三度目の正直からユートピアへ

先日みんなでNHKの「坂の上の雲」の一回目を観た。
いつもNHKの大河ドラマを観る時には、
娯楽としてではなく
日本の歴史が成り立ってきた秘密や
メッセージが隠されていると思いながら観ている。
過去を振り返って、
今の時代を人々に見つめなおさせるような働きが、
一部の番組の中にあると思っている。

「坂の上の雲」は年末だけ、
3年がかりで放送するという。
この番組をづくりの奥に、
何か大きな意図が隠れているように感じる。
その時代を顕微鏡で観るように一点に集中して、
意図的に表現している。
創られたものだから、
当然大げさに表現されているところもあるが、
史実を織り交ぜて、私たちがどういうところを通って
ここまで来たのかが表現されている。

とりあえず今までのところを観終わって、
今後も続けて観てみようというのが皆の感想である。
僕が思ったのは、
「この番組はテンションが高い」ということ。
この国を支えてきた人々。
優秀で国の中で特別な地位を務めてきた人たち。
そういった人たちの物語。
学問ができて、志が高く、
国のためになろうとする人たちが
取り上げられた物語である。

一般の社会には、
学問ができるだけで志は高くない人たちが沢山いる。
学問もできないけれど、志も高くない人たちもいる。
今の社会ではこのような英雄的な人は
なかなか現れてこない。

物語は明治維新に始まって、
大正、昭和の時代へと続いていく。
今年の大河ドラマは「天地人」。
上杉謙信が「義」を捉えて生きた。
その財産をもって世を生きた人々の物語が
美しく描かれている。
戦いの中で人が死んでいく世界の話である。

この世界での勝者は、
滅ぼされたものにとっては悪である。
しかし、その悪も新たな時代になると、
それが法律になっていく。
それに歯向かったものには死があって、
生きることを選択したものは、
新たな正義に取り込まれ、それを取り入れていく。
そういった選択をしたものが生き残っていく。
しかし、残ったものが正しかったのかといったら、
そうとは限らない。

大河ドラマでは、
兼継が家康に仕えるようになり、
最後に兼継がこの戦国の武将の中で
誰が一番優れて志が高かったかということを語る場面で、
新たに仕えた家康ではなく
石田光成だと語るところがある。
それは、あの物語の中で最も表現したかったところであろう。
実際の出来事がどうであったかはわからないが、
一つの方向に時代が流れることに対して、
視点を変えていくつかの見方や
価値観を観ることの提案をしてくれている。

優れたものたちが
国の中心的な役割を担っていき、
ふさわしい人間たちが
ふさわしい場所で国を支えている。

一回目の「坂の上の雲」を観た時に、
日本にとって開国が正義であったかのごとく、
番組がテンション高く作られてしまっていると感じた。
あの番組がテンション高く作られていればいるほど、
正しい開国と捉える人たちが多いのだろう。
しかし、テンション高くどころか
忘れていた怒りを増幅させ、
違う感情を生みだす人たちもいるということを
同時に忘れてはいけない。

信長の時代には、既に日本の心は世界に向いていた。
日本だけではなく、
もっと世界中のことを知ってみたいという願望が
彼にはあった。
彼の性質だったら、
生きていれば外国を侵略に行っただろう。
それを受けて秀吉は朝鮮に行って、
極悪非道を行い、敗北して戻ってきた。
日本は島国だから外の侵略を受けにくかった。
他方、日本は他国への侵略者である。
そういった見方をすれば、
秀吉は悪党の頭領みたいなものである。

家康は、300年間
鎖国の中に日本を閉じ込めてきた。
多分、信長や秀吉が外に野望を向けて歩んでいった結末を、
家康は教訓にしたんだろうと思う。
自分の支配する世界の足場を固めることで、
江戸時代は長く続いた。
鎖国をしたがために、
世界の近代的な歩みからは遅れてはしまったが、
日本独特の文化が花開いた。

しかし、この国は日本国である前に
世界の中にあるという波が押し寄せて、
鎖国を解き、世が開かれることになる。
そして、明治維新となる。

新しく事が起きるということは、
古いものにそれがとって変わるということ。
新しいものができ、それが続いていくと、
いずれそれは古くなり、ついには壊れる時が来る。
新陳代謝によって、
常に新しいものが現れてくる仕組みになっている。
それを拒もうとすると、そのこと自体が問題のもとになる。

江戸時代も長いこと続いたが、
それが壊れて新しい時代が来た。
それを受けて、人々が躍動する。
物語が表現しているテンションの高い時代である。
それまでの変化のない時代に対して、
新たな欲望的希望が生まれる時代に入っていく。

古い欲望は叶っているのにそれを評価せず、
新しい未知なるものに夢を持って、
それを叶えていこうとする。
この物語もそういう所から始まっていく。
その延長線上に愚かな時代が訪れてくる。
希望ある開国という時代から、
あのとんでもない時代、
世界大戦に向かっていくのである。

日本人は、伝統的文化を維持することよりも
富国強兵という政策を打ち出し、
欧米に追いつこうとした。
実際に、物語でも表現されているように、
猿真似と言われながら、
器用だから追いついていく。
しかし、日本人の意識の中には、
真似しているということよりも、
追いつこうとしている意識のほうが強い。
他国にとっても、
猿真似だと馬鹿にしていたものが、
次第に脅威になっていく。

しかし、日本人には
目指すものに追いつこうという意思はあっても、
この世界を導いていこうという発想には欠けている。
世界の中で自国の位置がどこにいるんだろう、
という発想しかない。

明治維新になり、追いつけ追い越せと必死な時代。
テンションが高い故に、
他国に対し、地球全体に対して、
自分たちが何をもたらしているのかを
吟味するような思考にはならない。
太平洋戦争後の日本も同じことをやっていく。
その幕開けが明治維新である。

今の時代にその教訓を活かす時が来ている。
あの時代では、欧米の列強に追いつけと、
産業革命のほうに走って行った。
その結果、自分たちにふさわしいことを忘れ、
欲望的な国家戦略に入っていく。
一時はそれがいいようだけれど、
意図的で一方通行な国づくりが原因で
いろいろな問題が発生してくる。

あの物語の延長線上に、
戦争の時代がある。
日本人はその結果、
大きな代償を払うことになる。
そこへつながっていく流れなのに、
部分的に区切って見ると
全くおぞましいこととして扱うどころか、
時代の英雄を皆で盛りたてて、
「素晴らしい!なんてすごい人物なんだろう」と
評価さえしてしまう。

トータルしてもっとつなげて見たら、
ああいう優秀な人々が、
自分の中から湧き出てくる欲望を叶えたいという想いから、
社会の中枢の中でどんどん国をリードしていく。
その結果、国を導き、人々を導いていく。

太平洋戦争では、
作戦も見通しも何もあったものではない。
めちゃくちゃな、道理の通らない場所に
兵士の命が投げ出され、意味のない死を遂げている。
そして、原爆投下という結末につながっている。

その後、日本人の戦略的な欲望が、
経済という方向に向けられて、今の時代がある。
それが戦後ずっと続いてきたが、
今、壊れようとして、
次の変革の時を迎えている。

二度同じ歴史を繰り返し、これが三度目の正直。
また同じことをやっていいんだろうかと思う。
この番組は、そうではないぞということを
伝えるためのものなんだろうなと思う。

