地球談話を実践する人々 ~ムルンくんといさどんの対談~

2015年9月10日、内モンゴル出身の27歳のムルンくんといさどんが対談する時間がもたれました。中央大学で経済学を学ぶムルンくんは、「日本古代文明を学びたい」ということで8月に開催されたカタカムナ研究会に参加し、今回木の花ファミリーを訪れるのは2回目となります。対談の場には、木の花ファミリーで長期滞在しながら、「希望の光プロジェクト」「大人サミット」を企画している36歳のあわちゃんも同席していました。

*「地球談話」はこちらをご覧ください。

■     ■     ■     ■

いさどん:
21世紀に入り、わたしたちは今、いくつもの大いなるターニングポイントを迎えています。その一つとして、250年前のヨーロッパ産業革命以降の物理・科学を発展させてきた時代から、物理・科学の奥にあるものを探求していく時代に入りました。それは、先日あなたが学んだカタカムナ的宇宙観もその一つですし、自然や宇宙の奥にある意志(法則)もその一つです。そこには秩序があり、その秩序のもとにわたしたち人類は今という時代を迎えて生きているのです。
そうすると、人間の存在する目的は自分たちにとって都合の良い世界を創ることではなく、この世界の意志と共に全ての生命を意識し、その豊かなネットワークに貢献し続けることが真の在り方なのです。ですから、わたしたちを取り巻く自然や地球の声を聞き、その意志を受けてこの世界に反映していくことが大切なのです。モンゴルの血を受け継いだ人たちは本来皆シャーマンなのだとあなたは語っていましたが、人間というものは本来皆そういった存在なのです。

ムルン:
そうですよね!

宮ノ下でお祈りをするムルンくん
宮ノ下での祈りの儀式

いさどん:
今朝、あなたは木の花ファミリーの聖地である宮ノ下で祈りの儀式を行っていましたが、あのような行為は物理的な発展が目的の人たちからすると、迷信的で意味がないことだと受け取られるかもしれません。しかし、実はあのような行為や精神性こそがこの世界の意志(法則)に通じ、この世界を動かしているのです。
2012年12月21日の銀河の冬至を迎え、東洋的精神文明が開花していくサイクルに入った今、人々が新たな時代の真実に目覚めていく時が訪れたのです。あの土地から北東の方角に富士山があり、北東の方角は艮(うしとら)と呼ばれ、地球神が存在する方角なのです。ですから、その方角に富士山があるということは重要な意味があるのです。あの聖地は、天とつながるための祭典を行う場所です。2014年から毎年7月26日に富士山麓でも開催されるようになったマヤの新年の式典も、あの聖地で執り行われています。

ムルン:
来年はぜひその式典にも参加させていただきたいですね!本来、富士山は聖なる山なのですから、あれほど多くの人たちが登ってはいけないのです。

いさどん:
そうですね。富士登山は本来、そういった精神を持っている人々が自らと対話し、天の意志を降ろすためにあったのです。日本では昔、修験道と呼ばれる信仰を持つ人たちが山にこもって厳しい修行を行い、それは悟りを得るためのものでした。今、沢山の人たちが富士山に毎年登りますが、そこで大切なことに気付くきっかけになれば、それはそれでいいのです。ところが、単なる観光で終わってしまう人がほとんどです。

ムルン:
今の時代の人たちは本来の在り方を忘れ、欲望のままに思い切り走っているのです。しかし、そういった価値観がちょうど今転換期を迎え、母なる大自然が人々を目覚めさせようとしています。それが自然災害となって今地球上で頻繁に起きており、こういったことは今後ますます多くなっていくことでしょう。

いさどん:
そうですね。自然災害は単なる自然現象ではなく、人間の在り方を転換させるための自然からの意志表示とも受け取れますね。

ムルン:
そして、人々が目覚めた後に必要とされる社会モデルとして、木の花ファミリーはその仕組みをすでに確立しているのです。モンゴルの先生から聞いた話なのですが、木の花ファミリーのような自然と調和した生き方は地球のためでもあり、太陽系のためでもあり、宇宙からの指令でもあるのです。

いさどん:
宇宙が指令を降ろしても、それを人間がスムーズに受け取らないと、最終的には痛みを伴ったメッセージ(自然災害などの災難)が与えられるようになります。

ムルン:
僕にはそれが観えています。なぜなら人間たちはこれほどメッセージを与えられても、全く聞く耳を持たないのです。僕がこういう話を始めると、人々は経済の話を持ち出します。確かにご飯を食べることは現実問題必要なのですが、このような話は別次元のことなので、ご飯を食べることと対等にしてはいけないのです。

いさどん:
それは、生きることに対する意識を転換しないと理解出来ない世界ですね。

ムルン:
そうですね。やはりその主な原因は、250年前にイギリスから始まった工業文明です。人々はその文明が始まる前は自然と調和した暮らしをしていました。ところが、産業革命以降、西洋的物質文明が世界中に広まり、自然とのつながりが徐々に切れていったのです。欧米人には、神様が創ったものを自分たちの手で創るという考えがあったのです。彼らは自然の法則も知っていると思うのですが、それに反した物質文明をどんどん発展させていきました。

いさどん:
そこで神様の創ったものを自分たちの手で創ると考えた時に、神様の代理で創っているという意識があればいいのです。ところが、神様の存在を抜きにして、自分たちで出来るという意識になってしまったところから、地球上に様々な矛盾をもたらすようになってきました。それは、自然の仕組み(天の意志)と人間の活動が完全に遊離してしまった状態です。ですから、「天地」の「地」だけで生きている状態なのです。人間の能力はたいへん優れていますが、その物理・科学の極みは軍事力であり、核爆弾はこの世界に矛盾として存在しています。

ムルン:
その軍事力で破壊されるのは、自然です。僕にはその自然の悲鳴が聞こえるのです。

いさどん:
仮に軍事力で破壊されなくても、場合によってはこれを使用して戦うぞという意志が地球上にあるだけでも、地球の魂はずいぶん傷つけられるのです。それだけ対立の波動は地球上に蔓延しているのです。実際に戦争を起こさなくても、人間が欲望のもとに物を大量消費することも、そしてそういったものをゴミとして大量に廃棄することも、同じように自然のバランスを壊す行為となります。地球という生命の循環ネットワークは優しいものなのですから、常にそれをイメージしながら、他者に対しても地球に対しても優しい日々を生きていくことが重要なのです。

今朝、あなたは宮ノ下で富士山に向かって両手を広げて大いなるものと対話していましたね。

ムルン:
はい。

いさどん:
あの精神を持って科学が発展していったら、物理・科学ももっと優しいものになるはずです。もっとも、その精神を持っていれば、物理・科学はそれほど必要なくなるのです。そして、そこではさらに優れたものが現れてきます。

ムルン:
そうなのです!産業革命以降、今まで科学がこの世界をリードしてきましたが、これからの時代はこうした精神性が世界をリードしていくことになると思うのです。

いさどん:
天に向かって両手を広げ、天と共に生きることの喜びや感謝の気持ちを持って日々を生きるという精神からしたら、今の人類の在り方は天を全く意識しないで下だけを見て、損得勘定だけのネットワークになっています。それは対立の波動を地球にもたらすことになるので、そのことに対して地球や太陽系、そして宇宙自身がNOと言っているのです。現実に今、金融システムのようなバーチャルな世界でお金を動かすだけで儲かるような仕組みはおかしいでしょう?

ムルン:
そうですね。

いさどん:
今、そういった仕組みが転換する時を迎えているので、経済学を勉強している意識ある若い人は今の経済の在り方を変だと思うのです。

ムルン:
そうなのです!僕が今勉強しているのは貨幣経済ですが、それは本当の経済学ではないのです。本当の経済は、政治よりも政治で、哲学よりも哲学なのです。しかし、今の経済は人間がただお金をまわしている行為にしか過ぎず、それでは経済と言えないのです。

いさどん:
お金をまわすことは循環という意味ではいいのですが、そこで問題なのはお金をまわしながら奪い合っている世界です。

ムルン:
そうですね。お金を持っている一部の人たちが儲かっている状態です。

いさどん:
お金は本来、わたしたちの体で言うと血液のようなものであり、社会の生命の流れなのです。そうすると、わたしたちの体で言えば、血液は末端まで行き渡って、綺麗に循環し、どこか一箇所に留まっていない状態が健康なのです。ところが、今の社会では一部の優秀な人たちがお金儲けをすると皆の憧れの的にもなるのですが、それと同じことがわたしたちの体で起きたら、動脈硬化のような病気の症状と同じことになります。

ムルン:
そうですね。リーマンショックも同じことですね。

いさどん:
ですから、今の社会は体で言えば生活習慣病が悪化してひどい病気の状態に皆が憧れていることになります。これほどの矛盾はないのですが、これほどわかりやすい話をしてもまだわからない人たちが世の中には沢山いるのです。これはとてもわかりやすい話でしょう?

