天の川銀河と対話して~北朝鮮について語るPARTⅡ

先日、いさどんが長野県の大町ビレッジに泊まった日の夜のこと。日中の養蜂作業で疲れてしまったいさどんはいつもより2時間も早く眠りについた結果、「年をとると睡眠時間が短くていいから、早くに寝ると早くに目が覚めるんだよ」といういさどんの予想通り、夜中に目が覚めてしまいました。その時点で十分に睡眠をとれていたいさどんは、次のように考えを巡らせました。

「昨日は頭も痛くて、さらに疲れていて、眠くて仕方がないから、大町の皆とも大して話しもせず、早くに寝てはいけないと思いながらも、とうとう寝てしまった。そうしたら、予想通り夜中に目が覚めた。これが流れだとしたら、天の意志だ。今、僕は何かすることがあるのではないだろうか?」

そこでいさどんは布団から起きあがり、北朝鮮や最近の世界情勢について想いを巡らせていました。そのとき、いさどんはこう思ったのです。

「これはいけない!部屋の中で天井を通して対話するべきではない。今は、外に出て天を観るべきだ。生の星や月を見て対話するべきだ。」

そして外へ出たいさどんが上を見上げたら、そこには月がありました。ところが、月を見て何かを語る気にはなれなかったいさどんは、月とは反対の方角を見ました。そうしたら、そこには天の川銀河の星々が瞬いているのが見えました。

「そうか・・・銀河か。」

天の川銀河はわたしたちが所属する銀河です。最近、いさどんは銀河に向かって語りかけていましたから、そこで自らのまわりにある流れについて銀河に語りかけたのです。

「今、わたしのまわりにある流れは滞っているように観えますが、それもすべてそちらの意志だとしたならば、これは滞っているように観えるどころか、それも流れだと受け取るべきですね。」

そのときのいさどんの目的は、銀河と対話することでした。しばらくして、納得を得たいさどんは部屋に戻り、また眠りにつきました。

そして朝になり、目覚めたいさどんにはあるイメージが浮かびました。なんと、渡り鳥をタモで捕まえる映像が突如として現れたのです!それは何年も前のことなので、いさどんの記憶も定かではないのですが、NHKの番組でヨーロッパの人たちが渡り鳥を捕まえることを特集していたのでした。そこで、いさどんは次のように回想しました。

「冬の前に渡り鳥がやってくる。地元の人たちは岩場の陰に隠れて、渡り鳥が飛んでくるのを見ると、渡り鳥が岩場に降りる瞬間に大きなタモで捕まえる。『昔はたくさん捕れたんだよ。今はいっぺんに数羽捕れることもあれば、まったくダメな日もある。でも、冬になる前に渡り鳥を捕まえて漬物にするんだよ』と地元の人は語っていた。彼らは渡り鳥を羽毛ごと、漬物にする。その渡り鳥は鳩よりも少し大きいぐらいだった。それをどれだけか発酵させてから彼らは食べていた。僕の記憶によると、発酵した時点でその羽毛はヌルヌルになっているから簡単に取れる。だから毛を取って、生でそのまま彼らは食べていたような記憶がある。

その番組を見ていたとき、僕はとても気持ちが悪くなった印象がある。マサイの人たちは牛の首に矢を放ち、牛の血を飲むことがあるけれど、僕にはとてもできない。だいたい、血液というものは消化が悪いから、あんなにたくさん飲むと吐いてしまう印象がある。しかし、それよりも、あの渡り鳥の漬物のほうがさらに強烈だった。ところが、一家の長であるお父さんが渡り鳥を捕まえて冬の食料にし、『おいしいね』という団欒がそこにはある。そうすると、そこではまったく文化が違う。しかし、それは生きていく手段であり、自然との対話であり、生きるためにそれが与えられている。その環境に対してどのように生きていくべきかという智慧が与えられた結果である。そしてその延長に味覚があるから、僕にはうっとすることでも、『おいしいね』『今年のものは出来が良いね』という団欒があるのだ。そして、そういったオリジナルな文化を人々が認め合ったときに、世界に平和がある。」

そして、いさどんは朝の準備をしている大町メンバーのみほさんに次のように語り出しました。

 


たとえば、キツネは目が良いよね。目が良いから、耳と目を上にピッと上げて獲物を狙う。犬は鼻が良いから、耳も垂れていて目も下を向いていて、鼻で獲物を追いかけていく。そうすると、犬はキツネのやり方を見て、「あんな変な追いかけ方をして馬鹿だ!」と思うことだろう。しかし、キツネが犬のやり方を見ると、「あんなに下ばかり見て馬鹿だなあ!だいたい、犬は世界が狭いんだよ」と思うことになる。そこで、鷹がキツネと犬を見たら、「おまえたちは馬鹿だなあ!どっちみち、地上を這っていたら獲物が捕れるか。俺のように上から急降下して獲物は捕るべきだ!」という話になる。そこでさらに、別の生き物がそれを見ていたら、「そんな急降下して外れたら、自分がえらい目に遭うぞ!」と言い出すことだろう。

つまり、そこで僕が考えたことは ――― 結局、人は自分の考えを肯定されると、それを喜び、正しいとする。しかし、自分の考えを否定されると腹が立ち、その究極の姿が戦争だ。ところが、一人ひとり、それぞれの考え方や生き方があり、プロセスをつないできたとしたならば、誰もが尊重されるべきだ。そうすると、自分が認められる前に相手を認めるだけの度量があって、その上で自分が相手に認められれば、平和は自ずと訪れる。しかし、どれだけ自分が正しいと主張しても、互いが「あなたを認めない」と不愉快な心を持っていたら、これでは平和は訪れない。

そこで、わかったことがある。北朝鮮もキム・ジョンウンも、今の状態に至るにはプロセスがあってここまで来ている。過去にカダフィでもサダム・フセインでも大量破壊兵器を持っていなかったから、ある意味敗者となってきたわけだ。そして、日本は核兵器を持っていないから、アメリカの言いなりになっている。「だから、核兵器を持って対等にならないといけない」というのが親の代からのキム・ジョンウンの持論なのだ。そこには民族的なものもあり、恨(ハン)の文化という背景もある。その上に朝鮮戦争があり、身内で骨肉を争うひどい戦いをした。それがまだ終わっていない。だから、とことんケリをつけて終わればよかったのだ。そこに、アメリカが非常に身勝手な拳を振り上げている。

今、北朝鮮は核兵器を持つことによってアメリカと対等になろうとしているが、そもそも地球上の今の核兵器バランスというものはどのような形で始まったのかといえば、核不拡散条約により、核兵器を持つのは良心的で優れた国とされているアメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国。この5ヶ国は核兵器を持ってもいいが、これらの国は平和のために持っている。しかし、他の国はならずもの国家で、核兵器を保有したら何をしだすかわからない。平和の脅威だ。だから、5ヶ国以外の国には持たせないという話なのだ。しかし、そもそもこのような核兵器はなしにするべきだったのに、自分たちだけが善良な国で、あとはならずものだから持たせないという話にしてしまった。

