「いさどんブログ」一周年

ようこ:
「いさどんブログ」が始まってから、もうすぐ1年になるね。
いさどんから何か感想はある?

いさどん:
僕のひとりごとにようこちゃんが出会って、
そのひとりごとが人に伝わると、人の心を活性したり、感動を与えることがあった。
「そこに出会ったひとだけのものにしておくのはもったいないね。
これをもっと広く皆に伝えたいね」ということで
「いさどんブログ」は始まったんだよね。
最初は、メンバーの中だけで共有していたのだけれど、
それを聞いたメンバーも、「自分たちだけのものにしておくのはもったいないね」ということで、
外に発信するようになりました。

今はブログを読んでくれている人たちを意識しているけれど、
あくまでもこれは読者のために語っているのではなく、
自分の中から湧き出てくる想いを自由に表現している。
だから、「いさどんブログ」はひとりごとの世界。
いさどんという人が心の中で展開している世界なのだ。

想いを文章にしようとすると限界があって、
実際に僕の中に湧き出てくるものからしたら10分の1も表現出来ていない。
いつまでこれが続くのかはわからないけれど、
役割が終わるまで続くのだと思っている。

ようこ:
その時はもう、
「いさどんブログ」で話されているような世界になっているということなのかな。

いさどん:
正直、未来に対して希望はない。
それは、悲観的な意味で希望がないのではなく、
自分にとって考える必要のないことなのである。
今も豊かに尊く生きる人は生きられるのだし、
豊かだと思いながらも貧しく生きる人もいる。
理想というものは、この世界をどう区切って観るかによって、
いくらでも創り出せる。
今現在だって、真実は完璧な世界なのである。
僕の心の世界はなかなか皆に伝えるのが難しいからこそ、
このマニアックな世界(木の花の生活)を
皆さんに見てもらうのはわかりやすいことだと思っている。

僕は、物事に対して良いとか悪いとかの判断はしません。
このブログでは、ある存在から観た視点が表現されているだけのことです。
それが皆さんのお役に立てれば幸いだと思っています。

ようこ:
ブログ読者の皆さんに。
木の花では、「集い語り合え。語り合う中から真実が生まれる」という言葉がよく使われます。
このブログの場も皆さんから様々なコメントをいただいてきたからこそ、
こちらも刺激を受け、新たなブログが生まれてきたという経緯もあります。
皆が自由にそれぞれの中から湧き出てくるものを表現した結果、
愛と調和に満ち溢れた美しい世界となる。
皆さんと共にそういった世界を創っていければと思っています。


何もしない

私たちの存在は、この世界の仕組みの中にある。
その存在に比べ、はるかにこの世界の方が大きく、
その仕組みの一部として私たちは生かされている。
一方、心というものは、体とは違い
イメージの世界でいくらでも巡らせることが出来る。
想いが妄想化していくと、極端に偏った想いも湧き出てくる。
恨みや怒りに心が偏ってしまうこともあれば、
喜びや調和、愛の中に心が進んでいく人もいる。

しかし、現象の世界に怨念や不調和なものはない。
その姿はあってあるもの、なきてなきもの。
この世界はあり続け存在している。
そういった中で、私たちが肉体をもらっているということは、
その怨念や不調和からいつでも抜け出せるということでもある。
怨念や不調和な心の状態になると、
辛く苦しい、バランスを欠いた現象が起きてくる。
体や人間関係といった形の中にその心の状態が示され、
私たちが痛みを感じ、常に修正出来るように現象が起きていると言える。

僕は、体を持っていることが不自由で仕方がない。
それは、魂を形の束縛から解放して自由に表現したいから。
制約の中にいることを不自由と感じてしまっているのだが、
苦痛だからそう言っているのではない。
もっと自由な世界があることも伝えたい。
この世界の人々を観ると、
形に捉われ、形を大切にするあまり、
心が不自由な状態で生きている。
だから、この世界の真実に気づけない。
存在することの本当の意味に気づけない。

