皆さん一人ひとりに、新しい自分自身をプレゼントします

2月19日、「1ヶ月間の真学校2017」がスタートしました。
「1ヶ月間の真学校」は、自分を変え、世界を変える1ヶ月間のプログラムです。開講にあたってのいさどんの挨拶をご紹介します。

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皆さん一人ひとりに
新しい自分自身をプレゼントします

— 1ヶ月間の真学校2017開講の挨拶 ―

最近僕は、自分はなぜこのような人生を生きているのだろう、と考えることがあります。それは自分の意志ではないと思っています。過去の歴史からつなげて今の時代を観てみると、世界は今、変革の時を迎えているということがわかるからです。

皆さんは、一人ひとりそれぞれの人格を持ち、それにふさわしい人生を生きています。そのふさわしい人生を、多くの人は、自分の意志で選んで生きてきたと思っています。
しかし、今の時代の社会を、自分で選んでつくることはできません。世の中が今こうなっているから自分はこういう人生を生きているのだ、というように人は捉えます。人によっては、自分の思うような人生が生きられなければ、自らを犠牲者のように捉える人もいます。時代を思うようにはできないということも、自分の人生は自分でつくってきたのだと思うことも、どちらも実は違うのではないか、と思うのです。
今、あえて「違うのではないか」と言ったのは、そのことを明快にするためにこの1ヶ月間の真学校があると考えるからです。

時代は、物語を刻んでいます。それを小さく区切って自らの目の前のことだけを見て、日常の中に思考が囚われていては、時代が物語を紡いでいることを理解することはできません。多くの人は時代に翻弄され、実際に水の中で溺れてはいなくとも、心は時代の波にのみ込まれています。自分自身の感情にすら翻弄されているのです。
ずっと昔、人間がもっと自然に近かった時代には、そのようなことはありませんでした。それは、自然から与えられた環境のままに人間が生きていたからです。人間はとても高い能力を持っていました。やがて火を使うようになり、道具を使うようになり、どんどん賢くなって、生きることに工夫をするようになりました。
そうすると、人間の中に「あれが欲しい」「これがしたい」という思いが湧くようになりました。そしてその思いがだんだん膨らみ、育っていきました。何のためにそれがしたいのかというと、自らの満足のためにしたいのです。それが自我の目覚めです。

自我とは、本能と同じものです。本能のままに自我はあります。しかし人間が他の動物や植物と違うのは、その自我がある意味欲望であり、感情であり、それぞれの精神性にふさわしく膨らませていくものであるということです。それが行きついたところが、現代の社会です。
1ヶ月間の真学校では、このことについてひも解いていきます。現代は人間の自我が極めて膨らみ、本来私たちは自然の生命でありながら、非自然の中に生きるようになりました。生命は自然の仕組みそのものですが、人間は自然とはかけ離れた欲望を持ち、自然とはかけ離れた環境を創り出し、生きるようになったのです。
その結果、「あれが欲しい」「これがしたい」という欲望もどんどん膨らみ、本来の自然の生命観からしたら不要な思いをたくさん持つようになりました。皆さんも、持っているでしょう?その不要な思いを持つことによって何が起きるのかというと、それは自然の中では矛盾ですから、本来自然の中にあるべき秩序を乱し、この世界に歪みをもたらし、人々がつくる社会にも不調和をもたらします。自然界では、動物の関係も植物の関係も自然の循環の中にあり、とてもスムーズです。ところが人間は、人間同士の間ですら関係が難しくなりました。さらに、自らの思いが自然から離れることで、自らの体にまで矛盾を発生させるようになりました。それを病気といいます。

現代の人々はそのような分析はしません。病気が蔓延していることや、世界にまだ戦争があることなど、自然にはありえない現象が人間の世界にたくさん存在していることを、当たり前に思っているのです。そしてそれが在ることを前提に、対処しています。ですから、なぜそれが起きているのかを根本的に考えるということをしないのです。
根本的に考えるとは、もっと大きな枠でその現象を捉えるということです。しかし人々は、まずそれがあることを前提にして見ていますから、その目線では決してその根本的原因を理解することができず、問題の解決を図ることはできません。

今回1ヶ月間の真学校に参加された皆さんは、参加の理由はそれぞれにあることでしょう。しかし、共通して言えることがあります。
皆さんは、この時代にこういったものごとの捉え方を得る機会に出会いました。この時代だからこそ、この視点が必要なのです。それを得ると、皆さんの人生は確実に変わります。
どう変わるのかというと、生きるということに対する解釈が変わっていきます。1ヶ月間が経てば、確実に変わります。ただし、そのことに対する一人ひとりのニーズの内容はそれぞれでしょう。今の暮らしを安定した人生にすることを求めている人もいれば、新たな人生を歩みたいという人もいます。ニーズはそれぞれですが、確かなことは、今この時を生きる人々にとって、こういった学びが必要とされているということです。

今、世界中でたくさんの矛盾がピークを迎えています。その矛盾を理解し、新たな時代へと移行していく時に、その先端を行く者はごく少数から始まります。やがてそれは全体へと伝播していきますが、今はまだ、世の中全体は混乱の中にあり、多くの人々は次に進むべき新たな世界を見出せずにいます。そして矛盾が発生し続けています。皆さんは、このことを理解し、これからの時代のために、世の中のために生きていってくれる人たちだと思うのです。

そこで、では自分は世の中のために何ができるだろうと考えます。簡単なことです。自分一人を変えれば、自分一人分世の中が変わります。あなたがご機嫌で、幸せで、理に適った生き方をすれば、あなた一人分世の中を良くするのです。
今、時代は大きな切り替えの時に来ています。その変化が連鎖していく種になるということは、あなた自身が変化の波の先端に立ち、これから後に続いてくるであろう人々の見本にもなるということです。

実は、皆さんへの講座で使うプレゼンテーションを今用意しているのですが、その半分ほどは、もしかするとちんぷんかんぷんかもしれません。その、よくわからないものを皆さんにプレゼントしようとしています。「これを聞いてもきっと理解できないだろうな」と思いながら、プレゼンテーションを準備しています。
それはなぜかというと、もしも皆さんがわかることを得るとしたら、皆さんはきっと納得することでしょう。しかしそれでは、あなたの心は満足するかもしれませんが、あなたが変わることにはならないのです。
多くの人は、自分が納得できるものだけを得ようとします。しかし納得できるということは、それは自分の理解の範囲内のものだけを得るということですから、そこに進化はありません。時代は常に進化し続けているのですから、今の考えのままでい続ければいつかは必ずそこに矛盾が発生し、行き詰まるようになっています。ですから、皆さんのために、「きっとこれは理解できないだろうな」と思いながらプレゼンテーションを用意しています。

新たなものに出会うということは、「そういう捉え方があるのか!」と、これまでの自分の枠を突破することになります。ですから、皆さん一人ひとりにできる限り寄り添いながら、理解できるようにお話ししていきますが、わからなくてもいいんですよ。なぜなら、わからない話に出会っている、というだけで、すでにあなたは、今までのあなたの枠を外し、新しい世界にいるからです。
そうでしょう?自分がわからないところへ積極的に行こうとするなんて、普通はしませんね。そこにいるというだけで、新たなものを得ようとする姿勢があるということなのです。それは、進化しようとする姿勢の証です。

