10代の新メンバーを迎えて ~「奇跡は、起きるべきです」

木の花ファミリーでは、ファミリーメンバーになる際に「メンバー宣言」という自らの意志表明をファミリー全員の前で行います。先日、二人の10代の若者がメンバー宣言をしました。皆と一緒に畑に行ったり、ご飯を食べたり、日々を共に過ごす中で自然と心が決まっていった二人は、それぞれに自らの思いを語りました。

「自分が持っているものを共有したら、自分の得意分野を積極的に活かせるし、不得意なことは無理してやる必要がない。自分と全体のことを、同じように考える。この暮らしが好きだし、人類にとって大事な暮らしだと思います。」

「本来、能力や心の内、財産など、与えられたものは全て、分かち合うことに価値があるのだと思います。自らの個性を活かすことが、人のためにも、地球のためにも、時代のためにも、宇宙のためにもなると思うと、喜びが湧いてきます。この生き方がこれからの時代にとって最重要の役割を果たすと思うから、自分はその中で役に立ち、同じ志を持つ人々と人生を共にしたいと思いました。」

〈10代の新メンバーたち〉

二人のメンバー宣言を聞いたジジは、以下のように語りました。


現代では、「個性」というものがとても大事にされています。
私たちの国、日本では、民主主義、資本主義というものが、社会の成り立ちの基本になっています。そういった社会では、個性が尊重されない国は貧しい国、遅れた国と捉えられています。それは、自分たちの社会がこうだから、そうではない国の不自由なところを見て、それではダメだと言っている視点です。
確かに、個性が尊重されず、一人ひとりの特徴が充分に活かされない社会は貧しい社会と言えるでしょう。では、個性が尊重されて自分のやりたいことを何でも好きなようにやれる民主主義や資本主義の社会が、本当に良い社会でしょうか。日本やアメリカは民主主義、資本主義の社会ですが、これは今、最も地球を汚染してたくさんの問題をつくっている国になっています。なぜそのようなことが言えるのかというと、それは地球規模でトータルしてこの星を観ているからです。それは、宇宙の中にどのような形で地球が存在し、それがどのような物語を刻んできたのかということを振り返ると、自ずと観えてくるものです。

今、若者たちがメンバー宣言の中で、「この生き方がとても大事だから、これを生きます」と語っていました。現代の社会では、そこに参加することで自分が得をするから、という理由で物事を判断する人が多くいます。現代社会は情報に溢れ、何が自分にとって得かということをたくさん知ることができるのです。そういった誘惑の中で、人々は助け合わないようになっていきました。これは資本主義ではないところでも同じです。皆が自分のことを優先し、自分の得になることや願いを達成することが良いことになっているのです。
しかし、本来私たちには、その前に自覚しなければならないことがあります。それは、自分はどのような考えを持っていて、その自分が生きることでこの地球世界、もしくは人間社会にどのような影響を与えるのかということを観て、全体に貢献しないような考え方を自分がしているとしたら、それをやめなければならないということです。誰もが個性的で思い通りに生きて良い社会の中でも、全体の害になるようなことを一人ひとりが自らの意志でやめることは、みんなで力を合わせてより良い世界をつくっていくために、絶対に必要なことです。そこに気付かない人間は、人間社会においても地球生命世界においても、皆が連携して共存する場で、存在する資格が本当はないのです。それどころか、そういった姿勢は、一番身近で一番大切と思っている自分自身の価値すら落としているのです。

個性があるということは良いですね。個性とは他の人にはないその人独自のものであるとしたら、他の人にはできないことで、自分は他者に貢献することができます。そして自分ができないことは、他の人が自分のために補ってくれるのです。そうしたら、自分は他の人にありがとうと言い、他の人も自分にありがとうと言う世界ができます。
これは人間だけでなく、動物や植物もそうですし、一番は地水火風空という自然の要素です。太陽が照ることも雨が降ることも、空気があって風が吹くことも、大地が命を育むことも、皆他のものには代わることのできない役割をして、他を支えています。その中で、私たちは生きていくスペースを与えられ、たくさんのものに支えられて存在しているのです。何より、時というものによって命を表現することを与えられています。このように、個人の力をはるかに超える無限なるものが、自分を存在させてくれているのです。

そのようにして自らが成立していることを考えると、21世紀も4分の1を過ぎ、あと4分の3で22世紀になろうとしているこの時代に、他の生命に迷惑をかけながら生きているような生き物でいてはいけません。特に人間は、地球という体を蝕むガン細胞のような存在になっています。つまり、他の生き物から歓迎されないものになっているのです。
人間がそのような状態であることに対し、地球は困ったなというメッセージとして、自然災害(人間の側からの視点)などの様々な現象を起こしています。何より、人間社会自体が良い場ではなく、人々が幸せになれない社会になっています。人々は自分の願望を叶えることばかりを考え、その結果、一人ひとりの個性を良い形で生かせていないのです。それは、価値の低い人々がつくる世界です。
自分が、自分が、という自己中心的な考えを捨て、どうしたら自分が存在することでこの世界が良くなっていくのかを考えてください。この世界が良くなって、どこを見ても「出会えて良かったね」「この時代を一緒に生きられて良かったね」と言い合えたら、そんなに素晴らしいことはないと思うのです。それを今、ここで生きていくことを決めた若い二人が、メンバー宣言を通して見せてくれました。
こういった話がされるということは、そのことをとても大事にしてこの場があるということです。これからの時代、この場は間違いなく、新しい時代を迎えるための指針となります。それは、木の花ファミリーで生きることを望むということではありません。地球人として、地球全体のことを考えた時、誰もがこのように生きるべきだとしたら、何も地球が木の花ファミリーになればいいとは言いませんが、やはり誰もがこの精神で生きるべきだと、僕は真面目にそう思うのです。それに「そうだね」と共鳴し、他にどんなにそのような人が少なくとも、その生き方を達成しようとする人々が現れてくることを願っているのです。

