人間は何故こんなにバカになってしまったのか ~ 勉強するのは何のため?

先日木の花ファミリーでは、8月15日に放映されたNHKドラマ「太陽の子」を観ました。太平洋戦争末期に、原子爆弾開発のための研究を続ける兄と、兵士として戦場に赴く弟の兄弟の物語です。番組を観終わった後、ジイジは子供たちに向けて、以下のように語りました。


ジイジ:
このドラマの主人公のお兄さんは、京都帝国大学の科学者です。そこでお兄さんたちが一生懸命研究していたものは、何だったでしょうか?

子供たち:
原子爆弾!

ジイジ:
そうだね。あの研究が完成すると、原子爆弾になります。原子爆弾は何をするためのもの?

子供たち:
人を殺すためのもの。

ジイジ:
戦争の兵器だね。戦争の兵器とは、人を殺すためのものです。
もう一つ、日本と一緒に戦争をしていた国がありました。ドイツです。ドイツでも原子爆弾の研究をしていましたが、アメリカの方が先にそれを完成させました。アメリカが先に完成させたから、あの戦争を終わらせるために、日本に原子爆弾を落としたのです。ドイツはその頃にはもう降伏していましたから、原子爆弾を落とす必要がありませんでした。でも日本は、なかなか降伏しませんでした。だから、原子爆弾を落としたアメリカの人たちは、「あの時に原子爆弾を落とさなければ、アメリカ軍が日本本土に上陸することになり、もっと多くの人が死んだだろう。だから早く戦争を終わらせ、死ぬ人を少なくするために原子爆弾を落とした」と言うのです。
日本でも原子爆弾の研究をしていましたね。もしも日本が先に完成させていたら、日本はそれをどうしたと思いますか?

みのり:
アメリカに落とした。

ジイジ:
アメリカに落としただろうね。飛行機の性能の問題もあるから、実際に落とせたかどうかはわかりませんが、アメリカに落とすことを目的としてその爆弾を作っていたことは確かです。そこにあるのは、原子爆弾を相手よりも早く作ったかどうかの違いだけで、どちらも相手の国のたくさんの人がいる場所で、それを爆発させようとしていたということです。
では、何のためにそんなものを作って、人がいる場所で爆発させるのでしょう?原子爆弾を誰もいないところで使っても、意味がないですね。あれはやっぱり、たくさんの人がいる都市で、人が作ったたくさんのものが壊されないと意味がありません。そもそも、戦争をするのは何のためですか?

みのり:
資源の奪い合い。

ひみこ:
幸せを手に入れるためとか。

なお:
領地を広げる。

みこと:
自分たちの強さを見せつけるため!俺たち強いだろう~って。(みんな:笑)

みかこ:
この番組の中では、エネルギーの奪い合いだって言っていたね。

ジイジ:
奪い合って、その資源を手に入れたらどうするの?

あきよし:
楽に生きる。

みのり:
お金を手に入れる。

ジイジ:
資源がたくさんあったらみんなが豊かになって幸せに生きられると思って、そのために戦争をするの?戦争というのは、他の国へ行って、その国の人をやっつけて資源を奪ったり、その人たちを使ったりして、いろいろなものを奪うことだよ。

みかこ:
実際に戦争をしている国だけではなく、戦争を仕掛けてそこに武器を売ってお金を儲けている人たちもいた。

ジイジ:
そういう人は、第二次世界大戦の頃は今からするとまだ少なかったのでしょう。でも明治維新の頃や、そのもっと前の戦国時代にも、外国の人々が日本に武器を売ってお金を得ていました。
第二次世界大戦は、日本が真珠湾を攻撃したからアメリカはその仕返しとして日本に宣戦布告し、最後には原子爆弾を落としてやっつけたということになっています。しかしその前からずっと、経済戦争というものがあったのです。今は戦争の代わりに経済を発展させて貿易をしていますが、これは形を変えた戦争です。
今、香港に住んでいるある人が、香港は中国の支配が進んで自由がなくなるから、早く外国に行きたい、できれば木の花ファミリーで暮らしたい、と言ってきています。もしかすると戦争が起きるかもしれないと、とても不安を感じています。実際に、中国は今東シナ海や、もっと南の南シナ海にまで軍事展開を進めています。もしも戦争になったら、中国があの辺り一帯を支配するでしょう。そういう状況が、今実際に起きているのです。

毎年夏になると、戦争のテレビ番組をたくさんやりますね。それは8月15日が終戦記念日だからです。日本が降伏して、人類史上最も悲惨な戦争が終わった日です。
今年は、戦争が終わって75年が経ちました。番組では皆、「戦争はよくない」ということを言います。原子爆弾で家族がみんな死んでしまったとか、自分も大やけどを負って大変な思いをしたとか、そういう話がたくさん出てきます。今日は、日本の戦後の賠償がまだ十分ではないということを取り上げた番組をやっていました。戦争に行った人たちやその家族には、戦後に国からの補償がありました。原子爆弾に被爆した人たちにも治療費などが支払われました。でも、例えば静岡県で空襲を受けた人たちには補償はありません。第二次世界大戦中には、日本全国のおよそ200か所で空襲があり、たくさんの人たちが亡くなりましたが、兵隊ではない民間の人々には補償がなかったのです。
当時、日本はほとんどの家が木造でしたから、たくさんの人を効率的に殺すために、アメリカは建物を焼き払う焼夷弾という爆弾を使いました。そして実際にたくさんの人が亡くなりました。それでこの時期になると、戦争で被害にあった人たちの話がたくさんテレビに出てきます。そして補償がなくても生きてきたと言います。国は兵隊やその家族には補償をしましたが、民間人への補償をするほどの力はありませんでした。もしもそこまでやったら、ものすごくたくさんの人々に補償しなければならなかったでしょう。同時にそこには、民間の人々は国民として政府と共に戦争を進めた、という考え方がありました。兵隊に行った人たちは国に雇われて戦場に行ったということで、家族も含めて補償が支払われましたが、国民は国と一緒になって戦争を進めたのだ、ということです。また、日本は外国でも戦争をしましたから、戦後は外国にもたくさんの賠償金を払わなければなりませんでした。賠償金とは、戦争に負けた側が、戦争の責任を取ってお金を払うということです。ですから国は、自分の国の民間人にはお金を払いませんでした。
この時期になると、「あの戦争で私たちは不幸になった」「アメリカが原爆を落としたからこうなってしまった」「戦争がなければよかった」という声がたくさん聞こえてきます。それはどういうことかと言うと、「自分たちは被害者だ」という立場に立っているということです。

ほとんどの人が、「戦争は絶対にやってはいけない」と言います。そう言っている人たちやテレビの番組を観ていると、「自分たちは悪くなかった」と言っているようにも観えます。しかし、考えてみましょう。アメリカはなぜ、兵隊ではない日本の民間人がたくさんいるところへ爆弾を落としたのか。爆弾だけではなく、機銃掃射と言って、民間人が乗っている列車などを戦闘機から機関銃で攻撃しました。人々が驚いて列車から降りて逃げようとすると、それを機関銃で一斉に打ち殺すのです。なぜアメリカは、民間人まで殺す必要があったのでしょうか?
それは、アメリカから見れば、当時の日本人は民間人でも、男も女も大人も子供も一億総動員で戦争に臨んでいたからです。学生たちは学校に行かず、鉄砲の玉を作る工場で働く武器の生産者でした。若い女の子たちは、アメリカ兵を殺すために竹槍で人を刺す訓練をしていました。そして本土にアメリカ兵が上陸したら、一億総玉砕と言って全員が死ぬまで戦おうと言っていたのです。
このドラマでは、まだ小学生のような女の子が「早く結婚して子供を産んで、お国のために捧げます」と言っていましたね。当時の日本では、兵隊が必要だから、女の子は1人5人は子供を産んで、大きくなったら兵隊にしてアメリカをやっつけようと言われていました。今の子たちが「今日どこどこでご飯食べる?」というような会話の代わりに、「早く結婚して子供を産んでお国のために立派な兵隊を育てましょう」ということを真面目に話していたのです。
それは敵国からすれば、たとえ若い女の子であろうが子供の男の子であろうが、みんな兵器と同じでしょう?ところが人々は、当時の状況を振り返り、「政治家や教育者たちが子供たちをそんな風にしてしまったんだ」と言って、政治や教育のせいにするのです。ジイジはそれを聞いていて、「違うな」と思いました。つまり、あの時代には、そういった政治家や教育者の話に「そうだ!」と賛同する人々がいたということです。

あの時代に、世界は戦争をしていました。そしてその時代には、それにふさわしい心の人たちが生きていたのです。今は日本は戦争をしていないと言いますが、でも実は、世界中で戦争は起きています。先日、超高性能なミサイルが開発されたことがニュースで報道されていました。広島の原爆よりもはるかに高性能で、1発打ち上げるだけで10発以上に分裂し、しかも飛行機で運ばなくても自分で宇宙空間にまで上がっていって、そこから正確に目的地へ向かって飛んでいくというのです。それに対して、「そんなものを作るのはやめようよ」という声が取り上げられることはありません。それどころか、そのミサイルを迎え撃つためのミサイルをさらに開発しようとしています。それが1発でも落ちたら、大変なことになるというのに。
バカじゃないのか。でもこのドラマの中では、京都帝国大学に通う頭のいいお兄さんが、一生懸命爆弾の開発をしているのです。頭が良くて考える方向を間違うと、そういうことになるのです。
今日はあきよしとなおが来たので、ジイジは二人に「しっかり勉強しなよ」と言いました。勉強は何のためにすると思いますか?

あきよし:
頭が良くなるため。

ジイジ:
頭が良いとはどういうこと?

あきよし:
勉強ができる。

ジイジ:
じゃあ勉強は何のためにするの?

なお:
社会に貢献できる人になるため。

ジイジ:
でも戦争の時代には、あの物理学者のお兄さんは、原子爆弾を作って日本の国に貢献しようと思っていたんだよ。
社会に貢献すると言っても、社会が狂っていたら、その社会に貢献することは間違ったことをすることになります。今の社会はどうですか?みんな勉強していますが、何のために勉強していますか?

みこと:
いい会社に入ってお金持ちになるため。

ジイジ:
じゃあお金持ちになってどうするの?

みこと:
ぜいたくな生活をする!必要以上のものをたくさん買うとか。

ジイジ:
戦争が終わって、日本やアメリカのような資本主義の国の人たちは、それをやってきましたね。

ともこ:
事業を起こしてもっとお金を稼ぐ。

じゅんぞう:
不安のない暮らしをする。

ともこ:
政治家に献金して国を動かすとか。

ジイジ:
けっこう悪だくみだね。(みんな:笑)みんな笑うけど、戦争が終わった後、そういうことをいいことだと思ってやってきたんでしょう?戦争にはもうこりごりだと思って、社会を良くしよう、豊かになろう、たくさん物があって自分の好きなことができて言いたいことを自由に言えて自分の願いが叶う社会を創ろう、と言って、今の世の中ができたんだよ。
ドラマの中では、女の人が「戦争が終わったら教育が大事だ」と言っていましたが、そうやって教育をしてきた結果、今の世の中はどうですか?

みのり:
良くない。

あきよし:
お金がないと生きていけない。

ジイジ:
お金がないと幸せになれない、お金があれば必要のないものまで買って幸せになれる、それが豊かさだと言って、今や海の中はマイクロプラスチックという回収できないゴミでいっぱいです。そして地球温暖化で、記録的な雨が続いたかと思えば、今は記録的な猛暑です。9月になれば今度は台風が押し寄せてくるでしょう。それはみんな、人間のせいです。
去年から今年にかけて、アマゾンでもオーストラリアでもシベリアでも大規模な森林火災がありました。シベリアの火災では永久凍土が溶けて、さらに温暖化が進むと言われています。
そんな中で、もうこんな生き方を続けていてはいけないね、自分さえ良ければいいという考えは捨てなきゃいけない、みんなで仲良くしなければいけないね、だって地球という一つの家に暮らしているのだから、という考えになる人は、なかなかいません。今、世界でも大きな力を持っている国であるアメリカと中国は、とても敵対しています。そして日本もアメリカと同じです。
日本は核爆弾を持っていないでしょう?でも、実際は核の力で国が保たれているんですよ。何故かと言うと、アメリカがたくさんの核爆弾を持っていて、そのアメリカの仲間になることで「日本に何かあったらアメリカの核が攻撃するぞ」とアメリカの核の傘の下で守られているというのです。

みのり:
じゃあ非核三原則は嘘ってこと?

ジイジ:
非核三原則は、日本としては核を持っていないというだけの話で、実際はアメリカとの国際条約の下に、核によって日本は守られている、ということになっています。だから、日本は核兵器禁止条約には署名していません。唯一の被爆国でありながら、核兵器を禁止しようという条約には賛成しないのです。

子供たち:
え?なんで??

ジイジ:
おかしいでしょう。何故なら実際はアメリカの核に守られているから、核がなくなっては困るのです。日本人の中でもいろいろな人がいますから、核は無くすべきだと言う人もいますが、政府としては核に反対しない立場だということです。
それでね、なぜ勉強する必要があるのか。勉強するということはどういうこと?