木の花ファミリーには、毎晩夕食後に「子どもミーティング」というものがあります。通常は、その日にあった出来事などを子どもたちが話し、それに対して大人たちがコメントをするなどしてやり取りをする場です。
そこに時々、いさどんが登場することがあります。いさどんはできるだけ子どもたちにもわかるように話しますが、それは世界観が広く、小学生以下の子どもたちには難しい話です。中学生以上でも難しいかもしれません。できるだけ理解できるように話すものの、本来そういった世界観を、子どもたちはまだ持ってはいないのです。
ではなぜそんな話をするのかというと、わからなくてもいいのです。つまり、子ども達はそこで言葉を聞いているのではありません。いさどんという人が、何か大切な話をしている。それを大人たちが熱心に聞いている。言葉も難しくてわからないけれど、何か大切なことを言う人がいて、それを大切に受け取っている人たちがいるという、その空気を感じているのです。
そうすると、意味がわからなくても、子どもたちは「自分のわからないことで大切なことがあるんだ」ということをしっかりと受け止めていきます。ですから日常の中でちょっとそういった話に出会うと、子どもたちはパッとそれを受け取り、いつの間にか大人よりも立派なことを言うようになるのです。大人は頭で学習しますが、子どもたちの言葉は内からにじみ出てきたものですから、本物です。

これから1ヶ月間、きっとわからないだろうというような話を、皆さんに伝わるように、精一杯やっていきます。皆さんも、わからなくても付き合ってみてください。そうすると、1週間経ち、2週間経ち、3週間経ち、1ヶ月が経つと、皆さんはきっと変わっています。
これから、とても充実した1ヶ月間を皆さんにプレゼントします。皆さんも、自分の頭の中で先に何かを予測するのではなく、すべてを白紙にしてお付き合いください。そうすれば、皆さん一人ひとりに、新しい自分自身をプレゼントすることができるだろうと思っています。

1ヶ月間、よろしくお願いします!

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自分を変え、世界を変える1ヶ月間の始まりです

 


毎日が「マツリ」

3月21日、異次元空間カフェ「ロータスランド」がオープンします。

ロータスランド完成イメージ
ロータスランド完成イメージ

建築やメニュー・商品開発などが同時進行で進む中、テラスの上の壁に「富士山麓の四季」をテーマにした壁画を描くプロジェクトもスタートしました。
そして昨日の早朝、ふと目を覚ましたいさどんがこんな話を語り始めました。

いさどん:
ロータスランドのオープンに向けて、今、みんなで一丸となってひとつのことをやっている。一丸となってひとつのことを越えていくというのは、たくさんの心がそこに共鳴しあって、人に希望を与えることだ。
その中で、誰か一人でも自我にまみれていては、そのような場はできない。自我を忘れて、みんなが渦になる。カタカムナで言えば、「マワリテメクル」ということ。それは地球の動きだ。地球は自転し、公転し、歳差運動をし、微振動をしながら進んでいる。これは、古くから日本人の中にある、「マツリ」の精神だ。

今、我々は生活の中でマツリを表現している。そこでただ物理的なことを目指していると、何か特定の目的があって、それを達成するためにみんなでひとつになろうという世界になる。そこでも、自我があっては調和的な世界を創ることはできない。
今日、1ヶ月間の真学校の講座で使うカタカムナのプレゼンテーションをチェックしながら、改めてカタカムナの精神について振り返っていた。カタカムナの精神とは、マツリの精神だ。マツリの精神とは、命の仕組みの精神であり、宇宙の天体の成り立ちを言う。
そのことについて思考を巡らせていたら、北朝鮮の金正男氏が暗殺されたことが思い浮かんだ。そしてトランプ政権のフリン補佐官が更迭されたことが思い浮かんだ。世界中で争いやいがみ合いが起きている。人間のご都合主義の世界が、今の世の中に蔓延している。

ここで表現しようとしているのは、それとは別の世界だ。これをカタカムナ精神と言っていいものかどうかはわからないが、ここの生活にはカタカムナが浸透している。つまり、カタカムナを学ぶのではなく、カタカムナを語り、カタカムナを生きているということだ。魂のこもった生き方とは、そのようなことを言うのだろう。それをやっていかなければならない。いくら知識を学んで語ったところで、それが生活の中で現象化しなければ、生きることに反映されないのだから。
これからそれをやっていこうということではなく、我々は今、現実にそれをやっている。そしてその現象化したものを、1ヶ月間の真学校で伝えていく。それはとても難しいことだ。カタカムナの講座は6時間あるが、たったの6時間でどこまで伝えられるだろうか。ほとんどは理解できないだろう。なぜなら、まず価値観が違うからだ。価値観は違うが、縁があって出会った人々にそれを伝えることは、大変ではあるが希望のあることでもある。

例えばカタカムナ理論というように特定の用語を作って固定してしまうと、数ある理論の中のひとつのように思えるが、これは宇宙に遍満している法則そのものだ。
宇宙は、動いている。我々は毎日を認識し、時が過ぎていくが、これは巨大なエネルギーがうねっている「マワリテメクル」の世界だ。その中の一環としてこの仕組みがあるということを理解すると、すべてのところにその法則が遍満していることが観えてくる。それを意識しながら生きていくことが大切だ。
この理論が体得できるようになると、自我は消え、この世界を構成するものとして、大いなる生命としての役割を果たしながら、宇宙の実体のままに生きていくことになる。現代の人々は大いなるものから離れ、自我にまみれていがみ合っているが、そういったことがすべて帳消しになってしまう世界が、いがみ合いの奥にいつでもちゃんと控えているのだ。
それを語っていくことは、物理的な現状の地球を見ていると不可能なように思えるかもしれないが、ここではその存在を知って、語り出した。いずれ必ず、人間たちがそれを理解する時が来る。既に扉は開き、その動きは始まっているのだと思うと、やはりテンションは上がる。それこそ病魔に侵されて死にかかった者が生きることの本当の意味を知って「死んでなんかいられない」となるように、僕も、夜中だけど寝てなんかいられないよというテンションになった。まあ、語ったらまた寝るけどね(笑)。しかし何か、この今のときめきを語っておかなければいけない、と思った。

今日、来月上演する木の花劇団の劇の読み合わせをやった。この劇は、ガンになって死の瀬戸際まで行ったきょうこちゃんの体験を元にして、彼女自身が脚本を書いている。そこに出てくる自分のセリフを読み上げながら、あれはセリフではなく、日常会話の中から出てきた言葉だから、本番でもアドリブを交えて、そのまま生でやれたらいいと思った。最後にみんなが泣くシーンがあるが、あの涙はいいね。その場で本物の涙を流しながら、やりたいね。

(ここでひとみちゃんが、ロータスランドの壁画の下絵を持って部屋に入ってきました。)

いさどん:
何をしていたの?

ひとみ:
壁画の下絵を描いてた。

いさどん:
テラスの上の壁画を描くのに、足場に手すりをつけないのはどうしてだか、わかる?

