集団的自衛権の行使容認を見てみよう

先月、日本政府は、他国への攻撃に自衛隊が反撃する集団的自衛権の行使を認めるために、憲法解釈を変える閣議決定をしました。戦後69年を迎えた今、“平和国家”をうたいながら歩んできた日本のあり方が、大きく転換しようとしています。
この件について、いさどんとメンバー数名、ゲストも参加しての座談会を行いました。

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ともこ:
今日のテーマは、集団的自衛権についてです。
「宇宙視点で見てみよう」のシリーズは去年の5月に始まりましたが、その第1回の時のテーマが「憲法改正を見てみよう」でしたね。

いさどん:
あの時の話が、ここにつながったね。自民党に票を入れるのはいいけど、こういうことが起きますよ、と予言したんだよね。
本来、この集団的自衛権の行使についても、憲法を改正してからやるべきなんだよ。ところが、憲法改正には国民感情からして大きな反対があって、国民投票をしたら明らかに否決される。だから、それをやらずに集団的自衛権を行使できるようにするには、今の憲法の解釈を変えればいいということで、今回のことがあるんだよ。しかし、それは国民感情を無視していることでもあるよね。

ともこ:
「憲法改正を見てみよう」では、政治に無関心な国民がこれによってもっと考えるようになるきっかけになればいい、という話だったね。

いさどん:
Japan holds Perliament Upper House Electionそう、国民が考えるきっかけになるんじゃないかと期待していたんだよ。それでその後の参院選もすごく面白いものになるだろうと思っていたら、国民はアベノミクスのアベじゃなくてアメにつられて、自民党へ圧倒的な議席を与えた。国会で議論をしようにもしなくて済んでしまうほどの環境を、国民があの時に与えてしまったんだよ。
だから今は、予測通りのことが起きてるってことさ。僕がNHKの解説委員か、いやそれこそ玉音放送みたいに国民みんなに「それ見たことか」と言いたいところだけど、残念ながら「木の花ファミリー通信」止まりです(笑)。

ともこ:
大丈夫、ここから広がっていくから(笑)。
確かに今回はそれ見たことかということが起きてるんだけど、未だに国民の関心てあまり高くない気がするんだけど。

いさどん:
違うよ。集団的自衛権を行使するというのがどういうことなのかが、よくわかってないんだよ。そうでしょ?

さかもっちゃん:
全然考えてなかったです。

いさどん:
多くの人がわかってないから、議論も何もないんだよ。

ともこ:
ちなみに「憲法改正を見てみよう」の時の結論は、このまま進んでいって国民が目覚めないようなら、この国はもう北朝鮮にあげちゃった方がいいね、ということでした。

いさどん:
宇宙的視点に立てば、別にオウム真理教が世界を支配して、浅原彰晃が世界の実権を握って、みんなが彼の考えに沿ってそれが最高だと思うようになれば、そこには平和が訪れるわけですよ。
だって、今の現実を見てごらん。人類は地球や他の生命に負荷をかけ続けて、その結果が自分たちに返って来ている。これからもっと大変なことが起きるよ。これは全部自分たちのやったことのツケでしょ。ある意味、物質至上主義の人たちがこの世界を独裁しているわけだよ。
今はいろんな価値観があって対立しているけれど、もしも共産主義が独裁すれば共産主義の平和な世界ができるんだし、資本主義が独裁すれば資本主義の平和ができる。誰か1人優れた王が立って全てを支配すれば、そのもとに平和はできる。そう考えたら、別にキム・ジョンウンが独裁してもいいわけだよ。みんなで「将軍様ー」って言ってればいいんだから。初めからそうだったら全然問題ないのに、対比するから問題が発生してくる。
まあそんな宇宙視点に立った半分悟りみたいな話をしてても始まらないけどね(笑)。

ともこ:
そうです(笑)。

いさどん:
現実にはなかなかそうはいかないから、今の日本の立場を分析して、現状をどうしていったらいいか、ということだよね。
僕は、集団的自衛権については反対でも賛成でもないんだよ。だいたいね、日本人て虫がよすぎるのよ。何かというと、戦争とか武力行使には反対するくせに、そういった力の仕組みに守られて今の自分たちの生活があるということは、全く考えないのよ。

ともこ:
うん。世論調査でも、集団的自衛権の行使について「認める」か「認めない」かの二択だと、「認めない」、つまり反対派の方が多数なのに、そこに「必要最小限は認める」という選択肢が入って三択になると、一気にそこを選ぶ人が増えて容認派の方が多数になるんだよ。

いさどん:
戦争反対ということが日本人には刷り込まれているから、二択にすると「あんなことは二度とあっちゃいけない」と反対するに決まってるんだよ。その割に、個人個人はいがみ合ってるけどね。
国民は自民党を支持しているけれど、その政府の言い分はというと、太平洋戦争は我々にも理があったんだ、としている。欧米の植民地政策からアジアを開放して大東亜共栄圏をつくるんだという、今のEUみたいな構想を持っていたんだよ。ところが構想は立派だったとしても、日本は天皇を軸として他国を植民地支配する独裁国家を考えていた。天皇を軸にといっても、それは天皇陛下には申し訳ない話で、実は軍閥がそういうことを企んでいたんだけどね。
そのナショナリズムの視点からしたら、確かに日本は朝鮮を植民地にしたけれども、それによって不安定な朝鮮国内の状態が安定したとか、逆に朝鮮の側から日本に要請があったとか、戦後には多額の賠償金を復興のために出しているとかいう見方もできる。
だけど僕の面談でもね、例えば夫婦が来て、二人の関係を調整するために僕が仲裁に入ることがあるでしょう。その時に、お互いに相手のことを言われている時にはその通りだと同感するのに、自分のことを言われると同感できない、という人たちがいる。それじゃあうまくいかないよ。自分の主張を通すために話し合うなんて、話し合いじゃない。二人の関係を今後どうしていくのか、という視点に立って、初めて話し合いが始まるんだよ。

そういう意味で言ったら、今の日本では外交にもならないね。もしももっと本音で話し合う場を持って努力すれば、集団的自衛権は不必要になってくるはずだよ。

ともこ:
政府の見解としては、日本の軍事力を高めることで日本に戦争を仕掛けようとする他国の企みをくじく、ということのようです。

いさどん:
そういう考え方の人たちにとっては、それが正当なんだよ。確かに、そういう抑止力的効果もあるんだよ。
でも逆に言えば、備えれば備えるほど、相手も脅威に感じるわけだ。だから相手も軍事力を上げる。そうするとこっちもそれを脅威に感じて、また軍事力を増強する。こんな無駄ってある?
日本の自衛隊の予算は、世界で5本の指に入るよね。これだけのお金を国連にでも入れたら、世界の飢餓が救えるよ。

みんな:
ほんとだよ~。

いさどん:
中国やアメリカあたりの軍事予算なんか使ったら、世界中の人々の生活がもっと向上するよ。
そういうふうにしてみんなが手を結べばいいんだけど、なぜか恐怖のもとに、対抗心をお互いに持って、緊張感の中で抑止し合うことを平和と言ってるんだから、おかしな話だよ。

じゅんぞう:
このケンカって、アメリカが日本に来いよ来いよって言ってるの?それとも日本が積極的にやってるの?

いさどん:
P1050455世界情勢が反映されたものだから、アメリカは日本に圧力をかけてるだろうね。
だけど日本はずるいんだよ。アメリカの傘の下にいて、美味しいところだけ取っていたいっていうのが日本の国民性でもあるし、政治もそうなってる。いい例は、スイスだよ。スイスは永世中立国だよね。だけど自国の軍隊も持っていて、徴兵制もある。それは今の世界情勢から言ったら国家としてはバランスがとれていて、国民は国のことを大事にしているし、国を大事にするということは結束しているということだよ。
日本の憲法9条は戦後にGHQが来て生まれたものでしょ。もしも自分たちの国を本当に大切に思うならば、改めて国民投票をしたらいい。皆でもう一度考えて、集団的自衛権についても、まず国民に問うて、憲法を改正してからやるべきだと思うよ。そうしたら、今回のようにそうは簡単に行かないよ。
ところが、国民はそこがすごく曖昧なんだよ。ただ自分たちの側にとって都合のいいところだけを取り上げて、憲法改正に反対する。もしも今の現状のままアメリカとの同盟関係が崩れたら、日本は国が成り立っていかないだろう。その時に、国民はそれを迎える覚悟ができているのか、ということになる。ある意味、自立のチャンスでもあるけれど、今の日本はとても日和見的で、僕はこういう国民性は嫌いだね。本来の大和民族が持っている調和や世界の規範となる国家の精神というのは、封印されてしまっているよ。

まり姉:
日本国らしい自衛権というのはどういうものなんだろう。

いさどん:
それは国民が決めることだし、国家が決めることだから、僕は何も言えないけれど、僕流に言わせてもらうなら、武器や、戦争に関する全てのものを放棄することだよ。

まり姉:
刀狩りみたいにするってこと?

