憲法改正を見てみよう!

いさどんブログが新しくなりました!
この世界のあらゆるできごとを、常識にとらわれない宇宙的な視点から
自由自在にいさどんが語る新シリーズ「宇宙視点で見てみよう」。
第一弾は、次期参院選の争点にもなっている「憲法改正」について。
ファミリーメンバーおよびゲスト参加の座談会にて、いさどん、大いに語ります!
(以下は、座談会での会話をほぼ正確に再現しています。
どうぞその場に参加しているつもりで読んでみてください。

宇宙視点でいさどんが自在に語ります!
宇宙視点でいさどんが自在に語ります!

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なかのん
今、憲法改正が話題になっているけれど、それにはいくつかの論点があります。

まず、自民党は「戦争放棄」を謳っている憲法第9条を変えて、軍隊を持って日本の治安を守りたい、というのが基本姿勢です。そこで、いきなり9条を変えるのではなく、まずは憲法改正に関する法律を変えて、憲法改正をやりやすくしようとしています。現在の法律では、衆参両院の3分の2以上、その後の国民投票で過半数の賛成がないと憲法改正はできないようになっています。それを、衆参両院の2分の1以上、その後の国民投票では国民全体ではなく有効投票の過半数の賛成が得られればよい、というように、法律を変えようとしています。これについては、憲法も時代に合わせて変化していく必要がある、という声と、憲法とは国家理念なのだから時の政権の都合でコロコロ変えるべきではない、という声の賛否両論があります。

もう一つの論点は、改正案では国家権力による統制を強めるような記述が多く見られる、ということです。言論の自由に対しては条件が付け加えられ、基本的人権について書かれた憲法97条は全て削除されています。その他、天皇が「象徴」から「元首」に変わっていたり、日の丸や君が代を尊重すべきということが新たに盛り込まれていたりします。

また、改正案では憲法前文の格調が落ち、平凡な文章になった、ということも言われています。(詳しく知りたい方は、こちらのサイトに比較一覧が掲載されています。)

ともこ:今の前文は全世界の人々の平和を前提にしているんだけど、改正案では場合によっては先制攻撃もOKと読み取れるような、微妙な感じがあるね。

憲法改正を訴える安倍首相
憲法改正を訴える安倍首相

いさどん:この憲法改正というのは、ものすごく大きなことだよ。だけど、現在3分の2の議席を持ってる自民党に国民がそれを託しているのかというと、実は国民はそこまで考えて自民党に投票したわけじゃない。単に民主党の至らなさに対する揺り返しで票が増えただけのことで、僕はそこまで国民は愚かではないと思ってる。それでも、長年憲法改正を狙っていたタカ派にとっては、これだけの議席を占めている今は千載一遇のチャンスなわけだよ。

ここで考えないといけないのは、彼らは憲法改正後にどのような国づくりを目指しているのか、ということ。簡単に言うと、戦争に参加しやすくしている、ということだよね。

もう一つ言えることは、日本という国は、まあある意味アメリカのホワイトハウスの庭で飼ってるポチみたいなものでしょ。TPPにしても、最初から参加ありきでことが動いてる。今は、日本人の高いプライドというものが欠落してる状態で、国民も愛国心を持てずにいるんだよ。だから今回の論議は、プライドを持たせるという意味ではいいことだと思うんだよ。

それはどういうことかというと、たとえば、僕はTPPは参加すべきだと思ってるんだよ。日本の農業の脆弱な部分を変に保護していては、結局は守られることでしか成り立つことのできない、意欲のない人たちをつくってしまう。TPPへの参加は、ある程度風当たりを強くすることでそこをたくましくするという作用もあるんだよね。利点も欠点もいっぱいあるのよ。

今回、自民党が千載一遇のチャンスとしてこの憲法改正に取り組み始めたことで、国民も憲法についてまじめに考えるようになる。つまり、国民がこの国のことを真剣に考えるチャンスなんだよ。それっていいことじゃない?民主国家だから、最終的には多数決に委ねるわけでしょ。国会議員ではなく、国民がどういう判断を下すかで決まるんだよ。

なかのん:どこまで真剣に向き合えるようになるかですね。

いさどん:そうなのよ。国を愛してないこの国の人々がどうするのか、安保闘争以来の大きなことになればいいなと僕は思ってるんだよ。その結果がどうなるかは、実際に進んで見てみればいい。

いさお:今、憲法を変えたいと言っている人たちには、戦争に参加しやすくするとか統制を強めるといった偏りがあると思うんだけど。

いさどん:でもね、戦争に参加しやすくする偏りというのは、そういう観方をすればそうなんだけど、日本という国が独立国家になるためには、やっぱりアメリカにこんなに依存してちゃいけないんだよね。それが結局、国民一人ひとりの国に対する責任感をすごく欠落させてしまっているわけだから。

逆に、軍隊をいっさいナシにして、北朝鮮に攻めて来てもらって占領してもらうのはどーお?

