心が大きな人になるにはどうしたらいいの? ~12歳のかのこちゃんから宇宙人ピトピへ

本日のいさどんブログには、宇宙人“ピトピ”が登場!!

「授業中ずっと椅子に座って、先生が言うどうでもいいことをノートに写すのが嫌だった」と、小学6年生の1学期で学校に行くことをやめたかのこちゃん。もっと自分の人生に役立つことを学びたい、という彼女が、ある日ピトピに質問をしました。
 
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宇宙人ピトピ:
かのこちゃんは、毎日朝起きて、ご飯を食べ、昼が来て、ご飯を食べ、夜が来て、ご飯を食べ、一日が終わって、寝るでしょ?これは宇宙の仕組みからなっているんだよ。この世界はとても複雑に出来ていて、それがわかると面白いんだよ♪
でも、人間はまだ本当のことが良くわかっていないね。かのこちゃんもそういう仕組みがもっとわかるようになるといいね。そうすると、心が大きな人になれる。みんな、友達のこととか、今の流行とか、身近な小さなことばかり考えて生きていて、それで傷ついたり、怒ったりしている。楽しい人もいるけどね。でも、この世界はもっと広くて、あなたの知らないことがたくさんあるから、これからもっと知っていくといいね。

かのこちゃん:
はい!

ピトピ:
僕に何か質問はあるかな?

かのこちゃん:
心が大きな人になるにはどうしたらいいの?

ピトピ:
ハッハッハ!それには方法があってね、天に心を向けて世界のことをもっと知ることだよ。
天とはね、(上下を指して)天・地と言うでしょ?

かのこちゃん:
うん。

ピトピ:
ここに点があるとして、点も天なんだよね。同じ発音でしょ?

かのこちゃん:
本当だ!

ピトピ:
天というと人間は上を指すけど、そうすると地はどこになる?

かのこちゃん:
(下を指しながら)こっち!

ピトピ:
そう思うよね。でも、そうばかりじゃないんだよ。天は上以外にあるとしたらどこにあると思う?

かのこちゃん:
(下を指しながら)こっちも!

ピトピ:
下も天なのはどうして?

かのこちゃん:
うちでは炊き立てのご飯を混ぜるときに、上と下をひっくり返しているから、こっち(下)も天になると思ったの。

ピトピ:
それは天地返しということだね。なるほど。そうしたら、ご飯をひっくり返すと、天と地が逆になるね。天を地にして、地を天にするんでしょ?そこでもまた天と地が生まれるよね。もう一度聞くね。(上を指しながら)天はこっちだけなのかな?

かのこちゃん:
・・・わからない。

ピトピ:
天はね・・・あっ!ちょうどここに地球儀があった!ここにかのこちゃんが住んでいる日本があるね。日本の裏側を地球儀で見てみると、海になるけどブラジルということにしておこう。そうすると、日本で言う天がブラジルの人たちの言う地になって、ブラジルの人たちの言う天は日本の人たちが言う地にならない?

かのこちゃん:
わ~!!

ピトピ:
地というのは、地球の中心の方向のことになるね。

かのこちゃん:
へ~~!

ピトピ:
それで天はどこかというと、それ以外の全部なんだよ。つまり、天とは宇宙のことなんだよ。そんなこと、普通は考えないけどね。そして、地球は1年かけて太陽のまわりを1周するけど、そのスピードは1秒間に30kmなんだよ!

かのこちゃん:
1秒間に30km!すごく速いね!

ピトピ:
そうだね、地球上にそれほど速い乗り物はないね。1秒間に30kmというのはマッハ88くらいで、ジェット戦闘機でもマッハ2ちょっとぐらいだから、地球はその40倍以上のスピードで動いているんだよ。

かのこちゃん:
すごい!

ピトピ:
しかも、地球は回転しながら動いていて、その回転の速度は秒速460m!1秒間に460mのスピード(マッハ1.35)でまわりながら、秒速30kmで移動しているんだよ。ということは、今かのこちゃんがいるこの場所は、宇宙空間を1日に約260万km移動していることになるんだよ。

かのこちゃん:
へ~!すごいね!

