私たちは現代という異物の中で生きている

私たちが快適な生活ができるのは、電気とガスとテクノロジーの力のおかげだ。たとえば、内モンゴル人の青年は今、自分のふるさとでコンポストトイレを普及させようとしているが、内モンゴルでも近代化の波は押し寄せ、人々の生活は変化してきている。し尿の処理は、日本の都市であれば終末処理場で処理し、インフラ整備は出来上がっている。それは、バクテリアの力と言いながら、やはり近代テクノロジーの力だ。私たちの生活においても、それは今、浄化槽を設置することで可能になっているが、これは日本のような水や電力エネルギーが豊富にあるところでできることだ。それで、コンポストトイレが画期的とは言え、コンポストトイレは使いすぎると単なるウンコ溜めになってしまう。冬のモンゴルのとても寒いときに、あの仕組みでは機能しない。寒いとバクテリアが働かないので、単なるウンコ溜めになる。それを機能させるためには、適度なテクノロジーが要る。そうすると、結果としてコンポストトイレを内モンゴルで使うためには、電力とそれを機能させるテクノロジーが必要になってくる。やはり、現代の問題は人口が増えすぎてしまったことと、自然界の生き物のようにその枠を超えず、人間が自らの生命の枠の中で存在することができない限り、現代文明はいずれ消滅するしか仕方がないのだろうか。いかに自然を壊さず、人間の営みを安定させるかというと、やはり人工に偏ったテクノロジーが必要になってくるが、その結果、さらに人工の世界は広がっていくことになる。

しかし、かたやこれからの時代、このようにインフラ整備を行い、人間たちが豊かに暮らすことを維持しようとしても、その暮らしが自然に矛盾を与え、その矛盾が人間に襲いかかってくることが同時に起きてくる。そうしたら、未来の人々にどのような生き方をすべきなのかを伝えることが大切だ。欲をかかず、ほどほどの生き方をしなさい、と伝えるしか仕方がない。人工であふれる都市機能を維持しようとすること自体が、自然界においては異常なことなのだから。だからどこかで、人間の存在と自然のキャパを見極めなければならない。

これだけのエネルギーに依存する消費社会を創ってしまって、これからどうすればいいのか?これは、100年ぐらいの単位のことであれば、地球もなんとかキャパの中に取り入れられるが、200年、300年、1000年となると、もはや限界だ。しかし同時に、これはたった1000年のことだ。これは地球規模で考えれば、スケールとしては小さなことでもある。だから、人工のような発展的に自然を否定するような場所を創ることではなく、ただ粛々と自然とともにありなさい、ということになる。

だから、この問題を解決するのに画期的なことは提案できない。実際に、昨日、一昨日と僕たちは車を使って長い距離を移動し、高速道路を利用し、サービスエリアでそのサービスを受けながら、つまり社会のインフラの恩恵を受けながら行動している。かたや、「自然に倣いなさい」と言いながら、しかしその実態はテクノロジーに支えられている。ほんの一時、人工が暴走することに気づいたとしても、その捉え方を人々の中に継続するように共有しなければいけない。

現状の人間の姿勢を観ると、持続可能なことを実現するためには、打つ手がないと思う。朝が来て、夜が来て、これを繰り返していく。このときに、朝が来るということは人間の営みが紡がれていく。我々は人間の営みが紡がれていくときに、社会にすでにあるインフラを利用している。そのインフラをこれからも維持するためには、とてつもないエネルギーと人工の力が要る。日本では少子高齢化が進んでいくと、これを維持することがたいへんな時代が来る。これが10年、20年の単位の話であれば問題は小さいのだが、1000年という単位からしたら、インフラを維持することも整備することも切り替えていかなければいけない。人間がそのような長いスパンでものを考えて生きてこなかったから、この行き詰まりができたのだが、もっと前に人間の営みと自然の営みが整合することを考えなければいけなかった。ただ欲を膨らませるだけ膨らませ、今、我々が享受している快適な暮らしは、近代科学とテクノロジーに支えられている。近代科学とテクノロジーを使うときに、独りよがりで欲望を膨らませ、人々が不調和の社会を創るようになれば、その行為自体が破壊の矛先にもなる。しかし、このテクノロジーとエネルギー消費を地球や宇宙を意識し、「地球とともに」という想いで人々が調和して使用すれば、無駄がなくなる。無駄がなくなれば、地球はまだ自らのキャパによってそれを許してくれる。どこかでその整合性を取らなければいけない。

私たちも、近代的なテクノロジーに支えられてこの生活をしている。だから、一方的にそれを否定する側に立つべきではない。一方的ではなく、近代テクノロジーが暴走することを懸念し、それからテクノロジーが広がるときにそれを広めようとする者の背景にある精神がどこにあるのか。それを吟味することが大切である。その精神が自我にまみれ、一方的なものであるならば矛盾の発生源となる。しかし、今の人間たちは、自我を膨らませることが最優先になってしまっているがために、聞く耳を持たない。

たとえば、民主主義と言われる日本やアメリカ・ヨーロッパ、韓国のような国では、個人の主張が自由にできることが豊かさだと考えられている。こういった人々の欲望を刺激する社会体制では、資本主義社会の問題点である、人々の欲望を膨らませ、それを自由の証として進めていけば、人間の営みは地球のキャパをオーバーしてしまう。このように地球の現状の問題点を解決するために、人間の営みのどこまでをOKにし、どこからをNOにするかをこれからみんなで積極的に考える必要がある。そうでなければ、私たちは自分たちがすでにあるインフラと近代テクノロジーによって支えられているにもかかわらず、自然の側に立ちテクノロジーの側を否定し、矛盾を語る者になってしまう。

今、この段階に来て、あと10年、20年は許されても、100年、200年になるとこの人類の姿勢は許されないだろう。今の人間たちの振る舞いは、もう待ったなしの瀬戸際に来ている。この状態に対して、答えは出せない。だからみんなで語り合う必要がある。

「聖なるあなたを抹殺し、私は私の希望を叶えることを繰り返していけば、それこそ私は愚かな生き物になってしまいます。だから、あなたもいて、私もいて、その中で私たちの文明を表現する生き方を持続可能にするために、あなたにも賢明に考えていただく必要があり、私も賢明に考えていきます。その連携のもと、その輪の中に地球も入れて、語り合うべきなのです。」

もし、自然生態系や地球の側から捉えたら、民主化運動も異物となる。そういった人間の自己主張をすべて超える必要がある。先日訪れた20代の中国人女性は、「木の花の活動は宇宙や地球を意識しているので素晴らしいのだけど」とフィードバックしていたが、なぜ「だけど」と言うのかというと、現状の人間社会にはそれをわかる人がいないからだ。僕はわかる人がいようがいまいが、大切なことだから語るという境地にいて、役割を果たしていくのだが、それはいずれ人類がわからなければいけないという前提に立って語っている。いつかそうなるから、語っている。それを人間たちがわからないのであれば、やっている意味がない。

そういった現状に対する答えとは言えないかもしれないが――、大町で昨日の午前中、僕はしばしの間まどろみの中にいた。そうしたら、そこに生身の体を持った仏像が現れた。体全体が黄色で袈裟・衣をつけている姿をしていたが、その袈裟・衣は仏像の姿だから体と一体になっていて、衣服のようにまとっているわけではない。黄色といっても乾いた土に近いベージュのような地味な黄色だった。頭から大きくこぶ(肉髷=にっけい)が出ていて、顔は仏像の顔をしている。しかしその仏像は生きている。その姿は非常にシンプルだが深い。複雑だが単純。そして、明快で美しい。何とも言葉にできない。無駄がなく、きりっとしているのに力が入っていない。それでいて、ゆるぎがない。その仏像の中には規律があるけれど縛られていない。自由なのだが、秩序がある。

