大町道中記① 〜 フリーエネルギーで車は進む

いさどんの周りには、いつも楽しいことがいっぱい!
話しても話しても宇宙の叡智があふれ出てきて、尽きることがないのです。こんこんと湧き出す泉のような叡智は日常の曇りをサァーーーッと吹き払い、わからなかったこと、悩んでいたことが「そうだったのか~~!!」と理解に変わって、気が付けばあら不思議、身も心も軽くなって宇宙を旅しているみたい♪

ある日、いさどんは蜜蜂のお世話をしに、養蜂隊のちなっぴー、ともこと一緒に、2泊3日で大町ビレッジへ出かけました。さて、今日はどんな話が飛び出すかな?まずは、大町へ向かう車中の会話から ────


 
いさどん:
すごい爆弾があるんだよ。電磁パルス攻撃と言って、原爆や水爆のように地上近くで破裂するのではなく、宇宙空間で破裂させて、すべての電子機器が機能しないようにしてしまう。とても高いところで爆発するので、撃ち落とすこともできない。

ともこ:
えー!それってやばいじゃん。

ちなっぴー:
パソコンとかが使えなくなるってこと?

ともこ:
パソコンどころか電気、ガス、水道、ライフライン全部アウトだよね。通信も交通も何もかもダメになるから、現代社会は日常生活が成り立たなくなるんじゃないの?

いさどん:
元々はアメリカが研究していたものを、北朝鮮が知って研究し始めた。迎撃できないから対策のしようがないんだよ。そしてそういうものを開発している国というのは、政府や軍の指揮系統などだけは、その爆弾の影響を受けないようにしてあるから、仮に自国が攻撃されたとしても、やり返すことができるんだよ。

ともこ:
だけど指揮系統だけ残っても、その後の生活が成り立たないよね。

いさどん:
もし、北朝鮮がそんな武器を使ったら、北朝鮮を叩くことはできない。

ともこ:
テレビでは北朝鮮が問題だということばかりが言われていて、どうしてそこに至ったのかという話はまず出てこないね。

いさどん:
ずれておかしくなったところから問題を解決しようとしても、できるわけがない。例えば人間でも、今問題を抱えている人がいるとしたら、子どものころの親との関係とか、学校でいじめにあった時に自分はどういう性質をしていて相手はどういう性質だったのかとか、その出来事の始まりのところから見ていく必要があるし、もっと言えば生まれ持った性質のところからスタートしないといけない。それを、事が起きて現象を積み重ねて歪んでしまってから解決しようとしても、そこだけで解決できるわけがないんだよ。
(北朝鮮情勢の分析については「宇宙視点で北朝鮮について語る」をご覧ください♪)

民主主義には独裁はない。トップにも期限があるから、そういう意味では愚かしさが継続しないという面もあるね。だけど民主主義の問題点は、多数決を基本としていて、多数意見が正義になること。それではいけない場合がある。少数でも大事なことは大事だという時があるんだよ。それを見極められる力量がある民主主義でなくちゃね。でもそうすると今度は、自分に都合のいい意見を通すために「少数意見を認めろ」という者が出てくる。
ケア滞在中のRくんに、正直に生きていかないといい人生は生きられないよと言ったら、今度はわがままでもなんでも主張し始めた。そういうのを未熟という。子どもなんだよ。

ともこ:
とても難しいことだね。

いさどん:
なぁ。だから人にはそれだけの技量がないといけないんだよ。
もうひとつ、そこでは人間が自分に都合のいい思考を回して生きるのではなく、時代の流れとか、世の中を動かしている法則や流れを読みとかないといけない。それがいるんだ。広い視点と言っても、個人が個人を忘れて「国家のために生きます」と言うような精神状態に陥ったら、神風特攻隊になってしまう。その視点の意識レベルがどこにあるかによって、世の中でも、個人の人生でも、方向性はどのようにも変わっていく。

