昨年より、木の花ファミリーは事実を歪めた情報によって国内の一部のエコビレッジ関係者からバッシングを受けてきました。
以下は、このことに心をいためたGEN(グローバル・エコビレッジ・ネットワーク)のタイ代表であるナルモン・パイブーンシッティクンさん(以下、モン)といさどんとの対話です。
■ ■ ■ ■
いさどん:
これまで、エコビレッジという概念に価値を置く人々がいました。こうした人々はこの概念に執着する傾向があります。本来、エコビレッジとは自然と調和し地球に優しい生き方をする人々の集いなのです。ですから、特定の人々が示す生き方のためにエコビレッジはあるのではなく、すべての人類が目覚め、目指すべき方向がエコビレッジのあり方なのでしょう。
今までエコビレッジは一部の人々の特別な暮らしということで認識されてきましたが、これからの時代は人類の歩みとしてこの概念を捉えていく必要があります。そういった意味で、エコビレッジ活動に関わる皆さんは門戸を広げる必要があるのです。自然界に豊かな生態系が存在するように、人々も多様な国家・文化・歴史を持ち、そうした違いを超えて共有していくことが求められています。今、時代は、イデオロギーの違いによる対立に終止符を打とうとしているのです。しかしながら、宗教の違いや貧富の差により、世界中の人々はまだ地球共同体という認識を持っていません。
例えば、ノーベル平和賞を受賞した少女がいますが、わたしは彼女の存在が世界に平和をもたらすとは思いません。彼女は対立構造の一方の側の人々に利用されているように観えます。それと同様に、ISの存在を悪とみなし、彼らを倒すだけで問題が解決するとは思えないのです。ですから、エコビレッジ活動に関わってきた人々は自らの視点を広げ、社会運動としてこの価値をつなげていくことが必要なのです。
モン:
日本においてエコビレッジのネットワークが切れた状況を考えますと、あなたがおっしゃることに全く共感します。しかし、そこからわたしたちは学ぶ必要があるのです。「わたしたち」というのは、日本だけではなく、タイや他国のネットワークも含めたわたしたち自身のことです。それと同時に、木の花ファミリーのようなコミュニティが批判によってエコビレッジのネットワークから外れたことに対し、わたしは戸惑いを感じ、何かしなければと考えています。
大きな視点から捉えると、タイや他の東南アジアの国々は物質的に貧しいだけでなく、精神性も貧しいという見解について話し合いたいと思っています。また、こうした国々の姿勢は良いものではないのです。あなたは姿勢の転換を重要視しています。そこで、どのような提案をわたしにしていただけますか?
いさどん:
物理的な貧しさから脱却するために、近年、ほとんどの人々はアメリカ主導型の豊かさの探求に追随してきました。しかし、本来人間は精神的な生きものであり、精神的に不安定な状態で物だけを与えられたら、色々な矛盾が発生するのは至極当然のことです。人々が物質的な豊かさを求めれば求めるほど、今の人間社会の構造では一部のところに物理的豊かさが集中するのです。
ですから、ひとりひとりが一方通行の価値観へ向かうのではなく、それぞれの個性を生かして、個性を尊重し合い、そしてネットワークの中で豊かさを追求する自立した状態が必要です。わたしたちは地球という一つの生命体に存在しているのですから、現時点での目的はワンネスを意識することであり、その目的を果たすためには皆が互いにつながり合うことが大切です。そのためにはわたしたちの世界観を広げる必要があります。それは、特定の価値観に囚われていては、可能ではありません。なぜなら、わたしたちが存在しているこの世界は、常に変化・変容を繰り返している世界だからです。さらに、平和や幸せ、豊かさについてどの意識レベルで捉えているかを見直す必要があります。そういった意味では、最初にお伝えしましたように、これまでエコビレッジを推進してきた人たちは、エコビレッジに対する自らの視点によって限定されているように観えるのです。
木の花ファミリー創立当初、わたしたちは「エコビレッジ」という言葉を全く知りませんでした。このコミュニティはわたしの霊的な体験とともに始まったのです。また、木の花ファミリーの歩みは地球に優しい生き方を追求していった結果でもあります。そして、エコビレッジを広げようとする人たちが木の花ファミリーのメンバーになって、わたしたちはエコビレッジとして知られるようになりました。今現在、木の花ファミリーはエコビレッジという枠から意図的に外れていますが、事実として、ここはエコビレッジとしてもっともふさわしいモデルであり、その最たるものが精神性なのです。
