手かざしは、人に内在する能力として、人々の健康や意識の向上に役立つものです。手かざしの正しい手法とそれを行なう時の姿勢を整え、社会の健全に役立てて頂ければ幸いです。
【他者にヒーリングを提供する場合】
まず、手かざしをする時、そのエネルギーはどこから来て、どのような仕組みなのかを説明します。
はじめに、目的の部位から適度な距離を置いて、右手をかざします。同時に、眉間のチャクラを意識し、そこから斜め45度上に向かって、これからその行為を行う意志を天(大気)に発します。その際、目は半眼の状態を保ちます。それは、あくまでも体は気の通り道として利用するものであり、この行為に思惑を乗せないことが大切だからです。
そうすると、頭頂チャクラから大気のエネルギー(プラーナ)が頭部を通って体の中に入ってきます。この時、体は気を圧縮するコンプレッサーの役割を果たします。気のエネルギーは体の中で圧縮され、圧縮された気が右手の平から目的の部位に向かって流れます。そこで思いを乗せて手の平に意識が行き過ぎると、流れに無理が生じます。この所作の目的は、大気の生命力を気として体内に取り入れ、それを圧縮し、強い流れとして、対象の不健全な細胞配列を健全に整えるものです。そのため、まず眉間チャクラから意志を発し、頭頂チャクラから取り入れた大気のプラーナ(生命力)を体内で圧縮して手の平から発する仕組みをよく理解し、イメージすることが大切です。
目的の部位に右手をかざしたら、その反対側に、気の流れの受け皿として左手を添え、目的の部位を両手ではさみます(両手は部位から適度に離します)。そして、右手の平から強いエネルギーの流れが発せられることをイメージしながら、左手でそのエネルギーを引き込みます。その時、左手に入ってくる負のエネルギーは、左腕の付け根(肩)で止めるイメージをします。正のエネルギーは体の中に取り込んでもいいのですが、負のエネルギー(毒・矛盾)は、必ず左腕の付け根(肩)にフィルターをイメージし、そこで止めます。病気や矛盾を持っている人に手かざしを行うと、左腕の付け根が重くなってきますので、それがある程度溜まったら、左手の平を上に向けて空中にその毒・矛盾を解き放ち、一度リセットしてから次の所作に入ります。
左利きの人の場合は、引き込む左手のエネルギーが強いので、右手の押し出す力を強めることになります。左は陰の側ですから、内に引き込む役割を果たし、右は陽の側ですから、外に押し出す役割を果たします。そこで、「押す」と「引く」の間に強い流れができ、その間に手かざしをする目的の箇所を置くことによって、その気の流れが人間の細胞の配列を正常にしていくのです。そろばんで計算した後に、ご破算にするようなイメージです。
これは対向発生の原理であり、互いの役割の違いを有効に生かすものです。右利きの人も左利きの人も、右手(押す力)と左手(引く力)のどちらが主になるかの違いだけで、右から左への流れが変わるわけではありません。
さらに、手かざしを右手だけで行なうことも出来ます。その場合、右手の押し出すエネルギーをもって、目的の箇所に気の流れを当てることにより、細胞配列を正常にしていくという行為になります。
また、目的の箇所に手を当てて行なう場合は、「手当て」ということになります。「手かざし」の場合は、手かざしをする箇所から手を離すことによって、気の流れをつくり、その間の流れをもって目的の箇所の細胞配列を正常にします。ですから、手かざしは基本的には離してやるものです。
このように人間の肉体に秘められた能力は、誰にでもあるものです。その能力を開発することは、日常生活の健全かつ社会の健全に大いに役立ちます。日本では、こういった行為が、宗教的な場所でご利益として広められてきました。それは、一般的に人の精神性の向上や健康のために十分に理解されてきたとは言えません。イギリスなどでは、それをスピリチュアルヒーリングとして、医療機関も取り入れています。本来、人の優れた能力として、日常的にこういった所作を利用することは、個人かつ社会の健全化において望ましいことであると考えます。
【自己ヒーリング】
ヒーリングの方法として、もうひとつご紹介します。