 
余計な思考をするな

いさどん:
Rくんは、自分が望むことをやろうとしても実現しない。(同じくケア滞在中の)Tくんは、それをさらに捻じ曲げて、実現できないことを不平として人にぶつけていく。うまくいかないことの原因を、自分の外に求めるんだよ。
だけどね、自分をチェックすることがすべてだよ。自分の問題点を面と向かって伝えられている間は「その通りだ」と納得しても、それは伝える側の組み立てに乗って聞いているから理解してるのであって、後で一人になると、また自分の組み立てで考え始めるから、わからなくなる。伝えられている間は「そうです」と言っていても、自分の思考で考え始めたら、被害者になる。自分こそが加害者で、人にも、自分自身にも迷惑をかけているのに。

そういったものの本質を理解できない人を引き受けて、真実を伝えていこうなんてことをしているんだから、僕は不幸な人生を歩んでいるもんだ。もっとも、そのことに対して何も思わないけどね。そういう負荷を受けても生きることができる人生を送っているというだけのことだから。なんの評価もいらない。だって、わからない人間が理解できるわけないから。

ともこ:
言われている間はそれに乗っかって聞いているから「そうだな、そうだな」と思っている。だけどそれを自分で考え出した時に自分の思考になっていくって、よくわかる。

いさどん:
だから自分に溺れないような精神構造を持たなければいけない。それが可能なのは、自分をもチェックできる人のことだ。

ともこ:
自分で自分を見ようとしても、実は全然振り返りになっていなくて、ただ自分ごとにはまっていくだけになる。

いさどん:
自分が汚れているという認識がないからね。目が曇っているものが何を見たって、たとえ一生懸命でも情熱があっても、曇っている状態でエネルギーを使っているわけだから、それは的が外れるよ。
Tくんは陰性男子の特性とでも言うのか、自分の評価と感情が優先した状態でものごとを思考しているから、どんな話を聞いても常に「自分だったら」と自分をかぶせてネガティブに解釈する。そうではなく、「自分だったら」はとりあえず置いておいて、まず「そういう捉え方があるんだ」と受け止める。いろんな捉え方があることを知った上で、その中の一つが自分だ、というように見ればいいのに、自分を絶対とする目線で他のものを見るから、「合わない」とか「否定された」という発想が生まれてくる。

みんな、余計なことばかり考えているんだよ。やるべきことは、自らの思考をよく振り返って、余計な思考をしない。するべき思考を取れ。考える容量というものがあるとしたら、その容量の中の大部分が必要な思考で回っている人もいれば、大部分が不要な思考の人もいる。その不要な思考をやめていくと、そこに使われていたエネルギーが、的を射た思考に使えるようになる。
ところが、不要な思考をやめると、まともな思考を考えたことがなければ、何を考えたらいいのか、何をやったらいいのかわからない、となる。(ケア滞在中の)Uくんは、例えば宮ノ下で草を刈っていて、一通り自分の周りをやったら「次はどこをやったらいいですか?」と聞いてくる。「見てみろ、周り中草だらけじゃないか、まだ草刈りが始まったばかりなのにどこをやったらいいですかもないもんだ」と言うと、今度は隣りの敷地まで入って草刈りをし出す。それでも彼は一生懸命なんだよ。

的を射た思考をしなさい。思考をシンプルにしていく。そうすると不要な行動をしなくなるから、少ないエネルギーでたくさんの成果が上がるようになる。さらに進んでいくと、その先は、思考や行動がこの宇宙の流れに沿っていくようになり、道理の通ったものとなるから、予想以上の成果が上がる。なんでこうなったの?というくらいにね。
さらに、思考を優先させず、直感が働くようになると、道理を超えて宇宙の法の下に現象が起きるようになるから、すべてに無駄のない、フリーエネルギーが表現された場所が生まれる。「あれ?ここはどこだろう?」というくらいの場が生まれる。それを僕はずっと考え、伝えてきたんだよ。

そういった世界が、この世界には実現可能なんだ。実現可能だけど、現実には毎日、ワイドショーで解説される北朝鮮情勢のような世界が続いている。

ともこ:
ワイドショーで語られていることって、不要な思考だね。

いさどん:
それはもう不要な思考だよ。でも人々の興味がそういうところにあるから、番組としてはウケるんだよ。真実を伝えることが目的ではなく、人々の興味をそそり、最終的にはお金儲けが目的だから。ジャーナリストや大学教授に元スポーツ選手までコメンテーターとして番組に登場するけれど、それはいかに多くの人の興味をそそるかが目的で、ものごとの本質を見出し、見る人の質を問うわけではないんだよ。
そういう意味で言うと、ロータスランドは人々にウケることを狙っているわけではなく、うちのコンセプトで作ったものを提供する場であり、我々の生き方の延長に表現されているから、筋は通っているね。