この世界の制度をどんなに優れたものにしても、
私たちがもっと広い世界、天上の世界から降りてきたものである、
ということに気づくことの方が大切である。
今、私たちは形をいただいているけれど、
必ず全てのものは形のないところへ旅立っていく。
これは約束されていることである。

その旅立ちに、約束されていることなのに、
死を拒否し、抵抗しながら迎える。
この世をはかなんで死んでいく人がいるような世界でも、
生きることの本当の意味を知り、
生きることによって完熟し、喜びを持って死を迎えることが出来る。

僕は生きていることに不自由を感じているのだけれど、
それは決して抵抗しているわけではない。
もし不満があるとしたら、
これはカラクリでありその仕組みを伝えたい。
しかし、人々にはなかなか伝わらない。
人々はそのことを無理解のため、
自己主張をして、対立し、悩み苦しむ。
なぜこんなことがわからないのだろうと思ってしまう。

しかし、もう一方で、
このことは理由があって起きているということも知っている。
だから、それを僕が悩み苦しむようなことではいけない。
もっと大いなるドラマの一部分なのだから。
その物語の顛末を見ないで、途中で悩むことは無用である。
それも楽しめばいいだけのこと。
いずれ顛末は来る。
全ては心の表われであるのだから、
善意に受け取れば善意の顛末が訪れる。
そうやって人間は、肉体を持つことによって育てられている。

人間は沢山いるけれど、その数はあまり重要ではない。
人間はいくつかの分類に分かれており、
それは10くらいの分類になるのだろう。
それぞれがそれぞれの段階を歩んでいるのである。
だから、数が沢山いるからといって、全ての人が別々というわけではない。
それぞれの魂が成長するための旅を歩んでいる。
その段階に応じた想いを持ち、現象の中で生きている。

若い世代の中に、
親やまわりの人たちの生き方に疑問を持つ人たちが現れている。
それは、世の中全体がそういう方向へ移行しようとしていることの表われである。
それは若い世代だけではなく、
年を重ねてきた人たちの中にも人生の旅立ちを前にして、
ふさわしい心を求めようとしている人が現れている。
一時、人々は形にばかり捉われてきたけれど、
その形に捉われることの意味に気づき始めたのだろう。

心の世界では、
その姿は丸見えであり隠すことは出来ない。
しかし、形の世界では心を隠すことが出来るから、
改めるのに時間がかかる。
それに僕はいらだちを感じる。
しかし、心の世界では間違いに対して修正する機能がないから、
間違いだけの世界になる。
想いというものは、とことん想い込んでしまうものだから。
そういったものを修正するためには、
この形の世界、じっくりと時間をかけて修正していくこの世界が必要だった。
そのために地球という場所が創られた。

僕の気が短いところは、
人々が早くこのことに気づけばいいと思うのだけれど、
段階を踏んで進んでいかないとならないこともあると知っている。
しかし、時々、人には一人一人の歩みがあること、
その歩みに付き合うことが自分自身の役割であるということを忘れてしまう。
それで、こうやって自分の心を振り返り想いを巡らすことによって、
また元の心の位置に戻ってくる。

肉体は変化するものであるし、人生は有限なものである。
しかし、それは特定した自分というものに限ればということであって、
自分の存在を魂というところから観たら永遠のものである。
だから、生きることに希望を失った時に命まで絶とうとする人も生まれてくるが、
そんなことで存在はなくならない。
自分の魂の状態のままに苦痛であっても喜びであっても、
人は存在し続けるものである。

そこから抜け出すための方法をお釈迦様は考えられた。
喜びも苦痛もないところ、解釈のないところへ行けばいいと考えられた。
しかし、そろそろ人類はこの世界を非難する場所と捉えるのではなく、
この世界をしっかりと解釈し、この世界を動かしている側に立ち、
この世界の仕組みのままに生きることの喜びを表現していかないといけない。
お釈迦様はきっとそれが面倒臭かったのだろうと思う。
だから、「何もない世界に行ったら楽だよ」と説いたのだろう。
だから、生きるということを生老病死という表現から始めたのだと思う。