いさどん:
それは違うよ。刀狩りは、時の権力が強制的に取り上げることでしょ。そうじゃなくて、日本の国が一切の武力を放棄することだよ。戦わない国になる、ということだよ。

ともこ:
それは一人ひとりの意志のもとにあるってことだよね。権力が強制的に武器を取り上げるんじゃ、強制的に国民を戦地へ送り込むのと同じ仕組みになっちゃう。

いさどん:
私たちは永世中立国です、と言って、どこかの国が侵略に来たらどうぞウェルカムと言って、他の国がそれではいけないでしょうとなったらそっちでケンカしてもらえばいい。
まあそんな僕の話を聞いたらダメだよ。それで戦争になって死んだらどうするんだーって言われても、戦わないのだから死ぬことはない。それどころか死んだらもうこんなこと考えなくていいんだから本望じゃないの、ってことになっちゃうから(笑)。

じゅんぞう:
宇宙視点ですね。

いさどん:
生きることに囚われてなきゃ、どうってことないんだよ。
だからね、何で今、こういう状態になってるのかってことなんだよ。21世紀になっても、なぜ未だに軍事力によって平和の均衡が保たれるような状況にあるのかと言ったら、利害の主張し合いと、お互いへの疑心暗鬼があるからでしょ。だから、本当はどうなのか、ということを観ていくことが必要なんだよ。
例えば、習近平さんに、なぜそんなに軍事力が必要なのですか、うちが武力をもつのを止めたらあなたも止めますか、それともうちからアメリカに話をしたらいいですか、と、そんなことを公に対談したらえらいことになっちゃうから、陰で根回しをする。日本人が外国へ行くたびにそういう話をしていったら、少しずつ警戒は取れていくよ。しかし現実には、そういうことをする人がいないんだよ。
軍備なんて、使わなければ古くなるし、それを維持していくだけでもすごいお金がかかる。それを国民生活が豊かになるために使えば、すぐに地上天国ができるよ。

ともこ:
そういう話を聞くと、世の中もだいたいみんな賛成するでしょ。戦争なんてない方がいいし、そのお金をもっと別のことに使った方がいいって。でも現実にはこの世論調査のように、「必要最低限は持っていたい」っていう本音がある。「もしも他の国が攻めてきたらどうしよう」っていう恐怖が心の中に渦巻いてるんだよ。それは、自分の心を相手に投影してるだけなのにね。

いさどん:
それは自分を守る心でしょ。自分を守ってる人間は成長しないよ。自分の考えに囚われてこれが正しいなんて囲っていたら、成長はしない。

なかのん
集団的自衛権に反対している人たちも、実は自分を守る心からそうしていて、結局は賛成派と同じなんだよね。

いさどん:
だから、そこから抜け出て、自分からも抜け出て、客観的な目線でそれがなぜ起きているのかを観て、そこからどうしていったらいいのかを相手と話し合う。
地球は宇宙にあって、生命の世界として十分に豊かに創られてるんだよ。なのに今の世界は貧しいでしょう。例えば今の社会はモノをたくさん持っている人とそうでない人の格差がすごくあるけど、じゃあこれを平均的にしたら豊かなのかというと、そういう世界はあまり豊かじゃないのね。平均的にしちゃうと、それは「一律」という勘違いの平等になる。
本当の豊かさというのは、その人の人間性とか、そのお国柄にふさわしくものや出来事があって、その多様性こそが豊かさなんだよ。だから北極や南極に行けば氷の世界だし、赤道直下へ行ったらバナナが勝手に出来るんだし、それが自然の豊かさでしょう。それを地球を一律平均気温15℃にしましょうなんてことになったら、何も面白くないでしょう。
だから、お互いを認め合って、あなたの特徴を活かしてね、私のところも活かしますから、という話し合いをする地球運営サミットでも立ち上げればいいんだよ。小さいけど、その走りが大人サミットだよ。

まり姉:
個人を活かすのも国を活かすのも同じだね。

いさどん:
本来紛争なんてものは、宇宙視点から観たら地球という星にはいらないものなんだよ。だけど今の地球人には、自分たちが地球人だという認識もない。日本人なんて、日本人だという高い認識もないでしょ。だって愛国心がないもの。大和魂が戦時中に歪められて表現されたけれど、本当の意味での大和魂が復活することは、日本にとっても世界にとっても大切なんだよ。もしかするとそれは、12000年前のカタカムナ的宇宙観から再生されるのかもしれない。
愛国心も、いずれは手放す必要があるね。だって自分の子供がかわいい、自分の家族がかわいいと身内に囚われている人は、その枠を超えられないから、こういった今の世界を創っていくんだよ。

ともこ:
うん。政府は日本国民の安全を守るためとか、平和を守るためとか言うんだけど、日本だけのため?って、聞けば聞くほどしらけちゃう。

いさどん:
そういった身近なものだけを守ろうとする心が、疑心暗鬼を生んで、対立の構造を生むんだよ。

Gaza airstrikes ともこ:
イスラエルとガザの状況と一緒だね。

いさどん:
一緒だよ。

ともこ:
今回のイスラエルの攻撃によるガザの死者は約2000人。その3分の2が民間人だって言われてる。

いさどん:
アメリカはイスラエルのことを絶対に非難しない。なぜかと言ったら、アメリカはイスラエル資本に支配されてるから。ロシアがウクライナに侵攻すると制裁だとか何とかいうのに、イスラエルにはお咎めなしで好き放題にやらせてる。今は、そんな横暴な国の言いなりになってるんだよ、日本は。アメリカさん、あなたは間違ってるよ、と言うだけの気骨がないといけないのに、今はモノカネでつながってるから、そんなことはあり得ない。

db1336c9bd6a1d30ed9cdf018ccbe2acともこ:
イスラエルの言い分としては、ハマスが攻撃してくるから自分たちの安全を守るためにはやむを得ないということ。その根本となる心は集団的自衛権と同じなんだよね。それで本当に解決ができると思ってるのかな。

いさどん:
イスラエルの武力は圧倒的だけど、ハマスは窮鼠猫を噛むという感じで、どうせやられるなら少しでもやっつけてやろうという感じでやり続けるから、被害はどんどん大きくなる。それを無理やり力で収めたところで、憎しみは残るから、またいつか再発する。だから地球運営サミットが必要なんだよ。

ともこ:
それをさらに宇宙視点で観てみると?

いさどん:
まあ今までの話は地上視点と言うか、人間視点だよね。
存分に話していいということなら、まずは軍備完全放棄。そしてそれを世界に宣言する。でもそれも人間視点だよね。

時代から観ていったら、こんなバカなことはもっとガンガンやればいいのよ。つまり、集団的自衛権なんてもので変に抑止して戦争を先送りにしなくても、とことんやって痛い思いをして、こんなことはもうこりごりだよ、となったら、もうやらないよ。だから、人間はまだやり足りないんだよ。

まこっちゃん:
まだ正直が出てない。

いさどん:
出てないよ。性格が悪いのに、まだそれを隠してる。性格が悪いんだから、とことんそれを出して、ぶつけ合って、行くところまで行って「もうやめようよ」となるしか仕方ないよね。これは地球規模人類規模の話ね。
だけどそこで迷惑なのは他の生命だよ。人間のためにあるんじゃないんだから。もう一つ、霊的に言うと「お前たち何をやっているのだ」と天之御中主(アメノミナカヌシ)は言うわね。「私が地に柱を降ろすことですべての生命が周って、その中で役割を果たしてくれるのかと思ったら、人間たちはそれを壊していったい何をやっているのか」と。そう言うと、その上の神さまが、「いや、それもこの世界をおもしろくするために私が仕組んだのだ」と(笑)。それを聞いて天之御中主が「えー!お父さんあなたが仕組んだんですか、私はそれを知らないから深刻になっちゃいましたよー」と言うと「しんこくは3月15日までじゃ」と。(チーン)

結局、何があったっていいんだよ。650光年先のベテルギウスがそろそろ超新星爆発しそうだという話がある。もしそうなったら地球も大変なことになるわけだけど、軸が20度ずれているからまったく影響がないと言われている。しかし、影響があったらおもしろいね。
その時に、うわー死にたくないー、というものたちと、ああいよいよ来たか、じゃあ次のステージに行くか、という覚悟あるものたちとに、分類されるんだよ。うわーとなっているものたちは使いものにならないから、宇宙空間に放っておくね。次のステージはどのようにすればいいですか、じゃあ今度の新天地はアンドロメダでどうだ、となったら、みんなでまた船団を組んで、種を持って、次のステージに行くんだよ。種を持って。そしてまたそこで、新たな命の物語が始まる。そこからまた50億年くらいかければ、新しい地球ができるんじゃないの。だから、何があってもどうってことないのよ。

人間は、常に何かを所有しているからいけないんだよ。宇宙視点で観るとそういうことになるんだよ。
太陽がらせんを描きながら銀河の周りを1周するのに2億2600万年かかるでしょう。らせんの1回転は25800年だから、銀河を1周する間に約8760回転するわけだよ。銀河の冬至が25800年ぶりと言っても、銀河を1周する間の8760回転のうちのたったの1回なんだよ。たいしたことないんだよ。

じゅんぞう:
自分の命に囚われすぎてるから、戦争も起きるってことですよね。

いさどん:
命と言うか、利害のとりこになってるんだよ。

じゅんぞう:
「愛とお米があればいい」からスタートすればいいってことですね。

いさどん:
そうだよ。だからここで語られている精神が世の中に広まれば、集団的自衛権も議論する必要がなくなるんだよ。
いろいろな問題ごとを超えるにはどうしたらいいですかと聞かれるけど、一番身軽に出来ることは天に心を向けること。自分を磨けば天の視点、つまり直感が降りてくる。
もう一つは、世界観を広げること。この世界はこういった仕組みになっていて、太陽も水も空気も大地も全ては一つで循環していて、我々もそれを共有しているバクテリアのような存在だとしたら、バクテリア同士で争うかってことなのよ。
世界観を広げたら確実に自分は超えられる。そうしたら争いはなくなりますよ。そして豊かな社会ができる。たったそれだけのことだよ。

だから、集団的自衛権についての議論なんて何もいらないんだよ。まずは日本の総理大臣が木の花塾を受講することだね。

ともこ:
安倍さんに招待券送ろうか(笑)。

いさどん:
安倍さんもきっとこの話を聞いたら「おっしゃることはその通りです。でも忙しくて参加できません」と言うだろうね。じゃあ何で忙しいのか、ということさ。ダメな方向に忙しくしているからこそ、視点を変える必要があるんだよ。視点を変えれば、こちらの方がはるかに効率的でエネルギー消費も少なくて、平和な世界を創っていくんだよ。国民の健康や平和を守るために、って、政府の回答にも書いてあるじゃない。それが本当にできるんだよ。
だけど安倍さんは、個人だったらそれをできるけど、日本の代表という立場に立ってしまうと国家エゴの代表になってしまうから、それができないんですよ、と、とても殊勝(首相)な顔をして「アイムソーリー(総理)」と言うんだよ。(チーン)

やっぱりこれから日本の代表になるような人は、地球の外に出てものを考えられるような人じゃないといけないね。そうすると、若田光一さんか?(笑)

さかもっちゃん:
話のスケールがでかくて、自分の中に話が入ってきてるのかどうかわからない・・・

いさどん:
そんな自分の思考は抜きにして、全部開放してさ、だーっと入れてやればいいんだよ。あ~なるほどな~、っていうだけでいいんだよ。

さかもっちゃん:
それでいいんだ。そこで考えちゃうんだよね。

いさどん:
それを自分で吟味して吟味して、なんてことをすると、固まってはねのけるようになっちゃうんだよ。
今みたいな話って、ゆるめる話でしょ。ゆるめてゆるめて、シンプルに日頃の自分を観ると、あー自分は締めてたなー、というのがわかるよ。

集団的自衛権の話も、視点をちょっと変えれば全く必要のない話だよ。人は本当に無駄なことをしている。そのエネルギー、いらないでしょ。自分に囚われないで、それってこういうことじゃない?と言われたことに対して「そうだね」と進んでいけたら、今まで無駄に使っていたエネルギーを他のことに使えるんだよ。
もしもみんながそうなったら、世の中はすごく効率がよくなるよ。ストレスもないから無駄なお金も使わなって、地球も喜ぶよ。だから、いかに無駄なことをやっているか、日々自分をチェックしていくことだよ。

天はこう言ってるよ。「十分に、命も、豊かさも与えておる。それを表現するかしないかは、おまえたちの意識の問題だ」と。


この世界に、マインドコントロールを受けてない人っているの?