ピトピ:
そうすると、人間は、「ここは私の土地だから、私の物だ!」と言うけれど、実はこの場所は1日に260万kmも移動していることになるでしょ?だから、宇宙から観たら本当は誰の物でもないんだよ。いつも移動しているのだから。それなのに人間はそれを自分の物だとか主張して、変なことを考えるものだよ!

かのこちゃん:
本当だね!

ピトピ:
もっと面白いのはね、地球は1年をかけて太陽のまわりをまわるでしょ?実は、太陽自体も動いているんだよ!太陽もらせん回転しながら銀河のまわりをまわっているんだよ。そのまわっている太陽のまわりを、地球も1年かけてまわりながら宇宙空間を移動しているんだよ!わかるかな?

かのこちゃん:
へ~~!

ピトピ:
面白いでしょ?それで天の話に戻すとね、(指で丸をつくりながら)この空間に1箇所、点があるとすると、この点はたった7分で宇宙空間に出てしまうんだよ。つまり、地球が地球1個分移動するのに7分かかる。だから、7分経つと、その場所は宇宙空間に出てしまうんだよ。わかるかな?

かのこちゃん:
うん。なんとなくわかる。

ピトピ:
宇宙空間というのが天でしょ?上は空というけど、空の向こうは全て宇宙空間なのだから。

かのこちゃん:
本当だね!

ピトピ:
それでね、ブラジルの人たちが言う天が、日本の人たちの言う天の逆になるのは、わかったよね。だから、地球以外の世界は全て天なんだよ。そして、1箇所のこの点も宇宙空間。天も宇宙空間!だから、そこらじゅうが天なんだよ。ということは、地球も含めた全てが天ということになるんだよ!

かのこちゃん:
面白いね!

ピトピ:
人間は、その世界の中に生きているのに、そういったことを全く考えないから、色々な物を自分の物だとか言うんだよ。でもこれは、本当は誰の物でもない、宇宙の物だよ!それを、人間たちは自分の物だと主張したり奪い合ったりしているのだから、変な生き物だよ。それなら、地球を止めて、「ここは僕の物だ!」と自分の物と主張する場所を固定してみたらいいんだよ。そんなことは出来やしないから。
たとえば、「私の人生」という表現をするでしょ?かのこちゃんは12歳だったね。

かのこちゃん:
うん。

ピトピ:
「12歳の私が今の私よ!」と言ったところで、生まれたときのかのこちゃんと今のかのこちゃんは全く違うでしょ?これはね、この世界に生きるということは、一瞬でも同じ状態ではいられないということなんだよ。全ては変化し続けているのだから。なのに人間は、今の自分を指して、「私は」と言うんだよ。でも本当は、「私」なんてないんだよ。いつも変化しているのだから。

地球も宇宙もそうだよ。二度と同じところに行かない旅をしている。そういう中で、人間は生きている。
生きることの中には、ご飯を食べるとか、眠くなったから寝るとか、夢を実現するとか、色々あるでしょ。でも、それを本当に自分の考えのもとにやっているのかといったら、違うんだよ。それはお腹が空くから食べているだけのことで、それ自体は体の機能だから、自分の意志ではないんだよ。それから、眠くなったから寝るというけど、あれは地球が回転して自分のところに太陽が当たらなくなるから、寝るように創られているんだよ。それは、太陽と地球の仕組みだから、自分の意志ではないんだよ。
だいたい、人間が自分の意志で生きている要素なんて、本当は、この世界に何ひとつないんだよ。

かのこちゃん:
本当だね!

ピトピ:
そういったことを人間はよく知らない。でも、そういったことがわかってくると、人間の心が大きくなって、自分がああしたいこうしたいという心が消え、細かいことで悩まなくなる。そうすると、普通の人間が気付かないような智恵が湧いてくるようになるよ。小さなことで悩んでいる人に対して、アドバイスも出来るようになる。

だから、かのこちゃんは今学校に行っていないけど、心を大きくするそういった勉強はしなければいけないよ。ただお腹が空いたから食べて、自分の興味のあることだけをして一日が終わり、そうやって年を取っていくことも出来るけど、大事なのは心を学んで、自分を成長させていくことなんだよ。
勉強というのはね、そういった心を大きくするための土台になるものだから、色々なことを知れば知るほど、その知った分だけたくさんの智恵が湧いてくるんだよ。だから、勉強はたくさんしたほうがいいね。今の学校の勉強は知識を詰め込むだけで、智恵が湧いてくる勉強ではないから、学校に行きたくなければ行かなくてもいいけど、それでも色々なことを知らないと、人間のスケールは大きくならないからね。それでは、僕のように面白い宇宙の話をすることも出来ないよ♪

かのこちゃん:
とても面白い話だった!