テラスの上の壁に壁画を描くひとみちゃん
テラスの上の壁に壁画を描くひとみちゃん

ひとみ:
落ちるように?(笑)

いさどん:
あなたは、足場が壁に近すぎて、全体を見ながら描くことができないと言う。それはわかる。だから池の方に向かってデッキの端まで足場を作り、壁から離れて見られるようにするが、それは面倒なことであり、できればなくていけたらいい仕事だ。
人は自分の頭の中に構想を持っていて、それを物理的に現す時に、大きな絵なら離れて全体を見ようとする。その遠くから全体を見る目を、例えば他の誰かが補うとか、足場の下に降りて離れて見るということもできる。あなたが「近いから見にくい」と言うと、みんなはすぐにそれを解決してあげようとする。それは悪いことではないが、それよりも、そういったことを含めて、あなたの神がかり的な能力を発揮してやってもらいたい。

ひとみ:
大丈夫だよ。降りたり上がったりしながら描いてるから。

いさどん:
降りたり上がったりしながら、あなたのシャーマン的精神を呼び覚ましてもらいたい。あなたには、きっとできる。

(ここで、ひとみちゃんが持って帰ってきた絵を広げて見ました。いさどんの助言を受けて、絵には新たに太陽と月が描き加えられていました。)

ああ、いいね!月をもう少し上に上げて、月と太陽が斜め45度の角度に並ぶようにしよう。太陽はもう少し富士山の右肩に隠れて、半分だけ顔を出して、これからもう半分が出るよ、という感じになるといい。鶴と亀はどこに描くの?亀が空を飛んでいてもいいね。ルールは破ればいい。写実画を求めているわけではないのだから。(しばらくアドバイスをした後、しみじみと絵を眺めながら)いいね。テーマは、やはり花だよ。花がなければいけない。
あなたが一人でこれを描いているという気がしない。これは協同作業だ。一緒にやろう。時間のことは気にせずにやっていけばいい。そうすれば、必要なことは必要なように、事が成っていくから。これは仏像をつくるのと同じで、そこにあるものが描かれていくのだから、自分でやってやろうだなんて思わないことだよ。「これはこうだな」「これは少し違うな」と、あるものを探りあてていく、手探りのような作業だ。完成形があるわけではなく、そこに関わっていくと自然と成っていく。
あなたがあそこで絵を描いている姿は、絵になるよ。そこを通りがかる人は「何をしているんだろう?」と思い、進捗状況を気にするようになるだろう。こんなふうに、お金持ちがお金を払って誰かに絵を描いてもらうのではなく、生活の中ににじみ出る余裕から、そこに表現されていく。それは、生活そのものがマツリだからこそできることだ。

「祭」という字は「サイ」とも読む。「何々祭」というと、それは日常の生活から離れた儀式の場で使う用語になる。そこには天と地があり、地が天を崇めて祭典をするという「サ」=差のある状態だ。「サイ」は「マツリ」とは違い、まだマツリに至らない段階の儀式に用いられる。
それが「マツリ」になると、「マ」は宇宙空間であり、生命が躍動する特定の場、宇宙の法則が表現される場所のことであり、「ツ」は集い、「リ」は離れるということ。自我から離れた者たちが集い、宇宙の法則のままに生命が躍動する。それがマツリだ。そのような無我の境地で、美しく、日々を舞い踊るように生きたいものだ。

 

 


 

春、ファミリ

新しいお店がオープンします

 

異次元空間カフェ ロータスランド
2017年3月21日(火) OPEN

地球と共に季節巡りを感じがら
時がもたらす旬に出会うお店です。

日届いたとれたてお野菜、
会話中でふっと湧くインスピレーション、
そこから生まれるそ場だけスペシャルお料理。

天然ちみつ、一点限り手作り服、
陶芸や機織り、とびっきりスイーツ。

誰かが歌を歌っていたり、宇宙話が飛び出したり、
いったいここどこだろう?と
不思議だけどどこか懐かしい
そこにいるだけでわくわくする異次元空間カフェ
「ロータスランド」始まります。

 

cafe&shop
lotus-land-rogo

ロータスランドと色とりどりが咲き乱れる桃源郷ことです

〒419-0302 静岡県富士宮市猫沢239-9
ファミリ「おひさまハウスひまわり」より徒歩1分!

午前8時から午後7時まで営業
(カフェラストオーダー午後6時)
毎週曜日定休

お問い合わせファミリーへどうぞ!
電話:0544-66-0250

3月21日(火)から5月2日(火)までプレオープン期間とります。ぜひお越しいただき、5月3日グランドオープンに向けて皆さまご意見やご感想をどうぞお聞かせください。スタッフ一同、心よりお待ちしております!

 


こんなふうに、年を取ればいいんだよ

 ー 2017年立春正月祭でのいさどんの挨拶 ー

立春正月、明けましておめでとうございます。

私たちは毎年この時期に節分を迎え、その翌日に立春を迎えます。立冬から始まり、冬至を経て寒さを増してきた冬の季節が終わり、ここから春が始まります。冬の間にじっとエネルギーを蓄えていた植物たちも、いよいよ芽吹きの準備を始めます。
1月28日に、富士浅間木の花祭りが開催されました。冬の間に蓄えてきたエネルギーを爆発させるのが、この祭りの意味です。内に秘めたるものは、外に見えているものよりも大きなことがあるでしょう。そのような準備の期間を終え、立春を迎えて、いよいよ内なるものを現象として現す時がやってきました。

立春は農の始まりです。農に生きる者とは、農業をやっている人だけではありません。すべての生命は、自然から命を頂いています。人間は田畑を耕しながら、清浄な空気と水、心地よい風、そして太陽の光を恵みとして頂いて生きています。それは自然の成り立ちであり、命の仕組みです。立春正月祭が進行していく中でそのようなことを感じていたら、ふと、昔の人はどうだったのだろうという思いが浮かびました。

もうじき、梅の花が咲きますね。春が来れば、動物たちは冬眠から目覚め、子どもを産み、育てながら、夏へと向かっていきます。生きることが季節と共にあるのです。
今年の立春は去年の立春と同じようにやってきましたが、実は一つサイクルが先へ進んでいます。つまり、去年とは違う新たな春を迎えたのです。それは命が成長している、進化していくということです。子ども達は、学年が一つ上がりますね。大人も一つ歳をとります。そして成長していく。ですから、去年と今年は違うのです。昨日と今日も違います。新たな成長を迎え、命は常に、地球と共に進化しているのです。
そういったことを意識しながら、昔の人は生きていたのでしょう。地球に四季の巡りがあるのは、地球が他の星々と対話をしながら、宇宙の中を動いているからです。つまり星と星との関係が、季節となって現れているのです。昔は天文学のような難しい解釈はなかったかもしれませんが、人々は自然と対話しながら日々を生きていました。

農に生きる者は、まず土と対話します。土は私たちに健全な作物を命としてもたらしてくれるものです。そして、天の気と対話します。天の気とは天候のことです。恵みの雨が降るだろうか。日照りになるだろうか。そのように人々は天の気を読み、作物を植え、育ててきたのです。そして、風と対話します。作物を逞しくして健全な恵みがもたらされるよう、良い風が吹いてくれるように願いました。そして空気。人間が汚すことなく、良い場を提供できるように。
そうやって、人々は常に自然と対話しながら、お天道様の意向を伺い、そこから命を頂いて、新たな年を迎えてきたのです。天文学のように複雑なことがわからなくとも、本当に自然と共に、地球と共に、宇宙の仕組みのままに、昔の人は生きていました。

さて、今はどうでしょうか。スーパーに行けば、あらゆる食べ物が一年中手に入ります。農業は季節に関係なく、工場の中で化石燃料を使ってまで作物を育てるようになり、自然から命を頂いているという意識が人々の中から消えていきました。そして人々の関心は、お金にばかり向いているのです。星と星が対話していること、地球の季節が巡ること、土と対話すること、天の気を読むこと、良い風が吹いてくれますようにと自然に語りかけること、太陽の恵みを頂いて感謝して生きること ──── そういったことを、人々は忘れてしまったのです。

