いさどんの七夜物語 – 序章 「秋分前夜」

木の花ファミリーは、現代社会の行き詰まりに突破口を開く次世代の生き方を探求する場として、創立以来、時代と共に変化しながら、メンバー一人ひとりが心を磨くことをもっとも大切にして歩んできました。その結果、皆が心から安心して暮らせる豊かな場を築いてきましたが、いつしかその豊かさに甘んじ、一人ひとりが真剣に自分と向き合い変化し続ける意識が薄らいでいく、ということが起こりました。このことを感じたいさどんは、今年6月、1年でもっとも光の多い夏至のころから、毎晩の大人ミーティングに参加しなくなりました。
そして3ヶ月後、光と闇がちょうど半々となる秋分の前夜に、いさどんは久しぶりに大人ミーティングに姿を現しました。

1年で闇のピークとなる冬至を越え、今年も残すところあと3日。2015年「船出の年」最後のいさどんブログは、大人ミーティングに出ない間もずっと皆の成長を見守り続けていたいさどんが、秋分前夜を皮切りにあふれるように語り続けた七日七夜の物語をお届けします。無限にあふれ出す宇宙の叡智を浴びながら、この世界の真理を探求する7日間の旅へようこそ!
(写真は、秋分の日の朝日です。)

 

9月22日 秋分前夜

いさどん:
皆さん、遠くに座っていても、下を向いて何か作業をしていてもいいですが、意識はこちらへ向けていてください。

今朝、すごく大事な話をしました。どんな話だったのかというと、今は全くそれが出てきません。ただ、大事な話であったことは間違いありません。
では今日僕が何でこの場に来たのかというと、語り出せば出てくるからです。語り出せば出てくるということは、僕の中に確固たるものとしてそれがあるということです。しかし今何だったのかと考えても出てこないということは、考えて出てくるものではないということです。それは、時が来れば湧き出してくるものです。

僕は40歳でそれまでの仕事をやめました。今は64歳ですから、あれから24年経ったということです。
僕の人生は、とてもおかしな人生です。僕は30歳でこの道をいただきましたが、始めの頃は上からのメッセージを疑っていました。それこそ悪魔か何かが僕を騙そうとしているのではないかとも思いました。しかしそのメッセージはその都度、道理が通っているのです。だから疑いながらも、道理の通る方を選んできました。

始めの頃は、その道理は僕の意志とは別のところにありました。ですから、どちらかというと、それは僕にとっては自らを否定する方にありました。それでもそちらの方が道理が通っているから、常にそちらを選んできました。
だけど、みんなは違いますね。そちらの方が道理が通っているとわかっていても、自分の意志の方を選ぶ。そうすると、結果的にバカを見ます。
自らの意志とは違うけれども道理の通る方を選んできたのが僕の人生です。その結果、今こういった暮らしが出来上がりました。

一昨年、ある女性と22年ぶりに再会することがありました。
彼女は、僕ととても深い縁があった人です。しかし僕がここに来てから22年間はまったく縁がありませんでした。ところが一昨年再会しました。縁が深いと、22年も経ってからでも復活するのです。

彼女は僕と再会する前に、こんな夢を見たそうです。宇宙人がやって来て、彼女をさらっていこうとしました。彼女は、自分は地球から離れるんだ、それもいいか、と思い、仰向けになったまま、体がどんどん宙に浮いていくのに任せていましたが、最後に街が見たいと思って、体をひっくり返して下を見ました。その時、地球から離れる前にもう1度いさみくんに会いたい、と思ったそうです。そうしたら体がくくっと下に降りて、元に戻った。彼女は結婚して子どももいるけれど、その時、夫や子どものことはまったく頭に浮かばなかったそうです。そしてその後、偶然インターネットで僕を見つけて、再会することになりました。
普通、20年も経ったら互いの気持ちは変わっているものでしょう。ところが彼女は22年ぶりに再会してここに来ても全く違和感がありませんでした。そして彼女の心は、ここにどんどん定着しています。家に帰れば普段の生活があるわけですから、ギャップを感じて苦しくなるものですが、彼女は苦しい感じがまったくしないのです。それは、「道」があるのだということに気付いたからです。

それを聞いた時に、僕という人は一体どういう存在なのだろうと考えました。すると、カタカムナの単音の思念が浮かんできたのです。
「イサミ」をカタカムナで表すとこうなります。

      イェ
      イェ
      サ
      サ
      ミ
      ミ

 

 

 

 

「偉佐美」のイは、「ヰ(イェ)」の方です。まっちゃん、これを単音の思念で読み解いてください。

まっちゃん:
3文字の場合は、普通、真ん中の文字から読みます。まず「サ」にはいろいろな思念があるけれど、「心の隙間」「狭い隙間」「動きの始まり」という思念があります。

いさどん:

なぜ始まりかと言うと、「サ(差)」ができることによって現象化するから。もしもまったく差がなかったら、それは「サトリ」の状態だから、始まらないのです。
「ミ」は「満つる」。満つっているけれど、これはまだ現象界に現れる前の、潜象過渡の状態です。

59

みかこ:
「ミ」は「観る」。心で感じるもの、ということでもある。

いさどん:

「観る」とは、奥にあるものを観るということ。この目では見えないのです。

みかこ:
「ミ」には「みつご」という意味もあって、電気、磁気、力が満ちていること。でもそれは目には見えないでしょう。

いさどん:
電気、磁気、力というのは、この現象世界の物理的原理。何かの現象が起きるのは、その3つの働きがあるから起きている。だけど、現象は目に見えても、その奥にある3つの働きは目に見えない。だから、浅く見ている人にはわからないのです。

まっちゃん:
「ヰ」は、「サ」と「キ」の重合した状態。重合とは、七重、八重、九重を超えて十重に至ると、八鏡文字で表されている大円が溶けて一体化する、つまり悟りの状態になるということ。

みかこ:
八つの小円も、この次元まで来ると小円も溶融し、境界面に密集していた高密度の小円の密度差が取れる。それが悟り。

いさどん:
カタカムナで言う精神位置の、一番高い、仕上がったところだということ。

みかこ:
この形は鳥居の形を表し、悟りを意味する思念を持つ符号であるとも言っている。

いさどん:
そうすると、この「イサミ」という名前は、まだ隙間にあって、そろそろ動きだそうとしている状態で仕上がったもの、奥にいて満つっているものを表している。現象界にはまだ現れていない。
どこにいるかというと、ここに現象界と潜象界の間の壁があって、現象界に現れる少し手前のところで、準備ができている状態。その位置にいて、現象界の人からは見えない。見えないところで、完成された心を持ってそこにいるということです。

かつて、僕はこういう道をいただいて、いったいどんな役割があるのでしょうかとお釈迦様に聞いたことがあります。なぜかと言うと、いろんな人に心の道を語ってきましたが、いつも手応えがあるようなないような状態だったからです。
表面的にその人が楽になるという意味では、手応えがありました。だけど僕は、楽になってもらうためにやっているわけではないのです。あなたが、楽になる前に苦しかったことの意味を理解しなさい。苦しいとは尊いことであり、苦しさがあったからこそ、楽になった時にこの世界の有り難さに気付くことができた。そのことをわかるために伝えているのに、みんなは楽になることだけを求めて、それで終わりにするのです。
だから多くの人は、自分が苦しみから解放されると「ありがとうございました」と言ってそれ以上学びに来ませんでした。それで僕は、孤独になっていました。

大事なことは、どこからでも理解できます。四方八方どこでも自分の鏡ですから、どんなにありがたいことからも愚かしいことからも学べるのです。全てはそのためにあるのに、人は自分に都合のいいことだけを受け取って、苦しみが取れたらそれで良しにして、その苦しみの本当の意味を理解しないで終わっていきます。それではいけないでしょう。中には、「ありがとうございました」と言ってお礼を置いていこうとする人もいました。だけど僕は、そんなことが目的で語っているわけじゃない。だから、お礼は受け取りませんでした。