しかし、それすらもこの世界を創っている道具にしかすぎない。
まだまだ、あってあるもの、なきてなきものになりきれない。
しかし、カラクリは観えている。
皆、そのカラクリにより迷いの中にいる。
そして、矛盾から問題事に出会っている。
人生とは、一つ一つの出来事に出会いながら、
その意味を知り卒業していくことだろうと思う。
階段を上るように一つ一つこなしていると思うと、次にすることは何だろうか。

それは、「何もしない」ということ。
今までは何かをすることでこの道を歩んできたけれど、
そろそろ何もしないという立場に自分を置きたいと思っている。
それをこれからするのだろう。
実際には生きているのだから、何かをしているのである。
それが誰かに託されてなったのではなく、勝手に事がなっていくこと。
何もしていないようだけれど、
熟成された役割のようにプラスアルファで生きていく。
そういう立場の役割はしたいと思っている。


集い、語り合え~ブログナイト

1ヶ月くらい前から、大人会議の前に
「いさどんブログ」を読み上げ皆で意見をシェアし合う、
「ブログナイト」がスタートしました。
今までも、ブログが出来上がる度に大人会議の中でシェアしていたのですが、
「大切なことだから、週に1回時間を決めて皆でしっかりと学ぶ場にしよう」ということで、
「ブログナイト」が誕生しました。
今週のブログナイトでは、エリーといさどんとの対談第2弾
「『治療』としての情報提供」を題材に、皆から活発な意見交換がなされました。

いさおちゃん(司会):
まず、エリーから何かありますか?
いさどんからこういう答えをもらったことで、意識が変わったり、
まだ実感できないところがあったりしますか?

エリー:
いさどんがおっしゃることは本当にそうだなと思っています。

じゅんじー:
「ええかっこしい」という部分は自分にもあるなと思いました。
自分の中にある「~しなければならない」というのは、
人に良く見られたいという「ええかっこしい」の部分だなと。
陰性タイプの癖が自分にあることがよく理解出来て参考になりました。

たっちゃん:
僕も会社で働いていた頃、エリーと同じように
リーダー的役割を果たさないといけない時がありました。
立場がきつくなればなるほどプレッシャーに感じ、
鬱的になったことを思い出しました。
自分も陰性タイプなので、エリーと反応が似ているなと思い、
自分の振り返りにもなりました。

病気の目的というところでは、
病気というものを皮切りにして僕らは何を知っていくのか。
我々がなぜここに生きているのかということを知っていくために、
病気は良い材料だということを改めて感じ、
そういったことに気づけば楽に生きていけるんだろうなと思います。
病気を通して生き方が変わることが出来るのだと感じました。

けいこちゃん:
私も10年近くうつ病だったんですけれど、
私のことを言われているようで、全くこのブログの通りだなと思います。
私は優秀ではないんですけれど(笑)、すごくエリーと似ているなと思いました。
今は、自分がうつ病であったことは必要だったことでありがたいなと思っています。

ヤスエさん:
私もすごく受身的に考えて、結婚によってさらにその気質に拍車をかけ、
子育てや経済的なこと等色々な難題を自分で引き受けて生きてきたんですね。
無理して引き受けてしまう自分がいて、
ここに来てからもそれを1年ほど続けてきて、
「これはもういけないな」と思えるようになりました。
やっと、NOと言える自分になってきているかなと思っています。
これからどんな自分が開眼していくのかということも、楽しみの一つだなと思っています。

れいちゃん:
「病気を病気とするかしないかは捉え方次第」というところがありましたが、
一般的な考え方だと病院の先生に委ね、
それでも解決出来ず、ここに来る人もいます。
どのように考えるかによって人生が大きく変わるのだとしたら、
エリーの体験を通じて世の中のために活かしていけたらいいなと切実に思いました。

ロッキー:
僕は10日前から心を健全にするためにここにケア滞在しているのですが、
自分がうつ病かどうかというのは自分の考え方次第なのかなと思いました。
病気にしてしまうと、自分が病気だという事実にフォーカスしすぎてしまって、
自分を変えるということをしなくなってしまうと思います。
うつ状態になるというのは、何かしら自分に問題があるのだと思います。
お医者さんに行ったら簡単にお薬をもらえますが、
すぐに強い薬を出すので、それでは問題の解決にはならないと思うんですね。
僕も、「病気になってしまったんだ」と考えるのではなく、
「自分を変えるチャンスだ」と捉えられたら、
エリーさんのように気づけることがあるのではないかと思います。(一同、拍手)