みんなが同じように同じ心で生きることはできないけれど、あなた流に自分の価値を高め、あなた流に地球が美しく優れた世界になるために貢献することはできます。そうすると、あなたの人生が価値あるものになります。やはり、生きるということは、価値を積み上げることで意味が生まれるのです。その意味を理解できる人が増えたら、こういった暮らしをして、このような姿勢で生きる人が増えることでしょう。そうすると宇宙は、地球をつくって良かった、それが目的だったんだよ、そこに人間を降ろして良かったな、人間にそういう役割をして欲しかったんだ、と、太陽も月も地球も、もっとたくさんの星々も、きっとみんな喜ぶのではないでしょうか。なぜなら、そういった宇宙のたくさんの存在に支えられて地球があり、そこに私たちは生かされているからです。

その目覚めの時代が近付いているからこそ、世界に今混乱が起きているのであり、だからこそこの暮らしが始まり、今も高い志のもとにその生活が進んでいるのだと思います。そこには何の駆け引きもありません。これ以外に、私たちが生きる目的がどこにあるだろうと思うのです。
古い世代の人々は、そういったことになかなか目覚めることができず、地球を汚す側になってきました。その延長線上を生きる若者たちは、心の真実を見失い、様々なものの依存症になって、自らの本当の生き方を見出せていません。そのような中で、今日、二人の若者がメンバー宣言をしました。それは奇跡が起きていると思うのです。しかし、奇跡は起きるべきだと思います。なぜなら、この命あふれる星、地球の存在自体が奇跡であり、既にあるその奇跡にふさわしい、素晴らしい人々がいるべきだと思うからです。

僕は、とても嬉しいです。どうもありがとう。

 


木の花ファミリー創立32周年を迎えて

3月21日、木の花ファミリーは創立32周年を迎えました。以下は、その日に行われた創立記念祭にてジジが語ったお話です。


木の花ファミリーの暮らしが始まり、今日で32年が経ちました。
しかし、木の花ファミリーの暮らしが始まってから、この物語が始まったわけではありません。この物語は、宇宙が誕生した時から始まっています。私たちは、自分が存在するという自我に目覚めた時、その自分が解釈できる範囲を自らのエリアとします。しかし、それは自分を存在させている実際のエリアではありません。

私たちは毎日の生活を営み、時が経ち、歴史を紡いでいきます。その中の一つに、呼吸をするということがあります。呼吸は自分の意志でしているのでしょうか?
呼吸をするためにはまず、地球を包んでいる大気という空間が用意されています。それは私たちに、生きていくエリアを与えてくれています。この空間を誰かが「これは私の場所」と区切って、個人的にエリアを持つことができるでしょうか。そんなことはできるわけがありません。このように、私たちが地球に誕生し生きるということは、私たちの思い通りに何かを叶えることはできないのです。それは、いくら想像してもわからない壮大な物語の中にあります。私たちは人生において色々な出来事に出会い、変化します。生まれたての赤ちゃんが青年になってたくましくなり、年老いて死んでいく。この一人ひとりのオリジナルな物語に寄り添い、その物語と共に歩んでいるものがあります。それは「時間」です。

♪「我らはトキの旅人」♪
※以下のQRコードから木の花楽団の歌を聴くことができます

一体、誰が時間というスイッチをこの世界に入れて、いつまでこの時間という仕組みを提供し続けるのでしょうか。全くわかりません。しかし、明らかにこれは何ものかの意図した働きにより、宇宙の誕生から途切れることなく、私たちを世界に繋いでくれています。
そのテーマは「ひとつ」、即ちワンネスです。そして生きている限り、私たちはその中で沢山の要素を自分以外のものからいただいています。その一番の贈り物は、光です。光は誰が与えてくれていますか?そして、どこからやって来ますか? ——— そう、太陽ですね。
私たちが存在するということは、まず肉体を持っていますから、呼吸をし、食べ物を食べます。そして人生という様々な出来事の中で成長し、経験を重ね、何かをそこで学習しています。その目的は「ひとつ」ということです。私たちは宇宙に存在し、偶然にも今、幸いなことに、そして不思議なことに、人間という命として人生を刻んでいます。宇宙空間の中にある地球では、こんなにも穏やかに太陽の光が降り注ぎ、晴れて、風が吹いて、そして雨が降る中で、動物や植物が栄え、命の循環が営まれています。その美しい穏やかな世界のことを五風十雨(ごふうじゅうう)と言います。

♪「五風十雨」♪
※上のQRコードから歌を聴くことができます

私たち人間もまた、その循環の中の一つの役割としての営みが与えられています。こういったワンネスの世界では、自らを自分以外のものから切り離して存在することはできないのです。
何もないと思っているこの空間ですら、私たちに大気という大きな気 ——— プラーナを与えてくれています。プラーナとは生命力のことです。そして呼吸という循環作用を通し、私たちに「ひとつ」を表現することを求めています。大地は私たちに、その生命力の元である食べ物を与えてくれます。それは私たちがひとつであり、他の無限にある命と切り離すことができず、私たちはその命の循環そのものであることを教えてくれているのです。
このような壮大な物語の元となり、私たちに命の循環の中でその意思を示しているのが太陽です。この偉大な循環を与えている太陽の存在する意味を、あなたは知っていますか?