それを忘れるとどうなるかというと、人間が傲慢になります。自分の力で何でもやれると思うようになるのです。そういった人間の心が今、地球上でピークに達しています。そこにトランプ大統領が登場し、世界をかき廻し始めました。好き放題に振る舞うトランプ大統領に世の中は右往左往し、人々は不安になっています。しかしこれは、時代が変わるということを示しているのです。
地球は一瞬たりとも留まることなく宇宙を進み続け、同じ場所に戻ることは二度とありません。常に変化変容し続けるのがこの世界の実相です。今の一瞬が過ぎれば、次の瞬間にはもう新たな自分がいます。今日の自分は、明日には違う人になるのです。去年の春から四季が巡って一年が過ぎ、新たな春を迎えるように、去年の自分と今年の自分が違うように、この宇宙の中に生きるということは常に変化し続けているのですから、何かを固定して「これが絶対だ」と思わないことです。そのように囚われのない心で、今年一年を頂いていくのです。
自然と対話することなく自らの思考ばかりを回していると、わがままな人になります。人は、わがままな人に出会うと「困ったものだ」と思うのですが、自分自身のわがままは許すのです。そして自らの思い通りになることを願うのです。しかしこの世界の真実は、そうではありません。
昔の人がそうであったように、自然の仕組みに沿い、そこから命を頂いて、時代の変化に付き合いながら歳を重ね、人生を終わっていく。生きるとは、大いなるものに寄り添い、それに従うことなのです。それが本来の人間の生きる姿です。そのことを人々が忘れていた時代が続きましたが、ようやく人々が気付く時代がやってきました。

ここに、たくさんの人がひしめき合っています。今の時代に、人々の関係がこれほど近く、心が通いあっている生活を見ることは、なかなかできません。この、世にも稀な生き方をしていることを私たちは誇りに思い、喜びとできる時代がやってきました。人々が自分のことだけを考えて生きるのではなく、みんなで助け合い、力を合わせて事を成していくのがこの生き方の神髄です。
そういった暮らしは、地球にとってやさしいです。自然に沿っています。すべての生き物に、命にやさしい暮らしです。命にやさしいということは、人間にもやさしいということです。そして健全な未来につながっていくのです。
これまでは、人間中心で自然を壊してきた時代がしばらく続きました。そのピークを迎え、新たな時代へと切り替わろうとしている今、これまでの生き方をまだ続けようとしている人々は混乱の中にいますが、いよいよこの暮らしが本当に必要とされる時が来たことを感じます。私たちは、そういった意義ある春を迎えたのです。

今年一年の変化は大きなものになるかもしれませんが、それだけ波が大きく、躍動するということですから、楽しんで迎えたらいいと思います。大きな波が来ると、大変だと不安になる人もいるものですが、そうではなく、それと向き合い、それを楽しみ、そして時代と共に思いっきり変化するのです。

今年は、ファミリーにはやることがたくさんあります。きっと忙しくなることでしょう。「忙しい」という字は、「心を亡くす」と書きます。ですから、忙しい時にこそ、心を忘れないことです。損得勘定は置いておいて、天の気と共に、時代と共に、いよいよこの生き方が大切となる時を迎えたのだということを胸に今年一年を過ごすと、来年のこの時間には「本当にそうだった」と思うことになるだろうと、確信しています。
この先がどうなるのかは、行ってみなければわかりません。そこでどうしようかと自分の中だけで思考を回すのではなく、この世界はたくさんの精妙なる仕組みによって動かされているのですから、そういったことを意識しながら日々を頂いていくことです。農に生きる者なら、土と対話する。作物と対話する。それは自然の気を読むことです。風を感じることです。お天道様に感謝して、どう生きたらいいのかを頂くのです。
そうすると、この世界によって自らが生かされていることを感じるようになるでしょう。私たちは常に大いなるものと共にある ──── そのことがわかると、一年が充実します。現代の多くの人は、そのことを忘れてしまいました。その生き方を実践するのが、ここの暮らしです。

これからいよいよ、誇りを持ってこの生き方を世の中に伝えていく時がきたのだと思うと、心がウキウキします。その証が、ロータスランドです。開店まで、あと1ヶ月半となりました。世の中はこれからますます大変なことが起きるでしょう。その中で、なぜそういったことが起きるのかを感じながら、みんなで忙しく働き(=傍楽)ながら楽しく生きて、こういうふうに一年を過ごすといいよ、こういうふうに年を取ればいいんだよ、という見本となっていきましょう。

とても楽しみな年を迎えたと思っています。
みなさん、今年もよろしくお願いします!

 


 

春、ファミリ

新しいお店がオープンします

 

異次元空間カフェ ロータスランド
2017年3月21日(火) OPEN

地球と共に季節巡りを感じがら
時がもたらす旬に出会うお店です。

日届いたとれたてお野菜、
会話中でふっと湧くインスピレーション、
そこから生まれるそ場だけスペシャルお料理。

天然ちみつ、一点限り手作り服、
陶芸や機織り、とびっきりスイーツ。

誰かが歌を歌っていたり、宇宙話が飛び出したり、
いったいここどこだろう?と
不思議だけどどこか懐かしい
そこにいるだけでわくわくする異次元空間カフェ
「ロータスランド」始まります。

 

cafe&shop
lotus-land-rogo

ロータスランドと色とりどりが咲き乱れる桃源郷ことです

〒419-0302 静岡県富士宮市猫沢239-9
ファミリ「おひさまハウスひまわり」より徒歩1分!

午前8時から午後7時まで営業
(カフェラストオーダー午後6時)
毎週曜日定休

お問い合わせファミリーへどうぞ!
電話:0544-66-0250

3月21日(火)から5月2日(火)までプレオープン期間とります。ぜひお越しいただき、5月3日グランドオープンに向けて皆さまご意見やご感想をどうぞお聞かせください。スタッフ一同、心よりお待ちしております!

 


地球は真釈天技場

いさどん:
みんなはこの生き方を楽しんでいるだろうか?

ともこ:
楽しんではいるだろうけれど、まだまだ楽しみきれていない。

いさどん:
充実はしていると思うが、楽しめてはいないだろう。これが楽しめるようになったらいい。

ともこ:
楽しめたら桃源郷だね。この間ここを訪れたある人が「もっと楽しむことですよ」と言っていた。

いさどん:
しかし、楽しむにもレベルがある。どのレベルで楽しんでいるのかという度合いがあるから、一概に言うことはできない。
目指しているものに到達しなければ楽しむことはできないが、それは目指しているものがどのレベルにあるかによって変わってくる。目指すものが高くて到達できずに楽しめていないこともあれば、目指しているものが低くて到達しているから楽しんでいるということもある。どこを目指すのかによって変わってくる。それはつまり、その者の目がどこを向いているのか、旬がどこにあるのかということだ。
そこで、無理に高いものを目指して楽しめていないことも問題だが、低い所で楽しめているからそれでいいというものでもない。自らがどの位置にいるのかということが客観的に観えていないと、楽しめているのかどうかもわからない。

先日ロータスカフェで「経済革命」のプレゼンテーションをしながら、皆は話についてこれているだろうか、と思った。彼らが考えたこともないような話をしているのだから。考えたこともないような話だからこそ聞いていられる、ということもあるのだが。
我々が無意識に毎日行動していることがこの世の中の混乱になっていたり、格差を生んでいたり、現代の様々な問題の原因になっていませんか、と問いかけると、そこについてはみんな理解する。道理が通っているから、「そう言われればそうだな」とわかる。では自分の生き方を今から変えるかというと、そうはならない。

