絶対に譲らないたったひとつの道

いさどん:
今朝、「そういえば最近、天と対話していない」と思って、久しぶりに心を天に向けた。この関係の絆が深いことは間違いない。私たちは目先のことに左右されず、もっと大きなスタンスで歩むことが大切である。大事なことは、それが必要とされるときのためにあるのだから。だからこそ、私たちはこの生活をやり続けている。人々の理解が進もうが進まなかろうが、自らの心に曇りがなければ、真実はその先にある。それで行く以外に道はない。それは天との約束なのだから。

今まで、この歩みを曲げたことはない。それはなぜかというと、この歩みを所有したことはないからである。これは託されて、使命としてやってきたことだから。現世的な企みや個人の都合でやっているわけではないのである。

そして、いつもその姿勢について想うのは、何も望まず、生きるために必要な最低限のことが継続されれば、目的は達成できるということ。それは、木の花ファミリーの合言葉でもある「愛とお米があればいい」の精神である。そこに常に立ち返って、私たちの存在の意味を忘れなければ、現実にはとても豊かなものを表現し、そしてとても豊かなものを与えられていることがわかる。だから、ゆるぎなく進めばいい。真実は、どんなことがあっても絶対曲げてはいけない。確信があれば、それは継続できる。

昨日のミーティングの最後に僕が話したことの中にもそれがある。
それは、「絶対に譲らないたったひとつの道」。

 

※以下は、前日のミーティングの最後にいさどんが語った内容です。

 

――

私たちは生命です。生命とは無数の命を紡いでいるのですが、よくここで語られる生命の姿は連鎖してつながり、すべてが成り立つことです。すべてというのは宇宙全体のことです。そして、その雛形が地球の姿ですね。それは地球生態系に現されているのですし、私たちひとりひとりの身体もその生命の雛形としてあるのです。

そして、もう一つの雛形が私たちの人生です。これは何の雛形かというと、生命を紡いでいるひとつとして役割を担いながら、私たち人間ひとりひとりが自らの個をオリジナルに表現するように出来ているわけです。その時に、個のオリジナルが個性として単独になってしまうことがあるのです。ですから、この地球の生態系や私たちの体の構造は、個というカルマが暴走することをコントロールしてくれる為に雛形としてあるのです。

つまり、私たちがこの宇宙の雛形としての肉体をいただいて生きるということは、私たち自身の体が宇宙の雛形だということです。それと同時に、この世界の姿が私たちの体や精神の雛形になっている、すなわち逆雛形になっているということです。お互いに生命としてこの世界を表現しながら、その生命が暴走しないようにこの世界が雛形として私たちに指針をくれているということです。そのことをよく理解して生きることが、この命(みこと)を束ねて宇宙をひとつにしている魂(神様)に役割をもらって、本来の役割を果たすことだと思うのです。

それが、生命としての人間が、他の生命にはない尊い生命の調和を束ねる役割を地球上でいただいた本当の姿なのです。それを実行できると、地球上に無限なる宇宙の調和の姿がもたらされ、それを地上天国というのです。それを人間たちはそろそろ知ることによって、自らの尊厳を高めることができます。このことの尊さを知ったものは、本当の意味で高いプライドを持つことができるのです。それは絶対に譲らないたったひとつの道だからです。そのたったひとつの道に出会えること。それは本当の誇りであり喜びなのです。

今年も上半期が終わって、すぐにお正月が来ます。そろそろ仕上げにかからなければいけない時が来ていると思ったら、やはりそのような気持ちを常に持って日々を送りたいと思うのです。もし、みなさんひとりひとりが本当に自分を価値あるものとしたいならば、それをベースにして毎日の生活を生きることです。人生は自らを見事に表現してくれ、駆け引きも一切通用しない正直なこの場を提供してくれます。修行するには本当に最高の場だと思います。

私たちの生活スタイルが本当に大切なところは、手法を使わないことです。瞑想したければ、畑へ行って草取りをしながら無心になればいいのです。ヨガをしたければ、自らの想いに集中して神と対話すればいいのです。いつでも私たちは、この生活の中で悟りの道を歩むことが出来るのです。人間が考えられる悟りを開くための手法は、日々の生活に全て散りばめられていて、神さまが表現してくれているのです。
手法に出会うことは便利の良いことです。それは入口としてはいいですが、捉われてしまうのは問題です。最終的には自らの命の表現の場である日々の生活に現象としてその人柄を表していく。その人生と命をいただいて生きるということです。そして、そのことは私たちが生きていく上でもっとも大事な修行なのだと気づくことです。

このようなことは宗教などのレベルの世界ではないのです。そのような利益的な世界は完全に超えてしまった人として、真実に目覚めた者たちが宇宙から託されていることに応えていく時代です。そのような時代が来ているということであり、その雛形を私たちはこの場所に創らなければいけないのです。

今は小さいかもしれませんが、とても大きな役割です。是非、そのくらいの心になって毎日を過ごしてもらいたいものです。

 


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