ムルン:
はい。だからこそ、僕たちはカタカムナのような古代の叡智を学ぶ必要があると思うのです。カタカムナには物理学と天文学、それから哲学も含まれていますね。

いさどん:
カタカムナはこの世界をマクロにもミクロにも分析できるのです。カタカムナは宇宙物理学と言われていますが、わたしたちの細胞や素粒子よりももっと微細な仕組みを示しているのです。さらに、わたしたちが今まで認識していなかった現象界の奥にある潜象界の存在まで示しているのです。

ムルン:
実は、現代科学が探求しようとしているのは、まさにカタカムナのような世界なのです。ただ、カタカムナの時代の人々はその世界を脳の中に持っていたのですが、現代の人たちはその世界を全て物理的に創ろうとしていると思うのです。

いさどん:
今の人たちもそれを脳の中に持ってはいるのですが、その能力を休めているだけなのです。

ムルン:
そして、それを脳の中ではなく、その優れた能力を物理的探求に偏って外の世界で使っているから、地球にとって大変なゴミを生み出すことになっています。

いさどん:
そこで、現代物理・科学の恩恵をもって人々の営みがこれほど多くの矛盾を地球上にもたらしている今、これまでの人類の在り方を転換する時が訪れているのです。だからこそ、あなたのような人が生まれてきたのであり、木の花ファミリーのような生き方が現れてきたのです。

ムルン:
ある意味、今は東洋文明と西洋文明の切り替え時にありますよね。この切り替え時には、日本という国が非常に重要な役割を果たすのです。これから東洋的精神文明の時代が始まっていくという意味では、僕は中国という国、それから習近平をとても応援しているのです。今、政治闘争をしている習近平が今後どのような行動を取るのかを僕は注目しています。後2年ぐらいでその闘争は終わるだろうと僕は観ています。その時に、習近平がどのようなクニツクリをするのかに僕はある意味期待しているのです。
僕がなぜ彼を評価しているのかというと、彼は伝統的な文化が大好きなのです。彼は昔の中国の本を読むそうですが、彼には東洋という夢があるのだと僕はいろいろなものからそれを感じたのです。もちろん僕にも東洋という夢があり、東洋にはもう一度世界を良い方向へ導く役割があると思うのです。

いさどん:
それは木の花ファミリーでよく語られている「文明周期説」でも説明されています。ヨーロッパ産業革命以降の250年間で西洋文明は栄え、そして終焉を迎え、これからは東洋文明がそれを引き継いでいく流れなのです。その中で日本と中国はとても重要な役割を果たすことになるでしょう。

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ムルン:
地球の歴史においても、これからの日中関係は大事なものになっていくと感じています。しかし、今の中国はダメですね。習近平が東洋という夢を実現し、本格的にクニツクリに取り組むようになってから、日本と中国が連携していくことが重要なのです。それは地球に対しての大きな貢献となることでしょう。

いさどん:
日本は70年前に侵略戦争をしたでしょう。あの戦争は、僕は侵略戦争だと思うのです。しかし、その侵略戦争のもう一つの目的は大東亜共栄圏という、今でいうEUのような国家共同体をアジアに創ることだったのです。あれから70年の時を経て、東洋的精神文明が花開く時代がこれから始まろうとしている今、中国と日本、そしてもちろん北朝鮮や韓国も含めてこの東アジアの国々が地球上の理想国家のモデルになると観ています。それが、僕が昨年中国から訪問されたグリーンビルディングの人たちに伝えたことです。

ムルン:
先程テレビのニュースで自然災害が取り上げられていましたが、あのような災害が今、皆の目の前で起きています。それが東洋文明を求める始まりなのです。今、まさにそれが激しく始まっているのです。

いさどん:
あなたと話していると、今わたしたちが発信していることに対してあなたがそれを聞いて反応しているのではなく、わたしたちが発信しようとしているものの奥にはあるビジョンがあるのですが、その同じビジョンをあなたはすでに持っていることがわかります。ですから、これは一つの源から降りてきた同じビジョンを、地球上の色々なところから色々な世代が発信しようとしている世界的な動きの現れですね。

ムルン:
そうですね。昨日僕は木の花ファミリーの皆さんと話をしていたら、木の花ファミリーのようなライフスタイルがこれからどんどん世界に広まっていくビジョンが一瞬にして浮かんだのです。そこで、僕は木の花ファミリーで政治・経済の研究所を創ってほしいのです。そして、その研究所を創ることによって、世界中の人々がもっとここに集まってくるようになるのです。

いさどん:
それはきっと、わたしたちが単独で創るというより、あなたのような特に若い世代の人たちが中心になって進め、ネットワークしていく中で世界に広がっていくものだと思うのです。当然、わたしたちも実践しているその一つの事例として重要なポジションにあるのでしょう。それは、今までの物質至上主義の社会から、新たな時代のライフスタイルの提案という意味で、国際的な動きとしてそのような研究所を立ち上げていったら面白いと思うのです。

あなたは、これから世界人として人類の目覚めのために貢献していく役割を確認するために、きっとわたしたちと出会ったのでしょう。

ムルン:
そうですね。僕は先祖のおかげで自分の使命を知ることが出来ました。6年の修行を経て、僕をこの道に導いてくれたのは全て先祖のおかげなのです。大昔、僕の先祖たちはモンゴルの歴史に関わるような立派な人でした。しかし、今の時代は才能を持ちながらも、何をしたらいいのかわからない人たちが沢山いるのです。また、木の花ファミリーの生活スタイルのもとになる精神性は本当に大切なものなのですが、今の世の中にはそれを説明する仕組みがまだ確立されていないのです。ですから、それを政治・経済・社会の分野において、学術的に伝えていくことが求められると思うのです。

いさどん:
僕があなたの話を聞きながらイメージしていたのは、たとえばモンゴルだったら遊牧という形で自然と動物と人間という循環の中にその精神があるのです。それは宇宙の星と星の関係や地球生態系ネットワークと何も矛盾していません。日本であれば、農耕という形で自然と人間、そして畑や田んぼという循環の中にその精神が存在しています。それは当然、ネイティブアメリカンやインカの人たち、そしてイヌイットの人たちの中にも存在しています。そのような人たちの生き方が持続可能であることの延長に、人々の価値観が変われば、いつでも精神性豊かな世界が現れるのです。

今まで人類が探求してきた歩みはある意味実験でもあったのです。ですから、人類の叡智として科学が探求されてきたことは間違いではありませんでした。ただ、西洋的物理・科学・テクノロジーが進化していった結果、人間は高い物理的能力を得ましたが、その代わりに天や自然を忘れ人間の欲望が一方的に暴走していったのです。ですから、天と共に対話しながら行うべきところを、人智だけで考え進めるようになってしまったのです。そして、人類はとても能力が高く優秀だと錯覚してしまったのですが、それは世界に持続可能な在り方をもたらしませんでした。その結果、傲慢な人間の姿勢として様々な問題を地球上にもたらしてきたのです。持続可能ではない豊かさをいくら追求しても、それはいずれ崩壊を迎えるのです。

いくつもの大いなるターニングポイントを迎えた今、人類は広い世界観を持って天と共に対話しながら、これからどのように地球を運営していくのかを考える時が来ているのです。地球は星と星の関係で成り立っているのですから、これから明らかに人類は精神的にも物理的にも宇宙を意識していく時代に入ります。その段階では、わたしたち人類は宇宙をどのように考え運営していくのかという時代に移行していくのです。

ムルン:
今、一人ひとりが選択を迫られる時が来ているのです。その時に、木の花ファミリーはすでに新たな時代のモデルを確立しているのですから、一般の人たちが見てもわかるような仕組みを示していく必要があるのです。

いさどん:
一般の人たちが見てもわかるということは、一般の人たちがここを訪れた時に、ここの人たちが普通に暮らしているのに、平等であり、将来に対して何も不安がない生活を送っているということです。それは政治・経済・教育・医療・福祉のみならず、子育てにおいても見本になると思います。

ムルン:
ここの生活の中の全てがこれからの時代の見本になると思います!ここの皆はそのことを生活の中で実践している人たちであり、学者の役割はそれを理論化して世の中に発信することです。これから人類が生きる方向性を選択していく時に、人類にとってその転換がスムーズに行われるように、僕はこうした活動をしていきたいのです。

いさどん:
ちょうど3日前にある大学で講演をしてきたのですが、そこに参加していた人たちは現状に問題を感じながらも、その代替案を持っていなかったのです。ところが、木の花ファミリーと出会ったことによって代替案があることがわかったのです。木の花ファミリーの生活は今の社会にとって必要な大事な仕組みを全て網羅しているのです。

曼荼羅

ムルン:
この仕組みの名前は何ですか?