ともこ:
ならないね。昔自分が会社勤めをして暮らしていた時も、これではいけないと思いつつ、どうしたらいいのかがわからなかった。結局は心のことだから、一般社会にいようとどこにいようと本当はできることがあるんだけど、わからなかったな。

いさどん:
社会にいてもできることはあるが、社会にいてはできないということもある。仮に頭でわかったところで、社会にいる限り、自分一人がそんなことをしても世の中が動くだろうかというと、動かない。だから少なくとも、その理解が確実に現象化して大きなうねりになる動きを見付けるか、もしくはその中に入ることをしないと、結局はその理解もただの知識として持っているだけになる。そして何も変わらない。
しかし、生きているということは、自動的にその動きの中にいるということでもある。自分がそういった行動を取ろうが取るまいが、確実に世界はその方向へ向かっているのだから、生きていることによってそこに参加していることは確かだ。大事なのは、そのことをよく理解して行動しているかどうかということだ。
自分一人が行動したとして、世の中に対しては大した力になれないとしても、世界の流れには呼応しているのだから、それを自らの人生の結果につなげたければ、その意識を常に持って生きていくということだ。

何かが成就するかどうかは、結局時代の側が握っており、それは自らの手の届かないところにある可能性がある。今回の人生でそこに旬がなく成就しなかったとしても、それに対して道理をしっかりと積み上げて旅立てば、次にそれが起きる旬に生まれてくる可能性もある。そしてそこで事が成る。だから、ここで終わりとしないということだ。

ともこ:
自分の思考が二元論的であることを日々感じている。そうではないと思いつつ、無自覚のうちにものごとを「これはいい」「これは悪い」と判断している。今の話のようにずっと先までつなげて捉えるのではなく、今だけを見ているからそういう判断に陥りやすいのかな。

いさどん:
そこだよ。二元的な教育を受けてきた現代人は二元論に慣らされている。だから、ついついそこで結論を出したがる。しかし実際は、二元論ではなく、三元でも四元でもないところに世界の実体はある。我々は形の世界にいる。そこは本来三元の世界だが、現代人の思考は三元にすらなっていない。
しかし、世界の実体はもっと多次元の中にあり、いいとか悪いとか単純に決めることのできないものなのだから、この世界に存在するあらゆることはすべて認められることだ。どんなに理不尽なことであっても、現象化が可能だということは、認められることなんだよ。そのことを理解すると、ものごとを「これはいい」「これは悪い」と判断して固定する視点に囚われなくなる。しかしそこまで悟ってしまうと、人はそれぞれ他者にはないオリジナルな個性を持って役割を果たしているのだが、その役割もなくなってしまうことになる。
例えば道を極めて聖者となった者に対して、本来、そこに御利益を求めるということ自体があり得ないことだ。聖者とは、何人の側にも立たない者。そこに御利益があるのではなく、己の側に立たず、単に宇宙の法則と同化しているにしか過ぎない。元々の仏教の世界観は、そこにすがって御利益を求めるようなものではなく、ただ人として生きることの道しるべとしてあるものだった。ところがその境地まで至らぬ者たちが、自らの飯の種としてそれを利用した結果、現在の御利益宗教や葬式仏教につながっていった。
寺院には仏塔や仏像があるが、それに対してどんな心で向き合うべきかといったら、本来、そういった仏教的建造物は、この世界の実体をわかりやすくひも解くための道具にしか過ぎない。そんなものに向き合わなくとも、直接自然と向き合い、その奥にある仕組みや法則、即ちこの世界の実体を感じることができれば、それで道は開かれる。この世界は真釈天技場(しんしゃくてんぎじょう)なのだから。

ともこ:
真釈天技場?

いさどん:
昔僕が田舎に創ろうとしていた道場の名前だよ。それは地球のことだ。だから、我々が地球上に肉体を持って人として生きるということは、地球という心の道場に修行に来たようなものなんだよ。真釈天技場の「真」は真実の真、「釈」は解釈の釈であり、お釈迦様の釈でもある。仏教の真理とは「天」を理解する「技」である、というのが真釈天技場の意味であり、その道場が地球なんだよ。
僕が「私は特定の場所を指定してそこに人々が道を求める場を創ろうとしているが、本来人間が真実を理解するための場所はどこなのか」と天に問うたら、「真釈天技場」という文字が降りてきた。その5文字の示す意味を解釈していくと、そのために地球は創られているのだから、地球上すべてがそうだということだ。ということは、宇宙空間はそうではないということ。もともと宇宙には、地球のような三次元生命世界がなかった。そして宇宙の魂たちは、コンパクトにかつ短期間に宇宙の法則を学ぶ世界を求めていた。だから、その総意によって地球が創られたんだよ。地球上には、これほどまでに多様な生命が無限のネットワークを織りなし、宇宙の法則が凝縮して表現されている。宇宙中を探しても、こんな世界はない。

ともこ:
私たちは真釈天技場に生きてるんだ。

いさどん:
だから地球上ならどこでもいいのだが、南極と北極のような極地に近い所はあまり適さない。一日を体験するのに理解し難い場所だから。赤道に近い所は生命力旺盛で変化は激しいけれど、その変化は常にワンパターンで四季の移ろいもあまりないから、ここも適地とは言い難い。大陸の中は、海の影響がなく変化が極端で、四季の微妙な機微に欠ける。
そういう意味で言うと、中心から斜め45度上にある日本の環境はいい。四季があり、海に囲まれて変化に富んでおり、極めて真釈天技場として相応しい場所にある。

ともこ:
日本はある程度南北にも長いから、日本国内でもバリエーションがあるね。

いさどん:
斜め45度は艮の方角であり、人間の体で言うと心臓の位置だよ。インドを地球のへそとか子宮だとすると、日本は心臓の位置になる。
人間の体のどこかに問題が起きると、その問題は血液を通って心臓に戻ってくる。送り出した血液が問題のある場所で汚染されてまた戻ってくるのだから、心臓は情報が集約される場所だ。本来日本はそのような位置にあるのだが、それだけの役割がありながら、現代の日本人は本来の大和心を忘れ、アメリカボケしている。
現代は、文明800年周期説で表されているように、この800年間世界をリードしてきた西洋文明に代わって、東洋文明が台頭してくる切り替えの時にある。その時に、より多く矛盾が発生するのは東洋の社会だ。西洋文明が西洋文明であるのは当然のことであり、それは800年ごとに東西の盛衰が入れ替わる文明のサイクルに沿い、ごく自然にこれから低調期に入っていく。ところが、これまでの東洋は東洋でありながら西洋かぶれをしていたのだから、本来の東洋的傾向が台頭してくる時に、そのギャップを埋め合わせる分だけ、より多くの矛盾が発生することになる。これから真実が紐解かれていく中で、東洋はより激しく変化するが、その激しい変化の中に、新たな時代への指針が生まれてくることになるだろう。

ただ、こういったことを語れば語るほど、ある意味孤独を感じるものでもある。なぜこのような思考が湧き出してくるのかというと、そういった思考の次元に意識がアクセスしているから話すのだが、それに共鳴する者は限られている。そういった解釈に触れれば人々は「なるほど」とは思うだろう。道理が通っていれば、否定はしない。実際に起きている現象もそれを明らかに裏付けている。しかしだからと言って、そういった刺激を受けて人々が生き方を変えるかというと、そこまではいかない。
今は、ピコ太郎が世界的にウケるような時代だ。今朝、福島と熊本の被災者がくまもんを通じて支援し合うということがテレビで放送されていた。NHKが視聴率を上げるための物語で、とても浅い話だが、そういった話題は人々にはウケるだろう。しかし、それでは今の社会の根底にある矛盾を根本的に解決することにはつながらない。

