おやじのつぶやき

「過激なことはしたくないよな。でも、物事には見極めが必要だし。」朝一番のいさどんの言葉です。

「今までもいろんなことがあったけれど、本当なら、一人一人の自覚でやっていければ一番いいんだけどな。」

「年をとっても、年輪を重ねるように、穏やかに生きていくこともできる。年をとって、ひとのお世話になることも、体のことはしょうがないにしても、心のくせは自分で積極的にとっていくようでないとね。一番重要なのは、心の世界なのだから。」

「鉄則を忘れちゃいかん。いつも学び続けるものであるということを。」

最近、用務員さんとして、物理的にも精力的に働いているいさどんですが、いつだってメンバーひとりひとりの心を想い、大人会議で一番発言するのはいさどんです。いさどんの今年の目標は、「いさどんが目立たなくなること」。今年も3分の2が過ぎようとしていますが、心の面では、なかなか達成されていないのが現状です。

「それは、自分がおるからだ」といさどん。でも、いつだって、いさどんの目標達成のカギを握っているのは、メンバーひとりひとりの自覚にかかっているのです。

ひとりひとりの自覚。若かろうが、年を重ねていようが、この場を任され、つくっていっているという自覚。

そんなことを改めて感じた、朝のいさどんのつぶやきでした。


~「おやじの館」の主のリクエストにより~

今回は、「おやじの館」の主のリクエストにより、木の花に長期滞在中のなみちゃんにブログを書いてもらいました。

彼女が、夜の大人会議でシェアした、こんにゃく畑のエピソード。話し終えた瞬間、ファミリーメンバーからあたたかい大拍手がなみちゃんに送られました。木の花に滞在してわずか10日間あまりですが、彼女の心はどんどんやわらかく解きほぐされ、表情は明るく、発言も前向きになってきています。

では、そんななみちゃんの心のシェアをどうぞお読み下さい。

ツꀀ

「こんにゃく畑で

木の花の生活体験で、こんにゃく畑の草刈りをしました。こんにゃくは、まるでやしの木の様な姿で、草丈1mくらいあります。草が生い茂り、蚊がいっぱい。うっそうとしたジャングルの様な畑で、畑の中はうす暗く、草が多くて先が見えず、通路がわからず、小さいこんにゃくを切ってしまったり、それはまるで、その時の私の心そのもの。

迷いながら、苦しみながら、草を刈り進むと、そこには明るい光の出口。ふりかえると、そこには、すっきりと1本の通路ができている。

これは私が通ってきた道。

草取りは、神様が私に人生をおしえるためにあたえてくれたヒント。

そして、迷った通路は、はじめから神様から与えられていた道。

こんにゃくの畑で、人生を知ることができました。

ありがとうございます。」


哲学を語りながら、流しそうめんの樋をつくる with なかのん

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ファミリーのなかのんです。

写真は、お祭りに備えて、流しそうめん用の樋(とい)を作成しているいさどんです。8mあります。この後、竹を使ってお箸と器も作ってくれます。いさどんは本当に何でも出来る人であらためて凄いなと思いました。

僕は補佐をしていたのですが、樋を作成しながらいさどんがしてくれた話がまた素敵でした。

もしすべての人が悟っていたら、この世はどうなるだろう?問題ごとは起こらない。静かな世界?それは理想の世界ではないよね。面白みがない。エゴを通じて学ぶこと。問題を通じて学ぶことに面白みがある。そう考えるとこの世界はゲーム。勝ちのないゲーム。起こることはすべて自分が望んでいること。自分の心のあり方が引き起こしている。その仕組みに気付かずエゴに捉われ不満を感じる人たちがいる。そういう人たちは抱える必要のない不満を抱えている。余計な不満。そういう人たちは負けている。その仕組みに気付き、エゴを手放す道を選ぶこと。そうして人はようやく引き分けに持っていける。

僕はそうだよな~と思いながら、質問しました。

すべては自分が望んでいること。それは分かっているのだけれど、自分の中に自動的に生じてしまう感情はどうすれば良いのかな?それが望ましくない感情の場合・・・

それは感情が起きる時に「起きているな~」と眺める。それを繰り返すうちに起きる前に感情の動きに気付くようになる。そしてその感情を止められるようになる。そういうふうに超えていけるよ。