ともこ:あははは。

いさどん:いやいや、日本がそうしたとして、北朝鮮がやってきて簡単に征服したとするじゃん。でもそんなことしたら、国際社会が黙ってないでしょ。だからそんなことできないのよ。だから、かえって無防備にした方が、世界の先進国へのメッセージになるよ。僕に今の自民党の議席をくれたら、そういう方向で憲法改正するんだけど。一切の軍隊をナシにして、自衛隊もナシにしてやね、そこに使っていた資金を世界の貧困撲滅のために使う方が、すごい画期的じゃん。みんなそれに倣おうよ、と。

いさお:それは、国際社会も日本をつぶしちゃいけない、と思うような、そんな国になるということでもありますよね。

いさどん:そうそう。北朝鮮がそんな動きをしたら世界が黙っていない、と。

なかのん:あと、相手も無防備なところを責めるのは躊躇するかもしれないよね。

いさどん:そうそう。なんにもないんだから。ウェルカムって言ったりしてさ(笑)。

いや、何でかって言うとね。昔オウム真理教の事件があったでしょ。もっと昔には赤軍派の事件があったでしょ。例えば赤軍ならば、彼らは自分たちなりの理想を掲げてはいたんだけど、実は彼らの中に、本物の国づくりの精神がなかったんだよね。単に社会に対する反発心から、知識で吠えてただけなの。だから自分たちの小さなコミュニティすら持続させられなかったわけじゃん。

それはオウム真理教も同じで、あれほど優秀な人たちを社会が吸収できなかった。社会に理想が見いだせないもんだから、オウムに行って革命を起こそうとしたわけでしょ。彼らが悪事だけを考えていたのかといったら、やっぱり良い国づくりをしようとしてたわけじゃん。

そうするとね、今の人間のあり方がね、理想の地球人類の未来を創ろうとしているのかといったら、アベノミクスなんか明らかに、地球全体の調和の流れから逆行してるでしょ。経済が発展するほど、実は地球生態系にはよくないんだから。持続不可能な道を歩み出してるわけだよね。

そういう意味で言ったら、たとえば浅原彰晃が世界総裁になって、この世界をすべて統制したら、修行が正義であり、そのために死んでいくことは聖戦だ、と言われる世の中になるんだよ。全部一律の価値観で統制してしまえば、それが正義の世界になるんですよ。

北朝鮮のキム・ジョンウン第一書記
北朝鮮のキム・ジョンウン第一書記

それと同じく、北朝鮮がこの世界を支配したらやね、あのキム・ジョンウンが総裁になって、この世界が統制されるわけだよ。そうしたら今度は、北朝鮮の価値観がこの世界の正義になる。それって別にどうってことないでしょ。だって、今世界の主流になっているアメリカ資本主義にしても、実はすごく間違ってるじゃん。裏表があって。それなのに、今の世界ではそれが正義とされているんだから、北朝鮮だって同じことなのよ。

もしもこの世界にもっと高い理想があったら、アメリカ資本主義ほどの悪はない、と言われるようになるよ。今テレビでもアメリカの特集をやっているけれど、ひどい国だよね、あの国は。今までもアメリカは悪だと言われてきたけれど、それよりもはるかに悪の可能性があるんだよ。だけど勝てば官軍で、勝ったものが正義になるわけだよ。そうするとやね、北朝鮮が悪かどうかなんて、わからんじゃん。

という考えからいったら、北朝鮮が日本に攻めてきたら、「どうぞウェルカム!」と。どうぞあなたたちの好きなようにしてください、我々も共にやりましょう、と言ったら、全然相手も困るだろうね(笑)。

という考え方なんだけど、ダメかね?

ともこ:いいと思います(笑)。

いさどん:だから、我々は戦わない人間、戦わない国民になるってことが大事で、憲法の話に戻るけど、憲法っていうのは国民の権利を守るものなんですよね。法律は国家が国民を統制するためのもので、憲法はその上にあるんですよ。そして憲法は国民の総意によらなければならないもの。

だから今回の憲法改正論議とは、どういう国を我々は創りたいのか、それを国民に問う機会だということ。ここで目が覚めなければ、この国は北朝鮮に渡しちゃった方がいいよ。ほんとにさあ。

いさお:なかなかそういう話ってないですよね。憲法改正したい人っていうのは比較的右寄りの考え方をする人ばっかりで、じゃあ左寄りはどうかというと憲法守るって言うだけで、どういう理想のもとに国を創っていくかという話にはなかなかならない。

