社会という池に、あなたは何を流しますか

「1ヶ月間の真学校」修了を4日後に控えた3月8日の夜、受講生たちも参加しての大人ミーティングで、いさどんは以下のように語りました。

この日、受講生たちと共に長野県の皆神山を訪れた帰り道に富士山の前で記念撮影
この日、長野県の皆神山を訪れた帰り道に富士山の前にて、受講生たちと一緒に

いさどん:
僕の心にある絵が浮かんできました。

そこに池があります。
その池が汚れているかいないかは、その周りで生活している人の姿勢の現れなのです。自分の生活の仕方を振り返らない人々は、池が汚れていることの原因に気が付きません。

池の水は自分たちの命であり健康や幸せの元です。しかし自らの姿勢を見ないものにとっては、その池が汚れているのは、「世の中のせい、他者のせい」なのです。しかし池をきれいに保つためには、誰の心にも共通する姿勢がないとなりません。

「私たちは、その命の池をきれいにして、みんなで美しく保ち、そして健康に生きていきましょう。」

この池というのは、私たちの創っているこの社会のことです。
その社会に向けて自分がどんな響きや心を流しているのか。
その結果、今の社会というものをつくっているのです。
誰もが自分は健康でありたいと思い、池の水を飲むときに、健康な水をいただきたいものです。

しかし、その社会の池を作っているのは、あなたなのです。
そこで「あなたはきれいな水をいただいて健康に生きていくということをしたくありませんか」と言ったら、誰もが「そうしたい」というのです。そのためには、あなたが流す心の水をきれいにしないと、社会の水・池はきれいにならないのです。簡単なことですね。

それをするにはどうしたらいいのでしょうか。それは、心の目を開けて自らを観ることです。
自らが美しくなっていけば、同時に自らを取り囲む社会もきれいになってゆくのです。
そんな明快で当たり前の道を、今の時代を生きる人々は忘れているのです。
そんな当たり前のことですが、それをただひたすら真面目にまじめにやっていけばそれが世の中を美しくすることになり、それがこれからの見本となるのです。簡単なことでしょう。

それなのに、きれいになることを「損をする」ことのように思い、素直に受け取らず、ゆがんだ心で社会の池を汚して生きている人たちがいるのです。

あなたはあなた自身をどうしたいのか、生活の糧としてある大切な社会の池をどうしたいのか、そこに暮らす一人一人が自らに問うべきだと思うのです。

そんな映像が今浮かんできたのですが、これはとても明快な話なのです。しかし、世の中にはこのことを明快に理解して生きる人が、まだまだ少ないのです。せめて私たちは、この場をそういった明快な人たちの生活の場としての見本にしたいものです。

真学校に参加された皆さんも、自らがこのプログラムに参加する前にはどのような心だったのか、そして今どんな心をしているのか。
これから真学校が終わって次のステージに旅立っていくときに、どのような心で旅立ちたいのか、自らの価値としてあなたはどんな自分でありたいのか、正直に自らの心に向き合い、そして、真学校の終了を迎えてもらいたいと思います。

 

 


21世紀は一人ひとりの目覚めの世紀です ~ エリちゃんのメッセージ編

「1ヶ月間の真学校」を受講中のエリちゃんは、カタカムナ講座を受けた日の日記にこう書いていました。

――

今日は本当に書くことがたくさんあります。今日講座の中で伝えられたことすべてに共鳴し、深く同感します。私の魂が今日の講座はとても重要なものだとわたしに伝えるのです。

ここ数年における私のビジョンだけではなく、夜に見るいくつもの夢が、いさどんによって今日ここにつながりました。わたしは今ここでわたしの運命を生きていますし、カタカムナはそのことに大いに関係しています。

今までたくさんのメッセージがわたしのもとに来て、わたしはそれをどうしたらいいのかわからなかったので、書き留めてきたのですが、それをシェアする場所がありません。わたしは特にいさどんやようこにシェアできることを知っています。あなたたちの波動はとても銀河系的なので、特にふたりの近くにいるとありがたいのです。

――

そこで、ようこ通訳のもと、エリちゃんがいさどんと話す場が持たれました。まず、いさどんは次のように語り始めました。

(いさどんとエリちゃんの前回の会話についてはこちらをご覧ください。)

 
いさどん:
わたしはなぜ今日この時間を持とうと思ったのか、よくわかりませんでした。ある意味、これは天の意向ですからね。わたしは意味がわからずに、何かの行動を取ることがあるのです。それは、人生を自分のものだと捉えていないからです。

あなたに聞きたいことがあります。本来、人間は霊的な存在です。ですから、自らの本質に目覚めると、今の人間たちのように物質的なことに追われて生きるようなことはおかしいと思うようになるのです。ただ、人間たちがこのような進化を経験するために、今のような時代を迎え、それが今、収束を迎えています。あなたはアメリカという極めてその象徴的な国に生まれ、象徴的な国の出来事として迫害された人種の血も引いているので、今の時代を余計に不自然に感じられるのです。そしてそれは、新しい時代を切り開いていくために重要な霊性だと思うのです。

天の命によって始まった木の花ファミリーには、時代を動かす宇宙的な意志がたくさん直結しています。最初、わたしはそのことがよくわからなかったのですが、だんだんその重要性を理解するようになり、今はそのことだけを一番の目的としてここで活動しています。霊的な差はありますが、ここにいるメンバーはどの人も新しい時代を切り開くモデルになることを自覚してここにいるのです。そこに差があるのは、皆で力を合わせ調和していくという意味では、差がある場所でこそそれが実現されるべきだからだと思うのです。

特にこの2016年は、ここにとっては新しいメッセージを世界に向けて発信する年でもあるのです。これは、地球規模のことですから、宇宙的な話なのです。わたしたちにとっては、地上的な生き方をするよりも、時代を意識して生きることのほうが重要なのです。そういったことも踏まえて、あなたがわたしにシェアしたいと日記に書いていたメッセージについてやいろいろな想いを聞かせてもらえればと思います。

エリちゃん:
わたしが日本に来てからたくさんのメッセージがわたしの元にやってきました。あなたがそれをどのように感じるのかを聞いてみたいと思います。なぜなら、今あなたが話したこととそれらのメッセージは似ていると感じるからです。ここ1年半の間、わたしの体は「腹(ハラ)でわたしの声を聞きなさい。腹にあなたの意識を収めなさい」と伝えてきました。

数ヶ月前、地球の中心がわたしに話しかけてきて、「あなたの意識を地球の中心につなげなさい」と伝えてきました。その地球の中心というのは、わたしの腹とつながっている感覚があるのです。それはへその緒でお母さんと胎児がつながっているような感覚です。

いさどん:
それは正しい捉え方ですね。

エリちゃん:
そうですね。そして、わたしの意識を地球の中心につなげたとたんに、わたしはとても安心したのです!それから、地球の中心はわたしの意識が宇宙につながるように伝えてきました。その宇宙とは父なる宇宙です。地球の中心は、ただ楽しむためにつながりなさいと伝えてきました。それは恋人同士の関係のように、宇宙の愛を表現するたくさんの方法のひとつなのです。それは、人間の目的であり、運命でもあるのです。人間の心が開かれていくと、宇宙との交わりが可能になるのです。

日本に来るのは今回2度目なのですが、日本に来てから地球の中心がわたしに向かって「一緒に時間を過ごしましょう」と誘ってきました。それはとても簡単でシンプルなことです。お母さんが子どもに「一緒にいましょう」と言うように、ただ一緒にいましょうというメッセージでした。

わたしは1ヶ月間の真学校を受ける前に東京にいたのですが、そのとき地球はわたしに「もし、もっと多くの人間が地球と一緒に時間を過ごすとしたら、地震などの地球の変化を人間たちに知らせることでしょう」と伝えてきました。このメッセージはわたしにとって大切なものでした。ですから、いさどんに伝えたいと思いました。しかし、こういったメッセージを、たとえば地震を防ぐために使おうとは思っていません。

次に、わたしが愛知県の伊良湖にいたときにやってきたメッセージについてお話しします。

いさどん:
わたしは伊良湖のことはよく知っていますよ。伊良湖の近くに名古屋がありますね。わたしは富士山麓に移住してくる前に名古屋に長い間住んでいました。

エリちゃん:
まあ、知らなかったわ!そもそも、今回わたしが日本にいるのも、地球からここに来なさいと呼ばれて来たようなものなのです。それで日本に来てからたくさんのメッセージがわたしのもとに降りてきて、その意味が今わかり始めてきたのです。伊良湖では、ある山がわたしに向かって、「あなたの目的は地球の声をいろいろな場所で聞き続けることです」と伝えてきました。そしてそれは祝福を意味しており、常に地球と共にあり、意識を向けていなさいというメッセージだったのです。

その後、山がわたしに伝えてきたこととして、これはシェアすることが少し恥ずかしいのですが(笑)、なぜなら性に関することだからです。ただ、いさどんはこのようなメッセージを知りたいと思っている人を知っているかもしれないので、お伝えしますね!

いさどん:
ハッハッハ。性に関することについては、1ヶ月間の真学校の中で講座がありますからね。

エリちゃん:
ハッハッハ。そのとおりですね!

いさどん:
たとえば、先程あなたは宇宙と交わるという話をしましたね。

エリちゃん:
はい、しました!

いさどん:
宇宙の成り立ちは人の交わりと同じです。ただ、人々は人の交わりが宇宙の成り立ちと同じであることを知らないだけなのです。本来、人の交わりはとても神聖なものなのです。そして、人間の意識を高めてくれるものでもあるのです。そこまでのことを外の人々に伝えるのは、今回の講座が初めてです。

エリちゃん:
その講座を受けることはとても楽しみだわ!実は、伊良湖の山からは、とても特定したメッセージももらっているのです。そのメッセージはこの性に関する講座を受けると、より深く解釈することができると思っています。そのメッセージとは、わたしが4つの異なる大陸の4つの異なるコミュニティで4人の異なる男性とそれぞれ4人の子どもをもうけ、季節毎に1人の子どもと過ごすというものです。それは地球の自転とともに生きるという意味でもあります。

いさどん:
子どもをもうけるときに重要なのは、当事者である男女の意識がこの宇宙の法のどのレベルにアクセスしているのか、ということです。たとえば低い意識のものが子どもをもうけるとしたら、宇宙の法の低い意識にアクセスしていることになります。その低い意識でもうけた子どもと高い意識でもうけた子どもとでは意識の質が違うのです。今までの時代は、賢くても意識の低い子どもたちがたくさん生まれていました。そのような人たちが世の中を支配してきたので、企みの中で優秀さが優先される社会をつくってきたのです。しかし、意識が高く、かつ優れたものが子どもをもうければ、意識の高い子どもが生まれてきて、調和的で豊かな世界が自ずと現れてくるのです。

あなたが受けたメッセージは、今までの人間の価値観からすると常識から外れたことのように捉えられるため、あなたは少し恥ずかしそうに話していましたね。しかし、これは新しい時代にとってとても重要なことだと受け取りました。あなたは簡単に4つの大陸といいましたが、それは国境を越えるということで民族や人種の垣根を超えることを意味するのです。これからの時代はそのような魂が生まれてくる必要がありますし、実際にそこでいのちを育む物理的な現象としては人間の男女の交わりかもしれませんが、その精神はもっと意識の高い存在である、たとえば宇宙と地球、大陸同士という意識が交わっているようなものなのでしょう。

本来、わたしたちは宇宙や地球の自然ネットワークの中で生かされているはずなのに、人間たちの日常の意識はそういったことを忘れてしまっています。それどころか、いのちの仕組みすら忘れ、近代の人間たちの活動はいのちの仕組みをどんどん破壊していくようなことさえしているのです。ですから今、この矛盾した世界があるのです。そのことに対する答えとして、矛盾や痛みが今この世界に現れているのです。それを正しく捉えれば、その反対のところに解決策があることは明快です。

ですから、あなたのような人は、今までの社会的価値観で言えば、変な人だったのです。その極めつけがいさどんです(笑)♪

エリちゃん:
ハッハッハ!そのとおりですね!だから、わたしはあなたに何でも話せるのです!

