うつ病とは何か~後編

今回は、エリーといさどんとの対談第3弾「うつ病とは何か」の後編です。

エリー:
カウンセリングも含め、一般社会で行われている精神医療と
ここで行われていることとの一番の違いは、当事者と共に生活をしているという点です。
一般社会で当事者と付き合う時間は、
大体グループという形で1ヶ月に1回というのが最大限度ではないかと思うんですね。
あとは、個人のカウンセリングだと、多くても2週間に1回くらいで1時間というのがせいぜいです。
しかも費用は高いわけです。

今振り返り、木の花の実践を観ていて一番の特徴は、その人がここに滞在しているということです。
それが通常の社会ではありえないことで、ここではそれが基本的な体制として取られています。
生活を一緒にしながらその人を観ていくという環境が前提になければ、
今いさどんがおっしゃったような、
具体的な本人の人柄にアプローチしていくという方法で効果を得るのに、
1ヶ月や2ヶ月ではまず不可能だと思います。
しかし、その不可能がここでは可能だということです。

通常、その人の背景に家族関係や親子関係の問題があるとか、
夫婦関係の問題があるということを感じられても、まずそこに触れません。
それはその人の問題であり、本人が話題にするのであれば別ですが、
通常のカウンセリングや相談業務ではまず触れていきません。
触れられないというのが多くの現状だと思います。

それが、ここではストレートにその問題に入り込んでいく。
それが通常の社会ではありえないですね。
これが出来るのも、生活を共にしていくという前提があるからだと思います。

24時間体制の大きなメリットは、外界から遮断されるので、
その人がある意味では特殊な環境に置かれる、ということが言えるのではないかと思います。
外界から遮断されることが不健康だということではなく、
健康な環境の中に置かれるからこそ、その人が潜在的に持っている精神性が
引き出されやすい状態に自然に置かれているのではないかと感じます。
そのことによって、もちろん気づきもその人の中に生まれてくるのだと思います。

食の問題や睡眠の問題、また薬の問題も含め、
24時間滞在させるということが、通常ではありえないここの大きな特徴だと思います。

私はこのことが色々ある効果の一番の基本だと思うのですが、
いさどんは最初からうつ病や精神的な病にはそういう体制が必要だとお考えになって、
こういったケアを始められたのでしょうか。
また、そういう体制が果たす役割についても、少しお話ししていただけますでしょうか。

いさどん:
私は治療者ではありませんし、当然医師ではないわけです。
私は今まで30年にわたって、社会のトラブル、特に家庭内のトラブルの相談に乗ってきました。
家庭というのは誰もが持っているものであり、
独居で暮らしている人も一人の家庭を構成しているわけです。
そういった場所で発生した問題の相談に乗ってきました。
相談に乗りながら問題事を解決していく中で、
人の「心」が原因となって、色々な問題を引き起こしていることに気がつきました。

ですから、治療者として、うつ病について特別な意識を持っていたわけではありません。
人々が健康で幸せな日々を送っていくということを、
問題事、特に家庭の中から捉えてきたということです。
家庭というのは24時間共に暮らす場ですよね。
昼間働きに行ったりすることもありますが、
基本的に生涯共に暮らす場ということです。

家族の中では、プライバシー的なことも全て分かち合い共有し合うことが原則であるわけです。
しかし、核家族化が進み、人の価値観が多様になっていく中で、
そういったことがだんだん希薄になってきました。
それがまず、うつ病に限らず様々な問題を発生させ、
トラブルを引き起こしてきた原因になっていると思います。

ですから、今の医療では、色々な症状の背景にあるものを別々なものとして捉えてしまうことが、
根本的な問題解決から遠ざかっている要因だと思います。
うつ病一つをとってみても、何が原因で起きてきたのかということを遡っていくことが大切です。
どのあたりから心の組み違いが起き、バランスが崩れ、現在に至っているのかということを観ていき、
その原因を捉えることが根本的な治癒、その問題を解決することにつながるのだと捉えています。

家庭内のトラブルや人間関係を観ていった時に、
結果として引きこもりの人がいたり、引きこもりがうつ病になっていったり、
それがさらに深刻になって大きな問題を引き起こしている場合もあります。
そして、当然そこには心の仕組みの方程式があるのです。

例えば、家族間の心の組み合わせによって、
そこにはいつも同じような結果を引き起こす仕組みがあります。
その仕組みの中でいくら話し合い、いくら悩んでも、
原因を起こしている仕組みが理解されなければ、
根本的な問題解決にはならないということがわかってきました。

そこで、客観的に自分の姿を捉えるために環境を変えるということです。
環境が変わると、過去の自分がいたところを客観的に観ることが出来ます。
ですから、ここでは冷静に、過去や現在の自分を振り返る作業が可能です。
過去の状態の自分を、今の自分が振り返るということです。

当然環境が変わっても、その人の心の癖というのは日常の生活の中に出てきます。
私の姿勢としては頻繁にカウンセリングや面談を行うのではなく、
その人を眺めるというスタンスをとっています。
大体最初の1週間くらいは何も声かけをしないで、眺めているわけです。

そうすると、その人はここの色々な人たちと接する中で心の癖を出していきます。
私はそういったことに対して、その人の心の傾向を観ていきます。
そのことによって、その人にはどのような心の癖があり、
どのような心の偏りによって今の問題に行き着いているのかということを捉えていきます。

そういう作業を最初の1週間くらいしていきます。
その後は1週間から10日くらいの単位で面談をしながら、
こちらから観える情報を本人に伝えていくという作業をするわけです。

初めてここを訪れた時には、今までの環境から来るその人の心の癖がありますが、
1週間経てばある程度変わります。
その変わった心にさらに情報を提供しながら視点を切り替えていく、ということを行っていきます。

よくあるのは、今までの環境でついた癖、心の状態から考え、
「こういった環境でやっていけるのだろうか。
ここで心がパニックになった時にどうしたらいいのだろうか」と最初に考えてしまうことです。
しかし、それは今までの環境で起きてきたことを元にして、本人は不安になっているのです。

ところが、ここでの新しい環境で1日経てば、1日分違う人がいるわけです。
1週間経てば1週間分違う人がいます。
環境が変わって、今まで観えていなかった新しい情報をもらうわけですから、
そこでは考えがもう既に変わっているわけです。
ですから、「1日経ってから考えましょう。1週間経ってから考えましょう。
そして、1ヶ月経ってから考えましょう」と伝えます。

そうやって、今の心で未来について考えないということです。
常にその時の材料でその時の自分の心を捉えていくことが大切です。
それをここでは「現場合わせ」と言います。
そういった捉え方を勧め、新しい自分を見出していくという作業をしていきます。

癖で悲観的に捉える人に対しては、ポジティブに捉えられるような代替案を提供していきます。
逆に、楽観的に捉える人に対しては、慎重にものを捉えるようアドバイスしていきます。

さらに、私が代替案を提供するだけではなく、
ここには色々な人たちがいることによって、色々なものの捉え方があるわけです。
また、その人と同じようなトラブルを持っているケア滞在者もいます。
そういった人たちの姿勢に出会うことにより、悲観的に自分と重ね合わせるのではなく、
他者の客観的な状態を見て自分と照らし合わせ、
自分の状態を判断するのに役立てることが出来るのです。

ここでは一緒に生活しながら、みんながお互いを見合い、心を許し合い、自分を表現していきます。
さらに、色々な他者からの考え方をもらいながら、多角的な考え方を育てていくことが出来ます。
こういった取り組みは、一般医療の中ではなかなか難しいですね。

例えば一般医療は産業ですので、仕組みとして時間的な問題もありますし、
共に暮らすということも難しいものです。
しかし、例えば家族からもっと詳しい情報を聞き、その人の心のルーツや歩みを体系的に理解し、
アドバイスを提供するということは出来るのではないでしょうか。

それから、ただ症状を薬で抑えてコントロールしていくということだけではなく、
言葉かけをすることによって、薬と同じような効果を提供することが可能です。
ここでしていることには、薬のような副作用がありません。
副作用があるとしたら、先程エリーの質問にあったように、
「責められている」と相手が感じるということですが、
これも受け取り方をしっかりすることによって、それは責められているのではなく、
「客観的な情報を得ている」と捉えることで解決出来ます。

当事者も、こちらからの情報提供を善意に受け取る姿勢が大切です。
悪意に受け取る人には治療的効果は得られません。
お互いの信頼関係をまずつくるということが大切で、そういったことにもここでは努めていますが、
あくまで善意が根本にあることが前提になります。

病気でも何でも「旬」というものがあるのですが、
エネルギーからすると自分が今トラブルを受ける必要がある人、
つまり、今の段階で自分に負荷をかける必要がある人はここで治るのは難しいです。

負荷がある程度かかってうつの状態に行き、そして今度はうつから学びの段階があります。
その学びの段階において、ここでの取り組みは有効だということです。
人生というものを通して色々な気づきを私たちは与えられているのですが、
気づく必要があるところまで負荷がかかっていかないと、私たちは気づけないのです。

そうすると、今問題を引き起こす段階になっている人に、いくらアドバイスをしても聞く耳を持ちません。
そういう人は自分流に走っていきます。
アルコールに依存している人に、「ダメだよ」といくら言ってみたところで、
それはその人の意志ですから、そういったエネルギーを消費するためには、
そのような行動をする必要があるのです。

そして、トラブルが起きて苦痛を感じ、学ぶ段階で初めて、自分を振り返ることが出来るものです。
そのタイミングで声かけをします。その声かけのタイミングが大切ですね。
治療的タイミングを失わないような注意が必要です。
それが遅れすぎてしまうと、回復に時間がかかります。早すぎると効果がありません。
そこを見極めて適確なる対処をすることが大切です。

先程も触れましたが、問題が起きるということは、
まわりの環境と本人の内面の両方を表現しているわけですから、
その原因を知って解決するためには、その症状は起きなければなりません。