そんなふうに矛盾を感じていた時に、お釈迦様に聞きました。「私はどういう者なのでしょうか」と。その質問の奥にどんな心があったかというと、「私は理解されたい」という想いがありました。それは、僕を理解してほしいということではなく、僕が語っていることを理解されたい、ということです。それは、本当に人が楽になる道だからです。
だけど人々は、浅く受け取って「ありがとうございました」と言って帰って行きました。だから、ものごとの奥をずっと観続けて、生きるとは何であるかを知っていくということを忘れるのです。清涼飲料水を飲んだように一時的にはスカッとして爽やかになっても、その後が続かないから、また清涼飲料水が必要になるのです。
僕はそれが不可思議で仕方ありませんでした。それで「私がやっていることはいったい何なのですか」とお釈迦様に聞きました。僕が理解されたいとか、評価されたいとかいうことではなく、かけたエネルギーが無駄にならずに相手の中で生きるように。そしてその人が自分の愚かしさに気付いて大切な生き方をするようになるように。簡単に言えば、幸せになるように。もっと言えば、本当の価値が上がるように。そういう想いがありました。でもなかなかそうはなりませんでした。

本当ならば、同じことをグダグダと続けなくても「やめた!」と言ってサッと切り替えれば、別の人生があるのです。それなのに同じことを繰り返すのが、その人の癖、性分、つまりカルマです。
そのカルマからの解放を表すのが、「ヰ」の文字。僕は今、肉体を持ってこうやって生きているのだから、それを人々に伝えることで本当に成っていくのだろうと思っても、いっこうに動きが進まない。
それでお釈迦様に質問をしたら、こう返事が返ってきました。
「おまえが生きているうちは、おまえが伝えたいことは世の中に理解されない。」
それは、おまえのやっていることは効果がないという意味ではありません。おまえはそれだけの覚悟を持って、それをやる気があるか?ということを問われたのです。

一昨年、不二阿祖山太神宮へ参拝した時に、天から「難しいことを与えておるゆえ心していけ」というメッセージがありました。わかっております、とその時は思いましたが、その後にいろいろと起きたことを考えると、改めて、本当に難しいことを与えられたと思います。僕が伝えようとしていることと、相手に伝わることがまったく真逆になることもあるのですから。面倒くさいったらありゃしないし、いい加減わかりなさいよという気にもなります。
それでも、何度も同じことを繰り返す人に対しても、もう知らないとは言わずに付き合ってきました。わかってほしいのにわからない者たちだな、と思いながら。

その時に僕はどこにいるのかというと、潜象界と現象界の間に壁があって、その壁の手前にいる。潜象界から現象界に語りかけても、それは現象界の人間にとっては「ない世界」からのメッセージだからわからないのです。
「イサミ」という名はすべて潜象過渡であり、「サ」は現象界に入っていく始まりを表しています。「ヰ」は、現象界ですべてのことが起きた後の最終到達地点。僕は潜象界の側にいて、満つっている状態です。ムラムラムラというのか、モコモコモコというのか。だけど、人間の体を持っているから、それを語ります。「サ」から「ヰ」まで、つまり始まりから仕上げまでを語ります。だけどみんなは、僕がいくら高い視点のことを語っても、自分の足元しか見ていない。いくら僕がこっちだよと言っても、足元の低いところにしか興味がないのです。

それで僕は、お釈迦様にさらに質問をしました。私の道はどのような道なのでしょうか、と。そうしたらお釈迦様は、こう言われました。

「おまえは今、一にいる。あるいは二にいる。しかし、道は十への道である。そのおまえが、私の道はどこにあるのでしょうかと十を聞いている。
私は、その問いには答えない。なぜなら、肉の体を持って生きる人間は、答えをすぐに求めたがるから。形をすぐに求めたがるから。もしも私が十を答えたら、おまえは一にいれば三に行きたがり、三にいれば五に行きたがり、七に行きたがり、十を求めるだろう。もしくは、いきなり十に行きたがる者もいるだろう。
しかし、一は必ず二に通じ、二は必ず三に通じ、三は必ず四に通じる。そして九まで行けば、自ずと十になる。
今、おまえは私に問うている。それは、私に通ずる道にいて、私の道はどこにあるのでしょうかと問うているとのである。ならばおまえのすることは、今一にいるとしたら、二に進みなさい。二に行ったら、三に進みなさい。三に行ったら、四に進みなさい。次の場所は必ず観える。しかし一にいては、三は見えない。
一つずつ進んで九まで行けば、自ずと十は観える。それが道だ。」

そしてお釈迦様は、「おまえは八十にして滅する」と言われました。なるほどと思いました。僕は四十で仕事を辞めると決意していましたが、それは折り返し地点だったのです。
そしてこう言われました。
「おまえが生きている間は、おまえの言うことは世の中に理解されない。つまり、世の中に道は開かれない。しかし、おまえが滅したら、世の中にそれが広がり始める。」

僕が八十歳ということは、2031年です。2031年に、世の中がそういう時代の扉を開けるということです。
2012年の12月21日に銀河の冬至があり、宇宙の扉は開きましたね。そこから2031年までは、19年間のギャップがあります。その間は理解されないということは、世の中が本当には動き出さないということです。お釈迦様は、それを覚悟して行けということを言われたのです。
僕は、世の中の扉が開く前の土台をつくる人間です。そういう役割なのです。そう思っていたら、ちゃんと扉を開ける役割の魂が生まれてきましたね。銀河の冬至を越えて、世の中に質的転換を起こして成す役割の魂たちが生まれて来ています。

6月の終わりから、ずっと僕は大人ミーティングに出ていませんでした。このわからない話をみんなにどうやって伝えたらいいだろうと考えていました。わからないはずです。理解されないという役割で生まれてきているのだから。
本当は、安倍総理でもパン国連事務総長でもアメリカ議会でも、この話を聞かなければいけないのです。今度アメリカで、日本とアメリカと韓国が話し合いをしますね。今年、日中韓で話し合いをする前に、アメリカの意向を聞かなければいけないということで集っています。名目上は北朝鮮対策ですが、本当の目的は中国対策です。そんなことをやっている限り、いつまでもこの状態は続くでしょう。だからこそ、彼らは僕の話を聞かなければいけないのです。それは、僕の話ではなく、僕を通して湧き出てくる天の意志を聴くということです。

だけど、まだそういう時は来ていません。でも少なくとも、ここの人たちは僕の話を聞かなければいけない。この不可思議な生き方は、「なるほど!そういうことか!」というとびっきりの合点がないと生きていけないでしょう。では世の中はなぜ合点がなくても生きていけるのかというと、欲と我にまみれているからです。汚れているからです。
だけどここではこんなにも汚れを取ることを大切にしているのだから、それを取らずにいて、何を目標にして生きるのですか。目標を見失ったまま、どうして前へ進めるのですか。

僕の役割は潜象過渡ですから、まだ世の中からは観えません。しかし宇宙は既にそうなっています。宇宙はそうなっているけれど、現象化されるにはまだ時間がかかりますから、その間に新しい時代を迎え入れる心の準備をみんなができるように、僕はこれをやっています。ものの奥を観ようという意志を持った人にだけ、初めて通じるのです。
潜象過渡から伝えられることは、汚れが取れないと観えません。だけど僕は肉体を持って、現実に現象界に現れています。だからみんなは、僕を利用しようと思ったらいくらでも利用できるのです。だけど、利用する意志を示さなければ、利用できないですよ。観ようとする心、引き出そうとする心、学ぶ心がなければ、利用できません。それではもったいないでしょう。
利用しようという意志があれば、僕はどこまでも出ていきますよ。それは、みんなが僕に対してどうするということではなく、あなたはなぜ今ここにいるのか、自分は何者なのか、どうしてこの道を選んでいるのか、ということを明快にするということです。