核兵器というものは、隣りが持っていると不安だからといって、アメリカが保有したらソ連も持ち、ソ連が持ったからイギリスやフランスも持ち、それで中国が保有したら対抗してインドも持った。それでインドが持ったら、今度はパキスタンが持ったんだよ。そうすると、中東諸国に囲まれているイスラエルは事実上核兵器を持つことになった。

つまりこの状態は、自分の主張が通ったものが善良で正しいという考え方だ。そうすると、北朝鮮のように核兵器だけを持っているのではなく、今は経済と軍事力の時代だから、経済も核兵器も両方持っているのは、アメリカだ。だから現状の世界は、アメリカが自らの尺度で「これはならずものだ」「これは善良だ」「仕方がないからこれは認めよう」と判断しているという姿になっている。

そのような世界に平和が訪れるわけがない。そうすると、北朝鮮の主張もわからないわけでもないという話にもなるだろう。

要は、自分が観た尺度から納得できるのが正しいことで、その尺度から納得できないものが間違っているという考えが、間違っているのだ。北朝鮮からすると、アメリカは横暴な大悪党なわけだ。今までどれほどの人を殺していろいろなものを収奪し、今なおその上に君臨し、世界の富を奪っているのだから。ということからすると、誰もが対等であるべきだ。

その眼から観たら、正しいとか正義はない。ところが、多くの人々は自分の眼から観て受け入れられることの上に平和をつくろうとする。だから、アメリカの傘下にいる日本はアメリカにはごまをすり、北朝鮮には厳しく非難する。ところが、もし第二次世界大戦のときに日本が敗戦ではなく停戦を勝ち取っていたならば、今、日本は北朝鮮と同じ立場にいることにもなるだろう。

人間は、自分の見える目線から判断し、認められるものを正しいとする。それが認められない、もしくは理解できなければ、間違っているとする。その徒党を組んだ極めつけが国家だ。

しかし、伝統的な暮らしも、動植物の個性も、地域による文化の違いもすべて多様性を認め合って初めて、平和がある。ところがグローバル化によって、人間の豊かさの価値観が単一化してしまった。そこで、お金があって欲しい物が手に入るアメリカ型豊かさだけが豊かさになっていると、それを阻害するものは悪で、そのようなものたちが築き上げてきた多数決の世界観が正義になっている。それが現代の問題を生んでいるのだ。そのような価値観はこれまで爆発的に広がってきたが、それは地球の多様性という生命世界からしたら、非常に貧しく単一的な世界だ。そのツケが今、世界中に現象化してきているのである。

そして、その単一化された価値観を阻害するような今までの動きも、実は宇宙からのメッセージであり、その矛盾を人類に示しているとも言える。「ひずみがあるとこうなるよ」と。逆に、ひずみを消すと悟りに向かっていくのだから、悟りに至ることはある意味味気ない世界とも言える。そういったことを宇宙が教えてくれている。

その宇宙の意志が観えるものになること――。それを今の時代に生きる人々に伝えたい。

わたしたちは銀河の法則と共に今、ここにいる。そうすると、今、目の前にあることだけを見ていてはいけない。

 


 

そして、2017年の秋分を迎え、いさどんは次のように語りました。

「木の花ファミリーでは2017年を『爆発の年』と呼んでいる。爆発というのは、究極の破壊だ。そうすると、破壊というのは、陰に入る入り口とも言える。今日、秋分の日を迎えるにあたり、これまでの拡大のサイクルからそぎ落としのサイクルに入る。だから、一人ひとりが不要なことはもうなしにして、必要なことだけを行っていく時が来たということだ。」

 

 


生きることの奥にある人生の原点に出会う

2017年7月26日、マヤの暦でいう新年から長期滞在をしていたAさん。「第11回大人サミットに参加して、もう少し心磨きのヒントを得たいと思い、今度は長期滞在することを決めました。自分の性質を知り、それを表現するにはどうしたら良いのか、知りたいと思っています。また、意識を高める練習をしたいです」という想いから、当初2週間の予定で木の花での滞在を予定していたのですが、数日毎のいさどんとの面談や毎日の日記のやりとりを通し、心磨きの奥深さに目覚めていった結果、最終的にAさんは48日間滞在することとなりました。

そんなAさんがここを出発する4日前、台湾から20名近いゲストが2泊3日のツアーで木の花を訪れました(写真上)。彼らにとって滞在2日目の朝、プレゼンテーションをする担当のみちよちゃんはその場にたまたま居合わせたいさどんを見て、ゲストの皆さんにこうアナウンスしたのです。「皆さん、今日はラッキーですね!今日はここにいさどんがいます。いさどん、5分でいいからお話ししてくれませんか?」

その流れを受けて、いさどんは「僕に5分と言うと、30分は話しますよ(笑)」と言い、次のように語りかけました。

 

生きることの奥にある人生の原点に出会う
―それは毎日の生活にちりばめられているー

皆さん、今日はとてもラッキーなことがありましたね♪それは、朝から僕に出会ったからです(みんな、大拍手)!

今、僕はなぜこの部屋にいるのかというと、(一冊のノートを掲げながら)これはある人の日記です。(日記のページを開いて)黒い字は彼女が書いたところです。そして、赤いところは僕が書いたコメントです。彼女は33歳で結婚しているのですが、人生に行き詰まっていました。もう2ヶ月弱、ここに滞在しています。この日記の表紙には「No.2」と書いてあります。ですから、約2ヶ月間で2冊目の日記です。

今、木の花には4人の人生に行き詰まった人たちが、メンバーではないのですが、暮らしています。皆、一人ひとり事情は違います。一人ひとりと1週間毎にお話をするのですが、昨日もその中のひとりの男性と話す時間を持ちました。彼は30歳なのですが、昨日僕は彼に少し厳しいことを伝えました。

私たちは常に、自分が幸せで健康でありたいと思っています。僕は彼に、「自分が一番幸せになりたいと思っているのにもかかわらず、あなたの考え方はいつも自分を不健康にしています。もっと自分に優しい人にならなければいけません。そのためには、命として、人として、健康な生き方をしなければいけません」と伝えました。

彼は、一生懸命自分を幸せにしようとして生きてきたのですが、結果として今、自分の人生が行き詰まっています。それは、自分が望むことを叶えようとしてたくさん考えた結果、他人に対して愛がなく、優しさがないのです。だから、人間関係が壊れて、自分に厳しい人生となってしまったのです。

昨日、僕は彼に2時間以上話しました。2時間も話したものですから、Aさんがその面談中に自分の日記をこの部屋に持ってきて、テーブルの上に置いて黙って帰っていったのです。僕は他の人たちが持ってきた3冊の日記にはコメントを書いたのですが、彼女の日記がここに置いてあることには気が付かずにいました。それで今朝になって、ここに日記があったことに気付いたので、今、コメントを書いていたのです。

昨日の夕方、皆さんがここに到着されたことは知っていましたが、皆さんの2泊の滞在中の早い時間にお話ししたいと思っていました。そうしたら、彼女の日記が皆さんと会わせてくれたのです。