ピトピ:
これからの時代は、今までのようなお金や物だけで豊かになろうとする時代ではなくなってくるんだよ。人間たちが地球上で狭い枠の中で考えているところから、これからはもっと広く宇宙全体のことを人間が考えていく時代になる。新しい時代が来るんだよ。
あなたのような新しい時代を生きる考えを持っているユニークな人が、もっと生き生きと社会を創っていくようになると、未来に希望が持てるね。あなたの夢は皆が幸せになれる理想の世界を創ることなのだから、これからきっと、新しい時代に貢献していく人になる。

ただ、これから訪れる時代で問題なのは、今まで長い間人間たちがわがままを地球上で表現してきたでしょ?だから、環境にしても、政治にしても、経済にしても、医療にしても、色々な問題がさらに起きてくる。これから台風もますます強烈になってくるし、集中豪雨も激しくなってくるでしょ。だから、その環境では食べ物を作っていくこともたいへんになってくる。そこでは、みんなで助け合わないと生きていけない時代が来るよ。今までのように、みんなが競争し、バラバラに生きていたら、地球環境はもっとひどくなる。
だから、これからはそういった生き方をやめる人たちが現れてこないといけない。それで、あなたのような人が必要とされ、今の時代に生まれてきているんだよ。でも、まだわがままをやめられない人たちはお金を追い求め、対立したり、ひどいことに戦争までしている。

だから、あなたのような人たちが新しい時代を切り開いていってくれたら、誰もが豊かに生きられる世界が訪れるということだ!新しい時代をあなたたちに任せたら、希望が湧いてくるね!

さよなら、さよなら、さよなら♪
 
 


今をどのように生きるのか~防災デーにあたって

木の花ファミリーでは、毎月満月の日を「防災デー」として、電気やガス、水道を極力使わずに釜戸や自家発電機を活用しています。今月は、1ヶ月間の真学校受講生たちにも防災ワークショップを体験してもらい、講座の中でいさどんは以下のように語りました。

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防災というと、人によっては恐怖をイメージするものですが、地球の歴史から観れば、たとえば生命の大量絶滅は過去に何回もありました。それは古いものを壊し、新しいものを生み出すきっかけになってきました。私たちは、人生を生きていく上で色々な出来事や困難に出会いますが、そういった困難は自分たちの今までの在り方を振り返って、新たな人生に出会うチャンスでもあるのです。ですから、地球規模で私たち生命の存在を捉えれば、それは決して悪いことばかりではないのです。

ただ、人間は今の自分に囚われ、今の状態を維持したいと常に思うわけです。維持したいと思うと、自らにとって恐怖に思う出来事が起きようとすれば、それを避けようと考えるものです。しかし、世界はこれまで一度も止まることがなく、変化・変容・変態を繰り返しています。そして、私たちも常に新しい世界を生きているのです。すべての生命が古い自分を捨て、新しい自分に出会い続けているのです。

そういったことから考えると、防災という考え方は現状を守りたい心で成り立っているとも思えます。しかし、時代は変わり続けていくのですから、何かが壊れていくということは、新たな時代の幕開けにつながるということです。今の世界情勢を観ると、地球上での人間の営みが飽和状態になってきているので、危険信号とも取れる様々な自然災害が起きようとしています。そういった災害は、これからも現実に私たちの身近なこととして起こり続けるのです。

まず、地球温暖化から来る気候の変化は、確実に今後食糧難を引き起こします。人々の考え方や生き方を変えていかないと、それは極めて身近な現実となります。しかし、今考え方を変えても、すでに今までのツケがこれから現象として現れてきますので、ある意味手遅れでもあるのです。

そうすると、それに対して私たちはどのように考えたらいいのでしょうか。
今から全てを変えてそれに対処することはできません。しかし、その必要はありません。つまり、その都度私たちはどのようにしていけばいいのかを考えていけばいいわけですし、そのような対応しかできないのです。