昔僕がお釈迦様に、私の人生は何なのですか、どこへ行くのですかということを聞いた時に、答えをいただきました。どこへ行くのかという答えはなかったけれど、そこへ行く姿勢を教えられました。それが答えです。そして歩んでいけば、ちゃんと形は観えてくるのです。

明日は秋分。いよいよ今年も第四コーナーです。来年の指針も出ました。着々と天は用意されています。
700年の伝統を持つ奥三河の花祭が、ここに「富士浅間木の花祭り」として継承されました。花祭は国の重要無形民俗文化財ですが、今やここには世界各国から祭りのための聖水が集まって来ています。いったいどこまで進化していくのでしょう。
カタカムナ勉強会は、今年からカタカムナ研究会になりました。そうしたら、それに参加したモンゴルの青年が、ここを人類の歩むべき新たな道を探る研究所にしましょうと言いました。
僕はかつてお釈迦様から、名前から人のカルマを読み解く「カルマ読み」をいただきました。さらに3.11と共に、惑星配置からその人を読み解く「地球暦」がやって来ました。それでより深く人を読み解けるようになり、自然療法プログラムが進化しました。そして一昨年カタカムナと出会い、カタカムナの思念から読み解けるものがカルマ読みや地球暦とぴったり一致するのです。地球暦の太陽から冥王星までの九つの惑星は、カタカムナのヒフミヨイムナヤコトで十で悟りに至る道とぴったり符合します。そんなことを、いったい誰が考えたのでしょうか。

ヒフミヨイムナヤコト

地球暦は、ここで進化、発展しています。カタカムナも、いよいよこれまでの熟成期間を経て、これまで潜象界にあったものが現象化していくのです。これから独自のカタカムナ理論ができあがっていきます。まっちゃんをどうやって活かしたらいいだろうと考えていましたが、活かしどころが見つかりました。少し前まではずっとグダグダしていて、もう好きにしろと言いましたが、これからは好きにしろではなく、ちゃんと役に立ってもらいます。

まっちゃん:
そうします!

いさどん:

地球暦に出会ってから、僕とみかちゃんで力を合わせて読み解きを進化させてきました。これからは、まっちゃんと力を合わせてカタカムナを深めていきます。そうやって、ことが成っていく時に一人ひとりに役割があるのですよ。今、新プロジェクトの計画がありますが、全てそこにふさわしい人がはまっていくのです。現世的には仕事としてですが、霊的には、自分の魂のはまりどころにパズルのピースのようにはまるということです。
そうやってみんなが活かされて、それが社会にメッセージとして発信されていく。これから、今の社会にはまることのできない人材がたくさん集まってくるでしょう。そういうことを、我々は真剣に考えなければいけません。それは、損得勘定で考えることではないのです。宇宙はフリーエネルギーであり、潜象界から無尽蔵にエネルギーが供給されています。道理に沿ったものには、必要なエネルギーが与えられます。その心になったら、何でも可能になるのです。

僕は今日、大事なことをみんなに伝えました。みんなはそれを聞いて、この現象界でどうしたらいいと思いますか。

ヒロッチ:
ありきたりなことだけど、ここの役割を世の中に対して果たしていく高い自覚を持つことが一番だと思います。

なかのん:
ものごとの奥を観ていく。

いさどん:
その結果何を求めるのですか。

なかのん:
宇宙の意志を感じる。それでどうなっていくかはわからないけれど。

あや:
世界を清浄の地に導くということをする。

いさどん:
そういう目的のために我々はこの道を歩んでいるわけですから、それはこの先にある結果のことでしょう。それがいつ来るのか、どういう形になるのかはわかりません。けれども、揺るがない目標です。この道を知ってこの道を歩み出した者は、本来そこから外れるということはないはずなのです。

えいこばあ:
意識していく。

みちよ:
天意を感じて生きていく。

いさどん:
その目的は?

みちよ:
天の意志を現象化して、調和的な社会を創ること。

いさどん:
あなたが創るの?

みちよ:
天のプロジェクトのもとにみんながやっていく。

いさどん:
そのプロジェクトを感じるためには、何が必要なの?

あや:
我を捨てる。

まっちゃん:
我を超えるじゃない?

あわ:
自らの役割を果たす。

あつこ:
人のために生きる。

やじー:
道具になり切って使っていただく。

いさどん:
みんな正解ですね。外れている人はいない。それをまとめて言うと、大切な道を生きているという自覚を持つということです。それができたら、今みんなが言ったことは自動的に成っていきます。簡単でしょう。大事を生きている。だから大切に生きなければいけない。忘れちゃいけないんだ、ということです。

それだけ大事だということは、いい道を生きてありがたいな、得したな、ということではないのですよ。僕がみんなに伝えたいのは、責任があるということです。ここがやり切らなければ誰が扉を開けるのか。

そういったことを想って生きれば、具体的なことは自動的に成っていきます。大事だということがわかったなら、すべてのことの一番にこれを置いて考えることです。そうしたら、良い世界ができるでしょう。

 

 

いさどんの七夜物語 – 第一夜「思い出す」へ続く

 

 


みなさん、宇宙創成プロジェクトへようこそ!

地球上に人としていのちをいただいた限り、いつもお天道さまの下を堂々と歩める人生でありたいものです。なぜお天道さまの下なのかというと、地球上には昼と夜があります。しかし、実際は地球がまわっているから昼と夜があるだけのことで、太陽はいつも光を降り注いでいるのです。ですから、わたしたちが地球から離れ宇宙空間に出て、太陽を向けば、いつも太陽の光が当たっていることになります。

わたしたちはいつもお天道さまの下にいるのです。そこで、いつもお天道さまの下を堂々と胸を張って歩んでいけることが大切です。

夜があるのは、地球がまわっているので、昼と夜というサイクルを地球生命に与えただけのことです。生命にとって酸素がなければその機能が壊れてしまうように、夜がなければ生命は今のように機能しなくなることでしょう。そうした陰陽をつけるために、地球はまわっているのです。しかし、地球上が昼であっても夜であっても、お天道さまの下にいることに違いはありません。

そこで、地球を丸くせずに、パラボラアンテナのように平らにして太陽のほうにだけ向いていたら、ずっと昼間でい続けることになります。しかしそれでは、その裏側は永遠に夜であり続けるのです。この世界に物質が存在する限り、そのような構造になっています。約13000年前に東アジアに存在していたカタカムナ人は、この世界の響きを48音に分類し、宇宙の創成・発展・消滅について体系付けました。ですから、カタカムナの第5首で「ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト」とうたわれているように、この世界のありとあらゆる物質は回転し、公転し、振動し続けているのです。

第5首
            《カタカムナ第5首》

フラクタル

今、ここでは様々な新たなプロジェクトが立ち上がりましたが、僕にはその宇宙創成プログラムを検討した記憶があるのです。たとえば今、サダオ(タイ語でニームの意味)プロジェクトで今後の計画についていろいろと検討しているように、宇宙を創成する段階で、この世界の構造をどのようにしていこうかと考えた記憶があるのです。

一番はじめに星の運行について考えた時、これから創る生命もすべて相似形で同じ構造になるので、どのようなものにも共通するしっかりとした仕組みを創らないといけない、とすごく考えた記憶があります。すごく考えて創ったのですが、あの頃、ノーベル賞はなかったですね(笑)。

21世紀に入り、大いなるターニングポイントを迎えている今、人類はそういった記憶を呼び覚ます時が訪れています。わたしたち一人ひとりの中に、この宇宙創成から現在に至るまでの情報が内在しているのです。人間の脳の90%はまだ使われていないと言われています。わたしたちの内面に眠る未開発の能力が開花すれば、宇宙の意志・時代の流れを感受する直観が働き、地球にいながらにして宇宙を理解することが可能になるのです。そこでは宇宙を探査するテクノロジーの可能性は大いに広がることでしょう。新たな時代を生きるわたしたちは、近代的テクノロジーと物質的豊かさに加え、高い精神性とともに進化していくことができるのです。

21世紀はわたしたちが地球人として、さらに宇宙人としての意識に目覚め、この世界に貢献していく時代の始まりです。わたしたちは、宇宙全体を認識できる能力を持ち合わせているだけではなく、宇宙を運営する側に立ち、宇宙そのものとして生きていくこともできるのです。

みなさん、宇宙創成プロジェクトへようこそ!プロジェクトメンバーは、あなたを含めた全人類はじめ、すべての宇宙生命です。これから宇宙がどのように創成されていくのか、その鍵を握るのはわたしたち一人ひとりの“意識”です。

宇宙創成プロジェクトへようこそ

 

 

■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■

2016年2月14日〜3月12日
木の花塾「1ヶ月間の真学校」を開催します!