農と性について語った「天然の意識で生きる」、それを受けて語った「コノハナ人としての新たな時代の生き方」を大人ミーティングでシェアした翌日の、いさどんとともこの会話です。
木の花ファミリーはマインドコントロールされている、という人がいますが、はてさて、それではマインドコントロールとは、いったい何なのか?!
 
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いさどん:
毎日こうやって同じような話を、みんなが似たような価値観の中で語り続けていくと、これはマインドコントロールということになるのかね?

ともこ:
そうだね、マインドコントロールと言ってもいいよね(笑)。

いさどん:
これだけ価値観を共有しようとする場所にいたらね。

db6f65c6ともこ:
マインドコントロールって何だろうね?

いさどん:
たとえば、毎日安倍総理の話が出てきて、「経済を活性させましょう!」と言われ続けたら、それもある意味マインドコントロールだよ。

ともこ:
でも、かかるマインドコントロールとかからないマインドコントロールがあるよ。私は毎日安倍総理の話を聞いても、たぶんそのマインドコントロールにはかからない。

いさどん:
それは興味がそこに行かないからだね。だから、マインドコントロールは何かと考えていくと、確かに今ここがやっていることは完璧なマインドコントロールをしようとしていることにもなる。しかし、そこに強制しようとかマインドコントロールしようという意図は働いていない。

ともこ:
働いていないね。

いさどん:
結果として、これは強烈なマインドコントロールになるとは思うけど、たとえばここで語られていることに興味がない人がいるとする。それで、ここで毎日その話を聞いていると、「やっぱりそうだよ!」と考えるようになるのだろうか?

ともこ:
そうなるかな・・・?

いさどん:
たとえば障害者支援センターの紹介でここに来たAちゃんや長期滞在者のBちゃんのような人は、ここの生き方に共鳴しているわけではないよね。では、あの人たちの中にそういった感情が強くなっていくのだろうか?

ともこ:
感情というのはわからないけど、生活様式というか、人のために動くというふうにはなっていってるよね。

いさどん:
たとえば、木の花に対するバッシングの中には「土日の休みもなく働かされる」と書いてあったけど、誰が働かせているのか?ここにはそういった人はいないでしょ。例えば、食べることを休むことはないのだし、生きることも休むことはない。それは生活するということで、毎日あり続けることだよ。そしてここでは、働くことも生活をしているだけなのだから、毎日あり続けて当然のことじゃない?

ともこ:
うん。別に休みがほしいって感覚はないね。疲れたらその時には休むんだし。

いさどん:
でも、生活することが働くこと、という考え方が定着していない今の社会では、生活の中で休むことと働くことが別になっている。それはひどいマインドコントロールだよ。人間以外どころか、人間自身も生活すること自体を絶対休まないのにね。
我々は、生活することと働くことを区別していない。しかし、一般社会では生活することと働くことを別にしている。働くことは仕事だと考えているけれど、本来働くことは生活することなんだよ。

そこで、視点を広く持って、人間と地球の関係について話すと、「そのような生活に関係のないことを言ってマインドコントロールする!」というようなニュアンスの反応があるを感じるのだけど、今の地球の現状を考えたら、国を挙げてそういったことを考えないといけない時が来ているんだよ。それを実践して生活していることに対して、マインドコントロールだと言われるんだよ。

ともこ:
「宇宙なんておかしなことを言ってマインドコントロールして!」ということだよね(笑)。

いさどん:
宇宙の話は、事実だからね。昔、人間が空を観て考えていた想像とは違って、今はNASAのデータに基づいて考えているわけだから、事実なわけだよ。

ともこ:
事実だよ。だいたい、マインドコントロールを受けていない人は世の中にいないよね?

いさどん:
マインドコントロールがない世界はない、ということだよ。そうすると、さっきともちゃんが「私は安倍総理の話を聞いてもそこに興味が湧かない」と言ったけれど、そこに興味が湧く者が集まって、その意識をお互いに刺激し合いながら維持している世界はマインドコントロールの世界だよ。

今の人間は変だよ!人間社会のやってきたことに限界が来ているのだから、そこで新しい扉を開けないといけない時に、いつまでたっても開けようとしない。それは、何か強烈なマインドコントロールがあって取れない状態だよ。
逆に、そのマインドコントロールを解こうとすることを、我々はやっている。今の医療にしろ、経済システムにしろ、教育にしろ、福祉にしろ、どれを取っても本当に矛盾だらけでしょ。

ともこ:
性もそうだよね。

いさどん:
そう。それを「あそこはマインドコントロールしているのだ!」と言われてもね。
僕はどう考えても、実体としては、マインドコントロールをしていると思うんだよ。しかし、そのマインドコントロールは、ものの捉え方を変えて、新たな視点を持っていこう、そして単なるマインドコントロールという心の状態だけではなく、それを生活まで反映させよう、という“超マインドコントロール”をしていて、それは別のマインドコントロールを解こうとする目的の元にやっているわけだよ。

ともこ:
それは視点を広くするマインドコントロールだよね。今、自分のことだけを考えて生きている人たちが、もっと自分の思考範囲を広くするマインドコントロールだと思う。

いさな(0歳)
いさな(0歳)

いさどん:
(いさなに向かって)素晴らしい子!
なんて傑作な子なの!

いさな:
わあ!

ともこ:
いさなは傑作で生まれてきて、毎日こういう話を聞いて育つんだね。

いさどん:
そう、毎日与えられる環境がその人の人柄を引き出してくる。色々な人柄がその人の中には内在されていて、魂の約束としてどういった人格として生きていくのかを人間は設定してきている。だから、人格の可能性は全てあって、その設定にふさわしい環境を与えられるところに降りてきているんだよ。
だから、この人は毎日、この宇宙的な話や視点を広げる客観性とか、今まで人類が持っていなかった領域のことばかりを聞いて育っているんだよ。

ともこ:
それが日常会話だものね。

いさどん:
いきなり朝からそれでスタートするのだから(笑)。それで、まわりには血縁を超えた人々の暮らしがある。

ともこ:
そう考えると、マインドコントロールって何だろうね?いさなは自らその環境を選んで生まれてきているでしょ?

p1130331いさどん:
例えば、マインドコントロールについて書かれた本を見ると、マインドコントロールは悪いものだと書かれているものが多いと思わない?しかし、マインドコントロールは日常の中に当たり前にあって、「この世界は全てマインドコントロールですよ」という意図で書かれているものはない気がするんだよ。
マインドコントロールというと悪いことであり、オウム真理教の「オウム」と聞いただけで悪いことにしてしまっている。しかし、「オウム」とは本来、宇宙根源の響きのことだよ。

いさな:
イェイイェイ!

いさどん:
なぜ、今日このような話をしたのかというと、ここ何日かのことを想い返してみて、僕はみんなをマインドコントロールしてきたと思うんだよ。あるテーマに向かって、毎日色々な投げかけをしながら深堀をしているでしょ。
昨日読まれた文章を聞いている時に、なぜあのような長い文章になるのかと思っていた。一通り体系づけて話していくと、ああなってしまうんだよ。あれをみんなに聞いてもらって、みんなからもフィードバックをもらいながら、一段落ずつ深めていく必要があると思う。最初は感覚的に受け取ればいい。しかし、感覚的に受け取って「そうだ」と信じる心が出来た後に、一段落ずつ分析していくと、全体像に対してひとつひとつの部品に魂が入っていって、それが機能するようになる。
それをやらないとその投げかけが生きないと思ったときに、それはすごいマインドコントロールだと思った。しかし、それは絶対にやるべきことだと思った。今の社会のマインドコントロールが進んでいったら、今の世の中を観て「変だ」と感じないようになってしまう。ここでやっているのは、社会にマインドコントロールされている者をそれから解き放って、次の時代に必要なマインドコントロールをしているんだよ。

昔、マインドコントロールの最たるものは統一教会だと騒がれていて、そのマインドコントロールを解くのにキリスト教の牧師さんがそれを引き受けてやっていたんだよ。それで、その牧師さんが何を伝えたのかといったら、「普通の生活に戻りなさい。当たり前の生活をしなさい」と伝えていた。その牧師さんは自分たちの正統とするキリスト教の神様を信じ込ませたいわけだよ。それっておかしいでしょ?

