一人ひとりの囚れからの解放が世直しに♪

9月19日(土)〜21日(月/祝)、
木の花塾
「宇宙おじさんの人生講座3:宇宙意識で生きる」が開催されます。

この講座は、知らず知らず身に付けてきた固定概念から解き放たれて、新たな時代を生きていくためのヒントとして、「宇宙おじさん」こといさどんが提供する全3回シリーズの講座です。
7月18日~20日に開催された「宇宙おじさんの人生講座2:人生地図を読む」の最終日、いさどんはこう語りました。

「宇宙おじさんの人生講座2:人生地図を読む」参加者の皆さん
「宇宙おじさんの人生講座2:人生地図を読む」参加者の皆さん

■     ■     ■     ■

人間は、
「囚れ」という字に象徴されるように、
狭い枠の中で生きていると
広い世界観を持つことができません。

その狭い枠とは、
自我のことです。

自らの人生に起きた過去の出来事や
過去生があるとしたら
その魂の歴史の中で
個をいただいた結果、
それに囚れて、
その中に自分自身を閉じ込めているのです。

その心の姿勢はさまざまです。

ですから、
人は一人ひとりオリジナルな考え方を持ち
人生を生きるのです。

僕は今まで
うつ病などの精神疾患や人間関係の悩みなど
様々な問題を抱えている人たちに出会ってきましたが、
その問題から解放されるには、
その囚れから外れることが
問題解決のカギになるのです!

ところが、
人間は囚れの中にこもって、
その枠をしっかりと保っていることが
自らを守ることだと思っています。

そして、
囚れの中から湧き出たものを叶えることが
自由だと勘違いしているのです。

それは、
自分から湧き出る感情や思考を
そのまま行動に移すことが良いことだ、という
安易な発想から生まれてきます。

多くの人は他人の姿勢はよく見えるものと捉え、
「あの人はあんな行いをして!」と
思うものです。

ところが、
自らのこととなると、
感情から生まれる囚れから客観的視点を失い、
道を見誤るものです。

世界観が狭ければ、
人はそのようになってしまうものなのです。

今回の講座の中で、
宇宙観についてみなさんに伝えてきましたが、
事実みなさんが今いるここも宇宙なのです!

そして
わたしたちも宇宙人なのです!!

ですから、
広くこの世界を捉え、
その中で自らが何者なのかを知っていくと、
その枠が取れるのです。

これからわたしたちが迎える新たな時代は、
人間が人間という枠を超えて、
この宇宙全体を生命のネットワークとして捉え、
人間本来の存在の意味に目覚め、
この世界を創っていく時代です。

これだけの高い能力と大きな影響力を持つ人間が、
囚れの考えのもとに束になって国を創っていくと、
自然生態系や人間関係に大きな矛盾をもたらし、
その結果国家の対立から戦争まで生み出すことになり、
地球や他の生命に多大な影響をもたらすことになるのです。

本来、
生命は互いに害をもたらすために
地球上に存在しているのではありません。

生命の本質である
変化・変容・変態という
新陳代謝を繰り返しながら、
進化・成長するために存在し、
世界を保ち、
時代を紡いでいるのです。

人間には、
生命の中で特別に与えられた
「学ぶ」という能力があります。

しかし、
今の人間からは
自我の囚れの中で学ぶことをせず、
自らの都合だけを生き混乱する姿が観えてくるのです。

ですから、
一人ひとりが囚れから外れることは、
世の中全体を囚れから外して正しくする
「世直し(クニツクリ)」になるのです。

ですから、
あなたの存在は
決して小さいものではないのです。

宇宙から観たら
あなたの存在は「奇跡」です!!!

今、地球上に72億人の人間がいます。

人間の存在は
宇宙から観たらバクテリアよりはるかに小さい存在ですが、
とても貴重で尊い存在なのです。

その価値を知ると、
あなたがあなたであるということは、
奇跡なのです。

誰もが、
奇跡の存在なのです。

そして、
さらに奇跡的驚異は、
この無限に広大な宇宙の中で、
あなたという存在は
たった一人しかいないのです。

今のあなたは
過去・現在・未来において
たった一人しかいないのです。

ですから、
常に変化・変容・変態を繰り返しながら、
進化することが宇宙の仕組みなのだとしたら、
今を生きることはとても大切なことです。

そしてその変遷の中で、
あなたがどのように生き、
自分に対しても社会に対しても何をもたらしていくのかを考えることは、
特にこれからの時代に求められることなのです。

そのときに
あなたに微妙に問題があることは
あなたをあなたとして特徴付ける
個性でもあるのです。

なぜ人間に欠点が与えられているのかというと、
それは善意と愛と調和を表現するためなのです。

もし、
あなたが完璧なものとして創られたら、
あなたはあなただけで存在してしまうので
他者を必要としません。

ですから、
不完全であるからこそ、
他者を必要とし、
全てに生かされ、
そして他者とつながって
常に新たなものを創造していく
この世界のネットワークの元となるのです。

それが調和です。

その始まりには、
善意があって他者とつながり始めます。

悪意からは
他者とのつながりのネットワークは生まれません。

そして、
他者とつながり
ネットワークが生まれ、
互いを認め合い必要とする
愛が生まれるのです。

わたしたち一人ひとりは
不完全な存在です。

しかし、
不完全であるからこそ、
他者と出会い、
助け合っていくことが
宿命付けられているのです。

そして、
それがこの世界の本当の目的なのです。

ところが、
今、人間は囚れの中に陥ってしまい、
生きることの本当の意味を理解できず、
不完全なままの自らを守ろうとしているのです。

ですから、
現代(末法)を生きる人々は、
本末転倒な状態にいるわけです。

通常、
僕は問題を抱えている人たちに対して
その人が健康になっていくきっかけとして
みなさんにこの智慧を提供しているのですが、
その行為の本当の目的は「世直し」なのです。

ですから、
その人個人の健康を願うことは、
世の中が良くなっていくことを願って行っているのです。

2000年を超え
21世紀を迎えた今は、
いくつものターニングポイントが集中している
宇宙的転換期に入っているのですから、
この宇宙的大いなる智慧を使いながら
不必要な痛みをいただかずに
時代を乗り越えていきたいものです。

みなさんも
世界に目を向け、
世界観を広げ、
世の為人の為に生きたら、
それが自らの位置を上げ、
本当の自らの為になるのです。

自分を優先させて生きているうちは、
どんなに能力が高くても、
お金持ちであっても
地位がどれほど高くても、
それでは人としての価値を積んでいることにはならないのです。

他者のことを考え、
他者の為に生きられるようになったときに初めて、
人としての価値を積み上げることになるのです。

それが
菩薩として生きる道です。

この講座の中で提供するツールは
一生自らを磨くためのツールとして
活かしていくためのものです。

そのことにより、
今問題を抱えている人たちの状態も
その現象が現れていることの意味が理解されると、
問題自体が自ずと改善されていくのです。

物理的な症状が出ている人の場合
それなりの時間がかかりますが、
その症状の元になっている
こころは
一瞬で正せるのです!