みのり:
知識を覚える。

ジイジ:
知識をたくさん知るということは、ものを知るということでしょう?たくさんのものを知るということは、考える時にそれだけたくさんの情報があるということです。そしてたくさん考えるから、脳が活性化されます。そうすると、より考えられるようになるのです。
そこで「どうせ私は勉強ができないから、好きなことだけやっていればいいわ」となると、脳はどんどん衰退して、物事を考えない人になります。自分の好きなことだけに頭を回して、後は何も考えなくなるのです。科学者の人たちは頭が良いですね。コンピューターやAIを駆使してお金儲けをする人たちも、すごく頭が良いです。そしてその考えを実現しています。でも今は、それが良い世の中を創ることにつながっていないでしょう?だから不安だらけの世の中になっているのです。みんなお金のことばかり、自分が得することばかり考えている。最終的には自分の国の利益、即ち国益というもののためだけに世の中が動いています。
今日、あきよしとなおにこんな話をしました。自分の家があって、家族と一緒に住んでいるとします。自分の部屋は1階にあって、2階にいるなおが気に入らないから爆撃してやろう、とは思わないでしょう?2階を爆破したら家に穴が開いて、自分の部屋にまで雨漏りするようになります。それは極端な話ですが、一つの地球で暮らしていながらいがみ合っているとは、そういうことです。でも21世紀になって今もまだ、人間たちはそういうことを地球上でしているのです。バカみたいでしょう?

しっかり勉強をするということは、頭が良く働くようになるということです。そうしたら、いろんな情報が入ってきた時に、ただぼーっと聞くのではなく、「それってこういうことじゃない?」「どうしてそうなったのかな?」という思いが浮かんで、いろんなことを考えられるようになります。「本当にそれでいいの?」ということを考えられるようになるのです。
これからは、そういう人たちがたくさん出てこなければなりません。でも今は、お金とモノのことばかりで、物事を考えているようで考えていないのです。幸せといえば、お金があって豊かに生きられることだと思っています。だから地球温暖化が進み、環境が汚染され、他の生き物がどんどん死んでいくのです。でも本当は、他の生き物がみんな健康で生きているからこそ、人間も健康で幸せに生きられるのです。
人間は能力が高いのだから、本来は地球規模で全体のバランスを考え、行動できるものでなければいけなかったのです。けれども、文明の発祥から現代につながる約6500年間の歴史は、そうではありませんでした。これから人間が本物の価値を見出し、本当に良い世の中 ──── 人間だけではなくすべての生命にとって良い地球創りをする時代が、宇宙的には既にやってきています。
そういうことをパッと感じ取れる能力が大切です。ドラマにアインシュタインの話が出てきましたが、彼は人類史上最高の頭脳を持った人と言われています。原子爆弾は、太陽のメカニズムを利用した兵器だと言われていましたね。太陽のメカニズムとは、宇宙の仕組みです。太陽は核融合を続けて光を発し、私たち生命の命のもとになっています。その、私たち生命にとって神様のようなエネルギーを、人間が賢くなって科学的に分析し、爆弾にしてしまったのです。そして今も、その爆弾によって世界の平和が保たれているのです。

おかしいでしょう?平和というのは、相手をやっつけたり物を壊したりしない世界のことです。平和を保つためになぜ爆弾が必要なのか。どうしてこんなことになったのか。これからどうしていったらいいのか。人間は今、考える必要があります。
人間以外にもたくさんの生命がいますが、では動物や植物が考えているだろうかというと、考えて生きてはいません。何で生きていると思いますか?

みのり:
本能。

ジイジ:
そうだね。本能で、とても真剣に生きています。本能とは、命として生まれた時に一番初めに必ず持っている能力です。「自分だけいい思いをしたい」というような余計な思考はそこにはありません。本能とは、余分なもののない美しい能力です。それに対して人間は、どうやってお金を稼ごうかというような余分なことばかり考えています。そうやって余分なことばかりに思考が回っていると、人のことを考えなくなるのです。
地球は、本能のままに生命が生き、それが循環する美しい世界のはずでした。しかし人間がそれを破ってしまったがために、美しくない星になってしまいました。だから今、毎日が異常気象になっています。コロナウィルスも蔓延し、人々は将来が不安で仕方がありません。
だから、考える人になることが大切です。その考える時に、方向性を間違ってはいけません。では、何を基準にするべきか。それは、なぜ地球があるのか。そしてそこに生命があることによってこの世界に美しい循環がもたらされているとしたら、宇宙の中でも特殊な存在である私たち生命は、その大本の原理に基づいて生きるべきなのです。

この「太陽の子」というドラマでは、今から75年前に戦争があった時に、人々は自分の国のことだけを考えていました。自分の親や奥さんや子供がいたら、その人達を守るために、僕はアメリカの兵士をやっつけますと言っていたのです。兵隊さんだけではなく、普通の女学生や子供たちでもそう考えていました。そしてみんなで協力して国が一丸となり、兵器を作って戦争をしていたのです。
そうすると、被害者はどこにもいませんね。自分は被害者で酷い目にあったから補償をしてほしいと今も訴える人々がいますが、あの時代を生きていた人たちは、みんなでその状態をつくっていたのです。
今、日本で戦争をしている人はいません。だから平和な世の中になったと思っているかもしれませんが、実際には出世競争だったり経済戦争だったり、それどころか海外の戦争に加担しています。戦争は、強い国が自分の国の利益を上げようとして、その思惑の下に対立が生まれることですから、日本人も実は戦争をしています。ただ自分たちが直接やっていないというだけのことです。そういうことも含めて考えられる人にならないと、本当に世の中のためにはなりません。

ジイジは最近、ちょっと怒っています。人間はどうしてこんなにバカになってしまったのでしょう。
ちょっと考えればわかることでしょう?だって大人は子供たちに、「みんなは一人のために、一人はみんなのために」と教えて、みんなで仲良くしなさいと言うのです。それなのに、スポーツでは相手を負かして自分だけが賞金を得ようとして、スポーツの世界ですらお金のことばかりです。どこか狂っているでしょう?
その狂った世界を元に戻したい。そう思って、ジイジは毎日生活をしています。そして今ここにいるみんなは、そういうことを大事だと思う人たちだろうと思います。大切なのは、みんなが本当にその気になることです。特に子供たちは、これから未来を生きなければなりませんが、このまま放っておくととても住みにくくて大変困った国になるどころか、地球全体がそうなります。だからそれを、今から改めていかなければなりません。

何よりも、いずれ誰もが、必ず死を迎えます。その時に、自分は良いことをしていると思っていたら実は世の中を悪くしていた、という人は、魂として良くない状態で旅立つことになるのです。
いつか死を迎えた時に、ああ、自分はいい人生を生きた、本当の意味で世の中に貢献をして、悔いは何もない ──── そう思って旅立てる人に、みんなにはなってもらいたい。そう願っています。

 


あなたが人間である限り 〜 2018年終戦記念日を迎えて

8月12日の夜、木の花ファミリーでは「この世界の片隅に」という映画を皆で観る時間を持ちました。7月21日から韓国の7人の子どもたちが木の花ファミリーに滞在しており、その上映会には韓国の子どもも参加していました。その翌日の子どもミーティングでは、ジイジから日本と韓国の子どもたちに向けて、この映画を観たことを受けて戦争について話す時間がもたれました。

子ども達に話をするジイジ
通訳に耳を傾ける韓国の子ども達

あなたが人間である限り
〜 2018年終戦記念日を迎えて 〜

ジイジ:
今日は8月13日です。日本では、8月の13日・14日・15日にはお盆休みを迎えるのですが、これは仏教の盆会で、亡くなった人の魂を家に迎えるということをします。亡くなった人はいなくなってしまったのではなく、魂としてどこかにいると言うのですが、本当にいるかどうかというのは考えものです。それはなぜかと言うと、生きることは明日という未来へ向かって進むことです。それを止めることはできません。それは、私たちは時間と共に生きているからです。皆も、10年経って、20年経って、30年経って、67年経つと、ジイジのようになるのですよ(皆、笑い)。もうしばらくすると、ジイジも、形としては消えてしまいます。そうすると、皆の中のどこにいるかというと、おそらく心の中にいると思うのですが、形はなくなります。

それで、私たちは生きている間にいろいろなことをしますね。そうすると、その人の思い出がまわりの人たちに残ります。それが皆の心の中にたくさん残っている人は、死んだ後でも、皆の中にいつまでも生きています。悪いことばかりしていたら、それも残ります。そして、大した行いをしていない人は、すぐに忘れられてしまうのです。たとえば、100年経ったら、ほとんどの人たちは忘れられてしまいます。しかし、100年経っても忘れられない人もいます。それはどんな人ですか?

ゆうとう:
歴史上の人物!

ジイジ:
そうですね。それは、お釈迦様やイエス・キリストのような聖人と呼ばれる人たちのことですね。それで昨日、皆で「この世界の片隅に」という映画を観ましたね。あのような戦争があり、今からちょうど73年前に戦争が終わったのです。実は、ジイジも戦争を経験したことはありません。戦争が終わって6年経ってから、ジイジは生まれました。ジイジのお父さんやお母さんは戦争を経験しています。

あの映画を観て、皆はどう思いましたか?

みこと:
戦争の映画って聞いていたから、怖いのかなと思ってあまり観ようと思わなかったのだけど、観たら意外と面白かった。

ジイジ:
日本では8月15日が終戦記念日です。だから、このお盆と終戦記念日がちょうど重なっているから、亡くなった人たちのことや戦争のことを振り返るという意味で、この時期には毎年戦争に関する特集や映画がテレビで放映されます。今までは、戦争はとても悲惨な出来事で、たくさんの人が戦場で亡くなったということが取り上げられていましたが、昨日の映画は少し違っていました。その戦争が行われている時代にも、人々が笑ったり冗談も言いながら日常生活を過ごしていたことが描かれていましたね。

しかし、そもそも外国の人が日本に飛行機で飛んできて、爆弾を落とし、最後には原子爆弾というとてつもなく大きな爆弾を落とし、何十万人という人が死んだのです。ところが、同じ時に日本が外国へと行き、たくさんの人を殺していたのです。そのことを皆は知っていましたか?

(「知っている」と答える子どもたちと、「知らない」と答える子どもたちに対して)

知らない人もいますね。だから、戦争のことは皆、知らないといけないのです。

一昨日の晩、まりちゃんが「関ヶ原」という映画のDVDを借りてきてくれて観ました。それは、1600年のことですから、今から約400年前の戦国時代に、日本の武士たちが戦っていた映画でした。その時代には、日本人同士が殺し合っていたのです。

それから300年を経て、今度はアメリカや外国の人たちと日本が殺し合っていたのです。さらに、日本も外国へ行き、たくさんの人たちを殺したのです。単に殺したといってもよくわからないかもしれませんが、どうして戦争が起こるか知っていますか?どういう心の人が戦争を起こすか、皆はわかりますか?

あやな:
自分の欲が大きくなって、戦争になる。

ジイジ:
どういう欲が大きくなるのでしょうか?

ゆうとう:
「僕がいっぱい儲けてやる!」「世界中を支配してやる!」という欲!

ジイジ:
「僕がいっぱい儲けてやる」と思ったとしても、それは戦争をしなくても、商売をすればいいのです。何も戦争をする必要はありません。

みのり:
自分の意見と他人の意見が分かれたものが大きくなったもの。

ジイジ:
それが何ですか?

みのり:
喧嘩!

ジイジ:
自分の意見と他人の意見が分かれて、それが大きくなったものが喧嘩で、喧嘩がひどくなると戦争になるのです。皆は昨日の映画を観て、楽しかったですか?

みのり:
ううん。楽しいわけがない。

ジイジ:
ジイジもすごく悲しかったし、戦争に腹が立ってきました。あの小さい女の子が吹っ飛んで死んでしまいました。おそらくあの状態だと体はバラバラになっています。映画の主人公であるすずさんの右腕は手首から先がなくなってしまいましたね。

あきよし:
あれは何だったの??

ジイジ:
たとえば、飛行機は、頭が良い人が作るのです。飛行機に爆弾を積んで、運んで、落として、破裂させるのも、頭が良い人が計画をするのです。「こうやったら大きく破裂して、たくさんの人が死ぬぞ!」ということで、「そういうものを作ってくれ!」と誰かが頼んだら、それを工夫して頼んだ人の願いを叶えてあげたら、お金がたくさんもらえるのです。それで、たくさんの人を殺すことをそういった人たちは一生懸命考えてやるのです。さて、あの女の子が死んでしまった爆弾はどういうものだったのでしょうか。

すずさんと姪っ子のあの女の子が、空襲が終わった後に、軍港である呉市の港を見に行きましたね。そのときに、爆弾が落ちてできた穴のそばに行ったのです。つまり、海岸はすべて塀があって見えなかったのに、爆弾が落ちたからそこが壊れて見える状態になっていました。「ここから見えるよ」と言って港を見ていたら、おじさんたちが「爆弾の不発弾は時限爆弾だから気をつけるんだよ」と遠くから呼びかけていました。大きな爆弾を落とすと、それはドーンと爆発します。その破裂した大きな爆弾の中に、破裂しない小さな爆弾をいくつか入れておくのです。

子どもたち:
えっ!? なんで??