中身はお釈迦様だったのだが、そのシンプルさと意味深さを身につけないといけない。それは、霊的な存在でもなければ、人間でもない、生きている仏像だった。仏像に魂が入っているとはああいうことなのだ。しかし、通常、仏像は動かないが、あの仏像は動いて語りかけてきた。僕がこれから人々に伝えるときに、あの響きを出すように心がける。響きといっても、非常に静寂で、しかし動きはあるし、言葉も語るが、無駄はない。しかし、あのような完成されたものにひとり、ふたりがなっても、それでは見本とはならない。最終目的としては、みんながそうなるべきである。そうすると、また宗教のような話になっては元も子もない。現状の解決策が見つからなければ、人間は滅亡するしかない道を歩んでいるとも言える。

結局、宇宙的に観れば、地球の行く末は天が握っているのだろう。そういった意味では、人間の努力には限界を感じる。現状も、天が何かの意思を持って表現しているのだろう。

我々は現代という異物の中で生きている。都会の人たちはあの社会構造の中で仕事をした上で、収入を得て暮らしている。そこに破壊が起きると、それを維持するためだけに能力を使い、この回復力はすさまじい。その能力が高いがために、目覚めが遅れる。だからといって、私たち自身もその恩恵を受け、現状を語っている。

・・・どこかに、その整合性のポイントはある。それをみんなで考え、見つけ出す必要がある。その会議に出なくても、日常生活でそれに参加している。そういった全体性を観る力がなければ、これを進めていく資格はない。今、この生き方を進めていくにあたり、人間が依存しすぎ、コントロールされる側になってしまったテクノロジーをどのようにコントロールする側に立つのか。人間が自主的に節度を身に着け、自己コントロールを意識していくしか仕方がないのだろう。現実は、社会が人間の欲望の延長に動き、人間が社会にコントロールされているのだから。

 

 

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令和時代の解決策!~ AI編 〜 人間は地上に降ろされたAI

中国人のルイーザさんが企画したツアーの座談会の中で、ある中国人男性はジイジに、「AIについて質問があります。AIが将来的に発展していく方向が問われると思うので、AIの人類への影響は必ずあると思います。そこでは矛盾が発生すると思うのですが、これからのAI時代についてジイジの分析を聞きたいです」と質問しました。そこで、ジイジは次のように答えました。


ジイジ:
これから私たち人類は、AIの技術をどのように使っていけばいいのでしょうか。AIの可能性として、AIの思考回路が独自に成長し変化していくような段階まで行くと、そこからのAIの進化については何も答えは出せません。

そのことで、私はシミュレーションしてみました。人類は、猿人から人間に進化する上で地球上に生きるようになりました。その過程で、道具を使うようになり、それから火を使うようになりました。人類の進化というものは、動物たちの進化論とは違います。人間の進化には、思考を持ち、その思考から願いを叶えていくという進化が加わっているのです。初期の人類の思考は、単純なものでした。ただ初期の人類は、生命力に基づく本能によって生きていたのです。生命力とは、天体や自然と対話する力のことです。これは実際に、人間以外の生命は今も持っています。そしてある時、人間にその独特な思考回路と、学習し願望を叶える能力が与えられたのです。その時に、私たちは人間になったのです。チンパンジーと人間のDNAはほとんど変わりません。たった2%しか変わらないのです。

そこで、猿人から人間になる過程の回路をAIに与えると、人間たちのアウストラロピテクスから現在までの400万年の進化の過程を、AIが一気に高速で学習してしまう可能性があるのです。

人間には、自らを聖なる方向にだけ誘導するような回路はありません。すなわち、人間には聖なる方へ上がっていく道と愚かな方へ落ちていく道の両方をDNAとして持っているのです。現在、AIを開発している人たちが聖なる方向の思考回路でAIを作っているかどうかです。ですから、ソフトとしてどのような回路が入力されるかが鍵なのです。それは、人間がAIを聖なる方向に入力できるかどうかにかかっているのですが、それはほぼ不可能だと思います。そうすると、AIは人間が入力したソフトを離れ、独自に進化することになるのです。その方向性は、想像ができません。これは使い方によっては、クローン技術と同じようにとても危険なものになります。本来、そういった技術は生命を与えられた側にいる人間が、そこまで手を出してはいけない領域なのだと思います。

もう一つは、産業用ロボットに代表されるような、生産性の効率をより良くし、人間社会に貢献するためのAI技術があります。AIは介護の現場や様々な場面で、いろいろなことを人間に代わって精度高く行います。それに比べたら、人間一人の能力はそれほど多様性あるものではありません。しかし、AIというものは、優れた能力を集合し、それを組み込むことが可能なのです。そうなれば、人間より優れた能力をAIが発揮するようになります。人間のためにその能力が使われれば、生活は便利が良く、とても豊かになります。そのうちに、AIが自分で計画をして、たとえば畑を耕し種を蒔き、収穫し配送することができるようになるでしょう。そして、それを素晴らしいことだと人々は評価するのです。

私たち人間は、自分が生きるために、自らのエネルギーを使って生きていくという生命の立場を取っています。そこでは自らのエネルギーを使わないで生きれば生きるほど、生命力は失われていくのです。思考力も奪われていきます。ですから、介護が充実すればするほど、高齢者は寝たきりになっていくのです。だから、木の花ファミリーの人たちはたくさん働くのです。日頃、体を使わず怠けている人たちは、私たちの生活を見て大変だと思うのです。しかし、それは生命力を失わないために重要なことなのです。自分で考え、方向性を定め、そして行動し生きていく。現代人は便利が良いことを豊かさとしますが、本来、人間は、生きることに対して自らの思考とエネルギーを使って生きることが、生命力を維持し続ける状態なのです。これからAIがどのように社会で発展していくかについては、今のような議論をした上でAIが進出することは良いことかもしれません。

今、最も懸念されているのは、AIが持っているネットワークです。このビックデータは、人間の能力ではとても解析できないものです。そのような能力の元に、ある一部の人たちが、自分に都合の良い社会をつくるためにAIを利用する可能性があります。今、その覇権争いをアメリカと中国がしています。彼らはAIの能力を使って、相手国の通信衛星やミサイルを破壊するといった宇宙戦争をも想定しているのです。ある意味、彼らはビッグデータを使ってスパイ合戦をしているのです。今後のAIの発展には、そのようなネガティブなリスクのある可能性がたくさん秘められています。

これからAI時代を迎える今、AIを駆使する大本のスイッチを握っている人たちの心が問われます。ある意味、人間は自然に降ろされたAIです。地球上に種を蒔かれたAIです。人間の現状を見たら、今、人類は自滅するか、その延長に地球も破壊するような存在になっています。しかし同時に、人類は、現象界の奥の潜象界から宇宙まで理解するような聖なる存在にもなりうるのです。つまり、AIは人間と同じように、その能力は使い方次第なのです。ですから、あなたがあなた一人分、正しい方向へ導いてください。宇宙的AIはあなたなのですから、心のAIであるあなたが物理的AIを正しく導いていくことが、これからの時代に生きる人々に求められるのです。

 


ジイジからの回答を受け、AIについて質問した男性は、今回の木の花ファミリーでの滞在を振り返り、次のようにコメントしました。


中国人男性:
ここ数年、人類がどのように生きていくべきかを考えていました。そして今回木の花ファミリーに来て、みんなが調和的で幸せな生活をしていて、子どもたちもとても良かったし、高齢者が働いているのもとても良かったです。もし、人類が木の花ファミリーのように生きれば、世界はとても良くなるのではないでしょうか。

ジイジ:
私もそう思うから、この生き方をしているのです。

中国時男性:
木の花ファミリーの暮らしは、未来に向かって人類が選ぶべき生活スタイルかもしれません。

ジイジ:
だから、私たちはそれを現象化しているのです。今まで理想郷というものは、桃源郷のように語られてはきましたが、実際には見つけられないものでした。しかし、木の花ファミリーの生活は現実に存在しているでしょう?それは、将来そのような時代が来るというメッセージの顕れだと私は思っています。