一般的に、人は生きていると、体に負のエネルギーを蓄えることになります。その蓄積されたストレスや疲労を解消する手段として、自己ヒーリングという方法があります。それは睡眠前など時間の余裕のある時に行うと良いでしょう。人の体に発生した負のエネルギーは、それを流し出し、健全で安定した状態にすることが大切です。一日の終わりのけじめとして、そういった取り組みをすることは、新たな日を迎えるにあたり、気持ちの良い一日を過ごすために大切にしたいものです。
自己ヒーリングを行う時は、仰向けになります。そして、眉間チャクラから真上に向かって自らの意志を天(大気)に発し、頭頂チャクラから大気のエネルギーを受け取ることを意識します。両手の平は上に向け、両足は肩幅程度に開きます。その際、全身で天から降りてくる気を浴びることを意識し、体の力を抜き、リラックスします。
まず、右腕から右手の平までを意識し、その日に活躍してくれた右手に感謝し、負のエネルギーを解き放つイメージで、手の平を軽く握り、ゆっくり開きながら空中にその負のエネルギーを放ちます。この所作はリラックスした状態で、エネルギーが解き放たれるのを意識しながら、ゆっくりと行ないましょう。「右手さん、今日一日ご苦労様でした。ありがとうございます」とイメージしながら(言葉に出してもよい)、行なって下さい。その時に、細胞一つひとつを意識して感謝すると、日頃から細胞はそのように心を向けられることがありませんので、細胞はとても喜びます。負のエネルギーを放つ時には、同時に息を吐きながら行なってください。その際、まずは息を吸って、吐きながら負のエネルギーを解き放ちましょう。負のエネルギーを解き放つ行為は何回か繰り返し行なっても構いません。気持ち良くなるまで行なってください。
同じように、左腕から左手の平までを意識し、左手にも感謝し、負のエネルギーを空中に解き放ちます。細胞すべてを意識しながら、「左手さん、今日一日ご苦労様でした。ありがとうございます」とイメージし(言葉に出してもよい)、息を吐きながら負のエネルギーを放ちましょう。
次に、右足の付け根から足先までを意識し、右足に感謝しながら、右足の裏から負のエネルギーを空中に放ちます。「右足さん、今日一日ご苦労様でした。ありがとうございます」とイメージしましょう(言葉に出してもよい)。息を吸い、吐きながら負のエネルギーを放ちましょう。
同じように、左足についても行ないます。
次に、全身に感謝し、「体さん、今日一日ご苦労様でした。ありがとうございます」とイメージしながら(言葉に出してもよい)、息を吸い、吐きながら両手両足から負のエネルギーを空中に放出します。
最後に、頭を意識し、頭の中の思考を停止するイメージでリセットします。頭は思考がまわりすぎていると、ちょうど眉毛の上あたりが一番こっているものです。ここの筋肉を緩めて思考をなしにして行ないましょう。人が思考をする時には、必ず眉毛の上あたりに輪がはまり、この位置で思考を横にまわすようになっています。よく思考をまわす人は、この輪が強く締められています。ですから、これを緩め、なしにしていくことをイメージしましょう。その際、同時に全身の力も抜きましょう。全身の力を抜く時は、軽く深呼吸をして、息を吐きながら力を抜きます。そして、「ありがとうございます」と感謝しながら、思考エネルギーを眉間チャクラから空中に放出しましょう。
各部所で負のエネルギーを空中に放出するたびに、そのエネルギーが活躍してくれたことに感謝する意味で、「ありがとうございます」という言葉を添えて、放出したいものです。そのようにして、自らの中の一日に溜め込んだ負のエネルギーをすべて流した後に、もう一度、「今日一日、ありがとうございました」という感謝の心を込めて、全身を感謝の響きで包みましょう。これで自己ヒーリングを完了します。
イメージとしては、脳の思考をすべて空にした段階で、シャバーサナ(死体のポーズ)を意識するのが良いでしょう。シャバーサナのポーズに入ったら、出来る限り思考はまわさないように、全身の力を抜き、床に体がへばりつくような重力を感じてください。呼吸は常に吐くことを意識しましょう。最終的には、自分の体の質量がなくなり、体が空中に浮いていることをイメージします。そして最後は、無重力の宇宙空間に浮いているイメージをしましょう。星がたくさんある世界をイメージし、自分もその星のひとつになってみましょう。