「あなたのここが間違っていたから、
今の状態になっているのですよ」と伝えられたときに、
「わかりました!それでは、やめます!!」となったら、
その人はたちどころに
新たな人格のステージに立つことになります。

それこそ、
瞬間芸ですよ♪

囚れがなければ、
そして素直であれば、
それで人生は変わるのです。

そうすれば、
常に変化・変容・進化し、
希望が生まれ続けるのです。

「自分の人生は上手いこといかないなあ」
「なぜ私はこうなのだろう?」と考える人たちは、
過去をよく振り返ってみると、
自分のことばかりを考え、
常に狭い枠に囚れてきたことに気付くはずです。

いずれ
誰もが死を迎えます。

生きることは、
常に死に向かって旅をしているのです。

死を迎えたときに、
「良い人生だった!」と胸を張って旅立つことができれば、
次にまた現れてくるときには
大きな使命を持って生まれてくるのです。

そして、
そのような学びの繰り返しが、
これからの新たな時代を創っていくのでしょう。

次回9月の講座では、
あなたのルーツがどうなっているのか、
そして世の中を観て、
これからどのような世の中をわたしたちが創っていったらいいのか、
そしてわたしたちそれぞれがどのように生きていったらいいのかを
共に考えていく場にできたらと思っています。

みなさん、
次回またお会いしましょう♪
■     ■     ■     ■
以下、「宇宙おじさんの人生講座3:宇宙意識で生きる」のご案内です!

【日時】
集合:2015年9月19日(土)

11:05 JR身延線「西富士宮」駅 又は 10:51 富士急行「大石寺」バス停(送迎あり)
お車の方は11:30までに木の花ファミリーおひさまハウスひまわりへ直接お越し下さい
解散:2015年9月21日(月/祝) 16:30頃(駅までの送迎あり)
 
【会場】
木の花ファミリー
〒419-0302 静岡県富士宮市猫沢238-1
(交通のご案内はこちら!)
 
【定員】
15名
*先着順です。お申し込みはお早めにどうぞ!
 
【参加費】
16,200円
*参加費には2泊3日の宿泊やお食事、保険代、消費税を含みます
 
【参加の心がまえ】
■ まずは頭の中をからっぽにしてご参加ください。固定概念の枠にとらわれないフリーな心で参加したとき、これまでの自分を大きく超える新しい世界に出会えることをお約束いたします。
■ 木の花塾では、そこから生まれる智恵や経験を広く世の中に共有することを大切にしています。受講のようすを、写真を含めインターネットなどで発信していきますのでご了承ください。
 
【お申し込み】
下記リンク先の専用フォームよりお申し込みください。
  木の花塾お申し込みフォーム

★ 本講座は、占いや一過性の自己開発セミナーではなく、自分を客観的に捉える視点を身に付けてそれを日常の中で活かしていくことで、その人自身が生き生きと変化し、その響きが広まってやがては世界全体が豊かで調和的な世界へとなっていくことを目的としています。

★ 講座は全3回シリーズですが、第1回、第2回に参加されなかった方でも十分に学べるよう配慮した内容になっています。初めての方もどうぞお気軽にご参加ください!

 


宇宙から一人ひとりにオリジナルな人生が託されている

2015年マヤ新年の日、地球に祈りのウェーブを巻き起こす式典の中で、いさどんは次のように語りました。

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今日2015年7月26日、マヤの新年・11MENの祭典に立ち合わせていただきました。そしてその最中に、ひとつの文字が浮かんできました。それは、「時(トキ)」という文字です。マヤ暦はおよそ20000年前から始まりました。その歴史をたどれば、今わたしたちはカタカムナを学んでいますが、そのカタカムナ以前に太平洋という地球上で一番大きな海にムー大陸があったそうです。そのムー大陸が消滅したとき、時(トキ)の文明を東に移し、マヤの文明にしたのです。そして、言魂の文明を西に移し、ユーラシア大陸の端に存在していたヤマトの国に移したのです。それから13000年の時を経て、一昨年、わたしたちはそれをカタカムナの学びとして出会いました。そして昨年から、メキシコの太陽マヤ族最高司祭の尊母ナー・キン氏との出会いにより、このヤマトの地で、マヤの新年の祭典が行われるようになったのです。

歴史を振り返ってみますと、2012年12月21日に25800年ぶりの銀河の冬至を迎えました。わたしたちの地球にも冬至はありますが、冬至とは光がもっとも少ない闇のピークのことです。わたしたちは太陽の生命エネルギーをもとにして、地球上で生命活動を行っています。そして、全ての生命が自分という個性をいただいて、時代を紡いでいるのです。その太陽の一螺旋である25800年ぶりの銀河の冬至が2012年12月21日に訪れ、この日を持ってマヤ暦は終わっています。それは、時(トキ)の文明を継承したマヤの人たちが、太古の昔にそういった宇宙の仕組みや太陽の構造を理解していたということです。

これまで、わたしたちは新たな時代を迎えるための心の準備をしてきました。一人ひとりが自らの個性的な心の歴史を知って、カルマを読み解き、そして新たな心とともに新たな時代を迎える準備をしてきたのです。それが木の花ファミリーの21年の歴史です。

そしてくしくも、新たな時代の扉を開けることになった4年前の東北の震災3.11を持って、わたしたちは地球暦に出会ったのです。地球暦に出会って、わたしたちは自分個人を生きているのではなく、星々の対話を受けて、宇宙の意志を一人ひとりの人生に表現していることがわかってきました。

こうした様々な出会いのもとに、今日2015年7月26日、わたしたちはこの富士山麓の地で地球一周の始まりとしてマヤの新年の祭典を迎えています。この祭典はヤマトの国・日本で始まり、そして24時間かけて地球を一周していくのです。

イメージしてください。宇宙を意識した人々の心が羽ばたくようにウェーブとなって、地球を一周するのです。つまり、地球は丸く、時代は途切れることなく永遠に紡がれながら、わたしたちはひとつの世界を生きているのです。

地球上にはまだまだたくさんの争いや様々な困難がありますが、これは人間以外のものが創ったものではありません。それは、人間が自我を自らのためだけに活かそうとして生きてきた結果なのです。それも、それほど長い期間のことではありません。時をさかのぼれば、およそ250年前のヨーロッパ産業革命以降のことでしょう。さらにもう少しさかのぼれば、800年、1600年くらい前のことでしょう。それ以前、人間は自然とともに生かされ、生命ネットワークの中の役割のひとつとして他の生命とともに繁栄していました。