私たちがこの世界に生きる真の意味を学ぶ、かけがえのない1ヶ月間を過ごしてみませんか。それはきっと、あなたの人生を豊かにし、この世界を豊かにします。下記サイトより、前期受講生の体験記をご覧いただけます。自分を変え、世界を変える1ヶ月間の旅へ、皆さまのご参加をお待ちしています!
( → 1ヶ月間の真学校 受講生の体験記へ )

【 日 程 】
2016年2月14日(日)〜3月12日(土)

【 会 場 】
木の花ファミリー
静岡県富士宮市猫沢238−1

【 対 象 】
■ 自分を変えたい人
■ 世界を変えたい人
■ 今の世の中をどこかおかしいと感じながら、どうすればよいかわからずにいる人
■ それまで知らずにいた本当の自分自身を知り、真に人生を謳歌したい人
■ この星に生きる人 すべて
☆ その他、2015年度受講生からは以下の人に薦めたいという声が上がっています。

■ 漠然とした不安がある人
■ 自分も他人も責め続けている人
■ 人を信頼したいという思いはあるが、できない人
■ 未知の世界があることを知りたい人
■ 出会った人 すべて
(詳細は受講生アンケートにてご覧頂けます。 → 受講生アンケーヘ)

【 内 容 】
講座は「農」「食」「医」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」と多岐に渡りますが、全講座に共通して学ぶことは、物理的な現象の奥に流れる深い精神性です。それまでに考えたこともない新たな視点に出会うことで世界観を大きく広げ、今社会はどのような状況にあるのか、その中で自分は一体どういう存在であるのかを紐解いていきます。
〈 講座一例 〉
人格を学ぶ講座(カルマ読み・地球暦・カタカムナ)/天然循環法の畑作/ファシリテーション/世界観を広げる/菩薩の里の経済/自然療法プログラム/食養生/有用微生物群の培養/天然醸造味噌作り/創造性と芸術/性と宇宙/自然再生と災害復興/持続可能な心の持ち方

*その他、誕生日会や季節の祭事、地域の食事会などのイベントも盛りだくさん!生活の様々な場面を通して、互いに助けあいながら宇宙の流れにそって生きる豊かなコミュニティの暮らしをリアルに体感できます。
*上記講座はあくまでも一例であり、プログラムは固定されていません。受講生との双方向の掛け合いにより、その時、その場で、もっともふさわしいものが提供されていく、誰にも予測不可能な世界に二つとないプログラムです。
(→ 2015年度レポーをご覧ください。)

【 主 催 】DSC00081
NPO法人ぐりーんぐらす

木の花ファミリーを母体として様々な社会貢献事業を行っているNPO法人です。

【 共 済 】
木の花ファミリー

詳細は、こちらをご覧ください!
「1ヶ月間の真学校@木の花ファミリー」

150313-225932
2015年度「1ヶ月間の真学校」卒業生による修了パーティー

 

 


あなたはこの世界のために生まれてきています

 ~21世紀の癌の処方箋・「囚」から「閃」へ~

 
僕はこの世界の観察者です。世の中のあり方や人のあり方、自然のあり方を常に観察しています。そうすると、そこにはいろいろな法則があることが観えてきます。ところが、ほとんどの人々は自らの中に湧いてくる欲望や興味を優先させているため、そこに法則があることを気付けていません。ですから、人間が創り出した世界はその法則を無視しているために、地球上に矛盾を発生させることになっています。今、人間社会はその矛盾のピークを迎えています。それはある意味、人間の能力の高さの証明でもあります。しかし、能力が高いからといって、その能力は常に良い方向に表現されるとは限りません。その能力の高さを、戦争のような極限に負をもたらすために使うこともあるからです。

そういった現状の中で、わたしたち人類はとても不健康な日々を送っています。その不健康な現象の一つが病気の蔓延です。今、日本人の死亡原因の一位は癌です。そこで、癌細胞の気持ちを僕は考えてみました。彼らはある意味能力が高く優秀な細胞です。自分たちの適切な範囲を知っており、その環境が整うと爆発的に勢力を拡大します。どこに勢力を拡大するのかというと、他の生命の中に寄生しながら広がっていくのです。ですから、この世界で癌細胞だけが独立して生きることはありません。常に何かに寄生しながら存在しているのです。このような話をすると、地球という器の中にいる今の人間の現状を想像できませんか?

癌細胞は自分たちが活動するエリアをつくり、その枠の中に入っています。人が自らの考え方の中に囚われている状態を、漢字で「囚」と書きます。これは、枠の中に人が入っている状態です。この枠の下の部分を取り去ると、玄関ができて外からの情報が入ってきます。そして、上の部分も取り去ると、上からは天の法則が入ってきます。そうすると、「囚(とらわれ)」が「閃(ひらめき)」になるのです。

囚われの状態とは、頭の中で思考がぐるぐるとまわり、自らの価値観から生まれる考えだけで生きている状態です。それに対して、閃くという状態は上から降りてくる直観と、内から湧き上がる想いの両方によって生まれます。この閃きの状態を「縦」の思考と呼びます。それに対して、囚われの状態を「横」の思考と呼びます。横の思考は、縦の思考に沿うと、健全に働くようになるのです。そして、この縦(Ⅰ)と横(一)の両方を合わせると十(重合)となり、これは地球の構造と同じです。わたしたちの体も同じ構造でできており、太陽系、銀河、さらに宇宙も同じ構造になっているのです。キリスト教の十字架も同じです。カタカムナでは、これを一(ヒ)から十(ト)までの道ということで、それを十(ヒト)と読み、完成された人間の姿を表します。それは、悟りに至ったヒトの姿です。

名称未設定

癌細胞は、自分たちが活動するエリアを見つけると、そこで自分だけの世界をつくります。しかし、人間の胃の中に癌細胞が増殖する環境が整ったとしても、通常、癌細胞は広がりません。なぜなら、人間の体の中には癌細胞を抑える免疫力があるからです。そこで癌細胞は、自分たちの存在するエリアの法則に従い、門を開き、「閃」という状態で役割をするようになったら、正常細胞として働くようになるのです。

しかし、「癌」という漢字を紐解くと、「品」物を「山」のように抱えると「病」気になる、という欲深な性質を示しています。癌細胞は能力が高く、自分たちのエリアをどんどん広げていく細胞ですから、自らが胃の中の役割に徹することよりも、いろいろな役割を持つ細胞を癌細胞に変えてしまうのです。そうして、癌細胞一辺倒の世界をつくり上げていきます。そして、癌が増殖していったエリアの機能は壊れてしまうのです。結局、わたしたちの体の中の重要な機能が停止すると、いずれ全体の生命機能は停止することになります。その結果、癌細胞も共に死滅するのです。癌細胞は本来、その癌細胞が寄生している全体が健全であると、癌細胞も共に存在していけるのですが、それを無視して自分たちだけの世界を広げるために能力を使うと、自分たちも消滅するはめになるのです。

