生きることのプロフェッショナル

日々学んでいることを、日常の生活に反映していくことが大切だよ。
今、自分に起きている出来事の発信源は、その人自身の精神性にある。例えば体の痛みでも、その原因は自らの心の姿勢にあるのに、ただあそこが痛いここが痛いという物理的な話だけをしていては、日々起こる現象から学んでいることと、日常のあり方が別のものになってしまう。その姿勢が、新たなトラブルを生む元になる。
物理的な症状も、心の姿勢も、日常の出来事につなげて考えられるようにしていかなければいけない。疲れているとしたら、疲れるのにも理由がある。一人ひとりがきちんと自己チェックをして、自らを健康にすることが大切だよ。人が健康でいるということは、その人自身のためでもあり、社会全体のためでもあるのだから。

現代は、休むことが豊かさだと思われている。お金があって休日が十分にあってレジャーを楽しめることが豊かさなのだと、多くの人が思っている。しかし本来、生きることと豊かさとは直結していなければいけない。
休むことを豊かさだとするならば、極端なことを言えば生活に余裕があれば休んでいいということになり、お金がたくさんあって楽に生活できることが生きることの目標になってしまう。しかしそれは、天や自然と直結していない生き方だよ。もう一度、生きるということを天に返す。それは、生きることが自然であるということ。
本来、生きることに休日はない。宇宙の星々も、地球上の生命も、休むなどということはしていない。休むとは、人間の歪んだ発想から生まれた豊かさの延長線上にあることであり、歪みの象徴のようなものだ。

毎日を生きて、ものごとがスムーズに進み、自分自身にもこの世界にも負荷をかけないというところに、矛盾のない豊かさがある。
ここの暮らしは、農繁期になればみんな忙しくなる。忙しく働くということは健康であるということであり、健康であるということは、無駄や無理や矛盾のない生き方をして自分の中に滞りが起きないということ。滞りが起きるとしたら、そこに考え方や生き方の矛盾があるということだ。
その矛盾に、毎日の生活の中で些細なことからちゃんと気付ける人にならなければいけない。そうすると、ものごとがスムーズに進み、流れがよくなって、いろいろな意味で健康になる。それを表面的に知識だけを学習して生活に反映していないと、結果として現象化されていないのに頭の中だけでこういった思考を回してOKにしてしまい、矛盾はそのままになっていく。それを、一人ひとりがしっかりとチェックできることが大切だよ。

ここのように自然と共にある暮らしの中では、農繁期や農閑期というものがある。その中で無理が発生した時にこそ、より意識して、矛盾のない生活をしていく。忙しくて余裕がない時にこそ、無駄のない緻密なものの観方をしていけば、するするっと通り抜けていくことができる。そしてものごとの流れがスムーズになると、そこには大きな充実感が生まれる。
そこを緻密に観ていないと、少しの無駄が発生した時に無理が生じて、そのつじつまを合わせるためにさらに無理を重ねて、疲労になっていく。そういったところから心や体に矛盾が生まれ、心なら不満や疲労感となり、体なら病気になったりどこかの具合が悪くなる。その矛盾を解消するのは、緻密に自分自身を観る心だ。

そういったことができるようになった時に、人は本当の意味で健康に生きられる。それは達人の領域だよ。しかし僕たちはもう、達人でなければいけない。それは何か特別なことができて他の人より抜きん出ているということではなく、生きるということがとてもスムーズで、無駄なく効率の良い、さわやかな心で生きられるということだよ。
みんなは生きるということのプロフェッショナルにならなければいけない、と僕は思う。忙しい時だからこそ、常にそういったことを考えて、無駄のない心で生きる。無駄がないからこそものごとがスムーズに進み、そこに余裕が生まれ、さわやかな生き方ができる。それができると、生きることそのものに豊かさを感じられる。

だから、忙しいことを忙しいだけで終わらせてはいけない。これから人々は、その領域へ行くべきだ。
ここではたくさんの人が助け合い、連携して、普通ではできないことをやっている。その中で一人が心や体の滞りを持っていると、それが矛盾となり、働いてみんなに貢献することができない。それは、歪みが発生して病気が蔓延している今の社会と同じ状態と言える。
やはり生涯をぴんぴんころりで健康に、本当に世のため人のため、「傍」を「楽」にする(=はたらく)ために生きていく。そういう世界をつくることが大事だよ。そこでは病気は学びのために起こるのであり、本当に少ないものになっていくだろうね。

今の世の中では、お金があって働かずに楽をすることが豊かさだと思われているけれど、それがこの世界の矛盾をつくっている。つまり、社会的に成功した人たちが矛盾をつくっているんだよ。
自分の存在が他に貢献しないことは、自然にはあり得ない。ところが人間は、自然にはあり得ない矛盾を発生させることを豊かさだと思っている。その背景には、自分だけがいい思いをしたいという自我の心がある。そこと本当に人々が向き合った時に、傍を楽にするために働く、矛盾のない平等な世の中ができるだろう。

最も肝心なことは、近年の物質至上主義の価値観の中で、自らの行いが自分自身の霊的価値や地球生態系を汚染してきたことに人々が気付き、生命の本来の目的や、人として生まれてきた意味に目覚めること。自分が健康であるということは、世の中に対して責任があるということであり、本来健康とは、自分個人の都合のためにあるわけではないんだよ。今の世の中ではまったく逆さまの捉え方をしているけれど、これこそが21世紀の人々が目指すべき世界だ。

今はまだ多くの人々がこのことを理解できないけれど、このわからない生き方をしていることを誇りに思う。

 

 


あなたのリセットはあなたに託されています

「1ヶ月間の真学校」終了の日の朝、いさどんは12名の受講生たちの新たな旅立ちに向けて、以下のように語りました。

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1ヶ月間の真学校 受講生たち

 
いさどん:
みなさんにとって、この真学校は今日でリセットです。
僕はこの1ヶ月間、みなさんにいろいろな情報を提供してきました。情報を提供することでみなさんの人生がこれから切り替わっていくためのお手伝いをしてきたつもりです。

昨日の修了パーティが終わってから、実は僕もこの1ヶ月間の真学校をリセットしたのです。今朝起きて、そのことに気が付きました。

今朝起きたら僕は「死にたい」と思ったのですが、みなさんは人が死にたいと思うことに対してどんな印象を持ちますか。今までに死にたいと思ったことがある人はいますか?
(過半数が手を挙げる)

それじゃ、自分は死なないと思っている人はいますか?
(2、3人が「魂は死なない」と言って手を挙げる)

僕が「死ぬ」と言っているのはリセットするということです。
みなさん一人ひとり、それぞれの人生があってここまで歩んできたのです。世界観の違いによって、人生とは、生まれてから死ぬまでと言う人もいますし、輪廻を信じている人は、魂の旅という捉え方をするでしょう。世界観が物理的なところに限定していれば、生命輪廻として捉え、世界観が宇宙的に広がっていれば、宇宙が始まってから現在までの、さらに世界観が無限になっていれば、この世界はぐるぐる回っており宇宙には始まりも終わりもないのでここは過程にしか過ぎない、という捉え方となります。そこでは死というものは存在しません。この世界で生きることに対する認識は、自分というものの意識がどのくらいの器でどのくらいの高さにあるかによって全く違うのです。しかし、どの位置の意識を持つかはみなさんの自由なのです。そして今まで生きてきた成り立ちの結果です。例えば食べられるか食べられないかについて興味を持っている人はそれだけが世界なので、今目の前にある困難によって生きることの希望も失うことになるのです。

このようにものの捉え方は世界観によっていろいろ違いますが、みなさんは、想像できる自らの起源から認識している現在地の範囲内で、自らの経験に基づいて思考しているのです。そこで自らの考えに囚われていれば、その思考で特定し理解できることが受け入れられること、または正しいこととするという尺度をそれぞれが持っているのです。ですから、みなさん一人ひとりが物差しであると言えるのです。

「2001年宇宙の旅」という映画に出てきた「モノリス」は、人としての叡智の基準であり、わたしたちの人生における旅の歩みを歴史として紡いでできあがった思考は、人間の個人の叡智です。あの映画では、猿に宇宙の叡智を与えることを起源として、人間の歩みの過程が描かれています。

「神」という漢字は二つの文字に分けられます。「示」すと「申」すという字で組み立てられています。これから解釈すると、何かに申して示したということになります。この申すという字は「さる」という字でもあることから、さるにしめしたと解釈できます。お前にわたしの志を与える、そしてわたしの代理として地上を生きなさい、というように示したのです。それが「神」という文字の成り立ちです。

この捉え方からすると、宇宙にいた魂、言い換えると宇宙の物理性の元にある宇宙創造の起源の意志が、宇宙創造の仕組みの法に従って地球を創り、そこに生命の種を降ろし、その生命の進化の流れの物語の話になります。そこで、わたしたち地球に生きる三次元生命は、宇宙の構造そのものをコンパクトにして表現したものです。これは人間が小宇宙だということです。そして小宇宙としてこの世界に人間が創造されたということは、人間が自らを模して人工頭脳を作ったようなものです。わたしたちはお母さんのお腹の中での精子と卵子(陰と陽)の出会いから「みこと」として独立した命の歩みを始めたのです。その歩みは2進法ですから陰と陽で2分割していくのです。最初の原子細胞から始まり、そこから2分割を繰り返すことで複雑になり、いろいろな機能ができていくのですが、この時に最初にできる臓器が心臓なのです。それは太陽系で言ったら太陽の役割であり、わたしたち人間に例えるとその中心は心ですからそれが太陽になり、だから体の中でも心臓が最初にできるのです。しかし、その段階ではまだわたしたちは原始的な生命にしか過ぎません。

それがお母さんのお腹の中で育つ過程の中で、最初はえらのある魚の形態から両生類になり、うろこのある爬虫類になり、そこから鳥類と哺乳類に分かれていきます。ですから妊娠7ヶ月の未熟児で生まれると猿のように毛深いそうです。それが10ヶ月で生まれるならもっと毛深くてもよさそうなものなのに、ちゃんと毛が取れて人になって生まれてきます。

この間、みかちゃんとカタカムナの5首6首のウタヒの意味をひも解いていたのですが、その時に、宇宙創造の仕組みは妊娠の過程と同じだと気づきました。「ヒ」の精子と卵子の出会いは秘かに始まり、「ト」のトつきトうか(10月10日)で整いヒトになって生まれてくるのです。わたしたちはお母さんの体内で、お父さんという種を起源にして創造されます。お父さんの種というのは縦軸が降りるということで、天から柱が降りる(御霊が天から降りる)、もしくは、地から天に向け柱を立てる(天の御霊を迎える)ということです。ですから、お父さんはお母さんの子宮に柱を立てて、種を送り、魂を迎えるのです。そしてお母さんは地球を表す子宮で、地球のように生命を創っていくのです。それは地球46億年の歴史の中の33億年の間の生命の成り立ちの話です。それをわたしたち人間はお母さんの体内で280日を経てコンパクトにたどり、生まれてここまで来ているのです。

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さらに地球生命の歴史をひも解いていくと、わたしたちは最初タンパク質からアミノ酸になりました。それは宇宙的に言えば、とてつもない奇跡のような変化によってもたらされたものです。しかし、その時点ではまだ生命ではありません。そのアミノ酸が何かの拍子に最初の細胞になったのです。それが原始生命になり複雑な生命に進化し、微生物やプランクトンに変化していきました。海(あま)は女の人を表し、海は生命の起源であり、女の人の子宮と同じ役割です。そこに最初の生命が生まれて、それが魚になり、両生類として陸に上がり、爬虫類になり、そこから鳥類にまたは哺乳類になるというように進化し分かれていきました。その哺乳類から猿が生まれたのです。

このようにわたしたち人類は、その進化の過程で猿から人に分かれてきたのです。その猿から人に分かれるということについて、考古学上、生命の進化をたどっていくと、猿までは進化論で説明ができるのです。生物学上では猿と人間はほぼ同じものです。しかし進化論では、猿から人になるまでの間がなかなか埋まらないのです。信仰上の観点から、アメリカ人の6割くらいは進化論を否定するのです。ところが日本人のほとんどは猿の進化したものが人間だと思っています。物理的には猿の進化の先に人間がいるのですから、猿と人間の間を埋め合わせる存在がいてもいいと思うのです。

DNAとしては、99%は猿と人間は同じという説もあります。アメーバと人間もほとんど生命的仕組みは同じなのです。つまり生命であるものと生命でないものには極端な差があって、三次元生命が地球上に発生したということは、宇宙の三次元生命でないものの連鎖の中ではものすごい奇跡なのです。このようにわたしたち地球生命はある意味みんな仲間です。

