現在、新型コロナウィルスの拡散により、世界各地でも日本でも異例の措置が取られる事態となっています。この状況を心配する海外の友人たちより木の花ファミリーへメッセージが届き、その中に「この事態をジイジはどのように捉えているのかを聞きたい」という声がありました。これに対し、ジイジは以下のように答えました。
新型コロナウィルスの登場は、劇に例えるなら、物語のクライマックスとなる役者の登場のように感じます。それは、その劇を観ている観客達や、劇を演じている登場人物達が待ち望んでいたものですが、皆それまで劇に浸りすぎていたので、それが待ち望んでいた人物の登場であることを忘れてしまっていたのです。
これは、新たな劇の進行の予言のようなものです。そこで私たちは、なぜそれが登場したのかを理解し、その登場したものに対して敬意を表すると同時に、今までその存在を忘れて敬意を表さずにいたことを振り返る必要があります。忘れていたことに対する振り返りをしなければ、敬意を表することはできないのです。
今回の新型ウィルスは、非常にデリケートな形で登場しました。これは明らかに、人類を滅亡へと追いやるような、過激なメッセージは持っていません。過激ではなく、とてもソフトな形で登場しましたが、目に見えないからこそ、人々は恐怖を感じています。では、その見えないものに対して何を恐怖に感じているかというと、これまで人間は自分たちの力で全ての出来事を克服できると思ってきましたが、それが通用しない事態が発生していることに恐怖を感じているのです。
本来、人類が存在すること、生命が生きることは、私たちの手の内にはありません。そのことを理解するために今回の出来事が起きていることに気付いたら、この出来事は、私たちが生きていることは、この世界を創造する大いなる存在との連携の元にあるのだという、生命としての本来の立ち位置へ、人間をいざなってくれることでしょう。そのように捉えれば、私たち人間は今、このささやかな投げかけを厳粛に受け止めていく姿勢が必要なのです。しかしながら現状は、各国の政府も、個人個人も、そのことに気付いている人はほとんどいません。このまま人間達が気付かなければ、第二弾、第三弾として、世界は単なるウィルスだけではなく、様々な環境の変化を起こし、人類にメッセージを与えることでしょう。
今大切なことは、この現象を私たちのこれまでの営みに対するメッセージとして受け取ること、そして生きることについての視点を根本的に転換する必要があり、そのための予告としてこの現象が起きていると捉えることではないかと考えます。そもそも人間は、この世界を創造した創造主ではなく、創造主によって生み出された創造物なのですから、創造主の側のルールに則り存在するべきであり、もう一度そこへ立ち返る必要があるのです。それは今だけのことではなく、人間は本来常にそのように生きることが当然であり、そのことに気付かなければ、世界は第二弾、第三弾と、人類への困難としてメッセージを繰り返し与え続けることでしょう。
この新型ウィルスの現象は、極めてやさしい形であると思いませんか?それは、人間へ気付きを促している状態です。これは試練ではなく、もっとソフトなものです。もしももっと過激なメッセージであったなら、核戦争が全面的に起きてもおかしくありませんが、そうはなっていないのです。
自然界の動植物は、例えば今オーストラリアで起き続けている森林火災がそうであるように、人間の行いに対するメッセージの犠牲になったとしても、何ら苦情も言わず、潔く消えていきます。しかし人間だけが、自らが問題を引き起こした原因でありながら、その問題に対して苦情を言い、悩み苦しみ、その問題の奥にあるメッセージを受け取ろうとしないのです。客観的に観れば、滑稽とも言えるでしょう。これは人間の自我が膨らんだ結果、客観視点を失ったことに原因があります。このことに対し、国際機関や国家の中枢を担う人々、そして私たち一人ひとりが真剣に考える時代が来なければ、問題の根本的な解決にはならないのです。特定の国に意識を特化するのではなく、これは人類に与えられた、次の時代へ進むための目覚めを促すものであると捉えれば、この出来事をありがたいものとして受け入れることになるでしょう。
宇宙的には奇跡であるこの星に降り立った数多の生命の中で、その代表として最も優れた人間たちに、本来の価値あるものとしての目覚めを取り戻してもらうことを、期待するものです。
ほぼ同意できる内容だと思いますが、私は人類が最も優れた生命体とは思わないのですが、確かに人類が生物全体からみれば優れているように感じますが、すべての生命体を俯瞰してみれば、ばかげた生き方と言うか社会を造り出した生物だと思うのです、自然の恵みのなかで営々と生きる術をより楽により富を得る方向に知恵を使った結果、それを維持し活用するためにその引き換えに労働を提供して得る生存方法に進化?退化?したのではと思うのです、ファンタジー的ですが、人間以外の生物は自由に飛びまわり、自然に対応して生きる体形、体毛、羽、環境に対応して生きていけるのだが、人間は生きるためにその環境空間を作るのに生涯労働と言う代償で生きているわけで、(笑)天気のいい日はひなぼっこ、雨降りは穴の中、誰に指図されるわけもなく自由だ、、、日々働きに行かないと生活できない人間、、大変な社会の仕組みを作ったものだと思うのです。。。
う~ん、これはソフトランディングなんでしょうかねぇ。
むしろ核戦争の方が一瞬で終わるので、余程楽なのではないでしょうか?
愛する人々が死にゆくさまを見なくて済むのですから。
アヌンナキの食料は人間の恐怖心ですし、超国家や自称光の一族なども恐怖心を利用してデータを採ったり、財源確保していたりしますから油断なりませんね。
中国もパンデミックを装って、敵対勢力粛清のために武漢や香港にウィルスバラまいてますからねぇ。
その上証拠隠滅のために研究所を爆破w
今日も感染疑いの隔離施設が突然崩壊w
でもこの後に弥勒の世が訪れるならば、どんな困難も楽しくてワクワクしている今日この頃です。←不謹慎
ありがとうございます
正にその通りですね。
全てが神はからいだと思います。
わたくしが今からやろうとする
木村秋則愛知自然栽培塾も神はからいだと思います。
古希を迎え、もうリタイヤしてゆっくり余生を過ごしたら
どうですか?
との忠告もありましたが、今からが本番と思いも新たに精進させて
頂きます。
ありがとうございました。