そういった体に対する感謝の姿勢が日常の中で定着してくると、それを毎日行なわなくても、自動的に一日の終了時に無重力を意識するだけで、負のエネルギーをリセット出来るような人となります(ミノナライ)。
【手かざしを行なうための心構え】
手かざしを行なう上で理解すべき最も重要なことは、欲の心を絡めて行なうのではなく、人に内在する可能性を開発するために行なうということです。そういった内なる気付きを得るための機会にしたいものです。とかく人間は、健康になろうなどという私欲の延長にそういった行為を行なうことにより、それが本来の人としての優れた気付きを得るためのものとは、違うものになってしまうのです。
大切なのは、「私は空っぽですから、私をあなたのエネルギーの通り道にしてください」と天を意識することです。「治してあげよう」とか、「良くしよう」という私欲の意識を持って行なうことは禁物です。その場合、そこに自我が入ることにより、発せられるエネルギーはきれいなものとは言えないものになってしまいます。ですから、何も想いが入っていない美しいものとして、エネルギーの通り道を創り、それを圧縮して発しているだけの意識で行なうことが肝要です。
ヒーリングを行なう時の心構えとして大切なのは、私たちは対象に対して何かを「やってあげる」のではない、ということです。「やらせていただきます」という姿勢が肝心です。それはなぜかというと、そのエネルギーを対象に発することにより、自らの全身の気の通りを良くすることにつながるからです。人にやらせてもらうことによって、やればやるほど、自分自身の気の通りは良くなっていきます。ですから、常に、「やらせていただいて、ありがとうございます」という心構えで行なうことが肝要なのです。
そもそも私たち地球生命は、空気を吸い、食べ物を取り入れて生きています。生命活動を維持するために必要なことを行ない、命をつないでいるのです。命がつながっていくということは、生命力があるからです。いくら生命活動をつなげようとして、いくら呼吸をしても、そしていくら食べ物を取り入れ栄養を摂ったとしても、生命力がなければ命をつなぐことはできません。生命力がないということは、簡単に言えば、寿命が来たということです。それは心臓が停止するというような、生命を維持するための機能が働かなくなったということです。
そもそも、私たちは生命力の源がどこにあるのかということを認識する必要があります。それは、呼吸にあります。呼吸というのは、単に酸素を取り入れている行為ではありません。空気の中に酸素はありますが、「空気」とは「空(から)の気」と書くように、空っぽで駆け引きも何もないことを指します。つまり、空というのは、美しさや純粋さ、始まりを示し、そのような気が地球を包んでいるのです。
地球と大気の関係を卵に例えると、卵の中身が地球だとしたら、その外側の殻の厚みが大気となります。それはとてつもなく薄いのですが、それでも空気の層には100kmの厚みがあります。地球上で最も高い山はエベレストであり、これは9000m弱の高さです。それよりもずっと上まで大気の層はあるのです。この大気の層は、下へ行くほど気圧が高くなり、上へ行くほど気圧が低くなります。気圧が高いということは、生命力が高いということです。ですから、生命は地表に湧くようになっているのです。
私たちは常に空気を吸うことによって、大気の酸素を取り入れ、循環の中で生命活動をしています。同時に、私たちは空気から「気」を取り入れています。人によって健康であったり不健康であったり、生命力が強かったり弱かったりするものですが、それはその人の空気を取り入れる姿勢にあるのです。たとえば、呼吸をする時には、吐くことを意識します。吐くということは、自らの中にあるものを空(から)にするということであり、それによって新しいものが自動的に入ってくるのです。
