川崎殺傷事件を受けて、子どもたちへ ~ 悪いのはだれですか?

神奈川県川崎市で18人が負傷し、加害者を含む3人が亡くなった川崎殺傷事件から数日が経ったある日、事件を非難する報道でマスコミが賑わう中、ジイジは「子どもたちに大切な話をしよう」と子どもミーティングにやって来ました。司会を務める子が「では、みんなでジイジの話を聞きましょう」と言うと、ジイジはこんなふうに話し始めました。


ジイジ:
あのね、ジイジの話を聞くだけではなく、みんなの考えも聞きたいです。
自分の考えをしっかり持つことは大切なことです。でもその考えが、自分だけの考えであってはいけないでしょう?自分はこれが正しいと思っていても、人から見たらそれはおかしいということであれば、問題が起きます。そこで自分の考えと人の考えを合わせていったり、お互いの違いを認め合うことで、みんなが仲良く暮らせるようになるのです。
それは、安心して暮らすためには、とても大切なことです。どこでも、みんなの意見を聞き、人に自分の意見を伝えて、この場合はどうしたらいいかを自分で判断できる人になることが大事なのです。

今日、ジイジはみんなと話したいと思うことがあって、ここに来ました。この間、川崎市で通り魔事件がありましたね。それについてみんなはどう思っているのかを聞きたいと思いました。この事件では、たくさんの人が包丁で刺されました。その刺された人たちは、それぞれにそれまでの人生を生きてきました。では、刺した人はどうだったのでしょうか?

あきよし:
刺した人も、今まで生きてきた。

ジイジ:
そうですね。そしてその人は、自殺しました。そこで、この事件をどう考えますか。この事件で悪いのは誰ですか?

子どもたち:
犯人!

ジイジ:
なるほど。では、いい人は誰ですか?

ひみこ:
わかんない。会ったことないもん。

ジイジ:
では、かわいそうな人は誰ですか?

子どもたち:
刺された人たち?

ジイジ:
今日、ニュースでこの事件を報道していました。この事件では3人の人が亡くなりました。1人はカリタス学園に通う小学生の女の子、もう1人は外務省職員の男性、そしてもう1人は犯人です。
先日、みんなに令和の話をしましたね。これもテレビの番組で言われていたのですが、最近の若い人たちは「れいわ」と発音せずに「れーわ」と言う人が多いのだそうです。きちんと「い」を発音しない。「い」が無くなったら、「いさどん」もいなくなりましたね。

なお:
「ジイジ」も「ジジ」だね!(笑)

ジイジ:
これはどういうことだろうと考えたら、時代が変わってきて、人々が物事を正しく表現することを面倒だと感じるようになってきたのだと思いました。だから何でも簡単にしてしまう傾向があります。例えば、「いただきます」を言うのも面倒だからご飯ができたらそのまま食べるとか、靴を脱いだらそろえるのが面倒だから脱ぎっぱなしにしておくとか、あちこちでけじめが無くなっていき、話す言葉もそうなってきているようです。
けれども、音には一つひとつに意味があります。ここでは毎日子どもミーティングの前にカタカムナを奏上しています。それには、一音一音に意味があるのです。それをいい加減に発音していくと、どうなるでしょう。時々、日本語を話しているのに何を言いたいのかよくわからない人がいます。それは話す内容の意味がわからない場合もありますが、発音がおかしい場合もあります。では、どのような人がそうなるのかというと、自分から発せられる考えや思い、生き方が明快でない人がそうなります。
現代の人たちは、それが明快ではない人が多くなりました。ですから「ながら勉強」と言って何か他のことをやりながら勉強をしたり、常にスマホをいじっているなど、一つひとつにけじめがないのです。そういった人が増えてきたことが、話の内容や発音に表れているのです。
言葉がはっきりしないとどうなるのかというと、自分の考えをはっきり伝えることができません。相手の考えをしっかり聞くこともできません。自分がはっきりとしていれば、人の考えもしっかり聞けるものです。それが、けじめのある人が取る姿勢です。

令和が始まった日、「新しい時代はどんな時代になってほしいですか」というインタビューに対して、日本人が最も多く答えていたのはどんなことだったか、覚えていますか?

子どもたち:
災害のない時代になってほしい!

あきよし:
あと、平和な時代になってほしい。

ジイジ:
そうですね。では、その5月1日からこの1ヶ月間の間に、災害はなくなっていたでしょうか?

子どもたち:
あった!

ジイジ:
そうです。本来、5月というのはあまり災害のない月ですが、このわずか1ヶ月の間に屋久島では50年に1度の大雨が降り、北海道の佐呂間町では観測史上、5月の全国最高気温が記録されました。5月なのにこの状態では、これからどうなるのでしょう。「災害のない時代になってほしい」と思っても、実際に災害はたくさんあるのです。
災害は、これからもっとたくさん起きるでしょう。なぜだと思いますか?今年の災害は、今年あったことが原因で起きていると思いますか?

なお:
今までのことが原因で起きてる。

ジイジ:
今までの何が原因だと思いますか?

なお:
人間の生活!

ジイジ:
そう、人間の生活が原因です。人間の生活に、けじめがなかったのです。けじめがないからみんなが好き勝手なことをやり、あれもこれもと欲しがって次々と物を作っては捨て、処理しきれないほどのゴミを出し、石油や石炭をたくさん使い続けた結果、地球温暖化が起きて、今のような状況になっているのです。
実は温暖化にはもうひとつ、原因があります。それは太陽の活動です。太陽は、太陽系の中心です。ジイジは宇宙的視点で物事を捉える考えを持っていますから、太陽が地球上の人間たちの行動に対して「その考え方は間違っているぞ」というメッセージを送るために、地球に災害が起きるように活動を変化させていると観ています。それは宇宙からのメッセージです。

今地球上で起きている温暖化や、それに伴う災害は、ある日突然起きるものではありません。それまでの積み重ねがあり、その結果として、今それが起きているのです。だから令和元年になり、人々が「災害のない時代になってほしい」と願っても、実際には災害が起きるのです。そもそも「災害のない時代になってほしい」と人々が願うのは、それがありそうだという予感がするからでしょう。まったくありそうにないことを、それがありませんようにと願ったりはしないでしょう?
では、なぜ災害があることが予感されるのかと言えば、私たち人間がそのように生きてきたからです。そしてなぜそのように生きてきたのかと言えば、先ほどの「れーわ」という発音と同じ話です。実際は「れいわ」なのに「れーわ」と発音する。よく、コントでもあるでしょう?(お笑いのモノマネをしながら)「おぅ、たらいま~。」「あぁ、ごはんはぁ?」「はぁ、いらん~。」(子どもたち爆笑する。)ほにゃ~、ほにゃ~、とまるでアヒルがしゃべっているようでしょう。むしろアヒルの方がずっとはっきりしています。

あやな:
それってヤバくない?