ともこ:
ここのことをマインドコントロールだと言う人は、マインドコントロールは自分で考えることをなくさせてしまう、というイメージを持っていて、それでここをマインドコントロールだと批判するんだよね。

いさどん:
ここでは「自分で考えなさい」と伝えているんだけどね。

ともこ:
そうなんだよ!楽して答えをもらおうと思っても、絶対に教えてもらえないよ(笑)。でも同時に、昨日の天然農法の話にもあったように、「自分」というものの考えがあると天とつながれないわけでしょ。

いさどん:
そうだよね、「自分で考えなさい」と伝えながら、「自分を捨てなさい」と伝えている。それを外から見て、「人に考えなくさせるからこれはマインドコントロールだ」と言う人もいるんだけど、自我が勝ってしまったら天然の意志が感じられなくなってしまうのだから、自我を打ち払って天に耳を傾けなさいという話なんだよ。
マインドコントロールについて考えていくと、何がなんだかわからなくなるね(笑)。

ともこ:
わけがわからなくなるね!

いさどん:
人間はおかしな生き物だよ。だいたい、マインドコントロールという言葉を気楽に使っていること自体、おかしいね。

ともこ:
おかしいよ。ここがマインドコントロールをしているとして、その行為の元になっている心がどういうものかということは全く考えられてないし、その結果がどうなっているのかも全く観られていない。

いさどん:
部分的に区切って、「あそこは特別な考えを押し付けている」と捉えているけど、その物語を全て紐解いて観ているのかといったら、観ていないんだよ。

ともこ:
ここをマインドコントロールだと批判する人たちは、これをやり続けた先にどういう世界ができるのかを予測しているのかな?たとえば、いさどんの言いなりの世界ができるとか。

いさどん:
それは素晴らしい世界だよ!

ともこ:
そうなんだけど、それをネガティブに予測しているのかな?

いさどん:
だから、僕の言いなりの奴隷のような世界ができると思っているんだよ。

ともこ:
やっぱり、観察が足りないね。実際には、そうではないからね。

いさどん:
そう。あまりにも一方的に、それもネガティブで感情的な捉え方で結論を安易に出している状態だからね。

ともこ:
結局、マインドコントロールってよくわからないね。

いさどん:
わからないのに、安易に確信を持ってその言葉を使っている。

ともこ:
確信を持っているね。

いさどん:
それは、とてもあいまいな状態で確信を持っている。ものを観察したり特定するときに、前もって結論を決めてしまってからものを見ているので、そのような状態になるんだよ。

ともこ:
自分の結論に合わせてものを見ているんだよね。

いさどん:
だから、それはものを観ていないことになる。

ともこ:
それは自分の中にあるものを観ているんだね。ものを観るときに不安や恐怖から来る決めつけがベースになっているよね。

いさどん:
そう。マインドコントロールを分析していったら、そこらじゅうがマインドコントロールだらけであって、そうすると、それをマインドコントロールと呼んでいいのかという話だよ。情報をもらって認識していくこと自体が、マインドコントロールだからね。

ともこ:
カタカムナのうたいの奏上も、マインドコントロールに観えるんだろうね。

いさどん:
あれは、マインドコントロールを解いていくためにあるんだよ。結局、現象界に現れたものは全てギャップからできているから、マインドコントロールされていると言える。そこに自らという特定ができて、対象を計っていくわけだ。
その位置が変われば価値観も変わるのに、そのこと自体も現象界のギャップだから、自らを特定して何かを観たらその特定のマインドコントロールにかかる。そういった特定が沢山あって、そのネットワークがこの世界の多様性だということすら、全てマインドコントロールなわけだよ。ギャップによって現象界ができているのだから、現象界は全てマインドコントロールだということだよ。

それを全てなしにして、ギャップが起きる前の状態に戻していくことをやっているのがカタカムナ奏上なのだから、それは究極のマインドコントロールを解く作業をしているんだよ。しかし、その世界に安易に出会ったら、「これはマインドコントロールだ!」とアレルギー的に反応する人もいるだろう。それは実際にその本質を観ていない状態だよ。

ともこ:
よっぽど自分で考えていたいんだろうね。自分の考えをなしにすることが、人間にはできない。

いさどん:
それを恐怖に感じる人間が、自分がなくなることを恐れて何かの情報を得ることを「植えつけられる」とネガティブに捉えたときに、「マインドコントロールされているんじゃないか?」という発想に膨らんでいく。情報をどんどん取り入れて自らを拡大していくことによって自分自身の特定をなくしていくことは、マインドコントロールから自らを外していく作業なのに、それをマインドコントロールされていると感じるんだよ。だから、全く正反対の受け取り方になってしまう。

ともこ:
やっぱり観察がないね。そうやって自分で考えようとして創ってきたのが今の社会でしょ。問題だらけの結果が現実に現れてきているのに、まだ自分の考えでやれると思っているんだよね。

いさどん:
宇宙を人間にとって都合の良いように運営できると考えているんだよ。我々は宇宙から生み出されたものだから、宇宙に従ってこそ、本来の姿になる。なんだか、馬鹿馬鹿しくなってきたね。人間と付き合っていて時々嫌になるのはそこなんだよ。当たり前に考えて当たり前のことを言っているだけの話なのに、そんな当たり前の事が特別になってしまっている世界だね。

ともこ:
そうだね。宇宙の話も当たり前なのに。

いさどん:
僕からしたら、宇宙の話でも何でも、道理に沿った当たり前の話だよ。それなのに、変わった人ということになる。

ともこ:
宇宙の話をしていると非現実的な変わった人で、電子マネーとか株とか経済のバーチャルな話をしていることの方がリアルな現実なんだよ。

いさどん:
そう。電子マネーどころか、お金に追われて毎日生活している人がいる。この間も福祉施設のコンサルタントという人が来ていたけど、なにしろ頭の中はお金のことだけで、福祉業界でいかにお金を稼ぐかということばかり考えている。彼を観て、「あなたは頭が狂っている」と僕は思うけれど、世の中にはそういったことが常識の人が沢山いるんだよ。

ともこ:
すごいマインドコントロールだね。

いさどん:
そう。ひどい話で、僕は話を聞いていて嫌になった。お年寄りが老いていく福祉の世界すら、そういった金儲けのネタとしか考えていない。それなのに、それが正常ということになっているんだよ。

ともこ:
そこに本人は疑問を持たないんだね。見事なマインドコントロールなのにね。

いさどん:
たとえば、人が鬱病になったり引きこもったりすることも全て、思いこみの中から生まれてくる。だから、それを解き放ってやれば病気はすぐ治る。ただその思い込みが強いから病気の状態にいるだけだよ。
それを解明して、病気の状態から解放するメカニズムはここに既にできている。だから、それに乗るか乗らないかであって、それに乗るということは病気から解放されるマインドコントロールだということだ。

ともこ:
そう。病気もマインドコントロールだね。自分にマインドコントロールをかけている。

いさどん:
そうだよ。それと、お酒がないと生きて行けない状態もマインドコントロールだよ。生活習慣病もそうだけど、当たり前に毎日その常識から離れられないのがマインドコントロールということになる。だから、そこから解き放ってやれば健全になる。それはどこに解き放つのかと言うと、宇宙の法則、自然界の循環の法則に解き放つと、人間の体は自然の生態系の法則と同じになって循環して健全になっていく。
しかし、自然自体が歪んでいるということが最近になってわかってきた。自然はこの世界の美しい調和の歪みによるネットワークで成り立っているんだよ。

人は、自分が現在持っているものを否定されるのが嫌なんだよ。それは、自分に執着しているから。
僕は一つだけ気になることがある。それは、一昨日、農と性の話があって、昨日それをもう一度深めた時に、農の話についてこうちゃんがコメントをした。その時に、もともとの有機農業や自然農法の癖が出ていて、肥料をやって採ろうとする考えが残っているわけだよ。岡田茂吉(自然農法の創始者)は肥料を入れることは毒であると言っている。特に、畜糞とか人間の糞のような堆肥は毒であると言っている。しかし、そんなことを言っても現実には作物ができないから、自然農法をしてきた人たちは、肥料を使い続けて科学しながら解明してきたのだけれど、画期的な答えはまだ出せていない。

そこから、我々は今、これがなぜ限界に来ているのかを気付き出して、天然農法へと段階的に移行している。ということは、やはり毒を使ってからそれを正常にする、ということをしていてはいけないんだよ。毒は始めから使わないで正常化する作業をしないと、手間がかかるからね。
昨日のミーティングでこうちゃんは、かぼちゃの出来が悪いという話を出した。堆肥を入れて窒素を補給したのに、結果として窒素欠乏の症状が出ている。だから僕は、それは自然農法がやってきたことそのものだと伝えたんだよ。それは、人間が分析して答えを出してやろうという考えだよ。
しかし、せっかくだから土の地力を生かしてやるとしたら、その辺の草を刈ってきて上からマルチをして、土を裸の状態から保護して、後は土が循環していく力をいただくところに気を降ろすと、これが岡田茂吉の提唱した自然農法になる。それにプラス、カタカムナ奏上で天然農法になる。

ただ、こうちゃんには以前の自然農法や有機農法の亡霊が憑りついていると思うからその話をしたのだけど、それを聞いても彼の心は晴れていかなかった。「そうだね!」とならないんだよ。それはなぜかと思って観ていたら、自分がやったことを否定されたと受け取っているんだよ。
そこでは化学農法で育ててきた作物と量や質を競争しないで、何か別のものがあるぞということを追及していけばいい。それで、「採らなければいけない」とか、物質的に質のいいものを採ろうとする想いに追われていることから、自らを解放しようよ、という話をしたんだよ。
それは、こうちゃんの気持ちを楽にしようとしたのだけど、結局楽にはなっていかなかった。だから、よほどそれを説明しようかと思ったのだけど、とりあえず伝えたのだから、そこでは「そうだね!」と直感が降りてくることが大切だったんだよ。そこで直感が降りてくるのではなく、説明してもらってやっとわかったという話になってしまうと、本末転倒になるからやめたんだよ。

結局、有機農業や自然農法のマインドコントロールを解く話をしたのに、解放されなかった。自分がやったことに対して、間違っていたと言われたと受け取っている感じがした。「僕はあなたの側なんだよ。あなたに楽になってほしい。そして、本物の本物の本物をこれから追及していく場所をみんなでつくっていこう」という話をしたのだけど、通じていなかったなあ。