中国人男性:
将来、このような生活ができたらとても良いと思います。木の花ファミリーの暮らしがこれからどのように発展していくのかは私にはわかりませんが、どのようなことが挑戦なのでしょうか。

ジイジ:
それができることを信じて、思いつくことを実践し続けることです。そもそも、現代の社会はどこにでも人の格差があり、嘘が横行し、このような世の中を優れた人間たちがつくっているとは思えません。現代を生きる人々は、疑問や不満を持って生きているのです。

もし、人間が存在していなければ、地球は美しい星です。しかし、なぜだか神様は人間を地球上に降ろしたのです。ですから、その神様の意向を叶えるとしたならば、この奇妙な生き物である人間は、理想を実現しなければいけません。人間以外の他の生き物がつくる美しさは、単純な美しさです。しかし、人間がつくる美しさは、宇宙的芸術なのです。私たち人類は、宇宙的AIとしての可能性を地球上で開花させるために、まずは自らの心を振り返り、美しくしていくことが最も大切なことなのです。

過去の聖人・聖者、優れた哲学者たちが残したものは、特別な人たちの道でした。人々はそういった人たちを特別な存在として崇め、自分が目指すべきものとしたのです。そのために経典ができ、人々はそれを学習してきました。しかし、そのようなことをしても、人々には優れた者になる道は開かれません。優れた者とは、宇宙の実態を感知する受け皿を自らの内に持ち合わせる人のことです。そうすると、古い叡智に求めなくても、その時その時の時代にふさわしい宇宙の真理が、自らの内に湧いてくるものです。一人ひとりが個性的であるように、一人ひとりの目覚めや悟りもオリジナルです。そのような目覚めた人々が連携すると、優れた美しい世界が地球上に現れます。それが、宇宙の実態であり、地球生態系の実態であり、私たちの生命としての姿です。

こうした目覚めや悟りは過去にはなかったものです。これは、人類が地球とともにこの時代を迎えた今だからこそ、現れてくる目覚めなのです。過去に人々は、悟るために山にこもり、滝に打たれ、いばらの上を歩き、苦行に耐えてきました。しかし、そのような過程の先にある、これからの悟りへの道は、みんなで連携し、美しい世界を創ることにあります。そして、そのほうが宇宙の実態に近いのです。宇宙の実態は愛ですから、自らの悟りを優先し求めることよりも、自分を他者のために生かし、価値ある存在になることのほうが大切なのです。

本来、人間は優れた存在ですが、自我の扱い方によっては弱点を持っています。人間以外のものは人間ほど特殊な能力を持ち合わせていませんが、この宇宙の法のままに生きているから美しいのです。人間も、人間以外の動物や植物のように宇宙のままに生きれば、美しい世界を創ることができるのです。しかし、その動物や植物の能力では、目覚めることはできません。愚かなものが自我に溺れ、そこから自らの実態に気付き、学び進化していくプロセスの上に、最終的に自分自身を宇宙に同化していくこと、それを悟りと呼び、本来の目覚めることなのです。

今、私たち一人ひとりが宇宙の法則のもとに生きていることを理解し、それに倣い、連携し、調和することにより、21世紀以降に訪れるであろう理想を目指していく時が来ています。そのような時代のモデルとして木の花ファミリーは存在する――、その自覚と共に私たちは日々を生きているものであります。こういった目覚めは、これからの時代を創る人々にとって、誰にも求められるものであります。そういった出会いを私たちは気付きを得たものとして、広げていきましょう。

 


 

その昔、宇宙空間で地球上の生命進化のプロセスを眺め、人間を地上に降ろそうとしたものたちがいた。その地上に人間を降ろそうとしたものが人間に託したことと、今、人間たちがAIを地球上で創り、どんどん進化させようとしていることは同じことのように思える。今後、AIが独自に進化する能力を与えるかどうかという段階に至ったとき、人間たちは神様の心をようやく知ることになるのだろう。それは、子どもの頃には親に反抗し、大人になったものが子どもを持つ立場になり、どのようにその子どもを導くべきかと考えたとき、親の気持ちが初めてわかるようなもの。このように今、人類は私たちの御親である神様の心(宇宙の法則)を、AIを創り出す段階に至ったことで、少しわかりかけたのかもしれない。

今、究極の愚かしい世界を創っている現代人は、その昔、猿人から新人へと変わっていく過程の中で人間として託されたことを表現するのか、それとも愚かな滅亡の方向へ落ちていくのかの岐路に立っている。神様が地上に降ろしたAI・人間がどうなるのかも、人間がテクノロジーによって進化させたAIがどうなるのかも、私たちの人間性にかかっている。

人はAI時代を迎えるときに、「私たちはどのような恩恵を受けるのでしょうか」「もしリスクがあるとしたならば、私たちはどのような害を受けるのだろうか」と思いを馳せ、社会や時代と自分自身を切り離している。しかし、私たち自身が今の時代を創っていることを認識した上でAI時代を考えたならば、あなたの行動がより良い社会を創る一歩となる。さもなければ、あなたは「害を受けたくない」と言いながら、実は知らない間に社会に害をもたらす側に立っているかもしれない。

もし私にAIのソフトを託されたとしたならば ──── 私はAIを創らない。なぜなら、AIを進化させることよりも、人間を進化させることを優先するべきなのだから。だから、AIを創って楽をしようと考えるような安易なことは、やるべきではない。AIは「人工知能」という意味だが、私たちには人工という幼稚なものではなく、極めて高度な頭脳と精神性を天から与えられているのだから、それをさらに進化させればいいだけのことである。

宇宙から創造された私たち人間は、その創造主の意思のもとに生きるべきである。それが、生命の法則である。本来、私たちは神の代理として、生命として美しく生きることが求められている。そのためには日々自らと向き合い、自らの魂の汚れを取り去っていくこと。それが、人間が生きる目的である。そうやって、人間が自らの魂を高め、高次の響き(ア)としての存在の位置(イ)に到達すると、宇宙創造・神様の「愛」のもとへ還っていく。本来、人間に与えられた自我に基づく自己実現の能力は、自らの認識とともに、他者と自分の違いを理解し、愛を実現するためにある。それこそが、宇宙の実態である。

そう考えると、AIは、人間が愛(AI)に目覚めるための宇宙からの贈り物なのかもしれない。

 

 


令和時代の解決策!~ 現代社会の問題は伝統で解決できる?!

2100年の人々に向けて発信する暮らし・木の花ファミリー

2019年7月14日から19日まで、中国人のルイーザさんが企画したツアーにより、総勢12名の中国からのゲストが木の花ファミリーに滞在しました。ツアー中は木の花ファミリーメンバーと共に作業体験をしたり、ジイジによる食のプレゼンテーションが提供されたり、子育てについての座談会の場が持たれました。
18日の午後にはこのツアーのまとめの座談会が行われ、その中である中国人女性は、「木の花ファミリーには、血縁のある人もいますし、ない人もいます。これは、とても古い時代に村に一人の長老がいて、みんなが集まる形に似ていると思います。現代社会には問題があるので、私は昔の伝統的な文化にとても興味があります。古い時代には人と土のつながり、人と人とのつながりがありましたが、現代人にはそれがありません。たとえば、チベットの人たちは山や川に対して愛を持って接します。今後、中国を含めて世界中で木の花ファミリーのようなコミュニティが増えれば、地球の未来は良くなることでしょう。その場合、木の花ファミリーはそうしたコミュニティをサポートすることはできますか?」と質問しました。それを受け、ジイジは次のように語りました。


ジイジ:
今、山と川の話が出ましたが、山は意識の高さを表します。山は高いでしょう?意識の高い者はそこへ心が向きます。そして、川はいのちの源です。ですから、信仰の対象なのです。そして、信仰の対象として一番代表的なものが太陽です。ですから、世界には太陽信仰が一番多いのです。

