宇宙が何ものであるかを知るために

この世界は、性質の異なる二つのものが向き合い、共同作業をし、ひとつのものを成立させる「対向発生」によって成り立っている。例えば、原子は原子核と電子で対向発生している。上があれば下があるように、男がいれば女がいるように、個人がいれば社会があるように、必ず相反する存在が互いを成立させる対向発生の原理により、この世界は成り立っている。

ところが、現代は個人が強くなりすぎて、対向発生をしなくなった。自らの存在が他の存在によって支えられていることがわからなくなり、個人のことばかり優先して考えるようになった。そして、家庭が孤立し、個人が孤立するといった現象が起きるようになってしまった。これは、人間が「自我」という自らの我を優先するようになった結果だ。他者によって自らが生かされていることを忘れ、助け合うということをしなくなった。
現代は、若い人が子どもを作らなくなり、少子高齢化が進んでいる。個人の自我が強くなり、自分のために生きるようになった高齢者たちが、医療にすがって長生きをするようになり、そのニーズに乗り、医療は一大産業となった。若い人々は、そのような不健全な社会の中で生きることが嫌になっている。生きることが嫌だということは、子孫を残す希望が持てないということでもある。生きることに意欲があると、子孫を残す。しかし、生きることへの意欲を失った現代の人々は、子どもを作らない。結婚もしない。その背景にあるのは、この世界に命をもたらす対向発生の神聖なる仕組みであるはずの性が、ただエロいだけの卑しいものとして行われてきたということ。その結果が、現在の現象をもたらしたのだろう。これがすべての間違いの元である。生命の発生原理である性が歪められたことで、世の中のすべてが歪むこととなった。

現代物理学は、物質が発生する時、そこには必ず、その物質を存在させるための「反物質」が発生すると言う(対向発生)。面白いことに、その反物質の存在は、確認できていない。そして、物質が再び反物質と出合うと、光となって消えると言う。ということは、すべての大本は光だということ。光から発生して物質と反物質になり、その分かたれたものが再び出合うと、光になって消える。とても興味深いこと。そこに行き着いた物理学は今、行き詰まりを迎えている。
物質に対し、反物質という存在がある。それは、現象界(ある世界)に対する潜象界(ない世界)を紐解くカタカムナ物理学では説明がつく。しかし、科学者たちは見えないものを否定する。現代の科学は、「ない世界」どころか「見えない世界」をも否定するから、限界を迎えている。
物質と反物質が同時に発生するということは、必ず相反するものの対向発生によって世界が成り立っているということ。そうすると、「ある世界」に対して「ない世界」があるという理論を持たなければ、この行き詰まりは突破できない。物質世界に存在する我々は、物質は「ある」ものだから、「ある」ものだけを肯定する。だからその先に進むことができない。

現代物理学は行き詰まっていると言うが、もともと物理学は行き詰まっていた。物理学は、この世界をひとつの世界と捉えている。しかし、我々が知っているこの宇宙をAとしたら、それと対向発生するBという宇宙があるはずだ。世界が対向発生によって成り立っているとしたら、Bという宇宙があるから、我々のAという宇宙があるという理論だ。
そこで、我々のA宇宙が何ものであるかをわかるためには、B宇宙へ行き、そこからA宇宙を見る必要がある。光の中にいては光は見えず、闇から光を見て初めて光が何であるのかがわかるように、或いは、低い所にいるだけでは低いということがわからず、高い所から低い所を見て初めて低いとはどういうことかがわかるように、その存在を本当に理解するためには、必ずそれと対向する存在へ行って見る必要がある。
しかし現代の科学は、物理的な発想のみで宇宙を探索するため、A宇宙全体からすると塵のように微小な太陽系の観測すら、まだまともにできていない。現代科学が考え得る最速の乗り物は、秒速30万㎞で進む光子ロケットだ。しかし、我々が存在する天の川銀河の直径は10万光年と言われており、光子ロケットをもってしても、銀河の端から端までを観測するのに10万年かかる。そして、宇宙には約2兆個の銀河が存在すると言い(誰が数えたのか)、銀河から銀河へ行くのは更に遠い。
光子ロケットは、現実にはまだ作られていない。しかし、我々は光を基軸にして生きるものだから、光を超える、もしくは光と同じ速度で飛ぶということは、時間が止まることになる。時間が止まった世界で我々が存在できるかというと、存在できない。ということは、光子ロケットは実現不可能だということになる。つまり、物理的探査では、我々はこのAという宇宙を観測し、理解することはできない。ましてや、Bの宇宙へ行くことはできない。即ち、我々物質人間は、この宇宙が何であるかを観測し、理解することはできないところに至る。これが現代物理学の限界だ。

物理学者たちは、形あるものだけを見ているから、宇宙を解明することができない。しかし、カタカムナ理論は、現代の物理的理論を超える。それは、人間には「思念」があるということ。
思念は光より早く、それはアマハヤミと言い、光の速度の10の64乗倍で宇宙を駆け巡ると、カタカムナ理論は言う。人間は思念を走らせ、宇宙を瞬時にして観測することができる。つまり、物質を超える能力を人間は持っており、その能力を発達させることで、この無限なる宇宙がどのようなものであるのかを解明することができると言う。
その視点に立った時、近代物理学は、物質物理学を超えることが、初めてできる。

 


「1ヶ月間の真学校ブログ」をご覧ください

2月25日から3月24日まで、木の花ファミリーでは「1ヶ月間の真学校」が開催されていました。

「1ヶ月間の真学校」は、1ヶ月間木の花ファミリーに滞在し、様々な切り口から21世紀の世界観を学ぶプログラムです。今年は例年以上に海外からの参加が多く、個性豊かな受講生たちの変化と共に、日々講座の内容が深まり、とにかくディープな1ヶ月間となりました。いさどんブログはしばらくお休みを頂いておりますが、真学校の中でいさどんから湧き出てきた宇宙の叡知を、以下の「1ヶ月間の真学校ブログ」に掲載しています。どうぞご覧ください!