地球が一回転すると、一日が経ちますね。地球が太陽のまわりを一周すると、一年が経ちますね。このように私たちは宇宙の仕組みによって日々を送り、年を重ねていくのです。ですから、私たちは自らが生きていると思う前に、宇宙の仕組みによって生かされ、それに沿って生きていることを意識していると、人はとてもスムーズで健康に生きられるのです。ところが、このような生き方を忘れ、「自分だけ得しよう」「自分だけに良いことがありますように」と自分目線で生きていると、人は人生の中でたくさんの問題事に出会うのです。

幸せを掴むためには、この世界の仕組みや他者とのつながりを大切にすると、幸せになれます。そうすると、この世界の仕組みが人生に反映され、物事の流れが格段に良くなるのです。

皆さんにお話ししたいと思った僕の願いは、昨日この日記がここにあることに気付かなかったおかげで、今日このような形で叶いました。このように、本当の意味での願いが叶っていくことは、自分が望んで獲得するのではなく、自然に与えられ、その流れに沿って生きていくことなのです。

Aさんが初めて僕に出会ったのは、大人サミットの参加者として彼女がここを訪れていた時でした。僕は3日間、この部屋でプレゼンテーションをしていたのです。彼女は僕の目の前に座っていました。そして休憩時間に、僕は彼女に声をかけたのです。というのは、彼女は心の眼で観ると、年齢の割にはふけていたからです。それで僕は、「あなたは結婚していますか?」と尋ねました。そうしたら、「結婚しています」と彼女は答えました。さらに僕は、「子どもはいますか?」と質問すると、「子どもはいません」と答えたので、「結婚して子どもがいなければ、あなたは人生をエンジョイしているでしょう?だんなさんとの関係は上手くいっていますか?」と尋ねたのです。そこで彼女は何と答えたと思いますか?

(数名のゲストから、「上手くいっていません!」という声がここで上がりました。)

残念ながら、そうではありません(笑)。その時彼女は、「はい、とっても良い人で、上手くいっています」と答えたのです。だから、僕はこう続けました。「そうですか。とっても良い人で、上手くいっていたら、あなたはそのような顔はしていませんよ」と。そうしたら、彼女は「えっ?!」と意外な顔をしました。僕はそこで、「あなたは自分のことをよく知らないで生きていますね。自分をもっとよく知らないと、自分を幸せにできませんよ」と伝え、休憩時間は終わりました。

そして大人サミットが終了し、その数日後に彼女はまたここを訪れました。それから、今の生活のことについて僕に話しました。その時に初めて、彼女はなんとなく、雲が立ち込めている毎日を送っていることに気付いたのです。それは7月のことです。

それから2ヶ月弱が過ぎ、今、彼女は2冊目の日記を書いています。今日の日記の中で僕がひとつ、今の彼女に対してコメントしたことがあります。「静かで安定した心が感じられます。」

彼女は自分自身がすっきりしていない毎日を送っていることの原因を突き止められない生活をしていました。約2ヶ月が過ぎ、彼女は別人のようになりました。その彼女から僕が今、感じられるものは、静かで安定した心――。

現代の人々は、「幸せになりたい!」「お金がほしい!」「自分の願いをすべて叶えたい!」といったざわざわとした不安定な心で生きています。そのような心の人間がたくさん存在していたら、地球は健康でなくなります。

今、地球上には約72億人が暮らしていますね。6500年前のメソポタミア文明から始まった歴史を有史と呼ぶのですが、長い間、世界の人口は下の図のようにほとんど変わりませんでした。

世界人口の推移

(出典:国連人口基金HP)

そして、今から約250年前にヨーロッパで産業革命が始まりました。そこから人口は急増し、冥王星の周期でいう光のピークに当たる2008年に日本の人口はピークを迎え、そして今、世界に先駆け減少し始めました。同時に、世界の人口は2060年まで増加し続け、90億人を突破すると予測されています。しかし、そこから世界の人口は減少し始めると推測されているのです。6500年前からずっと同じような状態で続いていた世界の人口が、産業革命以降急激に上昇し、その後急降下するのです。

日本人口の推移

(出典:国土交通省「国土の長期展望」)

僕は今、66歳です。ずいぶん長い間生きてきたと思いますが、たった66年です。しかし、歴史を広く捉えてみると、250年前から人口曲線は急カーブで上昇し、もうしばらくすると、それが急降下することが観えてくるのです。人類の歴史で過去にそのような時代があったのかというと、それは今までになかったことなのです。

科学が進化し、技術が開発され、物理的に豊かになることについては、私たち現代人はよく知っています。しかし、もう少し先の2060年の人口増加のピークと共に、世界の価値観がひっくり返る時がやってくるのです。そのひっくり返った先の心を、人類はまだ誰も想像できません。

私たちは今、地球に生きる人類として、大転換を迫られています。今まで、人々は自らの願いを叶えようとし、幸せになりたいと思いながら生きてきました。その結果、人間の欲望は極限まで広がってきました。しかし、これからもそれを続けていくと、地球の生態系ネットワークが壊れ、私たち人類は大きくその影響を受けることになります。これからの時代、人類は、人間同士だけではなく、他の生き物とも調和し、他の存在にも愛を向けて生きることが求められているのです。

Aさんは、自分の行き詰まりがわからず、自分が幸せだと思って生きていました。しかし、それは幻だったのです。でも今、彼女はとても安定しています。彼女は年齢にふさわしい表情になり、とても健康的になりました。ここに来て約2ヶ月間、彼女は何も物は買っていません。旅行もしていません。物理的な願いは何も叶っていません。しかし、彼女は今、とても安定して、幸せな顔をしています。これからの時代は、そのような状態を人間が地球に提供することが必要なのではないかと思うのです。それが、私たちが求める本当の幸せなのです。

昨日、皆さんがおいでになった時、僕は生きることの奥にある人生の原点について話したいと思っていました。そうしたら、この日記が皆さんと会わせてくれました。また、皆さんとお話しする機会があることを願っています。ありがとうございました(みんな、大拍手)。

 


 

以下、生きることの原点を知る講座をご案内します。

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2018年1ヶ月間の真学校
受講生募集中!

1ヶ月間の真学校は、壮大な時代の流れを読み解きながら、それまで知らずにいた本当の自分自身に目覚め、生きることの突破口を開く場です。
固定概念を超えて視野を大きく広げ、世界にたったひとつのあなたの人生を自ら切り開いていく力を身に付けます。

 日 程 
2018年2月25日(日)〜3月24日(土) 28日間

会 場
木の花ファミリー
静岡県富士宮市猫沢238−1

対 象
■ 自分を変えたい人
■ 世界を変えたい人
■ 人生に行き詰まった、或いは人生の転機にある人
■ 今の世の中をどこかおかしいと感じながら、どうすればよいかわからずにいる人
■ 生きることの真の意味を知りたい人
■ この星に生きる人 すべて
☆その他、2017年受講生からは「こんな人に勧めたい」という様々な声が上がっています。受講生アンケートをご覧ください。→ 受講生アンケート

メイン講師・いさどん
メイン講師・いさどん

内 容
講座は「世界観」「農」「食」「医」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」と多岐にわたりますが、全講座に共通する最も重要な学びは、物理的な現象の奥に流れる深い精神性です。受講生の心の性質や世代の特徴、そして人生における役割などを紐解くことにより、それまでに考えたこともない新たな視点に出会って世界観を大きく広げ、生き辛い社会で生き抜く力を身に付けていきます。

*詳細はこちら!