今、この時を迎え、人間の中で自我が沸騰しています。しかし、これは悪いことなのでしょうか。

それは決してそうではありません。人間の可能性と高い能力を知るためには、思い切りその能力を表現する必要があったのです。そして現実にそれを表現したときに、その問題点も噴き出してきました。それが今の時代です。今、それをコントロールする時(トキ)が訪れ、そして自らのカルマを表現する言魂によってコントロールしていく時代になったのです。今、トキとトコロ、マヤとヤマトが出会って、この祭典につながったのです。

そのように考えますと、わたしたちは自分でわかっている範囲で生きているわけではないのです。星の対話によって時代が刻まれているのであり、それは宇宙の仕組みで生きているのです。その仕組みの中で、わたしたちは常に変化・変容・変態を繰り返しながら進化しているのです。

そういったことをイメージしながら、調和の世界を地球上に表現していきましょう。わたしたち人類は、非常に優れた能力と大きな影響力を持っています。人類が目覚めたら、次の時代にはきっと、この地球生命、さらに宇宙に大きな貢献をするような魂となって育っていく姿がイメージできます。

時代は21世紀に入り、ようやくそのような時代になったのです。2012年の銀河の冬至を迎え、新たな扉が開き、2013年・2014年・2015年と3年間その変化の準備期間をいただいて、2015年はその最後の年です。この新年が明けると、いよいよ新たな時の流れを世界中の人々が感じるようになり、人類も地球自身も新たな宇宙時代を迎えるのです。

それぞれの歩みがあるとしたならば、木の花ファミリーは世界に先駆けてそのことに気付き、目覚めたものとしてこの生活を通して表現するものなのです。これは今後の木の花ファミリーの生き方にますます反映され、そして宇宙を通し、地球ネットワークを通して、全世界に広がっていくものだと確信しています。今日のこの快晴は、天がそのような意志を示されていると感じながら、皆さんとともにその自覚を持って歩んでいきたいと思っています。

木の花の歩みが始まったのが21年前だとしたら、やっと今、時が追いついたのです。人は土星の30年のサイクルで生きていますが、最初の30年で自らが何者かを知ります。そして自らが何者かがわかったら、次の30年でそれを人生に表現するのです。そして、60年でその結果をいただき、その後旅立つための仕上げの準備をするのです。木の花ファミリーの20年から30年に向けての今後の10年間は、きっと新たな時代を紡いでいく大きな役割を果たしていくのでしょう。

そういった意味で、わたしたちは宇宙を生き、時を生き、時代を刻んでいるのです。その中のトコロという場にわたしたちの存在があるのです。ですから、心をしっかりと観て、宇宙・トキ・トコロを意識しながら生きていくことが、生命として、そして大きな役割をいただいている人間としての目的なのだと感じています。

それは、宇宙から一人ひとりにオリジナルな人生を託されているのです。そして、人々は自我から解放され、この世界のために天の意志をいただいて生きていく時代に入ったのです。それは、価値ある素晴らしい人生です。自分のことは自らで責任を持ち、高い意識で歩んでいきましょう。そして、地球上にみろくの世を実現させましょう。皆さん、これからもよろしくお願いします。

一人ひとりにオリジナルな人生が託されている
一人ひとりにオリジナルな人生が託されている

 

 


究極の世界が そこにある

いさどん:
株価が上がったと言って喜んでいる人たちがいる。それが経済の大きさだと言って、ゲームに翻弄されている。
何か、バツンとやってやりたい気持ちにならない?

何かが狂っている。
世の中は、どこかが狂っている。だけど、それに「そうだね」と呼応する人は少ない。
先日、ある柔道選手のアスリート魂をテレビ番組で放映していた。実力不足で負けて落ち込んでいる彼女の記事に、462件の「いいね!」と30件以上のコメントが付いていた。それはとてもわかりやすい世界。一生懸命やっている人が、実力不足で負けて落ち込んでいるというわかりやすい物語に対して、それだけの反応がある。
だけど、人類にはもっと大事なことがあるよなあ、と僕は思う。そんなことで一喜一憂している場合じゃないと。

人間たちは今、水素自動車の時代を迎えようとしている。水素は宇宙の中で最も多い元素と言われていて、いろいろなものから取り出せる。100年以上前にSF作家のジュール・ヴェルヌが言っていた世界が実現されようとしている。
ただ、その水素を取り出すのにもエネルギーがいる。そこで化石燃料を使う。それではだめだからと風力発電を使うのだけど、その風力発電を作るためのエネルギーにまた化石燃料を使う。

僕が子どものころ、美濃には豊かな自然があった。日本中にあった。だけど、50年前の自然は、もう返らない。何かが狂ってきているのに、みんな気付いていないんだよ。

この世界に、悪意がある。

それは、例えば利益を上げるとか、人よりも豊かになろうとか、そういった悪意がある。今よりも良くなろうとする心が、人間のエゴの上にある。
それが人間に染みついている限り、どんなにテクノロジーが進化しても矛盾は発生し続ける。それを取ってしまえばいいのだけれど、今の段階の人間は、そのままであり続けることが人間らしいのだと思っている。
そこを越えていけば、人間はどんなに進化してもお互いを傷つけることはないし、人間の存在が他の生態系や地球環境にとって有害なものにはなることはない。

――― 何で悪意が湧いてくるの?

それもプロセスなんだろうかね。

――― 人は神様からできているでしょう。悪意はどこから湧いてくるの?

同じところから湧いてくる。だから人間は、人間を超えて人を観ないといけない。

――― いさどんは、悪意ってあった?

それは、当たり前に自分の希望はあったよ。あったけれど、お釈迦様に出会ってから、それを調整するようになった。明らかに自分の中から湧いてくる感情に対して、それにストッパーをかける心が生まれて、今まで生きてきた。

――― お釈迦様と出会って最初の2年間は、泣きながら歩んでいた。

その時が一番ピークだった。その後は、衝動が出てくると、それをそうでない方へと向けるようになった。

僕はこれまで生きてきた中で、人に対しても、自分に対しても、「他者のために生きる」ということを基準にしてきた。だから、他者のために生きない者に対しては当然それを伝えるし、それができずにいる者には厳しい。逆に、そういったことの申し子のような人にはやさしいけれど、申し子のような人というのはなかなかいなかったね・・・。

他者のためだと思い込んで、自分のエゴを満たそうとしている人もいる。世の中のためにといって産業を起こして、自分の利益を追求している。それはものごとを緻密に観ておらず、客観性がない状態。では客観的な視点を持つにはどうしたらいいのかというと、自分自身を磨くということだよ。
だけど、こういった話も、その波動が響いている現場ではその気になるけれど、一たび自分の家へ戻るとまた元に返ってしまう。人間のエゴの響きが、地球に蔓延しているから。

今、僕の心の中にあることを言葉に表現するのは難しすぎる。
だけど、何かが足りない。

今、ここに3人いる。ここに壁がある。どういう壁かと言うと、個人という壁がある。
その個人という壁を全て取っ払った世界がいい、と思うのだけど、それは僕が、欲が深すぎるのだろうね。

生きるということは、性別だとか、人格だとか、個性だとか、そういうものの違いがあるものなのに、極端なことを言うと、あなたたちの個性を全部無視して、全て自分のもののように扱える世界。逆に言うと、そのことに対して矛盾や負荷がまったくかからない世界。そういう世界がある。究極のわがままだけどね。

昔から、僕はわがままというか、ぜいたくを言う。とびっきりの世界を求めようとする。その壁を壊そうとする。それをもって、他者と自分の境界を超えることをずっと伝え続けてきた。

――― いさどんの心には、壁がない?