♪「太陽の導き」♪

さて、今の人間社会に目を向けてみましょう。地球の歴史からすると今からほんの少し前の約6500年前、人類の文明が発祥しました。これ以降を有史と言います。人間は道具を使い、火を用い、そして高い能力を発揮して、自然との付き合い方を工夫し、栄えてきました。なんと素晴らしい生き物が誕生したのでしょう。しかし、その人間の持つ高い能力は、もっと便利にしよう、もっと優れたものになろう、そして、もっと他のものを支配して自分が豊かになろう、ということに使われてきたのです。

その昔、人々は自然に生かされ、自然に感謝し、そして自然の成り立ちの中で動植物たちとひとつとなって、この生命生態系の大循環を表現していました。

♪「むかしむかし」♪

しかし、21世紀も4分の1を過ぎた今、人間たちは地球を自分たちだけのもののように扱っています。
現実に、人間たちはこの壮大な宇宙において、地球のような奇跡の星をみつけることはできません。これは宇宙の大いなる意思が総力を挙げ、地球という星に特別に理想の世界を築いたからです。しかし、その地球において最も高い能力を持つと言われる、優れたものであるはずの人間たちは、自然を超えた人工という世界を造っていく過程の中で、自らの優秀さに溺れ、地球が誕生した本来の目的 ——— 即ち、他とつながり「ひとつ」を表現するという宇宙の叡智を忘れてしまったのです。

「ひとつ」とは、自分と他者、自分と何か、そして自分と世界を比べた時に、区別がないということです。私たちはこの世界に生かされ、この世界の循環の一部を担っています。それはとても簡単なことです。「一人はみんなのために、みんなは一人のために。」これが宇宙の姿であり、それをモデルとして、地球にたったひとつの生命大循環の世界が創られたのです。私たち自身の体もまた、それを構成するすべての細胞がそれぞれに意思を持ち、連携して、ひとつの体をつくっています。それを小宇宙と言います。沢山の個性的な機能が連なり、私たち一人ひとりの中でもワンネス・ワンヘルスを実現しているのです。それと同じ構造が地球の生命生態系の中に表現されているのです。
ですから、私たちは人間社会のために存在するのではありません。個人のために存在するのでもありません。「ひとつ」という自らの存在する大調和のエリアを知ったなら、すべてのものがつながり(ワンネス)、ひとつの健康(ワンヘルス)を表現する大循環の中に、あなた自身も組み込まれ、維持されていることを、悟らなければなりません。

♪「ひとつ」♪

21世紀も4分の1を過ぎました。21世紀は「人類の目覚めの世紀」です。つまり、私たちは地球人である前に宇宙人であることを悟る世紀です。そして私たちが日常認識している世界よりもっと広く、人間では到底理解できないような大いなる世界(宇宙)に貢献する時代を迎えています。
しかし、宇宙的には人間が目覚める段階を迎えた今においても、まだ多くの人々は自分のことばかりを考えています。それは、この星に人間が降ろされ、地上世界をつくっていく上で求められる本来の目的からは大きく外れています。人間の存在する本当の目的は、互いに手を取り合い、ひとつにつながり、この地球生命生態系を健康にして、すべての生命と共に喜びあえる世界を表現することです。今日、この創立記念祭で共に歌った歌に、そのメッセージが表わされていました。

木の花ファミリーでは毎年、年始にその年のテーマが示されます。昨年は「兆し」でした。そして昨年の12月頃に、そのテーマの通り、兆しが観えてきたのです。
私たちは今日、3月21日の春分をもって一年の始まりとします。32年前の春分からここ富士山麓での暮らしが始まり、今、30歳を超えた木の花ファミリーの歩みの目的が、かすかに観えてきています。ではその目的の先には何があるのでしょう。
今年のテーマは「目覚め」です。自らの欲望を満たし、願いが叶うことが幸せではないのです。私たちは宇宙生命であり、大いなる奇跡の星、地球の生命生態系の大循環のもとに、本来の役割を果たすべきなのです。その目的は美しい地球の実現、つまり、ワンネス・ワンヘルスです。そのことに、最も高く優れた能力を与えられた私たち人間が貢献せず、その高い能力を全体のために生かさないとしたら、それは一体何のためにあるのでしょう。
しかし、現実はどうですか。人々のエゴはどんどん膨らみ、様々なビジネスが人間の欲を刺激することでお金を儲け、お金があれば幸せだといって際限なく欲望を膨らませてます。人々は、人間社会が提供するものによって依存症になっているのです。
私たちは、始めからすべて与えられ、この星の上に生きています。その始めから与えられていたもので、私たちは幸せでなければなりません。その最も大切なことを、現代人は忘れてしまっています。

♪「この星の上で」♪

私たちはひとつであること、そしてひとつになっていくことを、忘れてしまいました。みんなで分かち合い喜ぶ幸せを忘れてしまったのです。けれども、そのことに目覚めれば、地球はたちどころにユートピアなのです。

32年前、富士山麓で初めての朝を迎えた時、それは3月21日の春分でした。寝ていた部屋の東の窓から、素晴らしい太陽の光が部屋の中に差し込んできました。それを、かずこちゃんに頼んで写真に撮ってもらいました。それはまるで仏様の背中に現れる輝かしい光輪のようでした。
私たちは光の子です。無限なる太陽の光のエネルギーを与えられ、しかしそれを直接自らに取り入れることができない私たちは、大地、雨、動物、植物たちの営みの循環の中で、他の存在を通してその光のエネルギーを自らに取り込み、生かされています。ですから、私たちの元は光なのです。
命は光です。それはつまり、私たちは太陽のメッセージを受けとり、他に向けて発することができるものだということです。そういった私たちの本当の姿に目覚め、意識をひとつにしていきましょう。それは、目覚めの始まりです。そこに気付いた時、人々は目覚め、この世界のすべての問題は解決します。その目覚めは、すぐ隣りにあるのです。そしていつも私たちに寄り添ってくれています。少し横を見てそれに気づき、実行するだけなのです。

今、沢山の問題がこの人間社会の中にあり、闇のように地球を覆っています。しかし、それは「目覚めなさい」という大いなるものからのメッセージだとしたら、今こそ、その意味をよく理解して、大いなる世界の意思と連動し、ひとつになるという、悟りの境地が求められているのです。「サ・ト・リ」とは差を取ること、即ち、自らと全てのものは一体であり、ひとつである、ということです。そのものの精神が極限まで達し、究極の精神が花開いた状態のことを言います。それは自らを磨き、意識を高めていくということです。
言葉で語るとこのような感じになりますが、歌はいいですね。それぞれの個性がそれぞれの役割の位置に立って音を発し、全体がハーモニーとなってひとつを表現します。木の花の歌は美しいですね。歌を歌うためのテクニックだけでは、あのような響きは生まれません。みんながひとつになって、心が繋がった時、初めてそれが表現できるのです。
32年前、僕はこれから富士山麓で暮らすことをみんなに語りました。しかし、実際に何をするのかは全くわかりませんでした。ただ、そこに参加する人は一人ひとりあなた自身の意志で行ってください、と言いました。そこで僕が絶対と言えることは、これから私たちが生きる生き方は、これからの時代にとって大切な生き方であるということ。何をするかわからなくても、あなたがそのことを信じられるなら行ってください、と。