 → 1ヶ月間の真学校ブログ

 

 


3000年に向けて新たな時代を生きる人々へ

2014年7月26日のマヤ新年の祭典

7月26日はマヤの新年です。3年前の2014年7月26日に、メキシコの太陽マヤ族最高司祭である尊母ナーキン氏が木の花ファミリーを訪れ、富士山を望む聖地・宮ノ下広場でマヤ新年を祝う祭典を行って以来、木の花ファミリーでは毎年この日に地球を祈りのウェーブで包む祭典を行ってきました。
2017年7月26日早朝、霧雨の降る中、宮ノ下広場にファミリーメンバーが集い、カタカムナのウタヒや舞を奏上した後、いさどんは次のように語りました。

 

3000年に向けて新たな時代を生きる人々へ

ー 人生の中で出会うことはすべて、私たちの生きた証 ー

 
今、この祭典に立ち会い、曇り空の下、ミストのような雨が降る中で、頭の中にある映像が浮かびました。それは、宇宙空間に浮かぶ地球の姿です。

地上に雨は降りますが、地球そのものに雨は降りません。それは、地球が宇宙空間にあるからです。今この場所には、天の配慮のような霧雨が降りそそいでいます。これは、私たちが地球に生きる証である、生命の水です。それを不愉快なものと捉えれば、不愉快な世界が地球上に展開されてゆくでしょう。しかし、命の潤いを与えられているのだと思えば、そしてそれを「いただきます」という心で浴びるならば、それはとても尊いものをいただいていることになります。その恵みがあるから、私たちは命を紡いで生きることができるのです。

今日は7月26日、マヤの新年です。なぜ私たちはこのような祭典をしてマヤの新年を祝うのかというと、そのようなことに出会う生き方をしてきたからです。それは、私たちが生きた証でもあるのです。

私たち人間は、生きている限り、この地球上で様々な出来事に出会います。人生の中で出会うことは、すべて私たちの生きた証であり、それまでの生き様にふさわしい結果として出会っているのです。今、世の中には、世界的な規模で解決策を見出せないようなたくさんの滞りがあり、それを何とか解決しようと世界のリーダーたちは模索していますが、その動きでは解決できないでしょう。なぜなら、どのような現象も、そこに生きる者たちのそれまでの生き様の結果として与えられたものですから、その現象を変えるには、それをもたらした人々の生き様を変える必要があるのです。その現象に出会った結果、それまでの自らの生き様がどのような結果をもたらすものであったのかを悟り、その生き様を変えていくことによって、自ずと、自動的に、その現象は存在する意味をなくし、消えていくのです。そこで、原因である生き様を変えずに、学びのない姿勢のまま、現象を追い求めていることを「欲」と言います。

この自然界、そして宇宙の法則は、すべて因果応報の仕組みで成り立っています。原因があって結果がある。そこでは、その原因にふさわしい現象が起きることが約束されているのです。こんなにありがたいことはありません。なぜなら、その者にふさわしい現象が顕れるからです。そして今、この場に立ち会う人々も、なぜここに集うのかというと、それにふさわしい生き方をしてきたからです。今皆さんは、どのくらいの意識を持って今日この場に集っているのか。その今の意識が、皆さん一人ひとりのこれから先の人生に形として顕れていくと同時に、社会を創っていくのです。それは当然のことなのです。

人類はそろそろ、そのことを知らなければなりません。出来事の表面だけを見て、それが不愉快だと言って解決しようとする時代は終わりました。これからどのような時代を生きていくのかは、その者が自らの人生をどのようにしようとしているのか、そこで何を望んでいるのかによって変わっていきます。つまり、生きることが自らの手の中にあるのです。これまで、なぜそれが人々の手の中になかったのかというと、自らの独りよがりで、この世界から与えられている命の仕組みを無視し、欲のままに生きてきたからです。

私たちが今日ここに集うのは、そういったことを理解した者として、自らの人生にそれを現象として顕わす自覚があるからです。そこには損得勘定や、より良い人生を生きたいというような願望はありません。ただひたすら、時代が要請するままに、宇宙が成り立っていくように生きる。そのことによって、この大きな節目の時にあたり、その先の時代を人々はどのように生きるかを明快に示すことができます。それを自覚した者として、皆さんはここに立っているはずです。

今、雨が降りそそいでいます。祭典の日はカラッと晴れるのが天の恵みなのかというと、それは人間の勝手な都合の思いであり、欲です。もしもずっとカラッと晴れ続けたら、私たちは生きていけないでしょう。今のこの恵みの雨は、そういったことを示しています。宇宙空間から見れば、これは地球の生命循環の作用です。こういった仕組みを私たちは生きていることの証として理解し、愉快なことも不愉快なこともすべてが命の仕組みの中にあることを理解する必要があります。そのことを理解した者たちは、自らにとって都合の良い心で生きることはありません。それが、宇宙の法のもとに、欲望を断ち切った美しい生き方をするということです。

毎年が特別な年であり、毎日が特別な日です。私たちは毎日毎瞬、未知の場所へと進み続けています。その中でも、今年2017年の7月26日は特別な日です。個人的に僕には「来る時が来た」という心境です。というのは、今この祭場の四隅に、樫の幼木が植えられています。つい先日植えたものですが、僕は何も意識していませんでした。ポットに種を播いて、春が来て、梅雨が来て、ある程度育った幼木がポットの中のままで夏を過ごすのは苦痛だろうなと思い、ではこれをどこに植えよう、と考えた時にふっと閃いたのが、この宮ノ下広場の祭場の四方に植えることでした。そしてここに植えることにより、この祭場の意味が完成したのです。

ヒマラヤ樫の幼木

この樫は、ヒマラヤ樫です。この名前は僕が付けました。というのは、3年前にヒマラヤのハルトラビレッジから招待を受けてそこを訪れた時に、何か記念になるものをと思いながら村を歩いていたら、樫の木がありました。そこにまだ熟していない青い実がなっていて、僕に「持って行きなさい」と言うのです。そして木の根元を見ると、その青い実が落ちていました。未熟ですが持って行けというものですから、いくつかを拾って持ってきました。そしてその実を播いたら、その中の4つだけが育ちました。そしてその4本の幼木を、この祭場の四隅に植えたのです。