いさどん:いやいや、左寄りの人たちが平和主義かと言ったら、全然そうじゃないでしょ。昨日連合赤軍の映画(『実録 連合赤軍 浅間山荘への道程』若松孝二監督)を観たけど、それはもうひどいものだよ。共産革命っていうのは血で作られてきたもの。今は世界的な潮流が血を流すことを抑制しているけれど、いつでもいざとなれば牙をむく体質があるわけだ。

いさお :共産主義の粛清で死んだ人の方が、第2次世界大戦で死んだ人よりも多いんだって。

いさどん:ナチスの罪がどうのと言っている場合なのかどうかわからないようなことをやってる。ユダヤ人の場合は、ナチスが戦争に敗北したから惨劇が明らかになってるけど、文化大革命で何人死んだのかっていうのは全部隠されてるんだから。

改憲反対のデモ行進
改憲反対のデモ行進

もとやん:僕は憲法改正には反対です。

いさどん:何で?

もとやん:平和憲法をなくさない方がいいと思う。

いさどん:でもねえ、事実、今の日本はアメリカの核の下に保護されてるという現状があるんだよ。「我々は平和憲法を持ってる平和な国民です」って言うくせに、沖縄には、沖縄だけじゃないけど、巨大な軍備がある。核だって配置されてるかもしれない。それで平和憲法を守ってると言えるのかどうか。

僕はそれよりも、憲法を改正して、日本人が自分たちで自分の責任を持つところに立つべきだと思うんだよ。そしてアメリカからある程度独立した上で、この国をどうするのかということを考える。それによって、本当の愛国心とか、この国を想う国民が出てくると思うんだよ。今は、アメリカ嫌いと言いながら明らかにアメリカの核の傘の下にいる。それでいて自分たちは平和憲法を守っていると言うのは、真実から目をそらしているよ。

もとやん:今の話を聞いて、確かに僕の考えは表面的だったかなと思う。

いさお:軍隊を持たないとはいっても、日本の軍事力は世界第3位だよ。

もとやん:死の灰もたくさん持ってる。

やすみ:私も改正反対って思ってるけど、それはなぜかというと、まず改正についての議論がしっかりされてないでしょ。

いさどん:改正の草案は自民党から出てるけど、本当はそこから国民が議論していかないといけない。

やすみ:それと、改正のハードルを低くするのはおかしいと思うんですよね。

いさどん:それはそうですよ。だって政権が変わるたびに憲法がコロコロ変わるようではね。

なかのん:確かに。でも欧米なんかでは、憲法改正へのハードル自体は日本と同程度で決して低くないんだけど、それでももう少し頻繁に改正されていて、日本のように改正がない国は珍しいみたい。

いさお:まあ欧米の真似をしなくてもいいけどね。

いさどん:怖いのは、本当に日本の国民が国家という意識でものを考えてるのかというと、今はものすごく意識が低いじゃない。それを育てるためには、このくらいのことがなけりゃいかん。騒乱が起きるくらいのことになったらいいけど、今回も起きそうにないもんな。国民の中に、これは一大事という意識がないもの。

やすみ:自民党の中では改正派が主流だけれど、反対の人もいるわけですよ。でもそれを言えない雰囲気ができてるみたいで、そこが怖いなと思うんですよ。もっといろんな意見を話し合える場が欲しい。

いさどん:だから、今そういうふうに反対派がいても出せない空気があるからこそ、改憲派はこれを千載一遇のチャンスとして、やろうとしているわけだよ。気持ちはわかるよ。こんなチャンスはめったにないから。やりたい人たちにとっては今やらなきゃいつやるの、というくらいの話だから。

僕は反対でも賛成でもないのよ。もうなるようにしたらいいんじゃないの、と。なにしろ、みんなが考えるチャンスを与えられたということでは、TPPもそうだけど、すごくいい機会だよね。

なかのん:議論ということで言うと、福島の原発事故があった時には日本全体で議論が盛り上がったんですよね。最近は下火だけど。あんな感じのものが、憲法改正に関しては見えないんですよね。

いさどん:今回の憲法改正というのは、実は大変なことなんですよ。ところが国民は意外とボケてるのね。その寝ぼけてるのに火をつけるいい機会だから、僕はどんどん進めたらいいと思う。今度の参院選挙でも、こんなに大きな話なんだから、反対派はなぜ反対なのかを出してくるでしょ。その時に投票率は上がるし、みんながもっと国のことを考えるようになるよ。だから、憲法のことなんてどうでもいいのよ。国民の関心が政治に向くという点で、僕は安倍さんはすごくいいことやってくれてるな、と思う。

なかのん:どこまで関心が向くかですね。原発の場合はわかりやすいと思うんですよ。

ともこ:そう。だけど憲法は生活への直結感がないんだよね。

いさどん:今自民党は、国防軍を作って、他国が明らかに日本を攻撃してくることがわかったら先制攻撃もOKということにしたいわけでしょ。もしね、それが日本にできたら、かえって今の北朝鮮に危機感を持たせて、神経を逆なでることにはなるよね。だってジョンウンくんはまだ30歳だもん。

もとやん:憲法改正で、国民が国のことを考える方向に行くでしょうかね。原発だってもっと考えていいはずの出来事だったと思うんだけど。

福島の原発事故
福島の原発事故

いさどん:そのくらいこの国の人は眠ってるわけよ。福島の原発は世界で最大の原発事故だって言われてるのにさあ、意識は薄いじゃない。だから、そういうことに目を覚ますには行くところまで行ったらいいじゃない。

いさお:北朝鮮のミサイルが落ちるとか。

いさどん:そうそう。

もとやん:そのくらいで目が覚めるかね?