♪「信じる心」♪

あれから32年が経ち、今、この時を迎えています。この位置にいます。これまで沢山の出会いがありました。そしてやっとその目的の兆しが観え始めています。いよいよ今年、ワンネス・ワンヘルスの実現のウェーブが地球に放たれようとしています。
星に住むということはとても便利なものです。これがもし単なる平坦な場所だったら、この調和のウェーブはあちこちに向けて放たなければなりません。しかし、星は自転、公転をしています。そしてこの星のある太陽系は、銀河の中を自転、公転しています。ですからここにいるだけで、遠くに行かなくても、調和の光のウェーブをみんなでひとつという意識にのせ、天に向かって放てばよいのです。それは宇宙に向かって発信され、地球の自転公転により、地球全体どころか、太陽系全体どころか、銀河全体にまで広がっていくのです。
これが宇宙を生きることの真実です。それを信じないと、この大いなる目的は達成できません。あなたが信じ、そしてそれがみんなと繋がり、ひとつとして発せられた時、現実化するのです。

32年の時が経ち、こういった思いのもとに、そしてこのような仲間たちのもとに、これが世界中へ広がり、宇宙全体の魂たちと共鳴し、この地球に美しい世界が実現することは、なんと幸せなことでしょう。
どうか皆さん、ジジが言ったからやろうなんて考えてはいけません。そうだね、そうだね、とその精神をあなた自身が高く高く積み重ね、あなたの個性を生かしてください。それが目覚めです。そして、私たちの本来の目的である理想の世界 ——— ワンネス・ワンヘルス、美しい地球を実現しましょう!

今日の歌はとてもよかったですね。その歌に心を込めて、ウェーブにして天に解き放てば、地球を巡ります。それを地球が喜んでいる。太陽系が喜んでいる。銀河が喜んでいる。宇宙が、そして大いなる存在が喜んでいる。
私たち人間にはそれだけの高く尊い能力があり、その実現が託されているのです。あなたにも、誰にでも託されているのです。それを信じてやっていきましょう。
みんな、ありがとう。

♪「何億年もの時を越えて」♪


コミュニティを運営するのに大切なのは

今年6月、香港のとある地方で開発から環境を守る活動を続けているコミュニティのメンバー10名が、コミュニティの健全な運営にとって大切なものは何かを学ぶために、木の花ファミリーに1週間滞在しました。その後、メンバーの1名はさらに2か月間木の花ファミリーに残って学びを続け、帰国後に、コミュニティ内で報告会が行われました。

小グループに分かれてのディスカッション

報告会は、「体験の全体シェア」「小グループに分かれてのディスカッション」「質問とまとめ」の3部構成で行われ、参加者からは以下の8つの質問があがりました。

1:宇宙観とは何か。
それはエココミュニティに必要か?我々は、同じ考えに至るまでそれについて話し合うべきか?

2:どうしたら変化できるのか。その定義とは。

3:各メンバーの役割をどのように定義するか?各メンバーの役割とは何か?

参加者からは様々なキーワードがあがりました

4:我々はなぜ一緒にいるのか?自分自身の個性を保ちながら、コミュニティ全体の団結を意識するにはどうしたら良いか?

5:コミュニティとは家のようなものだが、世代を超えたメンバーのニーズをどうしたら満たすことができるのか?満たされていないことについて振り返る必要がある。

6:メンバー間の共振と一体感はどのように表現されるのか?

7:メンバーの成長を促す話し合いやミーティングは、どのようになされるのか?

8:組織におけるトラウマ。

この中で、「最も深めたい問い」として参加者から一番投票が多かったのが、4番の「我々はなぜ一緒にいるのか?自分自身の個性を保ちながら、コミュニティ全体の団結を意識するにはどうしたら良いか?」という質問でした。
この報告会の内容は木の花ファミリーにも共有され、それを聞いたジジは、4番目の質問に対し、以下のように回答しました。

生命の原点としてのコミュニティ

コミュニティは、そこに参加している人々の総意によって運営されるべきです。全体性と個人の意識が共通したものになった時に、コミュニティの理想に辿り着くでしょう。

その見本はどこにあるのかと考えてみると、それは地球生態系であり、また、現代の人間には実際に理解が難しいかもしれませんが、宇宙の実態はそのようになっているのです。ですから、わからないこともあるかもしれませんが、よく考えて、みんなで語り合って、自分のためではなくみんなのための場として結論を出していくようにしましょう。

人間は優秀であるがために、生きることの理論を組み立てて考えますが、その理論が個人個人の目的だけに沿うものであっては、本当に優れた世界はなかなか生まれてこないものです。まずは、誰もがわからないこの難題を、みんなで一生懸命考えて、そして、答えを出していきましょう。誰かの考えに乗るのではなく、みんなで創る場所、それがコミュニティの理想であり、地球の理想であり、宇宙の理想なのです。

あなた自身も、その大いなる世界に生かされており、その仕組みはこの世界の根本原理である愛によって成り立っているのです。その生命の原点に立ち還れば、全ては善きことのためにあることがわかるでしょう。

 


『散骨式~自然へ還るセレモニー』より ~「解放」することの大切さ

木の花ファミリーを基盤として様々な社会貢献活動を行うNPO法人ぐりーんぐらすでは、毎年大晦日に、その年に亡くなった縁ある方々のご遺骨を人の手で丁寧に砕く粉骨式を行っています。そして年が明けると、『散骨式〜自然へ還るセレモニー』を開催し、粉骨されて小さな粒子となったご遺骨を、富士山麓の自然の中へとお還しします。