「2001年宇宙の旅」で出てきた「モノリス」は物理的な柱で表現されていました。僕はそれを、わたしたちの中には見えない柱があると捉えました。それが「アメノミナカヌシ」です。その大元は宇宙の叡智である「アマノミナカヌシ」です。地球生命は進化論で捉えると猿まで進化してきたのですが、それも宇宙の意志が導いたのです。天にいた魂たちは地上(地球)を上から見ていました。地上ができてくると生命の種を降ろし育てていきました。ヒフミヨイムナヤ(一二三四五六七八)まで生命を育てて、コ(九)でこの世に生命を出し、そしてその生命の進化を上から見守っていたのです。その生命が猿まで進化してきました。天にいた魂は自分たちの受け皿を育てていたのです。そこで猿を見て、それを自らの地上での受け皿とし、地上を歩くことを始めたのです。それまでの進化論でたどりついた猿に人としての宇宙の叡智が入ることとなり、彼らはモノリスに触れると、感電したようにそこにあった動物の骨を持って、意志表示をするようになったのです。そこから、道具を使って自分たちの勢力を広めていく道を歩み出したのです。ここがすべての自我の始まりです。僕はあの映画をそのように解釈しました。

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そのようにして生命の歴史が始まって以来、わたしたちにはこのような見えない柱が立っているのです。だから自らが記憶する自らの歴史というのは、この脳が現在使っている解析量で意識しているだけではないのです。生命のDNAの記憶には、はるかに古いものが内在しているのです。しかし、現在の人類は、自らが使っている脳細胞の範囲内での自己認識しかしていません。現代人が今使っているのは脳の機能のほんの一部分の10パーセントくらいのものであると言われています。あとの90パーセントは眠っているのです。眠っているのですから、目覚めさせることができるのです。それには目覚めさせるための思考回路を使うことが必要となります。

そろそろ現代人が使っていない脳を使っていかないと、人類は時代の進化に乗り遅れてしまいます。自らを守ろうとし自らの考えに固執している人は、もう時代遅れなのです。そういった状態である人も、ある意味自らの幸せを求めているのですが、その姿勢で幸せを求めることは、自らを囚われの中に閉じ込めていくことになるのです。そうすると自我は膨らむばかりで、囚われの鎧を着続けていることになります。ご機嫌な環境を求めて主張する人は、囚われの鎧を着て、自らを守っているつもりなのですが、その鎧はどんどん重くなるばかりです。そして人生の可能性をつぶしていくのです。可能性は、自らの囚われを取り去ることによって開かれていくのです。

そこでトオマスのように、途中の段階を抜きにして到達地点を語ると、他者はそれを理解することができません。そういった人は孤独となるのです。しかし本来、生命には孤独という状態はありません。なぜならば、常に互いの連携の中で循環し巡り続けていくのが生命の実態だからです。この世界はどんなものをも必要として存在させているのです。宇宙の始まりから宇宙の完成、生命の始まりから生命の完成までで、これらは循環し巡り続けているのです。その中で孤独に陥ることは、この世界の生命の実相から外れ、矛盾を発生させているという気付きを与えてくれることになります。そのような複雑な織物のようにこの世界はできているのです。

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そういった枠組みで自らを捉えると、特定するものなどありません。だから、わたしたちは自らの囚われから自我を解放してやると、それまで固執してきた自我は幻となるのです。リセットすれば全て幻です。囚われているのはリセットしていない現実なのです。トオマスの言っていることは正解なのですが、そこだけを語っていると、囚われの中にいる者には理解できないのです。ですから、囚われている者の心境を理解し寄り添いながら統合にいざなっていくことが、道を示すことなのです。そうでないと、その完成された境地は自らに孤独をもたらすことになります。

みなさんはそれぞれ囚われの位置にいます。囚われを取るのは簡単です。例えば誰かを見て「あの人いいなぁ」と思えば、自分をリセットしてその人になればいいのです。

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先程も話したように、僕は今朝、目が覚めた時に死にたいと思ったのです。僕には中空を観て、「ああ、そうだな」と思う確信があるのです。そこには何も意味のない「そうだな」という境地が観えるのです。僕がこういった心の探求の道に出会ったばかりの頃、僕の頭上に黄金のブッダが現れた時、僕は半日泣きました。なぜ泣いたかと言えば、その尊さに打たれたのです。しかし、その尊さを語ることはできません。その尊さに意味付けをすることはできません。それはただ尊いのです。尊いのはただ尊いだけ。そこに理屈はないのです。この世界の実相(宇宙)は生命です。生命は光です。光は生命の始まり(ヒ)であり、尊いのです。そのように僕には「そうだな」という心があって、言葉には表せない確信に至っているのです。僕はこの確信に出会う喜びをみなさんに伝えたいのです。それで僕のもとに仲間が集って、この暮らしを始めたのですが、実は僕の意志というより天の意志がそれを導いたのです。今、僕の役割は「そうだな」という確信を伝えることです。その確信に人々をいざなうのが僕の役割なのです。確信というのは揺るぎのないものです。そして同時に、その確信はみなさん一人ひとりの中にある意志でもあるのです。

そうすると、人間が肉体に降り、地上を生きる迷えるものであるとしたならば、その先に人間が到達する目的地は、その確信に出会うことです。だから、人はどこで生きても、目覚めればその目的地に到達することができるのです。

どうも僕にはそれを伝える役割があるようで、(受講生の一人ひとりを指しながら)ウダウダしている人がいるし、良いところにいても確信に至るには深い読みが足らない人もいるし、歪んでわざわざ遠回りをする人や、棚の上のことだけを考えて下から梯子をかけていない人、何か大事なものを見ているのにそこに行くために自らの持っている執着をそぎ落とす必要がある人、道を行くよりも自分の今の評価の方が大切になっている人などもいるのです。理想があるのに遠回りばかりしている人、どこかに理想を感じているのに自分の思考を整理整頓していない人、鋭い感性があるのに本質に行くことをしていないから世の中に流されている人、迷いが人生を表現することになっている人、本質を観る力があるのにわからないと言ってさぼっている人、鋭い分析力があるのに頑固で不器用なためにその分析力を自分に落とせないでいる人など個性的でいろいろです。それを伝えるのは本当に面倒くさいです。ある意味1か月間付き合うのは苦痛です。しかし、そういった人間が地球上には70億人もいるのですから大変です。

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そう語りながら、今、気が付きました。これは僕が全て責任を負わなくてもいいことなのです。それは時代の切り替わりが人々の意識に現れるときが来ているのですから。だから僕はそのように表現しながら、今、楽になっています。これから時代が切り替わっていく上で、一人ひとりの中に想いが湧いてきます。そしてそれは時代の意志であり、天の意志です。そこで、僕は自分ひとりでそれを背負うと感じると、面倒くさく苦痛で死にたいと思うのです。このような尊い役割と道を伝える側にいても、人間個人に囚われると面倒くさくて辛いことにもなります。しかし、それを天との共同作業と捉えるならば、喜びを持って進んでいけます。天は僕にこう言うのです。「難しいことを与えておるゆえ、心していけ。」と。

人間はある意味生命の最高到達地点にいます。しかし、今の人類のいる地点は、皮肉なことに自我の垢にまみれた最高地点にいるのです。地球上の生命の歴史で今は、最も垢にまみれたところにいると言えるでしょう。それは人間の価値観で正義の側のものも悪の側のものも同じところにいるのです。そういった状態をすべてリセットしひっくり返して新たな価値観にいざなっていく。それを僕が伝えるとなったら、無限に続く険しい道に観えます。

そこで今日思ったのは、一人ひとりにこの道を返すということです。あなたのリセットはあなたに託されています。そして一人ひとりが目覚める。これから目覚めるということは、今は眠っているということです。ですから、今のあなたの苦痛は、あなたがあなたを囚われの中に閉じ込めているから発生しているのです。それをあなたがリセットすれば、今までの苦痛は全て幻となり、あなたは新たな人生へスイッチを入れることになります。幸せはみんな一人ひとり、自らの手の中に持っています。そのスイッチを入れないで不満を言っていてはいけません。

それで今朝、僕もリセットしたのです。それを苦痛に思わない。その結果、早速みなさんに伝えているのです。時代はもうそういった時代に入っているのです。これから世の中の価値観はガラッと変わります。ですからその現れとして今、行き詰まりがたくさん浮き上がってきているのです。これは天の采配です。一人ひとりが個の花を咲かせる時代が来ます。今までの自分をリセットすれば、それまでの人生は全て幻となります。そんな簡単なスイッチが隠されていることが、この世界のカラクリです。この世界、人生はカラクリです。逆に言えばカラクリですから、それをひも解けばどのようにもあなたは変身できるのです。

今、僕には確信があるのです。中空を観て、「ああ、そうだな」という確信があるのです。それは頭の中で思考を巡らせてわかることではありません。尊さを言葉で表せないのと同じです。そういったことを人々が理解し、地上を生きていく時代の扉は今、開いているのです。

こうしたことが地上で語られるのは、もしかしたらここが初めてかもしれません。「えっ!自分が?」と信じられないかもしれませんが、始まりは秘かにあるものです。それがあなたであるという確率は常にあるのです。それを信じた者は、その一番の始まりに自らが立てるのです。信じなければ、そこに立てることはありません。

この話は、今朝僕がリセットして「死にたい」と思い、今までの解釈を手放したら天から降りてきました。囚われている分だけその扉を開けると、天は与えてくれます。そして僕は口を開いて語ります。僕の中から出ると、門が開き、開いているから入ってきます。これが天とともに生きるということであり、その意識に到達した者は宇宙を生きるということです。

みなさんはこれから、今までのあなたの自我が反映され表現されてきた現場に戻ります。そこへ帰って、今までの自分に戻るのか、「ああ、そうだ」と新たな方向へ向かって行くのかは、みなさん一人ひとりの自由です。

わたしたちは常に天とともに、すべての生命と一つとしてともにあり、孤独なものはいないのです。ですから、そのことに気付いて豊かに調和した世界を生きていくのか、それとも自我に囚われ生きていくのかは、あなたの自由なのです。しかし、ここで学んできたように、宇宙は、あなたの歩みが反の方向へ進むと、常に苦痛を与えるようになっているのです。宇宙に生きることも時代を表現することも、そこに示されているのは一つの方向である宇宙の法(正の方向)です。そこでは人間に自由を与えながら、法の中に存在することを求めているのです。自由意志の証として自我を与えながら、人間が自我に囚われ法から外れると、法の中に引き戻す作用が働くのです。それが天の意志であり、導きです。そして人間に対する愛なのです。それを受け取ることは、わたしたちが人として存在する価値を理解することにつながります。ですから、もしあなたがまだ自我を大切にしたいのなら、自我の方へ行って下さい。それはみなさんの自由です。

僕はこの1ヶ月間を通して昨日の修了パーティを終え、今朝リセットしました。いさどんですが、ニューいさどんです。みなさんは、どうしますか?
では、また会いましょう。

 

 


男が生き生き生きるには

一風変わった視点の持ち主で、時に“ひねくれもの”と言われることもあるファミリーメンバーのりょうちん。そんなりょうちんといさどんの、ある日の会話です。

 
りょうちん:
僕は元々理屈っぽい方ですけど、最近はもっと理屈を通していこうと思っています。理屈というのは道理だから、屁理屈でさえなければ、道理を通すというのは物事を論理的に見ることであり、自分の中に柱を持って生きるということにもなりますよね。それは、男性が生き生きと生きることができるようになるために大事なことなんじゃないかと思うんです。

いさどん:
理屈っぽいと言うなら、僕なんて極めて理屈っぽいよ。ただ、理屈を語る時の奥にある心がどういうものかということが大事なんだよ。
理屈を突き詰めていくことは道理を通していくことだから、大切なことだよね。だけどそれが周りから見て、あの人の言うことは理屈っぽいね、くどいね、と言われるようになったら、それは自分の言いたいことを主張して押し通そうとしている状態だということ。そこに無理が入れば屁理屈にもなる。だから、理屈にもランキングがあるんだよ。道理を通していく時に、それが独りよがりなのか、万人に通用するものなのかというところで、道理なのか理屈なのかということがわかるんだよ。

りょうちんの言葉を聞いて思ったのは、今、ここの男性たちに元気がないとして、では世の中の男性たちは元気があるのか、元気があるとしたらどういったことに対して元気があるのか、ということを考える必要があるね。木の花の男性は、世の中というものに対して何か疑問を持っているからこの生活をしているわけだよ。そうしたら、仮に今の世の中の男性たちに元気があるとしても、それをここへ取り入れたらいいのか、それともそれを否定するからこそ別の元気を見つけるべきなのか。そこを仕分けしていくことが重要だね。
りょうちんが、理屈を通していくことで男性が活性化するのではないかと考えるとしたら、そういった思考も紐解いていく必要があるよ。冷静な心で紐解き、詳しく原因を探って、その結果対策を考えるとしたら、あなたは思慮深いねという話になる。それは全然理屈っぽくないよね。それを聞く周りの人たちも、それなら一緒に考えてみようかと巻き込まれていくわけだよ。そういった思考を働かせるといいね。

りょうちん:
一般社会での男が生き生きするというのは、例えば人よりも上に立ちたいとか、そういう自分の欲を叶えることで生き生きしてるんじゃないかと思うんですよね。

いさどん:
今、世の中の男の人たちは生き生きしてるの?

