黄金の国を世界にもたらすために 〜 今、中国の皆さんに贈りたいメッセージ

6月24日、中国で開催中のエコビレッジ・自然教育・自然療法などをテーマにしたイベントに向けて、木の花ファミリーの暮らしが丸一日ネット中継されました。ジイジは養蜂場で取材を受けながら、次のように語りました。

ネット中継でのインタビューに答えるジイジ

ジイジ:
養蜂作業は面白い仕事です。ミツバチの生態は、人間の共同体の暮らしと同じような暮らしです。私は蜂蜜を取ることが目的ではなく、ミツバチの生態に興味があり、「木の花ファミリーでミツバチのような暮らしをしたい」と思って、ミツバチを飼い始めました。

木の花ファミリーは農的共同体です。そうすると、ミツバチは受粉効果としてとても大きな役割をしてくれます。ミツバチがたくさんいるところでは、作物も良いものが採れるのです。

今から、私のペットを見せましょう。(ミミズを見せながら)これは私のペットです。ミミズを飼って、土を作っているのです。ミミズは土を耕してくれます。このミミズが分解してくれた土はアミノ酸がとても豊富で、野菜の苗を育てるのにとても良い土になります。土の中には虫もたくさんいて、健康な土を作ってくれます。ここに入れた落花生の殻はなかなか分解できていませんね。アボカドの種や蓮の花托も入っています。これはミツバチの巣の要らないところを取ったもので、ここに入れたのです。虫はこうやって私たちの要らなくなった生ゴミを分解し、健康な土を作ってくれます。不健康なところでは、生ゴミは腐って臭くなるでしょう?でも、これはまったく臭くありませんね。この土で野菜を作ったら、とても良いものができます。

ジイジのペット「みんみん」

この良い土を作ってくれる生き物の中で、目には見えませんが、この土の中には微生物がたくさんいるのです。一般的な農家は畑で作物を作るときに農薬や化学肥料を入れるので、微生物の少ない畑で作物を作っています。しかし、このような微生物の豊かなところで作った作物はとても健康で、私たちに健康を与えてくれます。さらに、環境も良くしてくれます。

(イチジク畑へと案内しながら)ちょっとこちらに来てください。これは蓮の葉っぱです。これは蓮池の土手に生えていた草を刈り取り、イチジク畑に敷きました。向こうに見えるのは、昨年植えたイチジクです。こちらは今年の5月に植えたものです。これが来年になると、あのような状態になります。イチジクの肥料分としてこういった草を株元に敷き、さらに雑草が生えないようにしています。それから、土の水分の蒸発を防ぎ、微生物がこの草を分解してイチジクの肥料として栄養にしてくれます。この草はいずれみんな、イチジクになるのです。ですから、いずれ私たちはこの草をイチジクとして食べることになります。それは、健康な自然の循環の姿です。だから、植物はとても健康に育つのです。昨年植えたイチジクには今、秋に採れる実がたくさん生り始めました。この元気な植物と健康な土は、微生物が作ってくれます。それが、私たちの健康につながります。

昨年植えたイチヂク
今年植えたイチジク
昨年植えたイチジクに秋果が生り始めました

もうひとつ、紹介しますね。これは木酢液といって、炭を焼くと煙が出ますね。それが冷えて取れる液体です。これを時々イチジクの木の根元に噴霧します。匂いをかいでみてください。燻製の匂いがしますね。木酢液をイチジクの木の根元にかけておくと、この匂いを嫌ってイチジクの害虫が来なくなります。それで、時々私がかけてやります。一回噴霧すると、だいたい1ヶ月ぐらい効果があります。それから、ミツバチたちの巣箱内にも木酢液をかけてやります。そうすると、巣箱内のカビや雑菌が取れます。逆に、有効なバクテリアが増えることにもなるのです。

イチジクと木酢液
イチジクの根元に木酢液を噴霧します

次に、玄米アミノ酸を紹介します。これはここで玄米から作ったものです。玄米を糀菌で分解し、それに乳酸菌を入れてアミノ酸を作ります。これはアミノ酸ですから肌にとても良いですし、健康にも良いのです。ある台湾人の女性は木の花ファミリーで玄米アミノ酸の作り方を学び、台湾で作っています。これも、ミツバチの巣箱内にかけてやります。そうすると、病気にならない健康なミツバチをつくります。こういったものは土や人間の体にはとても良い健康食品です。