つまり、問題事というのは問題事ではなく、
問題事を引き起こす原因があり、それを解決するための糸口だということです。
そういう意味で捉えると、問題事は良いことになります。

世の中には沢山の問題事がありトラブルが沢山起きていますが、
それは物事を改善するための大切な要因であって、
そこに気づいて学習していけば、どんなことでも前向きに捉えることが出来ます。
それは病気でも社会の問題であっても同じことです。

医療の現場では医療だけを考え、
症状的な病気を治すということだけに偏っていると思うのですが、
うつ病はこの世界にある色々な問題事を解決するための大きな糸口になると考えています。
元々私はうつ病を解決するためではなく、30年前から家庭内のトラブルの相談に乗り、
世の中の問題事の解決の糸口のために、こういった考え方を元にした暮らしを始めました。

それともう一つ、病気は治療することだけが良いばかりではありません。
病気の元になる原因があるから病気が起きるのであり、
その場合、病気は起きなければいけないこともあるのです。
問題事を解決するためには、病気を起こすことによって、
そのことをきっかけに学ぶことが必要となるのです。

まだそのことに気づいていないのに症状だけを治すということは、
表面の問題だけを解決することになります。
そうすると問題の種は常に残るわけです。
これは宗教でも医療でも、裁判のような訴訟でもそうですが、
根本的な原因を解決せず現象だけを解決するだけでは、また新たな問題の種を残すことになります。
これは全てのことに共通することでもあります。

そうすると、社会には問題事がいつまでも蔓延し、
良い世の中がいつまでも来ないということになります。
お医者さんは病気によって自分たちの生活が維持され、医療産業が支えられていきます。
宗教も人々が迷うことによって巨大な組織が成立し、経済が賄われています。
さらに、人のトラブルや対立が訴訟産業をつくり、経済的効果がもたらされていきます。
問題事は経済の維持のためにあり、あり続けることが大切になり、
問題を生産し続ける世界がそこにはあり続けていきます。

こういったことは、根本的な人間の質、社会を改善する窓口だと捉えていけば、
家庭内の問題も、医療や宗教など色々な問題をホリスティックに捉えていくことで、
そういった問題事の基本が見えてきます。

その中の一つとして、今回うつ病を取り上げているだけのことです。
ですから、うつ病の解決には全てのことが関係しているということです。
問題の一つとしてのうつ病から、社会病理が観えてきたのです。

例えば大学の学問でも「○○学部」という区別をしていますが、
医療だけで物事を観ていていいのでしょうか。
教育だけでものを観ていっていいのでしょうか。
政治だけでものを捉えていいのでしょうか。

総合的にこの世界を捉え、人とは何であるのか、自分とは何であるのか、
生きている目的は何であるのか、人はなぜ生まれてきて何の目的で生き、どう死んでいくのか、
全てにつなげて観ていくことだと思っています。
そういった体験から学んでいくことにより、木の花の取り組みが生まれてきたのです。

エリー:
歴史的に言えばそれが哲学や宗教学だと捉えられ、学問の基礎であったと思うのですが、
同時に物理学が学問の基礎となっているという経緯もあります。
確かにいさどんがおっしゃったような、
人が生きる目的を考えることが学問の一番の基本になければ、
その上に重ねた物質的に偏った学問というのは、あまり意味がないのだと思います。

いさどん:
そうですね。学問というのは本来、
人が豊かに幸せに暮らし、良い社会をつくっていくためにあると思うのです。
しかし、社会の中にある色々な要素、例えば携帯電話にしろ、アルコールにしろ、
食べることでも、大学に行くことでもそうですが、
そういったものにコントロールされ自分で使い分けられないような状態になれば害が出るわけですね。
学問というものが本当の意味で、人々に良い人生をもたらすものになっているかどうかは、
疑問のところがありますね。

便利な携帯でもアルコールでも、依存症にもなります。
お金でも、お金を使っているのではなく、お金に使われているような人も沢山います。
そう考えますと、バランス良く自分に有益に使える人、
それが有益に浸透している社会が今後求められるということですね。
問題事が発生することにより、
企業などはそれをビジネスチャンスとして企業活動に利用していますが、
そういったことでいいのかということが問われてくると思います。

ですから、自分の前に現れてくる出来事を結果から原因、結果から原因と遡っていき、
最後に、私たちは何のためにこういった世界にいて、
何のために生きているのかという元のところへたどりつけば、
私たちが存在している目的により近付けるはずです。
そして、みんなで手を結べる社会が出来るはずだと思っています。

それをバラバラに捉えている状態では社会を混乱させ、
不安の種を飯の種にしていくような悪意的な社会が生まれます。
みんなが富を得て幸せを獲得しようとしているのですが、
人々の意志がバラバラになっているから対立や競争を生み、
そこで獲得された富がまた競争を生むという悪循環になっているのです。
そうやって、雪だるま式に原因をつくっては、GNPというカウントになって標示されているのです。

物質的なものを求めることに偏り、精神性がバランスを欠き、
社会に混乱をもたらすことでさえ豊かさであると錯覚した社会が出来てくるのです。
病気もそこの中の一つとして発生したものです。
私の捉え方から言えば、病気は心のボタンの掛け違いのようなものです。
自分の中から湧いてくる欲望の持ち方、その叶え方の間違いが、
病気を含めた全ての問題事を発生させていると捉えています。

エリー:
私はここに出会い救われた一人ですが、
世の中には医療関係者も含め、もっとどつぼにはまっている人が沢山いますからね。

いさどん:
もっと気楽に、「心のボタンの掛け違いだよ!」と笑いながら、
「バカバカしいことをやっていたね」と気づき、健全な状態に戻り、
真実に目覚めることが出来ればいいですよね。
そういった客観的な視点があれば、問題事から学び成長し、楽しめるものなのです。
人類も、もうすぐそういった気づきに出会う時が来るでしょう。
その時を楽しみに、この役割を果たしていきましょう。


うつ病とは何か~前編

今回は、「現代医療について語る」、「『治療』としての情報提供」に続き、
エリーといさどんの対談第3弾です。

エリー:
木の花では、特にうつ病のケアについて実績がおありかと思いますが、うつ病とは何か、
そしてなぜ木の花では治るのかについて、お考えのところを述べて下さい。

私見では、うつ病とは、木の花で言う心の癖や心の汚れにより、
精神エネルギーが大きく消失した状態と考えますが、
うつ病という心の病は自己責任として当事者が責められなければならない、
或いは乗り越えていかねばならないものなのでしょうか。
要するに、病気になっただけでも大変であるのに、
心の癖や心の汚れと言われることはあまりにも辛いものではないでしょうか。

いさどん:
まず、うつ病とは何かということですね。
うつというのは、陰陽で表わせば陰性現象の表われです。

生きていれば、健康な人でも朝起きた時にうつ的になっていることがあります。
何か自分の前に重い課題がある時には、積極的に前に進みたくないという感情が出てくるものです。
それは、天気にも左右されるものです。
晴れている時は気分が良く、雨の時には積極的にはなれないという傾向は誰にでもあるものです。

ですから、健康な人の中にも、うつ的な状態と躁的な状態、
また、その中間の安定した状態が繰り返し表われてくるものです。
うつ的に自己コントロールを失った状態が、うつ病と言えるのでしょう。

次に、うつ病の原因についてです。
うつ病の原因には、環境的原因と人格的(霊的)原因があるという捉え方をしています。

環境的原因というのは、その人の生まれた時からの環境のことであり、つまり、人間関係です。
親が子供に対してどのように接してきたのか、
夫婦の関係、兄弟との関係などが大きな原因になります。

人は成長するにしたがって、その人の人格にふさわしい人生を生きていきます。
親が与えたことや他者との出会いがその人の人生観や人格に合っていれば、問題は起きません。

しかし、親の発想で目的などを強く与えてしまうと、そこで問題が起きることになります。
陰性的な性質を持っている子供に対して、「こうなりなさい、ああなりなさい」と接すると、
子供は委縮してしまい、人の顔色を見て生きていくようなことにもなります。
陽性的な性質の子供に同じように接すると、
反発的エネルギーが出て、反発的行動をする人になります。

そうやって、子供時代に自分自身を十分に表現出来ずに育った人は、
大人になってからも子供時代を抜け出せなくなり、
発達障害のようなことになり、幼児的な大人になってしまうことがあります。

陽性的な性質を持っている子供であれば、
親の価値観で子供をコントロールし過ぎてしまうと、そこでは陽性的な行動が封印されますので、
大人になってからその幼児性が暴走的に表現されたり、
逆に陰性のうつ状態になってしまう人もいます。

そうすると、うつ病というのは陰的に偏ってエネルギーが表現されている状態ということになります。

このように、人は生まれながらにして、自分が育っていく環境をいただくわけです。
その環境は、自分がつくり出すものだけではなく、
まわりがつくり出したものの中に自分が生まれ、その環境の中で歩んでいくわけです。
人は、その環境に大きく影響されます。

うつ病だけではなく色々なトラブルを持っている人に私が出会うと、必ずすることがあります。
それは家族関係を確認するということです。
その人と両親の関係がどうであるか。親の夫婦関係がどのような状態になっているのか。
それから、その母親、父親はどのような環境で育ってきたのかということを、
その人の母親の両親、父親の両親の関係から見ていきます。

あとはその人とその兄弟がどういう関係なのか。
本人がどういう性質をしていて、
兄弟の中の長男であるとか次男であるとか、長女であるとか次女であるとか、
その人の魂に合っているような位置関係なのかということを見ていきます。
例えば、長男的性格でありながら次男に生まれてきたとか、
次男的性格でありながら長男に生まれてきたとか、そういったことも環境的原因になります。

