天の川銀河と対話して~北朝鮮について語るPARTⅡ

先日、いさどんが長野県の大町ビレッジに泊まった日の夜のこと。日中の養蜂作業で疲れてしまったいさどんはいつもより2時間も早く眠りについた結果、「年をとると睡眠時間が短くていいから、早くに寝ると早くに目が覚めるんだよ」といういさどんの予想通り、夜中に目が覚めてしまいました。その時点で十分に睡眠をとれていたいさどんは、次のように考えを巡らせました。

「昨日は頭も痛くて、さらに疲れていて、眠くて仕方がないから、大町の皆とも大して話しもせず、早くに寝てはいけないと思いながらも、とうとう寝てしまった。そうしたら、予想通り夜中に目が覚めた。これが流れだとしたら、天の意志だ。今、僕は何かすることがあるのではないだろうか?」

そこでいさどんは布団から起きあがり、北朝鮮や最近の世界情勢について想いを巡らせていました。そのとき、いさどんはこう思ったのです。

「これはいけない!部屋の中で天井を通して対話するべきではない。今は、外に出て天を観るべきだ。生の星や月を見て対話するべきだ。」

そして外へ出たいさどんが上を見上げたら、そこには月がありました。ところが、月を見て何かを語る気にはなれなかったいさどんは、月とは反対の方角を見ました。そうしたら、そこには天の川銀河の星々が瞬いているのが見えました。

「そうか・・・銀河か。」

天の川銀河はわたしたちが所属する銀河です。最近、いさどんは銀河に向かって語りかけていましたから、そこで自らのまわりにある流れについて銀河に語りかけたのです。

「今、わたしのまわりにある流れは滞っているように観えますが、それもすべてそちらの意志だとしたならば、これは滞っているように観えるどころか、それも流れだと受け取るべきですね。」

そのときのいさどんの目的は、銀河と対話することでした。しばらくして、納得を得たいさどんは部屋に戻り、また眠りにつきました。

そして朝になり、目覚めたいさどんにはあるイメージが浮かびました。なんと、渡り鳥をタモで捕まえる映像が突如として現れたのです!それは何年も前のことなので、いさどんの記憶も定かではないのですが、NHKの番組でヨーロッパの人たちが渡り鳥を捕まえることを特集していたのでした。そこで、いさどんは次のように回想しました。

「冬の前に渡り鳥がやってくる。地元の人たちは岩場の陰に隠れて、渡り鳥が飛んでくるのを見ると、渡り鳥が岩場に降りる瞬間に大きなタモで捕まえる。『昔はたくさん捕れたんだよ。今はいっぺんに数羽捕れることもあれば、まったくダメな日もある。でも、冬になる前に渡り鳥を捕まえて漬物にするんだよ』と地元の人は語っていた。彼らは渡り鳥を羽毛ごと、漬物にする。その渡り鳥は鳩よりも少し大きいぐらいだった。それをどれだけか発酵させてから彼らは食べていた。僕の記憶によると、発酵した時点でその羽毛はヌルヌルになっているから簡単に取れる。だから毛を取って、生でそのまま彼らは食べていたような記憶がある。

その番組を見ていたとき、僕はとても気持ちが悪くなった印象がある。マサイの人たちは牛の首に矢を放ち、牛の血を飲むことがあるけれど、僕にはとてもできない。だいたい、血液というものは消化が悪いから、あんなにたくさん飲むと吐いてしまう印象がある。しかし、それよりも、あの渡り鳥の漬物のほうがさらに強烈だった。ところが、一家の長であるお父さんが渡り鳥を捕まえて冬の食料にし、『おいしいね』という団欒がそこにはある。そうすると、そこではまったく文化が違う。しかし、それは生きていく手段であり、自然との対話であり、生きるためにそれが与えられている。その環境に対してどのように生きていくべきかという智慧が与えられた結果である。そしてその延長に味覚があるから、僕にはうっとすることでも、『おいしいね』『今年のものは出来が良いね』という団欒があるのだ。そして、そういったオリジナルな文化を人々が認め合ったときに、世界に平和がある。」

そして、いさどんは朝の準備をしている大町メンバーのみほさんに次のように語り出しました。

 


たとえば、キツネは目が良いよね。目が良いから、耳と目を上にピッと上げて獲物を狙う。犬は鼻が良いから、耳も垂れていて目も下を向いていて、鼻で獲物を追いかけていく。そうすると、犬はキツネのやり方を見て、「あんな変な追いかけ方をして馬鹿だ!」と思うことだろう。しかし、キツネが犬のやり方を見ると、「あんなに下ばかり見て馬鹿だなあ!だいたい、犬は世界が狭いんだよ」と思うことになる。そこで、鷹がキツネと犬を見たら、「おまえたちは馬鹿だなあ!どっちみち、地上を這っていたら獲物が捕れるか。俺のように上から急降下して獲物は捕るべきだ!」という話になる。そこでさらに、別の生き物がそれを見ていたら、「そんな急降下して外れたら、自分がえらい目に遭うぞ!」と言い出すことだろう。