ジイジ:
ヤバいと言っても、実際にそういうやり取りをしている人たちがいるのですよ。それは、自分の意志がはっきりしていないということです。はっきりしていないということは、相手にも伝わらないということです。それはつまり、毎日一緒に生活したり仕事をしたりする人たちと、心が通じていないということです。
大切なのは、自分の思っていることを相手にしっかり伝えること。そして伝えるだけではなく、相手の言っていることもしっかり聞くこと。そこでお互いの考えを比べてみて、ここは違っていますね、でもいい関係にするためにはここはこうした方がいいですね、私はこうできますがあなたはどうできますか、とすり合わせていくと、いい関係ができるのです。けれども、思っていることを言わずにいることがいいことにつながることだと思っていると、関係はだんだんおかしくなっていきます。物事を曖昧にしていては、良い関係はできないのです。

今回の川崎の通り魔事件では、なぜ犯人があのような行動を起こしたのかについて、はっきりしたことはわかっていません。ただ、周囲の人たちの証言によると、子どもの頃に学校に遅れてきたり、授業が終わる前にいなくなってしまったり、いつも一人でいるような子だったといいます。先生は、その人について「一人でいるといい子なんですが」とコメントしていたようです。ということは、みんなの中にいると問題が起きるということです。そして、何を考えているのかわからない子だったと言います。
その人が大人になり、今回の事件を起こしました。新品の包丁を4本用意して川崎市の登戸にやって来ました。そして、手には手袋をはめていました。なぜ手袋をはめていたのかといったら、包丁で人を刺せばものすごい抵抗がありますから、自分の手まで切れてしまうことがあるのです。人間の体を刺すというのは、とても大変なことなのですよ。だから犯人はきちんと手袋をはめて、準備していました。そして、どこへ行くのかということも計画していました。スクールバスを待つ子どもたちが列を作る時間に合わせて、そこへやって来たのです。
明らかに犯人は、人を殺すつもりでそこへやって来ました。でも皆さん、考えてみてください。両手に包丁を持ち、何の関係もない子どもを十何人も次々と包丁で突き刺していくのです。それは、普通の精神状態ではできないことでしょう?そう考えると、犯人は悪い人だと言うこともできますが、もうひとつ、心が異常な状態だったということも言えるのです。では、なぜそれほどまでに異常な状態だったのか。
そこで、先ほどの話に戻ります。今年もすでに異常気象が起きていますが、異常気象はある日突然起きるのではなく、そこに至るまでの積み重ねの結果起きるのです。令和という時代は、平成や、昭和や、そのさらに前の時代からずっと積み重なってきたものに対する答えが出る時代です。そしてこの事件も、そういった人々が曖昧に生きてきた結果起きたことだとジイジは思うのです。

事件の後、テレビでは「これからはこういった事件が起こることを前提に、どうやって子どもたちを守っていくか」ということが語られていました。親も学校も市も警察も、そう言うのです。しかし考えてみれば、そもそもそういった事件が起きない世の中にした方がいいと思いませんか。

みのり:
そう思う!

ジイジ:
こういった事件が起きるから、それに対処しなければいけなくなるのです。ならばそのような事件が起きないようにするべきだとジイジは考えるのですが、それにはどうしたらいいかという話はなかなかテレビには出てきません。そこで、このことについてみんなと話したいと思いました。あの事件でかわいそうだったのは、誰でしょうか?

きよみ:
(小さな声で)犯人。

ジイジ:
言葉は言霊です。自分の考えを言葉にする時には、相手にしっかり伝わるようにはっきり言わないと、話す言葉に魂が入らず、いい結果にはつながりません。もっとはっきり言いましょう。

きよみ:
犯人がかわいそうだと思う。

ジイジ:
でも犯人は、生きていたら殺人犯ですよ。どのような刑を受けるのか、もしくは精神病院に行くことになったかどうかわかりませんが、とても大きな責任を取らなければなりません。きよみはどうして犯人をかわいそうだと思うのですか?

きよみ:
(口ごもりながら)犯人は間違ったことをしたから・・・

ジイジ:
相手に伝わるよう、しっかり発音しなさい。今話している姿もダラッとしているでしょう。そういうのを、けじめがないと言うのです。
発音が曖昧ということは、言葉が曖昧ということです。言葉が曖昧ということは、意味が曖昧ということです。意味が曖昧ということは、コミュニケーションが曖昧だということです。そうすると、自分の思うことも相手に伝わらず、相手の言うこともわからないまま適当に解釈することになって、曖昧な人間関係をつくることになっていくのです。そのように意識しないうちにすべてのことを曖昧にしていくと、やっていいことと悪いことも曖昧になります。そして、自分の行動に矛盾が発生してもそれをいいとも悪いともはっきりさせないまま、ただ都合のいい豊かさだけを追い求めていくからその豊かさも曖昧になります。そういった一人ひとりの小さな行いを曖昧にしていった結果、地球上にたくさんの矛盾が積み重なっていったのです。そして今、明快な災害が起きるようになりました。
人間関係も同じです。曖昧なまま進んでお互いのことを本当に理解し合わないうちに、人と人との関係にもたくさんの矛盾が発生し、そういった日々の生活の積み重ねが長い間にストレスとなって溜まっていった結果、ある日爆発して、明快な犯罪を犯すことにもつながるのです。
犯罪が起きる時は、とても明快です。今回の犯人も、積もり積もったストレスの結果、「やってやる!」という明快な意志を持ち、包丁を4本も用意して、手袋をはめ、子どもたちがバス停に並ぶ時間を狙って現場に行き、計画を実行したのです。

きよみ:
人を殺そうと思ったその考えが、おかしいと思った。もっと楽しい人生を送れるはずなのに、そういうふうになってかわいそうだと思った。

ジイジ:
そういう考えになったことがかわいそうだということですか?