さらに、もうちょっと広い環境、学校での対人関係や、
大人であれば成人してから現在に至るまでの人間関係も観ていきます。
そういった人間関係の中で、その人自身がどのような性格を表現しているのか。
その心の表わし方にどのような癖があるのか、を捉えていきます。

そういったことを観ながら、その人の心にどんな負荷がかかっていったのか、
性格的な表現をどのように使い分けてきたのか、ということを見ていきます。

さらに、一人一人には魂の形があり、それも捉えていきます。
私たち人間に限らずこの世界の生命というのは、
大部分のものが陰と陽、オスとメスという形で一対となり、新しい命を育むようになっています。

肉体的に男性は陽、女性は陰と捉えます。
私たちは肉体と魂、精神性を同居させながら生きています。
その精神の部分を陰、肉体を陽と捉えることも出来ます。
さらに、その精神にも、
男性的精神である陽と、女性的精神である陰とに分けることが出来ます。
肉体が男性でありながら女性的な精神を持っている人もいれば、
肉体が男性的であり、かつ精神が男性的な人もいます。
また、肉体が陰の女性であり精神が男性的な人もいれば、
その反対の肉体も精神も陰の女性という人もいます。

今まで話してきたのは、外的因子と内的因子です。
外的因子というのは環境から来るものであり、
自分に与えられた家族関係や人生を通しての色々な出会いのことです。
内的因子としましては、元々持って生まれた肉体的な原因と魂的な原因です。
そういったものが複雑に組み合わさり、私たちは生きています。

今までうつ病の人や色々なトラブルを抱えている人に出会ってきました。
傾向として大まかに分けることは出来ますが、
原因があまりにも複雑に絡み合っていますし、同じケースは一例もありませんでした。

ですから、そういった一人一人に対処するには、その人が問題に至った経緯を、
もつれてしまった糸を解きほぐしていくように取り組んでいくことが必要だということです。

うつを改善するため、そのもつれた糸を解きほぐす作業をする際に、私が心がけていることがあります。
それは、決してこちらから解答を出さないということです。
その人自身が自分の今の状態に直面し、自分の状態を正しく把握することです。
そのための環境を与えながら、気づきが生まれるためのサポートをしていきます。
決して治してあげません。

その時に、薬を飲んでいると精神が麻痺していますから、
なかなか自分自身を自覚することが出来ません。
ですので、まずは薬の影響をなくすという作業が必要になってきます。
ただ、本人の意志で断薬出来ない時には強制しません。
無理にすればストレスがかかってしまい、安定した精神状態に戻ることが出来ないからです。

自分の意志で薬をやめるまでこちらは待つ、という姿勢をとります。
本人の意志で薬を飲むのをやめられた時には、
薬の影響がなくなった状態というのがどういう状態なのかを感じてもらいます。
そうして、うつの状態が自分の中でどのように起きているのかに気づいてもらいます。
その気づきの積み重ねにより、根本にある原因から組み立て直していくわけです。

うつの状態になると色々な症状が現れてくるものですが、
医療ではそれに対して薬でコントロールすることになります。

また、一般ではうつ的に籠ってしまっている人が睡眠障害である場合は、
睡眠薬を与えて解決を図りますが、ここでは薬の効果に頼らず、
うつ状態の時にはそのままでいてもらいます。
睡眠がとれない時には体が睡眠を求めていないのですから、無理に眠ろうとしないことを勧めます。

ここでは薬の代わりに声かけをします。
籠っている人にはその人の気持ちがほぐれるように声かけをして、
前向きになれるような提案をしていきます。
その時に、その言葉を受け入れることが出来る人は、薬と同じような効果を得られるようになります。

薬の代わりに声をかけアドバイスをすることによって、薬と同じ効果を少しずつもたらしながら、
本人が心の状態を変えていけるような指導をして、
自分でうつ的な状態を乗り越えていけるように導いていきます。
そうやって、うつ病の原因を自分で捉えることが出来るようになっていきます。

また、本人にそういったことが難しい場合には、私やサポートチームが手助けをします。
木の花では前向きに日々を生活している人が多いので、
そういった人たちからヒントをもらいながら、うつから回復していく手助けにしてもらいます。
それが治療的効果であったり、薬的効果、カウンセリング的効果をもたらしていると考えます。

こういったことが、「心の免疫力」をつけると捉えています。

さらに、ここでは「農」的生活をしています。
朝、農作業に出て、昼間は太陽とともに過ごします。
うつ的な人が太陽に当たるということは、
陽性のエネルギーをもらうわけですから、陰性の病気であるうつ病回復に効果があるわけです。

それから、陰性のエネルギーが強い場合、大地のエネルギーと触れることによって、
それをアースして中庸に持っていくことが出来るという効果があります。
これは園芸療法でも言われていることです。

さらに、「規則正しい生活リズム」を回復していきます。
私たちは月と太陽、地球の3つの星の影響を受けて生きています。
その関係に基づいたリズムに合わせていくことが大切です。
うつ病の人は概ね、昼間眠くなって夜起きているという傾向が強いですね。
だから、たいていの人は睡眠障害が起きています。
自然の中で農的な生活をすることによって、崩れたバランスを取り戻し、
自然治癒力により健康を取り戻していくことが出来るのです。

また、「食」も大切なポイントです。
「人が良い」と書いて「食」と読みます。
食べ物には陰性の食べ物と陽性の食べ物がありますが、
食べ物を間違って摂ることも心身のバランスを崩す原因となります。

陰性の季節の冬に陽性の食べ物を摂る、
陽性の季節に陰性の食べ物を摂り体を冷やすのが、自然が与えてくれた健康なのですが、
陽性の季節に陽性の食べ物を摂ったり、
陰性の冬の季節にナスやキュウリ、トマトを食べたり、暖かい地方のバナナを食べたりすると、
陰性の体質が余計に陰性になるわけです。
そういう意味では、食べ物が精神性にも大きな影響を与えているのです。

それから、過剰に砂糖等の嗜好品を摂り過ぎると、
精神的に不安定になったりキレやすくなるということがあります。
ですので、食というものをしっかりと吟味することが大切です。
これは「体の免疫力」をつけるということです。

ここには、そういった様々なことをバランス良く提供出来る環境があり、
うつ病が総合的に改善される環境が用意されているのです。
うつ病に限らず、引きこもりや依存症、
家庭内や社会での人間関係に行き詰まっている人たちも改善される要素がここにはあります。

心の病気には、当事者が自分自身の心の癖が原因だと認め、前向きに取り組みたいものです。
そこを逃げてしまっては、治るということにはなりません。
しかし、そのことを責められるということではありません。
そのことを自覚し理解した上で、自分で立ち直ってくることが大切です。

それを手助けするのがこの考え方です。
「あなたの心の癖が原因していませんか?」というこちらの提案に対して、
日々うつ的に捉えている人にとっては、自己否定され責められていると受け取る場合もあります。
そこで責められていると捉えるのは、まだうつ的な病気の種がその人の中に残っている状態です。

あくまでも私たちが行っていることは、常に情報提供をしているということです。
うつ的な因子が沢山あるならば、その原因となる要素を情報として提供します。
その情報を客観的に受け取り、自分の中で整理し、
取り去っていくべきものを取り去っていき、残していくべきものは残していく。
そうすることで心のバランスが取れ、
さらに環境的な因子や過去のトラウマ的精神状態を取り去っていくという作業をすることによって、
うつ病が治っていきます。

心と体の免疫力をつけ、そういった問題を引き起こした環境的な原因を改善していけば、
病気の治癒には大変有効です。
親子関係が大きく影響している場合は、
ご家族に来ていただき、ご家族にもそのことを学んでもらいます。

それから、職場などの環境についても整えてもらうことが出来れば、
うつ病の種をなくすことにもなります。
問題の種を取り去ることも出来るし、そういった発生源をなくしていくという予防にも有効なことになり、
その結果学びが深くなれば、うつ病になることはまんざら悪いことではない、ということにもなりますね。

このように、物事には全て原因があって結果が生まれてきます。
ですから、うつ病という結果をもたらしている原因を捉え取り去っていくことは、
根本的な解決につながっていきます。

心の癖、心の汚れというのを癖や汚れと捉えることも出来ますが、
そういった様々な問題を引き起こしている種や原因と捉えれば、
それをきっかけに人間関係や社会の問題事を解決していくことにもつながっていくわけです。
そう捉えていけば、うつ病になることは社会の様々な問題を解決する糸口にもなります。

うつ病の捉え方と、なぜここでうつ病が治るのか、
治るために何を提供しているのかということについて話をしました。

また、エリーの私見として、「うつ病とは精神エネルギーが消失した状態」とありましたが、
人間は一人一人エネルギーを持っています。
生命エネルギーを沢山持っている人もいれば、少ない人もいます。
その使われ方に問題が起きている原因があると捉えています。

例えば、0℃で1ccの水をマイナス10℃に持っていくのと
プラス10℃に持っていくのに必要なエネルギーを比較してみると、
マイナス10℃に持っていくには10カロリーのエネルギーが必要ですし、
プラス10℃に持っていくのも10カロリーのエネルギーが必要になります。

このことを質問すると、マイナス10℃に持っていく方が
エネルギーが多く必要だと錯覚してしまう人がいます。
しかし、これは同じエネルギー量なんです。

マイナス10℃に持っていくということは、より寒くなっていきますね。
これがうつ的な方へエネルギーを持っていく人のエネルギーの使い方です。

0℃からプラス10℃へ持っていくエネルギーの使い方は、
躁的にエネルギーを使う人のあり方です。
とかく今の時代はプラスの方を求める傾向にあります。
プラスへ持っていく方が良いことだと捉えられていますが、
これはどちらが良いと言うことではありません。

基本的にこの世界では、プラスマイナス0が一番安定した状態です。
そこから、ある時はマイナス10℃、ある時はプラス10℃に持っていくとすると、
プラスマイナスの振れ幅は20ですね。
これがその人の使えるエネルギー量になります。