愚かなことをもう繰り返してはいけない。
そのために、しっかり学んでいく。
たとえ作者にその意思があろうとなかろうと、
そんなことはどうでもよい。
もう決して繰り返してはいけない。

古い体制が壊れて新しい時代に移る時に、
その古い時代に形骸化してしまったものを壊して、
新しいものが欲しいというだけではいけない。
その古い時代も、始まりはテンション高く、
希望を持って始まったのだから。

それがなぜ、古くなって
壊れないといけなくなってしまったのか、
ということをしっかりと捉えないといけない。
そして、その教訓を活かした世の中づくりが必要である。
国家というひとつの体制がそれをやってしまうと、
ひとつひとつの細胞である民衆がおきざりにされてしまう。

だからこそ、それを国のせいにしないで、
一人一人がこの世の中を創るということに目覚め、
民衆の中にいつも世の中があるということ。
ないものをねだるのではなく、
過去の古いものから学んで、
新しい時代に活かすことによって、
この世界が何ものか、人間が何ものか、
人間は何のためにこの世界に存在しているのか、
この世界そのものがなぜあるのか、
ということをわかっていくための
学びにすることができる。

個の中から湧き出てくる欲望を叶えようと、
ただテンション高く情熱的に生きたとしても、
時代が移り変わっていくと、
ある時は正義だったものが、
ある時は悪になってしまう。
今までの人間は、ただ湧き出る欲望のままに生きて、
その結果が戦後の時代のような、
個々の中から湧き出てくる欲望のままに世の中が創られ、
こういう歴史が刻まれてきた。

それが、今の世の中をつくっている。
すごく狭く苦しい所に人間を追いやってしまって、
この世界ができている。
これは、陥りやすい落とし穴である。
では何を価値観としたらいいのか。
それは、行き詰まりから観ていくことが大切である。

この時代は、明治維新や
第二次大戦の変革の時代とは違って、
大戦争があるわけでもなく、
表面的には穏やかである。
しかし、人間の意識、
ものの捉え方の変革という点では、
過去の維新よりも
さらに大きな変革の時代と言える。
自分の中から湧き出してくる欲望を叶えることは
いいことだ、と突き進んできた時代から、
単に湧き出してきた欲望を叶えるだけでは、
結局その欲望が暴走して
また痛い目に遭うぞ、と
過去の二度の教訓から学ぶ時代。
今、三度目の正直がどうなるかという段階に来ている。

自分の中に湧き出してくる想いをしっかりと吟味していく。
自分の中だけでそれを捉えるのではなく、
私たちが生かされているこの世界の仕組み、
自然観を捉えながら、
人間はどう生きていったらいいのか、
自分はどう生きていったらいいのかということを考える。

新しくなったんだ、古いのはもう嫌だ、
新しくなりたい、と高いテンションで
ただやみくもにエネルギーを使っていけば、
また痛い目をしてやり直しということになる。
そうやって人間たちが成長した結果が、ここにある。
同じような繰り返しで進化し、学んでいる。

あのドラマで、
ただ明治維新を見るというよりも、
今の時代をどういうふうに生きていったらいいのかを
解釈することのほうが大切である。
過去の日本人や人間の性質は自分たちも持っているのだから、
それをしっかりと教訓として活かし、
これからの時代に向けた個々の価値観を創り変えていく。

あの時代には、国を創る人は国を創る人。
一般の人間は一般の人間だった。
しかし、これからは、そういった国を創る人と
一般の人々の区別のない世界。
それこそが、これから求められている世界。

優れた人が出てきて、
歴史の中に名を残す時代は終わり、
これからは民衆の時代。
民衆が目覚めることによって、
いよいよ、人々の心の中に、
神とともにこの世界を創っていくという意識が目覚める。
そして、その延長に次の時代、ユートピアがある。

「坂の上の雲」を観た時に、
区切ってみると素晴らしいドラマ。
テンションの高い時代。
しかし、それがあのどん底の戦争の世界につながっていく。
そして、また維新が起きて、戦後の復興があって、
皆がまた欲望の中で国創りをしていく。
どん底から世界トップクラスの豊かな国を創ったはずなのに、
そのまま進んでみたら、働く意欲が湧かない、
生きていくのが嫌になる人々が沢山出てきた。
そういう今の時代がある。

だから、あの番組は私たちに訴えている。
これからの時代、私たちはどうしたらいいのかを。


正直者の頭に神が宿る

今回で木の花訪問4回目になるゆうすけくんは、
いさどんブログ「おやじの館」の愛読者です。
今回は、「木の花の志を参考にして、
心を耕しに来ました」とのこと。
そんなゆうすけくんの悩みは、
「ブログに書いてあるような心で
日常生活を送りたいのに、
人に良くみられたい、
人に嫌われたくないという自分の弱さから、
なかなか実践できなくて。
また、人のために優しくしているつもりが、
本当にその人のためになっているのかなって。
自分が傷つけられるのが嫌だから、
人にも本当に思っていることが言えないんじゃないかと。
いさどん、
そんな僕に何かアドバイスはありますか?」

さあ、おやじの登場です!

いさどん:

「嘘も方便」とか、
「正直者は馬鹿を見る」とか、
世の中にはそういう言葉があるよね。
まず、こういうことを言う人は、
自分の本当を今まで出してこなかったから、
正直を出すことにためらいを持っている。

「あの人は物事をずばずば言うけれど、
なんか憎めないね」という人は、
生まれた時からの環境、その人の魂の形で、
自分の本当を出すということを今までやってきている。
本当のことを言って日々生きている人にとっては、
それが習慣になっているから、
本当のことを言わないと気持ちが悪くなり、
本当のことを言う。

本当のことを言わないで、
それが自分を守ることだとか、
得をすることだと考えてやってきた人は、
それが習慣になって日々を生きているから、
本当のことを言うことが怖くなったりする。
本当のことを言ってすっきりすることよりも、
自分にとって不利になるんじゃないか、
問題事が起きるんじゃないかと、
駆け引きや損得でものを考えている。

その心を分析すると、
本当のことを言うということは、
自分の気持ちの中に何も溜まっているものがない。
本当のことを言わないということは、
仮にそれが自分にとっていいことだと思っても、
「本当はこうなんだよな」と
自分の中で溜まっている心がある。
正直者がいいとか、
嘘をついて生きることはいけないという
単純なことではなく、
自分にとってそれは不健康のもとである。

そこで考えてみよう。
自分にとって不健康な状態で、
自分を守ろうとしている自分。
自分が得しようと思って、
自分の中に溜まりものをつくって、
気持ちの悪い状態にしている。
それが自分のためなのか。

隠すとか嘘を言う心には、いろんな答えがある。
それに対して、本当はひとつしかない。
そうすると、本当のことを言うというのは、
すごいエネルギーが少なくてすむ。
いつもひとつしかないからである。
「これはこういうことだよ、
これはこういうことだよ」ということで、
全てが片付く。
だから、重荷にならない。

ところが、
今度はこう言っておこう、とか、
この場合はこう、とか、
そういった心でいると、
いろいろ心を使い分けないといけない。
さらに、本当のことを言ってないと、
何かの拍子に
本当のことを明かさないといけない時がある。
その時にまた、
本当のことを言おうかどうか、と
また、エネルギーを使う。
ばれそうになると、
本当のことを言わない人は、
また新しい嘘を言う。
いつも自分の中に
負の部分が溜まっている状態を繰り返す、
ということだよね。

