木の花流人生健康法

今日のブログは、
「おやじの館」の主のリクエストにより、
ケア滞在で来ているあっくんの途中経過レポートです。
大人会議でのあっくんの報告は、
いさどんから
「まるで臨床心理士のようだね。
ケアを卒業したら、
このまま一緒にケアを担当してもらいたいぐらいだね」
とコメントが出るほど。
このままあっくんの心が健全になって
社会のために活かされることを願っています。

うつ病歴8年目にして、
伯母からの紹介で木の花を知った。
とりあえず相談をしてみたものの、
実はここを訪れるまで、
ケアを受けるかどうか一ヶ月間悩んでいた。
理由は、僕の性格の頑固なところ。
行くならば自分の意思で行く、
他人に言われて「行かされる」のでは
自分の身にならない、
自分の意思で行くことに意味があると信じていたからだ。
それも間違いではないのだが、
木の花に関しては、たとえ行かされたとしても意味がある。
それほど、自分の考え方がガラリと変わる場所であると
今は思っている。

初日から1週間は、
まずそれまで長年飲み続けていた薬
(朝:抗うつ剤2錠、夜:2錠、寝る前:睡眠剤1錠)を
朝の抗うつ剤2錠だけに減らした。
そして1週間後、断薬にチャレンジ。
その夜から、さっそく体に異変が起きた。
睡眠剤を抜いたことで、夜一睡もできないのだ。
不眠状態は、4日間も続いた。

滞在2日目、
地元の行事のため1日帰宅。
2日ぶりに会った妻は、
「なんか、自信に満ちあふれていない?」、
続けて母親からは、
「ねえ、たった2日で雰囲気変わっていない?」と一言。
確かに自信が体に満ちあふれている。
なぜだかよく分からなかったが、
木の花で2日過ごしたことが
影響していることは確かだと思う。
おそらく無意識で
「うつが治る」ことを感じていたのだろう。

木の花に戻った3日目の夜、
大人会議でこうちゃんからシヴァ神の話を聞いた。
シヴァ=破壊=生命ということ。
それは、愛であるということ。
これを聞いて、生まれて初めて
「心のタガが外れる」という経験をしました。
胸がふっと楽になったかと思うと、
今度は奥底のほうからカァッと温かい気持ちに誘われた。
浄化されるというのは、こういうことなんだろう。
もともと攻撃的な僕の心に何かが熱く沁みわたり、
すーっと優しい気持ちになった。

1週間から2週間目にかけて、完全に断薬。
さすがに8年間も飲み続けてきただけあって、
体への負担も尋常ではなかった。
この頃には睡眠剤を飲まなくても、
夜にはぐっすり眠れる体になっていた。
昼間の農作業による体への負担もほどよく作用し、
布団に入れば5分で自然に眠れるようになった。
日に日に体が健康になるのが実感できた。

さて、断薬による離脱症状だが、
まず、体中の筋肉がビリビリと痺れた。
力が全く入らない状態が2日続いて、
農作業も休ませてもらった。
一番困ったのが
胃がギリギリと締め付けられる感じで
ものが食べられない日が続いたことだ。
口に食べ物を運んだ瞬間吐きそうになり、
それ以上食べることができなかった。
ファミリーの人たちに相談したところ、
ここでは10日以上断食する人がいるそうで、
それでも死にはしないから大丈夫とのこと。
変に安心させられた。

2週間という短期間で断薬できたのは、
僕の他にもケアで滞在している人たちがいて、
僕より先に続々と断薬していったことが大きい。
それに遅れまいと、良い相乗効果が働き、
予定よりも大分早く断薬に踏み切ることができた。
何でもこういったケースは珍しくないらしく、
よく自分と似た症状や事情のケアの人たちが同時に滞在し、
互いに良い効果をもたらすようである。
会社や部活で同じ志を持つもの同士が集まるのと、
同じようなことなのだろう。

2週間から3週間目になると、
日に日にご飯をおいしく食べられるようになり、
3週間経った今では、以前とは逆に、
食べ過ぎて吐いてしまいそうになるほど
食欲も旺盛になった。
日中、太陽の光がサンサンと降り注ぐ中で、
土に触れ、富士山に囲まれて労働することにも、
感謝の気持ちが持てるようになった。

ここで生活をしていると、不安になることがない。
特にケアで来ている僕にとっては、最適な環境だった。
外の人たちは基本的に
自分のことばかりを考えて生きているということが、
木の花にいるとよく実感できる。
というのも、ここの人たちは、
常に他人のことを考えることが基本だからだ。
だから、自分も安心して、
他人に心を委ね、共有することができる。
不安な時は不安だと他の人にその気持ちを伝え、
共有することで、自然とその不安は消えてしまう。

僕の心の癖は、勝手に先のことを考えて、
常にネガティブでいることだ。
「ああなるのではないか、こうなるのではないか」と
いつもマイナスイメージを持っているわけだから、
物事が進むわけがない。

だが、ここにいて、
夜の大人会議の皆の姿勢がポジティブなこと。
そんなみんなの取り組みを見ているだけで、
いつの間にか無意識に、
自分の姿勢までポジティブになっていた。
最初は、ネガティブな考え方をしたら
「これはいかん」と意識して変えていこうと思ったのだが、
いつの間にか無意識にできるようになっていた。