そうすると、10のエネルギーしかない人が、
そのエネルギーを全部マイナスに持っていってしまうと、うつ的になるわけです。
逆に、10しかエネルギーがない人が全部プラスに持っていってしまうと、躁的な状態となります。

しかし、有効なエネルギーの使い方というのは、
その場に合わせてある時は全部をプラスの方へ持っていったり、
ある時はマイナスの方へ持っていけば、
10のエネルギーの人がマイナス10からプラス10まで20のエネルギーの幅で使えることになるのです。
マイナス10にばかりエネルギーを持っていっている人と、
プラス10にばかり持っていっている人がいるとしたら、
同じ10を使うにしても、そこでは20の開きがあるということです。

それはどちらが良いということではなく、
「あなたはそのようなエネルギーの使い方をしていますよ。
あなたは自分のエネルギーをわざわざマイナス10℃に持っていって凍えているのですよ」
ということになります。

マイナス10℃の凍えている状態には、物を腐らせず安定的に保つという効果があります。
プラス10℃に持っていけば、物はどんどん変化し壊れ腐っていくわけですが、
食べたりするにはちょうど良い状態と言えます。
そういったことを使い分けられる人になることが大切です。

これがバランスが良く安定した状態です。
その使い分けが十分に出来ず偏ってしまっている人が、病気の状態です。
どういったエネルギーの使い方をしているのかということを伝え、
そのことに本人が気づき、それを使い分けられる人になると健康な人になります。

病気でない人でも、そこまでの使い分けは出来ていませんので、
うつをきっかけに、そういった自己コントロールが出来るようになれば、
病気発生以前より心が安定した人生を歩むことが出来るようになります。

自分の心をしっかりコントロールし、使い分けが出来ている人は、
癖が個性として活かされている状態です。
そういった人は、一般社会で生きている人の中でも生きていく意識が高い状態になります。
誰でも、高い意識を持つ人になれる可能性があります。
そういったことをここでは提供しています。

(後編に続きます。)


まずは正しい自己認識から

結婚して2年になるりーさんは、2歳のお子さんと一緒にファミリーを訪れました。
夫婦関係と子育てについて相談をしたいということで、今日、いさどんとお話をする機会を持ちました。
相談される方には、子供、兄弟、両親、祖父母等の名前の入った家系図を書いてもらいます。
いさどんは、りーさんが書いた家系図を見ながら話し始めました。

いさどん:
まず、りーさんにお聞きします。
ご主人と出会った時のあなたの精神的な安定が足りなかったと思いますが、
彼とはいつ頃出会ったんですか?

りーさん:
実は5年前に鬱病で半年くらい家にいたことがあります。
彼と出会ったのは、まだちょっと鬱を引きずってはいたものの、
どん底の状態から上がっていこうという時でした。

いいパートナーには巡り会わないし、仕事もこれからどうしていいかわからないと、
自分の中で揺れ動く時に彼と出会ったので、
完全に「自分が大丈夫」という状態ではありませんでした。

いさどん:
彼との年齢が離れているということもありますが、
彼が精神的に幼いということがわかっていて付き合ったんですか?

りーさん:
彼とは8歳離れているんですが、逆にすごくしっかりしていると思っていました。
私はおおざっぱで何でも「いいよ、いいよ」と生きてきましたが、
彼は小さい頃から苦労して努力を積み重ねてきたということを聞いていたので、
逆に「すごいな」という目で見ていました。

「付き合うならその人と結婚したい」と思っていたので、
彼がまだ若いから惹かれながらも付き合うつもりはなかったのですが、
そのうち付き合うことになり、子供を授かり、双方の両親と話し合って結婚に至りました。

実際、結婚生活を始めてみて、
彼の中に乗り越えられていない問題があるということはわかりましたが、
「彼が幼い」という感覚はありませんでした。

いさどん:
あなたとお子さんとの接し方を見ますと、
親と子供というよりも、あなたは子供の意識でお子さんを育てています。
だから、友達みたいな状態で子育てをしているのですが、これはあなたの元々の傾向です。

そうすると、あなたのようなタイプの人は、しっかりとした自分をリードしてくれる人、
単に勢いがあって力強いというよりは、説得力や包容力がある人といると安定するのですが、
そういう人を現実に選んでいません。

それは、あなたが人を観る目に冷静さを欠いている状態で彼と付きあうようになったということです。
それで、彼と出会った背景に何があったのかを知りたいと思い、先程の質問をしました。

彼の場合、自分の心をカモフラージュして、
実際よりしっかりしているように見せようという傾向があります。
これは悪気があってそうしているというよりも、そういう心が働くというのは人としてよくあることです。

あなたが冷静さを欠いていた状態だったから、
そういった表面的なことに惹かれてしまったということです。

安定している目から見れば、この人は実際より自分を良く見せようとしていることがわかるものです。
それが見えなかったがために、先程のような彼に対する評価をしているのだと思います。

その背景に、当時あなたの中に不安定な要因があり、
それが物を判断する時に影響を受けてしまったんだと思います。
あなたのご両親との関係で長年積み重なってきたものがあり、
現実逃避したい心や、「満たされたい」という強い想いがなかったですか?

りーさん:
実は、小学校5、6年生ぐらいの時から、ちょっとずつ自分の気持ちが暗くなり出していました。
それはなぜかと自分で考えた時に、母親と意見が合わないことが多く、
喧嘩ばかりしてわかり合えなくて、いつもさみしいという想いがありました。

いさどん:
今はお母さんとの溝は埋まったんですか?

りーさん:
私が子供を授かり、親の気持ちが少し理解出来るようになって、
「すごく私のことを愛してくれていたんだな」と感じるようになりました。
「あなたが幸せになることを一番に思っている」と言われ、
自分のことをよく育ててくれたなと思っています。

でも、未だに話はあまり合わないし、正直、もっと理解し合いたいという気持ちはあります。
母親は私のことを「何を言っても聞かないから、もう勝手にしたらいい」と思っている気がします。
私のやっていることの大半は、多分良くは思っていなかったんじゃないでしょうか。

いさどん:
彼との結婚も、お母さんとしてはあまり良くは思っていなかったということですか?

りーさん:
そうですね。「あなたの人生なのだから、勝手にしたらいい」という感じでした。
私が鬱でどうしようもなく母親に相談した時も、
「もう私は疲れたから、お父さんに任せるわ。
今までお父さんは子供の面倒を見てこなかったんだし。私はもう口出ししない」と言い、
母親はそこからノータッチで、そのまま私も結婚したので、
「あなたの好きにすればいい」という感じでした。

いさどん:
お母さんがなぜあなたと合わないのか、わかりますか?
あなたからしたら、「もっと包容力のある人であってほしい」ということだったと思いますが、
とてもそういうふうに接してこなかったお母さんでしたよね。

りーさん:
お母さんの中の「こういう子であってほしい」という理想と、私が全くそぐわなかったからでしょうか。
私は、子供の時からお母さんが言うことに対して何でも、「いやいや」と言っていたらしいんです。
それに対してお母さんはいつも怒っていて、
だんだんイライラしてきたのかなと私は思っているんですが。

いさどん:
あなたのお母さんに対する評価をもう一度見直してみようということで、このことを聞いています。
お母さんはなぜあなたを自分の思い通りにしたかったんでしょうか?

りーさん:
私が幸せであってほしかったから?

いさどん:
そういうふうに考えるのが、あなたの癖です。
常に相手は自分を見て、自分のことを考えてくれている、と思う傾向があなたにはあるのですが、
人というのはそうばかりではありません。
実は、相手を想うのではなく、自分を想っている人が沢山いるんです。
自分の都合で相手を見て、自分の都合で相手を動かしたいと思う人もいます。

今、彼のことを聞いてもお母さんのことを聞いても、
あなたは常に「相手は自分のことを想ってくれていて、
相手は私にとって悪い人ではない」と判断していますが、本当にそうなんでしょうか?

実はあなたの中に、「私にとっていい相手だと思いたい」という心が働いているんです。
自分の中のどこかで「そうではない」と感じたとしても、あなたのような人の場合、
「自分のことを想ってくれた結果、こうなっただけなんだ」と無理に事実を曲げて、
自分のいいように思いたいという心が感じられます。
それは相手を正しく評価しているのではなく、相手を都合良く受け取ることによって、
自分を都合良く守りたいという心の表われです。

りーさん:
現実をストレートに見ていないということですか?

いさどん:
ということよりも、現実を冷静に判断せず、
自分の思惑の方に捻じ曲げて物を捉えたい傾向があります。

りーさん:
言われてみるとそう思います。

いさどん:
だから、あなたが誰のことを話しても共通した傾向があります。
ただ、お父さんに対してはその傾向がありません。

りーさん:
そうですね。自分と似ているなと思うので。一緒にいても楽というか。
自分を全部受け止めてもらえているのかなと感じています。

いさどん:
どうしてお父さんといると楽なのかといったら、あなたと似ているからではありません。
お父さんは自分の意見を押し付けない人です。でも、責任もとらない。
つまり、あなたに対して圧力がないから、あなたは楽なだけなんです。
ここでも、あなたの物の見方に偏りがあることがわかりますね。

冷静に事実を受け取るのではなく、自分の心に色がついていて判断するものだから、
「彼をしっかりしている」と捉えるあなたがいます。
つまり、自分に都合がいいように、
自分の理想のような相手に思いたいという心がそこでは働いています。

事実彼と付き合ってしまった。子供が出来てしまった。だから結婚するべきだ。
どこかで「この人でいいのかな?」という心もありながら、
「でも、これから自分が築いていく家庭が理想じゃないといけないから、理想のようにしよう」と思ったら、
相手をいい人と考えないと理想を描いていくことが出来ない。
だから、そういうふうに思おう、思おうとしてやってきたのですよ。

しかし現実には、そうではない人がそこにいるわけだから、
いくらそう思ったところで、現実は違う相手と毎日付き合っていくわけです。
そこのところで、自分が思いたい部分と現実とのギャップが大きくなってきて、
自分が目一杯になり、こうやって僕のところへ相談しに来たということになります。

そうすると、彼は最初から自分を素直に表現していたかもしれません。
お母さんも素直に自分を出していたかもしれません。
しかし、あなたが対象を冷静に見ないで、
自分の思惑のように相手の人間像を創り上げて付き合ってきた可能性があります。
微妙な話ですが、わかりますか?