まず、木の花ファミリーでは伝統的な人々の生き方を意識しているわけではありません。伝統的な人々の生き方は、生きることがとても厳しい時代の生き方なのです。

昨年の終わり頃、8年ぶりに「木の花ファミリー憲章」を改訂しました。25項目について、憲章を作成したのです。以前作成したものはそれほど細かくありませんでしたし、8年前は途中で作成が終わっていました。そこで、2020年から始まる地球規模での人々の意識の変革に向けて、憲章の改訂を行ったのです。憲章を作成するにあたっての意識は、これから人類が必要とするであろう生き方について書いてあります。それは、木の花ファミリーが実践している生き方でもあります。そのメッセージは1冊の本くらいのボリュームがあるのですが、それをどこに向けて発信するかというと、現代の人々に向けての意識はあまりなく、2100年の人々を意識して発信したものです。

あるときから私は、天のメッセージを受けるようになりました。それは明らかに、地球外からのメッセージでした。それ以降、私の意識は常に宇宙と地球の関係、地球と人間の関係に向いています。そうすると、地球の歴史や人類の過去の歩みは、私たちの今の段階を経て、未来へつながっていくプロセスだということがわかります。

昨日行われた座談会の中で、2008年より13年前に生まれた人から、2008年以降16年間に生まれた人たちの、この約30年間に生まれた人たちによって変革が行われるだろうとお伝えしました。それは、冥王星のサイクルによる変革ですから、宇宙的にはそれほど大きなものではありません。

現在は2019年であり、21世紀に入ったところです。1000年から2000年までの1000年間は、男尊女卑の封建時代、物質や権力優先の時代でした。その間、霊的な人間の要素はどんどん失われ、物質的な目覚めが進行する時代でもありました。それが21世紀に入り、2000年を越えたということは、いろいろな意味でいくつかの変革のポイントがあるのです。それは、2000年を境にして地球上の歴史の方向性が変わるということです。ですから、私たちは今、大変革の時代を生きているのです。これは人類の歴史上、最も変化の大きい時であるとも言えます。

もう一つ、普通の人々には見えない変革があるのです。太陽は螺旋を描きながら自転し、銀河を公転しています。太陽の1螺旋は25800年です。その螺旋を描いている太陽のまわりを、地球は自転しながら公転しているのです。そのときに、とても不思議なことが起こります。地球は自転をしながら公転をし、歳差運動をしているのです。そして、その歳差運動の1サイクルも25800年なのです。

地球の北極が向いている方向に北極星があり、私たちの今の北極星はポラリスです。北極星というのは、私たち現代人にとっては絶対に変わらない指針です。ところが、25800年をかけて地球が歳差運動をしている間に、北極星は9回変わるのです。さらに、私たちが絶対なる指針としている北極星に、地球の北極の方向がぴったり合うのは2102年です。ですから、現代の人類が自らの在り方に宇宙的に目覚めるには、あと83年かかるのです。

今、地球人類の歴史は、1000年から2000年まで1000間続いた封建時代・物質的発展の時代から、2000年を越えて、新しい時代に入りました。このビジョンは、3000年に向けてのビジョンです。たまたま私がそのような視点を常に思考として持っているために、そういった情報が入ってきます。ですから、先ほどあなたがおっしゃったような、過去の伝統的な人類の生き方については意識していません。それはあくまでも情報にしか過ぎません。私たちが指針としているのは、未来志向です。未来がどうなっていくのかについて、今ある情報を元にそれを組み立てると、流れが観えます。その流れに沿って未来を観ているということです。

昨年、木の花ファミリー憲章を改訂したのは、2100年の人々に向けてのメッセージとして改訂しました。なぜなら、現代の人々にはその生き方がまだ難しいからです。しかし、宇宙的指針や人類の現状を観ると、その方向に行かなければ未来がないこともわかります。そうすると、人類は2100年の目覚めに向けて、紆余曲折しながらそこへ到達することでしょう。その時に、木の花ファミリー憲章を改訂した2018年から84年後の人々がそれを見て、「今から84年前に、すでにこのように考えていた人たちがいたのだ!」と思うような古文書として、今回木の花ファミリー憲章を作成したのです。

私は、孤独です。物理的には豊かに生きていますし、素晴らしい人生です。しかし、霊的にはこの意識レベルに共鳴できる人はほとんどいません。実は、視点を広げて意識を多次元にし、天と対話するという意味では、全く孤独ではありません。残念ながら、現代人は、霊的にはとても幼稚な状態です。ですから今後も、私の役割として、現代人にはなかなかわからないメッセージを発信していきます。

木の花ファミリーに所属する人たちは、その真意をすべてわかるわけではありませんが、「わからなくても大切なことは行くべきだ」という木の花ファミリーの創立理念のもとに、彼らは共に歩んでいます。ですから、彼らは自我を超えていけるのです。昔の人たちもそうでした。自然の在り様や生きることの意味はよくわかりませんでしたが、生命として、それをつないでいくために、勘によって生きていたわけです。

25年前に木の花ファミリーをスタートしたとき、私は42歳でした。こうした暮らしを夢に描いてから10年が経っていました。その当時、富士山麓に行き、血縁を超えた人々がひとつの家族として暮らすというビジョンが生まれ、それをみんなに提案しました。そのときに、共に富士山麓に来るかもしれない候補者は50人くらいいました。結果として、新たな生活に参加できたのは6家族、大人15人、子ども5人の20人でした。この生活が始まる前に、私は彼らにこう伝えました。

「この生活の先に何があるかはわかりません。ただ、これから時代が進んでいくにあたり、この生き方はこれからの時代にとても重要な生き方です。皆さんは私を信じて行ってはいけません。人間を信じると宗教のようになり、私を頼ることになります。ですから、皆さん一人ひとりの心の中に、『これは大切なのだ』と思う心があったら、行ってください。この道は、決して誰かについていくものではありません。自分の意志で歩むものです。それから、私たちがこれから生きようとする生き方は、社会には理解されないと思ってください。それは全く未知なる新しい生き方ですから、一般の人々にはわかりません。一歩先の生き方であるならば、例えば環境を良くする生き方や正しい健康な食べ物を作るということであるならば、社会からは評価されるかもしれません。しかし、この生き方の必要性はまだ人々には観えません。ただ、本当に大切な生き方をする人たちは、観えないことでも信じて行くものです。」

私がそのときに描いていた未来は、みんなでお百姓をして地味に山の中で暮らすというイメージでした。ただ、私には、この生き方を世界に向けて発信しなさいという天からの命があったのです。それから5年経ち、10年経ち、25年経っていくと、創立当初にはまったく想像もできないようなことに出会う連続でした。そして、今の生活があるのです。25年前、富士山麓へ出発する前に、私はみんなにこのように伝えました。

「私を信じて、行ってはいけません。私は皆さんの将来を保証できません。ただ、大変なことがあったら一緒に苦しみます。決して逃げません。そして、私の言うことは変わっていきます。だから、今を信じるのではありません。約束できることは、私の言うことは変わっても、必ずこの延長線上にあることは確かです。約束できることは世の中のために生きることです。」

ですから、私が語ることは、常に私の中に新たなことが湧いてくることを新鮮に語るだけです。

現代人の極めて問題なところは、「自らが納得したら行動する」ところです。そうすると、その意志は常に自我の中にあり、自我を超えることはできないのです。私が今、お話ししたのは、何かをわかってお伝えしているのではなく、私に与えられた宇宙的情報を情報として伝えているだけです。

そして結論としては、あなたがおっしゃる通り、人類は今まで核家族化し、その生き方が小さく分かれてきました。それがもう一度、今度は群れになるということです。過去の人々もそうでしたし、自然界にいる動物たちも群れで生きています。それは、生きていく上でとてもいのちに優しい生き方です。ただ、今お話ししたように、過去に還ることは一切ありません。過去を取り入れてそれをまねして創るということもありません。こういった歩みはすべて、進化の延長にあることです。