物理的には何の根拠もありませんが、ヒマラヤは僕の魂のふるさとです。僕が今から1000年ほど前に地球に降り立った時に、最初に暮らした地です。そして3年前にインドの友人から招待を受けてヒマラヤを訪れ、ヒマラヤの山と対話してきました。「戻ってきたよ」と。それは自分のルーツを確認する旅でした。その証として、今は日本の富士山麓にいます。富士山は、地球上で最も霊的に高い山です。プレートとプレートがせめぎ合い、高い地球の波動を発する中心点にあるのが富士山です。それはもっともエネルギーが高いところであり、地震や噴火など天災が起きる場所ですが、それは命の再生が激しいというこというです。それは宇宙の実体を表しています。破壊と再生をくり返し、生きるということです。

命とは、常に変化・変容・変態をくり返し、循環し、巡り巡って、未知なる未来へ進んでいきます。私たちが、10年、20年、30年、40年と生きていく中で、同じところに立ち止まったことは一度もありません。赤ん坊としてこの世に誕生し、そこからずーっと人生を刻んできましたね。そのことを、どこかで忘れています。私たちは二度と同じところに存在することはできません。それは、命だからです。私たち人間だけではなく、地球もその旅をしていますし、宇宙全体もその旅をしています。私たちは、その命の物語を地球と共に、太陽と共に、銀河と共に刻んでいるのです。

さて、今の地球上の人々に、そういった意識が日々の中であるでしょうか。ないでしょう。ないから、意識が人間意識であり、自我に囚われ、感情や欲望のままに生きているのです。

すべての出来事は、そこに関わる人の意識がどのレベルにあるのかによってふさわしく出会うようになっています。これは宇宙の仕組みです。今の人間社会がなぜこのような状態なのかというと、日ごろの意識がそこにあるからです。そして、その意識にふさわしい現象が起きているのです。そう言うと罰を与えられているかのように聞こえるかもしれませんが、この仕組みの真実を知ると、「なんてありがたいのだろう」という想いが湧き上がってきます。それは、人生は自らの意識のままに、思いのままになるということです。すべての出来事は、そのことを教えてくれているのです。

3年前、僕の魂のふるさとであるヒマラヤから樫が来ました。富士山が、天から宇宙の法が降りてくる天教山なら、その教えが天教山を通って地球へと入り、マグマを経て再び地上へと吹き出す地教山がヒマラヤです。そのヒマラヤへの旅の前に、日本の地教山、即ち世界の高天原へ挨拶をするために、富士浅間木の花祭りの舞の奉納に行きました。その地が熊野です。前日は、930hPaの台風が直撃するという予報の中熊野へ向かい、一度も暴風雨に出会うことはありませんでした。そして早朝に熊野三山奥の院である玉置山の玉置神社へ辿り着いた時には、辺りはとても清浄な空気になっていました。無事に舞を奉納し、帰りに辺りを散策していた時に、神代杉に出会いました。そして「この種を持って帰れ」と言うのです。それを持って帰って播いて育ったのが、祭場の中央に植えられているこの木です。

これを植えた時に、木の花の神主であるひろっちに「200年後にあなたがここで祭典をする時には立派な熊野杉になっていますから、それを楽しみにしてください」と言いました(笑)。今は幼木ですが、その命は確実に、地球の高天原である熊野の神代杉から受け継がれ、ここに定着したのです。

熊野と言えば、国之常立神の地球の住まいです。その艮(東北)の方角には富士山があります。地球のへそと言われるインドから艮の方角を見ると、日本があります。日本という地には富士山という山があります。天の教えが富士山を通って地球の中へと入り、マグマを経てヒマラヤから地上へと吹き出し、それがガンガー(ガンジス河)を通って南へ流れ、インドの南端であるポンディシェリに辿り着いて、インド洋から世界へとその教えが広がりました。それは6500年の歴史です。そして今、その文明がこういった形で地球上に広がっています。2012年12月21日に銀河の冬至を迎え、その文明のリセットの時が来たのです。

私たちはその文明の次を生きる時に来ています。「私たち」とは、すべての人間のことです。幸いなことに、チバニアンの発見によって地球の磁場が逆転するということが立証されました。これまで何の根拠もなく磁場の逆転を語ってきましたが、それが立証される時代が来たのです。磁場が逆転するということは、ものの価値観が逆転するということです。

これまでは、命をないがしろにする時代でした。命を壊していくことによって、物理的な豊かさを求める時代でした。これからは、命の尊さに沿い、命をつなぎ、調和を表現していく時代です。私たちの命のもとは太陽です。それを現象化し、顕わすのは地球です。次のサイクルは、自らの自我によって命を壊し、欲望を満たして豊かになろうとするのではなく、命の法、即ち宇宙の法に則り、連携し、調和して、愛豊かに生きる時代が始まりました。これまでは、こんな簡単なことが、自らを自我で愛することによって、表現できない時代だったのです。 

まだまだ世界の人々は、欲望と競争と怒りと争いの中で豊かさを求めています。エネルギーとエネルギーをぶつけ合ってそれを消耗させて、豊かになるわけがないのです。地球生態系は、つながることによって豊かになっていきます。それは無限なのです。命は形を変えながら次へ次へとバトンをつなぎ、そこに破壊はありません。そして命のネットワークを築いて、より世界を豊かにしていくのです。それはまさしく、太陽と地球、惑星たちの関係そのものです。それによって私たち人間も生きているのです。

皆さんは、縁があって木の花ファミリーへやって来ました。特別な決意を持ってここに集っているのですが、毎日の生業に没頭してはいませんか。それでは、本当の豊かさは現象化しません。縁があって集い、生涯を通じて決意したことを毎日自らのベースとして意識しながら、日々与えられる出来事をいただいて生活していく。そうすると、天体が織りなす無限で持続可能なエネルギー、即ちフリーエネルギーが、生活の中に顕れてきます。人類はまだ、その豊かさを知りません。人々がすべてを分かち合い、自然と一体で、命はひとつであることを表現した時に、地球上に、今は想像もできないような豊かさが顕れてきます。それを私たちはこの地に顕わし、もうすぐそこまで来ている新たな時代の先駆けとして、その見本とならねばなりません。

2014年に、ここ宮ノ下広場で、太陽マヤ族の最高司祭である尊母ナーキン氏と共にマヤ新年10OCを祝いました。今日はメキシコのトニナ遺跡でマヤの祭典が行われています。今は午前6時40分です。2017年7月26日の早朝にあたり、地球を祈りのウェーブで包む儀式の始まりがここです。こんなふうに地球を常に意識して、私たちは地球人としての意識を持って宇宙を生きていく。そういった意識を持った人々の地球規模の祭典の始まりです。

もう一度、始めの話に戻ります。

日ごろどのような意識を持って生きるかによって、私たちは未来に出会う出来事の縁を紡いでいます。ですから、出会ったことに不満を持ってはいけません。それは忠実に、あなた自身が持っている意識を現象化してくれているのですから。それに不満を言うようでは、自らの姿を見ずして他者に文句を言っていることになります。出会ったことを潔く受け取り、自らの姿勢を正したならば、一人ひとりの人生はより豊かで、優れたものになるでしょう。我々はそれを自覚して生き、見本となるべき者として生きてきたのです。