その時に、自分さえよければいいという「我先の心」は、奪い合い殺し合う世界を創ります。本来の日本の大和の精神は「和」の心です。「大和」とは、「大いなる調和」を意味します。その和の心があるからこそ、日本で災害が起きると、人々はつながり助け合うようになり、世界からもそういった精神を非常に評価されています。それとは逆に、海外では災害が起きるとここぞとばかりに奪い合う事件が起こっています。
ですから、大和の精神はこういった時にこそとても重要なものであり、私たちが日本人でいることの意味があると思うのです。これから、地球上で災害が頻発する時代に、そういった心を私たち大和民族は発揮する時が来ていると思います。

それと同時に、人間はこれまで物理的な豊かさを求め過ぎてきたがために、対立の世界を創ってきました。そういった世界が災害によって壊れるということは、新たな世界を創りなさいという人類に対してのメッセージでもあるのですから、広い世界観があればむやみに恐れる必要はないのです。
これまで蓄積されてきた地球上のプラスのエネルギー(破壊のエネルギー)は、いずれ現実に私たちの前に現れてくることでしょう。ただ、その恐怖を煽って、どこかに誘導しようとは思いませんし、そのように考えてもいけません。やはり、一人ひとりがそのメッセージの意味をよく捉えることが大切です。

私たちは一人ひとり生きています。蜜蜂の世界では、一匹の蜂が生きるということは、何万匹の蜂の生命をつないでいくことです。それは私たち人類も同じであり、生きるということは、自分が生きると同時に、人類という生命を次の世代へつないでいくことなのです。そこで自らを主張したところで、46億年という地球の歴史からすると、それはとても微細なことです。

そこで私たちが問われるのは、自分自身が今まで生きてきた結果、次へ何を伝えたのかということです。生きてきた結果、死を迎える時に、充実した人生だったと思うのか、それとも結局自分本位に生きて自らの価値を下げたのかが、問われると思うのです。

これまでの人類の在り方のように、ただ、物理的に生きて、物理的な喜びのもとに存在しているようでは、これから来るであろう困難は恐怖にしかすぎません。しかし、本来生きることはそうではないはずです。物理的なことを超えて、私たちがこの世界を創る一部であり、歴史の一部分を紡ぐ者であることに気付く時がいよいよ来ているのです。
私たちの実態は魂であり、そこに肉体が形成され、その器の中に魂が生きています。肉体は終わっても、魂は残ります。それがまた何かの縁により、この世界に生きるとしたら、今の時代を生きることは自分の未来を創っていることにもなります。

このように世界観を広げていけば、今をどのように生きるのかによって、未来の自分に何を与えるのかが観えてきます。そして、それはこの三次元の世界でも、今をどのように生きるのかが、自分の子供や孫だけではなく、全てのいのちに影響を与えているのです。そのような捉え方をしたら、人間の生き方自体が変わってくるはずです。その時に、私たちは新たな時代を観るのでしょう。今をどのように生きるのかが今、一人ひとりに問われる時代が訪れています。

防災デーにあたり、ただ危険が来るからそれを避けて通るという表面的な狭い視点ではなく、ぜひ広い世界観を持つきっかけにしてもらえればと思います。

そして、それは死生観にもつながります。死は必ず訪れるものなのですから、気持ち良く生きて潔く旅立っていくことができるのです。
ただ災害を防ぐだけが防災ではありません。防災を考えたときに、やはり日々の生き方の姿勢を自らに問い、そして時代と共に問うていくことが大切だと思います。


正直には段階がある

ただ今開催中の木の花塾「1ヶ月間の真学校」の講座の中で、いさどんが受講生の地球暦を紐解いていく時間が持たれました。その中で受講生のあわちゃんが、「地球暦では直観の惑星である水星が大事だと以前いさどんが言っていたと思うのですが、それについてもう少し詳しく教えて下さい」と質問しました。それに対し、いさどんは次のように答えました。