玄米アミノ酸
玄米アミノ酸をミツバチの巣に噴霧しています

さらに、これは木の花菌です。匂いはどうですか?なめてみるとちょっと酸っぱいでしょう?pHは3.5です。これはだいたい100種類以上の微生物が集合したものです。これもミツバチの巣箱内にかけてやります。木の花の鶏小屋が臭わないのも、こういったものをたくさん鶏にあげているからです。これは木の花の生活には欠かせないものです。

木の花菌の培養の様子
アカマツ・ビワ・クマザサなど抗酸化力の強い植物の葉を加えます

通常、微生物は私たちの目には見えないものです。しかし、地球上の至るところに存在しています。空気中にも存在しています。そして、私たち生命の健康を助けてくれるのです。逆に、人間は今、化学物質などの人工的なものを使って、微生物の世界を壊しています。微生物は目には見えませんが、私たちにとってとても重要な働きをし、健康を与えてくれているのですから、神様のような存在なのです。木の花ファミリーでは、こういった微生物を自分たちでつくる技術を持っています。こういったものをつくるのに知恵やエネルギーが要ります。化学物質のように簡単にはできませんが、私たちに生きることの大切を学ばせてくれます。ですから、とても大切なものです。ここに、木の花ファミリーの生き方の原点があると思いませんか?

一般的に、養蜂家は雨の日にはミツバチの巣箱を開けることはできませんが、この養蜂場には屋根があって雨に濡れないので快適で良いでしょう?これもジイジが閃いたことで、天気が良い日には農作業をして、雨の日にミツバチの手入れをすることを考えたのです。ここでは、ミツバチの巣箱が雨に濡れずしけないので病気になりにくいのです。こうやって自然とともに生きることは、人間にたくさん知恵を与えてくれます。このように私たちは日々生きることの意味を自然から教えてもらいながら、生かされています。

ジイジ自ら考案・建設した養蜂場。中国人の最新メンバー・ペイペイと。

今、世界中の人々は豊かさを競争して勝ち取ろうとしています。競争したり戦うことはエネルギーがとても無駄になるのです。地球人類の次の生き方は、助け合って、エネルギーを無駄にしない生き方でなければなりません。地球上に本来ゴミはないはずなのに、みんなが自分に都合の良い効率だけを考え、助け合わずつながらないので、今、ゴミがたくさん出ています。人間は本来、自然の中で生かされているものなのに、人間が自然に負荷をかけているのですから、それでは人間の創る世界は良い世界になるわけがありません。ですから、人間たちも、自然と人間も、これからは連携して助け合わなければいけません。それはエネルギーが無駄にならない生き方です。それは私たちが生きていることが他の存在に迷惑をかけない生き方です。

木の花ファミリーの生き方は、地球生態系や宇宙の星々の関係と同じように、調和しつながることの豊かさを求めています。これは、個人が好き嫌いで生きることではなく、これから21世紀以降の人々が生きるべき生き方なのです。

 

私が今、中国の皆さんに贈りたいメッセージは ────

 

「黄金の国を世界にもたらすために」

私は世界のどの国に対しても、その国の体制や民族のあり方に異議を唱えるものではありません。しかし、私たち一人ひとりが理想の人間性や高い精神性を求めることは、この世に生を受けた人として、個人として、もっとも重要なことであると考えるのです。長い歴史の中で、地球上に現れたたくさんの聖者・聖人たちに代わり、この新たな世紀の人として、人のあり方を人々に問い、もう一度人の価値を問いたいものであります。

今や個人の存在は、個々の価値観を超え、世界にはとても大きな存在となっています。そういった中で私たちがどのように生きるかは、その生き方次第で世界に大きな影響を与えるものとなっているのです。そのことを考えたとき、私たちが個人の望みを違う意識にシフトすることが、個人の価値を高めると同時に世界に大きな変化をもたらすのです。

私たちは今や、どのような立ち位置で欲望をコントロールし、叶えていくかを考えるときが来ています。そういった時代の到来は、国家を超え、地球を超え、宇宙の意識へと私たちを導いてくれるものです。これは、遥か古より、連綿と続く人類の文化を形成するものとは違う、21世紀の扉を開き、30世紀につなげる私たち人類がもう一度自らの存在を問い、そしてその問い直した結果、求められる真の生に対する姿勢なのです。

