『シリーズ激動の世界』より ③揺れる“超大国”~アメリカはどこへ

時代の転換期を迎え大きく揺れ動く世界の今を描くNHKスペシャル『シリーズ 激動の世界』。第1回『テロと難民~EU共同体の分断』、第2回『大国復活の野望~プーチンの賭け』に続く第3回は『揺れる“超大国”~アメリカはどこへ』。
冷戦崩壊後、「世界の警察官」として国際秩序への関与を続けてきたアメリカ。 しかし、イラクではアメリカがフセイン政権を崩壊させた後混乱が全土に広がって多くの死傷者を出し、内戦が激化するシリアでも対IS戦略に迷走するなど、中東での対応は混迷を極めています。オバマ大統領が「もはやアメリカは世界の警察官ではない」と宣言する一方、「偉大なアメリカを取り戻す」と言って過激な発言を繰り返すドナルド・トランプ氏が次期大統領候補として浮上。世界中にISに共鳴する若者が増え続ける中、アメリカ政府はITを駆使してアメリカの価値観を拡散させる情報戦に乗り出しました。

*番組の内容については下記をご参照ください。
『シリーズ激動の世界』公式ホームページ

 

シリーズ 激動の世界
第3回『揺れる“超大国”~アメリカはどこへ』より

あわちゃん:
最近、日本人女性が書いた片付け術の本が全米1位を獲得したというニュースを観ました。部屋を整頓することによって自分が生き生きするというようなことを書いた本が、1年以上もベストセラーを続けてついに全米1位になったらしく、米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」にその人が選ばれたそうです。だけどその生き生きって、今までの生き生きだなと思うんですよ。昔僕が会社員だったころに目指していたような、その世界の中で勝ち残っていくための生き生き。だけどこれからの時代の生き生きは、確実に今までとは違うものだろうと思うんです。

いさどん:
僕もたまたまその人が紹介されている番組を観ました。アメリカでタレントのようになって講演もしていて、片付けについてですからそれほど難しい内容でもないのでしょうが、その講演に2000人の人が集まるそうです。僕はそれを観ていて、アメリカ人たちがモノをたくさん持ち過ぎて、身動きが取れなくなっていることを感じました。体にしても、世界の中でのアメリカという立場にしても、所有し過ぎてこれからどうしたらいいかわからなくなっているのです。
しばらくの間、アメリカという国が世界の警察であり、正義であり、目指すべき着地点でした。しかしオバマ大統領は、「アメリカはもはや世界の警察官ではない」と言いました。昔は外国に介入することが自分たちの国益になるからこそ、国民も損得勘定でそれを支持していたのですが、ブッシュ大統領に乗せられてイラクに介入し、大変な出費と痛手を被ったのです。そのトラウマから、自分たちの利益にならないことに正義感をかざして他国に介入するのはやめようという気運がアメリカ国内に高まりました。

ともこ:
アメリカにシェール革命が起きて、原油を自給できるようになったことも大きな要因だと言っていたね。もう中東の石油に頼らなくてもよくなった。

いさどん:

アメリカは民主主義の国ですが、そこには落とし穴があります。国民の意識が低いと、その低い意識の人たちも一人一票を持っているわけですから、低い意識によって代表が選ばれるのです。国民が賢ければ優れた人が選ばれますが、国民が愚かであれば愚かな代表が選ばれ、結果的に戦争に走るようなことにもなるのです。
ロシアや中国のように半独裁の国では、民意に反してでもトップの判断でことを推し進めることができます。しかしアメリカのように世論が人々の欲望のままに動いている世界では、その世論の意識レベルの代表が常に選ばれる仕組みなのですから、皆が目指しているものが共通している時はそのまま進んでいくのですが、ひとたびその目指しているものが崩れるとてんでバラバラな社会になっていくのです。それで今アメリカは迷走状態になっています。
アメリカの若い女性が片付け術を知って幸せになりましたとコメントしているのを観ながら、多くのアメリカ国民の意識がそういった低い層にあることを感じました。しかし日本のマスコミは、日本人がアメリカでベストセラーを出して「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたということで騒いでいます。そのニュースを観る日本の国民の多くも「へぇ、すごいね」と言って終わるのかもしれませんが、僕はそうは観ません。アメリカ人の意識はそこにヒットするレベルなのだということが明るみになっただけです。

ともこ:
アメリカの世論調査で、トランプ氏が「尊敬する人物」の1位になってたね。

いさどん:
民主主義は選挙によって代表を選びますね。選挙にはたくさんのお金が必要ですから、立候補する人にはスポンサーがつくことになります。そうすると候補者はスポンサーの意向を無視することができないので、言いたいことが言えなくなります。アメリカは言論の自由を掲げていますが、実は民主主義とは言いたいことが言えるわけではないのです。それが今の世界を支配する民主主義のアメリカという国の現実です。
それに対して、トランプ氏は十分な財力があり、スポンサーに頼らなくてもいいから言いたいことを言うことができます。

bunmeishuukisetsu文明周期説で観ると、今は800年ごとに東西の文明の盛衰が入れ替わるちょうど切り替えの時です。その切り替えの時には必ず民族の大移動が起きており、現に今も中東からヨーロッパにたくさんの人が移動しています。およそ800年前に、イスラム文明(東洋)が栄えていた地に十字軍がやってきてキリスト教(西洋)の支配が始まりました。それが今まさに入れ替わりの時に来ており、これからイスラム教が栄えていくのか仏教が台頭してくるのかはわかりませんが、それに対して抵抗しているアメリカ的、白人的危機感があります。
アメリカは多民族国家と言われていますが、中心となって国を動かしているのは白人です。これまでのアメリカは、自国の利益のためにベトナムやイラクなど多くの場所で戦争を起こし、たくさんの人を殺してきました。そのアメリカの本音、実態がトランプ氏の発言に現れているのです。アメリカは、自らが世界のNo.1であるという余裕の上に、意識の高い優れた国であるかのように見せてきましたが、資本主義が脅かされて自らの利益に影響するとなるとあからさまに戦争でも何でも起こし、自国の権益を守ってきました。そこにアメリカの本質が観えはしませんか。
アメリカ人の中には、紳士であろうとする心と、その紳士の仮面の奥に自分たちがNo.1でなければ許さないという心があります。そこにトランプ氏が登場しました。彼がなぜ支持されるのかというと、アメリカ人が表に出さない本音の部分を語っているからです。
世論調査では、回答者の名前は表に出ません。そうすると、人々はそこでは本音を出せるのです。選挙も同じですね。記名するわけではありませんから、自分が誰に投票したかは他の人にはわかりません。トランプ氏が「尊敬する人物」だというのは、ある意味、アメリカの白人の本音の一端だと言えます。

ひろっち:
本音を代弁しているからこそ、めちゃくちゃなことを言っていても支持される。

いさどん:
そうです。アメリカの光と影が今、表に出てきたのです。トランプ氏はわかりやすいでしょう。
オバマ大統領はとても平和的な大統領として登場し、核をなくすと言っていましたが、実際には核はなくなっていません。それはなぜかと言うと、アメリカ国民全体の意志がそれを望んでいないからです。その代表の立場に立った時に、国民も、自らの背後にいるスポンサーも、本音ではそんなことは望んでいないので、それを実行できるわけがないのです。当選した時には平和的な大統領であったはずが、アメリカのつくってきた世界での立場や国民の意識の実態が観えてくると、結局は前の政権を受け継いで戦争を継続することになりました。
そこにスポンサーを持たず言いたいことが言えるトランプ氏が登場し、支持を集めました。彼は選挙でも善戦するでしょう。しかし、アメリカ人には利益よりもメンツを大事にするところがあります。ですから自分の本音を代弁してくれるトランプ氏のことは支持しても、いざ彼が大統領になったらとても品の悪い大統領としてアメリカの恥になりますから、最終的には彼を大統領として当選させることはないでしょう。もしも彼が大統領になったらアメリカの威信は失墜するということはわかっているでしょうから。

しかし、アメリカ人の本音を引き出したのはトランプ氏が初めてです。ですから今はアメリカ人の本質が観えているのです。周囲はトランプ氏の発言を彼の個性だとしていますが、彼は国民の本音を引き出しただけですよ。彼は時代を象徴しており、あれだけ極端な発言を繰り返しながらもここまで支持を集めているということは、白人の奥に隠されていた一面が現れているということです。これまでアメリカが世界の警察官だと言ってきたこと自体がまやかしであり、それが暴かれてきたということです。

では世界は次にどんなリーダーを求めるのか、どんな社会を求めるのかというと、今はそれが観えません。そこに便乗してプーチン大統領のロシアが台頭してきたり、中国が動き始めています。しかしそのどの国も、次の時代をリードすることはできないでしょう。番組内ではアメリカ、ロシア、中国が世界のトップリーグで競うようになると言っていましたが、冷戦の時に二極化していたものが三極になり、さらに多極化して混乱がますますひどくなることでしょう。片付け術の話と同じように、世の中が迷っているのです。
誰かを悪者にして「あいつが悪いんだ」と言っているうちはいいのです。しかしいざその「あいつ」が転落すると、あいつがいるから「あいつが悪いんだ」と言えていたのに、悪者がいなくなってしまったらいったい誰を悪者にしたらいいのだろう、悪いのは誰なのだろう、ということになります。そして結局は、みんな悪者だったというところに落ち着くかも。

みかこ:
そこは大事なポイントだよね。スケープゴートが必要なんだよ。

ともこ:
ある意味、アメリカという国は人類のカルマを引き受けているんだね。

いさどん:
そうですね。アメリカという国は上行菩薩の役割を果たしているとも言えます。
実はヒトラーも霊的には上行菩薩なのですよ。これはとても深い話です。アメリカもヒトラーも、他にその役割を代わって行える者がいないことを成し遂げたのです。その結果、社会は極端なところに行きつき、そこから自らの存在の可能性を知ることになるのです。
例えば安倍首相は自らの野心の上に一生懸命国を良くしようとしていますが、そこには国民にうけようとする心があります。ヒトラーは、国民にうけようとしたというよりも、自らの妄想の中に国民を巻き込んだのです。実際、戦争が終わった時に国民は自国が行ってきたことの実態を見て驚いているでしょう。ヒトラーは死を迎えた時に、難しい役割だったけれど何とかその役割を果たしたと思いながら旅立ったのではないかと僕は想像します。それに対してアメリカ国民も、アメリカ的価値観が終焉を迎えつつある今、その価値観の奥に秘められた負の部分を知ることになるのです。

民主主義は、一番支持を得た人がトップに立ちます。そしてそれが正義となります。マスコミもまた、多くの人にうけるような内容を報道します。その方が支持をされ、お金になるからです。自分でものを考えない人が増えればその方が簡単ですね。流した情報をそのまま信じてくれるのですから。かと言って、何でも疑って情報をねじって捉えるのが良いわけでもないですね。どのような情報であっても、時代を読んでいれば、たとえその情報が歪んでいようとも、その奥にある真実が観えるものです。

みかこ:
嘘と誠が混同されて報道されていく。そこに惑わされずに日々を淡々と過ごし、自分のやるべきことをやっていくということだと思う。こういった番組を観るのは、その視点を持つためのトレーニングになるね。

りょうちん:
イギリスのギャロップ社の世論調査によると、シリア国民の82%が「イスラム国はアメリカと外国が支援して作った組織である」と回答し、「外国人の勢力の介入が内戦を悪化させた」と回答した人が79%、アサド政権を支持する人が79%います。アメリカはアサド政権を悪者にして反政府軍を支援していますが、シリア国民からすると余計なことをしてくれていると思っているのではないでしょうか。番組では、アメリカ軍が中東から撤退して力の空白ができたことでISが生まれたかのように言われていましたが、そもそもテロリストを作っているのは誰なのか。そこに力の流れを感じます。

いさどん:
情報を受けて、思考がその情報に限定される必要はありません。こういった番組を観ても、番組が提供してくれた情報にただ反応するのではなく、その情報の奥にこれまで自分が捉えてきたこととは違う何かを感じ取り、そこに時代の流れを読み取った時、人は一歩成長します。情報を自分の知識として取り入れて満足したり、それが正しいと固定して捉えていては、今までの教育と同じです。今までの教育というのは、情報を受けて、どれだけそれを身に付けたかによって人の優劣が決まってきました。しかし本当は、その情報の奥の奥にあるものを見出して、智慧がその本質を読み解くことが大事なのです。それは菩薩の精神です。
近年の人類は、何かを企む心から現象の奥を見るということはあっても、多くはものごとを表面的に見て対応をしてきただけでした。しかし、現象の奥を観る客観的視点の、そのさらに奥を観る視点があるのです。

こういった映像を観ても、日本の多くの人は自分とは直接関係のない外国の出来事だと捉えるのではないでしょうか。しかしアメリカが起こす戦争の影には、それを支援する日本のお金や体制があります。我々が銀行に預けているお金がどこかの戦争の資金として運用されているということにも、多くの人が無自覚です。
今の映像を観て、観客になっていませんか。すべては自分に責任があるのですよ。自分はあの真っただ中にいる、それでいいのかと自問し、たとえ小さくとも明日からの自分の一歩が変われば、世界が変わっていくのです。
人としてこの時代に生まれてきて、どう生きていくのかは一人ひとりに責任があります。そこに気付き、一人ひとりが目覚めていくと、今世の中を操っている人たちがだんだん操りにくくなる社会ができていきます。逆に言うと、今は多くの人がスマホで馬鹿になり、インターネットで馬鹿になり、極端なことを言えば高学歴で馬鹿になっています。幸せや成功の価値観がすべて一方通行なのです。
本来、この世界はもっと多様であるべきです。日本はアメリカ的価値観に乗って一歩通行に歩んできましたが、今それがどういった企みの延長線上にあったかということが明るみに出てきています。自国の利益のために突き進んできたアメリカという国に加担して今の日本があるとしたら、私たちはここからどう進んでいくべきなのでしょうか。

りょうちん:
民主主義は国民に主権があると言いながら、国民に情報を与えず馬鹿にして操作する。それって選択させているようでいて、実際は選択なんてできていない。

いさどん:
人間の欲望を刺激し、利用して、支配するための体制とも言えますね。しかし、例えば北朝鮮が先日水爆実験をしたという時に北朝鮮の国民にインタビューをしたら、水爆実験は北朝鮮が世界で初めて行ったと言っていました。そのくらいあの国の国民には情報が届いていないのです。
民主主義の社会では、膨大な情報を国民は手に入れることができます。しかしその社会の人々は、その情報を正しくこなしているとは言えません。ある意味、その姿は欲望の虜になっているようなものです。それは、共産主義の理想社会を描く人から見ればとても乱れた自堕落な世界に映るでしょうね。そして今、世界中の人々が(共産主義、社会主義を問わず)その欲望を求めることに走っているのです。

ともこ:
アラブ諸国の民主化を「アラブの春」って言うでしょう。いかにもアラブにいいことが来たかのような表現だけど、実際はアラブの反欧米的な政権を倒すためにアメリカを始めとする欧米諸国が反乱を煽っていて、結果的にアラブ諸国にすごい混乱が起きたね。

いさどん:
「アラブの春」とは欧米が命名したもので、人々の欲望を抑えていたものが反乱によって壊されたということです。アメリカはアラブの春に期待していましたが、結局は民主化が定着したのはチュニジアだけでした。アメリカはアラブに「アメリカ的民主国家」を作ろうとしました。その方がアメリカの国益になるし、世界の皆さんもその方がいいでしょう、ということをアメリカは言っているのです。
しかし番組の中でも、「アメリカ的価値観を押し付けるのをもうやめなければいけない」ということが言われていましたね。アメリカは自由に発言ができて、何でも自由に手に入れることができて、地球上の人が皆アメリカ的価値観になれば幸せになれるとでも言うようにその価値観を広げてきましたが、現実のアメリカ社会を観てください。あんなにも貧富の差が生まれ、片付け術が大流行するほどモノがあふれています。地球上の人がすべてアメリカ人のような生き方をしたら地球が5.4個必要になると言われるほど、地球に負荷をかける生き方なのです。そういった答えが既に出ているのに、まだアメリカ的価値観を広めようとしています。そしてその価値観しか知らずに、自らの欲望に縛られている人々が世の中にたくさんいます。これからの時代は、その価値観から人々を解放する必要があるのです。
人々が自らの欲望から解放された時、我々はがんじがらめに縛られて生きているということが観えてきます。何に縛られているのかと言うと、過去から未来へ一方通行に流れる「時」に。そして生命としての自らの存在に。生命は水がなければ生きていけません。空気がなければ生きていけません。食べ物がなければ生きていけません。そして雄と雌がいてコミュニケーションを成立させなければ、種を存続することができないのです。
そういった無限な要素の連携があって初めて、私たちは命を健全に保つことができるのです。そこに、自我に囚われた意識で生きるということは、そういったこの世界の成立する根本体系から外れることになるのです。