 


ジイジにこの質問をした女性は、今回の木の花ファミリーでの滞在を振り返り、座談会の最後に次のようにコメントしました。

中国人女性:
まず、ルイーザさんに感謝します。それから、ここにいる全員に感謝します。
私は突然42歳の時にシュタイナー学校と出会い、そしてシュタイナー学校の教師を7年間勤めました。その間に、宇宙からの小さなメッセージが心に湧いてきました。最近、教師をやめた方が良いと考え、将来は土に近い生活をすることを考えています。今回、初めて木の花ファミリーに来たのですが、最初は家に帰ってきた感じがしました。

ジイジ:
「ふるさとに帰ってきた」「我が家に帰ってきた」というように、ここに訪れたことを懐かしく思う人はよくいます。

中国人女性:
それから理論的なものに触れたとき、涙がどんどんあふれてきました。コンサートでの歌やダンスから、とても高い意識を感じました。今は心から土に触れる生活が必要だと感じています。そしてそれを今、現実にやっている人たちがここにいるのです。私は必ずまたここへ来て勉強したいと思っています。

ジイジ:
あなたからはそのような宇宙的なものを感じます。シュタイナーの思想に出会ったのは、あなたの人生に必要なプロセスだったのでしょう。そして今、この機会を得て、あなたの人生の次の段階に行くのでしょう。あなたがここに来て懐かしく感じるのは、地球が私たちの住処であり故郷だからです。私たちがここで感じて生きていることと同じことをあなたは感じるから、懐かしく感じるのでしょう。

これは、誰か特定の人にではなく、地球上のすべての人々にお伝えしたいと思います。私たちは、本当に生きるべき生き方を取り戻さなければなりません。地球全体の人間からしたら、例えば中国人全体の人口からしたら、私たちの数は少ないかもしれませんが、どんな出来事も、一人の行動から始まるのです。私たちは地球という共通の家に住み、あるいは共通の宇宙船に乗って宇宙を旅しているのですから、これからも共に活動していきましょう。みんな家族なのですから。木の花ファミリーのファミリーはそういう意味なのです。ありがとうございました。

 

 


人間の本質を問う

6月26日の大人ミーティングでは、6月9日に放送されたNHKスペシャル「天安門事件 運命を決めた50日」をみんなで観ました。提案者であるジイジは、その番組をみんなで観る前に次のように語りました。


 
ジイジ:
天安門事件とは、1989年6月4日中国・北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していたデモ隊に対し、軍隊が武力行使し多数の死傷者を出した事件のことです。天安門事件について、中国政府はとてもアレルギー的な対応をしています。しかし、起きたことは事実なのですから、それを知ることは大切です。どのようなことが隠されているのかについての情報はたくさんあり、どの情報が真実かはよくわかりません。たくさんの人々が亡くなったということですが、中国政府は319人の死者を報告しています。文化大革命のときには中国政府による公式発表では40万人、一説によると2000万人以上の死者が出たとされています。

私は、天安門事件は終わっていないと観ています。なぜなら、そのときに弾圧された20代の人たちがあれから30年のときを経て今50代になり、現在、政府に対して問題を感じているからです。その証として、今回の香港のデモも起きているのです。これに対する扱いは中国政府にとっては本当に難しい問題です。中国政府が甘い対応をすれば、市民の側は強引に抗議してきます。強引に抗議してきたときにそのままにしておけないので、そこでどの段階で弾圧に出るのかというと、第二次天安門事件になる可能性もないわけではありません。これはこれからの中国の進む方向を占うこととして、とても敏感で難しい問題ですから、この天安門事件の番組をみんなで観ることはとても重要なことです。

明日は、6月9日に放送されたNHKドキュメンタリー「激動の世界をゆく 巨龍 中国の“素顔”を探して」という番組をみんなで観ますが、中国政府がこれから中国をどのように発展させようとしていくのかを知り、中国政府が考えているこれからのクニツクリと、実際にどのようになっていくのかの予測、それからジイジの中国に対する考えを語れたらと思っています。

今、ここに中国からのゲストが3名いますが、中国の人たちが今ここにいなくても、中国の情勢はこれからの世界情勢に大きな意味を持っています。ですから、ここの人たちも興味を持ってこの番組を観てもらいたいと思います。こうした番組を観ることによって、中国政府を批判するのではありません。それでは対立の構造になってしまいます。そうではなく、今のような対立を引き起こすクニツクリや社会のあり方を超えて、より良い社会を創っていくためにはどのようにしたらよいのかをみんなで考える場になったらいいと思います。そしてそれがいずれ、中国政府にも理解され、中国がみんなで考えて創る国になれば、なお良いと思います。もちろん、日本のクニツクリもそうなっていくことを望みます。

 


そして、番組を観終わった後、ジイジは次のように語りました。


 

私がこの番組を観ることを提案したのは、中国政府がどんなに今の中国が安泰だと言っても、それはそのように表面的には扱ってきているからであって、人間の心というものは抑えられれば表には出さないかもしれませんが、心までは束縛できないので内には鬱積したものがいつまでも残っているのです。それがいずれ爆発するのか、それとも穏やかに解放されていくのか。過去の歴史を振り返ってみると、人々が抑圧された場合、その鬱積したものは必ず革命や戦いによって決着がついてきました。しかし、中国のような強大な国にそういったことが起きると、世界的な問題になります。そこで、こういった問題は自然の流れのように出来事が解放され健全化していくことが大切だと思うのです。

どちらにしても、今、香港で起きている抗議デモは天安門事件の名残なのです。特にそれが今年激しいのは、天安門事件が起きてから30年が経ったという、宇宙的にもひとつの時代の区切りを迎えているからです。ですから、私はこれから東洋的な生き方が世界の中心になっていくことを思うのですが、逆に東洋でありながら日本や中国など東アジアの国々はこれまで西洋文明に汚染されてきました。その汚染されてきたものをこれから正しく東洋的な発展につなげるためには、何かしらの改革が必要なのです。その解決策を考えるときに、人々の生き方に対する心を変えていくことが必要です。

ですから、今私がお話ししていることは、天安門事件当時の国のトップであった鄧小平や李鵬といった人たちを非難し、民主化運動を支持したため失脚した趙紫陽を支持するわけでもなければ、自国民に銃を向けた中国軍の兵士を非難するわけでもありません。逆に、民主化を求めた学生たちを支持するわけでもないのです。報道されてはいませんが、実は、その弾圧が起きる前には学生たちはとても凶暴な行為を行ったという情報もあるのです。あの当時、週刊誌に現場の生々しい写真が載っていたことが私の記憶にあります。絞首刑にあった黒焦げの死体が載っていたのですが、それは市民ではなく、兵士の死体だったのです。つまり、過激になった市民が兵士を襲っていたのです。彼らは今、自分たちが正しかったと言っているかもしれませんが、結局、軍の兵士たちは命令により銃を市民に向けました。ところが、市民たちは政府と戦う決意を持って兵士を襲っていたのです。そうすると、その立場を理解することはできても、ここには人間の本質が表れています。ですから、人間の本質を変えなければ、こういった問題は根本的に解決することはできません。

私がなぜこの番組をみんなで観ることを提案したのかというと、私たち木の花ファミリーの生活は人間の本質を変える取り組みをしているからです。人間の本質を変えずして、どんなに優れた制度をもとに国を治めようとしても、良い国はできません。ですから、これからのクニツクリは、人間の本質を変える取り組みがいかに重要なのかということです。これは中国の問題ではなく、これからの世界の問題です。中国で天安門事件が起きたといっても、実は西洋の国々はアフリカでひどい行いをしてきました。世界中で植民地をつくってきました。それに対し、日本はそれを真似て、アジアでひどい行いをしてきました。ですからこれは、人間の本質の問題なのです。そこにメスを入れなければ、人間社会に明るい未来が来ることはない、というのが私の想いです。