おそらく、ここにいて、
素直に皆の意見を聞く、
常に正直な姿勢を保ってきた成果が、
ここにきて出てきているんだろう。
これは、皆がいつも言っている
「正直、素直、信じる」を実行すること。
この3つは、木の花の大原則だ。

ケアを卒業するまで、
この姿勢で取り組んでいきたい。
もちろん卒業しても、
これを自分のものにして、
新しい自分をどんどん試していきたい気持ちで一杯だ。
うつが治るだけでなく、
ここで自分がこんなに前向きになれるとは
思いもよらなかった。

また、長い間見守ってきてくれた妻には、
心から感謝している。
ここでケアを受けている間も、
妻と子供のことは一時も忘れず、
家族のために早く治すという強い気持ちでいられた。
これからは、本当の意味で助け合い、
温かい家庭を築いていこうと思う。

いさどん:

こんな人が何人、世の中にいるのだろうか。
病気の原因をつかまえたら、
あっという間に良くなるものです。
精神的な病気とは、心の病。
心の問題からうまれた病を、
薬(化学物質)でコントロールすることは、
非常にナンセンスだと思います。

自分の中にある病気の原因になった種子を見つけて、
それを取り去ることが一番大切なことです。
種子がなくなれば、
心も体も自然に元の状態(元気)になるものです。

あっくんの場合は、
その見本のようなケースですが、
どの人にも元気になれる道はあるのです。
それは、本来人が持っているところに
戻るだけなのですから、
病気までいっていない人でも、
今問題を抱えている人は、ぜひ一度、
木の花流人生健康法を体験してみてはいかがでしょうか。
思いがけない副産物も付いてきますよ。

毎日の生活の中にある心を唄った曲を、一曲プレゼントします。

♪ Welcome to 木の花ファミリー ♪

1.

たった一人だと思い込んで 歩いていたでこぼこの この道

幸せになりたいのにどうしてなの 想いがひとりでからまわり

そんな時に思い立って 荷物をカバンにつめ込んで

何かにひかれるようにあなたは 光の道へと飛び込んだ

気が付けば あなたのまわりにたくさんの家族がいるよ

気が付けば あなたの幸せ願う素晴らしい家族がいるよ

Welcome to 木の花ファミリー

Welcome to 木の花ファミリー

2.

素直な心を見つめて話して ここではみんなが耳傾ける

いつだってあなたは自由なんだよ 誰もあなたをしばったりしない

疲れた時にはゆっくり休んで 1日ぐっすり眠るのもいいさ

元気になったら車に乗って 今日は一緒に畑へ行こう

とりたて野菜で作ったご飯 みんなで食べたら幸せ

心のつまりを素直に話せたらもっと幸せ

Welcome to 木の花ファミリー

Welcome to 木の花ファミリー

3.

本当の自分を知らずに 今まで影ばかり見ていた

誰もが神様からいただいている プレゼントのふたをさあ開けよう

あなたの魔法の力を使えば 不思議なことがおこるよ

あなたが喜んですることが 皆んなを幸せにしてゆくよ

あなたが目覚めていくように 祈っている家族がいるよ

みんなで心をわかち合って 助け合う家族がいるよ

Welcome to 木の花ファミリー Welcome to 木の花ファミリー


地球が動いた

今朝の一番の想いは、
国連総会で鳩山首相が核廃絶について演説したこと。
それから、国連安全保障理事会の首脳級特別会合で、
オバマ大統領が核廃絶を宣言し、各国に投げかけて、
全会一致でその決議案が採択されたこと。

あの時一番印象的だったのは、
中国の首相がすごく複雑な顔をしていたこと。
その表情の中に、
世界中が対立しなくてもいい方向に向かっていくとしたなら
私はここで反対するという立場はとれない、という感じで。

今までだったら全会一致というのはなかなかなくて、
対立だった。
それは、対立することによって
平和を維持できるんだという発想だった。

核があることによって平和を維持できるんだ、
自分の国家が守れるんだ、という考えだった。
そこでは、自分の国の利益を守るために反対したり、
エゴ的平和のために反対したりすることから
対立が生まれていたのだけれど、
地球を平和にしようという発想が出てきた時に、
誰も反対する意味がなくなったという状況だったのだと思う。

僕は、国連総会の様子をテレビで見ていて、
なぜ、そんな程度の提案が今までされなかったのだろう。
なぜ、そんなに幼稚だったのだろう、と思った。
そして、こういう時代がやっと来た、とも思った。

日本では民主党が政権を担うことになった。
今までずっと、
この国の政治は一党独裁のような政治だった。
僕は政治に関心を持つようになった時から、
政治が拮抗した状態でないと腐敗すると思っていた。
だから、アメリカが民主党と共和党の二大政党であることは、
羨ましいことだと思っていた。

僕の中に、アメリカ人的なところがあって、
合理性とか、アメリカ的個人主義というのがあり、
日本で生活することは向かないと思っていた頃があった。
いつからか、日本で生きていくことは自分の肌に合わない、
という感情を持っていた。

一方、日本人であることの素晴らしさ、
特に神様の存在に出会ってから
日本人であることの素晴らしさを感じるようになると、
今度はアメリカ人的な合理性や傲慢さに
違和感を感じるようになった。