りーさん:
言っていることはわかりますが、言われるまでは全然気づきませんでした。

いさどん:
そうですね。そしてこれは、自分で結果を招いていることなんです。

もう一つ言えるのは、あなたのお母さんは子育て中、ずっとストレスが溜まっていました。
それはなぜだと思いますか?

りーさん:
母一人で子育てをして、父はずっと蚊帳の外でいましたから。

いさどん:
そうですね。お母さんはいつも
「自分一人だけで子育てをしている」という感覚があって孤独だったんです。
お父さんは会社に行って給料は家に入れるし、とりあえず夫の役割はしているのに、
お母さんは孤独だったんです。
それは、お父さんがマイペースで自分のやるべきことはやりますが、
人のことに口をはさまず、自分のペースで行動する人だからです。

本来、父親というのは自分のことはもちろんですが、
妻のことも子供のことにも配慮しながら日々を生きていくというのが望ましいでしょうが、
あなたのお父さんの場合、何かが起きた時にはお父さんとしての役割は果たしてくれますが、
日頃の支え的役割は果たしてくれません。
だから、お母さんが一人で「お父さんとお母さん役」をしていたのです。
つまり、精神的には母子家庭のような生活だったのです。

ところが、お母さんは自分一人でも心の安定を保つのが大変な人で、
まわりの人に精神的に助けてもらわないと安定が保てないのです。
だから、常に精神的なストレスを抱えて子育てをしてきたのです。
元々母性が薄い人ではありますが、夫が精神的に十分満たしてくれれば、母性も出てくるものです。
夫から与えられた分は出てきますが、与えられず一人だけで子育てをすると、
イライラしてストレスが溜まるという状態だったのです。

だから、あなたのことを想っている心の中には、イライラもあなたの方へ向いていたと考えられます。
ここでも、あなたは人を観るということが十分出来ていません。
相手を正しく見るというよりは、「こういうふうに思いたい」という判断のもとに物事を捉えています。

りーさん:
でもお母さんは、「子供を産んだことが女性としての一番の幸せだったし、
子供のことを一番に考えている」と言っています。

いさどん:
それは、お母さんの長い間の心の浮き沈みの中で、
安定した気持ちになった時にそう言ったかもしれません。
しかし、それだけをあなたが印象強く取り上げ、自分の中にしまっているということがわかりませんか?
実際にあなたの話を聞くと、そうではないお母さんの部分が沢山出てきます。

人には色々な人間性が出ますから、確かにそういう部分もあります。
そこでも、「自分がこういうふうに思いたい」という想いから材料を取り出して、
「そういう人である」と決めていくことがあります。

これを解説すると、あなたは精神的に幼いところがあるのです。
「自分が満たされたい、癒されたい、~してほしい」という心が常につきまといます。
これから年を重ねてもそういう心の形は変わりませんから、
子供に対しても自分が与えるというよりは、自分が与えてほしいという気持ちになり、
自分と対象を重ねて子育てしていますね、という話を始めにしました。

自分が一体どういう人柄で、どういう傾向を持っているのか、ということがわかると、
お母さんとあなたの関係や、お父さんに対する評価、そしてなぜこの旦那さんを選んだのか、
子供との関係、なぜ今こういう環境にいるのかということが少しずつ見えてくるものです。

あなたが今の心の傾向をそのままにしておくと、今後も色々なところで冷静で正しい判断ではなく、
自分に都合のいいように物事を見ていくことになります。
そして、それをあなたのお子さんが表現していることになります。

この子は力強くてたくましく生きていける力があります。
たくましいということはエネルギーが強いということですから、
これから沢山自己主張するようになります。
(ここで、りーさんはポロポロ泣きだしました。)
どうしてあなたから涙が出てくるのかということですが、あなたは子育てが難しいと思っていますよね。

りーさん:
この子をいい子に育てたいと思っているのですが、
私の子育てが間違ってしまうと悪い影響を与えてしまうのではないかと思っていて。
でも、今の話でこの子が強いところを持っていると聞いて嬉しくもあり、安心したというか。。。
この子にいい人生を歩んでほしいと思っているので。

いさどん:
この子にいい人生を歩んでほしいと思う心はどこから来ましたか?
この子にとってのいい人生というイメージがどこかにあるということですよね。
でも実は、いい人生というイメージがあるのではなく、心の中に悪い人生のイメージがあるから、
それがないいい人生というイメージがあるということなんです。
あなたにとって、悪い人生ってどういう人生ですか?

りーさん:
常に落ち込んでいて、私が鬱でずっと家に閉じこもり何もやる気が起こらなくて、
「私なんていてもいなくてもいい」という心の状態です。

いさどん:
それを悪い人生として、そういうことがない人生をこの子に重ねているんです。
そうすると、あなたは本当にこの子のことを想っているのでしょうか?

先程、「お母さんは私のことを愛してくれていたんだ。
だから、私はお母さんの愛を受け取って、良く思っていこう」
という傾向があなたの中にあると言いました。
そのことに対して、「本当にお母さんはあなたのことを想っていたんでしょうか」と、
お母さんの心の傾向を話しました。

その結果、「私のことを本当に想っていたのではなく、
お母さんはストレスが溜まっていてそのイライラで私に接していたんだ」ということがわかった時に、
あなたの考えていたお母さん像は消えていきましたよね。
結果、「そういうお母さんとして私に接してほしかった」
というあなたが創ったお母さん像に気づけましたよね。

それと同じことが、ここでも言えます。
「私が鬱の時に辛かったことをこの子には味わってほしくない。
この子には幸せな人生を送ってほしい」というあなたの想いは、
あなたの過去をこの子に重ねているだけで、
この子の未来を考えているのではないということに気づきませんか?

りーさん:
全て自分の中から発生しているということですか?

いさどん:
そうです。それがあなたの心の癖です。
相手が違うから別の現象のように見えるかも知れませんが、
実は発信源が同じということに気づいてもらいたいと思います。
別々なこととして現れていますが、
あなたが自分の心の中にある種を表現した結果、起きているということです。

もう一つ気づいてもらいたいのは、傾向として常に不満や不安の心が発生しているということです。
利害の薄い関係、例えばあなたのお父さんはあなたに圧力をかけてこないので、
あなたはお父さんに対して不満を感じませんよね。

しかし、強く圧力をかけてくる相手、ご主人やお母さんにはストレスを感じています。
それをいいふうに思いたい。
子育ても同様に、
ストレスだけれども、「この子を良くするために一生懸命こうしなきゃ」というふうに、
そのストレスを正しく認識するよりも、
「不安のない方に思いたい」という方向に捉え方を変えてしまう傾向があります。

「自分が種を播いている。自分の心の癖が色々なところに現れている」ということを、
あなたにわかってもらう必要があります。
このまま行くと、知らぬ間にあなたが辛くなってしまう状態が続くことになってしまいます。

では、これからどうすればいいのでしょうか?
人が色々な問題事をいただくのは、その人の心の中にある問題事の種があるから、
それにふさわしい現象が起きているということです。
つまり、自分の心の中に問題事の種があるということを教えてもらっていることでもあるのです。
そして、それを取り去るために私たちは生きている、と言うことも出来ます。

「普通に生活して子育てして、家庭を保ち幸せに生きていく」という
一般社会的な価値観で人生を終わっていくのではなく、
人生を自分の学びや魂の向上のためにあると捉え、
そのために色々な問題事に出会い自分が育ち鍛えられていくという価値観もあります。

そうすると、今あなたが自分の心の癖から問題事を与えられているということは、
自分がこの世界に生まれてきた目的、
学んで成長していくことに気づくためのメッセージだと言うことも出来ます。
だから、今敢えて、お母さんのこともお父さんのことも、旦那さんのことも子供のことも抜きにして、
あなたが生きていることの意味を捉えることが大切です。

出来事が起きるということは、自分自身の心を見るためのチャンスです。
自分の心を正しく捉えるために、色々な現象が起きているのです。
そして、そこから学んでいくことに希望を見出せば、
今のような自分に都合がいい判断をしなくなるものです。

あなたの物の捉え方が少しずつでも変わっていきさえすれば、
当然行動も変わりますから、まわりの反応も確実に変わります。
そうすると、生活全体に対する環境が変わってきます。

子育てに関しても、人というものは本来、自分で自分の道を切り開いていくようになっていきます。
この子はエネルギーが強いので、
あなたの癖で接して束縛すればするほど、反発となって出てきます。
それは、あなたの心の姿勢を鏡として表わしてくれているのです。
しかし束縛しなければ、この子は自分の道を歩むためにエネルギーを使えるようになります。

そうすると、「この子にいい人生を歩んでほしい」という想いはいらないわけです。
あなたがどう想おうが、この子は自分の幸せを自分で掴んでいける人です。
エネルギーが強いから、「私がこうしたいからこうするの」ということをやり遂げる人です。
それはあなたから見たら辛い道かもしれませんが、
これはあなたとお母さんの関係にも見えてきませんか?