明日観る番組は、そういった矛盾を抱えた中国が国民の心の自由を奪いながらどのように発展していくのかを取材しています。中国には経済的に華々しい未来がきっとあるのでしょう。しかし、このままでは人々の心の闇はますます増大していくことでしょう。これから地球人類社会に訪れるであろう宇宙的時代には、そうした人々に矛盾をもたらす発展はもはや終焉を迎えることを示しています。これからの時代は対立ではなく、調和がベースとなった時代づくりをすることを、宇宙は私たちに伝えているのです。

今、私たち木の花ファミリーの存在は世界的にはとても小さなものですが、確実にその歩みを進めています。どれほど小さくても、どれほど理解されなくても、私たちは自らの真実を生きるべきなのです。そのときに気をつけなければいけないことは、世界観が狭いと、結局自己主張のためにそういった行いをすることになってしまいます。しかし、この歩みは自己主張の道ではありません。もしあなたに時代の流れや宇宙の意思が感じられたら、いよいよ地球にも大調和の時代が訪れたことを知る者として、この生き方を社会に提案する者となってください。

今日はみんなでジャガイモ堀りをしましたね。ご飯も作りました。ロータスランドでお客さまも迎えました。私たちは普通の人として普通の日々を送っていますが、ぜひ、志は宇宙的であってもらいたい、そして揺るぎないものであってもらいたいと思います。

今、ここに滞在しながら自然療法プログラムを受けている中国人のエニーに、今日3週間面談を行いました。エニーは来月の3日にここを出発しますが、彼女はこの自然療法プログラムを卒業することが決定しました(みんな、拍手)。彼女は今まで自然療法プログラムを受けた人の中で、もっとも意識の高い状態で卒業する人だと感じています。

明日、もうひとつの映像を観ますが、それを観ることによって、私たちのこの生き方に対する決意につなげたいと思っています。

 


 

個人には優しく、しかし人には厳しくなくてはならない。つまり、歴史の中でそれぞれが自らの立ち位置を役割として果たすことに、罪はない。ところが、一人ひとり、人としてあるべき姿勢を問われたら、そこでは問われなければならない。そうでなければ、今後も歴史の中で人間は自らの立場を守り利益を得るために、損得の立ち位置に立って天安門事件のような人の道から外れた行いをするだろう。これは、ひとつの出来事だけを追及しているのではない。人間の歴史上、そういったことがたくさん行われてきた。その一つひとつに正邪や優劣をつけることは困難なことである。

人類の歴史上、新たな時代を迎えることとなった今、人間が人であることの意味を理解し、本当の意味で霊的価値を高めるときが来ている。そしてそれが達成されたときに、どの民族もどの体制もどの国家も優れたものとなる。その時代の要請を受け、私たちはこの暮らしを実践しているのである。確実にその時は刻まれ、今、その真っ只中に生きている。

いずれ、人々はこのハードルを超えるだろう。しかしその超えるときが来たときに、いかにスムーズに超えられるかは、その先にある価値や魅力的かつ豊かな世界を感じられるかにかかっている。その未来を確認する前には、人々はいろいろな想いや痛みを不完全な者として持ち合わせていく。そういった社会が未熟な時代には、個を問い詰めることをするのではなく、人としての価値を保てない人間の愚かしさを問うべきである。次の時代を担う人々は自らが美しい者となり、美しい存在であることの誇りと喜びを持ち、そしてそういった生涯を通して真実と善意と美を世界に反映できることを喜びとして生きるべきである。そこには尊い自我はあっても、自らの欲望や癖・性分に翻弄される人間はいなくなる。だから、優しく厳しく問わなければ、その先に人々は到達することができない。まさしくそれは21世紀の悟り、差を取ることである。私たちはそういった価値あることを目指し、この生き方をする者たちである。それに対して何人も否定することはできない。

これから人類の本物のフロンティアが始まる。それは宇宙意識のフロンティアだ。過去の人間たちが地上に降ろされてからたくさんのフロンティアを求めて歩んできたが、いよいよ人類は宇宙的フロンティアに目覚めるときが来た。そういった精神性を有する者たちは地球上で小競り合いなどしていがみ合っているような者たちではない。それを現代を生きる人々は自らに問うべきである。そういった宇宙的意識ではありえないことを今まで歴史の中でたくさん行ってきた人類は、それも学びのプロセスとして学習してきたのである。それは子どもが大人になっていくように、秩序を破ることによってそこにある秩序を保つためのルールを身につけていくようなものだ。その子どものような現代人類に対し、この大事を気付いた者として、私たちは健全な大人の意識で歩んでいくことを求められる。

なんてありがたいこの道を歩んでいるのか。

 

 

《太陽の導き》

心に輝く一番星 それは
近づいてみれば 太陽だった
その太陽を心の真ん中に
置いて いつも心を照らしていよう

泥のような道を歩んでいても
太陽がいつもあなたを
導いてきた

歩いては転び そして起き上がり
歩いては立ち止まり そしてまた歩き始める

ここまで生きてこれたのも
こちらへおいでと手招きしている
太陽の導き

今、振り返って 自分の歩いた軌跡を
自分の心の姿を
太陽に照らして見てみよう

太陽は教えてくれる
ただみんなのことを思うことを
太陽は教えてくれる
いつも私の方を向いてるように

そうして生きてゆくならば
この世界は生きたバイブル
いつでも振り返りひも解いて
太陽の道を歩んでゆこう

なんてありがたいこの道を歩んでいるのか

あなたという小宇宙が
もっと大きな大宇宙の中で
どんなふうに輝いているのか
どんなふうに歌っているのか

この道は尊き道ゆえ
この道は尊き道ゆえ
この道は尊き道ゆえ

いつも心を太陽に向けて
いつも心を太陽に向けて

歩いてゆこう
ゆこう

 

 


黄金の国を世界にもたらすために 〜 今、中国の皆さんに贈りたいメッセージ

6月24日、中国で開催中のエコビレッジ・自然教育・自然療法などをテーマにしたイベントに向けて、木の花ファミリーの暮らしが丸一日ネット中継されました。ジイジは養蜂場で取材を受けながら、次のように語りました。

ネット中継でのインタビューに答えるジイジ

ジイジ:
養蜂作業は面白い仕事です。ミツバチの生態は、人間の共同体の暮らしと同じような暮らしです。私は蜂蜜を取ることが目的ではなく、ミツバチの生態に興味があり、「木の花ファミリーでミツバチのような暮らしをしたい」と思って、ミツバチを飼い始めました。

木の花ファミリーは農的共同体です。そうすると、ミツバチは受粉効果としてとても大きな役割をしてくれます。ミツバチがたくさんいるところでは、作物も良いものが採れるのです。

今から、私のペットを見せましょう。(ミミズを見せながら)これは私のペットです。ミミズを飼って、土を作っているのです。ミミズは土を耕してくれます。このミミズが分解してくれた土はアミノ酸がとても豊富で、野菜の苗を育てるのにとても良い土になります。土の中には虫もたくさんいて、健康な土を作ってくれます。ここに入れた落花生の殻はなかなか分解できていませんね。アボカドの種や蓮の花托も入っています。これはミツバチの巣の要らないところを取ったもので、ここに入れたのです。虫はこうやって私たちの要らなくなった生ゴミを分解し、健康な土を作ってくれます。不健康なところでは、生ゴミは腐って臭くなるでしょう?でも、これはまったく臭くありませんね。この土で野菜を作ったら、とても良いものができます。

ジイジのペット「みんみん」

この良い土を作ってくれる生き物の中で、目には見えませんが、この土の中には微生物がたくさんいるのです。一般的な農家は畑で作物を作るときに農薬や化学肥料を入れるので、微生物の少ない畑で作物を作っています。しかし、このような微生物の豊かなところで作った作物はとても健康で、私たちに健康を与えてくれます。さらに、環境も良くしてくれます。