しかし、癌細胞だけが問題なのではありません。本来わたしたちの体は、癌細胞と正常細胞がバランスをとるようになっています。ですから、癌細胞が増殖するということは、必ずわたしたちが自らの体の生態系を乱すような原因を持っており、それが癌細胞の増殖を手助けしているのです。たとえば癌細胞がより増殖するような食べ物を取り、環境をつくっていたり、癌細胞と共鳴するような心の状態を保っていることが挙げられます。癌細胞は品物を山のように抱える欲深な状態に共鳴する細胞です。その考え方は自らに囚われ、まわりに対して門を開かない状態です。そうした状態は、まわりのものたちと調和し、連携しない性質を示しています。

元々、癌細胞は癌細胞として存在していたのではありません。条件が整うと、正常細胞が癌細胞化するのです。このように癌細胞を捉えていくと、地球上の今の人類の姿に観えてきませんか?人間も、元々自然から発生したものであり、生命の循環の中にあったものが自我を得て、ある条件のもとにエゴを優先させていった結果、地球にとって癌細胞化するのです。まさしく、今の人間は地球上の癌細胞として存在しています。そういった意味では、地球に対して負荷をかけ続けている現代社会のリーダーたちは、癌細胞のボス的存在とも言えます。本来、人類は地球生命と共存・共栄する立場にいると捉えると、新しき人類のリーダーたちはその考え方を今までの価値観とは全く逆転させる必要があるのではないでしょうか。

そのような姿勢を人類が取り続けるようであれば、今後も宇宙や地球生態系はそういった行いに対し様々な現象を通して問題という形で、気付きを与えていくことでしょう。それは、「他者とつながりなさい。そして調和しなさい」というメッセージです。さらに、「あなたはこの世界のために生まれてきています。この世界があなたを生み出したのです」と伝えてくれているのです。

昔の人々は、それほど癌にはなりませんでした。しかし、今の人々に癌はとても多いのです。最近の統計によると、日本人の三人に一人は癌で亡くなっており、一生のうちに二人に一人は何らかの癌にかかると言われています。そこからは、今の人々の自らのことを優先して他者のことを思わず、お金や物に執着し抱え込んでいる姿が観えてきます。それはなぜかというと、人と人がつながらず、生きることに不安を感じながら生きているからです。今の人々はお金や物が沢山あることが幸せであり、そのことが社会で成功したことだと錯覚しています。しかしそれは、本来人間があるべき尊い存在としての姿からは逆の姿なのです。

そういったことを癌細胞はわたしたちに教えてくれています。癌細胞は、「あなたの生きる姿勢がまさに癌細胞のような存在なのですよ」と教えてくれているのです。そして、あなたの心が開かれ、調和的になると、癌細胞はその役割を終え、自ずと消えていくのです。

21世紀に入り、人類は多くの面で行き詰まりを迎えています。しかしそれは、この世の中が問題なのではありません。あなたのほんの小さな日常の囚われが大きくなって、連鎖し、地球規模の現状となって、この世界全体を形成しているのです。それと同時に、わたしたち一人ひとりの身近な問題や悩みも、同じ延長としてこの世界は示してくれているのです。ですから、そうしたすべての問題を解決するためには、一人ひとりがそのことに気付き、まずは自らのほんの小さな囚われから解放されていくことが、問題解決の鍵となるのです。皆さん一人ひとりの手の中にその鍵は託されています。

誰一人として、自らが癌細胞のような存在ではありたくないはすです。わたしたちは本来、この世界のために生まれてきたのですから、この世界のために貢献し、誇りを持って人生の終わりを迎えることが真のヒト(十)の生きる目的であり、人としてのあるべき姿なのです。もう一度、あなたも自らと向き合い、人はどのように生きるべきなのかを考えてみてください。

 
まずは、あなたの「囚」を「閃」へ。

 

 


宇宙そのものとして生きる時代へ ~収穫感謝祭でのいさどんの挨拶

2015年12月16日

今年も暮れを迎え、これから新年を迎えるための新たな気持ちになるために、この行事を執り行う時が来ました。ちょうど昨日、ここで2年間開催されてきたカタカムナの学びに区切りをつけました。そして今日、一年の締めくくりとして収穫感謝祭を迎えるということは、そういったことを計算していなかったにも関わらず、なぜこのように物事の段取りが進むのだろうか、と今朝思っていました。それは、わたしたちが日頃から自分たちの都合で生きているのではなく、天や観えない世界を意識しながら生きている証なのでしょう。そして、これこそが時代の流れであり、この世界の道理だと確認する機会となりました。

今日は収穫感謝祭ということで天津祝詞を奏上しましたが、本来そういった祝詞はご利益を願うものではありません。ところが、人類の歴史を振り返ってみると、1000年も2000年もの間そのようなご利益主義が続いてきましたから、人々は知らない間にそのような場で自らの都合を願うようになっているのです。今の世の中で人々は地鎮祭やいろいろな神事を通してこのような祝詞に出会うのですが、その中身を理解してそこに集っている人はほとんどいません。しかし、ここに天津祝詞の解説がありますのでそれを見ていきますと、この宇宙の法則を天はわたしたちに示しており、神々に対してこの世界を清めてくださるようお願い申し上げるのが天津祝詞の精神ですと書いてあります。しかし、そのこと自体が宗教化しているのです。神々に対してこの世界のことをお願いする前に、本当はわたしたち自身がこの世界そのものなのであり、宇宙そのものであることを理解し、生きることが大切なのです。

先日、タイの僧侶であるプラ・サンコンからの招待を受け、彼の寺院に新たに建立された仏塔の落成式と仏像の開眼式に参列しました。その翌日にお話しする機会をいただきました。そこでわたしがお話ししたことは、お釈迦様から導きやご利益をいただくことではなく、お釈迦様の精神イコール宇宙そのものであり、それが本来の人のあるべき姿だということです。ところが、しばらくの間人々はそういったことを忘れ、自然に対して負荷をかけ、自分たちにとって都合の良い世界を求めてきたがために、今の地球上には様々な矛盾が起きています。しかし本来、わたしたち自身の中にもブッダの精神が眠っているのだとしたら、自分が何を想い、何を言い、何を行うかによって、わたしたちは天津祝詞に示された通りの世界をもたらす存在にもなるのです。それは、天がわたしたちに秩序を与えるように、わたしたち自身もこの世界に秩序をもたらす存在になれるのです。それは、天人一体の世界を認識したものたちが生きることによって可能になるのです。そして、それこそが本来の宗教の姿であり、人のあるべき姿なのです。今、人々がそういった精神の原点に立ち返る時が訪れています。

昨日、カタカムナの学びの場に一区切りをつけたのは、わたしたちがそのことを理解したものとして、その精神を生き、それを最優先に生活に表していく時が来たからです。それが天や宇宙と一体の生き方です。昨日から今日になるのも、一年が経つのも、すべて宇宙の仕組みです。わたしたちはその中で生きているのですから、わたしたちは宇宙そのものなのです。したがって、わたしたちの日々の考え方も宇宙そのものでなくてはならないのです。

先程、畑隊、田んぼ隊、そして大町ビレッジの代表の人たちから挨拶がありましたが、皆の話には筋が通っていました。これは、ここ全体がそのようになってきたからこそ、筋が通っているのです。2012年12月21日に銀河の冬至を迎え、新たな時代を迎えるための3年間の準備期間を経た今、2016年の「発信」の年に向けて皆の中にそういった心ができてきたと感じました。