りーさん:
私は私に与えられている課題をクリアしていくことに専念すればいいということですよね。

いさどん:
今は自分を見ることが大切です。まずは、
「私は人のことを想っていたのではなく、自分のことを想っていたんだ。
自分は物を考える時に、一種のトラウマ的な先入観で物を判断していた」ということに気づき、
その癖を取る必要があります。

それを取ってから、親としてこの子に接していけばいいんです。
子育てをする時に大切なことは、親が子供のペースをつくっていくことです。
子供のペースを親がつくってあげるからこそ、子供は安心して育つことが出来ます。
でも、あなたは子供のご機嫌を聞き過ぎているので、子供がペースをつくってしまい、
いつもあなたは子供に合わせないといけない状況になっています。
愛情とルールを与え、親のペースで育てていくことは非常に大切なことです。

この子が成長していく時に、「私はこんなことがあって辛かったのよ」と伝えると、
この子は、「お母さんね、お母さんの人生はお母さんの人生、私の人生は私の人生なんだよ。
大丈夫、私は私でやっていくから。それよりも私はお母さんの方が心配よ」
と逆に言ってくれるかもしれません。

りーさん:
物を正しく捉えるということをこれからしていけばいいんですよね。
今まではお母さんに対して「いい母親でいてほしいから、
そうならないのは私のせいなんだ」と自分を責める心もありましたが、そうではなく、
「その時その時の母親の心境を受け取って私が育ってきた」というのが正しい判断ということですよね。

いさどん:
そうです。あなたは一生懸命自分を守ろうと常に思惑が働いて生きてきた結果、
裏目に出て色々な問題事が起きています。
これから1週間ここで滞在されるのですから、
「あの時に話された自分の傾向がここでも出ているな」と一つ一つ気づいていくことが出来れば、
感じ方、考え方も変わり、相手の反応も変わり、人間関係も変わって、
あなたの人生も変わってくるということになります。

まずは、「自分が今まで正しくない判断をしていたから、
自分を見直す必要がある」ということを認識することからスタートです。


子は親の鏡~面談・後編

いさどん:
それで、今回はどういう目的で来たのかな?
とりあえず、これからどういう方向に行けばいいのかという相談なのかな?

きーちゃん:
パパは「きーちゃんの食生活を直すためにここで合宿してきなさい」と言っている。
でも私は、食生活だけじゃなくて、
パパも含めて自分も変わりたいし、家族も良くしたい。

いさどん:
要は、最後はそこへ持っていきたいわけだ。

きーちゃん:
今、私が治っても、家族の環境とかでまた戻ってしまうかもしれないから。

いさどん:
あなたの言う通りだね(笑)。
発信源が別にあるのだから、子供だけを治しても仕方がないんだよね。
「子は親の鏡」と言って、親の状態が子供に出ています。
まあ、ずばりと言ってくれてすごい!将来楽しみだ。

今はこういう状態で少し心配かもしれないけれど、将来は大丈夫!
希望を持っていいよ。いさどんが言うんだから、間違いない!
そこらへんは自信をつけておくといい。
今のところは役割でやっているのだから。これは良い話になっていくね。

ちょっと聞いてほしいのは、きーちゃん一人だけを観た時に、ちょっと今は病的だよね。
だから、これは健康にしたい。
それと、この家族の関係がちょっと問題だよね。これも健全にしたい。

家族の関係を健全にすることによって、きーちゃんの心が安定して健康になるのを優先するのか、
それとも、まずはきーちゃんが健康になって、それをきっかけにし、
みんなで家族を健康にするための話し合いをしていくのか。
両方をいっぺんに健全にするという方法もあるけれど、
どういう方法をとったらいいと思う?

きーちゃん:
今の家族のままでいるのが辛い。
だから、家族の状況を良くするためにみんなで話し合いをしたい。

いさどん:
どんな話し合いにしたらいいと思う?話の内容については何かあるのかな?

きーちゃん:
家族だけじゃなくて、客観視出来る人がいたらいいと思う。

いさどん:
僕も今それを思っていたんだよ。
まずは家族会議をする必要がありますね。
その結果、この子はここにケア滞在をしに来なくてもいいかもしれない。
ということは、僕が出張しないといけないのかな(笑)。
この子の言っていることは正解ですよ。
あなたは将来、困っている人の問題解決のアドバイスが出来るよ。

きーちゃん:
私が思っていることをパパに言うと、パパは自分の言っていることと違うから、
「それは違う。お父さんの言っていることが正しい」って。

いさどん:
そこのところは、第3者がいないとお父さんは受け取れないね。

きーちゃん:
パパもママも年下から言われると、いらっとするみたい。
私が言うことを聞かないし。

いさどん:
きーちゃんの目線はしっかりしていますね。
「言うことを聞かない」という言葉でわかりますが、
お父さんには自分の考えでみんなをリードしたいという心が働いているから、
そういうふうに言うわけです。
自分の考えが通らないと、「僕の言うことを聞かない」ということになって、
物事がまとまらなくなるのです。

それを伝える人がいないということですね。
そうすると、その役割が出来る人は僕しかいないから、
今日お父さんに話をして、家族会議に参加するために出張することにしますか!

きーちゃん:
今日帰る時に、いさどんを連れていっちゃう!

いさどん:
はっはっは。すごいね。
初のケースです。僕は今まで相談で出張したことはないから。
新しい取り組みが来ましたね。
ではお父さんが来たら、なぜそういうことが必要なのか、経緯を話して、
いつ家族会議をするか模索してみましょうか。

そうやって家族会議を開くと、新しい風が入ります。
まずは、お父さんの家系の影響を考えないといけないですね。

きーちゃん:
今日は、初めて私の話を聞いてくれる人に出会いました。

いさどん:
僕は、人の本当を観る人だから(笑)。
これからも当てにしていいんだよ。
きーちゃんの鋭い洞察力も将来人のために活かせるようになるといいね。

ただ、人のためになれるのは大切なことだけれど、
自分が自分のことで不健康だったらダメだからね。
自分が健康を保てて、それで初めて人のためになれるのだから。
今まではまわりの環境が負担になって具合が悪かったかもしれないけれど、
これからはそれを自覚しないとダメだよ。

「人が悪いから」と人の影響を受けて具合が悪くなっていたら、見本にならないでしょ。
人のためになれる人というのは、
心も体もみんなの見本になれるような状態でいなければいけないからね。
今までは子供だったからまわりの影響を受けていたけれど、
これからは自覚してやっていくことが大切だね。

きーちゃん:
最初は、友達を助けたことで、自分が仲間外れをされるようになった。
最初は何でだろう?と思ったけれど、
今は大事なことをしたんだからと思っている。

いさどん:
それが大切だよ。
そういうふうに健康に自分を保っていられて初めて、人のためになれる。
苦手なことも、そういう心が出来ると克服していくことが出来る。
将来に対するイメージが出来てきたね。楽しみだ!

将来、人の心の問題にアドバイスする道を歩み、
わからないことがあったら、いつでもいさどんに聞けば教えてあげるから。

いさどんは、これからずっとここにいるわけではないんだよ。
自分を必要とする色々な人のところにまわっていくからね。

お父さんが来たらそういう話をしましょう。
僕のイメージとしては、家族会議に僕がオブザーバーで参加し、
ちょっと風通しを良くしたら、きーちゃんは元気になる可能性はありますね。

でも、今の状態が現実に起きてしまっているから、
そのための回復期間としてここが必要かもしれないよ。
必要なければそのままでもいいけどね。
ただ、昼夜逆転の生活やスナック菓子等の摂り過ぎによる偏った食生活は、
考えが変わったらといって、さっと切り替えられるかどうかわかりませんね。
その時は合宿が必要になるかもしれません。

それで、短期間ここに来て健全な生活リズムと食生活を取り戻し、
心が健全になり、家族の環境が戻れば将来は明るいでしょう。
これからは、あなたがこの家族をリードしていけるかもね。

お母さんもお父さんも二人でもう少し話し合う必要がありますが、
今は二人の関係も含めて、
この5人の家族が今後どうしていったらいいのか、
自分の側から捉えるだけではなく、
全体の意見を聞きながら話し合っていく必要がありますね。そうしましょう!

それにしても、僕は特別な能力を与えられているから、
出会ったことのない人の心の形も観える。
それをいつか誰かに与えないといけないと思っていた。
僕はこれを与える人に出会うのを待っていた。
きーちゃんにあげてもいいよ(笑)。

あとは、お父さんが来てから話をしましょう。
結論は、お父さんが来てからじゃないと出せないからね。
先に決めてしまうと相手を無視することになり、それもまた問題だからね。

(ここで、お父さんがお迎えにいらっしゃり、面談に加わりました。)

きーちゃん:
私の問題が解決したら、
次はパパとママが順番にここに合宿に来たらいいよ。

いさどん:
(お父さんに向かって)はっはっは(笑)。それは画期的な意見だ。
今日はお母さんときーちゃんから色々とお話を聞きました。
僕ときーちゃんの見解は一致していました。

家族というのは心のハーモニーの表現の場です。
それぞれが個性的な音を出すのは良いことですが、
それが人との和音になっていないと、なかなか良い音楽にはなりません。

当初は、きーちゃんの問題として聞いていたのですが、
どうもこの人の言っていることの方が筋が通っているのではとも感じました。
きーちゃんの話をたどっていくと、
きっかけは中学の時のいじめだったものの、
その背景はいじめという表面的なことだけではないと思えます。

いじめは、いじめる側、いじめられる側の空気や性格的なものが原因しています。
自分を主張していじめられる人もいれば、
出さないからいじめられる人もいて、色々な原因が考えられます。

そういうことからすると、
問題は相手にあるばかりではなく、こちら側にもあるのです。
そうすると、きーちゃんがいじめられる要因を持っていたとして、
それがきーちゃんだけの問題なのかと考えると、
人は自分のまわりの環境を反映しているわけですから。

この人が表現していた空気は、家庭内の状態を反映していたということでもあります。
今お母さんとも色々と話をしていった結果、
原因はお父さんとお母さんの不協和音ということに行き着きました。
それが一番敏感なきーちゃんに問題として現れたのだと捉えています。

