大町道中記① 〜 フリーエネルギーで車は進む

いさどんの周りには、いつも楽しいことがいっぱい!
話しても話しても宇宙の叡智があふれ出てきて、尽きることがないのです。こんこんと湧き出す泉のような叡智は日常の曇りをサァーーーッと吹き払い、わからなかったこと、悩んでいたことが「そうだったのか~~!!」と理解に変わって、気が付けばあら不思議、身も心も軽くなって宇宙を旅しているみたい♪

ある日、いさどんは蜜蜂のお世話をしに、養蜂隊のちなっぴー、ともこと一緒に、2泊3日で大町ビレッジへ出かけました。さて、今日はどんな話が飛び出すかな?まずは、大町へ向かう車中の会話から ────


 
いさどん:
すごい爆弾があるんだよ。電磁パルス攻撃と言って、原爆や水爆のように地上近くで破裂するのではなく、宇宙空間で破裂させて、すべての電子機器が機能しないようにしてしまう。とても高いところで爆発するので、撃ち落とすこともできない。

ともこ:
えー!それってやばいじゃん。

ちなっぴー:
パソコンとかが使えなくなるってこと?

ともこ:
パソコンどころか電気、ガス、水道、ライフライン全部アウトだよね。通信も交通も何もかもダメになるから、現代社会は日常生活が成り立たなくなるんじゃないの?

いさどん:
元々はアメリカが研究していたものを、北朝鮮が知って研究し始めた。迎撃できないから対策のしようがないんだよ。そしてそういうものを開発している国というのは、政府や軍の指揮系統などだけは、その爆弾の影響を受けないようにしてあるから、仮に自国が攻撃されたとしても、やり返すことができるんだよ。

ともこ:
だけど指揮系統だけ残っても、その後の生活が成り立たないよね。

いさどん:
もし、北朝鮮がそんな武器を使ったら、北朝鮮を叩くことはできない。

ともこ:
テレビでは北朝鮮が問題だということばかりが言われていて、どうしてそこに至ったのかという話はまず出てこないね。

いさどん:
ずれておかしくなったところから問題を解決しようとしても、できるわけがない。例えば人間でも、今問題を抱えている人がいるとしたら、子どものころの親との関係とか、学校でいじめにあった時に自分はどういう性質をしていて相手はどういう性質だったのかとか、その出来事の始まりのところから見ていく必要があるし、もっと言えば生まれ持った性質のところからスタートしないといけない。それを、事が起きて現象を積み重ねて歪んでしまってから解決しようとしても、そこだけで解決できるわけがないんだよ。
(北朝鮮情勢の分析については「宇宙視点で北朝鮮について語る」をご覧ください♪)

民主主義には独裁はない。トップにも期限があるから、そういう意味では愚かしさが継続しないという面もあるね。だけど民主主義の問題点は、多数決を基本としていて、多数意見が正義になること。それではいけない場合がある。少数でも大事なことは大事だという時があるんだよ。それを見極められる力量がある民主主義でなくちゃね。でもそうすると今度は、自分に都合のいい意見を通すために「少数意見を認めろ」という者が出てくる。
ケア滞在中のRくんに、正直に生きていかないといい人生は生きられないよと言ったら、今度はわがままでもなんでも主張し始めた。そういうのを未熟という。子どもなんだよ。

ともこ:
とても難しいことだね。

いさどん:
なぁ。だから人にはそれだけの技量がないといけないんだよ。
もうひとつ、そこでは人間が自分に都合のいい思考を回して生きるのではなく、時代の流れとか、世の中を動かしている法則や流れを読みとかないといけない。それがいるんだ。広い視点と言っても、個人が個人を忘れて「国家のために生きます」と言うような精神状態に陥ったら、神風特攻隊になってしまう。その視点の意識レベルがどこにあるかによって、世の中でも、個人の人生でも、方向性はどのようにも変わっていく。

 
余計な思考をするな

いさどん:
Rくんは、自分が望むことをやろうとしても実現しない。(同じくケア滞在中の)Tくんは、それをさらに捻じ曲げて、実現できないことを不平として人にぶつけていく。うまくいかないことの原因を、自分の外に求めるんだよ。
だけどね、自分をチェックすることがすべてだよ。自分の問題点を面と向かって伝えられている間は「その通りだ」と納得しても、それは伝える側の組み立てに乗って聞いているから理解してるのであって、後で一人になると、また自分の組み立てで考え始めるから、わからなくなる。伝えられている間は「そうです」と言っていても、自分の思考で考え始めたら、被害者になる。自分こそが加害者で、人にも、自分自身にも迷惑をかけているのに。

そういったものの本質を理解できない人を引き受けて、真実を伝えていこうなんてことをしているんだから、僕は不幸な人生を歩んでいるもんだ。もっとも、そのことに対して何も思わないけどね。そういう負荷を受けても生きることができる人生を送っているというだけのことだから。なんの評価もいらない。だって、わからない人間が理解できるわけないから。

ともこ:
言われている間はそれに乗っかって聞いているから「そうだな、そうだな」と思っている。だけどそれを自分で考え出した時に自分の思考になっていくって、よくわかる。

いさどん:
だから自分に溺れないような精神構造を持たなければいけない。それが可能なのは、自分をもチェックできる人のことだ。

ともこ:
自分で自分を見ようとしても、実は全然振り返りになっていなくて、ただ自分ごとにはまっていくだけになる。

いさどん:
自分が汚れているという認識がないからね。目が曇っているものが何を見たって、たとえ一生懸命でも情熱があっても、曇っている状態でエネルギーを使っているわけだから、それは的が外れるよ。
Tくんは陰性男子の特性とでも言うのか、自分の評価と感情が優先した状態でものごとを思考しているから、どんな話を聞いても常に「自分だったら」と自分をかぶせてネガティブに解釈する。そうではなく、「自分だったら」はとりあえず置いておいて、まず「そういう捉え方があるんだ」と受け止める。いろんな捉え方があることを知った上で、その中の一つが自分だ、というように見ればいいのに、自分を絶対とする目線で他のものを見るから、「合わない」とか「否定された」という発想が生まれてくる。

みんな、余計なことばかり考えているんだよ。やるべきことは、自らの思考をよく振り返って、余計な思考をしない。するべき思考を取れ。考える容量というものがあるとしたら、その容量の中の大部分が必要な思考で回っている人もいれば、大部分が不要な思考の人もいる。その不要な思考をやめていくと、そこに使われていたエネルギーが、的を射た思考に使えるようになる。
ところが、不要な思考をやめると、まともな思考を考えたことがなければ、何を考えたらいいのか、何をやったらいいのかわからない、となる。(ケア滞在中の)Uくんは、例えば宮ノ下で草を刈っていて、一通り自分の周りをやったら「次はどこをやったらいいですか?」と聞いてくる。「見てみろ、周り中草だらけじゃないか、まだ草刈りが始まったばかりなのにどこをやったらいいですかもないもんだ」と言うと、今度は隣りの敷地まで入って草刈りをし出す。それでも彼は一生懸命なんだよ。

的を射た思考をしなさい。思考をシンプルにしていく。そうすると不要な行動をしなくなるから、少ないエネルギーでたくさんの成果が上がるようになる。さらに進んでいくと、その先は、思考や行動がこの宇宙の流れに沿っていくようになり、道理の通ったものとなるから、予想以上の成果が上がる。なんでこうなったの?というくらいにね。
さらに、思考を優先させず、直感が働くようになると、道理を超えて宇宙の法の下に現象が起きるようになるから、すべてに無駄のない、フリーエネルギーが表現された場所が生まれる。「あれ?ここはどこだろう?」というくらいの場が生まれる。それを僕はずっと考え、伝えてきたんだよ。

そういった世界が、この世界には実現可能なんだ。実現可能だけど、現実には毎日、ワイドショーで解説される北朝鮮情勢のような世界が続いている。

ともこ:
ワイドショーで語られていることって、不要な思考だね。

いさどん:
それはもう不要な思考だよ。でも人々の興味がそういうところにあるから、番組としてはウケるんだよ。真実を伝えることが目的ではなく、人々の興味をそそり、最終的にはお金儲けが目的だから。ジャーナリストや大学教授に元スポーツ選手までコメンテーターとして番組に登場するけれど、それはいかに多くの人の興味をそそるかが目的で、ものごとの本質を見出し、見る人の質を問うわけではないんだよ。
そういう意味で言うと、ロータスランドは人々にウケることを狙っているわけではなく、うちのコンセプトで作ったものを提供する場であり、我々の生き方の延長に表現されているから、筋は通っているね。

 
10いさどんのコミュニティ

(話しながら、いさどんは車を運転しているちなっぴーに対して、その運転が危険であることを伝える。)

いさどん:
僕はちなつに対して、繰り返し同じことを伝えている。そういう自分を変えなさい、と。例えばケアの人に対しても、ともこに対しても伝える。だけどみんなはやっぱり同じことをやる。
そうすると、僕は無理なことを伝えているのだろうか、と思う。つまり僕も、「いさどん流」を変えろと言われても変えることはできない。ということは、ちなつがちなつ流を変えられないことに対して僕は変えろと言っているのかもしれない。ともこがともこでなくなるようなことを言っている可能性があるんだよ。

