川崎殺傷事件を受けて、子どもたちへ ~ 悪いのはだれですか?

神奈川県川崎市で18人が負傷し、加害者を含む3人が亡くなった川崎殺傷事件から数日が経ったある日、事件を非難する報道でマスコミが賑わう中、ジイジは「子どもたちに大切な話をしよう」と子どもミーティングにやって来ました。司会を務める子が「では、みんなでジイジの話を聞きましょう」と言うと、ジイジはこんなふうに話し始めました。


ジイジ:
あのね、ジイジの話を聞くだけではなく、みんなの考えも聞きたいです。
自分の考えをしっかり持つことは大切なことです。でもその考えが、自分だけの考えであってはいけないでしょう?自分はこれが正しいと思っていても、人から見たらそれはおかしいということであれば、問題が起きます。そこで自分の考えと人の考えを合わせていったり、お互いの違いを認め合うことで、みんなが仲良く暮らせるようになるのです。
それは、安心して暮らすためには、とても大切なことです。どこでも、みんなの意見を聞き、人に自分の意見を伝えて、この場合はどうしたらいいかを自分で判断できる人になることが大事なのです。

今日、ジイジはみんなと話したいと思うことがあって、ここに来ました。この間、川崎市で通り魔事件がありましたね。それについてみんなはどう思っているのかを聞きたいと思いました。この事件では、たくさんの人が包丁で刺されました。その刺された人たちは、それぞれにそれまでの人生を生きてきました。では、刺した人はどうだったのでしょうか?

あきよし:
刺した人も、今まで生きてきた。

ジイジ:
そうですね。そしてその人は、自殺しました。そこで、この事件をどう考えますか。この事件で悪いのは誰ですか?

子どもたち:
犯人!

ジイジ:
なるほど。では、いい人は誰ですか?

ひみこ:
わかんない。会ったことないもん。

ジイジ:
では、かわいそうな人は誰ですか?

子どもたち:
刺された人たち?

ジイジ:
今日、ニュースでこの事件を報道していました。この事件では3人の人が亡くなりました。1人はカリタス学園に通う小学生の女の子、もう1人は外務省職員の男性、そしてもう1人は犯人です。
先日、みんなに令和の話をしましたね。これもテレビの番組で言われていたのですが、最近の若い人たちは「れいわ」と発音せずに「れーわ」と言う人が多いのだそうです。きちんと「い」を発音しない。「い」が無くなったら、「いさどん」もいなくなりましたね。

なお:
「ジイジ」も「ジジ」だね!(笑)

ジイジ:
これはどういうことだろうと考えたら、時代が変わってきて、人々が物事を正しく表現することを面倒だと感じるようになってきたのだと思いました。だから何でも簡単にしてしまう傾向があります。例えば、「いただきます」を言うのも面倒だからご飯ができたらそのまま食べるとか、靴を脱いだらそろえるのが面倒だから脱ぎっぱなしにしておくとか、あちこちでけじめが無くなっていき、話す言葉もそうなってきているようです。
けれども、音には一つひとつに意味があります。ここでは毎日子どもミーティングの前にカタカムナを奏上しています。それには、一音一音に意味があるのです。それをいい加減に発音していくと、どうなるでしょう。時々、日本語を話しているのに何を言いたいのかよくわからない人がいます。それは話す内容の意味がわからない場合もありますが、発音がおかしい場合もあります。では、どのような人がそうなるのかというと、自分から発せられる考えや思い、生き方が明快でない人がそうなります。
現代の人たちは、それが明快ではない人が多くなりました。ですから「ながら勉強」と言って何か他のことをやりながら勉強をしたり、常にスマホをいじっているなど、一つひとつにけじめがないのです。そういった人が増えてきたことが、話の内容や発音に表れているのです。
言葉がはっきりしないとどうなるのかというと、自分の考えをはっきり伝えることができません。相手の考えをしっかり聞くこともできません。自分がはっきりとしていれば、人の考えもしっかり聞けるものです。それが、けじめのある人が取る姿勢です。

令和が始まった日、「新しい時代はどんな時代になってほしいですか」というインタビューに対して、日本人が最も多く答えていたのはどんなことだったか、覚えていますか?