今なお一般社会は、富を追求することを優先しています。この流れは、地球上で最後の物理的進化のフロンティアであるアフリカ以外は、すべて行き詰まりを迎えることでしょう。そしてアフリカではこれから物質的な価値観が繁栄し、それがピークに達したときに、地球上での矛盾もピークに達するでしょう。その予感を感じられる今、時代の流れは明らかに切り替え時に来ているのです。
宇宙的視点からすると、250年前に起きた産業革命以降、冥王星は一周しました。ですから、戦略的に社会を変えていこうと志を持つことは時代の流れに乗っていることですし、それとコラボしていくことは大切なことです。しかし一方で、時代が変化していくときに戦略的になる必要はないのです。これからは物質的な豊かさを探求すればするほど、地球はすでに過剰な負担をかけられていますから、その行為に対して常に矛盾という形でわたしたちにその意志を伝えてくるでしょう。今、物質的な豊かさと霊的な豊かさのバランスが崩れていますので、物質的探求を続けてきたわたしたちが切り替わるしか選択肢はないのです。そこで、わたしたちがすべきことは、遺産として次の世代へつなぐビジョンを明確にすることです。
先程あなたから、木の花ファミリーに対する批判についての話がありました。今回の批判を受けるずっと以前から、わたしたちはエコビレッジ関連の組織に入り続けるべきなのかどうかについて考え、皆で話し合ってきました。なぜなら、国内でエコビレッジを推進する学びの場は多くもたれてきましたが、その多くはコミュニティを立ち上げることすら叶わなかったのです。そこではビジョンに現実味がなかったり、コミュニティを持続させるにふさわしい精神性に乏しかったり、またエコビレッジに対するイメージだけで関わってきたことが原因になっているのです。彼らの中には、ヨーロッパやアメリカのエコビレッジを訪問した際の体験やどこかで得た情報のみで、エコビレッジのイメージを創り上げる傾向があります。それに対して、わたしたちはエコビレッジという概念に倣ったわけではありませんが、地球に優しい生き方を模索してきた中で、コミュニティの変遷の現場を歩んできたのです。
すべてのものに過渡期があるように、ある段階でわたしたちは社会に適応できない人々の受け皿になっていました。そうした人たちは一般社会で自らを健全に保つことが出来ず、その多くは人間関係において不安定であり、希望を失って、新たな社会的価値観を求める傾向があり、このコミュニティに集ってきました。わたしたちにとってそれはまるで、リハビリプロジェクトのようなものでした。そのようなプロセスの中で、コミュニティを運営するために取られた学びと措置の善意を逆恨みする人たちがいました。しかし、その当時も今も、その人たちに対する愛と、社会を健全にしようとする情熱はわたしたちの中で不変なのです。
また、わたしたちの世界観と、彼らが求めている幸せや世界観にギャップがあることが発覚してきました。そういった過程で様々な人々が集いながらも、木の花ファミリーは一つのコミュニティとして運営され、維持していくことが求められたのです。そのような模索の中で、木の花ファミリーは精神性の高いコミュニティとして確立されましたが、その道が進むほど、その方向性から自然に外れていく人たちが出てきました。
古橋道代がGENやGENOA、Gaia Educationの役員をしているときに、そこでなされた議論の内容を聞き、エコビレッジ活動に関わる人々の世界観に失望するところがありました。そのような見解からすると、木の花ファミリーを離れた人たちとも、同じテーブルに着いて語り合えば、今回のような出来事が自分たちの未熟さから発生したことを彼らは真に理解するでしょう。
なぜそのように言えるのかというと、彼らがここを離れ、木の花ファミリーが批判を受けた後でも、事実、ここはたいへん安定した状態にあるからです。 あなたもここに滞在することにより、それを感じていることでしょう。しかし、ここを離れて行った人たちは自分たちを正当化したいがために、事実の多くを捻じ曲げ、架空の物語を創り上げ、わたしたちを批判し始めました。日本において木の花ファミリー以外に、エコビレッジらしいコミュニティは他にありません。さらに、ここは世界的にもたいへん貴重な場所だと思っています。
ところが、共同生活を一度も実践したことがないにも関わらず、エコビレッジのイメージを創っている人たちがいます。ある意味、そういった人たちにとって、木の花ファミリーが日本におけるエコビレッジの代表事例としてみなされていることは好ましいことではありませんでした。そうした人たちの釈然としない想いとここを離れた人たちの不満が合わさり、わたしたちをたいへん激しく批判するに至りました。しかし、今回の一連の出来事を通じ、木の花ファミリーメンバー間の絆は深まり、わたしたちの世界観はさらに広がりました。