ジイジ:
それは、大きな爆弾が爆発すると、まずそれが破裂して破壊しますね。そのときに破裂した爆弾の中に、破裂しない爆弾が入れてあって、そこに残るのです。時限爆弾というのは、時間が来ると破裂するのです。だから、飛行機が飛んで来て、爆弾を落として、飛行機が行った後に皆が出てきて、「空襲が終わってよかったね」と言って外の様子を見に行ったら、「時限爆弾があるから気をつけなよ」というおじさんの発言につながるのです。あのとき、すずさんはそれが聞こえなかったから、「お疲れ様」と言って塀から海岸を覗いていたのです。そのときに、そこに落ちていた時限爆弾が破裂したのです。

そこでジイジが思ったのは、「それを考えた人は頭が良いな」ということです。なぜなら、破裂しない時限爆弾を残しておいたら、空襲が終わって安心して外に出る人たちをもう一度やっつけられるからです。だから、ジイジはそれを考えた人のことを思うのです。爆弾を破裂させただけでは皆をやっつけられないから、空襲の後に様子を見に来た人たちも時限爆弾でやっつけようと考えるのは、賢いと思うのです。

戦争の場所というのは、実際に爆弾やいろいろな武器を使って相手をやっつけます。それは、そういった人を殺したり物を破壊したりするものがどのくらい効果があったのかという実験場でもあるのです。だから、原子爆弾も、人間が住んでいる都市の上に破裂させると、どのくらいの破壊力があって、どのくらいの人が、どのくらいの期間に死ぬのかというデータをすべて集めているのです。そして、そのデータを次の爆弾のために活かすのです。よりたくさん、より効率良く、人を殺すことを考えるのです。それは、頭が良い人でないと、そういった工夫はできません。

皆は、学校の勉強をしていますね。学校の勉強をして、将来大きくなって、大きい会社へ入って、そこで良い製品を作って、それがたくさん売れたら、お金をたくさんもらえますね。その会社が爆弾を作る会社だったら、効率良くたくさんの人を殺す爆弾を作ったら、お金をたくさんもらえるのです。

たとえば、食べ物が安全でないものなのに、皆がたくさん食べたがるようなものをたくさん作るとします。そういう食べ物はコンビニなどでたくさん売られていますね。そうすると、安全でなくても、皆がたくさん食べたがるものを作ったら、会社は儲かって、これを作った人たちは給料をたくさんもらえるのです。だから、体に良いものではなくても、人がたくさん欲しがるものを作れば、お金になるのです。そういった食べ物をいつも食べないといられない人も出てきます。これを中毒と言います。そういった中毒の人がたくさん出てくるような食べ物を作れば、会社は儲かりますね。そして、それを考えた人はお金がたくさんもらえますね。お金がたくさんもらえたら、その人は優れた人になります。頭が良い人ですね。

そこで、戦争の話をもうひとつ話します。「悪魔の兵器」と言われるものがあります。

子どもたち:
何それ??

ジイジ:
名前は「クラスター爆弾」と言います。クラスター爆弾というのは、まず飛行機が爆弾を落とすときに、最初の爆弾は一つです。そうすると、途中でそれが破裂して、いくつかになります。たとえば、最初の爆弾が落ちると、それが破裂して、100個になります。そうすると、100箇所に広がっていくのです。そのうちに、その100個になった爆弾が、さらに破裂します。そうすると、それがまたいくつかになるのです。

このクラスター爆弾をインターネットで調べると、「広範囲に効果を及ぼすこの無差別兵器は、人口の多い地域で用いられると、特に危険。薄い膜で覆われた大きな爆弾には、10kg以下の小型爆弾がだいたい100個詰められている」とあります。それがドーンと落ちて破裂し、そこからたくさん広がった爆弾が、さらに破裂して広がるのです。最終的には、手榴弾ぐらいの大きさに分かれて、それが爆発するのです。そうすると、広範囲に破片がいっぱい飛んで、中に金属の玉が入っているのでたくさんの人を広範囲に効率良く殺せるのです。

ジイジはこういうものを知ると、「これを作った人は頭が良いな」と思うのです。こういうものを考える人は皆、学校で勉強がよくできた人たちです。だから今、学校で勉強ができる人に対して、「あなたはすごいですね」とは僕は思いません。勉強ができる人たちが皆、こういうことを考えるのですから。そして、お金をたくさんもらえて、良い生活ができるから、こういったものを考えて作るのです。

クラスター爆弾の他にも、「ナパーム弾」と呼ばれる爆弾があります。インターネットでナパーム弾について調べると、「主燃焼材のナフサにナパーム剤と呼ばれる増粘剤を添加してゼリー状にしたものを充填した油脂焼夷弾。アメリカ軍が開発したもので、きわめて高温(900-1,300度)で燃焼し、広範囲を焼尽・破壊する」とあります。昨日の映画でも描かれていたように、花火のように火がついてヒューッと落ちてくる焼夷弾と同じです。すずさんの家の屋根を突き抜けて落ちて燃えていたのを、すずさんは消そうとしていましたね。しかし、あれは油だから消せないのです。油は水をかけたって、広がるだけなのです。アメリカはベトナム戦争でナパーム弾を用いて、多くの村や森林を燃やしました。また、「人体についたナパーム弾は落とすことが困難で、広範囲のやけどをもたらし、犠牲者は痛みによるショックでしばしば命を落とした」とあります。べっとりとくっついたら、もう取れないのです。そうすると、相手の人をよりたくさん苦しめてから、殺すのです。頭の良い人はそうやって効率の良いものを考えるのです。いっぺんに殺してしまうとそれで終わりです。でも、苦しんでいる人がたくさんいると、それを手当てする人も必要なわけです。だから、その現場がより大変な状態になるのです。たとえば、負傷した人たちがたくさん出て、その人たちが助けを求めていたら、その人たちを看病する人たちがいります。そうすると、そのまわりにいる元気な人たちも戦うことはできません。そして、負傷者が多くなると、その人たちの戦う気力もなくなっていきます。「なるべく苦しませて、死なせないように」という効果をもたらす武器を作る人たちは、頭の良い人たちです。

昨日観た映画は第二次世界大戦を描いたものですが、このような兵器は戦争をやるたびに、「もっと相手を傷つけるように」「もっと強力な兵器で効果が上がるように」という目的でどんどん進化していったものです。今なお、このような戦争の道具は、さらに効果が高いものを作るために研究されているのです。それを誰が研究しているのかというと、学校で勉強ができた人たちなのです。

もうひとつ、戦争のことでひどい話があります。東南アジアにカンボジアという国があります。ベトナムでもそうですが、特にカンボジアという国は国の中で内戦がありました。カンボジア人同士で戦ったのです。そのときに「地雷」というものをたくさん埋めたのです。

みのり:
足が吹っ飛ぶもの?

ジイジ:
そうですね。昔の地雷は、地雷が爆発すると、ほとんどそれを踏んだ人は死んでいました。ところが、今の地雷は、死なないのです。死なないように作ってあるのです。たとえば、足だけが吹っ飛んでしまったほうが苦しいですよね。その人が歩けなくなったら、その人を看病する人が必要になりますから、他の人の戦力がそこに取られてしまいます。だから、そんなに強い爆発をさせないようにして、負傷した人をいかに増やすか、ということを考えた兵器なのです。

かのこ:
え――!!

ジイジ:
今、かのこは「え――!!」と言いましたが、相手をいかに苦しませて、戦えないようにさせるのかを考えるのが、兵器の目的です。相手が苦しいことを平気で考えるのが、兵器の目的なのです(チーン♪)。

なぜ、ジイジは昨日の映画を観ていて腹が立ったのかというと、あの映画は日本が攻撃されている映画ですね。なぜ、日本は攻撃されたと思いますか?

みのり:
喧嘩を売ったから。

ジイジ:
そうです。そもそも、外国とあんな戦争を始める国だから、そのような攻撃を受けたのです。しかし、人というものは、自分が攻められると自分がかわいそうで、攻める側が悪くて、攻められる自分はかわいそうだと思ってしまうのです。そういう一方的な見方だけをしてはいけません。自分の側が正しいとか、自分の側がかわいそうと思うだけでは、本当のことはわかりません。相手には相手の考えがあるのです。大切なことは、両方の考えを聞いて、喧嘩をしなくてもいいようにすることが大切なのです。

ここで、もうひとつ大切なことは、戦争は今でもあります。どこでそれが起きていますか?

みのり:
世界で。

ジイジ:
そうです。地球で起きているのです。地球の中の誰が起こしているのですか?

子どもたち:
人間!

ジイジ:
では、人間以外のもので戦争をするものはいますか?

子どもたち:
いない!

ジイジ:
人間だけですね。皆はその人間の仲間ですね。皆が「自分が正しい」とか「自分だけがかわいそう」と、自分のことばかり考えていたら、それが戦争の元になるのです。だからジイジは、「もっと広い意識の心を持ちましょう」といつも伝えています。

今、人間というこの馬鹿な生き物が地球にいて、戦争のような行いをするのです。人間はそこから勉強すればいいのですが、こういう馬鹿な戦争をして、その結果それを元にして、さらにひどい爆弾を作ったりするのです。さらに自分の都合の良いことを考えるのです。それでは、いつまでたっても平和な世の中は来ませんね。

子どもたち:
うん。

ジイジ:
自分のことばかりを考えるのではなく、皆のために良い世界を創ればいいのに、とジイジは思うのです。

みのり:
みのりもそう思う。

ジイジ:
でも、学校で、自分のことしか考えていない人たちがいっぱいいるでしょう?木の花の中でも、自分の都合だけを考えている人はいませんか?そういう人たちがこういう生活をしていても、似合いませんね。

それで、日本は戦争をして、300万人の日本人が死にました。1945年に戦争が終わって、その5年後の1950年に、そこにいる韓国の子たちが住む朝鮮半島でまた戦争が起きたのです。朝鮮戦争があったのは知っていますか?それはジイジが生まれる前の年に起きた戦争です。そのときには、今の北朝鮮と韓国のある朝鮮半島全部が戦場になったのです。朝鮮の人たちは日本よりも人口が少なかったのですが、その戦争で400万人の人が死んだのですよ。そのときに、日本よりもさらに不幸だったことは、北と南に分かれた同じ朝鮮の人たちが戦ったのです。だから、日本でいうと、北海道や東北の人と、九州や四国・大阪の人が戦ったということです。同じ民族の人たちの間で戦いがあったのです。それで、人々の関係が近いから、余計に憎しみが強くなったのです。それは、とても悲惨な戦争でした。

今も、国境が朝鮮半島の真ん中にあって、北と南に分かれています。それで北朝鮮は原子爆弾を作り、まだ戦争は終わっていないのです。あれから何十年も経ったのですが、戦争は停戦ということで戦いはありませんが、まだ終わっていません。

そういったたくさんの歴史を振り返ると、人間は馬鹿だと思うのです。それで、人間を観ていると、頭が良いのか馬鹿なのか、どちらか分かりません。それでも、そういった人たちと自分は同じ人間なのですよ。だから、ジイジは皆にこういう話をしたいのです。

あなたが人間である限り、その心の持ち方によっては、戦争を起こす人になります。でも、あなたが人間である限り、その心の持ち方によっては、平和で豊かな幸せな世界も創れるのです。

そのときに――、先程誰かが言っていましたが、戦争の元の心は何ですか?

みのり:
自己中心の心。

ジイジ:
そうです。自分のことしか考えない心です。相手のことなど考えない。そこで、皆は今、このように毎日を生きていますね。どこに生きているのかというと、一つの地球に生きているのです。そして、地球は動いています。地球という一つの乗り物に乗って、私たちは宇宙を一緒に旅しているのです。この地球に命がたくさんあるのは、なぜだと思いますか?どうして地球に命がたくさんあるようになったと思いますか?

なお:
空気があるから。

ジイジ:
そうですね。他にはどうですか?

ゆうゆ:
水があるから。

子どもたち:
太陽があるから!

ジイジ:
そうです。太陽が命の元になっているのです。あとは?

なお:
海があるから!

ジイジ:
海があるということは、水ですね。海からはじめの命は生まれました。もう一つあります。それは、風です。風は空気をかき混ぜて、地球全体にいつも新鮮な空気を送るようにしています。この地水火風空の5つの自然の要素があるから、地球には命があるのです。これはすべて、一つです。大地も一つです。水も一つです。火というのは太陽のことで、太陽も一つです。風も空気もすべて一つです。その中心の太陽があるから、すべてが命の循環としてつながり、人間や他の生き物の命が健全にまわっているのです。そうすると、みんな一つだとしたら、「あなたは何者ですか?」と質問されたら、「私は光です」ということになりませんか?それは、私たちは太陽の子どもだからです。「あなたは何ですか?」と聞かれたら、「私は水です」ということになりませんか?なぜなら、私たちは水でできているからです。そこで「大地です」と答えたら、それは私たちが大地の子どもだからです。皆、大地から生まれてきた命を食べて、生きているのです。「風です」と答えたら、風のおかげで私たちは健康に生きられるからです。風がなければ、この世界の命は弱くて、育つことができません。そして、「私は空気です」と答えたら、空気がなくて生きていける人はいませんね。空というのは空間のことも示しています。この空間があるから、皆、生きていられるのです。

そこで、自分と人は違うとか、自分のことしか考えないという人がいるとして、そういう人たちがこういう考え方を持てば、皆同じということに考えが変わると思いませんか?皆、こうした自然の要素の子どもなのですから。

その前に、今日一番最初に話したことで、皆、同じ時間の上にいますね。地球上にいる限り、そして宇宙空間にいる限り、皆、同じ時間を生きているのです。だから、皆、同じ時の人なのです。皆、時間の子どもなのですよ。地球上に存在する命はすべて、地球という宇宙船に乗って宇宙を旅しているのです。

さらに、地球というのは、地球だけで宇宙に存在しているわけではありませんね。そうすると、太陽や地球と同じ仲間である惑星と共に、太陽のいろいろな働きを手伝いながら、宇宙空間を旅しているのです。ですから、他の星も仲間なのです。

ここでもう一回、なぜ戦争が起きるのかを考えてみると、たとえば戦争をするときに、戦場にはほとんど男の人が行きますね。そうすると、そのときに、「自分の家族を守る」とか「自分の国のために」と思って戦うのです。そこで、自分の家族を攻撃する人はいません。なぜなら、家族は身内といって自分の内にある存在だからです。そうすると、他人の家族なら殺してもいいのですか?

子どもたち:
ダメ!

ジイジ:
では、外国の人なら殺してもいいのですか?

みのり:
No, no, no, no!