人によく見られたいという心から
本当のことを言わないとしたら、
その人のご機嫌を伺っていることになる。
その連鎖というのは、
その人に気に入られようと思って、
一度人にご機嫌を伺うと、
ずっと続けていかないといけない。
これも、すごくエネルギーのかかることで、
自分がいつも本当ではないことを表現することに
エネルギーを使い続けないといけない。

本当のことを言えない、
言わないというのは、
心の癖だから、
そういう手法が身についてしまっている。
なかなか、実践ができないというのも、
まさしく自分に身についてしまっている。

人によく見られたい、
嫌われたくないという心を持っていると、
結果としてあまりいい気分で人生を歩めない。
一度、いつ頃から自分がそういう人になったのか。
学校の交友関係とか、
子供の頃からの家族との関係を振り返ってみる必要がある。
そこで、どこかトラウマ的になっているものを見つけ、
それがどういう形で影響しているのかということを
客観的に捉え、解決して、それを処理していかないと、
その癖は折をついていつも出てくる。

それは癖だから、
それを個性として変えていくとしたならば、
人から評価される人になりたいという心の癖には、
向上心がある。
自分が人に評価される人間になるためには、
まず、自分が気持ちよい人間になるということ。
正直であること。嘘をついて、
何か隠し事をしているということは、
外に対して気持ちの悪い空気を発している。

しかし、
「あの人は言いたいことを言うし、
好き勝手に行動しているけれど、
何でも上手くいくね」とか、
「好き勝手に行動しているけれど、憎めないね」
という人がいるはずなんだ。
それが正直者の証拠。
それを、タイプが違うから僕にはできない、
ということにしておかない。
やろうと思えば、誰にでもできる。

それから、他人のために優しくするということは、
厳しいことも優しさのうちなんだよね。
厳しいことも優しいことも、
相手のことを想って言ってあげるのが優しさで、
そのことで一時、相手が離れたとしても、
本当のことを言った人は、
相手のために大切な役割を果たしたことになります。

本当のことを言った人のもとに戻ってこれない人は、
その結果、成長しない人生を歩むことになる。
そして、大事なことが伝わっていれば、
何かの時に、
「そういえば、あの時にああ言われたな」と
その人の中に残っているものである。

最終的には、虚栄、嘘の世界は壊れていく。
そして、本当の世界は必ず成就していく。
長い目で見れば、人と人の縁を
もう一回つなげるんだし、
仮にそれがそのまま消えていったとしても、
相手に対して本当のことを言うということで
悪い結果は生まれない。

ただし、本当のことにも旬というのがあって、
今言っていい時とそうでない時がある。
大切なのは、今この人のために
本当を伝えてあげないといけないけれど、
その人は今聞く耳がないと思えば、
嘘をつくのではなくて、旬が来るまで待つ。
時期が来た時に伝えてあげる。
必ず、伝えるべき時が来る。

そういった旬を
見分けられる人になることが大切で、
常日頃から本当のことを言っている人は、
見分けられるようになる。
しかし、嘘を言っている人は心が濁っているので、
その旬を見分けられない。

だから、本当のことを言って
人間関係を悪くする人もいる。
それは、日頃から自分本位でいると、
今の言い時、今言ってはいけない時、
というのが見えていないからである。
本当のことでも何でも、
その時々に合わせて使い分けていけばよい。

ただ、旬のことを見分けられない時でも、
本当のことを言うことは、
たとえ相手とトラブルになったとしても、
相手に対して悪いことをしていないから、
嘘をついていくよりはずっといいことである。

「嘘も方便」や
「正直者は馬鹿を見る」という言葉は、
一般的に生きている人たちが、
自分が得をするために使う。
実際は、「正直者の頭に神が宿る」と言って、
正直者が一番いい人生を送れるように
この世界はできている。
損得勘定の上でのいい人生を模索していくよりも、
正直で生きているということは気持ちがいい。

冷静に自分の姿勢を観れば、
自分が気持ち悪いから悩んでいるわけです。
それが自分にとって
何をもたらすのか冷静に振り返ったら、
自然とやめられるものです。
真剣に自分に取り組んでいないということなんだろうね。
それは、自分の姿勢を見ることから逃げている。

政治の世界でも経済の世界でも、
不正はいろいろある。
それは、最後は必ず、全部元通りに戻すどころか、
隠してきた分だけの痛みを持って自分に返ってくるもの。
生涯それを隠し通せた人がいたとしても、
自分がそういう人間であるという価値は、
自分についてまわる。
それは、自分が一番よく知っているはずである。

やはり、
胸を張って気持ちよく生きていかないといけない。
そうすると、方法ではなくて、
あなたはどちらを選びますかということになる。

ゆうすけくん:

正直に言っていくことですよね。

いさどん:

その言葉のトーンからすると、
なかなかできないんですよ、
ということを同時に言っているように感じられる。
それはあなたの人生だから、
どうするかというのはあなたが決めればいいこと。
だけど、そのトーンで言っている限りは
できない、できないを繰り返すことになる。

もうひとつ。
さっきも同じことを言ったけれど、
敢えてもう一度言うと、正直になるってことですよね、
切り替えていくってことですよねと言いながら、
やれないトーンの自分を繰り返すよりも、
こんな清々しい日々を毎日送れるのか、
気持ちいいなって生きていくことのほうがずっといい。

自分が発したものが返ってくるのだから、
嘘をついていたり、
全体に対していいものをもたらさないのに、
いいものが返ってくるわけがない。
それで返ってきたら、この世界はおかしい。
因果応報ではなくなってしまう。
客観的に自分がどういうものを
まわりにもたらしているのか。
それが見えさえすれば、
返ってくるものが何であるか、
自ずと理解できる。

よく人から聞かれることで、
異性に好かれるためには
どうしたらいいんですかという質問がある。
そこで答えるのは、相手に好かれようと思うと、
とかく相手の心をこちらに向けようとする。
それは大きな間違いで、
たまたま相手がこちらを好みなら、
こちらが好かれようと思わなくても
勝手にこっちを向くんだから、努力は何もいらない。
そんな悩みも所詮ないわけです。

相手がこちらを向くかどうか未知の時に、
そういうことを考える。
そうしたら、相手がこちらを向くかどうかわからない。
その状態でこちらを向いてほしいというのは
難しい話だよね。
いろいろ努力してみるのもいいけれど。
物でつったり、嘘をついたりすれば、いつかばれる。
そうすると壊れる。

そうしたら、
相手にとって自分が魅力的な人になればいい。
自分を磨けば、ほっといても、
相手は自ずとこちらを向く。
評価されたいからと言って、評価してくれと
相手の気を引こうとするのではなくて、
評価されるような自分になる。
それが自分磨きだよ。

自分を磨かないで評価されたい。
自分を磨かないで嫌われたくない。
嫌うのは嫌なところがあるから嫌うのであって、
いいところがあれば嫌うどころか好きになってくれる。

だから、
そういうことを言っている人は、
とかく人のことばかり見ていて、
自分を見て磨いていない。

ゆうすけくん:

何か自分の中で想うことがあって言おうとしても、
これを言ったらこの人は怒るんじゃないかとか、
その場の全体の雰囲気が悪くなるんじゃないかとか、
先のことばかり勝手に自分で予測してしまって。
そうなるかどうかは、わからないのだけれど、
いつもセーブしてしまうんです。