事実、彼らが一生懸命取り組んでいることは、エコビレッジの事例としての木の花ファミリーをなくし、忌まわしい団体として貶めることなのです。エコビレッジの定義を広げ、その基準を超えようと考えているわたしたちからすると、このことは問題ではありません。ですから、エコビレッジを推進する人たちの言葉を借りれば、エコビレッジのネットワークとは多様な形で個性を尊重するということなのですから、「エコビレッジ」の定義や意図を考えると、木の花ファミリーのような確立されたコミュニティがそのネットワークから外れることは不自然なことです。
何よりも、21世紀に人類がどのように進んでいくべきかの回答がここにあります。産業革命以降250年間続いた物質至上主義の価値観が転換する時代が訪れているのです。右肩上がりの成長と引き換えに、人々は地球に負荷をかけ、豊かさを追求してきました。しかし、真実として、宇宙は拡大と収縮を繰り返しています。そして今まさに拡大が終わり、その真実を求めるためにそぎ落とし収縮する段階に入ってきています。必要なものと不必要なものを仕分けし、不必要なものをそぎ落としていく時代なのです。そうすると、これ以上物理的にも精神的にも不必要な負荷がかからなくなり、本当に必要なものだけが残るのです。これからは、物質的な発展はわたしたちの積極的な意志により縮小していくべきなのです。その代わりにわたしたちが拡大させる必要があるものは、精神性に基づく世界観です。世界観を広げていくことによって、人間としての新たな可能性を開花させ、愛や調和にあふれた世界を創ることが出来るのです。
木の花ファミリーのメンバーは精神性を最も大切にしながら、不要なものをそぎ落とし、日常生活の中で真実に目覚めようと努めています。もしあなたがただ自分自身の願いを叶えたいと想うなら、コミュニティで生活することは不可能でしょう。実際、特定の人々が共同体で暮らしているのではなく、わたしたち人類は皆、「地球共同体」に暮らしているのです。それは、人類の地球共同体どころか、地球生態系の共同体でもあります。さらにわたしたちの意識が広がっていけば、それは太陽系共同体であり、銀河共同体であり、大宇宙共同体でもあるのです。
ですから今、地球共同体を運営していくためには、人類は自らのエゴと直面することが不可欠です。そしていつか、わたしたちが宇宙的視点に立ったときに、どのように太陽系、銀河、宇宙を運営していくのかを考える時代が訪れるのです。人類が地球を一つの生命体だと気付き、そうした認識とともに生きていくことの歴史的転換点を今、わたしたちは迎えているのです。
批判によると、木の花ファミリーには問題のある性的行為や暴力があるとされています。それは、彼らの意識レベルで物事を見て、その人たちの感情が反応すると、それを事実として捉えることができます。しかし、すべての出来事には長い物語があり、それは継続しているプロセスの一部なのです。わたしたちを批判する人たちは、物事を部分的に切り取って、自らのフィルターを通して事実を歪めている傾向があります。しかも、そのような批判は、自らのエゴと向き合いきれず、精神性を高めることを断念した元メンバーが自分たちを正当化したいがために訴えたことのみを情報源としています。ですから、この状況を改善するためにわたしたちが次に何をすべきなのかという提案を一切しないのです。なぜなら、ただ批判することが彼らの目的だからです。それとは対照的に、木の花ファミリーにはこうした出来事すべてを経験した結果、より高いビジョンがあります。その現実化のために、今も粛々と日々の中でその探求が進められています。ですから、自分自身のエゴに向き合うことができなかった不調和なメンバーがここを離れていった結果、メンバー間の絆はより強くなり、ここはより精度が高くさらに開かれた場になりました。
あなたは今回それほど長い期間ではありませんが、ここに滞在するために訪れました。もしあなたがこのコミュニティのエネルギーを感じるならば、わたしたちが一切の秘密を持っていないことに気付くでしょう。もしあなたが1ヶ月でも1年でもここに暮らしたら、それはとても明解にわかることです。鋭い人であれば、ここを一目見ただけで今回のような批判が真実ではないことを瞬時に感じ取ることでしょう。
道代:
彼女はここに来てすぐに、木の花ファミリーは批判されているような出来事が起こる場ではないと気付いた、と今朝わたしが彼女と話していたときに言っていました。