壁を越えようとする時に、そこを越えたら、いつでも取っ払う心の準備はある。しかし、そういう望みを持っていたとしても、相手に壁がある限り、その相手の壁が自分の壁になる。それが相手との境界線になる。その相手の壁がなくなれば、その境界線がなくなれば、こちらには、ない。その時に、お互いの壁がなくなったということになる。

――― 壁があると苦しいね。

だけど、壁があることによってみんな自分を守っているんだよ。通じていない者同士は、壁によって守られていると考えている。
だから、守る必要のない自分をつくらなければいけない。守る必要がなくなることが大事なんだ。

壁の質は、人によって違う。たとえば、まりこと僕の壁。ようこと僕の壁。それは、一人ひとり違う。本当は、それを取っ払った世界を創りたい。

僕に壁があるかないかは、厳密には言えない。なぜかと言うと、そういう世界をまだ味わっていないから。けれども、常にそれを望んできたからこそ、今こういう生き方をしている。人に接することも、全てがその証としてある。
だけどみんなは、条件付きの壁を持っているんだよ。

――― 私、自分で条件があるなと思う。そうなることを、100%望んでいない。

人間には、悪意と恐れがある。そういうものが全てなくなると秩序が乱れてしまうから、自分を守らなければいけないと思うようになる。別の価値観に出会った時に、自分を守る心が働く。だから壁が取れない。

だけどね、自然界を見てごらん。大根があるとするでしょう。大根が大根であるということは、大根である限り絶対に自分であるわけだよ。それが他のものと交配してしまうと、自分ではなくなるわけだ。
ところが、自然界の中では、交配は可能なところとしか起こらない。そしてまた、変化していくことが許されるものとしか、交配しない。交配をするということは、そこに進化の種があるということ。必要な進化がその先にあるから、交配する。その道筋から外れたものとは交配しないし、そういった衝動も起きないようになっている。

だから、自分を守ろうとする恐怖や恐れを手放せば、実は、究極の秩序がそこにあるんだよ。ところが、その究極の秩序が現れる前に、自我が自ら壁を創る。だから、観えるものが観えない。次の世界がそこにあるのに、観えない。

そこまで行きたい心が僕にはある。僕はこれまで、他の人ができないことをやってきた。だからそれでいいのだろうと思いながら、どこかにいつも壁を感じていて、そこを越えられない、そこを越えたい、という貪欲さがある。
その貪欲さというのは、エゴ的な貪欲さではなく、壁を突破するための貪欲さ。その世界がどうなるのか、という好奇心。それを常に持っている。

だから、ことが進んでいって壁が取れてきて、例えば勉強会でもやって「ああ伝わったな」と思っても、そう思うと同時にその伝わった位置が観えて、まだまだ先があるのが観える。そうすると、まだこんなところか、という心が湧いてくる。前の状態からその状態になってきた喜びが消えて、次の「まだだな」という心が湧いて、壁が観えてくる。

それは、僕個人の衝動とは違うもの。水素エネルギーの時代が来る。これは無尽蔵で無公害と言われているけれど、そういうものがいくらできようと、人間の中にあるエゴ的な心を超越しない限り、結局それはまた矛盾を生むことになる。人間はそこでまた人との壁を見て、矛盾の発生源にする。人間の中にある壁を越えない限り、それは本当の理想にはならないんだよ。

壁がない状態というのは、人と接する時に、人に対して自分に接するようにするということ。そこに一切の区別がない状態。
それを可能にするのが、自分という存在の世界観を広げること。だから僕は、世界観や宇宙観の話をする。そして、いろんな角度から共通性を探求している。
だけどいくらそれをやったところで、人間の根本が自我が基本になっていたら、それはサビの上にペンキを塗るようなものだよ。いくら塗っても、サビが浮いてきてはがれていく。

自然界のものというのは、個性があって、絶対なるルールの中にあり、それを超えないようにできている。それを超えることは、神の意志の領域になり、新たな種が生まれたり、種の再編成が生まれる。しかし、そこでは個性を尊重するようにできているから、自我も守られているんだよ。そこには、意図が働いている。

逆に、人間は個が強くなりすぎて、それを超えていくということができない。自我を優先するがために、この世界を共有することができない。
それがまた矛盾の大きな発生源にもなり、人間が進化するきっかけになるわけだけど、大量の矛盾を発生させて、この世界に負荷をかける原因にもなっている。そのバランスをどうとっていくのか。

今、究極の選択を迫られる時が、来ている。
こんな話は、これまで哲学者や宗教家が頭の中で回しているだけで、世の中の人々の日常生活からは隔離された世界だった。
しかし今、人間のあり方そのものが問われる時代が来ている。そんなふうに切り離して置いていけない時代が来ている。

今、こうやってこの部屋で話をしていると、窓から隣りの建物が見える。その中にいる人たちは、そんなことは何も考えていない。窓の外に見える世間の99.999999999999%の、いくつ9がつくかわからないパーセントの人たちは、まだそのことを考えていない。
僕はそれを、限りなく少ないとみるのか、逆に、ほんの少しでも兆しが始まったぞと観るのかということだと思う。どんなことでも、始まりはほんの少しの兆しから始まったんだよ。いずれその兆しが、世界にいきわたる時が来ることを想って、この想いを巡らせている。

そしてその先を想像していくと、全てのものに壁がなくなることは、この世界がひとつに還るということ。つまり、始まりの、神様お一人の状態に還るということ。それは、この世界が終わるということ。それは究極の喜びであり、究極の破壊であるわけだよ。