きよみ:
ん~・・・ちょっと違うけど・・・

ジイジ:
違うなら自分の思うことを言いなさい。

きよみ:
それがわかんないんだよ。

ジイジ:
わからないのにかわいそうだと言ったの?それでは話が曖昧でしょう。自分がどうしてそう思うのかという元のところを探っていくと、ああ、自分にはこういう理由があってそう思ったのだということがわかり、明快になっていくのですが、そういった心の仕分けをやらずにいると、自分がなぜそう思ったのかがわからないまま進んで、後から自分でも変だと思うような曖昧な思考になっていきます。それは、言葉をはっきり発音しない、食事の前に「いただきます」を言わない、脱いだ靴をそろえないことと同じです。そのいい加減な状態が自分の人生に反映されて、いい加減な人生を歩んでいくことになるのです。つまり、自分の毎日の姿勢が、自分の人生を創るのです。
きよみは意見を発表したことによって、今の自分の状態を知る機会をもらいました。その時に、「これではいけない」と思って自分を変えていく心が大事です。その心がなければそのまま進んでいって、いつも「どうしてうまくいかないんだろう」と思う人生を生きるようになります。うまくいかないのは、自分がそうしているのです。
人生は、もっと明快に生きることができます。現代の人々は、本当のことを言うと損をするのではないかと思い、自分の考えをしっかり言わないまま周りに流されて生きてきた人たちがたくさんいるのです。そして、そういった人たちが今の社会をつくったのです。しかし時代が令和になり、これからはそういった曖昧な状態がどんどん明快になっていきます。新しい時代は災害の起きない時代になってほしい、平和な時代になってほしいと言うのは、どこかで、これから災害が起きそうだ、平和ではなくなりそうだという予感がするからです。けれども自分の中にある予感すら曖昧にしているから、「なぜそう思うのですか」と聞かれても答えられない。しかしそこのところを明快に観ていくと、自分の生き方がいい加減であったことがわかるはずなのです。

最近では、日本語も英語のように簡略化されるようになりました。例えば、取り扱い説明書のことを「とりせつ」と言いますね。「インスタばえ」という言葉がありますが、最近は更に簡略化されて「ばえ」と言うそうです。それは、簡略化した方が効率がいいということも言えるでしょう。効率がいいということは、そこに何か得することがあるということです。
しかしそもそも、音には一つひとつに意味があります。そしてその音が組み合わさることによって、一つひとつの単語にも意味が生まれます。その音の組み合わせの中に、本来の意味が秘められているのです。それを効率がいいからと言って簡略化していくと、どうなるでしょうか。
英語は頭文字を取って簡略化をしますが、日本語はもともとそういったことをしない言語です。それは、一つひとつの音や言葉に魂が込められているからです。けれども最近では日本語も英語と同じように簡略化されていって、元の意味がわからないようになりました。元の意味を失ったまま、簡略化された音だけが独り歩きをするようになると、それでも意味が通るようになるのです。しかしそれでは、魂の抜けた言葉を話すことになります。効率がいいから、便利だからと言葉をどんどん簡略化していけば、知らない間に魂が抜けて、それでも便利だからいいことになっていくのです。それが現代の人々の表面的な、意味のない行動につながっていくのです。
本当はこうだけど、それを簡略化するとこんなに便利だよ、こんなに得するよ、となって、そこに本来の意味が失われていても、そういったことの大事を吟味しない。その状態が蓄積されていった結果が、今の世の中です。人間関係も同じです。本来、子どもが育っていく時には、こういう風に人と人はコミュニケーションを取っていくのだということを学びながら大きくなるはずなのですが、便利がいいこと、得することばかりを追い求める時代の中で、まず大人たちが簡略化をしている。本当は、便利なことはより豊かになるためにあるのに、自分が得をすることが目的になっているから、そこに大事なものが抜けていくのです。そして誰も矛盾の発生源を突き止められなくなりました。

今回のような事件が二度と起こらないように、これからは子どもたちを守れる体制を作りましょう、と大人たちは言っています。今日は、静岡県の全小中学校にエアコンを設置するという話がありました。なぜだと思いますか?

ゆうとう:
暑いから。

ジイジ:
そうです。今までは要らなかったのに、暑くなってきたから必要になったのです。そこで、エアコンが付いてよかったねということではなく、なぜこんなに暑くなってきたのかということを考えなければいけなのです。

みのり:
かわいそうなのはつまり、大人たちと犯人だと思う。

ジイジ:
どうして?子どもたちはかわいそうじゃないの?

みのり:
刺されたのはかわいそうだと思う。だけど大人たちは、こういう事件が起こらないような社会を創るにはどうしたらいいかということに気付かない。犯人も犯人で、そこまでのことをしてしまった。かわいそうなのは、本当の原因に気付かない人たちだと思う。

ジイジ:
そこが大事なところです。今の大人たちは何か事件が起きると、事件が起きた時に自分たちが助かるにはどうしたらいいかとか、災害が起きた時にどのように避難すればいいかというような表面的な対策ばかり考えています。しかしそもそも、なぜそのような事件や災害が起きるのかということを考えた時に、自分たちにその原因があったら、それを改めなければいけないのです。そういうことを言う人が、今の世の中にはいません。そこが問題なのです。
この事件では20人が刺され、そのうちの2人が亡くなりました。みんなかわいそうです。では、その事件を起こした犯人は、なぜそのようなことをしたのでしょう。何かが起きるには、必ずそのずっと前から、そこに至るまでの道のりがあるのです。

犯人がどのような人物だったのかということは、まだよくわかりません。ただ、今の時点で報道されている情報によると、子どもの頃に孤独だったといいます。両親が離婚し、お父さんにもお母さんにも引き取られず、伯父さんの家に引き取られて育てられたそうです。その伯父さんの家には子どもが2人いて、その子たちはカリタス学園に通っていました。その学校はとてもお金のかかる学校で、受験をして入ります。伯父さんの子ども2人はその学校に通っていましたが、彼は普通の学校に通いました。詳しいことはわかりませんが、周りから見ると、伯父さんの子どもたちと彼は差別されているように見えたそうです。彼は学校でも、みんなとは違う行動を取るような子どもだったようです。その後どのような人生を歩んだのかはわかりませんが、事件を起こす前は伯父さん夫婦と同じ家に住んでいて、51歳で毎日ゲームをやっていたそうです。
そして今回、わざわざその伯父さんの子どもたちが通っていた学校の子どもたちを狙って、事件を起こしました。何か心が歪んでいるでしょう?でも、そこで考えてみてください。勉強ができればいい生活ができるようになる。勉強ができてお金がたくさんある人が優秀な人。みんながそうやって同じものを目指す社会のあり方が、彼のような人をつくったとは思いませんか。