この子は本当によくものを捉えていると思うのですが、
それを本人が言うと、お父さんは「子供が言うことだから」と
大人のルールで抑えてしまっています。
人はエネルギーを消化して生きています。
そのエネルギーの出口が封印されると、中に溜まってしまう状態になります。
それが違う形で出てくることになります。
病気や心の問題などです。

では、エネルギーを封印せず
本人の意志を認めてあげればよかったのかといったら、
それが出来なかったまわりの環境もあるということです。
物事は順番につながっているので、
「自分たちはどういう世界を今までつくってきたのか。
その結果が今の現象を起こしているとしたら、
どういうふうに解決したらいいのかを話し合ったらいいんじゃない?」
ときーちゃんが表現しているのだと思います。

「じゃあ、みんなで話し合ったら?」と言うと、
きーちゃんは「家族だけで話し合っても、
そこでは上手に話し合いがもたれないだろうから、
第3者がいたら良いと思う」と言うんですね。
「それもそうだね、画期的だね」ということで、
「第3者は誰がいいんだろう?」と聞くと、「いさどんがいい!」と言うんですよ(笑)。

今までこういったケースで出張をしたことはないのですが、
ここに家族5人が一緒に来るのはなかなか難しいと思いますから、
僕がお家まで出張しましょうかと思いました。

そうしたら、きーちゃんの気持ちが急に軽くなってきました。

「子は親の鏡」ですから、
子供を連れてきて「具合が悪いからよろしくお願いします」と言う親御さんがいますが、
その場合、「原因はここの部分から出ていますよ」と伝えます。
それから、お子さんを預かって健全になるようにします。
結果を出すのはそんなに難しいことではないんです。

ところが、元の環境にその子が戻ると、
そこには問題の種がありますから、また戻ってしまいます。
だから、「お子さんはここで引き受けますが、
そちらはそちらで自分たちの在り方を見直して下さい」と言うことです。

きーちゃんの場合はまわりの環境が大きな原因だとしたら、
ここに来なくても、家族で話し合うだけで良くなるのかもしれません。

ただ、現実に今昼夜逆転の生活を送り、食べ物の嗜好も偏ってしまっているので、
しばらくは身についてしまった習慣を切り替えるためのトレーニング期間がいるのかもしれません。
話し合った上でここが適切ならばここに来て、良い習慣を身につける。
そして、家の環境も整えられれば、学校にも戻れるということになったんですよ。

それで、お父さんがいらっしゃったら、
そのことを提案してみようということでした。いかがでしょうか?

お父さん:
はい。よくわかります(笑)。

いさどん:
それでは、一度みんなで家族会議をしましょう。
1回リセットし、みんなで今後どうしようかを考えましょう。
今まで良い風が吹かなかったのはなぜだったんだろうということを考え、
話し合う機会を持てたらと思います。

きーちゃん:
パパも正直に言っちゃえばいいんだよ。

いさどん:
はっはっは(笑)。
とかく正直が出ていないことが一番の原因なんです。
そこでは正直を噴き出させることが大切です。
それは、対立するためではなく、良い世界をつくるためですから、
最後はみんなで笑い合えればいいですよね。

お父さん:
はい。ぜひよろしくお願いします。

いさどん:
では、家族会議のオブザーバーとして出張しますよ!

きーちゃん:
嬉しい!

いさどん:
きーちゃんは、もう半分くらい良くなった感じだね!


子は親の鏡~面談・前編

先月、お母さんに連れられてここを訪れた高校1年生のきーちゃん。
半年前から過食とうつ状態になり、4月からは学校に行けなくなったということで、
いさどんと相談するために訪れました。
そして2度目の訪問となる今回は、到着してから食事も摂らず、ずっと寝ていたきーちゃん。
そしてお父さんがお迎えに来る前に、お母さんと一緒に再びいさどんと面談する場が持たれました。

いさどん:
きーちゃんの体調はどうですか?どこか、内科的に悪いところはありますか?

お母さん:
今、学校に行っていないので、学校から病院で健康診断を受けるように言われ、
先日病院に行ってきたんですね。内科と尿検査の結果は大丈夫でした。

いさどん:
ちょっと顔がむくんでいるようだけれど、それはどこから来ているのかな?

きーちゃん:
寝過ぎだと思う。

いさどん:
寝過ぎかあ(笑)。それはあるよね。

お母さん:
昼夜逆転した生活をしているのと、食生活の乱れもあると思います。
夜から朝方までずっと食べているんですね。
自分が買ってきたスナックやスープ、お豆腐などを食べています。

いさどん:
そういう添加物の影響が出ているのかもしれませんね。

お母さん:
そうですね。ちょっと前はスープを飲む時に大量の塩を入れていて、もっと顔が膨れていたんですね。
でも、本人の自覚で「塩分を入れ過ぎだったからもうやめる」と言って、今はやめています。

いさどん:
いつ頃から昼夜逆転の生活になったんですか?

お母さん:
ここ2週間くらいですかね。きーちゃんは、長女のゆうが帰ってくるのを待っているんです。
長女と話をしたいんですね。

いさどん:
ゆうちゃんは何をされているんですか?

お母さん:
大学生です。授業が終わった後はアルバイトをしたり、ボランティアをしたりしていて、
帰ってくるのが夜遅くなることもありますね。
そうすると、きーちゃんは長女とゆっくり話がしたいということで、
長女が帰ってくるのを待つようになりました。

きーちゃん:
帰ってきてもパソコンをやったりして、あまり話せなくて、ずっと待っていると夜遅くなっちゃう。。。

いさどん
ということは、ゆうちゃんも夜遅くまで起きているの?

お母さん:
ゆうは遅くても9時か10時には帰ってきて、それからご飯を食べたり、自分の宿題をしています。
話せる時は話すけれど、話さず寝てしまうこともありますね。

いさどん:
そうすると、きーちゃんが待っているといっても深夜まで待つというわけではないんですね。

きーちゃん:
ゆうちゃんと話せないと、パパでいいから話しがしたい。。。

お母さん:
父親も夜遅く帰ってきます。その後テレビを観たりして夜ずっと起きているんですね。
きーちゃんとゆうが話をしているところに父親が入ったりして、3人とも、夜寝るのが遅いんですね。
ゆうが自分の寝る時間になったら寝に行って、きーちゃんと父親になっても起きています。

いさどん:
お父さんは夜遅くまで起きているの?
それはきーちゃんに付き合ってくれているということなのかな?
それともお父さんの都合で起きているのかな?

きーちゃん:
パパはパソコンでチャットをしたりしている。遅いと4時くらいまで起きている。

いさどん:
でも、次の日は仕事があるんだよね?

お母さん:
次の日は朝出勤するのが遅かったり、色々なんですけれど。

いさどん:
そういうふうでもいい仕事をしているんですね。

きーちゃん:
うん。夕方は誰とも話せないし。

いさどん:
それは、お母さんが働いているから?

きーちゃん:
夜の9時まで仕事。

いさどん:
結構遅いね。

きーちゃん:
みんな帰ってくるのが遅くて。
2番目のお姉ちゃんのりっちゃんもどこかに行っちゃったりして、話せなくて。

いさどん:
りっちゃんは何時頃に帰ってくるの?

きーちゃん:
その時によって違うけど、すぐどこかに行っちゃうし話さない。

いさどん:
きーちゃんは今、学校に行っていないから家にいるんだよね。
朝起きる時間は何時頃になるの?

お母さん:
夕方の4時くらいですね。

いさどん:
完全にこうもり生活だね(笑)。
そうすると、毎日きーちゃんがどういうことをしているのかということを、
お母さんはなかなか一緒にいられないから把握出来ない状況ですね。

お母さん:
そうですね。夕方起きてきて、ふらっとお買い物に行ったり。
結局、時間を持て余して、みんなが帰ってくるのを待っているという感じですね。
長女と話をしたいから、それを口実に待っているという感じです。

きーちゃん:
暇があったら遊びに行っちゃうし。帰ってきてもずっとパソコンをしているから。

お母さん:
だから、きーちゃんの相手ばかりはしていないということだよね。

いさどん:
なるほど。ちょっと寂しいね。我慢しているということだ。
それで、学校の話を聞くけれど、中学3年の時に友達関係がちょっとまずくなったんだよね。
その前はどうだったのかな?

きーちゃん:
中2の時は一番良かった。仲の良い子もいたし。

いさどん:
その子とは中3の時はどうだったの?

きーちゃん:
上手くいかなくなっちゃった。

いさどん:
中学2年までは、自分でもそんなに問題がなかったと思っている?

きーちゃん:
色々なことがあったけれど、平気だった。

いさどん:
きーちゃんのことは大体わかってきました。
次に、お父さんとお母さんの関係について伺いたいと思います。
二人の関係はちょっと問題だと思うのですが、いつ頃からそうなったのでしょうか?

お母さん:
長いと思います。

いさどん:
この夫婦の関係ですと、子供さんに問題が起きるケースが多いです。
ちょっと立ち入ったことを聞きますが、今、感情的にはどういう関係なんですか?
夫婦関係のアンバランスが子供さんに出ているケースですが、
どの子に出るのかまではわからないものです。
病気でも皮膚に出たり内蔵に出たり、どちらかと言うと弱いところに出てきますからね。

きーちゃん:
パパもママも心配してくれているのはわかるし、「みんな平等」と言うけれど、
ゆうちゃんと話しているのは、「りっちゃんがえこひいきされているよね」ということ。
昔からだけれど、りっちゃんだけすごく褒められたり、優しくされたり、
嫌なことがあっても八つ当たりされなかったり。

いさどん:
八つ当たりするのは誰?

きーちゃん:
ママ。

いさどん:
そうか(笑)。そうすると、八つ当たりはりっちゃんにはしないけれど、
ゆうちゃんときーちゃんにはするということか。
他には何かある?