これを哲学のように、発想の次元で終わらせてはいけない。みんなは、発想の次元でしか受け取れていない。
僕の中には、どこかに、強烈な欲深がいて、そのイメージを探求するあくなき自分がいる。だから、伝わっても伝わっても、もっともっとという気持ちになる。
僕は、そういう自分が好きだけどね。呼吸しながら、負荷がかかって、納得して、喜びになって、またそれが負荷を生んで、納得して、そして喜びに変わる、という呼吸するような状態が好きなんだよ。それが生きることだから。

――― この話をもっと深めたい。

あのね、これは、これ以上深められないんだよ。
僕の中では、今自分のイメージしている納得の限界のところまできている。そこで、他者、例えばあなたがこの話をもっと深めたいということは、あなたの受け取った次元の質問に対して答えるということを深めるのであって、究極の世界にいくには、結局、自我を超えなければいけない。そうすれば、全ては解決するんだよ。

この話は、壁を超えたい、壁をとりたいという衝動から始まっているでしょう。それを超えるためには、自我を超えること。自我を無しにすれば、こういった衝動は起きなくなる。つまり、自我があるから壁があるのであって、自我を無しにすればそれで終わるんだよ。

――― そうだね。私は今、ものすごく衝動がある。

それは自我があるという証拠だよ。その、ものすごく難しくて、不可能と思えることが、実は自我の壁を取れば終わることなんだよ。そして、そこには秩序があるのだから、何も心配することはない。今の自分の姿も秩序なんだよ。

例えば、人間と植物は壁を超えられないようにできている。人間と空気は壁を超えられないようにできている。人間と鉱物は壁を超えられないようにできている。
ところが、もう一つの捉え方からすると、それは全て同じものでしょう。地球という同じもの。だから超えられる。というよりも、すでに超えている世界で存在している。

だから、なぜこういったことが起こるのだろうかというと、自我がある状態があるからなんだよ。
どう言ったらいいのだろうね・・・目覚めれば、それに気付けば、答えは既に出ているし、完成されている。自我の頭で回しているだけでは、いつまで経っても、その答えは出ない。

はあ・・・・落とせないな。行こう。バイバイ。

 

(そう言って、いさどんは作業へと出発しました。)

 

 


新たな時代を迎えるために〜GENタイ代表といさどんとの対話

昨年より、木の花ファミリーは事実を歪めた情報によって国内の一部のエコビレッジ関係者からバッシングを受けてきました。
以下は、このことに心をいためたGEN(グローバル・エコビレッジ・ネットワーク)のタイ代表であるナルモン・パイブーンシッティクンさん(以下、モン)といさどんとの対話です。
 
■     ■     ■     ■
 
いさどん:
これまで、エコビレッジという概念に価値を置く人々がいました。こうした人々はこの概念に執着する傾向があります。本来、エコビレッジとは自然と調和し地球に優しい生き方をする人々の集いなのです。ですから、特定の人々が示す生き方のためにエコビレッジはあるのではなく、すべての人類が目覚め、目指すべき方向がエコビレッジのあり方なのでしょう。

今までエコビレッジは一部の人々の特別な暮らしということで認識されてきましたが、これからの時代は人類の歩みとしてこの概念を捉えていく必要があります。そういった意味で、エコビレッジ活動に関わる皆さんは門戸を広げる必要があるのです。自然界に豊かな生態系が存在するように、人々も多様な国家・文化・歴史を持ち、そうした違いを超えて共有していくことが求められています。今、時代は、イデオロギーの違いによる対立に終止符を打とうとしているのです。しかしながら、宗教の違いや貧富の差により、世界中の人々はまだ地球共同体という認識を持っていません。

例えば、ノーベル平和賞を受賞した少女がいますが、わたしは彼女の存在が世界に平和をもたらすとは思いません。彼女は対立構造の一方の側の人々に利用されているように観えます。それと同様に、ISの存在を悪とみなし、彼らを倒すだけで問題が解決するとは思えないのです。ですから、エコビレッジ活動に関わってきた人々は自らの視点を広げ、社会運動としてこの価値をつなげていくことが必要なのです。

モン:
日本においてエコビレッジのネットワークが切れた状況を考えますと、あなたがおっしゃることに全く共感します。しかし、そこからわたしたちは学ぶ必要があるのです。「わたしたち」というのは、日本だけではなく、タイや他国のネットワークも含めたわたしたち自身のことです。それと同時に、木の花ファミリーのようなコミュニティが批判によってエコビレッジのネットワークから外れたことに対し、わたしは戸惑いを感じ、何かしなければと考えています。

大きな視点から捉えると、タイや他の東南アジアの国々は物質的に貧しいだけでなく、精神性も貧しいという見解について話し合いたいと思っています。また、こうした国々の姿勢は良いものではないのです。あなたは姿勢の転換を重要視しています。そこで、どのような提案をわたしにしていただけますか?

いさどん:
物理的な貧しさから脱却するために、近年、ほとんどの人々はアメリカ主導型の豊かさの探求に追随してきました。しかし、本来人間は精神的な生きものであり、精神的に不安定な状態で物だけを与えられたら、色々な矛盾が発生するのは至極当然のことです。人々が物質的な豊かさを求めれば求めるほど、今の人間社会の構造では一部のところに物理的豊かさが集中するのです。

ですから、ひとりひとりが一方通行の価値観へ向かうのではなく、それぞれの個性を生かして、個性を尊重し合い、そしてネットワークの中で豊かさを追求する自立した状態が必要です。わたしたちは地球という一つの生命体に存在しているのですから、現時点での目的はワンネスを意識することであり、その目的を果たすためには皆が互いにつながり合うことが大切です。そのためにはわたしたちの世界観を広げる必要があります。それは、特定の価値観に囚われていては、可能ではありません。なぜなら、わたしたちが存在しているこの世界は、常に変化・変容を繰り返している世界だからです。さらに、平和や幸せ、豊かさについてどの意識レベルで捉えているかを見直す必要があります。そういった意味では、最初にお伝えしましたように、これまでエコビレッジを推進してきた人たちは、エコビレッジに対する自らの視点によって限定されているように観えるのです。

木の花ファミリー創立当初、わたしたちは「エコビレッジ」という言葉を全く知りませんでした。このコミュニティはわたしの霊的な体験とともに始まったのです。また、木の花ファミリーの歩みは地球に優しい生き方を追求していった結果でもあります。そして、エコビレッジを広げようとする人たちが木の花ファミリーのメンバーになって、わたしたちはエコビレッジとして知られるようになりました。今現在、木の花ファミリーはエコビレッジという枠から意図的に外れていますが、事実として、ここはエコビレッジとしてもっともふさわしいモデルであり、その最たるものが精神性なのです。

今なお一般社会は、富を追求することを優先しています。この流れは、地球上で最後の物理的進化のフロンティアであるアフリカ以外は、すべて行き詰まりを迎えることでしょう。そしてアフリカではこれから物質的な価値観が繁栄し、それがピークに達したときに、地球上での矛盾もピークに達するでしょう。その予感を感じられる今、時代の流れは明らかに切り替え時に来ているのです。