*一つ前の記事「正直・素直・信じる」もぜひご覧ください。

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直観は、思考をしないで湧いてくるものです。そして直観には2種類あり、自らの内(本質・潜在意識)から湧いてくる直観と天から降りてくる直観があります。カタカムナ的には天から降りてくる直観を受け取り活かしましょうと言いますが、人には内から直観が湧いてくる仕組みもあるのです。「あの人は嫌だ」とか「この人は信用できる」という直観は、自らのカルマが反応している直観であり、これは正直な心につながります。つまり、直観が働いている人は正直だということです。ですから、どのような時でも直観で受け取ったことを素直に表現すれば、まずは正直者であることになります。

ところが、正直にも種類があるのです。そして、正直の種類をチェックできる直観は、天から降りてきます。広い世界観から降りてきた直観は、自らの正直の中身を吟味できます。しかし、自己中心的な人によくあるのは、内から湧いてくる直観を「これは直観だからいいのだ」と考えることです。それは正直ではあるのですが、正直でも自らの癖から生まれたものは振り返らなければいけない場合があるのです。

例えば、受講生のよしてるくんの場合、直観人間なので良いこと(正しい判断)に気付くのですが、自分がやれていないのに人にはそれを伝える傾向があります。そこで、「あなたは人にはそのようなことを言いますが、自分を観ていますか?」という直観が天から降りてくるようになり、それを受け取ったら、バランスの良い人になれるのです。

僕は人生に行き詰まっている人たちに対して、「始めは何でもいいですから、自分らしく正直になりましょう」と伝えます。その後にそういった人たちは、「解放されて良かったです!良い出会いでした!」と言うのですが、そのままでいたら単なるわがままな人になってしまいます。そこからどのように自らをコントロールしていくのか、という次の段階があるのです。しかし、現代のプラス型社会の「楽になればいい」という発想の世界では、そういったことを緻密に吟味していきませんから、それで終わってしまいます。

いずれにしても、「あの人は嫌だ」という想いであっても、正直であれば真実なのです。それをまず正直に出して、まわりの人から「それはあなたの独りよがりだろう」という話になって返ってきたとしても、それは良いことなのです。そこで自らの独りよがりに気付けるのですから。そこで正直を出さないでいると、自らの独りよがりの心をチェックできません。ですから、まずは素直に正直を出すことが大切なのです。それをまわりの環境は手助けしてくれているのです。

そして、心を磨いて広い世界観が身についた時に、自らの内から湧いてくる正直な想いを、天から降りてくる直観で自らチェックできるようになります。それは天と地がつながっている境地です。

ところが、その段階まで至っていない人は、宇宙の法則に基づいて自らの心を正していくためには、まずは勇気を持って正直を出すことが大切です。出すことによって、まわりの皆(全ての環境)もある意味天の存在なのですから、皆からチェックしてもらいながら正すことができるのです。その時に、自らの世界観が狭いと、皆が伝えてくれたことを受け取れません。ですから、広い世界観のもとに、皆の意見も受け入れられる広い素直な心を持つことが大切なのです。そのように主観と客観の整合性を取っていけば、人は無限に成長していくことができるのです。

今まで僕は沢山の人たちのカルマや地球暦を観てきましたが、人はとかくそれを自らにとって都合の良いように思いたいものです。しかし、事実は他者からの目です。さらに、事実は自分がそれまで生きてきた人生そのものに現れています。そこを紐解くためには、自らの主観から来る思惑で見ていては絶対に観えてきません。ですから、カルマ読みや地球暦の己読みは、自らの主観を手放し、客観と主観を折り合わせながら観ていくことが大切です。そのためにはとても優れたツールです。
ただし、こういったものを本当に活かすためには、自らを正しく観る覚悟がいるのです。
  

木の花塾の講義資料より
木の花塾の講義資料より

  
 


正直・素直・信じる

木の花ファミリーには「正直・素直・信じる」という言葉があり、メンバーは日々の暮らしの中でこの3つを実践することを大切にしています。
この「正直・素直・信じる」とはどういうことなのか、自然療法プログラム卒業生のよしてるくんがいさどんに質問をしました。その時の回答をご紹介します。