いさどん:
今ここへ来て、わたしはこの生き方に確信を持っています。それは、新たな時代を迎えるにあたって、非常に重要な役割をしているということです。ところが社会を見渡せば、社会の中には様々な矛盾が発生し、問題が起きているにも関わらず、ほとんどの人々が今時代のターニングポイントを迎えていることに気付いていません。だからこそ、人々の中にその気付きの兆しがなくとも、この生き方を続けていくことが重要であり、極めて狭い道を奇跡のように探しあてた、あなたとのような出会いが来るのです。

エリちゃん:
ありがとうございます!

いさどん:
この生き方の大切さを思えば思うほど、そして世の中に矛盾を感じれば感じるほど、確信はますます強くなっていくのです。

そういった中で、性に関する話はこれまで世の中に出せませんでした。それは人々の物事の捉え方が逆転していたからなのですが、特に性に関することについてはその本質から全くかけ離れた解釈がされていたからです。ですから、それがいかに神聖なものであるのかを理解した上で、行うことが大切です。神聖なものとしての性の行為は、全人類のみならず地球や宇宙、それから時代の進化を請け負う行為でもあるのです。性を通してこの世界はいのちを紡ぎ、時代を紡いでいるのですから。新たな時代を迎える今、性を汚れたものや秘め事として解釈するマインドコントロールから、人々は解放されなければいけないのです。

ですから、あなたが山から受けたメッセージについても、あなたがメッセージの意味を理解するためにここに来たとも感じています。なぜなら、カタカムナは男女の交わりの真の意味を解き明かしているのです。そして、ちょうどわたしたちも今、その中で最も重要なところを解き明かしている段階にいるのです。

今回、性の講座の中でそういった智慧をみなさんに伝えることができます。ただ、これは極めて秘伝なのですから、人の意識が高くなければ、その優れた智慧を興味本位に受け取り正しく活かすことができません。今まで人類はそのような間違いをたくさん犯してきました。ですから、そういった高い意識の状態になったものでなければ、正しく宇宙の法を降ろすための交わりにはならず、宇宙や地球、大陸の代理としての行為にはならないのです。つまり、性に伴う行為はシャーマニズムと同じことなのです。宇宙意識を降ろすための受け皿としての人をつくることが先にあり、それが最も大切なことなのです。

そういったことは講座の中で情報として伝えますが、本来はその経験を持って、高い意識レベルに到達するための積み重ねが必要です。これはとてもハイレベルで重要なことなのですが、同時に危険なものでもあるのです。ある意味、性は今の人類を没落させた原因でもあります。人類は20世紀までの1000年間の霊的な没落の時代を経て、これから2000年から3000年に向かって、霊的な花が咲く時代に移行しているのです。

今、時代は大いなるターニングポイントを迎え、新たなサイクルに入ったのですから、わたしたちもそういったことを伝える準備を始めていますし、だからこそ、そういった智慧を求めてくるあなたのような人がその証として、ここに訪れるのです。

地上的解釈に囚われ、宇宙を生きていることを認識できないような人々にとっては、ここで提供される情報は一体何のことを言っているのか、想像もつかないような話なのです。しかし、わたしたちが生きているということは、明らかに宇宙的・霊的な無限なる連鎖の中に存在しているのです。ですから、人類は目覚めれば、極めて非合理的なこれまでの生き方をたちどころに変容させることができます。そのためには、わたしたち一人ひとりの意識改革がこれから必要とされています。21世紀は一人ひとりの目覚めの世紀なのです。

あなたが少し恥ずかしそうに冗談っぽく言っている話を、もっと堂々と語り、そして明快にその意味を知るべきだと思うのです。

エリちゃん:
そのとおりですね。わたしが完全にオープンであるときには、わたしは自分自身の運命について知っています。

いさどん:
そうですね。だから相手次第であなたは完全にオープンになれるということですね。わたしは30年以上前にこの道を歩み始めたときには、どこを歩いていて、なぜこの道を歩んでいるのか、全くわかりませんでした。しかし、わからない自分に対して、わかることが大事なのではなく、このわからない道を歩んでいくことが大事だと言い聞かせてきました。今は、道がはっきりと観え、明快に歩んでいます。

エリちゃん:
わたしにもそれが必要ですね!

いさどん:
少しずつそうなっていけるといいですね。いずれにしても、意識がどこにあるかによって、出来事は全く別のものに解釈できるのです。ですから、心の位置が変われば、景色は変わって観えてくるものです。時代は完全に価値観を逆転するときを迎えています。時代が切り替え時を迎えているときには、今までの価値観が過去のものとなり、新たな常識が生まれてくるのです。ですから、今までの時代であれば語れなかったことも、これからは堂々と確信を持って示し、それが社会に通用する時が来ているのです。わたしたちの出会いは、今日のこの時間も、宇宙の流れや天の意志であるように明快です。これからもきっとわたしたちは時代の先端の立場を担っていくものとして、連携していくことでしょう。

エリちゃん:
わたしもそう思います!

いさどん:
わたしたちは今地球上にいるので違う言語を話しますが、宇宙意識になれば言語はひとつしかないのです。わたしたちが違う言語を話しても、通訳を通して心が通じ合えるように、わたしたちの奥にある意志を共通にすれば、その目的はひとつなのです。これから人々の意識が上がれば、言語に多くを頼らなくても心が通じるようになるでしょう。

宇宙意識に連動して地球上の役割を果たすものは、意識が高く、これからの時代には重要な存在です。時代が変わろうとしているときには、天は地上にいるものたちに連携を図ることを求めるのです。そして、地上のものもそれを受けて天に意識を向けるのです。それは、地上的な快楽に浸っているものの意識とは全く価値観が異なるものです。その大いなるものにつながる意識のレベルでは、時代を運営するために自らの存在があるのです。そういった広く高い意識を持つためには、地上的エゴや欲望に翻弄されていてはいけません。やはりそこでは自らをしっかりと観て、その役割にふさわしく精神性を磨く必要があるのです。

ですから、宇宙や地球、山と通じると感じるものは、普通の人たちと同じレベルで心が一喜一憂しているようなことではいけないのです。さて、あなたにその自覚を持てるかどうかが問われているのです。

エリちゃん:
はい、その自覚を持てます!これから精神性を高めていくよう努めていきます。今日はどうもありがとうございました!

いさどん:
また時間を持ちましょう。

――

 
面談後のエリちゃんの日記には、「いさどん、ようこ、そして飛躍的に精神性を進歩させるこのような場を創り維持するみなさんのネットワークすべてに感謝します。わたしは進歩し続けることに全力を注ぎます。何という旅でしょう!共に楽しむためのこの宇宙船を見つけたことを嬉しく思います。永遠なる感謝を」と書いてありました。

確実に一人ひとりの心に変化が現れ始めている1ヶ月間の真学校。エリちゃんのみならず、受講生全体から新たな息吹が感じられる今日この頃です。

同じく受講生のたえちゃんとエリちゃん。1ヶ月間の真学校もいよいよ折り返し地点です!
同じく受講生のたえちゃんとエリちゃん。1ヶ月間の真学校もいよいよ折り返し地点です!

 

 


21世紀は一人ひとりの目覚めの世紀です ~ サリちゃんの目覚め

2月14日から開催されている木の花塾「1ヶ月間の真学校」を受講中の25歳のサリちゃん。アメリカ人の父と日本人の母を持つサリちゃんは、他者の善意を引き出すことが真学校中に学びたいことであり、自らの天命だと語ります。そんなサリちゃんは、真学校7日目の日記に次のように書いていました。

――

いさどんが言うように、わたしは自分を「かわいい」とは見ていません。だから、いさどんがわたしのことをかわいいと呼ぶと、わたしはいい気分がしないのです。なぜなら、あなたがわたしのことを本当にかわいいと思っているからそう言うというよりも、わたしがもっと自信を持てるようそう言っているとわたしは感じるからです。わたしは冷静なとき、みなさんがつくってきたこの素晴らしい環境でもっと自信をもっていられます。だから、いさどんは、わたしが自信を持てるようかわいいね、とわたしに伝える必要はないのです。わたしは自分自身を知り、自信をもって、地球や自然にとって良い仕事をしていきたいのです。

――

そして、その後いろいろな感情が洪水のようにあふれてきたサリちゃんは、いさどんとの面談を希望しました。

「1ヶ月間の真学校2016」受講生たち
「1ヶ月間の真学校2016」受講生たち

サリちゃん:
今日は時間をとってくださってありがとうございます。わたしは自分のエゴに対してたくさん取り組むべきことがあります。おそらく、いさどんのほうがわたしのことをもっと知っていることでしょう。

いさどん:
客観的にあなたを観ていますからね。

サリちゃん:
いさどんのわたしに対する客観的視点を聞いてもいいですか?それを教えてもらって学びたいのです。

いさどん:
人は自分をこういうふうに思われたいと思っているところがあります。しかし、現実の自分とこういうふうに思われたいという自分の願望にはギャップがあるのです。そして、自分が思っている自分と、他者が共通してあなたに感じるものには違いがあるのですが、事実、多くの人が共通して感じることが自分自身なのです。

ところが、自分がこういう人でありたいと強く思う人は、他者から見える自分を受け入れられないのです。他者から見える自分と自分から見える自分が共通していることが正しい自分の捉え方なのです。そこに矛盾があると、人は悩みます。

サリちゃん:
では、どうしたらわたしはわたしらしくいられるのでしょうか?

いさどん:
そこで「わたしらしく」というのは、どこから見える自分が一体わたしなのかということです。つまり、自分を捉えるときにいろいろな捉え方がありますね。自分が自分らしくいたいという感情が働くのは、特定のイメージの中に置いた自分のことなのです。

サリちゃん:
ハッハッハ!わたしはそうしていますか(笑)?

いさどん:
それはあなたがそう置いていないと思えば、置いていないのです。ギャップや苦しみはそのようなところから生まれます。

サリちゃん:
振り返ってみると、わたしが友達と一緒にいるときは自分らしいと思います。でも、他者がわたしのことを違うように見るということは、わたしは自分自身ではないということですか?