いさどん:
わたしたちは「天然循環ライフスタイル」と呼んでいます。

ムルン:
これに先程僕が提案した政治・経済研究所を入れてほしいですね。

いさどん:
政治を司る人たちはこの中心にいて、「菩薩の里」の精神性のもとにこういった活動を運営していくということです。経済は本来、お金儲けのためにあるのではなく、中国の古典に「経世済民」という言葉が登場するように、「世を経(おさ)めて民を済(すく)う」ことなのです。つまり、経済は世のため人のためということであり、世の中を正しく治めるものなのです。

ムルン:
それが本来の経済なのです。しかし、今の経済は全く違います。

いさどん:
今の経済や政治は主義・主張をベースにして対立し、自分たちの都合の良い世界を創るものになっています。

ムルン:
僕が思うのは、僕たち人間はこの現代社会をもっと分析する必要があるということです。まだまだ現代社会の分析が足りないと思うのです。木の花ファミリーでは人としての正しい生き方を見つけ、21年間実践してきたと思うのですが、その上に現代社会の分析をすることによって、現代社会の問題がもっと明らかになると思うのです。

あわちゃん:
11月21日から23日にかけてこの生き方に賛同する人たちが集まって「大人サミット」というものが開催されるのです。その中で産業革命以降の歴史を分析し、これからどういうモデルが人類にとって必要なのかを考える場を持ちます。

いさどん:
彼はその大人サミットの企画リーダーです。

あわちゃん:
僕も政治経済学部出身なので、ムルンくんやいさどんの言うことはよくわかります。

いさどん:
そういう意味であなたたちはとても重要な役割をこれから担っていくと思います。彼は木の花ファミリーのメンバーではありませんが、木の花ファミリーメンバーというのはファミリーの中にいてファミリーのために生きる人なのではなく、次の時代を開き地球の未来を創っていく人のことなのです。ですから、外の人たちがこのようなイベントを企画して、わたしたちはその一つのモデルとしてつながり、共に発信していくことが大切だと思うのです。

ムルン:
これから世界中の人材が集まってきますからね。そして集まってくる人たちは、心の壁がなく、言葉で説明しなくても心が通じ合って交流できる人たちなのです。

いさどん:
最近、特に中国や台湾の人たちが木の花ファミリーの生き方を学びに訪れます。本来、共同で暮らすということは、近代においては共産主義が始まりだったはずなのですが、共産主義の人たちは今、そのような精神をすっかり忘れてしまっているのです。しかし、原始共産主義とは元々そういうものだったのです。

ムルン:
共産主義にはその部分は入っています。

いさどん:
ですから、ここはある意味理想の共産主義社会なのです。ただ、ここの共産主義には、古代カタカムナの精神も含まれているのです。

ムルン:
共産主義はある意味人が考えて創ったものだと僕は思うのですが、木の花ファミリーの生き方は違うのです。それは、もっと奥にあるものによって成り立っている世界なのです。それは大きな違いです。

いさどん:
あなたは本当によく理解していますね。共産主義には産業の「産」がついているように、人間がより良い世界を創るにはどうしたらいいかと考えて創られた仕組みなのです。しかし、わたしたちがここで実践していることは宇宙・銀河・太陽系・地球の姿を生活(生きること)に表現することであり、それは全てネットワークしているのです。ですから、これからの時代はそのネットワークを理解したものたちが、そのネットワークの法に沿って地球上でその生命ネットワークに貢献していく豊かさを追求する時代なのです。

ムルン:
僕には木の花ファミリーで使用されているこうした貴重な資料が文章化され、本として出版されるビジョンが観えているのです。そして、人々はこの資料を通じてというより、その仕組みを通じて理解していくのです。それは、新たな時代への鍵がその仕組みを通じて紐解かれるということです。そのためには木の花ファミリーメンバー一人ひとりが研究者となっていくことが大切なのです。

いさどん:
木の花の人たちの研究所は、日々の生活です。

ムルン:
ここで暮らしている人たちはそれが普通のことだと思っているのです。しかし、外の世界の人たちからすると、この生活は大いなるチャレンジなのです。

いさどん:
その仕組みは、わたしたちが中で役割を果たすことと、たとえばあなたやあわちゃんのような人たちがネットワークしていくことで成立するものです。

ムルン:
僕としては、すでに木の花ファミリーの一員となって共に活動していくつもりでいます。

いさどん:
皆が地球人としての意識を持ったら、地球は一つなのですから、皆家族なのです。そのような意識を持った人たちがネットワークすれば、さらに宇宙人としての意識まで到達することが出来るでしょう。

そして、日本の富士山麓だけにこのようなモデルがあるのではなく、いずれ世界中の聖地から叡智が噴き出していくイメージが僕にはあります。さらに、地球上にいる人間が目覚めると、人間一人ひとりが聖地になり、叡智が噴き出す場になるのです。人類が人として生きる真の意味を理解するきっかけとして、わたしたちはこの生活を通して一人ひとりの心に光を灯しているのです。そして、そういった人たちが沢山現れ、ネットワークすると、大きな美しい光になるのです。地球が光のネットワークで包まれていくことを願って、これからも共に活動していきましょう。

ムルン:
もちろんです!いずれ、ここには世界中の先住民族の智慧が集まってくることでしょう。今日は大切なお時間をありがとうございました。

いさどん:
こちらこそありがとうございました。また共に語り合う場を持ちましょう。

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10月31日(土)・11月1日(日)、
ムルンくん企画による下記のイベントを開催します。

古代日本と遊牧民族の叡智が融合し、未来を創造する
〜 モンゴルの草原から来た青年の吹き起こす風 〜
第一章「大地」

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ムルンくんといさどんが、私たち地球生命にとって「大地」とは何か、地球とは何かを宇宙スケールで語り合い、現代の人々が忘れている大地との絆を呼び覚まします。
そして参加者の皆さんとともに未来社会のあるべき姿を描き、行き詰まった現代社会の突破口を開いて希望ある次世代の生き方を地球上に実現します!

【日時】
集合:2015年10月31日(土)
11:05 JR身延線「西富士宮」駅 又は 10:51 富士急行「大石寺」バス停(送迎あり)
お車の方は11:30までに木の花ファミリーおひさまハウスひまわりへ直接お越し下さい。
解散:2015年11月1日(日)13:30頃(駅・バス停まで送迎あり)

【会場】
木の花ファミリー
〒419-0302 静岡県富士宮市猫沢238-1

【主催】
NPO法人ぐりーんぐらす
*木の花ファミリーとの連携のもと様々な社会貢献事業を行っているNPO法人です。

【内容】
■ モンゴルの大草原出身のムルンくん、木の花ファミリー創設者いさどんによる「大地」をテーマとした講演。古から伝わるそれぞれの文化を切り口に宇宙スケールで語ります!
■ 私たちの中に眠っている心を呼び覚ます木の花楽団コンサート。
ムルンくんによるホーミー、カタカムナ63首の舞他。
■ 参加者座談会
*2日目の昼食は、木の花茶会のスペシャルメニューを召し上がっていただきます。

【定員】
30名
*先着順です。お申し込みはお早めにどうぞ。
*ご宿泊は20名までとなります。

【対象】
基本的に世の中の全ての方々

【参加費】
ご宿泊 8,500円
(1泊2日の宿泊やお食事、最寄り駅・バス停への送迎、保険代、消費税を含みます。)
日帰り 3,000円
(お食事と消費税を含みます。送迎が必要な場合は別途500円をいただきます。)

【スケジュール】(当日の様子にあわせた変更あり)
unnamed■ 1日目
—11:30:木の花ファミリー集合・受付け
—12:00-14:00:お食事・休憩
—14:00-17:00:講演
—17:00-18:30:入浴・フリータイム
—18:30-19:15:お食事
—20:00-21:00:コンサート
—21:30:木の花ファミリーの大人会議
*自由参加
■ 2日目
—08:00-10:45:座談会
—11:00-13:00:お食事 *木の花茶会
—13:30頃:解散(JR身延線・西富士宮駅または大石寺バス停へ送迎あり)

【お申し込み】
下記リンク先よりお申し込みください。
「モンゴルから来た青年の吹き起こす風」お申し込みフォーム

【お問い合わせ】
NPO法人ぐりーんぐらす
TEL:0544-67-0485 FAX:0544-66-0810
E-mail:info★npo-greengrass.org(担当:永山)
★を@に変えてください。

ご不明な点は、どうぞお気軽にご連絡ください。

ムルンくんは、このイベントへの想いを下記の詩に表現しています。

ムルンの詩2

地球の未来を創造するこの歴史的なイベントへ、
皆さまのご参加をお待ちしています!