ともこ:
私はよく動画を編集するけれど、その時に思うのは、映像というのは編集者のバイアスがかかることなしには成り立たないということ。数ある情報の中でどれを採用するのか、長いコメントのどの部分を切り取るのかは編集者にかかっていて、その情報も嘘ではないけれど、一つの作品として仕上がった時に、それは完全に編集者の意図による寄せ集めになる。もっとも、編集者の意図も時代の流れだとも言えるけれど。

いさどん:
それを言うならば、今の情報はすべてがそうだ。本来そういったことは、自らの意図を乗せているということを自覚して行うことが大切だ。そこに気が付かなければ、自分が正義の旗印のもとにいるかのようになり、その時点で情報提供ではなくなってしまうことになる。
編集者の意図が乗るのは仕方がない。どこかで意図を持たなければ単なる出来事の羅列になってしまい、物語として成立しないことにもなる。それではわかりにくいから意図が乗るのはよいとして、そこで編集者が自らの感情が入っていることを理解し、そのことに配慮すると、フリーな映像になる。
先日、アニメ映画『この世界の片隅に』についてのクローズアップ現代を観たが、あれは極めて表面的な作品だった。それを時代の風潮として取り上げる番組には意図が働いていた。しかしその意図が観えない視聴者は、テレビの中で語られるミーハーな感想に乗っていってしまう。

なぜそうなってしまうのかというと、日頃から自らの意思をよく表現していないし、物事をよく観ていないから、出来事の奥にあるメッセージを感じ取るような思考を巡らせていない。思考を巡らせるとは、やりくり算段をするということではない。それは自動的に湧き出してくるものだ。例えば目が自動焦点になっているように、心の焦点をぐっと絞って観る。意図してやるのではなく、瞬間瞬間の状況に合わせて自動的に思考が巡る。そうすると気付きが湧いてくる。それは、人智を回して出てくるものではない。
その気付きの自動焦点機能が働くようになるためには、どうしたらよいのか。それには自らの精神を研ぎ澄ませて、無我の状態でいることが最もふさわしい。研ぎ澄ませて無我の状態でいるということは、緊張も一切ないということ。リラックスして自由自在に物事に対処できるということ。それができていない状態で生きることは、人生の奇跡に滞りを発生させることになる。滞りの種を播きながら生きているようなものだ。自らの人生にも、世の中にも。

この世界には流れがある。自らが常に流れと共にあれば、滞りは発生しない。流れに沿って動けばよいだけだから、難しくもなく、とても効率的だ。エネルギーも少なくいける。そのためにはやはり、自らを研ぎ澄ませることだ。
本来、地球上に生きるということは、宇宙の精妙なる法のもとに存在することを、極めて短期間に、そしてコンパクトに体得できる道場に生きるということ。それは、我々人間が生命として地球上に生まれ、生命ネットワークの中で役割を果たす(他者のため)ということと、自らを磨き高次の存在として目覚めていく(自らのため)ということの、二つの生きる目的を果たすことだ。それを同時に達成できる宇宙に存在する唯一の場所が地球であり、それが真釈天技場なのである。

 


 

「自分」という囚われを解き放ち

地球に生まれてきた本当の意味を知りたい方へ

2017年2月19日~3月18日
「1ヶ月間の真学校」開催!

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囚われを外したら

そこは宇宙だった

 
何か問題が起きた時「自分は悪くないのになぜこんな事が起きるのだろう」と思ったことはありませんか。
人は問題を見つけると、とかく自分の外に原因を探し、周りを変えようとします。ところが周りはどうにも変わることなく、問題だけが積み重なり、今や家庭の中から地球規模に至るまで、どこもかしこも問題だらけの、行き先の見えない世の中となりました。
しかしそれは視点を変えれば、大転換のチャンスでもあるのです。

1ヶ月間の真学校は、人生の問題のあるなしに関わらず、生きることの突破口を開く場です。そこに特定の正解はありません。一人ひとりが客観的に自己を捉える冷静な目を養い、視野を広げ、その人らしい人生を自ら切り開いていく力を身に付けます。

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【日程】
2017年2月19日(日)~3月18日(土)
【会場】
木の花ファミリー
【定員】
15名 定員に達し次第受け付けを締め切ります。
【参加費】
18~22万円 収入に応じたスライド制です。受講料や食費など1ヶ月間の滞在費全てを含みます。
【内容】
「農」「食」「医」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」と多彩な切り口の講座を通して、受講生一人ひとりの心の性質や人生の使命、そして時代の流れを読み解きながら、この世界の真実を観抜く心の目が開かれるよう、いざないます。
講座例:人格を学ぶ講座(カルマ読みと地球暦)/コミュニティ創設講座/天然循環法の畑作・稲作/ファシリテーション/世界観を広げる/菩薩の里の経済/自然療法プログラム/食養生/有用微生物群の培養/天然醸造味噌作り/創造性と芸術/カタカムナ/性と宇宙/自然災害と防災/持続可能な心の持ち方

講座詳細やこれまでの受講生の体験記はこちら!

→ 1ヶ月間の真学校ブログ

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続・トランプ新大統領の就任にあたって ~トランプ氏もオバマ氏もヒトラーも地球人

トランプ氏が大統領に就任した日の夜、いさどんは大人ミーティングで以下のように語りました。

*トランプ氏の演説については、前の記事をご覧ください。

―――

トランプ氏の演説は、歴代の大統領の演説よりも極めて明快でわかりやすい。今までのアメリカ大統領の演説には、世界戦略に向けての含みがあった。しかし、トランプ氏の演説にはアメリカ的本音が観えてきた。それは、地球の富を握るトップの人々から人間の本音が出てきたということ。その本音とは、結局自らの利益しか考えていないということだ。

アメリカの姿勢はずっとそういうものだったが、世界の警察だの正義だのと言って、本音の部分を隠してきた。しかし実際にその根底にあったのは、自国の利益の追求だった。そういった意味では、地球上の人類の歩みのエゴの部分を表現した象徴的な国家と言える。それを外面上は美しく装っていたが、内部ではどんどん矛盾が膨らんで格差が広がり、今やアメリカの格差は世界の格差となった。
アメリカはまた訴訟の国でもあり、多くの人々が自らの利益のために歪んだ主張をして争っている。イスラム世界との対立も「テロとの戦い」と言って自らを正義の立場に置いているが、それも自らのイデオロギーや宗教的主張を正当化しているに過ぎない。本来、多民族が暮らす大らかな国でありながら、とても不正義で欺瞞に満ちた国であることが観えてきた。
今の世界情勢を観ていると、そういった今まで世界を支配してきた体制が終焉を迎えていることがわかる。さらに明快なことに、太陽や宇宙の星々が示しているターニングポイントが、地球上の時代の切り替わりを表しているということを、これまでにも何度も語ってきた。今、演説でどれだけ華やかに希望を語ったとしても、その延長線上に未来はないだろう。もし今までの体制がこのまま続くとしたら、それは宇宙の法則から外れていることになるのだから。
今のアメリカを代表とする世界情勢は、人間が欲のままに生きてきた時代の最後のあがきを、とてもわかりやすく表現している。アメリカは言わば大きく成長した分家のような存在であり、もともとの本家はイギリスだ。産業革命以降の世界戦略の結果が今の混乱に表れており、今、イギリスもまたアメリカと同じように、イギリスファーストを語り出した。これは、産業革命以降の世界をリードしてきた物質的発展の象徴である国々が、終焉を迎えたということだ。そのように捉えると、やっと訪れた新たな時代のメッセージが現実となっていることを感じて、心地よい思いにもなる。