 
10いさどんのコミュニティ

(話しながら、いさどんは車を運転しているちなっぴーに対して、その運転が危険であることを伝える。)

いさどん:
僕はちなつに対して、繰り返し同じことを伝えている。そういう自分を変えなさい、と。例えばケアの人に対しても、ともこに対しても伝える。だけどみんなはやっぱり同じことをやる。
そうすると、僕は無理なことを伝えているのだろうか、と思う。つまり僕も、「いさどん流」を変えろと言われても変えることはできない。ということは、ちなつがちなつ流を変えられないことに対して僕は変えろと言っているのかもしれない。ともこがともこでなくなるようなことを言っている可能性があるんだよ。

(ここでまた、左カーブで左に車線変更をしようとしたちなっぴーに対していさどんは注意をする。)

僕は同時に二つも三つものことを考えている。今も話をしながら、ちなつに運転を任せているとでたらめな運転をするからサポートしている。
僕は繰り返し同じことをちなつに伝えているが、ちなつは聞かない。それはなぜかというと、本人が本当に真剣に、自分を改めるという気にならないから。「うんうん、わかった」と返事していること自体がちなつ流なんだよ。
そこで僕は考えた。ちなつがちなつでなくなることはないとしたら —————— それは重要なことだよね。いさどんがいさどんでなくなることもないわけだ。そうしたら、ちなつはちなつのように、いさどんはいさどんのように考える。僕は自分で自分のことを考えて、自身が誇れる人になろうと思う。ちなつはそんなことは考えてもいないから、まずは人から言われない人になるということだ。それはアホをやらない人ということ。
どうしたらそうなるのか。それには、ちなつという人間性を有効に使っていく。それをやりさえすればいい。僕はとても個性的でクセがあり、熱い人間でしょう?年がら年中このままでは、問題が起きるよ。みんながこういう風になっても問題は起きる。采配を振るう人間ばかりになってしまうから。それではまとまらない。

そこでだ。仮に、コミュニティの全員がいさどんだったとしよう。そうしたらどうなるか。10人のいさどんがいて、例えばいさどん1が役割としてリーダーシップをとったとする。すると、2から10までのいさどんはそれに従うんだよ。自分の中にあるリーダーシップを取ろうとする性質は収めて、今度はサポートする能力を発揮するようになる。そうやって常に自らの立ち位置をチェックしながら、役割を果たしていく。そういったことをわきまえているのが、「ヒフミヨイムナヤコト」と進むこの世界の構造である「ヒ」から「ト」までを理解した「ヒト」という存在だよ。
もしもいさどんが10人いたら、僕はきっとご飯も作るだろう。そうしたらとびっきり美味しいご飯を作るよ。同時に蜜蜂の世話をして「今日はこれだけの蜜が採れたよ」と報告するいさどんもいるだろうし、それを受けて「ご苦労様。じゃあしっかりそれを売るからね」と言ういさどんもいる。どの場でもいさどんが有効に働いて、全体がまわっていくんだよ。
だけどちなっぴーが10人いても、同じ人が10人いることになってしまい、コミュニティは成り立たない。

ともこ:
10ともこでもダメだね。

いさどん:
成り立たないよ。ところが、10いさどんなら成り立つ。僕に女性の体をくれたら、ちゃんと妊娠していい子育てをするよ。心配しなくて大丈夫ですよ、子育ては私に任せてください、ってね。依存はさせないけれど愛情不足にもしない。何でも来いだよ。

ともこ:
いさどん、蜂さんみたいだね。

いさどん:
蜜蜂は、例えば若い蜂がいなくなったら、本来若い蜂の役割であるローヤルゼリーを分泌して女王に与えることを、年を取った蜂がやるようになる。掃除も若い蜂の役割だけど、いなければ年を取った蜂が外に採蜜に行くのをやめて掃除をするようになる。なぜそんなことができるのかというと、蜜蜂たちは、個々の役割のために存在しているのではなく、その群れが継続していくために存在していることをわきまえているからなんだ。そういった全体のために自らの立ち位置をいつでも変えられる存在のことを、「成熟している者」と言うんだよ。
これだよ。だから、「ヒ」から「ト」までを理解した「ヒト」にならなければいけない。

