麗しく、揺るぎのない、凛とした美しさで 〜 新時代「令和」を読み解く1

30年間続いた激動の「平成」の幕が下り、新たな時代「令和」の扉が開いた2019年5月1日。木の花ファミリーで毎晩夕食後に行われる子どもミーティングの場で、ジイジは子どもたちに向けて、「令和」という時代が到来したことの意味を宇宙視点から語りました。


ジイジ:
今日は日本の元号が変わった節目の日です。新しい元号は「令和」です。それで、令和という時代がどのような時代なのかということを、ひも解いてみたいと思います。

今日は令和最初の日で、今年はお正月が2回あるのかというくらい、朝から日本中が明けましておめでとうございますという感じでした。そしてテレビはいろいろな人たちに、新たな時代にどんなことを望むのかをインタビューしていました。その中で一番多かったのが、災害のない時代になってほしい、ということ。そして、世界中が平和であることでした。それが、日本人が最も願っていることです。新しい天皇陛下も、同じように世界の平和ということを語られていました。
今日は、子どもたちにはちょっと難しい話をするかもしれません。しかし、この新しい時代ももう少し先へ進めば、みんなもすぐに大人になります。そこでその新しい時代を生きていく子どもたちに、令和という時代がどのような時代なのか、そしてそういうことが語られる場所で自分は育ってきたのだということを記憶に留めておいてもらいたいと思い、この場所を設けました。

まず、令和の話ではなく、人の話をします。
人と言えば、みんな人ですね。人間です。人間は、地球上にいる命です。人間は命であり、他の動物や植物と同じように、地球を構成しています。では、人間以外の動物や植物は何をしているかと言うと、地球の自然の仕組みを担う役割をしています。人間も、本来は地球の自然の仕組みを健康にする役割をもらって、生まれてきました。しかし、現代の人間は、本来の役割を忘れた姿で、今を生きています。けれども今日、大きな転換の時を迎える証として、30年にわたる平成の時代が終わり、新しい天皇陛下が即位され、令和という新たな時代が始まりました。元号を持っている国は、今は世界中で日本しかありません。今日は日本中で多くの人が、新しい時代が来ることを感じながら一日を過ごし、各地で様々なイベントが行われました。平成という時代から令和になり、たくさんの日本人の心の中に、「何か時代が変わる」という予感がするのです。大晦日から元旦になると、何か空気が変わったような感じがするでしょう?それと同じように、私たち人間には意識というものがあり、一つの節目を越えると、次の世界を感じるのです。
今日、令和元年の最初の日にあたり、テレビ局がいろいろな人にインタビューをしていました。そこでは、災害のない時代になってほしい、平和な時代になってほしいと答える人が最もたくさんいました。それはなぜだと思いますか?

れいじろう:
今までに、震災とか洪水とかがいっぱいあったから。

ジイジ:
そうだね。特にここ数年、毎年たくさんの災害が起きています。日本だけではなく世界中で、テロや戦争がまだまだあります。ですから、これからはそういうものがなくなってほしいと人々は願っているのです。
そこで皆さん、考えてみてください。令和の時代になり、日本人の多くは、災害のない、平和な時代になってほしいと願っています。それに対して、本当にそうなると思う人!
(子どもたちは、一人を除いて全員が手を挙げない。)

みのり:
なるわけないじゃん。

ジイジ:
それはなぜですか?

みのり:
人間の思考が変わらない限り、変わらない。

ゆうとう:
二酸化炭素とかが増えていって環境が悪くなっているから、自然災害が多くなる。

ジイジ:
どうしてそうなったと思いますか?

ゆうとう:
ガスとかいろんなゴミを、人間が出し続けているから。

あきよし:
植物も減らしちゃった。

ジイジ:
つまり、地球の環境を悪くすることを、人間はたくさんしてきたということです。そうでしょう?ウソをつくのも同じです。みんな地球環境を悪くするのはいけないことだとどこかで思っているから、隠れてそれをやるのです。
残念ながら、時代が新しくなっても、人間が今まで地球に積み上げてきた問題は変わらずにあり続けます。時代が変わったからと言って、そういったものはパッと消えるものではないのです。それどころか、今まで積み上げてきたもののツケがさらに明快になって現象となって現れてくるでしょう。いくら災害のない、平和な世の中になってほしいと願っても、時代が変わったからといって問題ごとはなくなりません。そして、人間たちの姿勢も、そんなに急には変わらないのです。
今日は天気も良く、令和元年の幕開けをみんなで祝いましたが、これから夏に向かって災害がたくさん起きてくるでしょう。そして、ついこの間スリランカでテロがあったように、世界中で紛争は続いています。世界の大国は、軍事力で一番になることに一生懸命になっています。まだまだ、そういった時代です。
けれども、地球はひとつです。そして地球には、たくさんの命が生まれ、存在しています。そのたくさんの命たちはみんなで仲良くして、美しい世界を創るのが、地球に生まれてきた本当の目的です。もちろん人間もその中の一つです。

僕はこれまでもこういったことを語り、木の花ファミリーという場所を創ってきました。そして、変わった人だと思われてきました。それは平成までの時代です。しかしこれからは、実際に、もっと環境が厳しくなる時代が始まります。ジイジのことを変わり者だなんて言っている場合ではありません。そんなことより、なぜ今のような世の中になってしまったのかを考え、一人ひとりが自分の行いを振り返らなければならない時が来ます。
自分は地球に対して何も悪いことはしていない。ただウソをついただけ。自分は何も悪いことをしていない。ただゴミを捨てただけ。みんなが自分のことだけを考えて、何の自覚もないままに地球を汚し続けていくと、地球の環境はもっと悪くなり、みんなが住みにくい場所になるでしょう。
令和という時代は、そういったことを行ってきた人間一人ひとりの心を見つめ直し、それまでの行いを振り返って、改めていく時代です。そうやって自分を振り返って改め、自分にも世の中にも良い行いをできる人になることを、何と言いますか?

みのり:
軌道修正。

ジイジ:
確かにこれまでの軌道を改めるのだから、そうですね。その軌道修正をするために一人ひとりがやることは何ですか?

みのり:
ああ!心磨き!

ジイジ:
そう。心を磨くということです。
つまり、いくら環境を良くしようと思っても、心がウソをついていたり、他の人や自然のことを考えなければ、環境は良くはなりません。人のことを考えないということは、人と仲良くなることはできないのです。そしてその一人ひとりの小さな問題が、大きくなって国の問題になり、さらに大きくなって世界の問題となり、戦争や災害のようなことがたくさん起きるのです。人々が、他者のことを考えず自分のことばかり思っているということは、自然のことも考えないということです。そういった一人ひとりの心が積み重なって問題が大きくなり、今地球はゴミだらけになり、温暖化が起きています。もっと言えば、火山の噴火だって人間の行いに対するメッセージだとも言えるのです。

今、みんなの後ろにいる大人たちは、こういった生き方を志して木の花ファミリーに集ってきた人たちですから、自分のことを責任を持ってやってもらうということで、その歩みは一人ひとりに任されています。そして子どもたちには、こういったことを考え、語り合う場所で育ったことを、心のどこかに置いて育っていってもらえたらと思います。たとえ話の最中に寝ていたとしても、その空気を感じながら育っていくことは大切なことです。
ここには、心の病気を抱えた人がたくさん来ます。ジイジは、その人たちが健全になっていくお手伝いをしていますが、そういった病気を抱えている人々の多くは、小さなころに育った環境の影響を大きく受けています。例えば親との関係が良くなかったとか、学校でいじめにあったということが、自分の中で解決できないまま大きくなり、大人になってもそのことがいつも内にあり、うまく社会に馴染めないのです。現代には、そういった状態の人がたくさんいます。両親がいつもいがみ合っている家庭の中で育っていくと、子どもはその空気を感じ、それがその子どもの人間性を形成していきます。嫌だ嫌だと思いながら大きくなり、大人になって「あんな家は嫌だ」と別のものを求めるようになりますが、そんなものごとに対して否定的な心でいれば、正しくものを観る目は育ちません。ですからそこでは、新しい人との出会いも、歪んだものとなり、いずれ病気になっていくのです。
その歪みを正しく直していくと、人は自然と病気でなくなります。そこでは治療などしなくても、それまで歩んできた道がどのように病気につながってきたのかを振り返り、どこが問題であったのかを突きとめて改めれば、良い人生を生きられるようになります。そういったことは、人生を健康に生きていくためには、優先して大切にするべきことです。そういった大切を忘れ、お金が欲しいだのゲームをやりたいだのと好きなことばかりをやりたければ、やればいいのですよ。でも心がきれいでなければ、必ずそういった優先するべきことを忘れた自分本位の行いは、いずれ悪いこととなって返ってきます。これは、人生にとってとても大切なことです。そしてみんなに約束します。この世界はそうなっているのです。それが地球の法則であり、宇宙の法則であり、もっと広い意味で言えば、神様との約束のもとに人は生きているという証なのです。