やすみ:いやあ、高齢の人たちはまだ戦争を体験してるからいいけど、若い人たちはもう冷めてるんだよね。自分が何したって仕方ないわって。そこら辺が怖い気がするんだよね。

いさどん:何でそんな悲観的なことばっかり言うの?若い人たちに任せた方が、斬新な意見が出てくる可能性があるよ。そんな中途半端に経験してるからこそ、きっとこうなるんだろうああなるんだろうって悲観的に考えるんだよ。それより、もっと本当に斬新な意見が出てくる方が楽しみだと僕は思うんだけど。

だから、わかんないところに僕は期待してるのよ。

もとやん:そういう観点はすごいなと思うんですよ。でもそれで国民が考えるようになるかな?

いさどん:何でそんな考え持つの。行ってみなきゃわからんじゃん。考えなきゃ「ボケてるね」ってだけの話で、考えたら「よーし、考えたな」ってだけのことだし。とりあえず、こんな機会はめったにないんだから。これはもう、大歓迎しなきゃいけない。

いさお:逆に言うと、考えてないと考えさせられる機会がどんどんやってくる。3.11であんまり考えませんでした、じゃあ次は何が来るの、って。

なかのん:気が付いたら、あれ、徴兵されちゃうの、って(笑)。

いさどん:やあ、だけどね、徴兵制度ができたら、日本のニートだとか引きこもりだとかはだいぶ減るよ。徴兵制度は悪いばっかりじゃないよ。軍隊に入るというより、国家のために働くトレーニング期間を設けるとかね。まあそれじゃ基本的人権はどうなるんだ(笑)。

やすみ:でも国家のためっていうと、国のために戦争して人を殺しても犯罪にならない、ってことになるじゃないですか。

いさどん:その考え方は、今までの既存社会をベースにしてるんだよ。国家や憲法っていうのは、国民を守る、権利を保護するためのものであって、本当に優れた国家なら、国家のために働く国民というのは優れた社会を創る人たちなんだよ。そういうことをイメージして僕は話してるのよ。今までの既存のひどい国をベースにして疑いの心で話すと、今のやすみさんのような発想になるね。僕は宇宙連合国家をベースにして話してるんだよ。

やすみ:私もいさどんの言ってることわかりますよ。守るために軍隊持とうっていうのには私も反対で、いくら持ったって良くなると思えないから、本当に武器なしにした方がいいと思うんですよね。

いさどん:そのお金を他のことに使った方がはるかにいいじゃん。でもそれじゃ票は取れないよね。・・・いや、わかんないよな。意外とみんな考えてるのかも。今は日常の中で見えない自衛隊にものすごいお金を使ってるんだけど、それを目に見えるように変えようよって言ったら、意外と支持が集まるかもしれない。自民党に反対するものとしてやるから指示が集まらないのであって、賢明な国創りという意味で全く違う観点から出ていったらおもしろいのかもな。僕は日本維新の会がそういうのかと思って期待してたんだけど、石原さんがくっついちゃって、なんのことはない、自民党のタカ派になっちゃった。

・・・あれ、憲法の話だったね(笑)。

いさお:憲法は根本の国作りの話ですもんね。

いさどん:だから、こういうことを国民が考える機会になるということ。大いに進めてほしい。あっちでもこっちでもそういうことを考えてもらって、それに便乗して、新しい人々の暮らし方とか、新たな社会の仕組みということで、『確固たる居場所』を同時上映すると。

もとやん:いいね(笑)。

いさどん:ところで、この話どうやってまとめるの。

ともこ:日本は北朝鮮に差し出す、ということでいいですか。

いさどん:うん、日本は北朝鮮に「どうですか、一緒に国創りしませんか」と提案する。そしたら向こうがびっくりするんじゃない。そのくらいの斬新なことを言いたいね。ぜひ僕にこの国を任せてほしかったんだけど、今世ではそういう予定になってないもんだから。

ともこ:もし任されたら、何から着手しますか?