自我の囚われから解放されると、我々はがんじがらめの世界で生きているということがわかります。そのがんじがらめの中にありながら、実はとても豊かで無限の世界にいるということがわかるのです。
民主主義であっても、共産主義であっても、それは人間が人間のために創った制度です。そこに自然や宇宙の法則は含まれていません。しかし、私たちの生きる地球や太陽系や宇宙の仕組みは、人間に関係なくすべて先にできていて、後から人間がそれに合わせて出てきたのですよ。そうしたら、人間がそこに合わせ、そことの整合性を取りながら社会を創っていけば、それは法則に沿ったものになりますから無理が生じません。そこでは人間の中の「自分が」という自我の心を優先する必要はないのです。それは人間が自我の境地を超えて、この世界を生きるとはどういうことなのかを悟るということです。

この番組はEU、ロシア、アメリカを取り上げた3回シリーズですが、番組を観ていて何か感じませんか?
文明周期説から観ても、太陽の螺旋運動の25800年の周期から観ても、冥王星が太陽の周りを1周する248年の周期から観ても、現代はいくつものターニングポイントを迎えています。我々はそのサイクルを知っているからこそ、今、イギリスに始まりアメリカによって拡大された価値観の賞味期限が切れようとしていることも、当然の時代の流れとして捉えることができます。

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しかし、番組に出て来る評論家たちにはそういった視点がないので、この問題をどう解決したらいいのか、これからアメリカはどういった行動をとるべきなのか、という議論に終始しています。アメリカは行動をとらなくていいのですよ。このまま収縮していくのが時代の流れなのですから。そして、収縮しても国がなくなるわけではありません。もしもアメリカという国に謙虚さが生まれたら、大変優れた国になるでしょう。傲慢だったから今のような状況になったのです。
ですから、今はアメリカにとってチャンスでもあるのですよ。そのチャンスを生かすには、今所有しているものを捨てることですが、今のアメリカはそれができず、過去の栄光を手放せずにいます。肥満になった人がなかなかスリムになれないようなものですね。だから片付け術が流行るのです。
しかし、時代は常に変化し続けています。ある時に正義だったものがある時には悪になり、そしてまた正義になるというように切り替わっていくのです。そして時代は人類が創っているのではありません。すべては宇宙の法則のままに、我々人類は時代の意志を請け負い、地球上に生まれ、表現しているだけなのです。そこに目覚めた時、人類はもうひとつ大きな視点に立つことができます。
そう言うと、「自分の考えを捨てなければいけないのですか?」と言う人がいますが、捨てていいのですよ。それを捨てて、もっと大きな、広い、高い意識にシフトし、それを自らの考えとして生きていけばいいのです。この世界を運営している法則のもとに自分たちがあり続けるということが理解できた時に初めて、地球生態系ネットワークを傷付けない、この世界の盟主としての人類の姿があるのです。

アメリカはひとつの時代を担った、それだけの大きなキャパを持つ国です。しかし大きなものが調子に乗ってさらに大きくなりすぎて、肥満大国になり、身動きが取れなくなってきました。冷戦時代に二つに分かれていた正義が、ソ連の崩壊によって一方が崩れアメリカが全面的に世界の正義の立場に立つこととなりましたが、アメリカ国民もどこかで自分たちの中に嘘があることを知っていたのではないでしょうか。それでも、自分たちが正義でありNo.1であるということに慣れてしまい、そこから外れることが許せないのです。
しかしいよいよ、その囚われから外れないとやっていけない時代が来ました。それはアメリカにとってチャンスですが、そのチャンスを活かさなければ、肥満からさらに生活習慣病の老人のようになってしまうことでしょう。ここまで世界に影響を及ぼすほど拡大したアメリカの意識を、自らのキャパの大きさを活かして本当に見直した時、アメリカは真に優れた国になれるのです。

そこで日本も、アメリカのポチのような立場から自立して、日本人が本来取るべき立場を取る時が来ています。しかし現状を観ると、国民がアベノミクスにつられて自民党に大量の議席数を与えた結果、安保法制が可決されました。国民の意思が反映されるのが民主主義だと言いますが、世論調査では安保法制に反対する人の方が多いのに、その法律が成立したのです。
安倍さんは、国民は今は嫌だと言っているけれど、実際にそれを進めていけばきっとそれが必要なことを理解する時が来ると言っています。それは、国民は愚かだから、この国を守ることの大事さをよくわからないのだと言っているようなものです。そして、そのうちに慣らされていくだろうということです。そんな安倍さんに代わる人材が今の日本にいるかと言うと、そういった人材は残念ながら見当たりませんね。
アメリカの大統領候補を見てください。やはり国を託せるような人材はいないでしょう。では世界にリーダーシップを取れる人材がいるかというと、やはり見当たりませんね。世界にリーダー不在の時代が訪れたのです。リーダーが不在だということは、庶民の目覚めの時代が来たということです。

今の世界情勢を観て憂鬱に思えることがありますが、憂鬱になるのはものごとを所有しているからです。宇宙の法則のもとに、時代は連綿と進化し続けています。今世界で起きていることは人類がやっているのではなく、星と星との関係によって時代が刻まれ、それが地球上の現象となって表現されているのであり、その中で私たちは、その宇宙劇場の役者なのです。
そんなふうにこの世界を捉えたら、今地球上で起きていることもすべて、「これは悲惨なことだ」というように感情に訴えて見るのではなく、客観的に捉えることができるはずです。そしてその宇宙物語の中での自らの立ち位置を知り、それにふさわしい役割を果たしていくことができるようになるのです。
もっとも、みんながそうなってしまったらつまらない世界かもしれないですね。わからない人々がいるからこそ、この世界はダイナミックなのですから。

時代はいくつものターニングポイントを迎え、いよいよ世の中が根底からひっくり返る時が来ています。ですから、今はそこから離れて全容を捉える視点が必要です。そうでなければ、自らも一緒にひっくり返ることでしょう。
これからの時代に求められるのは、今の世の中に通用している人材ではなく、まったく新しい価値観を持って次の時代を生きる人です。次の時代を生きるとは、近年人々が築いてきたモノカネに支えられた物理的豊かさや科学的真理を超えて、その奥にある価値観を捉えていくということであり、そのためには、自らの自我の囚われから二歩外に出ることです。客観的視点の奥にある時代の意志を受け取り、自我を超えて生きていくことです。

新しい価値観に人間がシフトすると、今の時代とは全く真逆の世界がそこに顕れるのです。

 

 


『シリーズ激動の世界』より ②大国復活の野望~プーチンの賭け

時代の転換期を迎え大きく揺れ動く世界の今を描くNHKスペシャル『シリーズ 激動の世界』。第1回『テロと難民~EU共同体の分断』に続いて、第2回『大国復活の野望~プーチンの賭け』を大人ミーティングで観ました。
一昨年クリミアを併合し、世界に衝撃を与えたロシア。プーチン大統領の強いリーダーシップのもと、混迷が続きアメリカが行き詰ったシリア情勢でも大規模な空爆に踏み切るなど、欧米とは一線を画した路線で存在感を際立たせています。ヨーロッパに自立を呼びかけ、アジアや中東で台頭する地域の大国とも連携して新たな国際秩序をつくり出そうとするロシアの今を描く番組から、何が観えるのか。ミーティングで話し合いが始まりました。

*番組の内容については下記をご参照ください。
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シリーズ 激動の世界
第2回『大国復活の野望~プーチンの賭け』より

いさどん:
これまでは、アメリカの思惑の上に世の中が動いてきました。ある意味、世界を資本主義の麻薬漬けにしてきたようなものです。ロシアは、それに待ったをかける役割を果たしているとも言えます。
プーチン大統領は、やはりロシアはロシアらしく生きるべきであり、アメリカにマインドコントロールされて使われているようではダメだと言っており、それはとても筋が通っています。ではロシアが世界を次の時代へと導くかと言うと、そうではないですね。ロシアは、アメリカのこれまでのやり方が世界に様々な問題をもたらしたと言って対抗していますが、その問題に対する解決策を提示しているかというと、ロシアもまたアメリカと同じように、今までの時代の延長にことを考えているのです。
今のロシアは共産主義から離れて、ナショナリズムが台頭してきています。

みちよ:
プーチン大統領はヨーロッパに対して、アメリカから自立するべきだと呼びかけていました。フランスなどで極右政党が台頭してきたのも、そういった流れの中にあると思います。

いさどん:

そんなに簡単に物事をくっつけて考えてはいけませんよ。昨日観た第1回(『テロと難民~EU共同体の分断』)にあったように、フランスで極右政党が台頭してきたり、ドイツで極右でもない人が移民を排斥しようとしている動きがありますが、その流れとロシアの流れが一致しているかどうかはわかりません。フランスの極右政党とロシアは互いのニーズが合って近付いたかもしれませんが、では同じ流れにあるのかと言ったら、それぞれに思惑があってお互いを利用しようとしているだけのことで、フランスでの極右政党の台頭がロシアと絡んでいるとは限らないのです。
物事を正しく考えるためには、まず情報を正確に捉える必要があります。安易な発言をして、ものを考えない人たちがそれを聞くと、間違った情報でもそれがそのまま事実となっておかしな方向へ進んでしまうのです。ですから自分の発言の内容を吟味しなければいけません。

ソビエト崩壊後、アメリカの影響で市場経済化を進めたロシアは一時期大混乱に陥りました。番組には、プーチン大統領を支援する「謎の実業家」という人物が登場しますが、当初はアメリカの自由な民主主義に大きな魅力を感じていたその実業家も、厳しい現実を目の当たりにして、結局アメリカは自分たちの利益のためにロシアを利用したのだと失望したと語っていました。そういった背景があって今の彼の行動につながっているわけですが、この番組では彼は悪者のように描かれています。そもそも『大国復活の野望』というタイトル自体が、すでに西側の視点に偏っていますね。
しかし、タイトルは西側寄りでも内容はそうとは限りません。ロシア側の世界観から見た正当性も引き出されており、自分をフリーな状態にして世界を観るには貴重な資料となる番組です。西側の視点から今のロシアを見れば、まるで破壊者が現れたようにも捉えられるのでしょうが、ロシア側からしてみれば、ソビエト時代からずっと今に至る歴史の中でアメリカはまったくロシアのためにならないということがわかり、自分たちは自分たちのやるべきことをやるのだと気付いて今の状態があるのです。

あわちゃん:
世の中にたくさんの情報があって、それぞれの情報がどこから来ているのかもわからない中で、捉え方はいろいろあると思うんですけど、やっぱり広い視点に出会うとワクワクします。今のロシアも、広い視点で観たら役割を果たしているんだなと思うんです。時代がターニングポイントを迎える中でアメリカの力が弱まってきて、その中でロシアという国が台頭してきて、混沌としていくのが今の時代の流れなのかな、と。そう思うと、プーチンさんが言うこともこれまでの時代の価値観の延長で、混沌とすればするほど、次の時代に向けて目覚めようとする力が強まっていくのだろうし、すべてはそこに向かう過程なのだろうと思います。そんなふうに捉えるとすごくおもしろい。

ともこ:
例えばキューバのカストロ議長やベネズエラのチャベス大統領、シリアのアサド政権やイラクのフセイン政権など、アメリカに対抗するものは常にネガティブに描かれる一方的な視点が、日本のマスコミのベースになっているよね。ただ、それって一方的な価値観だよねと言うだけでは、それもまた一方の価値観に対するアンチ的な発言でしかなくて、大事なのは、そういったものもすべて含めてもっと長いスパンで歴史を追って時代の流れを観て、自分たちの立ち位置を知ることだと思う。中国やロシアが「かつてここは自分たちの領土だった」と言うのも、自分という立場から短いスパンで区切って都合のいいように歴史を捉えているわけで、もっと大きな流れから捉える視点が今の世の中に欠けている。

いさどん:
今、世界中が混乱の極みを迎えています。人々は自分たちのアイデンティティがどうのと言って争っていますが、アイデンティティというのは個々が自分に執着している時に生まれるものであって、では地球人のアイデンティティはどこにあるのか、ということをこれからは考えていくべきでしょう。国家や個人という狭いものを基準にするから、今のような状態になるのですよ。
この番組に限らず、昨年は戦後70年ということで歴史を振り返る様々な番組がありましたが、多くが西側寄りの視点で描かれています。いくら安倍首相を批判していても、やはりその視点も西側寄りなのです。その視点を突破しない限り、こういった報道が問題の解決のきっかけになることはできないのです。

今の社会の体制は、イギリス産業革命以降の250年間の価値観がベースになっています。しかし2012年12月21日に銀河の冬至を迎え、25800年ぶりのターニングポイントを迎えたということは、これまでとはまったく違う価値観を、時代は人類に求めているのです。
ロシアは、ソビエト連邦を崩壊させました。共産主義から発展した社会主義の崩壊です。それは共産主義や社会主義が悪いのではなく、それをリードした指導者たちの官僚体制の腐敗であったり、そこを構成した民衆が未熟であったということに原因があります。一人ひとりの人間の質を上げずに制度だけを重視しては、結局はその制度自体が、民衆一人ひとりの質の低さによって壊れていくのです。そしてそれは順番に起きているだけのことで、共産主義が崩壊したら、今度は民主主義に同じことが起きています。
アメリカという国は自由と物理的豊かさを正義として人々の欲をくすぐり、追随させてきましたが、その賞味期限も今、切れようとしています。もしくは宇宙的には、すでにアメリカの賞味期限は切れています。それなのに、なぜまだその偏った価値観を維持し続けようとするのでしょう。

番組では、これからは世界一の軍事力と経済力を持つアメリカと、同じく軍事力と経済力を持つ中国、そして経済力はないけれど軍備は整っているロシアの3つの大国が競い合うことになるだろうと予想されていました。ロシアはアメリカと違い、議会の承認を得なくても即対応ができる決断力があり、お金がなくてもどこか魅力があるでしょう。民族主義が台頭してくると、お金の損得勘定は抜きになってくるのです。それが今のロシアの国の体制です。
ただ、プーチン大統領はアメリカに対抗して今の立場を取っていますが、逆に言うと、プーチン大統領もアメリカと同じように力でリーダシップを取るこれまでのやり方で、強いロシアになろうとしています。しかし、これからはそういった軍事力や経済力などの力で世界をリードする国は、いらないのです。

こうちゃん:
どの国も軍事力や経済力などの力を持っていることが大国の条件になっている。力で世界を支配しようとするのが今の世の中だけど、平和は力の駆け引きで実現するものじゃなくて、視点をもうひとつ上にあげることでもたらされるものでしょう。

いさどん:
戦後に生まれた新たな秩序は、70年前の大戦の結果もたらされた力によって構築されたものでした。今はそれを卒業できるかどうかという時です。それを現代人の視点から単純に考えると、不可能にも思えます。なぜかと言うと、新たな価値観に出会った時に、例えば30年間生きてきた人なら「今まで30年間生きてきてそんなことはなかったじゃないか」と思うものです。60年生きてきた人なら「60年生きてきてそんなことはなかった」と思うのです。
しかしその視点は、あまりにもスケールが小さなものです。太陽が2億2600万年をかけて銀河の中心を周りながら約9000回の螺旋を描く、そのたった1螺旋の25800年から観ても、60年の人生などほんの最近のことなのですよ。そういったことを理解することが、世界観を広げ、時代を読み解く力を身に付けることとなるのです。

2月14日から「1ヶ月間の真学校」が始まります。そこで受講生たちに何を伝えるかというと、新しい秩序です。真学校を受ける人々は、今の社会の秩序に対して何らかの疑問を感じています。疑問を感じながらその秩序の中で生きようとしても、心の中はずっともやもやし続けるのです。その時に、すべてをひっくり返すような、「ああこれだ!」という青天の霹靂のような視点に出会って初めて、本当に晴れ晴れと胸を張って毎日を生きられるようになります。そして真学校を受講した人々がそういったものを得て、卒業後もその延長線上に生きることが、世直しとなっていくのです。

しゅうご:
僕ら若い世代が次の時代を創っていくのが大事だということを強く感じてます。そして次の子どもたちにつないでいくんだ、と。

いさどん:
番組でロシアの大学生が話し合っていましたね。どういう基準で選ばれた学生たちかはわかりませんが、少なくともあの番組に出ていた学生たちには、国家というものに対する意識が強くありました。それは、少し前に国家が一度破たんしたからです。
日本は平和ボケをしていて、最近ではSEALDsのように安保法案に反対する学生の運動も起きていますが、それも裏に民主党や共産党の影があり、若者が本当の意味で自立していません。安保法制は戦争法案だ、自分たちは戦争をしたくないというのですが、誰が好んで戦争をしたがるでしょう。自民党も戦争をしたくないからこそ、彼らなりに戦争を回避するために安保法制を成立させたのです。今の日本の世論の現状は、そういった個人の損得の意識の延長線上にあるのです。
先ほど僕はみちよちゃんのコメントを訂正し、物事を正しく考えるには情報を正確に捉える必要があることを話しましたね。これも同じで、実態の伴わない思惑がらみの議論が膨らんでいくと、話が本質からずれていきます。先の大戦を経験した日本は、誰もが戦争をしたくないのが本音です。安倍さんは装備も持ちたくないし戦争もしたくないから、アメリカのポチになっているのです。それを見てプーチン大統領が、日本との北方領土の問題を解決する気にはなれないでしょう。世界の国々の現状は、そういった思惑の中で駆け引きが行われているのです。