今まで、アメリカの大統領で自分が支持する人は少なかった。
でも、どちらかというと、
共和党よりも民主党から出た大統領に共感してきたように思う。

そして今回、日本でも民主党に政権が移った。
一年くらい前までは、
ちょっと頼りのない彼らのことを考えると、
本当に政権が担えるのだろうかと思っていた。
自民党のお粗末な失態が沢山続いて、
さらに麻生首相の登場。
これも、新たな時代が訪れる流れなんだろうと思ってみていた。
政治家らしい高い能力を持つサラブレッドとしての毛並みは素晴らしい。
しかし、あんなに緻密さに欠ける、
ものの本質をどこかで取り違えているような人、
そういう人が首相になって、
本来なら去年の8月、9月に総選挙をすると言っていた。
首相としての短命なのでは、という思いがあったのだと思うが、
結果、個人的な思惑も働いて、
選挙を行うのを延ばしたのだろう。

去年の9月の時点で、
今、選挙をやれという声はたくさん上がっていた。
けれど、支持率も低く、
今、選挙をやったら負けるに決まっている。
負けたくないという損得から、ずっと選挙を延ばしてきた。
国民が国政に対する意思表示をしたくてうずうずしている時に、
その意思を無視するように先に延ばせば、
今回のような結果につながるだろうと思っていた。

なんとか支持率が上がって、
負けるにしても自分たちが納得できる負け方というのを
模索してきたのだろう。
そういう中で、
国民にゴマをすったような政策を打ち出して
支持を得られるように頑張ったところで、
あの利権体質で焦点がぼけてしまっている自民党では、
今の国民の要求を満たすことはできない。
結果、この結末を生んだ。

民主党も追い風が来るのを待っていたのだけれど、
党首だった小沢さんが、大事な時期に失態を犯した。
これは、突然起こった失態なのではなくて、
以前からあった体質が出ただけ。
それは絶妙なタイミングで起きた。
小沢さんが、「国家権力が政治に介在する」と、
そんなことまで発言するほどだった。

そんなことを言ってしまって、
余計に自らの体質がそこにあることを
暴露してしまったことになる。
政治の世界では、疑われている所を堂々と出して、
自分の潔白を晴らして、国民に問わないといけない。
しかし、相手に問題があるかのような発言をしてしまった。
そこで自民党がとことん追求していくべきところだが、
もともとそれは自民党の体質だから、
それをやったら薮蛇になってしまう。
結果、民主党は、党首を変えることによって持ち直した。

ところが、鳩山さんにも政治資金の問題が出てきた。
ここでも大いに問われるべきところだけれど、
国民の中に「変えたい」という意識が強く生まれてきて、
「少しくらいのことはいいじゃないか。
細かく問題を突いているよりも、
もう一気に腐敗体質を変えたい」という意識が起きてきた。

これに一番貢献したのが、
国民にイライラをもたらした麻生さんだった。
結果、今回の選挙結果は、
民主党の力というより自民党の力であり、
その最も大きな役割をしたのが麻生さんだったと思う。
僕は「流れだな」と思った。

民主党が訴えていた政権交代、
二大政党の形がとれてきた。
日本の二大政党というのは、
連立による二大政党になっている。
これは、多様性に富み、牽制役もあって、
バランスのいい二大政党制になってきた。

以前より僕は、第二党、
野党の第一党を支持してきた。
それは、決してその政党を
全面的に支持してきたということではなく、
体制が大事であるということを考えていた。

民主党も今時の「我先の心」の国民に支持されたのであって、
政権交代を実現したいばっかりのゴマすり政策を通して、
本当にこの国を良い国に変えていくということが
十分にできる国民的後押しができているとは言えない。
問題事を多角的に捉え、根本的な改革をし、
国民も痛みを分かち合う政策を打ち出しているわけではない。

小沢さんの出してくる政策というのは
票ほしさの政策が多かったから、
根本的な改革に取り組もうとすれば、
すぐに反対票になってしまう支持であることを
肝に銘じておくべきである。

二大政党制によって、
この国の政治を健全に導いていくのだとしたら、
やはり第二党の民主党が受け皿にならないといけない。
これを世論が求めるようになったのは、
今回のような、自民党の支持者すら
離れていくような自民党の側の体質、
日本の政治的体質、
日本国民的体質が長く続いた結果であった。

そんな日本での出来事の前に、
アメリカでオバマ大統領が選出された。
僕には、アメリカのことだから、
そんなにむきになることはないのだろうけれど、
ブッシュ大統領だけは最も不愉快な大統領だった。

ベトナム戦争を進めていったジョンソン大統領とか、
もっと遡るとケネディ大統領のような利権にまみれて、
裏表のある人。そんな大統領もいた。
ケネディ大統領は、アメリカをある方向に進めようとしていた。
けれど、その時期が早かったんだと思う。
その結果、暗殺された。
そのあと、ロバート・ケネディも同じようにして暗殺された。

あれは、アメリカという国が
どういう国なのかということを世界中に示した。
考えの違いに対して、
そういった形で答えを出す国ということを示した。

アメリカに限らず、
人間というものはそういうものなんだという
代表的な事例だと思う。
アメリカという国は、愚かな国で、
国中が対立で成り立っているような国。
近代では、常に世界のトップを歩んできた国である。
良しにつけ悪しきにつけ
地球のリーダーシップをとっている国であり、
非常に優れた国でもある。

