「神様の意志」と「自分の意志」の見分け方

前回のブログ「いさどんの『Mの精神』人生哲学」を
大人会議でシェアした時に、
いさどんから「神様の意志」と「自分の意志」の
見分け方についてのコメントがありました。
今回は、その話を皆さんともシェアしたいと思います。

まり姉:
ブログを聞いていて、
以前いさどんから言われたことを思い出しました。
私は悩んでいる時に、
大体二つにまでは考えを絞れる。
そこからどちらを選んだらいいのか、いさどんに尋ねたら、
その時は「うっとする」という表現ではなくて、
「得ではない方、損な方を選んだらいい」
と言われたことを思い出しました。

いさどん:
それは少しニュアンスが違っていて、
私たちの前に物事が起き、
そのことに対する自分の行動を選ぶ場合、
「神様の意志」と「自分の意志」があるとして、
神様の意志の方に行こうとする時に
どちらを選んだらいいのかという話だったと思う。

僕がその時に答えたのは、
損得を考えない方へ行けばいいんですよ。
それは得ではない方に行くのではなく、
そのどちらでもない方向へ行くということです。

キャサリン:
私も昔いさどんに、
「神様の意志なのか自分の意志なのかわからない時に、
どうしたらいいのですか?」
と聞いたことがありました。
その時いさどんは、
「損得のない方を選べばいい」
と言っていました。

いさどん:
自分にとって損得に関わらない方へ行くというのが、
一番賢明な方法です。
それが自分にとって一番の学びになり、
有益な道を選ぶ方法です。


5 thoughts on “「神様の意志」と「自分の意志」の見分け方”

  1. 損得に関わらない方に行くというのは、私の感覚ではいまいちピンとこないですね。
    ただ損得感情をぬきにして、神様の声に耳を傾けるということかなと思いました。

  2. 13日14日で体験で参加させていただきました Ryuです。  
    私もいさどんの考え方に賛成です。
    自分の心の中から邪心を追い払い、本当に心の中の澄み切った気持ちでの判断で決めてゆく事ではないでしょうか 5感や、過去の経験や、学んだ事でもなく、常識でもなく、本当の心の意思、自分の魂の導きで決定していくことだと思います。 

  3. 損得のないほう…。
    これは、頭では考えない、考えられないていうことだよね。
    よくわからないけど、こっちがいいっていう直観にも似た。
    なんだかこころが楽しい、わくわくするという感覚もそうかもしれない。

    でも、その直観を働かせるためには、こころの汚れが
    祓われ、清められている状態じゃないと、
    っていう話をこの前いさどんともしてました。

  4. 神様の意志にしたがおうとすると、必ず、平安が来ます。
    そして、心が本当に自由になります。
    自分にとっては損なことかも知れません。
    不可能と思われることかもしれません。けれども、やはり、よろこびがきちゃいます。
    でも、私のこころはそんなにきれいじゃないし、あまり努力もしてないなぁ。
    ・・・・・・・・・。いつも楽しみに読ませていただいてます。
    ありがとうございます。

  5. 選択の動機が
    大我か 小我か。
    神我か 私欲か。

    「こっちは金銭面で得。あっちは体力的に楽」 の2択で迷うとき、どっちも小我で答えが出ていない。

    損得の無いほう、の選択肢を思いついていない思考レベル。

    だい‐が【大我】 の解説
    出典: デジタル大辞泉
    《「たいが」とも》
    1 仏語。真如の永遠なる自在の働き。狭い見解や執着から離れた自由自在の悟りの境地。⇔小我。

    2 インド哲学で、宇宙の本体としての唯一絶対の精神。⇔小我。

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