 

2018年1ヶ月間の真学校 ブログ 

「これ以上、皆さんを前に進めさせません」~2018年1ヶ月間の真学校 開講の挨拶

世界に新しい価値観をもたらすには まず自分を解放してあげなさい

たくさんの人に明るい人生を与えてください~私たちが「人格」を学ぶ意味

地球が回っていることを、感じていますか?

ジオセントリックからヘリオセントリックへ~「己読み」を学ぶ意味

当たり前の仕組み・お財布ひとつの経済

知識として学習しても 人間性は変わらない

私たちはひとつの命です~天然循環法・食

正しいヒメゴト・命を生み出す宇宙の根本原理〜性と宇宙

波動が高いということは、壊れるということ

21世紀の死生観・序章〜魂のランキング

21世紀の死生観・1〜死は新たな旅の始まり

21世紀の死生観・2〜真学校でもっとも伝えたいこと

21世紀の死生観・番外編〜死んだらまっしぐらに光の方へ向かいなさい

たったひとつのことを伝えるために~2018年1ヶ月間の真学校 閉講の挨拶

 

一つひとつが、とても深いメッセージです。21世紀を生きるすべての人へ、お贈りします。

 

 

 

 


瞬間瞬間がオリジナル ~ 群れが個人を目覚めさせる

いさどん:
個々の存在は、それぞれが独立した生命だ。その独立しているものをひとつにする時に、物理的に結ばれる行為がある。結ばれることによって、共通の目的が生まれ、心がひとつになる。

ただ、物理的に結ばれる行為の奥に思惑があると、それは結ばれる行為の本来の目的から外れる原因となる。そして思惑と思惑がぶつかり合い、複雑な現象がそこに生まれる。
無垢の状態でひとつになれれば、溶け合って、そこに新たなひとつが生まれる。それは美しい世界だ。そこでは、言葉はいらない。

──── 合体することは、大切なことだよ。

ともこ:
どうして男女でしか合体できないんだろう。誰とでもひとつになれるわけじゃなく、男と女でしか合体できない。

いさどん:
そんなことはない。男と女の対向発生が元となり、それが全体に広がっていくのだから。昔なら群れの中のヲサが神事として交わりを行い、女性にそれを伝えることで群れが安定した。
ただ、昔の一人は個人というよりも、単なる群れの中の細胞にしか過ぎなかった。しかしこれからは、個人がクローズアップされていく。個々が目覚めていくために、群れの中にいることが重要になっていく。一人ひとりが群れを形成するための全体性を持った個人として、目覚めるということだ。

昔は、生きていくために群れの形態をとることは必須だった。そうしなければ存続することができないから、やむを得ずそうしていた。しかし今の社会は、生きることはそれほど難しくなくなった。だからこれからの時代は、個人が群れの中に暮らすのは生きるためではなく、目覚めるためだ。
群れの生活形態が個人を目覚めさせる。全体性を学び、エゴを洗い流し、世界の構造を理解するために、群れの暮らしが必要になる。群れて生きた結果、個人はそれぞれの歩みや個性にふさわしく目覚めていく。そしてそれぞれの事情を生かしながら、全体を創っていく。

これまでの時代は、人々は自由で個性的に生きているかのようで、実際は一律な欲求に翻弄され、惑わされて、極めて個性のない人生を生きてきた。しかしこれからの時代は、群れの中で生きる者は個人としての意識がより確立されるようになる。それは、本来別々の個性を持つ人々が一律な価値観のもとに既製品化されてきたこれまでの世の中の流れとは、逆の方向に進むということだ。

僕は群れの中の一人ひとりに、個性的であることを求めている。しかし与えられることに慣れてしまった人々は、自らそれを目指し、獲得して、輝いていくということを怠る。もっとギラギラしたらいい。そのギラギラとは、宇宙の実相である活性であり、我々が生きる上での生活の表現でもある。そしてそれは、エネルギッシュで魅力的だ。その延長線上に、それぞれの役割や個性的な表現が充実していく。
そこでは、個人プレーは大いに歓迎される。それは全体性のための個人プレーだから。

ともこ:
2012年12月21日の闇のピークに向かって、時代は既製品化の方向へと進んできた。私たちはその極みに生まれた、まさに既製品化を体現している存在だと言えるね。そして時代が闇のピークを越えて新たな方向へと進み出した中で、今なお既製品になろうとしている。

いさどん:
そうだね。しかしそこに違和感を感じ、抵抗する人々も現れ始めた。

ともこ:
これまでは、既製品化しながらどんどん分離していく時代だった。

いさどん:
同じようなものでありながら、プライドが「自分だけは違う」と自分と他者と区別しているんだよ。

ともこ:
今、自分の心が分離の極みの状態になっているのがわかるよ。自我が強くて自分にばかり意識が向いて、周りとのつながりを忘れている。そういう自分たちが今、再び群れの中で暮らし、共に生きることを始めたというのは、すごくおもしろいね。

いさどん:
それを人間がやりきれない分、地球や宇宙が、群れで生きることの後押しをしてくれている。
世界は常に我々に、つながっていることや、生かされていることを教えてくれている。例えば呼吸を止めても、眠らなくても、トイレを我慢しても、食べることをやめても、食べ過ぎても、生きることの原則から外れるとすぐに苦しくなるでしょう。そうやって世界はいっぱい教えてくれている。しかし人々はそういったことを忘れているから、それが今の世の中に生き辛さとなって現れている。これまでのようにわがまま放題で好き勝手に生きることは、これからはやれなくなるということだよ。それが地球の意志であり、宇宙の意志だ。

そもそも我々は、地球というコミュニティに暮らしている。それは、災難が起きたからといって一夜漬けのように群れでつながることとは違う。日ごろから二つのものが完全に一つになるというくらい、つながって生きる。それは阿吽の関係で生きるということだ。

ともこ:
今はまだ、ひとつになることを勘違いしていると思う。既製品化することで「みんなと同じなんだ」と自分を安心させて、それでひとつになろうとしている。

いさどん:
ひとつになることは、個が自立し、目覚めるためにある。ひとつになることによって、自らのキャパを広げ、自由自在に行動し変化していくことが可能になる。そういった余裕を身に付けるということだ。
これはやはり体感を伴わないと難しいだろうか。言葉だけで語っても、結局は聞くだけになり、現実が伴わないものになってしまう。