いさどん:あのー、まず、寿命の定年制をつくる。60歳以上・・・いやほんとは30歳以上にしたいけど。

なかのん:ここにいる人全員もうダメじゃん(笑)。

いさどん:まあそれは過激にしても、もっと現実的なことで言うと、やっぱりベーシックインカムだよね。この国で生きていくことをすべて保証しましょう。人は仕事をする時、「はたらく」、つまり「傍を楽」にする、人のためにやるという精神で働きましょう。その意味が分からない人を、徹底的に思想教育しましょう。

いさお:それ「文化大革命」じゃん(笑)。

いさどん:だって教育って国策でしょ。僕は何を国民に与えるかと言ったら、それはもう、働く精神。つまり、世のため人のために働くことこそ正義として、新しい道徳観をこの国に植え付ける。で、働くんだけど、働きによって所得の格差があるのではなくて、国民には平等に所得の保証をしましょう、と。障害のある人も健常者も関係なく。で、文句は言っちゃいけない、と完全に思想統一をする(笑)。

ともこ:それは既存の共産主義とは違うんだね?

いさどん:違う違う。共産主義は人間のための理想世界を謳っているだけで、自然という概念がないもの。僕の基準は何かと言ったら、地球生態系。銀河の構造とか、太陽系の構造とか、地球生態系のように、役割は様々に違って多様性があり、平等な世界を表現するってこと。

まあ木の花では、あまり新しくもない考えだね(笑)。

 

地球

 


個人と社会の病理をホリスティックに捉える

ただいま、ファミリーでは「心を耕す家族の行く手」に続く「木の花ファミリー本」第2弾の出版計画が進行中です。
出版社は「心を耕す」に続いてロゴス社です。同社は、「いたるちゃん」こと村岡到さん主宰の出版社で、社会主義的な視点からの雑誌や書籍を多く出版されています。
先日、いたるちゃんから「ファミリーの心のケアの現場から見える精神医療の実態について原稿にまとめてほしい」との依頼があり、いさおが執筆を担当することになりました。
現在、ファミリーにケア滞在しているMくんの経歴が精神医療の現状を端的に表していると考え、まずMくんの治療歴についてインタビューしました。そして、それを踏まえていさどんに語ってもらいました。
以下は、そのふたつのインタビューをまとめたものです。これに加筆編集したものをいたるちゃんにお渡しする予定ですが、ブログ読者の皆さまには、ぜひ原文を読んでいただきたく、いたるちゃんの了承のもとで、ここに公表したいと思います。

□ Mさんの通院歴

Mさんは40歳。8月の上旬からファミリーに滞在して、心のケアに取り組んでいる。
滞在前、一年程前から通院していたメンタルクリニックでMさんが一日に処方されている薬剤は、計9種類、22錠にもなる。分類してみると、以下のようになる。
まず、薬の袋には「不安や緊張、興奮などの精神症状を改善する」と説明されている「非定型抗精神病薬」。統合失調症などの治療に使われる薬で、これが「インヴェガ」「エビリファイ」「セロクエル」の3種類。不安を抑える、いわゆる精神安定剤が「コンスタン」「デパス」「ベゲタミン」の3種類。睡眠導入剤が「ネルロレン」「フルニトラゼパム錠」「ベゲタミン-A配合錠」の3種類。また、「ふるえや筋肉のこわばりをほぐす」パーキンソン病の治療薬「タスモリン」、「けいれんを予防する」てんかんの治療薬「リボトリール」も処方されている。
これほどの種類、量の薬が必要な彼は、いったいどれほど重篤な精神疾患なのか。本人に現在の病名を聞いてみると、驚くべきことに「知らない」という。
Mさんは、19歳のときに初めて精神科を受診した。元々は社交的な性格で、高校時代も楽しんで過ごしたが、家庭事情の悪化や、住み込んだ予備校の寮に馴染めなかったりしたことから、少しずつ精神状態が悪くなっていった。電車に乗ることがしんどくなり、大学入試も震えながら行った。なんとか受かった大学にも行けそうになく、「家庭の医学」を読んでようやく病気であることを確信、精神科の門を叩いた。そこで「神経症」と診断さされて処方された精神安定剤が「バッチリ効いて」、大学生活を普通に送ることができた。ただ、2年生で留年が決まったことをきっかけで大学を中退。その後は親に仕送りを受けながら、適当にバイトをしながら遊んでいた。
本格的に歯車が狂いだしたのは、27、8歳のとき。処方されていた精神安定剤が効かなくなった。なんとか元気だった頃の自分に戻ろうと、あちこちの精神科を転々とした。いわゆるドクター・ショッピングだ。
その後の受診遍歴は多彩だ。Tクリニックでは、医師が「君は病気ではないから、薬は無意味。行動でしか治らない」と断言した。その医師は、先輩が営んでいる有名な全開放病棟のA診療所をMさんに紹介。「入院」という言葉を使わず、外出も完全に自由という開放的な雰囲気の中で「承認欲求が満たされた気がして」、3ヶ月間の「入院」後は一人暮らしを始めたりもした。ただ、A診療所は自由に外出を認める一方で、大量の薬を処方された。現在通院しているクリニックの処方は、その処方が引き継がれているのかもしれない、とMさんは言う。結局、一人暮らしは一年で終わり、実家に戻ってA診療所への通院を続けるが、次第にひきこもりがちになる。
「医者の不養生」なのか、A診療所の医師は娘が摂食障害を患っており、彼女が通っているということでN診療所を勧められた。宿泊施設に滞在して、デイケアを利用しながら治療するフリースクール的な施設だ。サポート担当者が付き、被害妄想的な考えに悩まされたときは、辛抱強く事実を伝え続けてくれた。薬に頼り過ぎない方針を取っており、Mさんも医師に叱咤されながら減薬に成功。4ヶ月後に滞在を終了したときには、二度と病気に戻らないと確信した。
しかし、実家に戻って介護の仕事についたものの、すぐに辞めることになり、結局は元の状態に戻ってしまった。かつて「君は病気ではない」と言ったTクリニックを受診すると、「辛いかもしれないが、仕事を探してそれをするのが君の治療」と言われる。
その後は、厚生省がひきこもり解消に推進していた自立塾に行ったりするが長続きせず、近所のメンタルクリニックを受診するようになった。その結果が、冒頭に述べた通りである。
始まりは決して重篤な病気ではなかったのに、実に20年を超える期間、Mさんは精神科と縁が切れることがなかった。その21年に渡る「多彩な」通院遍歴から、何かが浮かび上がっては来ないだろうか。

