要は無い」と思ったら、気持ちが楽になった。

体調が悪い次の日は、皆が「体調はどうですか?」と聞いてくれて、「悪いです」と答えるのもなぁと思って、「良いです」と答えたら嘘をついている気になって、やっぱり「あんまりなんですよねぇ」と答えていたら段々気持ちまで暗くなってきて、薬の離脱症状は短くても3ヶ月続くと言われたからどうしたものかと思っていたら、体と心は別なんだからそう言えば良いだけだなぁと思って、「体はしんどいですけど、心は元気です!」と答えるように変えたら、楽になった。

10日の座談会でいさどんに「すーくんは賢いから、その時求められている答えを判断して出すところがあると思う」と言われて、それは自分でも自覚していたのでどうしたものかと考えていたら、「答えを考えるだけの時間を自分に与えなければ良い」と思ったので、10日のミーティングで出す時も卒業コンサートのコメントもあえて考えないで話して、このケア滞在記も考えずに思ったことを書いています。「正直・素直・相手を信じる」というのをやったら、そういうのも無くなっていくだろうし、評価されたい気持ちは置いといて、自分の良くない所もポンポン出していこうと思う。

これからの抱負としては、11日の晩に「やっていけるかなぁ?」と不安になったりもしたけど、「やれることを一つずつやっていく」だけなんだから、何も不安になる要素なんて無いなぁと思った。やれないことをやれと言われているわけじゃなくて、やれることをやるだけだから。

いらない薬はいらないし、タバコもやめられた。ゲームは使い方次第では有用なものになると自分は思っているから、冷静な自分を常に立てて上手に付き合えたらと思っている。面白くても何の役にも立たないゲームも世の中には沢山あるので。

まずやることは毎朝7時に起きて運動をして、出来ることを一つずつやってリハビリにしていくことだと思っているので、確実に淡々とやって実力にしようと思う。あとは「正直・素直・相手を信じる」を心に置いて、周りの人と沢山話をして沢山言ってもらって、皆から愛される人間になっていく。

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そして、すーくんが出発する前の晩卒業コンサートが開かれ、いさどんは次のように語りました。

「問題を持って来た人が卒業していくことは本当に嬉しいことです。ひとりひとりのことをその人が卒業する度に振り返るのですが、すーくんも途中ではやっぱり大変だったよね。1週間も経たないうちに帰りたい、帰りたいと言い出して(笑)。

初めに、お母さんからすーくんが引きこもっていることを聞いて、何とかしてあげようというところからこのケア滞在が始まったのですが、すーくんはそういった生活を卒業すると同時に、今回はいくつものことを卒業しました。まず、一番良いことは病気が卒業出来ました。だから、薬がやめられたし、ゲームもやめられました。当初すーくんにゲームのことを聞いたら、「絶対に手放せない」と言っていました。布団の中にもぐってゲームをするようなゲーム依存生活でしたね。それから、今はちょっとだけウエートオーバー気味ですが、ここに来てから9kg減量出来ました。そういう色々なことをここで卒業出来ました。そして何よりも、魂の形通りとても愚痴っぽくて前向きではなかった人が、今は客観的に自分を見てそれを語れるようになりました。これは大変大きな変化です。

今回はヤマギシの春日山からケアサポートチーム立ち上げということで6人の人が来てくれて、1週間をすーくんとともに過ごすことになりました。すーくんの変化をみんなで振り返りながら、こういった人たちをサポートし、社会でしっかり通用する人に変えていくという取り組みのためにここを訪れました。これはヤマギシの中だけの問題ではなく、ちょうどこの間大きな震災がありまして、これから色々な意味で世の中が行き詰まることになります。日本中で行き詰まった人を支えていかないといけない時に、私たちのような血縁を超えてみんなで助け合う社会というものがこれから必要になってきます。そういった中で、ヤマギシという大きな組織がそういった世の中の行き詰まりを解決出来るところになるということは非常に大切なことであり、これからの世の中にとってたいへん必要なことだと思っています。そういった意味では、今回はケアの当事者ということだけではなく、すーくんにもその経験者として今後行き詰まった人のためにも生きていってもらいたいと期待しています。これからどうやってすーくんをサポートしていくのかということもありますが、サポートされる側はいずれ卒業して、そういった人たちのために生きていってほしいと思っています。

その人が本当に生き生きとするということは、本人も生き生きですが、他人にも生き生き、喜びを与える人ということです。ですから、自分の存在が自分にも他者にも喜んでもらえるような生き方をしてもらいたいと思っています。それが人の生きている価値なのだと思います。他人の荷物になっていくのも生き方なのかもしれませんが、それはあまり喜ばしい生き方ではありません。ぜひ前向きに生きていってもらいたいと思います。

ケアの人が卒業する時にはいつも言うことですが、私たちに一つの事例を与えてくれ、卒業することによってここの取り組みにまた一つ実績をつくってくれました。そういう意味でいつもありがたいことだと思います。卒業するということは新しい旅立ちですから、気を緩めずに今の気持ちをしっかりと持ち続けて、今の姿勢のもとに今後もしっかりと生きていってもらいたいと思います。

まずは卒業おめでとう!私たちにも良い勉強をさせてくれました。ありがとうございます。これから100点満点というふうにはいかなくても、大変な時にはここで学んだことを思い出したり、アドバイスが必要であればまた連絡をしてください。縁があって出来た家族がここにもいるということですから、また遊びにも来てください。それから、ヤマギシの方にも自分を支えてくれる沢山の家族がいるのだから、そういった人たちと仲良く暮らしてもらえればと思います。

卒業おめでとう!そして、ありがとうございました。

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そして、すーくんが卒業してから1週間後、すーくんの近況を教えてくれるメールがヤマギシのケアサポートチームから届きました。「お母さんが近くにいると甘えてしまうから、お母さんのいる場所から離れたところで自立したい」というすーくんの希望が叶い、新たな場所で新しい仕事に取り組み始めているそうです。そして、ケアサポートチームの勉強会にも参加しているということで、今後自らの経験を他人のために生かしていく人になっていくのでしょう。

すーくんの活躍をみんなで応援しているからね!すーくんが帰ってくる時には、大好物の特製おやきを作って待っているからね。