れいちゃん:
ロッキーが18歳にしてこういう意見を堂々と言えるということは、
自分が18歳だった時と比べてみると、大変素晴らしいと思いました。

みかちゃん:
今のイケイケで経済もプラスの時代に、
マイナスの病気が生まれるということでバランスを取っている部分があるのだと思いました。
病気がプラスの時代が何たるかを教えてくれているんだな、
と捉えることが出来るのだと思いました。

私は陽性タイプなのですが、会社勤めをしていた頃、
責任のかかる仕事が来ると私も不安になったり、ストレスがすごくありました。
今でもその時の名残の性質が日常の生活に出てきます。
問題の根本には、自分が持っている癖や性質があるということは、
当時もうすうすわかっていました。
でも、「辛いから病気になりたいな。でも病気にならないな。
何で病気になれないのかな」と思っていた時代がありました。
「病気になれたら逃げられるのに、でも正気だな」と思いながら仕事をしていたのを覚えています。
そのあたりは、陽性と陰性タイプの違いがあるのかなと思います。

いさどんが昔、「陽性のタイプはやりすぎたり的が外れることで、
失敗して落ち込みうつ病になっていく」と言っていたので、
自分にもそれに似たような傾向はあったな、と振り返ってみて思います。

まり姉:
私はうつ病ではなかったのですが、
「病気に逃げたい」と自分で病気をつくって病気になっていきました。
でも当時、「自分で病気をつくって逃げていこうとしているな、と気づいた段階で、
その病気に逃げられなくなるな。困ったな」と思っていたのを思い出しました。
それを面白いなと思いながら聞いていました。

のりちゃん:
今回のブログでは「自分のことを知る」ということがポイントだと思いました。
ここには色々な人が心身を健全にするために訪れるのだけれども、
私たちはその人を知り、本人は自分を知っていく。
私たちは、その人を正確に知るということが必要だと思いました。
アドバイスをするにしても、話を聞くにしても、
捉え方がずれていると、逆に相手を混乱させることにもなる。
その点、いさどんが必ずお手本になってすごいなと思うのですが、
自分たちの捉え方を勉強していかないといけないなと思いました。

個人的なうつ病というところから、宇宙の仕組みにまで話が発展し、
自分の存在を知っていくということが大切だと思っています。
そういうスケールの大きいところまで物事を捉えることが出来るというのは、
ここの真髄だと思いました。
世の中にはうつ病になっている人がどれだけいるのだろうと思った時に、
ここに縁がある人だけではなく、
外の人にもこういう考え方を広めていけたらいいなと思いました。

まこっちゃん:
うつの人は大変だなと思って聞いていたんですけれど、
考えてみれば、僕もここに来る前はうつ病だったなと(笑)。
薬を飲んでいたなって思いました。

いさおちゃん:
薬を飲んでいたんだ?!

まこっちゃん:
そうだよ(一同、驚き)。
病院に行く前はうつとかを知らなくて、
何だかわからないけれど会社に行きたくないという気持ちになっていた。
行きたくないけれど、どこか体の具合が悪いわけではないし、でも苦しくて。
そうしたら、まわりの人の勧めで病院に行くことになって、
病名をつけられ薬をもらったんだけれど、それでも全然治らなかった。
その後、新しい仕事を見つけて行き始めたんだけれど、
また同じように苦しくなった。
その時は「また、うつかな」と思って、今度は自分から病院に行ったんだよね。
先生には、「そんなにひどいわけではないんだけれど、
また辛い気持ちになりそうなので、早めに病院に来たので薬を下さい」と言ったりして(笑)。
だけど、治らないんだよね。
ずっと治らなかったんだけれど、
ここへ来て皆と一緒に生活をしていたら、あっと言う間に良くなった。

そして今、「うつの人は大変だな」と他人事のように思っている自分がいて、
何が違ってきたのかなと思うと、ブログに書いてあるような捉え方だよね。
それが一番で、全員が全員この方法で治るわけではないかもしれないけれど、
他の人にとっても問題を解決するのに有効だと思います。
そういうカラクリや仕組みを知っていくことによって、
最後は憧れのカラスのように(笑)、
くよくよせず、ただ生きていきたいなと思っています!