□ 「主治医」役をつとめるいさどんの見解

Mくんは、もともとデリケートな気質の人。しかし、今の社会はそういった人が適応できる幅を狭めている。ここからここまでが適応できる人で、ここから先が落ちこぼれ、と枠を作っている。
そういう価値観の中で、社会自体が狭い世界を作っているわけだから、Mくんに限らず、社会に適応できているように見える人も、狭いところでストレスをためて生きている。彼のように引きこもりや精神疾患を発症しなくても、それにつながるような、もしくは類似するような症状を表している人は多くいる。言わば社会全体が彼の病的な症状と同じようなものを表していて、アルコールやタバコといった、健康な社会では必要とされないようなものまで必要としているところがある。それどころか、経済そのものがそういうもので担われているという現状がある。特に先進国にはそのような傾向がある。
人間は個性的で多様なものなのに、現代社会は多様性の幅を狭めて、その枠の中で落ちこぼれを作っている。まず、それがひとつの要素。
もうひとつは、そういった社会の中で、Mくんをとりまく人間関係にも社会の価値観が影を落としている。子育てしかし、教育しかし、本来はその人が持っている個性を伸ばすことで、その人らしく社会に貢献できるように育てるという目的がある。しかし、家庭や学校などで、本人の資質を無視した子育てや教育が行われている。Mくんの親も、彼の資質をきちんと見て、というよりは、親や社会の価値観のままに彼を育ててきた節がある。
たとえば、Mくんは自己を表現するのが苦手で、自らの目的を見出しにくいタイプなのだけど、それが外からの価値観を押し付けられると、いったんは応えようとはする。しかし、それが自分の資質から外れていれば、当然、不適応が起こる。その結果、自信を喪失していく。
人間には個々に持っているエネルギー量というものがあって、それは生命力と表現することもできるが、Mくんのような人はそれが弱い。エネルギーをうまく使いこなす能力が乏しい、つまり不器用ということ。その不器用なところから、社会に出ることを拒否するような感情が生まれてくる。そしてそのときに、理由がないとだんだん拒否しづらくなるから、それを口実として病的なことを発症させる、ということも起こる。
家庭では、そういうことを客観的に分析できない。安易な親はそれを叱責する場合もあれば、Mくんの親のように、本人の言うことを鵜呑みにしてしまって、要求することをすべて叶えてしまったりする場合もある。そして、それによって混乱した状態を続けていく。
そういった人々を待ち構えているのが産業としての医療で、その現場では生産性を上げることが目的になっている。そこには医療の本来の役割である病気をなくすとか、予防医学的に病気を発生させないという発想はほとんどない。それどころか、顧客のニーズにこたえて投薬したり、更には顧客の状態を発展させて、病気の世界に誘っていくことまで行われている。Mくんのケースは、まさにそういう構図を表している。そして、その経済効果によって業界が維持されている。
こうしたことを総合的にとらえると、Mくんは社会の構造的な矛盾をつくる当事者であり、犠牲者でもある。こうした矛盾の構造をホリスティックにとらえて、総合的に物を見ていく必要がある。個人としてのMくんの症状を治していくというのは、ある意味で対症療法。本来は、社会の病理としてホリスティックに捉えていく必要がある。本来、それは国の役割だけれど、政治家たちにはまだそういう考えが浮かんできていない。さらに物理的で、対症療法的な方向に向かっている。