人生において、それを知るのはとても大切なことです。そもそも人間にとっての人生とは、そういった仕組みの中で自らの実態を知り、自らを美しく高めていくことを目的として与えられているものだとも言えるのです。多くの人々は、その大切を忘れてしまいました。人々が自然と共に生きていた時代には、そういった約束のもとに生活が営まれていました。人々は自然に生かされると同時に、この世界のたくさんの存在と交信していたのです。今、そういった大切を忘れてしまった人々は、自らの欲だけの人間本意の考えで生きるようになったのです。
人にとって大切なことは、人とつながることです。そして自分の意見を伝え、他者の意見を聞き、互いに認め合い、絆を結び、調和して生きていくことです。そういったことが良い世の中を創り、良い地球を創るのです。さて、そういった私たちが生きることに関わる深い洞察が、なぜ令和という時代に関係があるのか、ということです。それは、令和という文字や、その文字が元号に使われる今の時代に示されているからです。

日本のことを、日の本とも言います。それは太陽のもとにある国という意味ですが、太陽のもとにある国とは日本だけではありません。地球は太陽の光が注ぎ、太陽と共に宇宙空間を旅しながら、その太陽の光が元となり地球に命が発生しているのですから、地球上はすべて日の本なのです。そして太平洋の真ん中に日付変更線がありますが、世界の中でも日本は最も早く夜が明ける国のひとつであり、「日の本」と書いてニホンと言うようになったのです。
日本にはもうひとつ呼び方があります。知っていますか?

ゆりか:
ジャパン!

ジイジ:
それは英語ですね(笑)。日本語の呼び方ですよ。

みのり:
やまと!

ジイジ:
そうです。やまとです。では、やまととは、どのような字を書きますか?そうです。「大和」ですね。和は、令和の和でもあり、調和を示しています。調和というのは、みんながお互いの個性を認めながら、力を合わせ、助け合っていくことです。それが大きな和になっているのが、大和です。その和とは、物理的な輪を示すと同時に、そこでみんなが和んでいる場も示しているのです。そのような場のモデルが、地球の命の世界なのです。地球にはたくさんの生命がいて、それがみんなつながって、循環し、健康でいる。その大調和の世界が、大和です。ですから大和の国の人々は、地球に本当に美しい世界をもたらす存在であり、日本の国の名前には、そのような大切な意味が込められているのです。

さてそこで、新しく始まった令和とはどのような時代なのかを考えてみました。
ジイジは昭和に生まれました。戦争の後に生まれ、昭和、平成、令和と、これで3つ目の時代を体験します。どの時代でも、新しい時代が始まる時には、その意味を考え、新たな時代を想像するものです。そして時代は、その元号にふさわしく変化していくものです。それは日本だけのことのように思えるかもしれませんが、実は太陽系の冥王星の周期で観ていくと、日本の元号が変わることは世界にとってとても意味があるということがわかります。

〈ここでジイジは、冥王星の周期と日本の元号の関係について解説しました。〉

冥王星の周期と日本の元号の深い関係性
冥王星が太陽を1周する248年の周期上に現れるいくつかのポイントと、日本の元号が変わる時が、不思議な一致を見せている。これは、日本の元号が変わることが日本一国のことだけではなく、宇宙的な意味合いを持っていることを表している。
・1760年〈光のピーク〉… イギリス産業革命始まる。
・1867年〈遠日点=冥王星が太陽から最も遠い点〉…江戸幕府第15代将軍徳川慶喜が明治天皇に政権を返上(大政奉還)し、明治時代が始まる(明治維新)。
・1913年〈闇のピーク〉… 前年の1912年に大正が始まる。1914年には第一次世界大戦が勃発。
・1930年〈昇交点・冥王星発見の年〉… 1926年に昭和が始まり、翌1927年に白陽期(中国の「天盤の巡り」が示す庶民の目覚めの時代)が始まる。
・1989年〈近日点=冥王星が太陽に最も近い点〉… 平成が始まる。バブル経済がピークに達し、崩壊する。
・2008年〈光のピーク〉… リーマンショックで世界経済が大混乱に陥る。日本の人口減少が始まる。
・2020年〈降交点〉… 2019年に令和が始まる。2020年には東京オリンピックが開催され、それを越えた先に日本は大きく変化する。

*昇交点と降交点 … 太陽系の他の惑星軌道の盤面に対して傾斜のある軌道を描く冥王星が、盤面より上(北極星の方向)に上がる点(昇交点)と盤面より下に下がる点(降交点)。

ジイジ:
日本の元号が変わるということは宇宙的なセレモニーであることが、ここから観えてきます。宇宙的に変わるということは、人間の考えも変わるということです。今まで自分のことだけを考えていた人が、行き詰まるようになります。そんなことは信じられないと思う人がいるかもしれませんが、実際にはそうなります。その行き詰まった時に、この話が思い出されたならば、自分を変えられるチャンスです。しかし、まったく耳を傾けずにそのまま進んでいけば、行き詰まっても「何でこうなるんだろう」「どうしたらいいんだろう」と迷うだけです。
時代は確実に変わります。これから災害もたくさん起きます。日本政府も、地震が来ることを自信を持って保証しています。(チーン♪)台風もどんどん強くなります。いくら防災訓練をやっても、災害が来れば被害は起きるものです。今日が新しい元号の年の元旦だとしたら、毎年1年を振り返った時に、これからは「ジイジの言っていたことは本当だった」と思うことでしょう。ですから、そういった様々な地球規模の変化に対応するために、考え方を変えなければいけないのです。
災害なんて、考え方を変えたってどうしようもないことじゃないかと思ったら間違いです。人間の考え方が間違っているから、その自分のことしか考えない人間のわがままの心が束になり、地球に影響をもたらしているのです。自分のことしか考えない。頭を使わない。考えが狭い。そもそも宇宙の法則によって生かされているのに、宇宙は愚か自然のことすら考えない。今はそのような考えの人間ばかりだから、宇宙や自然は人間たちにたくさんのメッセージをくれているのです。そういった物事の捉え方はこれまで迷信のように語られてきましたが、これから現実となってくるでしょう。

令和という時代は、地球上に生きるもの、特に人間に、困難をたくさん与えてくれる時代です。それは、人間がこれまでそういった出来事を引き起こす元となる生き方をしてきたからです。そしてそれを改めるチャンスをくれるのです。
子どもたち、よく覚えておきなさい。なぜ子どもたちに向けて語るのかと言えば、大人は子どもたちほどこれから長くは生きないからです。災害が来たら「大変だ」と言ってそのまま死んでいければいいのです。けれども、子どもたちは先が長い。大変だからと言って自殺するわけにはいかないのですから、これからの時代を生きる人々は、その大変を生きていかなければなりません。
その時に大切なことは、みんなが正直で、心を開いて、助け合って生きていくことです。そういった心にみんながならなければ、これからの困難な時代は乗り越えられません。正直で、お互いに助けあい、尊重しあって暮らすこと。そのことを、宇宙が示してくれている地球の命の世界、大調和と言い、それが大和の国の精神です。それが本当の大和魂と言うのです。
昔、日本が戦争をした時にゼロ戦に乗ってアメリカの軍艦に飛び込んでいきました。あのように命を粗末にするのは、本当の大和魂とは言えません。命を大切にし、争わず、助け合い、仲良く暮らして調和の世の中をつくるのが、本当の大和魂なのです。

そこで考えてみてください。どこかにそういう場所があるでしょう?令和にならなくても、既にどこかに、そのように暮らしている場所があるでしょう?

子どもたち:
ここー!