宇宙的視点からすると、250年前に起きた産業革命以降、冥王星は一周しました。ですから、戦略的に社会を変えていこうと志を持つことは時代の流れに乗っていることですし、それとコラボしていくことは大切なことです。しかし一方で、時代が変化していくときに戦略的になる必要はないのです。これからは物質的な豊かさを探求すればするほど、地球はすでに過剰な負担をかけられていますから、その行為に対して常に矛盾という形でわたしたちにその意志を伝えてくるでしょう。今、物質的な豊かさと霊的な豊かさのバランスが崩れていますので、物質的探求を続けてきたわたしたちが切り替わるしか選択肢はないのです。そこで、わたしたちがすべきことは、遺産として次の世代へつなぐビジョンを明確にすることです。

先程あなたから、木の花ファミリーに対する批判についての話がありました。今回の批判を受けるずっと以前から、わたしたちはエコビレッジ関連の組織に入り続けるべきなのかどうかについて考え、皆で話し合ってきました。なぜなら、国内でエコビレッジを推進する学びの場は多くもたれてきましたが、その多くはコミュニティを立ち上げることすら叶わなかったのです。そこではビジョンに現実味がなかったり、コミュニティを持続させるにふさわしい精神性に乏しかったり、またエコビレッジに対するイメージだけで関わってきたことが原因になっているのです。彼らの中には、ヨーロッパやアメリカのエコビレッジを訪問した際の体験やどこかで得た情報のみで、エコビレッジのイメージを創り上げる傾向があります。それに対して、わたしたちはエコビレッジという概念に倣ったわけではありませんが、地球に優しい生き方を模索してきた中で、コミュニティの変遷の現場を歩んできたのです。

すべてのものに過渡期があるように、ある段階でわたしたちは社会に適応できない人々の受け皿になっていました。そうした人たちは一般社会で自らを健全に保つことが出来ず、その多くは人間関係において不安定であり、希望を失って、新たな社会的価値観を求める傾向があり、このコミュニティに集ってきました。わたしたちにとってそれはまるで、リハビリプロジェクトのようなものでした。そのようなプロセスの中で、コミュニティを運営するために取られた学びと措置の善意を逆恨みする人たちがいました。しかし、その当時も今も、その人たちに対する愛と、社会を健全にしようとする情熱はわたしたちの中で不変なのです。

また、わたしたちの世界観と、彼らが求めている幸せや世界観にギャップがあることが発覚してきました。そういった過程で様々な人々が集いながらも、木の花ファミリーは一つのコミュニティとして運営され、維持していくことが求められたのです。そのような模索の中で、木の花ファミリーは精神性の高いコミュニティとして確立されましたが、その道が進むほど、その方向性から自然に外れていく人たちが出てきました。

古橋道代がGENやGENOA、Gaia Educationの役員をしているときに、そこでなされた議論の内容を聞き、エコビレッジ活動に関わる人々の世界観に失望するところがありました。そのような見解からすると、木の花ファミリーを離れた人たちとも、同じテーブルに着いて語り合えば、今回のような出来事が自分たちの未熟さから発生したことを彼らは真に理解するでしょう。

なぜそのように言えるのかというと、彼らがここを離れ、木の花ファミリーが批判を受けた後でも、事実、ここはたいへん安定した状態にあるからです。 あなたもここに滞在することにより、それを感じていることでしょう。しかし、ここを離れて行った人たちは自分たちを正当化したいがために、事実の多くを捻じ曲げ、架空の物語を創り上げ、わたしたちを批判し始めました。日本において木の花ファミリー以外に、エコビレッジらしいコミュニティは他にありません。さらに、ここは世界的にもたいへん貴重な場所だと思っています。

ところが、共同生活を一度も実践したことがないにも関わらず、エコビレッジのイメージを創っている人たちがいます。ある意味、そういった人たちにとって、木の花ファミリーが日本におけるエコビレッジの代表事例としてみなされていることは好ましいことではありませんでした。そうした人たちの釈然としない想いとここを離れた人たちの不満が合わさり、わたしたちをたいへん激しく批判するに至りました。しかし、今回の一連の出来事を通じ、木の花ファミリーメンバー間の絆は深まり、わたしたちの世界観はさらに広がりました。

事実、彼らが一生懸命取り組んでいることは、エコビレッジの事例としての木の花ファミリーをなくし、忌まわしい団体として貶めることなのです。エコビレッジの定義を広げ、その基準を超えようと考えているわたしたちからすると、このことは問題ではありません。ですから、エコビレッジを推進する人たちの言葉を借りれば、エコビレッジのネットワークとは多様な形で個性を尊重するということなのですから、「エコビレッジ」の定義や意図を考えると、木の花ファミリーのような確立されたコミュニティがそのネットワークから外れることは不自然なことです。

何よりも、21世紀に人類がどのように進んでいくべきかの回答がここにあります。産業革命以降250年間続いた物質至上主義の価値観が転換する時代が訪れているのです。右肩上がりの成長と引き換えに、人々は地球に負荷をかけ、豊かさを追求してきました。しかし、真実として、宇宙は拡大と収縮を繰り返しています。そして今まさに拡大が終わり、その真実を求めるためにそぎ落とし収縮する段階に入ってきています。必要なものと不必要なものを仕分けし、不必要なものをそぎ落としていく時代なのです。そうすると、これ以上物理的にも精神的にも不必要な負荷がかからなくなり、本当に必要なものだけが残るのです。これからは、物質的な発展はわたしたちの積極的な意志により縮小していくべきなのです。その代わりにわたしたちが拡大させる必要があるものは、精神性に基づく世界観です。世界観を広げていくことによって、人間としての新たな可能性を開花させ、愛や調和にあふれた世界を創ることが出来るのです。

木の花ファミリーのメンバーは精神性を最も大切にしながら、不要なものをそぎ落とし、日常生活の中で真実に目覚めようと努めています。もしあなたがただ自分自身の願いを叶えたいと想うなら、コミュニティで生活することは不可能でしょう。実際、特定の人々が共同体で暮らしているのではなく、わたしたち人類は皆、「地球共同体」に暮らしているのです。それは、人類の地球共同体どころか、地球生態系の共同体でもあります。さらにわたしたちの意識が広がっていけば、それは太陽系共同体であり、銀河共同体であり、大宇宙共同体でもあるのです。

ですから今、地球共同体を運営していくためには、人類は自らのエゴと直面することが不可欠です。そしていつか、わたしたちが宇宙的視点に立ったときに、どのように太陽系、銀河、宇宙を運営していくのかを考える時代が訪れるのです。人類が地球を一つの生命体だと気付き、そうした認識とともに生きていくことの歴史的転換点を今、わたしたちは迎えているのです。