Mくんのケアの過程で、僕らは彼に改善に向けたアドバイスをするが、本人はなかなかそれを受け入れられない。もちろん、本人に治す意思がないと判断したときはケアを受け入れないのが僕らの原則であり、アドバイスを完全に拒絶する状態ならケアは成り立たない。しかし、Mくんには今の状態が不健全であるという認識があるし、治したいという希望もある。ただ、改善に向けて積極的に取り組んでいくことがなかなかできない。そこで僕らのサポートが必要なのだけど、僕らが差し伸べている手を、彼がなかなかつかまないという現状がある。
そういう人には多少のプレッシャーをかけてそれをつかむように誘導することもあるが、Mくんの場合はまだその段階ではなくて、ある程度静観して、自分の現状は健全ではないという認識や改善したいという気持ちが彼の中に自然に育つのを待っている。そのときに、親が今まで家庭の中で示してきたような姿勢ではなく、けじめやリズムのある姿勢を示して、その中で彼の自覚が育っていくのを見守ることになる。そしてその自覚が生まれてきたら、少しずつ自分をコントロールすることを身に付けながら、薬を減らして、健康な意識を作っていくためのアドバイスを提供していく。
サポートする側は、本人に多少のプレッシャーを与える必要はある。親のように本人の言いなりではいけないし、社会のように無関心であってはいけない。そして、医者のようにそれを飯の種にしてもいけない。常に当事者とのキャッチボールの中で、必要なものを提供していく。そのときに、サポートする側が「改善したい」という感情を強く持ちすぎると、それを押し付けることになる。そうなると、本人の取り組みではなく、サポートする側の望みを実現する場になってしまい、良い結果には結びつかない。
だから、サポートする側は、自らにストレスがたまっていないかを常にチェックする必要がある。それが、サポーターとして適切な領域を守っているかどうかのバロメーターになる。そうすると、サポーターは役割を果たすことによって自己コントロールを学ぶことになる。
ここで大切なのは、サポートする側は何かを提供するのと同時に、ひょっとすると与えた以上のものをもらっている、ということ。病気という現象に向きあう中で、本人も、それに関わる人も、大切なことを学んでいく。本来、医療もそういうものであるべき。社会全体としても、さまざまな問題事をいただく中で、そこから学んでいく。そのような捉え方をする謙虚さが必要。どんな場所であれ、どのような学びであれ、学ぶときには、常に謙虚さがなければいけない。

Q. 今の社会には負の循環があるように思う。多くの人々は、社会にとって良かれと思って目の前のことを一生懸命やっているが、やればやるほど社会の負の側面を助長させていってしまうところがある。その社会システムに乗っかっている人に何かが足りないのだと思うが、それは何だろう?

人間の歴史の中で、人々はまだ現象を表面的にしか捉えていない。つまり、現象の奥にあるメッセージにまで目が届いていない。それは、目は見えているが、心の目は観えていない、ということ。
僕たちもいろいろな出来事に出会うけれど、主に意識しているのは、不幸だったり、歓迎できないような出来事。もちろん、いいことは嬉しいし、そこに喜びが生まれるのだけど、喜びがあるとさらにそれを求めるような心の構造が人間にはあって、「腹八分目」「足るを知る」と表現されるような、適度で満足するということがなかなかない。
これに対して、問題事であっても、その現象の奥にはメッセージがある。そのメッセージを見出すことによって、問題事から学べるし、それで満足できる。もちろん、喜びからも満足は得られるが、問題事から学ぶ喜びや満足の方が大きいし、深い。生きていくことはすなわち問題事に出会うことのようなものだから、そこに気づくと、生きることの意味や喜びが大きくなって、表面的なストレス解消型の欲求が消えていく。すると、Mくんのような症状を呈するものもなくなってくるし、そういった人たちを改善する医療もずっと健全な構造になる。そのようにして、Mくんにプレッシャーを与えるような社会構造もなくなってくる。
このように、Mくんという人を通して、より広い世界、家族や地域社会、国家、そして人類のテーマが見えてくる。その人類はさらに大きなもの、つまり生態系や地球、そして宇宙によって生かされ、維持されているわけだから、それを学んでいく機会になる。ただ、今の人類はまだその扉を開ける段階のちょっと前にいる。

Q. これはいたるちゃんに依頼された原稿のための話だけど、読者の人たちは社会主義に関わっている人たちが多い。その人たちに、これは良いメッセージになると思った。その人達は、あるいは時代遅れとも見られがちなのかもしれないけれど、社会の問題の奥にあるメッセージをとらえて、自分たちのできることをしていきたい、という真摯な想いを持った人たちだろうと思うから。