いさどん:
では、どういう自分が自分らしいと思うのですか?そこには何か特定のイメージがありますよね。そして、あなたはいくつかの自分を持っている中で、こういう自分は自分らしく、こういう自分は自分らしくないと分けているところがあるのです。しかし、あなたが嫌な自分も好きな自分も、どれも自分なのです。

サリちゃん:
わたしの中の矛盾を少しずつ理解できてきました!もう、答えがわかってきたように感じますが、わたしはここから進むしかありませんよね。そこから本当の自分らしく生きていこうと思います。

いさどん:
そこで、真実をどこに観ているかが重要です。真実はたくさんあるのです。

サリちゃん:
たとえば、わたしは無駄を発生させる物質主義の表面的な世界に反対しているとしますよね。しかし、わたしは新しい靴を買いたいと思って、そういう欲望とともに生きているとすると、わたしがどのような世界を創りたいのかということに焦点を合わせられなくなってしまいます。これはひとつの例です。

いさどん:
それをあなたはどうしたいのですか?

サリちゃん:
今、わたしは自分が正しいと思うことをしています。今は精神性について学び、精神性を高めようと取り組んでいます。そして、1ヶ月間の真学校が終わってアメリカに戻ったら、わたしが学んだことをまわりにいる人々に広めたいと思っています。

いさどん:
あなたが魂として成長することを望んでいるとして、それはどのような取り組みで成長しようとしているのですか?

サリちゃん:
わたしに起きている現象から学び、それが何であるのかを知ろうと思っています。

いさどん:
具体的な話をしますね。たとえば、あなたは自分をかわいくないと思うのですよね。

サリちゃん:
・・・今は自分をかわいいとは思いません!

いさどん:
「今は思わない」という言葉の奥には、かわいい自分でありたいという心があるのです。それで、わたしがあなたを観て、あなたがかわいいと思うからかわいいと言うことに対して、あなたがかわいくないと思うのはあなたの主観ですよね。しかし、わたしがあなたをかわいいと思うのはわたしの自由です。わたしは別にあなたを貶めようとしているわけではなく・・・・

サリちゃん:
(いさどんの話をさえぎって)いさどんがわたしのことを貶めようとしているとは思っていません!

いさどん:
ハッハッハ。ですから、わたしに悪意はないのです。

サリちゃん:
それは確かにわかっています!!

いさどん:
しかし、悪意がない心を受け取って、あなたは不愉快になるのでしょう(笑)?

サリちゃん:
もし、いさどんがわたしとふたりでいるときに、わたしのことをかわいいと言うのであれば、わたしは喜んでそれを受け取ることでしょう。しかし、皆の前でいさどんが何度もそう言うと、わたしのシャイな傾向を見せてきたので、わたしがもっと自信を持てるようにいさどんがそう言っているように感じてしまうのです。

いさどん:
それは日記にも書いてありましたね。わたしはその都度そう思うから言っているだけなのです。わたしは正直な人ですから。

サリちゃん:
はい!

いさどん:
それなのに、その結果あなたはかわいくない人間をそこで出すのです。

サリちゃん:
ハッハッハ。そうなのです(笑)!!

いさどん:
でも、そのような小さなことが心に引っかかっているあなたは、かわいい人ですけどね(笑)。

サリちゃん:
ハッハッハ。

いさどん:
そこにはもうひとつ別の想いが入っていて、かわいいというのは子どもっぽいということであり、もっと大人になりましょうということでもあるのです。サリちゃん、かわいいね(笑)!

サリちゃん:
はい、成長します(笑)!成長していきます!!

いさどん:
今あなたがそこを克服すると、ハワイへ戻ったときに成長したあなたをまわりの人たちに見せられますね。

サリちゃん:
そうします!

いさどん:
もうひとつ、わたしが話すときにあまり頭は回っていないのです。瞬間的に言葉が出るのです。たとえば、「サリちゃん、かわいいね」と言う場面を振り返ってみると、イメージとしてはあなたとふたりだけで言う言葉ではないのです。それは皆がいるところで言うべきことだと思うのです。さらにそのときの情景を振り返ってみると、あなたは皆のアイドル的存在でいなさい、ということでもあるのです。そのように皆に愛される人でありなさい、ということをその場面では伝えているのです。しかし、実際のあなたはそこで卑屈になっていて、かわいくないのです(笑)。

サリちゃん:
本当にそうですね!1ヶ月間の真学校の中の「人格を学ぶ講座」で、いさどんはわたしのことをキャパが小さいと言いましたね。

いさどん:
あなたは最初、自分のキャパが小さくないと思っていましたね(笑)。

サリちゃん:
はい!でも、よく考えてみたら、自分のキャパは小さいのだと気付きました。

いさどん:
ハッハッハ!だから、講座の中で何度もわたしは、人間はうそつきだと言いましたね。

サリちゃん:
でも、意図的にうそをついたわけではないのです!

いさどん:
それはもちろんそうなのですが、人間は本能的にうそつきなのです。動物はそのようなことはしません。いさどんのほうが理にかなっていますね(笑)♪

サリちゃん:
そうですね(笑)!わたしの傾向として、物事を分析しすぎて悩みや不安が出てくるということがあります。

いさどん:
それは、分析しすぎるということでもあるのですが、たとえばここに分析する対象があるとしますね。それを分析するということは、その対象の中を開いて徹底的に調べていくようなものです。しかし、あなたの分析は対象を目の前に持ってきたら、それをひっくり返して調べていくようなものです。そのようなあなたのねじれた性質は、あなたに出会ったときから感じていました。

サリちゃん:
最初からですか????

いさどん:
今回あなたが1ヶ月間の真学校に参加した目的は、あなたの目覚めです。そのためにどのような手助けができるのかと思いながら、前もってあなたを分析しましたし、そのように毎日あなたに接しています。

サリちゃん:
わたしは自分のねじれを解きたいです!というのも、ここ数年間、わたしが実際してきたこととわたしの想像の中で起きていることの間に大きなギャップがあるのです。ですから、わたしはもっと積極的になりたいのです。

いさどん:
ということは、あなたは行動はしているけれど、思考との間にギャップがあるということですか?あなたの場合、思いを浮かべ、行動することの間に何かがあるのではないですか?たとえば、思ったことをやっていいのだろうかとか、やったらどうかなってしまうのではないかという余分な思考があなたにはあるのです。

サリちゃん:
そうです!

いさどん:
そこでスムーズな行動の仕方は、まず思い、その後行動に移すための調整を行い、それから行動をし、そして行動した結果とともに振り返るのです。結果とともに検討するということは、真実を検討することです。しかし、行動する前に結果を考えてしまうと、実際とは違うことを考えてしまい、それ自体が余分なエネルギーなのです。その思考がたくさん膨らむと、疲れてしまいますね。そして、結果と違う答えでも引き出してしまいます。簡単に言うと、あなたは余分な思考をまわしています。あなたの場合、思考回路が豊かではないのにたくさん働かせてしまうので、だからあなたのような人は疲れてしまうのです。

サリちゃん:
そうすると、わたしはただ思い、行動して、結果をもらうということを繰り返していけば、もっと省エネで生きられるということですね!

いさどん:
そうです。結果を得てから、判断することが大切なのです。しかしあなたは、結論を得る前に不確かな判断をしてしまい、判断するのが早すぎるのです。

サリちゃん:
いさどんが今伝えてくれたことは、昨日わたしに起きたことでもあります。だから、状況はどんどん悪くなって、混乱してしまうのです。

いさどん:
そうですね。

サリちゃん:
昨日の朝、日記を書いていたら感情があふれてきて、そのまま午前の講座中も感情的になっていたので、わたしの感情を手放そうとしていました。しかし、同時に講座の情報がわたしの感情を増幅させ、何らかの理由でそうした感情を手放すことができなかったのです。正しいということはないかもしれませんが、そのときにいさどんが今伝えてくれたような行動のプロセスをとればよかったと思っています。

いさどん:
現象が起きたときにそれを真実だと受け取ることは、人によっては起きた現象を受け入れられないので、その現象をなかったことにしたいと思うのです。ですから、起きた出来事を常に真実として受け取る姿勢が大切です。それは、まだ起きていないことを想定せず、起きたことを拒否しないという姿勢です。そのように、常に起きたことに対してだけ思考を回していけば、効率的で潔く覚悟のある捉え方ができるのです。それが普通の人の効率的な思考の回し方です。

そこからさらに、いろいろな出来事に対する思惑がない状態、つまりエゴがない状態になれば、その出来事は実は宇宙の流れだと気付きます。それは星と星の関係と同じであり、自然界の成り立ちと同じように、とても効率よく事は成っていくのです。エゴがなく効率の良い流れに乗ると、自分が思考をまわして考えたこととは違う気付きが湧いてくるのです。そうすると、自分が思っている以上に事がスムーズに成っていくのです。

この世界にはそのような順序があり、1ヶ月間の真学校は人間の考えを超えた流れを人生の中に取り入れて生きていく講座なのです。

サリちゃん:
はい!わたしはそれを今学んでいる最中です。

いさどん:
しかしその前に、今、それに対する自らの心の準備をしているところなのです。決して遅くはないですよ♪できればこの1ヶ月間の真学校中にそれが理解できたらいいですね。もしくは、今回の取り組みがそれをマスターするためのきっかけとなれば、それはそれでもいいのです。人が生きると良い風が吹いて、良い場所になることをわたしはいつも望んでいます。そのためには、まず正直であることが大切ですね。

サリちゃん:
感情があふれてきた昨日はさておき、わたしはいつも良い場所をつくっていますか??

いさどん:
あなたは辛そうですね(笑)。

サリちゃん:
そういえば、わたしが昨年11月に初めて木の花に来たときに、ようこからもそう言われました!ようこは、わたしが楽しそうに見えるときもあれば、辛そうに見えるときもあると言っていました。それを聞いて、わたしはとても驚いたことを覚えています!

いさどん:
ハッハッハ!まりねえのことは知っていますか?彼女はとても明るい人で、冗談をよく言う人でした。しかし、初めてわたしが彼女に出会ったときに、「あなたはとても暗い人ですね」と伝えたのです。彼女は「えっ!!!」と驚いていたので、彼女の暗さの理由をそこで説明してあげました。つまり、彼女は皆の前では自分が明るい人だと思われたいために明るく振舞うのです。そして疲れて、ひとりになると暗くなるのです。わたしは彼女がわたしたちと一緒にいるときの姿を伝えたのではなく、わたしたちと会っていないときの彼女の姿を伝えたのです。

サリちゃん:
いさどんの言うことは本当によくわかります!わたしの両親が離婚したとき、わたしは幸せを偽っているような状態でした。それから大学時代を通し、自分の本質に戻るために瞑想やスピリチュアルなことに出会い、自分が何ものであるのかを少しずつ理解するようになりました。そして今、真の幸せを心から感じています。友達と一緒にいるときなど、心から真の幸せを感じるのです!・・・でも、実はそれは真の幸せではないのでしょうか??

いさどん:
人間はうそつきなのです(笑)。

サリちゃん:
それはどういうことですか???わたしは、本当は幸せではないということですか???