ジイジ:
そうです。だから、ここは大切なのです。その大切な場所にみんなは住んでいます。今は「ヘンなところに育ったなあ」と思うかもしれませんが、新しい時代が来たら、「こんなに大切なところに生まれて育ったんだ」「新しい時代の見本だ」と誇りを持って生きるようになるでしょう。

今、ペイペイたちが中国から来て新たにメンバーになったように、たくさんの人々が外国からやって来て、この生き方を学んでいます。その心をこれから子どもたちは受け継ぎ、木の花を良い場所にするだけではなく、未来の地球のために生きる大人になってください。


◆「令和」の意味
新元号「令和」の考案者とみられる万葉集が専門の国文学者、中西進さんは、「令和」の「令」の字について「麗しいという概念を表す究極の言葉で、『麗しい』という言葉は、乱れていない、破綻していない、整っていることを表している」と述べ、「和」については、「一人ひとりがそれぞれの価値を持っていて、それぞれを生かしながら、みんなが仲良しであるという事が『和』です」と話した。


ジイジ:
どこかで語られてきたような話ですね。麗しいというのは、凛として、揺るぎがなく、そして美しい。ダラダラとゲームをやったり、お金を儲けて成功したと言っていても、そんなものは麗しくありません。生命にとって正しい生き方をして、世の中を乱さない。自分の心も乱さない。それが麗しいということです。
お酒を飲んだり、賭け事にはまり破たんするのは、麗しい姿ではありません。ゲーム中毒もそうです。ゲームに夢中になって破たんしている状態です。そんな生きものは自然界にはいません。人間も生命ですから、人生の中でそんなことをしていると、必ず破たんします。けれども闇のピークに向かっていたこれまでの時代は、そういった矛盾を世の中に広めることを進める時代だったのです。しかし令和になったら、麗しい、乱れていない、破たんしていない、整っている時代が始まります。なぜあなたはそれをやるのですかと問われたら、私はこういう理由があってこれをやっているのですとはっきりその行いの意義を言うことができ、それが崩れない。その凛とした姿勢が、令和の「令」という字に示されています。
「和」は、一人ひとりがそれぞれの価値を持ち、個性を認め合う。自分の個性を尊重してもらいながら、その個性をみんなのために使う。そしてみんなが仲良しであること。それが「和」の意味であり、それが大きく和になっているのが、「大和」の精神です。それが大和魂です。神風特攻隊や武士の腹切りは大和魂とは言いません。それは命を無駄にしているのです。

「令」とは、麗しい。秩序あること。凛とした美しさ。それは魂の話です。魂が麗しく、秩序があり、凛とした美しさを保っていると、姿形もそのようになってきます。そしてそういった状態になると、あなたの人生に問題ごとは起きなくなります。そこでは、無駄な考えを起こさず、理に適った考えに基づいて行動しますから、物事は流れよくとんとん拍子に進むようになります。
みんなが、自分の願いが叶うのはいいことだ、お金があるのはいいことだと思い競争してきたら、いつの間にか世の中はこんなにも矛盾だらけになってしまいました。そこで、自分一人だけを見るのではなく、広く世の中を観て理解しないと、自分の行動を改めて世の中を良くすることはできません。自分の行いが世の中を悪くしたら、いずれ人生の終わりを迎えた時に、あなたはこの世界にこんな問題をもたらしましたと突きつけられることでしょう。しかし、自分のことばかりを考え、視野が狭いと、そのことがわからないのです。
ですから、もっと広い視野でものごと判断し、観る心を育てないといけません。地球全体のことを考えようという時代から、令和は、宇宙はなぜ地球を創ったのか、そしてなぜそこに人間を降ろし、なぜ今あなたはそこにいるのか。そういった広い世界観を元に、あなた自身の存在について考える時代が来ています。そうでなければ、私たち一人ひとりは単にこの世界に問題をもたらすガン細胞のようなものになってしまいます。それは、私たちにとっても世界にとってもとても大きな問題であり、みんながそのことを考えなければ乗り越えられない時代に入ったのが、令和の始まりなのです。

現代は、宇宙的にとびきりのターニングポイントを迎えています。

ジイジ:
これは、太陽の1らせんのサイクルを表した図です。太陽は、およそ2億2600万年をかけて、約9000回のらせんを描きながら銀河を1周します。その1らせんは25800年です。そして25800年ごとに、太陽系は光のピーク、即ち「銀河の夏至」と、闇のピーク、即ち「銀河の冬至」を迎えます。2012年12月21日、太陽系は闇のピークを越え、光のピークへと向かって舵を切りました。それは、これまで闇にまぎれて真実が見えなくなっていたものが、光に照らされ、明らかになっていくプロセスに入ったのです。

闇が増していくサイクルの時代では、間違ったことをどんどんやっても、人々はそれを正しいと思って生きてきました。幸せになりたくて一生懸命勉強し、競争していい会社に入ったらそこでも競争をしてぼろぼろになったり、勝った人と負けた人の差が生まれ多くの人にストレスが溜まり病気になったり、お医者さんは病人がいっぱいいることでお金儲けになったり、弁護士も世の中が乱れれば乱れるほど仕事が増えてお金が儲かる。そういった奇妙な時代でした。しかし、そういった闇雲に突き進んだ時代の真実が、闇のピークを過ぎることで、だんだんとわかり始めてきました。だからこそ今、こういった情報が人々に伝えられるようになってきたのです。そして、心の内に「何かがヘンだ」と感じ出した人々が世界中からここへ訪れるようになったのです。
時代はこれから光のピークへと向かっていきます。この光は、今のところ闇を照らし真実を明らかにする光ですから、これから今まで築き上げられてきた世の中の間違いがどんどん観えてきます。そういった間違いの実体が明らかになった時、私たちは今までのように闇の方へ行くのではなく、物事を正しく観るための光の導きに従い、光の方へ行くことを心掛けましょう。しかし、汚れた心をしていると、そこで出会う真実の光は、とてもまぶしいものです。そしてそのまぶしさから逃れようと、闇の方へ行こうとする者もいるものです。ジイジから「あなたのその心は間違っていますよ」と伝えられた時に、何だか怖い人がそこにいると感じ、何を伝えられているのかわからなくなり、避けようとするようでは、自分の心を闇の方へ向けていることになります。一見厳しいことを伝えられているように受け取れたとしても、それはあなたの姿勢がそのように受け取っているだけで、ジイジはいつも、光の方に向かっていきなさい、と伝えているだけなのです。

闇のピークに向かっていた時代は、すべてが拡大していくサイクルの中にありました。拡大するとは、人と人の距離が遠くなりますから、人々は孤独になります。人々は分離し、互いの違いから争い、そこに格差が生まれした。しかし闇のピークを越えた今、時代は収縮のサイクルへと入りました。収縮するということは、再び距離が近くなっていくということです。
みんなで一緒に暮らせば、互いに助け合い、少ないお金やエネルギーでいろいろなことが効率よくでき、豊かに暮らせます。それが、皆さんが暮らしている木の花ファミリーの生き方です。「自分さえよければいい」「自分だけがたくさん欲しい」と思う人は、それがその人にとっていいことだと思っているかもしれませんが、そういった不調和を世界にもたらす心は、地球に悪い影響を与えていきます。私たちはみんな同じ地球に住んでいるのですから、地球の状態が悪くなれば、みんながその影響を受けることになります。これからは、みんなでそのことをよく考え、一人ひとりが自分の行いに責任を取らなければならない時代が来ます。その進む指針は、収縮すること。そしてよりコンパクトになり、みんなが心から通じ合い、助け合い、深い絆で結ばれた豊かな生活を実現することです。

〈さらにジイジは、太陽の1らせんの1/4が示す人類の文明史、そして、800年ごとに東洋と西洋の文明の盛衰が入れ替わる文明1600年周期について解説し、現代が様々なサイクルのターニングポイントにあることを説明しました。〉