りょうちん:
そんなにしてないですね。

いさどん:
本来の男性の立ち位置というのは、周りから頼りにされて柱となって、女性から「頼もしいわ」と寄りかかられるような存在でしょう。女性に限らず、あなたにはここを任せるからよろしくねと言われて「任せときな!」と言えるのが男だよ。
そうすると、今の社会で男たちがやっていることはどうだろうね。社長でもエリート社員でも平社員でもいいけれど、例えば社長になったら経済システムに使われ、金を持てば金に使われて、はたして自らの中に何か柱となるものがあるのだろうか。

りょうちん:
結局、自分で考えていないと思うんですよ。今の社会を観て何が大事なんだろうと考えて、それで自分に柱を立てて道を歩んでいるかというと、そうじゃないと思うんです。

いさどん:
子どもの頃からでも大きくなってからでもいいけれど、何か経験したとするでしょう。その経験が未来の希望あることにつながればいいけれど、今の人たちはどちらかと言うとそれがトラウマになっていて、それを埋め合わせるために条件反射のような行動を取っているんだよ。例えば人と比べて貧乏だったらお金がほしいとか、親が何かに縛られているのを見て育ったら自分は自由人でいたいというように、何かにつけて条件反射的に反応しているから、とても思考が浅い。だからマスコミの報道する内容も、すごく浅いでしょう。その方が今の人たちにはうけるんだよ。

りょうちん:
その奥を観ていないということですよね。

いさどん:
そう。今の人間は思考が浅いんだよ。じゃあ昔は深かったのかと言ったら、深さの質が違うかもしれないけれど、例えば戦時中なんて、国民は一応国を背負って命をかけていたわけでしょう。そのもっと昔は、武士だったら戦場に出向いたり、農民も年貢を収めたりして、まつりごとに参加しながら、生きることが命がけだった。だけど今は生きることに命がけということがなくなったんだよ。そしてとても思考回路が浅くなった。その浅い思考のまま、お金や物、立場など、いろいろなことに縛られているんだよ。

りょうちん:
そう。今の教育だったり、社会の一般常識ってすごく浅いなって思うんです。浅い思考って、育った環境に影響されていると思うんですけど。

いさどん:
最近の大学生の卒業論文でも、とても浅くて子どもっぽいね。

りょうちん:
ものごとの奥を観て分析していくことが欠けてるんですよね。例えば僕たちは今こういう生活をしてますけど、この生活の何が大事なのかを語れるところまでの人となるというのは、やっぱり時間のかかる作業でもあると思うんです。

いさどん:
木の花に来ている男性の性質として、こういった柱のない社会に嫌気が差しているところもあるね。

りょうちん:
それはそうですね。

いさどん:
ただ、では自らが柱を保てているかというと、やっぱりまだ十分に道理を探求しきれていない。自分自身が独立して道理を通しきれていない段階で、道理が通っている木の花という場へ来てしまったものだから、自分がやらなくてもいいんだとサボっているところがあるんだよ。
自分で柱を立てるということは、それだけ緊張もするし、真剣に生きる姿勢が必要になってくる。今の時代は、そういった自分の価値を積み上げていくということの大切さがないがしろにされているんだよ。その結果、表面的な浅いことに気持ちが向くようになって、サボる(自分磨きをしない)ということが楽なことになってしまった。だけど本当は自らの価値を上げて安定することの方が、はるかにやりがいがあり、充実した毎日を送ることにつながるんだよ。そういった生き方は矛盾がない。だから今のように、人々の生き方が矛盾だらけの社会を創ることにはならないね。

りょうちん:
そうですね。ここにいると答えが何となく提供されているから、わかった気になっているけど。

いさどん:
何となく提供されてわかった気になっているというよりも、待っていれば道理が通っていくものだから、ヘタに話して自分のメンツを潰すよりも、待っていた方がいいやという姿勢なんだよ。

りょうちん:
でもそうやって人から与えられるんじゃなくて、自ら湧き出してくるものに柱が立っていくことは、自分自身の活力源になりますよね。

いさどん:
そう。それが男のプライドというもので、それがあることは男としてとても重要なことなんだよ。やはり柱を立てるべき時には、プライドがないと立たないんだよ。

りょうちん:
それが男の生き生きにつながると思うんですよ。

いさどん:
それは自立心とも言えるね。それがあって初めて女性から支持されるんだよ。ところが今は、何よ男のくせに立たないのね、という感じで、力仕事とか物理的なところではあてにされるかもしれないけれど、本当の意味での柱としては頼りにされていないんだよ。それを自分のこととして、一人ひとりが取り組むべきだね。
だからプライドは必要なんだよ。ただし、変なプライドはいらないよ。何もしてもいないのにメンツだけは大事にして、自分の中にあるものを出さずに守っているようなことでは、ただメンツが潰れるのを怖がっている状態だよ。

りょうちん:
それで元気が出なくていじけていっちゃう。だから、勇気ある地道な積み重ねが本当に必要だと思うんです。

いさどん:
地道にどう積み重ねるかというと、やっぱり自分と向き合うことだよ。

りょうちん:
そうですね。

いさどん:
誰もが自分の人生を歩んでいるんだよ。人生とずーっと向き合っていくと、自分に何が積み重なっているかということと向き合うわけでしょう。そこに自らを肯定できるような蓄積がなければ、やはり自ら柱を立てる者としては充実感がないし、希望も生まれない。
女性でも、腹が広くて手のひらの上で男を回してるようなゴツい女もいるけどね。それだって、男を立てるために回してるんだよ。

りょうちん:
は〜。

いさどん:
例えば石臼の前にどしんとあぐらをかいて、石臼をゴロゴロと回してるようなものだね。石臼を回すには中心を立てる必要があるでしょう。
もっともそこまで腹が広くない普通の女性は、柱を立てている男に寄り添い、ひとつのペアを作るわけだよ。そして一人ひとり個性的だから、それぞれに個性的なペアがそこにあっていいわけだよ。ところが自立して立っている者がいないと、寄り添う者も寄り添えないでしょう。逆に女性から「かわいそうに」と思われるようなことにもなっちゃうよ。

りょうちん:
そうね(笑)。

いさどん:
そういった「かわいそうに」と思われるような形が、今の世間にはあるんだよ。なぜかと言うと、女も本当の依代となる柱を知らないから。相手の表面だけを見ていて、自分が寂しかったらどんな対象でもいいんだよ。そこでお互いに傷口をなめ合う関係が生まれる。

りょうちん:
自分を満たしてくれる対象を探しているわけですよね。

いさどん:
そう。今の世の中には柱もなければ依り代もないから、本当の意味で男と女がそれぞれの役割を果たして共に新しいものを創るというよりも、ただ自分たちのニーズを満たしてくれるものを探しているという状態だね。

りょうちん:
結局本当のところで満たされていないから、不満があるんですよ。

いさどん:
そう。そこで男が柱を立てると、それは個性となってちゃんと依り代になるから、そこでペアができたり、ペアじゃなくても支持されるということが起きるんだよ。だけど今の男たちは、そういうことを放棄しているところがあるね。僕から言わせると、そこでプライドを持ってほしいわけだよ。

りょうちん:
うん。高いプライドってことですよね。

いさどん:
そう。高いプライド。そういった意味で、りょうちんが理屈をこねていこうと思うということは大事だよ。その過程ではいろいろなことが起きて、全体から「それってどうなの」と問われることもあるでしょう。それは応援でもあるわけだよね。自分の言っていることが道理が通っていなかったり問題だったりしたら、本人のためにも、全体のためにも、それは訂正しなければいけないんだから。
訂正するということは、そこを越えてその先へ進めということなんだけど、男には変なところがあって、訂正されると「ダメだったんだ」と落ち込んで、訂正すればいいものをしないで、ただしょげているんだよ。

りょうちん:
それまでに積み上げたものが壊れるような気がしちゃうんですよ。

いさどん:
だけど積み上げたものが歪んでいたら、壊してもう一度やり直さないといけないでしょう。

りょうちん:
そう。やり直す勇気を持たないとあかんですよね。

いさどん:
そうだよ。今の男性たちが社会でも柱を立てられないのは、ハングリーじゃないからだよ。

りょうちん:
だけど今地球上で人類が直面している現状からすると、ハングリーなはずですよね。

いさどん:
意識がそちらへ向いたら、そうだね。地球の現状への危機感でハングリーになることはとても重要なことなんだけど、今の人たちにはそういった広い世界観がないんだよ。自分が食えるか食えないかという程度の位置に意識がある。生きることがお金を稼ぐことであり、生活することになっているんだよ。
木の花にいると、全体性の中で、例えば農業の進化とか精神性を高めるとか、もっと言えば世界にそういった新しい目覚めを発信するということの担い手であるわけでしょう。

りょうちん:
そうすると、大雑把なつなげ方ですけど、より大きな視野で生きるということで、変なプライドを折ることもできるようになるのかな。

いさどん:
より大きな視野で生きるということが、今の社会に欠乏しているね。そこで、じゃあ自分は社会を担っていこうという意識になれば、人間意識としては高いものになるね。

りょうちん:
変なプライドを高いプライドに転化してやっていけるってことですよね。

いさどん:
そうだよ。高いプライドがあれば人間がセコくならない。高いプライドで道理を通していけば崩れることもない。だけど低いプライドは、屁理屈をこねて無理やり支持されようとしたり、自分が正しいと思う方向へ話を持っていこうとするんだよ。そんなものは、ものごとが観えない人からしたら素敵と思われるかもしれないけれど、観えるものからしたらバカじゃないのという話になって相手にされないわけだよ。

りょうちん:
だから、低い視点で積み上げたものはいったん壊れると「また積みあげなきゃ」という発想になるんだけど、高い視点で観ていると、とりあえず崩しても大丈夫って感覚でいられるんですよね。

いさどん:
そうそう。例えば北極星のように、不動の目標地点が観えているんだからまたそこへ向かえばいいということになる。視点が低いと目標が観えていないから、壊れるとゼロになるような感じがするんだけど、それがチャンスなんだよ。中途半端に残っているとまたそれを目指しちゃうけど、もともと目標が観えていない者はゼロから始めればいいんだよ。じゃあどこを目指したらいいんだとなった時に「あそこだよ」と言われて、なんだそうか、と進んでいけばいい。それがチャンスということだよ。
だけど、そこを前向きに捉えないで、壊れたことをトラウマにしてしまう人がいる。そして、変な希望を持つよりも希望がない方がいいと言って、自分と向き合わないようにしているんだよ。

りょうちん:
最初から何もしない方がいいってね。ということは、まずはやっぱり日常の中で少しずつ柱を積み上げていくということと、もう一方で、広い世界観のもとに「あそこを目指すんだ」という目標地点を持つということですよね。

いさどん:
その前に、絶対に必要なことがあるんだよ。それは、どこに興味を持って日常を生きるかということ。例えば、朝起きて新聞を開いてどこの欄を見るか。ニュースならどこを観るか。例えば自分自身のことだったら、今日一日の作業のことだけを考えているのか、同時に、それを積み重ねていくと人生がどのようになっていくかというところまで考えているのか。日常の自分の意識がどこを向いているのかということが大事なんだよ。

りょうちん:
それって世界観が広がれば自然と方向付けられていくんじゃないのかな。

いさどん:
世界観は後からついて来るんだよ。日常の自分がどこに興味を持っているかによって、その先にそれ相応の世界観に意識が向くのであって、いくら世界観を広げようとしても自分の興味が足元にあったら、広い世界観との整合性が取れないでしょう。

