イスラム教徒は何を伝えようとしている?~ダッカ人質テロ事件から時代を読む

バングラデシュで、日本人7人を含む28人が死亡するテロが起きた。マスコミでは多くの報道がなされていたが、この出来事の背景を観ようとする視点がどこにもない。ただ「テロは悪い」ということばかりがニュースから流れてくる。

バングラデシュの高学歴で裕福な若者たちが、なぜテロを起こすに至ったのか。
バングラデシュは新興国として今、著しく産業が発展していく過程にあり、これから中国に代わる発展途上国の代表的な国として、希望に燃えているはずだ。そこでこのようなテロが起きているということは、今のモノカネ重視の価値観に矛盾を感じ、キリスト教国に代表されるような現代社会の価値観に異議を唱えるイスラム教徒の存在があるとも捉えられる。
実行犯は、わざわざシリアやイラクへ行ってISに参加したのではなく、バングラデシュ国内の組織からの支援で犯行に及んだと言う。若者たちが自国にいながらインターネットで刺激を受けてテロリストになっていく事例は、アメリカやフランスでも起きている。それはなぜかと言うと、彼らはISに共鳴しているというよりも、自国の体制に不満があるのだ。

バングラデシュは今、目覚ましい経済発展を遂げているが、その中には必ず近代化していく社会にひずみがあり、貧富の格差も生まれている。若い世代の中には、そういったことを許さない純粋さがある。「黙って働いて金を稼ぎ、豊かに生きればいいのだ」という発想に対し、命をかけて金ではないのだということを訴えているとしたら、この金ばかりの世の中がおかしいのだという反感を持っている人間が今の世の中にはいるということだ。
ところが日本人は、なぜ日本がこんなに貢献しているのにテロリストの犠牲になって死ななければいけないのかという視点一辺倒になっている。ではその貢献とは何かというと、JICAの支援の下に企業に携わる人々がプロジェクトを組み、ダッカの交通網を整備して、経済を発展させることが目的だった。その背景にあるのは、個人は個人の、企業は企業の、国家は国家の利益を求める心だ。中には途上国を支援したいという純粋な想いもあるが、そうやって途上国を支援した結果どうなるのかと言ったら、今のアメリカやヨーロッパや日本のような国がもう一つ増えるということだ。
新しい世代の人たちは、もうそれでは駄目なのだということを理屈ではなく感じている。そういう人間があのような行動を起こしているということを、考えていかなければいけない。それは時代を感じるということだ。

彼らも、ISも、これまでの世界の矛盾を表現している。もしくはこれまでの時代の終焉を示していると捉えられる。そのように、時代の流れを感じ取りながら、ものごとをバランス良く平等に観ていくことが必要だ。
昔は、今よりもまだ双方を見るということをしていたはずだが、今は極端にテロだけが悪になっている。確かにテロを引き起こしている人々は問題だ。しかし逆に言えば、この社会という器の中でテロが起きているのだから、自分たちが構成している社会がそれを創り出しているのであり、誰もが自分のせいであるとして振り返らなければならない。そういった世界観が、現代社会に欠けている。テロを起こす側を一方的に悪として、自分たちを正義の側に置いている多くの人間たちの体質が問題なのであり、それが現代社会の様々な歪みを生み出しているのだが、そのことに気付いている人はほとんどいない。
だからこそ、バランスよく内外を観て、特に自らの内を先に観るということをしなければならない。すべてを一度リセットし、内外をなくして、人間とは何ぞやということを探求する必要がある。そこにこそ、次の時代への希望がある。

イスラム教徒の正義や真剣さは、どこから来るのだろうか。

現代のイスラム教徒は、キリスト教徒などに比べ、どちらかというと虐げられる立場にある。しかし、最初から差別があったわけではない。差別を受けているということは、結果としてそうなっているということであり、そこに至るようなそもそもの彼らの在り方があったからそうなっている。彼らが命までかけてやろうとしている、他と相いれない部分があるということだ。

何かを正しいとして固定してしまうと、それと相いれないものとの間で対立が起きる。もしも地球上に一つの価値観しかなく、すべての人が人間はこうあるべきだという共通認識の元に生きていたら、そこにはそれしか価値観がないのだから、正しいも正しくないもなくなる。ところが、現実には価値観はいくつもある。
しかし一方でまた、人間は実に単細胞であるとも言える。グローバル化だと言って、お金でほとんどのことが解決されるような一辺倒の価値観に世界中が染まってしまった。例えばライオンはアフリカだけに生息しているが、その中でも土地によってたてがみが多いものもいれば、少ないものもいる。雄が協力して狩りをするものもいれば、しないものもいる。その土地ごとの自然に合わせてそうなっている。それは天と共に生きているということだ。それに対して人間は、世界中がモノやカネを優先する価値観で単一化され、自然の中で大らかに暮らしていた遊牧民や先住民族たちもお金を欲しがるようになった。
その中で、イスラムの人々が命をかけてまで訴えようとしていることの原動力は何なのか。イスラム教にはジハードという概念がある。そもそも、生きるということの意味が違うのではないか。

彼らは信仰を一番にして生きている。物理的なものを最優先にするのではなく、生きる上での信条や意味を大切にしようとする。だから死をも覚悟している。彼らはそういったことに共鳴する魂たちであり、それが基準でスタートした者たちにとっては、それが当たり前なのだろう。
例えば、グチグチと被害妄想ばかり言っている人がいるとしよう。一般的な健康を基準にして見たら、そんなに愚痴ばかり言うのは間違っているよ、ということになる。しかし、グチグチ星や被害妄想星に住んでいる人にとってはそれが基準であり、それをベースにして生きているのだから、その通りに生きるのがその人らしいということになり、当たり前のことである。それを別の価値基準から見て「あなたは間違っている」とは言えないものだ。

今の社会に対して、イスラム教徒たちが、彼ら流の価値観で何かを訴えている。一口にイスラム教と言ってもいろいろあり、さほど過激ではない人々は、過激とされる人々と同じような思想は持ってはいても、それでは世界全体とうまくやっていけないからほどほどのところで妥協をしているところがある。妥協しない人たちは過激思想と言われ、彼らは自らの信条に則ってとことん社会をイスラム化しようとした。そこで、彼らの思想と相いれない、自分たちの価値観こそが絶対だと考えている者たちがいて、互いに相手が間違っているとして対立が生まれた。
そこには、どちらが社会的にメジャーなのかという違いがあるだけだ。イスラム教が世界の主流になったら、今のモノやカネや酒などに溺れている人々は、間違っていることになる。基準がどこにあるかによって、排除される側と排除する側が変わるだけだ。
例えば、キム・ジョンウンを世界の基準にし、外からの情報がなくなれば、それが当たり前の世界になる。違う秩序があるからあれが異質なものとされるだけで、それしかなくなればそれが秩序になる。

そういったことをすべて超えて、もう一度価値基準を組み換えられないだろうかと考えた時に、何を基準として取り入れるかと言ったら、自然の成り立ちだが、今の自然はずい分人間に汚染されておかしくなってしまったので、やはり宇宙の法則に沿うということだ。星と星との関係やその成り立ちを、もう一度地上に降ろす。
その昔、この世界には地球という意識はなかった。我が星という意識はなく、宇宙そのものだった。ところが、人類の歴史の中で「所有」という意識が発達してくると、「自分の星だ」という見方をするようになり、天動説のような世界観が生まれた。そのうちに、人間は世界を自らの都合のいいように捉えるようになり、自然も何も、すべて人間の都合のいいようになることが便利で豊かであるとされるようになっていった。それをもう一度本来のところへ立ち還らせなければ、今の人類は生きることの意味すら見失ったままになる。