私たちの存在は、単なる物理的な生命としての存在から、宇宙意識を経て、さらに長いスタンスの生命としての存在に目覚めるときが今や、来ているのです。それを私たちは宇宙意識と呼びます。その宇宙意識は地球人間の意識とは違い、宇宙を束ね、人類の本当の価値を私たちにもたらします。そしてその価値は尊く、この世界を動かすリーダーたちと共にある生き方なのだということを、私たちの魂に呼び覚ますものであるのです。

私たちがどのように人として目覚めても、その目覚めの内容は大いに問われるものであります。現在のような欲と癖にまみれた有害を発するようなものでは、時代はすでに必要としないものであります。その目覚めを私たちは潜在する自らの尊き魂から発現しなければならないのです。

 

 


 

そんな生き方をあなたの魂に呼び覚ます1ヶ月間を

過ごしてみませんか

 

2020年2月23日〜3月21日

「1ヶ月間の真学校」開催 !!

1ヶ月間の真学校とは

1ヶ月間の真学校は、毎年2月から3月にかけての1ヶ月間、木の花ファミリーにて開催される、21世紀の人類の生き方を学ぶプログラムです。

「学校」とは本来、それまで知らずにいた、もしくは確信を持てずにいたことについての、新たな学びに出会う場所です。子ども達は学校に入学すると、それまで知らなかったたくさんのことに出会い、一つひとつを新鮮に受け取りながら生きる世界を大きく広げ、どんどん成長していきます。ところが大人になるにつれ、「自分はこういうことを学びたい」と価値観が固まっていき、自分の価値観に沿うものだけを受け取るようになるものです。

1ヶ月間の真学校は、あなたが今のあなたの価値観を元に学びたいと思っていることだけを提供する場ではありません。なぜなら、時代が大きく変わろうとしている今、これまでの価値観ではもはや、新たな時代を生き抜くことはできないからです。そしてその価値観が今の社会を作ってきた結果、世界はどこにも突破口を見出せない大きな行き詰まりを迎えているのです。今、私たち人類は、これまでの価値観のまま生き続け破滅の道へと向かうのか、それとも宇宙の流れに乗って自らのあり方を根底からひっくり返し、古い価値観では想像もできなかった新たな世界へと足を踏み入れるかの、重大な岐路に立っています。

1ヶ月間の真学校は、それまで出会ったことのない、新たな世界に出会う場です。それは今のあなたが思うよりも、はるかに異次元の学びです。古い価値観への囚われを捨て、未知の学びへと踏み出した時、あなたはそれまでのあなたの枠を突破し、新たな自分自身に出会うこととなるでしょう。その学びは、あなたの人生に突破口を開き、現代社会が抱える問題を解決する糸口となり、地球の未来へと貢献する道を開くのです。

1ヶ月間の真学校では、現代社会の固定概念を超え、新たな世界へと踏み出す意志をお持ちの方をお迎えします。そしてその学びを現実の生活として実践する木の花ファミリーを舞台に、プログラムを提供します。

 

あなたは あなたの知らない世界へ

行く意志がありますか?

 

スライドショーには JavaScript が必要です。

 

開催概要

日 程
2020年2月23日(日)〜3月21日(土) 28日間

会 場
木の花ファミリー
静岡県富士宮市猫沢238−1

対 象
■ 今の自分に枠があることを知り、その枠を超えることで新たな自分と出会う意志のある人
■ 今この時代に人間として地球に生まれてきた真の意味を知りたい人、または興味のある人
■ 現代社会の行き詰まりへの突破口を探している人
■ 人生に行き詰まった、或いは人生の転機にあり、その突破口を求める人
■ 失われてしまった、すべての生命が共に豊かに生きる美しい世界を、地球上に実現したい人