ジイジ:
でも、もしこのことがわかっていたら、地球の生き物はすべて、家族です。それで、25年前、富士山麓に木の花ファミリーができたのです。最初は「木の花農園」でしたが、最終的になぜ「木の花ファミリー」になったのかといえば、皆が血縁を超えて暮らしているからファミリーになったのではありません。同じ地球上で同じように生きているということは、皆が家族だからです。それは、外国とか日本ということではなく、地球上にあるすべての命が家族だということです。

ここでさらに大切なことは、戦争というものは、人間と人間がするものですね。その戦争は良くないということになりました。では、人間がわがままになって、ぜいたくをして、まだ食べられるものをゴミにして捨てたり、毒を自然に撒いたとします。

ここにプラスチックのコップがありますが、これはとても便利が良いものですね。こういうものを使って、いずれそれをゴミとして捨てると、これは長いこと経つとだんだんひび割れて、小さくなって粉になっていきます。さらにすごいことがあります。歯磨き粉には研磨剤という小さなプラスチックが入っています。それから、化粧品や日焼け止めクリームの中にはとても悪い成分がたくさん入っているのです。今、ハワイではサンゴ礁への有害性が指摘される物質を含んだ日焼け止めの販売や流通を禁止する法案が州知事によって署名されました。

でも、人間は良い生活をするためにそういった便利なことを考えるのです。それは、誰が考えるのですか?頭の良い人が考えるのです。そして、勉強ができる結果、いろいろなものを開発し、便利な生活を世の中に提案して、お金にするのです。その結果、たくさんの自然の生き物は、知らない間に死んでいくのです。つまり、戦争をして人間同士が殺し合っているだけではなく、「何も悪いことはしていない」と思っている普通の人たちが、自然にはないものをたくさん使い、それを何も考えずに捨てると、それがすべて自然にまわって、いろいろな生き物を殺していくのです。しかし、地球はいろいろな生き物がバランスよく生きているからこそ、健康な場所であるのです。人間がそうやっていろいろなものを殺してしまうと、自然のバランスが壊れてしまうのです。そうすると、人間たちも暮らしにくくなるのです。

先日、西日本豪雨の被害がありましたが、今日はここ富士宮市でも土砂災害避難勧告が出されました。日本なのに、韓国になってしまいました(チーン♪)。ジイジがここに来てから25年目になりますが、昔はこんなにひどい雨が降ることはありませんでした。最近の台風も変ですよね。たくさん発生していますし、猛烈になってきています。それは、地球が変になってきている証です。それはなぜだと思いますか?

かのこ:
それは人間が地球にしていることが原因です。

ジイジ:
人間が地球に変な影響を及ぼすような生活をして、そして「自分だけ良ければいい」という考えの人がたくさん集まって、地球が暖まり、台風が猛烈になって、雲がたくさんできて、雨がたくさん降って、人が死ぬのです。それは、人間が人間を殺しているようなものだと思いませんか?今の人間は皆、知らないけれど、地球を変にしているのです。

今日は、戦争の話をしようと思ってこの場に臨んだのですが、戦争のほうがわかりやすいですね。人と人が殺し合って大変なことになるのです。普通の人が「私は戦争なんかしていません。悪いことは何もしていません。お巡りさんにも捕まることはありません」と言いながら、他の生き物をたくさん殺したり、それどころか、「おいしいものを作ったから食べてね」と言って、そこには添加物や毒がたくさん入っていて、そういったものを長い間をかけて食べていると、それが原因で病気になって死ぬこともあるのです。癌が発生するのは、食べ物が原因で起こることが多いのですよ。そうしたら、食べ物を作っている人が癌ができる食べ物を作り、結果、人を殺しているのです。それは、誰がやっているのかといえば、頭が良い人です。学校で勉強ができる人です。

だから、皆は一生懸命勉強して、これからはそういった人にならないように、戦争が起きないように、他の生き物に迷惑をかけないように、地球がどんどん変になっていかないように、そしてそれを直していける人になってもらいたいと思うのです。今までの人間は、結果として悪い世の中にするために生きていたのです。だから、ジイジはあの映画を観て、嬉しくありませんでした。被害者のような顔をしている何でもない女の人や子どもたちも皆、地球に良くない生き方をしているのですから。

これからの時代を生きていく皆さんは、そこをよく考えて、もっと深く観て、世の中にあるいろいろなことに自分が関わっているのかどうかを観える人にならないといけません。それは、浅く物事を観ていたらわかりません。ジイジはそういうことを皆に気付いてもらうために生きています。いつまでも生きていませんが、生きている間は皆にそういうことをわかってもらうために生きています。でも、いつかは死にますからね。死んだ後は、皆にはそれを受け継いでいってもらいたいと思います。そうでなければ、地球は人間のために不幸な星になってしまいます。

地球はとても大切な星です。そして、人間は本来尊い存在なのです。

しかし、人々の暮らし方が今のままで進んでいけば、あのような戦争をやるどころか、他の生き物をすべて殺してしまいます。そして、自分たちにも不幸な世界を創ってしまうのです。そういった行いをするもののことを馬鹿というのです。私たちは馬鹿ではいけませんね。

子どもたち:
うん。

ジイジ:
ということで、今日は戦争の話をしましたが、戦争というのは爆弾や鉄砲で打ち合うことだけが戦争ではないのです。知らないで、自分のことしか考えない心を持っていたら、それはすべて戦争の元です。皆で一緒に生きていて、皆が同じものの子どもですよね。そして家族ですよね。

みのり:
うん。

ジイジ:
皆、地球の細胞のようなものなのですから、みのりの中の細胞がみのりの役に立たなかったら、そういうのを癌細胞というのです。だから、木の花ファミリーでたくさんの人たちが助け合って、幸せで豊かな世界を創っているとしたら、それにまったく合わないような人がここにいたら、木の花ファミリーの癌細胞です。今、人間はまさに地球の癌細胞です。しかし、それでは人間の価値はありませんから、地球を良くする良い細胞にならなければいけません。今の人間たちの地球上での生き方・行いは、地球にとって癌細胞です。ですから、大人の言うことをすべて聞いて、それをすべて勉強して、大きくならなくてもいいのです。もっと違う角度から、本当に皆が喜べる世界を創るためには、新しい発想がいるのです。皆さん、勇気を出して、新しい時代を生きるものとして、自分の中から湧き出してくる考えを大切に生きてください。

そういったことを思いながら、そしてこの時期に戦争の映画を皆で観ながら、「戦争で犠牲になった人たちはかわいそうだね」という浅い発想の捉え方を超えて、すべての人間がそういった悲惨な戦争を引き起こしている種を持っていることを知らないといけません。真実は、皆が戦争をつくってきたのです。その犠牲者たちだったって、戦争を引き起こしていることを知らないといけませんし、皆が戦争をつくってきたのです。これからは、皆の中から戦争の種を取り去って、皆で地球を良い場所にし、他の生き物たちと共に喜び合える世界を創っていきたいと願っています。

この間は中国から13人の子どもたちがやってきましたし、今は韓国から7人の子どもたちが来ていますし、日本の子どもたちもこれから大きくなったら外国へ行き、そうやって新しい世代の人たちには人間の本当の生き方を調和という形で、地球上に表現していってもらいたいと思います。

昨日、映画を観て、ジイジは悲しかったのと腹が立ったのとで、皆にこういう話をしたかったのです。戦争をやって、もっと苦しませたり、もっと人を殺すことができるというような頭の使い方はあっていいですか?食べ物をたくさん食べていたら、中毒になったり病気になるような食べ物があっていいですか?

みのり:
No!

ジイジ:
人間が幸せになるために使うもので、他の生き物たちが迷惑することがあってもいいですか?それは皆、賢い人たちがやってきたのです。でもそれは、賢くなかったからなのです。これから皆には、本当に賢い人になってほしいと思います。それは、世の中全体が良くなることに貢献し、地球や他の生命が喜ぶような行いをする人に皆さんになってもらいたいと願っています。

 

 


大町道中記④ 〜 どこまでも無限に続く道

この日は一日の流れがとてもよく、養蜂の作業も早く終わって夜に時間ができたので、第二次世界大戦中のユダヤ人強制収容所の様子を描いた映画『サウルの息子』を観ました。映画が終わった後、いさどんが語り始めました。


 
宇宙のエラー

いさどん:
強制収容所では、ユダヤ人たちをもののように殺していく。その時に人としての心が動かないだろうかとも思うけれど、ああいう世界を人間はつくれる。落ちるとそこまで行く。自然界ではあんなことは絶対にない。人間にはものすごい幅があるんだよ。魔も愛も一緒くたに持っていて、条件によってどちらも出てくる。

宇宙創造の仕組みがあって、そこに命が生まれて、命が循環していって、そこに自らの存在にこだわるものが現れた。そして自我という囚われが確立されたのだけれど、その延長線上に、ここまでいかなくてもいいだろうと思うようなことが起きる。何を持ってここまでの人生設計図をつくる必要があるのか、と最近思うんだよ。地上で起きていることはすべて天の意志であるとしたら、それを善意に解釈しなければならない。その善意が観えないようなことでは、人間の存在は単なる宇宙のエラーのようなものだ。大いなるエラーだよ。

人間の幅は広い。誕生の時点で、それぞれの人生設計図がある。その時点から、一人ひとりが極めて個性的だ。なぜかと言うと、誕生するに至る理由がその設計図に既に仕組まれており、誕生するということは、その設計図ができる前の段階の結果だから。だから親を選ぶことも、民族を選ぶことも、国を選ぶことも、時代を選ぶことも、そこに至るまでのいわくがあり、それが設計図に表現されている。家を建てる時でも、設計図を作るには、まずどういうものを作りたいかという意向があるでしょう?我々も人生設計図と共に生まれてくるけれど、生まれる前からすでに、設計図に至るまでのプロセスがあるんだよ。
その設計図に則って生きていきながら、最終的には、その設計図に表現されている人生の地図の終着点に至る時が来る。それが死ぬということだ。

一日一日は短いようで、長いようでもある。平均寿命を80年とすると、地球の自転におよそ29200回付き合うと寿命が来る。寿命とは、地球の自転に何回付き合ったかだけなんだよ。だから毎日はカウントだ。地球の自転にどれだけか付き合うと終わりが来るけれど、その時に何を思うか。「自分はこのような死を迎えたい」と考えたところで、実際にその時になってみなければどうなるかはわからない。到着地点を想定して「こうなりたい」という願望を持つようになったら、それでは既に、道から外れている。大事なのは、そこに至るまでのプロセスだよ。
地球に生命として、その中でも人間として、そして個人として生まれてくることは希少なことだと言うが、それは事実だよ。世界観が広がって、この世界の広大さに目を向ければ向けるほど、オリジナルな自分であるということは非常に貴重な存在だ。しかし貴重な存在だからといって、生きている間の自分に囚われていたら、次の旅ができない。
いい旅立ちはするべきだけれど、それは完全燃焼の・・・・「完全燃焼」と言うとまた目標があるみたいだね。そういう言い方はいけない。そうではなく・・・・・「いい印象」か。「いい」というのは、心地よいということだよ。それでいいんじゃない、とか、次に行くか!というぐらいの、軽やかな旅立ち。立派に生きて誇り高い人生だった、なんて言ったらもうそこに執着している。

こうちゃん:
一日一日を一生懸命生きるということと、執着するということはまた別だよね。

いさどん:
そうだよ。何と言ったらいいのだろうね・・・死に向かって、毎日確実にカウントをしていくということかな。
一日一日を漠然と生きていると、たぶんどこかでカウントが忘れられて、自分はこれだけ生きたんだ、という充実感を感じられない。だから未練が残って、まだ死にたくない、となるのだろうね。

こうちゃん:
毎日毎日僕たちは生まれ変わっているとしたら、サッパリと死を迎えて次のステージに行けばいいだけだね。

いさどん:
でも前の日の自分を引きずるんだよ。だけどよく考えてみれば、最終的には必ず誰もがリセットする。今が永遠に続くかのように思っているかもしれないけど、必ずリセットする時が来るんだよ。

今年の作付けをどうするとかロータスランドの売り上げがいくらだったとか、それって一般社会に通用する話でしょう?そういうことではなく、そんなものを一切抜きにして、今から死に行く時の自分の心構えというか、心の持ちようの雑談をしても面白いね。
日常を生きるとは、日常に囚われるということでもある。今日の段取りとか、昨日の続きをこなさなければいけない、ということがあるとしたら、そういうものを全部抜きにして、魂だけの会話というのをしたら面白いなぁと思うんだよ。物理的制限のない会話ができたらおもしろいだろうなぁ。

ともこ:
おもしろいね。

いさどん:
どういうふうにおもしろい?

ともこ:
今、日常に話していることと全然違うんじゃない?