今の日本では、介護殺人が社会現象化している。見えないところでは昔からあったのかもしれないが、今ほどではなかっただろう。少し前まではうつ病や自殺者やニート、引きこもりがいて当たり前の社会だったが、今度は介護殺人が社会現象化するという異常な状態になっている。
日常生活の中で、他者と円滑なコミュニケーションが取れて自己責任で生きている状態を正常とするならば、他者とのコミュニケーションが円滑ではない、もしくは円滑でないことを認識できていない状態というのがある。それは精神的に異常をきたしている場合もあれば、肉体的に異常をきたして他者に委ねなければいけない場合もあり、そういった状態の人を補助するのが介護だ。
本来、そのような状態では自然界では生きていけない。しかし人間は情が強く、補助をするようになった。ところが最初は愛情を持ってやっていても、コミュニケーションを取る意味がだんだん感じられなくなってくると、ただ義務的にやっているだけになり、そのうちに強制的にやらなければならない状態になって、苦痛になっていく。そして思考が極端に狭くなり、苦痛を排除しようとして突発的な行動に出たのが介護殺人だ。
社会には、対処療法的ではあるが、介護施設などの社会福祉が昔よりは遥かに充実している。そういった何も生産しない産業が発展し、それが経済効果となって社会がまわっている。しかし、社会の義務や豊かさの表れとしての福祉制度も、結局はそういったものを必要とする人々の面倒を見切れていないのが現状だ。

現代は、生きるということの意味がとても表面的になっており、生きることがすべてお金のためになっている。その結果、生きることの本質である生命の基軸が狂っているのだが、まだ誰もそれに気付いていない。人々はもっぱらお金があれば余裕ができて心が楽になるという幻想に囚われているが、今の世の中はどうしても豊かな人と貧しい人の差ができるようになっており、その矛盾のしわ寄せが必ず人間の性質のひずみとなって、社会に還元される。人間が心を病むと体の弱い部分に症状が現れるように、社会が病んでいることの症状が、弱いところに現れてくる。それは社会全体が病にかかっているということだ。
死とは、人生の終末のもっとも肝心なところだ。そこに介護殺人のような混乱が起きているということは、生きることそのものに混乱が起きている。

そこで、木の花で生きる年よりたちのことを考える。生きることに対する充実感という意味では、木の花で生きる年寄りたちは毎日やることがあって、それぞれにふさわしい役割を与えられその人らしく生き生きと過ごしており、年寄りという意識がない。そして個人的な欲に執着していない。先日ここを訪れたゲストが、「なぜここの人たちはこんなに穏やかな空気で生きているのか」と聞いてきた。彼は会社の経営者であり、毎日社員と仕事で顔を合わせているが、そこに見るチームワークや人々の人間関係には、そういった木の花のような空気は異質なものに感じられたようだ。そこで僕は「それはそうですよ。給料のために働いていませんから。だから、あなたの会社の社員にも、給料を払わなければいいんですよ」と答えた。
木の花の年寄りも、将来具合が悪くなったら若い人たちのサポートを受けるかもしれない。しかし、役割を与えられて生き甲斐を持って生きている人が、介護が必要な状態になるだろうかと考えると、それは先へ行って確認することだが、少なくともボケるような兆候は木の花のシルバーたちには一切見られない。そういった姿勢で毎日が過ごせる人々の人生に、介護の必要が極めて少ないことが当たり前に感じられる。そう考えた時に、僕は改めてこの生活の重要性を確信した。この生活にこそ、その隅々にまで新たな時代を迎えるための解決策がちりばめられていると再確認した。

現代の人々が平和だと認識し、守ろうとしているものは、歪んでいる。今の世の中を見て、それでは平和とは言えないだろう。ではいつ平和だったのかと考えると、人類の歴史上、平和な時などあっただろうか。
もしもあったとしたら、今の文明が始まる以前の、もっと原始的で自然のままに生きていた頃にはあったかもしれない。かもしれないと言うのは、価値基準があまりにも違い過ぎて想像できないのと、資料が十分ではないので、あくまでも仮定の話だということだ。そしてそれから時が進み、時代は対立と混乱の方向へと向かった。それはまさしく闇の時代へまっしぐらだったのだ。

イスラム教徒がいかに熱心に信仰をしていても、ある特定の境地を絶対としてしまうと、結局は対立の原因になる。何かを特定すれば、それとは別の何かを特定したものと相いれることができず、対立するのだ。
そこで、木の花ファミリーはイスラム教徒と同じように過激思想を持っているかというと、そうではない。ここでやっていることは、そういった特定のものから離れて、囚われの位置から自らを解放する宇宙視点を持ちましょうということだ。それはその境地に到達した者にとっては奇抜でも何でもなく、当たり前のことになる。それは、遥か昔はみんなそうだったということであり、気付けば今現在この瞬間がそうなのだから。

そこにいつ人類は気付くのだろうか。時代はすでに、社会の行き詰まりをもって次の時代へといざなっている。今の世の中、政治も経済も宗教も医療も教育も、矛盾のないところはない。
戦時中、マスコミはプロパガンダに利用されていた。今は、例えば日本のマスコミ関係者は、何ら罪の意識を感じることなく、自分たちは自由に報道をしていると思っているかもしれない。ところが実は極めて偏った、世界観の狭い報道をしている。そういったマスコミの報道姿勢の背景に、お金がすべての価値観がある。視聴率という数字の元に、お金に翻弄されている人々が支持する情報だけを報道することを繰り返すマスコミによって、世界が動いている。それはある意味、悪魔的現代社会の主役だ。マスコミに登場する人々は知識人であり、優れた人々であるという印象の上に、そういった社会的マインドコントロールが密かに進められているのが現状である。

今の過激思想として捉えられているイスラム教徒たちの訴えている世界は、お金ではない世界だ。彼らは命をかけている。しかし、お金ではない価値観であることすら、結局は対立の原因となっている。お金が基準となって混乱している世の中を間違っていると言って、お金よりももっと大事なものがあるということを命をかけてまでも訴えながら、さらに世の中を混乱させている。
それはある意味天のメッセージではあるが、ではあのやり方でこの世界に秩序をもたらし、新たな時代が来るだろうかと考えると、仮にそうなったとして、それが正しいと世界の価値観が統一されれば、それはそれでそのような世界が現れてくるのだろう。しかし現実には、これほど地球全体がモノカネ優先の価値観に汚染され、そういったマインドコントロールにはまっている人々が膨大に存在する現代の社会を、すべてイスラムの価値観に染めようとすれば、そこには大変な破壊や混乱、痛みが発生することになる。だから、そうはならないだろう。

やはり、そういった特定の価値基準を超えた、新しい秩序が必要だ。それが自然の姿であり、宇宙視点だ。我々は宇宙人であるという認識を持ち、外側の視点から、自らの立ち位置を捉え直す必要がある。それは、自らの外にある大きな価値基準と、日常の自分の中にある個人の意識とが一致しているということだ。
これは僕の考えではなく、時代が人類をそのようにいざなっている。いつの時代にも、時代の転換期には新たな価値観のメッセンジャーが現れる。それは古い価値観を破壊するためのメッセンジャーであったり、新たな秩序を示すためのメッセンジャーであったり様々だが、今はまさにその転換期に来ていることの証として、そういった役割を果たすためのメッセージを持った人々が現れてきている。

木の花ファミリーは22年前に、この生き方の目的が何であるのかわからないまま、スタートした。世の中のコミュニティの多くは、こういう場所を創りたいという自らの理想が先にあり、その願望を叶えるために立ち上がった。しかし、我々には願望も何もなかった。ただその現場を生き、未熟なら失敗をして、その時々に出会うことに対処しながら変化してきた。それは確実に体験を活かし、確信に変換する歩みだった。
自らの願望を叶えようとして進めば、それが叶った分だけさらに自らの願望に囚われていくことになる。そして自分のやっていることが正しいと思うようになり、他者と共に世界を築いていくことができず、結果的にそういった人々は、調和的な世界を創ることができない。
他者と共に築いていくということを実際にやったことのない人間は、自らの姿勢が具体的にどんな現実をもたらすかということを体験していないため、頭の中だけでそれを考え、それこそ単なる創作のようなバーチャルな世界で理想を追い求め、実体の伴わないことを語っていくことになる。しかし、現代社会のように言っていることとやっていることのギャップが多くても成り立つ社会構造の中では、バーチャルなことを語っていても評価される。そうして評価されることによって自らが正しいと思い込んでいることが多いのだが、そういった人々こそ、多くの人と共に生きる現場に実際に立ち、他者との関わりの中で自らの性質がどんなことを引き起こし、結果、どのようなことと対面するのかを体験し、自身の人間性の実態を思い知る必要がある。そうでなければ、何も現実にはやらないまま、表面的な支持を得て自らが正しいと思い続けることになり、そのような人々の姿勢こそが、今の行き詰った社会を創ってきたのだ。