(ここでまた、左カーブで左に車線変更をしようとしたちなっぴーに対していさどんは注意をする。)

僕は同時に二つも三つものことを考えている。今も話をしながら、ちなつに運転を任せているとでたらめな運転をするからサポートしている。
僕は繰り返し同じことをちなつに伝えているが、ちなつは聞かない。それはなぜかというと、本人が本当に真剣に、自分を改めるという気にならないから。「うんうん、わかった」と返事していること自体がちなつ流なんだよ。
そこで僕は考えた。ちなつがちなつでなくなることはないとしたら —————— それは重要なことだよね。いさどんがいさどんでなくなることもないわけだ。そうしたら、ちなつはちなつのように、いさどんはいさどんのように考える。僕は自分で自分のことを考えて、自身が誇れる人になろうと思う。ちなつはそんなことは考えてもいないから、まずは人から言われない人になるということだ。それはアホをやらない人ということ。
どうしたらそうなるのか。それには、ちなつという人間性を有効に使っていく。それをやりさえすればいい。僕はとても個性的でクセがあり、熱い人間でしょう?年がら年中このままでは、問題が起きるよ。みんながこういう風になっても問題は起きる。采配を振るう人間ばかりになってしまうから。それではまとまらない。

そこでだ。仮に、コミュニティの全員がいさどんだったとしよう。そうしたらどうなるか。10人のいさどんがいて、例えばいさどん1が役割としてリーダーシップをとったとする。すると、2から10までのいさどんはそれに従うんだよ。自分の中にあるリーダーシップを取ろうとする性質は収めて、今度はサポートする能力を発揮するようになる。そうやって常に自らの立ち位置をチェックしながら、役割を果たしていく。そういったことをわきまえているのが、「ヒフミヨイムナヤコト」と進むこの世界の構造である「ヒ」から「ト」までを理解した「ヒト」という存在だよ。
もしもいさどんが10人いたら、僕はきっとご飯も作るだろう。そうしたらとびっきり美味しいご飯を作るよ。同時に蜜蜂の世話をして「今日はこれだけの蜜が採れたよ」と報告するいさどんもいるだろうし、それを受けて「ご苦労様。じゃあしっかりそれを売るからね」と言ういさどんもいる。どの場でもいさどんが有効に働いて、全体がまわっていくんだよ。
だけどちなっぴーが10人いても、同じ人が10人いることになってしまい、コミュニティは成り立たない。

ともこ:
10ともこでもダメだね。

いさどん:
成り立たないよ。ところが、10いさどんなら成り立つ。僕に女性の体をくれたら、ちゃんと妊娠していい子育てをするよ。心配しなくて大丈夫ですよ、子育ては私に任せてください、ってね。依存はさせないけれど愛情不足にもしない。何でも来いだよ。

ともこ:
いさどん、蜂さんみたいだね。

いさどん:
蜜蜂は、例えば若い蜂がいなくなったら、本来若い蜂の役割であるローヤルゼリーを分泌して女王に与えることを、年を取った蜂がやるようになる。掃除も若い蜂の役割だけど、いなければ年を取った蜂が外に採蜜に行くのをやめて掃除をするようになる。なぜそんなことができるのかというと、蜜蜂たちは、個々の役割のために存在しているのではなく、その群れが継続していくために存在していることをわきまえているからなんだ。そういった全体のために自らの立ち位置をいつでも変えられる存在のことを、「成熟している者」と言うんだよ。
これだよ。だから、「ヒ」から「ト」までを理解した「ヒト」にならなければいけない。

ともこ:
今の10ともこだとコミュニティは成り立たないけど、そういう視点を持ったらできる気がする。

いさどん:
できるよ。それには、その仕組みの中に存在することを自覚し、自らを自由自在に活かすことだ。
のんのんは本当に頭を使わない。普通に話をしている分にはいいが、ちょっと考えなければいけないことを質問すると、もうフリーズしてしまって何も出てこない。「フリーズのんのん」だね。これはロータスランドの夏のメニューにいいね(笑)。

ともこ:
でもそれも、のんのんが自覚を持って全体視点を持ったら活かせるってことだよね。キャパや能力の違いはあるにしても。

いさどん:
活かせるよ。自覚をすればキャパは関係ない。自覚しないから、自分のクセ性分の範疇の分しか発揮できない。自分というものをいろんな場所で活かすことができるようになるためには、囚われがあってはいけないんだよ。女にもなりまっせ、男にもなりまっせ、リーダーシップもとりまっせ、でもついていく側にもなりまっせ、というように、「何にでもなれまっせ」となればいいんだよ。

ともこ:
持って生まれた個性があるから、向き不向きはあるよね。

いさどん:
向き不向きがあるからこそ、向いているところでは存分にその個性を発揮して、不向きのところでは意識してやっていくんだよ。つまり意識が必要なんだよ。自分はそれが苦手だからこそ、この場合はあえてこういう姿勢をとりましょう、と意識する。自分はこれが向いているからこれがいいんだ、ということでは、向いていないところでは使い物にならないということになる。
Tくんは、パン屋になるか、もしくはNPOに入って東南アジアの恵まれない人たちを支援する活動をしたいという。何を根拠にそう言っているのか。彼が将来のプランを語るのを聞いていると、どれをとっても関連性がなく現実味がない。彼は自分には向き不向きがあるから向いている方を活かすんだと言うけれど、それは向いている方を活かすのではなく、自分がやりたい願望を並べただけなんだよ。僕からすると、そのどれも向いていない。パン屋をやりたいと言うが、ではパン屋を経営するとしたらその資金となる融資を得るための信用がなければいけないし、社長としてのリーダーシップや経理のセンスや従業員をまとめる力も必要になる。それがあなたにあるのかと問うと、ありませんと言う。つまり何も考えていない。ただパンが好きだからパン屋になりたいというだけで、それが「向いている」ことだと思っている。
そこで僕が「それではダメだよ」と伝えると、「いさどんは僕を理解してくれない」と言う。理解しているからそう言ってるんだよ。まぁ、彼自身が彼のためを考えたら、いつかは理解する時が来るんだろうけどね。

 
誰とでも、最高のパートナーシップはできる

(いさどんはちなっぴーと交代し、車を運転しながら話し始めました。)

いさどん:
こうして話しながら、今僕は車を時速95kmで運転している。だけどこの場は、今誰かが運転をしているから気を付けなくちゃ、という感じがしないでしょう?ちなっぴーが運転していた時には「運転してますー!!」という空気が充満していたけれど、今はそういう感じがまったくない。ただ道路に沿って進んでいって、後ろについてくる車があれば左車線に入ってやり過ごす。流れに沿っているだけで、次に追い越し車線に入るタイミングが来ればそちらに入るけれど、安全になるまでは絶対に行かない。今は左車線もずっと前まで車がないから、車線変更する必要もない。運転に道理が通っているから、話に集中しながら、自動運転になっている。
ものすごく大事な話をする時は、ちょっと待って、運転を代わってもらうから、と普通ならなるけれど、僕はどうするかと言うと「運転よろしく」と天に投げて、あとは話に集中している。そうすると、時間があっという間に過ぎるんだよ。あれ!もう着いちゃった!って。僕の運転する意識はどこかへ飛んでいっているけれど、自動的に運転ができている。
今、右車線の前の方が詰まってきたでしょう?だからこの場合は右車線に入って、一緒に左車線の車を抜いていっても大丈夫なんだよ。そんなことも見ながら、話をしている。

ともこ:
ちなっぴーはちなっぴーで注意しながら運転してるでしょう?でも、いさどんがこれだけちなっぴーに伝えるということは、何かが足りないということだよね。

いさどん:
僕が「あなたは足りないよ」と伝えるとするでしょう。それを自らの身に付けていく気があるかどうかだけなんだよ。僕が足りないよと言うと、ちなっぴーは耳では聞くが、心ではまったく聞いていない。変える気がないんだよ。縁が深いし、養蜂には欠かせない重要な存在だから切り離さないけれど、ちなっぴーと一緒に仕事をすると僕はストレスが溜まる。だからいいパートナーではないんだよ。重要だけど、いいパートナーにはならない。ストレスの発生源でもある。そういうことが本人はわかっていない。
本当のパートナーシップというのは、ストレスが取れていくものさ。今日はこういうことがあって大変だったけれど、あなたのところへ戻ったらストレスが取れたよ、ありがとうね、という関係にならなければいけない。例えば僕とまりこの関係はそうだ。

ともこ:
いさどんとまりちゃんは三文字陽性同士で、もともと相性がいいわけじゃないよね?

いさどん:
三文字陽性同士だと、お互いに相手を自分の支配下に置こうとするからな。付き合ってもつまみ食い程度だね。
僕がまりこを修理した話、知らない?修理されて別人になったんだよ。縁が深いから、そこまでのことができた。

ともこ:
だけどまりちゃんの三文字陽性の性質が消えたわけじゃないよね?