りょうちん:
そうか。ひとつ思うのは、興味って開発していけるものでもあると思うんですよね。

いさどん:
そこで、自分はどういった人でありたいか、どういった人生を歩みたいかという意欲を持つことだよ。それはプライドと言ってもいい。そこから出発して、興味が湧いて、その延長線上に世界観が広がるわけだから。順序としてはそういうことだよ。
例えば彼女を見つけて結婚して住宅ローンで家を買ってこのくらいがほどほどでいいという生き方があるでしょう。そういうことを親たちがやっているのを見てきて、それでは嫌だという人たちがここにやって来たんだよ。

りょうちん:
もう飽き飽きしてるんですよね。

いさどん:
そう。でも、今の社会や親はまだそれをやれと言うんだよ。だから世の中の男たちがどこかしょぼくれている。ストレス解消のために何か趣味を持ったり、隠れたところで悪いことをやったりといろいろ発散方法はあるけれど、結局人生を通しての柱がないんだよ。ものごとを通してその奥を観るということが柱になるんだけど、その目線がない。
少なくとも死ぬ時に達成感を持って死にたいんだという目標があったら、じゃあ今日一日をどう生きようか、今年一年をどう生きようかと、今から過去を振り返って、そして未来を見通して、自らの行動を観るようになるよ。そこでどれだけの広さでものごとを捉えるかによって、世界観が変わってくる。もしくは、周りの環境によって広い世界観の情報が入ってくれば、そういったことを考えるようになるんだよ。

今、そういうふうに分析をしたでしょう。方向を具体的に出したわけではなく、道理を通して分析しただけだけれど、その分析することすら、興味を持つかどうかということから始まるんだよ。分析していくこと自体が道理を通していくことになるんだけど、それすら興味がなければやらないでしょう。
今の話ももともと正解があったわけじゃなくて、りょうちんの質問があって、社会に当てはめて分析していったらこういう話になったんだよ。それは、興味を持たないと絶対に出てこない。興味を持てば出てくるものさ。

りょうちん:
うん。そうそう。

いさどん:
りょうちんはとことん理屈をこねてみようと思うと言ったけど、あなたの言う理屈をこねるというのは、自分と向き合うということでしょう。自分はちょっとへそが曲がっているかもしれないけど、まだ十分そこをこね回していないから納得するまでこね回してみよう、ということだとしたら、それは自分の中に何かもやもやするものがあるんだよ。それならこね回せばいいんだけど、一人でやっているとりょうちん流のねじれも入ってくるわけだ。だからこそ、こういう客観的な視点が得られる環境にいるわけだから −−−−−

りょうちん:
自分の中にあるものを出していくってことですよね。

いさどん:
そうだよ。時には「僕はこれだけこねました」と出して、みんなはどう思いますか、と投げかける。そうすると、ねじれていればみんながそれを直してくれたり、逆にもっとこねてもいいんだぞ、ということになったりしてね。

りょうちん:
それはやっていこうと思ってます。

いさどん:
そうすると、それがみんなの学びにもなる。ところが、独りよがりで理屈をこねて「これが僕の結論です」と発表するだけだと、みんなのためにはならないでしょう。だからこそみんなの前に出して、それに対するフィードバックを受け取っていくことが大事なんだよ。

りょうちん:
それをもらうためにも出すという意識でいきます。

いさどん:
そうだよ。出すと言っても、世界観が狭いと、自分の思っていることを聞いてもらいたいとか、認めてもらいたいということになる。だけどどのような組織であっても、全体と自分の整合性が取れていることが大前提なんだよ。それはこの世界も同じだよ。そこでは、全体に合わないことは成り立たないわけだ。ところが自分が認められたいということばかり考えている人は、あなたの主張は全体に合わないよと言われると、自分が否定されたと思うんだよ。だけどそれは違うでしょう。あなたの主張は合わないよと伝えるのは、本当の意味であなたを生かすために伝えているんだよ。自分に囚われていると、その視点を受け取る意識が持てない。その姿勢を持つには、腹が広くないといけないね。
自分流に柱を立てても、人の役には立たない。それは自分一人の段階ではOKでも、もう一つ世界が広がると通用しないということだよ。そこで肝っ玉が据わっていれば、目の前に展開される出来事に通用する柱に立て直すことができるんだよ。

りょうちん:
そういうことですよね。僕は、理屈をこねていこうと思ってますけど、やっぱり自分にくせがあるから、それを出していくことだなと思ってます。

いさどん:
そうだね。自分にくせがあると思ったら、それを出していく。すると自分一人のそのくせが、独りよがりのところから、例えば3人でチームを組んだら3人に必要なくせになって、それが10人に必要なくせになって、100人に必要なくせになれば、常にそれは全体の柱になるわけでしょ。腹を据えてキャパを広げて、それで全体のためになろうとしたら、そのうちに自分のくせが人類のくせになるよ。そうでしょう。

りょうちん:
それでいいんですね!

いさどん:
それでいいんだよ。人類というのはみんなくせがあって、欲もあって、プライドもある。ただそれがどれだけのスケールかということと、その質が問われるんだよ。

りょうちん:
自分のくせが、全体にとって役立てるものなのか。全体と整合性が取れているかどうかですね。

いさどん:
最終的には宇宙と整合性が取れたら、それが最終到着地点だね。

りょうちん:
そういうことですね。

いさどん:
我々が人生で出会うこの世界の物理的かつ霊的実態は、ものすごく広いんだよ。その中のどこに位置するのかは、日常自分がどこを見ているかによって変わってくる。無限を観ていたら限りなく広がって、宇宙と整合性を取るという話になるわけだ。お釈迦様のところまでいくわけだよ。ところが狭いと、自分の家庭の中だけというマイホームパパになるんだよ。

りょうちん:
だけどそのままで行けるかといったら、結局、社会とやり取りする中で壁に当たるわけですよね。

いさどん:
壁に当たるということは、自分のキャパを広げていくチャンスなんだよ。ところがそこで自分に囚われていると、これ以上行くと自分が否定されると思って自分の中にこもるわけだ。もっと広いところへ行くべきなのに、外に出たら叩かれると怖がって、現状の自分を保とうとするんだよ。

りょうちん:
僕の話になりますけど、僕は自分で自分のねじれを自覚してる部分もあるんです。

いさどん:
りょうちんはねじれがあると言うけれど、それはくせとして悪いところだと捉えることもできれば、そのねじれが変わった視点となって多様性をもたらすという、ポジティブな捉え方もできるわけだよ。そうすると、あなたが自分を観て「ねじれがある」表現した時に、そこにどれくらいのポジティブ度合いとネガティブ度合いが加味されているのか。そこを吟味して観ると、今までのあなたの人生が観えてくるんだよ。例えばネガティブのウェイトが6割とか、ポジティブのウェイトが6割とかいうように、今までの人生の結果で度合いが変わってくるんだよ。
同じように、他者から見て「りょうちんはねじれてるからな〜」とネガティブに捉える度合いと、「りょうちんらしくて個性的だね」とポジティブに捉える度合いがどうなのかは、それまでのあなたと他者との関わりの結果なんだよ。
そういったことも踏まえた上で「僕はねじれているからね」と自分を分析すると、より次につながる話ができるよ。

りょうちん:
今ちょっとわからなかったです。人の評価を考慮するということですか?

いさどん:
他の人から見て、自分のネガティブ度合いとポジティブ度合いはどうなっているのかということと、自分で自分の中を観て、ネガティブ度合いとポジティブ度合いがどうなっているのかということを、まず客観的に捉えるということだよ。
例えば僕がねじれているとするでしょう。そこでこれからどう進もうかという対策を考えるわけだよ。その時に、そのベースになる心がどこから出発しているか。自分の内から観る視点と外から観られている視点の両方を捉えていくと、現状の自分の位置がわかってスタートしやすいよね。だってどこへ向かうにしても、スタート地点がわからなかったら始められないでしょう。

りょうちん:
僕は自分がねじれているからといって、けっこうブレーキをかけたりするんですけど、人から見れば「それやってみたらいいじゃん」て言われたりするんですよね。それがすごく多くて、そういうことにブレーキかけて無駄なエネルギー使ってるなって思うんですよ。

いさどん:
そう。余計なことをしてるんだよ。それってエネルギーがもったいないよ。

りょうちん:
そう。そういうことを聞きたかったんです。

いさどん:
もう答えが出ちゃったじゃん。そういうことなのよ。
そこで、自分がいかに無駄なことをやっているかということに気が付かないといけないんだけど、長年やっていると、それが自分のくせであってもこの世界の道理だと思い込んでいるわけだよ。それを自分のくせだと気付かなきゃいけないね。
僕は理屈人間だから、何かをする時にこれってもとは何だったのかということをいつも考えてるよ。だから回答が出てくる。だけどそれが、自分に囚われた分析じゃダメだよ。そこには必ず他者と自分とがあって、その中で整合性を取りながらやることだから、例えば自分に欲の心があれば偏っていって道理から外れていく。だから、常に客観的な視点を持って分析を進めながら、最終的には自分にとって受け入れられるところへ落としていく。そういう心の器用さが必要だね。

りょうちん:
そうですね。そこで全体というか、男性全般はどう取り組んでいったらいいでしょう?

いさどん:
男性を元気にするということか。それは、例えばものごとが成り立つには「ヒフミヨイムナヤコト」とあるように、順序があるんだよ。そうしたら、いきなり男性全般をどうするかという話にいくのではなくて、自分からとりあえず始めることだよ。すると、それによって周りが「あれ、りょうちん変わったね」となっていくでしょう。

りょうちん:
そうですね。僕の傾向ですね。推進力が弱いからみんなでやろうとしてる。

いさどん:
まずは周りが「りょうちんどうしたの」って思うくらい、あなた自身が輝いてみせることだよ。あなたの特徴は変化球を投げられることだから、ストレートしか投げちゃいけないと思っていた人は、りょうちんの変化球を見た時に「それもありなんだ」と思うでしょ。今男性たちに元気がないのは、自分を出すと一緒にくせも出て叩かれるから、臆病になっているんだよ。そこで「そういうやり方もありなんだ、それでいいんだ」と思えたら、みんなとても楽になるよね。その代表としてやるのに、あなたはいい人材だね。

りょうちん:
そうするとやっぱり怖がってちゃダメですね。自由にやっていかないと。

いさどん:
怖がるということは、その怖さの実態がどこにあるかということを考えないとね。

りょうちん:
そうですね。自分を崩すことを怖がってるだけですよね(笑)。

いさどん:
そう。それはつまり、相手から何かが来て怖いんじゃなくて、自分の囚われが壊れるのが怖いんだから、実は壊さなきゃいけないんだよ。その壊さなきゃダメなものを大事に握りしめているんだよ。

りょうちん:
そういうことですね。

いさどん:
何かを必死に手の中に握って、自分を守り続けている。必死だからすごく力が入って手に汗握っているんだけど、ふっと我に返って「あれ、何で手に力が入ってるんだろう」と開いて見たら、その手に持っていたはずのものがみんな砂になってこぼれて、そこには何も残らなかった、というようなことだよ。何もないのに力だけ使って、もったいないでしょう。だから冷静にならなきゃいけないんだよ。

りょうちん:
なるほど。そこにも冷静な分析が必要なんですね。

いさどん:
冷静な分析は常に必要だよ。何かが起きた時に、その時は新鮮だからびっくりしてもいいけれど、冷静に分析すればこれは起きるべくして起きたということが観えてくる。そうすると、それに対して対策をする必要があるのか、それともしばらく放っておけばいいのかという見通しも立てることができる。どんな時でも落ち着いて、冷静に対処できる心が男の器だよ。そういった大きなスタンスに立って分析をしないと、無駄をやることにもなる。

りょうちん:
冷静に落ち着いて対処できるのは男の特徴ですか?

いさどん:
冷静に落ち着いて対処できる状態に到達した人はそうなるということであって、それが男だけの特徴だということではないね。その人の心の段階がどの位置にいるかということだよ。
男と女の性質の違いで言うと、女性は具体的に創り上げていく役割だから、そんなに大きな視点は持てないんだよ。

りょうちん:
ああ、そうですね。現実的ですよね。

いさどん:
男は現実だろうが夢だろうが、ずっと向こうの方まで見通す柱を立てる。男のロマンというのはそういうものなんだよ。な?