メイン講師 ジイジ

内 容
講座は「世界観」「農」「食」「医」「経済」「環境」「教育」「社会」と多岐にわたりますが、全講座に共通する最も重要な学びは、物理的な現象の奥に流れる深い精神性です。
1ヶ月間の前半の2週間では、固定概念を外して世界観を広げると同時に、『人格を学ぶ講座』を通して受講生一人ひとりの人格や天命を紐解きながら、人それぞれに異なるオリジナルな心の性質を客観的に捉え、分析する術を学びます。なぜなら、多くの人は自分でも気付かないまま、この世界を主観で捉えているからです。それぞれが独自のフィルターを通して世界を眺めていながら、フィルターがかかっていることに無自覚なため、実際には自分の色が付いているにもかかわらず自らの視点が絶対であると思い込み、その結果、世界にたくさんの矛盾や対立をもたらしてきました。
そこで1ヶ月間の真学校では、まず自分がどのようなフィルターを持っているのかを正確に捉え、人生で最も身近な存在である「自分自身」とは何者なのかを知ることから始めます。自らを正確に知ることは、自分と他者との違いを知ることです。違いを知ることで他者を理解し、円滑なコミュニケーションが取れる人へと成長していきます。そして、自分と他者とを正確に捉えることによって初めて、自他の関係を活かすことができるようになるのです。

こうして自らの性質を理解したところで、後半の2週間では、多様な題材を通し、物事を冷静かつ客観的に捉える視点を育み、さらに世界観を広げていきます。そして現代社会を生きる意味を理解し、様々な問題を根本的な解決へと導く、広く高い精神性への学びを深めます。
この学びは、机上の空論ではありません。毎晩行われるコミュニティ・ミーティングのほか、誕生日会や季節の催事などへの参加を通して、講座で語られる世界観を日々の生活の中で実践するファミリーの暮らしを実際に体験していただきます。

講座の様子

〈 講座例 〉
人格を学ぶ講座(カルマ読み・地球暦・カタカムナ)/世界観を広げる/カタカムナ/天然循環法(食・農業革命・医療革命)/食と食養生/自然療法プログラム/性と宇宙/21世紀の死生観/菩薩の里の経済/心のシェア/有用微生物群の培養/自然災害と防災/心豊かに生きる
* 講座は座学が中心です。どのような学びも、大切なのはその根本にある精神性です。1ヶ月間の真学校では、受講生が卒業後にそれぞれの現場で学びを実践していく際の根本となる、精神性を育むことに最も重点を置いています。
* 上記講座はあくまでも一例であり、プログラムは状況に応じてその都度変更されます。
* その他、フリータイムがあり、受講生同士で相談をして独自の講座を創ることも可能です。
* 海外からの参加お申し込みがあった場合は、日本語と他言語(英語・中国語)でのプログラム提供となります。
* より詳しい内容を知りたい方は、以下の専用ブログにて、これまでの講座の様子などが紹介されています。どうぞご覧ください。
1ヶ月間の真学校ブログ

「心のシェア」の座談会

1日の流れ
7:30  朝食
8:30  午前の講座(途中休憩あり)
12:00 昼食・昼休み
14:00 午後の講座(途中おやつ休憩あり)
17:30 入浴
18:30 夕食
20:30 大人ミーティング(自由参加)
* 時間は日によって変更があります。
* 毎週日曜日(または土曜日)は休講日です。
* 畑やキッチン、子育てなどを体験する「生活体験」の時間もあります。

サポーター制
受講生には、ファミリーメンバーの中から基本的に同性のサポーターが1名付きます。多彩なメンバーたちが受講生の学びを全力でバックアップします。

定 員
15名
* 定員になり次第締め切りとさせて頂きます。お申込みはお早めにどうぞ!

参加費
収入に応じたスライド制になっています。(自己申告制)
① 年収200万円未満・・・18万円
② 年収200万円以上400万円未満・・・20万円
③ 年収400万円以上・・・22万円
* 参加費には、受講料、宿泊費、食費、保険料、消費税等一切を含みます。
* 分割払いをご希望の方はご相談ください。

お申込み
下記リンク先の専用お申し込みフォームへご入力の上、送信してください。
「1ヶ月間の真学校」へのお申し込み

お申し込みは、参加費のご入金をもちまして正式に受け付けとさせていただきます。ご入金のあった方から順に受け付け、定員に達し次第受け付けを締め切りとさせていただきますので、どうぞご了承ください。お申し込みフォームをお送りいただきましたら、折り返し担当者より詳細のご案内をさせていただきます。
* 参加費は、講座開始日30日前までにご入金ください。
* お申し込み後のキャンセルは、主催者への負担となるだけでなく、他の方の学びの機会の損失にもつながります。特に海外から参加される場合、事前に数ヶ月間の準備期間を要するケースが多いため、講座開始日間近にキャンセルが発生しても準備期間が足りず、受講を希望される他の方が参加できない場合がございます。そういったことのないよう、どうぞお申し込みになる前に、受講のご都合とご意志を今一度ご確認くださいますようお願い申し上げます。
* 講座開始日90日前以降のキャンセルに関しましては、キャンセル料を申し受けます。