みのり:
そう思う。

ジイジ:
きっと彼は、昼も夜もゲームをやって、だらしのない生活をしていたのでしょう。ところが、事件を起こした時にはとても明快でした。「やってやる!」と。そして捕まる前に、自らを刺して自殺しました。どんな人でも、死んでしまえば裁かれることはありません。罪を犯した時の最も重い刑罰は死刑ですが、その刑を自らに課したのです。ですからもう、罪を問われることはありません。
何かがおかしいでしょう?彼は死んでしまったから、行った行いについて、もう問われることがない。しかし本当は、なぜそれが起きたのかを明らかにするべきであり、彼が行ったことは、この社会の中で起きたのです。つまり、こういった事件が起きるような人間関係が、今の世の中にたくさんあるのです。一つひとつのことにけじめがなく、曖昧で、それをそのままにして進んでいく。その結果、人と心が通じない。互いを理解し合えず、誤解し、相手はこうだと思い込み、人間関係が悪くなっていく。まるで、日常生活の中に戦争が起きているようなものです。だからこそ、自分の思うことをいつでも正直に出すことが大切なのです。そして相手の思うこともよく聞いて、互いを理解していくのです。

これから、災害はますます増えていくでしょう。だからこそ、そうやってみんながお互いを理解し、助け合わないと、乗り越えられない時代になるのです。
災害のない、平和な時代になってほしいと人々は言います。しかし、日本は今のところ戦争はしていませんが、先日トランプ大統領が日本に来た時に、日本の護衛艦を空母にするということを話していました。空母は戦争の道具です。戦争はしていなくても、戦争のための道具に、たくさんのお金を使っているのです。そして戦争はしていなくても、子どもたちが学校へ行こうとしたら、見知らぬ人に包丁で刺される時代になったのです。そんな社会は、平和な社会とは言えません。
家の中では家族でいがみ合い、ケンカをしている。それは、本当にわかり合うための努力をしていないからです。自分の主張ばかりして、相手のことを理解しない。それも、一つひとつにけじめがないということなのです。そういった世の中全体のあり方が、この事件をつくったのです。

今の時代は、誰もが間違っていることがあります。それをジイジに聞いて勉強するのではなく、自分で考えられる人にならなければいけません。これからもたくさんの事件が起きてくるでしょう。災害もたくさん起きるでしょう。日本だけでなく、世界中で災害や事件が起きます。その時に、なぜそれが起きているのか、原因は何なのかを考えることです。そしてそれがわかった時に、では自分はどうしたらいいのかを考えるのです。さらに、自分を含めたみんながどうしたらいいのか。それを考えられる人になることが大事だとジイジは思うのですが、みんなはどうですか。

子どもたち:
賛成!

ジイジ:
それならば、みんなのこれからの生き方は、まず言葉を一つひとつはっきり言うことです。そして自分の考えをきちんと人に伝える。嘘はつかない。そして人の考えもしっかり聞く。そうやって互いの考えを合わせて、みんなで力を合わせて生きていくのです。
そのためには、どんなに小さなことでも、自分の行いをしっかり振り返って明快にしていくことが大切です。鉛筆の使い方ひとつ、消しゴムの使い方ひとつ、脱いだ靴のそろえ方ひとつに、すべて自分の姿勢が表れています。それを一つひとつ振り返って正していくことは、学校の成績を上げるためではありません。その行いの一つひとつが、自分の人生の答えとして未来に現れてくるのです。
今のいい加減な姿勢をそのままにして大人になれば、それが当たり前になり、問題が起きてもどうしてそうなったのかがわからない人になります。今の世の中がそうでしょう?今回のような事件が起きれば、表面的な情報があっという間に社会全体に広まって、みんなで誰が悪者かを決めつけて、それを叩くのです。しかしその事件は社会の中で起きたのであり、その社会を創っているのは他の誰でもない、私たち一人ひとりなのです。ところが誰も自分を振り返らない。悪者を見付けて、原因をそこに押し付けています。だからいつまで経っても社会が良くならないのです。

みんな、大人はできていると思ってはいけませんよ。子どもの頃から一つひとつのことにけじめをつけずに大きくなり、曖昧なまま生きている大人たちが世の中にはたくさんいます。だから今の世の中がこのような状態になっているのです。
だからこそジイジは、これからの未来を創っていくあなたたちに話をしています。今ここに、うたくん(1歳)がいますね。うたは言葉はわかりませんが、ちゃんと話を聴いています。それは魂の違いです。だらしのない人は、いくら耳で言葉を聞いても、その言葉の中身を聴いていません。それをきちんと聴けるかどうかは、学校の成績には直接関係ありませんが、人生に大きく影響します。
どうかみんなは、その人生で一番大切なことを大事にする人になってください。そうすると、自分自身の人生が価値ある人生になります。なぜなら、そのように生きる人は孤独ではないからです。すべての問題は、孤独から生まれます。争うということは、孤独になることです。もしもみんながこの大切なことを身に付け、そして明快な人生を生きるようになったら、自分が孤独でなくなるだけではなく、社会全体が良い世の中になるでしょう。

そういったことを、一人ひとりが自ら考えられる人になってください。そして良い人生を生き、良い世の中創りにつなげてください。

 

 

Source of photo:朝日新聞社

 


どうぞウソをついてください ~ ジイジから子どもたちへ

この夏、韓国から7人の子どもたちがやって来て、約1ヶ月間を木の花ファミリーで過ごしました。彼らにとっては、毎日出会うものも聞くことも新鮮で、1ヶ月の間に様々な体験をしました。ある日、「どうしてウソをついたらいけないのか」について話してほしいというリクエストがあり、韓国と日本の子どもたちに向けて、ジイジがこんなお話をしました。


 
ジイジ:
では、まず質問です。ウソをついてはいけないと思う人!

子どもたち:
はーい!(子どもたちの約半数が手を挙げる。)

ジイジ:
じゃあ、ウソをついてもいいと思う人!

子どもたち:
はーい!!(残りの半数が手を挙げる。)

ジイジ:
さて、どっちが多いかな?ウソをついたらいけないと思う人は、きっとウソをついて叱られたことがある人だね。それから、ウソをついて困ったことがある人だね。
ジイジはね、ウソをついてもいいと思いまーす♪(子どもたち:「えっ」という顔をする。)だって、ウソをつくとどうなるかということを経験するためには、ウソをつかないとわからないでしょう?
子どもの時には、ウソをつくものです。子どもはウソつきだと思う人~!