モン:
ひとつ質問があります。わたしたちは何をすべきなのでしょうか。この状況をただ放っておけばいいのでしょうか。それとも改善するために、GENのような国際レベルで、またはGENOAのような地域レベルで、もしくはわたし個人のレベルなど異なるレベルで、何かわたしにできることはあるのでしょうか。
いさどん:
わたしたちの見解からすると、批判する人たちには明らかに事実を捻じ曲げフィクションを創り上げることによって、わたしたちの存在を否定しようとする意図があります。彼らはとても賢く、多大なるエネルギーを注ぎ、批判することに情熱的になっているので、そこに惑わされる人もいると思います。それは時代が新たな方向へ移行しようとするときに、抵抗する力のようなものだと捉えています。しかし、時代は確実に前にしか進みません。ですから、彼らがしてきたことは時代に逆行しているのですから、霊的には罪を犯していることになるのです。わたしはそのことに対して彼らを非難するつもりはありません。彼らの意識レベルからすると、批判することを大事だと思っており、そのことによって自分たちの価値を下げていることがわからないのです。
大切なことは、時代は新たな方向へ時を紡いでいく役割をわたしたちに与えていることに気付くことです。それは、天体の動き、人類の歴史、文明の周期といった様々な視点から、新たな時代に劇的な変化をもたらす大いなるターニングポイントを今、わたしたちが迎えていることが立証されてきているのです。変化を求める動きは、それに対する抵抗に常に出会うものです。もしわたしたちがその抵抗に対して何もしなければ、こうした変化を拒否していることにもなります。ですから、時代が変わることを感じ、その真意を理解できる者は、これを何とかしようとするのです。批判を支持するどころか、それを超えて新たに木の花ファミリーを支援する人たちが今、多く現れてきています。あなたの中にもそのような感受性があるから、それを感じられたのでしょう。不調和が批判する人たちの特徴なので、共通した敵がいれば団結し、一見調和しているように見えます。しかし、彼ら自身の中に人を批判して自らを正当化する種があるのですから、その調和を保ち続けることは不可能なのです。ですから、そうした自分自身の価値を下げていくような活動がいずれ消滅することは確かです。そして、それは時代が示してくれるのでしょう。
それでは、わたしたちが新たな時代に移行していくことを感じる人たちは、何をしたらいいのでしょうか。それは常に真実を語ることであり、わたしたちと同じ立場なのです。わたしたちは木の花ファミリーという存在を所有していません。新たな時代に向けての一つの雛形として、わたしたちはこのようなライフスタイルを実践してきました。ですから、人々が地球共同体に暮らしていることに目覚め、時代が新たなステージに移行すれば、わたしたちの目的は達成されるのです。そのような共通した目的を持っている人たちは、エコビレッジ活動に関わっている人も、そうでない人も、あなた自身も皆いずれ、その立場に立つべきだと思うのです。エコビレッジという枠が壊れ、広がる時が訪れています。わたしたちを批判する人たちはたいへん熱心なので、日本語だけではなく英語でも発信をしています。それは、わたしが伝えていることの問題提起をするチャンスでもあります。そのことにより、真実は何であるのか、そしてこれからの時代に何が求められるべきなのかが立証されるのだと考えています。
もしあなたがタイのことだけではなく、人類の未来をわたしたちと同じように考えているのだとしたら、それはあなたのための活動として、真実を伝えていくことが大切です。それは、この世界の仕組みに気付き、時代の流れを感じた人たちの使命なのです。
時代は、とてもダイナミックで、魅力的な時を刻んできました。そして、そういった価値観を支えるわたしたちの思考も、その確信のもとに歩んできたのです。しかし、全てのものは満つれば欠ける世の習いのごとく、過ぎたればそれを修正する段階に入るのです。ですから、わたしたちが今取るべき行動は、自らの根本的な振り返りと新たな時代を迎えるための自我のコントロールです。それは、今までの価値観とは全く逆さまのようなものにも捉えられますが、時代に心を向けて感じられれば、そのことの大切さは明解にわかるものです。そして、新たな時代を迎えようとするために出来事が矛盾を持ってそれを示し、人々は今、そのことに気付き始めているのです。わたしたちに出来ることは、そのネットワークの中に自らがいることを常に意識して生きることなのではないでしょうか。