例えば中国やロシアは、
自分たちの国の問題ある部分を隠すよう、
体制が押さえてしまう。
しかし、アメリカには、
自分たちの恥の部分を堂々と出して見せてしまう体制がある。
それがアメリカの優れた所で、
そこでは本当にアメリカは尊敬できる国であるし、
この地球の行く末を託せる国でもある。

僕は、ブッシュ大統領が
同じ時空に生きているのかと思うと、
それが悲しかった。
アメリカ人の訪問者が木の花を訪れると、
出会う前には、
「今度のアメリカ人には、
アメリカの問題点をしっかり伝えて、
反省させないと」と思ってその人を迎える。
残念ながらここに訪れるアメリカ人は
皆ブッシュ元大統領とは違って、
平和的、調和的な人たちばかりで、
しっかりハグと握手をして別れることになる。
しかし、アメリカに対しては、総体的に懸念を持っていた。

今回、画期的なのは
オバマ大統領が黒人で初めて大統領になったということ。
一番虐げられ差別されてきた、そして今現在も、
やはり一番富から遠い所にいる人たち。
その人たちの中から、アメリカの大統領が出た。
地球のリーダーが出たということ。

そして、その彼がどれだけのリスクを背負って
この星から核兵器を無くしたいのだと演説をしたことだろう。
あれは本当に世紀の演説であった。
子供たちの教科書にも載るだろう。
それに呼応するかのように、
日本ではいよいよ自民党政治が崩壊して、
民主党政権になった。

今回の国連総会での演説は、
鳩山さんらしい演説だったと思う。
力強く、信念が感じられた。
一方、何日か前に鳩山さんが、
地球温暖化対策について、
2020年までに二酸化炭素排出量を
1990年比で25%削減する、と言った。

ところがその後、官房長官か誰か、
同じ民主党の人が条件を付けた。
それを実行するということは、
他の先進国も足並みを揃えればこそ
意味があるのであって、
アメリカや中国などの地球温暖化に大きな影響をもっている国が
前向きではない。
まだまだ国の経済発展や自国の利益を謳っているような国がいては、
日本が25%削減といっても意味がありません、
と言ってブレーキをかけた。

僕はその時に、
なぜ他の国がやらなくても
自分の国だけでもやる、と打ち上げないのか、
そうすれば国際社会で日本が独立して
アメリカと対等の関係になるための意思表示ができたのに、と。
せっかく国政史上例のない議席を得たというのに。
それだけの環境を与えられていて、
なぜそういうことを言うのかと思った。

鳩山さんも先進国の参加条件を付けたものの、
今度は日本国内ではなくて
国連へ行ってそれを世界に向かって演説した。
それは、今までの日本の首相の姿勢とは違う。
人がどう言おうと、
我々はこういうふうに進むのだと。
フランスの大統領は、
結構そういう姿勢の人が多いと思う。
フランス人にはそういった気概があって、
気持ちがいいと感じていた。
日本からもそういう代表が現れた。

ちょっと前に
民主党の代表選挙があって、
私たちの地元から出ている
衆議院議員の田村けんじ議員は、
若手だから岡田さんを応援していた。
僕は彼に、「政権が代わって、
首相をやるのに今一番ふさわしいのは鳩山さんだと思うよ。
政策とかそういうものを超えて、
彼にはそういった星の元に生まれた何かがあると思うよ」
と言った覚えがある。

確かにそうは言ったけれど、
実際そこまでになるかどうかというのは、わからなかった。
それが、今回の演説で十分やってくれて、
僕は非常に評価している。

この国は何のために被爆国だったのか。
あの悲惨な戦争は何のためにあったのか。
やっと、あの戦争が活かされる。
あれは、本当に馬鹿げたことであった。
どんなに反省しても反省しきれないような、
毎年8月になると、
本当に悲しい想いをするようなことだった。
しかし、そのためだけにあったのではない。
やっとあの戦争が活かされる。
被爆国という立場が活かされる演説だったと思う。

そして、日本は世界に対して
世界の国の在り方を変えていこうと発信した。
それこそ、世界連邦も夢ではない。
そういう第一歩だな、と。

山が動いた。
鳩山さんの演説に続き、
オバマ大統領の国連安全保障理事会での核廃絶の演説、
そして全会一致の採択につながっていった。

日本政府の中でも、
これは大きなこととして捉えられているだろう。
では、国民一人一人がこれをどう捉えているだろうか。

今回は世紀の一日だった。
僕はこの日を待っていた。

そして、僕の頭の中には次のビジョンがある。
これから、いよいよ国づくりが始まる。
私たちは、その国をつくるのにふさわしい国民なのか。
それを一人一人が問われる時代が来た。
つまり、この星で生を受けて
生きているのにふさわしい一人一人なのか、
そういう意識を持っているのか、
ということが問われている。

一人一人が
自分のエゴを満たしていくのではなく、
この尊いいのちの星にふさわしい心になって、
国づくり、地球づくりをしていく時代の幕開けでもある。

この時代の変化を敏感に察知して、
その大事を心に思っている人が、
国民の中に一体何人いるのだろう。
まだまだ、政権が新しくなったことによって
自分に利権がもたらされるように、
自分の日常生活が楽になるように、
と願う人がほとんどではないだろうだろうか。

さらに、世界の体制が
新たな方向に向かっていくことによって、
誰もが競争や我先の心からくる争いの世界を終わらせる。
そして、皆が喜べる世の中になっていく。
そのことを自分の力で成し遂げようという人が、
果たしてどれだけいるだろうか。