子どもたち:
はーい!!(^O^)ノ

ジイジ:
そうだよね、子どもはウソつきだよね。じゃあ、ウソをつくとどうなる?

あやな:
怒られる。

ジイジ:
怒られる?でも、上手にウソをついたら怒られないでしょう?

あやな:
たしかに(笑)。

ジイジ:
だからね、上手にウソをつけばいいんだよ。怒られないように。

ゆうとう:
冗談なら怒られないよ。

ジイジ:
冗談はウソとは言わないよ。ウソをつくというのは、本当のことと違うことを言うことです。本当のことって、いくつあると思う?

ゆりか:
ひとつ!

ジイジ:
じゃあウソはいくつあると思う?

ひみこ:
無限!

ジイジ:
無限というか、たくさんだよね。そうすると、ウソをつく人はいろんなことを考えます。だから頭が良くなるね。そういうのを「悪だくみ」といいます。悪いことを考えるには頭をたくさん働かせないといけないから、賢くなります。
ウソをついて成功すると得した気分にならない?得した気分になる人!

子どもたち:
う~~ん。

みのり:
いや~、得というより、罪悪感がある。

ジイジ:
でも成功すると、ちょっとだけ得した気分にならない?

みのり:
まあ、ちょっとだけね。

かのこ:
罪悪感はあるけど、大人に怒られずに済んだ!っていうのはある。

ジイジ:
それをいっぱいやったら、得だよね。それでね、ウソをつくと頭が良くなるよ。だって、ウソがばれそうになったらどうする?ウソをつくと、本当のことがばれないようにする必要があるでしょう。だから本当のことがわかりそうになった時にどうする?

(「またウソをつく」「本当のことを言う」「黙る」「逃げる」などいろんな意見が出る。)

ジイジが言いたいのはね、なぜかわからないけどウソをつきたくなる時があるでしょう?そういう時には、たくさんウソをついていいんだよ。そうすると、それは本当じゃないから、後で本当のことがわかると困るでしょ?だからそれをずっと隠しておくためには、いろんなことを考えなければいけなくなって、頭が良くなる。でもね、その頭は、悪い頭だよ。それで、悪い考えが頭の中にいっぱい増えると、悪い人になるよ。

ウソをつく人というのは、まず人から信用されなくなります。(シャンリンに向かって)シャンリンはたくさんウソをついていいよ。シャンリンはウソをつくというけれど、実はシャンリンは、とてもわかりやすいウソをついています。それはウソでしょ、とわかるウソ。そういう人は、正直なウソつきです。
子どものころにウソをつくのは、ウソの練習をしています。問題なのは、ウソをついていることがわからなくなってしまうことです。自分が今ウソをついていることがわかっていれば、心のどこかに「自分はウソをついているなー」というのがあるでしょう。でも「自分はウソなんかついてない!」と本気で思っていたら、それは本当のウソつきですね。
シャンリンは、ウソをつく時に「自分はウソをついているな」ということを知っているでしょ?だからシャンリンは正直なんです。困るのは、自分がウソをついていることをわからなくなってしまうことです。

ウソをつきたい時にはウソをつけばいいんだよ。ただしその時に、「今、自分はウソをついている」ということをよくわかった上で、ウソをついてください。そうすると、後で困ったことが起きた時に、「ああ、自分がウソをついたからこうなったんだ」と気付くことができます。そうしたら、ウソをつくのをやめよう、と思うでしょう?
ウソは本当のことと違いますから、必ず後で困ったことになります。その時に、自分がウソをついたことをわかっていないと、その困ったことは自分に原因があるのではなく、人のせいだと思うようになります。これは本当に困った人です。自分がウソをついていることをちゃんとわからないまま大きくなると、ウソをついていることに気が付かないままウソをつく大人になるのです。それは心が汚れているということです。
そういうふうになっちゃいけないよ、子どもたち。わかった?

子どもたち:
はーい!!! ヽ( ≧▽≦ )ノ

ジイジ:
もうひとつ、みんなに言いたいことがあります。人は赤ちゃんで生まれてきて、大人になり、いずれ死にます。その人生の中でウソをついていくということは、本当ではないことで生きていくということです。ウソをついていると、心が悪い人になるでしょう?そうすると、人生を生きていてもいいことが起きません。人生の途中ではいいことばかりに出会ったと思っても、必ず人は生きている間に、そのウソの分だけの困ったことを受け取らないと、死んではいけないようになっています。さらに、そのままで人生を終わると、ウソつきとして人生を終わることになります。そうすると、もしも次の人生があるとしたら、今度はウソつきとして人生が始まるのです。

ジイジは昔、木の花ファミリーを始めた頃に畑で作物を作っていました。畑へ行って土を耕して、種を播いて、野菜を育てたりしていました。畑では、植物はもちろん、動物や、土や、雨や、風や、いろいろなものに出会います。そこで、人間以外のものはウソをつきません。だから自然の中で生活していると、とても心が穏やかでした。それは、疑わなくてもいいからです。
でもそこに、ジイジを訪ねていろんな人がやって来ます。そして人間が来ると、その場にウソができるのです。そういったウソをつく人間から勉強できることは、あまりありません。自然の中で畑を耕していると、例えば作物の出来が悪ければ、それは土が間違っていたり、気候が合わなかったり、どこに原因があるのかを正直に教えてくれます。たくさん収穫しようと思って肥料をたくさん入れると、作物は病気になります。自然は、いつも正直に人間のやっている間違いを教えてくれます。自然は絶対にウソをつかないのです。
だけど人間は自分に都合のいいようにものを考えるから、ウソをつきます。大人は子どもに「ウソをつくな」と言いますね。それは子どもがウソをつくからです。でも実は、大人の方がもっとウソをついています。そういった経験があるから、大人は子どもに「ウソをつくな」と言うのです。つまり、人はみんなウソつきだということです。
そこで大事なのは、自分がウソをついている時に、ウソをついていることをわかっていることです。それは、自分が間違っていることを振り返る心があるということです。

ウソをつくと、それは本当のことと違いますから、生きていると必ずその間違いの結果が自分に返ってきます。欲が深い人は、畑で種を播くと、まだ作物が育つ前からたくさん収穫することを考えます。たくさん採るためにはたくさん肥料を入れて大きくしよう!と思うのです。でもそれは、作物のことを考えていません。その人が欲をかいた分、作物は病気になって、本当のことを教えてくれるのです。
ウソも同じです。ウソをつく時には、それを言うことでいいことがあると思っています。だからウソをつくんでしょう?でもウソをつくと、必ず自分が思っていたことと反対の、都合の悪いことが起きます。そこで、ウソをつくのはよくないな、ということを学ぶのです。ということは、みんなはウソつきの練習をしているのです。そのために、そういった仕組みがあるのです。