いさどん:
だから、有効活用するんだよ。まりこが、最初はボケているから目を覚まさせた。そして、自分のためじゃない、人のために生きるんだ、それが価値だということを伝えた。ボケれば、何を目的にして生きているのか、人生の目的を失うぞ、と伝えてきた。もっと大きな志のために生きているんだぞ、と。まりこはそこに目覚めたから、もうボケることはない。インプットされたからね。

ともこ:
修理されると、三文字陽性同士だろうが何だろうが、どんな組み合わせでもやっていけるんだね。

いさどん:
どんな組み合わせでもやっていけるというより、どんな組み合わせでも最高のパートナーシップができる。それは人と人の関係だからだよ。それが高次の人だ。その行いは、すべて世のため人のため。自らのためは、無し。

 
自動運転で車は進む 会話も進む

いさどん:
なぁ。今大切な話をしているけれど、僕は同時に時速100km以上で運転してるんだよ。ちなっぴーは危なっかしくて仕方ない空気を発しながら必死になって運転していたけれど、僕はこうして運転を忘れたように話しながら、後ろから車が来れば左に寄って、同時に先を見て、左車線が詰まってきたら今度は右が開いているからスッと移動する。

ちなっぴー:
余裕でやってるね。

いさどん:
余裕というか、頭を使ってるんだよ。

ともこ:
いさどんは余分な思考に頭を使わない。

いさどん:
余計なことをしなければ、こういうことが可能になるんだよ。

ともこ:
何が余計で何が余計じゃないかは、自分で仕分けがつくね。

いさどん:
つくよ。その気になれば。でもチェックする気がない人にはいつまで経っても全然わからない。その気になるかならないかだ。
今、後ろに蜜蜂を積んでいる。今日は単箱だ。継ぎ箱で2段にも3段にも積んでいて幌がなければ隙間からびゅんびゅん隙間風が入るからいいけれど、単箱で蜂が多いと、蒸殺(じょうさつ)と言って巣内が暑く蒸れて、蜜蜂が溶けてしまう。だから蜂のことを考えたら、スピードも出してやらなきゃいけない。しかもこの車には幌もついているから、直接巣箱に風が入らないので、温度だけでも下げてやる必要がある。隙間風が入れば外の涼しい風が幌の中を回って温度が下がるが、窓を開ければうるさい。エアコンを入れるには寒いし、かと言って閉め切っていたら暑いから、とりあえずエアコンを弱めに入れよう、というように、僕は運転と同時に蜂や空調のことも考えている。

(窓の外の大豆畑を見ながら)あれは葉の色が濃すぎるね。大丈夫だろうか。機会があったら車を停めて花の付き具合を見てみたいね。花は付いても、実が付かないかもしれない。
(田んぼを見ながら)ここは上手だね。見てごらん、あれだけ実りながら稲が転んでいない。これは収量が多いぞ。反10俵はいける。(隣りの稲が倒伏した田んぼを見ながら)ここまでいっちゃうとダメなんだよ。さっきのところがギリギリのラインだ。そのギリギリのラインを「目指すぞー!!」と田んぼと会話するんだよ。養蜂と同じだよ。分蜂をさせないギリギリのラインで強い群を育てて採蜜するぞー!!ってね。すごくマニアックで、ある意味変態だけれど、変態にならなきゃいけないんだよ。その変態になった時に、喜びが湧いてくるんだよ。
田んぼを見ていると、それを作っている人の性質や技術力、熱心さが観えてくる。おもしろいね。あの大きなコンバインを見てごらん。ここの人はすごいやる気だよ。でも欲をかくと重くなって倒れるんだよ。ここは水を抜くのが遅れたんだね。根がゆるいからあちこち向いて倒れている。穂が大きくなって腰が弱くて倒れる場合は同じ方向にぺたーっと倒れるけれど、水抜きが遅くて倒れる場合は倒れる方向もまちまちだ。ここはきれいだね。うちの田んぼもきれいだけど、もうちょっと収量が欲しいね。ここは反8俵かな。もう少し危険にさらしてもいい。そのギリギリのラインをどう狙っていくか。それが極めるということだ。だから10いさどんのいさどん3に田んぼを任せてくれたら、ちゃんと育てるよ。今どれだけできるかというよりも、一つずつ経験を積みながらそこを目指していく。そしていさどん4は畑を耕す。

ちなっぴー:
いさどんがやる畑はきれいだよ。

いさどん:
例えばナスの支柱を立てる時に、ナスは支柱のてっぺんがきれいにそろって真っ直ぐなラインを描いているかどうかなんて求めていない。しかし大切なのは、誰がそれをやったか。自分がこれをやったんだという自負心を持つためには、ただナスが収穫できればいい、というものではないんだよ。
(窓の外を見ながら)ここの田んぼはいつも草だらけだったけど、今年はまともになってるね。

Yくんは、養蜂に手伝いに来るうちに蜂に興味を持ち出した。それで僕も、蜂の点検をしながら、ずーっと説明していく。それは何かと言うと、頭の中で展開していることをただ言葉にしているだけなんだよ。つまり、頭の中は常に回りつづけている。
今も車の運転をしながら、あそこの田んぼがどうだとか話し続けてるでしょう。これは何も特別に説明をしているわけじゃないんだよ。つまり、僕は黙っている時も常に頭が回っていて、休ませていない。だから一人でいても退屈しないよ。

ともこ:
さっきいさどんが、いくら自分で自分を見ようとしても、結局心をきれいにしていないから、曇った目で見るから見えないんだって言ったでしょう?

いさどん:
見れないというより、曇った判断になるから、結局それが災いになるんだよ。そうすると臆病になって、余計に考えるようになる。ああ、この田んぼはいいなあ。あれで実ったらそうとう採れるぞ。ああいう田んぼをうちの人にも作ってもらいたいね。人が惚れるような田んぼをね。小谷村の人がうちの蜂を見て、「こんな蜂見たことない」と言うんだよ。何でこんなに差があるのかと言うんだけど、それは飼う人に差があるんだよ。しかもその蜂は、一軍と二軍を採蜜に持って行った後に残った、三軍なんだよ。

こうして話しながら、小谷村の景色やその人たちと交わした会話が頭に浮かぶけれど、車は変わらず安定して走り続けている。
今は6時15分だね。あと15分から20分くらいで到着だよ。富士宮の中神倉庫から朝霧養蜂場まで30分、そこから2時間30分で合計3時間だから、いいペースで来てるよ。何も滞りはない。
暗くなってきたから、田んぼ評論家もできなくなってきたね。(窓の外の川を見ながら)僕は思うんだよ。この川は、昔は龍だったんだよ。だから武田信玄が、信州から甲斐の国にわたるまでを治める時に、治水をしたんだよ。だから支配することができた。この川はもともと暴れ川だったんだよ。その龍をおとなしくさせることが、国を治めることだったんだよ。だから武田信玄は優秀な領主だったんだろうね。
いつも思うんだよ。この川は暴れ川だったなぁ、と。だから大水が来るとこの辺もドバーッと洪水になって、米を作っても全部流される。その代わりよくできるんだよ。川が微量要素を運んでくれるから。肥料なんか入れなくてもいい。その代わり大水が来たら全部持っていかれるというリスクがある。川は、龍だから。生命力の顕れだから。命が運ばれてくるんだよ。

 
自分のキャパを超える状況に出会った時に、僕がすること

いさどん:
(窓の外に流れる風景を見ながら)すごいなぁ。このくらいの大豆畑を作りたいねぇ。あっ、これは芝生屋さんだよ。芝生を作って、30㎝角くらいに切り取って1枚いくらで売るんだよ。グリーンを作る時にはそれを敷きつめていくんだよ。この田んぼは大きいねぇ。福井へ行くともっと大きいよ。

ともこ:
(福井に里帰りした)まっちゃんがヒエだらけの田んぼの写真を送ってきたけど、あそこをヒエ取りするのは気が遠くなるね。

いさどん:
稲は倒伏しているしヒエはすごいし一体どうするという感じだね。僕だったら、そういう時にさてどうするかと考えるんだよ。今までにない状況に出会った時に、僕がすることは何か。

自分のキャパを超えるような状況に出会った時に僕がまず何を思うかというと、その状況の原因が自分にあるとしたら、まず自らの姿勢を振り返る。例えばそのヒエだらけの田んぼのような状況に出会うとしたら、あまりにも田んぼに対して幼稚な段階だよね。田んぼにはヒエをはやすものではないと認識していたら、そのような田んぼはそもそも作らない。
それでもまっちゃんのように、人の田んぼを預かってそれをやるということに出会ったら、まず、とりあえず最善を尽くしてやれることをやる。だけど場合によっては、その田んぼのヒエをすべて取ろうとすることを放棄する。それは無駄な労力だから。放棄して無駄な労力を使わない代わりに何を学ぶかといったら、こういうことを二度と起こさないための対策を考える。僕はやれることはやるけれど、脳の中の映像としては、来年のことを考えている。自分のキャパを超えるような状況であること自体、そこからモノにしようとしたって実際に無理なんだよ。
それが僕のやること。つまり、学んで次に活かす。その状態でも収穫はできるんだよ。ヒエをバラまけばいいんだから。ヒエは細かくてこぼれるから、ちゃんとお米は収穫できる。でもそれだと毎年ヒエはひどくなっていく。その結果があのヒエだらけの田んぼだよ。そのままだと来年はもっとひどくなる。そのうちに米も育たなくなる。そうしたらどうするかというと、ヒエも米も一度なしにして、例えば2、3年くらい、耕すだけで何も作らないとか、丘ものを作るとかして、それから米を作るとかね。
うちでは新しく田んぼを借りた時には、1年か2年は米を作らないで蓮華を作ったりする。大豆を作ればヒエは気にならない。麦でもヒエは気にならない。何年かそうやっていくうちにヒエの種はだんだん減っていくから、そうしたら米を作る。それだけのことだよ。

ともこ:
それって聞くと当たり前のことだけど、その当たり前のことをしていないから同じことを繰り返すんだね。

いさどん:
当たり前じゃん。何より、そんな無駄な労力使ってたら楽しくないじゃん。だから、楽しくやるためには無駄なことはやらない。それが僕の考えね。

(ここでちなっぴーが、大町ビレッジに電話をかけようとする。)

いさどん:
おい、電話しなくていいぞ。どうせ向こうに着くんだから。

ちなっぴー:
もうすぐ着くって伝えなくていい?