ジイジ:
2000年を境に、この800年間隆盛を極めた西洋文明は停滞期に入りました。それに対し東洋文明は、停滞期を終え、これから隆盛期に入ります。2000年から2100年までの100年間は、次の800年周期の宇宙時代への移行期にあたります。
今、アジアの人々は、西洋的物質至上主義のもとに発展したテクノロジーの進化に翻弄され、そういった価値観以外の指針を見出せずにいます。それは、西洋的物質至上主義の影響を受けて汚染されている状態です。これからは、自然環境を無視した人間の活動が行き過ぎると地球上に様々な矛盾をもたらすことに気付き、大局的なものの捉え方による古の東洋の叡智を蘇らせることが求められます。それが、次の人類の進化となります。星と対話し、土と対話し、動物や植物と対話し、天の気を読み、自然と共に生きる精神が必要になってきます。そうでなければ、人間は自らを生かしている大いなるものにとっての、不調和な存在になってしまうからです。
歴史を振り返ると、この東洋と西洋の文明の盛衰が入れ替わる転換点では、大動乱が起きています。現代においても、約束されたかのように大動乱が発生しています。そしてその動乱は、およそ100年続きます。ですから令和の時代になっても、ますます混乱が起きてくるでしょう。その中で自分のことだけを考えていると、その混乱の渦に巻き込まれてしまいます。そのことを覚えておいてください。
そこで、これからいったいどのような心を持って生きていけばいいのか。それを自分で考えてください。人間の中には、正しく生きるための智恵があるのです。自分の欲ばかりで生きていると、それは湧いてはきません。湧き出すようにとジイジがいろいろなことを伝えても、そういう心の人は、その話がまったくわからないのです。しかし必ず、誰の中にも、宇宙の法則や自然の仕組みが、小宇宙として存在しているのです。
今、世の中にどんどんAIの技術が広がっていますが、人間が考えることまでAIに考えてもらったら、人間はどうなるのでしょう。時代や世界の流れを読み、自らが正しく生き、その結果、世の中にとっても自分にとってもいい世界を創ることができる。それが人間です。AIは、それを作った人間の欲の心の上にデータをインプットされ、それを忠実に実行するだけなのです。ゆうくんが、ちょっと忙しいから田んぼの代掻きを代わってと言ってAIにやらせたら、一晩中でも作業を続けます。しかしそれで人間は何もしなくて良くなるとしたら、人間の感覚や身体能力は衰えていきます。では暇だからといって、カルチャーセンターに行って運動をしますか?そういった姿勢から得られるのは、本当の健康とは言えません。
これから、人間が発明したものが人間の存在を超え、それに人間が翻弄される時代がやって来ます。それは、本来人間とは何者なのかが問われる時代になるということです。人間の本質が問われることで、人々が本来の人間の価値に目覚める時代が始まるのです。

これからますます、世界中で地球規模の矛盾が現象化していくことでしょう。その矛盾とは、人的矛盾、社会的矛盾、そして環境的矛盾です。
人的矛盾と言うのは、人間一人ひとりが良いと思ってやることが間違いを起こし、世の中を悪くしたことです。そして一人ひとりが自分のことしか考えず、魂としてもレベルの低いものになってしまったということです。良いと思って間違いをやるのは矛盾です。ですから、悪いと思ってやる方がまだましかもしれませんが、それはそれでなお問題です。
社会的矛盾とは、例えば良い世の中を作るためにあるはずの教育が、格差を作っています。人々を健康にするための医療が、お金儲けの手段になっています。裁判所では、たくさん勉強をした優秀な人たちが、自分の利益のために罪のある人を無実にしたり、無実の人に罪を着せたりしています。お金を儲けて豊かになろうとする人たちが、何も生産しない仮想経済金融システムや、裏に隠されて表に出てこないアングラマネーの世界を作り、さらに格差を広げています。それらはすべて社会的矛盾であり、そういった現代にはびこる矛盾は数え上げたら切りがありません。
そして、地球温暖化に代表される環境的矛盾があります。太陽の黒点活動により、地球は今プラスエネルギー過剰になっています。人間が「もっともっと」「たくさん欲しい」というのはプラスでしょう?太陽がそれに応えて、エネルギーをどんどん地球に送り込んでいます。そして地球のマグマのエネルギーが強くなり、火山が噴火するようになります。日本では、地殻変動や火山の噴火が近い将来起こると予想されていますが、そういったことを誰が引き起こしているのかと言えば、人間のこれまでの地球上での生き方が、それを引き起こしているのです。

学校でいじめにあったり、社会に通用せず引きこもりになってしまうのは、子どもの問題のようですが、実はその家のお父さんとお母さんの仲が悪くその影響を受けていたりします。ではその両親の仲がなぜうまくいかないのかと言えば、そのまた両親の関係から来ていたりするのです。そういったことを正しく振り返り、いったいどこに問題があるのかを観て、最終的に自分自身に問題があることに気付き、自分をきれいにしていく。そうすると、そこから初めて自分自身の人生も、自分がこれから生み出すであろう子孫も、社会も良くなっていきます。
そういった学びある生き方をしなければ、人間は大量絶滅する可能性もあります。今のようにガン細胞のような生き物でいては地球にとって迷惑ですから、必要ないのです。しかし人間は、優れた生き物でもあります。その優れたところに気付き、それをこれから表現していけば、誰もがいい時代を生きることができます。その結果、世の中が良くなります。「自分だけ」なんて考えていてはいけません。もっと心を広げ、みんなのことを観なければいけません。世の中のことを観なければいけません。

なぜジイジはこういうことを言うと思いますか?そう、令和になったからです。今までは、こういったことを言いませんでした。一人ひとりが自らの心で目覚めていけばいいと思っていました。そう思って観ていました。
でもこれからは、言います。「それではダメだよ」と。なぜなら、そういう時代が来るからです。もっと明快な時代が来るからです。


「これからは本物の人の価値、麗しき、揺るぎのない、凛とした美しさ。それでいて一人ひとりは極めて個性的で、その個性を生かしあい調和していく時代が始まる。それが『令和』という時代に込められたメッセージなのだろう。」


今ジイジは、世界中から訪れるたくさんの人々に、こういったことを伝えています。その時に、ここに暮らしている人々や、ここに関わる人々が、その語られていることを表現していなかったら、ウソつきです。詐欺師です。けれども、これは絶対に大切なのです。

いよいよその扉が開きました。子どもたちには、これからの長い人生をジイジの思う通りに生きなさいなんていうことは言いません。しかし、自分の人生に起こる様々なことを、逃げずによく観ていかなければなりません。そうすれば、この問題が起きたのは自分があの時こういうことをしたからだ、ということが観えてきます。その問題と関係のないように思えることであっても、自らの心の汚れが現象化し、問題となって現れ、自らの姿を教えてくれているのです。それは、神様がいるからです。この世界は神様の世界なのです。

そういったことを、ジイジはみんなに伝えていきます。ですからこれからも時々このような場所をみんなと持ちながら、「みんながいてくれてよかった」と地球が喜ぶ、そういう世の中にしていかなければなりません。どうぞ、価値ある人生を自らに与え、それを生きていってください。

 

 

「新時代「令和」を読み解く2」へ!

 


毎日が「明けましておめでとうございます」

2月2日、木の花ファミリーでは、新たな時代の幕開けを祝いうれしたのしと舞い踊る「富士浅間木の花祭り」が開催されました。世界中から届けられたご清水が祭場の中央の釜の中でひとつに融合し、人々は祭りの最後にその湯を浴びて、生まれ清まった新たな心で、農の始まりである立春正月を迎えるのです。以下、2月4日の立春正月祭でのジイジの挨拶をご紹介します。

立春正月祭にて

毎日が「明けましておめでとうございます」

皆さん、明けましておめでとうございます。
先月も明けましておめでとうございますと言いましたが、正月の月が終わり、富士浅間木の花祭りが明けまして、おめでとうございます。そして立春正月が明けまして、おめでとうございます。3月21日になれば、それは木の花ファミリーの誕生日でもありますが、春分で本当の意味での一年の始まりとなり、農の正月を迎えることになりますから、これもやはり明けましておめでとうございます。
今朝も、夜が明けました。毎日夜が明けます。今朝私は倉庫に行って、「おひさまハウスひまわり」の新しい看板を作っていました。今日は朝からとても暖かく、天気も良く気持ちの良い日で、暦の上の立春という日を感じながら作業をさせていただいていました。
ここで何が言いたいのかというと、毎日毎日、瞬間瞬間、私たちは時と共に生きているということです。

もしもこの世界に時がなかったら、どうなるでしょう。すべてが存在しないことになります。私たちは時の旅人であり、時と共に、こうして存在しています。時と共に生まれ、時と共に死んでいく。そしてまた、その時の中に生まれてくるのです。
それを平面で表せば、円になります。しかし実際に、人生では、いろいろなことを体験し、変化しながら進んでいきますから、それは円ではなく、渦になっています。そのような仕組みの世界のことを、「宇宙」と言います。
「ウチュウ」をカタカムナでひも解くと、渦(ウ)が持続(チ)して、極めて不思議なユラユラとした揺らぎ(ユ)が渦(ウ)になっている。それが宇宙です。私たちは毎日を、その中で生きています。