いさおちゃん:
僕は会社勤めをしていた時にパニック発作を起こして、
そのまま精神科というところに生まれて初めてかかることになったんですね。
当時から、これは性格の問題だから、
薬を飲んでもどうにもならないということはわかっていました。
パニックになった頭で自分の問題点をノートに書き出し、
「どうやったらこれを治せるんだ」と思い、
お医者さんの前で狂ったような勢いで自分の問題点を話したんだけれど、
全部それをかわされたという非常に悲しい経験があります。
「薬を飲んでカウンセリングを受けて下さい」と言われ、
今度はカウンセラーに自分の問題点を話したら、
全部それをスルーされたという悲しい経験を持っています。
結局カウンセラーは、「そうですか、大変でしたね」と言うだけで、
「そんなことを聞いているんじゃない!」と思いましたが、どうにもなりませんでした。

当時の僕が、話を受け入れる状態ではなかったということもあるとは思いますが、
ここで学んだ捉え方というのは全く教えてくれなかった。
精神療法の中でも認知療法と呼ばれるものは、多少そういうことをするそうですが、
ここのようにスピリチュアルな領域に入るものではなく、
もうちょっと対処療法的なものだと思います。

いさどん:
まこっちゃんが言った、「これで全員が治るとは限らないけれど、
これがわかると沢山の人が行き詰まっていることから解放される」というのは、
全くその通りだと思います。
ただ、ではなぜ全てが解決出来ないのかというのは、
この世界は非常に複雑に絡んでいて、うつになることについても、
例えば食の問題もあるかもしれないし、環境的な問題もあるかもしれない。
何か汚染物質が影響しているかもしれない。
また、家系からの因縁的によることなど様々な要因があるので、
事実を情報として客観的に捉えていくことが必要だ、ということがこのブログで伝えたいことです。

どんなことにも目的があります。
困ったことにも目的があるし、良いことにも目的があるのだとしたら、
私たちは困ったことをいただくためにこの世界を生きているのかといったら、
僕はそうは思っていません。
宇宙は一つであり、
それが二つになり四つになっていくことでこの世界の個性を創り、
多様性を創ったのだとしたならば、
バラバラにしてそこで対立や問題事を発生させることによって、
元が一つだということをそこでは示そうとしています。
そういった目的があるのです。
私たちが色々な問題事をいただくということは、
そこに行き着くためのプロセスであり、
単にうつ病ということだけで終わってはいけません。

うつ病や自殺者が沢山出てきているということは、
単にそのことが問題ということではなく、
社会に大きな問題を投げかけているということです。
「問題事から正しく情報を捉え学び、次の時代へ移行していきなさい」というメッセージです。
今はとても大切な時代が来ています。
色々な問題事をいよいよ克服する時代が来ていると捉え、
先を心の眼で見通せば、問題事も悪いことではありません。

最後に。このブログを読んだ後の皆の意見交換の時間が良かった!
沢山の人が自分の体験をもとにして語っているのが良かった。
実は僕は体験していないんですよ(一同、笑)。
でも、ここの多くの人は自分の体験をもとにしているから、よくわかっている。
この皆の発言こそが、薬になると思っています。

のりちゃん:
ここには体験者がいて、証人も沢山いるんだよね。
まこっちゃんが最初にここに来た時には、
まこっちゃんがこんなふうになるとは想像もしなかったよね。
一緒に暮らしていくことによって、ここのメンバーになる人もいれば、
ここを卒業して社会復帰していく人もいるのだから、
ここは本当に貴重なところだと改めて思いました。