生きるということを、人間の側からのご都合主義で実現していくと、それは人工の世界のオンパレードになる。生きるとは、宇宙の法のもとに生かされているという現実を理解することが、本来の順序だ。
実は人間には、宇宙の構造や、宇宙そのものとしての自分自身の在り方がすべて、自らの内に情報として眠っている。我々がエゴという囚われを手放し、大いなる宇宙の法のもとに自らの意識を解き放った時、これまでの物理的発展を支えてきた二次元的発想の時代から、いよいよ三次元的時代への進化が始まる。
それは、これまでのような善悪や損得、我良しの発想で捉えていては、とても解釈できない世界だ。我々はすでに三次元的脳を持っているが、発想が二次元的であり、二元的損得勘定に囚われているため、脳の三次元的解析能力を活かすことができていない。もしくは、そこの部分が退化している。そこで、その二元的損得勘定を離れ、自我を超えた発想ができるようになると、極めて奇抜な発想が生まれてくるようになり、地球上にいながらにして宇宙の実体が瞬時に理解できるようになる。
その進化を前にして、人類のこれまでの二元的発想が、すべての面において行き詰まりを見せていることは、現代社会に起きている様々なことを冷静に分析すれば明快なのである。従って、人類の内面の精神構造にメスを入れ、その発想の転換をすることが、現代の行き詰まりの突破口を開くことになるのだ。

どの切り口からも全てひっくり返らなければいけない時が来ている。現代社会につながる文明的価値観がすべてひっくり返る時が来ている。そのためには、まず一番に、自分自身を例外としてはいけない。誰もが、自分自身を例外としないで取り組んでいく必要がある。
これは明らかに時代の転換点だ。今までの価値観が終末を迎えている。実は宇宙的には完全にそれを超えて、次の時代に入っているのだが、地上はまだ闇のピークを越えたばかりで、徐々にそれが明らかになって来ている。
イスラムの問題からも、イギリスのEU離脱からも、アメリカ大統領選からも、世界中で暴き出されている政治的社会的不正からも、そして介護殺人からも、現代社会の人類の営みのすべてから、時代が我々を新たなステージへといざなおうとしていることが観える。

 

Source of photo: jp.sputniknews.com/

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7月16(土)〜18日(月/祝)
第10回大人サミット
「地球会議 in 木の花ファミリー」開催!

時代が大きな転換期を迎えている今、年齢、職業、国籍、宗教、ありとあらゆる枠を超えて、地球の未来を真剣に想う真の「大人」たちが集い、語らい、新たな時代の幕開けを発信する「第10回大人サミット」が木の花ファミリーにて開催されます。より良い未来を築こうとする意欲さえあれば、どなたでも参加OK!ブログで語られていることを現実の世界で実践し、人類史上に新たな1ページを刻むかけがえのない3日間を、ぜひ共に過ごしてみませんか。

第9回大人サミットより
第9回大人サミットより

*詳しくはこちら!
 → 第10回大人サミット開催のご案内

日帰り参加や部分参加も受け付けています。
ご関心をお持ちの方は、どうぞお気軽にご連絡ください!

 


本質を分析できる時代 〜 大和くん発見のニュースより

人の名前には、多くの情報が秘められています。木の花ファミリーでは、カタカムナの単音の思念やカルマ読みといった宇宙の法則を紐解く手法を通し、名前から、表面的にはわからないその人の心の本質を読み解くことを行います。この分析を元に、いさどんが今話題のニュースについて語りました。

*カタカムナやカルマ読みについて学びを深めたい方は、毎年2月〜3月に開催される木の花塾「1ヶ月間の真学校」へお越しください。

 

最近、テレビで大きな話題となっているのが、5月28日から行方不明になっていた北海道北斗市の小学2年生、田野岡大和君(7歳)が6月3日の朝、陸上自衛隊駒ケ岳演習場の宿泊施設にいるのが発見されたニュースだ。

考えてみれば、彼は6日間水だけで生き延びていた。彼はドクターヘリで函館市の市立函館病院に運ばれたが、診察の結果、両手足に擦り傷があり、軽度の脱水、低体温の状態が確認されただけで、大きなけがはなく、衰弱していた様子はなかったそうだ。ある意味、これは達人の成せる業だ。

なぜ、それが可能だったのか。それは、「大和」君だから、できたのだ。「大和」という心の性質が猪突猛進型であり、深く物事を考えず、ただ生命力のままに動いたから可能だったのだ。それは、人間が難しいことを考えずに本能のままに生きれば、このような生命力が内在しているという証でもある。

これが、「大和」という心の性質ではなく、難しく複雑な心の性質の人であれば、自分で自分を追い詰めていくから、精神状態がおかしくなっていく。彼のような精神構造でなければ、恐怖心が強くなったり、余分な動きを取ることもある。「大和」という、ある意味単純で能天気な心の性質が、ただ単純に今ある状況に合わせ生き延びることを可能にした。だから、その人の精神構造が成せる業なのだ。

現代人の多くは頭の中でああでもない、こうでもないと考えてしまい、考えるだけでエネルギーは衰退していく。さらに、恐怖心や不安からむやみやたらと動き、体力を消耗し、その結果生き延びる可能性が低くなっていく。しかし、彼のようなタイプの人間は、脳のエネルギーをそれほど使わないので、車から置き去りにされたその日のうちに歩いて演習場にたどり着き、夜は宿泊施設の中でマットレスに挟まって寝ながら、施設の外にあった蛇口から水を飲むという生命力があるのだ。

それは、子どもだからそういう生命力があるとも言えるが、人間の中にある本来の生命力は、余分な自我や迷いの心がなければ発揮されるという証でもある。「大和」という子はそういう子なのだ。

「大和」は古代日本国・「ヤマト」に通じる。古代宇宙物理学のカタカムナで「ヤマト」という思念を紐解くと、「飽和安定(ヤ)した間(マ)が、統合(ト)している」という状態を意味する。つまり、可能性を秘めた空間が安定した状態で継続しているということになる。だから、先が観えなくても、不安なく進んでいくことができるのだ。

彼の父親の心の性質からすると、大和君をコントロールすることはできない。あの父親が「大和」という子をしつけすること自体が、親子の因縁のカラクリなのだ。だから、コントロールできないものをコントロールしようとした結果、起こった今回の出来事は、霊的に言えばしっぺ返しを受けたようなものでもある。

この出来事は、そのような霊的な背景を理解せず、父親が息子をしつけしようとしたことから起きている。そういったことが理解できていれば、現世的には父親であるのだから、彼の性質に寄り添いながら、しつけという行為を適切に行うことができたと考えられる。ところが、とりあえず自分の子どもだから、自分の思うようにしつけようと思ったところから今回の出来事が起きたのだ。

大和君が行方不明になった当初は、「山菜採りの最中に行方不明になった」と両親は通報していたが、その後、彼が小石を人や車に投げたため、「しつけのため」として山中に置き去りにしたと説明を変えた。しつけのためと言うならば、なぜ、父親は信念を持って行動しないのか。大和君はよく考えないがために、石を人や車に投げるような行動を取ったのだろう。しかし、彼にはものをよく考えない性質があるからこそ、よく考える人になるよう子どもに接していくのが、親の立場であり、本当のしつけというものだ。彼のそのような行動から、彼は発達障害もしくはADHD(注意欠陥多動性障害)なのでは?とインターネットで書き込みをしている人もいるが、そこでは表面的な出来事を通して安易に診断を下しているように思われる。