ひとつになることは、極めて重要だ。それぞれの事情があるから組み合わせによって意味が変わってくるが、それにしても交わることはとても大切なことだ。低俗な交わりをしていては、その有用性に全く気付けないどころか、本来の意味とはかけ離れたものになってしまう。それはただやればいいというものではなく、高次の交わりをできるだけの精神状態を有していなければ、害をもたらすことにもなる。
高次の精神状態があり、それにふさわしい交わりをすることによって、その場に出会うそれぞれの者たちの事情に相応しい有効な働きが生まれる。それは、交わることにはこういう効能があるのだと言って、マニュアルのように行うものではない。この世界は瞬間瞬間がオリジナル。常に今と向き合い、新鮮に生きるということだ。

ようこ:
だからいさどんはいつも、自らの価値を高めなさいという話をする。価値を高めると、自動的に既製品の世界から脱却してオリジナルな存在になるから。

いさどん:
そうだよ。しかし人は既製品でいたがる。自分らしくオリジナルに生きることに慣れていないし、自分が自分らしく生きると、風当たりも強くなり責任も生じるから、既製品の中に逃げ込んで楽をしていたいんだよ。
中には既製品として安穏としていながら、自分の自我は表現したいというたちの悪い者もいる。

 

────── 僕はこれから、地上の肉体を考えずに生きていく。

明日は早いから早く寝なければとか、今日は作業が忙しいからその前に休んでおこうなどと想定して自らに配慮するのは、現象を先取りしているということだ。それではいけない。僕の中には、そういったことを無視している自分がいる。

そんなことを考えながら、僕はこう思った。「突然死するのはいいな」と。

僕は今、自分の体がとても不自由だ。しかしどことなく、この状態だな、これでいくんだな、という感覚がある。突然死、いいと思わない?「来た来た来たー!!」という感じで、リセット。そして僕が死んだら膨大な情報が残してあるから、それを研究する者がきっと現れる。僕が生きている限り次がどんどん出てくるから研究はしないが、もう出てこないとなったら「あれはいったい何だったのだろう」と研究する者が現れる。その時に、びっくりすることになるだろう。「こんなものが出ていたのか!」と。
僕は早く突然死するために、これからも大量の情報を残さなければいけない。それを残せば残すほど突然死が待っているのだから、よし、残してやろう。そして、目指せ突然死!!

ともこ:
毎日を真剣に生きていれば、いつ死んでもいい覚悟が自然と生まれる。それは自分に対してもそうだし、人に対してもそうだね。真剣だったら誰かが突然死しても、そこに後悔はない。

いさどん:
依存していると、後悔するよ。

 


 

地球はそもそもコミュニティ

その中で生きるとは、どういうこと?

「1ヶ月間の真学校2017」

「医」「農」「食」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」─── 多彩な切り口の講座を通して、私たちはなぜこの世界に生きているのか、あなた自身の中にある真実の目を開く、ダイナミックなプログラム
1ヶ月間木の花ファミリーに滞在し、宇宙視点で日常を生きるとはどういうことかを実体験として学びます。

【日程】2017年2月19日(日)~3月18日(土)
【会場】木の花ファミリー
【定員】15名 定員に達し次第受け付けを締め切ります。
【参加費】18~22万円 収入に応じたスライド制です。受講料や食費など1ヶ月間の滞在費全てを含みます。

講座詳細やこれまでの受講生の体験記はこちら!

→ 1ヶ月間の真学校ブログ

 


お釈迦様の時代の悟りから、新たな時代の悟りへ

ある日の大人会議で、「いさどんの七夜物語」シリーズ第六話がシェアされました。

 
こうちゃん:
この七夜物語の第六話には僕のことがたくさん出てくるんだけど、自分を振り返ってみると、あのころから比べて意識的にとても変化したと思う。これはとてもいいなというか、誇れるというか、今日読み合わせた七夜物語の第六話の中でいさどんが話した境地までは、まだ至っていないと思うけれど、この先が楽しみだと思います。
これを読んで、みんなは「自分が主役であること」や「一人一人が全体性を持つことが大切」と言っていたが、それと同時に僕が思うのは、こういった意識を七夜物語のところからずっと育ててもらったのだと思っています。
この意識を日常でいつも持っていたら、常に自分が主役であるという意識を持つことや全体性を意識して心がけることに加えて、世界観を広げる意欲があれば、その延長に着実に歩んでいることを感じられるし、今度アンテナショップもできることになったので、そこにこの心をもっていけば、外の人たちに異次元空間は提供出来ると思っている。

いさどん:
人間に生まれてきた「性(さが)」、これを人間性といいますが、その人間性は生きているとどのレベルかということが問われます。人として生まれてくるものの特徴は、思考回路が複雑で、願望を持つようになり、さらに願望を膨らませることもします。そこに、長年生きてきた結果しみついた心の癖(カルマ)に翻弄されて生きれば、さらに複雑な生を生きることになります。
そういった生を通しての経験は、垢を取り去り、意識が高まって高次元の美しい人生を生きるようになるのが本来の在り方ですが、人間の性(さが)というのは低い次元の状態でいると、しみついたカルマが垢として、高次元の美しい人生に到達することの障害物にもなるものです。そして、そこで得た経験やものが執着となり、さらに人生の足かせになっていくものなのです。

現代社会において、高い地位や優れた能力を発揮し、評価されているような立場の人々が、その立場に相応しい立派なことを語っていても、その人の奥にある精神性が、自我そのものであるということが今の世の中にはたくさんあるのです。優れた能力を発揮したからといって、その奥にある性質により、その人自身の霊的な価値は図れないのです。結果それでお金儲けに走ったり、その立場に執着するようであれば、世の中に混乱をもたらす原因にもなるのです。