今日は立春正月祭という祭事が行われました。私たち木の花ファミリーは、「マワリテメクル」、つまり、毎日地球が自転し(マワリテ)、そして一年を通して公転する(メクル)という宇宙の法則を感じながら生きています。毎日朝起きて「おはようございます」と言い、お昼にはご飯を食べ、夜はみんなで集まってミーティングをして、「おやすみなさい」と言って眠ります。それは「マワリテ」という時の流れの中にあるけじめです。そうして四季を迎えながら、「メクル」時の中で季節に応じた祭事を行います。私たちは自然から命をいただき、自然の中で命を巡らせています。自然から食べ物をいただきながら、そのことを意識し、「マワリテメクル」時の中で一つひとつにけじめをつけながら生きているのです。

今日、今年の立春正月祭という祭事を迎え、とても厳粛な気持ちでいます。なぜ厳粛なのかというと、宇宙の仕組みと共に生きていることを感じるからです。その宇宙の仕組みの元である、時空をつくっている時が、私たちの存在を保っているのです。
今、その厳粛なる宇宙の仕組みの中にいることを感じながら、祝詞を聞いていました。すると、祝詞の中にその仕組みが表現されているのです。それを聞きながら、昔こういったことをまったく意識していなかった頃に、神社へ行って神主さんが祝詞をあげるのを聞きながら「何を言っているのだろう」と思っていたことを思い出していました。お寺でお坊さんがお経をあげるのを聞いても、「意味不明なことを言っているな」と思っていました。
これまで宗教は、神の御前において、宇宙の法を語ってきました。私たちは宇宙と共に生きているからこそ、それに倣い、少しでも神様の方を向いて、自我から湧き出す欲の心をきれいにして生きていく。毎日毎日、私たちは時と共に現象に出会います。現象は、神の意思の顕れです。その現象をいただいて滞りとなれば、そこから自らの自我の存在に気付き、欲に溺れていることを知り、きれいになって、生きて、この世界に貢献しなさい。そういった優れた生き方をして、帰ってきなさい。どこへ帰るのでしょう。私のところへ帰ってきなさい ──── それが、現象の奥にある神様の心です。
ところが現代の人々は、自然を見て、自然を自分にとって都合の良いものであってほしいと思い、その心の存在を忘れてしまいました。ですから日本には仏教という教えが伝承され、宇宙の仕組みや人間の心の仕組みを説いて聞かせ、生きるとは修行であること、そして人間は宇宙の理に則って生き、宇宙へと還っていくことを説いたのです。
キリスト教では、私たちがこの世界に生きるということは宇宙の根本に存在する愛によって生かされている、つまり私たちは、神様の愛の中に存在していることを説いています。人間は、自らにとって都合の良いことを愛だと思うものですが、自分にとって「問題ごと」と思えることも、その根底には、愛があるのです。そして実は、問題ごとの方が愛が深いのです。それは、間違っている者にふさわしい現象を与え、「あなたは間違っているよ」ということを教えてくれているのです。

心が歪んでいると、問題ごとを与えられた時に「神様は私に意地悪をしている」と思うでしょう。そして他人に都合の良いことが起きるのを見て、その内容をよく知りもしないのに「羨ましい」と思い、自分だけが意地悪をされていると思うでしょう。それは、意識が低いからです。意識が高くなれば、どんな出来事からも、愛の存在を感じられます。
イスラム教は、人々が自然世界と同じように、宇宙と同じように、調和して、助け合って生きることを説いてくれました。それは宇宙の真理です。人間がこの世界を生きるということは、地上にその真理を顕わすという役割を持っているのです。
マワリテメクル大きなサイクルの中で、銀河の夏至から冬至に向けて、霊的な闇の時代が1万2900年間続きました。しかし、2012年12月21日の銀河の冬至を境に、闇が深まっていく時代は終わりを告げ、光の方へと向かうサイクルが始まりました。去年から今年にかけての世相を観ると、世界はますます混乱を極めています。しかし、ひとつおもしろいことがあります。以前は、混乱の元が現象化すればするほど、人々はそれが豊かになることだと勘違いして、勢いを持ってさらに混乱の方向へと進んでいました。けれども今は、混乱が起きれば起きるほど「何か世の中が変だぞ」と人々が感じ始めたのです。それは、霊的な光が差してきたからです。ですから人々は真実に気付き始めたのです。

立春正月を迎え、木の花ファミリーではいよいよ、2月24日からスタートする「1ヶ月間の真学校」の準備が始まります。そこで、たくさんの情報の中から何を伝えるか。
皆さんは、地球に生き、そして宇宙を生きています。天体と共に、時の旅人として生きています。それは「生かされている」ということです。私たちは自我にまみれ、一番大切な、生命としての自分自身の根本を忘れてしまったがために、豊かであるはずなのに混乱した世の中をつくることになりました。真学校に参加することを通して、どうかそのことに目覚め、世界が正しく調和するよう導ける人になっていただきたい ──── それが、今年の受講生に伝える私たちのテーマです。
知らない人々から見れば、こんなふうに祭壇に作物をお供えし、狭いところにたくさんの人が集まって何をしているのだろう、と思うかもしれません。しかしこの生き方の大切さを知ってしまったなら、それが人として生きることの本当の喜びです。大切なのは、今日の祭事ではありません。毎日毎日、瞬間瞬間が「明けましておめでとうございます」です。そして本当にめでたい日々を送り、それをやり尽くして、一生を終える。それを繰り返しながら、世の中を良くする人になるのです。

今日はこの場で何を話そうか、と思っていました。そして立春正月祭という神事に出会い、改めて、この神事の奥に宇宙の法があるということを感じました。今、宗教を学んでいる人たちは、そのことをほとんど知りません。みんな自分の都合を優先して、自分が幸せになるように、自分が困ったことから解放されるようにと、自分のことばかり考えているのです。しかし真実は、どの宗教も、宇宙の法を説いているだけなのです。
縁あってここに出会った皆さんは、そういったことを理解して生きる人たちです。新しい時代は、人々がそれを理解して生きなければ、この世界的混乱を正すことはできません。そのことを先にわかった者として、一緒に世の中の指針となっていきましょう。

今この瞬間も、留まることなく時が経っていきます。本当は、私たちは常にそのことを実感していなければいけないのです。時が経つ仕組みは、天体の動きによって成り立っています。地球は24時間で自転し、365日で公転しながら、機械のようにきっちりと周っているのではなく、そこには遊びがあります。だから問題ごとが起きるのです。遊びがあるからこそ、思わぬことに出会う。そこで私たちは考える力、生き抜く力を身に付け、たくましくなるのです。
この世界では、問題ごとが起きれば必ずそれに対する答えが出るようになっています。ところが人間は、宇宙の法からではなく、自分の考えで答えを出そうとするようになり、その結果、今のような世の中となったのです。もう一度、私たちは宇宙の法と共にあることに気付かなければなりません。

それでは今、この瞬間に、乾杯しましょう。
改めまして、皆さん、明けましておめでとうございます!

 

 


どうぞウソをついてください ~ ジイジから子どもたちへ

この夏、韓国から7人の子どもたちがやって来て、約1ヶ月間を木の花ファミリーで過ごしました。彼らにとっては、毎日出会うものも聞くことも新鮮で、1ヶ月の間に様々な体験をしました。ある日、「どうしてウソをついたらいけないのか」について話してほしいというリクエストがあり、韓国と日本の子どもたちに向けて、ジイジがこんなお話をしました。


 
ジイジ:
では、まず質問です。ウソをついてはいけないと思う人!

子どもたち:
はーい!(子どもたちの約半数が手を挙げる。)

ジイジ:
じゃあ、ウソをついてもいいと思う人!

子どもたち:
はーい!!(残りの半数が手を挙げる。)

ジイジ:
さて、どっちが多いかな?ウソをついたらいけないと思う人は、きっとウソをついて叱られたことがある人だね。それから、ウソをついて困ったことがある人だね。
ジイジはね、ウソをついてもいいと思いまーす♪(子どもたち:「えっ」という顔をする。)だって、ウソをつくとどうなるかということを経験するためには、ウソをつかないとわからないでしょう?
子どもの時には、ウソをつくものです。子どもはウソつきだと思う人~!

子どもたち:
はーい!!(^O^)ノ

ジイジ:
そうだよね、子どもはウソつきだよね。じゃあ、ウソをつくとどうなる?