たくさんウソをつくと、たくさん困ったことが起きるよ。ウソつきの頭をたくさん働かせると、ウソつきの人になっていきます。でもウソをつくのは、ウソつきになるためではなく、ウソをつくとどうなるかということを勉強するためにあるのです。
その時に、自分がウソをついたことがわかっていれば、すぐに勉強ができます。ああ、あのウソがこういう結果になったんだ、と。でも自分がウソをついていることがわからない状態になっている人は、困ったことが起きても人のせいにします。だから、ウソから勉強することができません。そして本当に困った人になります。ジイジはそういう大人にたくさん出会ってきました。
ですから、そういう大人にならないように、ウソをつかないのではなく、練習のためにウソをついてください。そしてウソをつけば必ず困ったことが起きますから、そこでウソをつくとこうなるんだ、ということを勉強してください。
ジイジも子どもの頃にはたくさんウソをつきました。そしてウソをつくとまずいな、ということがわかって、だんだんウソをつかなくなりました。大人は子どもに「ウソをつくな!」と言うけれど、子どもの時にウソをついていないと大人になってからウソをつきますね。それは本当に困った人になりますから、小さいうちに練習としてたくさんウソをついてください。そしてたくさん困ってください。そしてどうして困ったのかといったら、自分がウソをついたからだということに気付いてください。そうしたらきっと、ウソをつかない人になるでしょう。

きよみ:
ウソついていいよって言われたら、ウソつく気がなくなる。

ゆうとう:
大人は「怒らないから正直に言いなさい」と言いながら、本当のことを言うと怒るよ。

みのり:
それ、めっちゃあるー!

ジイジ:
それでは、ウソをつく時には、正直にウソをついてください。そしてできれば、相手の人にもわかるようにウソをついてください。そうしたら相手の人は「ああ、ウソをついているな」と言って認めてくれるかもしれません。

人間以外のものはウソをつかないのに、人間はウソをつきます。ということは、人間が生きていると問題が起こるということです。
例えば、(スマホをいじっているイェヨンを見ながら)スマホは優れた機械ですね。でも人が話している時にそれをいじっていたら、相手の話を聞いていないことになります。場合によってはそれがないと眠れなくなったり、歩きながら使っていて人や車にぶつかったりもします。何でもそうですが、その人の考え方や使い方によって、いいものにもなれば悪いものにもなるのです。
でも本当はこういうことのために使うんだよ、という正しい使い方があります。人間はいろんなふうにものを考えて、いろいろな使い方をしますが、どんなものであっても、正しい使い方をしなければ、すべて悪いことになって返ってくるということです。そういった正しい人生の生き方や物の使い方を勉強するために、みんなは生きているのです。いっぱいウソをついても、それをしっかりと学んで、どうしたらいいかをわかる人になりましょう。

以上、ジイジのウソつき講座でした♪

 

 


美しく生きる覚悟の先にあるもの

先日、ある大学の学生さんと指導教官が、フィールドワーク実習の一環として木の花ファミリーを訪れました。研究テーマは「日本でのエコビレッジ進展について」。「日本でエコビレッジ活動が広まることの利点を調査する」ためのアンケートが渡された翌日、二人はいさどんのいる養蜂場を見学しにやって来ました。そこでいさどんは、こんなことを話し始めました。


 
今日、あなた方は養蜂場に来ています。僕は、我々人類の未来のあり方の見本がこの蜜蜂の生態の中にあると考えて、蜂を飼うようになりました。その一番の目的は、蜂蜜が欲しいからではありません。この生態の中に、我々の体の構造と同じ仕組みがあるのです。
近ごろは医療の世界でも、細胞の一つひとつに意志がある、ということを言うようになりました。「全身全霊」という言葉があるように、それは細胞の一つひとつがパラボラアンテナのように開いている状態です。そのような状態になると、人間はこの世界の奥にあって、この世界を動かしている様々な仕組みを感受できるようになります。それだけの能力が人間にはあるのです。

地球にも、そこで営まれる生態系のネットワークにも、もともと無駄なものは何ひとつありません。ところがそこに人間が現れて、ゴミを生むようになりました。宇宙はプラスマイナスゼロの世界なのに、人間が現れて、人間の叡智が偏り、プラスを過剰に求めるようになりました。だから今地球上にはプラスのエネルギーが蔓延していて、ゴミも発生し、ある意味熱中症のような症状になっています。
だからそういった矛盾を解消するためには、我々人間一人ひとりが何を考えて地球上に生きているのかということが、とても重要です。それが地球の未来を創っていくのですから。今は世界のリーダーも、学者も、自分が何を発しているのかということよりも、一般の人々が何を求めているのかというニーズに基づいて活動をしています。政治家はひとりひとりの一票によって選ばれる仕組みの中で、結局は、人々の意志がどのような世界を求めているかによって、世界は動いていくのです。リーダーがこの世界を動かしているわけではなく、地球の細胞である人間の意志が集まって、世界の現状を創っているのです。
ならば時代とは、本来特別なリーダーが現れて革命を起こすのではなく、一般の人々 ─── 自分の存在なんて大したものじゃないと思っていた普通の人々が革命を起こすのだと、僕は感じています。蜜蜂はまさにそのモデルです。私たち一人ひとりのわずかな想いが、どのような意志に基づいているのかによって、世界がどのような方向に進むのかが変わっていくのです。ですから、私たち一人ひとりの意志はこの世界にとって大変重要なものなのです。

今ここを飛び交っている蜂は、大部分が働き蜂です。働き蜂1匹の能力は小さなものです。寿命も短い。花が多い時期がもっとも寿命が短く、成虫になってから40日しか生きられません。
働き蜂はみんなメスですが、巣箱の中にはオス蜂もいます。オス蜂の寿命は3ヶ月です。オス蜂は働かないので、12月にもなると働き蜂から巣の外に追い出されます。冬の間ただエサを食べるだけで、必要のない存在だからです。しかし春になり新しい女王が出ると、女王が卵を産むために交尾の相手が必要になるので、働き蜂はオス蜂を育てるための部屋を用意します。
「女王蜂」というと、群れ全体を支配している存在のように思うでしょうが、それは人間の発想です。実は女王蜂は、働き蜂の奴隷とも言えるのですよ。女王蜂がどこにどれだけの卵を産むのかは、すべて働き蜂の指令に基づいているのです。
働き蜂は、私たちの体の細胞と同じように、次から次へと生まれては、働いて、死んでいきます。その蜜蜂たちのDNAの中に、代々受け継がれてきた情報が刻まれており、それを使って蜜蜂たちは生きることの全てを読み解いているのです。天候の先行きが悪いと感じれば産卵を控え、天候が良く花がたくさん咲きそうなら産卵を進めるよう女王蜂に指示します。一番寿命の短い働き蜂が、群全体の行く末をコントロールしているのです。