いさどん:
あなたが幸せかどうかは別にして、あなたは今までそのような人生を歩んできたということは事実です。

サリちゃん:
それはわたしが幸せを偽ってきたということですか?

いさどん:
あなたにとって、幸せということが人生のテーマのようですね。幸せであるかどうかを語る人は、今までの人生が不幸だったという思いがあるからなのですよ。

サリちゃん:
ハッハッハ!

いさどん:
それほど不幸だったのですか(笑)?

サリちゃん:
今、わたしが幸せについて話しているのは、いさどんはまりねえが幸せであると語りましたね。だから今、わたしは幸せについて話しているのです。

いさどん:
わたしはまりねえの幸せの話はしていません。彼女は妙に明るく振舞っていたので、「あなたは暗い人ですね」と彼女の別の姿を想像して伝えたのです。そうしたら彼女は「えっ!!!」と言ったものの、「わたしは本当は暗いのです」と本当のことが言えたのです。それで彼女が幸せになったかどうかは別として、その結果彼女は楽になったのです。

わたしはあなたを観ていて、皆の中で明るくしているのが似合っていると思うのです。そういうイメージがあります。だから、「サリちゃん、かわいいね!」と言うのです。そして、あなたもそういう人でありたいと思っているはずです。

サリちゃん:
それが天からわたしに与えられた資質だと気付いています。

いさどん:
そうです。それは、あなたの真我です。本当のあなたが輝いている状態がかわいいと思うので、そう伝えているのです。ですから、これは神様のメッセージなのです。わたしには何の責任もないのですよ♪ただ本当のことを言っているだけなのです。

サリちゃん:
ありがとうございます!これからは自分自身をもっとさらけ出していくことに取り組んでいきます。

いさどん:
そうですね。そうすると、風通しが良くなります。一番の主役はあなたですからね。自分の心が広く、オープンな人であれば、心地良い場所が自然とできてきます。しかし、自分の心が狭ければ、極端なことを言うと、自分としか向き合わなくなり、中には自分とも向き合わない人もいます。すべてはあなたの心次第なのです。

サリちゃん:
そうですね!今日は時間を持ってくださってありがとうございました!

いさどん:
また話す時間を持ちましょう♪

――

 
今、1ヶ月間の真学校は3分の1が過ぎたところです。これから、サリちゃんの真我はどのように花開いていくのでしょうか。みなさん一人ひとりの目覚めが連動して、今という時代を創っているのです。

「1ヶ月間の真学校」塾長・いさどん
「1ヶ月間の真学校」塾長・いさどん

 

 


21世紀は一人ひとりの目覚めの世紀です ~ エリちゃんの目覚め

2016年1月9日、初めて木の花ファミリーを訪れたアメリカ人のエリちゃん。36歳の彼女は7年間ある重い病を患ってきたのですが、木の花に来てからその症状が癒され、今、人生の新たなステージに向けて生き方を模索しているところです。今現在、2月14日から開催されている「1ヶ月間の真学校」を受講しているエリちゃんは、前回の滞在の際、いさどんと話がしたいということでその場が持たれました。まず、エリちゃんが自らの病気についていさどんに説明した後、いさどんは次のように語り出しました。

「1ヶ月間の真学校」受講中のエリちゃん
「1ヶ月間の真学校」受講中のエリちゃん

いさどん:
日本語で「病気」は気が病むと書き、心が原因となって表されるものです。ですから、心の状態によって病気が重くなったり軽くなったりするのです。

エリちゃん:
まさにそうですね!昨晩の大人会議でいさどんがおっしゃっていたように、わたしの意識が神とつながり、エネルギーが流れているときには調子が良いのです。私は今回初めて日本に来て、もう3週間が経つのですが、日本でたくさんの目覚めた人たちと出会ったように感じています。彼らは「あなたは神なのです。病気があなた自身ではないのです」とわたしに思い出させてくれました。そしてここ木の花で、わたしは病気から完全に解放されています・・・伝えたいことは本当にたくさんあるのです!

いさどん:
わたしも同じですよ(笑)。極端なことを言えば、すべてを伝え合わなくても、これはとても意味のある出会いだということはわかりますね。

エリちゃん:
心からそう思います!昨年からわたしはまるで子どものようにたくさんのメッセージを受け取ってきたのですが、その傾向は日本に来て、さらに木の花に来てからより強まっています。

いさどん:
今はそのような時代であり、木の花ファミリーは一般社会からすれば、まだ特殊な歩みをしています。しかし、わたしたちは今、地球規模で新たな時代に突入するターニングポイントを迎えているのです。今までの時代は、わたしたち人間が物理的な体を持っているために、病気も物理的現象であるかのように受け止められ、お金やものなどの物理的な豊かさを追求する時代でした。それは人間の欲望から捉えると、ある意味魅力的でもあったのです。人間には物理的な欲求の心と霊的な欲求の心の両方があるのですが、今の時代の人々は物理的な欲求が優先してしまって、バランスを欠いている状態なのです。

わたしたちの体の中にはいくつかの気の柱があり、そのバランスによっていろいろな症状が出たり、健康であったりします。そのアンバランスが起きるということは、人間を進化させる元にもなるのです。

エリちゃん:
そうです!ありがとうございます!!

いさどん:
ハッハッハ。

エリちゃん:
というのも、これまでほぼ7年間、わたしは病にひどく苦しんできたのですが、昨年になってようやく、わたしは病気に感謝できるようになったのです。ですから、病気はわたしの大いなる師なのです。

いさどん:
それは良い捉え方ですね。 今、日本で最も多くの人がかかって亡くなる病気が癌です。癌細胞からすると、温かいことと人々が朗らかに生きることが最も嫌な環境なのです。ですから、現代社会は癌にとって最も繁殖しやすい状態でもあるのです。今、医療は物理的には高度に発展していますが、それは病気に対する根本的な治療方法ではなく、その認識が病気の根本原因に行き着いていないのが現状です。

病気は決して悪いものではなく、わたしたちにそのアンバランスが起きていることを教えてくれているのです。そのことが理解できる魂と、この世界の出来事を善悪のふたつに分けそれを裁いていく魂の違いは大きいのです。あなたはそういった現象の奥にある真実を考えられる環境に行くと、心が楽になりますね。それは、あなたが次の時代を生きる魂だからです。今の時代においてあなたのような人たちは、自分の心が理解されない環境で育ってきました。だから、孤独に感じることもあるのです。しかし、その苦痛は次の時代を生きるためのバネになるのです。

エリちゃん:
そうですね。これは表現するのが難しいのですが・・・今回日本に来たのも、それは何か説明できるような理由があって来たのではなく、わたしの魂が今ここに引き寄せられたのです。

いさどん:
これからの生き方は、そういった物事に対する姿勢が大切です。それは、直観で生きるということです。人間以外の生命はそのような本能と共に生きています。人類にも、過去にはそういった時代があったのです。

新たな時代は、科学・物理・テクノロジーの発展を捨てるわけではありません。今、ピークを迎えている物理的テクノロジーの進化は、優れたことでもあるのです。ただ、それが未だに人類社会に真の平和や安定、そして豊かさをもたらしていないだけのことなのです。

出会った困難に対してそこから疑問を持ち、新たな価値観を模索しているあなたのような人たちが今、たくさん現れてきています。あなたは「1ヶ月間の真学校」に興味があると言っていましたが、今のところこのプログラムは一年に一度しか開催できません。それはわたしたちの生活上、ゆっくりと時間をかけてここにあるノウハウや情報を提供できるのは、この期間だけだからです。通常、もっと重症な心身の病を持っている人に対する取り組みとしては、自然療法プログラムがあるのですが、その場合、その人が病気の状態を健康に回復するまでの取り組みが主な目的です。しかし、「1ヶ月間の真学校」は宇宙・地球・人類の歴史を紐解き、現在わたしたちがどのような時代にいるのか、自分自身に働いている感情はどういう構造になっているのか、そしてどのように新たな時代を迎えたらいいのかを分析していくのです。

今、地球規模で行き詰まりを迎えている現状は、宇宙的に言えば切り替え時が来ているのですから当然のことなのです。ところが、世界のリーダーの多くはその原因がよくわかっていません。さらに、これからの時代は一人ひとりが目覚める時代なのです。ですから、リーダーが現れて新たな時代にいざなう時代ではないのです。そういった意味で、個人の損得の延長にこの世界を何とかしたいとか、自らの苦痛の延長に改善を求めていくのではなく、近代の社会のあり方に疑問を持ち、新たな時代を迎えようと模索する人たちが今、現れてきているのです。ですから、一人ひとりは個人のことで悩んでいるかもしれませんが、その現象の結果次の時代に訪れるのは、もっと大きな世界的ネットワークを創り出す動きだとわたしは観ています。そういった人々が広い世界観を持つことによって、心のキャパが広がり、社会にも精神的ゆとりが生まれることにより、病気などの個人的問題も社会の行き詰まりも自動的に解決されていくのです。

わたしは30数年前にこうしたビジョンを受けるようになりました。そこで気付いたことは、一人ひとりの人間は本当にオリジナルで、過去・現在・未来においてあなたという存在はあなたしかいないのであり、この瞬間しかいない、ということです。そういった個である存在に目覚め、一人ひとりが自分らしく生きると同時にこの世界に貢献していく姿が、地球に表された人間の姿なのです。

「1ヶ月間の真学校」は、こちらがただ情報を提供して学習してもらう場ではありません。わたしたち一人ひとりの中には、宇宙が誕生してから現在、そして未来までのすべての情報がDNAとして入っているのです。そして今のあなた自身は、あなたという魂がそれをDNAから引き出して、今のあなたの状態にしているのです。健康な状態も病気の状態も、あなたの魂が引き寄せてそうしているのです。ですから、病気もメッセージと受け取ることができれば、あなたの健全の元になるのです。しかし、病気を単なる病気だと捉え、それを排除したいと思えば、あなたの病気はいつまでたっても病気として認識され、たとえそれが治ったとしても「あれは病気だった」ということで終わってしまうのです。

物理的に解決することはとてもエネルギーがかかるのですが、霊的に解決することはいとも簡単なのです!

エリちゃん:
本当ですね!