あやな:
怒られる。

ジイジ:
怒られる?でも、上手にウソをついたら怒られないでしょう?

あやな:
たしかに(笑)。

ジイジ:
だからね、上手にウソをつけばいいんだよ。怒られないように。

ゆうとう:
冗談なら怒られないよ。

ジイジ:
冗談はウソとは言わないよ。ウソをつくというのは、本当のことと違うことを言うことです。本当のことって、いくつあると思う?

ゆりか:
ひとつ!

ジイジ:
じゃあウソはいくつあると思う?

ひみこ:
無限!

ジイジ:
無限というか、たくさんだよね。そうすると、ウソをつく人はいろんなことを考えます。だから頭が良くなるね。そういうのを「悪だくみ」といいます。悪いことを考えるには頭をたくさん働かせないといけないから、賢くなります。
ウソをついて成功すると得した気分にならない?得した気分になる人!

子どもたち:
う~~ん。

みのり:
いや~、得というより、罪悪感がある。

ジイジ:
でも成功すると、ちょっとだけ得した気分にならない?

みのり:
まあ、ちょっとだけね。

かのこ:
罪悪感はあるけど、大人に怒られずに済んだ!っていうのはある。

ジイジ:
それをいっぱいやったら、得だよね。それでね、ウソをつくと頭が良くなるよ。だって、ウソがばれそうになったらどうする?ウソをつくと、本当のことがばれないようにする必要があるでしょう。だから本当のことがわかりそうになった時にどうする?

(「またウソをつく」「本当のことを言う」「黙る」「逃げる」などいろんな意見が出る。)

ジイジが言いたいのはね、なぜかわからないけどウソをつきたくなる時があるでしょう?そういう時には、たくさんウソをついていいんだよ。そうすると、それは本当じゃないから、後で本当のことがわかると困るでしょ?だからそれをずっと隠しておくためには、いろんなことを考えなければいけなくなって、頭が良くなる。でもね、その頭は、悪い頭だよ。それで、悪い考えが頭の中にいっぱい増えると、悪い人になるよ。

ウソをつく人というのは、まず人から信用されなくなります。(シャンリンに向かって)シャンリンはたくさんウソをついていいよ。シャンリンはウソをつくというけれど、実はシャンリンは、とてもわかりやすいウソをついています。それはウソでしょ、とわかるウソ。そういう人は、正直なウソつきです。
子どものころにウソをつくのは、ウソの練習をしています。問題なのは、ウソをついていることがわからなくなってしまうことです。自分が今ウソをついていることがわかっていれば、心のどこかに「自分はウソをついているなー」というのがあるでしょう。でも「自分はウソなんかついてない!」と本気で思っていたら、それは本当のウソつきですね。
シャンリンは、ウソをつく時に「自分はウソをついているな」ということを知っているでしょ?だからシャンリンは正直なんです。困るのは、自分がウソをついていることをわからなくなってしまうことです。

ウソをつきたい時にはウソをつけばいいんだよ。ただしその時に、「今、自分はウソをついている」ということをよくわかった上で、ウソをついてください。そうすると、後で困ったことが起きた時に、「ああ、自分がウソをついたからこうなったんだ」と気付くことができます。そうしたら、ウソをつくのをやめよう、と思うでしょう?
ウソは本当のことと違いますから、必ず後で困ったことになります。その時に、自分がウソをついたことをわかっていないと、その困ったことは自分に原因があるのではなく、人のせいだと思うようになります。これは本当に困った人です。自分がウソをついていることをちゃんとわからないまま大きくなると、ウソをついていることに気が付かないままウソをつく大人になるのです。それは心が汚れているということです。
そういうふうになっちゃいけないよ、子どもたち。わかった?

子どもたち:
はーい!!! ヽ( ≧▽≦ )ノ

ジイジ:
もうひとつ、みんなに言いたいことがあります。人は赤ちゃんで生まれてきて、大人になり、いずれ死にます。その人生の中でウソをついていくということは、本当ではないことで生きていくということです。ウソをついていると、心が悪い人になるでしょう?そうすると、人生を生きていてもいいことが起きません。人生の途中ではいいことばかりに出会ったと思っても、必ず人は生きている間に、そのウソの分だけの困ったことを受け取らないと、死んではいけないようになっています。さらに、そのままで人生を終わると、ウソつきとして人生を終わることになります。そうすると、もしも次の人生があるとしたら、今度はウソつきとして人生が始まるのです。

ジイジは昔、木の花ファミリーを始めた頃に畑で作物を作っていました。畑へ行って土を耕して、種を播いて、野菜を育てたりしていました。畑では、植物はもちろん、動物や、土や、雨や、風や、いろいろなものに出会います。そこで、人間以外のものはウソをつきません。だから自然の中で生活していると、とても心が穏やかでした。それは、疑わなくてもいいからです。
でもそこに、ジイジを訪ねていろんな人がやって来ます。そして人間が来ると、その場にウソができるのです。そういったウソをつく人間から勉強できることは、あまりありません。自然の中で畑を耕していると、例えば作物の出来が悪ければ、それは土が間違っていたり、気候が合わなかったり、どこに原因があるのかを正直に教えてくれます。たくさん収穫しようと思って肥料をたくさん入れると、作物は病気になります。自然は、いつも正直に人間のやっている間違いを教えてくれます。自然は絶対にウソをつかないのです。
だけど人間は自分に都合のいいようにものを考えるから、ウソをつきます。大人は子どもに「ウソをつくな」と言いますね。それは子どもがウソをつくからです。でも実は、大人の方がもっとウソをついています。そういった経験があるから、大人は子どもに「ウソをつくな」と言うのです。つまり、人はみんなウソつきだということです。
そこで大事なのは、自分がウソをついている時に、ウソをついていることをわかっていることです。それは、自分が間違っていることを振り返る心があるということです。

ウソをつくと、それは本当のことと違いますから、生きていると必ずその間違いの結果が自分に返ってきます。欲が深い人は、畑で種を播くと、まだ作物が育つ前からたくさん収穫することを考えます。たくさん採るためにはたくさん肥料を入れて大きくしよう!と思うのです。でもそれは、作物のことを考えていません。その人が欲をかいた分、作物は病気になって、本当のことを教えてくれるのです。
ウソも同じです。ウソをつく時には、それを言うことでいいことがあると思っています。だからウソをつくんでしょう?でもウソをつくと、必ず自分が思っていたことと反対の、都合の悪いことが起きます。そこで、ウソをつくのはよくないな、ということを学ぶのです。ということは、みんなはウソつきの練習をしているのです。そのために、そういった仕組みがあるのです。

たくさんウソをつくと、たくさん困ったことが起きるよ。ウソつきの頭をたくさん働かせると、ウソつきの人になっていきます。でもウソをつくのは、ウソつきになるためではなく、ウソをつくとどうなるかということを勉強するためにあるのです。
その時に、自分がウソをついたことがわかっていれば、すぐに勉強ができます。ああ、あのウソがこういう結果になったんだ、と。でも自分がウソをついていることがわからない状態になっている人は、困ったことが起きても人のせいにします。だから、ウソから勉強することができません。そして本当に困った人になります。ジイジはそういう大人にたくさん出会ってきました。
ですから、そういう大人にならないように、ウソをつかないのではなく、練習のためにウソをついてください。そしてウソをつけば必ず困ったことが起きますから、そこでウソをつくとこうなるんだ、ということを勉強してください。
ジイジも子どもの頃にはたくさんウソをつきました。そしてウソをつくとまずいな、ということがわかって、だんだんウソをつかなくなりました。大人は子どもに「ウソをつくな!」と言うけれど、子どもの時にウソをついていないと大人になってからウソをつきますね。それは本当に困った人になりますから、小さいうちに練習としてたくさんウソをついてください。そしてたくさん困ってください。そしてどうして困ったのかといったら、自分がウソをついたからだということに気付いてください。そうしたらきっと、ウソをつかない人になるでしょう。

きよみ:
ウソついていいよって言われたら、ウソつく気がなくなる。

ゆうとう:
大人は「怒らないから正直に言いなさい」と言いながら、本当のことを言うと怒るよ。

みのり:
それ、めっちゃあるー!