 

→ イベント詳細はこちら

 

 


宇宙から一人ひとりにオリジナルな人生が託されている

2015年マヤ新年の日、地球に祈りのウェーブを巻き起こす式典の中で、いさどんは次のように語りました。

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今日2015年7月26日、マヤの新年・11MENの祭典に立ち合わせていただきました。そしてその最中に、ひとつの文字が浮かんできました。それは、「時(トキ)」という文字です。マヤ暦はおよそ20000年前から始まりました。その歴史をたどれば、今わたしたちはカタカムナを学んでいますが、そのカタカムナ以前に太平洋という地球上で一番大きな海にムー大陸があったそうです。そのムー大陸が消滅したとき、時(トキ)の文明を東に移し、マヤの文明にしたのです。そして、言魂の文明を西に移し、ユーラシア大陸の端に存在していたヤマトの国に移したのです。それから13000年の時を経て、一昨年、わたしたちはそれをカタカムナの学びとして出会いました。そして昨年から、メキシコの太陽マヤ族最高司祭の尊母ナー・キン氏との出会いにより、このヤマトの地で、マヤの新年の祭典が行われるようになったのです。

歴史を振り返ってみますと、2012年12月21日に25800年ぶりの銀河の冬至を迎えました。わたしたちの地球にも冬至はありますが、冬至とは光がもっとも少ない闇のピークのことです。わたしたちは太陽の生命エネルギーをもとにして、地球上で生命活動を行っています。そして、全ての生命が自分という個性をいただいて、時代を紡いでいるのです。その太陽の一螺旋である25800年ぶりの銀河の冬至が2012年12月21日に訪れ、この日を持ってマヤ暦は終わっています。それは、時(トキ)の文明を継承したマヤの人たちが、太古の昔にそういった宇宙の仕組みや太陽の構造を理解していたということです。

これまで、わたしたちは新たな時代を迎えるための心の準備をしてきました。一人ひとりが自らの個性的な心の歴史を知って、カルマを読み解き、そして新たな心とともに新たな時代を迎える準備をしてきたのです。それが木の花ファミリーの21年の歴史です。

そしてくしくも、新たな時代の扉を開けることになった4年前の東北の震災3.11を持って、わたしたちは地球暦に出会ったのです。地球暦に出会って、わたしたちは自分個人を生きているのではなく、星々の対話を受けて、宇宙の意志を一人ひとりの人生に表現していることがわかってきました。

こうした様々な出会いのもとに、今日2015年7月26日、わたしたちはこの富士山麓の地で地球一周の始まりとしてマヤの新年の祭典を迎えています。この祭典はヤマトの国・日本で始まり、そして24時間かけて地球を一周していくのです。

イメージしてください。宇宙を意識した人々の心が羽ばたくようにウェーブとなって、地球を一周するのです。つまり、地球は丸く、時代は途切れることなく永遠に紡がれながら、わたしたちはひとつの世界を生きているのです。

地球上にはまだまだたくさんの争いや様々な困難がありますが、これは人間以外のものが創ったものではありません。それは、人間が自我を自らのためだけに活かそうとして生きてきた結果なのです。それも、それほど長い期間のことではありません。時をさかのぼれば、およそ250年前のヨーロッパ産業革命以降のことでしょう。さらにもう少しさかのぼれば、800年、1600年くらい前のことでしょう。それ以前、人間は自然とともに生かされ、生命ネットワークの中の役割のひとつとして他の生命とともに繁栄していました。

今、この時を迎え、人間の中で自我が沸騰しています。しかし、これは悪いことなのでしょうか。

それは決してそうではありません。人間の可能性と高い能力を知るためには、思い切りその能力を表現する必要があったのです。そして現実にそれを表現したときに、その問題点も噴き出してきました。それが今の時代です。今、それをコントロールする時(トキ)が訪れ、そして自らのカルマを表現する言魂によってコントロールしていく時代になったのです。今、トキとトコロ、マヤとヤマトが出会って、この祭典につながったのです。

そのように考えますと、わたしたちは自分でわかっている範囲で生きているわけではないのです。星の対話によって時代が刻まれているのであり、それは宇宙の仕組みで生きているのです。その仕組みの中で、わたしたちは常に変化・変容・変態を繰り返しながら進化しているのです。

そういったことをイメージしながら、調和の世界を地球上に表現していきましょう。わたしたち人類は、非常に優れた能力と大きな影響力を持っています。人類が目覚めたら、次の時代にはきっと、この地球生命、さらに宇宙に大きな貢献をするような魂となって育っていく姿がイメージできます。

時代は21世紀に入り、ようやくそのような時代になったのです。2012年の銀河の冬至を迎え、新たな扉が開き、2013年・2014年・2015年と3年間その変化の準備期間をいただいて、2015年はその最後の年です。この新年が明けると、いよいよ新たな時の流れを世界中の人々が感じるようになり、人類も地球自身も新たな宇宙時代を迎えるのです。

それぞれの歩みがあるとしたならば、木の花ファミリーは世界に先駆けてそのことに気付き、目覚めたものとしてこの生活を通して表現するものなのです。これは今後の木の花ファミリーの生き方にますます反映され、そして宇宙を通し、地球ネットワークを通して、全世界に広がっていくものだと確信しています。今日のこの快晴は、天がそのような意志を示されていると感じながら、皆さんとともにその自覚を持って歩んでいきたいと思っています。

木の花の歩みが始まったのが21年前だとしたら、やっと今、時が追いついたのです。人は土星の30年のサイクルで生きていますが、最初の30年で自らが何者かを知ります。そして自らが何者かがわかったら、次の30年でそれを人生に表現するのです。そして、60年でその結果をいただき、その後旅立つための仕上げの準備をするのです。木の花ファミリーの20年から30年に向けての今後の10年間は、きっと新たな時代を紡いでいく大きな役割を果たしていくのでしょう。

そういった意味で、わたしたちは宇宙を生き、時を生き、時代を刻んでいるのです。その中のトコロという場にわたしたちの存在があるのです。ですから、心をしっかりと観て、宇宙・トキ・トコロを意識しながら生きていくことが、生命として、そして大きな役割をいただいている人間としての目的なのだと感じています。

それは、宇宙から一人ひとりにオリジナルな人生を託されているのです。そして、人々は自我から解放され、この世界のために天の意志をいただいて生きていく時代に入ったのです。それは、価値ある素晴らしい人生です。自分のことは自らで責任を持ち、高い意識で歩んでいきましょう。そして、地球上にみろくの世を実現させましょう。皆さん、これからもよろしくお願いします。

一人ひとりにオリジナルな人生が託されている
一人ひとりにオリジナルな人生が託されている

 

 


究極の世界が そこにある

いさどん:
株価が上がったと言って喜んでいる人たちがいる。それが経済の大きさだと言って、ゲームに翻弄されている。
何か、バツンとやってやりたい気持ちにならない?

何かが狂っている。
世の中は、どこかが狂っている。だけど、それに「そうだね」と呼応する人は少ない。
先日、ある柔道選手のアスリート魂をテレビ番組で放映していた。実力不足で負けて落ち込んでいる彼女の記事に、462件の「いいね!」と30件以上のコメントが付いていた。それはとてもわかりやすい世界。一生懸命やっている人が、実力不足で負けて落ち込んでいるというわかりやすい物語に対して、それだけの反応がある。
だけど、人類にはもっと大事なことがあるよなあ、と僕は思う。そんなことで一喜一憂している場合じゃないと。

人間たちは今、水素自動車の時代を迎えようとしている。水素は宇宙の中で最も多い元素と言われていて、いろいろなものから取り出せる。100年以上前にSF作家のジュール・ヴェルヌが言っていた世界が実現されようとしている。
ただ、その水素を取り出すのにもエネルギーがいる。そこで化石燃料を使う。それではだめだからと風力発電を使うのだけど、その風力発電を作るためのエネルギーにまた化石燃料を使う。

僕が子どものころ、美濃には豊かな自然があった。日本中にあった。だけど、50年前の自然は、もう返らない。何かが狂ってきているのに、みんな気付いていないんだよ。

この世界に、悪意がある。

それは、例えば利益を上げるとか、人よりも豊かになろうとか、そういった悪意がある。今よりも良くなろうとする心が、人間のエゴの上にある。
それが人間に染みついている限り、どんなにテクノロジーが進化しても矛盾は発生し続ける。それを取ってしまえばいいのだけれど、今の段階の人間は、そのままであり続けることが人間らしいのだと思っている。
そこを越えていけば、人間はどんなに進化してもお互いを傷つけることはないし、人間の存在が他の生態系や地球環境にとって有害なものにはなることはない。

――― 何で悪意が湧いてくるの?

それもプロセスなんだろうかね。

――― 人は神様からできているでしょう。悪意はどこから湧いてくるの?