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「正直・素直・信じる」の「正直」は、まず自分のありのままを表現することです。正直は一つしかありません。ですから、正直を言うのはいつも簡単なことです。正直が複雑にある時には「複雑にあります」と言えばいいだけですし、正直がいくつかある場合には「いくつかあって、これとこれとこれです」と言えばいいので、結局正直は一つだけなのです。
ところが、ウソをつくとその中身は沢山あるのです。まず一つウソをつくと、それがバレそうになったら次のウソをつき、また次のウソをつく・・・とずっとウソをついて生涯ウソをついていくことになります。その場合は頭をすごく使うことになるので大変です。ウソつきほど頭を沢山使っていますし、詐欺師はある意味大変能力が高い人たちです。その能力をまっとうなことに使えば、よっぽど世の中の為にも自分の為にも良いでしょう。それにひきかえ正直はただありのままを言えばいいのですから、全く頭を使わなくてもいいのです。

そこで、正直を言う時に、もう一つセットで必要なものがあります。それは「素直」です。素直な心がないと、正直は出てこないのです。
素直は素に直る。素は元という意味です。その元はどこにあるのかというと、この世界の元です。この世界の元は宇宙原理ということにもなりますが、自分の中にある良心のことでもあります。それは自分を創っている一番元の心です。それに直るということが素直ということで、素直に合ったこと、つまり内にある駆け引きや思惑のない言葉を伝えることは、仏様の心を持っていることになります。人は、このような心を表現する人を憎みませんし、攻撃もしません。仮にその人が間違っていても、代わりにまわりの人がかばってくれるのです。こういう人を徳のある人と呼びます。

ところが、普通の人が正直に素直に生きようと思っても、それはなかなかできません。「この人はこういう人だ」と思っても、「そんなことを言ったら、逆に叱られてしまうのではないか、自分が損をするのではないか」と余分なことを考えてしまうのです。そうやって自分の損得を考え、相手の想いを自分の中で勝手に膨らませて、正直を伝えずウソをつくのです。
そうすると、本当に正直になるには勇気がいります。勇気がいるということは、やはり信じていなくてはいけません。その信じる時に、ほとんどの人は条件付きで信じようとするのです。「これをしたら自分が良い思いをする」とか、神社に行って「ご利益をもらえるのなら信じる」と思っているのです。

しかし、信じるということは、わかったらやるとか、約束をしてくれたらやるということではありません。わからないけれどやる、というのが信じることなのです。木の花のメンバーも、一体全体自分たちがどこへ向かっていくのかわからなくても、大事だと思うからこれまで歩んできたというのは、信じる心があるからです。
つまり、信じることは、素に戻る、常に変わらない自分の大元に自分が直ることです。正解がどうなのかや、行く先が良いのか悪いのかはわからなくても、ただ正直に素直に生きていくことが、信じる心のベースにあるのです。信じる心ができると、勇気が湧いてきます。そうすると、とてもたくましく生きていくことができます。それは覚悟ができているということでもあるのです。

そうすると、知意行の元の心である決意ができて、それで人は道が開かれていきます。カタカムナでは「知意行一体」といって、知は知ること、意は決意すること、そして行は行うことです。その三つが一体でないといけないのです。そのためには、最初に知ることが必要になり、その知る内容によって決意するレベルも変わってきます。
そこで、まずは何を知るか。次に、知ったことに対してこれは大切なのだから行じていこうと決意し、行いになるのです。そうすると、人は言行一致の人になります。言行一致の人は言ったことを行うのですから、これを正直な人生というのです。言ったことをやらなかったり、思っていても出さないというのは不正直であり、知意行一体にならないのです。
この知意行全てをマスターした段階に至った人は、ものをグルグルと考えなくても、直観で物事を判断できるようになります。ですから、知意行一体の後に初めて直観が湧いてきて、考えるよりも鋭い気付きが湧き出してくる人になるのです。

同じように、正直・素直・信じるは三位一体なのです。一つずつではダメなのです。正直と素直と信じるがセットになって、初めて意味があるのです。

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*このお話は、現在開講中の木の花塾「1ヶ月間の真学校」受講生たちにもシェアされました。
まだ始まって1周間だというのに連日連夜ドラマが起こり、受講生たちが変化し続けるとってもディープな「1ヶ月間の真学校」の様子はこちら!
ブログ「1ヶ月間の真学校@木の花ファミリー」