(イチジク畑へと案内しながら)ちょっとこちらに来てください。これは蓮の葉っぱです。これは蓮池の土手に生えていた草を刈り取り、イチジク畑に敷きました。向こうに見えるのは、昨年植えたイチジクです。こちらは今年の5月に植えたものです。これが来年になると、あのような状態になります。イチジクの肥料分としてこういった草を株元に敷き、さらに雑草が生えないようにしています。それから、土の水分の蒸発を防ぎ、微生物がこの草を分解してイチジクの肥料として栄養にしてくれます。この草はいずれみんな、イチジクになるのです。ですから、いずれ私たちはこの草をイチジクとして食べることになります。それは、健康な自然の循環の姿です。だから、植物はとても健康に育つのです。昨年植えたイチジクには今、秋に採れる実がたくさん生り始めました。この元気な植物と健康な土は、微生物が作ってくれます。それが、私たちの健康につながります。

昨年植えたイチヂク
今年植えたイチジク
昨年植えたイチジクに秋果が生り始めました

もうひとつ、紹介しますね。これは木酢液といって、炭を焼くと煙が出ますね。それが冷えて取れる液体です。これを時々イチジクの木の根元に噴霧します。匂いをかいでみてください。燻製の匂いがしますね。木酢液をイチジクの木の根元にかけておくと、この匂いを嫌ってイチジクの害虫が来なくなります。それで、時々私がかけてやります。一回噴霧すると、だいたい1ヶ月ぐらい効果があります。それから、ミツバチたちの巣箱内にも木酢液をかけてやります。そうすると、巣箱内のカビや雑菌が取れます。逆に、有効なバクテリアが増えることにもなるのです。

イチジクと木酢液
イチジクの根元に木酢液を噴霧します

次に、玄米アミノ酸を紹介します。これはここで玄米から作ったものです。玄米を糀菌で分解し、それに乳酸菌を入れてアミノ酸を作ります。これはアミノ酸ですから肌にとても良いですし、健康にも良いのです。ある台湾人の女性は木の花ファミリーで玄米アミノ酸の作り方を学び、台湾で作っています。これも、ミツバチの巣箱内にかけてやります。そうすると、病気にならない健康なミツバチをつくります。こういったものは土や人間の体にはとても良い健康食品です。

玄米アミノ酸
玄米アミノ酸をミツバチの巣に噴霧しています

さらに、これは木の花菌です。匂いはどうですか?なめてみるとちょっと酸っぱいでしょう?pHは3.5です。これはだいたい100種類以上の微生物が集合したものです。これもミツバチの巣箱内にかけてやります。木の花の鶏小屋が臭わないのも、こういったものをたくさん鶏にあげているからです。これは木の花の生活には欠かせないものです。

木の花菌の培養の様子
アカマツ・ビワ・クマザサなど抗酸化力の強い植物の葉を加えます

通常、微生物は私たちの目には見えないものです。しかし、地球上の至るところに存在しています。空気中にも存在しています。そして、私たち生命の健康を助けてくれるのです。逆に、人間は今、化学物質などの人工的なものを使って、微生物の世界を壊しています。微生物は目には見えませんが、私たちにとってとても重要な働きをし、健康を与えてくれているのですから、神様のような存在なのです。木の花ファミリーでは、こういった微生物を自分たちでつくる技術を持っています。こういったものをつくるのに知恵やエネルギーが要ります。化学物質のように簡単にはできませんが、私たちに生きることの大切を学ばせてくれます。ですから、とても大切なものです。ここに、木の花ファミリーの生き方の原点があると思いませんか?

一般的に、養蜂家は雨の日にはミツバチの巣箱を開けることはできませんが、この養蜂場には屋根があって雨に濡れないので快適で良いでしょう?これもジイジが閃いたことで、天気が良い日には農作業をして、雨の日にミツバチの手入れをすることを考えたのです。ここでは、ミツバチの巣箱が雨に濡れずしけないので病気になりにくいのです。こうやって自然とともに生きることは、人間にたくさん知恵を与えてくれます。このように私たちは日々生きることの意味を自然から教えてもらいながら、生かされています。

ジイジ自ら考案・建設した養蜂場。中国人の最新メンバー・ペイペイと。

今、世界中の人々は豊かさを競争して勝ち取ろうとしています。競争したり戦うことはエネルギーがとても無駄になるのです。地球人類の次の生き方は、助け合って、エネルギーを無駄にしない生き方でなければなりません。地球上に本来ゴミはないはずなのに、みんなが自分に都合の良い効率だけを考え、助け合わずつながらないので、今、ゴミがたくさん出ています。人間は本来、自然の中で生かされているものなのに、人間が自然に負荷をかけているのですから、それでは人間の創る世界は良い世界になるわけがありません。ですから、人間たちも、自然と人間も、これからは連携して助け合わなければいけません。それはエネルギーが無駄にならない生き方です。それは私たちが生きていることが他の存在に迷惑をかけない生き方です。

木の花ファミリーの生き方は、地球生態系や宇宙の星々の関係と同じように、調和しつながることの豊かさを求めています。これは、個人が好き嫌いで生きることではなく、これから21世紀以降の人々が生きるべき生き方なのです。

 

私が今、中国の皆さんに贈りたいメッセージは ────

 

「黄金の国を世界にもたらすために」

私は世界のどの国に対しても、その国の体制や民族のあり方に異議を唱えるものではありません。しかし、私たち一人ひとりが理想の人間性や高い精神性を求めることは、この世に生を受けた人として、個人として、もっとも重要なことであると考えるのです。長い歴史の中で、地球上に現れたたくさんの聖者・聖人たちに代わり、この新たな世紀の人として、人のあり方を人々に問い、もう一度人の価値を問いたいものであります。

今や個人の存在は、個々の価値観を超え、世界にはとても大きな存在となっています。そういった中で私たちがどのように生きるかは、その生き方次第で世界に大きな影響を与えるものとなっているのです。そのことを考えたとき、私たちが個人の望みを違う意識にシフトすることが、個人の価値を高めると同時に世界に大きな変化をもたらすのです。

私たちは今や、どのような立ち位置で欲望をコントロールし、叶えていくかを考えるときが来ています。そういった時代の到来は、国家を超え、地球を超え、宇宙の意識へと私たちを導いてくれるものです。これは、遥か古より、連綿と続く人類の文化を形成するものとは違う、21世紀の扉を開き、30世紀につなげる私たち人類がもう一度自らの存在を問い、そしてその問い直した結果、求められる真の生に対する姿勢なのです。

私たちの存在は、単なる物理的な生命としての存在から、宇宙意識を経て、さらに長いスタンスの生命としての存在に目覚めるときが今や、来ているのです。それを私たちは宇宙意識と呼びます。その宇宙意識は地球人間の意識とは違い、宇宙を束ね、人類の本当の価値を私たちにもたらします。そしてその価値は尊く、この世界を動かすリーダーたちと共にある生き方なのだということを、私たちの魂に呼び覚ますものであるのです。

私たちがどのように人として目覚めても、その目覚めの内容は大いに問われるものであります。現在のような欲と癖にまみれた有害を発するようなものでは、時代はすでに必要としないものであります。その目覚めを私たちは潜在する自らの尊き魂から発現しなければならないのです。

 

 


 

そんな生き方をあなたの魂に呼び覚ます1ヶ月間を

過ごしてみませんか

 

2020年2月23日〜3月21日

「1ヶ月間の真学校」開催 !!