僕は、多くの人にとって意味のわからないことをたくさん語ってきました。富士山という山を艮の方角にいただいて、地教山の樫の木と、地球の高天原の神代杉がこの地に根をおろしました。僕の語ることに、根拠はありません。地球上で磁場が逆転するということを語ってきたのも、そこに暮らす人間や生命の価値観が変わっていくよ、ということを語っていたのです。そこに根拠はありませんが、湧いてきたこと、降りてきたことは、真実です。

損得勘定を持って邪な思考で考えたことは、その人だけの思い上がりです。しかし本来私たちは、宇宙の法のもとに顕わされた生命なのです。自らの心が美しければ、宇宙の智恵が自然と降りてきます。自らの心が美しければ、生命の始まりから未来まで、無限なる智恵が自らの中から湧き出します。ですから、自らを磨かなければなりません。どうやって磨くのかというと、今自分が何を思って生きているのかということを、常に観ていくこと。そしてそれは誇れる意識かどうかということを、常に意識して生きること。そして毎日の役割を果たしていくのです。

そうすると、宇宙があなたの生き様に顕れます。地球生態系という、無限なる命の連鎖があなたの生き様に顕れます。それは愛ある、優れた、豊かな生活を私たちにもたらしてくれるでしょう。

長く話していたら、ミストのような雨がやみましたね。このミストは本当に、私たちの命をつくってくれている元の波動です。今日を機会に、思いが本当に現象化するのだということを、しっかりと認識してください。それは恐ろしい事でもあるのです。ろくでもない思いを持って生きれば、それが現象化するのですから。だからこそ、自らをしっかり監視すること。監視するべきは自らの心です。

2017年7月26日早朝。マヤの新年ではありません。地球意識の夜明けのセレモニーとして、ここにいる人々と共に、3000年に向けて新たな時代を生きる人々へのメッセージを確認しました。

宇宙は無限なる世界を、私たちに命として示してくれています。それを汚すことなく、忠実に表現していきたいものです。

 

2017年7月26日 ー 熊野の神代杉とともに

 

 


ロータスランドから始まる「意識革命」

2年前に「1ヶ月間の真学校」を受講した台湾人の文ちゃんは、現在木の花の在り方を台湾で広めており、今後もここのことを発信していきたいということで先週木の花に滞在し、いさどんや数名のメンバーと今後の関わりについて打ち合わせする時間を持ちました。その翌朝、いさどんはようこに次のように語りました。

いさどん:
彼女は今後、台湾から木の花に学びに来るツアーを企画することを考えているのだが、どのような人たちがここに興味を持っているかというと、たとえばここのような共同体で暮らすこと。それから若い人たちで社会になかなか馴染めず働く場所がないとか、新たな生き方を模索している人や、環境のことを考えている人などいろいろな人たちがいる。そういった中で霊的なことや心のことを大切にしている人たちもいる、と彼女は言っていた。

ここでは、「人間の魂を磨かなければ、どんなにお金があっても良い人生は生きられない」と捉えているが、台湾でもそういったことに興味を持っている人たちがいて、ここへ学びに来たい人たちのツアーを彼女はこれから企画していく。

そういったことを台湾で広めている人のひとりに、「無食」、つまり「食べない」人がいる、と彼女は言っていた。その人は空気を食べて生きているのだと言う。そういった人は日本にもいて、たとえば「食べないでも生きられる」とか、空気中の生命力である「プラーナを食べて生きる」達人もいれば、僕の場合だと「太陽を飲む」こともある。

実は ──── 人間が病気になるのも、人間関係がおかしくなるのも、その人の性質がつくっている。だから、運が悪くて病気になったわけでもなければ、運が悪くて人間関係が悪いわけでもなく、その人の持っている性質がすべて創り出しているのだ。

たとえば毎日晩酌のことばかり考える人もいれば、毎日お金のことばかり考えている人もいて、そういったことが複雑に絡み合い人間は生きている。小さな頃からそういった心の癖を身につけてきているから、それが当たり前になっている。だから世の中を観たときに、その人の目線でしか世の中は観えないし、同時にその心を世の中に向けて発しているのだ。そうすると、類は友を呼び、その心にふさわしい者が引き寄せられてくる。極端なことを言えば、その心の者同士が出会って結婚し、子どもが生まれると、子どももそのような環境の中で育っていくので、そのような家庭が連鎖していく。世の中はすべてこのように成り立っていくのだ。

そこで僕は考えた。病気を治すことも、人間関係を改善することもすべて、まずは自らの意識がどのレベルに向いているかを理解することが大切だ。そして現状の意識レベルから抜け出し、意識を高いほうへ向けていく極意をマスターしたら、人はどのような人生を生きることもできる。逆に言えば、「得しよう」と思って生きているのが普通の人間の世の常だが、その考え方が間違っていれば、一生懸命やればやるほどその人の人生は落ちていく。それはある意味、地獄を生きることにもなる。

そこで、自らの意識レベルを理解し、意識を高いところへ向けていけば、病気も治れば、人間関係も改善されていく。人間関係が改善され、病気をしなければ、お金はたいしていらなくなる。

昨日文ちゃんが「これからツアーで台湾の人をたくさんここへ連れてくるので勉強させてください!」と言っていたが、日本人でも分からず屋だけれど、台湾人も中国人も分からず屋の中でどうやって伝えていけばいいのかといえば、その極意を体系化してそれを伝えることだ、と今朝気が付いた。それが、これから僕がやっていくこと。それは、達人を生きるということだ。

その領域に達すると、お医者さんはいらなくなる。病気はすべて自分で治せる。ただし、自らの考え方が間違っていることがわからない人間には無理だ。まずは自らの考え方が間違っていることに気が付かないといけない。たとえば自然療法でいえば、「道理をもって考えなさい」と伝えられても、道理を考えられない人間はいつまでたっても治らない。だから、意識を違うところに向ける方法を考えると、当然体もすべて変わってくる。そういう手法がある。

ただ、そこで僕が考えたのは、それをやると今まではご利益になってしまい、一般の人々からするとそれは特別なものだから崇める対象になっていた。だからこそ、我々はそれを究めることを実践し、それを示す。そしてこれからの時代、それを究めていくことを誰もが目指していく。そうすると、普通の人間の意識状態とは自ずと違ってくる。そうしたら、違う現象が起きてくるのは当然のことだ。

いくら我々の生き方がこれから来るであろう世の中に対して重要だといっても、現代の価値観に溺れている人間には理解できないものでもある。ここではカタカムナ宇宙物理学に即し、この現象世界には「見える世界」と「見えない世界」があると捉えているが、実際に見えない世界は存在する。たとえば魂はどこに見えるのか?空気中にあるプラーナは実際にどこにあるのか?しかしそこを意識しない者にとっては、ものを食って生きるしか生きる方法はない。たとえば食べ物であっても、そこには生命力の違いがあるのだが、それを単なるものとして、もしくは腹を膨らませる目的としてしか見ていなければ、それはあくまでもその一部分だけを取り入れ、あとは排泄するだけになる。我々は自然の循環の流れの中にあるのだが、その排泄物はすべて人工的に処理されていくだけのことで、それでは結局この世界に汚物を発生させているだけになる。