みき:
話を聞いていて、個人も国家も同じだなと思った。今は多くの人が自分だけを大事にしたり、自分の国だけを大事にしているけれど、ここでは個よりも全体のために生きることを大切にしている。そうすると、逆に個が活かされていくんだよね。

いさどん:
それは、そういったことがわかった人の論理です。オバマ大統領でもプーチン大統領でもその話を聞けば「そうだね」となりそうなものですが、なりません。それは何故かと言うと、背後にあるたくさんのエゴによって、その人々はその地位を保たれているからです。彼らはエゴの代表になっているのです。それこそが、次の時代につなぐ前の究極の混乱の姿だと思います。
例えばゴルバチョフ元大統領は、国を解体させたということで国内では評判が悪いのですが、彼はその後、自分は自らのやりたいことをやったのではなく、時代の流れに呑まれて思うようにならなかったということを語っていました。今、プーチン大統領もオバマ大統領も一生懸命やっていますが、彼らもまた、それぞれの思惑のようには事は成りません。なぜならロシアやアメリカの体制は終わりを迎える時代の流れの中にあるからです。
それに対して木の花ファミリーの生き方は、小さいけれど新たな時代の受け皿としての芽が出てきたということであり、これから伸びていく流れの中にあります。

ともこ:
さっきの、これからの世界をリードしていくところの中に名前を入れられるね。アメリカ、中国、ロシア、木の花!(笑)

いさどん:
いや、それは入れられません。入れるとしたら「日本」ですね。なぜかと言うと木の花は土俵が違うからです。江戸時代の価値観と今の価値観が違うようなものです。
ロシアのプーチン大統領は「もう1度世界のリーダーの座を取り戻す」と言いました。それはこれまでと同じ価値観の延長線上に「取り戻す」ということで、新しい時代のリーダーになるという意味ではありません。昔を懐かしんで復活させようということですから、それでは古いのです。自分たちもどこかでそれを知っているはずです。

ともこ:
確かに。ただ、アメリカでも日本でも、政治家は国民の欲望を叶えることで支持を得ようとするけれど、プーチン大統領は国民に向けて、「皆さんの不安は承知しているし状況は厳しいが、乗り越えられないものではない」と言って、個々の欲を叶えるよりも団結することを促してたね。

いさどん:
それは国の指導者としては上手な呼びかけです。アメリカや日本のように、国民の欲望を叶えることでゴマをするのではなく、我慢するべきところは我慢をしようと言っているのですから、これが本当の指導者だと思います。

こうちゃん:
でも結局はプーチン大統領の言うことも、厳しい状況を乗り越えたら豊かになりますよという意味が含まれているでしょう。

いさどん:
アメリカでも、世界のリーダーであるために、9.11の後には個々の主張を差し置いて皆で団結しようという機運がありましたね。その他の場面でも、国益にならないことはやめようといって意見を統一するところがアメリカにはあります。
しかし、今の日本にはそういったまとまるという意識がありません。何しろ利益ばかりを考えて国が動いています。マクドナルドに大和魂を売ったようなものです。プーチン大統領は、マクドナルドにロシア魂は売らないと言っています。ロシアは国内のマクドナルドを営業停止にしたり、遺伝子組み換え食品の栽培や輸入を禁じたりして、アメリカの大資本に追随しない選択をしており、それはとても筋が通っています。しかしそれもロシア流の覇権の延長線上にあることで、今はアメリカを見てそれを感じ、その矛盾を突いていますが、ひとたび支配する側になればロシアもアメリカと同じことをやるでしょう。
今のロシアは、新しい時代を切り開くものではありませんが、古い時代を終わらせる力にはなっていくのでしょう。

bunmeishuukisetsu

みかこ:
文明周期説では800年ごとに東西の文明の盛衰が入れ替わるけど、ロシアは西洋なのか東洋なのかという話があります。

ともこ:

名古屋みたいなものだね。関東なのか関西なのか、どっち!?みたいな(笑)。

いさどん:

ロシアはヨーロッパとアジアの中間だねとみかちゃんと話していました。

みかこ:
ロシアはロシアだというアイデンティティを今は出そうとしているのかな、と。

ともこ:
名古屋は名古屋だ!と(笑)。

みかこ:

歴史をそうやって見ていくと面白い。2000年で東西の盛衰が入れ替わり、今西洋文明は衰退の流れに入っているけれど、下火になったものというのは断末魔の大暴れをするでしょう。西洋は今それをやっているんじゃないかな。2001年に同時多発テロがあって、最後のあがきのような動きが始まったでしょう。
おもしろいのは、冥王星が海王星の軌道の中に入っていたのが1979年から1999年までなの。冥王星は破壊と創造の星だから、それが外に出たところで同時多発テロが始まったという、まさに星の巡りと地上の動きが一致してるんだよ。

いさどん:

ロシアは東洋でも西洋でもなく、今中間的な役割をしています。つまり、イギリスやアメリカが築いてきた古い時代の流れを壊す側でありながら、それを受けてまた同じことをやろうとしている立場だということです。
先日ムルンくんが面白いことを言っていましたね。習近平はあと2年で本領を発揮するだろうと。今は世界の中で確固たる地位を築くためにああいった姿勢を取っていますが、本来彼はとても歴史に関心があり、アジアの精神をいずれ中国に復活させるだろうと言うのです。中国のような歴史的にも複雑な国は、ある程度強引な指導者でないとまとめきれないのです。中国の現状はある意味、共産主義体制の独裁国家ですから、プーチン政権よりもさらに長持ちするかもしれません。アジアがこれからどう様変わりしていくかは、大変おもしろいところです。

次の時代へ進むためには、国家を超えた世界観を持つことです。地球はひとつのコミュニティであるという意識を持たないと、それはできません。「あなたは何人ですか?」と聞くと「日本人です」とか「ロシア人です」という回答は返ってきますが、「地球人です」と答える人はなかなかいないですね。そこが今の人間の限界です。まだ宇宙意識どころか地球意識も持っていません。
1ヶ月間の真学校で提供していくのは、固定された情報ではなく、新たに湧き出してくるものです。どこにも囚われない広い世界観をどんどん提供していくことによって、受講生たちがその刺激を受けて、自らの中にある宇宙観に目覚めていくことを促します。生命である限り、誰の中にもその宇宙観があります。なぜなら我々はその宇宙の中の一部だからです。
そこにチューニングできるかどうか。そのために自らの脳の構造のどの部分に意識を合わせ、使うか、というだけのことなのです。

今日、ケア滞在中のNくんに話をしましたが、病気を改善するためには自らと向き合うことが大切で、まずはそれにふさわしい環境を与えられてアドバイスを受け取りながら進んでいけばいいのです。しかしその次に、どう人生を生きていくかという段階になったら、自立して、自らの意志で考え選択していく必要があります。それをしないと、ここにいる間は病気が良くなっても、環境が変わればまた元へ戻ってしまうのです。
自立して考えるべきだという点では、プーチン大統領の言っていることと一致しています。

あわちゃん:
おもしろいのは、僕たちが今やろうとしている自立というのは、プーチンさんが言う自立とはたぶん違うんじゃないかということ。時代が切り替わる時に、僕たちは今ここで瞬間瞬間次の世界を創り出していて、真の自立というのも、今自分たちが思っているものを手放した結果あるものだから、そういう意味で誰も知らない、新しい自立というのがあるんじゃないか。プーチンさんが言っているのは既存の自立で、間違ってはいないけれど、そのさらに先の世界があるんじゃないかと思うんです。

いさどん:
本当の自立というのは、目覚めた者たちがネットワークしていくことであり、それは実はものすごく古い話です。宇宙が始まって以来、すべてのものが個性を与えられながらネットワークしていくことで宇宙ができてきたのですから。そこには絶対なる中心がいて、絶対なる端っこがいるのですが、そのどちらも平等に主役なのです。
神様が「自分がこの世界の中心だ!」と言っていばったとしても、周りに「そうですね」というものたちがいなければ神様もしょげちゃいますよ。例えば口が「これが俺だ!」といばったとして、じゃあそこで一人でしゃべってなさいと言って口だけ取り出して入れ歯みたいにその辺でしゃべっていてもしょうがないでしょう。(みんな:笑)やはり手があり、足りなくても髪の毛があり(みんな:爆笑)、みんなつながって全体でバランスが取れているから口がしゃべれるのであって、口も全体を代表してしゃべっているのです。つまり全細胞がそう思うから、口が代表してしゃべっているということですよ。その全細胞を意識するということです。そうしたら、足の爪のアカだって、水虫だって、全部同じ気持ちになるんじゃないですか!(みんな:拍手!)

ともこ:
そうだよね。ロシアだってアメリカだって同じ体の一部なんだよね。

いさどん:
そう。いがみ合っていること自体が幼稚なのです。人類が宇宙視点に立つスタートの年は始まっているのですよ!

ようこ:
3日間ここに滞在して今日帰った(アメリカ人の)エリーは、7年間ライム病に苦しんでいたそうです。それが日本に来て、さらに木の花に来たら症状がどんどん改善してきたと言っていました。それだけではなく、ここにいると天からのビジョンがどんどん降りてくる、とも話していました。ロシアやアメリカの話があったけれど、もしここが木の花国という国だったら、ここに来れば人の病は治るわ天からの叡智は降りて来るわで、ある機関からしたらこんなに脅威の存在はないよね。

いさどん:
こういった存在が台頭してくることを脅威に思う機関があったとしても、その機関が時代を止めることはできません。昔ユダヤの民が台頭したのも時代の流れなら、今の動きも時代の流れで、誰も止めることはできないのです。古いものに執着していては、その流れにサッと乗ることはできません。
これまでの世の中をリードしてきた政治でも経済でもテクノロジーでも、どれだけ良い国を創ろうとしてやってきたものであったとしても、時代が変わる時には古くなるのです。それを読み、サッと捨てていく、その潔さが今最も求められています。そういった心を所有しない姿勢が、新たに来る宇宙時代を生きる人類には必要となるのです。

 

 


『シリーズ激動の世界』より ①テロと難民~EU共同体の分断

大人ミーティングにて、NHKスペシャル『シリーズ 激動の世界』を観ました。『シリーズ 激動の世界』は、大きな時代の転換期を迎え混沌とする世界の現状を映し出す、全3回のシリーズです。番組から観えて来る世界の今を、宇宙視点で観てみました!
第1回のテーマは『テロと難民~EU共同体の分断~』。EU(ヨーロッパ連合)は、国境をなくし、人やお金の移動を自由にすることで平和で豊かな共同体を築こうという理想のもとに設立されましたが、とどまることのない中東からの難民の受け入れを巡って各国の意見が対立し、今、分断の危機に直面しています。パリ同時多発テロ以降各国でナショナリズムが台頭し、統合の理念が大きく揺らぐ中、専門家は「EUが寄せ木細工のもろさを持つことをISがよく知っていた」と分析します。
番組の鑑賞後、いさどんは以下のように語りました。

『シリーズ激動の世界』公式ホームページ

 

シリーズ 激動の世界
第1回『テロと難民~EU共同体の分断~』より

いさどん:
これは、NHKスペシャルの3回シリーズの1回目です。今の世界情勢を観るのにとてもいい材料ですね。今はインターネットなどを通して様々な情報がグローバル化されていますが、そういった時代だからこそ、情報は有効に生かすべきものだと考えます。
今の地球の問題をどう考えていくのか。これからの時代は、地球に暮らす人間一人ひとりに責任があるということです。

今、EUが共同体としての概念を問われています。番組では、中東からの難民問題をめぐってEUが分断しつつある実態が描かれていました。それは共産主義が崩壊したのと同じ仕組みです。一人ひとりの人間の意識を高めることをせずに制度だけを作っても、その一つの制度の中に位置する一人ひとりが、共同体の内部に発生する格差に不満を持てば、結局はその体制を維持することは難しくなるのです。
しかし、人にはそれぞれに個性があり、能力自体に格差があります。それをみんな一律にしてしまったら、自然界の生き物ではありません。それは、人間が作る自動車の部品のようなものです。そんな世界は、本来の生命の世界ではないのです。

番組では、難民問題を巡り、アイデンティティについて語られていました。アイデンティティとは、自分が自分であるということの意味です。
一人ひとりが自分らしく生きられる社会は優れた社会ですが、それぞれが自分だけの幸せを求めてそれが渦となれば、この世界に混乱をもたらします。今の時代は、イギリスの産業革命に始まり、それがアメリカに受け継がれて250年間続いた、経済力で豊かさを享受しようとする世界がピークを迎えた状態です。宇宙的にはそのサイクルは終わりを告げています。星と星の関係で地球上の時代のサイクルは決まっており、宇宙的には終わっているのですが、人間の世界にそれが表現されるまでには少し時間差があります。その延長に、人間の世界は今、ピークを迎えているのです。そしてそのピークを迎えているということは、新たな時代の手前にいるということでもあるのです。

現在のEUの状態は、これまでの人道支援のような考え方でやっている限りは、解決しません。この番組を観ても、世界はその解決策を見出せず、困惑しているでしょう。
その混乱につけ込み、共産主義であった国が自分たちの国威を高めて、かつてのような世界に影響力のある立場を取り戻そうとしています。どの国の背後にも、自らの国の利益を最優先にし、主義主張を押し通そうとする姿勢があからさまに観えてきます。自分たちの国は自分たちのためにあるのだというのです。それは、差別化と富の奪い合いによってたどり着いた豊かさの結果です。
しかし、そういった世界の現状を振り返らず、今までと同じ姿勢をまだやり続けようとして、日本では、相変わらず経済成長を最優先とすることが国の方針となっています。そこで格差が生まれれば、今度は社会福祉で埋め合わせると言うのです。そのような対処療法一辺倒では、いつまで経っても、矛盾を生み出す社会の根本的な解決にはならないのです。EUで起きている社会矛盾も同じ性質のものです。では、そのような矛盾のない世界をどうやって創ったらいいのかと考えると、これまでとは違う価値観のもとに、人々が生きる目的を持つということです。それは人々に地球に生きることの意味として、覚醒をもたらすようなものでなければなりません。

私たちはこの生活を通して、時代の性質を知り、そのサイクルの中に歴史が表現されていることを知りました。人間が地球上に歴史を作っているのではなく、宇宙の仕組みが地球上に歴史を刻んでいるのです。そういったことを意識しながら、時代が切り替えられる時の役割としてこの生活があるということも知ってきました。
私たちは、過去の人間がやってきたような、自我を満たすための生活を目標としているのではないことは確かです。

今年になって、北朝鮮の核実験やイランとサウジアラビアなどの対立が新たに激化し、ヨーロッパにも大混乱が起きています。そういった様々な矛盾が、一人ひとりの身近なところから地球規模のものまで、世界中で吹き出し始めました。その現状に対する根本的な原因の探求がないままに、いくら表面的な対策を掲げても、さらなる矛盾のエネルギー源となるだけなのです。そういった中では、地球規模の生態系や、矛盾の発生源となる人類の共同体としての体制は、崩壊の方向に進むだけなのです。ここでもエコビレッジを創るための学びを提供してきましたが、知識的に学ぶだけでは、共同体として成り立つ実践にはつながりません。なぜなら、大切なのは知識ではなく、そこに参加する人一人ひとりの質が求められるからです。
人の質ということで言えば、木の花ファミリーもまだまだ途上です。自分の意識と向き合い切れていないのですから。しかし我々は、今の時代がどういったプロセスの延長線上にあり、現状がどこにあって、そこで自分というものがどういった意識を持ってこの生活をしていて、これからどうあるべきなのかということをわかった者として、この生活をしています。

そして今日、この番組を観ました。これは3回シリーズの第1回で、第2回は『大国復活の野望~プーチンの賭け』、第3回は『揺れる“超大国”アメリカはどこへ』となっています。ヨーロッパ産業革命以降、それを受け継いだアメリカがその物質偏重型文明を極めた後に、どういった時代が地球上に来るべきなのでしょう。

現代社会には病気が蔓延し、医療は大きく発展しました。病気が蔓延することによって莫大な経済効果がもたらされたのです。しかし、そのような世界では、医療を極めて病気をなくしていくことはできません。なぜなら、医療を経済効果とするような人間の性質自体が矛盾となり、病気の発生源とまでなっているからです。代替療法であっても、健康食品であっても、すべて病んだ社会に寄生して成り立っているのです。そもそもそういった矛盾の発生源がない世界を創る必要があります。それが次の世界のイメージです。

今の世界の主流となっている価値観は、ヨーロッパが発生源となり、アメリカで拡大され、世界中がそれに追随して、「負(足りないという心)」を満たすことの延長線上に経済を大きくし豊かさを求めるものでした。それが社会に矛盾を発生させ、その矛盾が維持されて拡大されてきたのです。そして、その常に不足感を持ち渇望する精神状態によって、富む者と貧しいものの二極化が極端に進んできました。その両者は、どちらも貧しい世界に現れる性質のものです。なぜなら、富を得た者も、他者の「負」によって富を得たのですから、そういった者たちの精神構造もまた「負」なのです。つまり「負」によってこの世界が成り立っているのです。