EUの状況を観てみると、ドイツはEUのお陰で多くの利益を得た。その結果、産業をさらに発展させるために移民が必要だった。一方、イギリスはEUの中でドイツに次ぐ経済大国だが、ドイツほどの利益を得ることができなかったところへ貧しい移民が流入してきてそれまでのイギリスの社会保障制度を適用することになり、結局は損だという発想になった。つまり、EUに属することのメリットがドイツほどなかったのだ。ドイツは儲かった責任上移民を保護するが、イギリスは移民排斥に傾いていった。そしてトランプ氏の指摘するように、自国の利益を守ることを優先するイギリスの姿勢は他国にも影響を与え、今後EUの国々の中にそれに追随するような動きも出てくることだろう。要は、どの国も自らの損得ばかりを考えているのだ。
今、利害の一致する国同士が結束して他の国の製品を入れまいとするブロック経済的な動きが各地で芽生え、世界に対立構造が生まれ始めている。この状況が、大恐慌から第二次世界大戦へと突入していった1930年代の状況に似ていることから、第三次世界大戦が起きるのではないかと危惧する声もあるが、それはこれまでの時代の発想であり、ものごとの捉え方が浅いが故の懸念と言える。そういった問題の本質を質的転換によって切り替えていくことが、これからの時代の人類に求められていくだろう。

人類の歴史を振り返ると、東西の文明は800年ごとに盛衰を入れ替わっており、今はちょうど、この800年間世界をリードしてきた西洋文明に代わって東洋文明が台頭していく入れ替わりの時にある。
西洋的思想とは、物事を科学的に捉える考え方だ。現象を細かく分析して何が要因でそうなっているのかを解明するので、例えば病気の物理的治療法が進化したり、企業が生産性を上げるなど、物理的発展にはとても有効だ。何か現象が起きて、それを良くないものと捉えれば良くなるように対処し、悪いものと捉えれば処分するなど、出来事に対して対症療法的な措置を取る。カタカムナで言うと、拡大を表す「オ」の働きだ。
それに対して、ある現象が良くないものであるとしたらそれはどのように良くないのか、今は良くないとしても先へ行ってみたらどうなるか、あるいは過去はどうだったのか、それを良くないと感じるのは自分自身の視点が変化したからではないか、というように、様々な要素を統合して捉えていくのが東洋的思想だ。出来事の表面だけではなく、その奥を観る。何かが起きるということは、その現象の奥にそれを発生させている意志があり、過去からの継続した物語がある。その物語をずっと辿っていけば、宇宙の始まりに行き着く。西洋思想が拡大を表す「オ」の働きなら、東洋思想はそれを収めていく「ヲ」の働きだ。
産業革命以降のこの250年間は、「オ」のサイクルがとても発展した時代だった。それが悪いということではなくそのような時代だったということだが、それを絶対のものとして、永遠に続けていこうとしているのが安倍首相の姿勢であり、多くの国々のリーダーたちの姿勢だ。そして、奪われたものを取り戻そうという発想がトランプ氏だ。それは実に浅い発想であり、一国のリーダーがそのような状態であるということは、国民の精神的レベルも推して知るべしだろう。

連邦議会議事堂に表れたトランプ氏を見てオバマ氏の姿が思い浮かんだのは、クリントン、ブッシュ、オバマ、そしてトランプ氏という流れが、産業革命以降の世界が終焉を迎えるセレモニーのフィナーレであるように感じたからだ。そこでもう一人思い浮かんだ人物がいる。それはヒトラーだ。
ヒトラーは、第一次世界大戦後の疲弊したドイツを彼の野望によってリードし、極めて残虐な行為と共に後の世の人々に大きな教訓を与えた人物だ。その体験を経て、もう二度とそのような惨事を繰り返すまいというところから、ヨーロッパにEUが誕生した。彼は今の世の中では悪人と捉えられているが、それぞれの国が自国の利益を追求することで戦争というわかりやすい現象につながっていくことの、言わばきっかけとなる役割を担ったのだ。その時代は日本で言えば戦国時代のようなもので、世界に欲望の末の混乱ゲームが巻き起こった。ヒトラーは、そのゲームに参加したすべての国々や、それらの国をリードした人々と何ら変わらない時代的役割をしていたのであり、それらを代表して極悪人と称されているが、彼がそのような時代においては特別な人物でないことは、時代の目から観れば理解できる。彼がその時代の悪人の代表とされたのは、次の時代を担った戦勝国の人々により、そのようなレッテルを貼られたからだ。ヒトラーは混乱の時代をかき回し、次へとつなげた時代的役割を果たしたのだと捉えれば、大きな時代の変化に貢献した人物とも言える。

そういった意味で、トランプ氏もこれから面白い役割を果たすことになるだろう。今や世界の政界も経済界も、どのように対処したらよいのかと、トランプ氏の動向を伺っている。アメリカの大統領はとても大きな権限を持っており、条約は議会の承認を得なければ締結することはできないが、TPPのような行政協定であれば議会の承認を得ずに大統領権限によって締結することができる。面白いことに、オバマ氏はアメリカの権威を失墜させたなどと評されているが、実は歴代の大統領の中でもっとも多く議会を無視して協定を結んだ大統領なのだそうだ。なぜかと言えば、彼は民主党の所属だが議会の大多数は共和党であり、議会と大統領の意見が合わなかったからだ。
今回、トランプ氏は多数派である共和党から出た大統領だが、その共和党の中でも彼を支持しない議員がいるというねじれた状態になっている。そうすると、また大統領権限を行使していくということが頻繁に起こるかもしれない。アメリカはとんでもない人物に権限を与えたものだ。彼は今でも議会とは関係なくツイッターなどを通して次々と自らの方針に沿わない企業を攻撃している。すると企業の側も、トランプ氏が何をやり出すかわからないということで、彼にひれ伏すような現象が起きている。これまでの秩序はもう通用しない。それは実に痛快なことだ。
「大統領になったらもう少し調和的になるだろう」という予測もあったが、今のところ、いい意味でその期待は裏切られている。このままどんどんやってもらいたい。どんどんアメリカ一国の利益を追求してもらいたい。

アメリカに、世界の国々からの陳情を受け付けるシンクタンクがある。各国はそこへ自国の代表を送り込み、トランプ政権への探りを入れ、「私の国はこのような方針ですので、どうぞよろしく」とゴマをすっている状態だ。なぜなら、アメリカとうまくやらなければ自分たちが食えなくなるからだ。つまりトランプ氏が主張するアメリカファーストと同じように、どの国も自国の利益ばかりを優先している。そこから、トランプ政権に媚びを売り、自国の利益を最優先する人々の本音が観えてくる。日本がTPPを進めるのも、自国の自動車を売りたいからだろう。だから我々も自分のことだけを考えて当然だ、もう世界のリーダーとしての立場を取っていくようなことはしない、というのがトランプ氏の発想だ。
「リーダー」というのも、アメリカはこれまで正義の名のもとに他国に軍隊を送り込んだり投資をしたりしてきたのだが、今、その実態が明らかになり始めている。きれいごとを並べながら、その実態は自らに都合のいいように世界をリードしてきた。そういったきれいごとに隠された悪事を非難される時が今、やってきたということだ。