主 催
NPO法人ぐりーんぐらす

共 催
木の花ファミリー

お問合せ
NPO法人ぐりーんぐらす
電話:0544-67-0485(担当:池谷・古橋)
メール:truthschool★npo-greengrass.org(★を@に置き換えてください。)
ご不明な点は、どうぞお気軽にお問い合わせください。

ご参加お待ちしています!

 


美しく生きる覚悟の先にあるもの

先日、ある大学の学生さんと指導教官が、フィールドワーク実習の一環として木の花ファミリーを訪れました。研究テーマは「日本でのエコビレッジ進展について」。「日本でエコビレッジ活動が広まることの利点を調査する」ためのアンケートが渡された翌日、二人はいさどんのいる養蜂場を見学しにやって来ました。そこでいさどんは、こんなことを話し始めました。


 
今日、あなた方は養蜂場に来ています。僕は、我々人類の未来のあり方の見本がこの蜜蜂の生態の中にあると考えて、蜂を飼うようになりました。その一番の目的は、蜂蜜が欲しいからではありません。この生態の中に、我々の体の構造と同じ仕組みがあるのです。
近ごろは医療の世界でも、細胞の一つひとつに意志がある、ということを言うようになりました。「全身全霊」という言葉があるように、それは細胞の一つひとつがパラボラアンテナのように開いている状態です。そのような状態になると、人間はこの世界の奥にあって、この世界を動かしている様々な仕組みを感受できるようになります。それだけの能力が人間にはあるのです。

地球にも、そこで営まれる生態系のネットワークにも、もともと無駄なものは何ひとつありません。ところがそこに人間が現れて、ゴミを生むようになりました。宇宙はプラスマイナスゼロの世界なのに、人間が現れて、人間の叡智が偏り、プラスを過剰に求めるようになりました。だから今地球上にはプラスのエネルギーが蔓延していて、ゴミも発生し、ある意味熱中症のような症状になっています。
だからそういった矛盾を解消するためには、我々人間一人ひとりが何を考えて地球上に生きているのかということが、とても重要です。それが地球の未来を創っていくのですから。今は世界のリーダーも、学者も、自分が何を発しているのかということよりも、一般の人々が何を求めているのかというニーズに基づいて活動をしています。政治家はひとりひとりの一票によって選ばれる仕組みの中で、結局は、人々の意志がどのような世界を求めているかによって、世界は動いていくのです。リーダーがこの世界を動かしているわけではなく、地球の細胞である人間の意志が集まって、世界の現状を創っているのです。
ならば時代とは、本来特別なリーダーが現れて革命を起こすのではなく、一般の人々 ─── 自分の存在なんて大したものじゃないと思っていた普通の人々が革命を起こすのだと、僕は感じています。蜜蜂はまさにそのモデルです。私たち一人ひとりのわずかな想いが、どのような意志に基づいているのかによって、世界がどのような方向に進むのかが変わっていくのです。ですから、私たち一人ひとりの意志はこの世界にとって大変重要なものなのです。

今ここを飛び交っている蜂は、大部分が働き蜂です。働き蜂1匹の能力は小さなものです。寿命も短い。花が多い時期がもっとも寿命が短く、成虫になってから40日しか生きられません。
働き蜂はみんなメスですが、巣箱の中にはオス蜂もいます。オス蜂の寿命は3ヶ月です。オス蜂は働かないので、12月にもなると働き蜂から巣の外に追い出されます。冬の間ただエサを食べるだけで、必要のない存在だからです。しかし春になり新しい女王が出ると、女王が卵を産むために交尾の相手が必要になるので、働き蜂はオス蜂を育てるための部屋を用意します。
「女王蜂」というと、群れ全体を支配している存在のように思うでしょうが、それは人間の発想です。実は女王蜂は、働き蜂の奴隷とも言えるのですよ。女王蜂がどこにどれだけの卵を産むのかは、すべて働き蜂の指令に基づいているのです。
働き蜂は、私たちの体の細胞と同じように、次から次へと生まれては、働いて、死んでいきます。その蜜蜂たちのDNAの中に、代々受け継がれてきた情報が刻まれており、それを使って蜜蜂たちは生きることの全てを読み解いているのです。天候の先行きが悪いと感じれば産卵を控え、天候が良く花がたくさん咲きそうなら産卵を進めるよう女王蜂に指示します。一番寿命の短い働き蜂が、群全体の行く末をコントロールしているのです。