250年前のヨーロッパ産業革命から始まった、プラス偏重型の西洋的価値観がピークを迎えました。宇宙は必ず±0に戻る仕組みになっています。ですから、拡大すれば収縮する力が働くようになっています。現代は矛盾の極みに達し、その切り替え時に来ているのですが、その宇宙的構造に無知な者たちが、収縮させる力への対策として、さらなる拡大を推し進めようとしています。それが今の社会の実態であり、その結果、さらに地球上に矛盾が発生し広がっていくのです。
先日、COP21(気候変動枠組み条約第21回締約国会議)で世界中の国々が集まり、地球温暖化対策について話し合っていましたね。そこではCO2をどう削減していくかということを話し合っていたのですが、削減の話をする前に、なぜ人類はここまでの事態を迎えたのかを問わなければ、地球上にさらなる汚染を発生させることの根本的な解決にはなりません。そこで、そういった汚染の発生源となる人類の意識を何も問わないで、いくら削減のための新たな取り組みについて話し合っても、新たなテクノロジーが次の経済効果の種になるだけなのです。そして新たなテクノロジーは、人間の欲望をさらに刺激していくのです。
自然界には、それぞれの生命にふさわしいポジションがあります。そういったことを表す精神として、日本では、「足るを知る」という言葉があります。その精神位置に人々を誘導し、欲望から解放しない限り、この問題の根本的な解決はありません。ところが、今の人類がそのことに気付いて自らの方向性を変えるきっかけとする動きがあるかというと、はなはだ心細い限りです。結局、現代の人々は問題ごとの発生源を内に観ようとせず、外に起きる現象の対策に翻弄されている状態なのです。それは表面上の対策をしているだけで、問題がさらに増幅していくばかりです。それは、現状の延長にいずれどこかでピークを迎え、切り替えることが求められるのです。

僕はこの番組を観ていて、ヨーロッパの理想は仲良しコミュニティを創ってみんなでいい思いをしようというものだったのだと思いました。どこかのエコビレッジ運動と同じです。しかし、共同体の本質とは、持続可能であるということです。私たちの社会は、地球生態系ネットワークの中にあり、自然と共生する大前提のもとに維持されています。それを最優先にしない人々の欲望偏重型の共同体は、その大小を問わず、持続不可能となるのが宇宙の仕組みなのです。人や国の質を問うことなしに、本物の共同体はできません。あるいは、矛盾を抱えたままで、持続可能であるかのように存在し続けるのです。それは自然界にはない、人工の世界だけにあることなのです。
ここで言う質とは、機械の部品のような一律の質ではありません。それは、自らの本質が何者であるかを知り、自らが構成する全体にとってどのようなポジションに位置し、どのような役割を担っているかを理解して、そのポジションを生かしあってネットワークすることによってできる、もう一つ大きな世界を創造していることを認識している者のことを指します。それは、今ヨーロッパの国々が自己主張のもとに模索している解決策とは違う結果をもたらします。

番組の中で、ドイツの人々が「ドイツ国民は我々であり、移民たちはドイツ人ではない」と訴えていましたね。では本当のドイツ人はドイツなんだ!(チーン♪)まぁそれはいいとして、ではその人たちはいつからドイツ人になったのでしょう。地球に生命が誕生してから三十数億年の歴史があり、人類が誕生してから数百万年の歴史があるとして、その中でどれほどの期間、彼らの民族はドイツに暮らしてきたのか。そう考えると、ドイツ人が「私はドイツ人だ」と言う意識は、とても世界観が狭いものなのです。それは、今回生を受けて生まれた場所がたまたまドイツだったというだけのことです。

そういった広い世界を意識して毎日を生きたら、今のヨーロッパの混乱のようなことは起きないでしょう。あの悲惨な第一次世界大戦、第二次世界大戦の戦場となった苦い体験から、もっと開放されたみんなの家を作りましょうということでEUは始まりましたが、この混乱は、個人個人が自分というものの意識を高めずに仲良しグループを作っても結局はうまくいかないということを表しています。そして、その未熟な状態につけ込む者も出てくるのです。
昨年のギリシャの財政危機騒動の時に、僕はEUの真価が問われる時が来たねと言いました。今のEUは、同じユーロという通貨を持ちながらも結局は台所が別々になっています。通貨が同じなら、管轄する台所も一つにすればいいのです。そうすれば国家間の差がなくなります。しかしEU23年の歴史の中で国と国との貧富の差が生まれ、そしてその差は、国境によって守られるようになっているのです。
ドイツがギリシャにたくさんの資金提供をしてきましたが、それはEU統合の結果、勤勉で金融システムによって多額の富を得たドイツと、ギリシャという奔放で気位が高くお金にだらしのない国が共同体の中にあり、そこで高いところから低いところへ川のように資金が流れただけのことなのです。それを、EU全体のこととして、ひとつの経済圏の循環の中にあると認識すれば、一部の地域(ギリシャ)の問題は解決されることなのです。今回の出来事は、そのような認識のもとに意識レベルを上げ、新たな時代の地球統合に向けたモデルとなるチャンスであったのに、EUの人々にそういった意識は生まれず、時代を逆行する現象が矛盾として吹き出しました。

文明周期説から観ると、人類の歴史では800年ごとに東西の文明の盛衰が入れ替わり、その入れ替わりの時には必ず世界動乱や民族の大移動が起きています。そのターニングポイントである今、シリアからヨーロッパへ何百万人という難民が大移動をしています。

bunmeishuukisetsu

歴史は時代の流れを物語っており、それは宇宙の星と星との関係から生み出されています。我々は本来、その宇宙の星と星の関係(天意)を意識して在るべきなのです。それは人間が天文学のように星の動きを調べて地球上の文化を創るということではありません。星と星との関係がターニングポイントを迎えると、それまであった地球上の文明が衰退し、新しいものに切り替わるのです。それは、人間に自然と湧き出してくるものです。
我々は、そういった自然や宇宙の意志を受けて歴史を刻んできています。21世紀に入って、人類にそのことがわかる時代が訪れたのです。

これから、さらに世界中に大動乱が起きることでしょう。それは単に恐怖を煽って人の意識を引き付けようとしているのではなく、事実として、この250年間続いた物質的欲望による文明は切り替わる時が来ているのです。今、それに代わる回答が、ここにあることを僕は確信しています。
今、世界の行き詰まりの話をしていますが、一人ひとりの小さな行き詰まりも同じことです。その行き詰まりを突破するには、自分と向き合うことです。それは、自分というものが既製品化されるのではなく、世界中にたくさん人がいる中で過去にも現在にも未来にもたった一人しかいない自分とは何者なのかを知り、その自分のもっともふさわしい立場にパズルのピースとしてしっかりはまって役割を果たし、生き生き生きるということです。そういう時代が来るということです。それは、自分を一番大切にする生き方です。

自然界のものは、そのものにふさわしいポジションでそれぞれがしっかりと役割を果たし、この世界を維持しています。しかし今の人間は、人工的に作られた世界の欲望に翻弄されているのです。本当の意味で生命として輝き、本当の意味で自分という個性を生かし切る。それが本当の生きている姿です。
僕はそのことに気付き、それを表現するためにこの生き方をしてきたのだと思いました。そしてそこに惹かれる者たちが、それを表現するためにここに集まってきたのだと思うと、心が言いようのない状態になるのです。これは大切なことをやっているのだ、と自覚するのです。

今、僕はこの状態で、霊的には世界に呼びかけています。宇宙に発信しています。しかし、物理的な現場としては木の花ファミリーにいて、そこに集った人たちに呼びかけています。つまり発信源として、ここの人たちを通し、宇宙に呼びかけているのです。
それは一人の意志ではなく、みんなでネットワークすることでより巨大なものになっていきます。それが、物理的にこの世界を創ってきた仕組みです。近代、人間の意識が地球の環境や社会の構造に影響を与え、創ってきました。それと同じように、人間がここまではびこる以前には、他の生命たちが地球の環境を創ってきたのです。
他の星を見てください。生命がいないから、意志表示もなく、変化もしないでしょう。地球だけがそれができる星なのです。そして我々人間は、もっともその力を発揮できる能力を与えられています。今世界が激動を迎えていることが問題なのかと言ったら、その能力を表現するためのダイナミックな場所を与えられているとも言えるのです。

これは本来、欧州議会で語るべき話ですが、それはもう少し先になるでしょう。その役割を誰がするかはわかりませんが、この意識は必ず受け継がれ、西暦3000年まではそれがベースとなっていきます。
簡単な話でしょう。あなたたちの国は地球なのです。そしてあなたは、その地球の細胞なのです。あなたの体を見てください。細胞が集まって、例えば右腕ができた、左腕ができた、それぞれの内臓ができたというのは、地球上で言ったら国家のようなものです。その1個1個の細胞や機能が争っていて、全体が健康であるわけがないでしょう。こんな単純なことが、人間にはわからないのです。それは何故かというと、意識があまりにも内に向きすぎているからです。その自我の欲求によって内向きに偏った意識が発する想いや行動が、全体をバランスよく捉えることを阻んでいるのです。それは一人の人間が、自制心がないために生活習慣病になっているような状態です。
一人ひとりの人間が自我に溺れ、自我の欲望を満たすことばかりを考えて客観的視点を持たずにいるから、人類はそんな簡単なことがわからずにいます。その世界観の狭い者たちが、民主主義だ何だと言って利益誘導型の社会システムを創り、その欲望のもとに代表を選んで国家ができ、その延長線上に今の地球があるからこういった状態になっているのです。

この世界はすべて相似形ですから、小さなものも大きなものもすべて同じ構造になっています。宇宙全体も、我々の体も、細胞の一つひとつも原子の構造も、皆同じ仕組みで成り立っています。それはどういうものかと言うと、自らが存在するということは、同時にもう一つ大きなものの一部としての役割を果たしているということです。それが調和であり、協同するということであり、生命の構造そのものなのです。
しかしそんな単純なことが、わからない人にはわからないのです。番組の中であるドイツ人夫婦が、移民を受け入れないことがいかに大切かということを真剣に考えて近所の人々を説得するシーンがありましたね。そうしたらそれを聞いて、移民を受け入れるべきだという平和的な考えのはずの人が「あなたのような人が近所に住んでいるなんて耐えられない」と言い返していました。すべての人を尊重するべきだから移民も受け入れるべきだという人が、自分と考えの合わない人を排除しようとしているのです。その姿から学べるでしょう。
パズルのピースは、一つひとつが個性的な形をしていて、同じ形のものは二つとありません。他の場所には決してはまらない。しかし、はまるべきところにしっかりはまれば、それによってパズルに描かれている景色全体が完成します。一つでも抜けていては未完成なのです。
我々は、一人ひとりがそのパズルのピースのような立場を与えられています。どのピースも必要なのです。それを認めることから、今ヨーロッパで起きている問題も解決されていくのです。

簡単なことでしょう。パズルからでも学べるのですよ。自然はすべてそういった仕組みの中にあるのに、人間だけがそこから外れています。こんなに人間が自然から外れたことは過去にもないでしょう。あの第二次世界大戦の時代よりもさらに、今の方が外れています。第二次世界大戦のころも暗い時代でしたが、それでも、一つの民族は団結していました。今は一つの民族すらバラバラになっているのです。それを構成する一人ひとりの自我の意識が強く、日常生活の中ですら心が通じ合っているとは言えません。
だからこそ、この生き方が大切なのだということを改めて自覚するのです。大事なのは、こういった番組を観て、次の一歩をどのような意識で踏み出すかということです。
我々は、地球の歴史を横軸として、その上に生きています。そして縦には、宇宙の星と星のメカニズムがあり、そのサイクルが我々生命の中に流れているのです。そんな意識を持って生きる人間が、そろそろ地上を闊歩してもいいでしょう。それは地上に天の意志が反映されて成り立っているということ、つまり地上天国です。天の意志を持った人々が融和して生きる神人和合の世界です。宗教の世界ではずっとそのようなことが言われてきましたが、残念ながらまだ地上にはその世界は訪れていません。これからの1000年をかけてそれが達成されるのだろうと思いますが、21世紀に入り、やっとその兆しが顕れてきました。その一つが、このヨーロッパの混乱です。古いものが壊れなければ、新しいものは生まれないのです。

今日の番組は日本の国営放送が制作したものですから、ある程度の日本人が観ていることでしょう。海外でも観ている人がいるかもしれません。多くの人はそれを自分と直結させるのではなく、世界にはこういう問題があるのだと自分から切り離して見ているところがあります。しかし、この世界で起きていることは必ず自分にも何らかの原因があって起きているのです。
だから、自分一人が切り替わろう。そう意識した人々がネットワークしていけばこの問題は解決に向かっていきます。

みかこ:
EUができたのも、二度の世界大戦があまりにも悲惨で、もう戦争はこりごりだというところから一つになろうとしたわけだけど、結局、心を変えなければいくらシステムを変えても形だけになってしまって、そのボロが今出てきているということだよね。

いさどん:
自分の身近なところだけを見ていても、本当に切り替わることにはなりません。自分の内側で想っていることと、自分の外にある広い世界が一致して、初めてこの世界に影響を及ぼすようになるのです。ですから、広い世界観の意識の上に立って自らの内を観る人になることです。

今、時代の切り替わりの時が来て、本当に一人ひとりが目覚め、菩薩として生きる時が来ています。自然界では、木も、草も、微生物ですらどこにも所属せず、宇宙に所属しています。そして地球生態系ネットワークの中で自らを存分に発揮し、菩薩として存在しているのです。
存分に発揮するとは、自分というものの自我をすべて表現したということです。そして世界の成り立ちに貢献している姿です。そこに至ることが、人類がこれまで愚かしい歴史を歩んできたことの延長にある答えなのです。狭く身近に区切った答えを見つけて、自己満足する世界に意識があれば、それはこの世界の時代の流れに反することになりますが、意識が広がれば、地球の歴史や人類の歴史を超えて、宇宙の目的と共にある自我であることもできるのです。そういった意識に到達することが、人として生まれ目指すべき本当の価値なのです。

21世紀に入り、そのメッセージが人間社会の在り様を通して垣間見えてきています。今は2016年ですが、3000年ごろには人類の意識は完全に宇宙時代を迎えます。今は地球をどうするかという話をしていますが、その頃には宇宙をどうするかという話になっているでしょう。地球ネットワークを超えて、太陽系ネットワークや、ひょっとすると銀河全体までその意識が広がっているかもしれません。
その時に、物理的な目の前の出来事の対策に追われているようでは、それに対応することはできません。次の時代は物理的な五感だけでは把握できない世界だからです。これからの時代は、霊的意識が高まらなければ、次の時代の運営にふさわしい智慧を引き出すことはできません。そして人間には、それをできる能力があるのです。

2016年の幕が明けたばかりのところであまり先の世界の話をしても消化不良になりますから、今日はここまでにしておきましょう。ただ僕がここで伝えたいことは、21世紀を迎え、ここにこういった人々の生活がある。地球上にこういった場所があるということです。時代の流れがわかればわかるほど、その大切さを感じます。その自覚を持てば、明日からのあなたの在り方は、変わるはずなのです。

 

 


いさどんの七夜物語 – 第七夜 「太陽の導き」

太陽が、真東から昇り真西に沈む、1年間で光と闇がちょうど半々となる秋分。その前夜に端を発し、「七日七夜で心の質的転換を起こします」と、ただひたすらにあふれ出る宇宙の叡智を浴び続けた七日間の、最終章です。
大人ミーティングにやってきたいさどんが、静かに語り始めました。

 

9月30日「太陽の導き」

いさどん:
今日は9月30日ですね。今年の四半分を残して、第4コーナーに入ります。

1週間前に秋分がありましたが、秋分というのは昼と夜の長さが同じになる日ですね。同じく昼と夜が同じ長さになる春分を1年の出発点とすると、秋分は1年のちょうど半分にあたります。

秋分の前日、僕は3ヶ月ぶりに大人ミーティングへ来ました。そしてこの七日七夜が始まりました。その意識は、10月1日に向かっています。そして、地球の動きや、そこから生まれる二十四節気などを意識して思考している自分がいます。
僕の中には、今日が大晦日という意識があります。新年を迎えるにあたって、この大晦日の日に大すす払いをするという意識がどこかにできていました。そして一昨日の夜中に父上からメッセージがありました。

僕は客観的なものごとの捉え方をする人で、世の中のいろいろなことに出会っても、共鳴するものはなかなかありませんでした。しかし最近、木の花の暮らしを通して出会う宇宙観や、時代を読み解いて我々はどう生きるべきなのかということを紐解くと、これこそ本当に待ちに待っていたものだ、と。そんな捉え方をしています。
それは、自分の口から湧き出たことであるからとか、自分の周りの生活にそれが反映されているから、ということではありません。僕には、内外関係なくものごとを評価する心ができています。

僕は30歳でこの道をいただき、自分自身を疑いながらも、出会う出来事の奥を観て、そこに何か真実があることを直観で感じながら歩いてきました。今ここまで歩んできて、こういった生き方に出会ったことを本当に誇らしいと思っています。