今、そういったことを分析して語れる人が、世の中にどれほどいるのだろうか。今の社会では心理学者や小児科医などが、今回のニュースについていろいろと解説しているが、あの出来事は今の時代に欠乏している生命力を伝えているのだ。また、海外メディアも含め、奇跡の結末に多くの感動の声が寄せられ、彼がヒーロー扱いされている反面、「彼がかわいそうだ」という声も多く寄せられている。しかし、それだけでは物事を表面的にしか捉えられていない。

ようやく、出来事の全容を解説できる時代が訪れた。出来事の背景に流れる一人ひとりの人間の性質を把握し、さらに時代の流れを読んでいかなければ、出来事の本質を理解することはできない。そういった物事の本質を掴み取る時代が訪れたことの証として、どこにでもあるしつけ事件の顛末が、時代の流れを示唆しているのだろう。

今、本質を分析できる時代がようやく訪れたのだ。

 

Source of photo: newsnya.com/tanooka-yamato-missing

 


真実を発信していく

ここ最近養蜂作業が忙しく、生活のリズムが狂っていた。そして今日、養蜂の作業が一段落したので、狂ったリズムを整えるために休んでいたら、夢を見ているとも起きているとも言えないような状態の中で、ある意識が浮かんできた。それは「トキが来た」ということだ。

今、インターネット上に、真実を歪めて木の花ファミリーをバッシングしているサイトが横行している。ものすごいエネルギーを使ってここを貶め、封印しようとする力が働いていることに対して、そのエネルギーを逆に、真実を発信していくためのエネルギーに転化できると気付いた。
多くの人が興味を持っているからこそ、ああいったサイトを見る。そこで、彼らが見ているバッシングサイトの情報に対して、その情報の出所の元にある心がどのようなものであり、そこに表現されている現場の実態は実際にはどうだったのかということを提示してあげれば、彼らはバッシングサイトを見ていたのと同じエネルギーで、真実は何なのかということを感じ取ることになる。それは、バッシングサイトが描いて訴えようとしているイメージと実際は違うということや、それを見る自分自身の視点の偏りに気付くチャンスになる。
バッシングが始まって3年目となり、ある程度それが社会に浸透した今だからこそ、トキが来て、そこに表現されたエネルギーは一気に逆転する。うたた寝から目を覚ました僕は、養蜂の一段落と、バッシングが逆転へ転じるトキが同じタイミングで来たことを感じた。

そのタイミングを感じた時に、台所に8個のキジの卵が置いてあるのを見た。それは日中に草刈りをしていた畑隊が見つけて持ち帰って来たもので、ステンレスのボールに入れて流し台の上に置いてあった。巣の周りの草を刈るだけでも、人間の匂いが付いて親鳥は寄り付かなくなる。そこで畑隊が持ち帰って来たのだが、僕はそれを見た瞬間に、そこから生気が湧き出ているのを感じた。あんなにも生きようとするエネルギーがあふれ出しているものを、ステンレスのボールに入れて置いておくということがあるだろうか。
懐中電灯で卵を透かして見ると、幸いなことにまだ分裂を始めていなかった。今から温めてやればまだ間に合う。これは食べるものではなく、命として孵してやらなければいけないものだ。そういうことを感じられることが大切なのだ。

かつて僕はまりちゃんとコンビを組み、合鴨の卵を孵してきた。温度は37.8℃、湿度は50~70%で、1日に5~6回転卵をする。孵化させるのにどれほどきめ細やかな配慮が必要か。それは真剣に向き合わなければできない。
しかしそれは、神経をすり減らすようなこととは違う。コンピューターがやるのではなく人間がやるのだから、命が育っていくのを感じながら、楽しんで、気楽にできるものだ。自然界の親鳥も、トイレに行ったりごはんを食べたりしながら、それでもきちんと命と対話しているから卵を孵化させる。そういうファジーな能力が、人間にはある。感じ取る能力があるのだ。
まりちゃんと卵を孵してきたように、かつて僕はやすえどんとコンビを組んで糀を仕込み、ひろみちゃんとコンビを組んで木の花菌を作り、かずこちゃんと組んで雛鳥を育てた。そうやって人間の持つ能力を研ぎ澄ませてきた歴史が、木の花にはある。それはとても神聖なことであり、そういう場を汚してはならない。

今、僕ときょうこちゃんは、新たなプロジェクトに取り組んでいる。それは、新しいきょうこちゃんをつくること。僕は彼女にこう伝えた。「それはきょうこを壊すこと。自分を壊すことだぞ」と。自分を壊さなければ、奥に眠っているものは出てこない。
これまでのきょうこちゃんは自分のことばかり考えて生きてきて、その姿勢の結果ガンになった。彼女は命がかかっている。それは自分がつくってきたことであり、それをつくった自分自身を壊さなければ、命は取り戻せない。とても真剣なことだが、人間はその段階へ行く時が来たのだと僕は感じている。
このプロジェクトが始まって、最初は僕がきょうこちゃんにヒーリングをしていた。きょうこちゃんは毎日まじめにやって来るが、僕はだんだんきょうこちゃんにヒーリングをする気が起きなくなった。そうすると、逆にきょうこちゃんに、僕に対して何かしたいという気持ちが湧いてきた。きょうこちゃんが僕に癒しを提供することで、きょうこちゃんが癒されている。
僕は最初自分がやってあげるつもりでいたのにだんだんやる気が起きなくなって、この意識の変化は何だろうと思っていたが、そこで答えが出た。そうだ、人のためになるという心をきょうこちゃんに目覚めさせるということだ、と。自分のことばかり考えてガンを作った者が、人のために生きたら、ガンは消える。(「癌」は、品物を山のように抱えてなる欲深な病気と書く。)
何日か続けているうちに、お腹にあったしこりがやわらかくなって、確認できなくなってきた。病院での検査結果がどう出るかはわからないが、今、きょうこちゃんのお腹の中から、悪いものを発している波動を感じられなくなってきた。

僕がきょうこちゃんにやっていることは、単なる病気治しではない。人間の能力を引き出す実践をやっている。それはキジを孵すことと同じだ。
我々がやっていることは、一人ひとりの人格を探求することも、個人の道を見極めることであると同時に、21世紀の人類の歩みにとって重要なことだと言える。それは、一人ひとりの意識が現状の地球の混乱の原因になっていることに気付き、その責任をとるという意味で、個人は自らが地球世界にもたらしている矛盾を一人分解消するべきだ。それを、国や地域のリーダーたちの責任にしている場合ではない。なぜなら、そういった立場の人々を選んでいるのも、自分自身なのだから。そのように、一人ひとりがこの世界に対する自覚を持つことが、次なる新たな時代へのステップとなる。
これからは、我々人間の奥にあってまだ我々自身も気付いていない、人間がこの世界に生み出された目的に目覚めることにより、これまで眠っていた能力が開花していく。それは今、田畑で行われている栽培法の変化(詳しくは木の花ファミリー通信「農業革命」をご覧ください)や、新たなプロジェクトが次々と立ち上がっていることともつながっている。同時に、世の中の人々がここの真実をわからずにいる不幸を解き明かすトキが来ている。この存在を理解できないことは21世紀の損失である。これは本当に21世紀の人類が進むべき方向性であり、時代が生み出した宝だ。