ようこ:
こうやって「ブログナイト」が始まってから、
皆が一生懸命ブログを予習したり復習したり、
この場でも活発に意見が出るようになって嬉しいです。
「いさどんブログ」は皆で語り合う格好の材料の一つだと思っているし、
こうやって皆が語り合うことで、皆で大事を確認し合い、
さらに互いの理解が深まっていくのだと思っています。

たっちゃん:
何よりもこの場が良いのは、こうやって皆で学んでいけること。
大切なものをより深く学び、実践出来るこの場はあってしかるべきものだなと思っています。
これからも皆と楽しく真剣に学んでいきたいと思います。


子は親の鏡~家族会議編

先日、ご両親と共に木の花を訪れ、
いさどんの面談を受けた高校1年生のきーちゃん。
(詳しくは、「子は親の鏡~面談編」をご参照下さい。)

半年前から過食とうつ状態になり、4月からは学校に行けなくなりました。
面談の中でいさどんから、
「きーちゃんの問題は家族の関係から来ていますね」と指摘されたきーちゃんは、
「じゃあ、いさどん、私たちの家族会議に参加して下さい!」と提案。

そこで、いさどんとようこが木の花創立以来初の相談出張のため、
きーちゃんファミリーを訪れました。

PDFファイルはこちらからダウンロードできます。


何でも来いや、任せておけ!~後編

いさどん:
それともう一つ、僕の中にすっきりしていないことがある。
僕が色々と話して、ようこちゃんがテープお越しをして、
僕がそれをブログの原稿として直していくよね。
そうすると、言葉で伝えることの限界を感じると同時に、
僕は欲が深いから、文章としてレベルが高いものが出来ないと思っている。

それは、いつものように神様の方を観て、
「『それだけのものを与えられているのだから、それでやれ。
それ以上のものはいらない』と言っておられるんだから、考える必要はない」
と思っているんだけれど、そういった欲も今回の旅で捨てようと思う。

ようこ:
それを聞いて、「いさどんはそんなことを思っていたんだ!」とびっくりだよ(笑)。

いさどん:
今日は出発であり、捨てる旅だね(笑)。

ようこ:
いさどんが「これぞ完璧!」という文章を仕上げたところで、
読む人の心次第でどうにでも文章は読めるから、
いさどんの伝えたいことが伝わるとは限らないよね。

いさどん:
それは全くそうなんだよね。だから、不完全でもいいんだよ。

ようこ:
いさどんからしたら不完全でも、わかる人にはわかるから。
相手の心次第だよ。

いさどん:
それから、まだ捨てるものがあるんだよ(笑)。
それは、今僕が運転しているX-Trailという車をプリウスに変えようという提案を
僕が大人会議でしたよね。
ガソリンのメーターを見ると、自宅を出発してから1時間で満タンの目もりがもう下がってきている。
これから出張が沢山あるとしたら、省エネじゃないと思う。
地球環境にとっても経済的にもよくないと思って、この前提案した。
その時に、車の下取りはいくらだろうとか、今木の花では色々とお金を使っているのだからと、
僕はやっぱりお金を計算してしまう。
そうやってお金の計算をしてしまうところがある。
それもやめないといけないと思う。

昔から「安全に行こう。いつも安心していたい」という心がある。
そういうふうに、先案じをしてしまうところがある。
全然困っていないのに、ブレーキをかけてしまう。
それは神様と一緒に歩んでいないところだから、それもやめようと思う。

ようこ:
それを聞いてびっくりだよ(笑)。
こんなに過激な(笑)人生を歩んでいて、「安全でいたい」という心があったなんて。
面白いね。

いさどん:
本当だよ(笑)。
こんなはちゃめちゃな生き方をしているのに、安全を考えているんだよね。

ようこ:
観る人によっては、こんなに先行き不安な人生はないよね(笑)。
いさどんたち創立メンバーは17年前にこういう生き方を始めたのだから。

いさどん:
よし、その心も捨てるぞ!

ようこ:
本当に今日はびっくりさせられる日だ!

