美しいブルーの星へ降りてきた

いつ頃からか、
私の眼の前にある映像が浮かんでくる。
それは、地球に近づいていく映像で、
地球に近づけば近づくほど、
地球は太陽の当たっている状態だから、
「満地球」で明るい。
ずっと近づいていくと、
雲に出会い、雲の中に入って、
地上が近づいてくる。

そんな映像を想い浮かべた時に、
なぜ私たちはこの広大な宇宙の世界にいながら、
地上でしかありえない、
それも人間の世界でしかありえない、
人間の中でも捉われがなければありえないような
常識やルールに縛られているのだろうと思った。
すごく窮屈に感じる時がある。

そして、「ああ、忘れていた」と思った。
地球に近づき降りてくるという映像を観た時に、
「そういえば、自分は
この星の外から来たということを忘れていた。
この星のものではないのに。
ずっとこの星の人であったように、
物を考えていた。
外からこの星を観ていたはずなのに」
と思い出した。

その昔、地球が出来た。
ドロドロだった。
まだ地上に生命が誕生していない。
そのうち生命が誕生し、
人間の土台となった猿が誕生してきた。
そして、私たちは猿人といって猿から進化した。
しかし、猿が進化したものではない。
猿という体に人間の魂が降りただけである。
人間は猿から分かれたのだから、
人間と猿は別のものになる。

「神」という字は、
示す辺に申(さる)と書く。
申の中に神の魂が入り
成長したのが人間である。
つまり、この世界を創ったものの一部が、
元から分かれ、地上に降りてきた。
その時の受け皿になったのが申であった。
それが人間の始まり。

地上に人間として生きる土台が用意された時に、
私たちの魂は地球の外から訪れたものである。
その時は、この世界を外から観ていた。
そして今、この星の外からこちらを観る
ということを忘れていた。

私たちはこの世界を観た時に、
一人一人、自分とこの世界という視点を持っている。
それが無限にある。
人間の数だけある。
一つ一つのものがこの世界と密接に関わりながら、
自分というものをこの世界と対比させて生きている。

今自分がある。
自分がこの世界を認識するということによって、
この世界がある。
認識する自分がいなければ、
この世界はない。
自分があるからこの世界がある。
そういう見方がまず一つある。

もう一つ、自分がある事実として、
過去にこの世界が始まった時があるとする。
とりあえず始まりがあって、
過去から未来へずっと歴史が続いていく中で、
今ここに至り、自分があるという見方がある。

そして、もう一つは、
今現在この広大な世界がある。
その中に維持されているものとして自分がある。
そういう3つの捉え方がある。

ほとんどの人は
自我の視点だけでしか物事を捉えないから、
3つの方向から捉えるのは難しいかもしれない。
しかし、自我の視点だけでは
3分の1の視点しか持っていないことになる。
日々の中で自分の中から湧き出てくる感情の元に、
自分という側から外を観ているだけである。
それも、宇宙なんていう広いレベルは全く観ていない。
ただ湧き出す感情のままに生きている。

しかし、沢山の視点を持てば、
正しく次の世界を捉えることができる。

最近、私の前に宇宙からこの星へ降りて来た時の
映像がよく浮かんでくる。
「ああ、そうだった。
考えてみれば、地球がなかった時には宇宙のものだった。
地球が出来、申という器が出来て、
ここに降り立ったのだった」と。
地球に向かってくると、
地球のブルーがものすごく強烈で、
そのブルーの中に浮いている雲の中に入って
地上に降りてきたという記憶が湧いてくる。

誰もがそうであり、
誰もがその記憶を自分の中に持っているはず。
歴史は途切れることなくずっと続いているのだから。
誰もが宇宙のものであった。
今でも、ここにいても宇宙のものなのである。

もともと宇宙の中に存在していたものに、
地球という場所が用意され、
申という器に入り、
歴史の中で進化しながら今ここにいる。
皆の中にあるその記憶を思い出したら、
感情に縛られた不自由な生活は
しなくてもいいはずである。

とかく人間は、この世界がなぜ創られたのか
一生懸命考えようとするけれど、
それを解明する記憶が既に私たちの中にある。
宇宙の始まりから
ずっと記憶をつないできているのだから。

それを忘れているのは、
この地上にいる記憶があまりにも
強くなりすぎてしまったからである。
地上で生きていることに慣れすぎてしまい、
外から来ていることを忘れてしまっている。

次の時代を生きる新しい人たちは、
必ずそういう記憶を持ち、
宇宙的な発想で生きていくだろう。
その時に、ずっと遠い過去に宇宙からこの星を訪れた
という記憶を持って生まれてくる人たちも出てくる。