我々が生きていることに対して、自らが理解をしていることはごく僅かであり、生きているということに対し我々は無力である。真実は、存在するとは与えられていることであり、生かされていることである。現代人は、自らの思考の延長線上に生きようとしているがために、この世界から与えられていることを受け取る能力(現代人は脳の10%しか使っておらず、残りの90%は休眠状態にある)を退化させている。その現実を理解し、その状態に自らを貶めている自身の中にある性質と向き合うことにより、眠っている能力を使いだすことができる。
ところが、文明を発展させていく過程で人間の自我が優先するようになり、人々は自らの自我が生み出す欲求に翻弄され、その欲求を満たすことのみに奔走してきた。本来人間の能力とははかりしれないものであるが、自我の欲求を満たすことに囚われているがゆえに、自我により認識されている能力の奥にある、潜在的な力を使うということを怠っている状態だ。それは、今自分が起動させている以上のものはないと思っているからだとも言える。だから自らの枠の中でしかものを考えようとしない。
その場合、自らの枠を壊す作業をしなければいけないが、囚われている人間はその勇気が持てるかどうかだ。囚われという枠を壊せば、その奥にあるものが出てくる。それは思考回路だけでなく、その奥に秘められた潜在能力が出てくる。木の花の中にも、一生懸命やっていてもなかなか流れを読み切ることができない者たちがいる。そこで彼らは僕に「どうしたらいいでしょう」と聞いてくるのだが、そんなことを人に聞いてどうするのか。思い切り悩んで、自らの内にあるクセにまみれた思考回路を壊すところまでいかなければ、その奥にある潜在能力を引き出すことはできない。

一生懸命仕事をすれば、物理的には役に立つ。しかし役には立っても価値は付かない。価値がついて初めて、人は本当に役に立つことができる。それは、今までにないものになるということだ。
これまでは、一生懸命だけでもよかった。しかし、一生懸命に見当違いのエネルギーを使っているようでは、この世界に害がまき散らされることになる。それを、今の時代の現状が表している。そこでこれからは、眠っているものを掘り起こすということをやっていく。我々は起きていてこの世界を認識していると思っているが、その世界で目覚めるということは、実はこの世界が眠っているということだ。その眠っているものを起こすには、自らを壊す必要がある。

これから、人間がこの世界に存在する本当の意味を開花させる時が来る。ここは、それが世の中に先駆けてできる所だ。しかし毎日既製品のような仕事をこなしているだけでは、新しい能力は出てこない。物理的に仕事をこなせているから自分はできていると思っていると、自分を足りない者だと自覚して真剣に向き合い、その奥にあるものを引き出そうとする姿勢にはならない。
日頃はボケていても、ポイントのところはピッと感じられる人間になることが大事だ。ボケているから、キジの卵をステンレスのボールへ入れ、平気で台所に置いておいたりする。それではまるで食材だ。しかし卵からは「食材じゃないぞ!」という生気があふれていた。原始的な人々や食べることを優先する人間はためらうことなく食べるかもしれないが、意識レベルが高くなった人間は、やっていいことと悪いことを、そのものごとに出会った時に瞬時に感じ取れるものだ。この卵は食べて命を終わらせるものではなく、循環を止めるものでもない。自然から奪ったものだから、命として孵るかどうかはわからないが、少なくともその挑戦をしてあげることは、卵にとっても本望だろうと思う。食べられるために野に生みつけられていたわけではないのだ。
そういったことが、直観で感受できる者になる。それは本来当たり前のことで、人間が自然と共にあった時代にはあり続けたものだ。現代人はそれを忘れている。

そして今、我々に求められているのは、その次の段階だ。発信するのは、木の花というのはいったい何もので、何を目指しているのか。
今の世の中の多くの人たちは、それが理解できない。自らの枠の中では解釈できないものを、自らの枠の中でイメージし、創り上げ、それをバッシングサイトで表現している。しかしそれはここの実態ではなく、その人自身の中にある世界だ。

何か現象に出会うということは、自分自身を知ることであり、自分との出会いだということが、人間はわかっていない。出会うとは、自分という現実に出会うこと。自分がない人は自由自在に変化していく。しかしいつまでも古い自分がとれないと、痛い目をして学ぶことになる。ひどいのは、痛い目をしてもわからずに同じことを繰り返す。それが今、人類に問われている。

今、僕の中にはとても重要なことが湧き出してきている。

近ごろ、皆神山が僕の中に浮かんでくる。今年3月、皆神山で特別な生き方を受託していることを再確認したが、その後しばらく日常生活をやっていた。しかし、その生き方をここに表現する役割がある。
これは、人類に目覚めを与える話だ。ネット上の批判のような汚れをかぶっても、この歩みは時代の意志を表した歩みであるがゆえに、止まることはない。今の時代は、自らを振り返らない者たちがその実態をわからないがために、それに立ち向かえば火の粉をかぶることもあるだろう。
しかし今、トキが来ていることは確かだ。この一連のバッシングはなぜ起きたのか。それが天の采配であるならば、それは一体全体何であったのかを全て解き明かし、世に示す時が来ている。それはバッシングをする人々に向けたものではなく、世の中全体に向けるものだ。
これからの時代に、我々は何をしようとしているのか。その価値は未来に行ってみて観えることであり、約束されてから行くようなことでは、自我の納得の上にいるに過ぎない。人間たちはもう、そういうことをやめなければいけないということを表現するために、我々はこの生き方をしているのだから、これは前人未到の世界だ。人間はいよいよその領域に入ったのだということを、この場全体で表していく。

もう、物理的五感を優先する人間を超えなければならない。時代はそれを求めている。これまで以上の段階へ進もうとしたときに、自分を壊せない人間はダメだ。自分の枠を超えられない人間はダメだ。自らの能力を超えたところを開発して、そこを観ていくのだから。それは見せかけをきれいに整えるのではなく、囚われの枠を壊して湧いてきたものを表現するということだ。
そういったことの価値を考えない者にとっては、ここは厳しい場にも見えるだろう。しかしある景色が観えた者にとっては、インチキな場所ではいけない。表面だけを繕っているような場は、嘘だろう。この時代のこの世の中に、なぜここがあるのか、ということを、世の人々に伝えていく。

現代の人々に伝えたいのは、なぜこれがわからないのか、ということ。なぜその視点に立てないのか。これは珍しい話ではなく、当たり前に道理を追っていけばわかる話なのに、それがわからないのはあまりにも思考が狭い範囲に特定されてしまっているからだ。しかし21世紀の宇宙時代を迎える人類は、それではダメなのだ。時代はすでに、この思考回路を元にして創られる時代に入っているのだから。

「現代の人々に対して」と言うと焦点がボケてしまうから、あえてこう言おう。今、あなたに問うている。そこに目覚めることが、次の時代を生きる資格なのだ。
世界のリーダーたちがいくらサミットを開催しても、それは結局は個人の損得勘定の思考回路が国家レベルになっただけで、エネルギーが大きいか小さいかの違いがあるだけで同じパターンをやっている。今の経済にしても環境問題にしてもテロ対策にしても対処療法的なことしか考えられていないのは、思考がとても狭い範囲に限定された損得勘定の上にしか回っていないからだ。しかし、人間は本来、そのような存在ではない。

これは伊勢志摩サミットを超える話だ。あのサミットで、20世紀までの人類が地球にもたらした矛盾を解決する画期的な対策を、何か打ち出しただろうか。
話し合われたのは、経済をさらに発展させるにはどうしたらいいかということだが、今の人類の経済に対する姿勢のままで経済を発展させたら、地球環境をさらに悪化させることになるのは周知の事実だ。にも拘らず、世界のリーダーたちは方や環境問題を語り、方やそれと矛盾する経済発展を追い求めている。そのように欲望を叶え続けることが、この世界の矛盾を連鎖させ、さらに大きくしている。

もう一つおかしなことは、資本主義国家だけが集まり、立場の違う国家を排除して自分たちの利害の元に一方的に世界を導こうとし、それを正義として掲げていること。それが今の世界の現実だ。テロの問題にしても、体制的に相いれない国を否定することで世界を安定させようとしているが、それは自らの利害関係の上に立っている以外の何ものでもない。
このサミットがなぜ行われたのかというと、そのように結束する仲間集めをアピールするために行われただけで、今の矛盾への解決策や、新たな時代の方向性を見出せていない、極めて20世紀型のものだ。そして、なぜ世界のリーダーたちがそろってそのような姿勢をとるのかと言えば、彼らを輩出している国家を形成する国民がそういった価値観を求めているからだ。そこから支持を受けている彼らは、本能的にそういった姿勢をとらざるを得ない。つまり、今の世界の矛盾はリーダーの責任ではなく、国民一人ひとりの責任なのだ。リーダーは、それにふさわしい人だから選ばれただけだ。