残念なことに、まだまだ人類はそういった視点を十分に持てていません。残念とは言うものの、それはプロセスでもあるのです。しかしながら、近年の人類はとても愚かしい道を歩んできました。これほど自然をコントロールし、影響を与えるようになる以前の人類は、自然のなすがままに栄え、滅びていました。ところが今は、人間のなせる業の結果、世の中に様々な問題が起きており、その愚かしさは極みを迎えていると感じています。

この世界は、自らの姿勢が自らの未来を決める仕組みになっています。自らの愚かしさの先に自らの未来を決めるのであれば、自らの尊さによって未来を決めることもできるのです。それは、人間が自我を超えるということをしなければできません。尊いとは、連携することから成されていくものです。その道の行きつく先は、この世界を理想郷に導くことです。それは宇宙も含めたこの世界の成り立ちであり、地球に表されている生態系の姿そのものです。
その中にいながらにして、人間は愚かしい道を歩むことをしてきました。その結果、今の状態があります。さて、これから我々はどこへ向かうのでしょうか。

今、この場に約60人の人がいます。世界の主だった国の代表がここに60人集まっているという設定で話ができたら、どんなにことは早いでしょう。けれども現実にはそうではなく、ここにいるのはこの生き方に共鳴した人たちであり、国連で話しているわけではありません。
それが何を示しているかというと、小さくてもいいから、人間が可能とする理想をそこに示しなさい、ということです。

理想というとずいぶん大それたことのように聞こえるかもしれませんが、決してそうではありません。理想というのは、たくさんのことを経験しながら、それを常に受け取り、変化・変容を繰り返していく姿のことです。それは、神の姿です。

昔シャーマニズムと出会い、僕はサニワとして、シャーマンを通して神々と対話していました。そしてシャーマンに降りてくる神々に、いろいろな質問をしました。だんだんと意識の高い質問をするようになると、その時に降臨していた神様は困惑して、そなたの問いには私では答えることはできぬのじゃ、と言うのです。

神様は、「そなたは神を完全と思うておるのか」と言われました。神様からそんな言葉を聞くとは思いませんでした。神様が完全ではなくて、いったいこの世で何が完全だというのでしょうか。「私は神様が完全なものだと思っております」と僕は言いました。すると、「神とて完全なるものはおらぬのじゃ」という返答が返ってきたのです。
それを聞いて、僕はとても困りましたね。僕の中には、何か絶対なるものに頼り、そこから道を導き出そうという心があったからです。僕は神様に「では私は、その完全でない神様に道を頂き、そこから真理を学び続けていくということですか」と聞きました。すると神様は、「そうである」と言われました。「それが神の姿である。神とは学び続けるものである」と。

この世界は変化・変容・変態を繰り返し、留まることがありません。地球暦では、太陽系の惑星はそれぞれに意味を持っており、地球は変化・変容・変態を示す星です。
宇宙の星々のサイクルはとても長く、変化・変容・変態を体験するにもとても長い時間がかかります。そこで私たちは、地球に降りて来て、肉の体をいただき、人として生きることで、命の意味を学習し、また元の世界(その元の世界とはどこでしょうか?笑)へ還っていくのです。

この世界の実態は、変化・変容・変態を繰り返すことであり、それが神の姿そのものです。カタカムナでカミを紐解くと、「カ」は宇宙の極小微細単位、「ミ」はそれが満つっているということを示しています。満つっているということは、この世界を創り続け、壊し続ける、物理性の実態そのものなのです。そのような世界の中で、何ものかに囚われ、留まることは、この世界の実態(神の実態)から外れたものになるということです。

一般社会で生きていると、自らの心の汚れが出ても、なかなかそれを自分が発しているとは思えないものです。なぜなら自我が強いからです。そして自分を観ずに、周りのせいにしていきます。そこを掘り下げる意識もないので、それが自らに原因があるとなかなか気付くことはできません。気付けなければ改めることもできないので、同じことが続くのです。
そこに気付くには、誰かのせいにしていては気付けません。気付きは、自我の囚われがなくなった状態で、ふっと降りてくるものです。

地球上に生命が降ろされて、後に人類が降ろされました。地球上で生命として生きるということ、さらに、人類として生きるということは、とても身近に自らの魂の実態を目の当たりにすることができるのです。
この世界の仕組みはすべて鏡ですから、自らの発したものが忠実に自らへ返ってきます。そして、そこから自分の姿を観ることができます。ヤタノカガミといって、八方が鏡なのです。
鏡は、汚れていると「カガミ」ですが、汚れを取ると「カカミ」になります。鏡(カガミ)から我(ガ)を取れば、神(カミ)になるということです。我々は物理的な鏡を通して、自らの姿を見ることができますが、人生を通して自らがこの世で見るもの、感じるもの、出会うものは、すべて鏡を見ているのと同じことなのです。我々は霊的な鏡に囲まれて生きているのですから。

そういったこの世界の仕組みをマスターして生きていけば、自らが発しているものが、自らをどのような意識レベルに定着させているのかが観えてきます。その意識がこの世界にどのような影響を及ぼし、自らをどのような世界で活かし、どのような世界を創っているのかがわかるのです。それがわかると、この世界に不平不満を言うことはなくなるでしょう。この世界は、私たち一人ひとりの意識によってできているのですから。
さらに、そういった仕組みがわかれば、人間は生命として何を成すべきかということが一目瞭然でわかるのです。この世界に安定や平和をもたらし、生命の世界の豊かさを表現することができるのです。

面白いのは、我々は今、完成された世界を求め、学んでいますね。完成された世界とは、ある意味、現象的には貧しい世界です。そこでは、完成されているが故に、何も起きないのですから。
この不完全な世界に生きることこそ、ダイナミックで豊かなのです。不完全だからこそ、幸せやありがたいということを感じられ、愛が求められる世界になるのです。それはある意味、ダイナミックで豊かな世界と言うこともできますね。

僕は昔、神様に「私は、人間の在り様をずっと観てきました。そしてその姿に辟易しました。人間こそ、愚かしさの頂点に立つものであると思います」と言ったことがあります。その時の僕は、人間のあまりの愚かしさを観て、人間性悪論のようなことを考えていたんですね。そして、さらに神様に言いました。

「あなたは神という立場に立ってこの世界を導くものだとしたら、なぜ人間に、血で血を洗うような歴史を歩ませて、いつまで経っても神から人間が見捨てられたと思うような世界をつくらせるのですか。子どもの出来の悪さは親の出来の悪さであると言います。弟子の出来の悪さは師匠の出来の悪さであるとしたならば、神の子どもである人間がいつまでも愚かな道を歩むのは、あなたの未熟さゆえであるとも言えますね。
あなたの隣りにこの世界と同じような宇宙があるとしたら、そこの神様があなたの創られた世界を見て、おまえは子育てが下手だな、おまえの子どもである人間はいつまで経ってもこのような愚かな世界をつくっているではないか、と、言われませんか。」

冗談のような話ですが、僕は神様にそう聞きました。そうしたら、「そうとも言えるな」という返事が返ってきました。そして神様は、こう続けられました。

「私がいた世界は完全であり、私しかいなかった。そこは光だけの世界であった。光の世界で光は見えぬ。そこは静寂の世界であり、一切の動きもない。そこでは、私は私の存在を認識できなかった。
そこで、私が私を知るために、私は私と反対のものを創った。光には闇を、天には地を、善には悪を。そしてその反対のものを私から遠いところに置き、それが私のもとへと還ってくる仕組みを創ったのだ。それがこの世界のもとである。」

そしてさらに、神様は言いました。

「今のこの場所は、私の意志の終着点ではないのである。おまえが考えているこの場所は、まだ先があるであろう。そして、それは永遠に繰り返す。
その中の一部分を区切って見れば、子育てが下手だというおまえの捉え方もその通りだろう。しかし、おまえが求める理想の人間の姿というのはどこにあるのか。それは、今の延長線上にある。それを光の世界と言うならば、その対極にある闇、つまり愚かしさから始まって、そしてプロセスを踏んで光の世界へ行き、また闇へ還るようにしたのだ。それが私の意志であり、私の実態なのである。」

これは、現代科学ではまったく裏付けのできない話です。しかしカタカムナに出会うと、まさしくその通りであることがわかります。そして今、トキが来たことを感じています。
70数億の人間の中で、こういった宇宙観を持ち、それを生きることの中で表そうとしている人々が、微細ではあるけれども現れました。ここの人たちは、その顕れですね。

地球上に生命が現れる時に、物質的な変化を繰り返す時間が長くありました。一番の奇跡は、アミノ酸からタンパク質ができて、そこから最初の細胞が生まれて、細胞分裂を始めたことです。それはとてつもない奇跡です。
そういった宇宙的奇跡が、地球上でたくさん繰り返され、長い時間(宇宙的には一瞬の出来事)をかけて、私たちは進化(現在の状態)してきました。

近年、人類は自我を表現し、それを実現することを喜びとして、自分が理解できることを正しいとしてきました。そんな中で社会制度も進み、今の私たちの社会の基盤である民主主義が生まれたのです。
民主主義というのは、人々の欲望を叶えていくことを請け負った者たちが、民衆を代表して政治を司る世界です。そこでは、人々の欲望を叶えることが政治の目的となり、人々は欲望を膨らませることを社会の豊かさとして求め、人々の願望は社会秩序を乱す元となっていきます。そのような世界では、人としてこの世界に果たすべき役割に目覚めることはできません。ですから、今の人類の価値観のもとにある民主主義の世界では、人類に本質的な進化はもたらされないのです。

宇宙にふさわしい形態はどういうものかというと、宇宙の法則が降りてきて、その法則に則って人々を導く者にすべての人々が託すことで成る世界です。それは、過去に宗教の教祖や王による統治などの形で試みられましたが、そこには、人間離れした神としての存在である優れた者とその他の者たちという構図ができあがりました。そこには自ずと格差が生まれる結果となり、その世界では不完全だったのです。

では次に何が考えられるかというと、宇宙に遍満しているたった一つの法則に共鳴し、その宇宙法則を感じて人間たちが地上を生きる世界です。優れた者が地上に降り立ち、他の者はそれに救いを求めるという構図は、支配構造を生みます。しかし、特別な誰かが降りるのではなく、地上にいる者たちが宇宙の秩序を知り、その法則を柱として生きたら、すべての人間は天を生きることになります。
一人ひとりにはそれぞれに相応しい役割(個性)があり、それぞれが自らの意志で宇宙秩序を生きるわけですから、それはある意味、究極の民主主義です。そこに生きる個性ある人々の柱となるものは、個人の欲望から生まれるものではなく、共通した宇宙法則なのです。そこでは、人々の行いはこの世界の秩序を保つための役割であり、人々が集えば集うほど世界は豊かになり、高い精神性のもとに尊い社会が営まれていくことになるのです。

この世界を導く意志は、ひとつです。それを受けて、地上を生きる者たちは、ひとつの法のもとに個性ある豊かな世界を創るのです。これが、柱が立ってこの世界の現象が生まれるという造化三神の姿です。
そういった考え方は、人間が「そうだ、この世界はそういうふうにできているのだ」と理解すれば、たちどころに成ることです。しかし残念ながら、こういった話をしていても、その位置に意識レベルが行っていない者にとっては、なんだかわけのわからない話をしているとか、あやしい世界だということになります。それが今の世の現状です。

この世界を自らが理解できる方へ探求していくと、その人間の精神のレベルのままに理解することが進み、未知なるものに出会い、新たな意識が自らに湧き出すことは起きません。とかく人は、現在の自らの認識を持ってこの世界を正邪で判断しようとするため、そのような過ちに陥るのです。
人が進化するとは、自らの現在の意識を超えて、次の段階へ進む階段を昇るようなものです。今の認識をフリーにして、囚われのない精神状態で、常に新たなものを受け入れることによって、初めて人は進化の道を歩むことになるのです。

ところが、進化することの意味が分からず囚われる者にとっては、進化することは自らの認識が変わることであり、囚われから外れることは恐れを生むことにもなるのです。従って、囚われの中にいる縛られた人間は、現状を保ち、進化しないことを自らを守ることとし、それを良しとするのです。多くのものを所有できる現代社会においては、宇宙法則から外れた亡者のようなものたちが、物や知識を所有し、物や知識のあふれる川に溺れているようなものなのです。そのような者たちがもてはやされ、時代を導く者として高い評価を得ているのが、今の時代の実態です。

今この時代に至って、この世界の実態や自らの実態を離れて客観的に観る視点を持ち、その背後にある時代が示す示し(客観背後)を受け取り新たな社会秩序を見出すことは、行き詰ったこの世界を救済するためにもっとも必要な意識であり、それは明白なことなのです。

ところで、僕は今日を大晦日だと考えていました。そうしたら、天と通じている人がいました。大和の国の風習では新年を迎える前の晩には蕎麦を食べることになっていますよね。

みんな:
あっ!!

その日の夕食に、やじーの手打ち蕎麦が出たのでした。
その日の夕食に、やじーの手打ち蕎麦が出たのでした。

いさどん:
これは、誰か予め打ち合わせをしていたのでしょうか。誰か、今日は大晦日だと考えてやじーに智恵を貸した人がいたのでしょうか。
僕は、今日は七日七夜の質的転換の最終日で、大晦日だなと思っていました。けれどもそんな話はみんなにしていませんでした。そうしたら、今日の午後に湧泉閣に帰ったら、玄関に粉だらけのスリッパが置いてあるのです。何だこれは、と思ったら、やじーが蕎麦を打つとのことでした。そういうことか、と。天を生きている者がいるな、と思ったのです。
そこで、その天を生きている者に話を聞きたくなったので、蕎麦を食べる前にひまわりに電話をして、「おじーはいるかい、あ、違った、やじーはいるかい」と聞きました(みんな:笑)。そうしたらなかのんが出て、全然反応しませんでした(みんな:笑)。
それでやじーが電話に出たので、どうして今日蕎麦を打ったのかと聞きました。そうしたら、やじーが言うには、晦日蕎麦と言って、月の終わりに次の新しい月を迎えるために蕎麦を食べる風習があるのだそうです。それなら毎月月末に蕎麦を打っていたかというと、そんなことはなく、今日に限って打ったわけです。そこで僕はやじーに、今日の蕎麦は大晦日の蕎麦だよ、と言いました。あなたは天と共に生きる人だね、と。

先ほど僕はみんなに、いろいろと難しい話をしました。けれども、みんなはそんな難しいことを考えなくてもいいのですよ。
ふっと、蕎麦を打ちたいな、という想いが湧いて、それが9月30日だった。そしてそこまでのいきさつを丁寧に探っていったら、実はその日は大晦日だった。何気なく、ふっと、蕎麦を打ちたいな、と湧いてきた想いが、丁寧に丁寧に探っていったこととちゃんと一致したのです。
丁寧に探るのは、この世界はどのような仕組みになっていて、世界観を広く持つにはどのような捉え方をするべきか、そして天意とは何であるか、天と共に生きるとはどういうことかを思考することです。その思考について来られる人はなかなかいません。しかし、ふっと蕎麦を打ちたいと思い、それが天のタイミングと一致したならば、それを偶然と言うのかと言ったら、それが天と共に生きるということなのです。

ですから、難しい話をする人はそういう役割としているかもしれませんが、人の個性はいろいろですから、誰もが同じようにする必要はないのです。何気なくふっと行動したことが、難しく丁寧に、広い世界から順を追って法則を探りたどり着いたポイントと、パッと一致するのです。
ポイントと言うのは、毎日どころか、瞬間瞬間がポイントの連続です。天を生きれば、そのポイントといつも一致していくのです。

広いところから狭いところまで本当に幅広く緻密に探ってたくさん思考をする時には、柱に添って思考します。柱がないと脇へそれていき、元に戻ることを忘れてしまいます。
我々は、振動しながら自転して公転し、歳差運動までしながら進んでいる(地球の歩み)のですから、柱がなければずれていってしまいますよね。基軸となる太陽があるから、我々(地球)はずれずに進んでいくことができるのですよ。そして太陽も、銀河の中心(セントラルサン)があるから、それができるのです。

柱が立っていれば、何も段取りをしなくても、すべてのことがぴたりと一致(阿吽の呼吸)していきます。そういった意識を持った人は、わからないけれど今目の前にこれがあるからやろう、と受け取るようになります。わからないからこそ、わくわくするのです。元々わかっていることを安心してやったら、結果もわかっている範囲内のものですから感動はたいして湧きません。しかしわからないからこそ、いったい何が起きるのだろうと心がわくわくするのです。

そのように宇宙法則に従って正の方向に思考する人は希望を持って未来を迎えますが、人によっては、わからないからと言ってわざわざ不安を未来にイメージし、反の方向へ思考を回す人もいます。そういった人には、その思考に相応しい未来を、宇宙法則が与えてくれることになります。そんなバカバカしいことに囚われて、必死に自分を守ろうとして毎日を生きている人がいますが、ちょっと自分を離れて客観的に観る視点があれば、そんなことはたちどころにやめられるものです。皆さん、やめましょうね。(みんな:笑)

今日は大晦日ですから、新年を迎えるにあたってのけじめの話をしよう、そういう場所であるべきだ、と僕は思っていました。だけどその前に、やじーにやられましたね。そう思いませんか?