だから、意識を向けるところを変える。そうすると、病気でも人間の性質でも何でも変えられる。そういう世界がある、ということに今朝改めて気が付いた。人間たちに道理で説いているだけでは、いつまでたっても人は自分を変えようとしない。もしくは、これから起きるであろう危機を乗り越えられるような者にはなれない。

ロータスランドの食事
ロータスランドの食事

ようこ:
身近なところでいうと、昨日ロータスランドに来たお客さんで、「わたしは今までマクドナルドに行っていたけれど、これからはここに通うわ」と言った人がいたの。そのときわたしは心から嬉しくなった。なぜなら、木の花のこともまったく知らず、今までお肉やお魚を普通に食べていた人が事故のようにロータスランドに入って、「これからここに通おう!」というのは、その人にとっての意識革命だと思ったから。食が切り口であっても、今までマクドナルドに通っていた人がここに通うことによって健康になるし、それに伴って心も穏やかになっていって、その人の人生が変わっていくイメージが湧いたの。

いさどん:
だから、意識がどこに向いているかを知り、切り替えることが大切なんだよ。つまり、病気の人は病気の意識を切り替えないと、根本的に病気体質は治りはしない。

ようこ:
そうなの。まずは「食」という切り口から物理的に健康になっていき、同時にロータスランドにいるスタッフの心にも触れていくことによって、「こういう世界があるのだ!」とそこを訪れる人々の意識が変化していく。

いさどん:
考えてごらんよ。僕はロータスランドを具体的に打ち合わせ始めたときに、反省したんだよ。「こんな馬鹿なことをやってはいけない。なぜ始めたのだろう?」と。しかし今、丸一ヶ月経ってみて、この一ヶ月の間にそれが持続可能の見通しが立ってきたんだよ!

ようこ:
そうなの!

いさどん:
これは、結果としてもらったことだが、「最初からこのようなことはわけなくできる!」と思えばできたことなんだよ。そういうことなんだよ!

僕はロータスランドの「鯉のオーナー制度」という面白いことを考えただろう(笑)?それで今日はロータスランドの池に放つ鯉の購入ツアーにオーナーをお連れするんだよ。そして今朝、このお出かけは旅だと思った。それは、新たな境地への旅だ。これだよ!!

ようこ:
いさどんのさっきの話も、鯉のオーナー制度もすべて同じことなんだよね。意識をどこに向けるかによって人は変わる。

いさどん:
そして世界は変わる。人はもっと自分が思うように自由に生きられる。「異次元空間・ロータスランド」の意義はそこにある。そして5月5日の「グランドオープン」とは、そのような境地をもって迎えるということだよ!

ようこ:
そういうことだね!次回のニューズレターは食がテーマだと聞いたけれど、今日それに関連する大切な話をしたね。

いさどん:
意識がどこへ向いているかによって、食が変わるんだよ。そして意識が違う場に来ると、人が変わる。でも、まだ皆は、ロータスランドを自分たちでやっていると思っているんだよ。

ようこ:
その段階を抜けることができれば、異次元空間が現れる。今は異次元空間の兆しは観える。

いさどん:
わかったぞ!意識革命で世の中は変わる!しかし、金正恩でも、トランプさんでも、安倍さんでも、世界中のリーダーは皆、損得勘定ばかり考えている。それでは世の中はうまくいかない。これから台湾人から中国人からアメリカ人から、世界中の人々にこの意識を広めていく。それを会得した人々が創る場所、それが「ロータスランド」だ。

そこを訪れた人たちが「なぜこのお店の雰囲気はこんなにいいのだろうか?」と思ったときに、なぜならそれはそこにいる人たちがお金のために働いていないからだ。それで食うことに困らない。そういう世界を創っていく。そして、ロータスランドの池に放たれていく鯉たちも、その場創りに参加していくということだ♪

ロータスランドの池を泳ぐ鯉たち

昨日の文ちゃんとの話で、人間にはこの次の段階があることを改めて認識した。人間はもはや次の段階へ行かなければいけない。お金があって、ものを食って、何不自由なく生きていて、それが幸せだという段階はもはや終わりを迎えたのだ。今、人類は新たなステージへと突入しようとしている。その証として、ロータスランドが現れた。

 


「鯉のオーナー制度」のご案内

多くの方々に親しまれ、お店創りにご参加いただきたいという想いから、ロータスランドでは鯉のオーナー制度を設けています。 これは皆さまのお気持ちによってご参加いただき、鯉たちがすくすくと育っていくことを皆でこい(鯉)願っていく制度です♪ 鯉を通してご縁を結び、鑑賞会などの企画や特典もご用意しています。ご興味のある方は、お気軽にスタッフまでお尋ね下さい。 皆さまに末永く愛されるお店創りを目指してまいりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

カフェ&ショップ「ロータスランド」 TEL:0544-67-0123

 


皆さん一人ひとりに、新しい自分自身をプレゼントします

2月19日、「1ヶ月間の真学校2017」がスタートしました。
「1ヶ月間の真学校」は、自分を変え、世界を変える1ヶ月間のプログラムです。開講にあたってのいさどんの挨拶をご紹介します。

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皆さん一人ひとりに
新しい自分自身をプレゼントします

— 1ヶ月間の真学校2017開講の挨拶 ―

最近僕は、自分はなぜこのような人生を生きているのだろう、と考えることがあります。それは自分の意志ではないと思っています。過去の歴史からつなげて今の時代を観てみると、世界は今、変革の時を迎えているということがわかるからです。

皆さんは、一人ひとりそれぞれの人格を持ち、それにふさわしい人生を生きています。そのふさわしい人生を、多くの人は、自分の意志で選んで生きてきたと思っています。
しかし、今の時代の社会を、自分で選んでつくることはできません。世の中が今こうなっているから自分はこういう人生を生きているのだ、というように人は捉えます。人によっては、自分の思うような人生が生きられなければ、自らを犠牲者のように捉える人もいます。時代を思うようにはできないということも、自分の人生は自分でつくってきたのだと思うことも、どちらも実は違うのではないか、と思うのです。
今、あえて「違うのではないか」と言ったのは、そのことを明快にするためにこの1ヶ月間の真学校があると考えるからです。

時代は、物語を刻んでいます。それを小さく区切って自らの目の前のことだけを見て、日常の中に思考が囚われていては、時代が物語を紡いでいることを理解することはできません。多くの人は時代に翻弄され、実際に水の中で溺れてはいなくとも、心は時代の波にのみ込まれています。自分自身の感情にすら翻弄されているのです。
ずっと昔、人間がもっと自然に近かった時代には、そのようなことはありませんでした。それは、自然から与えられた環境のままに人間が生きていたからです。人間はとても高い能力を持っていました。やがて火を使うようになり、道具を使うようになり、どんどん賢くなって、生きることに工夫をするようになりました。
そうすると、人間の中に「あれが欲しい」「これがしたい」という思いが湧くようになりました。そしてその思いがだんだん膨らみ、育っていきました。何のためにそれがしたいのかというと、自らの満足のためにしたいのです。それが自我の目覚めです。