ともこ:
今の10ともこだとコミュニティは成り立たないけど、そういう視点を持ったらできる気がする。

いさどん:
できるよ。それには、その仕組みの中に存在することを自覚し、自らを自由自在に活かすことだ。
のんのんは本当に頭を使わない。普通に話をしている分にはいいが、ちょっと考えなければいけないことを質問すると、もうフリーズしてしまって何も出てこない。「フリーズのんのん」だね。これはロータスランドの夏のメニューにいいね(笑)。

ともこ:
でもそれも、のんのんが自覚を持って全体視点を持ったら活かせるってことだよね。キャパや能力の違いはあるにしても。

いさどん:
活かせるよ。自覚をすればキャパは関係ない。自覚しないから、自分のクセ性分の範疇の分しか発揮できない。自分というものをいろんな場所で活かすことができるようになるためには、囚われがあってはいけないんだよ。女にもなりまっせ、男にもなりまっせ、リーダーシップもとりまっせ、でもついていく側にもなりまっせ、というように、「何にでもなれまっせ」となればいいんだよ。

ともこ:
持って生まれた個性があるから、向き不向きはあるよね。

いさどん:
向き不向きがあるからこそ、向いているところでは存分にその個性を発揮して、不向きのところでは意識してやっていくんだよ。つまり意識が必要なんだよ。自分はそれが苦手だからこそ、この場合はあえてこういう姿勢をとりましょう、と意識する。自分はこれが向いているからこれがいいんだ、ということでは、向いていないところでは使い物にならないということになる。
Tくんは、パン屋になるか、もしくはNPOに入って東南アジアの恵まれない人たちを支援する活動をしたいという。何を根拠にそう言っているのか。彼が将来のプランを語るのを聞いていると、どれをとっても関連性がなく現実味がない。彼は自分には向き不向きがあるから向いている方を活かすんだと言うけれど、それは向いている方を活かすのではなく、自分がやりたい願望を並べただけなんだよ。僕からすると、そのどれも向いていない。パン屋をやりたいと言うが、ではパン屋を経営するとしたらその資金となる融資を得るための信用がなければいけないし、社長としてのリーダーシップや経理のセンスや従業員をまとめる力も必要になる。それがあなたにあるのかと問うと、ありませんと言う。つまり何も考えていない。ただパンが好きだからパン屋になりたいというだけで、それが「向いている」ことだと思っている。
そこで僕が「それではダメだよ」と伝えると、「いさどんは僕を理解してくれない」と言う。理解しているからそう言ってるんだよ。まぁ、彼自身が彼のためを考えたら、いつかは理解する時が来るんだろうけどね。

 
誰とでも、最高のパートナーシップはできる

(いさどんはちなっぴーと交代し、車を運転しながら話し始めました。)

いさどん:
こうして話しながら、今僕は車を時速95kmで運転している。だけどこの場は、今誰かが運転をしているから気を付けなくちゃ、という感じがしないでしょう?ちなっぴーが運転していた時には「運転してますー!!」という空気が充満していたけれど、今はそういう感じがまったくない。ただ道路に沿って進んでいって、後ろについてくる車があれば左車線に入ってやり過ごす。流れに沿っているだけで、次に追い越し車線に入るタイミングが来ればそちらに入るけれど、安全になるまでは絶対に行かない。今は左車線もずっと前まで車がないから、車線変更する必要もない。運転に道理が通っているから、話に集中しながら、自動運転になっている。
ものすごく大事な話をする時は、ちょっと待って、運転を代わってもらうから、と普通ならなるけれど、僕はどうするかと言うと「運転よろしく」と天に投げて、あとは話に集中している。そうすると、時間があっという間に過ぎるんだよ。あれ!もう着いちゃった!って。僕の運転する意識はどこかへ飛んでいっているけれど、自動的に運転ができている。
今、右車線の前の方が詰まってきたでしょう?だからこの場合は右車線に入って、一緒に左車線の車を抜いていっても大丈夫なんだよ。そんなことも見ながら、話をしている。