それは、今の時代の成功者として評価されているリーダーたちや、政治家、経済人、宗教家、教育者などなど、そういった人たちが多いのです。そのような人々は、自らの内側に向き合い、自分の魂を潔く禊ぐくらいの精神を持っていかなければ、自らは善い行いをしていると思っていても、世の中には混乱をもたらす原因となり、霊的には罪人にもなるのです。

そういった現代のからくりが、今ひも解かれる時を迎え、社会ではその裏側が各方面で暴露されてきています。パナマ文書はその一つの事例です。そのような現象は、今地球のマグマが活動期に入り、世界中の火山が活発に活動し始めたように、それはある意味、精神世界の火山が噴火し始めたようなものです。このような世の中の闇の部分は、これから益々暴かれていくことになるでしょう。

そういった時代を表現する人間の性(さが)に対して、その昔お釈迦さまは仏法を通してどのように道を示したのでしょうか。すべては、自分という認識が成立することによって世界を解釈し始めることから始まります。人のすべての解釈は、自我の成立から始まり、その自我の位置を基準としてそれを尺度とし、この世界を図り始めます。ですから、始まりの始まりは自分というものの成立から始まっているのです。

一体全体、人間とは何者なのでしょうか。そして自分とは何者なのでしょうか。ほっておけば悩むし、ちょっと迂闊にしていれば腹も立つし、妄想も膨らませれば、願望も膨らみ、それに囚われればことが成らないといって萎縮もするし、ことが成れば自信過剰にもなる、感情の荒波に翻弄される複雑な存在です。それが、それぞれの個体で個性的な特徴を有し、無数に存在しているとしたならば、このような不可思議な生き物がほかにいるでしょうか。

そんな人間の中の自分というのは何なのか。自分が存在するばかりに、この世界を解釈するのです。その解釈は、人間の数ほど尺度があり、人間の数ほど物事の捉え方が違うのです。それを客観的に観察すると観えてくるものがあります。その目線は、自分というものの自我の窓を通してしか外が見えない。どんなことをしても、自分以外の窓から見ることはできないのです。そして、この自分というものをどのように捉えるのかというと、お釈迦さまの示された道はネガティブモードの道だったのです。

その道の始まりは、生老病死に始まり、人生の全ては四苦八苦なのですから。だから、この世界に生まれ存在することの全てが苦痛であると、説かれたのです。そして、生まれ出ることが苦痛の始まりであり、生きることが苦痛の連続なのですから、その苦痛から離れるためには、どうしたらよいのかと考えたのです。そこにはたくさんの理屈があるのですが、結局は自我という尺度を持っているから苦しみに出会うのだと結論づけています。そして、諸行無常、色即是空と説いたのです。

しかし、そのような苦痛からの解放を求める境地のものに、手法としてこのように思えばいいんだと伝えたところで、その思いが湧き出す自分がいる限り、思いは湧いてくるのだからどうしょうもないのです。そこでどのように瞑想をしたところで、その結果は迷走に繋がることになるのです。それは、実態の伴わないバーチャルな体験に基づく境地を求めるものだからです。このような体験をいくら積んでも、その思考形態で生きていること自体、四苦八苦を産み出す仕組みの中にいるのですから。
そこで、どうしたらいいと思いますか?

A子:
死ぬ。

いさどん:
死ぬ?違うよ。死ぬんじゃないよ。反対だよ。

B男:
生まれなければいい。

いさどん:
そう。お釈迦さまは、生まれなければいいと示したのです。生まれなければこの苦しみを体験することもなく、結果この苦しみから解放される。お釈迦さまはネガテイブですね。(みんな笑い)

生まれてきたが、人生で出会うのは四苦八苦で苦痛の道だから、ここから逃れるためには、生まれなければいいということになります。生まれてくるということは、肉体という特定を得、自我というカルマが発生し、それにふさわしい自我の人生を生きることにより、それが次のきっかけとなり、また生まれてくる。何回も何回も生まれ変わって輪廻を繰り返すのだから、そのけじめのない輪廻に嫌気がさし、生まれないためにはどうしたらいいのか、又はなぜ生まれてくるのかを考えたのです。そうして行きついたのが、「自らに囚われ、執着する心に自我が成立することにより生まれてくる」ということ。それが人間の性(さが)なのです。

ところが面白いことに、13000年前の叡智であるカタカムナでひも解いていくと、ヒトという境地に至った存在は、完成された悟りの境地のものを指します。そこでは、「ヒトであるということ=この世界の始まりから終わりまでを悟り、統合している者=悟っている状態」と示しています。それは本来、仏教で言う、生まれてくることのないもの、もしくは生まれてきたとしても、人の性(さが)に苦しむようなものではなく、自我を超越した存在(菩薩)と示しているのです。

ところがカタカムナの後の時代、今から2500年ほど前、お釈迦様が道を示すために役割をもらって降りてきたころには、「人間は生きることにより四苦八苦するものである」というように人間性は固定されてしまい、世界は特定の王に支配され民衆には希望のない混沌とした時代だったのです。「生まれてくることがいけないんだ」と、生きること自体を否定的に捉える時代だったのです。

そこで小乗仏教で象徴されるように、現世が苦痛であることから、少しでも功徳を積んで生まれ変わり良い人生が生きられるように願うようになっていったのです。
さらに大乗仏教になると、苦痛の世界から極楽浄土を求めご利益的救済への道に変わっていったのです。そこでは本来、自我を超越する道であった探求の道が、苦痛から解放されたい願望をかなえる道に変貌し、そのことにより結果として人々はカルマにまみれていくことになったのです。

中国の天盤の巡りで示されているのは、地球上に宗教観がもたらされたのは、今から約3000年前のことなのです。そういった歴史の流れから捉えれば、そんなに古い話ではないのです。そして3000年の時を経て、天盤の巡りで示されているのは、時代は今宗教の時代を終え、新たな時代を迎えようとしているのです。その新たな時代を生きる人々は、生きることに、願望をかなえたり救済を求めるのではなく、自らが自らを正しく悟ることによって、願望(自我)に翻弄されることなく、救済される必要のない高い意識の存在(菩薩)となるのです。
そうするとこれからの時代は、宗教の時代に示されたような、「人として生まれ、人の性(さが)に翻弄され生きなければならない」というネガティブな感情からの解放ではなく、自我を理解し自我に翻弄されることなくコントロールし、その個性を有効に生かし、高い意識のもとに自らにも他者にも有益な人生を生きる人であることが望まれるのです。