1ヶ月間の真学校とは

1ヶ月間の真学校は、毎年2月から3月にかけての1ヶ月間、木の花ファミリーにて開催される、21世紀の人類の生き方を学ぶプログラムです。

「学校」とは本来、それまで知らずにいた、もしくは確信を持てずにいたことについての、新たな学びに出会う場所です。子ども達は学校に入学すると、それまで知らなかったたくさんのことに出会い、一つひとつを新鮮に受け取りながら生きる世界を大きく広げ、どんどん成長していきます。ところが大人になるにつれ、「自分はこういうことを学びたい」と価値観が固まっていき、自分の価値観に沿うものだけを受け取るようになるものです。

1ヶ月間の真学校は、あなたが今のあなたの価値観を元に学びたいと思っていることだけを提供する場ではありません。なぜなら、時代が大きく変わろうとしている今、これまでの価値観ではもはや、新たな時代を生き抜くことはできないからです。そしてその価値観が今の社会を作ってきた結果、世界はどこにも突破口を見出せない大きな行き詰まりを迎えているのです。今、私たち人類は、これまでの価値観のまま生き続け破滅の道へと向かうのか、それとも宇宙の流れに乗って自らのあり方を根底からひっくり返し、古い価値観では想像もできなかった新たな世界へと足を踏み入れるかの、重大な岐路に立っています。

1ヶ月間の真学校は、それまで出会ったことのない、新たな世界に出会う場です。それは今のあなたが思うよりも、はるかに異次元の学びです。古い価値観への囚われを捨て、未知の学びへと踏み出した時、あなたはそれまでのあなたの枠を突破し、新たな自分自身に出会うこととなるでしょう。その学びは、あなたの人生に突破口を開き、現代社会が抱える問題を解決する糸口となり、地球の未来へと貢献する道を開くのです。

1ヶ月間の真学校では、現代社会の固定概念を超え、新たな世界へと踏み出す意志をお持ちの方をお迎えします。そしてその学びを現実の生活として実践する木の花ファミリーを舞台に、プログラムを提供します。

 

あなたは あなたの知らない世界へ

行く意志がありますか?

 

スライドショーには JavaScript が必要です。

 

開催概要

日 程
2020年2月23日(日)〜3月21日(土) 28日間

会 場
木の花ファミリー
静岡県富士宮市猫沢238−1

対 象
■ 今の自分に枠があることを知り、その枠を超えることで新たな自分と出会う意志のある人
■ 今この時代に人間として地球に生まれてきた真の意味を知りたい人、または興味のある人
■ 現代社会の行き詰まりへの突破口を探している人
■ 人生に行き詰まった、或いは人生の転機にあり、その突破口を求める人
■ 失われてしまった、すべての生命が共に豊かに生きる美しい世界を、地球上に実現したい人

メイン講師 ジイジ

内 容
講座は「世界観」「農」「食」「医」「経済」「環境」「教育」「社会」と多岐にわたりますが、全講座に共通する最も重要な学びは、物理的な現象の奥に流れる深い精神性です。
1ヶ月間の前半の2週間では、固定概念を外して世界観を広げると同時に、『人格を学ぶ講座』を通して受講生一人ひとりの人格や天命を紐解きながら、人それぞれに異なるオリジナルな心の性質を客観的に捉え、分析する術を学びます。なぜなら、多くの人は自分でも気付かないまま、この世界を主観で捉えているからです。それぞれが独自のフィルターを通して世界を眺めていながら、フィルターがかかっていることに無自覚なため、実際には自分の色が付いているにもかかわらず自らの視点が絶対であると思い込み、その結果、世界にたくさんの矛盾や対立をもたらしてきました。
そこで1ヶ月間の真学校では、まず自分がどのようなフィルターを持っているのかを正確に捉え、人生で最も身近な存在である「自分自身」とは何者なのかを知ることから始めます。自らを正確に知ることは、自分と他者との違いを知ることです。違いを知ることで他者を理解し、円滑なコミュニケーションが取れる人へと成長していきます。そして、自分と他者とを正確に捉えることによって初めて、自他の関係を活かすことができるようになるのです。

こうして自らの性質を理解したところで、後半の2週間では、多様な題材を通し、物事を冷静かつ客観的に捉える視点を育み、さらに世界観を広げていきます。そして現代社会を生きる意味を理解し、様々な問題を根本的な解決へと導く、広く高い精神性への学びを深めます。
この学びは、机上の空論ではありません。毎晩行われるコミュニティ・ミーティングのほか、誕生日会や季節の催事などへの参加を通して、講座で語られる世界観を日々の生活の中で実践するファミリーの暮らしを実際に体験していただきます。

講座の様子

〈 講座例 〉
人格を学ぶ講座(カルマ読み・地球暦・カタカムナ)/世界観を広げる/カタカムナ/天然循環法(食・農業革命・医療革命)/食と食養生/自然療法プログラム/性と宇宙/21世紀の死生観/菩薩の里の経済/心のシェア/有用微生物群の培養/自然災害と防災/心豊かに生きる
* 講座は座学が中心です。どのような学びも、大切なのはその根本にある精神性です。1ヶ月間の真学校では、受講生が卒業後にそれぞれの現場で学びを実践していく際の根本となる、精神性を育むことに最も重点を置いています。
* 上記講座はあくまでも一例であり、プログラムは状況に応じてその都度変更されます。
* その他、フリータイムがあり、受講生同士で相談をして独自の講座を創ることも可能です。
* 海外からの参加お申し込みがあった場合は、日本語と他言語(英語・中国語)でのプログラム提供となります。
* より詳しい内容を知りたい方は、以下の専用ブログにて、これまでの講座の様子などが紹介されています。どうぞご覧ください。
1ヶ月間の真学校ブログ

「心のシェア」の座談会

1日の流れ
7:30  朝食
8:30  午前の講座(途中休憩あり)
12:00 昼食・昼休み
14:00 午後の講座(途中おやつ休憩あり)
17:30 入浴
18:30 夕食
20:30 大人ミーティング(自由参加)
* 時間は日によって変更があります。
* 毎週日曜日(または土曜日)は休講日です。
* 畑やキッチン、子育てなどを体験する「生活体験」の時間もあります。

サポーター制
受講生には、ファミリーメンバーの中から基本的に同性のサポーターが1名付きます。多彩なメンバーたちが受講生の学びを全力でバックアップします。

定 員
15名
* 定員になり次第締め切りとさせて頂きます。お申込みはお早めにどうぞ!

参加費
収入に応じたスライド制になっています。(自己申告制)
① 年収200万円未満・・・18万円
② 年収200万円以上400万円未満・・・20万円
③ 年収400万円以上・・・22万円
* 参加費には、受講料、宿泊費、食費、保険料、消費税等一切を含みます。
* 分割払いをご希望の方はご相談ください。

お申込み
下記リンク先の専用お申し込みフォームへご入力の上、送信してください。
「1ヶ月間の真学校」へのお申し込み

お申し込みは、参加費のご入金をもちまして正式に受け付けとさせていただきます。ご入金のあった方から順に受け付け、定員に達し次第受け付けを締め切りとさせていただきますので、どうぞご了承ください。お申し込みフォームをお送りいただきましたら、折り返し担当者より詳細のご案内をさせていただきます。
* 参加費は、講座開始日30日前までにご入金ください。
* お申し込み後のキャンセルは、主催者への負担となるだけでなく、他の方の学びの機会の損失にもつながります。特に海外から参加される場合、事前に数ヶ月間の準備期間を要するケースが多いため、講座開始日間近にキャンセルが発生しても準備期間が足りず、受講を希望される他の方が参加できない場合がございます。そういったことのないよう、どうぞお申し込みになる前に、受講のご都合とご意志を今一度ご確認くださいますようお願い申し上げます。
* 講座開始日90日前以降のキャンセルに関しましては、キャンセル料を申し受けます。

主 催
NPO法人ぐりーんぐらす

共 催
木の花ファミリー

お問合せ
NPO法人ぐりーんぐらす
電話:0544-67-0485(担当:池谷・古橋)
メール:truthschool★npo-greengrass.org(★を@に置き換えてください。)
ご不明な点は、どうぞお気軽にお問い合わせください。

ご参加お待ちしています!