いさどん:
そんな必要ないだろう。びっくりさせてやった方がおもしろいじゃん。たわけだなぁ。どうせ着くことはわかってるんだから、連絡なしで家に入っていって荷物降ろして「おう、荷物降ろしといたぞ」って言った方がよっぽどおもしろいじゃん。もっとも、向こうもアンテナ張って待ちかまえとるから、そんなことにはならんだろうけどね。

 

あふれる叡智は止まらない!「大町道中記②」へつづく。

 


物心両面で宇宙をスイングバイ

2017年9月23日、秋分の日の朝。以下はいさどんとようこの会話です。


いさどん:
僕もおかげさまで66歳になった。ということは、いただいた寿命からしたら、終末までもうカウントダウンということだ。そうすると、「やっとここまで来た!」という想いと、「いろいろあったけれど充実した人生だ」という想いが湧いてくる。

僕は過去の自分の歩みに対して、何も悔いはない。そして、執着するものも何もない。今後の人生にも願いは何もない。やりきって、完熟して終わるということなのだが、このダイナミックさには少し疲れたよね。だから、旅立った先のことは何も言えないけれど、しばらく肉体を持つのは控えようかと思う。トラウマになったわけではないんだけどね。肉体を持つことは良い経験だね。それが80年であろうが、100年であろうが、魂の歴史からしたら、それはそれほど長い期間ではない。

はじめから生きることのカラクリがわかっていれば、もう少し楽しめたのかもしれない。ただ、わかっていると――、実は今朝、僕は避難訓練をしている夢を見た。女の人たちや子どもたち、それからお年寄りまで、屋根の上に上らせてね。どちらかというと、僕がリーダーシップを取って皆を上らせていたんだよ。上らせたというか・・・

ようこ:
それは訓練だから(笑)?

いさどん:
訓練というよりも、どこか目的地に行くためには、その古い家に入って、その家の窓から出て、それでなぜだか屋根から下りないといけない状況になっていた。それ以外になかったんだよ。

それで、皆、順番に下に降りていくのだけれど、なにしろ僕は屋根の上にいるのが怖くてね。いつもならば、「これは夢だ」と気付くのだが、今回はまったく気付かなかった。ああ、怖かったなあ(ようこ笑)!!それで、一番最後になんとか下まで降りてきたけれど、本当に怖かった!しかも、ハシゴはとてもしょぼいもので、下でそのハシゴを支えてもらいながら必死に僕は降りてきた。

本来は、これは夢だと気付かないといけない。しかし、今回はその余裕がなく、まったく気付けなかった。僕は本当に高いところはダメだ。

そもそも・・・なぜ、避難訓練で屋根の上に上らないといけないのか!?それにしても、本当に怖かったなあ!!

なぜ、あそこに上ったのかということを考えたら、いつもの僕であるならば振り返って、「屋根から下りるよりも、上ったところへ戻って、そこから下りればいい」という考えも湧いてきたはずなのに、それにも気付かなかった!視野が狭かったなあ!!

・・・というように、カラクリがわかっていたら、このような思考になるんだよ。

ようこ:
怖い思いをすることもなかった(笑)。

いさどん:
だから、カラクリがわかることはダメだよね。でも、ここまで心の道を歩んでくると、それがカラクリであることがわかるから、何も恐れずに、思い切り終着点に行くだけだね。

なぜなら、命がなくなるということは、すべてがなくなることではない。それはこのサイクルが終わるというだけのこと。それで、誰もがそこを超えていくわけだろう?それを拒否して存在できる者は誰もいない。

ようこ:
いないね。

いさどん:
それは、高所恐怖症の人が夢の中で屋根の上から下りることを拒み、怖がることと同じなんだよ。

ようこ:
そこにつながった(笑)。

いさどん:
だから、恐れてはいけない。・・・そうか、残りの人生を生き切るぞ。幸か不幸か、世相はとてもダイナミックだ。今までのように、もう浮かれてはいられない。そのような時代に入った。だから、現状の危機迫る日々に対してしっかりと眼を向けて、その荒波を乗り越えないと、生きていることの限界が来る。生きていることを楽しめないどころか、限界を感じてしまう。

そのために、心強いのは、本当に心から通じ合った仲間がいること。そして、それが群れて、皆の能力がしっかりと発揮され、その難局を乗り越えていく――、ここまで来たら、もはやそれしかないだろう。

お釈迦様の話の中に、家に火がついたのに子どもたちが気付かないで庭で遊んでいるというたとえ話がある。だから、お釈迦様はそれを何とか助けようと思って、家に火がついていることを気付かせようとするのだが、子どもたちはまったく気付かないで朗らかに遊んでいる。それが、今の人間たちの生きる姿勢だ。

昨日、みちよちゃんがようこに「綺麗になったね」と言っていたね。やはり、そぎ落とすと、人は綺麗になる。

ようこ:
「自己否定の申し子」であるいさどんの姿から、毎日学んでいるからね。

いさどん:
僕は自己否定しながら、自らの歩むべき道を頑なに進んでいる。

ようこ:
結局、いさどんの夢の話もそうだよね。そうやって、自らの未熟を夢の中でも振り返りながら、気付けなかったことに気付いて、そぎ落としているわけだから。今日の秋分から、そぎ落としのサイクルに入ったしね。それにいさどんは、「宇宙的には、9月に入って新たな流れが始まっている。秋分からその現象化が加速する」とも言っていたね。

いさどん:
いよいよ、拡大の時代は終焉を迎え、そぎ落としの時代を迎える。今は、1万年を超えるサイクルの区切りだから、何回も何回もその段階を踏んで、その区切りは来るのだけれど、その区切りのたびに意識を強めて、明快にしていくということだ。

ようこ:
それが、「スイングバイ」なんだろうね。節目ごとに加速して、加速して、加速して・・・

いさどん:
スイングバイは欠くことのできないとても有効な物理性ではあるけれど、それは精神性に対しても非常に重要な物理性なんだよ。

ようこ:
スイングバイとは、天体の重力を利用して宇宙探査機の軌道を変更する方法だから、わたしたちも節目ごとに軌道修正しながら不要な心をそぎ落としていける。さらに、スイングバイによって天体の公転運動を利用することで、宇宙探査機を加速させることもできるから、わたしたちも方向性を定めたら、進むべき道へどんどん加速しながら進んでいけるということだね。

いさどん:
軌道修正する方向に意識を向けていくと、その意識は加速しながらタイミングを計り、ベストなタイミングで進むべき方向へと放たれていく。小惑星探査機が地球の軌道から離れて目的地へ向かってスイングバイするためには、地球の公転速度である秒速30km に乗って、それ以上のスピードまで加速する必要がある。同じスピードでい続けたら、ただ地球のまわりをぐるぐる回っているだけになってしまうからね。

人間はそのような優れた叡智を解明し利用しているのだから、やはり魂にもそのような仕組みを取り入れていかないといけない。「物心両面」というからね。

ようこ:
そのためには、先程いさどんが語ったように、群れて、自らの姿をお互いにチェックし合うことが大切だね。

いさどん:
それでお互いを活かしあってね。

ようこ:
そうして精神性を高めていく。

いさどん:
目的がいがみあうことではなく、高まっていくことになければいけない。それも、ひとりの存在が高まるのではなく、皆の意識が高まっていったときに、世界に次のステージが現れる。これ以外の道がどこにありましょうか。

ようこ:
これ以上の突破口がどこにあるのだろうか。それは、無限の可能性の彼方にあるものだね。

いさどん:
それは無限の可能性であり、宇宙の意志だ。地球が宇宙に存在し、時代は宇宙の動きと共に刻まれているのだから、それが人が目覚めるべきところだ。我々は太陽と共に、土と共に、水と共に、空気と共に、風と共に、物心両面で宇宙を歩むものなのだ。

 

 

Source of image:JAXA


天の川銀河と対話して~北朝鮮について語るPARTⅡ

先日、いさどんが長野県の大町ビレッジに泊まった日の夜のこと。日中の養蜂作業で疲れてしまったいさどんはいつもより2時間も早く眠りについた結果、「年をとると睡眠時間が短くていいから、早くに寝ると早くに目が覚めるんだよ」といういさどんの予想通り、夜中に目が覚めてしまいました。その時点で十分に睡眠をとれていたいさどんは、次のように考えを巡らせました。