いさどん:

それは、相手の意思を無視しているわけだから、
相手に対してすごく失礼なこと。
全てこちらで考えて、
こちらで結論を出しているわけだから。
実際にあなたが思っている通りかもしれない。
でも、そうでないかもしれない。
なのに、先に結論を出してしまっている。
それでは、いい人間関係は絶対に築けないよね。

ゆうすけくん:

自分の想いを素直にぶつけるべきだと。

いさどん:

ぶつけるというのは問題で、
ぶつけるという言葉を使う人は、
日頃素直に言えてないから、
勢いをつけて言う。
本当のことというのは身の丈だから、
別に勢いをつけて言わなくてもいい。
ただ自分の意思を伝える。
「僕にはこう見えるよ」とか、
「僕は今こう思っているんだけれど」
という伝え方をすればいいのであって、
そこでは伝えるという作業はあっても、
ぶつける必要は全くない。

もうひとつ。
黙っていると、自分の中に感情を溜めている。
それが膨らんでいくこともある。
どんどん真実と違う方向へ膨らんで行くこともある。
相手の真意も確認できないと、
どんどん違うほうへ行ってしまう。

それが、
怒りのほうへつながっていった場合には、
何かの拍子に爆発して出る。
始めに正直に出た時には、
さらっと言えたことが、
日にちが経っていって、
自分の中に真実と違うことが膨らんでいった時に、
怒りとなって出たりする。
そういうふうに、感情は旬を逃すと、
全く違う感情になって出てくることになる。

さて、それをどうするか。
そこでは、自分にとって損か得か考えたらいいと思う。
それを自分の中で吟味して、
できなければできるように日々の生活の中で練習していく。
とても一人ではできませんと言う人は、
こういったところへ来てトレーニングしてみる。
いろんな方法があるけれど、
それには、現状がよくないなということを
自分の中で結論付けないと。
現状でいいなと思っていたら、取り組めない。

ゆうすけくん:

日々の中で取り組んでいきたいなと思います。

いさどん:

ちょっと重くなっているよね。

ゆうすけくん:

すぐ重くなっちゃいます。

いさどん:

雰囲気からして想いが溜まってきているから、
重くなっているよね。
だけど、こんなものは心の問題だから、
チャンネルを合わせるようにぱっと切り替わったら、
嘘のように
「何で今まであんなことをやっていたんだろう?」
というような世界なんだよね。
でも、そのきっかけが見つからないと、
どこに合わせたらいいのかもわからない。
変えようとするきっかけも掴めない。
底なし沼のようにね。
そういったところにはまってしまうこともある。

ゆうすけくん:

そうですね。いつも一歩踏み込めない。

いさどん:

よくあるのは、
そういう癖になってしまっていて、
それを繰り返すのが自分らしさのようになっている。
だから、悩んで反省しているんだけれど、
そこから抜け出せない自分がいて、
またそれを悩む。できない。
悩む。できない。
そういったスパイラルにはまっていく。

だから、どこかで突破口を開いていけられるといいね。
自分でやれる人は自分でやればいい。
だけど、自分でやれない人は、
人の力を借りてやればいい。
どの手法を取ってもいいけれど、
そこを超えていく作業がとりあえず必要だよね。

インタビューの直後は、
「言われていることは
すごくよくわかるんだけれど、
自分の心が邪魔して、
『そうですね』と切り替えられない自分がいます」
と晴れない顔のゆうすけくんがいました。

しかし、翌日ここを出発する時には、
「昨日は、いさどんの心を受け取る心、
いただく心が自分には足りなかったなと反省しました。
わからないことを無理やりわかろうとするのではなく、
シンプルに、正直にまずはやっていこうと思います!」と、
ちょっと表情が明るくなったゆうすけくん。
おやじだけでなく、
皆でゆうすけくんの人生を応援しています。
いつでも、困った時でも、
何もなくても、心の実家に帰ってきて下さいね。


ひとりごとは続くよどこまでも

大人会議で、先日アップした
「地球が動いている~あなたが主役の時代」
を読み上げた後、
またまた、皆のひとりごとタイムとなりました。

かずこちゃん:

今日一日、
私の中ではありがたいという心が湧いてきました。
昨日は自分の想いを出せなかったんだけれど、
いろいろ思うことはあって。
私はすごく出来が悪くて、
自分がこの道を外れそうになっても、
いさどんはいつも、
「こちらの道へ行きなさいよ」と言ってくれて、
それでいつも私は修正されてきた。
だから、今の私がある。
すごくありがたいなって。
いさどんは、皆一人一人をすごく愛していて、
いさどんの愛情はすごく深い。
自分もそういうふうにありたい。
いつもそうやって、
いさどんを目標にできることはありがたいなと思っています。
これからが始まりだなと思っています。

ひろっち:

ここは、木の花ファミリーといって、
木花咲耶姫の「木の花」の字を書くのだけれど、
「メキキの会」では、個人の個を用いて、
「個の花」を探すということを目的としている。
一人一人の天命を大開花させていく時代になったのかなと思ったら、
昨日から嬉しくて嬉しくて、僕は嬉しいです!

いさどん:

地球の上に、ぽっと小さな花が咲いている。
例えば、麹の花は、
麹菌といって菌が連鎖して広がっていく。
麹の花がぽっと一つ咲いたら、
それがぽっぽっぽっと、
あっちからもこっちからも咲いて、
それが四方八方に連なって広がっていく。
だから、ここでぽっと咲いているということは、
きっと、地球上のどこかでもぽっと咲いている。
「とびきりの花」なんですよ。
いのちの村ネットワークのテーマソング。
今まで何度も何度も聞いている歌でも、
こういう心になって聞くと、
この歌の奥にあるものを感じてすごく新鮮。
まさに「とびきりの花」は皆で歌う歌だね。

(ここで、皆で輪になって、
「とびきりの歌」を合唱しました。)

♪とびきりの歌♪

いっしょに大地の上で 空を見上げていようよ
いっしょに大地の上で 夢を描こうよ
一度きりの人生だもの とびきりの花を咲かそうよ
何べん生まれ変わっても この人生は一度きり

あなたに会えて良かったよ この広い空の下で
生まれてきて良かったよ この青い星の上に

いっしょに大地の上で 空を見上げていようよ
いっしょに大地の上で 夢を描こうよ

みんなの心の中にある 大きな夢を描こうよ
決して消えることのない 極彩色の夢を

あなただけの大きな花が 大地の上に開いたならば
この星はどんなにか 美しくなるだろう
美しくなるだろう 美しくなるだろう

きょうこちゃん:

私も昨日発表しなかったんだけれど、
話し合いが終わった後に、
胸が熱くなるものがあって。
マインドコントロールとか
いさどんワールドという言葉が出てきたけれども、
私はすごく導かれて育てられてきたな、
本当にありがたいなという気持ちがすごく湧いてきました。
これからは、自分たちがいっぱいもらってきたものを、
世の中に対して一人一人が与えていくんだなと思うと、
身の引き締まる思いがして、
今日一日そのことをずっと考えていました。

よしどん:

昨日は沢山想いがあって。
自分の中に皆とともにという光の部分があるとしたら、
逆側には自分が認められたいという闇の部分があって。
昨日は、それが行ったり来たりという状況でした。
いさどんのブログを聞いて、これはすごいことだ、
ここの中にすごいことが起こるぞという
気持ちが湧きあがると同時に、
皆が言うようなありがたいとか感謝とか、
そこまで深く自分が入りきれてないんじゃないか、
という想いも出てきた。
こういう発言をするのも勇気がいるというか、
緊張している自分がいて。
心の緊張を取るには、
ただ手放して委ねればいいんだよという話なのに、
なかなかできない。
それも自分なんだなと思っています。

みっちゃん:
どっちに振れても、
ネガティブなほうに振れたとしても、
それもそれでOKというところに昨日の話があって、
とことんそこを行くもよし、
それを自分で選択していく。
自分に任されているということを、
今日も収穫チームで話していて、
そこを一番感じました。

よしどん:

今日も畑で作業をしながら皆で昨日の話を振り返っていて、
個々人が変化する中で、自分の感情にも動きがあって、
これは変わっていけるぞという
掴めそうなものを感じて、
そこを見ていくとすごく喜びが出てくる。
ちょっとわくわくと、
こういうのをまた皆の前でシェアしたらと、
皆の評価を気にする自分がいて。。。

いさどん:

シェアじゃなくてひとりごと(笑)

よしどん:

そうだ!ひとりごとだ(笑)

みっちゃん:

私も、ネガティブなほうへ行くと
どうしてもそれが悪いことと思ってしまって、
自分で辛くなる。
だから、そういう良い悪いという枠がもうないんだって、
外していいんだということをすごく昨日思って、
これこそ本当に多様性だなと。
自分も楽になった半面、自分に任されているということで、
きょうこちゃんが言っていたように
身が引き締まる思いです。

まり姉:

方法論のようになるから言わんとこと思っていたけど、
まあ、ひとりごとやから(笑)
ネガティブな部分もどんどん出せばいいんちゃうかなと。
自分もいろんなもん持ってんねんから、
自分の一つの役割として、
思い切りネガティブを出して演じてみるというか。
それで、まわりの反応はどうやったんかなと。

よしどん:

実は今日やってみたんだけど、
いさどんのようにいかない(笑)
自分で押さえちゃう。
もうどこまでも、どよんとしてみようか(笑)

いさおちゃん:

手放さなきゃという思いを手放せるように、
お互い努力しましょう!僕は今、努力中です。

たっちゃん:

ひとりごとって面白いね。
ポイントかなって。
ひとりごとってすごいことなんですよ。

あきちゃん:

ひとりごと大会!

いさどん:

こんなに人がいて、
いっぱいしゃべっているのに、
皆ひとりごと(笑)
すごく笑える世界。

たっちゃん:

ひとりごとによる効果って、
判断なくその人のことを聞こうとする、
自分の意識が芽生えてきてね。
ひとりごとの話が出る前は、
僕はどちらかというと、
コメントをつけようと意識が働いていた。
でも、「ひとりごとです」と言われると、
ただその人の事を聞いているだけ。
善悪なく聞ける。
普段の自分なら、
今までの在り方の蓄積があって、
それに照らし合わせるとどうなのかとか、
全体の方向性から観るとどうなのかと考えていたけど、
それを超えて観れる。
ひとりごとっていう
いさどんの提案は画期的だなと。

いさどん:

人間ってよくひとりごとを言うじゃん。
その感覚で、
これだけの人がひとりごとを言っていたら、
どんなだろうなって(笑)
今、ここで皆が「ひとりごとです」と言っていると、
そこに評論する人がいなくなって、
だけど、全部つながっていて、
皆聞いているんだよね。
同じひとりごとでも、全然違う空気がある。
ひとりごとにも、ひとりごとランキングや、
ひとりごと5段活用というのがあるんだなと思った(笑)
この段階に来たひとりごとだから、
こういう世界があったんだなと。
すごい宝物を発見したような気分。
これから、「ひとりごと会議!」

ゆみちゃん:

私もひとりごと。
昨日から今日にかけて思っていたことなんですけれど、
自分がここに来た時には、
強い人間不信とか、人に興味がない人間で、
最近ようやく人と助け合って生きるとか、
つながって生きることの良さが分かり始めてきました。
そこまでこれたのも、ひとえにここの場の力、
皆の力を借りてきたなと実感しています。
つい最近まで、どうして私のような人間が、
この理想卿のようなところにいるんだろうって
時々思っていたことがあって。
自分で探してきて選んできたようで、
でも導かれてきたんだなと思うと、
これからも御心のままにだなと思いました。

あっちゃん:

正直、昨日いさどんが言ったことも理解していなくて。
そのまま皆のひとりごとを聞いて、
皆が「いいよね」と言う雰囲気の中に
なかなか入れない自分がいました。
今日、何人かの人とシェアした時に、
それはそれでいいんじゃないかって言われて。
自分を責める気持ちもあるんですけれど、
それでいいのかなって今は思っています。

たっちゃん:

反応の早い、遅いって面白いなって。
昨日理解できなかった人がいて、
反応が遅れてくる人がいると、
また自分の内面を振り返るきっかけとなるから、
より学びになるなって。
そういう人たちは落ち込んでいますと言うけれど、
僕にはありがたい。

いさどん:

ひとりごとの芽が、昨日出た人もいた。
昨日即座に、
「ごめん、私あほだからわからないわ」と言った人もいれば、
今日になってわからないと言っている人もいるし、
今日になってわかったと言う人もいる。
本当に自然農法の種のように一律じゃない。
だから、わからなくてもいいのよ。
おめでとう!
その時はわからなくても、
思い切りかっこつけて皆に合わせておけばいいのよ(笑)

あっちゃん:

一応、顔はそういうふうにしていたつもり(一同爆笑)


地球が成長している~あなたが主役の時代

いさどん:

実は、謝りたいのは本当なんだけれど、
今までやってきたことはすごく有効だった。
有効だったけれど、
これからの道を皆が行くためには、
意識の転換が必要であるということ。

こんなに心磨きを大切にしている人たちって、
なかなかいないよね。
これは普通じゃない。
やはり、何かの強い力が働いている。
そして、心磨きを大切にして生きている一人一人が、
そのことにしっかりと共鳴している。

ようこ:

いさどんが謝りたいと言ったのは、
いさどん自身がそう思っているというよりも、
神様がそうさせたのだと思ってた。

いさどん:

ごめんなさいと言って謝りたいのではなくてね。
ただ、一方の方向から皆を誘導していたことになるから。
一般的にいうごめんなさいという感情があるわけではない。

もし、心のボタンの掛け違いをしている人がいて、
そういう人に、「いいんだよ、いいんだよ」と、
そのままそちらに行くことを容認するかと言ったら、
それは見守っていくことが大切なんだ。
そうでないほうへ本人が気づくために、
「いいんだよ、いいんだよ」と見守っていく。

光の存在である神様が、
神様の意思でこの世界に闇を創った。
闇が目的なのではない。
光が目的なのだから。
でも、その光のために、
闇を創らないといけなかった。
そうすると、
光と闇が相互に支え合っているのだから、
どちらも大事なものとしてこの世界にある。

そこで、神様が光だけを大切にして、
光のほうへだけ向かおうと言ってしまったら、
それは、真実に対する半分の回答になり、
人々は一方のほうへだけ価値観を持ってしまう。
今までは、学びの段階として、
「よいほうへ行く」ということのほうがわかりやすいから、
そう伝えてきた。
しかし、実は両方が大事なんだよ、と。