つまり、そこで僕が考えたことは ――― 結局、人は自分の考えを肯定されると、それを喜び、正しいとする。しかし、自分の考えを否定されると腹が立ち、その究極の姿が戦争だ。ところが、一人ひとり、それぞれの考え方や生き方があり、プロセスをつないできたとしたならば、誰もが尊重されるべきだ。そうすると、自分が認められる前に相手を認めるだけの度量があって、その上で自分が相手に認められれば、平和は自ずと訪れる。しかし、どれだけ自分が正しいと主張しても、互いが「あなたを認めない」と不愉快な心を持っていたら、これでは平和は訪れない。

そこで、わかったことがある。北朝鮮もキム・ジョンウンも、今の状態に至るにはプロセスがあってここまで来ている。過去にカダフィでもサダム・フセインでも大量破壊兵器を持っていなかったから、ある意味敗者となってきたわけだ。そして、日本は核兵器を持っていないから、アメリカの言いなりになっている。「だから、核兵器を持って対等にならないといけない」というのが親の代からのキム・ジョンウンの持論なのだ。そこには民族的なものもあり、恨(ハン)の文化という背景もある。その上に朝鮮戦争があり、身内で骨肉を争うひどい戦いをした。それがまだ終わっていない。だから、とことんケリをつけて終わればよかったのだ。そこに、アメリカが非常に身勝手な拳を振り上げている。

今、北朝鮮は核兵器を持つことによってアメリカと対等になろうとしているが、そもそも地球上の今の核兵器バランスというものはどのような形で始まったのかといえば、核不拡散条約により、核兵器を持つのは良心的で優れた国とされているアメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国。この5ヶ国は核兵器を持ってもいいが、これらの国は平和のために持っている。しかし、他の国はならずもの国家で、核兵器を保有したら何をしだすかわからない。平和の脅威だ。だから、5ヶ国以外の国には持たせないという話なのだ。しかし、そもそもこのような核兵器はなしにするべきだったのに、自分たちだけが善良な国で、あとはならずものだから持たせないという話にしてしまった。

核兵器というものは、隣りが持っていると不安だからといって、アメリカが保有したらソ連も持ち、ソ連が持ったからイギリスやフランスも持ち、それで中国が保有したら対抗してインドも持った。それでインドが持ったら、今度はパキスタンが持ったんだよ。そうすると、中東諸国に囲まれているイスラエルは事実上核兵器を持つことになった。

つまりこの状態は、自分の主張が通ったものが善良で正しいという考え方だ。そうすると、北朝鮮のように核兵器だけを持っているのではなく、今は経済と軍事力の時代だから、経済も核兵器も両方持っているのは、アメリカだ。だから現状の世界は、アメリカが自らの尺度で「これはならずものだ」「これは善良だ」「仕方がないからこれは認めよう」と判断しているという姿になっている。

そのような世界に平和が訪れるわけがない。そうすると、北朝鮮の主張もわからないわけでもないという話にもなるだろう。

要は、自分が観た尺度から納得できるのが正しいことで、その尺度から納得できないものが間違っているという考えが、間違っているのだ。北朝鮮からすると、アメリカは横暴な大悪党なわけだ。今までどれほどの人を殺していろいろなものを収奪し、今なおその上に君臨し、世界の富を奪っているのだから。ということからすると、誰もが対等であるべきだ。

その眼から観たら、正しいとか正義はない。ところが、多くの人々は自分の眼から観て受け入れられることの上に平和をつくろうとする。だから、アメリカの傘下にいる日本はアメリカにはごまをすり、北朝鮮には厳しく非難する。ところが、もし第二次世界大戦のときに日本が敗戦ではなく停戦を勝ち取っていたならば、今、日本は北朝鮮と同じ立場にいることにもなるだろう。

人間は、自分の見える目線から判断し、認められるものを正しいとする。それが認められない、もしくは理解できなければ、間違っているとする。その徒党を組んだ極めつけが国家だ。

しかし、伝統的な暮らしも、動植物の個性も、地域による文化の違いもすべて多様性を認め合って初めて、平和がある。ところがグローバル化によって、人間の豊かさの価値観が単一化してしまった。そこで、お金があって欲しい物が手に入るアメリカ型豊かさだけが豊かさになっていると、それを阻害するものは悪で、そのようなものたちが築き上げてきた多数決の世界観が正義になっている。それが現代の問題を生んでいるのだ。そのような価値観はこれまで爆発的に広がってきたが、それは地球の多様性という生命世界からしたら、非常に貧しく単一的な世界だ。そのツケが今、世界中に現象化してきているのである。

そして、その単一化された価値観を阻害するような今までの動きも、実は宇宙からのメッセージであり、その矛盾を人類に示しているとも言える。「ひずみがあるとこうなるよ」と。逆に、ひずみを消すと悟りに向かっていくのだから、悟りに至ることはある意味味気ない世界とも言える。そういったことを宇宙が教えてくれている。

その宇宙の意志が観えるものになること――。それを今の時代に生きる人々に伝えたい。

わたしたちは銀河の法則と共に今、ここにいる。そうすると、今、目の前にあることだけを見ていてはいけない。

 


 

そして、2017年の秋分を迎え、いさどんは次のように語りました。

「木の花ファミリーでは2017年を『爆発の年』と呼んでいる。爆発というのは、究極の破壊だ。そうすると、破壊というのは、陰に入る入り口とも言える。今日、秋分の日を迎えるにあたり、これまでの拡大のサイクルからそぎ落としのサイクルに入る。だから、一人ひとりが不要なことはもうなしにして、必要なことだけを行っていく時が来たということだ。」

 

 


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