私たち人間の感覚は、自分が学習して記憶したことをやるというものであり、自分が体験したことのないことは知らないことになっています。例えば女性が妊娠すれば、出産についての本や子育てについての本を読んで学習します。だけど、以前ここではヤギを飼っていましたが、ヤギのための出産の本というのはないですね(笑)。ヤギは家畜ですから人間が介在しますが、自然界の生物はそれもありません。しかし彼らは、先祖からずっと受け継いできたように出産し、ちゃんと子育てもします。
群れで暮らすとは、それと同じことです。今、ひとつの巣箱の中に1万匹ほどの蜜蜂がいます。最盛期には巣箱が3階建てになって、5万から10万匹にもなります。それがたった1匹の女王のもとにいるわけですが、それは女王蜂の意志で動いているわけではないのです。どんどん生まれては死んで新陳代謝していく働き蜂がその指令を送り、群全体を維持しているのです。
さらに、働き蜂はいろいろな役割をしています。幼虫から成虫になったばかりの働き蜂は幼虫の世話や巣の掃除をし、ある程度成長して一人前になった働き蜂は外へ出て蜜を集めます。成長に応じて役割が変わっていき、分業制になっているのです。そこでは、とても流れの良い循環の仕組みが自然に流れ、ものごとが滞りなく進んでいくのです。

昨日、あなたから渡されたアンケートを見ました。ここはとても特殊な所です。地球に現れた人類の変態というか、奇跡というか。こんなことを僕が言うのは変かもしれませんが、僕は少しヘンな発想を持っています。しかしこのヘンな発想は、世の中の価値観が変われば当然のことなのです。
今、1組のカップルがゲストとしてここに来ています。男性の方は統合失調症で、女性の方は精神が不安定です。彼らは親がとても裕福なので、お金には苦労していませんが、人生には行き詰っています。「僕は生涯薬を処方されながら精神障がい者として生きるんだろうか」と彼は言います。彼女はそんな彼に同情して一緒に暮らしていますが、人生に見通しは立っていません。
彼らは1週間ほど前に、男性の方の両親と一緒にここへやって来て、僕と話をしました。今回二人で来たのは、ここの取り組みにかけて、自分たちの人生を立て直そうと思ったからです。

ここは治療院ではありません。医者は彼に「薬がなくなったら混乱を起こして入院することになる」と言って薬を処方し続けています。ある意味、脅されているようなものです。そして障がい者年金を受給しながら、この病院の患者であり続けなさい、ということを言っているようなものなのです。
先日彼が両親と来た時に、僕は、なぜ今彼は病気になっているのかという、病気の仕組みについて話しました。そして彼女に、どうしてあなたは彼と付き合っているのかと聞きました。それは、彼女自身の中にも歪みがあるからです。そして傷口を舐め合っている。お互いに依存しながら、苦痛を感じているのです。それは薬では治りません。
ここは、薬を使わずに治すところです。なぜなら、それはもともと薬で治すものではないからです。それは「正常に戻す」ということです。今、地球上では「お金がなければ幸せになれない」「お金があるのが成功者だ」という価値観が蔓延しています。それは狂っているでしょう?僕はそこを今の社会に問いたい。だからこの暮らしをしているし、蜜蜂を飼っているのです。

この話と蜜蜂の話をつなげることは、とても深いことです。しかしあなたからのアンケートには自分の発想から出た質問が並んでいて、それに答えてくださいと言われれば答えられますが、そこで問いかけているのは表面的な仕組みについてのことだけです。けれども実際は、なぜ木の花ファミリーがあるのかといったら、そこにはもっと奥の深い物語があります。同じように、なぜ今地球がこのような状態であるのかということにも、わけがあるのです。