(みんな拍手!)

ようこ:
本当にびっくりした。今日が大晦日だというのは私といさどんの間だけで話していたのに、誰の誕生日でもないのに蕎麦を打っている人がいて、あれっ、年越し蕎麦だ!って(笑)。

やじー:
今日は、いつも蕎麦打ちを手伝ってくれているみっちーの体調が悪くて、蕎麦を明日以降にずらすこともできたんだけど、なぜか今日だったんですよね。一人でもやるか、と。後でわけを教えてもらって「そういうことだったのか」と思ったけど、自分では意識してなかったです。

いさどん:
わからないけれど何かしら感じるものがあって進むと、その意味の深さや大きさ、そしてそうやって生きることの大切さが、後からわかってくるのです。これが天と共に生きるということです。
考えて考えて先に理由をわかって「これなら行くぞ」というのは人智です。それはどういうことかと言うと、自分の思っていることを叶えたい、ということです。自分の思っていることを叶えるということは、それが叶った後も、その前と変わらない自分がいるのです。

この七日七夜の最初の日に話した話を覚えていますか。

18538

今日も明日も明後日も、生まれた時から死ぬまでピーーーッと一直線。これはある意味、宇宙の法からは外れています。同じ状態をずーっと続けている状態は、変化・変容・変態を繰り返す宇宙からしたらおかしいのです。
ピーーーッと一直線に進んでいるということは、霊的には順調ではないということです。本来変化して行くものが、何かに囚われて同じ状態を保っているということですから。
宇宙の法を生きるということは、図に現せば山があり谷があり、だんだんと上がっていくということです。それは、人生を通して私たちがいろいろなことに出会い経験することと、同じことなのです。それが正常な状態だとすると、ピーーーッと横一直線に進んでいるのは、落ちているということなのです。魂は輪廻転生を繰り返しますから、何も変化なく一生を終えた人は霊的には落ちているということであり、その落ちた位置から次の生をスタートすることになります。

ちょっと、今から皆さんを、芸術の世界へご招待しようと思います。

(ここで突然、音楽が流れ始める。)

みんな:
なにこの曲??

いさどん:
みんな、細胞にこの曲が刻まれてないですか?

こうちゃん:
刻まれてる~。

みんな:
知らな~い!

いさどん:
知らない?これは『映像の世紀』のテーマ曲です。

『映像の世紀』
戦後50年を記念し、1995年から1996年にかけて「NHKスペシャル」にて放映された全11集のドキュメンタリー番組。日本国内はもとより世界各地から、二度の世界大戦やベトナム戦争などを含む20世紀の記録映像を収集し、現代の視点から20世紀の記録を克明に映し出して、多くの反響が寄せられた。

こうちゃん:
昔、本宅でみんなで観たよね。

いさどん:
第4集(ヒトラーの野望~人々は民族の復興を掲げたナチス・ドイツに未来を託した)、第5集(世界は地獄を見た~無差別爆撃、ホロコースト、そして原爆)あたりは、本当に地獄です。ここからさらに、第7集(勝者の世界分割~東西の冷戦はヤルタ会談から始まった)へとつながりますが、そのような世界では、戦争に勝っても負けても犯罪者です。そして東西の核の対立があり、ベトナム戦争へと続きます。いつまで経っても、人類の対立は止みません。

第二次世界大戦を経てアジアの国々が独立するわけですが、そこでもまた多くの殺戮が行われました。イギリスのチャーチル、アメリカのルーズベルト、ソ連のスターリンによるヤルタ会談では、戦後の自国の領土をどうするかということが話し合われました。ドイツのヒトラーや日本の軍閥の浅はかさがそこには映し出され、勝者が善になっていますが、実は勝利者の中にも恐ろしい精神が隠れているのです。
それが、今の時代になってやっと観えてきました。2012年12月21日に銀河の冬至を迎え、戦後70年の今年は、これまでの終戦記念日とは違ったものが放送されていました。愚かしさというものが戦後の体制によって裁かれてきましたが、実態はそうではありませんでした。真実は、その時代に関わったすべての者たちの意識を示すためにあったのです。

『映像の世紀』は戦後50周年に制作されたもので、その時にはそれを観た人々は気付けませんでした。
戦争はすべてが悪であり、被害者になると、どちらが善でどちらが悪ということはない、とよく言います。しかし本当の意味で、自分の立場を離れてこういったものを客観的に捉える時代が始まったのです。時代は、そういった解釈ができる時代に突入したということです。

先日、中国で抗日戦勝利70周年記念の軍事パレードがありましたね。あの時に、習近平国家主席は日本の軍国主義についての話をしました。いくら日本が安保法を進めていると言っても、あの時代の軍国主義とはもう違うでしょう。けれども、彼らはまだその亡霊に憑りつかれて、何に怯えているのか、或いは何の利権を争っているのか、未だに戦後のままの意識で主張しているのです。
先日、習近平国家主席はアメリカでオバマ大統領と会談しました。アメリカは中国のサイバー攻撃と海洋進出に抗議し、中国はサイバー攻撃については共に原因を探求していきましょうという話で濁し、海洋進出については、元々我が国の領土であるところを我が国の権利として開発することに我々は何ら揺らぐものはない、と主張していました。確かに中国には長い歴史がありますから、何千年という昔にはそういうこともあったでしょう。しかしそんな話を始めたら、みんながそういった主張をするようになります。まだそんな解釈によって自分の主張を繰り返しているのです。そして問題が解決しない状態があるのです。
極端なことを言えば、地球すべてが自分のものだという意識に行きつくでしょう。なぜかと言うと、私たちの先祖はひとつだからです。

第二次世界大戦の時、連合国軍がアウシュビッツへ足を踏み入れると、静寂の中に異様な匂いがしたそうです。それが何の匂いであるかは想像がつきました。人間の匂いです。そこで彼らが見たものは、人間はここまでのことをするのだ、という世界でした。そしてそれを他人ごととは思えなかったと言います。私の中にもきっとこういったものがあるのだろう、と思ったそうです。
扉を閉めてある部屋があり、中へ入ると、そこには餓死者がたくさんいました。そこで彼らは、初めて人食いの痕跡を見たそうです。死んだ人間のお尻に人がかじりついていて、そのかじりついている人間も死んでいました。
それは、人間のやることです。

日本軍も、フィリピンのミンダナオ島でジャングルに逃げ込み、食料のない中を生きていかなければなりませんでした。
生き延びた人たちの証言によると、島の中を歩いていくと、あたりに倒れている兵士の死体のほっぺたが、みんなそぎ落とされてなくなっていたそうです。ナイフでそぎ落とすのは、ほっぺたが一番簡単らしいですね。
そして煙が上がっていて、人がいるんだと思い行ってみると、香ばしい香りが漂ってくる。近付いてみると、そこで肉を焼いていた兵士たちがこちらを見たそうです。その目が、人間の目をしていなかった、と。

そういった世界にまで、人間は行きついてしまうのです。それを他人ごとにしているから、今の時代が先へ進まないのです。

世界の指導者に、本当に平和を望んでいる人はいるでしょうか。
例えば、中国の国父と言われる孫文。彼の弟子が蒋介石であり、周恩来、毛沢東であり、戦後に国民党軍と八路軍とに分かれて戦い、殺し合った人たちです。
それから、ベトナムのホー・チ・ミン。ベトナムを独立に導き、今も国民から慕われています。その独立の過程では多くの戦いがあり、人々が死んでいきました。
そして、ガンジー。平和を訴え、非暴力・不服従をうたいました。その時の映像をよく観てみると、暴力をふるうイギリス兵に対して、非暴力を掲げて果敢に挑戦する、非暴力の暴力をふるっている人たちがいるのです。
それを非暴力と言うのでしょうか。その結果どうなったかと言うと、最後には非暴力が「勝った」と言うのです。暴力がないところに、勝ったも負けたもないはずです。そこでは、ただ銃を使わなかったとか相手を殴らなかったというだけで、精神はイギリス兵と同じなのです。

そのことをわからないと、人類はこの先へ行けません。いつも自分の側が正しく、相手の側が間違っていると考えている。いつも、結果的に勝利した側が正義で、負けた側が悪になる。
『映像の世紀』のホロコーストの話は、ユダヤ人が強制収容所に送られるところから始まっています。強制収容所ではたくさんの人が殺されました。しかしその前に、この民族がどういうことをしていたかということは、そこでは何も語られていません。お金や力で権力を操ってきて、それに危機を感じたヒトラーが制裁を加えたとしたら、因果応報が現象化したとも言えるのです。そして今なおその精神は衰えずにイスラエルという国につながり、アメリカの社会を操り、その保護のもとに核兵器を持って、パレスチナを蹂躙しています。そういった世界では、どこにも正義などないのです。

20世紀までの映像を観て、正義はどこにもありません。人間の本質があるだけです。

 
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木の花ファミリーは、最初は木の花農園という名前でした。農的共同体でしたから。それがなぜ木の花ファミリーになったかというと、外国人やたくさんの人々が訪れるようになり、農園という枠を超え始めたからです。そして木の花ファミリーとなり、それはアースファミリーであるという精神で歩んできました。
それは、今の社会のある一部の人たちが、この生き方は世の中の最先端だね、それを世の中に広めたいね、ということで始めたことです。けれども実際は、その先にこんな世界があるなどということは想像もしていませんでした。当初は物理的にも狭い世界で生きていました。たまたま僕の奇妙な話に共鳴したスピリチュアルな小集団がこの暮らしの始まりとなっただけで、わけもわからず突き進んできたのです。
今は80人になりましたが、相変わらず小集団であることに変わりはないですし、やはりわけもわからないまま突き進んでいます。けれども、わけがわからないということの質が変わってきました。

わけがわからないまま進めることは、結果を求めないということです。結果を先に決めるのではなく、今を大事に生きることで、結果はついてくる。その時にどういう結果が得られるかは、行ってみないとわからないのです。
誰でも、嫌なことには出会いたくないものです。そして納得のいく結果を求めたくなるものです。先に嫌なことは嫌だと言って、都合のいいことを考えて、納得のいく結果を想定してやって来たのが、これまでの人間の創り出した社会です。けれどもずーっとさかのぼれば、長い人類の歴史の中で、人間がこれほど横暴なことをするようになったのはつい最近のことなのですよ。それこそ250年前のヨーロッパ産業革命以降です。それは、地球誕生から46億年の歴史を1年に例えたとしたら、12月31日の最後のたった2秒間の出来事なのです。

そう考えると、この生き方がなぜ今このトキに大事なのかが、理解できます。
そしてもう一つ。それをみんなが理解できたとして、あなたが今ここにいて、このトキを迎え、僕がこの話をしていることに対して、みんなは「ああ、そういうことか」と納得ができますか。

(みんな頷く。)

おそらくみんなできるから、ここに集っているのでしょう。
では、その納得できるという心を持って、世の中を見渡してみてください。我々と同じように1995年にこの『映像の世紀』を観て、今年の戦後70周年の様々な映像を観て、同じように刺激を受けている人たちがいるはずです。我々はこれらの映像を通して、だから自分はこの生き方をしているのだ、と自らの歩みを納得することができます。しかし世の中の人が、この映像を観て、今の生き方とつなげて納得できるかというと、できないでしょう。
わからないのは、考えていないからです。だから観えないのです。

みんなは今ここにいて、この話を聞いています。今日は大晦日で、その裏付けとしてやじーが手打ち蕎麦を打ちました。これはこじつけでしょうか?
僕は、そういうものだと思うのです。それを偶然ではなく、これが天と共に生きるということであり、宇宙を生きるということであり、星の意志を受け取って生きている人たちの生き方であるとわかることなのです。

秋分の前日に、頼みもしないのにある人が秋分の意味を送って来てくれました。そして満月の前日には、また別の人が満月の意味を送ってくれました。誰かがそんなものを送ってほしいと頼みましたか?こういうことを考えているのでその裏付けとなる資料を送ってください、なんて頼みましたか?
そういうふうに、宇宙を意識して日常を生きている人は、当たり前のようにポイントがはまっていくのです。
毎日の瞬間瞬間の思考の一片一片が、すべて宇宙と共にあるのです。宇宙の星々の意識をもらって生きているのです。同時に、自分がここで何をどう表現するのかが、星を運行させているのです。

一昨日、父上からメッセージがありました。

「これからは力強く支援するぞ。流れが変わる。
 それに遅れをとらぬように、よろしく頼む。」

力強く支援すると言われると、あさましい人ならば自分が得をすると思って喜ぶかもしれません。けれども力強く支援するというのは、おまえたちが今まで歩んできたのは難しい道だった、手探りでやってきて御苦労であった、私もそれを認めている、もう一つ扉を開けるからその歩みが明快に観えてくるぞ、だから確信を持って行け、ということです。
そうすると、エネルギーが少なく楽をして行けると思うかもしれませんが、そうではないのです。
ことが明快に現れてくるということは、求められるぞ、ということです。それは楽になるということではなく、さらに心して行け、ということなのです。それに応えられるだけの者に成れということです。

新年を迎えるにあたり、改めてみんなに話があります。

ここ何年か、毎年その年のテーマとなる言葉が降りてきていました。
2015年は「船出」でした。乗組員たちが一つの船に乗っているという意識を持って、自分に与えられた部署に専念し、船が円滑に進んでいくように努める ――― と言っても、なかなかポンコツな船出ではありましたね。船の性能が悪いのか、乗組員の意識が低いのか。けれども確かに船出をしました。そしてあと4分の1が残っていますので、仕上げとして、やはり一人ひとりがこの船のどこを担っているのかを意識して、自分の分をしっかりやり、そして連携すれば、この船は2015年の目的を達成して新たな年へ向かうでしょう。

新たな年には、新たな目的が与えられます。すでに、それが何であるか僕は予感しています。
先ほど『映像の世紀』のテーマ曲を聴きましたね。何とも言えず淋しいというか、侘しいというか、暗い感じがするでしょう。その奥にあるものを感じられるところまで、僕たちは来たのです。
今年もたくさんの映像を観ましたが、なぜああいったものを観るのかと言ったら、NHKが狙っているところに我々の目的はありません。なぜかわからないけれど、NHKの担当者に「こういう番組をつくりたいな」という想いがふっと湧いて番組をつくるとしたら、そこには彼らが頭で考えて「日本人にこういうことを伝えたい」というものを超えたものがあるのです。それは、星がそうさせているのです。時代がそうさせているのです。

多くの人間には、まだそれがわかりません。けれどもここの人たちはそれを受け取るからこそ、何回も何回も、必要な時にこういったものを観るわけです。20世紀の人間たちがたくさん経験をしてきて、それを映像にまで残して振り返って、戦後70年経ってもまだ怨念が消えないほど辛い体験をしながら、それでもなお観えずにいるものを、我々は観ているのです。
たかだか80人の人たちが何を真剣に毎日夜中までやっているのかと言ったら、僕は、世界を代表しているのだと思うのです。安倍さんも周近平さんもオバマさんもプーチンさんもわかっていないことを解釈できているからこそ、名もない人たちが、こういった場所を真剣に保っているわけでしょう。

今、9月30日の午後10時35分です。もう少しで新しい年を迎えるというところに、我々はいます。
この新年は前倒し新年です。というのは、2016年に向けてしっかり心構えをつくり、相応しくなって新しい年をスタートしなさいということです。だから、四半分を与えるから、心の体制をつくってのぞめということです。

それで、2016年のテーマは何か。
テーマは、少し前にようこちゃんと話している時に降りてきました。どういういきさつでそれが降りてきたのかは覚えていませんが、何か新しい動きを感じる話をしていました。ようこちゃんは覚えていますか?

ようこ:
その時のいさどんの言葉をテープ起こししてあります。
(と言って、ホールのスクリーンに文章を映し出す。)

いさどん:
すごいね!僕が何も言っていないのにそこまで用意してる。

ようこ:
それでは、2016年のテーマ発表です!

 
■    ■  9月17日朝のいさどんの話  ■    ■

世の中はまだ十分に木の花ファミリーの実態を理解していない。しかし、我々はこの生き方は本当に大切だと理解してきたし、世の中がわからないといっても、勘の鋭いポイントの人たちにはわかってきた。そうすると、我々が投げかけることに対する受け皿が出来たんだよ。後は「発信」するだけだよ!