トランプ氏は移民や外国にアメリカの利益を奪われていると主張しているが、実際は他国に利益を奪われたのではなく、アメリカの大企業が利益を上げるために、他国の安い労働力を利用し、アメリカに利益をもたらしているのだ。しかしそれが国民全体に行きわたらず、その利益の恩恵にあずかれない多くの人々の不満が、トランプ氏への支持につながっていった。
その背景では、アメリカの一部の富豪たちに富が集中し続けている現状が、今も止むことなく続いている。巨額の富を持つトランプ氏は格差社会の象徴のような存在だが、面白いことに、彼を支持しているのはその格差のもう一方の側にいる、利益の恩恵にあずかれない人々だ。それは皮肉な状態でもあるが、資金力が中途半端な者が政治家になるとお金のある所から献金を受けて言いなりになることがこれまでの世の常だったから、トランプ氏でなければダメなのだということも言える。そのように、人々はあまりにも複雑な実態に巻き込まれ、根拠のない主張の結果、多くの人々が自らの利益を守ることにだけ意識が集中した結果、アメリカにトランプ大統領を誕生させたのだ。
結果として観えてくるのは、アメリカ的社会の矛盾が今、その極みを迎え、終焉へと向かっているということ。そのように捉えれば、その視点を持つ者にとっては、成り行きを楽しんで見守る姿勢を取ればよいことになる。

僕は、ヒトラーはとても大きな役割を果たした重要人物だと評価している。トランプ氏はそこまで残虐ではないにしても、21世紀のヒトラー的存在だと言えるかもしれない。オバマ氏は彼のことを非難していたが、実はブッシュ氏もオバマ氏もトランプ氏も同じ穴のむじなだ。この時代を表現し、ひとつの時代の終焉を迎えるための役割を果たした人々であると言える。つまり「地球人」だということ。

僕はヒトラーを支持しているわけでも、トランプ氏を支持しているわけでもない。ただ、そういった社会情勢を俯瞰して観ているだけだ。これまでは、欲や感情に任せ、物事の本質を失った者たちが自らの内から湧き出てくる欲望のエネルギーに翻弄されて闇雲に時代を創ってきたと言えるだろう。しかしこれからの時代は、ものの本質を捉え、それを情報として冷静に判断し、世界に貢献できる人材として、欲望のコントロールをできる人であることが求められるだろう。だから、次の時代を生きる個人は、その視点を持って日常を生きることが大事なのだ。
人間には、人それぞれの性質がある。その人らしく思考し、それが表現された時に、そこに調和が生まれたり、対立が生まれたりする。つまり、対立も調和も、その人の人柄が創り出しているものだ。
人々は、例えば日常の中の小さな家族のいがみ合いや身近な人との不調和は、国同士の戦争や地球環境の汚染とは別のものだと思っている。しかしその出来事の本質は、同じものだと考えるべきだ。毎日どのように生き、どのようなものを食べると病気になっていくのか、そしてそれを治すためにどのような医療を受けるのかということも、人々は戦争や環境汚染とは別だと思っているが、実はそういったことが積もり積もって戦争や環境汚染が起きている。
この世界は相似形で、小さなものから大きなものまで全て同じ仕組みで成り立っているのだから、実はとてもわかりやすい。宇宙を理解することも、地球を理解することも、生態系や環境を理解することも、人類社会を理解することも国家を理解することも、すべて自らの姿勢を観るのと同じように観れば、よく理解できる。自らの姿勢は自己責任によるもの。平和的に生きるのも対立的に生きるのも、自らの姿勢次第だ。
国家というのは、民主主義であっても共産主義であっても独裁国家であっても、必ず民衆の支持の元に成り立っている。人々が自らの日常の生活を平和的で健康なものにすれば、その連鎖は必ず国家に反映される。調和的で健康な人々の住む国家は必ず優れた国家になり、優れた国家が集う地球は優れたコミュニティになるだろう。それは何も難しくない。ところが人々は、どこかで自らとこの世界を仕分けている。だから世の中に対して不満を言い、ひどい時代だと嘆きながら、自分自身にメスを入れないのだ。

しかしそのことが本当に観えてきたら、世界に逆の現象が起きる。人々が自らの中にある矛盾を見出し、それを改善していくようになれば、世の中の問題は憂うべきことではあるが、世の中が混乱すればするほど「来たぞ来たぞ!」とその時が来たことを楽しめるようになるだろう。一たびその視点を持った者は、混乱が起きれば起きるほど、それを別次元から眺めるようになる。
混乱とは、泥の中にいるということ。その泥をかき混ぜて、活性化し、芽が出ると、そこには蓮の花が咲く。

富士山に登る時、登り口はたくさんある。しかし頂上へ近付くにつれて、道は一本になっていく。時代はいよいよ、真実を観る時がやってきた。それが21世紀であり、30世紀に向けて人類はどのように進化していくのか、地球上でどのように役割を果たしていくのか。今は個人も国家も皆、自らの損得勘定によって動いているが、個人ならば国家が自分に何をしてくれるのかではなく、自らが国家に対して何ができるのかを考える。国家は世界に対して何ができるのかを考える。いよいよそういう時代がやってきたのだ。
あなたの責任はあなた自身が取ること。それによって、あなたはこの地球上に自らの意思を役割として反映する義務があるのだ。誰かがやってくれるのではない。ひとつひとつのことに魂を込めて、あなた自身がやるのだ。

人間の体は、地球全体からすれば点にもならないような小さなものだ。しかし心は、地球をいつくしみ、宇宙と一対になって対向発生するような壮大なスケールにもなれる。
そのような視点から現代の世界情勢を観てみると、いよいよ面白くなってきたぞ、とウキウキするね。

 

 


 

囚われを外したら

そこは宇宙だった

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2017年2月19日~3月18日
「1ヶ月間の真学校」開催!

何か問題が起きた時「自分は悪くないのになぜこんな事が起きるのだろう」と思ったことはありませんか。
人は問題を見つけると、とかく自分の外に原因を探し、周りを変えようとします。ところが周りはどうにも変わることなく、問題だけが積み重なり、今や家庭の中から地球規模に至るまで、どこもかしこも問題だらけの、行き先の見えない世の中となりました。
しかしそれは視点を変えれば、大転換のチャンスでもあるのです。

1ヶ月間の真学校は、人生の問題のあるなしに関わらず、生きることの突破口を開く場です。そこに特定の正解はありません。一人ひとりが客観的に自己を捉える冷静な目を養い、視野を広げ、その人らしい人生を自ら切り開いていく力を身に付けます。

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【日程】
2017年2月19日(日)~3月18日(土)
【会場】
木の花ファミリー
【定員】
15名 定員に達し次第受け付けを締め切ります。
【参加費】
18~22万円 収入に応じたスライド制です。受講料や食費など1ヶ月間の滞在費全てを含みます。
【内容】
「農」「食」「医」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」と多彩な切り口の講座を通して、受講生一人ひとりの心の性質や人生の使命、そして時代の流れを読み解きながら、この世界の真実を観抜く心の目が開かれるよう、いざないます。
講座例:人格を学ぶ講座(カルマ読みと地球暦)/コミュニティ創設講座/天然循環法の畑作・稲作/ファシリテーション/世界観を広げる/菩薩の里の経済/自然療法プログラム/食養生/有用微生物群の培養/天然醸造味噌作り/創造性と芸術/カタカムナ/性と宇宙/自然災害と防災/持続可能な心の持ち方

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