『散骨式〜自然へ還るセレモニー』にて 斎主による散骨式祝詞の奏上
散骨を希望する一人ひとりの手に、粉状になった遺骨を渡していきます
参加者は、思い思いの場所に遺骨を撒き、自然へ還します

2023年は、6人の方々のご遺骨を散骨しました。まるで春先のように暖かく澄み渡った空の下、生前には互いに見ず知らずの存在であった方々の遺骨を共に自然へお還しし、歌と舞の奉納が行われた後、ジジは以下のように挨拶をしました。

ナイジェリアの研修生から送られた民族衣装で挨拶をするジイジ

今日は、いつもながら天候に恵まれ、とても良い散骨式を執り行うことができました。
昨年、私たちとご縁のある6人の方が旅立たれ、今日はその方々のご遺骨を散骨させて頂きました。6人の方の中には、生前に私たちと関係の近かった方もいれば、遠かった方もいらっしゃいます。普通であればお互いに他人同士であった方々のご遺骨を、みんなで一緒に、自然へとお還ししました。この散骨式については、意味深いところがあり、そのことについて少しお話をさせて頂きます。

私たちの暮らす地球上には、命というものが溢れています。人間も、その中の一部です。命は必ず死を迎えますから、私たちもいずれ死を迎える時が来ます。しかし、命には、突然に死だけが訪れるわけではありません。死の前に、生まれるということがあるから、死を迎えることになるのです。
私たちは生まれると、その生まれた場所で頂いた縁を紡いでいきます。まず最初に、親を頂きます。いろんな事情の親を頂くわけですね。この世界に生まれてくる時に、差別ではないかというくらい、それぞれに個性的な縁を頂いて、いろいろな人生を歩み出します。しかしそれは、人間世界の話です。その前に、そもそも生命とはどういうものなのか、ということを考えてみたいと思います。

『太陽の導き』の奉納

今日、この散骨式で、『太陽の導き』という歌を、舞と共に披露させて頂きました。私たちはそもそも何ものなのかというと、太陽から来るエネルギーが転換して、私たちの命になっています。そして、地球上に地水火風空という自然の現象が寄り添い、命の循環が生まれます。その循環の中で、動物も、植物も、目には見えない微生物までもが育まれており、私たち人間も、その循環の中にあって生かされているはずなのです。
なぜこのような話をするのかというと、人間以外のものは、その循環の中で、自分の与えられた立場、そして自分の与えられた生き方の枠を守って生きています。現在もそうです。時代は21世紀になり、人間の社会ではどんどん進化・発展して豊かになることを追求していますが、人間以外の生き物は、地球上で何も変わらず生きているということです。そこで今、そういった命の原点を考えると、今の人間たちが地球上でしていることは何なのでしょうか。
去年、戦争が始まりましたね。あの戦争は仕掛けた側が悪いのかというと、それは私たち人間が創った社会の中で起きたわけです。その社会の一員である日本の現状はどうですか。日本は平和だと言いますが、現実にはたくさんの格差があり、学校に行けない子供や、引きこもりになって自殺する人たちまでいます。小中学校の先生の中にも、精神的な病気が原因で休暇を取る人が1万5千人を超えたそうです。学校だけでもうつ病の人がそれだけいるということは、うつ病になる予備軍は日本中にもっといるのです。これが豊かな国である日本の現状です。日本だけではありません。アメリカでは、つい3日ほど前に、6歳の男の子が口論をして先生をピストルで撃ったというニュースがありました。それが、人々が求めてきた豊かさの結果です。今の時代は、歪み乱れた世界が究極を迎えていると思うのです。現代の地球上に、そういった問題ごとを見付けることは、難しいことではなくなっています。

そこで改めて、この散骨式の意味について考えたいと思います。私たちがこの世界に生を受けたのは、お父さんとお母さんがいたからですが、その始まりには、何もありませんでした。その何もなかった存在がどこから来たのかということを、考えてみましょう。
まず、形として現れた。その時に、何かしらの定めを、既にそこで頂いているわけです。そして自然の仕組みの中で、太陽のエネルギーを頂き、地水火風空の循環の中で食べ物を頂いて、成長していきます。成長するとは、そのエネルギーを体に取り込むということです。そして取り込むだけでなく、排泄もします。排泄したものはどこへ行くのでしょう。それも自然に還っていきます。それを繰り返しながら成長し、やがて寿命を迎え、死に至ります。この循環から外れて生きることは、誰もできません。太陽が要らないとか、空気が要らないとか、水が要らないとか、そんな人はいないでしょう?大地のお世話になっていない人はいないでしょう?しかし、人間たちは、そのことを忘れてしまっているのが現状です。
今の時代を生きる人々は、お金をたくさん稼ぎ、好きなものを食べ、好きなことを何でもやれるのが豊かさであり、成功者であるとしていますが、それがいっぱいに広がっている世界は、自然から離れた世界です。大都会でこそそういった豊かさを享受できることになっていますが、生命としての原点を考えたら、それは本来の在り方とは真逆の世界です。このような価値観が人々に求められるようになったのは、産業革命以降のたった260年ほどのことですが、その僅かな期間の人間の行いによって、地球温暖化や様々な問題が起きています。すべて私たちがやったことです。それが何を意味するのかというと、人間は他の生き物とは違う行動をするようになった ——— つまり、「自分が」「自分の」と、自分というものを特定し、その自分に執着するようになったのです。

自分とは、一人ひとり個性的で、とても大切なものです。しかし、この自分という個性を自分のためだけに、或いは自分の身内のためだけに使うようになった結果、それが大きくなって、自分の国のためだけに、と、戦争にもなっていくのです。これが今の世の中を混乱させている根本原因であり、このまま進めば、いずれ人類を滅亡に導くかもしれません。
今日散骨させて頂いた遺骨に対しても、その人が生きている間はもちろんのこと、亡くなって骨になってからも、これが私のお父さんだ、お母さんだ、私の大切な人だ、と骨を見ます。そしてそれを、お墓や骨壺のように特定の器の中に閉じ込めます。それは、死というものを固定しているからです。固定したイメージを作り、器の中に閉じ込めているから、死は避けるもの、恐ろしいものだと思っている。それは絶対に通過するものであるはずなのに、そのような概念を作って閉じ込めている。しかし、お墓を持つとか、仏壇を持つという風習は、歴史的にはそんなに古い話ではないのです。