子どもたち:
災害のない時代になってほしい!

あきよし:
あと、平和な時代になってほしい。

ジイジ:
そうですね。では、その5月1日からこの1ヶ月間の間に、災害はなくなっていたでしょうか?

子どもたち:
あった!

ジイジ:
そうです。本来、5月というのはあまり災害のない月ですが、このわずか1ヶ月の間に屋久島では50年に1度の大雨が降り、北海道の佐呂間町では観測史上、5月の全国最高気温が記録されました。5月なのにこの状態では、これからどうなるのでしょう。「災害のない時代になってほしい」と思っても、実際に災害はたくさんあるのです。
災害は、これからもっとたくさん起きるでしょう。なぜだと思いますか?今年の災害は、今年あったことが原因で起きていると思いますか?

なお:
今までのことが原因で起きてる。

ジイジ:
今までの何が原因だと思いますか?

なお:
人間の生活!

ジイジ:
そう、人間の生活が原因です。人間の生活に、けじめがなかったのです。けじめがないからみんなが好き勝手なことをやり、あれもこれもと欲しがって次々と物を作っては捨て、処理しきれないほどのゴミを出し、石油や石炭をたくさん使い続けた結果、地球温暖化が起きて、今のような状況になっているのです。
実は温暖化にはもうひとつ、原因があります。それは太陽の活動です。太陽は、太陽系の中心です。ジイジは宇宙的視点で物事を捉える考えを持っていますから、太陽が地球上の人間たちの行動に対して「その考え方は間違っているぞ」というメッセージを送るために、地球に災害が起きるように活動を変化させていると観ています。それは宇宙からのメッセージです。

今地球上で起きている温暖化や、それに伴う災害は、ある日突然起きるものではありません。それまでの積み重ねがあり、その結果として、今それが起きているのです。だから令和元年になり、人々が「災害のない時代になってほしい」と願っても、実際には災害が起きるのです。そもそも「災害のない時代になってほしい」と人々が願うのは、それがありそうだという予感がするからでしょう。まったくありそうにないことを、それがありませんようにと願ったりはしないでしょう?
では、なぜ災害があることが予感されるのかと言えば、私たち人間がそのように生きてきたからです。そしてなぜそのように生きてきたのかと言えば、先ほどの「れーわ」という発音と同じ話です。実際は「れいわ」なのに「れーわ」と発音する。よく、コントでもあるでしょう?(お笑いのモノマネをしながら)「おぅ、たらいま~。」「あぁ、ごはんはぁ?」「はぁ、いらん~。」(子どもたち爆笑する。)ほにゃ~、ほにゃ~、とまるでアヒルがしゃべっているようでしょう。むしろアヒルの方がずっとはっきりしています。

あやな:
それってヤバくない?

ジイジ:
ヤバいと言っても、実際にそういうやり取りをしている人たちがいるのですよ。それは、自分の意志がはっきりしていないということです。はっきりしていないということは、相手にも伝わらないということです。それはつまり、毎日一緒に生活したり仕事をしたりする人たちと、心が通じていないということです。
大切なのは、自分の思っていることを相手にしっかり伝えること。そして伝えるだけではなく、相手の言っていることもしっかり聞くこと。そこでお互いの考えを比べてみて、ここは違っていますね、でもいい関係にするためにはここはこうした方がいいですね、私はこうできますがあなたはどうできますか、とすり合わせていくと、いい関係ができるのです。けれども、思っていることを言わずにいることがいいことにつながることだと思っていると、関係はだんだんおかしくなっていきます。物事を曖昧にしていては、良い関係はできないのです。