今回カタカムナの学びに区切りをつけたのも、それは単純に方針が変わったということではないのです。学んできたものをしっかりと会得し生活に表していくという意味では、ただ学びが提供されるのを待っているだけではダメなのです。しかし、今まではそういった時代がずっと続いてきましたから、優れた者とその学びをもらい導かれる者の差ができてしまったのです。そのため、今の時代は格差の時代です。格差のために、貧富の差などいろいろな矛盾が発生したのです。しかし本来、この世界は全く平等な世界です。一人ひとりが当たり前に持っている個性が存分に発揮され、誰もが必要とされ、無駄なものは何ひとつないのがこの世界の本質なのです。そういったことをわたしたちはこの生活を通して表現してきましたし、ようやくそれがここ全体で表現できるようになってきたことを今日感じています。そして新たな年を迎えるのです。

今、いろいろなことが変化する時代を迎えています。そこで、なぜ今のような地球規模の変化が人類に与えられたのかというと、これは現代人によってもたらされた地球の近年のカルマの表れです。ですから、わたしたちはカタカムナと出会い、自らのカルマをそぎ落とし美しくすることを会得しましたし、そのことの重要性を理解しました。地球のカルマが人間の欲望によって汚れてしまっている今、わたしたちもその火の粉をかぶらないわけにはいかないのです。その時に、それを越えていく叡智をこれからわたしたちは発信していくのですし、汚れ歪んでしまった自然とどのように向き合っていくのかを考えていくためには、心にしっかりとした柱が立っていなければいけません。そのことをわかったものとして揺るぎない信念を持ち、歩んでいく時が来たのです。

わたしたちの人生を考えたときに、長い人生を望むのか、それとも短い人生を望むのか。そこでは長い人生を望む者もいれば、短い人生を望む者もいます。それは、その人の意識がどこにあるかによって、全く正反対のことが起きるのです。それと同じように、今、社会的に観てもたくさんの混乱が起きていますが、これを生かしていくことを考える者もいれば、右往左往する者もいるのです。それは、その者がどこを観て、どのような精神でそれを観ているかによって全く違う解釈になるのです。

ということは、この世界の解釈は自由自在だということです。今というこの時代は一度きりしか来ないのですから、それを自分の都合の良いように解釈するのではなく、なぜこのようなことが起きたのかをもう一つ違う視点を持って捉えていくことが大切です。わたしたちが毎日当たり前に起きていること、呼吸すること、一秒が経つこと、一日が経つこと、一年が経つこと、そして寿命を迎えて死んでいくこと、こういったことすべてが一体どういうことなのかを、よく考え理解する時代が来ているのだとつくづく思います。

今年は、作物の収穫という点では今までになく厳しい時代だったかもしれませんが、ここではたいへん充実した一年だったと思うと、たくさんの収穫があったと感じています。収穫には、物理的なものと霊的なものと両方があります。その両方の収穫を豊かにいただいていくために、今年は多くの新たな出会いがありました。来年、わたしが関わるプロジェクトだけでもたくさんあり、それは社会を豊かにするためのプロジェクトです。その新たなものを挙げますと、ニーム・ミミズ・蓮池・マコモ・メダカ・エキウム・マヌカ・・・といろいろなプロジェクトがありますが、それは自分たちの都合によって自然を変えることではなく、元々自然にあるものの力を借りることなのです。

来年、まず一番に力を借りるのは、バクテリアの力です。そのリーダーが光合成細菌の力です。今の世の中にはすでに汚れが蔓延していますから、わたしたちがいくらカタカムナを奏上して美しい響きをもたらそうとしても、それだけでは不十分です。そこで、ニームやミミズ、光合成細菌といったものの力を借りて、厳しい環境を乗り越えていくことが必要です。そういったものは世の中に害をもたらしません。虫の中にも害虫化してしまったものがいるとしたならば、ニームにはそういったものを選り分ける能力があると言われています。たとえばミミズでも、「この土なら繁殖して土作りします」という土と、その土を嫌いミミズが引っ越していく土があるのです。自然はそういったことを知っているのです。その力をもらいながら、次なる豊作をわたしたちは享受していくのです。これからそういった情報を世の中にも提示する時が来ていると思うと、未来はとても楽しみです。

来年一年は「発信」の年でもあり、同時に冬眠期間でもあります。つまり、しばらくの間しっかりとそのデータを蓄積して充電し、いずれ世に知らしめるための年なのです。今、わたしたちはそういったことに対してふさわしい段階に来ていると思うと、物理的な収穫という意味ではいろいろな困難な時代を迎えながらも、必ずそこを越えていく答えがその先に現れてくると思い、来年は希望ある年だと感じています。一人ひとりの中にそういったことに共鳴する心が湧いて、その心が高まってくると、ここは新たな時代を迎える雛形として十分価値ある場となります。そして、そこで生きることは誇りを持って人生を終われるということです。

今日の収穫感謝祭ではまず降神祝詞を奏上し、神様に降りていただいて、神事を執り行いました。世の中に宗教はたくさんありますが、こういったことを現実のこととして、頭の中でイメージする人はほとんどいません。しかし、現実にわたしたちは天と共に生きているのです。そして、自分の中にいのちとして神が生きているのを理解する者なのです。

今日はとても良い一日でした。昨日の一区切りを迎え、わたしたちはただ勉強しているのではなく探究していることを伝え、けじめをつけたところで、今日の収穫感謝祭を迎えたということは、まさしく天の計らいと感じました。誰がこの段取りをしてくれているのでしょうか。それは、天とわたしたちが共に行っているのです。それが、天と共に生きるということです。これからも、地球と共に、宇宙と共に、天と共に、神人一体の生活をしていきましょう。
  

新米の御神酒を手に、新たな時代に向かってみんなで「乾杯!!」
新米の御神酒を手に、新たな時代に向かってみんなで「 乾杯!」

 

 


21世紀の人のあるべき姿 ~後編~

前編からの続き 〉

いさどん:
さらに、僕がどの星から来たのかということにも、ある時気が付きました。それは、富士山麓に移住してからのことです。毎日夕方になると、空には強い光の金星が見えました。僕はその星がとても気になって仕方がありませんでした。そして、「なぜあの星がこんなに気になるのだろう?」と思ってじーっと眺めていたら、金星は僕に対して何か言葉を言っているのです。その言葉とは、「早く帰ってキンセイ!」そして、その星を見ていると、僕のふるさとだ、懐かしい、帰りたいという気持ちが湧くのです。それで、僕はあの星から来たのだと気付きました。その以前から、僕は他の星から来ていたことは感じていたのですが、それが金星だったのだとその時初めて納得したのです。

みかちゃん:
ムルンくんも金星人のようですね。

いさどん:
そうですね。

みかちゃん:
金星は、太陽系の中で女性性や美、五感、芸術、豊かさを司る星であり、お釈迦様やキリストなど地球の霊的長老たちは皆、金星を経由して来ています。

いさどん:
昭和天皇もそうです。今、地球上にはだいたい一万人ぐらいの金星人が来ています。そして、地球上にちりばめられているのです。太陽系の中では水星が一番太陽に近いのですが、金星はその次に太陽に近い星ですよね。

ムルン:
僕は太陽のエネルギーをよく感じます。

いさどん:
面白いことに、わたしたちはカタカムナに出会う前に地球暦というものに出会って、太陽系を紐解いてきました。地球暦で観る太陽と惑星の関係から、その人の魂の形やどのような人生を生きるのかを紐解いていたのです。実は、その前に僕は30歳の時から人の名前でカルマを読み解く手法を天から与えられていました。そのカルマ読みに地球暦の己読みが合わさり、そして今、カタカムナに出会ったのです。そうすると、ヒフミヨイムナヤコトというカタカムナで紐解かれるこの世界の仕組みと、太陽系の太陽から冥王星までの仕組みが見事に一致していることがわかるのです。面白いのは、ヒフミヨイが潜象界を表し、ムナヤコトが現象界を表すのですが、地球暦では太陽・水金地火で内惑星を表し、木土天海冥で外惑星を表すのです。そして、火星と木星の間はとても距離があり、その間には小惑星帯もあるのです。