りょうちん:
うん。

いさどん:
女性からしたら「何言ってるのよ」と言われたりしてね(笑)。

りょうちん:
「そんなことより生活成り立たせなさいよ」って(笑)。

いさどん:
それでも、希望があればいいんだよ。女性が食わせてくれるから。

りょうちん:
ああ、なるほど。女性が支えてくれるってことですね。

いさどん:
そう。その夢にちゃんと道理が通っていれば、女性がスポンサーになってくれるんだよ。それが支持されるということだよ。もっと現実的な柱を立てる男がいてもいいけどね。それはそれで、「この人堅実でいいわ」と女性に支持されるよ。そういったことを器用に使い分けられる男性はモテるよ。
だから、いろいろあるのだから、それぞれ個性的でいいんだよ。バカばっかり言っていても、あの人の人生ってあっけらかんとして心が楽になるわ、ということもあるんだよ。そこで多方面に整合性がとれていたら、それは仏の世間解(ほとけのせけんげ:仏とは、仏の境地に立った者。男でも女でもない意識の状態の者が、様々な経験をしたかのように世間を理解していることを、仏の世間解と言う。)だね。もしかするとアシアトウアンなのかもしれない。

りょうちん:
わかりました!

いさどん:
そういうふうに、自分と向き合って、現状の自分を突破しようとする意欲があることによって初めて、今のような話が湧いてくる。これはあなたに話したことだけど、他の人にとってもとても重要な話だよ。世の中にも伝えたい話だ。そういった意識になると、自分の存在が人の役に立っていくんだよ。

りょうちん:
はい。ありがとうございます。

いさどん:
何を聞かれても、とりあえずここ(と言って自分の頭を指す)からは、今のところ無尽蔵に智恵が湧き出てくることになっているからね。

りょうちん:
やっぱり僕には自分で考えたいっていう欲求もあるものだから、何でも聞くわけではないんですけど。

いさどん:
それでも、ポイントのところは必要だよ。自分の得意分野とそうでない分野があって、それはその人それぞれの個性でしょ。その個性を生かせばいいんだけど、個性に囚われてはいけないね。足りないところは他からもらって足してあげればいいんだよ。それには柔軟さと腹の大きさがないと、できないね。

りょうちん:
自分で取り組み始めたところなので、それに対してこの方向で大丈夫かなと確認したい思いもあります。

いさどん:
そういった状態にあなたがなったということはとても喜ばしいことだから、こちらも意欲的に話せるね。そういうふうに自分が開いていく状態の意識の時と、閉じていく状態の意識の時があるんだよ。閉じていくというのは、守りに入ること。だから閉じていく時に開いていくための話をしても、入っていかないね。いつでも開いていく意識で人生を生きていけたらいいけれど、人生にはいじけていく流れの時があるからね。

りょうちん:
僕、だいたいそうでした(笑)。

いさどん:
おもしろいことに、そういう時にはいじけることを自分の特徴として、それに執着するんだよ。だから、開くための話をもらえばもらうほどいじけていく。そういう人は放っておかないといけないね。

りょうちん:
行くところまで行かないと。

いさどん:
そう。行くところまで行くと逆転するから。それを変につつくと抵抗が生まれるから、いじけることを長引かせることになる。放っておけば、その人のいじけキャパというのがあるから、そこまで到達した時に自分ではっと気付いて、逆転の発想が生まれてくるんだよ。

りょうちん:
そういう場合は全然声をかけなくていいんですか?

いさどん:
いや、こちらの存在は伝えておかないといけないね。だから種だけ蒔いておくんだよ。今言ってもわからないから、必要になった時に来いよ、くらいの感じでね。

りょうちん:
プライドは刺激しないんですね。

いさどん:
そうだね。それでも多少はプライドも崩してあげないといけないよ。なぜかと言うと、プライドを崩しておかないと、そのプライドがいつまでもこだわりになってしまうから。本当に自分のためを考えたらそれでいいのかよく考えてごらん、ということは伝えておくといいね。
今のままでいいんだよ、なんて言ったら、修正しなければいけないこともしなくていいことになってしまうでしょ。そうすると、その人のくせはそのままの状態でいくから、一見元気になったように見えたとしても、いずれ必ず問題ごとにぶち当たる。だからやっぱり、ものごとをバランスよく観て、人には修正しなければいけない時もあるよ、ということは常に伝えながら、相手の意志も尊重していくことだね。

今の世の中は、自分を振り返らない人間が生き生きするための手法はすごく人気があるんだよ。低いプライドを保ったまま生き生きするニーズがあふれていて、みんなお金も暇もあるから、表面的に心地よくさせてくれるところに人がたくさん集まってくる。人が集まってくるからいいことをしてるんだと勘違いしている人が多いけれど、そういった勘違いから人の心をくすぐって、お金儲けをしようとする罠が世の中にあふれているんだよ。そしてその結果、今の混乱した世の中がさらに広がっていくことになる。
自分の精神状態を冷静に分析して、きれいにしていくことの価値を知らない者たちは、囚われの部分を残したまま心地よいことだけを求めていくから、そういった罠に引っかかるね。そして一時的に心地よい気分になったとしても、自分の精神が根本的に改善されたわけではないから、何回も罠にかかることになるんだよ。それはある意味マインドコントロールだから、その罠に引っかからないようにいつも伝えているんだけどね。

りょうちん:
だから木の花は、現実の生活に反映された情報を、社会に対して提供しているんですよね。

いさどん:
そうだよ。情報は提供するけど、押し付けはしない。なぜかというと、お金儲けが目的じゃないからね。その気になったらおいで、というスタンスだよ。

世の中は今、本当に大切なものは何なのかを見失って、そのピーク迎えている。そこでいよいよ、人々の本物探しの心がうずうずとうずき出す時が来たんだよ。それは、今までのような表面的な心地よさを求める浮かれた時代とは違って、人々の心が安定し、不動の柱のもとに日々を生き、一人ひとりに世の中を組み立て直していくくらいの心構えが必要とされる、切り替えの時が来たということだよ。
その時代の意志に一人ひとりが気付いて、男も女も、みんなが充実した日々を送れるよう、心がけていくことが大切だね。

 

 


『シリーズ激動の世界』より ③揺れる“超大国”~アメリカはどこへ

時代の転換期を迎え大きく揺れ動く世界の今を描くNHKスペシャル『シリーズ 激動の世界』。第1回『テロと難民~EU共同体の分断』、第2回『大国復活の野望~プーチンの賭け』に続く第3回は『揺れる“超大国”~アメリカはどこへ』。
冷戦崩壊後、「世界の警察官」として国際秩序への関与を続けてきたアメリカ。 しかし、イラクではアメリカがフセイン政権を崩壊させた後混乱が全土に広がって多くの死傷者を出し、内戦が激化するシリアでも対IS戦略に迷走するなど、中東での対応は混迷を極めています。オバマ大統領が「もはやアメリカは世界の警察官ではない」と宣言する一方、「偉大なアメリカを取り戻す」と言って過激な発言を繰り返すドナルド・トランプ氏が次期大統領候補として浮上。世界中にISに共鳴する若者が増え続ける中、アメリカ政府はITを駆使してアメリカの価値観を拡散させる情報戦に乗り出しました。

*番組の内容については下記をご参照ください。
『シリーズ激動の世界』公式ホームページ

 

シリーズ 激動の世界
第3回『揺れる“超大国”~アメリカはどこへ』より

あわちゃん:
最近、日本人女性が書いた片付け術の本が全米1位を獲得したというニュースを観ました。部屋を整頓することによって自分が生き生きするというようなことを書いた本が、1年以上もベストセラーを続けてついに全米1位になったらしく、米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」にその人が選ばれたそうです。だけどその生き生きって、今までの生き生きだなと思うんですよ。昔僕が会社員だったころに目指していたような、その世界の中で勝ち残っていくための生き生き。だけどこれからの時代の生き生きは、確実に今までとは違うものだろうと思うんです。

いさどん:
僕もたまたまその人が紹介されている番組を観ました。アメリカでタレントのようになって講演もしていて、片付けについてですからそれほど難しい内容でもないのでしょうが、その講演に2000人の人が集まるそうです。僕はそれを観ていて、アメリカ人たちがモノをたくさん持ち過ぎて、身動きが取れなくなっていることを感じました。体にしても、世界の中でのアメリカという立場にしても、所有し過ぎてこれからどうしたらいいかわからなくなっているのです。
しばらくの間、アメリカという国が世界の警察であり、正義であり、目指すべき着地点でした。しかしオバマ大統領は、「アメリカはもはや世界の警察官ではない」と言いました。昔は外国に介入することが自分たちの国益になるからこそ、国民も損得勘定でそれを支持していたのですが、ブッシュ大統領に乗せられてイラクに介入し、大変な出費と痛手を被ったのです。そのトラウマから、自分たちの利益にならないことに正義感をかざして他国に介入するのはやめようという気運がアメリカ国内に高まりました。

ともこ:
アメリカにシェール革命が起きて、原油を自給できるようになったことも大きな要因だと言っていたね。もう中東の石油に頼らなくてもよくなった。

いさどん:

アメリカは民主主義の国ですが、そこには落とし穴があります。国民の意識が低いと、その低い意識の人たちも一人一票を持っているわけですから、低い意識によって代表が選ばれるのです。国民が賢ければ優れた人が選ばれますが、国民が愚かであれば愚かな代表が選ばれ、結果的に戦争に走るようなことにもなるのです。
ロシアや中国のように半独裁の国では、民意に反してでもトップの判断でことを推し進めることができます。しかしアメリカのように世論が人々の欲望のままに動いている世界では、その世論の意識レベルの代表が常に選ばれる仕組みなのですから、皆が目指しているものが共通している時はそのまま進んでいくのですが、ひとたびその目指しているものが崩れるとてんでバラバラな社会になっていくのです。それで今アメリカは迷走状態になっています。
アメリカの若い女性が片付け術を知って幸せになりましたとコメントしているのを観ながら、多くのアメリカ国民の意識がそういった低い層にあることを感じました。しかし日本のマスコミは、日本人がアメリカでベストセラーを出して「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたということで騒いでいます。そのニュースを観る日本の国民の多くも「へぇ、すごいね」と言って終わるのかもしれませんが、僕はそうは観ません。アメリカ人の意識はそこにヒットするレベルなのだということが明るみになっただけです。

ともこ:
アメリカの世論調査で、トランプ氏が「尊敬する人物」の1位になってたね。

いさどん:
民主主義は選挙によって代表を選びますね。選挙にはたくさんのお金が必要ですから、立候補する人にはスポンサーがつくことになります。そうすると候補者はスポンサーの意向を無視することができないので、言いたいことが言えなくなります。アメリカは言論の自由を掲げていますが、実は民主主義とは言いたいことが言えるわけではないのです。それが今の世界を支配する民主主義のアメリカという国の現実です。
それに対して、トランプ氏は十分な財力があり、スポンサーに頼らなくてもいいから言いたいことを言うことができます。

bunmeishuukisetsu文明周期説で観ると、今は800年ごとに東西の文明の盛衰が入れ替わるちょうど切り替えの時です。その切り替えの時には必ず民族の大移動が起きており、現に今も中東からヨーロッパにたくさんの人が移動しています。およそ800年前に、イスラム文明(東洋)が栄えていた地に十字軍がやってきてキリスト教(西洋)の支配が始まりました。それが今まさに入れ替わりの時に来ており、これからイスラム教が栄えていくのか仏教が台頭してくるのかはわかりませんが、それに対して抵抗しているアメリカ的、白人的危機感があります。
アメリカは多民族国家と言われていますが、中心となって国を動かしているのは白人です。これまでのアメリカは、自国の利益のためにベトナムやイラクなど多くの場所で戦争を起こし、たくさんの人を殺してきました。そのアメリカの本音、実態がトランプ氏の発言に現れているのです。アメリカは、自らが世界のNo.1であるという余裕の上に、意識の高い優れた国であるかのように見せてきましたが、資本主義が脅かされて自らの利益に影響するとなるとあからさまに戦争でも何でも起こし、自国の権益を守ってきました。そこにアメリカの本質が観えはしませんか。
アメリカ人の中には、紳士であろうとする心と、その紳士の仮面の奥に自分たちがNo.1でなければ許さないという心があります。そこにトランプ氏が登場しました。彼がなぜ支持されるのかというと、アメリカ人が表に出さない本音の部分を語っているからです。
世論調査では、回答者の名前は表に出ません。そうすると、人々はそこでは本音を出せるのです。選挙も同じですね。記名するわけではありませんから、自分が誰に投票したかは他の人にはわかりません。トランプ氏が「尊敬する人物」だというのは、ある意味、アメリカの白人の本音の一端だと言えます。