そう考えた時に、今こそ魂を磨き、
一人一人が心をつくっていくことが、
この国や地球づくりにつながると思っている。
これは地道なことだけれど、すごく大切なこと。
一人一人に、この国や地球が託されている。
その自覚のもとに魂を磨いて、
それにふさわしい人として、
みんながイエスやブッダになる。

これからは、自分の中にある
「自分のため(エゴ)」というものを捨てさり、
世のため人のため(エバ)に生きて、
それが自分のためになる時代がやってくる。
新たな国づくりがスタートしていく時に、
人々はその大切さに気づいていくことになると思う。

そういった中で、
いくつかの障害がまたうまれてくる。
僕の心の中に一抹の曇りがあるのは、
アメリカという国が一気にそこまでいかないということ。
アメリカという国は、
今、新たなリーダーを抱えて、
自分たちが選んだリーダーが打ち出すことに驚いているところもある。
日本の方がもう少し安定しているように思う。
障害があることも進化していくために大切なことではあるけれど、
現実に目の当たりにすると、
浮かれた気分だけではいられない。

アメリカの暗い部分がまた出てくる可能性がある。
オバマ大統領は、
いつも命を張って大統領をやらないといけない。
彼の大統領任期の間には
全ての志はなし遂げられないだろう。
国際社会のこの流れに対して評価する人々がいる反面、
危機を強く感じる人々もいる。
巨大な利権の中にあるわけだから。

オバマ大統領になって改革の道は進むけれど、
本当の改革は、その次の大統領か、
ひょっとすると、さらにもうひとり先のことかもしれない。

鳩山首相は、平和の推進力になるという意味で、
重要な立場にいる。
そしてそれでこそ、
日本が世界のリーダーシップ的な役割を担える国になる。
これからは、強い国々や
一つの国がリードする時代ではなくて、
沢山の国が同じ理念のもとに
世界を運営していく時代。
まさしくその扉が開かれた。

上から見たら真円で、
横から見たら一本の線。
そういった世界の運営のされ方。
そういう時代の扉が開いた。

この部屋から西の空を見ると、
世の中の在り様も観えるのだけれど、
空と山、その空に電線がかかって見え、
家々、そしてベランダの手すりと屋根が見える。
人間の営みと自然がそこにあって、
毎日同じ景色を見せてくれる。
ここには、自然の移り変わりが見えるだけ。

この何でもない、
毎日同じ景色を眺めることから、
日本や世界の在り様、
この地球の未来を想うことができる。

無党派地球党。
みんなで政治団体ではない地球党を創ろう。
そのネットワークで地球をつなごう。
地球国大統領を誕生させよう。

国連とは全く程遠いこの場所で想っていることが、
地球を動かしていく。
新しい時代の導きとなっていく。
この六畳に足らない部屋で、
西の空を眺めながら、
この地球をどういうふうに今後進めていこうかと考えている。
ここはまさに、地球のリーダーの執務室。
何でもない一人の人間が、
地球の未来、人類の未来を真剣に考えて創っていける。
その素質がすべての人々の中にある。

ヒマラヤの地で、全く世俗を離れ、
サドゥたちが修行を積んでいる。
高い意識になって悟り、天に昇っていく。
そういったブッダたちは、
何のために悟りに至ったのか。

「仏の悟りは仏のためにあらず。
仏の悟りは衆生のためにある」
そのブッダたちが高い悟りに至って、
天上に昇っている。
それは一見、ブッダの悟りとは
違うように見えるかもしれない。
しかし、彼らは人々の中に出てきて
その道は説かなかったけれど、
彼らの魂がひとたび天上に昇っていくと、
あるものはその高い意識を持って、
いずれ役割を持って
この地上の世界に降りてきて、
日本の首相になったり、
アメリカの大統領になることもある。

以前、ブログに書いたように、
僕も役割としては
アメリカの大統領になることもできれば、
日本の総理大臣になることもできる。
しかし、今は何でもないこの立場として、
地球の未来を想っている。
それが大事な時代だから。
人間はいつも自由自在に
高い理想を持って、
いつでもどこでもふさわしい所に
生まれ変わることができる。

僕のこの部屋は、
地球の未来を開いていくための執務室である。
ヒマラヤの聖者たちは
天に昇ることによって再び地球に降り立ち、
人々を導くこともすれば、
さらに次の役割も果たす。
それは、この地球の運航、
太陽系の運航を担うという役割。
ヒマラヤで昇天していく、
誰も看取らない魂たちが、
実はこの地球を動かしていく。
そして、人類の行く末を導いている。

そのことに気づいたら、
一人一人にそれが託されている。
そして、それが単なる空想ではなく、
紛れもない現実なのだということ。

そのことに気づいたら、
この地球が次のステージに進化し、
理想の星になっていく。
皆が、自分という衣を潔く脱ぎ捨てていく。
そこでは、自分がなくなるわけではない。

私たち一人一人が、地球という、
人類というもっと大きな自分という立場で、
これから生きていく。
それがこれからの人々の姿である。
そして、なかなか心が
まだそこまで至らないことに対して、
それを憂える人たちが
「どうしたらそうなりますか?」と、
いつか私たちを訪れる。
そのことを伝えるために、
私たちは雛型としてこの生活をしていく。
目的の日が来るのは、そんなに遠いことではない。
時代は動いている。