いさどん:
この世界は、霊的なものによって物理的な現象が誘導されています。そういったことを自らの中から湧き立たせることが、「1ヶ月間の真学校」のプログラムなのです。現在を理解するためには、過去から現在までのプロセスを理解する必要があります。そして過去から現在を理解すると、現在から未来の流れが観えてくるのです。そうすると、未来に対して不安になる必要はなくなります。そのように、自らの心が未来を創っていくのです。今、人類がそういった姿勢に立って、これから地球の歴史を創っていく時代が訪れています。

過去には様々な宗教や哲学が生まれ、優れた人の教えを世界中に広めた時代もありました。しかしこれからは、一人ひとりが宇宙に対してどのような意味があって存在しているのかを理解し、その目覚めのネットワークを広げていく時代に入ったのです。それは、過去の宗教などのような特定の教えを広げるためのものではありません。それはわたしたちがこの世界に生きている意味を認識するためのものなのです。あえて言うならば、人類は皆、宇宙に所属しているのですから、宇宙からその意味を受け取り、気付く立場にいるのです。

わたしたちには次の時代の訪れを一般の人々より少し早く感じたものとして、互いに連携し合い、それを広めていく宣教師のような役割があるのです。たとえば、あなたがここに来てたくさんのことを感じ、この場でわたしに語りたいことがたくさんあるように、わたしにも伝えたいことがたくさんあるのです。

エリちゃん:
それは、わたしがいさどんに質問したいことでもありました。わたしたちの心が本当に開放されていると、天から絶え間なくメッセージが降りてくるのです。

いさどん:
その発想をしていること自体、あなたは次の時代を生きる人なのです。人が自らの考え方の中に囚われている状態を、漢字で「囚」と書きます。これは、枠の中に人が入っている状態です。この枠の下の部分を取り去ると、玄関ができて外からの情報が入ってきます。そして、上の部分も取り去ると、上からは天の法則が入ってきます。そうすると、「囚(とらわれ)」が「閃(ひらめき)」になるのです。囚われの状態とは、頭の中で思考がぐるぐるとまわり、自らの価値観で物事を裁き、世の中を生きている状態です。それに対して、閃くという状態は上から降りてくる直観と、内から湧き上がる気付きの両方によって生まれます。この閃き(直観+気付き)の状態を「縦」の思考と呼びます。それに対して、囚われの状態を「横」の思考と呼びます。横の思考は、縦の思考に沿うと、健全に働くようになるのです。そして、この縦(|)と横(一)の両方を合わせると十(重合)となり、完成されたヒトの姿となります。カタカムナでは、これを一(ヒ)から十(ト)までの道ということで、それを十(ヒト)と読み、完成された人間の姿を表します。それは、悟りに至ったヒトの姿です。

約13000年前に東アジアに存在していたカタカムナ人は、直観により自然の物理性やその元となる世界を体感し、生活していました。

エリちゃん:
わたしはカタカムナを学ぶ必要がありますね!

いさどん:
そうですね。カタカムナは世界中の言語の元になっているものなのです。わたしたちの文化は漢字を持っていますが、それは文字に意味があるのです。しかし、言語の一番の元は、一つ一つの音に意味が込められているのです。わたしたちは音を発するものであり、音を組み合わせることによって意志の疎通を図ります。その音は全部で48です。その一つ一つの単音に意味があり、音が組み合わさると、物理性が示されるのです。ですから、この世界は音の響きによってできているのです。わたしたちは音を出しながら、この世界を創っているのです。

その響きは耳に聞こえる以外の世界にも及んでいます。たとえば、物事を前に進めていく正の響きもあれば、それを逆行させる反の響きもあります。ですから、家庭の中で対立する人間関係が生まれ、その結果その家の食べ物を腐らせてしまうような反の響きを出している家庭もあるのです。逆に、この世界が過去から未来へ向かって進むように宇宙の法にふさわしく沿っていく響きもあるのです。そのように法にふさわしい正の響きを発していると、人は健康になっていきます。

人類はこれまで、いろいろな問題が起きるとそれを表面的に解決しようと努力してきました。しかし、なぜそのような状態になったのかを紐解き、そうならないような正の響きや流れを創っていけば、自動的に問題は消滅するのです。今の世界はとても複雑になっていて、純粋で美しい元の響きがわからない混沌とした状態になっています。ある意味、それはとてもダイナミックでもあるのですが、人々はそこを理解することができず、突破するのが難しい状況になのです。しかしそういったことの原因をよく理解し改めれば、シンプルに、効率良く、豊かに生きることができるのです。人類は、そういった世界を自らの中から湧き立たせることができるのですが、そのためには閃きが必要なのです。

すべての生命が宇宙を構成していて、すべての生命の中にその叡智は存在するのです。特に人間は地球上の生命の中で最も高い能力を持っているのですから、そうした情報をすべて持ち合わせているのです。しかしそれと同時に、能力が高いということは、その使い方を間違えるととても愚かしいところに堕ちることにもなるのです。

「1ヶ月間の真学校」では、今、わたしたちが行き着いた情報を提供し、それを皆で確認し合う場にしたいと思っています。しかしそれは、1ヶ月間だけの学びなのではなく、人類は進化し続けていくのですから、そこに参加する人たちの新たな生き方のきっかけのようなものとなるのです。もし、あなたが参加することが可能であるならば、もちろんそれは自分のためでもあるのですが、それはさておき、新たな世の中創りに貢献していくために活かしてもらいたいと思います。

わたしが目指している世界は、わたしから湧き出る智恵を必要とする人がわたしのもとに来ます。そしてお互いに意志を疎通させるために、目と目が合うとします。そこでわたしがにこっと微笑むと、それだけでその人には通じ、「わかりました!ありがとうございます!」と言ってその人が帰っていくのが、わたしの目指している究極の世界です。本来、人間にはそういったことが可能なのです。

エリちゃん:
そのとおりですね!!ひとつ質問があるのですが、昨晩の大人会議でいさどんは2016年のテーマである「発信」について話していましたね。そこで、言葉の重要性について考えたのですが、今、わたしにはある師がいて、彼はインドの伝統でいうグルのような存在です。これまでの人生を通してもわたしにはたくさんの先生がいて、わたしは彼らの言葉のすべてを理解できなかったのですが、何かがわたしに伝わって学んでいるのです・・・すみません、わたしの質問が何だったのか、わからなくなってしまいました!

いさどん:
わたしがそれを答えましょうか(笑)?あなた自身の道は、あなたにしか歩めないのです。ですから、あなたが出会ってきた師や学びは、あなたが本来の道に目覚めるためのものだったのです。これからは、師を持つ必要はありません。あなたが自身の歩みに目覚めれば、あなたが自らの師になるのです。本来、人は皆、そうなるべきだと思っています。

生命はそれぞれのポジションを担いながら、この世界を維持しています。ですから、すべての存在が尊いのです。過去の時代には師と弟子という関係があったのですが、新たな時代はポジションが違う関係であるだけなのです。

エリちゃん:
本当にそうですね。まだまだ、わたしには学ぶべきことがたくさんあります。

いさどん:
あなたは今まで自分に対して自信がありませんでしたね?

エリちゃん:
はい。

いさどん:
これからは、おごった自信ではなく、確信に基づく自信を持つということです。

エリちゃん:
それはよくわかります!

いさどん:
そうすると、誰かから導かれなくても、自らの中から道が湧き出るようになるのです。一人ひとりの中から湧き出てきたものがネットワークしていくと、最終的にわたしたち人類は地球という生命を構成するひとつの家を持った家族だと気付くのです。その次には、地球の家族は宇宙に向かって新しいビジョンを展開するようになるのです。宇宙は広大なサイクルの中をフリーエネルギーによって運営されているように、わたしたちの中にも無限なるエネルギーと共鳴するような働きがあるのです。

今日、わたしは言葉で語るのは難しいと感じながら語っています。わたしの話が少々ぎこちなくても、ようこちゃんはスムーズに英語で通訳していますね(みんな、笑)。そういう関係を誰とでも創りたいのです。

ようこ:
こういった話を初めて聞くエリちゃんにとってわかりやすいように、情報を少し追加して通訳しています。

いさどん:
そうなのです。わたしが伝えたいことを、わたしが話すより先にようこちゃんがその内容を感じて通訳しているのです。ですから、わたしは話している格好をすればいいだけなのです(みんな、大笑)!

そういった心の関係ができると、今、世界的に起きているたくさんの問題も自動的に解決されるのです。そういった世界では皆が自分のところに利益を確保しようと思わなくてもいいのです。それこそ、閉じた心の門を開いて、閃きによってネットワークすれば、皆が豊かに生きられるのです。そこでは、新たなテクノロジーや様々な叡智が新たな意味で皆のために活かされるようになるのです。

ただ、その世界は、天の意志が通った世界です。人間たちは地上を生きていますね。そうすると、道理の通った世界に生きることに慣れていないのです。地上に生きていて、対立や競争、差別することに慣れすぎてしまい、だから地上に天国は降りてこないのです。自然界にも天国が表現されないのです。それは、今の人間たちの間違いでもあり、同時にそういった時代のプロセスを刻んでいるということでもあるのです。そこでは誰一人、悪者はいないのです。

すでに、宇宙的には新たな時代の扉が開かれました。これから、地球上にそれが現れてくるのです。ですからわたしたちは今、時代が切り替わり新たな世界へ向かう旅立ちの時に生きているのです。その切り替えの完成までには、地球時間で言うと100年ぐらいかかるでしょう。しかし、宇宙的に言えば、100年なんてほんの一瞬なのです。地球の誕生から現在までを一年にたとえると、その切り替え時は一秒にもならないのです。

(そこでようこは、250年前の産業革命は現在からほんの2秒前に起きていたことも付け加えて通訳する。)

chikyunorekishi

いさどん:
わたしが今、話さなかったことをようこちゃんは通訳していましたね(笑)。

エリちゃん:
それは完璧だわ!わたしが日本に来てから、ある意味変なことが起きているのです。

いさどん:
変な状態にならないと、現代社会のマインドコントロールは解けませんからね。

ようこ:
それは良いことなんですよ♪

いさどん:
木の花ファミリーは変な人の集団ですからね。

エリちゃん:
ハハハッ。それは良かったわ(笑)!日本に来て、特に木の花に来てから起きていることなのですが、寝ているときにたくさんの夢を観て、たくさんの人生を経験しているように感じています。そして、それはとても明快なのです。昨日の大人会議でいさどんが話していたように、エゴから解放されれば、より高い意識や無限の意識とどんどんつながっていきますね。

いさどん:
それ以上あなたが話さなくても、こちらには十分伝わっていますよ(微笑)。わたしたちは自分自身に囚われていたら、小さな自分自身であり、自分自身とも矛盾を発生させることになるのです。しかし、解放すればこの世界全体が自分自身にもなるのです。ただそこで、あまりにも解放されすぎると自分であるという意味がなくなるので、とりあえずまた自分に返ってくることもでき、自らの役割を果たすようなこともできる世界なのです。

エリちゃん:
そのとおりですね!

いさどん:
現代の多くの人々は個人として自らが成立していると思っているのですが、その個人はもうひとつ大きなスケールの中でポジションをもらっているのです。そして、わたしたちが自らを認識するこの形まで戻ってきたときに、自らの狭い枠に囚われているのか、それとも全体と自らの位置関係を認識し広い世界観のもとに存在しているのかということなのです。わたしたち自身も、無限に小さなパーツの集合によってできているものでもあるのです。これは相似形という仕組みです。そういったこともすべて、カタカムナは紐解いてくれているのです。13000年前の人々がそれをわかって生きていたのですよ。そして、宇宙時間からすれば、13000年というのは一瞬のことなのです!

わたしは銀河が誕生したときにその場に立ち会った記憶もあれば、地球が創造されるときにどういうビジョンで創るのか、仲間たちと話し合っていた記憶もあるのです。それは過去のことだけではなく、いずれ地球に賞味期限が来たときに、地球から離れて次のステージに行く未来に対してのビジョンもあるのです。

ですから、大きなスケールで今を観たら、確かに今目の前に起きていることは注目すべきことではあるのですが、悩むことではないのです。人類が今、そこに目覚める段階に来ているのです。そういったことを伝えることが、わたしがここにいる役割なのです。わたし個人の望みは地上的には何もありません。みなさんにそういったことを伝え、地球上に人類の目覚めのネットワークができたら、わたしは次のビジョンに行くだけなのです。その役割をあなたにもしてもらいたいと思っています。OK?