ひろっち:
本音を代弁しているからこそ、めちゃくちゃなことを言っていても支持される。

いさどん:
そうです。アメリカの光と影が今、表に出てきたのです。トランプ氏はわかりやすいでしょう。
オバマ大統領はとても平和的な大統領として登場し、核をなくすと言っていましたが、実際には核はなくなっていません。それはなぜかと言うと、アメリカ国民全体の意志がそれを望んでいないからです。その代表の立場に立った時に、国民も、自らの背後にいるスポンサーも、本音ではそんなことは望んでいないので、それを実行できるわけがないのです。当選した時には平和的な大統領であったはずが、アメリカのつくってきた世界での立場や国民の意識の実態が観えてくると、結局は前の政権を受け継いで戦争を継続することになりました。
そこにスポンサーを持たず言いたいことが言えるトランプ氏が登場し、支持を集めました。彼は選挙でも善戦するでしょう。しかし、アメリカ人には利益よりもメンツを大事にするところがあります。ですから自分の本音を代弁してくれるトランプ氏のことは支持しても、いざ彼が大統領になったらとても品の悪い大統領としてアメリカの恥になりますから、最終的には彼を大統領として当選させることはないでしょう。もしも彼が大統領になったらアメリカの威信は失墜するということはわかっているでしょうから。

しかし、アメリカ人の本音を引き出したのはトランプ氏が初めてです。ですから今はアメリカ人の本質が観えているのです。周囲はトランプ氏の発言を彼の個性だとしていますが、彼は国民の本音を引き出しただけですよ。彼は時代を象徴しており、あれだけ極端な発言を繰り返しながらもここまで支持を集めているということは、白人の奥に隠されていた一面が現れているということです。これまでアメリカが世界の警察官だと言ってきたこと自体がまやかしであり、それが暴かれてきたということです。

では世界は次にどんなリーダーを求めるのか、どんな社会を求めるのかというと、今はそれが観えません。そこに便乗してプーチン大統領のロシアが台頭してきたり、中国が動き始めています。しかしそのどの国も、次の時代をリードすることはできないでしょう。番組内ではアメリカ、ロシア、中国が世界のトップリーグで競うようになると言っていましたが、冷戦の時に二極化していたものが三極になり、さらに多極化して混乱がますますひどくなることでしょう。片付け術の話と同じように、世の中が迷っているのです。
誰かを悪者にして「あいつが悪いんだ」と言っているうちはいいのです。しかしいざその「あいつ」が転落すると、あいつがいるから「あいつが悪いんだ」と言えていたのに、悪者がいなくなってしまったらいったい誰を悪者にしたらいいのだろう、悪いのは誰なのだろう、ということになります。そして結局は、みんな悪者だったというところに落ち着くかも。

みかこ:
そこは大事なポイントだよね。スケープゴートが必要なんだよ。

ともこ:
ある意味、アメリカという国は人類のカルマを引き受けているんだね。

いさどん:
そうですね。アメリカという国は上行菩薩の役割を果たしているとも言えます。
実はヒトラーも霊的には上行菩薩なのですよ。これはとても深い話です。アメリカもヒトラーも、他にその役割を代わって行える者がいないことを成し遂げたのです。その結果、社会は極端なところに行きつき、そこから自らの存在の可能性を知ることになるのです。
例えば安倍首相は自らの野心の上に一生懸命国を良くしようとしていますが、そこには国民にうけようとする心があります。ヒトラーは、国民にうけようとしたというよりも、自らの妄想の中に国民を巻き込んだのです。実際、戦争が終わった時に国民は自国が行ってきたことの実態を見て驚いているでしょう。ヒトラーは死を迎えた時に、難しい役割だったけれど何とかその役割を果たしたと思いながら旅立ったのではないかと僕は想像します。それに対してアメリカ国民も、アメリカ的価値観が終焉を迎えつつある今、その価値観の奥に秘められた負の部分を知ることになるのです。

民主主義は、一番支持を得た人がトップに立ちます。そしてそれが正義となります。マスコミもまた、多くの人にうけるような内容を報道します。その方が支持をされ、お金になるからです。自分でものを考えない人が増えればその方が簡単ですね。流した情報をそのまま信じてくれるのですから。かと言って、何でも疑って情報をねじって捉えるのが良いわけでもないですね。どのような情報であっても、時代を読んでいれば、たとえその情報が歪んでいようとも、その奥にある真実が観えるものです。

みかこ:
嘘と誠が混同されて報道されていく。そこに惑わされずに日々を淡々と過ごし、自分のやるべきことをやっていくということだと思う。こういった番組を観るのは、その視点を持つためのトレーニングになるね。

りょうちん:
イギリスのギャロップ社の世論調査によると、シリア国民の82%が「イスラム国はアメリカと外国が支援して作った組織である」と回答し、「外国人の勢力の介入が内戦を悪化させた」と回答した人が79%、アサド政権を支持する人が79%います。アメリカはアサド政権を悪者にして反政府軍を支援していますが、シリア国民からすると余計なことをしてくれていると思っているのではないでしょうか。番組では、アメリカ軍が中東から撤退して力の空白ができたことでISが生まれたかのように言われていましたが、そもそもテロリストを作っているのは誰なのか。そこに力の流れを感じます。

いさどん:
情報を受けて、思考がその情報に限定される必要はありません。こういった番組を観ても、番組が提供してくれた情報にただ反応するのではなく、その情報の奥にこれまで自分が捉えてきたこととは違う何かを感じ取り、そこに時代の流れを読み取った時、人は一歩成長します。情報を自分の知識として取り入れて満足したり、それが正しいと固定して捉えていては、今までの教育と同じです。今までの教育というのは、情報を受けて、どれだけそれを身に付けたかによって人の優劣が決まってきました。しかし本当は、その情報の奥の奥にあるものを見出して、智慧がその本質を読み解くことが大事なのです。それは菩薩の精神です。
近年の人類は、何かを企む心から現象の奥を見るということはあっても、多くはものごとを表面的に見て対応をしてきただけでした。しかし、現象の奥を観る客観的視点の、そのさらに奥を観る視点があるのです。

こういった映像を観ても、日本の多くの人は自分とは直接関係のない外国の出来事だと捉えるのではないでしょうか。しかしアメリカが起こす戦争の影には、それを支援する日本のお金や体制があります。我々が銀行に預けているお金がどこかの戦争の資金として運用されているということにも、多くの人が無自覚です。
今の映像を観て、観客になっていませんか。すべては自分に責任があるのですよ。自分はあの真っただ中にいる、それでいいのかと自問し、たとえ小さくとも明日からの自分の一歩が変われば、世界が変わっていくのです。
人としてこの時代に生まれてきて、どう生きていくのかは一人ひとりに責任があります。そこに気付き、一人ひとりが目覚めていくと、今世の中を操っている人たちがだんだん操りにくくなる社会ができていきます。逆に言うと、今は多くの人がスマホで馬鹿になり、インターネットで馬鹿になり、極端なことを言えば高学歴で馬鹿になっています。幸せや成功の価値観がすべて一方通行なのです。
本来、この世界はもっと多様であるべきです。日本はアメリカ的価値観に乗って一歩通行に歩んできましたが、今それがどういった企みの延長線上にあったかということが明るみに出てきています。自国の利益のために突き進んできたアメリカという国に加担して今の日本があるとしたら、私たちはここからどう進んでいくべきなのでしょうか。

りょうちん:
民主主義は国民に主権があると言いながら、国民に情報を与えず馬鹿にして操作する。それって選択させているようでいて、実際は選択なんてできていない。

いさどん:
人間の欲望を刺激し、利用して、支配するための体制とも言えますね。しかし、例えば北朝鮮が先日水爆実験をしたという時に北朝鮮の国民にインタビューをしたら、水爆実験は北朝鮮が世界で初めて行ったと言っていました。そのくらいあの国の国民には情報が届いていないのです。
民主主義の社会では、膨大な情報を国民は手に入れることができます。しかしその社会の人々は、その情報を正しくこなしているとは言えません。ある意味、その姿は欲望の虜になっているようなものです。それは、共産主義の理想社会を描く人から見ればとても乱れた自堕落な世界に映るでしょうね。そして今、世界中の人々が(共産主義、社会主義を問わず)その欲望を求めることに走っているのです。

ともこ:
アラブ諸国の民主化を「アラブの春」って言うでしょう。いかにもアラブにいいことが来たかのような表現だけど、実際はアラブの反欧米的な政権を倒すためにアメリカを始めとする欧米諸国が反乱を煽っていて、結果的にアラブ諸国にすごい混乱が起きたね。

いさどん:
「アラブの春」とは欧米が命名したもので、人々の欲望を抑えていたものが反乱によって壊されたということです。アメリカはアラブの春に期待していましたが、結局は民主化が定着したのはチュニジアだけでした。アメリカはアラブに「アメリカ的民主国家」を作ろうとしました。その方がアメリカの国益になるし、世界の皆さんもその方がいいでしょう、ということをアメリカは言っているのです。
しかし番組の中でも、「アメリカ的価値観を押し付けるのをもうやめなければいけない」ということが言われていましたね。アメリカは自由に発言ができて、何でも自由に手に入れることができて、地球上の人が皆アメリカ的価値観になれば幸せになれるとでも言うようにその価値観を広げてきましたが、現実のアメリカ社会を観てください。あんなにも貧富の差が生まれ、片付け術が大流行するほどモノがあふれています。地球上の人がすべてアメリカ人のような生き方をしたら地球が5.4個必要になると言われるほど、地球に負荷をかける生き方なのです。そういった答えが既に出ているのに、まだアメリカ的価値観を広めようとしています。そしてその価値観しか知らずに、自らの欲望に縛られている人々が世の中にたくさんいます。これからの時代は、その価値観から人々を解放する必要があるのです。
人々が自らの欲望から解放された時、我々はがんじがらめに縛られて生きているということが観えてきます。何に縛られているのかと言うと、過去から未来へ一方通行に流れる「時」に。そして生命としての自らの存在に。生命は水がなければ生きていけません。空気がなければ生きていけません。食べ物がなければ生きていけません。そして雄と雌がいてコミュニケーションを成立させなければ、種を存続することができないのです。
そういった無限な要素の連携があって初めて、私たちは命を健全に保つことができるのです。そこに、自我に囚われた意識で生きるということは、そういったこの世界の成立する根本体系から外れることになるのです。

自我の囚われから解放されると、我々はがんじがらめの世界で生きているということがわかります。そのがんじがらめの中にありながら、実はとても豊かで無限の世界にいるということがわかるのです。
民主主義であっても、共産主義であっても、それは人間が人間のために創った制度です。そこに自然や宇宙の法則は含まれていません。しかし、私たちの生きる地球や太陽系や宇宙の仕組みは、人間に関係なくすべて先にできていて、後から人間がそれに合わせて出てきたのですよ。そうしたら、人間がそこに合わせ、そことの整合性を取りながら社会を創っていけば、それは法則に沿ったものになりますから無理が生じません。そこでは人間の中の「自分が」という自我の心を優先する必要はないのです。それは人間が自我の境地を超えて、この世界を生きるとはどういうことなのかを悟るということです。

この番組はEU、ロシア、アメリカを取り上げた3回シリーズですが、番組を観ていて何か感じませんか?
文明周期説から観ても、太陽の螺旋運動の25800年の周期から観ても、冥王星が太陽の周りを1周する248年の周期から観ても、現代はいくつものターニングポイントを迎えています。我々はそのサイクルを知っているからこそ、今、イギリスに始まりアメリカによって拡大された価値観の賞味期限が切れようとしていることも、当然の時代の流れとして捉えることができます。

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しかし、番組に出て来る評論家たちにはそういった視点がないので、この問題をどう解決したらいいのか、これからアメリカはどういった行動をとるべきなのか、という議論に終始しています。アメリカは行動をとらなくていいのですよ。このまま収縮していくのが時代の流れなのですから。そして、収縮しても国がなくなるわけではありません。もしもアメリカという国に謙虚さが生まれたら、大変優れた国になるでしょう。傲慢だったから今のような状況になったのです。
ですから、今はアメリカにとってチャンスでもあるのですよ。そのチャンスを生かすには、今所有しているものを捨てることですが、今のアメリカはそれができず、過去の栄光を手放せずにいます。肥満になった人がなかなかスリムになれないようなものですね。だから片付け術が流行るのです。
しかし、時代は常に変化し続けています。ある時に正義だったものがある時には悪になり、そしてまた正義になるというように切り替わっていくのです。そして時代は人類が創っているのではありません。すべては宇宙の法則のままに、我々人類は時代の意志を請け負い、地球上に生まれ、表現しているだけなのです。そこに目覚めた時、人類はもうひとつ大きな視点に立つことができます。
そう言うと、「自分の考えを捨てなければいけないのですか?」と言う人がいますが、捨てていいのですよ。それを捨てて、もっと大きな、広い、高い意識にシフトし、それを自らの考えとして生きていけばいいのです。この世界を運営している法則のもとに自分たちがあり続けるということが理解できた時に初めて、地球生態系ネットワークを傷付けない、この世界の盟主としての人類の姿があるのです。