発信するということは、こちらが勝手に発信するということもあるが、実際のところ発信してもその受け皿がなければ、どうしようもないことなんだよ。それでは長続きしない。

ところが、発信したことの受け皿があれば、その手ごたえがあるから発信し続けることが出来る。だから、これからどんどん出していく。

それも、後ろに潜象界を置いて発信していくということだ。

しかも、その発信は、地球を意識して、地球にまわるというイメージなんだよ。

■     ■     ■     ■     ■

 

いさどん:
実は、これを発表するのは元旦だね、と話していました。そうしたらようこちゃんは「流れだね」と言っていました。そして今日、僕はここで話しながら流れを観ていたら、僕のこれから出会うであろう出来事の先を読んで、幅を持って、いつでもどこでもどんな対応もできますよという人がいて、ぴったりのタイミングでこれを出してくれました。
また、今日は大晦日だねと言っていたら、勝手に蕎麦を打っている人がいました。どちらも全く予期せぬ話で、そういう準備をしている人がいるのです。

人と人の関係というのは、自分を超えて、自分が自分を想う以上に、近くなれるのです。自分が一生懸命自分のためを想って自分を大事にするよりも、人との関係はもっと自分を大事にしてくれて、もっと自分のためになって、もっと近くなれるのです。これが、「あなたは私、私はあなた」という世界です。これが地球の姿です。これが宇宙の姿です。

そういう人間関係を、誰とも結びたい。それは木の花曼荼羅にも表されているでしょう。

72角形のすべての点を線でつなぐことで、自然と中心が現れる木の花曼荼羅
72角形のすべての点を線でつなぐことで、自然と中心が現れる木の花曼荼羅

 
いさどん:
これは難しいことですか?

みちよ:
難しくない。

いさどん:
いや、難しいですよ。確かに難しくないとも言えますが、これまでの実際の自分の歩みを、一人ひとり振り返ってみてごらんなさい。こんな自分がそんな世界へ行くのだと思ったら、難しいことでしょう。
しかしそれは、ここまで歩んできたのだから、その先の世界へも必ず行けるね、ということでもあるのです。

そこへ行くためには、自分よりもまず全体を大事にして、自我をコントロールできる人になること。たったそれだけです。

何の勉強もしてなければ言葉を話すこともない道ばたの木や草花、動物、空気・・・みんなそれをやっています。人間だけが、それをやれないのです。なぜならば自我が邪魔をしているからです。
21世紀に入り、様々な分野で最先端にいる人たちが、それができない。それは損得勘定で頭が回っているからです。しかし人間には、必ずそれができるのです。自然にならい、自我をコントロールしていけば、簡単にできます。それをやらなければもうこれ以上もたないと地球が言っています。地球というひとつの生命の中で争いが起きているなんて、おかしいでしょう。

真実は、どこからどう捉えてもひとつです。正義は解釈でいくらでも変えることができます。しかし、真理とは、どこからどう捉えてもそれしかない、というものです。
この生き方は、時代を超えて、民族を超えて、人類がこの世界で進むべき道なのです。

みんなは、外観からはとても聖者には見えませんね。(みんな:笑)
けれども、体の一つひとつの細胞が目覚めて全身が健康になっていくように、この何でもない人たちが目覚めていくことで、地球全体が健康に、美しくなっていくのです。
それが21世紀の悟りであり、「コミュニティの仏陀」として生きる、新しい意識の人々が創る社会の姿なのです。

地球は、天(宇宙)が人類に生命の理想を表現することを託した、唯一の場所なのです。私たちは、その尊い使命を負って生まれてきた者たちです。自らに囚われず、広い世界に目を向ければ、時代がそのことを私たちに示していることがわかります。その意志が受け取れたならば、私たち一人ひとりはこれからどう生きるべきかが明快にわかるはずです。
そこに、誰も指導者はいません。あなたが自らの人生を導く、あなた自身の尊い指導者なのです。

 
皆さん、新年明けましておめでとうございます!!

 

 

― 最後にみかちゃんが、「太陽の導き」という歌を歌いました ―

 
「太陽の導き」

心に輝く一番星 それは近づいてみれば 太陽だった
その太陽を心の真ん中に置いて いつも心を照らしていよう

泥のような道を歩んでいても
太陽がいつもあなたを導いてきた

歩いては転び そして起き上がり
歩いては立ち止まり そしてまた歩き始める

ここまで生きてこれたのも
こちらへおいでと手招きしている 太陽の導き

今 振り返って 自分の歩いた軌跡を
自分の心の姿を 太陽に照らして見てみよう

太陽は教えてくれる ただみんなのことを思うことを
太陽は教えてくれる いつも私の方を向いてるように

そうして生きてゆくならば この世界は生きたバイブル
いつでも振り返りひも解いて 太陽の道を歩んでゆこう

何てありがたいこの道を歩んでいるのか

あなたという小宇宙が もっと大きな大宇宙の中で
どんなふうに輝いているのか どんなふうに歌っているのか

この道は尊き道ゆえ この道は尊き道ゆえ この道は尊き道ゆえ

いつも心を太陽に向けて いつも心を太陽に向けて

歩いてゆこう

 

 

 

 

 


いさどんの七夜物語 – 第六夜 「父上より」

「七日七夜で心の質的転換を起こします」と始まった七夜物語も、いよいよ残すところあと二夜。第六夜は、子どもたちの通う柚野(ゆの)小学校の運動会の話題から始まりました。

 

929 「父上より」

いさどん:
この間、柚野小学校で運動会があったでしょう。あれはNHKの7時のニュースで放送されてたんですよ。

みんな:
え~~!!

ヒロッチ:
こんな田舎の小学校が?

いさどん:
ほんとほんと。10時からマラソンがあって、朝霧高原まで行って帰って来るんですよ。体育館では重量挙げをやってるよと言ったら、さこちゃんが「天ぷらか何か揚げてるんですか」と言ってきました。(さこちゃん、首を横に振る。)そして体育館裏では、「投げやり競争」をしていました。もういやだ~、運動会なんてやりたくない~~、とみんなで投げやりになって、審査員が判定します。一番投げやりな人が金メダルです。

ヒロッチ:
おもしろいことゆーの(柚野)う。(チーン♪)

いさどん:
2020年の東京オリンピックで新しい競技の導入が検討されていますが、投げやりを入れたらすごく面白いと思うんですけど。

ヒロッチ:
いさどん、出るでしょう。

いさどん:
僕は前向きだから出ませんよ(笑)。

ファシリ:
今日はこうちゃんの心のシェアがあるので、お願いします。

こうちゃん:
少し前から、畑隊の滞りが話題になってました。じゃが芋や、カボチャも出来が良くないし、レタスにあんなによとう虫が出たことも初めてです。作物をよく観ていなかったということと、きちんと対処していなかったことの現れだなと思います。
僕は、人から言われたことを受け取るのに時間がかかります。「こういち」という名前をカタカムナで読み解くと、同じ位置に継続して留まる人だと読み取れます。(ここでこうちゃんは、カタカムナや地球暦を使って自己分析をしました。)カタカムナで観ても、地球暦で観ても、自分がこうだと思った概念から抜けられずに変化しない人だということが表れていると思いました。でもそれじゃあ役に立たないから、超えていきます。
作物については、畑隊全体でやっていきます。人を育てるということもしてこなかったので、相手のやる気云々ではなく、自分が全体にとって何ができるかを考えて、人を育てていくということだと思います。思考錯誤しながらやり始めているところです。

いさどん:
我々一人ひとりは、肉体を与えられて、個人というベースを持っています。肉体をもらうと、そこに視点が固定され、自我が生まれます。その自我を表現するのが人間の人生ですから、それはそれでいいのですよ。
ただ、たくさんの個人が地球に降りて来る、その目的は何なのかというと、クニツクリですね。日本国であったり、人類であったり、地球というネットワークを築くことが本来の目的です。

クニツクリとは、何か使命があってそれにガチガチになってつくるものではありません。「クニ」をカタカムナで読むと、「自由(ク)に出来る、定着された範囲(ニ)」という意味になります。個人が、自分に与えられたポジションで自由自在に自分らしく生きた時に、クニツクリができるのです。
今の人間たちが自由自在に生きると、てんでバラバラの世界ができます。それではクニは保たれません。この世界が創られたもとの目的に則って個人が個性を持って降りてくるということは、個人は存分に自分の人格を表現しながら、それがイコール全体の役に立ち、全体を成り立たせることになるということです。

我々は、なぜここにこうして集っているのでしょう。今の社会は、そのことを人々が忘れてしまって、自分さえ良ければいいという「我先の心」で生きているから、艮の金神の言う「この世はすべて逆さまじゃ」という状態になっています。いいと思うことを一生懸命やるけれど、結果としてそこに問題が発生するのです。
それは、大本の仕組みからずれたことをやっているというメッセージでもあります。それを学びにすることもできますし、学びにしなくても、問題が起きたことによってそれ以上先へは進めなくなったわけですから、自動的にその無秩序は制御されます。
人間がこのままどんどん自我を膨らませていくと、人間は地球上で生きられないことになります。そこで、その予告として、この世界は様々な天変地異を起こし、メッセージを送っているのです。
今のこの世界に生きていて、多くの人の中では、宇宙と自分の生活がつながっていません。それは仕方のないことですね。そういう者だということですから。

中国に、孫文という人がいました。中国建国の祖と言われる人です。中国は巨大で歴史の長い国ですが、孫文の時代の人々は自分の生活に目が行き過ぎて、社会をどうするかという意識がないまま欧米列強の言いなりになり、半植民地化されていきました。その原因は何かと言ったら、彼は無知だと言うのです。無知な国民がいて、国は滅びていくと言うのです。
今の人間は、モノやカネに意識が行きすぎています。しかし、モノやカネをたくさん獲得したら幸せになるかというと、世の中がおかしければ誰も幸せにはならないのです。世の中がおかしくなると一部の人間だけが富を獲得するようになりますが、それは酷い社会をつくった張本人でもありますから、霊的にも愚かしく、人としての価値もないものになります。それは、本当の意味での価値を見失った、無知な状態だということです。そんな人々が暮らす国は、いずれ滅びていくことになるでしょう。

「自分」というところに意識が強く向いていると、自らの欲望に縛られ、それが満たされることで自己満足する世界に浸っています。そのような精神状態の人は、自分から湧いてきた感情を観るということをしません。自然療法プログラム卒業生のHちゃんの体験記に、妄想をしていると快楽物質が湧いてきて、その依存症になっていたということが書いてありましたね。いろんなことをやってみたけれど、自分のことしか考えていないのだから、良い世の中に貢献できるわけがないのです。それどころか、自分のためにやっていると思っていたことが、自らの滞りを生み、いずれ人生が破たんしていくのです。
先ほど話しました中国の人々もそうでした。自分の目先のことばかりを考えて、視点を広く外に向けることを怠っていたために、欧米の国々の思惑のままになっていくことが観えなかったのです。そして、知らない間に植民地のようになっていったのです。

私たちが、この世界に生まれてきて個性を持つと、今の社会のあり方のままでは、個性が増えれば増えるほど混乱して、てんでバラバラの状態がたくさんできるでしょう。ところが、大本の仕組みを理解してそれぞれが個性を存分に発揮すると、それはクニツクリになります。秩序のあるクニツクリです。つまり、人々が集い助け合って、国が豊かになっていくのです。そこの違いがわかっていない。
クニツクリに役立つのは尊い者です。尊くない者は、その証として、ひとりよがりで行動していって必ず行き詰まります。そして無駄を作るのです。

今こうちゃんが畑の話をしていましたが、作物を作るということは、我々が生きていくためにいただいていくことです。いただくということは、学ぶということでもあります。
食べるということは、私たちの生活にあまりにも身近なものです。けれども人生というのは食べるだけではありません。成長するのです。成長とは体が大きくなることだけではなく、魂や心の変化でもあります。先人たちが長い歴史を通して、心のランクというものを示して来てくれました。心の位置によって、地獄のようなところから天国まで、様々な魂の道が人間には用意されているのです。
それを忘れて食うだけに翻弄されていては、獣と同じです。ひとたび特定の檻の中に入れられたら後先考えずにすべてを食べ尽くして、いずれ自分も自滅するのが獣です。しかし、獣に与えられた能力には限界があり、広く自由なところであれば、秩序が保たれるようになっています。そのように、秩序を保つための限界をインプットされているのです。けれども人間は能力が高くなり、どんどん自然を変えて自分の願望を叶えようとしてきました。それを続けていくと、自分がその願望の虜となって盲目になり、自由をはき違えて秩序を乱し、結局は自由ではなくなるのです。

人間が畑や田んぼで作物を栽培することは、自然から命をいただいているということです。人間が自然を自由に作り変えて人工の世界にしてしまったら、きっと大きなしっぺ返しをもらうでしょう。人間の智恵を自然に反映させることは人間の定めでもありますが、本分を忘れて人間の都合だけでやり続ければ、必ずそのような結果につながるのです。我々はもともと宇宙の法のもとに、クニツクリのために降りてきたはずですから、自我をやり通して思い通りになったように見えたとしても、人生を通して必ず、自らの価値が問われます。

こうちゃんは、今年レタスによとう虫が大量に出たと言いましたが、去年だかいつだったかにも同じ話があったでしょう。秋に入っても気温が高く、雨が続いて、白菜によとう虫が出てボロボロになってしまったという話は前にも出ています。ということは、今年のことが起きる前から予告があったということです。同時に、これからの環境は農に携わる者にとって厳しいものになるという情報はたくさんもらっているのですから、ただいつも通りに作物を育てるのではなく、作物と対話して、赤子を育てるように緻密に作物を観ていく必要があります。
そういった緻密な配慮のもとに百姓をやるのは大変だと思うのか、いつの時代でも百姓は天の気と共に、その意向を受け、緊張感の中で感性を磨かれていく有り難い生き方と捉えるのか、ということです。

こうちゃんは、畑の後継者を育ててこなかったという話をしていましたね。人が集まれば、経験によってリーダーやサブリーダーが生まれることになりますが、僕は、指導者というのは対話する人だと思っています。
昔僕が畑に出ていたころの話です。他の人と一緒に作業をして、畝を立てるでしょう。その時に、畝が曲がっていることがあります。曲がっていることを知っていて行くのならまだいいのですが、曲がっていることに気付かない人がいます。そこで僕は「振り返ってみなさい」と声をかけます。曲がってるよ、とは言わずに、ただ、見てみなさい、とだけ言います。そして相手が気付くまで待ちます。相手がなかなか気付かないと、その分作業が止まりますが、それはあなたの姿勢が作業を止めているのですよ、ということです。
そして仕上がったものは、自分の心の表現です。畝が曲がっていたなら、それも自分の心だと思って観なさい、ということです。

そうすると、みんなは僕と一緒に作業をする時はとても緊張して、一生懸命自分の行った作業の結果を見るようになり、自分と対話することになります。中には、僕がいないと全く見ない人がいます。普段は全然見ないで、僕がいる時だけ緊張しているので、そういう人は僕と一緒に作業をすると疲れます。
そうではなく、僕と一緒にやった時に言われたことをマスターしたら、一人でやる時にもその経験が生かされ、無駄がなくなり、楽になるはずなのです。ところが僕といると緊張して、一人でいると気を抜いて楽になる人がいます。
だからこそ、今も僕は畑やその他の場所で気付いたことがあると「どうしてこうなっているのですか」と声をかけます。僕が行くと問題があり、僕が行かなければ問題はありません。ということは、僕が行くと問題が起きるということです。なぜなら、僕が行かなければ誰もその問題に気付かずにそのままにしてしまうからです。

そうやってみんなに伝えていくと、重箱の隅をつついて歩き回っているようで「自分は嫌な奴だな」とも言いたくなりますが、それは観えるものを観て、伝えているだけです。それは、観えるものを観ないで、物事と対話することをしないで、そのままにしている人たちがいるということです。
なぜそうなるのかと言うと、作業をすることが目的になっているからです。もちろん作業は目的ですが、そこで自分の心の姿勢を観ることによって、作業性もよくなります。それをマスターすると、忙しい時でもシャキッと仕事ができて、予定より早く終わります。それどころか、天の気に合っているから、晴れ間と晴れ間の間でピシッと作業を終われるのです。それは天気が思い通りになるということではなく、天の気を読み、天と共に生きるということです。

昨日の台風は、与那国島で最大瞬間風速81mが観測されました。それは本当に深刻な問題ですよ。これまでの最高記録は85mとのことですが、気候変動によって、これからはそれをさらに上回る台風がどんどん増えていくことでしょう。先日鬼怒川が氾濫して大水害となりましたが、それで驚いていてはいけません。国土交通省は荒川氾濫の可能性を警告し、それがどれだけの災害をもたらすのかをシミュレーションした映像まで制作しています。
これらはすべて人間の営みによるものです。しかし規模が大きいので、人々は自分には関係ないと思って姿勢を改めないのです。先ほどの野菜の話でも同じですが、自分の好き勝手ばかりやって本当のクニツクリをしないと、必ずしっぺ返しが来るのですよ。けれども、わからない人というのは自分の感情から湧き出ることだけを大事にして生きて、それがもたらすもっと大きな結果に意識がつながらないために、いつまで経っても本当が観えてこないのです。

ここにいる人たちは、そうではないでしょう。そうではない「はず」です。「はず」と言ったのは、忘れている人もいるからです。
僕は今こういった話をとうとうと語っていますが、昔は畑へ行っていい加減なことをして終わっていく人を許せませんでした。なぜならば、それはすべて自分の姿勢の現れなのだから、それをいい加減にして放っておいてはいけないのです。その姿勢を正すのが、生きるということなのですから。それは畑でも、ご飯を食べることでも、何であっても同じ、自らの姿勢を正すための生きる目的の元にあることだからです。