3000年の宗教の時代を経て、人々が新たな時代を生きる人間性になったとき、「性」という字を「サガ」と読むか「セイ」と読むかの違いが示されてきます。そこではセイという読み方は「聖なるもの」のセイに通じることになります。そしてセイという示しは交わりの性に通じ、全ての生命の始まりのセイであり、宇宙の根源の働きに繋がるものです。そういった秘められていた仕組みが今、解き明かされ、その時代が今訪れたということになるのです。ですから、宗教の時代のお釈迦様は人々に悟りを説いたのですが、今新たな次の段階の悟りを人類は迎えようとしているのです。そのことに気づき、私たちは社会の先端を生きているのですから、そういった自覚の元に、自らと向き合って生きていきたいものです。

今日「七夜物語」の第六夜を聞いて、晃ちゃんの話がたくさん出てきましたね。晃ちゃんの精神性の成長のプロセスの一段階を見ました。晃ちゃんは、第六夜に出てくる自らの段階をみて、「自分はあそこにいたんだ」と振り返りました。そして、あそこからここへ来たんだと気づいたときに、いさどんがその後にその次の段階の話をしてくれました。そこでまだ、次の段階には至っていないけれど、以前のもっと下にいた時から今の段階にいることの意味がよく分かり、そこを目指すんだという希望が生まれた、と言っていました。

人間というものは、一人一人個性的な人間性という性を持っているのです。お釈迦様の時代は、生まれてくると四苦八苦を繰り返し生きることの結果、わかればわかるほど生きることはつらいと解釈しました。そこで、「じゃあ早く死のう」という発想になるのではなく、四苦八苦の原因を消滅させずに死んだところで、またそれが原因となって生まれてくることになり、また四苦八苦を生きることになる。ということなのだから、生きることを吟味して生まれることのないようにしましょう、という道を示したのです。この道理はそういった生に対する認識の時代にはその通りですが、それがその時代にふさわしい道理と捉えるならば、今の時代には今の時代にふさわしい道理が求められるのは当然のことです。

2012年の12月21日25800年ぶりの「銀河の冬至」を迎え、時代は闇のピークを越え、今私たちは、人間性の愚かしさのピークも観たわけです。この時代には、戦争で示されるような物理的地獄もあれば、人々の心が創り出す闇の世界もあるのです。

最近の注目すべき話題として、日本で行われる伊勢志摩サミットを機会にアメリカのオバマ大統領が70年前に原爆を投下された広島へ初めて訪れることになっているのですが、オバマ大統領は、大統領就任後に核廃絶を訴えてノーベル平和賞を受賞しました。しかし、自国の核にすら何らの対策もうたないままに、世界は核の緊張の上のパワーバランスにより、北朝鮮の核開発が進むことを誘発するような現状のままにあります。その結果、辻褄を合わせるように今回の広島訪問が実現したようにもとれます。そういった出来事も含め、人類の心の闇も極みのところへ達し、世界のリーダーや、聖職者と称される人々が現代社会の行きついた矛盾の根源であることが観えてきました。それを時代が示していると受け取れます。

そういった表面的に取り繕った見せかけの平和を唱えるのではなく、このような現状を踏まえて、ターニングポイントを超えた次の時代の聖なるものとは、どういった精神に基づく探求であるべきなのかが、これから人類が目指すべき方向性です。人間に生まれてくると、人間性という人間であることの「定め」がついてきます。人間に生まれてきたら、ほかの動物とは違って、自らを認識する、考える、願望を持つ、膨らませる、叶える、喜ぶ、ということをします。そういった願望がかなわない時には、悲観することもします。その時に我々の喜びというものは何なのかというと、今までは全部損得勘定です。この損得勘定というものは、次元によって質が全く違うのです。物理的な損得に基づく損得勘定もあれば、自らの霊的な価値が積めるか積めないかという損得勘定もあるのです。

そこが観ているところの違いで、こうちゃんはさっきの第六夜の話を聞いて、去年の9月ごろの自分に立ち返って、こういった喜びや豊かさがあるんだ、という心境になりました。そういった心境に至ったときに、人はモノやお金に縛られることから解放されます。そのような心の価値と出会った喜びや、心が成長して豊かになっていくことを通して、お釈迦様が道を示された頃の時代のようなネガティブな悟りではなく、「ヒトとしての本来の悟り」に至るのです。

それは地上を生きるものにも、天に存在するものにも共通して有効なものです。お釈迦様の時代は、「人として降りてくると四苦八苦して生きるのが大変だから生まれてくるな」というのが悟りを目指す目的の原点でした。ところがそういった苦しみの世であるにもかかわらず、後の世は、人は減るどころか大変増えて、人々は四苦八苦から逃れるどころか、欲望の感情におぼれ、かえって苦痛の種を人生にまき散らし、その結果世の中は混乱の極みに達しているのが現状です。

本来ならば、そのようなろくでもない人間は、地上の理想を目指す目的からすると不必要なものとして淘汰されるべきものです。ですから、人々が天意に沿って生きていたならば、人が生きることにより自らを磨き高め、本当に必要な魂だけで地上は安定した世界になっていくはずなのです。そして、そういった世界では本当のヒトが世界を創っていくことになります。地上で生きるにしても、「ヒトでなし」ではなくて、ヒトにふさわしい人が生きる時代がこれからの時代と考えた時、これからの人たちの損得勘定は自らを高次に導き、自らが納得し誇れる生き方をするべきです。そして天とともにクニツクリをし、地上を豊かにし、みんなが楽しみ喜べる、嬉し楽しの世を開くために生きるものであるべきです。その喜びが、自らの願いであり意志として生きるものになったときに、これこそが、新たな時代の人々(菩薩)の姿なのです。