このような意識で国連に働きかけましょう、
という話ではなく、
私たちにできることは
その意識で日々を送りましょう、ということ。
特別のことではない、
人参の草取りをしたり、
きびの収穫をしたり、
用務員をやったり、
それをブログで皆に流したり、
おいしいご飯を作って食べたり。

今のような意識で皆が生きていこう。
そしてみんなで、みんなでつながろう。
いのちのように、宇宙の姿のように、
私たち一人一人のように、
無駄なものは何ひとつない。
すべてのものが生かされる生活を実現すること。
それが、これからの地球づくり。

今日のタイトルは、「地球が動いた」。
地球はいつも動いているけれど、
でも、地球が動いた。
動いているはずだったのに、その地球が動いた。

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この世界に死はない、死を活かせば生につながる

今日のいさどんブログは、
現在、ファミリーに滞在している方の大人会議での報告、
そしてそれに対するいさどんのコメントという形でお送りします。

滞在している方:

今日いさどんと話したことがあるのですが、
いさどんに、それを皆の前で話してみたら、
と促されました。
自分の嫌なところを人に知られることには
抵抗がありましたが、何かの役に立つならと思って、
発表します。

私は以前、三回中絶をし、
それを罪悪だと感じて、
何となく自分は幸せになってはいけないと思っていました。
でもその半面、それをどうにか上手く消化できたらいいのに、
とも思っていました。

私にとっては重いテーマなので、
今までなかなか人に話せなかったのですが、
何かの拍子に、メンバーのまこっちゃんやいさおちゃん、
きょうこちゃんに話す機会がありました。
皆からいろいろなアドバイスを受けましたが、
きょうこちゃんからは、
いさどんに言ってみるといいよ、
とアドバイスされました。
そんな話をしているところに
絶妙のタイミングでいさどんが現れ、
いろいろな話をしてくれました。

その中で印象に残っているのは、
「死を活かす」ということです。
活かすという字は、
生活の生ではなくて、活のほうの字です。
三つのきれいな魂が
私の汚れた心を気づかせて、学ばせてくれて、
その経験が自分を活かしたり、
人のためにもなるんだと思いました。
なんだかすごく納得して、
解放された気持ちになりました。
しかし、それと同時に、
これからその死を活かさなければいけない、
というプレッシャーも感じました。

でも、いのちをつなげるために、
なんとか頑張って
自分の中で死を活かしていきたいと思います。

いさどん:

僕の話から、彼女が何かを感じて、
彼女の足しになったのだと思います。

これは大事なことだから、
みんなにも話を聞いてもらいたいと思います。

水子や中絶について、
罪の意識で苦しんでいる人たちが
世の中に沢山いると思います。
それは、なかなか人に話せない。
そして、話したとしても、
そのことに明快な回答を得られない。

世の中には、中絶をいけないことにして、
飯の種にして生きている人たちもいる。
しかし、そうすることによって、
余計にその魂は汚れていく、と僕は思っている。

こういった悩みを打ち明けられた時に
僕がいつも答えるのは、
その魂が美しい魂なのか、
それとも汚れた魂なのか、ということ。

今日も彼女に言ったのは、
「あなたは今、生まれてきてここに生きている。
そして心の病気もして悩んでいる。
それは、なぜだかわかる?
それは、あなた自身に汚れがあって、
この世界に降ろされて、
その汚れをきれいにするために生きている。
その表われが病気なんだよ」と。

それに対して、中絶した子供は生まれてきましたか?
人生を生きましたか?
そして、今、想い悩んでいますか?

長いいのちをもらう人もいれば、
短いいのちをもらう人もいる。
短いいのちで、
この世界に出てこないくらいの状態で
終わっていったものは、
ちょっと見方を変えれば、
この世界で修業をして汚れを取る必要がなかった魂でもある。
そういう見方もできる。

そうすると、
あなたは中絶という行為をしなければならなかった。
それは、あなたの汚れです。
そして、そのことで悩まないといけない。
それも、あなたの汚れです。
それを与えるために、
その魂はたったそれだけの短い期間
あなたにその役割をしてくれて、
そしていのちを終わっていった。

それを、ただ生きていることが尊くて、
生きていることだけが幸せという人たちは、
短いいのちで亡くなったということをかわいそうだと言う。

でも、世の中を見て下さい。
いのちのある人が幸せに生きているとは限らない。
逆に言えば、いのちのある人だからこそ、
不幸に生きている人が多い。
それは生きるという意味が、
自分の汚れを取って磨いていきなさい、
きれいになっていきなさい、
ということで問題事が与えられているから。

だとしたら、この世にちょっとだけ生をもらって
ほとんど生きなかったというものは、
それだけ美しい魂ということも言える。
人のためにだけ役割を果たして去っていった、
ということが言える。
そういうふうに、僕は見ている。

でも世の中には、生きるということを大切と捉えて、
それを飯の種にして、
「その魂はかわいそうだ。きっと迷っている。
だから供養してあげなさい」と言う人たちがいる。
それに従って、たとえば
三年経てば三歳のように七五三を祝ってあげたり、
小学校に入学する歳になったら
ランドセルを買ってお供えしてあげたりする。