サミットでリーダーたちは演説を行ったが、それは表面的で言葉にも力がなかった。背景に自国の世論の圧力があるために、彼ら自身の明快な意志を表すことができないのだ。人々の欲望を駆り立てる時には、欲まみれの人々によって熱狂的な支持を受けるが、どんなきれいごとを語ろうとも、その姿勢に矛盾があっては、結局は筋の通ったものにはならない。背景にたくさんの利害関係が絡み合って、強いリーダーシップを発揮できなくなっているのが、今の世界の現状だ。
オバマ氏もあと8ヶ月で任期が切れるのだから、大統領としての立場を離れて一個人としての本心をあの場で語ったならば、もっと人の心を打つ演説になったかもしれない。しかしアメリカの大統領はスポンサーが多すぎて本音が出せなくなっており、それがアメリカ大統領の限界となっている。そこを突破する可能性があるのが、トランプ氏だ。
トップが民衆の顔色を伺う風見鶏のようになって強いリーダーシップが取れなくなった、ある意味終焉を迎えている国の末期症状として、トランプ氏のような人物が台頭してきた。国民は現状の矛盾に対する言いようのないフラストレーションを抱えており、それが彼らをトランプ氏支持に走らせている。
ではそのフラストレーションとは何か。これまでアメリカという国は、自分たちは世界を平和に導く善の国であるという自負の元にリーダーシップをとってきたが、その幻想が今、崩れようとしている。アメリカ人の中には自らが常に世界のトップに君臨していたいという感情があり、その実態は極めて身勝手で幼稚である部分も秘めている。しかし、対外的には「世界の警察官」という立場をとってきた。そのように、ある意味偽善者をやってきたことにより、国内に矛盾が発生し、豊かな国アメリカの影の部分に立つ人々に言いようのないフラストレーションが溜まり、それが限界に来ている。

これからの世界の国々のリーダーたちは、トップダウンのリーダーシップを取るのではなく、本音で語り合い、我々人間とはいったい何であるのかということを、これまで積み上げてきたものをすべて崩して話し合う必要がある。いじけている北朝鮮のような国も仲間に入れて話し合う。そういった意味では、トランプ氏は金正恩氏と話し合う用意があるというのだから、画期的かもしれない。
オバマ大統領にせよ安倍首相にせよ、今回集ったリーダーたちは今の体制や今までの価値観を守ろうとしている人たちだ。しかし、時代や社会的、環境的背景は、今や、これまでの人類の地球上でのふるまいを否定することを示すメッセージを発し続けている。だから、幻のように欲望の上に積み上げてきたものは、壊れなければならない。そういった矛盾をはらんだものを守ろうとすればするほど、サミットも単なるパフォーマンスの場となり、希望が生まれないどころか、利害の上に集う者たちがいれば、それに対抗する立場の者たちとの対立を深めることになってしまう。

オバマ大統領は、今回のサミット参加直前に、かつての敵対国であったベトナムを訪問し、友好の証として武器輸出の商談を成立させた。自らの強い望みとして核兵器のない世界をうたい、核兵器の拡散を防ぐと言いながら、その一方で通常の兵器を拡散し充実させており、その上に平和な世界を実現するという矛盾を語っている。
そして、核兵器のない世界を実現すると言いながら、すでに核を持っている国に対しては保有を認め、持っていない国には核を装備することを禁止する。事実、核兵器をなくすことに反対しているのは、核保有国だ。そのように矛盾している国々が国連の常任理事国であり、拒否権を持っている。こんなにも道理の通っていない世界秩序があり続けることを、おかしいと思わないのですか。みなさん。
そしてまたオバマ大統領は、かつて自国が核兵器を落とした地へ行って戦争の愚かしさや核をなくすことを訴えながら、その直前に米軍の岩国基地で行った自国軍への演説では「あなたたちは国家を支える重要な人たちだ」と激励し、やる気を起こさせている。軍人にやる気を起こさせるとはどういうことか。これが核兵器廃絶を願い平和を訴える者の、矛盾でなくて何だろうか。

しかし同時に、その訪問を受ける側の国の人々も、かつての敵国のリーダーが来たことだけで喜ばしいという、温厚なのかお人よしなのかわからない姿勢でいる。怒れとは言わないが、少なくともその言葉の奥にある実態を感じ取るだけの直観力を持ちたいものだ。
世界各国の代表が高級な車に乗り現れるのを見て、この国の人々は偉い人たちが来たと思い迎えたかもしれないが、アメリカ大統領の車はロケット砲でも通用しないような戦車のような車であり、戦艦が空を飛ぶような飛行機やヘリコプターを使い、常に厳重な警備の元に行動しなければならず、そういった立場に立った者の不幸というものがある。そしてその立場は、自らが招いている。そのような背景を知っていたならば、彼らをただ微笑ましく迎えるばかりではないとも言える。
そして今回のサミットには、600億円の費用がかかったと言う。それで世界の経済を発展させると言うのだが、ロシアも中国も参加していないのに、西側諸国だけが集まっていったい世界経済の何を語るのだろうか。この2日間のために28億5千万円をかけて建設されたメディアセンターは、サミット終了後には取り壊されると言う。そういったお金の使い方をしながら、一方では災害復興や原発の廃炉のための資金が必要だと言い、毎年大量の国債を発行して借金を増やし、消費税を増税すると言ったかと思えば、選挙の前にはそれも先送りする。やっていることが滅茶苦茶なのだ。

今、日本ではSEALDsのような動きがあるが、香港の傘兵の他、台湾やフィリピンなどアジアの各国で、若者たちが今の政治に疑問を投げかけ、新たな動きを起こそうとしている。しかしそれは、次の時代の呼び水にはなるかもしれないが、現行の体制に対する反発として条件反射のように出てきたものであり、それ自体が新たな時代のあり方として出てきたものではない。つまり、20世紀型なのだ。
香港の若者たちは中国の体制に反発し、ガンジーの非暴力を掲げているが、実はそれもまた暴力だ。なぜなら、そこには対立軸があるから。彼らは優秀で、いずれ政治家になるのかもしれない。しかし世の中を変えるということからすると、彼らは今の体制があるからこそ、そこへの反発をエネルギーとして出てきたのであり、彼らの中から独自に新たなものが湧き出しているわけではないのだ。

もう新たな時代が地球上に来なければいけないのに、そのための指針を示せる場所が、世界中のどこにもない。19世紀、20世紀に発生したイデオロギーは、社会主義でも共産主義でも資本主義でも、人々の実際の生活につながっていた。ところが最近台頭してきたイデオロギーは、生活に密着していない。何か強大なものに対する反発として発生しており、単なる闘争になっている。
それをもう一度、生活に落とすというところへいかなければいけない。それを生み出すのは、智恵だ。イデオロギーも本来智恵であるはずだが、20世紀型のイデオロギーは智恵ではなく、怒りのエネルギーが元になっている。それが智恵となって湧き出した時に、若者たちは実際にその生き方を始めるだろう。そこがまだできていないから、今の若者たちの動きはまだ次の時代の受け皿にはならず、ただ大人たちがやっていることへの反発となっている。
香港の若者たちは中国の体制に反発し、それを壊そうとしている。それは体制側が今の状態に執着しているからこそ、それを壊そうとするエネルギーが働くのだが、そうしている若者たち自身も同じ立ち位置にいることに気付き、自らを壊さなければいけない。なぜならそれは、執着と執着の対立だから。これはかつての西側対東側、共産主義対資本主義といった構図も同じで、双方が共に壊した時にこそ、新しい世界を創ることになるのだ。