いさどん:
これは、この旅があったからこそ。
そして、隣にようこちゃんがいたからこそだよ。

ようこ:
そうだよね。
私が、「いさどんの言う通りだよ。安全に生きることが大切だよね」と言うような人だったら、
逆にいさどんが私の心を指摘したりして(笑)。
そういう人だったら、いさどんからこういう話も出ないか。
今日は、いかに自分がものを考えずに生きているのかがよくわかった(笑)。

いさどん:
そういうふうであるべきだよね。

ようこ:
日々考えなくても、全然困らないからね。
自分で考えなくても、事は成っていくから。

いさどん:
色々な材料が完璧に用意されているからね。

ようこ:
思い起こせば、「いさどんブログ・おやじの館」が出来てから、今月で1年になるんだよね。
もう130近いブログがこの1年で公開されている。

私の場合は、考えてはいないけれど、センサーはきっとあるのだと思っている。
1年前、いさどんの話を聞いていて、
「一人で聞いているだけではもったいない。大切な話だから皆ともシェアしたい!」
と思ってこういう流れになったから。
今は、こうやって沢山の人が読んでくれて、コメントをくれて、ありがたいね。

いさどん:
これも、「こういうことが大切だからやろう!」ということで始めたのではなく、
ちょっとしたきっかけなんだよね。
それは僕の想いでもあったんだよ。
誰かと話をしていてその話が素晴らしい話なのに、
「そこで終わっていくのはもったいない」と思っていた。

ようこ:
エリーとの対談を聞いていても思うのは、
大学の教授であっても、あれほど幅広い話は出来ないよね。
いさどんから湧き出る泉って本当にすごい。
いさどんが聞かれて答えられないことってないもんね。何かしらの見解が出てくる。

いさどん:
昨日もプレゼンテーションを終えた後に、
「誰の中にも泉がある。ただ、その泉に到達するかどうかは、
自分というものをなくせば到達するし、ある人は到達しない。たったそれだけのこと」という話をした。
宇宙の元の作用からこれが出来ているのだから、
誰にもその泉があって、捉われがなければ誰にでも到達出来る。

ようこ:
面白いのは、いさどんは私と比べて欲があっても、
これだけ泉が湧き出るということは、
「いさどん」という幅広い人間味を持つ、一つの貴重なサンプルだよね(笑)。
普通、これくらい欲があったら、泉とつながることが出来ないと思うのだけれど。
いさどんには欲があるからこその役割もある、ということが言えるのだと思える。

いさどん:
僕は、故郷の星から役割を持って、地球にやって来た。
ひょっとしてあの星では落ちこぼれだったかもしれないんだよ。
あの星にいてもつまらないから。
完成されすぎてつまらなくて、僕はその完成された世界が不満だったから、
「お前、出来が悪いな」と言われ、
「お前のその出来が悪いのを活かすためには、地球へ行って来い。
お前は、この星と地球のちょうど中間くらいの精神レベルにいて、
地球の人間たちを導くにはちょうどいい心の位置にいるのだから」ということで、
ここに来たのかもしれない。

僕は故郷の星の人たちを観ると、素晴らしいと思うのだけれど、
味気なくてそれじゃつまらないと思うから、そこでは異端児なんだよ。

今、神様が言葉をはさまれて、
「それを問題とみなすのか」と言われた。
僕が異端児だということを問題とみなすのかと。
「出来上がってしまった人たちでは役に立たず、
そこに問題を持つことによって役に立てるのだとしたら、
それを問題とみなすのか。それこそ尊いことである」と言われた。

この世界は完璧な世界で、完成されたら完全ではない。
完成された世界に不完全を置いたから完全なのだと。
僕は、完成されたところから不完全を持ってここへ来た。
だから、完成よりもさらに完成した。
完成させてしまったら次のステージがない。
そこに不完全をつくることによって次のステージがある。
宇宙の繰り返しがそうやって出来ている。
常に変化し続け、不完全から完全を目指し完成を極めると、
また不完全を目指し、不完全を極めるとまた完全を目指していくということだから、そこだよ!

ようこ:
そこだね!

いさどん:
もう、どうでもよくなってきた。知らない!