いさどん:
ところが、あまりにも日常に囚われていると、そういう状態になったところを想像できない。思考がそこにシフトするというか、そういう思考回路に慣れないとなかなか何も出てこない。でも僕が約束しなくても、必ずみんな死ぬからね。これってすごいことだと思わない?
エラーのように生まれてくる人がいる。エラーと言うと語弊があるかもしれないけど、障がいや性同一性障がいなどは一種のエラーと言える。ヒマラヤの聖者ババジは、今800歳を超えているそうだけど、見た目はずっと27、8歳だそうだよ。だから、ババジの弟子たちはみんなおじいさんになるけど、ババジだけはずっと若い。それはいいとしても、生まれることにエラーがあるのなら、死ぬことにエラーがあってもいいと思わない?あの人は宇宙のエラーで死なないんだって、とかね(笑)。
それを安易な発想で捉えると、単に「あの人は死なないんだってね」ということだけど、実際に宇宙のエラーで死ぬことのない人は「あの人、死ねないんだってね」ということになる。死ねないとは不幸だよ。エラーいこっちゃ(チーン♪)リセットできないんだから。そして出会う人出会う人が、みんな死んでいく。それは大いなるエラーか、それとも究極の罰か。それは、命に執着したがための罰だよ。たぶんね。

こうちゃん:
でもそれだって何にも執着しなければ問題ない。

ともこ:
私も、800年も生きていると聞くと「わー大変そう」と思うけど、その「大変そう」というのも今の自分の視点なんだと思う。

いさどん:
実際のババジと僕は会ったことはないけれど、800年以上も存在し続けたら、我々の80年サイクルの思考回路とは違っているから、別にいいんだろうね。違うからこそ、それが成り立つとも言える。

 
思考回路をぶっ飛ばせ

いさどん:
人口の推移から世界をひも解いてみると、産業革命から人口が急激に上昇して一気にピークを迎え、その後また、一気に落ちる。それが特別なことだということはわかるよね。
生命には、物理的にサイクルがある。人間なら80年、鯉なら普通は20~30年というように、それぞれに固有のサイクルがある。地球の人口のピークは2100年頃だと予測されていて、その後300年くらいをかけて、人口は再び急降下していく。2100年から300年後というと、2400年だね。
僕は時々、3000年のことについて語る。3000年にみんなで会おう!とかね。だけど3000年に会おうと言っても、今の地球の人口が76億で、3000年の頃にはもしかすると1億ぐらいに減っているかもしれない。そうすると、我々が輪廻転生を繰り返すと言っても、今の76億のうち75億は肉体を持っていないことになる。だって受け皿がないんだから。そうすると、3000年に同窓会をするとしたら、霊的同窓会になるのかなぁ。
どちらにしても、この2000年から始まる思考回路というのは、自分一人の人生のサイクルだけではなく、それを超えて、人類の歩みとか、地球の歴史とか、そういうサイクルでものごとを捉えないと、時代についていけなくなる。

もう一つ、これから物理的に生きることには、大変厳しい時代が来る。今の子どもたちが30歳になって生きている姿を想像すると、微笑ましくもあるけれど、ある意味気の毒だなぁとも思うんだよ。僕はその頃の世界を想像すると、そこで生きたくはないなぁと思う。だけどそれを気の毒というのも、「これが快適」という基準があるからだよ。どんな場所でも、それはそういうものだと受け取っていけば、存在できるのかもしれない。快適の基準を持っていると、その基準から外れた場所では苦痛を感じて、それこそ自殺することにもなるだろうね。

やっぱりね、もっと思考回路がぶっ飛ばなきゃいけない。ぶっ飛ばなきゃいけないんだって。

この間こうちゃんと、「生きていければいい」という話をした。生きていられさえすればいい。その最低限のことに喜びを持ったら、生きることに不安はなくなるよ。何か損をしたとしても、損をしたって生きていられるんだから別にいいじゃない。そして最終的には生きていることすらも天へお返しするんだから、別にいいじゃない。終わったじゃ~ん、てね♪

みんな:
ははははは!

いさどん:
死ぬということは大それたことじゃない。必ず来るんだから。僕は来年67歳。3年後には物理的には70歳になる。僕が70歳?と思うよ。だってこれまでの70歳の印象と、今実際この肉体の中に入っているものとが、合わないから。それでも鏡を見ればやっぱり70歳なのかなーと思うけれど、どうしたって中身と年齢が合わないんだよ。

ともこ:
おもしろいね。中身はどんどん進化していくのに、外見は老化していく。

いさどん:
そしてリセットする時が来るんだよ。僕は変態だから、とびっきりユニークに逝きたいな~と思うんだよ。ここでこそユニークに逝って、みんなの鼻を明かして旅立ちたいなぁと (^皿^)
やっぱり、独特に旅立ちたいね。死ぬ時は必ず病にかかる。老衰だって、最終的には心不全か何かになって逝くんだから。その死に病にかかった時には、嬉しいよね。そのプロセスを存分に楽しんで、「さぁ行くベ!」と旅立つ。高速道路で対向車がセンターラインを飛び越えてきてガーンとぶつかったとしても、「ここだったか~、こういうシナリオだったか~」と旅立つ。その時にはやっぱり、「おい、自分らしく、うろたえるなよ」ということは思うね。そんなところでうろたえたら、何のために今まで生きてきたかわからんじゃん。ここでこそ本領を発揮するところだよ。残された連中がいくら「死なないでー」と言っても、「そんなアホなこと言うんじゃないの」ってね。

こうちゃん:
そうね。いかに肉体に囚われずに毎日を過ごせるか。

いさどん:
肉体に囚われていると言うけれど、実際は同じ肉体じゃないんだよ。物理的にも霊的にも一緒じゃない。それは積み重ねていくものだから、実際には別物になっている。肉体は常にリニューアルして、様変わりしているんだよ。
そういうことを共有できる世界観を持っていたら、そこはとてもどっしりとした場所になるだろうね。微動だにしない。地震が来ても「おお、地震が来たな~。やっぱり避難はするべきだよな~」と。物理的には素早く避難しているけれど、思考は冷静なんだよ。

こうちゃん:
そうすると、楽しめるね。

いさどん:
自分の思惑が外れた時にどう対処するか。そして世の中が翻弄されているのを、「さてどうしようかな」と眺めている。

こうちゃん:
別に命がなくなってもいいんだけど、けっこう世界は生きることを保証してくれている。こんな天候でも作物はできるしね。気楽にいけるよ。

いさどん:
気楽にいけない人は、「今月は何円稼がなきゃいけない」と考えている。米や麦は一発勝負だから、それが想定通りにとれないと、金額の計算が合わなくて深刻になる。だけど生きていくことだけがベースになっていたら、別に米がとれなくたってサトイモがあるじゃん、てことだよ。
実際にそんなひどい状態にあるわけでもないのに、現代人はこれまでの右肩上がりの経済成長に囚われているものだから、経済成長が0%になると「大変だ」と大騒ぎする。0%なら別に例年通りなんだから、何も問題はないんだよ。±0の宇宙の基本に戻るだけさ。ところが、今は右肩上がりが行き過ぎているから、本来のところへ戻るには右肩下がりにならなくちゃいけない。それなのに上がり続けるという幻想に囚われているから、成長率0%ですら問題になる。別にマイナスでも、生きていけるんだよ。

こうちゃん:
そういう余裕を持って探求していかないと ────

いさどん:
観えない。余計なことを考えていたらものは観えないというのは、そういうことだよ。

こうちゃん:
「悟りたい」と思って必死になって余裕をなくしていたら、悟れないね(笑)。

いさどん:
そうだよなぁ。悟るというのは願望で思うことではなく、結果だから。行きついたところがそうだった、というだけだよ。

こうちゃん:
そうだね。「麦をとるぞー!」と力が入っている時には観えなかったものが、そこに自分を入れずに引いてみるとパッと気付けたりする。

いさどん:
冷静になって目の前のものと対峙するから、観える。計算で頭がグルグル回っていたら、観えるものも観えない。グルグルと損得勘定をするのは損をしないためだろうけど、結果として大損していたりするんだよ。

 
みんなで交響曲を奏でている

いさどん:
「ニンゲン」という二元の思考でいると、例えば北朝鮮の正義とアメリカの正義と日本の正義があるように、人の数だけ正義がある。しかし、「ヒト」という根本の法則に目覚めたものは、それぞれは個性的だけど、それぞれが根本の法則に沿っているから、そこには秩序が生まれる。
物理的現象世界に生きる者たちは、肉体的な制約の中で思考がとても狭くなっている。日常がタイムカードや電車の時刻表の上にある。もしくは金に縛られている。そんな人間たちが斬新な発想なんてできるわけがないんだよ。
我々はここまで歩んできて、世間と同じ要素を持ちながら、極めて斬新な発想を持って極めて斬新な場を創る下地はある。下地はあるけれど、まだまだその自覚が足りない。一人ひとりは育ってきてはいるけれど、まだまだ追い風になっていない、追い風になるにはどうしたらいいかもわからない人たちもいる。
追い風といっても、全体が進むのにそれぞれのノルマがあって、あなたはこれだけの推進力になってください、なんてことを課しているわけじゃない。全体が動いている中で、どれだけでもいいから、進行方向に向かってその人らしい風を吹かせていればいい。それって、全然エネルギーはいらないんだよ。例えばみんなで笛を吹いていたら、途中で休んでいる人がいてもいい。でも気持ちは吹いてるでしょ?みんなで合唱している時に、一人休んでいてもわからないけれど、気持ちはちゃんと一緒に歌ってる。そういうことだよ。
そういう意識が観られたら、その場は「みんなで交響曲を奏でている」というハーモニーが感じられる。その時に、いったいあなたはどこを向いてるの?と言いたくなるような、そこに参加している意識がないことが問題なんだよ。

ともこ:
難しいね。「こうしなきゃ」と思うことが行き詰まりになっていくんだけど、そうかと言って、自覚を持たずに「何でもいいんだ」とボーッとしてるのも問題なわけでしょ。

いさどん:
例えば、交響楽団がいるとするよね。ピアノ協奏曲ならピアノが主で、バイオリン協奏曲ならバイオリンが主でしょ。あるいはシンバルなら、盛り上がった時に「ジャーン!!」とやるだけで、後はないんだよ。出番はそこだけ。だけどその人は、演奏に参加している。別に力んでいるわけではなく、ただ流れに沿って、出番が来たら「ジャーン!!」とやる。すごい存在感だ。それだけでいいんだよ。

こうちゃん:
だから別に集中してなくてもいいんだよ。安倍さんでもトランプさんでも、みんな思考を回してエネルギーを使っているわけでしょ。自分のために。その同じエネルギーを別の方向に使ったら、もっと楽にエネルギーが循環するはず。自分の国とか自分のためだけを思っていると、自分でエネルギーを湧かせてこないと足りなくなる。

いさどん:
安倍さんの例をとると、やはり自分が総理大臣として支持率を得なければいけない。評価されたい。評価されるには、日本の国益を獲得しなければいけない。そういったものにがんじがらめになっているから、このくらいの成果を残さないとダメ!というのが先に課せられているんだよ。自分で自分にそれを課している。
だけど歴史というのは、先へ行ってみて初めて答えが出るもの。そうしたら、やるべきことはやって、あとは結果をいただくだけ、というスタンスでいればいいんだよ。そうすると、意外と相手からすり寄ってきたりするものだよ。

こうちゃん:
打つべきところを打つということは、やっぱり広い視野を持っているからこそできることだよね。そうするとエネルギーの無駄遣いはしないし循環していくということだとすると、やっぱりボーッとしてたんじゃダメだね。

いさどん:
ダメなんだよ。出番じゃなくても、流れは観てなきゃいけない。

こうちゃん:
かといって「こうしなければならない!」って力んでやっているのは、ある意味安倍さんと同じ。やっぱり広い視点を持って分析ができて ────

いさどん:
いや、分析なんてしていたらまたきゅうきゅうになっちゃうからね。模様眺めをしながら「ここは私の出番だな」と出るべきところで出たらいいんだよ。何もしてないようでいて、こいつはやるべき時にはやるな、という雰囲気が出ていたらそれでOKなんだよ。

こうちゃん:
そうそう。だから別に全部わからなくても、いつでも対応できる状態で待機していて、「ジャーン!!」てやればいいわけだ。

くわっち:
勘違いして構えてたね。ボーッとするか、なんとかしなきゃ、と固くなってるか。そんなんじゃみんなでコンサートする時に、いいハーモニーはできないもんね。

いさどん:
その一番いいキャラが、Aちゃんだよ。

みんな:
ああ~~。

いさどん:
誰もAちゃんにそんな難しいこと期待してないじゃん。だけどすごくいいキャラしてるでしょ。そういう落としどころがあるんだよ。

こうちゃん:
力まないところで発揮できるんだろうね。

くわっち:
心の水爆なのかなぁ。

ともこ:
心の水爆って何ですか??(✪ω✪)

いさどん:
言わない。僕は心の水爆を発見した。それは心の水爆とネーミングしたけれど、別に水爆じゃなくてもいいんだよ。でも水爆というネーミングはちょうど時代に乗ってるね。

やはり、ここまで歩んでくると ──── と言ってもみんなには観えないだろうけど、僕はこの心境でここまで歩んでくると、終末を意識する。僕の場合、終末を意識すると、その先を考える。そこまで心が飛ぶと、もうどうでもいい感じ。別に今のことを無視するわけではないし、しっかり生きるけれど、それはある意味、終末が観えて先を意識している者がそこへ向かう、惰性のようなものなんだよ。
僕は時々ケアの人たちにも喝を入れる。どうしてそんなにものが観えないのか、まず頭が悪い、ということもはっきりと伝える。なぜそういうことが言えるのかというと、自分に対して何も求めていないから。相手からどう思われようとかまわない。

ともこ:
「求めていない」ということは、余分な思考をしないということだね。

こうちゃん:
昔、いさどんを見て「あの人は武道の達人ですか?」と言った極真空手のチャンピオンがいた。彼は力で押してチャンピオンになったけど、年を重ねていくとだんだん若いものに敵わなくなってきて、どうしたらいいかといさどんに聞いたら、いさどんは「無の境地」を説いていたね。

いさどん:
力まないで自然体でいると、相手の攻撃がどこに来るのかが自然に観える。

こうちゃん:
それは武道でなくても同じだよね。

いさどん:
その究極が、何か問題があった時に全て、天に丸投げするんだよ。もう私は知りませんよ、全部あなたの責任ですよ、とね。

こうちゃん:
いろんな引き出しがあって、それを自由に選択して使えるような状態になるといいよね。

いさどん:
そうそう。将棋みたいなもので、いろんな駒があって、それを一番ふさわしい時にパチンと打てるだけの余裕がないといけない。

ともこ:
ある段階までは力みも必要でしょうか?

いさどん:
意欲がないとダメだよ。

ともこ:
意欲と欲は違うのね?