同じところから湧いてくる。だから人間は、人間を超えて人を観ないといけない。

――― いさどんは、悪意ってあった?

それは、当たり前に自分の希望はあったよ。あったけれど、お釈迦様に出会ってから、それを調整するようになった。明らかに自分の中から湧いてくる感情に対して、それにストッパーをかける心が生まれて、今まで生きてきた。

――― お釈迦様と出会って最初の2年間は、泣きながら歩んでいた。

その時が一番ピークだった。その後は、衝動が出てくると、それをそうでない方へと向けるようになった。

僕はこれまで生きてきた中で、人に対しても、自分に対しても、「他者のために生きる」ということを基準にしてきた。だから、他者のために生きない者に対しては当然それを伝えるし、それができずにいる者には厳しい。逆に、そういったことの申し子のような人にはやさしいけれど、申し子のような人というのはなかなかいなかったね・・・。

他者のためだと思い込んで、自分のエゴを満たそうとしている人もいる。世の中のためにといって産業を起こして、自分の利益を追求している。それはものごとを緻密に観ておらず、客観性がない状態。では客観的な視点を持つにはどうしたらいいのかというと、自分自身を磨くということだよ。
だけど、こういった話も、その波動が響いている現場ではその気になるけれど、一たび自分の家へ戻るとまた元に返ってしまう。人間のエゴの響きが、地球に蔓延しているから。

今、僕の心の中にあることを言葉に表現するのは難しすぎる。
だけど、何かが足りない。

今、ここに3人いる。ここに壁がある。どういう壁かと言うと、個人という壁がある。
その個人という壁を全て取っ払った世界がいい、と思うのだけど、それは僕が、欲が深すぎるのだろうね。

生きるということは、性別だとか、人格だとか、個性だとか、そういうものの違いがあるものなのに、極端なことを言うと、あなたたちの個性を全部無視して、全て自分のもののように扱える世界。逆に言うと、そのことに対して矛盾や負荷がまったくかからない世界。そういう世界がある。究極のわがままだけどね。

昔から、僕はわがままというか、ぜいたくを言う。とびっきりの世界を求めようとする。その壁を壊そうとする。それをもって、他者と自分の境界を超えることをずっと伝え続けてきた。

――― いさどんの心には、壁がない?

壁を越えようとする時に、そこを越えたら、いつでも取っ払う心の準備はある。しかし、そういう望みを持っていたとしても、相手に壁がある限り、その相手の壁が自分の壁になる。それが相手との境界線になる。その相手の壁がなくなれば、その境界線がなくなれば、こちらには、ない。その時に、お互いの壁がなくなったということになる。

――― 壁があると苦しいね。

だけど、壁があることによってみんな自分を守っているんだよ。通じていない者同士は、壁によって守られていると考えている。
だから、守る必要のない自分をつくらなければいけない。守る必要がなくなることが大事なんだ。

壁の質は、人によって違う。たとえば、まりこと僕の壁。ようこと僕の壁。それは、一人ひとり違う。本当は、それを取っ払った世界を創りたい。

僕に壁があるかないかは、厳密には言えない。なぜかと言うと、そういう世界をまだ味わっていないから。けれども、常にそれを望んできたからこそ、今こういう生き方をしている。人に接することも、全てがその証としてある。
だけどみんなは、条件付きの壁を持っているんだよ。

――― 私、自分で条件があるなと思う。そうなることを、100%望んでいない。

人間には、悪意と恐れがある。そういうものが全てなくなると秩序が乱れてしまうから、自分を守らなければいけないと思うようになる。別の価値観に出会った時に、自分を守る心が働く。だから壁が取れない。

だけどね、自然界を見てごらん。大根があるとするでしょう。大根が大根であるということは、大根である限り絶対に自分であるわけだよ。それが他のものと交配してしまうと、自分ではなくなるわけだ。
ところが、自然界の中では、交配は可能なところとしか起こらない。そしてまた、変化していくことが許されるものとしか、交配しない。交配をするということは、そこに進化の種があるということ。必要な進化がその先にあるから、交配する。その道筋から外れたものとは交配しないし、そういった衝動も起きないようになっている。

だから、自分を守ろうとする恐怖や恐れを手放せば、実は、究極の秩序がそこにあるんだよ。ところが、その究極の秩序が現れる前に、自我が自ら壁を創る。だから、観えるものが観えない。次の世界がそこにあるのに、観えない。

そこまで行きたい心が僕にはある。僕はこれまで、他の人ができないことをやってきた。だからそれでいいのだろうと思いながら、どこかにいつも壁を感じていて、そこを越えられない、そこを越えたい、という貪欲さがある。
その貪欲さというのは、エゴ的な貪欲さではなく、壁を突破するための貪欲さ。その世界がどうなるのか、という好奇心。それを常に持っている。

だから、ことが進んでいって壁が取れてきて、例えば勉強会でもやって「ああ伝わったな」と思っても、そう思うと同時にその伝わった位置が観えて、まだまだ先があるのが観える。そうすると、まだこんなところか、という心が湧いてくる。前の状態からその状態になってきた喜びが消えて、次の「まだだな」という心が湧いて、壁が観えてくる。

それは、僕個人の衝動とは違うもの。水素エネルギーの時代が来る。これは無尽蔵で無公害と言われているけれど、そういうものがいくらできようと、人間の中にあるエゴ的な心を超越しない限り、結局それはまた矛盾を生むことになる。人間はそこでまた人との壁を見て、矛盾の発生源にする。人間の中にある壁を越えない限り、それは本当の理想にはならないんだよ。

壁がない状態というのは、人と接する時に、人に対して自分に接するようにするということ。そこに一切の区別がない状態。
それを可能にするのが、自分という存在の世界観を広げること。だから僕は、世界観や宇宙観の話をする。そして、いろんな角度から共通性を探求している。
だけどいくらそれをやったところで、人間の根本が自我が基本になっていたら、それはサビの上にペンキを塗るようなものだよ。いくら塗っても、サビが浮いてきてはがれていく。

自然界のものというのは、個性があって、絶対なるルールの中にあり、それを超えないようにできている。それを超えることは、神の意志の領域になり、新たな種が生まれたり、種の再編成が生まれる。しかし、そこでは個性を尊重するようにできているから、自我も守られているんだよ。そこには、意図が働いている。

逆に、人間は個が強くなりすぎて、それを超えていくということができない。自我を優先するがために、この世界を共有することができない。
それがまた矛盾の大きな発生源にもなり、人間が進化するきっかけになるわけだけど、大量の矛盾を発生させて、この世界に負荷をかける原因にもなっている。そのバランスをどうとっていくのか。

今、究極の選択を迫られる時が、来ている。
こんな話は、これまで哲学者や宗教家が頭の中で回しているだけで、世の中の人々の日常生活からは隔離された世界だった。
しかし今、人間のあり方そのものが問われる時代が来ている。そんなふうに切り離して置いていけない時代が来ている。

今、こうやってこの部屋で話をしていると、窓から隣りの建物が見える。その中にいる人たちは、そんなことは何も考えていない。窓の外に見える世間の99.999999999999%の、いくつ9がつくかわからないパーセントの人たちは、まだそのことを考えていない。
僕はそれを、限りなく少ないとみるのか、逆に、ほんの少しでも兆しが始まったぞと観るのかということだと思う。どんなことでも、始まりはほんの少しの兆しから始まったんだよ。いずれその兆しが、世界にいきわたる時が来ることを想って、この想いを巡らせている。

そしてその先を想像していくと、全てのものに壁がなくなることは、この世界がひとつに還るということ。つまり、始まりの、神様お一人の状態に還るということ。それは、この世界が終わるということ。それは究極の喜びであり、究極の破壊であるわけだよ。

これを哲学のように、発想の次元で終わらせてはいけない。みんなは、発想の次元でしか受け取れていない。
僕の中には、どこかに、強烈な欲深がいて、そのイメージを探求するあくなき自分がいる。だから、伝わっても伝わっても、もっともっとという気持ちになる。
僕は、そういう自分が好きだけどね。呼吸しながら、負荷がかかって、納得して、喜びになって、またそれが負荷を生んで、納得して、そして喜びに変わる、という呼吸するような状態が好きなんだよ。それが生きることだから。

――― この話をもっと深めたい。

あのね、これは、これ以上深められないんだよ。
僕の中では、今自分のイメージしている納得の限界のところまできている。そこで、他者、例えばあなたがこの話をもっと深めたいということは、あなたの受け取った次元の質問に対して答えるということを深めるのであって、究極の世界にいくには、結局、自我を超えなければいけない。そうすれば、全ては解決するんだよ。

この話は、壁を超えたい、壁をとりたいという衝動から始まっているでしょう。それを超えるためには、自我を超えること。自我を無しにすれば、こういった衝動は起きなくなる。つまり、自我があるから壁があるのであって、自我を無しにすればそれで終わるんだよ。