ともこ:
一昨日の性の話の時でも、いさどんは今のようなことを言っていたのだけど、聞いている側は、「自分にできるだろうか」という想いに囚われながら聞いてしまっていたね。

いさどん:
結局、一昨日の話を昨日して、昨日の話をまた今日しなければいけない。本当は、その話が出た時に、直感人間だったら「そうだね!」「よくわからないけど、そっちがいいね!」となっていく。しかし、一昨日の話を昨日して、昨日の話を今日してというふうに手間がかかる。でも、それをしていかないと事が成っていかない。それを丁寧に丁寧にやっていったら、これはすごいマインドコントロールだと思ったんだよ。これからも徹底的にマインドコントロールしていくぞ(笑)。

ともこ:
そのマインドコントロールだったら、みんなも望んでいるわけだよね。

いさどん:
ここを離れた人たちでも、そのマインドコントロールを求めてここに来て、そして納得していたはずなのに、ある時、それを嫌だという自我の感情が出てきて、それで全く逆の視点を持ち、今のような立場に立っている。だから、これはいつ逆転するかわからない話でもあるんだよ。

ともこ:
この前ホームページの自然療法プログラムのページを見ていて、あれは元メンバーが書いたものだけど、やっぱり彼はもともと目的が違っていたのかも、と思ったの。あれを読むと、「個人」の改善がベースになっているな、と思う。摩擦の起こる心をいかに個人がコントロールしていくか、みたいなところに主眼が置かれて書かれていて、彼の目的はそういう段階だったんだな、と思った。

いさどん:
だから、彼は自分が救済されることが一番だったんだ。しかし、そうやって凝り固まっている人間を柔らかくして、広い視点のところに持っていくことは大事なんだよ。
ところが、自我は彼にとって強烈な執着であったから、それは強く抵抗するものとなって、こちらが柔らかくしようとしても「強要されたくない」という感情がどこかに働いていたのだろうね。しかし彼は、自らの本来求める道に戻って、自らの力でどのように自分自身を導いていくのかといったら、それができない人でもあるんだよ。だから、それを与えられる場を失って苦しいだろうとは思う。マインドコントロールされることの心地良さと豊かさをどこかで求めながら、そうなっていくことを否定する自分が同居しているのだからね。

ともこ:
それは苦しいね。

いさどん:
だから、今は楽じゃない生活をしていると思うよ。それは彼らの今の生活を実際に観なくてもわかるよ。仏の世間解だからね。しかし、分析すればするほど奇妙な世界だね。人は自らがとっているスタンスで生きていることを妙ではないと思っているけど、わかればわかるほど妙な世界に生きているんだよ。

「こういった世界に誰がしたのですか?・・・あなたですね。」
「わかるか?」という返事が天から返ってきた。
「わかるか?」「やっとわかった?」という心が降りてきた時に、それは軽いノリで伝えているけど、「それが目覚めるということなのですね。私はあなたの真意を理解しました。」ということになるんだよ。

ともこ:
昨日の朝、お風呂掃除をしていたらまりちゃんがお風呂場まで来て、「わかったよ!」と言ってきたの。その前日のまりちゃんへのインタビューで、「なぜまりちゃんの心は変わってきたの?」と訊いたら、まりちゃんは「この道の価値がわかってきたからだと思う」と答えていたのだけど、昨日はお風呂場まで来て、「価値がわかればわかるほど自分の小ささやしょうもなさが観えてきたんだよ。そうしたら当然選ぶのはこっちの道でしょ。」と言っていた。

いさどん:
そう。自らを手放す方に行けばいいんだよ。

ともこ:
でも、人はわかればわかるほど、むしろ自分の我が大きくなっていって、自分がわかった側になるんだと思う。

いさどん:
それは知識的な学習の場合だね。しかし、実際に知恵が湧いてくる状態でも、わかればわかるほどその者の器は大きくなっていく。ところが、知識的にわかる人はどんどん知識に捉われ、器は硬くなり、世界は小さくなっていくんだよ。その人が真実だと特定した世界にね。だから、大きくなるという意味ではどちらも大きくなると言える。すごく妙な世界だよ。
今の世界で優秀だと言われている人たちは自分でも賢いと思っているから、そうでない理屈がくると腹が立ち、否定したくなる。エコビレッジを考えている人たちや大学の先生、テレビに出てくるコメンテーターでもそうだけど、自分たちがそういった人間の枠を作って世界を計っていることを知らないんだよ。

何だか訳のわからない話になってきたね。ともちゃんも完全にマインドコントロールされたね(笑)。

ともこ:
された(笑)。でも、これは自分で望んだマインドコントロールだから。

いさどん:
このマインドコントロールはアメノミナカヌシの力だよ。

ともこ:
だから、このマインドコントロールには確信がついてくるんだよ。

いさどん:
それは、この延長に行けばいいのだという確信だね。

ともこ:
そう。

いさどん:
だから僕は、「人間は命を紡ぐ人生という魂の旅をしています。その延長に行き着く目的がこの道の先にあるのです」と伝えたんだよ。それは間違いないことだ。

ともこ:
そこに私はとても自信をもっているのだけど、世間でマインドコントロールされている人たちも、それはそれで確信があるのかな?

いさどん:
それはないだろうね。世間のマインドコントロールというのは、とりあえず、何か特定の概念から解き放って一般社会に出し、それで終りだからね。それ以上の責任を持つ者がいないんだよ。例えば牧師さんだったら教会にいて、「神様に学びなさい」と言うぐらいで、通常のマインドコントロールを解く世界は、たとえばオウム真理教に行っている者にそういった概念を捨てさせて、「普通に会社に行って仕事をしなさい、それで生きていきなさい」と言うだけで、後はほったらかしだよ。

ともこ:
そこに新たな確信と希望は持てないよね。

いさどん:
だから、次の保証はない。たとえばオウム真理教に入った人は、もともと社会に潜む家庭の問題や個人的な問題から何かの疑問を感じて、オウムに入信したんだよ。だけど、彼らをオウム真理教から救済するという人たちは、そこのところまでは責任を持たない。どうしたら私はオウムに魅力を感じたようなエネルギッシュな人になれるのでしょうか、と彼らがオウムに代わる価値観を求めたら、その人が持っている新たなマインドコントロールを代わりに提供することになる。しかしそれをしたら逆マインドコントロールになってしまうから、それをしないで、「毎日会社に行って働きなさい、いい人と出会って結婚して家庭を持ちなさい。そして、平凡な人生を生きなさい」と、それだけで終わりなんだよ。

ともこ:
それでは、もともと疑問を感じていた周りとの問題も解決されているわけではないから、結局何も解決されないことになるね。

いさどん:
そう、何も解決されない。
マインドコントロールという言葉は、ただ攻撃をするネタとして使われている。それを使う人たちは、社会の側に立って、自分とは価値観の違うものを攻撃する。だから、このマインドコントロールという言葉を使っている人たちは、本当に深く物事を捉えていない人たちなんだよ。
そこで、自らを振り返り、他者と自らを平等に客観的に観る視点を持ちたいものだね。
  
  


STAP細胞からみるトキ・トコロ 〜ノーベル賞より大切なもの〜

STAP細胞問題で、理化学研究所は実験の不正を認定し、小保方さんの処分も検討しています。一時は小保方さん個人のプライバシーに踏み込むほど報道が加熱し、理研の改革にまで話が広がっているこのできごとは、私たちに一体何を教えてくれているのでしょうか。宇宙視点から見てみました!

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*この座談会は、先月行われました。
*座談会には、ファミリーメンバーのようこ、まり姉、ともこ、ゲストのあわちゃん、しゅうくん、じゅんぞうが参加しました。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *
  
ともこ:
今日のテーマは、「STAP細胞からみるトキ・トコロ」です。一時の報道熱も冷めて、世間の注目度としてはいささか旬を過ぎた感もありますが。

いさどん:
旬を過ぎたと言っても、その結論が持ち越されているだけのことだよ。結論を出さない、もしくは出せないから。だから、その話題が収まった時に、改めてもう一度それが動き出すような考察を出すというのはおもしろいかもね。弦を引っ張って振動させて、振動が収まったからもう一度弦を引っ張るように。

STAP細胞は、僕の感覚で言えば、あります。科学者たちも、理論的にはあるというところで認識してるんじゃないかな。ただ、そのSTAP細胞をどのように作るか、というところで、今回の小保方さんのやり方があまりにも手軽で衝撃的だった。そこには、「そんな簡単にできるわけがない」という認識と、神秘のポケットは意外に身近なところにあるんだよ、という両面がある。
発見というのは、偶然のようにして、本当に身近なところから生まれるでしょう。神秘、つまり神の秘密は、とても身近な日常の中に常に隠されている。それを、科学の世界の人たちは一方通行に難しく考えすぎているんだよ。
逆に、身近にありすぎて近いからこそ、それを捉える視点が固まっていると、つかまえられないものでもある。だから、視点が変わらなきゃいけないんだよ。

ともこ:
今の科学の世界では、同じ条件のもとに実験すれば、「誰でも同じ」結果が得られることが前提になっているよね。STAP細胞は他の人がやっても再現されなくて、結局理研は実験に不正があったと認定した。

いさどん:
それは今の人々の発想だよね。しかし、今の三次元的な、有限な科学の中で、この世界が全てが解明できるだろうか。宇宙は、我々が解明できない仕組みによって創造されているんだよ。
価値観が変わらない限り、その秘密のポケットを見つけることはできない。視点が変われば、どこからでもその秘密は解き明かすことができるんだよ。
これから解き明かされるであろう神秘の扉は、視点を変えることによって生まれてくる。これまでの常識では「ありえへんこと」が起きてくる。その「ありえへん」視点を持つことが大切なんだよ。

ともこ:
科学者たちは彼女の実験を「“科学の常識”からかけ離れている」って言うんだけど、じゃあそもそもその“科学の常識”って何だ、ってことだね。それで全てが解き明かせるかな。