「昨日は頭も痛くて、さらに疲れていて、眠くて仕方がないから、大町の皆とも大して話しもせず、早くに寝てはいけないと思いながらも、とうとう寝てしまった。そうしたら、予想通り夜中に目が覚めた。これが流れだとしたら、天の意志だ。今、僕は何かすることがあるのではないだろうか?」

そこでいさどんは布団から起きあがり、北朝鮮や最近の世界情勢について想いを巡らせていました。そのとき、いさどんはこう思ったのです。

「これはいけない!部屋の中で天井を通して対話するべきではない。今は、外に出て天を観るべきだ。生の星や月を見て対話するべきだ。」

そして外へ出たいさどんが上を見上げたら、そこには月がありました。ところが、月を見て何かを語る気にはなれなかったいさどんは、月とは反対の方角を見ました。そうしたら、そこには天の川銀河の星々が瞬いているのが見えました。

「そうか・・・銀河か。」

天の川銀河はわたしたちが所属する銀河です。最近、いさどんは銀河に向かって語りかけていましたから、そこで自らのまわりにある流れについて銀河に語りかけたのです。

「今、わたしのまわりにある流れは滞っているように観えますが、それもすべてそちらの意志だとしたならば、これは滞っているように観えるどころか、それも流れだと受け取るべきですね。」

そのときのいさどんの目的は、銀河と対話することでした。しばらくして、納得を得たいさどんは部屋に戻り、また眠りにつきました。

そして朝になり、目覚めたいさどんにはあるイメージが浮かびました。なんと、渡り鳥をタモで捕まえる映像が突如として現れたのです!それは何年も前のことなので、いさどんの記憶も定かではないのですが、NHKの番組でヨーロッパの人たちが渡り鳥を捕まえることを特集していたのでした。そこで、いさどんは次のように回想しました。

「冬の前に渡り鳥がやってくる。地元の人たちは岩場の陰に隠れて、渡り鳥が飛んでくるのを見ると、渡り鳥が岩場に降りる瞬間に大きなタモで捕まえる。『昔はたくさん捕れたんだよ。今はいっぺんに数羽捕れることもあれば、まったくダメな日もある。でも、冬になる前に渡り鳥を捕まえて漬物にするんだよ』と地元の人は語っていた。彼らは渡り鳥を羽毛ごと、漬物にする。その渡り鳥は鳩よりも少し大きいぐらいだった。それをどれだけか発酵させてから彼らは食べていた。僕の記憶によると、発酵した時点でその羽毛はヌルヌルになっているから簡単に取れる。だから毛を取って、生でそのまま彼らは食べていたような記憶がある。

その番組を見ていたとき、僕はとても気持ちが悪くなった印象がある。マサイの人たちは牛の首に矢を放ち、牛の血を飲むことがあるけれど、僕にはとてもできない。だいたい、血液というものは消化が悪いから、あんなにたくさん飲むと吐いてしまう印象がある。しかし、それよりも、あの渡り鳥の漬物のほうがさらに強烈だった。ところが、一家の長であるお父さんが渡り鳥を捕まえて冬の食料にし、『おいしいね』という団欒がそこにはある。そうすると、そこではまったく文化が違う。しかし、それは生きていく手段であり、自然との対話であり、生きるためにそれが与えられている。その環境に対してどのように生きていくべきかという智慧が与えられた結果である。そしてその延長に味覚があるから、僕にはうっとすることでも、『おいしいね』『今年のものは出来が良いね』という団欒があるのだ。そして、そういったオリジナルな文化を人々が認め合ったときに、世界に平和がある。」

そして、いさどんは朝の準備をしている大町メンバーのみほさんに次のように語り出しました。

 


たとえば、キツネは目が良いよね。目が良いから、耳と目を上にピッと上げて獲物を狙う。犬は鼻が良いから、耳も垂れていて目も下を向いていて、鼻で獲物を追いかけていく。そうすると、犬はキツネのやり方を見て、「あんな変な追いかけ方をして馬鹿だ!」と思うことだろう。しかし、キツネが犬のやり方を見ると、「あんなに下ばかり見て馬鹿だなあ!だいたい、犬は世界が狭いんだよ」と思うことになる。そこで、鷹がキツネと犬を見たら、「おまえたちは馬鹿だなあ!どっちみち、地上を這っていたら獲物が捕れるか。俺のように上から急降下して獲物は捕るべきだ!」という話になる。そこでさらに、別の生き物がそれを見ていたら、「そんな急降下して外れたら、自分がえらい目に遭うぞ!」と言い出すことだろう。

つまり、そこで僕が考えたことは ――― 結局、人は自分の考えを肯定されると、それを喜び、正しいとする。しかし、自分の考えを否定されると腹が立ち、その究極の姿が戦争だ。ところが、一人ひとり、それぞれの考え方や生き方があり、プロセスをつないできたとしたならば、誰もが尊重されるべきだ。そうすると、自分が認められる前に相手を認めるだけの度量があって、その上で自分が相手に認められれば、平和は自ずと訪れる。しかし、どれだけ自分が正しいと主張しても、互いが「あなたを認めない」と不愉快な心を持っていたら、これでは平和は訪れない。

そこで、わかったことがある。北朝鮮もキム・ジョンウンも、今の状態に至るにはプロセスがあってここまで来ている。過去にカダフィでもサダム・フセインでも大量破壊兵器を持っていなかったから、ある意味敗者となってきたわけだ。そして、日本は核兵器を持っていないから、アメリカの言いなりになっている。「だから、核兵器を持って対等にならないといけない」というのが親の代からのキム・ジョンウンの持論なのだ。そこには民族的なものもあり、恨(ハン)の文化という背景もある。その上に朝鮮戦争があり、身内で骨肉を争うひどい戦いをした。それがまだ終わっていない。だから、とことんケリをつけて終わればよかったのだ。そこに、アメリカが非常に身勝手な拳を振り上げている。

今、北朝鮮は核兵器を持つことによってアメリカと対等になろうとしているが、そもそも地球上の今の核兵器バランスというものはどのような形で始まったのかといえば、核不拡散条約により、核兵器を持つのは良心的で優れた国とされているアメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国。この5ヶ国は核兵器を持ってもいいが、これらの国は平和のために持っている。しかし、他の国はならずもの国家で、核兵器を保有したら何をしだすかわからない。平和の脅威だ。だから、5ヶ国以外の国には持たせないという話なのだ。しかし、そもそもこのような核兵器はなしにするべきだったのに、自分たちだけが善良な国で、あとはならずものだから持たせないという話にしてしまった。

核兵器というものは、隣りが持っていると不安だからといって、アメリカが保有したらソ連も持ち、ソ連が持ったからイギリスやフランスも持ち、それで中国が保有したら対抗してインドも持った。それでインドが持ったら、今度はパキスタンが持ったんだよ。そうすると、中東諸国に囲まれているイスラエルは事実上核兵器を持つことになった。

つまりこの状態は、自分の主張が通ったものが善良で正しいという考え方だ。そうすると、北朝鮮のように核兵器だけを持っているのではなく、今は経済と軍事力の時代だから、経済も核兵器も両方持っているのは、アメリカだ。だから現状の世界は、アメリカが自らの尺度で「これはならずものだ」「これは善良だ」「仕方がないからこれは認めよう」と判断しているという姿になっている。

そのような世界に平和が訪れるわけがない。そうすると、北朝鮮の主張もわからないわけでもないという話にもなるだろう。

要は、自分が観た尺度から納得できるのが正しいことで、その尺度から納得できないものが間違っているという考えが、間違っているのだ。北朝鮮からすると、アメリカは横暴な大悪党なわけだ。今までどれほどの人を殺していろいろなものを収奪し、今なおその上に君臨し、世界の富を奪っているのだから。ということからすると、誰もが対等であるべきだ。

その眼から観たら、正しいとか正義はない。ところが、多くの人々は自分の眼から観て受け入れられることの上に平和をつくろうとする。だから、アメリカの傘下にいる日本はアメリカにはごまをすり、北朝鮮には厳しく非難する。ところが、もし第二次世界大戦のときに日本が敗戦ではなく停戦を勝ち取っていたならば、今、日本は北朝鮮と同じ立場にいることにもなるだろう。

人間は、自分の見える目線から判断し、認められるものを正しいとする。それが認められない、もしくは理解できなければ、間違っているとする。その徒党を組んだ極めつけが国家だ。

しかし、伝統的な暮らしも、動植物の個性も、地域による文化の違いもすべて多様性を認め合って初めて、平和がある。ところがグローバル化によって、人間の豊かさの価値観が単一化してしまった。そこで、お金があって欲しい物が手に入るアメリカ型豊かさだけが豊かさになっていると、それを阻害するものは悪で、そのようなものたちが築き上げてきた多数決の世界観が正義になっている。それが現代の問題を生んでいるのだ。そのような価値観はこれまで爆発的に広がってきたが、それは地球の多様性という生命世界からしたら、非常に貧しく単一的な世界だ。そのツケが今、世界中に現象化してきているのである。