自我とは、本能と同じものです。本能のままに自我はあります。しかし人間が他の動物や植物と違うのは、その自我がある意味欲望であり、感情であり、それぞれの精神性にふさわしく膨らませていくものであるということです。それが行きついたところが、現代の社会です。
1ヶ月間の真学校では、このことについてひも解いていきます。現代は人間の自我が極めて膨らみ、本来私たちは自然の生命でありながら、非自然の中に生きるようになりました。生命は自然の仕組みそのものですが、人間は自然とはかけ離れた欲望を持ち、自然とはかけ離れた環境を創り出し、生きるようになったのです。
その結果、「あれが欲しい」「これがしたい」という欲望もどんどん膨らみ、本来の自然の生命観からしたら不要な思いをたくさん持つようになりました。皆さんも、持っているでしょう?その不要な思いを持つことによって何が起きるのかというと、それは自然の中では矛盾ですから、本来自然の中にあるべき秩序を乱し、この世界に歪みをもたらし、人々がつくる社会にも不調和をもたらします。自然界では、動物の関係も植物の関係も自然の循環の中にあり、とてもスムーズです。ところが人間は、人間同士の間ですら関係が難しくなりました。さらに、自らの思いが自然から離れることで、自らの体にまで矛盾を発生させるようになりました。それを病気といいます。

現代の人々はそのような分析はしません。病気が蔓延していることや、世界にまだ戦争があることなど、自然にはありえない現象が人間の世界にたくさん存在していることを、当たり前に思っているのです。そしてそれが在ることを前提に、対処しています。ですから、なぜそれが起きているのかを根本的に考えるということをしないのです。
根本的に考えるとは、もっと大きな枠でその現象を捉えるということです。しかし人々は、まずそれがあることを前提にして見ていますから、その目線では決してその根本的原因を理解することができず、問題の解決を図ることはできません。

今回1ヶ月間の真学校に参加された皆さんは、参加の理由はそれぞれにあることでしょう。しかし、共通して言えることがあります。
皆さんは、この時代にこういったものごとの捉え方を得る機会に出会いました。この時代だからこそ、この視点が必要なのです。それを得ると、皆さんの人生は確実に変わります。
どう変わるのかというと、生きるということに対する解釈が変わっていきます。1ヶ月間が経てば、確実に変わります。ただし、そのことに対する一人ひとりのニーズの内容はそれぞれでしょう。今の暮らしを安定した人生にすることを求めている人もいれば、新たな人生を歩みたいという人もいます。ニーズはそれぞれですが、確かなことは、今この時を生きる人々にとって、こういった学びが必要とされているということです。

今、世界中でたくさんの矛盾がピークを迎えています。その矛盾を理解し、新たな時代へと移行していく時に、その先端を行く者はごく少数から始まります。やがてそれは全体へと伝播していきますが、今はまだ、世の中全体は混乱の中にあり、多くの人々は次に進むべき新たな世界を見出せずにいます。そして矛盾が発生し続けています。皆さんは、このことを理解し、これからの時代のために、世の中のために生きていってくれる人たちだと思うのです。

そこで、では自分は世の中のために何ができるだろうと考えます。簡単なことです。自分一人を変えれば、自分一人分世の中が変わります。あなたがご機嫌で、幸せで、理に適った生き方をすれば、あなた一人分世の中を良くするのです。
今、時代は大きな切り替えの時に来ています。その変化が連鎖していく種になるということは、あなた自身が変化の波の先端に立ち、これから後に続いてくるであろう人々の見本にもなるということです。

実は、皆さんへの講座で使うプレゼンテーションを今用意しているのですが、その半分ほどは、もしかするとちんぷんかんぷんかもしれません。その、よくわからないものを皆さんにプレゼントしようとしています。「これを聞いてもきっと理解できないだろうな」と思いながら、プレゼンテーションを準備しています。
それはなぜかというと、もしも皆さんがわかることを得るとしたら、皆さんはきっと納得することでしょう。しかしそれでは、あなたの心は満足するかもしれませんが、あなたが変わることにはならないのです。
多くの人は、自分が納得できるものだけを得ようとします。しかし納得できるということは、それは自分の理解の範囲内のものだけを得るということですから、そこに進化はありません。時代は常に進化し続けているのですから、今の考えのままでい続ければいつかは必ずそこに矛盾が発生し、行き詰まるようになっています。ですから、皆さんのために、「きっとこれは理解できないだろうな」と思いながらプレゼンテーションを用意しています。

新たなものに出会うということは、「そういう捉え方があるのか!」と、これまでの自分の枠を突破することになります。ですから、皆さん一人ひとりにできる限り寄り添いながら、理解できるようにお話ししていきますが、わからなくてもいいんですよ。なぜなら、わからない話に出会っている、というだけで、すでにあなたは、今までのあなたの枠を外し、新しい世界にいるからです。
そうでしょう?自分がわからないところへ積極的に行こうとするなんて、普通はしませんね。そこにいるというだけで、新たなものを得ようとする姿勢があるということなのです。それは、進化しようとする姿勢の証です。

木の花ファミリーには、毎晩夕食後に「子どもミーティング」というものがあります。通常は、その日にあった出来事などを子どもたちが話し、それに対して大人たちがコメントをするなどしてやり取りをする場です。
そこに時々、いさどんが登場することがあります。いさどんはできるだけ子どもたちにもわかるように話しますが、それは世界観が広く、小学生以下の子どもたちには難しい話です。中学生以上でも難しいかもしれません。できるだけ理解できるように話すものの、本来そういった世界観を、子どもたちはまだ持ってはいないのです。
ではなぜそんな話をするのかというと、わからなくてもいいのです。つまり、子ども達はそこで言葉を聞いているのではありません。いさどんという人が、何か大切な話をしている。それを大人たちが熱心に聞いている。言葉も難しくてわからないけれど、何か大切なことを言う人がいて、それを大切に受け取っている人たちがいるという、その空気を感じているのです。
そうすると、意味がわからなくても、子どもたちは「自分のわからないことで大切なことがあるんだ」ということをしっかりと受け止めていきます。ですから日常の中でちょっとそういった話に出会うと、子どもたちはパッとそれを受け取り、いつの間にか大人よりも立派なことを言うようになるのです。大人は頭で学習しますが、子どもたちの言葉は内からにじみ出てきたものですから、本物です。

これから1ヶ月間、きっとわからないだろうというような話を、皆さんに伝わるように、精一杯やっていきます。皆さんも、わからなくても付き合ってみてください。そうすると、1週間経ち、2週間経ち、3週間経ち、1ヶ月が経つと、皆さんはきっと変わっています。
これから、とても充実した1ヶ月間を皆さんにプレゼントします。皆さんも、自分の頭の中で先に何かを予測するのではなく、すべてを白紙にしてお付き合いください。そうすれば、皆さん一人ひとりに、新しい自分自身をプレゼントすることができるだろうと思っています。

1ヶ月間、よろしくお願いします!

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自分を変え、世界を変える1ヶ月間の始まりです