ようこ:
最後にはいつもこうなるよね(笑)。

いさどん:
もう考えないことにした。
と言って、考えないとつまらないんだよね。
この世界を楽しむことにはならないから。

ようこ:
そう考えると、いさどんの方が私よりも大分この世界をエンジョイしているよね。
幅広くエンジョイしているよね。

いさどん:
そうだよね。
エンジョイしているということは、悩むことすらエンジョイしているわけだから。
ようこちゃんは全然考えず、悩まないというのはエンジョイしていないということになるよね。

ようこ:
人から見たらつまらない世界だよね。
私はそれをつまらないとも何とも思わないけれど(笑)。

いさどん:
そうそう。それをより楽しむために悩んでいる。

ようこ:
そうそう!大分整理がついてきたね。

いさどん:
楽しむためにこの星に来ていたのに、そのことに気づいていなかったんだよ。

ようこ:
最後には何でもありということだよね。

いさどん:
よし!思い切り何でもエンジョイするぞ!
今までもこういう気持ちになることはあったけれど、
ここまで決意が出来たのは初めてだ。
自分がそういう心になった時に、そうでない人たちがいる前に行って、
「皆さん、エンジョイしましょう!!」と言って、山本直純のようにね。
山本直純って知っている?
「♪大きいことは良いことだ~」というチョコレートのCMを作って歌っていた作曲家。
もう死んじゃったと思うけれど。

ようこ:
そういう人がいたんだね(笑)。

いさどん:
まわりの空気を読まず、テンション高くはやれないなと思うけれど。
でも、ひょっとして、これから自殺しようという人たちを前にしたら、
それをやり続ける必要はあるのかもしれない。
そういう人たちの相談に乗って、「それは大変ですね。問題ですよね」と言っているようでは、
とてもそういう人たちを引き上げられない。

ようこ:
そう。それこそ自由自在に上からも下かも横からも斜めからも観られるようにならないと。

いさどん:
目の前に現れてくる問題を恐れていたら、こういう活動はやっていけないからね。

ようこ:
それはそうだよね。これから、そういう世界の最先端に関わっていくのだから。

いさどん:
家に帰ったら、これをネタにブログに出そうか。
「看板上げます!」って(笑)。
何を看板に上げるのかと言ったら、「何でも来いや、任せておけ!」という看板。

ようこ:
じゃあ、「何でも来いや、任せておけ!」Tシャツを作ろうか!
ケアサポートチーム皆で、「何でも来いや。任せておけ!」Tシャツを着ているという(笑)。

いさどん:
いいね!ぜひ作ろう。

ようこ:
何でも楽しんでいかないとね。
今日は出発する前に、「いさどんと車の中で2時間も一緒にいるから、
面白い話が出るだろうな」と思っていたけれど、
こんなに面白い話が出るとは思わなかった(笑)。

いさどん:
そりゃ、何かがあることはわかっていた。
ないわけがない(笑)。
ようこちゃんのことは神様から良いプレゼントをいただいたなと思っている。

ようこ:
お互い様です。
私もいさどんや木の花に出会ってなかったら、もっと平凡な人生を歩んでいただろうな。

いさどん:
結構ええかっこしいでね。

ようこ:
そうそう(笑)。嫉妬深くて。

いさどん:
それはそうだ。元々の「陽子」という魂はそういう人だ。

ちょうど、東名高速で全く道を気にしなくていいところで、こうやって話が一段落した。
今は首都高速に入りあっちに行ったりこっちに行ったりして、
落ち着いて話が出来なくなったからね。

ようこ:
配慮されているね(笑)。
二人で会話をしていると思ったら、実は三人だったということだね。

いさどん:
昨日、神様のカードというのをみかちゃんが持っていて、
「アメノミナカヌシ」というカードを僕は見たんだよ。
「ミナカノヌシノオオカミ」というのは僕に与えられた名で、
「アメノミナカヌシ」というのは大宇宙神のこと。
その「アメノミナカヌシ」のカードには、「あってあるもの、なきてなきもの」と書いてあった。
「これは、僕が昔言われた言葉そのままだ。全てがその通りになっているんだな」と思った。

さあ、もうちょっとで到着だ。物語の本番はこれからだ!