いさどん:
意欲というのは、向かおうとする意志であって、意欲があるということは、結果を決めつけてはいないんだよ。

ともこ:
なるほど!欲は、こうなりたい、ああなりたい、と、結果を自分で決めてるんだね。意欲はもっとフリーな状態だ。

いさどん:
「ヨク」というのは、「ヨ=よこしま」に「ク=自由」だから、あっちもこっちも欲しい、という感じだね。「イヨク」は、あっちもこっちもという欲の「イ=位置」が決まっていて、「これだ!」と定まっている状態。

ちなっぴー:
いさどんは意欲のかたまりだよね。

いさどん:
極めるというのは神業だからね。田んぼをやる時に、稲穂が倒れるか倒れないかのギリギリのラインを目指すような、常にその気持ちを忘れないということだよ。
生きるということにはバランスがある。例えば日本刀を打つ名人とか、野球の神様と言われる人とかがいるでしょう。それは神業とも言えるけれど、「〇〇バカ」とも言えるんだよ。生きるということは、本当はそんな風に何か一つのことだけをやっているのではダメなんだよ。いろんなことに意欲を湧かせていく。きっと、カタカムナ人はそうだったんだろうね。それは一人では限界があるから、群れて暮らした。
それは地球暦と同じだよ。一人ひとりの地球暦を見ると、偏りがあってひどいな~と思う。極端なことを言えばみんな問題がある。

こうちゃん:
だけど、僕ら全員の地球暦を合わせたら、ものすごいんじゃない?

いさどん:
それこそ完璧だよ。だから群れなさいというんだよ。

こうちゃん:
カルマも個性として、陰性も陽性も全部合わせたら中性になる。

いさどん:
そのことについては、ここに来るまでの車中で解明して話してきたよ。

こうちゃん:
だからもっと気楽に、自分らしく自分の分を貢献すれば、全体としては完璧だよ。

いさどん:
だからそれがシンバルの「ジャーン!!」なんだよ。1回きりでいいんだから(笑)。その代わり、そこを託されているのにそのタイミングを逃したら、みんなコケるよ。
志を同じくしている者が、人生という交響曲を共に奏でる。その指揮者は、時代。あるいは、天。いつもその指揮者の方を向いて流れを観ていたら、「ここだ!」というタイミングで「ジャーン!!」とやることができる。だから天を観ていなさいということだよ。

 
個人の最高の幸せ — 地球益

ともこ:
地球暦って、紙面で見ると平面だけど、実際は立体でしょう?だから平面上では全部の惑星がつながって見えても、立体で捉えるとけっこう間はスカスカだよね。

いさどん:
そうだよ。平面で捉えて角度が何度と言っているけど、三次元で捉えたらものすごく離れていたりするんだよ。

ともこ:
てことは、結局みんな偏ってるんじゃないの?

いさどん:
それは違うよ。例えば夜空に星座があって、それが地球上からだと三角形に見えるとするでしょう。ところが、それを横から見ると3つの星はまったくバラバラでいびつだったりする。そうすると意味がないかのように思えるかもしれないけれど、実はそこに意味があるんだよ。つまり、そのくらいいびつでありながら、地球に向かって三角形を描き、それを我々に見せてくれているんだよ。地球からだけそう見えるということは、地球に向かってメッセージを送っているということでしょう?それを意味がないと否定したら、そこで終わりだよ。
こんなにもいびつな状態でありながら、地球に向かってメッセージを送っているということは、そこに意志があるということ。天には意志があるということがわかったら、すべてを受け取れる。物理的な矛盾を並べてケチをつけているようでは、意志は感じられないよ。だからいくら宇宙の流れについて語っても、物理学者がそれを信じられないのは、頭の中が物理だけで、そこにメッセージや意志があるという発想がないんだよ。

こうちゃん:
利口になればなるほど、それを感じることには疎くなっていく。

いさどん:
有史以来の二元的賢さだね。「負けたくない」とか「得したい」とか。そしてすべての国が、結局は自国の国益ばかりを求めている。どうして地球の平和というものを考えないんだろう。それが最大の国益でしょう?なぜ同じ地球にいて、「地球益」というのを考えないんだろうね。

こうちゃん:
結局はそれが個人の最高の幸せなのにね。

いさどん:
そう。その安心の中に生きられる。それなのにみんな国益を背負っているから難しくなる。今テレビは北朝鮮の話題で持ちきりだ。この間まではISだった。そこで語られていることは、時間の無駄遣いだよ。何の解決にもならないんだから。

ともこ:
テレビでは、今北朝鮮が起こしていることに対して制裁だ何だと対症療法ばかりが語られていて、ではなぜ今の北朝鮮があるのかという根本的な振り返りがない。それを思った時に、木の花でメンバーやケア滞在者(心身の病の回復を目的に滞在している人々)が、自分の心をひも解いて、今の自分の状態がどこからどういう経緯をたどって今に至るのかを解明するのは、世界の現状を解明するのとまったく同じなんだと思った。それが解明されて「だからこうなっているんだ!」と気付いた時に、その問題は昇華される。だから、すごく大事な取り組みをしていると思ったよ。だって今の世の中にはその視点がないから。

いさどん:
今出会っていることのルーツを、常に意識して、理解していなければいけない。ただその現象の表面だけを見て反応するのではなく、それが何で起きてるのかを解明していく視点を常に持ち、できる限りの努力をして、なぜ今の状態に至ったのかを知った上でものごとを判断しなければいけないんだよ。そうすると、その現象に対する対処はまったく違ったものになる。

こうちゃん:
ニュースでその出来事に至るまでの経緯を振り返っても、本当に短いスパンでしか見ていないよね。何月何日にどうしたとか。本当はもっとずっと前からそこに続く流れがある。

いさどん:
すべてはアラビアのロレンスから始まっている。すべては十字軍から始まっている。すべては紙の発明から始まっている。すべてはカタカムナから始まっている。

ともこ:
すべては地球誕生から始まっている(笑)。

くわっち:
すべては宇宙誕生から始まっている(笑)。

いさどん:
人間には、極めてユニークな特徴として、自我が形成されるようになっている。だから、一人ひとりの目線がオリジナルなんだよ。一人ひとりオリジナルのフィルターを持っていて、それで世界を見ている。その自分のフィルターを通して見た世界が、他のフィルターを通して見た世界と共有されなければ、調和はとれない。
自我が強くなると、自分のフィルターを通したものしか信じず、それがすべて正しいと思っている。だから自分の思った通りではない反応が返ってくると、被害妄想的な人間なら攻撃されているんじゃないかと受け取ったりする。傲慢な人間なら、「何でわからないんだ」と思うだろう。

人間が70億人いれば70億通りの個性があり、その個性の羅列の中で、波が起こるようになっている。例えばガングロのお姉ちゃんたちが一生懸命自己主張していて、それが支持されたら嬉しいわけでしょう。白人至上主義者が「あなたが正しい」と支持されたら喜ぶでしょう。そこには視点の違いがあるだけだよ。その視点の違いを主張して、相手を打ち倒して、平和になろうとしているのが今の世の中だ。その延長に平和を表現しようとしている。
アメリカはそれをやってきて、今のような状態になっている。それをカモフラージュするために、多民族国家を掲げて人権尊重を制度に組み入れてきたけれど、そもそもアメリカという国家自体が、他者を支配して自らのフィルターをかけた正しさを主張して成立しており、ぞれをずっとやり続けて勝ち続けてきたんだよ。そして今、その自分たちのフィルターの実体を知る段階に来ている。それはつまり、最終的な仕上げとも言えるね。アメリカという国は、大らかで何でも受け入れる国でありながら、実はその奥にアメリカ的フィルターがあって、それで世界を支配しようとしてきた。それをも超えなければいけない時が来たんだよ。
だから、白人至上主義が間違っているということでもなく、リベラルな人たちも、アメリカ国民としてアメリカらしい誇りを保とうと言っているのだから、同じ穴のむじななんだよ。そうやって双方が陰陽のバランスを取りあっているということだ。

ともこ:
視点を変えるというより、共有するんだね。

いさどん:
そう。それは違いによって強いものが弱いものを支配するような、強弱の視点ではないよ。
人間は自我によって、欲望を満たす時に快感を感じる。その快感ゆえに、それがいいことだと思い、自我に取り込まれていく。そして依存症になる。お金依存になったり、便利さ依存になったりするわけだけど、お金や便利さがあふれると、人間は傲慢になり、そして退化するんだよ。本来自然と生きていくための能力が、便利になることで使う必要がなくなって、退化していく。ところがそこに欲望を満たす快感を感じるものだから、依存症が広がっていく。そのことが観えていない。みんな冷静さを失っている状態なんだよ。
そしてさらにフィルターが複雑になったり色が濃くなったりして、自分の考えと同一のものを求めるようになる。これがつるむというやつさ。自分と同じ色のものを求めていく。そしてつるむと、今度は違うものと対立するんだよ。マスコミでも政治家でも、どこを観ても、自分の主張が正しいものだと受け取られたい、という衝動が観える。そうではなく、そういったものを全部払しょくして、大らかにそれを語れる視点が必要だ。

そこで、どうしたらいいのか。その構造を理解し、それは互いのフィルターを共有するための共通点を探す、ハードルのようなものだと捉えたらいいだろうか。
北米やヨーロッパの先住民族の中には、海鳥をアザラシの皮の中に入れて発酵させて食べる文化がある。そんなもの食べられないよー!という人もいるけれど、それは自然が与えてくれたんだよ。その智恵も、食べ物も、そして味覚も。そこにはプロセスがあり、誰にも否定できるものではないのに、自分のプロセスから外れているからといって否定したり、極端になると「それは変だ」と言って改めようとする。そういう考えでいるから、いつまでも対立する。

ともこ:
やっぱり、この視点は世界平和の鍵だ!

 
フリーな心でいよう

いさどん:
2012年12月21日の銀河の冬至をもって、我々は闇のピークを越えた。その時点で、本当はすべてが変わらなければいけないんだよ。それは見る方向が変わるということ。だけどあまりにもこれまでの方向に慣れ過ぎていて、それが永遠のように思っているんだよ。生まれた時からそうだから、その漬け物になっているようなものだ。だから視野を大きく広げて、自分の枠すら超えて物事を観なければいけない。
地球は現象化の星だから、何でも現象化して見せてくれる。だから人間は、地上に天国も、地獄もつくる。地獄は死んでから落ちるところじゃないよ。今現在地獄を生きている人がたくさんいる。しかし実はそれすらも調和の中に在るんだよ。相対する存在を創り、それが互いにバランスを取っている。それを両方観るには、引いて観なければいけない。引いて観るということは、熱くならないということさ。

こうちゃん:
今のスーパーコンピューターは、基本的に0と1で計算していて、ものすごく広いスペースに並んでいる。だけど今、中性子のコンピューターというのが創られて、それはほんの一坪くらいのスペースで済むんだって。コンピューター自体はもっとずっと小さいんだけど、なぜ一坪必要なのかと言ったら、そのコンピューターを動かすには絶対0℃の環境が必要だから、それを冷やすためのスペースなんだって。だけど今までのコンピューターに比べたらものすごい省エネだよね。
それで、中性子コンピューターには、0と1が同時に存在しているって言うんだよ。そして今までのスーパーコンピューターよりも格段に計算が早い。それはなぜかと言うと、今までの0、1、0、1、のコンピューターだと、全部計算をしないといけないんだって。ところが0と1が一緒になっていると、それが一瞬で終わる。理屈はわからないけど、ずっと少ないエネルギーで済むし、スピードも速くて、場所も取らない。「二辺を離れて中道を説く」と言うけれど、宇宙には電子と陽子と中性子があって、すべてが同時にあるのが当たり前の世界じゃない?つまり良いも悪いも一緒になっているところを中道と言い、その両方を同時に理解しているということだよね。それって調和だよ。だから地球上でこんなに醜い世界が展開されていても、それで調和がとれている。

いさどん:
宇宙は戦争しないでしょ?でも地球に現象化すると、戦争ができる。それは「差」ができるということだよ。あるがままの状態では戦争は起きないけれど、現象化してそこに「差」が生まれると、それを元に戻そうとする動きが生まれる。両極端の存在が互いに引っ張り合って、中道に戻ろうとする。

こうちゃん:
「差」ができるということは、現象が生まれるということだもんね。

いさどん:
そう。そして「差」を取ると戦争がなくなる。

こうちゃん:
現象というのはもともと、「差」を見せるためにつくられている。

いさどん:
そうだよ。そしてそこにはサイクルがある。人間だったら、オギャーと生まれてから人生を表現していくにつれて、どんどん「差」ができる。それがだんだん消耗していって、死ぬとリセットされる。すべてのものにはサイクルがあり、それが全部消滅するのが「差取り=悟り」だよ。

こうちゃん:
だからずーっと遠くからそのサイクルを観ていれば、消滅した状態をも観れる。

いさどん:
ずーっと引いて観たら、あるサイクルはさらに大きなサイクルの中に在ることが観えてくる。そしてその大きなサイクルも、さらに大きなサイクルの中に在るというように、すべてが相似形になっている。さらに引いていくと、それらのサイクルの集合体自体が一本の太い線になっていて、さらに引いて観るとそれすらも細い線になる。

こうちゃん:
そのくらいの心で堆肥まきもやれるといいよね(笑)。

いさどん:
堆肥をまくときには「たいひんだー」と思うでしょ?(みんな:笑)だけど間違いないのは、今回まくのはここからここまでという限定がある。だから、1ヶ月間ずーっと堆肥まきするわけじゃないのよ。それから、すべての圃場にまくわけでもないのよ。人の畑にもまかないのよ。だから冷静に考えると、「これだけの量をこれだけまけば終わり」ということなのよ。そうしたら、「たいひんだ、たいひんだ」と思う前に、ただやっていけば終わるんだよ。

何かを限定するのではなく、常にフリーな心でいよう。限定すると苦しくなる。フリーな状態だからこそ、流れが読めたり、気付きが生まれるんだから。

 
「ニンゲン」から「ヒト」へ

いさどん:
銀河は、円になっている。人間が世界観を広げ、スケールの大きな意識で語るとね、その円の中心が「ざわざわざわー」っとするんだよ。つまり、こちらの悟りに、銀河が反応するんだよ。人間が悟るということは、宇宙に対してそのくらい刺激を与える。人間とは、それだけの存在なんだよ。

そのくらいのスケールで生きたいものだと思う。事実、人間は銀河の物理的作用に対して影響力がある。本当に、銀河がふわふわ~っと、波打つんだよ。「銀河が波打つ」と言うと、人間のスケールからしたらものすごく巨大なことでしょう?