いさどん:
本来科学というのは、それまでの常識を突破することによって、新たな道が開けてきたんだよ。
見えるものと見えないもの、あるものと・・・

ようこ:
ないもの。

いさどん:
いや、そこへ行くと話が広がり過ぎちゃうからやめよう(笑)。

あわちゃん:
2時間はかかるね(笑)。

いさどん:
STAP細胞について考えてみると、まだ未熟な科学者がそんな大それたことをできるわけがない、という考えが周囲にはあると思う。だけどほんのちょっとした視点の変化で、どこにでもある神秘のポケットに出会ってしまった、ということでは、いくらでもあり得ることだよ。若いから、未熟だからということじゃない。
やっぱり「トキ」と「トコロ」、そして人によって扉が開く。そのトキ、つまり旬が来ると、必要に応じて神秘の扉が開いてくるんだよ。

トキというのは、この宇宙が始まって消滅するまで続いていくもの。宇宙は常に、「誕生」「維持」「破壊」そして「空(くう)」を繰り返している。誕生して、それを維持した後に、破壊があって消滅する。そしてある期間、「ない世界」、空がある。そしてまた誕生すると、そこでまたトキが発生する。
それは、トキの流れが、あって、なくなって、あって、なくなる、ということ。トキを過去から未来へ向かう一本のラインだとしたら、破線のようなものだね。

そしてその間にある空の「ない世界」というのは「ない」んだから、トキが終わったところと始まるところには間がある。しかし、「ない」のだから、トキはつながって見えるよね。実態は破線であるけれど、我々のような物質的な認識をする者にとっては、一本の実線として認識されている、ということかな。
この世界も、もしかしたらそうだよ。今この瞬間も、僕は言葉を続けて話しているけれど、その言葉と言葉の間に「ない世界」があるかもしれない。だけどそこを我々が認識してないから、つながっているように感じられる、ということだ。

そしてトキというのは、時代を刻むものでしょう。宇宙は、「誕生」「維持」「破壊」「空」と常に時代を刻む。その中に地球創世の歴史があり、生命が誕生し、進化の過程で人類が生まれ、人類の中で時代はさらに刻まれていく。そして、その時代その時代に相応しい出来事が紡がれていく。
その、時代のあるトキに、ふさわしい出来事が起きる。トキが、その出来事が起きるにふさわしいトコロと出会って、トキとトコロが一致した時に、出来事が起こる。そこを「場」と言うんだよ。
場とは環境だから、起きるにふさわしい人の状態が必要になる。低い意識レベルでは低い現象が起きるし、高い意識レベルには高い現象が起きる。

ようこ:
おなじトキ、同じトコロでも、場は一人ひとり違うものね。

いさどん:
それぞれに相応しいことが起こるんだよ。

ようこ:
ここにトキ・トコロを同じくしている7人がいるけれども、場は一人ひとり違うってことだよね。だからSTAP細胞も、トキ・トコロを同じくしていても場が違うから、できる人とできない人がいる。

いさどん:
そう。トキとトコロは同じでも、意識レベルが違うと、観るものが違う。だから、この場を共有していても、全く違うものを観る場合があるんだよ。
ものごとを起こすのがトキとトコロ、場ということだとしたら、それは一体誰がどうして仕組んだものなのか・・・という話はやめておこう(笑)。

ともこ:
これ、「木の花ファミリー通信」用のインタビューですから(笑)。

ようこ:
その領域を超えちゃうよね(笑)。

いさどん:
それはあったんだからしょうがない、ということにしておこう。

みんな:
そういうことだ!(笑)

いさどん:
最近、新しい扉を開く若い人たちがいるでしょ。ああいった人たちがいっぱい出てくるようになった。それはね、やっぱり時代と共に、そこに生きる人々の視点が変わるから、それにふさわしい人が生まれてくる。
ただ、それはまだ、時代をひっくり返すような大きな枠組みとしてではなくて、部品のように部分的に出て来てるでしょ。スポーツの世界でも科学の世界でも。それは、前兆だよね。それが少しずつ現れてきて、だんだん既存の枠組みが壊れていくと、もっと大きく世界の価値観を逆転するような視点が生まれてくるよ。

先日、2060年に国の債務が8000兆円になるという発表があったんだよ。財務省の審議会がそれを報告したんだけど、すごく馬鹿な計算してるなあ、と思うんだよ。
と言うのは、今の価値観のまま対応をしていって、その延長で債務がたまっていくと8000兆円になるというんだよ。それって、視点が全く変わらないまま、あと50年行くって考えてるのよ。すごく安易でしょ。
今回のSTAP細胞騒動から見えてくるのは、今の科学の世界をリードしている人たちの考え方もそれと同じだということだよ。視点を変える、ということがないんだよ。これからも自分たちの発想の延長に、解明されていくと考えているわけだ。ところが、全く新しい視点がすでに若い人たちの中に現れ出している。

ものが壊れていく時に、予定通り壊れるのか、思いもよらないところから壊れてくるのかと言ったら、思いもよらないところから壊れていくことがあるでしょ。固まってしまっているから、そういう発想ができないんだよ。ものごとの捉え方がフリーじゃない。STAP細胞がたまたまこういう形で現れたというのは、既存の科学のものの捉え方を打ち破るチャンスでもあるんだよ。
アインシュタインの相対性理論は、今では誰にでも理解できるかもしれないけど、じゃあ誰もがそれに気付けたかと言ったら、それはトキ、トコロ、そして人によってもたらされたんでしょう。それはアインシュタインにしかできなかった。でもその神秘のポケットは、日常の中のどこにでもあるんだよ。

ともこ:
ねえねえ、アインシュタインまではさ、そのトキ、トコロの条件がそろって気付きが得られた結果、その結果を誰もが再現できたんだよね?最初は理論だけで、実験で再現できるまでにはタイムラグがあったかもしれないけど、条件が整えば誰でも再現できた。

あわちゃん:
それでも、世間に理解されるまでに確か10年以上かかってるんだよね。

いさどん:
だからね、「わからないけれど生きている~♪」(木の花楽団の歌『信じる心』の一節)ということが、本来の科学のもとにあるわけだよ。そして最終的には、アインシュタインは志村けんにも証明されたわけだよ。

ようこ・まり姉・ともこ:
アイ~~~~ン(笑)。

あわちゃん:
俺、今まじめに考えちゃった・・・。

しゅうくん:
俺も、めっちゃ考えた(笑)。

ともこ:
STAP細胞がおもしろいのは、今の段階では実験で誰もが証明できるものではない、ってところだよ。

いさどん:
だけど、トキとトコロがちゃんと用意されれば、誰でも証明できるようになるはずだよ。そういう概念がこの世界に降りるためには、この今のつまづきが必要だと思うね。

しゅうくん:
今の人からすると「ありえない」ってことだよね。

ともこ:
小保方さんは未熟だったからこそ、STAP細胞を作ることができたんだろうね。変に常識に囚われていなかった。

いさどん:
そう。自分が賢いと思っている人たちは、それ自体がブレーキになってるんだよ。だから、STAP細胞が世に出るのを遅らせた。
こんな言い方をしたら失礼かもしれないけれど、彼女はどこか抜けてるところがあるんだよね。科学者としては未熟。でも、抜けてるところがあるからこそ、その抜けてるところに入ってきたんじゃないかと思うんだよ。隙間があるから風邪を引くようなものでね。完璧に既存の科学のルールに則ってやっているところには、神秘が入ってくる隙間がないんだよ。
歴史上の偉大な発見と言われるものも、みんなそうじゃない?こうなるだろう、とやってみたら、予想とは全く違う思いがけないものが生まれたりするわけでしょう。

ともこ:
そうだよ!過去の偉大な科学者と言われる人たちも、日常のささいなところから発見してるよね。例えば、アルキメデスがお風呂の水があふれるのを見て浮力の原理を発見したとか、ニュートンがリンゴが落ちるのを見て万有引力は月や惑星にも働いていることを発見したとか、実は私たちが毎日過ごしている日常そのものが、偉大な発見へのメッセージだらけなんだよ。
発見と言っても、それは新しく生まれたものじゃなくて、ただずっとそこにあり続けたものに気付いたってことだよね。だけど普通の人は枠に囚われているから、そこにあるのに気付けないだけなんだよね。

いさどん:
そうだよ。日常の中にあるんだよ。
ただし、目の前のことだけに一生懸命になって他のことを一切考えない人には、そういうことは浮かんでこないよ。きょうこちゃん(ファミリーメンバー)みたいに集中力があって、勉強がバッチリできる人はダメね。一点に集中しすぎて隙間がないから、神秘が入ってこない。
僕はいろいろなことを常に考えているんだよ。何かを見ながら、これってこういうふうにも考えられるな、こういうふうにも考えられるな、って。だから常にダジャレを考えてるんだよ。余分な枝をいっぱい張りながら、本筋を見てるんだよ。

ともこ:
えー、でもそれって人によるんじゃないの。そういうのが得意な人もいれば、一点集中型の人もいるでしょ。

いさどん:
だから、人によるって言ってるのよ。
今、新しい世代が台頭してきてるでしょ。そしてこれから、宇宙視点を持った人たちが現れてくる。その前兆として、この騒動もあると思うんだよ。

ともこ:
小保方さんは天然でSTAP細胞を生み出しちゃった。私たちは、日常の中にひそんでいるメッセージをスルーしまくっちゃってるんだよね。

いさどん:
チャンスは無限にあるんだよ。

あわちゃん:
でも、スルーするー。(チーン)

いさどん:
今のその発想!瞬間に出てきたんでしょ。

あわちゃん:
うん。俺、ダジャレばっか考えてるから。

いさどん:
それは直感の領域だよ。松果体(しょうかたい)が揺れてるんだよ。やっぱり目覚めるためにはダジャレを言うことだよ。

みんな:
しょうか~~(笑)。

いさどん:
そうやって、心を常にやわらかくしておくことだよ。やわらかいということは、その場に留まらない。いつでもトキ、トコロに応じて柔軟に変化できる。風が吹いたら柔軟になびいて、止んだらピッと元へ戻る。
時代はすでに、宇宙時代だからね。地上目線ではなくて、もっと三次元、四次元の立体的で複雑な、目に見える「ある世界」の奥にある「ない世界」を感じていくことだよ。