人間以外の命はすべて、自然の循環の中へ還っていきます。それは、自然から頂いた肉体的生命を循環の中で紡いでゆき、終わりを迎えたらまたお還しする、ということです。私たち人間も、同じです。では、魂はどこへ行くのでしょうか。それは、一人ひとりの心の位置に相応しい場所へ行きます。ですから、一律にどこへ行くということは言えません。しかし明らかに、魂の精神性は高い位置と低い位置があります。それはどのような違いがあるのかというと、日頃自分のことだけを考えている人は、自我の枠の中に心の位置があるわけです。自分のことばかりで枠が狭いですから、それだけ毎日枠の狭い命を表現していることになります。
枠が狭いと、循環から外れます。そうでしょう?すべてが繋がり、支え合って循環している中で、自分のことばかりになっているのですから。循環の中にいれば、それは流れの中にいるということですから、物事がスムーズに流れて順調に進みます。しかし、「自分だけ」という考えで一生懸命生きていると、一生懸命の分だけさらに流れが悪くなり、滞るのです。それは、自分にとって都合の良いご利益を求めてどこかへ拝んでも、良くなるものではありません。
この大いなる循環とはどのくらいのスケールなのかと言ったら、私たちは今、地球の循環の中に在ります。地球の循環と言いますが、実は地球が運営されているのは、太陽系があるから運営されています。太陽系が運営されるのは、銀河があるから運営されています。銀河が運営されるのは、銀河群があるからです。さらに、人間にはまだ分からない、銀河群よりさらに大きな宇宙の仕組みが、全体を運営しているのです。
その大いなる循環の中で、今日散骨した皆さんの遺骨も自然に還り、いずれ草木に吸われ、生き物に吸われ、炭素循環、窒素循環、いろいろな循環の中で、空気や土に還っていきます。そのように心を大きく広げていくと、今月のお給料がどれだけだったとか、自分の欲しいものが手に入ったとかいうことは、微々たることです。そんなことよりも、もっと大切な枠によってこの世界は動いているのです。

人間は社会を築き、それぞれにいろいろな人生をもらっていますが、それは修行ですね。何の修行かと言うと、自分の枠を取り払うために生きているということです。なぜなら、もともと「自分」という枠はなく、他のものが存在するから、その循環の中で生かされているのです。それなのに、人間はいつしか自らの枠を所有し、そこから離れられないようになっています。これが現代の、本当にどこを切っても問題だらけという社会を創っている一番の原因ですが、現代の人々の中で能力が高いとされる人ほど、そのことがわからないのです。
いずれ、このことを理解しないと社会が行き詰まる時代を迎えます。2012年12月21日に、私たちの世界は25800年ぶりの銀河の冬至を迎え、昨年2022年12月22日の冬至を以って10年が経ちました。それは、人間たちが自我を膨らませることにとても熱心だった時代が終焉を迎え、次の時代が始まったということです。ですから、2012年12月21日以降、地球上での人間の振る舞いはうまくいかないようになりました。そこからさらに10年が経ったわけですから、さらにそれが明快になり、今、2023年を迎えているわけです。
今日は、普通であれば互いにご縁のなかった方々を、一緒に散骨して自然へお還ししました。自然に還すということは、何もなくなってしまうわけではないのですよ。自然という、ひとつの命の循環の中に還すのですから、今まで別々だったものが、ひとつに還るのです。つまり、まったく縁のなかったものたちが、本来の自分自身となってひとつになっていくのです。
太陽が自分自身だという人はいますか?太陽があるから自分がいるのでしょう?土もそうです。空気もそうです。空気が無かったら生きていけないでしょう?そのように考えたら、この世界は自分自身です。この世界が自分自身であるならば、自分はそこで何をするのかと言うと、生きて、この世界をひとつにするためのお返しをするのです。この世界が健全になるために。

今日は6人の方々の散骨をさせて頂きました。いずれ私たちが旅立つ時も、やはりひとつのところへ還るでしょう。私たちがこのような散骨式を行うのは、世界はひとつであり、みんなが助け合ってこの世界が成り立っていることを、理解しているからです。
今、人間たちはそのことを忘れてしまいました。自分の自我を表現し過ぎて、自我を叶えることが良いことだと錯覚してしまっているのです。しかし、生きることは、自我を手放すために生きているのです。それは、今までも、今も、そしてこれからも、ずっとそうです。自我を手放した状態で生きることは、世界に貢献します。そこで、「自分」という狭い枠に貢献しても、欲深い心が育つだけなのです。

そこで今朝、今年のテーマが降りてきました。それは「解放」です。何から解放されるのかと言うと、一番かわいくて、一番捨てられずに大事にしている「自分」からです。それから解放することが、自分を楽にさせます。そして、価値あるものにします。その自分は、欲深い心で争ってばかりいるこの世の中を良いものにしていきます。
地球はひとつです。ひとつの地球の中で、なぜいがみ合わなければならないのですか。みんな太陽の子どもですよ。みんな大地の子どもですよ。それなのに、どうして争うのですか。人間は今、自然の循環の中の弱肉強食とは違う、互いを貶め、つながりを断ち切ることで、自らの価値を落としているのです。

たったこれだけの規模の散骨式ですが、それは人類にとってとても大きな意味を持っています。特定の墓や骨壺に閉じ込めず、亡くなった人を解放してあげることが、魂にとってどれほど大切なことか。私たちはもっと大きな循環の中にいずれ還っていくのだということを、認識してください。
私たちは一人ひとり個性を与えられていますが、それを自我の枠の中で自分のためだけに使ってはいけません。この世界に命をもらったということは、生きて、この世界を健全にする役割をもらったということです。そしていつか役割を終えたら、「ありがとうございました」と言って、物理的なものはすべてお還しする。そうすると地上に未練がなくなりますから、魂は軽くなって上へ昇っていきます。いろんなものを抱え、未練を残せば残すほど、魂は重くなってなかなか上へ上がれないのです。これが生命の道理です。
来年もまた、こういった散骨式でご縁のある方々を送ることになるかと思いますが、この活動を世の中に広げていくことが、世の中を良くすることにつながっていくのです。