――― そうだね。私は今、ものすごく衝動がある。

それは自我があるという証拠だよ。その、ものすごく難しくて、不可能と思えることが、実は自我の壁を取れば終わることなんだよ。そして、そこには秩序があるのだから、何も心配することはない。今の自分の姿も秩序なんだよ。

例えば、人間と植物は壁を超えられないようにできている。人間と空気は壁を超えられないようにできている。人間と鉱物は壁を超えられないようにできている。
ところが、もう一つの捉え方からすると、それは全て同じものでしょう。地球という同じもの。だから超えられる。というよりも、すでに超えている世界で存在している。

だから、なぜこういったことが起こるのだろうかというと、自我がある状態があるからなんだよ。
どう言ったらいいのだろうね・・・目覚めれば、それに気付けば、答えは既に出ているし、完成されている。自我の頭で回しているだけでは、いつまで経っても、その答えは出ない。

はあ・・・・落とせないな。行こう。バイバイ。

 

(そう言って、いさどんは作業へと出発しました。)

 

 


新たな時代を迎えるために〜GENタイ代表といさどんとの対話

昨年より、木の花ファミリーは事実を歪めた情報によって国内の一部のエコビレッジ関係者からバッシングを受けてきました。
以下は、このことに心をいためたGEN(グローバル・エコビレッジ・ネットワーク)のタイ代表であるナルモン・パイブーンシッティクンさん(以下、モン)といさどんとの対話です。
 
■     ■     ■     ■
 
いさどん:
これまで、エコビレッジという概念に価値を置く人々がいました。こうした人々はこの概念に執着する傾向があります。本来、エコビレッジとは自然と調和し地球に優しい生き方をする人々の集いなのです。ですから、特定の人々が示す生き方のためにエコビレッジはあるのではなく、すべての人類が目覚め、目指すべき方向がエコビレッジのあり方なのでしょう。

今までエコビレッジは一部の人々の特別な暮らしということで認識されてきましたが、これからの時代は人類の歩みとしてこの概念を捉えていく必要があります。そういった意味で、エコビレッジ活動に関わる皆さんは門戸を広げる必要があるのです。自然界に豊かな生態系が存在するように、人々も多様な国家・文化・歴史を持ち、そうした違いを超えて共有していくことが求められています。今、時代は、イデオロギーの違いによる対立に終止符を打とうとしているのです。しかしながら、宗教の違いや貧富の差により、世界中の人々はまだ地球共同体という認識を持っていません。

例えば、ノーベル平和賞を受賞した少女がいますが、わたしは彼女の存在が世界に平和をもたらすとは思いません。彼女は対立構造の一方の側の人々に利用されているように観えます。それと同様に、ISの存在を悪とみなし、彼らを倒すだけで問題が解決するとは思えないのです。ですから、エコビレッジ活動に関わってきた人々は自らの視点を広げ、社会運動としてこの価値をつなげていくことが必要なのです。

モン:
日本においてエコビレッジのネットワークが切れた状況を考えますと、あなたがおっしゃることに全く共感します。しかし、そこからわたしたちは学ぶ必要があるのです。「わたしたち」というのは、日本だけではなく、タイや他国のネットワークも含めたわたしたち自身のことです。それと同時に、木の花ファミリーのようなコミュニティが批判によってエコビレッジのネットワークから外れたことに対し、わたしは戸惑いを感じ、何かしなければと考えています。

大きな視点から捉えると、タイや他の東南アジアの国々は物質的に貧しいだけでなく、精神性も貧しいという見解について話し合いたいと思っています。また、こうした国々の姿勢は良いものではないのです。あなたは姿勢の転換を重要視しています。そこで、どのような提案をわたしにしていただけますか?

いさどん:
物理的な貧しさから脱却するために、近年、ほとんどの人々はアメリカ主導型の豊かさの探求に追随してきました。しかし、本来人間は精神的な生きものであり、精神的に不安定な状態で物だけを与えられたら、色々な矛盾が発生するのは至極当然のことです。人々が物質的な豊かさを求めれば求めるほど、今の人間社会の構造では一部のところに物理的豊かさが集中するのです。

ですから、ひとりひとりが一方通行の価値観へ向かうのではなく、それぞれの個性を生かして、個性を尊重し合い、そしてネットワークの中で豊かさを追求する自立した状態が必要です。わたしたちは地球という一つの生命体に存在しているのですから、現時点での目的はワンネスを意識することであり、その目的を果たすためには皆が互いにつながり合うことが大切です。そのためにはわたしたちの世界観を広げる必要があります。それは、特定の価値観に囚われていては、可能ではありません。なぜなら、わたしたちが存在しているこの世界は、常に変化・変容を繰り返している世界だからです。さらに、平和や幸せ、豊かさについてどの意識レベルで捉えているかを見直す必要があります。そういった意味では、最初にお伝えしましたように、これまでエコビレッジを推進してきた人たちは、エコビレッジに対する自らの視点によって限定されているように観えるのです。

木の花ファミリー創立当初、わたしたちは「エコビレッジ」という言葉を全く知りませんでした。このコミュニティはわたしの霊的な体験とともに始まったのです。また、木の花ファミリーの歩みは地球に優しい生き方を追求していった結果でもあります。そして、エコビレッジを広げようとする人たちが木の花ファミリーのメンバーになって、わたしたちはエコビレッジとして知られるようになりました。今現在、木の花ファミリーはエコビレッジという枠から意図的に外れていますが、事実として、ここはエコビレッジとしてもっともふさわしいモデルであり、その最たるものが精神性なのです。

今なお一般社会は、富を追求することを優先しています。この流れは、地球上で最後の物理的進化のフロンティアであるアフリカ以外は、すべて行き詰まりを迎えることでしょう。そしてアフリカではこれから物質的な価値観が繁栄し、それがピークに達したときに、地球上での矛盾もピークに達するでしょう。その予感を感じられる今、時代の流れは明らかに切り替え時に来ているのです。

宇宙的視点からすると、250年前に起きた産業革命以降、冥王星は一周しました。ですから、戦略的に社会を変えていこうと志を持つことは時代の流れに乗っていることですし、それとコラボしていくことは大切なことです。しかし一方で、時代が変化していくときに戦略的になる必要はないのです。これからは物質的な豊かさを探求すればするほど、地球はすでに過剰な負担をかけられていますから、その行為に対して常に矛盾という形でわたしたちにその意志を伝えてくるでしょう。今、物質的な豊かさと霊的な豊かさのバランスが崩れていますので、物質的探求を続けてきたわたしたちが切り替わるしか選択肢はないのです。そこで、わたしたちがすべきことは、遺産として次の世代へつなぐビジョンを明確にすることです。

先程あなたから、木の花ファミリーに対する批判についての話がありました。今回の批判を受けるずっと以前から、わたしたちはエコビレッジ関連の組織に入り続けるべきなのかどうかについて考え、皆で話し合ってきました。なぜなら、国内でエコビレッジを推進する学びの場は多くもたれてきましたが、その多くはコミュニティを立ち上げることすら叶わなかったのです。そこではビジョンに現実味がなかったり、コミュニティを持続させるにふさわしい精神性に乏しかったり、またエコビレッジに対するイメージだけで関わってきたことが原因になっているのです。彼らの中には、ヨーロッパやアメリカのエコビレッジを訪問した際の体験やどこかで得た情報のみで、エコビレッジのイメージを創り上げる傾向があります。それに対して、わたしたちはエコビレッジという概念に倣ったわけではありませんが、地球に優しい生き方を模索してきた中で、コミュニティの変遷の現場を歩んできたのです。

すべてのものに過渡期があるように、ある段階でわたしたちは社会に適応できない人々の受け皿になっていました。そうした人たちは一般社会で自らを健全に保つことが出来ず、その多くは人間関係において不安定であり、希望を失って、新たな社会的価値観を求める傾向があり、このコミュニティに集ってきました。わたしたちにとってそれはまるで、リハビリプロジェクトのようなものでした。そのようなプロセスの中で、コミュニティを運営するために取られた学びと措置の善意を逆恨みする人たちがいました。しかし、その当時も今も、その人たちに対する愛と、社会を健全にしようとする情熱はわたしたちの中で不変なのです。

また、わたしたちの世界観と、彼らが求めている幸せや世界観にギャップがあることが発覚してきました。そういった過程で様々な人々が集いながらも、木の花ファミリーは一つのコミュニティとして運営され、維持していくことが求められたのです。そのような模索の中で、木の花ファミリーは精神性の高いコミュニティとして確立されましたが、その道が進むほど、その方向性から自然に外れていく人たちが出てきました。