ジイジ:
それでは、ウソをつく時には、正直にウソをついてください。そしてできれば、相手の人にもわかるようにウソをついてください。そうしたら相手の人は「ああ、ウソをついているな」と言って認めてくれるかもしれません。

人間以外のものはウソをつかないのに、人間はウソをつきます。ということは、人間が生きていると問題が起こるということです。
例えば、(スマホをいじっているイェヨンを見ながら)スマホは優れた機械ですね。でも人が話している時にそれをいじっていたら、相手の話を聞いていないことになります。場合によってはそれがないと眠れなくなったり、歩きながら使っていて人や車にぶつかったりもします。何でもそうですが、その人の考え方や使い方によって、いいものにもなれば悪いものにもなるのです。
でも本当はこういうことのために使うんだよ、という正しい使い方があります。人間はいろんなふうにものを考えて、いろいろな使い方をしますが、どんなものであっても、正しい使い方をしなければ、すべて悪いことになって返ってくるということです。そういった正しい人生の生き方や物の使い方を勉強するために、みんなは生きているのです。いっぱいウソをついても、それをしっかりと学んで、どうしたらいいかをわかる人になりましょう。

以上、ジイジのウソつき講座でした♪

 

 


今、自らのエリアを超えることが人類に求められている

ジイジ:
一般的に、人間は生きていると、エリアというものを意識している。つまり、自らの存在が許容範囲の中に入っていることを認められるために、その自らの存在が許容範囲の中にあるような関係を探している。そして、人は誰でもそれをその人流に一生懸命やっているものである。そこで、一生懸命やっているのに事が成らないと、「なぜ、こんなに努力しているのにそれがならないのか」と考えるようになる。しかし、そのエリアという枠の中で生きている限り、努力は自らの枠の中にあるから、その人間性が高まることはない。ところが、本人にしてみれば、一生懸命であり、努力しているつもりなのだ。自らの枠の範疇を超えないで新しい景色には出会えないのだから、当然のことなのだ。それが人間の精神状態の限界をつくっているエリアなのだ。

僕は今、眠りながらそういったことをとうとうと語っていた。そして、「エリア」という言葉が自分の口から出たときに、「これは新しい区分だ」と思って、今ふたりに語り始めた。その前は完全に眠りながら語っていた。

ようこ:
今、ジイジの語っている雰囲気がいつもと違う気がします。何か新しい感じを受けました。

ジイジ:
人はそうやって自らのエリアを確保しようとするのだが、それは僕が新しいのではなく、自分がエリアを超え、「いただきます」の精神でものを観るようになると、その自分の許容範囲以外のものが観えてきて、出来事を判断するようになってくる。それで、人は相手が新しいと思うのだが、実は、自分が新しいのだ。対象を常に調整するものと決めていると、自分の解釈の範疇で理解しようとするのだが、調整すべきは自分自身である。自分自身を調整すれば、そこで観える景色は必ず変わる。ところが、自分自身を調整せずに、対象を調整しようと画策していると、「観える景色をいつも同じでありたい」とする考えのもとに、エリアの中にいることになる。

ところで、今日は何日?

ゆうこ:
今日は7月10日です。エリアが変わったから、この場の雰囲気も今までと違う気がする。

ジイジ:
その前の確保しようとしているのも、自分の意識がそうさせているのだが、人はそれを自分がしているとは感じていない。それは、無意識にそうしているからね。

ようこ:
エリアというものがあって、その中に自分自身がいることを意識していなかったことがわかると、そこを超える選択肢ができる。自らのエリアが固定されていることにひとたび気付けば、そこを超えられる。

ジイジ:
まずはそこに気付かないといけないのだが、人にはそれが観えないものだ。無意識に自らの許容範囲の中で毎日を送ろうとする。それが、自我というものだ。そういう性質を卒業できている人間は、一つ一つの出来事に感情的に反応しなくなる。それは、起きたことを情報として受け取るだけのことだから、事が起きると、それを自らの内に入れ、取り込み、次へと進んでいく。たとえば、賢いと認識している人にその人にとって許容範囲に入らないことが起きると、理屈をこねて、「これはこういうふうで、こうだから、こうなったのだ」と納得しようとすることも、自らのエリアの中であがいている状態だ。だから、自我のエリアの中にいるという意味では、何も考えないでエリアの中にいるものも、考えてエリアの中にいるものも、結局同じことだ。

ようこ:
許容範囲を超えた出来事が起きて、それをいただくということは、自らのエリアを超えるためにあるのですよね。

ジイジ:
そう。エリアを超えるために、許容範囲を超えた出来事は与えられる。通常、人間が生きていると、それが常に起きるようになっている。たとえば、先日西日本に起きた記録的豪雨による水害もそうだ。それは、もっと大きな規模で与えられたこと。そこで、自分の許容範囲を超えたところでそれを受け取る心があれば、その人間の精神性は広がっていく。それは、日常の些細な出来事でも、親子関係でも、仕事のことでも、学校の勉強でもそうだ。

ようこ:
逆に言うと、このカラクリがわかっている人には、エリアを超えるための大きな現象は起きない。

ゆうこ:
自分の概念を超えたところに、いろいろなことがあるということですね。

ジイジ:
自らの概念を超えたものを与えられるのが、人間世界で生きるということだ。でも人は、気持ちとしては、許容範囲の中にいようとするものだ。ここで言っているエリアとは、簡単に言うと、自分の許せる許容範囲ということ。

ようこ:
エリアの広さと、世界観の広さは比例しますね。ジイジのように、世界観が宇宙観で、宇宙そのものが自分自身だったら、エリアという言葉自体が存在しないような領域だと思いました。

ジイジ:
宇宙がエリアだ。でも、現象界を生きていると、どうしても現象界に意識が行き過ぎて、そこに囚われる。

ようこ:
ジイジは現象界に囚われていないから、四拍手(下記参照)の所作も閃いたのだと思います。これは、ジイジがふと空間を観ていたときに、潜象界からのエネルギーが空間の至るところから入ってくるのを感じたところから始まっているのですよね。

ジイジ:
そう。ある日、ぼーっと空間を観ていたら、いろいろなところから「カ(宇宙最極小微粒子)」がふわーっと噴き出しているのが観えた。「あれ??」と思ってさらに観ていたら、エアコンの吹き出し口のように空間の切れ目が垂れては、そこから生命エネルギーが湧き出してくるのが感じられた。だから、「こちらから意図的に空間を切ってみてもいいのだ」と思いつき、あの四拍手の所作が生まれた。あれは、天然循環だからね。四拍手の所作をもって、人間がケガレチ(汚れ地)としたこの世界を清浄にしていく。ところが、人間がケガレチにする速度が速くなり、そのケガレが大量になってきたことから、今、世界にたくさんの矛盾が起きている。

ようこ:
自然災害でも、矛盾を0にする作用ですものね。

ジイジ:
自然災害も、破壊だからね。破壊が起きているということは、破壊が起きるだけの負のエネルギーが溜まったわけだ。負のエネルギーが一気に爆発して自然災害が起きるということは、「負のエネルギーを溜めている」というメッセージなのだから、今の姿勢を改めなさいということだ。だから、大きな病気にかかって大変な目にあうのと同じことが、人類の共通点として起きている。個人が自らの負のエネルギーを溜めて病気になるのと同じように、今、地球規模でそれが起きている。それは、人類のエリアを壊し、人類が次のステージに進んでいくために起きている。

「五風十雨」という言葉があるのだが、それは五日に一回風が吹き、十日に一回雨が降り、とても穏やかな日々が過ぎていくということ。五日に一度吹く風は優しい風だ。そして、十日に一回雨が降り、あとは良い天気に恵まれて、「ありがたい毎日が送れています」ということ。だから、五風十雨というのは、「おかげさま」という意味だ。

ようこ:
2018年が「再スタートの年」というのは、木の花ファミリー内だけの話ではなく、地球規模の再スタートというイメージが湧きました。先日の西日本での水害もそうですし、自分たちがこれまで生きてきたことの答えをもらって、実態を知らされる年ということを思いました。それで、次に進んでいくというイメージがあります。

ジイジ:
天誅(てんちゅう)が下った後に、それをどう受け取って、どのようにスタートさせるのか、ということが再スタートという意味で、天誅が下って実態を思い知るのが2018年になるのだろう。そして、2019年、2020年と共にこの3年が1セットになっており、東京オリンピックが開催される2020年はクニツクリの再スタートということになるのだろう。