エリちゃん:
OK!!

いさどん:
では、また真学校で会いましょう。

エリちゃん:
Thank you!!

 
――

さあ、これから「1ヶ月間の真学校」を通してエリちゃんはどのように変化していくのでしょうか。時代の流れやこの世界の意志を感じているエリちゃんは、そうした大いなる意志とともにこの1ヶ月間を過ごしていくことでしょう。

受講生仲間と一緒にアメリカ式のパイを作るエリちゃん。“ Sooooo delicious!! ”
1ヶ月間の真学校はまだ始まったばかり!

 

 


男が生き生き生きるには

一風変わった視点の持ち主で、時に“ひねくれもの”と言われることもあるファミリーメンバーのりょうちん。そんなりょうちんといさどんの、ある日の会話です。

 
りょうちん:
僕は元々理屈っぽい方ですけど、最近はもっと理屈を通していこうと思っています。理屈というのは道理だから、屁理屈でさえなければ、道理を通すというのは物事を論理的に見ることであり、自分の中に柱を持って生きるということにもなりますよね。それは、男性が生き生きと生きることができるようになるために大事なことなんじゃないかと思うんです。

いさどん:
理屈っぽいと言うなら、僕なんて極めて理屈っぽいよ。ただ、理屈を語る時の奥にある心がどういうものかということが大事なんだよ。
理屈を突き詰めていくことは道理を通していくことだから、大切なことだよね。だけどそれが周りから見て、あの人の言うことは理屈っぽいね、くどいね、と言われるようになったら、それは自分の言いたいことを主張して押し通そうとしている状態だということ。そこに無理が入れば屁理屈にもなる。だから、理屈にもランキングがあるんだよ。道理を通していく時に、それが独りよがりなのか、万人に通用するものなのかというところで、道理なのか理屈なのかということがわかるんだよ。

りょうちんの言葉を聞いて思ったのは、今、ここの男性たちに元気がないとして、では世の中の男性たちは元気があるのか、元気があるとしたらどういったことに対して元気があるのか、ということを考える必要があるね。木の花の男性は、世の中というものに対して何か疑問を持っているからこの生活をしているわけだよ。そうしたら、仮に今の世の中の男性たちに元気があるとしても、それをここへ取り入れたらいいのか、それともそれを否定するからこそ別の元気を見つけるべきなのか。そこを仕分けしていくことが重要だね。
りょうちんが、理屈を通していくことで男性が活性化するのではないかと考えるとしたら、そういった思考も紐解いていく必要があるよ。冷静な心で紐解き、詳しく原因を探って、その結果対策を考えるとしたら、あなたは思慮深いねという話になる。それは全然理屈っぽくないよね。それを聞く周りの人たちも、それなら一緒に考えてみようかと巻き込まれていくわけだよ。そういった思考を働かせるといいね。

りょうちん:
一般社会での男が生き生きするというのは、例えば人よりも上に立ちたいとか、そういう自分の欲を叶えることで生き生きしてるんじゃないかと思うんですよね。

いさどん:
今、世の中の男の人たちは生き生きしてるの?

りょうちん:
そんなにしてないですね。

いさどん:
本来の男性の立ち位置というのは、周りから頼りにされて柱となって、女性から「頼もしいわ」と寄りかかられるような存在でしょう。女性に限らず、あなたにはここを任せるからよろしくねと言われて「任せときな!」と言えるのが男だよ。
そうすると、今の社会で男たちがやっていることはどうだろうね。社長でもエリート社員でも平社員でもいいけれど、例えば社長になったら経済システムに使われ、金を持てば金に使われて、はたして自らの中に何か柱となるものがあるのだろうか。

りょうちん:
結局、自分で考えていないと思うんですよ。今の社会を観て何が大事なんだろうと考えて、それで自分に柱を立てて道を歩んでいるかというと、そうじゃないと思うんです。

いさどん:
子どもの頃からでも大きくなってからでもいいけれど、何か経験したとするでしょう。その経験が未来の希望あることにつながればいいけれど、今の人たちはどちらかと言うとそれがトラウマになっていて、それを埋め合わせるために条件反射のような行動を取っているんだよ。例えば人と比べて貧乏だったらお金がほしいとか、親が何かに縛られているのを見て育ったら自分は自由人でいたいというように、何かにつけて条件反射的に反応しているから、とても思考が浅い。だからマスコミの報道する内容も、すごく浅いでしょう。その方が今の人たちにはうけるんだよ。

りょうちん:
その奥を観ていないということですよね。

いさどん:
そう。今の人間は思考が浅いんだよ。じゃあ昔は深かったのかと言ったら、深さの質が違うかもしれないけれど、例えば戦時中なんて、国民は一応国を背負って命をかけていたわけでしょう。そのもっと昔は、武士だったら戦場に出向いたり、農民も年貢を収めたりして、まつりごとに参加しながら、生きることが命がけだった。だけど今は生きることに命がけということがなくなったんだよ。そしてとても思考回路が浅くなった。その浅い思考のまま、お金や物、立場など、いろいろなことに縛られているんだよ。

りょうちん:
そう。今の教育だったり、社会の一般常識ってすごく浅いなって思うんです。浅い思考って、育った環境に影響されていると思うんですけど。

いさどん:
最近の大学生の卒業論文でも、とても浅くて子どもっぽいね。

りょうちん:
ものごとの奥を観て分析していくことが欠けてるんですよね。例えば僕たちは今こういう生活をしてますけど、この生活の何が大事なのかを語れるところまでの人となるというのは、やっぱり時間のかかる作業でもあると思うんです。

いさどん:
木の花に来ている男性の性質として、こういった柱のない社会に嫌気が差しているところもあるね。

りょうちん:
それはそうですね。

いさどん:
ただ、では自らが柱を保てているかというと、やっぱりまだ十分に道理を探求しきれていない。自分自身が独立して道理を通しきれていない段階で、道理が通っている木の花という場へ来てしまったものだから、自分がやらなくてもいいんだとサボっているところがあるんだよ。
自分で柱を立てるということは、それだけ緊張もするし、真剣に生きる姿勢が必要になってくる。今の時代は、そういった自分の価値を積み上げていくということの大切さがないがしろにされているんだよ。その結果、表面的な浅いことに気持ちが向くようになって、サボる(自分磨きをしない)ということが楽なことになってしまった。だけど本当は自らの価値を上げて安定することの方が、はるかにやりがいがあり、充実した毎日を送ることにつながるんだよ。そういった生き方は矛盾がない。だから今のように、人々の生き方が矛盾だらけの社会を創ることにはならないね。

りょうちん:
そうですね。ここにいると答えが何となく提供されているから、わかった気になっているけど。

いさどん:
何となく提供されてわかった気になっているというよりも、待っていれば道理が通っていくものだから、ヘタに話して自分のメンツを潰すよりも、待っていた方がいいやという姿勢なんだよ。

りょうちん:
でもそうやって人から与えられるんじゃなくて、自ら湧き出してくるものに柱が立っていくことは、自分自身の活力源になりますよね。

いさどん:
そう。それが男のプライドというもので、それがあることは男としてとても重要なことなんだよ。やはり柱を立てるべき時には、プライドがないと立たないんだよ。

りょうちん:
それが男の生き生きにつながると思うんですよ。

いさどん:
それは自立心とも言えるね。それがあって初めて女性から支持されるんだよ。ところが今は、何よ男のくせに立たないのね、という感じで、力仕事とか物理的なところではあてにされるかもしれないけれど、本当の意味での柱としては頼りにされていないんだよ。それを自分のこととして、一人ひとりが取り組むべきだね。
だからプライドは必要なんだよ。ただし、変なプライドはいらないよ。何もしてもいないのにメンツだけは大事にして、自分の中にあるものを出さずに守っているようなことでは、ただメンツが潰れるのを怖がっている状態だよ。

りょうちん:
それで元気が出なくていじけていっちゃう。だから、勇気ある地道な積み重ねが本当に必要だと思うんです。

いさどん:
地道にどう積み重ねるかというと、やっぱり自分と向き合うことだよ。

りょうちん:
そうですね。

いさどん:
誰もが自分の人生を歩んでいるんだよ。人生とずーっと向き合っていくと、自分に何が積み重なっているかということと向き合うわけでしょう。そこに自らを肯定できるような蓄積がなければ、やはり自ら柱を立てる者としては充実感がないし、希望も生まれない。
女性でも、腹が広くて手のひらの上で男を回してるようなゴツい女もいるけどね。それだって、男を立てるために回してるんだよ。

りょうちん:
は〜。

いさどん:
例えば石臼の前にどしんとあぐらをかいて、石臼をゴロゴロと回してるようなものだね。石臼を回すには中心を立てる必要があるでしょう。
もっともそこまで腹が広くない普通の女性は、柱を立てている男に寄り添い、ひとつのペアを作るわけだよ。そして一人ひとり個性的だから、それぞれに個性的なペアがそこにあっていいわけだよ。ところが自立して立っている者がいないと、寄り添う者も寄り添えないでしょう。逆に女性から「かわいそうに」と思われるようなことにもなっちゃうよ。

りょうちん:
そうね(笑)。

いさどん:
そういった「かわいそうに」と思われるような形が、今の世間にはあるんだよ。なぜかと言うと、女も本当の依代となる柱を知らないから。相手の表面だけを見ていて、自分が寂しかったらどんな対象でもいいんだよ。そこでお互いに傷口をなめ合う関係が生まれる。

りょうちん:
自分を満たしてくれる対象を探しているわけですよね。

いさどん:
そう。今の世の中には柱もなければ依り代もないから、本当の意味で男と女がそれぞれの役割を果たして共に新しいものを創るというよりも、ただ自分たちのニーズを満たしてくれるものを探しているという状態だね。

りょうちん:
結局本当のところで満たされていないから、不満があるんですよ。

いさどん:
そう。そこで男が柱を立てると、それは個性となってちゃんと依り代になるから、そこでペアができたり、ペアじゃなくても支持されるということが起きるんだよ。だけど今の男たちは、そういうことを放棄しているところがあるね。僕から言わせると、そこでプライドを持ってほしいわけだよ。

りょうちん:
うん。高いプライドってことですよね。

いさどん:
そう。高いプライド。そういった意味で、りょうちんが理屈をこねていこうと思うということは大事だよ。その過程ではいろいろなことが起きて、全体から「それってどうなの」と問われることもあるでしょう。それは応援でもあるわけだよね。自分の言っていることが道理が通っていなかったり問題だったりしたら、本人のためにも、全体のためにも、それは訂正しなければいけないんだから。
訂正するということは、そこを越えてその先へ進めということなんだけど、男には変なところがあって、訂正されると「ダメだったんだ」と落ち込んで、訂正すればいいものをしないで、ただしょげているんだよ。