太陽も、そういう反応をしてるんだよ。太陽には意志がある。そこと共鳴して生きているかどうか。
この間、太陽フレアの影響で地球の磁場が乱れたことが話題になっていたけど、こちらから発しているものを受けて、向こうも反応を変えてきているんだよ。つまり、対話できるんだよ。あちらの意向を聴いて生きていれば、こちらの意向もちゃんと伝えられるようになる。そうでなければ、地球人が太陽を信仰するわけがない。何を根拠に太陽を信仰しているのかと言うと、キャッチボールができているからさ。その領域に達した者が確信を持って、そのことを伝えてきたんだよ。人間はそこまでの領域に行くことができる。それを、「そんなのは絵空事だ」と言ってしまえばその通りになるだけだ。

物理的な太陽を見て語りかけるのは、幼稚な段階。あの物理的な太陽の奥に、霊的な太陽がいるんだよ。同じように、あなたの顔の奥にも、霊的なあなたがいる。その霊的なあなたに語りかけなければいけない。太陽も、霊的な太陽に語りかけなければいけないんだよ。人間は富士山に登ってご来光を見たり、物理的な太陽を拝んでは「神々しい」と感動しているけれど、その奥に霊的な太陽がいるんだ。
ロータスランドにかかっている絵に描かれている光は、太陽じゃない。霊的な光なんだよ。そういうものがあるんだよ。

ロータスランドにかけられている”桃源郷”を表現した絵

いさどん:
人間は、そこまでのスケールの存在になれる。
仏道というのは、下から積み上げていって上へと上がっていく道のこと。上には際限がないから、どこまでも無限に上がっていける。ところが神というのは、みんな神様に語りかける時には上を向くように、上から下へと降りてくる存在なんだよ。神様にもいろいろな位置があって、それぞれの位置から人間のもとへ降りてくる。「あなたはどこから来ましたか?」と尋ねると、意外と全体からすると下の方の神様だったりするんだよ。そういった神々は人間を誘惑し、惑わせ、それがいろいろな宗教の元にもなった。
だけど、仏道というのはそうじゃない。仏道とは「道」であり、下から上へと上がっていくものだから、その道には限りがない。人間がその気になったら、宇宙の根源までも行ってしまう。

ともこ:
上から降りてくるものはそこがスタート地点だから、最初から位置が決まってるんだね。

いさどん:
決まってるんだよ。ところが下から上への道は無限だ。だから仏教では、神を語らない。それを「人の道」としている。人が進歩していって「命(ミコト)」となり、「カミ」となり、「カム」となる、一番の奥まで至る道なんだよ。
ある位置から神が降りてきて人間に出会うと、人間は「ありがたい」と言って拝むでしょう。だけどそれでは、その神の位置を超えることはできず、人間の成長に限界ができるんだよ。そこで神が、自分を超えていくような人間に出会うと、今度は逆に神が人間に「自分を導いてほしい」と言うようになる。だから法華経を行ずるものは神が守護すると言うんだよ。神がそれを喜ぶんだから。人は、神をも超えていける存在なんだよ。そのことがわかると、神も「私も人間界へ降りていって、もっと上を極めよう」と思うんだよ。その段階の神には、まだ自我があるからね。
だから、仏道とは恐ろしいものだよ。恐ろしいとは、怖いという意味ではなく、果てしなく広い、無限なる世界につながっているということさ。

人間は太陽とも、銀河とも対話できる。そこでやっかいなのは、人間は物理的に語りかけて通じるものだから、奥が観えないんだよ。今こうして僕とあなたたちが話しているように、物理的に会話をして、通じているかのように思っている。だけど本当は、霊的な会話でなければいけないんだよ。魂と魂の会話でなければいけないのに、物理的なやり取りをして表面的に通じてしまうものだから、浅い付き合いしかできない。
銀河がふわふわ~っと波打つのも、物理的に波打っているというより、人間の発しているものに銀河の魂が反応しているんだよ。

ともこ:
私の奥にも、霊的なともこがいるんだね?それが何なのかわかんないけど ───

いさどん:
何なのかって、それがともこだよ。

ともこ:
そうすると、日ごろのともこはすごく小さなところにいますね?

いさどん:
それは物理的なところに囚われているからさ。今までのともこに執着していれば、霊的ともこもそこに引っ張られる。執着が足かせになって、魂が不自由な状態になっている。それを解放してやると、ともこは無限なものになるんだよ。人としての可能性は無限にあるんだから。
霊的ともこの次元が低ければ、それは物理的ともこの限界になる。物理的ともこのレベルが低ければ、霊的ともこの足を引っ張る。両方が縛りあってるとも言えるんだよ。だからそれを解放してやらなければいけない。

ともこ:
自分を磨けるのは、物理的ともこだけだね。

いさどん:
「磨く」というのは、物理的ともこの執着を取り去ることだよ。

ともこ:
だけどその物理的ともこがいるから、霊的ともこは自分を認識できる。

いさどん:
そうだよ。だから地球に霊的ともこが降りてきて、肉体をもらって、現象化することによって、悟りへの道を歩むんだよ。

僕が言っていることは、わからない話でしょう?いくらどう話しても、僕も人間だから、みんなも人間から聞いていると思うんだよ。だけどこれは、人間がしゃべっているけれど、ベースにあるのは宇宙人なんだよ。人間の姿をしているけれど宇宙人であるということは、ベースが「ニンゲン」ではなく、「ヒト」であるということだ。

人間の思念というのは、ものすごい速度 ──── つまりアマハヤミ(光の速度の10の64乗倍)で、 瞬間にして宇宙を駆け巡る。だけどそれは、その意識レベルの意識を持っているから初めて成ることであって、それがないものには一切通用しない、考えられないことなんだよ。
そういう思考を持って生きていると、それこそ「何でこんな世界ができるの?」という世界ができる。訪れる人が「あれ?ここはどこだろう?」と不思議に思うような、自分の中の何かを呼び覚まされる場所 ───── それが桃源郷、「ロータスランド」だ。

 

 


天の川銀河と対話して~北朝鮮について語るPARTⅡ

先日、いさどんが長野県の大町ビレッジに泊まった日の夜のこと。日中の養蜂作業で疲れてしまったいさどんはいつもより2時間も早く眠りについた結果、「年をとると睡眠時間が短くていいから、早くに寝ると早くに目が覚めるんだよ」といういさどんの予想通り、夜中に目が覚めてしまいました。その時点で十分に睡眠をとれていたいさどんは、次のように考えを巡らせました。

「昨日は頭も痛くて、さらに疲れていて、眠くて仕方がないから、大町の皆とも大して話しもせず、早くに寝てはいけないと思いながらも、とうとう寝てしまった。そうしたら、予想通り夜中に目が覚めた。これが流れだとしたら、天の意志だ。今、僕は何かすることがあるのではないだろうか?」

そこでいさどんは布団から起きあがり、北朝鮮や最近の世界情勢について想いを巡らせていました。そのとき、いさどんはこう思ったのです。

「これはいけない!部屋の中で天井を通して対話するべきではない。今は、外に出て天を観るべきだ。生の星や月を見て対話するべきだ。」

そして外へ出たいさどんが上を見上げたら、そこには月がありました。ところが、月を見て何かを語る気にはなれなかったいさどんは、月とは反対の方角を見ました。そうしたら、そこには天の川銀河の星々が瞬いているのが見えました。

「そうか・・・銀河か。」

天の川銀河はわたしたちが所属する銀河です。最近、いさどんは銀河に向かって語りかけていましたから、そこで自らのまわりにある流れについて銀河に語りかけたのです。

「今、わたしのまわりにある流れは滞っているように観えますが、それもすべてそちらの意志だとしたならば、これは滞っているように観えるどころか、それも流れだと受け取るべきですね。」

そのときのいさどんの目的は、銀河と対話することでした。しばらくして、納得を得たいさどんは部屋に戻り、また眠りにつきました。

そして朝になり、目覚めたいさどんにはあるイメージが浮かびました。なんと、渡り鳥をタモで捕まえる映像が突如として現れたのです!それは何年も前のことなので、いさどんの記憶も定かではないのですが、NHKの番組でヨーロッパの人たちが渡り鳥を捕まえることを特集していたのでした。そこで、いさどんは次のように回想しました。

「冬の前に渡り鳥がやってくる。地元の人たちは岩場の陰に隠れて、渡り鳥が飛んでくるのを見ると、渡り鳥が岩場に降りる瞬間に大きなタモで捕まえる。『昔はたくさん捕れたんだよ。今はいっぺんに数羽捕れることもあれば、まったくダメな日もある。でも、冬になる前に渡り鳥を捕まえて漬物にするんだよ』と地元の人は語っていた。彼らは渡り鳥を羽毛ごと、漬物にする。その渡り鳥は鳩よりも少し大きいぐらいだった。それをどれだけか発酵させてから彼らは食べていた。僕の記憶によると、発酵した時点でその羽毛はヌルヌルになっているから簡単に取れる。だから毛を取って、生でそのまま彼らは食べていたような記憶がある。

その番組を見ていたとき、僕はとても気持ちが悪くなった印象がある。マサイの人たちは牛の首に矢を放ち、牛の血を飲むことがあるけれど、僕にはとてもできない。だいたい、血液というものは消化が悪いから、あんなにたくさん飲むと吐いてしまう印象がある。しかし、それよりも、あの渡り鳥の漬物のほうがさらに強烈だった。ところが、一家の長であるお父さんが渡り鳥を捕まえて冬の食料にし、『おいしいね』という団欒がそこにはある。そうすると、そこではまったく文化が違う。しかし、それは生きていく手段であり、自然との対話であり、生きるためにそれが与えられている。その環境に対してどのように生きていくべきかという智慧が与えられた結果である。そしてその延長に味覚があるから、僕にはうっとすることでも、『おいしいね』『今年のものは出来が良いね』という団欒があるのだ。そして、そういったオリジナルな文化を人々が認め合ったときに、世界に平和がある。」

そして、いさどんは朝の準備をしている大町メンバーのみほさんに次のように語り出しました。

 


たとえば、キツネは目が良いよね。目が良いから、耳と目を上にピッと上げて獲物を狙う。犬は鼻が良いから、耳も垂れていて目も下を向いていて、鼻で獲物を追いかけていく。そうすると、犬はキツネのやり方を見て、「あんな変な追いかけ方をして馬鹿だ!」と思うことだろう。しかし、キツネが犬のやり方を見ると、「あんなに下ばかり見て馬鹿だなあ!だいたい、犬は世界が狭いんだよ」と思うことになる。そこで、鷹がキツネと犬を見たら、「おまえたちは馬鹿だなあ!どっちみち、地上を這っていたら獲物が捕れるか。俺のように上から急降下して獲物は捕るべきだ!」という話になる。そこでさらに、別の生き物がそれを見ていたら、「そんな急降下して外れたら、自分がえらい目に遭うぞ!」と言い出すことだろう。

つまり、そこで僕が考えたことは ――― 結局、人は自分の考えを肯定されると、それを喜び、正しいとする。しかし、自分の考えを否定されると腹が立ち、その究極の姿が戦争だ。ところが、一人ひとり、それぞれの考え方や生き方があり、プロセスをつないできたとしたならば、誰もが尊重されるべきだ。そうすると、自分が認められる前に相手を認めるだけの度量があって、その上で自分が相手に認められれば、平和は自ずと訪れる。しかし、どれだけ自分が正しいと主張しても、互いが「あなたを認めない」と不愉快な心を持っていたら、これでは平和は訪れない。

そこで、わかったことがある。北朝鮮もキム・ジョンウンも、今の状態に至るにはプロセスがあってここまで来ている。過去にカダフィでもサダム・フセインでも大量破壊兵器を持っていなかったから、ある意味敗者となってきたわけだ。そして、日本は核兵器を持っていないから、アメリカの言いなりになっている。「だから、核兵器を持って対等にならないといけない」というのが親の代からのキム・ジョンウンの持論なのだ。そこには民族的なものもあり、恨(ハン)の文化という背景もある。その上に朝鮮戦争があり、身内で骨肉を争うひどい戦いをした。それがまだ終わっていない。だから、とことんケリをつけて終わればよかったのだ。そこに、アメリカが非常に身勝手な拳を振り上げている。

今、北朝鮮は核兵器を持つことによってアメリカと対等になろうとしているが、そもそも地球上の今の核兵器バランスというものはどのような形で始まったのかといえば、核不拡散条約により、核兵器を持つのは良心的で優れた国とされているアメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国。この5ヶ国は核兵器を持ってもいいが、これらの国は平和のために持っている。しかし、他の国はならずもの国家で、核兵器を保有したら何をしだすかわからない。平和の脅威だ。だから、5ヶ国以外の国には持たせないという話なのだ。しかし、そもそもこのような核兵器はなしにするべきだったのに、自分たちだけが善良な国で、あとはならずものだから持たせないという話にしてしまった。