ようこ:
ジイジの地球暦で、組織化の星である土星にスイッチが入っていないということも、エリアを壊す役割があるからですね。

ジイジ:
そう。土星は英語でサターンと言うだろう?つまり、土星は魔(サタン)なんだよ。悪魔とか、惑わすとか、翻弄するとか、サタンというのはあまり良い印象ではないね。しかし、神の使いでもあり、非常に重要なのだが、そこに取り込まれると、それが絶対になってしまって、自らの枠が壊せなくなってしまう。それを壊しゆるくして、自由自在になることが、本来の交わりの目的ということを今、イメージしていた。

ようこ:
アマウツシのアマは宇宙ということだから、宇宙をうつすということは、自由自在に生きるということ。

ジイジ:
そのために、本来交わりはあるべきだ。ところが、たとえば快楽に目的が行ってしまうと、見当違いのほうへと進んでいってしまう。

エリアを超えるということは、エリアを超えて感動するものもいれば、エリアを超えて腹が立つものもいる。そこで、感動とともにエリアを超えていけば、自らのエリアは無限に広がっていく。地球上でたくさんの矛盾や問題が噴き出している今、自らのエリアを超えることが、人類が次の時代を切り開いていくための突破口となる。

 


 

木の花ファミリーでは、食前や大人ミーティング開始時、畑や田んぼ作業の締めくくりなど、日常の節目に「四拍手」という所作を行っています。以下は、四拍手についての解説です。

 

四拍手の示すところ

カタカムナの第五首・第六首と同じように、「四拍手」も宇宙の創造・発展・消滅の法則を示しています。「四拍手」を行ずる者は宇宙の仕組みを知り、宇宙(天)と共に世界を創造していく者としての意識でこれを行うことになります。この世界を清浄(イヤシロチ化)に導くための所作として、厳粛な気持ちで行ってください。

潜象界は現象界(三次元世界)と同時に重複して存在しています。その潜象界に存在する現象化の元となるエネルギー(カ)は現象界の至るところに供給されています。現代の人間の活動によりそういった美しい世界は汚れ穢れ(ケガレチ化)ています。それを清浄(イヤシロチ化)な世界に戻すために、そのエネルギーを意識的・積極的にこの世界へと迎え入れるための所作として、空間を指で指して切ると①、その空間が垂れ②、その切り口から無垢な生命エネルギー(カ)が現象界に流れ出てきます。この所作を三回(至るところの意)行ってください。

【宇宙創造の仕組み「フトマニ図」の作成】

      天は丸く⑦ 地は方なり⑩

そうすると、美しい生命エネルギーの響きがその場に流れ出て広がっていきます。それは宇宙創造の仕組みであり、その宇宙創造の仕組みを積極的に行い現象世界の穢れを清浄にするものです。
宇宙には始まりも終わりも方位もなく、ただ巡り続けています。ですから、宇宙は丸いのです。
宇宙の枠(球)が出来ると、縦方向にトキ(縦のライン⑧)とトコロ(横のライン⑨)が発生します。そのことにより、現象化の仕組みが整い形の世界が始まり、星が生まれます。
方位は星の上に存在します。ですから、四方(東西南北)が地球上に現れます。

【宇宙の心を表現する所作】

現象化(形)が始まるためには、初めに宇宙(天)の意志(ア)が発生します。現象の始まりである「ア」という高次元の響きの発生(ア)⑪から、宇宙の根本法則であるアマノミナカヌシ⑫(トキ軸)が降りてきます。同時にカムミムスヒ(ヒタリ回り)⑬とタカミムスヒ(ミキリ回り)⑭を示す陰と陽の働き(トコロ軸)が発生します。この世界は宇宙(天)の心から創造されることを示しています。

【四拍手の所作⑮】

宇宙の創造原理が整いエネルギーが、下図のように八方向に整うと、現象化の段階に入ります。両手を合わせ、四回拍手することによって、右手と左手で合わせて二×四回拍手(四)する(二×四=)八方宇宙を意味します。その場合、左手は陰を示し、右手は陽を示します。ですから、左手は前(陰)に差し出し、右手は手前に引き(陽、第一関節分手前にずらす)、両手を合わせてください。
この表現は、陰(精神性)が陽(物質性)より優先され、この世界の本来の姿である「霊主体従」を表します。
指さす方向も意識も斜め上45度(天)へ向けて、四拍手で締めてください。

【終わりに】

天の心を忘れた現代の人々は、豊かさの追求の結果、自我に囚われ、本来人が生まれ生きる目的であるこの世界の清浄化(地上天国)を忘れ、今や地球は宇宙のオアシスから宇宙のごみ溜めと化しています。私たち人間はその尊い役割を取り戻し、もう一度、天の意思と共にこの地球に美しく光り輝く響きを取り戻すために、宇宙創造の精神を悟り、地上のイヤシロチ化のために心を整え所作を行うことにより、地上天国の実現に向け、その志しを表現しましょう。

 

 


線路は続くよ 天までも

人は、自分が歩んだ結果、そこに道ができるのだと思っています。それが人生だと思っています。しかし、仏道というお釈迦様が説いた道は、「この世界には道がある」と伝えています。それを見つけ、そこを進みなさい。その道は、線路のようなものです。線路ですから、そこに乗ってしまえば脱線することはありません。その線路の上を進みたくないと思えば脱線することもあるでしょうが、その道を進もうという思いがある限り、どんなに障害があろうとも、その上を進むようになっているのです。

その線路の上を進む中で、様々なことに出会います。それを素直に受け取っていく心さえあれば、出会うことはすべて、先へ進むためのエネルギーへと変えていけます。その線路の枕木の一つひとつは、変化です。変化であり、進化です。先へ向かうとは、必ず進化することであり、それは上へと向かっていく道です。つまり、自我を取っていく道です。魂として、天へと向かう道なのです。

この線路は、一人ひとり誰もに与えられています。そして、必ず先へ、必ず上へと進むようになっています。ところが、自ら勝手に下へ落ちていくための線路を敷く者がいます。そうすると天は現象を起こし、戒めて、方向が間違っていることを伝えます。あれ!間違っていた!ではどの方向に進めばいいのだろう、と上を見上げた時、人間は元の道へと戻ることができるのです。しかし、いくら天が救済のために現象を起こし、痛みを与えても、それを与えられた人間が上を見なければ、ではそのまま行きなさい、ということになります。
それは、進めば進むほど、下降していく道です。本来上昇していく道が下降していくのですから、進めば進むほど差が広がっていきます。そうすると、やがて修正が効かなくなるのです。そういうことも、この世界にはあるということです。

人間は、人生を30%の定めのもとに生まれてきます。そして残る70%は、自由が与えられています。その70%の自由によって、自ら落ちていくものもいます。
30%は、この世界を生きる上で、自分の力ではどうにも変えることのできない宿命です。それはいただくものです。その30%を、徹底して生きればいいのです。ところが人間は、70%の自由にばかり心を奪われ、30%を忘れてしまうのです。そうすると、自らの存在価値すら失い、取り返しのつかないところまで進んでしまうのです。
70%の自由を正しく使えるか、間違って使うかについては、それぞれの個性の違いはありますが、仕組みは皆同じ条件です。正しく使えない者は、それにふさわしい痛みを与えられます。そこでの痛みは、救済です。その救済の手に乗れば、痛みを学習として、正しく進むことができます。一方、70%の自由を正しく使う者は、現象として痛みをもらいません。痛みが伴わないことにより、進んでいる方向の正しさを確認していきます。痛みを伴わないと、人は奢って「これでいいのだ」と自我を増幅させるものですが、どんなに正しい道を歩んでいても、常に「これは天のご意向だ」という心があれば、ずっと痛みや問題ごとなく歩んでいけるのです。

その歩みは、人々の見本となります。この世界が始めからそのような完成形ばかりで構成されていれば、今の世の中のような不幸や混乱はなかったことでしょう。しかし、それでは面白くない。この世界がダイナミックではない。喜びがない。愚かしさがあるからこそ、それに対する尊さがあり、孤独があるからこそ愛があり、辛い道があるからこそ喜びがあるのです。

愛や、尊さや、喜びは、愚かしさを表現するためにまかれた肥料のようなものです。そして、人生という素晴らしい食べ物をいただくのです。そんなふうに食べ物を育てるのは面倒だから、最初から肥料を食べておけばいい、ということには、この世界はなっていません。すべてを現象化に預け、初めてその尊さがわかるのです。地球は、その表現をする場所なのです。

 

私は、この世界と共にある。
私の悲しみは、世界の悲しみである。 私の喜びは、世界の喜びである。