ともこ:
ちなっぴーはちなっぴーで注意しながら運転してるでしょう?でも、いさどんがこれだけちなっぴーに伝えるということは、何かが足りないということだよね。

いさどん:
僕が「あなたは足りないよ」と伝えるとするでしょう。それを自らの身に付けていく気があるかどうかだけなんだよ。僕が足りないよと言うと、ちなっぴーは耳では聞くが、心ではまったく聞いていない。変える気がないんだよ。縁が深いし、養蜂には欠かせない重要な存在だから切り離さないけれど、ちなっぴーと一緒に仕事をすると僕はストレスが溜まる。だからいいパートナーではないんだよ。重要だけど、いいパートナーにはならない。ストレスの発生源でもある。そういうことが本人はわかっていない。
本当のパートナーシップというのは、ストレスが取れていくものさ。今日はこういうことがあって大変だったけれど、あなたのところへ戻ったらストレスが取れたよ、ありがとうね、という関係にならなければいけない。例えば僕とまりこの関係はそうだ。

ともこ:
いさどんとまりちゃんは三文字陽性同士で、もともと相性がいいわけじゃないよね?

いさどん:
三文字陽性同士だと、お互いに相手を自分の支配下に置こうとするからな。付き合ってもつまみ食い程度だね。
僕がまりこを修理した話、知らない?修理されて別人になったんだよ。縁が深いから、そこまでのことができた。

ともこ:
だけどまりちゃんの三文字陽性の性質が消えたわけじゃないよね?

いさどん:
だから、有効活用するんだよ。まりこが、最初はボケているから目を覚まさせた。そして、自分のためじゃない、人のために生きるんだ、それが価値だということを伝えた。ボケれば、何を目的にして生きているのか、人生の目的を失うぞ、と伝えてきた。もっと大きな志のために生きているんだぞ、と。まりこはそこに目覚めたから、もうボケることはない。インプットされたからね。

ともこ:
修理されると、三文字陽性同士だろうが何だろうが、どんな組み合わせでもやっていけるんだね。

いさどん:
どんな組み合わせでもやっていけるというより、どんな組み合わせでも最高のパートナーシップができる。それは人と人の関係だからだよ。それが高次の人だ。その行いは、すべて世のため人のため。自らのためは、無し。

 
自動運転で車は進む 会話も進む

いさどん:
なぁ。今大切な話をしているけれど、僕は同時に時速100km以上で運転してるんだよ。ちなっぴーは危なっかしくて仕方ない空気を発しながら必死になって運転していたけれど、僕はこうして運転を忘れたように話しながら、後ろから車が来れば左に寄って、同時に先を見て、左車線が詰まってきたら今度は右が開いているからスッと移動する。

ちなっぴー:
余裕でやってるね。

いさどん:
余裕というか、頭を使ってるんだよ。

ともこ:
いさどんは余分な思考に頭を使わない。

いさどん:
余計なことをしなければ、こういうことが可能になるんだよ。

ともこ:
何が余計で何が余計じゃないかは、自分で仕分けがつくね。

いさどん:
つくよ。その気になれば。でもチェックする気がない人にはいつまで経っても全然わからない。その気になるかならないかだ。
今、後ろに蜜蜂を積んでいる。今日は単箱だ。継ぎ箱で2段にも3段にも積んでいて幌がなければ隙間からびゅんびゅん隙間風が入るからいいけれど、単箱で蜂が多いと、蒸殺(じょうさつ)と言って巣内が暑く蒸れて、蜜蜂が溶けてしまう。だから蜂のことを考えたら、スピードも出してやらなきゃいけない。しかもこの車には幌もついているから、直接巣箱に風が入らないので、温度だけでも下げてやる必要がある。隙間風が入れば外の涼しい風が幌の中を回って温度が下がるが、窓を開ければうるさい。エアコンを入れるには寒いし、かと言って閉め切っていたら暑いから、とりあえずエアコンを弱めに入れよう、というように、僕は運転と同時に蜂や空調のことも考えている。