批判によると、木の花ファミリーには問題のある性的行為や暴力があるとされています。それは、彼らの意識レベルで物事を見て、その人たちの感情が反応すると、それを事実として捉えることができます。しかし、すべての出来事には長い物語があり、それは継続しているプロセスの一部なのです。わたしたちを批判する人たちは、物事を部分的に切り取って、自らのフィルターを通して事実を歪めている傾向があります。しかも、そのような批判は、自らのエゴと向き合いきれず、精神性を高めることを断念した元メンバーが自分たちを正当化したいがために訴えたことのみを情報源としています。ですから、この状況を改善するためにわたしたちが次に何をすべきなのかという提案を一切しないのです。なぜなら、ただ批判することが彼らの目的だからです。それとは対照的に、木の花ファミリーにはこうした出来事すべてを経験した結果、より高いビジョンがあります。その現実化のために、今も粛々と日々の中でその探求が進められています。ですから、自分自身のエゴに向き合うことができなかった不調和なメンバーがここを離れていった結果、メンバー間の絆はより強くなり、ここはより精度が高くさらに開かれた場になりました。

あなたは今回それほど長い期間ではありませんが、ここに滞在するために訪れました。もしあなたがこのコミュニティのエネルギーを感じるならば、わたしたちが一切の秘密を持っていないことに気付くでしょう。もしあなたが1ヶ月でも1年でもここに暮らしたら、それはとても明解にわかることです。鋭い人であれば、ここを一目見ただけで今回のような批判が真実ではないことを瞬時に感じ取ることでしょう。

道代:
彼女はここに来てすぐに、木の花ファミリーは批判されているような出来事が起こる場ではないと気付いた、と今朝わたしが彼女と話していたときに言っていました。

モン:
ひとつ質問があります。わたしたちは何をすべきなのでしょうか。この状況をただ放っておけばいいのでしょうか。それとも改善するために、GENのような国際レベルで、またはGENOAのような地域レベルで、もしくはわたし個人のレベルなど異なるレベルで、何かわたしにできることはあるのでしょうか。

いさどん:
わたしたちの見解からすると、批判する人たちには明らかに事実を捻じ曲げフィクションを創り上げることによって、わたしたちの存在を否定しようとする意図があります。彼らはとても賢く、多大なるエネルギーを注ぎ、批判することに情熱的になっているので、そこに惑わされる人もいると思います。それは時代が新たな方向へ移行しようとするときに、抵抗する力のようなものだと捉えています。しかし、時代は確実に前にしか進みません。ですから、彼らがしてきたことは時代に逆行しているのですから、霊的には罪を犯していることになるのです。わたしはそのことに対して彼らを非難するつもりはありません。彼らの意識レベルからすると、批判することを大事だと思っており、そのことによって自分たちの価値を下げていることがわからないのです。

大切なことは、時代は新たな方向へ時を紡いでいく役割をわたしたちに与えていることに気付くことです。それは、天体の動き、人類の歴史、文明の周期といった様々な視点から、新たな時代に劇的な変化をもたらす大いなるターニングポイントを今、わたしたちが迎えていることが立証されてきているのです。変化を求める動きは、それに対する抵抗に常に出会うものです。もしわたしたちがその抵抗に対して何もしなければ、こうした変化を拒否していることにもなります。ですから、時代が変わることを感じ、その真意を理解できる者は、これを何とかしようとするのです。批判を支持するどころか、それを超えて新たに木の花ファミリーを支援する人たちが今、多く現れてきています。あなたの中にもそのような感受性があるから、それを感じられたのでしょう。不調和が批判する人たちの特徴なので、共通した敵がいれば団結し、一見調和しているように見えます。しかし、彼ら自身の中に人を批判して自らを正当化する種があるのですから、その調和を保ち続けることは不可能なのです。ですから、そうした自分自身の価値を下げていくような活動がいずれ消滅することは確かです。そして、それは時代が示してくれるのでしょう。

それでは、わたしたちが新たな時代に移行していくことを感じる人たちは、何をしたらいいのでしょうか。それは常に真実を語ることであり、わたしたちと同じ立場なのです。わたしたちは木の花ファミリーという存在を所有していません。新たな時代に向けての一つの雛形として、わたしたちはこのようなライフスタイルを実践してきました。ですから、人々が地球共同体に暮らしていることに目覚め、時代が新たなステージに移行すれば、わたしたちの目的は達成されるのです。そのような共通した目的を持っている人たちは、エコビレッジ活動に関わっている人も、そうでない人も、あなた自身も皆いずれ、その立場に立つべきだと思うのです。エコビレッジという枠が壊れ、広がる時が訪れています。わたしたちを批判する人たちはたいへん熱心なので、日本語だけではなく英語でも発信をしています。それは、わたしが伝えていることの問題提起をするチャンスでもあります。そのことにより、真実は何であるのか、そしてこれからの時代に何が求められるべきなのかが立証されるのだと考えています。

もしあなたがタイのことだけではなく、人類の未来をわたしたちと同じように考えているのだとしたら、それはあなたのための活動として、真実を伝えていくことが大切です。それは、この世界の仕組みに気付き、時代の流れを感じた人たちの使命なのです。

時代は、とてもダイナミックで、魅力的な時を刻んできました。そして、そういった価値観を支えるわたしたちの思考も、その確信のもとに歩んできたのです。しかし、全てのものは満つれば欠ける世の習いのごとく、過ぎたればそれを修正する段階に入るのです。ですから、わたしたちが今取るべき行動は、自らの根本的な振り返りと新たな時代を迎えるための自我のコントロールです。それは、今までの価値観とは全く逆さまのようなものにも捉えられますが、時代に心を向けて感じられれば、そのことの大切さは明解にわかるものです。そして、新たな時代を迎えようとするために出来事が矛盾を持ってそれを示し、人々は今、そのことに気付き始めているのです。わたしたちに出来ることは、そのネットワークの中に自らがいることを常に意識して生きることなのではないでしょうか。
 
 


いつか死を迎えるときに

人はいつか、必ず死ぬものです。そして、その時は今回生きたことに対する清算をする時でもあるのです。そのときにその結果をどう受け取るのか、ということを木の花ファミリーでは一番大切にしています。これは、私たちにとっては当然のことですが、全ての人が生きる上でもっとも大切なことと言えるでしょう。

過去の歴史を振り返ってみると、どのような宗教であっても、そのことを最も大切にしてきたはずなのです。そして、そのことに目覚め気付いたものたちは、そこを大事にしてきたはずです。だからこそ、本当を目指すものたちは日常から意識を離し、取り組んできたはずなのです。