今日はとても良い日で、太陽がこのように暖かい陽を注いでくれているのも、「これをやりなさい」と恵まれたのだと思います。どうか、そういった大切な輪を広げていきましょう。本日は、ご縁のあった皆さまと散骨式を無事に執り行えたことを本当に感謝いたします。

ありがとうございました。

 

 


NPO法人ぐりーんぐらすでは、亡くなられた方のご遺骨を自然の循環の中へお還しする、独自の粉骨及び散骨式を行っています。詳しくは、直接NPO法人ぐりーんぐらすへお問い合わせください。

NPO法人ぐりーんぐらす
電話:0544-67-0485
メール:green★npo-greengrass.org(★を@に変えてください)



収穫の時代 〜 私たちは、何のために生まれて来たのか

木の花ファミリーでは、毎年12月に一年の恵みへの感謝を込めて「収穫感謝祭」を行います。以下、2021年収穫感謝祭でのジイジのお話をご紹介します。


今年も一年の農の締めくくりとして、収穫感謝祭を迎えました。ここに、今年一年の活動の証として供物が供えてあります。これはどこから生まれてきたかというと、太陽がもたらしたものです。そして、太陽が一方的に与えてくれたのではなく、地球の生命活動、地・水・火・風・空から始まる、植物、動物、そういったものの調和の延長にもたらしてくれたものであります。そういった仕組みを私たちは、毎日糧として頂き、一年を生きてきました。

本来、命が生きるとは、太陽の恵みを地上に頂き、それを受け、様々な自然活動がそこに働きを持って貢献していく。そして、我々命の代表である人間や動植物がその恵みを頂くことであり、収穫することは、取るということではないのです。ですから、生きるという事は頂くという事であり、頂くという事は謙虚な心から生まれる姿勢なのです。そういった土に近い生き方をしながら、土から恵みを頂くという事は、本当は生きるものの原点であり、人間はその極めて代表的なものでなくてはいけません。

食べ物を頂く以外に、今年は二つの新しい命(仲間)を頂きました。それから、農作業などをして、その収穫物を食べたり、それを販売し生業とする様々な生き方の中で、新しい知恵も頂きました。そのように時が過ぎて行く中で、人間はどんどん賢くなり、本来この世界に豊かさをもたらさなければならないものです。しかし、人間がこうしたいああしたいと思うとついつい自分の都合ばかりを考えるように、我々の活動も色々な問題に出会うことがあります。さらに、ここ木の花ファミリーの活動にだけではなく、日本にも世界にも、コロナウイルスを始め、環境の悪化、不健全な社会情勢など、地球規模の矛盾が沢山起き、私たちは農をベースとして生きるものとして、順風満帆な一年を過ごしてきたわけではありません。しかし、その順風満帆でない事を通して、小さく自らのエリアを通し、その姿勢、心の在り方を振り返り、どうしてそうなったのか、そして大きく国レベル、地球レベルで人類としてどうであったのかという事を、振り返り、学習し、次の時代に繋げていくべきことなど、そういった学びも頂きました。

今朝、ニュースを見ていました。すると、世界各国の生産額GDPは落ちているにも関わらず、株価が高騰し金融システムではお金は余っている。その中で、コロナ禍の生活の延長にゲーム産業が最も伸びている。こういったお金の仕組み、ゲームの仕組み、たくさんの産業という『業』の付く生き方があり、その中でも土に縁のない生き方が、お金や物の浪費という豊かさをもたらしています。そのように、今の時代が出来ている事がよく解ります。私たちは、農業ではなく、命を頂くとして、生きていますが、その活動は金銭的には生産性が低いのです。しかし、そういった『業』とつく産業が生み出すお金の世界の全ては、農業を始めとして、医療業界から様々な分野において人々が欲深な生き方をすることで、それが地球規模の問題を今、生み出しています。そういった地球規模の問題は、これから更に激しくなっていく事は確実です。

もう一つ、先ほどここへ来る前、着替える合間にテレビを見ましたが、夕べ、アメリカのいくつかの州に大きな竜巻が発生し、今のところ70名ほどの人が亡くなったそうです。全体像がまだ見えていないので、100名以上亡くなっている可能性もあります。アメリカのバイデン大統領は、この事を竜巻の災害では過去最大のものであると語っていました。これも何かしら自然が人間の行いに対してメッセージを送っているのではないかと思います。これから一年も経てば、また収穫の時期を迎えますが、収穫というのは都合のいいものだけを頂くだけではいけないのではないかと思うのです。いろいろな問題事を頂いて、厳しい時代に、そのことで何が与えられているかという事であり、恵みではなく、問題事を頂いたという事は、襟を正せという事です。ところが、問題事を頂いても、自らの襟を正すのではなく、自らの能力を使って回避し、乗り越えて、今までと同じ生き方をしようという人間たちが現れました。これは、人間の能力の高さでもあります。しかしながら、人間がこの姿勢を取り続けていると、問題ごとを通して全てそうですが、その姿勢を正すまで自然や天は、繰り返し繰り返し、私たちにその反省を促す為に問題事を与えます。それが今この時代に、究極の示しとして現象が現れているという事ではないかと考えるわけです。こういった捉え方をする人々が世界中にどれだけいるかと考えると、今はまだ皆無に近いですね。

世界を代表するアメリカと中国は今、いがみ合っています。そこに国家の利権を最優先するロシアがウクライナに侵攻しようとし、それに対してアメリカがNOという。その企みが上手く行けば、中国が台湾に侵攻する口実になるとも言われています。丁度80年前に起きた太平洋戦争は、日本が真珠湾を攻撃した1941年12月8日に始まりました。それから80年経ったのですが、今とてもきな臭いムードが地球上に漂っています。21世紀に入り既に21年経っていますが、そんな状態の人間の姿勢を考えると、とても愚かしい姿が観えてきます。