(窓の外の大豆畑を見ながら)あれは葉の色が濃すぎるね。大丈夫だろうか。機会があったら車を停めて花の付き具合を見てみたいね。花は付いても、実が付かないかもしれない。
(田んぼを見ながら)ここは上手だね。見てごらん、あれだけ実りながら稲が転んでいない。これは収量が多いぞ。反10俵はいける。(隣りの稲が倒伏した田んぼを見ながら)ここまでいっちゃうとダメなんだよ。さっきのところがギリギリのラインだ。そのギリギリのラインを「目指すぞー!!」と田んぼと会話するんだよ。養蜂と同じだよ。分蜂をさせないギリギリのラインで強い群を育てて採蜜するぞー!!ってね。すごくマニアックで、ある意味変態だけれど、変態にならなきゃいけないんだよ。その変態になった時に、喜びが湧いてくるんだよ。
田んぼを見ていると、それを作っている人の性質や技術力、熱心さが観えてくる。おもしろいね。あの大きなコンバインを見てごらん。ここの人はすごいやる気だよ。でも欲をかくと重くなって倒れるんだよ。ここは水を抜くのが遅れたんだね。根がゆるいからあちこち向いて倒れている。穂が大きくなって腰が弱くて倒れる場合は同じ方向にぺたーっと倒れるけれど、水抜きが遅くて倒れる場合は倒れる方向もまちまちだ。ここはきれいだね。うちの田んぼもきれいだけど、もうちょっと収量が欲しいね。ここは反8俵かな。もう少し危険にさらしてもいい。そのギリギリのラインをどう狙っていくか。それが極めるということだ。だから10いさどんのいさどん3に田んぼを任せてくれたら、ちゃんと育てるよ。今どれだけできるかというよりも、一つずつ経験を積みながらそこを目指していく。そしていさどん4は畑を耕す。

ちなっぴー:
いさどんがやる畑はきれいだよ。

いさどん:
例えばナスの支柱を立てる時に、ナスは支柱のてっぺんがきれいにそろって真っ直ぐなラインを描いているかどうかなんて求めていない。しかし大切なのは、誰がそれをやったか。自分がこれをやったんだという自負心を持つためには、ただナスが収穫できればいい、というものではないんだよ。
(窓の外を見ながら)ここの田んぼはいつも草だらけだったけど、今年はまともになってるね。

Yくんは、養蜂に手伝いに来るうちに蜂に興味を持ち出した。それで僕も、蜂の点検をしながら、ずーっと説明していく。それは何かと言うと、頭の中で展開していることをただ言葉にしているだけなんだよ。つまり、頭の中は常に回りつづけている。
今も車の運転をしながら、あそこの田んぼがどうだとか話し続けてるでしょう。これは何も特別に説明をしているわけじゃないんだよ。つまり、僕は黙っている時も常に頭が回っていて、休ませていない。だから一人でいても退屈しないよ。

ともこ:
さっきいさどんが、いくら自分で自分を見ようとしても、結局心をきれいにしていないから、曇った目で見るから見えないんだって言ったでしょう?

いさどん:
見れないというより、曇った判断になるから、結局それが災いになるんだよ。そうすると臆病になって、余計に考えるようになる。ああ、この田んぼはいいなあ。あれで実ったらそうとう採れるぞ。ああいう田んぼをうちの人にも作ってもらいたいね。人が惚れるような田んぼをね。小谷村の人がうちの蜂を見て、「こんな蜂見たことない」と言うんだよ。何でこんなに差があるのかと言うんだけど、それは飼う人に差があるんだよ。しかもその蜂は、一軍と二軍を採蜜に持って行った後に残った、三軍なんだよ。

こうして話しながら、小谷村の景色やその人たちと交わした会話が頭に浮かぶけれど、車は変わらず安定して走り続けている。
今は6時15分だね。あと15分から20分くらいで到着だよ。富士宮の中神倉庫から朝霧養蜂場まで30分、そこから2時間30分で合計3時間だから、いいペースで来てるよ。何も滞りはない。
暗くなってきたから、田んぼ評論家もできなくなってきたね。(窓の外の川を見ながら)僕は思うんだよ。この川は、昔は龍だったんだよ。だから武田信玄が、信州から甲斐の国にわたるまでを治める時に、治水をしたんだよ。だから支配することができた。この川はもともと暴れ川だったんだよ。その龍をおとなしくさせることが、国を治めることだったんだよ。だから武田信玄は優秀な領主だったんだろうね。
いつも思うんだよ。この川は暴れ川だったなぁ、と。だから大水が来るとこの辺もドバーッと洪水になって、米を作っても全部流される。その代わりよくできるんだよ。川が微量要素を運んでくれるから。肥料なんか入れなくてもいい。その代わり大水が来たら全部持っていかれるというリスクがある。川は、龍だから。生命力の顕れだから。命が運ばれてくるんだよ。