そして、その単一化された価値観を阻害するような今までの動きも、実は宇宙からのメッセージであり、その矛盾を人類に示しているとも言える。「ひずみがあるとこうなるよ」と。逆に、ひずみを消すと悟りに向かっていくのだから、悟りに至ることはある意味味気ない世界とも言える。そういったことを宇宙が教えてくれている。

その宇宙の意志が観えるものになること――。それを今の時代に生きる人々に伝えたい。

わたしたちは銀河の法則と共に今、ここにいる。そうすると、今、目の前にあることだけを見ていてはいけない。

 


 

そして、2017年の秋分を迎え、いさどんは次のように語りました。

「木の花ファミリーでは2017年を『爆発の年』と呼んでいる。爆発というのは、究極の破壊だ。そうすると、破壊というのは、陰に入る入り口とも言える。今日、秋分の日を迎えるにあたり、これまでの拡大のサイクルからそぎ落としのサイクルに入る。だから、一人ひとりが不要なことはもうなしにして、必要なことだけを行っていく時が来たということだ。」

 

 


生きることの奥にある人生の原点に出会う

2017年7月26日、マヤの暦でいう新年から長期滞在をしていたAさん。「第11回大人サミットに参加して、もう少し心磨きのヒントを得たいと思い、今度は長期滞在することを決めました。自分の性質を知り、それを表現するにはどうしたら良いのか、知りたいと思っています。また、意識を高める練習をしたいです」という想いから、当初2週間の予定で木の花での滞在を予定していたのですが、数日毎のいさどんとの面談や毎日の日記のやりとりを通し、心磨きの奥深さに目覚めていった結果、最終的にAさんは48日間滞在することとなりました。

そんなAさんがここを出発する4日前、台湾から20名近いゲストが2泊3日のツアーで木の花を訪れました(写真上)。彼らにとって滞在2日目の朝、プレゼンテーションをする担当のみちよちゃんはその場にたまたま居合わせたいさどんを見て、ゲストの皆さんにこうアナウンスしたのです。「皆さん、今日はラッキーですね!今日はここにいさどんがいます。いさどん、5分でいいからお話ししてくれませんか?」

その流れを受けて、いさどんは「僕に5分と言うと、30分は話しますよ(笑)」と言い、次のように語りかけました。

 

生きることの奥にある人生の原点に出会う
―それは毎日の生活にちりばめられているー

皆さん、今日はとてもラッキーなことがありましたね♪それは、朝から僕に出会ったからです(みんな、大拍手)!

今、僕はなぜこの部屋にいるのかというと、(一冊のノートを掲げながら)これはある人の日記です。(日記のページを開いて)黒い字は彼女が書いたところです。そして、赤いところは僕が書いたコメントです。彼女は33歳で結婚しているのですが、人生に行き詰まっていました。もう2ヶ月弱、ここに滞在しています。この日記の表紙には「No.2」と書いてあります。ですから、約2ヶ月間で2冊目の日記です。

今、木の花には4人の人生に行き詰まった人たちが、メンバーではないのですが、暮らしています。皆、一人ひとり事情は違います。一人ひとりと1週間毎にお話をするのですが、昨日もその中のひとりの男性と話す時間を持ちました。彼は30歳なのですが、昨日僕は彼に少し厳しいことを伝えました。

私たちは常に、自分が幸せで健康でありたいと思っています。僕は彼に、「自分が一番幸せになりたいと思っているのにもかかわらず、あなたの考え方はいつも自分を不健康にしています。もっと自分に優しい人にならなければいけません。そのためには、命として、人として、健康な生き方をしなければいけません」と伝えました。

彼は、一生懸命自分を幸せにしようとして生きてきたのですが、結果として今、自分の人生が行き詰まっています。それは、自分が望むことを叶えようとしてたくさん考えた結果、他人に対して愛がなく、優しさがないのです。だから、人間関係が壊れて、自分に厳しい人生となってしまったのです。

昨日、僕は彼に2時間以上話しました。2時間も話したものですから、Aさんがその面談中に自分の日記をこの部屋に持ってきて、テーブルの上に置いて黙って帰っていったのです。僕は他の人たちが持ってきた3冊の日記にはコメントを書いたのですが、彼女の日記がここに置いてあることには気が付かずにいました。それで今朝になって、ここに日記があったことに気付いたので、今、コメントを書いていたのです。

昨日の夕方、皆さんがここに到着されたことは知っていましたが、皆さんの2泊の滞在中の早い時間にお話ししたいと思っていました。そうしたら、彼女の日記が皆さんと会わせてくれたのです。

地球が一回転すると、一日が経ちますね。地球が太陽のまわりを一周すると、一年が経ちますね。このように私たちは宇宙の仕組みによって日々を送り、年を重ねていくのです。ですから、私たちは自らが生きていると思う前に、宇宙の仕組みによって生かされ、それに沿って生きていることを意識していると、人はとてもスムーズで健康に生きられるのです。ところが、このような生き方を忘れ、「自分だけ得しよう」「自分だけに良いことがありますように」と自分目線で生きていると、人は人生の中でたくさんの問題事に出会うのです。

幸せを掴むためには、この世界の仕組みや他者とのつながりを大切にすると、幸せになれます。そうすると、この世界の仕組みが人生に反映され、物事の流れが格段に良くなるのです。

皆さんにお話ししたいと思った僕の願いは、昨日この日記がここにあることに気付かなかったおかげで、今日このような形で叶いました。このように、本当の意味での願いが叶っていくことは、自分が望んで獲得するのではなく、自然に与えられ、その流れに沿って生きていくことなのです。

Aさんが初めて僕に出会ったのは、大人サミットの参加者として彼女がここを訪れていた時でした。僕は3日間、この部屋でプレゼンテーションをしていたのです。彼女は僕の目の前に座っていました。そして休憩時間に、僕は彼女に声をかけたのです。というのは、彼女は心の眼で観ると、年齢の割にはふけていたからです。それで僕は、「あなたは結婚していますか?」と尋ねました。そうしたら、「結婚しています」と彼女は答えました。さらに僕は、「子どもはいますか?」と質問すると、「子どもはいません」と答えたので、「結婚して子どもがいなければ、あなたは人生をエンジョイしているでしょう?だんなさんとの関係は上手くいっていますか?」と尋ねたのです。そこで彼女は何と答えたと思いますか?

(数名のゲストから、「上手くいっていません!」という声がここで上がりました。)

残念ながら、そうではありません(笑)。その時彼女は、「はい、とっても良い人で、上手くいっています」と答えたのです。だから、僕はこう続けました。「そうですか。とっても良い人で、上手くいっていたら、あなたはそのような顔はしていませんよ」と。そうしたら、彼女は「えっ?!」と意外な顔をしました。僕はそこで、「あなたは自分のことをよく知らないで生きていますね。自分をもっとよく知らないと、自分を幸せにできませんよ」と伝え、休憩時間は終わりました。

そして大人サミットが終了し、その数日後に彼女はまたここを訪れました。それから、今の生活のことについて僕に話しました。その時に初めて、彼女はなんとなく、雲が立ち込めている毎日を送っていることに気付いたのです。それは7月のことです。

それから2ヶ月弱が過ぎ、今、彼女は2冊目の日記を書いています。今日の日記の中で僕がひとつ、今の彼女に対してコメントしたことがあります。「静かで安定した心が感じられます。」

彼女は自分自身がすっきりしていない毎日を送っていることの原因を突き止められない生活をしていました。約2ヶ月が過ぎ、彼女は別人のようになりました。その彼女から僕が今、感じられるものは、静かで安定した心――。

現代の人々は、「幸せになりたい!」「お金がほしい!」「自分の願いをすべて叶えたい!」といったざわざわとした不安定な心で生きています。そのような心の人間がたくさん存在していたら、地球は健康でなくなります。

今、地球上には約72億人が暮らしていますね。6500年前のメソポタミア文明から始まった歴史を有史と呼ぶのですが、長い間、世界の人口は下の図のようにほとんど変わりませんでした。

世界人口の推移

(出典:国連人口基金HP)

そして、今から約250年前にヨーロッパで産業革命が始まりました。そこから人口は急増し、冥王星の周期でいう光のピークに当たる2008年に日本の人口はピークを迎え、そして今、世界に先駆け減少し始めました。同時に、世界の人口は2060年まで増加し続け、90億人を突破すると予測されています。しかし、そこから世界の人口は減少し始めると推測されているのです。6500年前からずっと同じような状態で続いていた世界の人口が、産業革命以降急激に上昇し、その後急降下するのです。

日本人口の推移

(出典:国土交通省「国土の長期展望」)

僕は今、66歳です。ずいぶん長い間生きてきたと思いますが、たった66年です。しかし、歴史を広く捉えてみると、250年前から人口曲線は急カーブで上昇し、もうしばらくすると、それが急降下することが観えてくるのです。人類の歴史で過去にそのような時代があったのかというと、それは今までになかったことなのです。