今、気持ちがすさんでいる人が、
すさんでいる自分の心にふさわしく暗くなっていくのは、
ある意味、楽なほうへ行っている。
最終的に自殺することも、
楽なほうなんだから。

自殺することは最も不幸なことだと言ってきたけれど、
果たしてそうだろうかと言ったら、
自殺の反対は、命を全うして光のほうへ行くということ。
自殺は命を絶って闇のほうへ行くということなんだけれど、
それは右と左の両極を支えているということ。
そこには、生き方の両極の事例ということしかない。

最近は、光のほうへ行って命を全うし、
人生を完成させ悟りへ行く人がほとんどいない。
逆に、途中で命を絶って
闇のほうへ行く人が多くなってきている。
それは、今の世の中を表わしている現象にしかすぎない。

現象を冷静に観て、
私たちはどうしたらいいのかという
判断をすればいいのである。
現象を冷静に観るためには、
そういう事例も必要である。
それこそ、他人事であっても
自らの痛みを伴うくらいの現象が起きると、
その分だけ学ぶ力が働く。

それを、自殺することは
不幸だ、だめだと言うのは一方通行の話で、
それをだめだと決めつけてしまったら、
そこから学べることはなくなってしまう。
こっちが大切でこっちがだめとしてしまったら、
出来事の奥にあるメッセージが観えなくなってしまう。

この世界にある出来事の重みは、全て同じである。
そういう学びの段階に入ったということ。
全てが尊い。

一人一人が自分の意思で、
どういうふうに生きることがいいのか、ということを選ぶ。
それが多様性だから。
そこでは、こっちがいいよ、
こっちへ行こうよという言葉がなくなる。
一人一人が自分の意思で、
ひとりごとのように自分の生き方を探して、
自分の意思で歩んでいく。

それが、一人一人の道であり、
その人オリジナルの生き方であり、
その上で極めていく。
その結果、気づいたら、
同じことを求めている人たちがいる。
それはなぜかというと、
全て同じもとから生まれてきて、
同じもので維持されているから。
同じところへ行くのは、当たり前のこと。
皆それぞれ、ばらばらの歩みをしながら、
一つのものであるということに目覚めていく。

こうやって語って公開することは、
また誘導していることになるのだろう。
でも、ついつい語ってしまう。

それが噴き出るのも僕の個性だから、
個性として、それも大切にしないといけない。
ひとりごとだから。

ようこ:

ひとりごととして、公開すればいいよね(笑)

いさどん:

そう、いさどんの「おやじの館」はひとりごと。

ようこ:

おやじのつぶやき、とかね。注意書きで、
「決して誘導しているわけではありません(笑)」と。

いさどん:

あなたのために語っているのではありません。
いさどんのつぶやきです。

問題を抱えた人たちに、
もっと、ひとりごとを聞いてもらえればいいんだよね。
情報提供。
いいも悪いもなく、
「こういうふうに見えますよ。
あなたはどうしますか?
この世界では、どちらも大切なことですよ。」

16年近く歩んできて、
その前からすると30年近い歩みなんだけれど。
ずいぶん来たものだなと思う。
ここまで来たかと今振り返って、景色を観ている気分。

富士山のような一気に登っていく山ではなくて、
なだらかな山を上がったり下りたり、
上がったり下りたりしながら、
ハイキングのような感じで
ずいぶん長いこと来たなという心境だね。

そして今、ちょっと高い山の峠に来て、後ろを眺める。
峠のふもとにある村が見えている。
あそこを通ってきたんだよねと、そういう心境だね。

ようこ:

昨日の夜は、
16年近くの大晦日のような感じだったね。

いさどん:

そうそう。本当にそういう感じだった。
僕は一瞬、
「今日は何日なんだろう?
これは、何かの記念日なんだろうか」と思った。

ようこ:

ようやく、一人一人の時代が来た。

いさどん:

今まで言っていたことが、
こういう方向へ実現するんだと。
一人一人の時代で、一人一人が輝いて、一人一人が主役の時代。
こうしなきゃ、
ああしなきゃと今まで言っていたことが、
全く逆の表現で実現するぞと。
こうしなきゃと言っている時には、
なかなかならなかった。

ようこ:

いさどんの今年の目標の、
「いさどんが目立たなくなる」ということも、
今まで、一人一人の意識が大切だ、
一人一人がリーダーとして場を創っていこうと言ってきたけれど、
なかなかならなかった。

いさどん:

「今年は僕を目立たなくしてほしい」って
皆に向かってお願いしたけれど、
皆にもお願いするべきだったけれど、
自分にもお願いをして、
その両方が気づいた時に完成するってことだったんだね。

今年の目標が、
12月のこの時に来て、
やはり約束通り達成されるなと。
この暮れの一年の振り返りには、
目標達成されましたと言って、
喜びとも悲しみともどちらでもない顔をして。
そこには達成という言葉もない。
そこにある空気を皆で共有する。

昨日ミーティングが終わった後、
「いさどん、ありがとう」って
何人かが僕のところへ来た。
皆が、「今までありがとう」と言って、
まるで、僕が旅立っていくのを見送ってくれるような、
僕が臨終の時を迎えてお別れを言っているような。
それこそ大晦日のような。
この空気、面白いなと思っていた。

大きな学びのきっかけとなったものに、そ
こから自立していく自分が
「これからは自分で歩んでいくから、今までありがとうね」
と言っているような。
ありがとうと言って、
その先に別々の暮らしがあるかと言ったら、
一緒なんだよね。それが面白い。
また、新しい道を一緒に歩む。

私たちは、
神様のことをどんどん気づいていって、
いつも「ありがたい、ありがたい」と言う。
「神様ありがとうございます」と言うけれど、
それじゃそこで終わりなのかと言ったら、
また次の旅が始まっている。
「この段階の神様ありがとう。
次の段階の神様よろしくお願いします」
という感じだよね。

だから、
「ここまでのいさどん、ありがとう。
次に一緒に行くいさどん、よろしく」
という感じなのかね。

ようこ:

心の師弟から同志へ。

いさどん:

そうそう、僕も同じなんだよね。
「ここまでの皆、ありがとう。
ここからの皆、またよろしく」という感じだね。

ようこ:

年末の心の大掃除がいい感じで進んでいるね。

いさどん:

まだ年末まで時間があるから。
これが整備されて、
きっと、どんどんどんどん皆の心の中に、
決めごとがなくシンプルになっていく。
その快感を味わうと、さらに掘り下げて
高めていけるということだよね。
下げるのも上げるのも同時という。
それを喜びとするようになるんだろうね。

国を司る人々が、
「真剣にこの国をよい国に導きたいと思うのですが、
どうやっても上手くいきません。
風の便りに、理想の暮らしをしている人々がいると聞いたので、
そこへ行ってどうしたらいいのか聞いてこようと話し合って、
ここまで訪ねてきました。
どのようにしたら、この
国はいい国として治まるでしょうか」と尋ねる時に、
「それは制度でもなく、
言葉で表されるものでもありません。
ここの人々の暮らし方を観て下さい。
これが、あるべき生き方ですよ」と、それを見せるだけ。