今回の川崎の通り魔事件では、なぜ犯人があのような行動を起こしたのかについて、はっきりしたことはわかっていません。ただ、周囲の人たちの証言によると、子どもの頃に学校に遅れてきたり、授業が終わる前にいなくなってしまったり、いつも一人でいるような子だったといいます。先生は、その人について「一人でいるといい子なんですが」とコメントしていたようです。ということは、みんなの中にいると問題が起きるということです。そして、何を考えているのかわからない子だったと言います。
その人が大人になり、今回の事件を起こしました。新品の包丁を4本用意して川崎市の登戸にやって来ました。そして、手には手袋をはめていました。なぜ手袋をはめていたのかといったら、包丁で人を刺せばものすごい抵抗がありますから、自分の手まで切れてしまうことがあるのです。人間の体を刺すというのは、とても大変なことなのですよ。だから犯人はきちんと手袋をはめて、準備していました。そして、どこへ行くのかということも計画していました。スクールバスを待つ子どもたちが列を作る時間に合わせて、そこへやって来たのです。
明らかに犯人は、人を殺すつもりでそこへやって来ました。でも皆さん、考えてみてください。両手に包丁を持ち、何の関係もない子どもを十何人も次々と包丁で突き刺していくのです。それは、普通の精神状態ではできないことでしょう?そう考えると、犯人は悪い人だと言うこともできますが、もうひとつ、心が異常な状態だったということも言えるのです。では、なぜそれほどまでに異常な状態だったのか。
そこで、先ほどの話に戻ります。今年もすでに異常気象が起きていますが、異常気象はある日突然起きるのではなく、そこに至るまでの積み重ねの結果起きるのです。令和という時代は、平成や、昭和や、そのさらに前の時代からずっと積み重なってきたものに対する答えが出る時代です。そしてこの事件も、そういった人々が曖昧に生きてきた結果起きたことだとジイジは思うのです。

事件の後、テレビでは「これからはこういった事件が起こることを前提に、どうやって子どもたちを守っていくか」ということが語られていました。親も学校も市も警察も、そう言うのです。しかし考えてみれば、そもそもそういった事件が起きない世の中にした方がいいと思いませんか。

みのり:
そう思う!

ジイジ:
こういった事件が起きるから、それに対処しなければいけなくなるのです。ならばそのような事件が起きないようにするべきだとジイジは考えるのですが、それにはどうしたらいいかという話はなかなかテレビには出てきません。そこで、このことについてみんなと話したいと思いました。あの事件でかわいそうだったのは、誰でしょうか?

きよみ:
(小さな声で)犯人。

ジイジ:
言葉は言霊です。自分の考えを言葉にする時には、相手にしっかり伝わるようにはっきり言わないと、話す言葉に魂が入らず、いい結果にはつながりません。もっとはっきり言いましょう。

きよみ:
犯人がかわいそうだと思う。

ジイジ:
でも犯人は、生きていたら殺人犯ですよ。どのような刑を受けるのか、もしくは精神病院に行くことになったかどうかわかりませんが、とても大きな責任を取らなければなりません。きよみはどうして犯人をかわいそうだと思うのですか?

きよみ:
(口ごもりながら)犯人は間違ったことをしたから・・・

ジイジ:
相手に伝わるよう、しっかり発音しなさい。今話している姿もダラッとしているでしょう。そういうのを、けじめがないと言うのです。
発音が曖昧ということは、言葉が曖昧ということです。言葉が曖昧ということは、意味が曖昧ということです。意味が曖昧ということは、コミュニケーションが曖昧だということです。そうすると、自分の思うことも相手に伝わらず、相手の言うこともわからないまま適当に解釈することになって、曖昧な人間関係をつくることになっていくのです。そのように意識しないうちにすべてのことを曖昧にしていくと、やっていいことと悪いことも曖昧になります。そして、自分の行動に矛盾が発生してもそれをいいとも悪いともはっきりさせないまま、ただ都合のいい豊かさだけを追い求めていくからその豊かさも曖昧になります。そういった一人ひとりの小さな行いを曖昧にしていった結果、地球上にたくさんの矛盾が積み重なっていったのです。そして今、明快な災害が起きるようになりました。
人間関係も同じです。曖昧なまま進んでお互いのことを本当に理解し合わないうちに、人と人との関係にもたくさんの矛盾が発生し、そういった日々の生活の積み重ねが長い間にストレスとなって溜まっていった結果、ある日爆発して、明快な犯罪を犯すことにもつながるのです。
犯罪が起きる時は、とても明快です。今回の犯人も、積もり積もったストレスの結果、「やってやる!」という明快な意志を持ち、包丁を4本も用意して、手袋をはめ、子どもたちがバス停に並ぶ時間を狙って現場に行き、計画を実行したのです。

きよみ:
人を殺そうと思ったその考えが、おかしいと思った。もっと楽しい人生を送れるはずなのに、そういうふうになってかわいそうだと思った。

ジイジ:
そういう考えになったことがかわいそうだということですか?