科学が進化し、技術が開発され、物理的に豊かになることについては、私たち現代人はよく知っています。しかし、もう少し先の2060年の人口増加のピークと共に、世界の価値観がひっくり返る時がやってくるのです。そのひっくり返った先の心を、人類はまだ誰も想像できません。

私たちは今、地球に生きる人類として、大転換を迫られています。今まで、人々は自らの願いを叶えようとし、幸せになりたいと思いながら生きてきました。その結果、人間の欲望は極限まで広がってきました。しかし、これからもそれを続けていくと、地球の生態系ネットワークが壊れ、私たち人類は大きくその影響を受けることになります。これからの時代、人類は、人間同士だけではなく、他の生き物とも調和し、他の存在にも愛を向けて生きることが求められているのです。

Aさんは、自分の行き詰まりがわからず、自分が幸せだと思って生きていました。しかし、それは幻だったのです。でも今、彼女はとても安定しています。彼女は年齢にふさわしい表情になり、とても健康的になりました。ここに来て約2ヶ月間、彼女は何も物は買っていません。旅行もしていません。物理的な願いは何も叶っていません。しかし、彼女は今、とても安定して、幸せな顔をしています。これからの時代は、そのような状態を人間が地球に提供することが必要なのではないかと思うのです。それが、私たちが求める本当の幸せなのです。

昨日、皆さんがおいでになった時、僕は生きることの奥にある人生の原点について話したいと思っていました。そうしたら、この日記が皆さんと会わせてくれました。また、皆さんとお話しする機会があることを願っています。ありがとうございました(みんな、大拍手)。

 


 

以下、生きることの原点を知る講座をご案内します。

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2018年1ヶ月間の真学校
受講生募集中!

1ヶ月間の真学校は、壮大な時代の流れを読み解きながら、それまで知らずにいた本当の自分自身に目覚め、生きることの突破口を開く場です。
固定概念を超えて視野を大きく広げ、世界にたったひとつのあなたの人生を自ら切り開いていく力を身に付けます。

 日 程 
2018年2月25日(日)〜3月24日(土) 28日間

会 場
木の花ファミリー
静岡県富士宮市猫沢238−1

対 象
■ 自分を変えたい人
■ 世界を変えたい人
■ 人生に行き詰まった、或いは人生の転機にある人
■ 今の世の中をどこかおかしいと感じながら、どうすればよいかわからずにいる人
■ 生きることの真の意味を知りたい人
■ この星に生きる人 すべて
☆その他、2017年受講生からは「こんな人に勧めたい」という様々な声が上がっています。受講生アンケートをご覧ください。→ 受講生アンケート

メイン講師・いさどん
メイン講師・いさどん

内 容
講座は「世界観」「農」「食」「医」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」と多岐にわたりますが、全講座に共通する最も重要な学びは、物理的な現象の奥に流れる深い精神性です。受講生の心の性質や世代の特徴、そして人生における役割などを紐解くことにより、それまでに考えたこともない新たな視点に出会って世界観を大きく広げ、生き辛い社会で生き抜く力を身に付けていきます。

*詳細はこちら!

 → 1ヶ月間の真学校ブログ

 

 


3000年に向けて新たな時代を生きる人々へ

2014年7月26日のマヤ新年の祭典

7月26日はマヤの新年です。3年前の2014年7月26日に、メキシコの太陽マヤ族最高司祭である尊母ナーキン氏が木の花ファミリーを訪れ、富士山を望む聖地・宮ノ下広場でマヤ新年を祝う祭典を行って以来、木の花ファミリーでは毎年この日に地球を祈りのウェーブで包む祭典を行ってきました。
2017年7月26日早朝、霧雨の降る中、宮ノ下広場にファミリーメンバーが集い、カタカムナのウタヒや舞を奏上した後、いさどんは次のように語りました。

 

3000年に向けて新たな時代を生きる人々へ

ー 人生の中で出会うことはすべて、私たちの生きた証 ー

 
今、この祭典に立ち会い、曇り空の下、ミストのような雨が降る中で、頭の中にある映像が浮かびました。それは、宇宙空間に浮かぶ地球の姿です。

地上に雨は降りますが、地球そのものに雨は降りません。それは、地球が宇宙空間にあるからです。今この場所には、天の配慮のような霧雨が降りそそいでいます。これは、私たちが地球に生きる証である、生命の水です。それを不愉快なものと捉えれば、不愉快な世界が地球上に展開されてゆくでしょう。しかし、命の潤いを与えられているのだと思えば、そしてそれを「いただきます」という心で浴びるならば、それはとても尊いものをいただいていることになります。その恵みがあるから、私たちは命を紡いで生きることができるのです。

今日は7月26日、マヤの新年です。なぜ私たちはこのような祭典をしてマヤの新年を祝うのかというと、そのようなことに出会う生き方をしてきたからです。それは、私たちが生きた証でもあるのです。

私たち人間は、生きている限り、この地球上で様々な出来事に出会います。人生の中で出会うことは、すべて私たちの生きた証であり、それまでの生き様にふさわしい結果として出会っているのです。今、世の中には、世界的な規模で解決策を見出せないようなたくさんの滞りがあり、それを何とか解決しようと世界のリーダーたちは模索していますが、その動きでは解決できないでしょう。なぜなら、どのような現象も、そこに生きる者たちのそれまでの生き様の結果として与えられたものですから、その現象を変えるには、それをもたらした人々の生き様を変える必要があるのです。その現象に出会った結果、それまでの自らの生き様がどのような結果をもたらすものであったのかを悟り、その生き様を変えていくことによって、自ずと、自動的に、その現象は存在する意味をなくし、消えていくのです。そこで、原因である生き様を変えずに、学びのない姿勢のまま、現象を追い求めていることを「欲」と言います。

この自然界、そして宇宙の法則は、すべて因果応報の仕組みで成り立っています。原因があって結果がある。そこでは、その原因にふさわしい現象が起きることが約束されているのです。こんなにありがたいことはありません。なぜなら、その者にふさわしい現象が顕れるからです。そして今、この場に立ち会う人々も、なぜここに集うのかというと、それにふさわしい生き方をしてきたからです。今皆さんは、どのくらいの意識を持って今日この場に集っているのか。その今の意識が、皆さん一人ひとりのこれから先の人生に形として顕れていくと同時に、社会を創っていくのです。それは当然のことなのです。

人類はそろそろ、そのことを知らなければなりません。出来事の表面だけを見て、それが不愉快だと言って解決しようとする時代は終わりました。これからどのような時代を生きていくのかは、その者が自らの人生をどのようにしようとしているのか、そこで何を望んでいるのかによって変わっていきます。つまり、生きることが自らの手の中にあるのです。これまで、なぜそれが人々の手の中になかったのかというと、自らの独りよがりで、この世界から与えられている命の仕組みを無視し、欲のままに生きてきたからです。

私たちが今日ここに集うのは、そういったことを理解した者として、自らの人生にそれを現象として顕わす自覚があるからです。そこには損得勘定や、より良い人生を生きたいというような願望はありません。ただひたすら、時代が要請するままに、宇宙が成り立っていくように生きる。そのことによって、この大きな節目の時にあたり、その先の時代を人々はどのように生きるかを明快に示すことができます。それを自覚した者として、皆さんはここに立っているはずです。

今、雨が降りそそいでいます。祭典の日はカラッと晴れるのが天の恵みなのかというと、それは人間の勝手な都合の思いであり、欲です。もしもずっとカラッと晴れ続けたら、私たちは生きていけないでしょう。今のこの恵みの雨は、そういったことを示しています。宇宙空間から見れば、これは地球の生命循環の作用です。こういった仕組みを私たちは生きていることの証として理解し、愉快なことも不愉快なこともすべてが命の仕組みの中にあることを理解する必要があります。そのことを理解した者たちは、自らにとって都合の良い心で生きることはありません。それが、宇宙の法のもとに、欲望を断ち切った美しい生き方をするということです。

毎年が特別な年であり、毎日が特別な日です。私たちは毎日毎瞬、未知の場所へと進み続けています。その中でも、今年2017年の7月26日は特別な日です。個人的に僕には「来る時が来た」という心境です。というのは、今この祭場の四隅に、樫の幼木が植えられています。つい先日植えたものですが、僕は何も意識していませんでした。ポットに種を播いて、春が来て、梅雨が来て、ある程度育った幼木がポットの中のままで夏を過ごすのは苦痛だろうなと思い、ではこれをどこに植えよう、と考えた時にふっと閃いたのが、この宮ノ下広場の祭場の四方に植えることでした。そしてここに植えることにより、この祭場の意味が完成したのです。

ヒマラヤ樫の幼木

この樫は、ヒマラヤ樫です。この名前は僕が付けました。というのは、3年前にヒマラヤのハルトラビレッジから招待を受けてそこを訪れた時に、何か記念になるものをと思いながら村を歩いていたら、樫の木がありました。そこにまだ熟していない青い実がなっていて、僕に「持って行きなさい」と言うのです。そして木の根元を見ると、その青い実が落ちていました。未熟ですが持って行けというものですから、いくつかを拾って持ってきました。そしてその実を播いたら、その中の4つだけが育ちました。そしてその4本の幼木を、この祭場の四隅に植えたのです。