私たち人間の感覚は、自分が学習して記憶したことをやるというものであり、自分が体験したことのないことは知らないことになっています。例えば女性が妊娠すれば、出産についての本や子育てについての本を読んで学習します。だけど、以前ここではヤギを飼っていましたが、ヤギのための出産の本というのはないですね(笑)。ヤギは家畜ですから人間が介在しますが、自然界の生物はそれもありません。しかし彼らは、先祖からずっと受け継いできたように出産し、ちゃんと子育てもします。
群れで暮らすとは、それと同じことです。今、ひとつの巣箱の中に1万匹ほどの蜜蜂がいます。最盛期には巣箱が3階建てになって、5万から10万匹にもなります。それがたった1匹の女王のもとにいるわけですが、それは女王蜂の意志で動いているわけではないのです。どんどん生まれては死んで新陳代謝していく働き蜂がその指令を送り、群全体を維持しているのです。
さらに、働き蜂はいろいろな役割をしています。幼虫から成虫になったばかりの働き蜂は幼虫の世話や巣の掃除をし、ある程度成長して一人前になった働き蜂は外へ出て蜜を集めます。成長に応じて役割が変わっていき、分業制になっているのです。そこでは、とても流れの良い循環の仕組みが自然に流れ、ものごとが滞りなく進んでいくのです。

昨日、あなたから渡されたアンケートを見ました。ここはとても特殊な所です。地球に現れた人類の変態というか、奇跡というか。こんなことを僕が言うのは変かもしれませんが、僕は少しヘンな発想を持っています。しかしこのヘンな発想は、世の中の価値観が変われば当然のことなのです。
今、1組のカップルがゲストとしてここに来ています。男性の方は統合失調症で、女性の方は精神が不安定です。彼らは親がとても裕福なので、お金には苦労していませんが、人生には行き詰っています。「僕は生涯薬を処方されながら精神障がい者として生きるんだろうか」と彼は言います。彼女はそんな彼に同情して一緒に暮らしていますが、人生に見通しは立っていません。
彼らは1週間ほど前に、男性の方の両親と一緒にここへやって来て、僕と話をしました。今回二人で来たのは、ここの取り組みにかけて、自分たちの人生を立て直そうと思ったからです。

ここは治療院ではありません。医者は彼に「薬がなくなったら混乱を起こして入院することになる」と言って薬を処方し続けています。ある意味、脅されているようなものです。そして障がい者年金を受給しながら、この病院の患者であり続けなさい、ということを言っているようなものなのです。
先日彼が両親と来た時に、僕は、なぜ今彼は病気になっているのかという、病気の仕組みについて話しました。そして彼女に、どうしてあなたは彼と付き合っているのかと聞きました。それは、彼女自身の中にも歪みがあるからです。そして傷口を舐め合っている。お互いに依存しながら、苦痛を感じているのです。それは薬では治りません。
ここは、薬を使わずに治すところです。なぜなら、それはもともと薬で治すものではないからです。それは「正常に戻す」ということです。今、地球上では「お金がなければ幸せになれない」「お金があるのが成功者だ」という価値観が蔓延しています。それは狂っているでしょう?僕はそこを今の社会に問いたい。だからこの暮らしをしているし、蜜蜂を飼っているのです。

この話と蜜蜂の話をつなげることは、とても深いことです。しかしあなたからのアンケートには自分の発想から出た質問が並んでいて、それに答えてくださいと言われれば答えられますが、そこで問いかけているのは表面的な仕組みについてのことだけです。けれども実際は、なぜ木の花ファミリーがあるのかといったら、そこにはもっと奥の深い物語があります。同じように、なぜ今地球がこのような状態であるのかということにも、わけがあるのです。

そこで僕は、(先生に向かって)先生であるあなたに伝えたい。なぜなら、あなたがどのような投げかけをするかによって、学生たちが目を向ける方向が変わってくるからです。
この深い宇宙観を今の人々に語ることは、無理なことかもしれません。無理かもしれませんが、そういったことを大事だと感ずる人には、またその機会が与えられるでしょう。これは社会運動です。大学という現場は本来、優れた人材を社会に輩出するためにあるはずなのですが、今は既製品のような人材を育て、それも知識の漬物のようにしてしまっている。知識というものは、生きることには大きな力にはなりません。大切なのは、瞬間瞬間状況が変化していく中で、智恵を持ってそこを乗り越えていく生命力です。
近代物理学の世界は今、行き詰っています。物理学の行き詰まりの先にあるもの ──── 宇宙をどう解釈したらいいのかということについては、ここにヒントがあります。しかし物理学者は、現象をもってしか真実としない。現象の中にしか真実を見ようとしないのです。それでは、私たちの心はどうなるのでしょう。心は、目で観察することはできないのです。

昨日、僕の中学の同級生が遊びに来ました。彼は、これまで自分の心の中にずっとあるものを抱えていました。
彼は小学校に上がる前に、友だちが持っていたナイフが目に刺さって、片目を失いました。そのことで大変なハンデを持って生きてきました。そして今も、5つほどもの病気を抱えています。彼はいい人なのに、どうしてそんなにたくさんの病気を持っているのでしょう。
「病気」は、「気が病む」と書きます。病気になるということは、心に歪みがあり、矛盾を抱えているということです。では、あんなにいい人がなぜ病気になるのかという原因については改めて分析する必要がありますが、そう思っていたら、彼の方から僕に話してきました。