今、僕はこれを本にして出す必要があると思っていて、
そのタイトルを考えている。
イメージはあるけれど、まだ言葉は出てこない。

ようこ:

来年は、本作りが進みそうだね。

いさどん:

年内にこれが終わって、来年は本作りにかかる。
いろいろな価値観、宗教やイデオロギーや哲学、
そういったものがどれも共通して尊いということを
理解するためのつなぎ役。酵素のような本。
これはまさしく、あなたが主役になるための指南書。

人間たちは、
過去にメシアたちからいただいた財産に、
ずっとおんぶしてきた。
そろそろ自分たちが、その財産を受けて、
さらにそれに積み重ねて、新たな時代を歩んでいく。
そういう時代が来ている。

誰もが神の子であり、
誰もが人であるとしたならば、
誰もがキリストやブッダになれる。
イエスやブッダとして生きていける。
それが求められている。
過去に、イエスやブッダは特別な人として存在していた。
人々の指針であった。
そこには、尊きものとまだ途上のものがいた。

これからの時代は、
一人びとりがイエスやブッダであり、
誰もが真実を観るものとして生きている時代。
それは宗教ではない
宗教は、伝えるものと伝えられるものによって
創るものだから。
それは真実ではない。
全ては対等であり、平等の世界である。

地球が成長している。
地球が成長している。
地球が成長している。


皆のひとりごと

昨夜は、木の花憲章の話し合いの前に、
急遽、いさどんブログ「一人一人に問う」を
皆でシェアすることになりました。
「皆それぞれ、思うことをひとりごととして出していったら?」
といういさどんの提案に、
どんどんひとりごとが出てきました。

いさおちゃん:

はい、ネガティブ代表!
僕はここに来てもうじき4年になるけれど、
一番大きな転換になるかもしれない。
すごく衝撃を受けています。
いさどんが並べていったマイナスのことは、
大体僕は考えているし、
自分の中でそういう考えとプラスの考えが衝突して、
それでずっと苦しんできた。
マイナスな感情を持ってちゃいけないと自分を責めてきたし、
それが外れたらどんなにいいんだろうと思っていた。
だから、ここで橋がかかるのかなって。

たっちゃん:

心の中で起こる綱引き、
エネルギーの引っ張り合いも、
世の中で起こっていることも
似ているなと思っています。
始めは、善と悪がはっきりした状態から、
それがどんどん多様化して、
善だか悪だかわからないのが
今の時代かなと思っていて。
コミュニティも同じだと思っていて、
ある程度多様化した時に
生まれてくるものがあると思っています。
一つの方向性に進んでいくよりも、
多様なエネルギーのかたまりが
生み出すものがあるのかなって。

みかちゃん:

いさどんが皆を誘導してきたという見方は、
私がここに出会った当初、ここはそうだなと思っていました。
「いさどんさえいなければ、ここはいい場所なのに(笑)」と。
ここに来てからは、
なるべくポジティブにポジティブにとやってきたけれど、
自分の中から否定的なマインドが消えたかというと、
何ひとつ消えていない。
天国を感じたかと思うと、
自分の想いが出てきた瞬間に
地獄に落ちるということの繰り返しで。
ただ以前と違うのは、ここに来て、
自分の内からだけではなく
外から観るということを訓練されたなって。
今の話を聞いて、進化を感じて、
またひとつぞくぞくする。
言葉では言い表せないけれど。
いいの?タガを外しても、って。

たっちゃん:

ここまで来たのかと思って。
まず、お礼を言いたい。

いさどん:

僕はお詫びをしたい(笑)。

たっちゃん:

人類は、こういう場を創ってきたのかなと思って。
イエスやブッダやそういったものが現れて、
一つの方向性をもって教団を創ってきた歴史がある。
でも、引っ張ってきたものは必ず崩壊した。
そこを超えてこなかったから、今がある。
そして今、木の花はこういう段階なんだなと思って。
一定の方向へ持ってっちゃいけないと思いつつも、
お礼が言いたいなと。
ありがとうございます。

みかちゃん:

私もお礼を言いたいです。
ここまで一緒に旅をしてきて。

まりちゃん:

1週間前いさどんに、
「10年ぶりくらいにじっくり話そうよ。
笑かし合戦なしで真面目な話をしようよ(笑)」って言っていたら、
今日夕方、そういう時間がふっとできて。
人をやる気にさせるにはどうしたらいいと思う?って聞いたら、
今日その話が出るぞって。
私はね、誰かに言われてやるとか、
誰かに言われて反省することも必要だけれど、
やっぱり「自ら」というのが一番早いと思うからって。
今の話を聞いて、
やっぱり「自ら」というところへ来るんだなと思いました。

まり姉:

「いさどんがこういうふうに言っていた。
いさどんが前にこう言っていた。」と皆が言うことに対して、
自分が敏感になっていた。
私も昔は、いさどんのことを神様のように思っていて、
悩みを聞いてもらったりしていたけれど、
聞いてばかりではいかん、
自分も語る人にならないと、と思ってきた。
この生き方が大事だと思って自分で選んできているから、
いさどんがお詫びといっても、
うーんと思うだけで、
いさどんはいさどんで、
私たちは私たちで選んできているから、
悔いはない。
今までのことに全く後悔はない。

れいちゃん:

やっぱり今日のコメントは本当にびっくりで、突然で。
このことから、いさどんについて思うことは、
この15年間、いさどんは神様からの啓示があって
こういうことになっているんだけれど、
生身の人間としてはここを守ってきた。
皆が食べることも寝ることもできるように守ってきてくれた。
私はその中で、まだまだ精神的にも子供であって。
でも、いつまでも子供のままではいけないと思います。
変革という話が最近出てきたんだけれど、
それに合わせて、こういうことも出てきているのかなと思います。

まこっちゃん:

僕はここに来る前に、
3年間引きこもっていたんだけれど、
ここに来て本当に幸せで、
どんな状況でも幸せに思える心ができて、
ありがたいなって。
昨日、ひまわりまでいさどんと車で一緒になった時に、
ふと自分は「いさどんのことを
あんまり想ったことがなかったな」と思って、
じゃあいさどんのことを想った時に
何ができるのかなって、
神様に聞いてみたりしたんだけれど。
今、自分が幸せに思えるということを
皆の前で言えることが、
皆のためにもなるし、
いさどんのためにもなるかなって。
いさどんも僕も一緒だから、
僕が幸せならいさどんも幸せかなって思います。

ちなっぴ:

私はあほなのか、
いさどんから詫びたいという言葉があったんだけれど、
何を詫びたいのかがよくわからなくて。
だって実際に、ここが始まって、
いろんな出来事があって、ここまで来て、
こうやって沢山のメンバーが集って、
こんなに素敵な場所があるのに、
どこが詫びたいのかなって思いました。
そして、これから道代ちゃんが
世界にいろんなことを発信していって、
どんどんすごくありがたい流れがきていて。
いさどんに言われたからではなくて、
本当に皆が世の中のためになりたいから
集っていると思うし、自分もそうだから。
ただただ、ありがたいなと思います。

こうちゃん:

一人一人に任せなきゃということを想っていて。
それは一人一人が、自分のことを客観的に捉えて、
自分で見つめてどう持っていくのか、
やったらいいよねって。
でも、そうじゃなきゃここは脱せないよ、
だからそうしようよと言うと、
今までと一緒になっちゃうから言わないけど(笑)