私が話し出すと、
こうやって色々な言葉が出てくるけれど、
それは魂的な過去に自分がマスターしたことが
外に出てきただけである。
語る必要がある時には、
記憶という本のページが順番にめくられるように、
私の眼の前に言葉が出てくる。

そういった情報は、
私自身にもすごく新鮮なように感じるのだけれど、
それは自分の記憶で封印されていたものである。
だから、私にとっては語った瞬間に、
新しいことを語っているなと思うと同時に、
それはただ蘇ってくることだから
何の違和感もなく受け入れることが出来る。

これからも自分の記憶のページが蘇り、
それを語り続けていくだろう。
自分にはその量がどのくらいなのかもわからないし、
内容がどこまでいくのかもわからない。
しかし、自分に与えられている役割の分だけは
出てくるのだと思う。

私は神様と対話していく中で、
「通訳としての役割を果たすために生まれてきている」
と言われているけれど、
これは私が特別ということではなく、
誰にでもある役割である。

物質的なものの奥にある
本質的なことを解き明かす役割の人もいれば、
科学者や物理学者といった
物理的なことを探究する役割の人もいる。
中には一般社会的なことを担う役割の人もいて、
ただ役割分担が違うだけである。

時代が移り変わっていくというのも、
時代時代の魂の役割分担が違うからである。
未来に向かって次のステージへ旅立っていく時に、
それを進めていく側なのか、
抵抗する側なのかということも、
役割の違いなのである。

今の時代を生きているものたちは、
ずっと以前に過去の時代を担っていたこともあった。
そうやってくり返しこの世界に現れ、
この世界は進化していく。
新たに宇宙から参入してくるものもあれば、
ここの世界から外の世界へ帰っていくものもあり、
そういうふうに魂が交流しながら
この世界が創られていく。

人間は、地球上の表面の世界だけを
この世界だと観ているのだけれど、
それだけでは非現実的である。
私たちが思考し行動している世界が、
この小さな星のそれも表面だけであるわけがない。
この広大な宇宙からしたら、
細胞一つにも満たないようなこの星で、
外とは全然関係なく
ここだけが存在しているなんて考えられない。

だから、もうちょっと広いところから物を捉えないと、
私たちがなぜここにいるのかはわからない。
どの切り口から観ても、
全部関連性がありつながっているということは、
元は全て一つであるということである。
この世界の実体を
そろそろ人間はわかる必要がある。

それをどう説明しようと、
人々がそれぞれの立場で表現を変えただけであって、
それを神と言おうが、法則と言おうが、
自分と違う表現方法にアレルギー反応を
起こすようなことはやめないといけない。
「それは表現の仕方が違うだけで、
共通するものですね」
と皆が共有する意識を持つ方向に
進んでいくことが大切である。
その視点で物を観る自分の役割として、
これは皆に伝え続けるべきだなと思う。

人間は命をもらい、
その命が自分たちを
強制しているかのように感じている。
食べねばならない、
生きねばならないと。

しかし、自然を眺めると
そこには命の連鎖があり、
ただあるがままに生まれて、
あるがままに生き、
そしてあるがままに死んでいく。
鳥だったって獣だったって、
何も悩まず、しっかりと生きて美しく死んでいく。

本来私たちも自然の奥にある神秘、
芸術的な命の美しさの中にいるのだから、
そのことを理解すれば、
神秘的で美しい人生が送れるはずである。

そういったことを理解出来る人たちが、
これからは沢山生まれてくるであろう。
そこにつなげていくために、
一人一人が目覚めていくことが大切である。
目覚めるということは、
記憶を呼び覚ますということ。
もともとあるのだから。
新たに創り出さなくても、
目覚めて次の時代につなげていくだけである。


2 thoughts on “美しいブルーの星へ降りてきた”

  1. この前の「個々の思考からこの世界の元の仕組みに沿った生き方へ 」と今回の「美しいブルーの星へ降りてきた
    」をいただいて、とても心に響くものがある。
    でも、それがうまく伝えられない。
    自分の本質が「魂」であり、永遠に、ただ存在するものであり、全体であり、一部であり、循環するものであり、・・・
    いままで「体」の意識でいたのが、少しずつ「魂」の意識というものがわかるようになり・・・。

    そして今「国体の本義」を解説している「日本国家の神髄」という本を読んでいる。神の国である日本。
    なんか繋がるものがあるような・・・。

    全然まとまらない・・・。でもなんかコメントしたい。という感じです。

  2. 今朝、浮かんできた言葉が「申の体と魂の調和」

    今日は「ガイアの法則」を読んで、なるほどな~と思った。

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