今は、様々な情報や人々との出会いを経て、全体をひとつの物語としてつなげて観て捉え、そこから観えてくる個人の生き様を捉えるということをしています。昔の僕のようにそれを一人でやっていても、社会の変革のためには、共鳴してついて来る人がいなければ、エネルギーが空回りして大変です。リーダーシップを取る人は必要ですが、同時にそれを受ける人がきちんと受けて、一緒に積み上げていく。みんなでそうしていったら、たくさんの目があって、いろいろな配慮ができて、ことがスムーズに進んでいくようになり、エネルギーの無駄はなくなっていきます。それは何かと言ったら、阿吽の世界です。
昔から、阿吽の場を創ろうとしてきました。物はたくさんいらないのです。「気付け」ということです。同じ目的を持っていたら、気付けと言われなくても気付きが生まれてくるのです。そこで気付かないのは、目が違うところを向いているということです。

今の世の人々は自分が存在する意味を見失って、人が集まれば集まるほど殺伐とし、豊かになればなるほどその豊かさが偏重して貧富の差が起きる世界をつくっています。そういう世界では、企む者が横行します。そういった社会では、人々は安心して暮らせなくなります。制度をたくさん作っても、その制度もざるのようなもので、お金やエネルギーばかりがかかります。そして、それが産業を大きくしているのです。
だからこそ、そうやってただ拡大していく世界から、不要なものをそぎ落として本当に必要なものだけを使ってシンプルに豊かに生きていく世界を、ここにつくりました。そういう時代が来ているのです。

こうちゃんが気の毒だと思うのは、畑隊の他のメンバーがみんなお手伝いさんだということです。いつまでたっても、リーダー以外はお手伝いさんがいるだけで、言われたことしかやりません。自分で工夫して発展させるということをしないのです。それはリーダーだけの責任ではなく、みんなの責任です。
この間はまこっちゃんがずっと滞っているという話が出ましたが、ではまこっちゃんの姿勢は誰がつくったのかといったら、みんながつくったのです。何か滞りがあればその都度出して、一つひとつのことを明快にしていけばまこっちゃんもそのままの姿勢でいることはないのに、そういう場を創らない空気がここ全体にあるから、まこっちゃんもそのままでいられるのです。言葉は強いかもしれませんが、そういった姿勢を生み出さない場がここにあれば、その都度物事が明快になって、まこっちゃんももんもんと毎日を過ごすようなことにはなりません。いつでも本音が出ているから、ある日突然「えっ、そんなことを考えていたの」と驚くようなことにはならないのです。

それと畑隊の話は、関係のないことのように聞こえるかもしれません。けれどもそういった裏表のない、風通しが良くみんなの気が通っている場ができると、物は長持ちするし、作物にも生命力が湧き出します。すべてそうですよ。波動ですから。「みんなで」というのは、みんな生きていていいんだよ、みんな生かすんだよ、という世界です。その波動は、生命にとって良いに決まっています。

少し脱線した話をします。
昨日、きょうこちゃんが病院に行ったことを報告しに来ました。検査の結果は、ガンが育っていたそうです。
きょうこちゃんは、私はこのまま手術をしないで様子を見たいと言いました。でも僕はこう思いました。確かにきょうこちゃんのガンは彼女の心がつくったものです。このまま手術をしないで様子を見たい、という強硬な心もきょうこちゃんらしいです(チーン♪)。だけど現代医学だって優れているのだから、なってしまったものはなってしまったものとしていただいて、医療の力で取り除いて、そこから改めて自分と向き合って歩んでいくのも道なのです。
しかし、僕がそう思ってもこれはきょうこちゃんの道ですから、説得することではありません。お医者さんは今が切り時だと言います。すべてはその人にふさわしく与えられたいただきものです。お医者さんの言葉もいただきもの。ガンもいただきもの。それがどうなっていくかをよく観ていくと、そこに流れが観えてきます。そしてその時に一番ふさわしい行動がサッと取れるのです。そこで損得勘定で思考をぐるぐる回しているとタイミングを逸します。

きょうこ:
今いさどんが言ってくれた通り、今日病院で検査をしたら、ガンが大きくなっているということでした。自分の心にふさわしくいただいていることだと思います。
お医者さんが言うには、現代医療的見解では、今が手術をするギリギリのタイミングだと言われました。今までは3ヶ月おきや2ヶ月おきに検査していましたが、次は1週間後に来てくださいとのことでした。よく考えて決断してくださいと。

いさどん:
そうしたら、ねじれたきょうこちゃんへのアドバイスをまたねじって受け取ったりょうちんが、現代医療とは違ったガンへの対処の仕方をネットで見つけて、今日僕のところへ持ってきました。まだきょうこちゃんには伝えていないけど見てください、と。
現代医療のガンの捉え方も、それとはまったく正反対のガンに対するとらえ方も、どちらもその通りですが、切って処分してしまえばいいという現代医療の捉え方はやはりおかしいのです。それはかえってガンが喜ぶ心です。
それに対してりょうちんが別の選択肢を持って来ました。僕は自分には過激なことをやりますが、人が過激なことをやるのはあまり好きではないので、きょうこちゃんについても、そのガンは自分の心のねじれが育てたのだから、手術をしないという決意も貫き通せないようであれば、現代医療に委ねるという選択もあるんだよ、と思っていました。しかしりょうちんが別の選択肢を持ってきた時、ああ、りょうちんのねじれがここで活かされたな、と思いました。ねじれも悪いことばかりではないのですよ。
それで今日、その資料をきょうこちゃんに渡しました。きょうこちゃんも、これはいいねと言い、同じくガンを持つさっちゃんにも見せると言うので、それなら大人ミーティングでみんなにシェアすればいいと言いました。これは心の学びですから。

畑でも田んぼでも、ここの生活全般がそうですが、誰もが全体のために、自分を有効に活かしていく、ということをしたら、それが共同体であり、共同作業なのです。
そう考えると、今までの畑隊というのは共同作業をしていないですね。リーダーが責任を持ってやっていて、あとはみんなお手伝いさんになっていますから。頭を使わず、ただついて行っているだけです。核がいくつかあったとしても、その核はてんでバラバラで連携していません。だから、キッチンと畑隊がつながっていない。収穫隊と畑隊がつながっていない。作付計画がつながっていない。そういうバラバラの現象が起きるのです。
こうちゃんは今、自分の立場としての振り返りをしましたが、同時にみんながそれに協力をしなければ、共同の場などできるわけがないのです。それがあってこそ、本当の意味での共同体です。軽いノリでみんなで暮らすといいねというものではなく、持続するには真剣さが必要なのです。

僕はこの暮らしの言いだしっぺとして、ずっと自分の役割をやって来ましたが、折に触れて言うのは、みんなの力がないとこの暮らしはできない、ということです。そういう意味で、僕はみんなと同じ立場です。ここのみんなが一人も僕に共鳴しなかったら、それは共同体とは言えないのです。共同体を目指すということは、その精神を分かち合って、自分という個性を活かしながら、この場に貢献していくことです。その精神の元にあれば、リーダーもお手伝いさんもありません。そして、人が集まれば集まるほど豊かになるのです。
今は、なぜか人が集まっても豊かになりません。逆に、人が集まることでぎくしゃくしてそこにクレームをつけて、自分に調和的な心がないことを棚に上げて正当化する人までいます。そういう人は、理屈ばかり語るのです。
人がどうであれ、自分は全体のために自分をどう活かすかということを最優先にすることです。それが、共同して生きる人たちの絶対欠かしてはいけないベースの姿勢です。

長い時間をかけて話しましたが、なぜ長い時間をかけたかというと、そのくらい広い意味で、我々は共同体の中にいるということです。それがこの世界を創っていて、その法が我々を生かしています。
それを近年の人間は忘れて、個人主義ということを言いだしました。本来の個人主義は、義務を果たす ― つまり社会に対する自分の役割を存分に全うした者が、主張するべきものを主張するということです。義務という柱と、権利という自分の欲望を主張することがきちんと統合している状態でないと、それは成り立ちません。しかし、柱がないままてんでバラバラに自分の都合ばかり考えているのが現代の社会です。それは個人主義ではなく、バラバラのエゴ主義です。
エゴからエコは生まれません。エロは生まれるかもしれませんが。(チーン♪ みんな:笑)
あのー、柚野小学校の体育館裏に競技場があってね、そこで投げやり競争というのをやっているそうですよ。もいやだ~~~とね。(みんな:笑)

こうちゃんの振り返りから、話が長くなりました。今日は6日目ですね。ここが質的転換をするためには、こうちゃんが一人で振り返って決意してもダメなのです。こうちゃんの見えるものと、その他の人の見えるものが共通しないと。そしてこうちゃんが伝えた時に、それを受け取る者が受け取らなければどうしようもないのです。
我々生命は、共同体に暮らしています。それは地球共同体であり、宇宙共同体です。それが先にあって、それをベースにした上で、自らの個性をどう活かすかという姿勢が大事なのです。

まり姉:
今日よしてるくんが、こうちゃんに対して思うことはあるけれども、こうちゃんは自分で振り返ることができる人だからあえて伝えないんだと言ってました。

いさどん:
それは、自分の性格をチェックしない人の言い訳でしょう。それは相手のためでも全体のためでもありません。自分がやらないことの正当化です。そういう人が何かを言っても、その場を創ることにはならないのです。もしもあなたが本当に全体のためを想い、言うべきことを伝えていたら「よしてるの言うことは聞かなきゃいけないな」という空気ができるはずですよ。けれども実際は自己主張をしているだけで、その場に貢献することなく終わっていくのです。それはそのままあなたの姿勢を表しています。そういったことを認められる人になるかどうかです。
それは、人に貢献することよりも、自らのことを優先している人の姿勢です。まとまりのない不調和な場がそこにできているでしょう。その場があなたの実態を物語っています。それはこうちゃんの未熟さの表れでもあるけれど、周りが一緒に創り上げようという意志がないということでもあるのですよ。そのような場であれば、当然、作物もそれにふさわしい状態になります。

我々は、天然循環法で作物を育てています。農協の指導であれば、作物を育てるのに波動は関係ありません。それで形はそれなりのものができても、中の波動は自然界の美しい姿からは狂っているので、食べればその狂った波動を取り込むことになります。我々はそういうことはしないということで天然循環法をやっているのです。そこで大切なのは、自分たちのベースが、生命として本当に生き生きして、調和していくものであるということです。それが変化・変容・変態を繰り返す宇宙の生命の姿です。
それをやるためには、みんなで力を合わせて共に場を創らなければいけません。そういう場ができたら、作物は必ず応えてくれます。周りに受け取る姿勢ができれば、伝える側もやりがいが生まれ、みんな真剣にやろうという気持ちが起きてきます。けれども、みんなで創っている場の波動の結果として今の作物の状態があるのに、その責任を全部こうちゃん一人が負うというのは辛いでしょう。

もうひとつ、万田酵素を使うとびっくりするほど大きな作物がとれると宣伝されていますが、天然循環法でそんなに大きな作物ができるとしたら、僕は違うと思うのですよ。何かと言ったら、生命とは「足るを知る」ということです。人間の我が絡んだ生命というのは、もっともっとという発想になります。大きければいいとか、たくさんあればいいとかいう発想は、ガンの元になります。
「満つれば欠ける」のが世の習いです。ほどほどの姿をしていて、素性が健全であるものは、健全な響きを発し、病気を作りません。今の世の中は、病気を作る食べ物を作っています。食べ物は、本来新しいエネルギー源として体にエネルギーを与え、それが細胞を作って我々の命をつないでいます。そこに歪んだ人工の波動が入ると、生命自体が歪んでいくのです。そして、体と心は両輪ですから、心が歪んでいくのです。

我々生命は、もともと共同するものです。ですから、この世界で、共同体は当たり前の話なのですよ。地球は一つの生命であり、生命の共同体なのですから。それが、太陽系共同体、銀河共同体、宇宙共同体と相似形になっています。それが、この世界の真実です。

*ここで、りょうちんが見つけたガンへの対処法がシェアされました。
「ガンは細胞の先祖返り」
「ガン三大療法(抗がん剤・放射線・手術)一辺倒なのは日本だけ」

いさどん:
みんなはみのるんのことを覚えていますか。アトピーが悪化して日常生活もままならなくなり、自然療法プログラムを受けにここに来て、元気になって帰って行きましたね。(詳しくはみのるんの自然療法プログラム体験記をご覧ください。)僕が最初に彼に伝えたのは、簡単に言うと、あなたはアトピーの波動を持っていますよ、ということです。その波動がアトピーの細胞を作っているのですから、波動が変わればアトピーは消えます。
その人の発する響きが、この現象世界の元となり、その人の人間性を形成して人生をつくっています。発信源は自分なのです。怒りや悩みや愚痴の波動を発しているのか、笑いや喜びや感謝の波動を発しているのか。笑いにも質があり、表面的に笑っているのか心の底から笑っているのかの質は問われます。

きょうこちゃんのガンを観ると、やはりそういうものを作る心の歪みがあったのだと思います。心のことを伝えられても条件反射的に反応するだけで、本当に自分の心と向き合わず、改めるということをしない体質が、長い間に蓄積されてガンという症状になって現れました。やはり心から改めることが大事なのです。
りょうちんが紹介してくれた代替療法も、ある意味対処療法です。健康に生きるとはどういうことなのでしょうか。ガン細胞は、何も悪くありません。発生するべき環境があるから発生しているだけなのですが、それを「ガンが悪いんだ」と思っていると、その発想自体がさらにがん細胞を作ります。そんな発想をしているなら教えてあげなければ、とガンはますます使命感を帯びてくるでしょう。

この世界にはそういったメカニズムがあります。素直に受け取るということは本当に大切で、その延長線上にいい人生があるのです。今社会には様々な病気が蔓延していますが、では病気が0になったらそれがいい社会かというと、問題があることによって人は学び、進化・成長し、人生が充実していくのです。
こういうものを読むと、ついついガン細胞を治療するという発想になりますが、ガンさんありがとう、という心もそこには必要だなと思います。

みかこ:
日本はガン治療において、他国に比べてもおかしな状態になっているのがわかる。モンサントについても、他の国では反対運動があるけれど、日本ではそういう意識もほとんどない。
『火水土伝文』に、「最後の時、彼らの企み彼らの申す通り九分九厘成功しておるのぞ。彼らの企みもっとも鮮やかに花開きたるは日本なるぞ。」とあります。「彼ら」というのは「あやま知」の力を使っている陰の存在のことです。「汝ら気付かぬか。日本の人民様、見てござれ。上から下まで見てござれ。彼らの言うた自ら思考することのできぬ人民様や欲望のままに生きる人民様ばかりの世になりておろうが。」そして、なぜそうなるかというと、日本は神の気の出ずる唯一の国だから、とあります。

いさどん:
僕はこの歩みをそこへつなげています。だからこそ日本でこれをやるのですが、そうすると日本国内よりも、最近では外の国から共鳴する人たちが現れてきていて、逆輸入のようなことになるのだろうかというイメージも湧いています。

昨日、夜中に「父上」からメッセージがありました。
昼間にミツバチを襲いに来るスズメバチを退治していて、すっかり疲れて眠りにつきました。あのモードで眠ったら普段なら朝まで目が覚めないのですが、どれだけ眠ったのか、夜中にパッと目が覚めました。それで、上に向かって「何でしょうか」と聞きました。そうしたら、何と表現したらいいのか、上の方に重くてかたい、大きな存在がありました。そして言葉が降りてきました。

 
「これからは力強く支援するぞ。流れが変わる。
 それに遅れをとらぬように、よろしく頼む。」

 
それはとても重く、力強いものでした。それにふさわしい意識を持っていかなければいけない、と思いました。しかし、実はすでに始まっていますね。そうでしょう。外から次々と共鳴する人々が現れています。
これからますますそういう時が来るということを感じます。みんなにも感じてほしいのです。先ほどこうちゃんのシェアがありましたが、一人だけで決意しても仕方ないのです。みんなでその場を創るのが大切なのですから、それぞれに智恵を絞り、直観で受け取り、無駄のない日々を送るということです。

一人ひとりが、日々いろいろな出来事に出会います。どれも自分にふさわしくいただいているのですから、いさぎよくあったことをいただいて受け止めることです。それが覚悟です。それがあれば、出来事に出会うたびに、人はきれいになっていきます。そして、人が集まれば集まるほどその場は豊かになり、美しい世界ができるのです。
人が集まれば集まるほどガタガタとして難しくなっていくのは何故なのかと言ったら、出来事をいただいていないからです。自分の中に迷いや苦しみが生まれた時こそ、自分自身に決意を問うことです。この道が大事だということを本当に思っていたら、一つひとつの出来事をとても大事に扱うようになります。そうすると、宇宙の法が我々にきちんと役割を与えてくれます。

明日は七日七夜の最終日です。僕は僕の役割を果たします。その延長線上に、ここ全体が質的転換をするということです。余分な詮索はいりません。信じていくことです。信じるとは、善意のもとにあることです。