物理的には何の根拠もありませんが、ヒマラヤは僕の魂のふるさとです。僕が今から1000年ほど前に地球に降り立った時に、最初に暮らした地です。そして3年前にインドの友人から招待を受けてヒマラヤを訪れ、ヒマラヤの山と対話してきました。「戻ってきたよ」と。それは自分のルーツを確認する旅でした。その証として、今は日本の富士山麓にいます。富士山は、地球上で最も霊的に高い山です。プレートとプレートがせめぎ合い、高い地球の波動を発する中心点にあるのが富士山です。それはもっともエネルギーが高いところであり、地震や噴火など天災が起きる場所ですが、それは命の再生が激しいというこというです。それは宇宙の実体を表しています。破壊と再生をくり返し、生きるということです。

命とは、常に変化・変容・変態をくり返し、循環し、巡り巡って、未知なる未来へ進んでいきます。私たちが、10年、20年、30年、40年と生きていく中で、同じところに立ち止まったことは一度もありません。赤ん坊としてこの世に誕生し、そこからずーっと人生を刻んできましたね。そのことを、どこかで忘れています。私たちは二度と同じところに存在することはできません。それは、命だからです。私たち人間だけではなく、地球もその旅をしていますし、宇宙全体もその旅をしています。私たちは、その命の物語を地球と共に、太陽と共に、銀河と共に刻んでいるのです。

さて、今の地球上の人々に、そういった意識が日々の中であるでしょうか。ないでしょう。ないから、意識が人間意識であり、自我に囚われ、感情や欲望のままに生きているのです。

すべての出来事は、そこに関わる人の意識がどのレベルにあるのかによってふさわしく出会うようになっています。これは宇宙の仕組みです。今の人間社会がなぜこのような状態なのかというと、日ごろの意識がそこにあるからです。そして、その意識にふさわしい現象が起きているのです。そう言うと罰を与えられているかのように聞こえるかもしれませんが、この仕組みの真実を知ると、「なんてありがたいのだろう」という想いが湧き上がってきます。それは、人生は自らの意識のままに、思いのままになるということです。すべての出来事は、そのことを教えてくれているのです。

3年前、僕の魂のふるさとであるヒマラヤから樫が来ました。富士山が、天から宇宙の法が降りてくる天教山なら、その教えが天教山を通って地球へと入り、マグマを経て再び地上へと吹き出す地教山がヒマラヤです。そのヒマラヤへの旅の前に、日本の地教山、即ち世界の高天原へ挨拶をするために、富士浅間木の花祭りの舞の奉納に行きました。その地が熊野です。前日は、930hPaの台風が直撃するという予報の中熊野へ向かい、一度も暴風雨に出会うことはありませんでした。そして早朝に熊野三山奥の院である玉置山の玉置神社へ辿り着いた時には、辺りはとても清浄な空気になっていました。無事に舞を奉納し、帰りに辺りを散策していた時に、神代杉に出会いました。そして「この種を持って帰れ」と言うのです。それを持って帰って播いて育ったのが、祭場の中央に植えられているこの木です。

これを植えた時に、木の花の神主であるひろっちに「200年後にあなたがここで祭典をする時には立派な熊野杉になっていますから、それを楽しみにしてください」と言いました(笑)。今は幼木ですが、その命は確実に、地球の高天原である熊野の神代杉から受け継がれ、ここに定着したのです。

熊野と言えば、国之常立神の地球の住まいです。その艮(東北)の方角には富士山があります。地球のへそと言われるインドから艮の方角を見ると、日本があります。日本という地には富士山という山があります。天の教えが富士山を通って地球の中へと入り、マグマを経てヒマラヤから地上へと吹き出し、それがガンガー(ガンジス河)を通って南へ流れ、インドの南端であるポンディシェリに辿り着いて、インド洋から世界へとその教えが広がりました。それは6500年の歴史です。そして今、その文明がこういった形で地球上に広がっています。2012年12月21日に銀河の冬至を迎え、その文明のリセットの時が来たのです。

私たちはその文明の次を生きる時に来ています。「私たち」とは、すべての人間のことです。幸いなことに、チバニアンの発見によって地球の磁場が逆転するということが立証されました。これまで何の根拠もなく磁場の逆転を語ってきましたが、それが立証される時代が来たのです。磁場が逆転するということは、ものの価値観が逆転するということです。

これまでは、命をないがしろにする時代でした。命を壊していくことによって、物理的な豊かさを求める時代でした。これからは、命の尊さに沿い、命をつなぎ、調和を表現していく時代です。私たちの命のもとは太陽です。それを現象化し、顕わすのは地球です。次のサイクルは、自らの自我によって命を壊し、欲望を満たして豊かになろうとするのではなく、命の法、即ち宇宙の法に則り、連携し、調和して、愛豊かに生きる時代が始まりました。これまでは、こんな簡単なことが、自らを自我で愛することによって、表現できない時代だったのです。 

まだまだ世界の人々は、欲望と競争と怒りと争いの中で豊かさを求めています。エネルギーとエネルギーをぶつけ合ってそれを消耗させて、豊かになるわけがないのです。地球生態系は、つながることによって豊かになっていきます。それは無限なのです。命は形を変えながら次へ次へとバトンをつなぎ、そこに破壊はありません。そして命のネットワークを築いて、より世界を豊かにしていくのです。それはまさしく、太陽と地球、惑星たちの関係そのものです。それによって私たち人間も生きているのです。

皆さんは、縁があって木の花ファミリーへやって来ました。特別な決意を持ってここに集っているのですが、毎日の生業に没頭してはいませんか。それでは、本当の豊かさは現象化しません。縁があって集い、生涯を通じて決意したことを毎日自らのベースとして意識しながら、日々与えられる出来事をいただいて生活していく。そうすると、天体が織りなす無限で持続可能なエネルギー、即ちフリーエネルギーが、生活の中に顕れてきます。人類はまだ、その豊かさを知りません。人々がすべてを分かち合い、自然と一体で、命はひとつであることを表現した時に、地球上に、今は想像もできないような豊かさが顕れてきます。それを私たちはこの地に顕わし、もうすぐそこまで来ている新たな時代の先駆けとして、その見本とならねばなりません。

2014年に、ここ宮ノ下広場で、太陽マヤ族の最高司祭である尊母ナーキン氏と共にマヤ新年10OCを祝いました。今日はメキシコのトニナ遺跡でマヤの祭典が行われています。今は午前6時40分です。2017年7月26日の早朝にあたり、地球を祈りのウェーブで包む儀式の始まりがここです。こんなふうに地球を常に意識して、私たちは地球人としての意識を持って宇宙を生きていく。そういった意識を持った人々の地球規模の祭典の始まりです。

もう一度、始めの話に戻ります。

日ごろどのような意識を持って生きるかによって、私たちは未来に出会う出来事の縁を紡いでいます。ですから、出会ったことに不満を持ってはいけません。それは忠実に、あなた自身が持っている意識を現象化してくれているのですから。それに不満を言うようでは、自らの姿を見ずして他者に文句を言っていることになります。出会ったことを潔く受け取り、自らの姿勢を正したならば、一人ひとりの人生はより豊かで、優れたものになるでしょう。我々はそれを自覚して生き、見本となるべき者として生きてきたのです。

僕は、多くの人にとって意味のわからないことをたくさん語ってきました。富士山という山を艮の方角にいただいて、地教山の樫の木と、地球の高天原の神代杉がこの地に根をおろしました。僕の語ることに、根拠はありません。地球上で磁場が逆転するということを語ってきたのも、そこに暮らす人間や生命の価値観が変わっていくよ、ということを語っていたのです。そこに根拠はありませんが、湧いてきたこと、降りてきたことは、真実です。

損得勘定を持って邪な思考で考えたことは、その人だけの思い上がりです。しかし本来私たちは、宇宙の法のもとに顕わされた生命なのです。自らの心が美しければ、宇宙の智恵が自然と降りてきます。自らの心が美しければ、生命の始まりから未来まで、無限なる智恵が自らの中から湧き出します。ですから、自らを磨かなければなりません。どうやって磨くのかというと、今自分が何を思って生きているのかということを、常に観ていくこと。そしてそれは誇れる意識かどうかということを、常に意識して生きること。そして毎日の役割を果たしていくのです。

そうすると、宇宙があなたの生き様に顕れます。地球生態系という、無限なる命の連鎖があなたの生き様に顕れます。それは愛ある、優れた、豊かな生活を私たちにもたらしてくれるでしょう。

長く話していたら、ミストのような雨がやみましたね。このミストは本当に、私たちの命をつくってくれている元の波動です。今日を機会に、思いが本当に現象化するのだということを、しっかりと認識してください。それは恐ろしい事でもあるのです。ろくでもない思いを持って生きれば、それが現象化するのですから。だからこそ、自らをしっかり監視すること。監視するべきは自らの心です。

2017年7月26日早朝。マヤの新年ではありません。地球意識の夜明けのセレモニーとして、ここにいる人々と共に、3000年に向けて新たな時代を生きる人々へのメッセージを確認しました。

宇宙は無限なる世界を、私たちに命として示してくれています。それを汚すことなく、忠実に表現していきたいものです。

 

2017年7月26日 ー 熊野の神代杉とともに