りょうちん:
それまでに積み上げたものが壊れるような気がしちゃうんですよ。

いさどん:
だけど積み上げたものが歪んでいたら、壊してもう一度やり直さないといけないでしょう。

りょうちん:
そう。やり直す勇気を持たないとあかんですよね。

いさどん:
そうだよ。今の男性たちが社会でも柱を立てられないのは、ハングリーじゃないからだよ。

りょうちん:
だけど今地球上で人類が直面している現状からすると、ハングリーなはずですよね。

いさどん:
意識がそちらへ向いたら、そうだね。地球の現状への危機感でハングリーになることはとても重要なことなんだけど、今の人たちにはそういった広い世界観がないんだよ。自分が食えるか食えないかという程度の位置に意識がある。生きることがお金を稼ぐことであり、生活することになっているんだよ。
木の花にいると、全体性の中で、例えば農業の進化とか精神性を高めるとか、もっと言えば世界にそういった新しい目覚めを発信するということの担い手であるわけでしょう。

りょうちん:
そうすると、大雑把なつなげ方ですけど、より大きな視野で生きるということで、変なプライドを折ることもできるようになるのかな。

いさどん:
より大きな視野で生きるということが、今の社会に欠乏しているね。そこで、じゃあ自分は社会を担っていこうという意識になれば、人間意識としては高いものになるね。

りょうちん:
変なプライドを高いプライドに転化してやっていけるってことですよね。

いさどん:
そうだよ。高いプライドがあれば人間がセコくならない。高いプライドで道理を通していけば崩れることもない。だけど低いプライドは、屁理屈をこねて無理やり支持されようとしたり、自分が正しいと思う方向へ話を持っていこうとするんだよ。そんなものは、ものごとが観えない人からしたら素敵と思われるかもしれないけれど、観えるものからしたらバカじゃないのという話になって相手にされないわけだよ。

りょうちん:
だから、低い視点で積み上げたものはいったん壊れると「また積みあげなきゃ」という発想になるんだけど、高い視点で観ていると、とりあえず崩しても大丈夫って感覚でいられるんですよね。

いさどん:
そうそう。例えば北極星のように、不動の目標地点が観えているんだからまたそこへ向かえばいいということになる。視点が低いと目標が観えていないから、壊れるとゼロになるような感じがするんだけど、それがチャンスなんだよ。中途半端に残っているとまたそれを目指しちゃうけど、もともと目標が観えていない者はゼロから始めればいいんだよ。じゃあどこを目指したらいいんだとなった時に「あそこだよ」と言われて、なんだそうか、と進んでいけばいい。それがチャンスということだよ。
だけど、そこを前向きに捉えないで、壊れたことをトラウマにしてしまう人がいる。そして、変な希望を持つよりも希望がない方がいいと言って、自分と向き合わないようにしているんだよ。

りょうちん:
最初から何もしない方がいいってね。ということは、まずはやっぱり日常の中で少しずつ柱を積み上げていくということと、もう一方で、広い世界観のもとに「あそこを目指すんだ」という目標地点を持つということですよね。

いさどん:
その前に、絶対に必要なことがあるんだよ。それは、どこに興味を持って日常を生きるかということ。例えば、朝起きて新聞を開いてどこの欄を見るか。ニュースならどこを観るか。例えば自分自身のことだったら、今日一日の作業のことだけを考えているのか、同時に、それを積み重ねていくと人生がどのようになっていくかというところまで考えているのか。日常の自分の意識がどこを向いているのかということが大事なんだよ。

りょうちん:
それって世界観が広がれば自然と方向付けられていくんじゃないのかな。

いさどん:
世界観は後からついて来るんだよ。日常の自分がどこに興味を持っているかによって、その先にそれ相応の世界観に意識が向くのであって、いくら世界観を広げようとしても自分の興味が足元にあったら、広い世界観との整合性が取れないでしょう。

りょうちん:
そうか。ひとつ思うのは、興味って開発していけるものでもあると思うんですよね。

いさどん:
そこで、自分はどういった人でありたいか、どういった人生を歩みたいかという意欲を持つことだよ。それはプライドと言ってもいい。そこから出発して、興味が湧いて、その延長線上に世界観が広がるわけだから。順序としてはそういうことだよ。
例えば彼女を見つけて結婚して住宅ローンで家を買ってこのくらいがほどほどでいいという生き方があるでしょう。そういうことを親たちがやっているのを見てきて、それでは嫌だという人たちがここにやって来たんだよ。

りょうちん:
もう飽き飽きしてるんですよね。

いさどん:
そう。でも、今の社会や親はまだそれをやれと言うんだよ。だから世の中の男たちがどこかしょぼくれている。ストレス解消のために何か趣味を持ったり、隠れたところで悪いことをやったりといろいろ発散方法はあるけれど、結局人生を通しての柱がないんだよ。ものごとを通してその奥を観るということが柱になるんだけど、その目線がない。
少なくとも死ぬ時に達成感を持って死にたいんだという目標があったら、じゃあ今日一日をどう生きようか、今年一年をどう生きようかと、今から過去を振り返って、そして未来を見通して、自らの行動を観るようになるよ。そこでどれだけの広さでものごとを捉えるかによって、世界観が変わってくる。もしくは、周りの環境によって広い世界観の情報が入ってくれば、そういったことを考えるようになるんだよ。

今、そういうふうに分析をしたでしょう。方向を具体的に出したわけではなく、道理を通して分析しただけだけれど、その分析することすら、興味を持つかどうかということから始まるんだよ。分析していくこと自体が道理を通していくことになるんだけど、それすら興味がなければやらないでしょう。
今の話ももともと正解があったわけじゃなくて、りょうちんの質問があって、社会に当てはめて分析していったらこういう話になったんだよ。それは、興味を持たないと絶対に出てこない。興味を持てば出てくるものさ。

りょうちん:
うん。そうそう。

いさどん:
りょうちんはとことん理屈をこねてみようと思うと言ったけど、あなたの言う理屈をこねるというのは、自分と向き合うということでしょう。自分はちょっとへそが曲がっているかもしれないけど、まだ十分そこをこね回していないから納得するまでこね回してみよう、ということだとしたら、それは自分の中に何かもやもやするものがあるんだよ。それならこね回せばいいんだけど、一人でやっているとりょうちん流のねじれも入ってくるわけだ。だからこそ、こういう客観的な視点が得られる環境にいるわけだから −−−−−

りょうちん:
自分の中にあるものを出していくってことですよね。

いさどん:
そうだよ。時には「僕はこれだけこねました」と出して、みんなはどう思いますか、と投げかける。そうすると、ねじれていればみんながそれを直してくれたり、逆にもっとこねてもいいんだぞ、ということになったりしてね。

りょうちん:
それはやっていこうと思ってます。

いさどん:
そうすると、それがみんなの学びにもなる。ところが、独りよがりで理屈をこねて「これが僕の結論です」と発表するだけだと、みんなのためにはならないでしょう。だからこそみんなの前に出して、それに対するフィードバックを受け取っていくことが大事なんだよ。

りょうちん:
それをもらうためにも出すという意識でいきます。

いさどん:
そうだよ。出すと言っても、世界観が狭いと、自分の思っていることを聞いてもらいたいとか、認めてもらいたいということになる。だけどどのような組織であっても、全体と自分の整合性が取れていることが大前提なんだよ。それはこの世界も同じだよ。そこでは、全体に合わないことは成り立たないわけだ。ところが自分が認められたいということばかり考えている人は、あなたの主張は全体に合わないよと言われると、自分が否定されたと思うんだよ。だけどそれは違うでしょう。あなたの主張は合わないよと伝えるのは、本当の意味であなたを生かすために伝えているんだよ。自分に囚われていると、その視点を受け取る意識が持てない。その姿勢を持つには、腹が広くないといけないね。
自分流に柱を立てても、人の役には立たない。それは自分一人の段階ではOKでも、もう一つ世界が広がると通用しないということだよ。そこで肝っ玉が据わっていれば、目の前に展開される出来事に通用する柱に立て直すことができるんだよ。

りょうちん:
そういうことですよね。僕は、理屈をこねていこうと思ってますけど、やっぱり自分にくせがあるから、それを出していくことだなと思ってます。

いさどん:
そうだね。自分にくせがあると思ったら、それを出していく。すると自分一人のそのくせが、独りよがりのところから、例えば3人でチームを組んだら3人に必要なくせになって、それが10人に必要なくせになって、100人に必要なくせになれば、常にそれは全体の柱になるわけでしょ。腹を据えてキャパを広げて、それで全体のためになろうとしたら、そのうちに自分のくせが人類のくせになるよ。そうでしょう。

りょうちん:
それでいいんですね!

いさどん:
それでいいんだよ。人類というのはみんなくせがあって、欲もあって、プライドもある。ただそれがどれだけのスケールかということと、その質が問われるんだよ。

りょうちん:
自分のくせが、全体にとって役立てるものなのか。全体と整合性が取れているかどうかですね。

いさどん:
最終的には宇宙と整合性が取れたら、それが最終到着地点だね。

りょうちん:
そういうことですね。

いさどん:
我々が人生で出会うこの世界の物理的かつ霊的実態は、ものすごく広いんだよ。その中のどこに位置するのかは、日常自分がどこを見ているかによって変わってくる。無限を観ていたら限りなく広がって、宇宙と整合性を取るという話になるわけだ。お釈迦様のところまでいくわけだよ。ところが狭いと、自分の家庭の中だけというマイホームパパになるんだよ。

りょうちん:
だけどそのままで行けるかといったら、結局、社会とやり取りする中で壁に当たるわけですよね。

いさどん:
壁に当たるということは、自分のキャパを広げていくチャンスなんだよ。ところがそこで自分に囚われていると、これ以上行くと自分が否定されると思って自分の中にこもるわけだ。もっと広いところへ行くべきなのに、外に出たら叩かれると怖がって、現状の自分を保とうとするんだよ。

りょうちん:
僕の話になりますけど、僕は自分で自分のねじれを自覚してる部分もあるんです。

いさどん:
りょうちんはねじれがあると言うけれど、それはくせとして悪いところだと捉えることもできれば、そのねじれが変わった視点となって多様性をもたらすという、ポジティブな捉え方もできるわけだよ。そうすると、あなたが自分を観て「ねじれがある」表現した時に、そこにどれくらいのポジティブ度合いとネガティブ度合いが加味されているのか。そこを吟味して観ると、今までのあなたの人生が観えてくるんだよ。例えばネガティブのウェイトが6割とか、ポジティブのウェイトが6割とかいうように、今までの人生の結果で度合いが変わってくるんだよ。
同じように、他者から見て「りょうちんはねじれてるからな〜」とネガティブに捉える度合いと、「りょうちんらしくて個性的だね」とポジティブに捉える度合いがどうなのかは、それまでのあなたと他者との関わりの結果なんだよ。
そういったことも踏まえた上で「僕はねじれているからね」と自分を分析すると、より次につながる話ができるよ。

りょうちん:
今ちょっとわからなかったです。人の評価を考慮するということですか?