きよみ:
ん~・・・ちょっと違うけど・・・

ジイジ:
違うなら自分の思うことを言いなさい。

きよみ:
それがわかんないんだよ。

ジイジ:
わからないのにかわいそうだと言ったの?それでは話が曖昧でしょう。自分がどうしてそう思うのかという元のところを探っていくと、ああ、自分にはこういう理由があってそう思ったのだということがわかり、明快になっていくのですが、そういった心の仕分けをやらずにいると、自分がなぜそう思ったのかがわからないまま進んで、後から自分でも変だと思うような曖昧な思考になっていきます。それは、言葉をはっきり発音しない、食事の前に「いただきます」を言わない、脱いだ靴をそろえないことと同じです。そのいい加減な状態が自分の人生に反映されて、いい加減な人生を歩んでいくことになるのです。つまり、自分の毎日の姿勢が、自分の人生を創るのです。
きよみは意見を発表したことによって、今の自分の状態を知る機会をもらいました。その時に、「これではいけない」と思って自分を変えていく心が大事です。その心がなければそのまま進んでいって、いつも「どうしてうまくいかないんだろう」と思う人生を生きるようになります。うまくいかないのは、自分がそうしているのです。
人生は、もっと明快に生きることができます。現代の人々は、本当のことを言うと損をするのではないかと思い、自分の考えをしっかり言わないまま周りに流されて生きてきた人たちがたくさんいるのです。そして、そういった人たちが今の社会をつくったのです。しかし時代が令和になり、これからはそういった曖昧な状態がどんどん明快になっていきます。新しい時代は災害の起きない時代になってほしい、平和な時代になってほしいと言うのは、どこかで、これから災害が起きそうだ、平和ではなくなりそうだという予感がするからです。けれども自分の中にある予感すら曖昧にしているから、「なぜそう思うのですか」と聞かれても答えられない。しかしそこのところを明快に観ていくと、自分の生き方がいい加減であったことがわかるはずなのです。

最近では、日本語も英語のように簡略化されるようになりました。例えば、取り扱い説明書のことを「とりせつ」と言いますね。「インスタばえ」という言葉がありますが、最近は更に簡略化されて「ばえ」と言うそうです。それは、簡略化した方が効率がいいということも言えるでしょう。効率がいいということは、そこに何か得することがあるということです。
しかしそもそも、音には一つひとつに意味があります。そしてその音が組み合わさることによって、一つひとつの単語にも意味が生まれます。その音の組み合わせの中に、本来の意味が秘められているのです。それを効率がいいからと言って簡略化していくと、どうなるでしょうか。
英語は頭文字を取って簡略化をしますが、日本語はもともとそういったことをしない言語です。それは、一つひとつの音や言葉に魂が込められているからです。けれども最近では日本語も英語と同じように簡略化されていって、元の意味がわからないようになりました。元の意味を失ったまま、簡略化された音だけが独り歩きをするようになると、それでも意味が通るようになるのです。しかしそれでは、魂の抜けた言葉を話すことになります。効率がいいから、便利だからと言葉をどんどん簡略化していけば、知らない間に魂が抜けて、それでも便利だからいいことになっていくのです。それが現代の人々の表面的な、意味のない行動につながっていくのです。
本当はこうだけど、それを簡略化するとこんなに便利だよ、こんなに得するよ、となって、そこに本来の意味が失われていても、そういったことの大事を吟味しない。その状態が蓄積されていった結果が、今の世の中です。人間関係も同じです。本来、子どもが育っていく時には、こういう風に人と人はコミュニケーションを取っていくのだということを学びながら大きくなるはずなのですが、便利がいいこと、得することばかりを追い求める時代の中で、まず大人たちが簡略化をしている。本当は、便利なことはより豊かになるためにあるのに、自分が得をすることが目的になっているから、そこに大事なものが抜けていくのです。そして誰も矛盾の発生源を突き止められなくなりました。

今回のような事件が二度と起こらないように、これからは子どもたちを守れる体制を作りましょう、と大人たちは言っています。今日は、静岡県の全小中学校にエアコンを設置するという話がありました。なぜだと思いますか?