アメリカはひとつの時代を担った、それだけの大きなキャパを持つ国です。しかし大きなものが調子に乗ってさらに大きくなりすぎて、肥満大国になり、身動きが取れなくなってきました。冷戦時代に二つに分かれていた正義が、ソ連の崩壊によって一方が崩れアメリカが全面的に世界の正義の立場に立つこととなりましたが、アメリカ国民もどこかで自分たちの中に嘘があることを知っていたのではないでしょうか。それでも、自分たちが正義でありNo.1であるということに慣れてしまい、そこから外れることが許せないのです。
しかしいよいよ、その囚われから外れないとやっていけない時代が来ました。それはアメリカにとってチャンスですが、そのチャンスを活かさなければ、肥満からさらに生活習慣病の老人のようになってしまうことでしょう。ここまで世界に影響を及ぼすほど拡大したアメリカの意識を、自らのキャパの大きさを活かして本当に見直した時、アメリカは真に優れた国になれるのです。

そこで日本も、アメリカのポチのような立場から自立して、日本人が本来取るべき立場を取る時が来ています。しかし現状を観ると、国民がアベノミクスにつられて自民党に大量の議席数を与えた結果、安保法制が可決されました。国民の意思が反映されるのが民主主義だと言いますが、世論調査では安保法制に反対する人の方が多いのに、その法律が成立したのです。
安倍さんは、国民は今は嫌だと言っているけれど、実際にそれを進めていけばきっとそれが必要なことを理解する時が来ると言っています。それは、国民は愚かだから、この国を守ることの大事さをよくわからないのだと言っているようなものです。そして、そのうちに慣らされていくだろうということです。そんな安倍さんに代わる人材が今の日本にいるかと言うと、そういった人材は残念ながら見当たりませんね。
アメリカの大統領候補を見てください。やはり国を託せるような人材はいないでしょう。では世界にリーダーシップを取れる人材がいるかというと、やはり見当たりませんね。世界にリーダー不在の時代が訪れたのです。リーダーが不在だということは、庶民の目覚めの時代が来たということです。

今の世界情勢を観て憂鬱に思えることがありますが、憂鬱になるのはものごとを所有しているからです。宇宙の法則のもとに、時代は連綿と進化し続けています。今世界で起きていることは人類がやっているのではなく、星と星との関係によって時代が刻まれ、それが地球上の現象となって表現されているのであり、その中で私たちは、その宇宙劇場の役者なのです。
そんなふうにこの世界を捉えたら、今地球上で起きていることもすべて、「これは悲惨なことだ」というように感情に訴えて見るのではなく、客観的に捉えることができるはずです。そしてその宇宙物語の中での自らの立ち位置を知り、それにふさわしい役割を果たしていくことができるようになるのです。
もっとも、みんながそうなってしまったらつまらない世界かもしれないですね。わからない人々がいるからこそ、この世界はダイナミックなのですから。

時代はいくつものターニングポイントを迎え、いよいよ世の中が根底からひっくり返る時が来ています。ですから、今はそこから離れて全容を捉える視点が必要です。そうでなければ、自らも一緒にひっくり返ることでしょう。
これからの時代に求められるのは、今の世の中に通用している人材ではなく、まったく新しい価値観を持って次の時代を生きる人です。次の時代を生きるとは、近年人々が築いてきたモノカネに支えられた物理的豊かさや科学的真理を超えて、その奥にある価値観を捉えていくということであり、そのためには、自らの自我の囚われから二歩外に出ることです。客観的視点の奥にある時代の意志を受け取り、自我を超えて生きていくことです。

新しい価値観に人間がシフトすると、今の時代とは全く真逆の世界がそこに顕れるのです。

 

 


『シリーズ激動の世界』より ②大国復活の野望~プーチンの賭け

時代の転換期を迎え大きく揺れ動く世界の今を描くNHKスペシャル『シリーズ 激動の世界』。第1回『テロと難民~EU共同体の分断』に続いて、第2回『大国復活の野望~プーチンの賭け』を大人ミーティングで観ました。
一昨年クリミアを併合し、世界に衝撃を与えたロシア。プーチン大統領の強いリーダーシップのもと、混迷が続きアメリカが行き詰ったシリア情勢でも大規模な空爆に踏み切るなど、欧米とは一線を画した路線で存在感を際立たせています。ヨーロッパに自立を呼びかけ、アジアや中東で台頭する地域の大国とも連携して新たな国際秩序をつくり出そうとするロシアの今を描く番組から、何が観えるのか。ミーティングで話し合いが始まりました。

*番組の内容については下記をご参照ください。
『シリーズ激動の世界』公式ホームページ

 

シリーズ 激動の世界
第2回『大国復活の野望~プーチンの賭け』より

いさどん:
これまでは、アメリカの思惑の上に世の中が動いてきました。ある意味、世界を資本主義の麻薬漬けにしてきたようなものです。ロシアは、それに待ったをかける役割を果たしているとも言えます。
プーチン大統領は、やはりロシアはロシアらしく生きるべきであり、アメリカにマインドコントロールされて使われているようではダメだと言っており、それはとても筋が通っています。ではロシアが世界を次の時代へと導くかと言うと、そうではないですね。ロシアは、アメリカのこれまでのやり方が世界に様々な問題をもたらしたと言って対抗していますが、その問題に対する解決策を提示しているかというと、ロシアもまたアメリカと同じように、今までの時代の延長にことを考えているのです。
今のロシアは共産主義から離れて、ナショナリズムが台頭してきています。

みちよ:
プーチン大統領はヨーロッパに対して、アメリカから自立するべきだと呼びかけていました。フランスなどで極右政党が台頭してきたのも、そういった流れの中にあると思います。

いさどん:

そんなに簡単に物事をくっつけて考えてはいけませんよ。昨日観た第1回(『テロと難民~EU共同体の分断』)にあったように、フランスで極右政党が台頭してきたり、ドイツで極右でもない人が移民を排斥しようとしている動きがありますが、その流れとロシアの流れが一致しているかどうかはわかりません。フランスの極右政党とロシアは互いのニーズが合って近付いたかもしれませんが、では同じ流れにあるのかと言ったら、それぞれに思惑があってお互いを利用しようとしているだけのことで、フランスでの極右政党の台頭がロシアと絡んでいるとは限らないのです。
物事を正しく考えるためには、まず情報を正確に捉える必要があります。安易な発言をして、ものを考えない人たちがそれを聞くと、間違った情報でもそれがそのまま事実となっておかしな方向へ進んでしまうのです。ですから自分の発言の内容を吟味しなければいけません。

ソビエト崩壊後、アメリカの影響で市場経済化を進めたロシアは一時期大混乱に陥りました。番組には、プーチン大統領を支援する「謎の実業家」という人物が登場しますが、当初はアメリカの自由な民主主義に大きな魅力を感じていたその実業家も、厳しい現実を目の当たりにして、結局アメリカは自分たちの利益のためにロシアを利用したのだと失望したと語っていました。そういった背景があって今の彼の行動につながっているわけですが、この番組では彼は悪者のように描かれています。そもそも『大国復活の野望』というタイトル自体が、すでに西側の視点に偏っていますね。
しかし、タイトルは西側寄りでも内容はそうとは限りません。ロシア側の世界観から見た正当性も引き出されており、自分をフリーな状態にして世界を観るには貴重な資料となる番組です。西側の視点から今のロシアを見れば、まるで破壊者が現れたようにも捉えられるのでしょうが、ロシア側からしてみれば、ソビエト時代からずっと今に至る歴史の中でアメリカはまったくロシアのためにならないということがわかり、自分たちは自分たちのやるべきことをやるのだと気付いて今の状態があるのです。

あわちゃん:
世の中にたくさんの情報があって、それぞれの情報がどこから来ているのかもわからない中で、捉え方はいろいろあると思うんですけど、やっぱり広い視点に出会うとワクワクします。今のロシアも、広い視点で観たら役割を果たしているんだなと思うんです。時代がターニングポイントを迎える中でアメリカの力が弱まってきて、その中でロシアという国が台頭してきて、混沌としていくのが今の時代の流れなのかな、と。そう思うと、プーチンさんが言うこともこれまでの時代の価値観の延長で、混沌とすればするほど、次の時代に向けて目覚めようとする力が強まっていくのだろうし、すべてはそこに向かう過程なのだろうと思います。そんなふうに捉えるとすごくおもしろい。

ともこ:
例えばキューバのカストロ議長やベネズエラのチャベス大統領、シリアのアサド政権やイラクのフセイン政権など、アメリカに対抗するものは常にネガティブに描かれる一方的な視点が、日本のマスコミのベースになっているよね。ただ、それって一方的な価値観だよねと言うだけでは、それもまた一方の価値観に対するアンチ的な発言でしかなくて、大事なのは、そういったものもすべて含めてもっと長いスパンで歴史を追って時代の流れを観て、自分たちの立ち位置を知ることだと思う。中国やロシアが「かつてここは自分たちの領土だった」と言うのも、自分という立場から短いスパンで区切って都合のいいように歴史を捉えているわけで、もっと大きな流れから捉える視点が今の世の中に欠けている。

いさどん:
今、世界中が混乱の極みを迎えています。人々は自分たちのアイデンティティがどうのと言って争っていますが、アイデンティティというのは個々が自分に執着している時に生まれるものであって、では地球人のアイデンティティはどこにあるのか、ということをこれからは考えていくべきでしょう。国家や個人という狭いものを基準にするから、今のような状態になるのですよ。
この番組に限らず、昨年は戦後70年ということで歴史を振り返る様々な番組がありましたが、多くが西側寄りの視点で描かれています。いくら安倍首相を批判していても、やはりその視点も西側寄りなのです。その視点を突破しない限り、こういった報道が問題の解決のきっかけになることはできないのです。

今の社会の体制は、イギリス産業革命以降の250年間の価値観がベースになっています。しかし2012年12月21日に銀河の冬至を迎え、25800年ぶりのターニングポイントを迎えたということは、これまでとはまったく違う価値観を、時代は人類に求めているのです。
ロシアは、ソビエト連邦を崩壊させました。共産主義から発展した社会主義の崩壊です。それは共産主義や社会主義が悪いのではなく、それをリードした指導者たちの官僚体制の腐敗であったり、そこを構成した民衆が未熟であったということに原因があります。一人ひとりの人間の質を上げずに制度だけを重視しては、結局はその制度自体が、民衆一人ひとりの質の低さによって壊れていくのです。そしてそれは順番に起きているだけのことで、共産主義が崩壊したら、今度は民主主義に同じことが起きています。
アメリカという国は自由と物理的豊かさを正義として人々の欲をくすぐり、追随させてきましたが、その賞味期限も今、切れようとしています。もしくは宇宙的には、すでにアメリカの賞味期限は切れています。それなのに、なぜまだその偏った価値観を維持し続けようとするのでしょう。

番組では、これからは世界一の軍事力と経済力を持つアメリカと、同じく軍事力と経済力を持つ中国、そして経済力はないけれど軍備は整っているロシアの3つの大国が競い合うことになるだろうと予想されていました。ロシアはアメリカと違い、議会の承認を得なくても即対応ができる決断力があり、お金がなくてもどこか魅力があるでしょう。民族主義が台頭してくると、お金の損得勘定は抜きになってくるのです。それが今のロシアの国の体制です。
ただ、プーチン大統領はアメリカに対抗して今の立場を取っていますが、逆に言うと、プーチン大統領もアメリカと同じように力でリーダシップを取るこれまでのやり方で、強いロシアになろうとしています。しかし、これからはそういった軍事力や経済力などの力で世界をリードする国は、いらないのです。

こうちゃん:
どの国も軍事力や経済力などの力を持っていることが大国の条件になっている。力で世界を支配しようとするのが今の世の中だけど、平和は力の駆け引きで実現するものじゃなくて、視点をもうひとつ上にあげることでもたらされるものでしょう。