ところが、そうすることで、
もともとこの世に未練がなかった魂が
未練を持ってしまうようになる。
きれいな魂だからこそ、
そういった行為によって汚れてしまう。
そして、実際の体がないのに霊的に成長して、
この世に未練を持って迷っていってしまう。
そういう魂たちがいる。
そのことが未練という形で育って、
生きているものたちに災いをもたらすことにもなる。

もしあなたが、
亡くなった子供たちのことをかわいそうだと思って、
いつまでもくよくよしていたら、
あなたのその想いがその魂を解き放たないで、
この世界に閉じ込めて、それを不幸にしている。

その魂は、私のために
縁をもって教えてくれるという役割をしてくれた。
それに気づいて、ありがとうと言って解き放ってあげること。
それが、その子の死を活かすということです。

この世界は、いつも理不尽な世界です。
私たちが生きているということは、
必ず違うもののいのちを奪って生きている。
でも、それを奪っているといったら、
いつも罪を持って生きていかないといけない。
でも、その死んだものは自分の中に生きている。
いのちが伝承されて生きている。
その死が活かされているとしたならば、
それは素晴らしいことで、この世界の仕組みである。
つまり、この世界に死はないということ。

よくこんな相談を受けることがあります。
「大切な親が亡くなりそうです。
どうしたらいいでしょうか?」と。
そんなときに僕が言うのは、
その死が近づいてきた時に、
その死を悲しいと思ってしまいがちですが、
誰でもいつかは死を迎えるのですから、
特別なことではないのです。
精一杯、お世話をして見送ってあげましょう、と。

特に、身近な人が死ぬということは、
自分に近い人だから、その人の生き様を
全て包み隠さず見せてくれたということです。
そしてその人がどういう形で死んでいくか。
病気で死ぬ人もいれば、いろんな形で死は訪れてくる。
それを見せてもらった時に、その人の人生を通して、
その人の生き方から学びを与えられたんだと。
生きてきた結果、人生の卒業式にその人が取った点数が、
その人の生き様の答えだから。
それを見て、自分はこういうふうに生きると、
こういう死の迎え方をするんだというふうに学びましょう。

そうすることによって、
あなたの中にその死が活かされます。
それが、本当の先祖供養です。
一人の人が死ぬことによって、
何人かの人がその生き方を学んで活かしたら、
その人の死は無駄ではなくなる。
沢山の人の生に活かされる。
それが、死が活きるということです。

そうしたら、私たちの世界の中に死はありません。
始まりがあり終りが来て、
それがまたぐるぐる回っているのだから。
私たち自身も死を迎えるけれど、
次の新しい生を迎えるように、
残された私たちの中に身近に接している人の死も活かせば、
その人の死は私たちの中に生きていきます。
この世界は全部そういうふうになっている。

この世界には死がない。
でも、時々、死を悲しく忌まわしいものとして、
避けていこうとする人たちがいる。
そういう人たちには、死が訪れます。
つまり、死が活かされないから。

そういうふうに考えていくことが、
生命の星に生きるということ。
いのちは生きるということです。
いのちは「みこと」ですから、神のことです。
そして、宇宙全体をつなげて循環して、
死のない世界をつくっている。
私たちがそのことに気づけば、
どんなことも活かすことができる。

今日、僕が倉庫へ行ったら、
彼女とその話をしていたきょうこちゃんが
「ちょうどいい所へ来たね」と言ってつなげてくれた。
僕は、ポン菓子をつくりながら、話をした。
そして、今日までずっとそのことで苦しんできた彼女に、
それにけじめをつけて活かそうよ、と。
その魂が自分にどれほどの学びをくれているのかに気づいて、
活かそうよ、と。
後ろ向きな想いを持っていたら、
その魂は自分を活かせなくて迷ってしまう。
結果として、あなたは人を迷わせることになるよ、と。

そういうことではなくて、人をここでも活かそう。
そして、ここで語ろう。
そのことによって、
こういうふうに前向きに物事を捉えることができない人たちに、
それを伝えよう。
そして、これをブログに載せよう。
そうしたら、世の中に広く活かすことができる。
今まで苦しみにしてきたこの経験を、
尊いものに変えることができる。
だから、ぜひみんなに話して下さいと言いました。

いい話でしょ。
こんないい話は、みんなで分かち合わないといけない。

やっぱり、死んだ魂も美しい形で旅立たせてあげたいよね。
この世界はゲームであり、カラクリだから。
そのカラクリがわかると、
「何だ、こんなことだったのか。
今まで何年これで辛い思いをしてきたのか」と。
そしてそのカラクリは、
単に解けたということでも、
自分が楽になったということでもなくて、
「いかにこの世界がありがたいか」
というところにつながるのです。


ドジでも立派な先生です!