みかちゃんとボード

みかちゃん:
火星と木星の間の小惑星帯は、人間の魂で言うカルマがあるところなのです。地球暦の内惑星は個人の内面の指標になっていて、木星と土星は社会性を示し、ここまでが目に見える星です。その後の天海冥は近代になって望遠鏡が発明されてから発見された星なので、占星術では土星から先はないのです。だから、占星術では土星が一番長老的な星だったのですが、実は見えないところに時代を司る天王星や精神性を司る海王星、そして悟りを司る冥王星があるのです。

ムルンくんの地球暦を観ると、ムルンくんにとって太陽系の中でも縁の深い星があって、たとえば金星と海王星、そして水星と冥王星が「開き」の関係にあります。

いさどん:
水星は直観を司る星ですので、水星と冥王星の開きから、太陽から来る直観で悟りを表現したい気持ちが強いことが現れています。

「開き」というのは、太陽をはさんで一直線上にふたつの星が向き合っている状態です。ですから、太陽の意志を通して直観を受けたら、悟るぞという想いが湧いてくるということです。それに対して、もし太陽に対して同じ側の一直線上に水星と冥王星があるとしたら、それは「結び」という関係になります。水星と冥王星が「結び」の関係だと、自らの道を直観で悟って進んでいく人になりますが、あなたの場合は「開き」の関係になっていますので、太陽の心を直観で受け、悟りを世の中に示し伝えていくことがあなたの役割になります。

さらに、金星と海王星も開きの関係にあります。金星は女性性・愛・喜び・豊かさ・美・五感・芸術を司る星であり、海王星は精神性・夢・ロマン・想像力・信仰・奉仕・ユーモア・癒しの星です。ですから、あなたはそういった精神性を世の中に広げていく人なのです。

ムルンくんの地球暦
ムルンくんの地球暦

海王星と冥王星は連携してスイッチが入っていないと、意味がないのです。なぜかというと、海王星と冥王星は軌道が時々入れ替わるので、このふたつはセットになって働く星なのです。あなたの地球暦の場合、太陽という大本の心に一番近い水星(直観)と金星(愛・女性性)が太陽系の一番外にある海王星(精神性)と冥王星(悟り・究極の真理)とつながっているので、これから世の中に対して大きな役割を果たしていく人ということですね。

面白いのは、あなたの地球暦には地球にスイッチが入っていません。地球は生命活動・肉体・家族・経験・多様性・変容・変態・文明を表す現象化の星なのです。そうすると、あなたの地球暦には地球にスイッチが入っていないので、現象化をしない人ということになります。あなたの場合、それはどういうことかというと、自らの想いは現象化しない人、つまり自分のことはどうでもいいと考える人なのです。ですから、あなたは自分のことよりも、世の中に大事を広めていくことのほうが大切なのです。

こういう人が一般社会で生きていると、たとえば一生懸命勉強してお医者さんになろうとか、何かの技術を会得して専門家になろうと努力したとします。そして社会に出て行くと、その自らの想いが現象化しないのです。ですから、普通に一般社会で生きていたら、生き辛さを感じてニートや引きこもりになったり、会社で働いても適応しない人になります。ところが、あなたは自分のために生きるのではなく、大事な生き方を世の中に示していく人なので、そこに生きる道があるのです。ムルンが27歳までほとんど社会に出ないで、大事な志とともにこのような活動をしてきたことは、まさしくその表れです。このような人は世の中のために生きているので、世の中がこの人を生かすのです。それに対し、自分のために生きている人は、自分で食べていかないといけないので、一生懸命自分のために頑張って生きるのです。その姿を「四苦八苦」と言います。

地球暦の場合、ある惑星のスイッチが入っていなかったり、破線があるということは、一般社会では欠点にもなります。しかし、人の性質によってはその欠点が個性にもなりうるのです。

僕の地球暦を観ると、土星にスイッチが入っていません。それも、ぴったり夜明けの位置でスイッチが入っていないのです。土星は組織的行動・安定化・秩序・システムの星ですから、それはどういったことを示すかというと、僕は絶対一般の会社では働けない人だということです(笑)。つまり、今の社会の中で生きるには社会性がないということです。それで、僕は今の社会とは違う生き方をしているのです。僕はこの生活を始めた40歳の頃からお金の工面で苦労したことがありませんが、世のため人のために生きていれば、そのような苦労がなく安心して生きていけるのです。世の中のために人が生きたら、世の中がその人を生かしてくれるのです。ですから、常に宇宙を観て生きていたら、宇宙が生かしてくれるのです。

いさどんの地球暦
いさどんの地球暦

このように、どの位置に自らの意識があるのかが大切なのです。そして、自らの意識が今どの位置にあるのかは、毎日の生活を通してそこにある思考からわかるのです。毎日食べるために一生懸命になって、自分のことだけで生きているのか、世の中のことを憂いているのか、さらにそういったことを全て超越し宇宙的視点で生きているのか。毎日自分が何を考えているのかによって、カタカムナで言う、ヒ(一)からト(十)の間のどの位置に今自分がいるのかがわかるのです。

今まであなたが自分の本当の想いを伝えても、まわりの人たちはよくわからなかったですよね。これからは、皆がそれをわかるように伝えていく段階に入ったということなのです。

ムルン:
そうですね。今までは僕に知識が足りなかったのです。「わかるように説明してください」と人から言われても、いさどんが今語っているような知識がないとダメなのです。だから、先代の智慧である物理学や天文学をしっかりと学ばないといけないのです。

みかちゃん:
わたしたちも地球暦に出会ってからカタカムナに出会ったので、この世界の仕組みや人の性質についての理解が深まりました。

いさどん:
その前に、僕に天からカルマ読みが降ろされたのです。カルマ読みで人の魂を読みながら、僕はニート・引きこもりやうつ病の人にアドバイスをしてきたのですが、そこから地球暦に出会い、地球暦を通して人の天命や役割の紐解き方をここで開発していったのです。

みかちゃん:
これからの時代、太陽系の中でも金星の役割は大きいと思うのです。それは、金星は心磨きを大切にする星だからです。

いさどん:
男性性や行動力といった火星の「陽」に対し、女性性や愛を示す金星は「陰」の星なのです。ですから、金星はどちらかというと表面的にはわからない存在なのです。今までの時代は形に表し行動することを優先してきたのですが、その奥にある現象をこの世界に産み出す力は女性性であり、陰が主になって事が起きていくことが大切なのです。「陰陽」とは、陰が先で陽が後に来ますよね。ところが、今の時代はそれが「陽陰」と逆になっているので、形を先に求めてしまうのです。これは、「霊主体従」と「体主霊従」の違いですね。これからは、「霊主体従」という、心が主になって形が後からついてくる時代です。ですから、これからは金星の時代でもあると言えますね。

ムルン:
確かにこれからは金星の時代ではあるのですが、実は陰陽を超えていく時代でもあるのです。

いさどん:
まったくそうですね。

みかちゃん:
それは、物質至上主義社会が終わって単に精神世界が始まるということではなく、統合した世界が現れるということですね。

ムルン:
それが大切なのです。これからは陰陽を超えて、直線的にまっすぐ上へ上がっていく時代なのです。

いさどん:
時代がこれから大きく転換する時に、カルマ読み・地球暦・カタカムナという魂の状態を紐解く3つの仕組みが今ここに伝えられているのです。これをこれから世の中に広めていくことが大切だと感じています。