それは、まったくそうだろう。ただ、ある問題事に対して、特定の思想から答えを導き出そうとするのは、もう無理があると思う。そうではなくて、現象をいろいろな視点から科学的に分析していって、今度はそれを逆につなぎ合わせてホリスティックな全体像を見ていく。そうすると、この世界を維持している「意識」が働いていることがわかる。これからは、その意識を大前提においた思想を作っていく必要がある。
これまで、人間がこの社会を共同でつくることによって理想の世界を創り上げようという共産主義のような考え方と、個人の喜びを切磋琢磨しながら創り上げていくという資本主義の考え方があった。そうしたら、個人の存在を尊重する個人主義と、個人は全体の一部分であるという共産主義を合体させればいい。しかし、大切なことは、それを人間がつくってはいけない、ということ。宇宙や地球の生態系の仕組みをもっと科学して、その構造を知ったうえで、そこで個々の役割を果たしている生命として人間をとらえていく。自然界は個を尊重してネットワークしている。だから、社会もそのような形に持っていければ、資本主義と共産主義の合理性や有益さを合体させて、人類の次の目的を達成することができる。
そこでひとつ気づいてほしいのは、たったひとりの、ある意味で落ちこぼれとも言える40歳のMくんの症状を見ても、そこからは家族が見えるし、社会が見えるし、国家が見えるし、人類の今の状態が見える。そのように、ある問題ごとをホリスティックにとらえると、その病巣が大きなもので、人類に対して訴えかけるメッセージを持っていることがわかる。そういうことを見抜いていく目を、人々はこれから養っていく必要がある。

Q. そのために必要なことは何だろう。

それは、自分を正しく知るということ。必要なものと不必要なものが自分の中に入り混じっているのを整理して、社会や自分に健全なものをもたらすことのできる個人に自らを磨きあげていく、ということ。僕らはそれを「魂磨き」といって、個という我にとらわれない人間性を築き上げる作業をしている。それによって、さまざまな問題が解決されるだけでなく、同じ問題が起きなくなっていくし、まして病気は非常に少なくなってくる。病気も悪いものではなく、前向きにとらえられるものになる。社会の問題事も同じで、人々にネガティブな感情を発生させるものは、ポジティブにとらえることによって学びとなる。そして、それは個人や社会が進化していくことの材料となる。
大事なことは、我々がどういった社会をつくるか、ということの前に、我々はなぜ存在な目的に気づいたら、人間の存在が社会に負をもたらしていくようなことはありえない。 だから、まず自らがなぜ存在しているのか。もうひとつ言えば、自らを包含しているこの世界がなぜ存在しているのかを理解する必要がある。

Q. 共産主義は、人間の意識というのは社会構造によって規定される、と捉えた。

理想の仕組みを作れば、人間はそこにすべて当てはめられる、ということだよね。人間を物のように考えたのだろう。
それについては、対論を言わなくても、今まで共産主義や社会主義がやってきたことの結果が、答えを出している。ひとりひとりがオリジナルな生命であって、心の形もすべて違う。類似するものはいくつかに分類できるけど、個々は独立したオリジナルなものであって、それを尊重したときに自然の生態系のような多様性ある豊かな世界ができる。そのことに、そろそろ気づく必要がある。
制度を先に作りたい人たちは、人間の側から考えた理想や調和、バランスを考えるが、実は、宇宙や地球、生態系という形ですでに完璧な制度が存在する。その中にわれわれが生み出されているわけだから。人々はそのことをよく理解していないし、我々がその仕組みの中で生かされているということを十分に理解して、意識の中に取り入れるということをしていない。しかし、それをやっていく時代がようやく来ようとしている。人間意識から理想を作るという視点から、まずは我々は地球生命の中の一部分として存在しているのだから、地球意識から次の社会を作っていく、という視点に移るときがきている。
これからは、先に社会構造やシステムを変革しようとするのではなくて、個々が目覚める時代。自分が社会を作っている、自分から社会の変革が始まる、という新しい個人主義の時代。それは同時に、自然の仕組みのような個人のネットワーク、新しい共同の時代でもある。

こうして、Mくんの病気からはじまって、人類の抱える壁が見えてきた。人類にとってはたいへん大きな節目を迎えているということで、21世紀はそこを突破して次の社会をにらんでいるという状態。現代は本当に物質的には進化した時代でありながら、人々はたくさんの問題を抱えて、人類だけでなく地球の未来を憂いている。それほどの暗い時代であり、個々にも病気や自殺という現象が蔓延している時代にあって、負が大きければ大きいほど、次の時代には新たな価値観によって光がもたらされる。その夜明け前にいる、ということでもあるから、この世界を大きく、ホリスティックにとらえて、希望をもって歩みたいものです。