僕は大学の先生でもなければ、教育者でもない。
だけど、いつでも大学の先生になれる。
いつでも、学校の教育の場に立てると思っているんだよね。

それは、自分の中のどこかの部分を
ぱっと切り替えるということ。
だけど、大学で講演するという機会が自分に来ないうちは、
全然できないんだよね。
でも、いざ自分の目の前に来ると、
それがぱっとできる。

人間ってこういうものだと思う。
自分で自分を枠の中に閉じ込めて、
「自分はこういうふうだ」と思っている限りは、
その枠の中にいるけれど、
その枠を取ってあげると、
いつでもそういうふうになれる。

例え立派な話ができなくても、
今立派でないということは、
ドジだということでしょ。
そうしたら、そのドジをね、
リアルに面白おかしく話したら、
人にはドジから利口になっていく要素がある。
そうやって、人は立派になっていく、学んでいく。
ということは、利口でない人でも、
いつでも先生になれるということなんだよね。
この世界はそういう仕組みになっている。

気づけ、気づけということです。


怒涛の一週間を終えて

今日は、「おやじの館」の主のリクエストにより、
昨夜の大人会議で発表したけいこちゃんの報告を掲載します。

10年間うつ病を患っていたけいこちゃんが
木の花で自然療法プログラムをスタートしてから、
ちょうど10日。

昨夜の大人会議で自分から手を挙げ、
今までの想いを発表してくれました。

けいこちゃん:

本当に嵐のような一週間でした。
驚いたり、うろたえたり、緊張したり、
羨ましかったり、やっかんだり、
妙に空気を読んだり、あせって馴染もうとしたり、
変にかっこつけたりして、
皆さんと違う意味で自分の頭の中は忙しかったです。
普段は良くも悪くも
しょっちゅう泣いていたんですけれども、
ここのところ、ほとんど泣く暇もありませんでした。

見学やプレゼンテーションに参加させてもらったり、
ミーティングで技術者交流会の報告やコメントを聞いて
晴れ晴れとした感じを受けたり、
誕生会や、とどめに結婚式を体験させてもらって、
しょっぱなからすごかったなと思います。

でも、そういうことを体験させてもらって、
自然に涙が出ました。
すごく良い涙だったと思いました。
その涙も、結婚式のたっちゃんの女装で吹き飛んでしまったんですけれど、
それもまたすごく楽しくて、
たっちゃんのぶっ飛びぐあいがすごく羨ましくて、
「私もあんなふうに踊れたらな」と羨望の眼差しで見ていました。

沢山のイベントが重なり、
皆さんの中でも紆余曲折があったようですけれど、
皆の力でいろんなことを実現していくことは、
本当にすごいことだと思ったし、
小さい問題から大きい問題まで皆で出し合って、
それをまた改善していこうというのを
全体的な空気で感じられたことも、
すごくいいなと思いました。

本当に何度「すごい」とつぶやいたか、
数えきれないくらいでした。

実は正直なところ、
いさどんの神様のお話というのは、
受け止めきれないところもありました。
でも、いさどんが結婚式のスピーチで、
娘さんや息子さんのことを「良き友人」
と思っているというのを聞いた時に、
私にも離れて暮らしている息子たちがいて、
すごく執着しているというか、
片想いしすぎているところがあったんですけれども、
「私もそういうふうに思えばいいんだ」と思ったら、
少し気が楽になりました。
息子たちにも、
私のことを友人として見てくれるといいなと願っています。

また、いろんなメンバーの方と個別に話す機会があって、
それはすごくありがたいなと思いました。
例えば、みかちゃんに言ってもらったことで
とても心に響いたことが、
過去の自分を全否定することはなくて、
過去の自分にも良いところはあったはずだから、
その良いところを良い方向へ使えばいいんだということ。
そう言われて、救われた気がしました。

あとヤスエさんに、ネガティブな感情が出た場合、
それを紙に書いて燃やしてしまうとか、
人のいないところで叫んでみるとか、
そのほうがすっきりするよとアドバイスされ、
簡単な方法ではあるけれども、
それもひとつの良い方法だなと思いました。

最後に。
いろんなことを感じすぎてしまって、
まとまらないところもあるんですけれど、
とりあえず今の想いを報告しました。
ありがとうございました。

いさどん:

非常に新鮮な発表をしていただいたなと。
こんなにわかりやすく自分の感じたことをまとめて、
話が下手だと言いながら、
下手な話を補うためのメモをしっかり取って、
この人は結構能力が高い。
これは先行きが明るいですよ。
けいこちゃんが言っていた過去の自分を卒業していき、
高い情報処理能力や、わかりやすく伝えるという良い面を
これから活かしていけばいいのだから。

世の中の同じような状況にある人が、
これを聞いたらどれほど救われるか。

みかちゃん:

私も、けいこちゃんと話をしていたら話が弾んで、
実は結構話しすぎてしまったのだけれど。
それは、けいこちゃんがすいすい受け取っていくから。
さっきの発表の最初にあったように、
いろいろ頭の中で渦巻いて
私の頭は忙しかったんだって言ってたから、
それなら、チャージすると良いよ、と伝えた。
自分の中でぐるぐる回すのではなくて、
皆にそれを伝えればそれだけ楽になるよ、
それだけ想いがあるのだから、と。
次の日には、また新しい想いが来るのだから、
どんどん皆にチャージしていくといいよ、と言ったら、
けいこちゃんは皆の前では緊張すると言っていたけれど、
こんなに大人数の前でもしっかり報告できていたから、
すごくびっくりした。

けいこちゃん:

こんなに短い文章でも、
実はまとめるのに何時間もかかりました。

いさどん:

いいんだよ。
けいこちゃんは、けいこちゃんの歩みをしていけばいいのだから。

みかちゃん:

そう。そこまでエネルギーをかけることがすごいことだよ。

いさどん:

それだけ、大事にしているということだしね。
評価は評価として、受け取っていけばいいんだよ。
とても新鮮な、良い発表でした。