ところが、それが宗教化されてきたがために、その肝心なところを失い、社会にごまをすって理解されようとするような、もしくは社会に認められるために媚びを売る損得勘定で成り立つようなあり方に変わってきています。そして、その探究の目的は、自らを高めていくのではなく、自らの願いが叶う現実化に重きを置くようになったのです。

そこで、私たちが生きていることに対してどのような力が働いているのか、どのような仕組みのもとに私たちが生きているのかというと、この世界との関係に私たちが生きている要素はないのです。しかし、そういった立体的かつ広い捉え方でものを観たときには、それがそうだとわかっても、日常働いてご飯を食べ生きている現実の中で、自らの願いを叶えることを優先していけば、それが当然のようになってしまうものです。そして、今の世の中を観ると、そういった意識レベルの人々が大部分を占めています。

しかし、人間が自然の中で生かされていた過去の時代においては、そうではありませんでした。木の花ファミリーの精神性のように、生きることのベースは自然と共にあったわけです。そこでは生きることの術(スベ)を天にお伺いを立て、天の気と共に生きていたのです。

現代では、人間のテクノロジーの進化のもとに、物理的豊かさがマインドコントロールのように人々の意識の中に植えつけられているので、内面ではそういった大事を感じながらも、現実にはそういったことを否定する生き方をしているのです。そこで、「真実は何なのか?」という求道心から、大事を大事として生きているのが木の花ファミリーの生き方です。それは、私たちに与えられた最も大切なこととして、誰にも譲ってはいけないことなのです。一般社会ではそのことがまだ十分に実践しきれていない時代に現れ、「それを実践しきるとこのような生活ができるのです」と示すことが私たちの存在する意味なのです。

そうすると、広く深く物事を捉えていけば、この生き方が個人の幸せを追い求めることを優先するのではなく、時代的に新たな人類の歩みにとって最も大事な生き方を示すということは明白なことです。物事を浅く捉える人々にとっては、自らの願望を叶えることが最も優先されることからすると、自己コントロールすることは苦痛を伴うことになってしまうのでやりきれないことになるのです。そこで、多くの人は、自らがやりきれないこと=悪いことにしたいのです。さらに、心に濁りや歪みがある人々は、真理を攻撃や批判の対象にすれば自らの正当性が通る、という安易な発想にもなってしまうのです。

そのようなことは、これまで世界中の様々なところで行われてきました。それは、自らの主観と合わないという理由で相手を間違っているとし、世界中で宗教戦争のような紛争が起きていることもそこが元凶になっていますし、国家やイデオロギーがそういったことの追い風にもなってきました。そしてその結果、勝ったもの勝ちの世界になってきたのです。しかし、本来この世界は、時代が刻まれることによって変化・変容がもたらされ、そして天体や宇宙法則のもとに自然に成っていくことなのです。人間はそれを自らの力で成し遂げてきたように錯覚しながら生きてきました。

人が生きて、終末を迎えたときに問われるのは、「濁り」なのです。人生の内容のことは何も問われません。そこでは心の濁りだけが浮き彫りになり、自らの生きた結果として問われることになるのです。

人は誰でも死ぬのです。そして、その本質を問われるところを通って、次のステージへ向かうのです。その次のステージが結局今と同じところなのか、下がるのか、それとも今よりレベルが上がるのかは、今世をどのように生きたかによって決まります、そしてそれは、学校で学んでその成果を試験で問われ、次にどのようなステージに行くのかのテストのようなものなのです。

今の人間たちは、物理的にはこれほど豊かになりましたが、結局物理的なものを優先して世界に反映すればするほど、人間はそこだけに囚われ、能力が高く豊かだと思うものなのです。そして、そこでは過去にはなかった矛盾を積み重ね、いずれそのツケを払うことになる現実が来るのです。そして、多くの人はそういった現実を目の当たりにしても、まだそのことに気付けない状態にあるのです。

人類はこれまでの歴史の中で、戦争をはじめとする多くの地獄を経験してきましたが、それよりもはるかに複雑で罪の大きな痛みを経験するところに立っているのです。私たち人類が今、そういった大切なステージにいることに気付いたら、これから私たちはどのような側に立つべきなのでしょうか。

自我の側に立つのか。天の側(宇宙の側)に立つのか。

私たちはどのような側にも立てるのです。

今、人類は自らの中に多くの矛盾を抱え、矛盾を発生させ世界に撒き散らしています。ですから、私たちは自らの欲望に翻弄されていることに気付き、矛盾を発生させない状態になることによって、次のステージへ行くことを目指すべきなのです。

木の花ファミリーの生き方は、個人の事情で反映されるものではいけないのです。それは人類のために、地球のために、時代のために生きる物語なのです。そこに個人の事情を反映させているようでは、とてもこの役割はやりきれません。そして、私たちがそれをやりきったときに、「これだけの世界が創れるのですね」と世の中に範を示すことになるのです。

ところが、この生き方を歩み、それがどれほど大事だと思っていても、まったく果たせない可能性もあります。その歩みの歯車がかみ合っていなければ、エネルギーはたくさん使っても、自我の囚われの繰り返しでまったく進んでいなかった、という答えをもらう場合もあるのです。

ですから、その志にふさわしい位置まで到達しようと思うことは、真剣でないといけないのです。登山にたとえると、ふもと付近ではハイキング気分で行けたしても、頂上付近では命をかけて進んでいくようなことなのです。

今の社会のあり方は面白いもので、かたや社会から高い評価があると思えば、人間がここまでの世界を創り上げたことに対して新たな次の時代からは真逆なことだと捉えられることでもあって、とてつもない矛盾の中に今、私たちはいるのです。しかし、そのとてつもない矛盾に気付いたときに、とてつもない変身の可能性を今、目の前に人間たちは秘めているのです。それは、人間がこの世界に大きく貢献する可能性と、この世界においてとてつもない罪を犯す可能性の両方を持っているということです。

何億年という単位では、人類どころか、生命が絶滅することさえありました。人類の存在は、たかだが数百万年のことなのです。

そのような時代の中で、人は尊い存在であるからこそ、このような矛盾を抱えることができるとも言えるのですが、宇宙は果てしなく物語を刻み続けるものであり、人々はその地球ステージを生きていることが理解できていないのです。その意識レベルの中に自分たちが存在していることに気付いていないのです。

矛盾とは、真実に目覚めるためのものでもあります。この世界の全ては相似形でできているのですから、探求すればするほどその解釈はどんどん深くなっていき、そしてその究極の矛盾の解釈は、相反する存在の理解につながるのです。そこでは、物事の一方から離れて解釈できるところまで行くことが大切なのです。それは、物理的世界を超越してしまうことであり、私たちは今ここにいながらにして、宇宙が理解できるところにいるのです。