きーちゃん:
パパはいつも心配してくれるけれど、
「お父さんの言うことを聞いていれば良くなるんだ」と言うだけで、私の話を聞いてくれない。
昔から、子供会のくじで当たって引出しに入れておいたお菓子を取ったり、リモコンとかでぶってきたり。

いさどん:
それは何で?

きーちゃん:
向こうは遊んでいるつもりでも、辛くて。まわりも止めてくれなくて。

いさどん:
お父さんとしては子どもと遊んでいるつもりなのかな?
ちょっと相手の感情が読めないのかな?

お母さん:
きーちゃんが一番下でかわいいから、可愛がっていて、一緒に遊んでいるような気持ちなんでしょうね。

いさどん:
でも、本人がこういうことを言っているということは、
そのデリケートな部分を読めていないということですよね。

お母さん:
きーちゃんが「やめてよ」と言っても、「楽しいんだろうな」と思っているんでしょうね。

きーちゃん:
力づくでやってくる。私が3食食べていても、
「ご飯を捨てていたんだろう」と言ってくるし、どこに捨てたのか探してくるし。

いさどん:
でもそれって、どこかに捨てたわけではないんだよね?
食べていないと疑っているということは、
きーちゃんがご飯を食べていない時期があったからということなのかな?

お母さん:
自分本位な食べ方をしているから、それに対して言っているんだと思います。

きーちゃん:
パパは、お腹が空いた時に私がお菓子をあげないと、すごく機嫌が悪くなって、
ガンガン物を言ってきて恐い。パパもママも恐い。

いさどん:
恐いけど、でもいないと寂しいでしょ?大切なのはそこだよね。
夫婦関係ではどちらかがしっかりと柱になり、もう片方がそれを支え、
二人三脚のように家庭を築いていくことが必要なのですが、それが出来ていません。
お二人はずっと共働きなんですか?

お母さん:
そうですね。

いさどん:
それはどうしてですか?お父さんの収入が多くないということですか?

お母さん:
夫としては、「子供が生まれるまでは家で働き、
家のことと仕事と両方出来るのであればいいんじゃない?」という感じでした。
それで、家で子供に英語を教える仕事を始めました。

いさどん:
良い仕事じゃないですか。

お母さん:
それから、ゆうが生まれ、りっちゃんが生まれました。
仕事をしている間は、最初はおじいちゃんやおばあちゃんに見てもらい、
ダメな時はベビーシッターに来てもらっていました。
でも、きーちゃんが生まれた時には限界を感じ、
「自分の子を育てなきゃ」と思って仕事をやめたんですね。
だから、生活のために仕事を始めたというよりは、生きがいのためという方が近いですね。
子供たちが大きくなってから、また仕事を再開しました。

もともと私たちはアメリカに渡るために結婚したんです。
アメリカで知り合った知人と日本食レストランを出そうと思っていました。
ワーキングビザを取得するためには、
結婚している方が不法移入と受け取られず、取得しやすいと思いまして。

いさどん:
結婚する前は、結婚を前提として長い間付き合っていたんですか?

お母さん:
5年くらい付き合っていました。
でも、結局ビザが下りず、夫は日本で就職することになりました。
それで、私は家で英語教室を持ち、3時頃から9時まで英語を教えるようになりました。

いさどん:
そうすると、お母さんは家にいるんだけれど、きーちゃんの相手は出来ないということですね。

きーちゃん:
その間はテレビも観られないし、うるさくも出来ない

いさどん:
それは教室に影響するからということ?

お母さん:
ドアを閉めてしまえばいいんですけれど。

いさどん:
でもそうすると、封鎖されてしまって寂しいということかな。
寂しくなければテレビがなくても大丈夫だと思うけどね。
でも、今はやることはないし、寂しいということかな。

お母さん:
夫は今、フランチャイズ店のオーナーをしています。
夫は次男なんですが、長男が夫の父の不動産を引き継いだんですね。
おじいさんの代までは不動産の賃貸をしていたのですが、
お兄さんの代になってからはそれを会社にして経営するようになりました。
夫はフードサービスの会社を立ち上げ、
社長は多分お兄さんかおじいさんで家族ぐるみで会社を経営しているという状況です。
夫婦間ではそういう仕事の話をしないので、詳しいことはわからないんですけれど。

いさどん:
よくわからないと言いますが、ご主人はそういう立場にいれば、
仕事から得る収入はそんなに少ないわけではないですよね。
そのあたりは把握されていますか?

お母さん:
生活費として月々もらっているだけで。
今住んでいるマンションの支払いや光熱費は、夫の口座から引き落とされています。
収支の管理は夫がしています。

いさどん:
お母さんの英語教室の収入はある程度あるのですか?それはどうしているのですか?

お母さん:
それは食費や子供の学費に充てています。

いさどん:
ということは、家計簿のように何がどこに流れているのか把握しているというよりも、
どんぶり勘定のようになっているということですよね。
そのことは問題ということではないのですが、
家というものは本来もうちょっとしっかりとした柱があって、梁があり、
そういった役割分担によって完成しているものです。

そういうことからしたら、一体全体どこがどう機能しているのかよくわからないというのが、
今の二人の状態です。ですから、家の血液であるお金もそういう状態だということです。
そうすると、ご主人の得た収入はどこに使われているのでしょうか?
どこかにプールされているのでしょうか?

お母さん:
わからないです。

いさどん:
ちょっとこれは余分な話のようですが、
将来この家族がどうしていくのかというプランを練っていくためには、
それぞれから得られたものがどう使われていてどうなっているのかということを把握することによって、
家の方向性が観えてくるものです。
そこに、家族であることの楽しさがあるのだと思います。

お母さん:
そういう話はしないですね。

いさどん:
それは、昔からそうだったんですか?始めは、多少そういう話をしましたか?

お母さん:
そうですね。ただ結婚して夫の家に入ってからは、
二人だけでいた時の関係ががらっと変わったんですね。
夫の実家からの財産分与もあったり、夫の実家との強いつながりの中で、
私もよくわからないまま言われるようにやっていたり。。。
夫ががらっと変わったので、私の中で葛藤が強くありました。

いさどん:
自分たちの家族よりももっと大きなものがあり、
そこではよくわからない役割をしないといけなかった、
そこを詳しく把握せず今までやってきたということですね。

それはこういうことでもあるんですよ。
付き合っていた時の相手の印象と、結婚してからの相手の印象が違うということですよね。

お母さん:
そうなんです。結婚してから夫が実家の諸々を背負った時に、
価値観やものの観方が別人のようになったんです。

いさどん:
きっと、二人だけで付き合っていた時には話し合うことも出来たし、
共通点もあったと思うんです。
ただ、ご主人が実家を背負った時に、
「俺は男だ」とか「女は従え」ということを主張し始めたのだと思うんです。

お母さん:
夫は、「自分の両親のように生きることが幸せなんだ」という価値観を持っているようです。

いさどん:
資産家である両親の家系では、ある程度お金もあり食べていけるものだから、
そこの人たちは自信があるんですよね。
そして、「我が家にふさわしい人になりなさい」という影響を受けてきたのだと思います。

きーちゃん:
話は全然変わるけどね。
パパは「自分が変わらないと、変わらない」と言いながら、
そのことをあまり理解していない気がする。
パパはいつも「自分の言うことを聞いていればいいんだ」と言って、
「学校も行けるんだから」と言ってくるのが辛い。

いさどん:
ということは、お父さんもそういうふうに育ってきたということですね。

お母さん:
私もそう思います。夫の両親の想いを引き継いで育ってきたのだと思います。
でもそれも、さらにおじいさんおばあさんから来ていると思うのですが。

いさどん:
そうですね。

お母さん:
家系で引き継いできたものを守ることが、一つの幸せのモデルのような。
だから、自分の両親に気に入られればOKで、
気に入られないとそれはもう許されないというような価値観を持っています。

いさどん:
そうすると、ご主人も結構辛いと思うんですよ。
子供の頃にもっと自由に育っていれば、
人の顔色を見るということをしなくてもよかったはずなんです。
そのストレスが出ているんですよね。

きーちゃん:
パパもママも辛いでしょ?
だから、私もゆうちゃんも言いたいことが言えないし、言っても聞き入れてくれない。

いさどん:
これは、子供たちの問題ではなく、夫婦の問題ですが、
それは元をただせばご主人の家系から来る問題なんですよね。

さらに、お母さんがなぜこういう夫を選んだのかということもあるんです。
そこにボタンの掛け違いがあります。
この人は本来あなたの対象外の人ですから、選んではいけない人なんです。
相性は悪いですね。
だから、本当の部分を見せず、
カモフラージュした状態でお互いを見せていましたから、
蓋を開けてみたら違っていたということですね。

ご主人の日常の行動についても、あまり把握していないのですか?
あまり関心がないですか?

お母さん:
結婚したばかりの時は聞いていましたが。。。

きーちゃん:
パパは何かあったらママのせいにするし、
ママもパパに言っても仕方がないから、私に色々と言ってくる。
パパは「自分は間違ってないんだ」と思っているし。

いさどん:
結局、話は沢山出るけれど整理整頓して解決せず終わってしまうから、
「どうせ話をしても仕方がない」と、
さらにみんなが話さなくなるということになるんだよね。

お母さん:
この前きーちゃんがみんなに呼びかけ、
これからどうしたらいいのか、家族5人で話をしたんですね。

いさどん:
家族会議を開いたということですね。

お母さん:
それは、きーちゃんがこうなってくれたからなんですよね。

きーちゃん:
今も今までも、私が何か言うと、みんな逃げるようにどこかに行ってしまって、
最終的には「そんなことはくだらない」と言って、話が出来なくて。

いさどん:
この子はしっかりとものを観ていますよね。
この家族の中で一番センサーが働いていると思います。
これは、大切にしないといけないですよ。