ゆうとう:
暑いから。

ジイジ:
そうです。今までは要らなかったのに、暑くなってきたから必要になったのです。そこで、エアコンが付いてよかったねということではなく、なぜこんなに暑くなってきたのかということを考えなければいけなのです。

みのり:
かわいそうなのはつまり、大人たちと犯人だと思う。

ジイジ:
どうして?子どもたちはかわいそうじゃないの?

みのり:
刺されたのはかわいそうだと思う。だけど大人たちは、こういう事件が起こらないような社会を創るにはどうしたらいいかということに気付かない。犯人も犯人で、そこまでのことをしてしまった。かわいそうなのは、本当の原因に気付かない人たちだと思う。

ジイジ:
そこが大事なところです。今の大人たちは何か事件が起きると、事件が起きた時に自分たちが助かるにはどうしたらいいかとか、災害が起きた時にどのように避難すればいいかというような表面的な対策ばかり考えています。しかしそもそも、なぜそのような事件や災害が起きるのかということを考えた時に、自分たちにその原因があったら、それを改めなければいけないのです。そういうことを言う人が、今の世の中にはいません。そこが問題なのです。
この事件では20人が刺され、そのうちの2人が亡くなりました。みんなかわいそうです。では、その事件を起こした犯人は、なぜそのようなことをしたのでしょう。何かが起きるには、必ずそのずっと前から、そこに至るまでの道のりがあるのです。

犯人がどのような人物だったのかということは、まだよくわかりません。ただ、今の時点で報道されている情報によると、子どもの頃に孤独だったといいます。両親が離婚し、お父さんにもお母さんにも引き取られず、伯父さんの家に引き取られて育てられたそうです。その伯父さんの家には子どもが2人いて、その子たちはカリタス学園に通っていました。その学校はとてもお金のかかる学校で、受験をして入ります。伯父さんの子ども2人はその学校に通っていましたが、彼は普通の学校に通いました。詳しいことはわかりませんが、周りから見ると、伯父さんの子どもたちと彼は差別されているように見えたそうです。彼は学校でも、みんなとは違う行動を取るような子どもだったようです。その後どのような人生を歩んだのかはわかりませんが、事件を起こす前は伯父さん夫婦と同じ家に住んでいて、51歳で毎日ゲームをやっていたそうです。
そして今回、わざわざその伯父さんの子どもたちが通っていた学校の子どもたちを狙って、事件を起こしました。何か心が歪んでいるでしょう?でも、そこで考えてみてください。勉強ができればいい生活ができるようになる。勉強ができてお金がたくさんある人が優秀な人。みんながそうやって同じものを目指す社会のあり方が、彼のような人をつくったとは思いませんか。

みのり:
そう思う。

ジイジ:
きっと彼は、昼も夜もゲームをやって、だらしのない生活をしていたのでしょう。ところが、事件を起こした時にはとても明快でした。「やってやる!」と。そして捕まる前に、自らを刺して自殺しました。どんな人でも、死んでしまえば裁かれることはありません。罪を犯した時の最も重い刑罰は死刑ですが、その刑を自らに課したのです。ですからもう、罪を問われることはありません。
何かがおかしいでしょう?彼は死んでしまったから、行った行いについて、もう問われることがない。しかし本当は、なぜそれが起きたのかを明らかにするべきであり、彼が行ったことは、この社会の中で起きたのです。つまり、こういった事件が起きるような人間関係が、今の世の中にたくさんあるのです。一つひとつのことにけじめがなく、曖昧で、それをそのままにして進んでいく。その結果、人と心が通じない。互いを理解し合えず、誤解し、相手はこうだと思い込み、人間関係が悪くなっていく。まるで、日常生活の中に戦争が起きているようなものです。だからこそ、自分の思うことをいつでも正直に出すことが大切なのです。そして相手の思うこともよく聞いて、互いを理解していくのです。