これはおもしろい分析だが、こんなことを語る年寄りの存在に若者たちは気が付かないから、なかなか伝える機会もない。この視点は彼らの情熱に水をかけるようなものだから、熱く燃焼することに邁進している彼らが、水をかけられるようなものに興味を示さないのも仕方がない。しかしあのままいくと、そのうちに火傷することになるだろう。

我々がやることは、ウケ狙いではない。ニセモノだらけになってしまった今の時代に、真実を、生命エネルギーを乗せて表現していく。
我々がいかに、土に触れ、自然と向き合いながら生きるということをやってきたか。そのエッセンスがここにはたくさんある。それと対話する能力をこれから開花させ、広めていく。机上の空論で理想郷を語っても、現実に成るわけがない。成るとは、地球はそもそもそういうところだということに気付くということだ。

久しぶりに、天の扉が開いた。
最近は上を見ると天井が見えていたが、久しぶりに天井を突き抜けて、その奥が観える。

これは個人的な偏った見解ではなく、必ず近い未来に人類が体験することを予言として語っているものである。それを感知できるような人類でなければ、これから訪れるであろう更なる困難を乗り越えることはできない。

 

 

 


誰もが心を探求するスペシャリストとして生きる時代

4月29日にBSフジにて放映された「アキレアの橋 体操・白井健三」という番組と、5月2日にNHK総合にて放映された「プロフェッショナル 仕事の流儀 松岡修造×スーパー高校生スペシャル」を観たいさどんは、みんなでこの番組を観ることを勧めました。その数日後、二夜に渡ってみんなでそれぞれの番組を観た後、三日目の夜の大人会議では「革命は一人ひとりの目覚めから起きる!」のブログがシェアされました。その後、いさどんは次のように語りました。

――

この映像を観ていくと、アキレアの橋からは白井健三くん、それからプロフェッショナルからはピアニストやゴルファー、プログラマー、そしてボクサーが取り上げられていました。僕は、みんなに彼らを目指してほしいという想いで、この番組を勧めたのでありません。まず、彼らのような人たちが現れる時代になったことをみんなに知ってほしかったのです。ただ、彼らも普通の人間なのですよ。そこで僕は、「彼らとみんなとの違いは何なのだろう?」と思いながらこの映像を観ていました。

それは、彼らはストッパーを外したということです。

今回の映像では出てきませんでしたが、高校生の頃からその活躍が人目を引いていた羽生結弦くんがいますね。彼は昨年11月に開催されたNHK杯でショートプログラムとフリープログラムをあわせた総合得点で史上初の300点越えをし、その2週間後にスペインのバルセロナで行われたグランプリファイナルでは、さらに記録を更新し330.43点をマークしたのです!ここ一年ぐらいは280点を越えたら金メダルの時代だったのですよ。ところが、羽生結弦くんがNHK杯のショートプログラムで史上初の100点を越えたのです。当時、これは信じられないことが起きた!神業だ!と言われていたのですが、今年の4月に開催された三大陸対抗団体戦で18歳の宇野昌磨くんが公認大会で初となる4回転フリップに成功し、ショートプログラムで自己記録となる105.74点をマークしたのです。

このように、今の最高記録はどんどん更新されていくものなのです。誰かが今までになかったことを成し遂げると、それまでの目標が改められ、新たに記録を塗り替えた人がみんなの目標となるのです。そしてその度に、みんなのストッパーが外れていくのです。これからも、そういったことの連続です。

ところが、多くの人間には「自分にはできない!」とか「わたしなんか!」というおかしな心があり、そのようなストッパーを持っているのです。ある意味、それがその人らしい生き方とも言えるのですが、その自分らしさの中に自分を閉じ込めてはいませんか?

僕は、みんなが白井健三くんになれとか、羽生結弦くんになれ、と言っているのではありません。あなたらしい人生の目標に限界はない、と伝えたいのです。限界は、今の自分がつくっているだけなのです。どこかで人は、「自分はこんな程度だ」と考え、それ以上やろうとしない心があるのです。

もし、もっと自分を花開かせ、可能性を観てみたいと思うのであれば、そのストッパーを外すことです。そのためには、自分を客観的に観えないといけません。人はとかく、今までの経験を元にして、ある時点から「わたしはこういう人だ」と自分を決定し始めます。しかし、経験を積むことはストッパーを外すためにあるのです。それなのに、人間は自我があるがために経験を所有し、それを常識にして、その枠の中にい続けようとするのです。未来は今までの経験を超えていくためにあるのですから、今までの経験を活かすことはいいのですが、それを固定してそこから結論を先に決めてはいけないのです。

それが、自我の乗り越え方です。

今回の映像を通して、新しい世代の人たちが、たとえば音楽はこういうものだというストッパーを外し、先生を超えている発想をすでに持っていることを僕は感じました。そのようにして、彼らは自らの可能性を開花させているのです。21世紀に入った今、若い世代の人たちが人間の可能性をさらに広げようとしているのです。

ただ、そこでひとつ、懸念することがあります。それは、「革命は一人ひとりの目覚めから起きる!」にもありましたが、人間の可能性を広げることは、人類に貢献するためにあるのです。もしくは、生命として地球に貢献するためにあるのです。ところが、映像で取り上げられていた人たちの段階では、まだ世界が狭いので、自分の能力の開花だけを目標にしています。確かに新たな時代は訪れているのですが、まだまだ個人の願望の上にそれが表現されているのです。ひとり、プログラマーの彼は「人類の進歩に貢献することをしたいと思っていて、ただお金儲けをして億万長者になるよりも、人類を前に進めたほうがかっこいいと思ったのです」と言っていました。僕は彼の未来を楽しみにしています。彼が語っていることが、近年における人類が到達すべき目標です。

先日、40代の女性の相談を受けたのですが、僕が彼女に伝えたのは、「あなたは能力が高いのですが、その能力は宇宙や地球生態系の構造、そして時代の流れと一致していないのです。だから、その高い能力があなたの人生の中で問題事の種となってしまうのです」と伝えました。そういったことを怠っていると、この世界の仕組みではその人が発生させた矛盾の分だけ、人生に滞りが起きるようになっています。そういったことが明快に示され、それを感じ取る人々が今の社会に現れてきています。ですから今、人類はそのように生きていく時代に入ったのです。

ここには、これからコミュニティをつくりたいという人たちが訪れますが、僕は彼らにこう伝えます。「この世界は無限の生命の循環によって成り立っているのですから、コミュニティはつくるものではなく、時代とともに成っていくことなのです。時代が表現されていくときに、人間一人ひとりはその時代を表現するためにふさわしい役割を与えられ、生まれてきているだけなのです。ですから、それは自分がやりたいと思ってやることではないのですよ。逆に、強くそういったことを望んでいるような人は、そのこと自体が自我が強い表れですので、コミュニティに不向きな人と言えます。」

しかし、そういった人ほど、自らの実態が観えない人が多いですね。このように今、人間の意識が真に変わるときが来ていることは確かです。

今の人間社会は、矛盾が山積しているように見えます。しかし真実は、この世界に間違いなどひとつもありません。正義も悪もありません。もしそこに問題事があるとしたら、それは「無知」であるということです。無知であることが問題の根本的原因です。そして、それはどのような無知なのかといえば、この世界の成り立ちに対して無知であり、自分自身の存在に対して無知であるということです。

それに対して、知恵を持っている者とはどのような者なのでしょうか。それは、無知は無知でも、「無限なる知恵」を持っている者のことです。無限に経験を積み重ね、知恵を得て、成長していく者であり続けるということです。そういった精神に到達したときに、人間から個人の願望を実現させたいという意識が消え、宇宙生命として生きることになるのです。

そのために人間が取るべき姿勢は、時代から受けている使命を果たし、この世界から受けている自分たちのポジションを担うことです。それが、わたしたちが存在する意味なのです。自分は全体のために存在しているのですし、全体は自分を存在させてくれているのです。それが一致したとき、わたしたち一人ひとりの健康が実現し、真の平和が地球上に訪れるのです。