まり姉:
カタカムナの勉強も、脳の眠っている85%を活性化するきっかけにはなるかもしれないけど、それだって既存の15%の中で解釈をしようとする人にとっては、15%の範囲内での知識になるだけだよね。

いさどん:
もちろんそうだよ。だから、85%の意識レベルに到達しないといけないわけだよ。そうすると、思考の次元が変わってきて、今までの思考の概念が壊れて、新しい視点が生まれてくる。これから、この世界を覆っている古いものが、ガタガタと崩れていくよ。

コノハナ人の考え方は、型や枠を全部取っ払ってしまって、トキ・トコロが来るのを待っている。いつでも、変身できる柔軟性を持ってる。これが宇宙時代を生きる考え方だし、これからますますそうなっていくんだよ。
だから、STAP細胞はあるかないかなんて議論に捉われてる場合じゃないんだよ。そんなの抜きにして、ふっと心を未来に送って観てみれば、あるに決まってるんだよ。その現れ方に対して囚われている人たちが、理屈をこねて、正しいだの正しくないだのって言ってるだけで、大局的な視点から観てみたら、出てくるための産みの苦しみみたいなものだな、と理解することができる。

ともこ:
そうなの。核心のところに議論が行かずに、不正があったとかなかったとか、小保方さんのプライベートなことまでゴシップ的に騒ぎ立てられたりしてて、話し合うべきとこってそこ??って思う。

まり姉:
どうでもいいやんね。

しゅうくん:
でもそういう話題に人は食いつくんだよなあ。

ようこ:
そして小保方さんがうつ病になっていく。世の中がうつ病を生み出してるね。

いさどん:
でも僕は逆に、万能細胞が発見されることがいいとは思わないんだよ。そういったものは人間の悟りにふさわしく現れてくるべきで、もしも人間が悟ってしまえば、あんな画期的な治療方法はいらなくなる。なぜかというと、人間はいずれ生死を超えるものだから。そちらの方が重要なのよ。生きてる、死んでるということは、そんなに重要なことじゃなくなってくるんだよ。

ともこ:
そう。バッシングをする人たちがいる一方で、それの誕生を待っている患者のために一刻も早く研究を進めてほしいという人たちがいるんだけど、実はそれも同じレベルの話だと思うんだよ。病気の治療が目的になってるんだけど、たとえ表面的に病気が治っても、それを生み出す根源的なものから開放されるわけじゃない。

いさどん:
大事なのは、この「生きている」ということを、どう捉えていくか。そして死というものをどう捉えるか。
STAP細胞でも、iPS細胞でも、医療に革命をもたらして、ノーベル賞までもらったりしているよね。だけどね、どうして長生きしたいの?生きる目的は何なの、ということなんだよ。
大切なのは、充実した人生を送るということでしょう。人生の中で、例えば病気に出会ったとしても、充実した人生であれば短い命でも生に未練はないはずだよ。死を通して、とても重要な役割をして死んでいく人もいる。

ただ、STAP細胞のような画期的なものが発見されることによって、命の神秘が説かれる、という効果もあるよね。それで治療すること以上に、命の尊さやメカニズムを知ることによって、生きることの意味を人々が悟ることにもなる。だから全面的に否定するものでもないね。

大切なのは、ものごとの捉え方だよ。死を歓迎しない、忌み嫌う、そういう思考があるから、こういう発見も単なる治療目的や経済効果としてしか考えられない。そして相変わらず、病気になるのは悲しいこと、悪いことのままになっている。
だけど、人は必ず死ぬんだよ。そうしたら、生まれてきたことの意味、生きることの意味、死ぬことの意味を分かることの方が大事じゃない?
その過程の中で、病気の治療というのは、その意味をより深く知るためにあるわけだよ。でも今は、経済効果を上げるネタのように医療が扱われている。
死んでみたらいいんだよ。その先があるから。そして死の先には、また生があるんだよ。この世界は永遠で、高次元の世界には生死の境すらないんだよ。

人々が、生きること、死ぬことの意味を理解すれば、そのことで騒ぐ必要はない。
大切なのは、ノーベル賞を取ることよりも、死生観を悟ること。悟るってことは、人生のノーベル賞を得るってことだよ。全ての人に、ノーベル賞の可能性があるんだよ。
  
  

※「チーン」とは:
木の花ファミリーでは、誰かがダジャレを発した時に「チーン」とベルを鳴らしています。
ダジャレには、凝り固まった場のアイスブレイク、視点の多角化、ゆとりの創出など様々な効能があります。最近では、誰か(主にいさどん)がダジャレを発する前に空気で察して構えてダジャレが発されると同時に「チーン」を鳴らすという、阿吽の呼吸探求のツールとしても注目を集めています。また、大人ミーティングでうたた寝をしてしまうメンバーの眠気覚ましとしての効果もあります。

大人ミーティングや座談会に欠かせない存在・「チーン」
大人ミーティングや座談会に欠かせない存在、「チーン」

  
  


お年寄りは肉を食べるべき?

今、高齢者の栄養状態が悪化しているとして、厚生労働省が13年ぶりに国民の健康作りの指針を見直し、高齢者が肉などのたんぱく質をしっかり食べるようにと指導に乗り出しています。
はてさて、それではお肉を食べて元気になったら人は幸せになるのか?!いさどん、大いに語ります!

*高齢者への肉食のすすめについては、下記番組にて特集されています。
 クローズアップ現代 11月12日放送
「高齢者こそ肉を?!〜見過ごされる高齢者の栄養失調〜」

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

ともこ:
国が65歳以上の高齢者に肉食を勧めるのは、年を取ると自然と筋力や免疫力が落ちるけど、肉食はそれを補うことができる、というのが理由のようです。

いさどん:
実際に、沖縄では豚肉を食べるよね。豚肉はビタミンBが豊富で、沖縄では長寿の後押しになっていると言われている。肉と野菜のバランスはとる必要があるけどね。
一時期、肉を食べることが、高齢者にとっては悪のように言われていた時期があったでしょ。それが今、戦後間もない時代よりも高齢者のカロリー摂取量は下がっていて、5人に1人が栄養失調気味で問題が起きている、という話があるんだよ。
うちでも食養生(生野菜と玄米が中心で油や砂糖を使わない食事をとる)に取り組む人がいるけど、精神が伴わない食養生は栄養失調気味になる場合がある。マクロビのような健康法でも、かえって気力が生まれないこともあるから、肉食を一概に否定することはできないね。
僕は、もう少し違う切り口から話したいと思います。

年を取ると、脂っこいものやカロリーが高いものを自然と受け付けなくなるでしょう。人間の一生の中で、青年期が春だとしたら夏は壮年期、秋は初老、そして冬は枯れていく。その年代にふさわしい食事というのがあるんだよ。
日本人は今、栄養過多になっているよね。それがいろいろな問題を引き起こしている。過去になぜ肉食が悪のように言われたのかというと、そこには実際に問題があったから。肉食をすることによる利点だけを取り上げて肉食を勧めるのは、過度に肉食を悪者扱いした結果、その反動で過度にそれを復活させようとしているという、言わば躁鬱の人に薬をやっているような、とても安易な発想だね。健康のことを考えたら、食事だけでなく運動とのバランスも必要だし、もっとも大切なのは心のバランスなんだよ。

人は本来、年を取るにしたがって、いい意味で欲がなくなって、体と共に枯れていくもの。昔ゲートボールが流行り出した時に、対戦者のプレイをわざと邪魔して競うようなゲームだったために、心ができていない人たちがやるとケンカが起きて、確か死亡事故まであったんだよ。それでグラウンドゴルフというものに変わった。
老人ホームが始まり出したころには、男女が出会って老いらくの恋が流行って、判断力のないお年寄りたちが結婚すると言い出して一族の問題になったり、嫉妬から殺人事件まで起きたりして、それはもういろんな問題があった。それも、心ができていない人が集まるとそうなるんだよ。若い人に恋愛感情を抱いたりね。それがはたして微笑ましいことなのかどうか。

心を作らずただお年寄りの体だけを健康にしていくと、きっとこれまでとは別の、いろいろな問題が起きてくるだろうと思う。肉食によって生命エネルギーが供給されれば、それはどこかに使われることになる。心が伴えば社会に貢献するエネルギーにもなるけれど、心ができていなければ欲望にもなっていく。それが何をもたらすかは、実際にいってみないとわからないね。少子高齢化の中でお年寄りがいつまでも現役でいることを良いこととして、それが社会貢献につながればいい社会になる。これは大いなる実験だよね。

まり姉:
若い世代が新しい社会を創るのを邪魔することにもなるかもしれない。

いさどん:
そうだね。若い人にいつまでもバトンタッチしないのを良しとするかどうか。社会は、年寄りはお金を持っているからそれを利用するためにエネルギッシュにした方がいいと、利用することを考えている。
しかし逆に、時代ごとの問題もあってね、それは時代ごとに整理されて終焉を迎えないといけないものでしょう。だけど年寄りが肉体的に偏って元気でいるということは、その問題も一緒に復活することにもなるのだから、そこの心のところも考えていかないといけないよ。

ともこ:
淘汰されないわけだね。

いさどん:
そうそう。心の教育がされて、そして健康で長生きするならば、良いことだろうと思うんだよ。それが今の医療のように、病気になった心の原因を観ないでただ症状だけを治していくと、結局は病気の種類が変わるだけで、病気になり続ける人間が社会に蔓延するんだよ。そして莫大な医療が必要になり、問題も蔓延する社会ができる。その轍をもう一度踏むのか、ということを、このことから僕は感じるんだよ。

まり姉:
お年寄りの栄養不足は、肉不足だけが原因じゃないよね。一人暮らしの人なんかは、わざわざしっかり食事を作って食べる気がしないということもあると思う。

いさどん:
食べる意欲がないということは、生きる気力もなくなってるということ。その人にただ肉を食べさせたらものごとが解決するのかというと、それは安易な発想だと思うけどね。それは食生活ではなく、心の問題だよね。

あき:
冒険家の三浦雄一郎さんは80過ぎても肉食で生き生きしてる、という話があったけど、彼は目的を持って生きている人。心が生き生きしてるから、何を食べても生き生きしてる。

ともこ:
「心の教育」が必要ってこと?