宗教の時代の初期は、個人が個の悟りを求めて仏陀となった時代だったのです。それが優れた聖なる人の見本になりました。しかし、これからの時代は「すべての衆生に仏性あり」とお釈迦様の言葉にあるように、一人一人の精神が天意に目覚め、全ての人々が仏陀としての自覚をもって生きていく時代です。

そういった時代の幕開けを感じとったとき、そのような景色を観、そのような喜びにこうちゃんは出会ったのでしょう。こうちゃんおめでとう、ということなのです。おめで統合だね。(チ~ン♪、笑い)

丁度今、木の花の精神性を表現した発信基地としてアンテナショップの計画がありますが、このアンテナショップでは「あれ~ここはどこだろう。これは何だろう?」という不思議な雰囲気を体感できる場所を目指しましょう。そして訪れた人々が「ありがとう」と言って帰っていくときに、何か懐かしい想いを感じ、また帰宅なるところにしたいものです。そこは、本当の自分に出会え、自分の家よりも居心地がよい場所にしたいものです。そしてその場所が、物理的な場所だけではなく、心の居場所であったならば、たくさんの人がみんな帰宅なるでしょう。それは、私たちは元々そこ(心の故郷)から生まれてきて、今まで忘れていただけなのですから。そういった場所をこれから創って世の中に提供していきましょう。

こうちゃん:
3000年前からの流れ、お釈迦様の教えも金神様が言うように、今の時代になっては、人々の意識の内では逆さまになっていたということだね。

いさどん:
そうだね。「まさしくこの世は逆さまじゃ」ということ。今の人間たちは、たくさんのものや価値を所有しているでしょ。そして、本当が観えない世の中になっている。これから、それが全部ひっくり返って新しい価値観の新たな世が始まるぞということで、本当に「嬉し嬉し、楽し楽し」とみんなで共に生きていきましょう。

 

 


21世紀は一人ひとりの目覚めの世紀です ~ エリちゃんのメッセージ編

「1ヶ月間の真学校」を受講中のエリちゃんは、カタカムナ講座を受けた日の日記にこう書いていました。

――

今日は本当に書くことがたくさんあります。今日講座の中で伝えられたことすべてに共鳴し、深く同感します。私の魂が今日の講座はとても重要なものだとわたしに伝えるのです。

ここ数年における私のビジョンだけではなく、夜に見るいくつもの夢が、いさどんによって今日ここにつながりました。わたしは今ここでわたしの運命を生きていますし、カタカムナはそのことに大いに関係しています。

今までたくさんのメッセージがわたしのもとに来て、わたしはそれをどうしたらいいのかわからなかったので、書き留めてきたのですが、それをシェアする場所がありません。わたしは特にいさどんやようこにシェアできることを知っています。あなたたちの波動はとても銀河系的なので、特にふたりの近くにいるとありがたいのです。

――

そこで、ようこ通訳のもと、エリちゃんがいさどんと話す場が持たれました。まず、いさどんは次のように語り始めました。

(いさどんとエリちゃんの前回の会話についてはこちらをご覧ください。)

 
いさどん:
わたしはなぜ今日この時間を持とうと思ったのか、よくわかりませんでした。ある意味、これは天の意向ですからね。わたしは意味がわからずに、何かの行動を取ることがあるのです。それは、人生を自分のものだと捉えていないからです。

あなたに聞きたいことがあります。本来、人間は霊的な存在です。ですから、自らの本質に目覚めると、今の人間たちのように物質的なことに追われて生きるようなことはおかしいと思うようになるのです。ただ、人間たちがこのような進化を経験するために、今のような時代を迎え、それが今、収束を迎えています。あなたはアメリカという極めてその象徴的な国に生まれ、象徴的な国の出来事として迫害された人種の血も引いているので、今の時代を余計に不自然に感じられるのです。そしてそれは、新しい時代を切り開いていくために重要な霊性だと思うのです。

天の命によって始まった木の花ファミリーには、時代を動かす宇宙的な意志がたくさん直結しています。最初、わたしはそのことがよくわからなかったのですが、だんだんその重要性を理解するようになり、今はそのことだけを一番の目的としてここで活動しています。霊的な差はありますが、ここにいるメンバーはどの人も新しい時代を切り開くモデルになることを自覚してここにいるのです。そこに差があるのは、皆で力を合わせ調和していくという意味では、差がある場所でこそそれが実現されるべきだからだと思うのです。

特にこの2016年は、ここにとっては新しいメッセージを世界に向けて発信する年でもあるのです。これは、地球規模のことですから、宇宙的な話なのです。わたしたちにとっては、地上的な生き方をするよりも、時代を意識して生きることのほうが重要なのです。そういったことも踏まえて、あなたがわたしにシェアしたいと日記に書いていたメッセージについてやいろいろな想いを聞かせてもらえればと思います。

エリちゃん:
わたしが日本に来てからたくさんのメッセージがわたしの元にやってきました。あなたがそれをどのように感じるのかを聞いてみたいと思います。なぜなら、今あなたが話したこととそれらのメッセージは似ていると感じるからです。ここ1年半の間、わたしの体は「腹(ハラ)でわたしの声を聞きなさい。腹にあなたの意識を収めなさい」と伝えてきました。

数ヶ月前、地球の中心がわたしに話しかけてきて、「あなたの意識を地球の中心につなげなさい」と伝えてきました。その地球の中心というのは、わたしの腹とつながっている感覚があるのです。それはへその緒でお母さんと胎児がつながっているような感覚です。

いさどん:
それは正しい捉え方ですね。

エリちゃん:
そうですね。そして、わたしの意識を地球の中心につなげたとたんに、わたしはとても安心したのです!それから、地球の中心はわたしの意識が宇宙につながるように伝えてきました。その宇宙とは父なる宇宙です。地球の中心は、ただ楽しむためにつながりなさいと伝えてきました。それは恋人同士の関係のように、宇宙の愛を表現するたくさんの方法のひとつなのです。それは、人間の目的であり、運命でもあるのです。人間の心が開かれていくと、宇宙との交わりが可能になるのです。