僕は子どものころ、友だちの傘が刺さって彼の目はああなったのだと聞いていました。ところが実際はそうではなかった。子どもの僕たちにとっては、彼はただ単に片目が見えないというだけで、それ以上のことは何もなかったのですが、その後彼は社会の中で大変なハンデを背負うことになりました。免許を取る時でも、就職する時でも、そのハンデによってたくさん辛い思いを体験したと語りました。何度自殺したいと思ったことか。そうやって自分が辛い思いをした分だけ、彼は人に対してやさしい人になりましたが、その分心に矛盾を抱え、気を病むようになりました。それが病気になって現れていたのです。
昨日、彼はその矛盾を吐き出しました。66年間生きてきて、やっと吐き出せた。そして自分がこれまで闇雲に生きてきて、どれだけ矛盾を抱えていたかということに気付いたのです。そこで僕は彼に伝えました。「これであなたの中にあるガンは改善に向かうよ」と。
彼は自分の中に溜めていた思いを、外に吐きだしました。彼はいい人ですが、中には苦痛を溜めていたのです。その苦痛の上に、「いい人」としての彼がいたのです。そして本当のいい人になるために、その苦痛を吐き出した。彼はこれまでは自分の目にコンプレックスがあって、女の人の顔を真っ直ぐに見られなかったそうですが、思いを吐き出した後、初めて女の人を正面から観られるようになったと言いました。「見ていろ。あなたの病気は絶対に回復に向かうから」と僕は言いました。「よかったなぁ」と。ここの存在が、人の人生を変えるのです。

先日、昔からの知り合いの、今は96歳のおじいさんがここに来ました。娘と婿とおばあさんと一緒に来たのです。そこで僕は、生きるとはどういうことかという話をしました。特に死のお迎えが近い人は、どう生きて、どう死を迎えるべきかという話をしていたら、途中でおじいさんが、山形弁でこう言い出しました。

─── ちょっと待ってくれ。わしは今、あなたの話をずーっと聞いていたが、話が耳から入って、反対の耳へ抜けていってしまった。だけど、自分の中から湧いてきたものがあるから、それを話させてくれ ───

そこで彼は、「わしは第二次世界大戦のミッドウェー海戦の生き残りだ」と話し始めました。戦艦ではなく護衛艦に乗っていて、その護衛艦はポンコツで小さくて足も遅かった。それでアメリカ軍も爆弾を落とすのをもったいなく思ったのか、他の船が次々と攻撃される中、その護衛艦だけは無傷だったのです。
そして戦いが終わった後、海にはたくさんの死体と、まだ生きている人々が浮いていました。そこでまだ生きている人たちを、一生懸命船の上に引き上げた。ところがふと気づくと、甲板が負傷者でいっぱいになっていました。そこで彼は「こんなことをしていたら全員がダメになる」と思い、何を始めたのかというと、助ける人と、助けない人の選別を始めたのです。「この人は助かりそうだ」「この人は助けても死ぬだろう」と選別し、助かる見込みのない人たちを、海に捨てました。それは上官に指示されたのか、自分の意志だったのか、記憶にないと彼は言います。そのくらい必死な場所だったのです。
「どれだけの人を捨てたかわからないが、30人は捨てただろう」と彼は言いました。その時に、捨てられる人は、自分の命がもうないことがわかっていても「助けてくれ!」と叫ぶ。それを捨ててきた、と彼は語りました。そしてそれは、心の奥にずっとしまわれてきた重りとなっていたのでしょう。

彼はそのことを、これまで誰にも語ったことはなかったと言いました。その話を始める前、彼は「わしはまだ死にたくない」と言うので、僕は「どうして96歳にもなってまだ生きたいの」と言いました。人間は毎日を充実して生きていたらいつでも死ねるよ、僕なんか毎日わからずやの人間たちを相手にしていて面倒くさいからすぐにでも死にたいけど、まだやることがあるから仕方なく生きてるよ、と僕は言いました。だけど96歳にもなったら、土星が太陽の周りを3周も回っているのです。最初の30年で自分を知り、その次の30年でそれを経験して、最後の30年で死ぬ準備をし終末を迎えるところを、そこから6年も余分に生きてるのにまだ生きたいだなんて、どうしてそんなに生きることに未練があるのだろうと思っていたところ、彼はその話を初めて語り出したのです。最後に彼は、「ありがとう、心が軽くなった」と言いました。そしてこう言ったのです。「わしもこの話が話せたから、もう逝けるかな。」

それは、本当にいい話でしょう。あの96歳のおじいさんが、そんな人生を生きてきて、旅立つ前にこんないい土産を我々にくれた。
心の中にずっと重いおもりを持っていた人が、ここに来て、それを手放せた。それがここの醍醐味です。思いというのは、重い。その思いを手放すと軽くなる。旅立つ時には人は物理的な質量をなくし、肉体から解放されて天へと昇っていきます。しかしいくら質量のある肉体を手放しても、思いが重ければ地に居続けることになり、その魂は地獄を生きることになるのです。そのおもりを吐き出せる場所 ──── それがここの本質です。

生きるということは、大事なことです。美しく生きて、そして未練のない状態で死んでいかなければいけない。そうでなければ、人間はこの世界に、執着という心のゴミを残していくことになります。
今、人間は欲ばかりになってしまって、美しく生きるということを忘れてしまいました。だから木の花ファミリーは、美しく生きることを目指すのです。美しく、人のために。自らを美しくすると、人のために生きるようになります。そしてそういった人たちが多くなると、世の中は美しくなります。この世界はすべてが生命ネットワークの中にあるのですから、どんなに小さなミミズでも、微生物でも、すべてが役割を果たして無駄がないようになっています。そして自らが存在するために役割を果たしてこの世界に貢献すると、自分自身がその美しいネットワークの中で生かされるのです。

それを表現したのが、ここの生き方です。世界のエコビレッジの生き方といいますが、そんなものよりもずっと重くて、深い。でもこれが完成したら、21世紀の人類の見本になります。その見本の見本が、これ ──── 蜜蜂です。
巣箱の外に、蜜蜂たちの死骸があるでしょう。これは無駄になってはいません。存分に群のために働いて、そして終わっていく。個が全体のために完全燃焼するのです。その生涯は決して無駄にはなりません。それによって、群全体が次へとつながっていくのです。

私たちはとても大切なことをやっていると思っています。それは、誰かの評価を求めているわけではありません。重荷を秘めていた人がそれを吐き出し、当たり前に人々が軽くなって、癒されていく場を創ること。その自分の中で大切と思うことを、人生を通してやり切れるかどうか。その覚悟が本物であることの証として、今の社会からは評価されるばかりではない道を歩んでいます。それが真実であるためには、評価を求めるものではないのです。たとえ何の評価がなくても、自らの心は、濁ることがない。
その覚悟のもとに創る場の空気は、社会に多くのものを還元します。そして人々を、その存在の最終目的地である、悟りの地に導くのです。