私たちは、今日の収穫感謝祭を、収穫を頂いてありがたい、自分たちが生きていければいい、という事ではなく、そろそろ自分たちの襟を正して振り返り、人間の地球に対する横暴を正しくしていくことにつなげることではないでしょうか。今までは、拡大の時代でしたから、欲望の延長にただ便利がいいように、ただ物が豊富である豊かさが求められてきましたが、これからは量より質を考えなければいけない。生き方というのも、自らの生き方が自らに幸せをもたらすのは当然ですが、同時に社会やこの世界の仕組みに則って社会が豊かになっていかなければいけない。社会だけでなく、地球が歓迎する豊かさの追求をしていかなければならないのです。それが、このようにテクノロジーを使い、不必要なまでの利便性の追求と、異様なまでに溢れる物と、それがいずれゴミを生み出す現状は、そういった様々な問題が溢れこの時代を運営してきた人間の責任であるのです。その役割を果たせた時に初めて、人間は高い意識の秩序をもたらすものであるという事が表現できるのです。様々な問題を収穫する時代が来ました。良い事も悪い事も収穫する。良い事は感謝すればいいが、悪い事は感謝の前に何故それをいただいたのかという振り返りをし、そしてそれをもたらした人間性を改め、自らの価値が上がるための本当の意味での心からの感謝をしなければいけないという事です。

その為に、私たちは何をしなければならないのか。昨夜、みんなで映画(ラーヤと龍の王国)を観ましたが、あの映画の中で争っている人々が融和し優れた社会を創る為には、互いを信じあう事こそが最も求められることでありました。そして、互いに信じあう為には、正直である事。何でも語り、何でも語れる、何でも聞き、何でも伝える、共に生きていくという事をしたら、その姿は地球の命の仕組みですね。そういった事をもう一度人間は、自分たちが最も優れているという、おごった立ち位置にいつまでもいないで、正しく受け取り、尊い者となり、他の生き物の為に生きる。そして、人間たちが本来地球に降ろされた意味を表現する。その価値を取り戻す時代が来たからこそ、この厳しい時代が始まっているのではないかと思うのです。

日々、こんな事を考えながら365日経つとまた、来年も収穫感謝祭が来ます。ここにお供えしてある供物はこの時期ですからだいたい似たようなものが、毎年お供えしてありますが、それは同じものではないですね。これは数か月前までは土だった、あるいは、数か月前までは施肥として私たちがそこへ入れた栄養だった。さらにその前は成長の過程では空気だったり、水だったりしました。様々なものが変化してここへ至っているという事は、天地一体、地球の大調和の働き、流れだけでなく、天体の動きが、こういった大いなる動きをもたらしている。ですから、私たちは宇宙を生きる者として生まれてきました。

丁度今、日本の民間人として初めて宇宙へ行っている人がいます。宇宙ステーションから、人の欲望をくすぐり、人の気をひくような事を言っていますが、お金でも何でも、心が貧しい者が持つと本当に無意味な貧しいことに使います。それはお金の事だけでなく、すべてのものが豊かになるという事は、心が豊かであるという事が先に優先されないと、正しく世の中のために使われるという事にはなりません。

年々、生きるという事は感慨深くなっています。一年を通して深い学びを頂く。その一番は、人の価値を収穫する事です。そうやってみんなで、その価値を収穫する為に生きる。生きていないとその価値を収穫できません。肉体を頂いてその心を健康に運営していないと、その価値は積み重なりません。

この生のサイクルが終わると、自分を積み重ねるという事は次に生まれてくるまではありません。今は命を頂いた体があるからこそ、時と共に人生があり、色々な事に出会う事によって、自分の価値を積み重ねるという仕組みになっているのです。

この道理をいつも念頭において、日々、一年365日、クリスマスや正月、自分の誕生日などいろいろな記念日がありますが、毎日、朝を迎え、夜を迎え、その都度、瞬間瞬間に、自分たちは一体何のために生きているのかを意識し、スケールの大きな心で生きていきたいものです。

そういった自覚ある一年を生きる為に、こういった記念日があるのではないかと思います。自覚を持って一年を送ってもらいたい。そうすれば、この頂く人生は、心の成長としてその人の価値を付けるものとなる。この価値だけが死んでからも持っていくものです。

その為に人生があるのだという事を今の人類に伝えられる見本が、ここで示せるのではないか。そんなに遠くなく世の中は完全に行き詰ります。その時に、ここにその見本があるという事が言えるように生きていきたいものだと思います。くれぐれもその事を一人ひとりの命題として自覚し、歩んで行ってもらいたいものだと思います。これは、誰かが誰かにお願いする事ではなく、自分が自分に言い聞かせ、この道を歩むことを選んだことの自覚として頂きたいと思います。という事でまた、この記念日では、一年後にお会いしましょう(笑)

ずっとこれをやっていきますから。馬鹿な事もいろいろ提案しますが、自分を捨て、空っぽにし、日々、365日マツリの精神で生きていきたいものだと思います。今日、そういった大事を理解し納得して生きていけるという事は、その境地に到達したという事で目出度い事です。収穫感謝祭、おめでとうございます。そして有難うございました。

ツイスト踊る?(笑) (ツイストには質的転換の意味があります)

みかちゃん:
それでは、心を収穫するという事が一番大事な事だと思いますので、みんなで歌いましょう。

 

※みんなで合唱した歌の歌詞を載せます☟

『♬この世界をつくっているのは』

蒔いた種を刈り取るのは一人ひとりの責任
みんなで蒔き続けた種が今もこの世界を創っている
心の中に色んな 想いの種をみんな抱えている
何もかも 誰かのせいにすることはできない

ならば

あなたはこの世界にどんな想いの種を蒔きますか
そしてこの世界にどんな花を咲かせますか

この世界をつくっているのは
この世界をつくっているのは
この世界をつくっているのは
この世界をつくっているのは

私たち ────