人類はいつそういったことに気付くのだろうと僕は思うのですが、今度オバマ大統領が広島を訪問しますね。広島へ行くのであれば、長崎にもぜひ足を運んでいただきたいと僕は思います。これは世界中が今、注目しているトピックです。彼が急に広島へ来ることになったのも、時代がドッと動き出した感じがしています。これは日本の都合やアメリカの都合で、オバマ大統領が広島を訪問するのではありません。これは明らかに、時代が次の段階を迎える前兆だということです。

それで今日の映像の話です。彼らはこれまでの常識や、「これが今の世界の最高だからこれ以上はない」といった発想を無視し、そういったスイッチを切った人たちなのです。これも、新しい時代の人たちが始めたことです。

そこで、わたしたち木の花ファミリーは今の時代にどのような役割をいただき、そしてどのようにスイッチを切っているのでしょうか。それは、「自我」のスイッチを切っているのです。自我のスイッチを切るからこそ、このような暮らしが可能になるのです。ここではすでに、みんなでお財布ひとつで暮らしていますね。自分のものをみんなと共有していますね。そして他人の子どもを自分の子どものようにかわいがり叱ったりしますね。そういったことを世の中にいるどれだけの人ができるのでしょうか。そのような区別のない世界は、すでにここで実現されているのです。

しかし、自我は粗いものから細かいものまでたくさんあるのです。そうしたら、彼らが毎日自分の能力の限界まで挑戦しているように、わたしたちは毎日ひたすら自我と向き合い、自我をきれいに取り去る心のスペシャリストとして、「えっ!!人間にそこまでできるの??」という境地にまで到達したいものです。

そういったことをイメージして、僕はこの映像をみんなで観ることを勧めました。彼らはピアノやコンピューター、アスリートなどの分野で新たなストッパーを外しながら活躍していますが、わたしたちは心のストッパーを外すスペシャリストなのですから、そういった意味で、わたしたちは白井健三くんや羽生結弦くんと同じなのです。わたしたちは心を探求するスペシャリストであり、人類の未来の見本として生きているのです。

時代は、確実にストッパーを外しながら紡がれています。ですから、「自我」というストッパーを外すことが、わたしたちが生きている真の姿であり、目的なのです。そして今、時代は誰もが心を探求するスペシャリストとして生きる段階に入ったのです。

自我のストッパーを外すことを優先できる人は、時代と共に生き、時代に貢献できる人です。

 

 


革命は一人ひとりの目覚めから起きる!

5月3日、533(いさみ)ナイトに先立って、木の花ファミリーでは毎年恒例の田楽田植え祭りが行われました。その時のいさどんの挨拶をご紹介します!

乾杯の前に挨拶をするいさどん ー 田楽田植え祭りより
乾杯の前に挨拶をするいさどん ー 田楽田植え祭りより

今年も毎年恒例の田楽祭がやってきました。先程、降神祝詞が奏上され、日常生活からは程遠いような神事が執り行われましたが、実はこれも日常生活なのです。わたしたちは人間ですから、いのちですよね。そうすると、地球の循環、そして他の星との宇宙の循環の中にわたしたちは常に存在しています。それが、わたしたちの日常なのです。

近年、人間は能力が高いがために、この地球を人間だけのもののように考えている傾向があります。そういったおごりの心が今、いろいろな意味で人間社会に行き詰まりをもたらしているのです。

ツケをそのままにして先に進むと、矛盾はあり続けます。そして、人の心が二極化する世の中がこれから訪れようとしています。つまり、今までの時代に興味を示さない若い世代が矛盾を無視し新たな時代を創っていくのに対し、今までのツケがこれからクローズアップされていきます。若い世代からすると、それは自分たちが残したものではないから責任を負いたくないと思っていますし、だからといって現実を見ても夢がないので、新たな価値観のほうに逃げようとしてそちらの方へ意識を向けてしまっています。そして、ツケを残してきたことに責任ある世代もそのツケを残しただけで、ツケの大きさを意識しない者もいれば、自分たちの犯してきたことに対して償いをしようとしない者もいます。また、どうにかするつもりはあっても、そのツケはどうにもならない段階まで来ているのです。

マスコミもそれについて報道はしますが、どのようにその矛盾を解消するのかという方法は見出せず、世論にそういった空気が起きないので手をこまねいて見ている状態です。矛盾を見てそれを償おうという気が起きないために、これからしばらくの間、二極化したおかしな時代が訪れることでしょう。本来ならば、そのまま素直に次の時代に移行すればよいのですが、これは移行期に現れる現象とも言えるのです。

今までの時代は、人間の可能性の探究の時代でした。人々はエゴを花開かせ、そのことによって夢見てきた時代でした。そして今、エゴを花開かせたツケの実態を知った者たちは、どうすることもできず呆然と立ち尽くし、そのツケを先送りにしている状態なのです。このツケは、もはや一部の者たちがどうにかしようとしてもどうすることもできない段階まで来ています。今の時代の主力の人々も、その異常さに唖然として対策も打てず、どうすることもできないのです。

昔の美しい自然をもう取り戻すことができないように、人間社会もツケが大きくなり過ぎてしまって、このまま放っておいて健全になっていくことはもはやありえません。矛盾が自然の中に蔓延してしまったら、それは解消できないのです。本来、自然のものであるならば潜象界へ還っていくのですが、人工のものはサイクルが長いので、浄化されるのにかなりの年月を要するのです。

人間の欲望が膨らみ過ぎてしまった今の世の中に対して、唯一の解決策は一体何でしょうか。それは、個人が全体意識に目覚め、一人ひとりが自らの分だけその責任を取ることです。そうすると、その意識のウェーブが起きて、解決に向かうことでしょう。

最近、財政健全化計画の話題が取り上げられなくなったのも、それは状況がどんどんひどくなっていくばかりで、それを言っても仕方がない状況になっているからです。社会全体がそのような状況になっているのです。

だから今、その唯一の解決策として、革命しかないのです。この革命は、一人ひとりの目覚めから起きます。これはその意識のウェーブの革命です。個人を観てみると、行き詰まりに出会い痛みを伴って目覚める者もいれば、「これはこのまま行くとダメだ!」とまだ行き詰っていないのに積極的に改善する者もいるとしたら、これからの時代はまだまだ前者の方が多いのです。それは愚かしいことでもあるのですが、今の状態がリセットされるために、わたしたちは行き詰まりや問題事に出会うようになっているのです。

そうしたリセットがどこまでも成らないとなったら、これは地球的矛盾にもなるので、天変地異や異常気象の力によって成るということなのでしょう。いずれにしても、地球にとっての自己矛盾でもあるのですから、これは時代と共にリセットしなければならない時が来ているのです。そういった意味で、霊的に地球を導いている存在たちの力だけでは、もはやどうしようもならない段階まで来ているということなのでしょう。

宇宙的に観れば、そういった現象はすべてダイナミックな波乗りのようにも捉えられます。それを小さく区切って捉えれば大変なことになってしまうのですが、そこを超越してしまえば、地球に起きたいろいろなウェーブの中のひとつにしか過ぎないのです。

わたしたちは自分たちだけを見れば小さな存在ですが、こういった小さな集いが大きくなって、世の中に問題をもたらすこともあれば、逆により良い社会を創るきっかけにもなります。人間が自然からいのちをいただき、他のいのちと循環し調和していることを表さない限り、天変地異や異常気象はこれからも起こり続けることでしょう。そして、自然からの警告だけではなく、人間社会の中だけでも矛盾が発生しているような今の世の中で、こうやって毎年自然に感謝し、自然からいのちをいただいていくことを天に誓い、自然とともにあるという謙虚な心を大切に生きていきたいものです。そういった意味で、今日をいのちをいただく儀式のはじまりとして、この一年を過ごしていきたいと思います。

ぜひ、これを機会に木の花ファミリーの健全な成り立ちと豊作だけを願うのではなく、豊かで平和な世界が訪れることを共に願っていきましょう。

 

〈田楽田植え祭りより〉
宮ノ下1

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