核兵器というものは、隣りが持っていると不安だからといって、アメリカが保有したらソ連も持ち、ソ連が持ったからイギリスやフランスも持ち、それで中国が保有したら対抗してインドも持った。それでインドが持ったら、今度はパキスタンが持ったんだよ。そうすると、中東諸国に囲まれているイスラエルは事実上核兵器を持つことになった。

つまりこの状態は、自分の主張が通ったものが善良で正しいという考え方だ。そうすると、北朝鮮のように核兵器だけを持っているのではなく、今は経済と軍事力の時代だから、経済も核兵器も両方持っているのは、アメリカだ。だから現状の世界は、アメリカが自らの尺度で「これはならずものだ」「これは善良だ」「仕方がないからこれは認めよう」と判断しているという姿になっている。

そのような世界に平和が訪れるわけがない。そうすると、北朝鮮の主張もわからないわけでもないという話にもなるだろう。

要は、自分が観た尺度から納得できるのが正しいことで、その尺度から納得できないものが間違っているという考えが、間違っているのだ。北朝鮮からすると、アメリカは横暴な大悪党なわけだ。今までどれほどの人を殺していろいろなものを収奪し、今なおその上に君臨し、世界の富を奪っているのだから。ということからすると、誰もが対等であるべきだ。

その眼から観たら、正しいとか正義はない。ところが、多くの人々は自分の眼から観て受け入れられることの上に平和をつくろうとする。だから、アメリカの傘下にいる日本はアメリカにはごまをすり、北朝鮮には厳しく非難する。ところが、もし第二次世界大戦のときに日本が敗戦ではなく停戦を勝ち取っていたならば、今、日本は北朝鮮と同じ立場にいることにもなるだろう。

人間は、自分の見える目線から判断し、認められるものを正しいとする。それが認められない、もしくは理解できなければ、間違っているとする。その徒党を組んだ極めつけが国家だ。

しかし、伝統的な暮らしも、動植物の個性も、地域による文化の違いもすべて多様性を認め合って初めて、平和がある。ところがグローバル化によって、人間の豊かさの価値観が単一化してしまった。そこで、お金があって欲しい物が手に入るアメリカ型豊かさだけが豊かさになっていると、それを阻害するものは悪で、そのようなものたちが築き上げてきた多数決の世界観が正義になっている。それが現代の問題を生んでいるのだ。そのような価値観はこれまで爆発的に広がってきたが、それは地球の多様性という生命世界からしたら、非常に貧しく単一的な世界だ。そのツケが今、世界中に現象化してきているのである。

そして、その単一化された価値観を阻害するような今までの動きも、実は宇宙からのメッセージであり、その矛盾を人類に示しているとも言える。「ひずみがあるとこうなるよ」と。逆に、ひずみを消すと悟りに向かっていくのだから、悟りに至ることはある意味味気ない世界とも言える。そういったことを宇宙が教えてくれている。

その宇宙の意志が観えるものになること――。それを今の時代に生きる人々に伝えたい。

わたしたちは銀河の法則と共に今、ここにいる。そうすると、今、目の前にあることだけを見ていてはいけない。

 


 

そして、2017年の秋分を迎え、いさどんは次のように語りました。

「木の花ファミリーでは2017年を『爆発の年』と呼んでいる。爆発というのは、究極の破壊だ。そうすると、破壊というのは、陰に入る入り口とも言える。今日、秋分の日を迎えるにあたり、これまでの拡大のサイクルからそぎ落としのサイクルに入る。だから、一人ひとりが不要なことはもうなしにして、必要なことだけを行っていく時が来たということだ。」

 

 


宇宙視点で北朝鮮について語る

北朝鮮が核実験を実施した日の翌日の朝。以下は、いさどんとようこの会話です。


いさどん:
今、北朝鮮はきな臭いだろう?

ようこ:
うん。

いさどん:
彼らのような人間の思考は、宇宙の実体からは、かけ離れた思考をしている。勢力争いをしてね。

ようこ:
そうだね。

いさどん:
でも、これも宇宙の実体の幅の中にあるのだろうね。スターウォーズという映画があったように、宇宙空間にも戦いがあるのだと思う。それで、戦いには悪い側と良い側があるだろう?それは、どちらが悪いかわからないよね。ただ、ひとつの側に立って物語が創られているだけだから。

ようこ:
結局、どちらも戦う側にいるだけだものね。

いさどん:
そう。それで自分の側にいる者との絆のことを愛などと呼んでいるだけなんだよ。結局、トランプ大統領の思考もアメリカ的発想だからね。

ようこ:
北朝鮮でも、中国でも、アメリカでも、そして日本でも大して変わらない。

いさどん:
対立軸にあるという意味では一緒だよ。今までは、これは有史以来のことだけれど、そのような対立を好まないで譲る人たちは、結局退いていった。そうすると、木の花ファミリーのような調和的な生き方が地球上に台頭してくるには、まだ100年以上かかるということかな。

ようこ:
そうだねえ・・・

いさどん:
それを、ここの子どもたちに語ってわかるだろうか。僕は、常に重要なことを語っていると思うよ。昨日の夜、今ケア滞在しているRくんにも本当に大切なことを伝えた。自分を守ろうとすることが、自分を貶めているということが人にはわからない。これはカラクリなんだよ!これは、今の北朝鮮も同じだよ。国益を守ろうとして、霊的な価値を落としているのだからね。それに、アメリカは議会がもっと機能している国かと思ったら、大統領によって完全に暴走してしまう国になる可能性もある。

ようこ:
結局、大統領令という制度があるから、独断で何でも決断できるしね。そうすると、民主主義なんてどこかに行ってしまって、独裁政治になる。

いさどん:
民主主義といっても、その時に政治の中枢にいる人たちの権力の実体がそのまま出てくるんだよ。

ようこ:
そうそう。そう考えると、アメリカも北朝鮮と大して変わらないね。

いさどん:
変わらないよ。

ようこ:
日本だって、道理が通ったリーダーシップが発揮できているわけでもなく、賢明な見解を世界に対して発信できているわけでもない。

いさどん:
対応が制裁一辺倒でね。話し合いをしても意味がないかもしれないけれど、制裁一辺倒を押しつけるのも策がない。結局、何が問題なのかというと、当事者たちの柔軟性のなさが問題なんだよ。

ようこ:
そうだね・・・。ねえ、いさどん。もし、いさどんが今、日本の首相だったら今の北朝鮮に対してどのような手を打つ?

いさどん:
北朝鮮については、まず、事が進み過ぎたんだよ。

ようこ:
そうだね。そもそも、もっと前に手を打つ必要があった。

いさどん:
そう。もっと前に、何か違う方向性を見出さないといけなかったのだけど、今は意地の張り合いで、引きたくても引けなくなってしまったんだよ。北朝鮮は腕白でわがままな国の代表のようなものだろう?それに対して、これまで覇権を握ってきた国家たちはそれを許せない。そこで僕が予想するに、どうもとんでもない兵器を彼らは開発していて、逆に言うとその兵器をつくるな、という側も実はそうした兵器を平気で持っているんだよ(チーン♪)。

だから、ずっと前に、あの戦争を終わらせておかなければならなかった。この状況は朝鮮戦争から来ているからね。それで、共産主義と資本主義の冷戦時代が崩壊した時に、北朝鮮も一緒に崩壊しなければならなかった。でも、朝鮮戦争の恨みが結局残っていて、それがそのままで手付かずになっているんだよ。

昨日もテレビのコメンテーターが「難しい問題ですね」と言っていたけれど、意地の張り合いで、難しいと言えば難しいよね。しかし、意地を張るのをやめたら、別に難しくもない話だよ。

結局、直接日本に何かが起きないと、上空にミサイルが通ったぐらいでは人は目覚めないからね。それと、それは北朝鮮が悪いという話になるだけだから。

ようこ:
そうそう。

いさどん:
本当は、そういう時代に自分たちが生きていることを全人類は知る必要があるんだよ。今の北朝鮮の精神レベルは、人類の実体なのだから。仮に、アフリカでも独裁的な指導者が現れてあのような財力や技術を持っていたら、それはどこででもありえることだよ。結局、精神レベルの問題だからね。

ようこ:
そうだね。だから、北朝鮮が悪者で、自分たちが正義の側ということはない。結局、Rくんの話と同じで、どんなに自分を守っていても良いことがないように、国家が意地を張っていても最終的には良いことは何もないんだけどね。

いさどん:
トランプ大統領は70歳を過ぎているのにもかかわらず、あんなに子どもじみていて、ある意味正直な人ではあるよね。彼がアメリカ大統領になるということは、これまでアメリカという国が歩んできたことの結末なんだよ。アメリカ人は自分たちが選んだ大統領を、「自分たちが選んだ」という意味でもう一度振り返らないといけない。ところが、自分たちが歩んできた道の結果であるということは忘れて、「トランプが問題だ!」と訴えている。

北朝鮮のキム・ジョンウンも、なぜ自分がこのような過激な腕白坊主のようなことをやっているのか、ということを振り返らないといけないのだけれど、何しろ感情的で腕白な状態になっている。負けず嫌いで、下手したらあれでは国を潰すよ。国の何千万という人々の未来がかかっているのに、彼はなぜそういったことを考えられない人なのか、ということを本当は考えないといけない。

彼らのような人たちが今、国のリーダーになっている。安倍首相でも、何でも制裁強化と言っているけれど、北朝鮮が暴走したら、一番困るのは日本だよ。韓国もそうだけどね。だから、韓国は少し慎重になっていて、話し合いで解決しようとするでしょう?でも、アメリカや日本に乗せられて、制裁と言っている。

やはり、現代の人々は皆、世界観が狭いんだよ。でも、そもそも人々には「自分の世界観が狭い」という概念がないからね。

ようこ:
そう考えてみると、今、世界観が広い人が世界中にどれだけいるのだろうか。

いさどん:
ここでまたひとつ、カラクリがあってね。たとえば、人は自分の世界観が狭いことに気付くと、「広い世界観を持ちたい!」と思うものだろう?でも、そう思う心が欲でね。その場合、いくらそう思っても、世界観は広くならないんだよ。最近、僕がよくケアを受けている人たちに伝えることは、「いくら一生懸命やっても、方向性が間違っていると、結局問題が繰り返される日々が続くだけなんだよ」ということ。

これからは、正常な方向性を見出し、その方向に歩んでいくことが最も大切な時代なんだ。

そして、僕はこれから、神通力・超能力を開発させていくステージに入る。それは、人間の可能性の探究の新たな歩みになる。

その神通力とは――、僕がその場に行くと、そこの場の波動が高まって、人々の考え方が変わるきっかけになる。「あの人はなぜあんなふうなのだろう?」と人は思うようになる。

たとえば、昨日車屋に行っただろう?そうすると、車屋は車を買ってくれたお客にただいろいろと説明しただけなのに、「なぜかわからないけれど、あのお客に惹かれる」と頭の中に何か忘れられないものを残していく。そういったことがもっと日常の中で頻繁に現れるということだよ。

ようこ:
簡単に言うと、人類の目覚めを自らの存在をもって促すということなんだろうね。以前いさどんは、「おやじの館」というビジョンを持っていたでしょう?いさどんがその館の一番奥の部屋に座っていると、何か悩み事を持っている人が訪れ、いさどんの顔を見て、それでいさどんがにやっと笑っただけで、その人は「ありがとうございました!」と言って納得して帰っていくというビジョン。今の話は、そのビジョンとも重なるね。

いさどん:
超能力というのは、たとえば具合が悪い人が来て僕が接していたら、正常な方向へ誘導されて良くなっていくということ。これが、超能力。奇跡は起きるんだよ。今までのような、物理的一辺倒に科学を駆使して病気を分析し、症状を改善していくのではなく、病気というものはその人に精神的な病気体質があるから、病気になるんだよ。だから、そこにアクセスしていく。そして、固まっていた根本原因がほぐされて柔らなくなったら、症状が変わっていく。これが、神通力や超能力だ。そして、その能力は特別なものではなく、誰にも可能なことなんだよ。

僕はよく、「心が貧しい者は良い人生は生きられない」と言うだろう?それは当たり前のことだけどね。いよいよ、それを重要なこととして立証していくということだ。

 

 

Source of image:THE WALL STREET JOURNAL


 

以下、宇宙視点を学ぶ講座をご案内します。

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2018年1ヶ月間の真学校
受講生募集中!

1ヶ月間の真学校は、壮大な時代の流れを読み解きながら、それまで知らずにいた本当の自分自身に目覚め、生きることの突破口を開く場です。
固定概念を超えて視野を大きく広げ、世界にたったひとつのあなたの人生を自ら切り開いていく力を身に付けます。

 日 程 
2018年2月25日(日)〜3月24日(土) 28日間

会 場
木の花ファミリー
静岡県富士宮市猫沢238−1

対 象
■ 自分を変えたい人
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■ 人生に行き詰まった、或いは人生の転機にある人
■ 今の世の中をどこかおかしいと感じながら、どうすればよいかわからずにいる人
■ 生きることの真の意味を知りたい人
■ この星に生きる人 すべて
☆その他、2017年受講生からは「こんな人に勧めたい」という様々な声が上がっています。受講生アンケートをご覧ください。→ 受講生アンケート

メイン講師・いさどん
メイン講師・いさどん

内 容
講座は「世界観」「農」「食」「医」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」と多岐にわたりますが、全講座に共通する最も重要な学びは、物理的な現象の奥に流れる深い精神性です。受講生の心の性質や世代の特徴、そして人生における役割などを紐解くことにより、それまでに考えたこともない新たな視点に出会って世界観を大きく広げ、生き辛い社会で生き抜く力を身に付けていきます。

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