そこで僕は、(先生に向かって)先生であるあなたに伝えたい。なぜなら、あなたがどのような投げかけをするかによって、学生たちが目を向ける方向が変わってくるからです。
この深い宇宙観を今の人々に語ることは、無理なことかもしれません。無理かもしれませんが、そういったことを大事だと感ずる人には、またその機会が与えられるでしょう。これは社会運動です。大学という現場は本来、優れた人材を社会に輩出するためにあるはずなのですが、今は既製品のような人材を育て、それも知識の漬物のようにしてしまっている。知識というものは、生きることには大きな力にはなりません。大切なのは、瞬間瞬間状況が変化していく中で、智恵を持ってそこを乗り越えていく生命力です。
近代物理学の世界は今、行き詰っています。物理学の行き詰まりの先にあるもの ──── 宇宙をどう解釈したらいいのかということについては、ここにヒントがあります。しかし物理学者は、現象をもってしか真実としない。現象の中にしか真実を見ようとしないのです。それでは、私たちの心はどうなるのでしょう。心は、目で観察することはできないのです。

昨日、僕の中学の同級生が遊びに来ました。彼は、これまで自分の心の中にずっとあるものを抱えていました。
彼は小学校に上がる前に、友だちが持っていたナイフが目に刺さって、片目を失いました。そのことで大変なハンデを持って生きてきました。そして今も、5つほどもの病気を抱えています。彼はいい人なのに、どうしてそんなにたくさんの病気を持っているのでしょう。
「病気」は、「気が病む」と書きます。病気になるということは、心に歪みがあり、矛盾を抱えているということです。では、あんなにいい人がなぜ病気になるのかという原因については改めて分析する必要がありますが、そう思っていたら、彼の方から僕に話してきました。

僕は子どものころ、友だちの傘が刺さって彼の目はああなったのだと聞いていました。ところが実際はそうではなかった。子どもの僕たちにとっては、彼はただ単に片目が見えないというだけで、それ以上のことは何もなかったのですが、その後彼は社会の中で大変なハンデを背負うことになりました。免許を取る時でも、就職する時でも、そのハンデによってたくさん辛い思いを体験したと語りました。何度自殺したいと思ったことか。そうやって自分が辛い思いをした分だけ、彼は人に対してやさしい人になりましたが、その分心に矛盾を抱え、気を病むようになりました。それが病気になって現れていたのです。
昨日、彼はその矛盾を吐き出しました。66年間生きてきて、やっと吐き出せた。そして自分がこれまで闇雲に生きてきて、どれだけ矛盾を抱えていたかということに気付いたのです。そこで僕は彼に伝えました。「これであなたの中にあるガンは改善に向かうよ」と。
彼は自分の中に溜めていた思いを、外に吐きだしました。彼はいい人ですが、中には苦痛を溜めていたのです。その苦痛の上に、「いい人」としての彼がいたのです。そして本当のいい人になるために、その苦痛を吐き出した。彼はこれまでは自分の目にコンプレックスがあって、女の人の顔を真っ直ぐに見られなかったそうですが、思いを吐き出した後、初めて女の人を正面から観られるようになったと言いました。「見ていろ。あなたの病気は絶対に回復に向かうから」と僕は言いました。「よかったなぁ」と。ここの存在が、人の人生を変えるのです。

先日、昔からの知り合いの、今は96歳のおじいさんがここに来ました。娘と婿とおばあさんと一緒に来たのです。そこで僕は、生きるとはどういうことかという話をしました。特に死のお迎えが近い人は、どう生きて、どう死を迎えるべきかという話をしていたら、途中でおじいさんが、山形弁でこう言い出しました。

─── ちょっと待ってくれ。わしは今、あなたの話をずーっと聞いていたが、話が耳から入って、反対の耳へ抜けていってしまった。だけど、自分の中から湧いてきたものがあるから、それを話させてくれ ───