古橋道代がGENやGENOA、Gaia Educationの役員をしているときに、そこでなされた議論の内容を聞き、エコビレッジ活動に関わる人々の世界観に失望するところがありました。そのような見解からすると、木の花ファミリーを離れた人たちとも、同じテーブルに着いて語り合えば、今回のような出来事が自分たちの未熟さから発生したことを彼らは真に理解するでしょう。

なぜそのように言えるのかというと、彼らがここを離れ、木の花ファミリーが批判を受けた後でも、事実、ここはたいへん安定した状態にあるからです。 あなたもここに滞在することにより、それを感じていることでしょう。しかし、ここを離れて行った人たちは自分たちを正当化したいがために、事実の多くを捻じ曲げ、架空の物語を創り上げ、わたしたちを批判し始めました。日本において木の花ファミリー以外に、エコビレッジらしいコミュニティは他にありません。さらに、ここは世界的にもたいへん貴重な場所だと思っています。

ところが、共同生活を一度も実践したことがないにも関わらず、エコビレッジのイメージを創っている人たちがいます。ある意味、そういった人たちにとって、木の花ファミリーが日本におけるエコビレッジの代表事例としてみなされていることは好ましいことではありませんでした。そうした人たちの釈然としない想いとここを離れた人たちの不満が合わさり、わたしたちをたいへん激しく批判するに至りました。しかし、今回の一連の出来事を通じ、木の花ファミリーメンバー間の絆は深まり、わたしたちの世界観はさらに広がりました。

事実、彼らが一生懸命取り組んでいることは、エコビレッジの事例としての木の花ファミリーをなくし、忌まわしい団体として貶めることなのです。エコビレッジの定義を広げ、その基準を超えようと考えているわたしたちからすると、このことは問題ではありません。ですから、エコビレッジを推進する人たちの言葉を借りれば、エコビレッジのネットワークとは多様な形で個性を尊重するということなのですから、「エコビレッジ」の定義や意図を考えると、木の花ファミリーのような確立されたコミュニティがそのネットワークから外れることは不自然なことです。

何よりも、21世紀に人類がどのように進んでいくべきかの回答がここにあります。産業革命以降250年間続いた物質至上主義の価値観が転換する時代が訪れているのです。右肩上がりの成長と引き換えに、人々は地球に負荷をかけ、豊かさを追求してきました。しかし、真実として、宇宙は拡大と収縮を繰り返しています。そして今まさに拡大が終わり、その真実を求めるためにそぎ落とし収縮する段階に入ってきています。必要なものと不必要なものを仕分けし、不必要なものをそぎ落としていく時代なのです。そうすると、これ以上物理的にも精神的にも不必要な負荷がかからなくなり、本当に必要なものだけが残るのです。これからは、物質的な発展はわたしたちの積極的な意志により縮小していくべきなのです。その代わりにわたしたちが拡大させる必要があるものは、精神性に基づく世界観です。世界観を広げていくことによって、人間としての新たな可能性を開花させ、愛や調和にあふれた世界を創ることが出来るのです。

木の花ファミリーのメンバーは精神性を最も大切にしながら、不要なものをそぎ落とし、日常生活の中で真実に目覚めようと努めています。もしあなたがただ自分自身の願いを叶えたいと想うなら、コミュニティで生活することは不可能でしょう。実際、特定の人々が共同体で暮らしているのではなく、わたしたち人類は皆、「地球共同体」に暮らしているのです。それは、人類の地球共同体どころか、地球生態系の共同体でもあります。さらにわたしたちの意識が広がっていけば、それは太陽系共同体であり、銀河共同体であり、大宇宙共同体でもあるのです。

ですから今、地球共同体を運営していくためには、人類は自らのエゴと直面することが不可欠です。そしていつか、わたしたちが宇宙的視点に立ったときに、どのように太陽系、銀河、宇宙を運営していくのかを考える時代が訪れるのです。人類が地球を一つの生命体だと気付き、そうした認識とともに生きていくことの歴史的転換点を今、わたしたちは迎えているのです。

批判によると、木の花ファミリーには問題のある性的行為や暴力があるとされています。それは、彼らの意識レベルで物事を見て、その人たちの感情が反応すると、それを事実として捉えることができます。しかし、すべての出来事には長い物語があり、それは継続しているプロセスの一部なのです。わたしたちを批判する人たちは、物事を部分的に切り取って、自らのフィルターを通して事実を歪めている傾向があります。しかも、そのような批判は、自らのエゴと向き合いきれず、精神性を高めることを断念した元メンバーが自分たちを正当化したいがために訴えたことのみを情報源としています。ですから、この状況を改善するためにわたしたちが次に何をすべきなのかという提案を一切しないのです。なぜなら、ただ批判することが彼らの目的だからです。それとは対照的に、木の花ファミリーにはこうした出来事すべてを経験した結果、より高いビジョンがあります。その現実化のために、今も粛々と日々の中でその探求が進められています。ですから、自分自身のエゴに向き合うことができなかった不調和なメンバーがここを離れていった結果、メンバー間の絆はより強くなり、ここはより精度が高くさらに開かれた場になりました。

あなたは今回それほど長い期間ではありませんが、ここに滞在するために訪れました。もしあなたがこのコミュニティのエネルギーを感じるならば、わたしたちが一切の秘密を持っていないことに気付くでしょう。もしあなたが1ヶ月でも1年でもここに暮らしたら、それはとても明解にわかることです。鋭い人であれば、ここを一目見ただけで今回のような批判が真実ではないことを瞬時に感じ取ることでしょう。

道代:
彼女はここに来てすぐに、木の花ファミリーは批判されているような出来事が起こる場ではないと気付いた、と今朝わたしが彼女と話していたときに言っていました。

モン:
ひとつ質問があります。わたしたちは何をすべきなのでしょうか。この状況をただ放っておけばいいのでしょうか。それとも改善するために、GENのような国際レベルで、またはGENOAのような地域レベルで、もしくはわたし個人のレベルなど異なるレベルで、何かわたしにできることはあるのでしょうか。

いさどん:
わたしたちの見解からすると、批判する人たちには明らかに事実を捻じ曲げフィクションを創り上げることによって、わたしたちの存在を否定しようとする意図があります。彼らはとても賢く、多大なるエネルギーを注ぎ、批判することに情熱的になっているので、そこに惑わされる人もいると思います。それは時代が新たな方向へ移行しようとするときに、抵抗する力のようなものだと捉えています。しかし、時代は確実に前にしか進みません。ですから、彼らがしてきたことは時代に逆行しているのですから、霊的には罪を犯していることになるのです。わたしはそのことに対して彼らを非難するつもりはありません。彼らの意識レベルからすると、批判することを大事だと思っており、そのことによって自分たちの価値を下げていることがわからないのです。

大切なことは、時代は新たな方向へ時を紡いでいく役割をわたしたちに与えていることに気付くことです。それは、天体の動き、人類の歴史、文明の周期といった様々な視点から、新たな時代に劇的な変化をもたらす大いなるターニングポイントを今、わたしたちが迎えていることが立証されてきているのです。変化を求める動きは、それに対する抵抗に常に出会うものです。もしわたしたちがその抵抗に対して何もしなければ、こうした変化を拒否していることにもなります。ですから、時代が変わることを感じ、その真意を理解できる者は、これを何とかしようとするのです。批判を支持するどころか、それを超えて新たに木の花ファミリーを支援する人たちが今、多く現れてきています。あなたの中にもそのような感受性があるから、それを感じられたのでしょう。不調和が批判する人たちの特徴なので、共通した敵がいれば団結し、一見調和しているように見えます。しかし、彼ら自身の中に人を批判して自らを正当化する種があるのですから、その調和を保ち続けることは不可能なのです。ですから、そうした自分自身の価値を下げていくような活動がいずれ消滅することは確かです。そして、それは時代が示してくれるのでしょう。

それでは、わたしたちが新たな時代に移行していくことを感じる人たちは、何をしたらいいのでしょうか。それは常に真実を語ることであり、わたしたちと同じ立場なのです。わたしたちは木の花ファミリーという存在を所有していません。新たな時代に向けての一つの雛形として、わたしたちはこのようなライフスタイルを実践してきました。ですから、人々が地球共同体に暮らしていることに目覚め、時代が新たなステージに移行すれば、わたしたちの目的は達成されるのです。そのような共通した目的を持っている人たちは、エコビレッジ活動に関わっている人も、そうでない人も、あなた自身も皆いずれ、その立場に立つべきだと思うのです。エコビレッジという枠が壊れ、広がる時が訪れています。わたしたちを批判する人たちはたいへん熱心なので、日本語だけではなく英語でも発信をしています。それは、わたしが伝えていることの問題提起をするチャンスでもあります。そのことにより、真実は何であるのか、そしてこれからの時代に何が求められるべきなのかが立証されるのだと考えています。