日本に来るのは今回2度目なのですが、日本に来てから地球の中心がわたしに向かって「一緒に時間を過ごしましょう」と誘ってきました。それはとても簡単でシンプルなことです。お母さんが子どもに「一緒にいましょう」と言うように、ただ一緒にいましょうというメッセージでした。

わたしは1ヶ月間の真学校を受ける前に東京にいたのですが、そのとき地球はわたしに「もし、もっと多くの人間が地球と一緒に時間を過ごすとしたら、地震などの地球の変化を人間たちに知らせることでしょう」と伝えてきました。このメッセージはわたしにとって大切なものでした。ですから、いさどんに伝えたいと思いました。しかし、こういったメッセージを、たとえば地震を防ぐために使おうとは思っていません。

次に、わたしが愛知県の伊良湖にいたときにやってきたメッセージについてお話しします。

いさどん:
わたしは伊良湖のことはよく知っていますよ。伊良湖の近くに名古屋がありますね。わたしは富士山麓に移住してくる前に名古屋に長い間住んでいました。

エリちゃん:
まあ、知らなかったわ!そもそも、今回わたしが日本にいるのも、地球からここに来なさいと呼ばれて来たようなものなのです。それで日本に来てからたくさんのメッセージがわたしのもとに降りてきて、その意味が今わかり始めてきたのです。伊良湖では、ある山がわたしに向かって、「あなたの目的は地球の声をいろいろな場所で聞き続けることです」と伝えてきました。そしてそれは祝福を意味しており、常に地球と共にあり、意識を向けていなさいというメッセージだったのです。

その後、山がわたしに伝えてきたこととして、これはシェアすることが少し恥ずかしいのですが(笑)、なぜなら性に関することだからです。ただ、いさどんはこのようなメッセージを知りたいと思っている人を知っているかもしれないので、お伝えしますね!

いさどん:
ハッハッハ。性に関することについては、1ヶ月間の真学校の中で講座がありますからね。

エリちゃん:
ハッハッハ。そのとおりですね!

いさどん:
たとえば、先程あなたは宇宙と交わるという話をしましたね。

エリちゃん:
はい、しました!

いさどん:
宇宙の成り立ちは人の交わりと同じです。ただ、人々は人の交わりが宇宙の成り立ちと同じであることを知らないだけなのです。本来、人の交わりはとても神聖なものなのです。そして、人間の意識を高めてくれるものでもあるのです。そこまでのことを外の人々に伝えるのは、今回の講座が初めてです。

エリちゃん:
その講座を受けることはとても楽しみだわ!実は、伊良湖の山からは、とても特定したメッセージももらっているのです。そのメッセージはこの性に関する講座を受けると、より深く解釈することができると思っています。そのメッセージとは、わたしが4つの異なる大陸の4つの異なるコミュニティで4人の異なる男性とそれぞれ4人の子どもをもうけ、季節毎に1人の子どもと過ごすというものです。それは地球の自転とともに生きるという意味でもあります。

いさどん:
子どもをもうけるときに重要なのは、当事者である男女の意識がこの宇宙の法のどのレベルにアクセスしているのか、ということです。たとえば低い意識のものが子どもをもうけるとしたら、宇宙の法の低い意識にアクセスしていることになります。その低い意識でもうけた子どもと高い意識でもうけた子どもとでは意識の質が違うのです。今までの時代は、賢くても意識の低い子どもたちがたくさん生まれていました。そのような人たちが世の中を支配してきたので、企みの中で優秀さが優先される社会をつくってきたのです。しかし、意識が高く、かつ優れたものが子どもをもうければ、意識の高い子どもが生まれてきて、調和的で豊かな世界が自ずと現れてくるのです。

あなたが受けたメッセージは、今までの人間の価値観からすると常識から外れたことのように捉えられるため、あなたは少し恥ずかしそうに話していましたね。しかし、これは新しい時代にとってとても重要なことだと受け取りました。あなたは簡単に4つの大陸といいましたが、それは国境を越えるということで民族や人種の垣根を超えることを意味するのです。これからの時代はそのような魂が生まれてくる必要がありますし、実際にそこでいのちを育む物理的な現象としては人間の男女の交わりかもしれませんが、その精神はもっと意識の高い存在である、たとえば宇宙と地球、大陸同士という意識が交わっているようなものなのでしょう。

本来、わたしたちは宇宙や地球の自然ネットワークの中で生かされているはずなのに、人間たちの日常の意識はそういったことを忘れてしまっています。それどころか、いのちの仕組みすら忘れ、近代の人間たちの活動はいのちの仕組みをどんどん破壊していくようなことさえしているのです。ですから今、この矛盾した世界があるのです。そのことに対する答えとして、矛盾や痛みが今この世界に現れているのです。それを正しく捉えれば、その反対のところに解決策があることは明快です。

ですから、あなたのような人は、今までの社会的価値観で言えば、変な人だったのです。その極めつけがいさどんです(笑)♪

エリちゃん:
ハッハッハ!そのとおりですね!だから、わたしはあなたに何でも話せるのです!

いさどん:
今ここへ来て、わたしはこの生き方に確信を持っています。それは、新たな時代を迎えるにあたって、非常に重要な役割をしているということです。ところが社会を見渡せば、社会の中には様々な矛盾が発生し、問題が起きているにも関わらず、ほとんどの人々が今時代のターニングポイントを迎えていることに気付いていません。だからこそ、人々の中にその気付きの兆しがなくとも、この生き方を続けていくことが重要であり、極めて狭い道を奇跡のように探しあてた、あなたとのような出会いが来るのです。

エリちゃん:
ありがとうございます!