なるほど。と思いました。いさどんの話は続きます。

怒りが生じた時、眺めていると怒っていない自分も同時にいるようになる。すると、自分は怒っていないのに、この場は怒るべきだよな~というように状況に応じて怒れるようになる。相手のために。怒っていないのに怒る。それはいかんだろうという憤り。

ここで僕は自分のことを話しました。

相手のために憤りを感じて伝える。でも伝わらない時、無駄なエネルギーを使うよね。そして伝えても無駄だからと憤りを感じないようにする。するといつの間にか自分が無力感に陥ってしまうことがある。

それを聴いていさどんが掛けてくれた言葉が心に響きました。

それは自分が正しいという思いに捉われているからだよ。まだ時期ではないのだなと流しておけばよいのだから。でも捉われているということは楽しみでもある。

そうかと僕は思いました。

僕はまだまだ自分の価値観に捉われている。でもその捉われがそちらの方向への動きを生み出す。動きの中に可能性がある。学びがある。僕はこれからまだまだ学んでいくのだなとあらためて思いました。


その心、これからは日の本の国全体に説くがよい~現代の桃源郷

「みんなね、ここを訪れる人には、別世界のプレゼントをあげたいと思う。別世界というのは、例えばディズニーランドのような人間が物理的につくった場所ではなく、ひとの心がつくる場所。そこで暮らすひとが、その心を生き続けている場所。ここに来る人は、ここで夢のような時間を過ごして帰っていく。夢の余韻にひたりながら、ここを懐かしく思いながら、日常生活に戻っていく。

ただ、この場所が他と違うのは、ここはその人が戻りたいと思ったらいつでも戻れる場所であり、その人がそういう場をつくろうとしたらつくることもできる。人の心の中で、こういうことができるんだ、こういった暮らしが可能なんだ、と思い描いていたことが既にここでは実現していて、まさに現代の桃源郷である場。

我々のつとめは、その桃源郷の精度を上げていくことであり、それは設備の充実ということもあるかもしれないけれど、一番は心の精度を上げていくことであり、一人一人がそれを自覚し生きていくこと。

あの昔、富士山の頂上で、『その心、これからは日の本の国全体に説くがよい』と言われたことが、今になって、ああ、こういうことだったんだな、ということがわかってきた。日の本の国全体というのは、太陽が当たる地球のことだけどね。」


いさどん語録10連発!

“くがっち”こと空閑厚樹さんは、立教大学コミュニティ福祉学部の准教授です。初めて木の花を訪れた時のいさどんへの質問のやりとりが、今でもファミリーメンバーの中に強い印象として残っているほど、頭の切れる、そして探求心旺盛な方です。(くがっち曰く、頭の切れてる、だそうです(笑)。)

3回目となる今回の訪問には、卒論ゼミの学生さん7名を連れていらっしゃいました。みなさんの卒論のテーマは、「自殺・中絶について」「葬儀の変遷からくる死というものについて」「生きがい」「福祉とIT社会について」等です。

滞在2日目の午後、プレゼンテーションの時間の前に、いさどんとの座談会の場がもたれました。あっという間の1時間弱の座談会終了時には、いさどんから、「立教大はすごいね。将来は明るいね」という言葉が出たほど、学生さんの意識は高いものでした。その座談会で飛び出たいさどん語録10連発、さあ、みなさん、準備はよろしいですか?!

「自殺者をなくすことは、自分のこれからの人生の一番のテーマです。」

「神という存在を知った人は、幸せだと思う。自分が何者であるかを知るスタートになるから。」

「ふっと湧いて出てきた気づき。これをインスピレーションと言うんだけれど、エゴが強い人は、それを打ち消してしまう。」

「問題ごとは、自分を知るためのチャンスである。」

「学ぶために人生はある。」

「人の幸せを願って、それが生きがいだと言う人がいる。それをブッタと呼ぶ。」

「この世界を動かしているエッセンス。それが神様の意思。」

「波動のもとは思い。思いの一番の原料となるのが、つながろうとすること、愛、絆、調和。それが、宇宙の実体。」

「自然はすべてを生かそうとする。すべてをつなげようとする。エコはつなぐという意味もある。つなぐのがいのち。」

「神は、何を目的に人間をつくられたのか?われわれも、神の存在の中にある。」