そこで彼は、「わしは第二次世界大戦のミッドウェー海戦の生き残りだ」と話し始めました。戦艦ではなく護衛艦に乗っていて、その護衛艦はポンコツで小さくて足も遅かった。それでアメリカ軍も爆弾を落とすのをもったいなく思ったのか、他の船が次々と攻撃される中、その護衛艦だけは無傷だったのです。
そして戦いが終わった後、海にはたくさんの死体と、まだ生きている人々が浮いていました。そこでまだ生きている人たちを、一生懸命船の上に引き上げた。ところがふと気づくと、甲板が負傷者でいっぱいになっていました。そこで彼は「こんなことをしていたら全員がダメになる」と思い、何を始めたのかというと、助ける人と、助けない人の選別を始めたのです。「この人は助かりそうだ」「この人は助けても死ぬだろう」と選別し、助かる見込みのない人たちを、海に捨てました。それは上官に指示されたのか、自分の意志だったのか、記憶にないと彼は言います。そのくらい必死な場所だったのです。
「どれだけの人を捨てたかわからないが、30人は捨てただろう」と彼は言いました。その時に、捨てられる人は、自分の命がもうないことがわかっていても「助けてくれ!」と叫ぶ。それを捨ててきた、と彼は語りました。そしてそれは、心の奥にずっとしまわれてきた重りとなっていたのでしょう。

彼はそのことを、これまで誰にも語ったことはなかったと言いました。その話を始める前、彼は「わしはまだ死にたくない」と言うので、僕は「どうして96歳にもなってまだ生きたいの」と言いました。人間は毎日を充実して生きていたらいつでも死ねるよ、僕なんか毎日わからずやの人間たちを相手にしていて面倒くさいからすぐにでも死にたいけど、まだやることがあるから仕方なく生きてるよ、と僕は言いました。だけど96歳にもなったら、土星が太陽の周りを3周も回っているのです。最初の30年で自分を知り、その次の30年でそれを経験して、最後の30年で死ぬ準備をし終末を迎えるところを、そこから6年も余分に生きてるのにまだ生きたいだなんて、どうしてそんなに生きることに未練があるのだろうと思っていたところ、彼はその話を初めて語り出したのです。最後に彼は、「ありがとう、心が軽くなった」と言いました。そしてこう言ったのです。「わしもこの話が話せたから、もう逝けるかな。」

それは、本当にいい話でしょう。あの96歳のおじいさんが、そんな人生を生きてきて、旅立つ前にこんないい土産を我々にくれた。
心の中にずっと重いおもりを持っていた人が、ここに来て、それを手放せた。それがここの醍醐味です。思いというのは、重い。その思いを手放すと軽くなる。旅立つ時には人は物理的な質量をなくし、肉体から解放されて天へと昇っていきます。しかしいくら質量のある肉体を手放しても、思いが重ければ地に居続けることになり、その魂は地獄を生きることになるのです。そのおもりを吐き出せる場所 ──── それがここの本質です。

生きるということは、大事なことです。美しく生きて、そして未練のない状態で死んでいかなければいけない。そうでなければ、人間はこの世界に、執着という心のゴミを残していくことになります。
今、人間は欲ばかりになってしまって、美しく生きるということを忘れてしまいました。だから木の花ファミリーは、美しく生きることを目指すのです。美しく、人のために。自らを美しくすると、人のために生きるようになります。そしてそういった人たちが多くなると、世の中は美しくなります。この世界はすべてが生命ネットワークの中にあるのですから、どんなに小さなミミズでも、微生物でも、すべてが役割を果たして無駄がないようになっています。そして自らが存在するために役割を果たしてこの世界に貢献すると、自分自身がその美しいネットワークの中で生かされるのです。

それを表現したのが、ここの生き方です。世界のエコビレッジの生き方といいますが、そんなものよりもずっと重くて、深い。でもこれが完成したら、21世紀の人類の見本になります。その見本の見本が、これ ──── 蜜蜂です。
巣箱の外に、蜜蜂たちの死骸があるでしょう。これは無駄になってはいません。存分に群のために働いて、そして終わっていく。個が全体のために完全燃焼するのです。その生涯は決して無駄にはなりません。それによって、群全体が次へとつながっていくのです。

私たちはとても大切なことをやっていると思っています。それは、誰かの評価を求めているわけではありません。重荷を秘めていた人がそれを吐き出し、当たり前に人々が軽くなって、癒されていく場を創ること。その自分の中で大切と思うことを、人生を通してやり切れるかどうか。その覚悟が本物であることの証として、今の社会からは評価されるばかりではない道を歩んでいます。それが真実であるためには、評価を求めるものではないのです。たとえ何の評価がなくても、自らの心は、濁ることがない。
その覚悟のもとに創る場の空気は、社会に多くのものを還元します。そして人々を、その存在の最終目的地である、悟りの地に導くのです。