いさどん:
この生き方の大切さを思えば思うほど、そして世の中に矛盾を感じれば感じるほど、確信はますます強くなっていくのです。

そういった中で、性に関する話はこれまで世の中に出せませんでした。それは人々の物事の捉え方が逆転していたからなのですが、特に性に関することについてはその本質から全くかけ離れた解釈がされていたからです。ですから、それがいかに神聖なものであるのかを理解した上で、行うことが大切です。神聖なものとしての性の行為は、全人類のみならず地球や宇宙、それから時代の進化を請け負う行為でもあるのです。性を通してこの世界はいのちを紡ぎ、時代を紡いでいるのですから。新たな時代を迎える今、性を汚れたものや秘め事として解釈するマインドコントロールから、人々は解放されなければいけないのです。

ですから、あなたが山から受けたメッセージについても、あなたがメッセージの意味を理解するためにここに来たとも感じています。なぜなら、カタカムナは男女の交わりの真の意味を解き明かしているのです。そして、ちょうどわたしたちも今、その中で最も重要なところを解き明かしている段階にいるのです。

今回、性の講座の中でそういった智慧をみなさんに伝えることができます。ただ、これは極めて秘伝なのですから、人の意識が高くなければ、その優れた智慧を興味本位に受け取り正しく活かすことができません。今まで人類はそのような間違いをたくさん犯してきました。ですから、そういった高い意識の状態になったものでなければ、正しく宇宙の法を降ろすための交わりにはならず、宇宙や地球、大陸の代理としての行為にはならないのです。つまり、性に伴う行為はシャーマニズムと同じことなのです。宇宙意識を降ろすための受け皿としての人をつくることが先にあり、それが最も大切なことなのです。

そういったことは講座の中で情報として伝えますが、本来はその経験を持って、高い意識レベルに到達するための積み重ねが必要です。これはとてもハイレベルで重要なことなのですが、同時に危険なものでもあるのです。ある意味、性は今の人類を没落させた原因でもあります。人類は20世紀までの1000年間の霊的な没落の時代を経て、これから2000年から3000年に向かって、霊的な花が咲く時代に移行しているのです。

今、時代は大いなるターニングポイントを迎え、新たなサイクルに入ったのですから、わたしたちもそういったことを伝える準備を始めていますし、だからこそ、そういった智慧を求めてくるあなたのような人がその証として、ここに訪れるのです。

地上的解釈に囚われ、宇宙を生きていることを認識できないような人々にとっては、ここで提供される情報は一体何のことを言っているのか、想像もつかないような話なのです。しかし、わたしたちが生きているということは、明らかに宇宙的・霊的な無限なる連鎖の中に存在しているのです。ですから、人類は目覚めれば、極めて非合理的なこれまでの生き方をたちどころに変容させることができます。そのためには、わたしたち一人ひとりの意識改革がこれから必要とされています。21世紀は一人ひとりの目覚めの世紀なのです。

あなたが少し恥ずかしそうに冗談っぽく言っている話を、もっと堂々と語り、そして明快にその意味を知るべきだと思うのです。

エリちゃん:
そのとおりですね。わたしが完全にオープンであるときには、わたしは自分自身の運命について知っています。

いさどん:
そうですね。だから相手次第であなたは完全にオープンになれるということですね。わたしは30年以上前にこの道を歩み始めたときには、どこを歩いていて、なぜこの道を歩んでいるのか、全くわかりませんでした。しかし、わからない自分に対して、わかることが大事なのではなく、このわからない道を歩んでいくことが大事だと言い聞かせてきました。今は、道がはっきりと観え、明快に歩んでいます。

エリちゃん:
わたしにもそれが必要ですね!

いさどん:
少しずつそうなっていけるといいですね。いずれにしても、意識がどこにあるかによって、出来事は全く別のものに解釈できるのです。ですから、心の位置が変われば、景色は変わって観えてくるものです。時代は完全に価値観を逆転するときを迎えています。時代が切り替え時を迎えているときには、今までの価値観が過去のものとなり、新たな常識が生まれてくるのです。ですから、今までの時代であれば語れなかったことも、これからは堂々と確信を持って示し、それが社会に通用する時が来ているのです。わたしたちの出会いは、今日のこの時間も、宇宙の流れや天の意志であるように明快です。これからもきっとわたしたちは時代の先端の立場を担っていくものとして、連携していくことでしょう。

エリちゃん:
わたしもそう思います!

いさどん:
わたしたちは今地球上にいるので違う言語を話しますが、宇宙意識になれば言語はひとつしかないのです。わたしたちが違う言語を話しても、通訳を通して心が通じ合えるように、わたしたちの奥にある意志を共通にすれば、その目的はひとつなのです。これから人々の意識が上がれば、言語に多くを頼らなくても心が通じるようになるでしょう。

宇宙意識に連動して地球上の役割を果たすものは、意識が高く、これからの時代には重要な存在です。時代が変わろうとしているときには、天は地上にいるものたちに連携を図ることを求めるのです。そして、地上のものもそれを受けて天に意識を向けるのです。それは、地上的な快楽に浸っているものの意識とは全く価値観が異なるものです。その大いなるものにつながる意識のレベルでは、時代を運営するために自らの存在があるのです。そういった広く高い意識を持つためには、地上的エゴや欲望に翻弄されていてはいけません。やはりそこでは自らをしっかりと観て、その役割にふさわしく精神性を磨く必要があるのです。

ですから、宇宙や地球、山と通じると感じるものは、普通の人たちと同じレベルで心が一喜一憂しているようなことではいけないのです。さて、あなたにその自覚を持てるかどうかが問われているのです。

エリちゃん:
はい、その自覚を持てます!これから精神性を高めていくよう努めていきます。今日はどうもありがとうございました!

いさどん:
また時間を持ちましょう。

――

 
面談後のエリちゃんの日記には、「いさどん、ようこ、そして飛躍的に精神性を進歩させるこのような場を創り維持するみなさんのネットワークすべてに感謝します。わたしは進歩し続けることに全力を注ぎます。何という旅でしょう!共に楽しむためのこの宇宙船を見つけたことを嬉しく思います。永遠なる感謝を」と書いてありました。

確実に一人ひとりの心に変化が現れ始めている1ヶ月間の真学校。エリちゃんのみならず、受講生全体から新たな息吹が感じられる今日この頃です。

同じく受講生のたえちゃんとエリちゃん。1ヶ月間の真学校もいよいよ折り返し地点です!
同じく受講生のたえちゃんとエリちゃん。1ヶ月間の真学校もいよいよ折り返し地点です!