りょうちん:

以前僕がここを出ていくと言った時に、
皆から言ってもらった言葉があったから、
今自分はここにいると思っていて。
自分に何か一つの方向を与えてもらうことで、
自分の中からもう一つの方向が出て、
確認していくことができて。
ここには確かに一つの方向があるのだけれど、
それによって自分の答えも出てきたなと思っています。
いさどんからマインドコントロールという言葉が出てきたけれど、
やっぱり自分で選んできたなと思います。

でこちゃん:

いさどんが、ここは主義でもイズムでもない、
と言っていたことが実感だなと思っていたの。
私を育ててきてくれた人が共産党だったり、
自分もヤマギシにいたこともあったけれど、
ここでは自然と調和して、
そこから学んでいくということが本当に実感できて。
ここで元気にやっていけるのが幸せだなと思います。

みちよちゃん:

私もネガティブのかたまりのような人間だから、
「ここで心を磨いていくには、
こういうふうに考えないといけないんでしょ。
そうしないとここにいられないんでしょ。
だから仕方なくやるわよ」という心が、
最初はいっぱいあった。
でも、今は自分が楽になっていて、
枠も広がったと思うし、結果としてすごくいい状態があって。
今どっちを選んでもいいんだよと提示された時に、
やっぱり今まで学んできたやり方を選ぶだろうなって。
でもそれは、こうしなきゃいけないからということではなくて、
自分で選んでやっているなという実感を持てることがすごく嬉しい。
外に対してここのことを伝える時にも、
「私がこの生き方を選んでいる」と伝えると、
木の花に対してアレルギーを持っている人にも
より伝えることができるのかなと思いました。
一人一人の自覚と責任が問われるなって思うと同時に、
嬉しい感じ。

あきちゃん:

私は共同生活とか、
農的な暮らしをしに来たつもりではなくて、
いさどんのところへ学びに来たというのがあって。
どんどん枠が広がって考え方が変わっていった。
何もわからないところから学ばせてもらって、
また一つこういうものが出てきて、
自分自身を考えて学んでいくんだなと思いました。

じゅんじまん:

いさどんの言葉というのは本当に深いな、
といつものことながら感心して聞いていました。
ネガティブに考える時も、よくここまで考えるなと(笑)
本当に素晴らしいなと。
いさどんの癖で、深く考えていくと、
もうどんどんどんどんそちらのほうへ考えていく。
今聞きながら、最初はいさどんの癖かなと思っていた。
でも、よくよく考えてみたら、神様の癖だと。
神様はそうやっていろいろなものを表わされる。
来年からは変革の年ということで、
また新たなきっかけとなる話だと思って聞いていました。
いさどんは、神様のことを忠実に表現しているだけであって、
皆、いさどんについてきたわけではない。
昔のいさどんは、こんなに細かいことを語らなかった。
その時その時の状況に応じて語ってきている。
今はこれでいいなと。
人それぞれ想いはあるけれど、
我々はどこに想いを持っていけばいいのか。
ネガティブに想えばネガティブな想いがあるし、
ポジティブになればポジティブ。
その真ん中に行ったらいいなと。
振れても、真ん中に心を持っていけばいいなと。
だから、一人一人がやっていけばいいなと思いました。

らぶちゃん:

私はここで一番、
木の花ファミリーやいさどんと出会ってから
時間が短いのだけれど、
ここに来て最初に思ったのは、
いさどんがいてそれがありきだなと感じた。
もちろん、いさどんのことはすごいなと思うし、
勉強は沢山させてもらっているけれど。
でも、ここにいる皆の志が本当に高くて、
それぞれの人が向上心を持っている姿を見て感じたから、
私はここにいたいなと思いました。
ベースはもちろん一つで、
人それぞれいろいろな形で、
言葉にしたり行動したりしているのを感じるから、
そういうところがいいなと思います。

えいこばーちゃん:

私もいさどんと出会って
ありがたく導かれたと思っています。
この年になっても、いろいろ吸収ができて、
一般の年寄りだと年を取っているからもういいよ、
という感じなんだけれど。
毎日がすごくありがたくて幸せだなと思います。
夫を亡くして、
皆のために少しでも
お役に立てたらいいなと思ってここに来て、
こんなところにいれて、
最先端のことが次から次へと起きて、
本当に幸せだなと思っています。

みほちゃん:

さっきいさどんが皆に謝りたいと言ったことで、
私はすごく目が覚めたというか。
今までいさどんや他の人が
「自分で考えていこう」と強く言っている時でも、
そこまで応えなかったけれど、
いさどんが謝りたいと言ったことがすごく応えて。
これからは、自分で考えていかなきゃなという
想いが強くなりました。
さっきじゅんじまんが言っていたように、
揺れながらでも、真ん中を歩いていく。
一人で揺れても、皆がいるから
また戻るということもあると思うから、
揺れながらでも真ん中を歩いていくことが、
私もいいなと思って聞いていました。

いさおちゃん:

多様性という意味で幅があるなと。
こういう話を聞いて、
ネガティブな話が全部わかると言って
胸が痛くなるくらいうーっとなっている僕と、
「何のことだかさっぱりわからないよー。
何がごめんなさいなの?」という
ちなっぴまでの距離はすごいよなって(笑)

みかちゃん:

今の皆の話を聞いていてすごく安心したのは、
ここにはゆるぎない絆と多様性があるということが確認できたこと。
神様の信託という言葉かどうかはわからないけれど、
いさどんが一手にそれを背負って、
ここの場のまとめ役として、
今まで親代わりに役割をしてきたけれど、
もう皆が巣立つ時期に来たのかなと思います。
本当にこの5年間、自分が育てられたな、
今は全く不安がない、楽になった、
ありがたいなという言葉しかないな。

のりちゃん:

昨日憲章の話し合いをしている時に、
木の花の進化を感じてね。
私たちが愛知県から来て、
ぼろ家からスタートした時の
ミーティングの景色との違いがあまりにもあってね。
そこでいさどんは、
「俺はここを守るんだ。こんな奴らとやっていけるか」
と言って家出もした。
「ここではパソコンなんかやるもんじゃない」
と言っていたのが、今は何台もあって(笑)
とにかく、この15年の進化がすごいスピードだなと思うの。
そこでいさどんが一貫して言っていたのは、
「俺はここを守るんだ」って。
だから、ここの調和を壊すものにすごく厳しかった。
いさどんは神様の媒体で、
それも神様の意思で、その結果
今ここがあるなって。
過去を振り返ってみて、
その延長で前を見れば一本道だから、
私は本当に順調だなと思います。

あいちゃん:

私はいさどんと一番長い友達なんですけれど、
いさどんからマインドコントロールという言葉を聞くと、
自分一人ではとても歩んでこれなかったなと思います。
いさどんの力や皆の心を感じながら、
ここまで自分を見つめたり、高め合ったり、
どんなことでも共有し合ったり、
ワンネスが根底にあったんだと思っています。
10年前は、皆自分のことばっかりだったから、
最終的にはいさどんからの
「これはこういうことだね」という
締めの言葉を待っていることが多かった。
今は、皆で語り合うことで真実が生まれて、
どの人からも心が発信されて、
いいも悪いも全部が愛なんだなと感じています。
学べることが本当にありがたくて、
皆の心でここができあがっていくんだなと思っています。