もしあなたがタイのことだけではなく、人類の未来をわたしたちと同じように考えているのだとしたら、それはあなたのための活動として、真実を伝えていくことが大切です。それは、この世界の仕組みに気付き、時代の流れを感じた人たちの使命なのです。

時代は、とてもダイナミックで、魅力的な時を刻んできました。そして、そういった価値観を支えるわたしたちの思考も、その確信のもとに歩んできたのです。しかし、全てのものは満つれば欠ける世の習いのごとく、過ぎたればそれを修正する段階に入るのです。ですから、わたしたちが今取るべき行動は、自らの根本的な振り返りと新たな時代を迎えるための自我のコントロールです。それは、今までの価値観とは全く逆さまのようなものにも捉えられますが、時代に心を向けて感じられれば、そのことの大切さは明解にわかるものです。そして、新たな時代を迎えようとするために出来事が矛盾を持ってそれを示し、人々は今、そのことに気付き始めているのです。わたしたちに出来ることは、そのネットワークの中に自らがいることを常に意識して生きることなのではないでしょうか。
 
 


今なぜ「1ヶ月間の真学校」をやるのか

2月15日から3月14日にかけて開催中の木の花塾「1ヶ月間の真学校」では、日々受講生たちの中に変化が生まれています。今、なぜ、「1ヶ月間の真学校」をやるのか。その意味について、いさどんが語りました。

*「1ヶ月間の真学校」の様子は下記ブログにて公開しています。ぜひご覧ください!
  ↓

 「1ヶ月間の真学校@木の花ファミリー」
 
■    ■    ■    ■
 
グローバル・エコビレッジ・ネットワーク(GEN)が、創立20周年を記念する本を出版するにあたり、その中で世界の20のエコビレッジを紹介するので木の花のことも取り上げたいという話がありました。
そこで依頼された記事をこちらから送ったのですが、みちよちゃん(前GEN理事)によると、その内容がスピリチュアルで哲学的なものであり、他にもスピリチュアルな内容の記事があったため、あまりそういった内容に偏りすぎてエコビレッジがスピリチュアルに偏った場所だと思われては困るというあちらの編集方針によって、今回は掲載を見送られることになったそうです。

今、1ヶ月間の真学校に14名の受講生が学びに来ています。彼らは、何かしら今の西欧的な物質至上主義の社会に疑問を持ち、新しい生き方を求めている人たちです。そういった人たちが、歴史的にも時代の変遷を担ってきました。
今、いろいろな意味で地球が行き詰まっている中で、そういった人々が増えてきたということは、地球上に暮らす人間の生き方を変えなければいけない時が来ていることの証ではないでしょうか。

今の地球の行き詰まりの一番の原因は、人間が自分という自我に囚われて、もっと大きな世界観の視点から外れていることです。
地球は、ひとつの命です。そして、宇宙の星と星との関係も、実は生命的なつながりの調和の中にあります。しかし、人々はそういった捉え方をせずに、人間の考えだけで暴走している状態です。今の産業界や世界を推進している人々の考え方では、人類は地球に問題をもたらす生命となってしまう時が来ています。

一方、これまでのエコビレッジも、その存在の意義を見失い始めています。それはどういうことかと言うと、活動を広げてメジャーになろうとする動きの中で、西洋的発想の人々の作った組織は、スピリチュアル性を抑えようとするのです。
けれども、西洋的な情報に偏ったエコビレッジ・デザイン・エデュケーション(EDE)のような教育プログラムをやってそこで知識を得ても、特に日本の場合は、そこから実際にエコビレッジを立ち上げる人がなかなか生まれません。生まれないどころか、エコビレッジらしいエコビレッジが消えていってしまうのです。

本当に地球のことや生命のことを考えて生きていく人を育てるには、僕はある意味イスラム教の神学校を意識して、真実に目覚めるためのプログラムとして「1ヶ月間の真学校」を立ち上げました。それはイスラム教の神学校というわけではなく、世界観を広げ、真実に目覚める場です。
受講生があらかじめ求めているような情報ではなく、彼らの思考が及ばないような情報を提供することで、一人ひとりの意識を引き上げていきます。それが本来の情報提供です。彼らにとってはそれまでに考えたこともなかった世界ですが、聞いていくと道理の通った当然の話であることがわかってきます。

人類が地球上で調和的に暮らしていくためには、どうしたらいいのか。多種多様な生命が地球上で持続可能に生きていくことを、今もっとも阻害しているのは人類であるというところに、私たちは至っています。ならば、私たち自身がそのことに気付くことです。人類は生命の長として、自分たちだけを特別視せずに、新しい世界観のもとにこれまでの生き方を変えていくという役割を担っているのです。

GENの編集局は、本の内容がスピリチュアリティに偏り過ぎないようにということで今回掲載を見送ったとのことですが、世界の主だったエコビレッジはみんなスピリチュアリティから始まっています。そのスピリチュアリティを失っていくということは、生命力を失っていくということです。もともとの精神性を忘れて、世界の主流になっている地球環境問題の方にエコビレッジを位置付けていますが、今エコビレッジの活動自体が広がらなくなってきています。
今回の編集をしている人々には、世界のエコビレッジがスピリチュアリティに偏っている団体だと思われたくないという意向が働いています。そういった世界の風潮とは逆に、精神性を重視しているものが健全であり、だからこそこういった生き方をやり続けていけるということを示す時が来ていて、それはまさにこれからというところなのですが、今までの世界の傾向に合わせてその部分をカットするのです。

今、真学校を始めてみて、受講生のマインドコントロールが進んできたなと思います。そのマインドコントロールとは、一般的にイメージされるような人間の思惑によってなされる洗脳ではありません。
その人の枠の外にある情報を提供することによって世界観を広げ、視点を高くすることで、今の社会がどういう状態なのか、その社会に疑問を感じているとはどういうことなのかということに目覚めさせて、自分がこれからどう生きることが、自分にとっても地球にとってもいいことなのかということを考える力を身に付けていくのです。
それは、自らの心の性質を客観的に捉えて自分でコントロールしていくこと、つまりマインドコントロールであると言えます。そのコントロールによって、自分にも他の生命にも、地球全体にとって健全な世界を創っていくのです。それが尊い生き方です。

人々はまだ、エコビレッジ業界の人達も含めて、20世紀型の豊かさの延長線上に幸せを求めています。ところがそれでは、この宇宙の中で地球だけに生命があり、人間はその中でも特別な存在として宇宙や地球生命への責任があるということが、いつまでたっても理解できないのです。大切なのは、エコビレッジを創るよりも、そういった広い世界観に目覚めることなのです。

今回の真学校の受講生たちは、今の世界の在り方に疑問を持っています。それは、時代が移り変わっていく時になくてはならない目覚めです。
事実として、今、若い世代が生きることに希望を失っています。産業をどんどん推し進め、それが自分自身を破壊しているのだと気付かずに欲望を広げていくようなおかしな社会に希望を見出せずにいるのです。生命力という意味で、新しい形で人々に希望を持たせる必要があります。

今はイスラム国の台頭が話題になっています。イスラム教の神学校という教育の中からイスラム原理主義が生まれてイスラム国の台頭につながっていますが、地球上の在り方として、今も、未来も、ああいったことがずっと栄えていくということはあり得ないでしょう。
けれども、それを脅威に感じている人たちはそれをつぶそうとしています。そのつぶすことも一つの自然の働きとして捉えられますが、ではなぜ今の時代にイスラム国が台頭してきたのかということを本当には振り返っていません。

イスラム国は、今の世界の主流であるモノカネ主義の結果、人間が地球環境をこのような状態に追いやってきたことの歪みとして生み出されたものです。その歪みが生んだものを単なる悪者としてつぶしたら、なぜそれが発生したのかという本当の意味を理解しないまま、社会が進化しないことになります。そうやって自らを振り返ることのない自分主導の善悪二元論的な発想が、まだまだ世界にはびこっているのです。
イスラム国が現れた意味を理解したら、人類は今の地球上での在り方を変える時が来ていることが観えるし、時代も変わるように進んでいっています。エコビレッジ業界は、自分たちが持続可能な暮らしを提供できる代表だと考えているかもしれませんが、そうやって何かを所有していると、世界全体の潮流に乗り遅れる可能性もあります。また、自らの思惑によって表現に制限をかけていては、多様性からも外れてしまうのです。

戦争の影響で日本は本当のスピリチュアリティを失ったために、なかなかそういったことが浸透していきませんが、世界的にもまだ今のような風潮が人類社会を支配しています。
だからこそ、この真学校をやっていかなければならない。そして、一人ひとりの目覚めが本当に必要になってきていると思います。

人はいずれ、必ず死にます。
そして死を境に、全ての人が、スピリチュアルな世界へと迎えられていくのです。