これから、災害はますます増えていくでしょう。だからこそ、そうやってみんながお互いを理解し、助け合わないと、乗り越えられない時代になるのです。
災害のない、平和な時代になってほしいと人々は言います。しかし、日本は今のところ戦争はしていませんが、先日トランプ大統領が日本に来た時に、日本の護衛艦を空母にするということを話していました。空母は戦争の道具です。戦争はしていなくても、戦争のための道具に、たくさんのお金を使っているのです。そして戦争はしていなくても、子どもたちが学校へ行こうとしたら、見知らぬ人に包丁で刺される時代になったのです。そんな社会は、平和な社会とは言えません。
家の中では家族でいがみ合い、ケンカをしている。それは、本当にわかり合うための努力をしていないからです。自分の主張ばかりして、相手のことを理解しない。それも、一つひとつにけじめがないということなのです。そういった世の中全体のあり方が、この事件をつくったのです。

今の時代は、誰もが間違っていることがあります。それをジイジに聞いて勉強するのではなく、自分で考えられる人にならなければいけません。これからもたくさんの事件が起きてくるでしょう。災害もたくさん起きるでしょう。日本だけでなく、世界中で災害や事件が起きます。その時に、なぜそれが起きているのか、原因は何なのかを考えることです。そしてそれがわかった時に、では自分はどうしたらいいのかを考えるのです。さらに、自分を含めたみんながどうしたらいいのか。それを考えられる人になることが大事だとジイジは思うのですが、みんなはどうですか。

子どもたち:
賛成!

ジイジ:
それならば、みんなのこれからの生き方は、まず言葉を一つひとつはっきり言うことです。そして自分の考えをきちんと人に伝える。嘘はつかない。そして人の考えもしっかり聞く。そうやって互いの考えを合わせて、みんなで力を合わせて生きていくのです。
そのためには、どんなに小さなことでも、自分の行いをしっかり振り返って明快にしていくことが大切です。鉛筆の使い方ひとつ、消しゴムの使い方ひとつ、脱いだ靴のそろえ方ひとつに、すべて自分の姿勢が表れています。それを一つひとつ振り返って正していくことは、学校の成績を上げるためではありません。その行いの一つひとつが、自分の人生の答えとして未来に現れてくるのです。
今のいい加減な姿勢をそのままにして大人になれば、それが当たり前になり、問題が起きてもどうしてそうなったのかがわからない人になります。今の世の中がそうでしょう?今回のような事件が起きれば、表面的な情報があっという間に社会全体に広まって、みんなで誰が悪者かを決めつけて、それを叩くのです。しかしその事件は社会の中で起きたのであり、その社会を創っているのは他の誰でもない、私たち一人ひとりなのです。ところが誰も自分を振り返らない。悪者を見付けて、原因をそこに押し付けています。だからいつまで経っても社会が良くならないのです。

みんな、大人はできていると思ってはいけませんよ。子どもの頃から一つひとつのことにけじめをつけずに大きくなり、曖昧なまま生きている大人たちが世の中にはたくさんいます。だから今の世の中がこのような状態になっているのです。
だからこそジイジは、これからの未来を創っていくあなたたちに話をしています。今ここに、うたくん(1歳)がいますね。うたは言葉はわかりませんが、ちゃんと話を聴いています。それは魂の違いです。だらしのない人は、いくら耳で言葉を聞いても、その言葉の中身を聴いていません。それをきちんと聴けるかどうかは、学校の成績には直接関係ありませんが、人生に大きく影響します。
どうかみんなは、その人生で一番大切なことを大事にする人になってください。そうすると、自分自身の人生が価値ある人生になります。なぜなら、そのように生きる人は孤独ではないからです。すべての問題は、孤独から生まれます。争うということは、孤独になることです。もしもみんながこの大切なことを身に付け、そして明快な人生を生きるようになったら、自分が孤独でなくなるだけではなく、社会全体が良い世の中になるでしょう。

そういったことを、一人ひとりが自ら考えられる人になってください。そして良い人生を生き、良い世の中創りにつなげてください。

 

 

Source of photo:朝日新聞社

 


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