台風が来ると気圧が低くなり、1気圧(1013ヘクトパスカル)よりも低くなれば、海面を押さえている力が弱くなるため、潮位が上昇します。つまり、日頃から空気の圧が海面を押さえているのです。私たちはその気圧を受けながら、自らの体を保っています。そして、その気は吐き出せば吐き出すほど、入ってくるものなのです。それだけ私たちには、常に圧力がかかっているのです。
そこで「気をたくさん引き入れてやろう」と思うのは、既に自我の欲が働いていることになります。呼吸は、吐けば自動的に入るようになっています。それがこの世界の仕組みです。そこに欲をかけると、さらに自我に汚れることになります。ですから、「吸ってやろう」と思わないようにしましょう。日頃生活している時でも、「得をしよう」「良い思いをしたい」と考えている人の姿勢は、すでに「この世界に生かされている」という姿勢から外れていることになるのです。
では、どのような姿勢で生きることが望ましいのでしょうか。それは、自らがこの世界に生かされていることを悟り、「ありがとうございます」「いただきます」という心になった時、自ずとそれにふさわしい姿勢になるのです。
はるか昔、13000年前のカタカムナ人たちは、現代のようなテクノロジーもなかったため、自然の仕組みの中でその仕組みのままに生きるしか術がありませんでした。その中で、自らの種を存続させ、生を全うするためには、様々な危険がありました。厳しい気候や危険な動物に出会うこともあれば、現代のような作物の栽培技術があるわけでもないので、その都度自然から命の糧をいただく必要があったのです。
だからこそ、人々は常に、自然と対話しながら生きていました。ハワイの先住民たちが星と対話しながら生きていたように、それは特別なことではなく、生きる上で当たり前の姿勢でした。星と対話し、危険が迫れば、それを自然から察知して生きていたのです。
そのように自然の中で生かされていた人々は、人間の姿をした宗教的な神様を想像しなくとも、日々を生きる意識レベルで見えない存在を感じ、それによって自らが生かされていることを知っていました。そしてそれが、宗教心の始まりだったのでしょう。それは、生きることに対して真剣かつ純粋な姿勢でした。
手かざしは、これまでの宗教のように、ご利益を求めて行うものではありません。そこを慎まなければ、この行為の効力は発揮されないでしょう。私たちがこの生命世界の中で健康に生きる仕組みをよく理解した上で、汚れのない美しい心のもとに行なうことが大切です。もしくは、自分は汚れていると思った人が、自らの心がよりきれいになっていくために行なうことです。
これは、人間に内在する神通力のひとつです。宗教のように、ご利益を求める人間の欲が入ると害も出ますが、内に発生した滞りをきれいにしていくだけの浄化作業としての意識で行なうならば、人々の健康に大いに役立つものです。それは人間を正しくきれいにし、細胞の配列を整えるという目的のもとに行ないたいものです。そういった行為を、正しい道理のもとに互いに行ない合うことにより、絆をもたらすことにもなります。
「健全なる肉体のもとに健全なる精神が宿る」のではなく、「健全なる精神のもとに健全なる肉体が宿る」のです。この世界は「陽陰」ではなく、必ず「陰陽」、即ち、見えない「陰」が先にあります。そのことを理解した上で、手かざしを行なうべきです。そこでは、真剣な姿勢が求められます。
体の歪んだ細胞の配列を治しても、心を正さなければ、物事の根本的な解決にはなりません。生命力は本来、心に基づいてあるべきです。心が伴わない生命力は、人生の狂いの元となります。つまり、生命力とは心が伴ってあるべきであり、心もまた、本来の生命のあり方に基づいてあるべきなのです。
手かざしを日常の中に取り入れることは大切なことですが、もし取り入れるのであれば、こういった心構えを徹底的に理解し、自覚した上で行なうことが肝要です。それが「知意行一体」の精神です。そして、それを反復演練していくことによって、自然と身についていきます。そのように「ミノナライ」となった時、その人は美しい気をこの世界に発する者となれるのです。