いさどん:
他の人から見て、自分のネガティブ度合いとポジティブ度合いはどうなっているのかということと、自分で自分の中を観て、ネガティブ度合いとポジティブ度合いがどうなっているのかということを、まず客観的に捉えるということだよ。
例えば僕がねじれているとするでしょう。そこでこれからどう進もうかという対策を考えるわけだよ。その時に、そのベースになる心がどこから出発しているか。自分の内から観る視点と外から観られている視点の両方を捉えていくと、現状の自分の位置がわかってスタートしやすいよね。だってどこへ向かうにしても、スタート地点がわからなかったら始められないでしょう。

りょうちん:
僕は自分がねじれているからといって、けっこうブレーキをかけたりするんですけど、人から見れば「それやってみたらいいじゃん」て言われたりするんですよね。それがすごく多くて、そういうことにブレーキかけて無駄なエネルギー使ってるなって思うんですよ。

いさどん:
そう。余計なことをしてるんだよ。それってエネルギーがもったいないよ。

りょうちん:
そう。そういうことを聞きたかったんです。

いさどん:
もう答えが出ちゃったじゃん。そういうことなのよ。
そこで、自分がいかに無駄なことをやっているかということに気が付かないといけないんだけど、長年やっていると、それが自分のくせであってもこの世界の道理だと思い込んでいるわけだよ。それを自分のくせだと気付かなきゃいけないね。
僕は理屈人間だから、何かをする時にこれってもとは何だったのかということをいつも考えてるよ。だから回答が出てくる。だけどそれが、自分に囚われた分析じゃダメだよ。そこには必ず他者と自分とがあって、その中で整合性を取りながらやることだから、例えば自分に欲の心があれば偏っていって道理から外れていく。だから、常に客観的な視点を持って分析を進めながら、最終的には自分にとって受け入れられるところへ落としていく。そういう心の器用さが必要だね。

りょうちん:
そうですね。そこで全体というか、男性全般はどう取り組んでいったらいいでしょう?

いさどん:
男性を元気にするということか。それは、例えばものごとが成り立つには「ヒフミヨイムナヤコト」とあるように、順序があるんだよ。そうしたら、いきなり男性全般をどうするかという話にいくのではなくて、自分からとりあえず始めることだよ。すると、それによって周りが「あれ、りょうちん変わったね」となっていくでしょう。

りょうちん:
そうですね。僕の傾向ですね。推進力が弱いからみんなでやろうとしてる。

いさどん:
まずは周りが「りょうちんどうしたの」って思うくらい、あなた自身が輝いてみせることだよ。あなたの特徴は変化球を投げられることだから、ストレートしか投げちゃいけないと思っていた人は、りょうちんの変化球を見た時に「それもありなんだ」と思うでしょ。今男性たちに元気がないのは、自分を出すと一緒にくせも出て叩かれるから、臆病になっているんだよ。そこで「そういうやり方もありなんだ、それでいいんだ」と思えたら、みんなとても楽になるよね。その代表としてやるのに、あなたはいい人材だね。

りょうちん:
そうするとやっぱり怖がってちゃダメですね。自由にやっていかないと。

いさどん:
怖がるということは、その怖さの実態がどこにあるかということを考えないとね。

りょうちん:
そうですね。自分を崩すことを怖がってるだけですよね(笑)。

いさどん:
そう。それはつまり、相手から何かが来て怖いんじゃなくて、自分の囚われが壊れるのが怖いんだから、実は壊さなきゃいけないんだよ。その壊さなきゃダメなものを大事に握りしめているんだよ。

りょうちん:
そういうことですね。

いさどん:
何かを必死に手の中に握って、自分を守り続けている。必死だからすごく力が入って手に汗握っているんだけど、ふっと我に返って「あれ、何で手に力が入ってるんだろう」と開いて見たら、その手に持っていたはずのものがみんな砂になってこぼれて、そこには何も残らなかった、というようなことだよ。何もないのに力だけ使って、もったいないでしょう。だから冷静にならなきゃいけないんだよ。

りょうちん:
なるほど。そこにも冷静な分析が必要なんですね。

いさどん:
冷静な分析は常に必要だよ。何かが起きた時に、その時は新鮮だからびっくりしてもいいけれど、冷静に分析すればこれは起きるべくして起きたということが観えてくる。そうすると、それに対して対策をする必要があるのか、それともしばらく放っておけばいいのかという見通しも立てることができる。どんな時でも落ち着いて、冷静に対処できる心が男の器だよ。そういった大きなスタンスに立って分析をしないと、無駄をやることにもなる。

りょうちん:
冷静に落ち着いて対処できるのは男の特徴ですか?

いさどん:
冷静に落ち着いて対処できる状態に到達した人はそうなるということであって、それが男だけの特徴だということではないね。その人の心の段階がどの位置にいるかということだよ。
男と女の性質の違いで言うと、女性は具体的に創り上げていく役割だから、そんなに大きな視点は持てないんだよ。

りょうちん:
ああ、そうですね。現実的ですよね。

いさどん:
男は現実だろうが夢だろうが、ずっと向こうの方まで見通す柱を立てる。男のロマンというのはそういうものなんだよ。な?

りょうちん:
うん。

いさどん:
女性からしたら「何言ってるのよ」と言われたりしてね(笑)。

りょうちん:
「そんなことより生活成り立たせなさいよ」って(笑)。

いさどん:
それでも、希望があればいいんだよ。女性が食わせてくれるから。

りょうちん:
ああ、なるほど。女性が支えてくれるってことですね。

いさどん:
そう。その夢にちゃんと道理が通っていれば、女性がスポンサーになってくれるんだよ。それが支持されるということだよ。もっと現実的な柱を立てる男がいてもいいけどね。それはそれで、「この人堅実でいいわ」と女性に支持されるよ。そういったことを器用に使い分けられる男性はモテるよ。
だから、いろいろあるのだから、それぞれ個性的でいいんだよ。バカばっかり言っていても、あの人の人生ってあっけらかんとして心が楽になるわ、ということもあるんだよ。そこで多方面に整合性がとれていたら、それは仏の世間解(ほとけのせけんげ:仏とは、仏の境地に立った者。男でも女でもない意識の状態の者が、様々な経験をしたかのように世間を理解していることを、仏の世間解と言う。)だね。もしかするとアシアトウアンなのかもしれない。

りょうちん:
わかりました!

いさどん:
そういうふうに、自分と向き合って、現状の自分を突破しようとする意欲があることによって初めて、今のような話が湧いてくる。これはあなたに話したことだけど、他の人にとってもとても重要な話だよ。世の中にも伝えたい話だ。そういった意識になると、自分の存在が人の役に立っていくんだよ。

りょうちん:
はい。ありがとうございます。

いさどん:
何を聞かれても、とりあえずここ(と言って自分の頭を指す)からは、今のところ無尽蔵に智恵が湧き出てくることになっているからね。

りょうちん:
やっぱり僕には自分で考えたいっていう欲求もあるものだから、何でも聞くわけではないんですけど。

いさどん:
それでも、ポイントのところは必要だよ。自分の得意分野とそうでない分野があって、それはその人それぞれの個性でしょ。その個性を生かせばいいんだけど、個性に囚われてはいけないね。足りないところは他からもらって足してあげればいいんだよ。それには柔軟さと腹の大きさがないと、できないね。

りょうちん:
自分で取り組み始めたところなので、それに対してこの方向で大丈夫かなと確認したい思いもあります。

いさどん:
そういった状態にあなたがなったということはとても喜ばしいことだから、こちらも意欲的に話せるね。そういうふうに自分が開いていく状態の意識の時と、閉じていく状態の意識の時があるんだよ。閉じていくというのは、守りに入ること。だから閉じていく時に開いていくための話をしても、入っていかないね。いつでも開いていく意識で人生を生きていけたらいいけれど、人生にはいじけていく流れの時があるからね。

りょうちん:
僕、だいたいそうでした(笑)。

いさどん:
おもしろいことに、そういう時にはいじけることを自分の特徴として、それに執着するんだよ。だから、開くための話をもらえばもらうほどいじけていく。そういう人は放っておかないといけないね。

りょうちん:
行くところまで行かないと。

いさどん:
そう。行くところまで行くと逆転するから。それを変につつくと抵抗が生まれるから、いじけることを長引かせることになる。放っておけば、その人のいじけキャパというのがあるから、そこまで到達した時に自分ではっと気付いて、逆転の発想が生まれてくるんだよ。

りょうちん:
そういう場合は全然声をかけなくていいんですか?

いさどん:
いや、こちらの存在は伝えておかないといけないね。だから種だけ蒔いておくんだよ。今言ってもわからないから、必要になった時に来いよ、くらいの感じでね。

りょうちん:
プライドは刺激しないんですね。

いさどん:
そうだね。それでも多少はプライドも崩してあげないといけないよ。なぜかと言うと、プライドを崩しておかないと、そのプライドがいつまでもこだわりになってしまうから。本当に自分のためを考えたらそれでいいのかよく考えてごらん、ということは伝えておくといいね。
今のままでいいんだよ、なんて言ったら、修正しなければいけないこともしなくていいことになってしまうでしょ。そうすると、その人のくせはそのままの状態でいくから、一見元気になったように見えたとしても、いずれ必ず問題ごとにぶち当たる。だからやっぱり、ものごとをバランスよく観て、人には修正しなければいけない時もあるよ、ということは常に伝えながら、相手の意志も尊重していくことだね。

今の世の中は、自分を振り返らない人間が生き生きするための手法はすごく人気があるんだよ。低いプライドを保ったまま生き生きするニーズがあふれていて、みんなお金も暇もあるから、表面的に心地よくさせてくれるところに人がたくさん集まってくる。人が集まってくるからいいことをしてるんだと勘違いしている人が多いけれど、そういった勘違いから人の心をくすぐって、お金儲けをしようとする罠が世の中にあふれているんだよ。そしてその結果、今の混乱した世の中がさらに広がっていくことになる。
自分の精神状態を冷静に分析して、きれいにしていくことの価値を知らない者たちは、囚われの部分を残したまま心地よいことだけを求めていくから、そういった罠に引っかかるね。そして一時的に心地よい気分になったとしても、自分の精神が根本的に改善されたわけではないから、何回も罠にかかることになるんだよ。それはある意味マインドコントロールだから、その罠に引っかからないようにいつも伝えているんだけどね。

りょうちん:
だから木の花は、現実の生活に反映された情報を、社会に対して提供しているんですよね。

いさどん:
そうだよ。情報は提供するけど、押し付けはしない。なぜかというと、お金儲けが目的じゃないからね。その気になったらおいで、というスタンスだよ。

世の中は今、本当に大切なものは何なのかを見失って、そのピーク迎えている。そこでいよいよ、人々の本物探しの心がうずうずとうずき出す時が来たんだよ。それは、今までのような表面的な心地よさを求める浮かれた時代とは違って、人々の心が安定し、不動の柱のもとに日々を生き、一人ひとりに世の中を組み立て直していくくらいの心構えが必要とされる、切り替えの時が来たということだよ。
その時代の意志に一人ひとりが気付いて、男も女も、みんなが充実した日々を送れるよう、心がけていくことが大切だね。