ムルン:
そうですね。誰でもこうしたことを学べる能力を持っています。これからは、一人ひとりが目覚めていくことが大切なのです。

いさどん:
人間には一人ひとり使命があって、その人がなぜ生まれてきたのかという理由がそれぞれにいくつもあるのです。わたしたち一人ひとりはオリジナルなカルマを持っています。人間は、動物や植物よりはるかにカルマが多く、その分だけ役割も大きいのですが、その使い方を間違うとこの世界に大きな害も引き起こすのです。自らの存在が地球にとってがん細胞にもなれば、正しく生きるとこの世界を正しく導き、天の法則と共に地球を司ることもできるようになるのです。これを「クニ(国・地球)ツクリ(創り)」と言います。カタカムナで「クニ」の思念を紐解くと、「クニ」とは自由(ク)が定着(ニ)したという意味になります。ですから、人間が地球上で生きる目的は、自由に自らを表現し、そして豊かな生命世界を創ることなのです。それが、本来の人間の姿なのです。

しかも、その自由とはある枠(宇宙秩序)の中の自由のことなのです。つまり、枠の中で王道を究めるということです。このように今まで隠されていた古代の叡智が紐解かれていくのが、これからの時代です。古代東アジアに存在していたカタカムナ文明は12900年前にピークを迎え、6450年前に消滅し、そこから現在の物質文明の元が始まりました。そうすると、カタカムナの叡智は今、6450年ぶりに復活したのです。カタカムナの文献は1949年、つまり終戦の4年後に発見されました。ですから、戦争が終わっていよいよそのような叡智が紐解かれる時代になったということで復活し、そしてそれがある人たちによって研究され、今それが世の中に広がる段階に入ったのです。

このように、この世界には流れがあって、その流れの中で自分はどういった意味があって生まれてきているのかという目的があるのです。その一つは個人としてのカルマをきれいにするために、現象化する地球に現れ、いろいろな出来事に出会うことによって自らを知り、カルマをきれいにして元の世界へと還っていくことです。

そしてもう一つの目的は、クニツクリです。地球に対してわたしたちは大きな使命を受けているのです。法華経に「依正不二(えしょうふに)」という言葉があるのですが、依とは人間以外のこの世界の生命全てを指し、人間のことを正法、それ以外の存在のことを依法と言います。正とは人間のことですから、人間が正しい道を表すと、この世界の全てが健全になるという不二一体の状態が、まさしく世界の実体なのです。逆に、人間のあり方が正しくないと、この世界の全てのあり方は間違ってしまうのです。今、まさしく人間のあり方が間違っているので、地球環境が破壊され、多くの生命が絶滅していき、この世界は問題だらけです。ですから、人間には自らのカルマを超えて、この世界のために正しく生きる道が示されているのです。

宇宙を想像してみてください。宇宙に地球のような星は他にありません。この広大な宇宙の中で地球だけに特別な生命が現れ、言わば地球は生命の海の星なのです。そして、280万種いると言われる地球生命の中で、人間だけが特別なのです。人間は宇宙の中でも特別の特別の特別の存在であり、特別の特別の特別の使命を帯びているのです。今70億人いる人間一人ひとりが特別な個性を持って生まれてきているとしたら、一人ひとりにとてつもなく大きな使命が与えられているということなのです。

その真の人間の能力を知って、真の役割を果たしていく扉が開いたのが、2012年12月21日なのです。これは、25800年ぶりに扉が開いたのです。ところが、25800年というのは太陽がたった一螺旋を描いただけなのです。太陽が銀河を一周するスケールから観ると、これは約9000回の螺旋のうちのたった一回なのです。ですから、どの位置に自らの意識があるのかによって、何万年単位・何億年単位で物事を捉えることもできれば、今日一日の生活に四苦八苦することにもなるのです。

そのように、意識次第で人間は本当に小さな存在にもなれば、それこそ宇宙全体を悟り、宇宙を運営するものにもなるのです。これからは宇宙時代ですからね。今、人間たちは世界をどうするのかの突破口が見出せていない状況ですが、21世紀は1000年の道の始まりでもあり、宇宙をこれからどう運営していくのか、天界の神々と共に人間が考え行動していく天人和合時代の幕開けなのです。

僕の中にはそういった想いがたくさん満つっているのです。そして、語ればいくらで出てくるのです。僕は1000年契約で地球に来ていますので、今回が地球上で人として肉体を持つ最終輪廻なのです。ですから、この契約が終了するとまた宇宙へ戻っていくのですが、その前に自分の知っているものを全て表現していくのです。僕の役割は伝えることです。そして、それを現象化するのは、皆さんであり、次の時代の人たちなのです。わたしたちは、時代のプロセスを役割として生きているのです。

ムルン:
その通りですね。とにかく、今の時代はこれだけの叡智が紐解けてきたのですから、これからはそれを仕組みとして表していきたいと思っています。皆さん、今後ともどうぞよろしくお願いします!

イベント終了後、参加者の皆さんと一緒に
イベント終了後、参加者の皆さんと一緒に

 

■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■

2016年2月14日〜3月12日
木の花塾「1ヶ月間の真学校」を開催します!

名前からその人の陰陽と心の性質を知るカルマ読み、生まれた日の惑星配置から使命を読み解く地球暦、そして日本語48音の一音一音に秘められた思念からその人の最も純粋な魂のかたちを解き明かすカタカムナ。
この“三種の神器”を通して自らを紐解き、私たちがこの世界に生きる真の意味を学ぶ1ヶ月間を過ごしてみませんか。

宇宙おじさん4視点が変われば、世界が変わる。

木の花ファミリーという実践の場で生活することを通して、机上の学びでは終わらない実践力を身に付けます!

【 日 程 】
2016年2月14日(日)〜3月12日(土)

【 会 場 】
木の花ファミリー
静岡県富士宮市猫沢238−1

【 対 象 】
■ 自分を変えたい人
■ 世界を変えたい人
■ 今の世の中をどこかおかしいと感じながら、どうすればよいかわからずにいる人
■ それまで知らずにいた本当の自分自身を知り、真に人生を謳歌したい人
■ この星に生きる人 すべて
☆ その他、2015年度受講生からは以下の人に薦めたいという声が上がっています。

■ 漠然とした不安がある人
■ 自分も他人も責め続けている人
■ 人を信頼したいという思いはあるが、できない人
■ 未知の世界があることを知りたい人
■ 出会った人 すべて
(詳細は受講生アンケートにてご覧頂けます。
→ 受講生アンケーヘ)

【 内 容 】
講座は「農」「食」「医」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」と多岐に渡りますが、全講座に共通して学ぶことは、物理的な現象の奥に流れる深い精神性です。それまでに考えたこともない新たな視点に出会うことで世界観を大きく広げ、今社会はどのような状況にあるのか、その中で自分は一体どういう存在であるのかを紐解いていきます。
〈 講座一例 〉
人格を学ぶ講座(カルマ読み・地球暦・カタカムナ)/天然循環法の畑作/ファシリテーション/世界観を広げる/菩薩の里の経済/自然療法プログラム/食養生/有用微生物群の培養/天然醸造味噌作り/創造性と芸術/性と宇宙/自然再生と災害復興/持続可能な心の持ち方

*その他、誕生日会や季節の祭事、地域の食事会などのイベントも盛りだくさん!生活の様々な場面を通して、互いに助けあいながら宇宙の流れにそって生きる豊かなコミュニティの暮らしをリアルに体感できます。
*上記講座はあくまでも一例であり、プログラムは固定されていません。受講生との双方向の掛け合いにより、その時、その場で、もっともふさわしいものが提供されていく、誰にも予測不可能な世界に二つとないプログラムです。
(→ 2015年度レポーをご覧ください。)

【 主 催 】DSC00081
NPO法人ぐりーんぐらす

木の花ファミリーを母体として様々な社会貢献事業を行っているNPO法人です。

【 共 済 】
木の花ファミリー

詳細は、こちらをご覧ください!
「1ヶ月間の真学校@木の花ファミリー」

150313-225932
2015年度「1ヶ月間の真学校」卒業生による修了パーティー