「1ヶ月間の真学校」受講生のみんな
「1ヶ月間の真学校」受講生のみんな

「みくさのみたから」との出会いから

先日、楽しく健康に人生を生きる術と言われる「みくさのみたから」を学んでいる方が木の花ファミリーを訪れました。その日はちょうど木の花ファミリーのどんど焼きの日と重なり、みんなが集まるちょうどよい機会だからということで、その方の指導のもとにみくさのみたからの一部を体験しました。
その日の夜、「木の花でもみくさのみたからを取り入れてはどうか」というその方からの提案に対し、いさどんはこう答えました。

みくさのみたからを体験するメンバーたち
みくさのみたからを体験するメンバーたち

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おそらく、あなたは今、みくさのみたからに関わり始めたばかりで、新鮮に感じているのだと思います。けれども、それはまだ憧れている状態で、その本質をわかっていません。
そういう時、人はその出会ったものに囚われるようになります。しかし、それを手放した時に初めてその本質がわかるのです。

ではそれを手放すのはいつかと言うと、もっと深く関わっていった時です。みくさのみたからがこの世界にもっと広がる時に、社会から抵抗が出てくるかもしれません。または、自分が広めようとした時に、その自分自身の問題点によって抵抗を生じさせるかもしれません。
そこでいろんな波が起きて、それをどうやって乗り越えようかという時に、あなたの人格が出てくるし、みくさのみたからとの本当の相性も観えてきます。今はまだ、そういうことをわかっていない状態です。

あなたは出会ったばかりの新鮮なものを一生懸命伝えようとしていますが、僕たちはそういうことはしないのですよ。それはどういうことかというと、伝わる時には伝わる。その「時」は、時代が運んできてくれるということです。
どんなに自分が伝えようと思っても、それがふさわしい時でなければ伝わりません。それは自分ではなく、天がやるのです。
DSC_0331自分がやりたいと思ってやることは人間の世界のことで、それが時代と合っている時はいいのですが、そうでなければ無理が生じることがあります。
今日、みんなでみくさのみたからをやっている時に、目を閉じ口を開けて歩きまわる大人たちの様子を見て、子どもたちが怖がっていました。それも、今の一つの答えだと思うのです。

今、みくさのみたからはすごい早さで広がっているようです。ということは、浅く広がっているとも言えます。つまり、人格として充分でない人たちが一生懸命になっている。浅く広がったものが深く掘り下げられるときには、負荷がかかります。それは、これから観ていくことです。
僕はみくさのみたからとも出会ってみる必要があるなと思うと同時に、ちょっと距離をおいて見ていくべきだとも感じています。

我々は、何も拒みません。けれども、誰かの「これを広げたい」という心に出会った時には、冷静にそれを見極めます。これまでにも地球暦やカタカムナとの出会いがあり、今ではどちらもしっかりここの暮らしに浸透しています。だからみくさのみたからも浸透するかもしれません。ただ、その「時」が来ていないのに無理にやるのは不自然だということです。

富士山には頂上があります。そこへ行くためには、登山道がいろいろあるでしょう。我々の道は、頂上へ行くために特定の手法にこだわることはしないのです。ヨガなど様々な瞑想や健康法がありますが、健康とは、自らの心の在り方の結果、ついてくるものです。

我々は、不健康もありがたいことだと捉えます。自らの心の歪みが病気を引き起こしたのだと捉えたら、病気は我々に、その歪みを教えてくれているのです。それを何かの手法だけで治すということは、その問題を理解することにはならないのです。

健康になりますよ、という名目で何かをすると、たくさん人が集まります。しかし、それでは本当の意味は伝わりません。
瞑想は日常生活の中でもできるのですよ。運転中でも、草取り中でも。今までの時代は、手法と知識的な学びが多すぎたのです。学びを生活に落としこむということをしてこなかった。何かを一緒に学んでとても仲のいいグループでも、生活は別々ですね。それがいいとか悪いとかいうことではなく、私たちとは登山道が違う、と認識しています。

みくさみたからの、口を開けて「あー」とやることはね、今の人間が自我をなくすということへの入り口としては良いと思います。おもしろい手法だし、きっと肩の凝りも治るでしょう。世の中にそういった手法はたくさんあります。
けれども、木の花ファミリーがやっていることは、特定の手法ではなく、意識で自らの問題点を理解し、目覚めていくことです。
きっと、あなたの学びも、目的地はそこにあるのだろうと思いますよ。