いさどん:
戦後に生まれた新たな秩序は、70年前の大戦の結果もたらされた力によって構築されたものでした。今はそれを卒業できるかどうかという時です。それを現代人の視点から単純に考えると、不可能にも思えます。なぜかと言うと、新たな価値観に出会った時に、例えば30年間生きてきた人なら「今まで30年間生きてきてそんなことはなかったじゃないか」と思うものです。60年生きてきた人なら「60年生きてきてそんなことはなかった」と思うのです。
しかしその視点は、あまりにもスケールが小さなものです。太陽が2億2600万年をかけて銀河の中心を周りながら約9000回の螺旋を描く、そのたった1螺旋の25800年から観ても、60年の人生などほんの最近のことなのですよ。そういったことを理解することが、世界観を広げ、時代を読み解く力を身に付けることとなるのです。

2月14日から「1ヶ月間の真学校」が始まります。そこで受講生たちに何を伝えるかというと、新しい秩序です。真学校を受ける人々は、今の社会の秩序に対して何らかの疑問を感じています。疑問を感じながらその秩序の中で生きようとしても、心の中はずっともやもやし続けるのです。その時に、すべてをひっくり返すような、「ああこれだ!」という青天の霹靂のような視点に出会って初めて、本当に晴れ晴れと胸を張って毎日を生きられるようになります。そして真学校を受講した人々がそういったものを得て、卒業後もその延長線上に生きることが、世直しとなっていくのです。

しゅうご:
僕ら若い世代が次の時代を創っていくのが大事だということを強く感じてます。そして次の子どもたちにつないでいくんだ、と。

いさどん:
番組でロシアの大学生が話し合っていましたね。どういう基準で選ばれた学生たちかはわかりませんが、少なくともあの番組に出ていた学生たちには、国家というものに対する意識が強くありました。それは、少し前に国家が一度破たんしたからです。
日本は平和ボケをしていて、最近ではSEALDsのように安保法案に反対する学生の運動も起きていますが、それも裏に民主党や共産党の影があり、若者が本当の意味で自立していません。安保法制は戦争法案だ、自分たちは戦争をしたくないというのですが、誰が好んで戦争をしたがるでしょう。自民党も戦争をしたくないからこそ、彼らなりに戦争を回避するために安保法制を成立させたのです。今の日本の世論の現状は、そういった個人の損得の意識の延長線上にあるのです。
先ほど僕はみちよちゃんのコメントを訂正し、物事を正しく考えるには情報を正確に捉える必要があることを話しましたね。これも同じで、実態の伴わない思惑がらみの議論が膨らんでいくと、話が本質からずれていきます。先の大戦を経験した日本は、誰もが戦争をしたくないのが本音です。安倍さんは装備も持ちたくないし戦争もしたくないから、アメリカのポチになっているのです。それを見てプーチン大統領が、日本との北方領土の問題を解決する気にはなれないでしょう。世界の国々の現状は、そういった思惑の中で駆け引きが行われているのです。

みき:
話を聞いていて、個人も国家も同じだなと思った。今は多くの人が自分だけを大事にしたり、自分の国だけを大事にしているけれど、ここでは個よりも全体のために生きることを大切にしている。そうすると、逆に個が活かされていくんだよね。

いさどん:
それは、そういったことがわかった人の論理です。オバマ大統領でもプーチン大統領でもその話を聞けば「そうだね」となりそうなものですが、なりません。それは何故かと言うと、背後にあるたくさんのエゴによって、その人々はその地位を保たれているからです。彼らはエゴの代表になっているのです。それこそが、次の時代につなぐ前の究極の混乱の姿だと思います。
例えばゴルバチョフ元大統領は、国を解体させたということで国内では評判が悪いのですが、彼はその後、自分は自らのやりたいことをやったのではなく、時代の流れに呑まれて思うようにならなかったということを語っていました。今、プーチン大統領もオバマ大統領も一生懸命やっていますが、彼らもまた、それぞれの思惑のようには事は成りません。なぜならロシアやアメリカの体制は終わりを迎える時代の流れの中にあるからです。
それに対して木の花ファミリーの生き方は、小さいけれど新たな時代の受け皿としての芽が出てきたということであり、これから伸びていく流れの中にあります。

ともこ:
さっきの、これからの世界をリードしていくところの中に名前を入れられるね。アメリカ、中国、ロシア、木の花!(笑)

いさどん:
いや、それは入れられません。入れるとしたら「日本」ですね。なぜかと言うと木の花は土俵が違うからです。江戸時代の価値観と今の価値観が違うようなものです。
ロシアのプーチン大統領は「もう1度世界のリーダーの座を取り戻す」と言いました。それはこれまでと同じ価値観の延長線上に「取り戻す」ということで、新しい時代のリーダーになるという意味ではありません。昔を懐かしんで復活させようということですから、それでは古いのです。自分たちもどこかでそれを知っているはずです。

ともこ:
確かに。ただ、アメリカでも日本でも、政治家は国民の欲望を叶えることで支持を得ようとするけれど、プーチン大統領は国民に向けて、「皆さんの不安は承知しているし状況は厳しいが、乗り越えられないものではない」と言って、個々の欲を叶えるよりも団結することを促してたね。

いさどん:
それは国の指導者としては上手な呼びかけです。アメリカや日本のように、国民の欲望を叶えることでゴマをするのではなく、我慢するべきところは我慢をしようと言っているのですから、これが本当の指導者だと思います。

こうちゃん:
でも結局はプーチン大統領の言うことも、厳しい状況を乗り越えたら豊かになりますよという意味が含まれているでしょう。

いさどん:
アメリカでも、世界のリーダーであるために、9.11の後には個々の主張を差し置いて皆で団結しようという機運がありましたね。その他の場面でも、国益にならないことはやめようといって意見を統一するところがアメリカにはあります。
しかし、今の日本にはそういったまとまるという意識がありません。何しろ利益ばかりを考えて国が動いています。マクドナルドに大和魂を売ったようなものです。プーチン大統領は、マクドナルドにロシア魂は売らないと言っています。ロシアは国内のマクドナルドを営業停止にしたり、遺伝子組み換え食品の栽培や輸入を禁じたりして、アメリカの大資本に追随しない選択をしており、それはとても筋が通っています。しかしそれもロシア流の覇権の延長線上にあることで、今はアメリカを見てそれを感じ、その矛盾を突いていますが、ひとたび支配する側になればロシアもアメリカと同じことをやるでしょう。
今のロシアは、新しい時代を切り開くものではありませんが、古い時代を終わらせる力にはなっていくのでしょう。

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みかこ:
文明周期説では800年ごとに東西の文明の盛衰が入れ替わるけど、ロシアは西洋なのか東洋なのかという話があります。

ともこ:

名古屋みたいなものだね。関東なのか関西なのか、どっち!?みたいな(笑)。

いさどん:

ロシアはヨーロッパとアジアの中間だねとみかちゃんと話していました。

みかこ:
ロシアはロシアだというアイデンティティを今は出そうとしているのかな、と。

ともこ:
名古屋は名古屋だ!と(笑)。

みかこ:

歴史をそうやって見ていくと面白い。2000年で東西の盛衰が入れ替わり、今西洋文明は衰退の流れに入っているけれど、下火になったものというのは断末魔の大暴れをするでしょう。西洋は今それをやっているんじゃないかな。2001年に同時多発テロがあって、最後のあがきのような動きが始まったでしょう。
おもしろいのは、冥王星が海王星の軌道の中に入っていたのが1979年から1999年までなの。冥王星は破壊と創造の星だから、それが外に出たところで同時多発テロが始まったという、まさに星の巡りと地上の動きが一致してるんだよ。

いさどん:

ロシアは東洋でも西洋でもなく、今中間的な役割をしています。つまり、イギリスやアメリカが築いてきた古い時代の流れを壊す側でありながら、それを受けてまた同じことをやろうとしている立場だということです。
先日ムルンくんが面白いことを言っていましたね。習近平はあと2年で本領を発揮するだろうと。今は世界の中で確固たる地位を築くためにああいった姿勢を取っていますが、本来彼はとても歴史に関心があり、アジアの精神をいずれ中国に復活させるだろうと言うのです。中国のような歴史的にも複雑な国は、ある程度強引な指導者でないとまとめきれないのです。中国の現状はある意味、共産主義体制の独裁国家ですから、プーチン政権よりもさらに長持ちするかもしれません。アジアがこれからどう様変わりしていくかは、大変おもしろいところです。

次の時代へ進むためには、国家を超えた世界観を持つことです。地球はひとつのコミュニティであるという意識を持たないと、それはできません。「あなたは何人ですか?」と聞くと「日本人です」とか「ロシア人です」という回答は返ってきますが、「地球人です」と答える人はなかなかいないですね。そこが今の人間の限界です。まだ宇宙意識どころか地球意識も持っていません。
1ヶ月間の真学校で提供していくのは、固定された情報ではなく、新たに湧き出してくるものです。どこにも囚われない広い世界観をどんどん提供していくことによって、受講生たちがその刺激を受けて、自らの中にある宇宙観に目覚めていくことを促します。生命である限り、誰の中にもその宇宙観があります。なぜなら我々はその宇宙の中の一部だからです。
そこにチューニングできるかどうか。そのために自らの脳の構造のどの部分に意識を合わせ、使うか、というだけのことなのです。

今日、ケア滞在中のNくんに話をしましたが、病気を改善するためには自らと向き合うことが大切で、まずはそれにふさわしい環境を与えられてアドバイスを受け取りながら進んでいけばいいのです。しかしその次に、どう人生を生きていくかという段階になったら、自立して、自らの意志で考え選択していく必要があります。それをしないと、ここにいる間は病気が良くなっても、環境が変わればまた元へ戻ってしまうのです。
自立して考えるべきだという点では、プーチン大統領の言っていることと一致しています。

あわちゃん:
おもしろいのは、僕たちが今やろうとしている自立というのは、プーチンさんが言う自立とはたぶん違うんじゃないかということ。時代が切り替わる時に、僕たちは今ここで瞬間瞬間次の世界を創り出していて、真の自立というのも、今自分たちが思っているものを手放した結果あるものだから、そういう意味で誰も知らない、新しい自立というのがあるんじゃないか。プーチンさんが言っているのは既存の自立で、間違ってはいないけれど、そのさらに先の世界があるんじゃないかと思うんです。

いさどん:
本当の自立というのは、目覚めた者たちがネットワークしていくことであり、それは実はものすごく古い話です。宇宙が始まって以来、すべてのものが個性を与えられながらネットワークしていくことで宇宙ができてきたのですから。そこには絶対なる中心がいて、絶対なる端っこがいるのですが、そのどちらも平等に主役なのです。
神様が「自分がこの世界の中心だ!」と言っていばったとしても、周りに「そうですね」というものたちがいなければ神様もしょげちゃいますよ。例えば口が「これが俺だ!」といばったとして、じゃあそこで一人でしゃべってなさいと言って口だけ取り出して入れ歯みたいにその辺でしゃべっていてもしょうがないでしょう。(みんな:笑)やはり手があり、足りなくても髪の毛があり(みんな:爆笑)、みんなつながって全体でバランスが取れているから口がしゃべれるのであって、口も全体を代表してしゃべっているのです。つまり全細胞がそう思うから、口が代表してしゃべっているということですよ。その全細胞を意識するということです。そうしたら、足の爪のアカだって、水虫だって、全部同じ気持ちになるんじゃないですか!(みんな:拍手!)

ともこ:
そうだよね。ロシアだってアメリカだって同じ体の一部なんだよね。

いさどん:
そう。いがみ合っていること自体が幼稚なのです。人類が宇宙視点に立つスタートの年は始まっているのですよ!

ようこ:
3日間ここに滞在して今日帰った(アメリカ人の)エリーは、7年間ライム病に苦しんでいたそうです。それが日本に来て、さらに木の花に来たら症状がどんどん改善してきたと言っていました。それだけではなく、ここにいると天からのビジョンがどんどん降りてくる、とも話していました。ロシアやアメリカの話があったけれど、もしここが木の花国という国だったら、ここに来れば人の病は治るわ天からの叡智は降りて来るわで、ある機関からしたらこんなに脅威の存在はないよね。

いさどん:
こういった存在が台頭してくることを脅威に思う機関があったとしても、その機関が時代を止めることはできません。昔ユダヤの民が台頭したのも時代の流れなら、今の動きも時代の流れで、誰も止めることはできないのです。古いものに執着していては、その流れにサッと乗ることはできません。
これまでの世の中をリードしてきた政治でも経済でもテクノロジーでも、どれだけ良い国を創ろうとしてやってきたものであったとしても、時代が変わる時には古くなるのです。それを読み、サッと捨てていく、その潔さが今最も求められています。そういった心を所有しない姿勢が、新たに来る宇宙時代を生きる人類には必要となるのです。