 
自分のキャパを超える状況に出会った時に、僕がすること

いさどん:
(窓の外に流れる風景を見ながら)すごいなぁ。このくらいの大豆畑を作りたいねぇ。あっ、これは芝生屋さんだよ。芝生を作って、30㎝角くらいに切り取って1枚いくらで売るんだよ。グリーンを作る時にはそれを敷きつめていくんだよ。この田んぼは大きいねぇ。福井へ行くともっと大きいよ。

ともこ:
(福井に里帰りした)まっちゃんがヒエだらけの田んぼの写真を送ってきたけど、あそこをヒエ取りするのは気が遠くなるね。

いさどん:
稲は倒伏しているしヒエはすごいし一体どうするという感じだね。僕だったら、そういう時にさてどうするかと考えるんだよ。今までにない状況に出会った時に、僕がすることは何か。

自分のキャパを超えるような状況に出会った時に僕がまず何を思うかというと、その状況の原因が自分にあるとしたら、まず自らの姿勢を振り返る。例えばそのヒエだらけの田んぼのような状況に出会うとしたら、あまりにも田んぼに対して幼稚な段階だよね。田んぼにはヒエをはやすものではないと認識していたら、そのような田んぼはそもそも作らない。
それでもまっちゃんのように、人の田んぼを預かってそれをやるということに出会ったら、まず、とりあえず最善を尽くしてやれることをやる。だけど場合によっては、その田んぼのヒエをすべて取ろうとすることを放棄する。それは無駄な労力だから。放棄して無駄な労力を使わない代わりに何を学ぶかといったら、こういうことを二度と起こさないための対策を考える。僕はやれることはやるけれど、脳の中の映像としては、来年のことを考えている。自分のキャパを超えるような状況であること自体、そこからモノにしようとしたって実際に無理なんだよ。
それが僕のやること。つまり、学んで次に活かす。その状態でも収穫はできるんだよ。ヒエをバラまけばいいんだから。ヒエは細かくてこぼれるから、ちゃんとお米は収穫できる。でもそれだと毎年ヒエはひどくなっていく。その結果があのヒエだらけの田んぼだよ。そのままだと来年はもっとひどくなる。そのうちに米も育たなくなる。そうしたらどうするかというと、ヒエも米も一度なしにして、例えば2、3年くらい、耕すだけで何も作らないとか、丘ものを作るとかして、それから米を作るとかね。
うちでは新しく田んぼを借りた時には、1年か2年は米を作らないで蓮華を作ったりする。大豆を作ればヒエは気にならない。麦でもヒエは気にならない。何年かそうやっていくうちにヒエの種はだんだん減っていくから、そうしたら米を作る。それだけのことだよ。

ともこ:
それって聞くと当たり前のことだけど、その当たり前のことをしていないから同じことを繰り返すんだね。

いさどん:
当たり前じゃん。何より、そんな無駄な労力使ってたら楽しくないじゃん。だから、楽しくやるためには無駄なことはやらない。それが僕の考えね。

(ここでちなっぴーが、大町ビレッジに電話をかけようとする。)

いさどん:
おい、電話しなくていいぞ。どうせ向こうに着くんだから。

ちなっぴー:
もうすぐ着くって伝えなくていい?

いさどん:
そんな必要ないだろう。びっくりさせてやった方がおもしろいじゃん。たわけだなぁ。どうせ着くことはわかってるんだから、連絡なしで家に入っていって荷物降ろして「おう、荷物降ろしといたぞ」って言った方がよっぽどおもしろいじゃん。もっとも、向こうもアンテナ張って待ちかまえとるから、そんなことにはならんだろうけどね。

 

あふれる叡智は止まらない!「大町道中記②」へつづく。

 


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