いさどん:
いやいや、僕は教育をすればいいということを言いたいのではなくて、それは無理だという話なのよ(笑)。

みんな:
そうだよね(笑)。

いさどん:
そんなことは無理だよ。肉だって、食べたいと思っていない人たちに食べさせたら無理強いになって、そこにさらに矛盾が起きるよ、ということも言っているのよ。

ともこ:
肉は硬いから食べたくないというお年寄りたちに、やわらかくする調理法を教えたりしてね。

あき:
うちの母親でも、「肉がいい」と聞くとすぐに「肉がいいんだって」っていうふうになっちゃって、何でそんなに単純なのって思う。

いさどん:
その部分だけを切り取って見てるからね。ライオンがシマウマを食べるのを見て、可哀そうだからライオンとシマウマを仲良くさせよう、と言っているようなものだよ。
肉食を推進するメディアも、政府の方針も、何か食肉業界の息がかかっているのだろうね。

ともこ:
お年寄りの5人に1人が栄養失調という話も、日常問題なく過ごしている人の血液を検査して、何々の値が低いからあなたは栄養失調ですよ、と言っている。だけど年と共に値が低くなることが自然な流れだとしたら、何を持って栄養失調としてるのかもよくわからない。これは、人間の生き方とか老い方についての話だよね。

いさどん:
そこなのよ。何でも長生きすればいいとか、健康であればいいということなんだろうか。僕は、老いに相応しい生き方、そして相応しい終末の迎え方というのがあると思うのよ。教科書があるわけじゃない。人それぞれに、いい終末だったね、という人生の終わり方があると思うのよ。

まり姉:
三浦雄一郎さんはあれで幸せなわけだよね。

いさどん:
そうだね。彼は彼でいいんだよ。それを、ああいう風になろう、と右へならえでやろうとするのは乱暴だよね。

ともこ:
うちのおばあちゃんは、もういつ死んでもいいってよく言ってるよ。

いさどん:
いつ死んでもいい、というのは、ある意味完熟した人の話でしょ。それはどちらかと言うと、モデル的なお年寄りの話だよね。でも世の中には、不幸な人もいっぱいいるわけだよ。そうすると中には、早く死にたいという人もいるわけだよ。そういう人にさらに肉を食べさせて、ただ長生きさせるのかね。難しい問題だよね。
人はある程度の年齢が来たら面談をして区切りをつけて、もう医療は施さずに、枯れるのを待つというのはどうだろうね。

ともこ:
そうだね。世の中の価値観は、死ぬのはいけないとか、病気にならない方がいいということが前提になってるね。

いさどん:
いや、元気でいるのはいいことなんだけど、心も健全で元気であるべきだと思うんだよ。
で、本日は宇宙視点の話ですから。これは食の問題じゃなくて、命の問題なんですよ。寿命を長くすることを良しとする風潮があるでしょう。それは、死というものの理解が十分に得られていないから、死を恐怖に感じたり、忌み嫌って遠ざけようとするんだよ。
死というものは、生の終点でもあるけど、新しい生の出発点でもあるのだから、この終末の迎え方はすごく大事なんだよ。肉食で健康になって医療も少なくなるのなら、それはそれで良しとして、同時に、死とは何であるかを知り、受け入れていくことが必要なんだよ。なぜかというと、必ず人は死ぬからさ。

みんな:
そうだよね~!(笑)

いさどん:
これは百発百中、外れる人はいない。そしてこれは年寄りだけの話じゃなくて、若い人だって、生きているということは常に死と隣り合わせということなんだよ。だから、若いころからそういう教育をしていくべきなんだよ。70、80になってから教育って言ったって難しいでしょう。だからこそ、若い頃から生と死に対する概念をセットにして教育していって、その結果、不自然なエネルギーを使わない、自然に冬を迎えていける心が育つのだろうと思うんだよ。

これまで、生に対する教育はされてきたかもしれない。けれど、死に対する教育はされてこなかったんだよ。本来は宗教がそれをするべきだったんだけれど、宗教は生きている人間をいかに組織化してお布施をまき上げるかというご利益宗教になってしまったからね。自然に枯れて死を迎えるという、死へのソフトランディングは語られてこなかったんだよ。そんなアンバランスな心の状態では食欲もわかないから、食べないお年寄りがいる。それも、栄養失調のお年寄りたちを作っている原因になってるんじゃないかと思うんだよ。希望が湧かなければ食欲も湧かないからね。
今年は天候がおかしかったから、紅葉が美しくない。日光でも、突然葉っぱに黒い斑点ができて、紅葉する前に落ちちゃったんだって。どうもそれと同じことが、人間にも起きるんじゃないかと思うんだよ。

あき:
きれいに紅葉して、美しく散っていくのではなく。枯れまいとするものだから。

いさどん:
きれいにならないで、その前にボソッと散る。

ともこ:
自然からしたら、枯れなきゃいけないんだもんね。

いさどん:
だから僕は、元気で長生きということの中に、美しく散っていくことを大事にしなければいけないと思うんだよ。それが、その人の価値を高める。長生きしたところで見苦しく散っていったら、次にまたそこからスタートしなきゃいけない。完熟死やピンピンコロリのように、美しく散ることができれば、少子高齢化の歯止めにもなるよ。早く死ねということではなく、美しく散ってもらいたいのよ。

まり姉:
枯れるしか選択肢がなかった時代とは違って、今は枯れないで済むような技術や誘惑が山ほどあるでしょう。その中で枯れるという選択をするのは、意志の力がいるよ。

いさどん:
いつまでも元気でいられるという錯覚を持っていると、あれもしたいこれもしたい、まだやり残しがあると言って死んでいくことになる。それは仏としてはあまり美しくない姿だね。

ともこ:
肉を食べるよりも、死の意味やこの世界の真理を知ることの方が、本当の意味で人が元気になるんじゃないの。

あき:
何となくみんな根底に不安があるよね。病気になりたくないとか。

いさどん:
病気というよりも、死に対するイメージが良くないんだろうね。

ともこ:
良い老い方とは何なのかという話を聞きたい人はたくさんいると思うんだけど、そういう話ってあまりない。テレビから流れてくる情報は、もっと肉を食べましょうとかいうことばかりで、じゃあとりあえず食べてみるかってことになる。

まり姉:
自分が10代のころを思い返してみると、テレビから流れてくる情報を見てなんかおかしいと思ってたけど、何がおかしいかわからなくてもやもやしてた。

いさどん:
それは多くの人に共通してるよね。でも「多く」と言っても3分の1もいないかもしれない。ほとんどの人はおつむを使ってないよ。直感が働いていない。テレビなんてノーチェックで一方通行に情報が入ってくる。

まり姉:
例えば肉の話でも、何となくもやもやしていたものが、そうか、業界が絡んでいたのかということがわかるとスッキリする。

いさどん:
それも、業界が人々をマインドコントロールしているんだ、と言うと、今度はその反対にマインドコントロールする人が出てくるんだよ。

まり姉:
両極端のものがあるおかげで学べるんじゃないの?

いさどん:
人間が安定していなければ、極端から極端に振られるだけだよ。しまいには戦争になるよ。だからお釈迦様は中庸を行きなさいと説いたんだよ。

ともこ:
それって、実はみんなの中にあるものだよね。

いさどん:
それは誰の中にもあるよ。陰も陽も中庸も、一人の人の中にも全てがある。ただ、魂が刺激を求めていて、その求める方向が陰を向いているのか陽を向いているのか、それとも刺激じゃなく冷静に情報としてそれを求めているのか、という違いがあるだけのこと。
世界観が大きくなればなるほど、それを全て情報として取り込んで、観て判断するから、振られることはなくなるね。大人サミットで言う「大人」の視点に立つということだよ。視野が狭ければ狭いほど情報に振り回されることになる。その人の心のクセに応じて、右に振られる人もいれば左に振られる人もいる。或いはどっちも違うと真ん中に居座る者もいるけど、それは中庸ではなく単なる頑固だったりする。

大事なのは、カラクリを解き明かすことだよ。情報というのは人を惑わす材料でもあるんだよ。心が不健全だと、偏った方に見える。しかし我々の魂には真実が織り込まれているのだから、そこから湧き出てくる判断ができるはずなんだ。
 
 


「家族」って何だろう

先月、結婚をせずに生まれた「婚外子」への差別を定めた民法の規定は憲法違反だとする判決を、最高裁が下しました。一方、生殖補助医療の発展により、精子提供によって子どもを持つ親が増えていますが、現在の法律では親子とは認められていません。9月30日放送のNHK「クローズアップ現代」では、家族の形が多様化する中で法律が追いついていない現状を取り上げ、「家族」とは何か、ということを投げかけています。
この番組を見て、木の花ファミリーでも「家族とは?」をテーマに座談会の場を持ちました!

★「クローズアップ現代」内容詳細は、下記サイトにて公開されています。
 『家族とは?親子とは?揺らぐ法制度』

*   *   *   *   *   *   *   *   *   * 

いさどん:
この番組では婚外子に焦点を当てているけれど、そもそも、婚姻制度はいつごろ始まったのかな。

ともこ:
今のような婚姻制度が確立したのは、明治に入ってからみたいですね。もともと、今の家父長制的な家族観というのは日本の一般庶民の間にはなかったのだけれど、明治になって新政府が国民を統治していく手段として、一夫一婦制の家族制度を普及させたようです。ここ百数十年程度の新しい価値観ですね。

いさどん:
よく、平安貴族の話には通い婚の様子も出てくるけれど、一般庶民はどうだったのだろうね。

こはる:
コミュニティで暮らしていた、というイメージがありますね。

いさどん:
今、若い世代でシングルマザーが増えているなど、家族に対する意識が変わってきているよね。番組には、(婚外子は財産の相続が嫡出子の半分になるという民法の規定を違憲とした)判決を喜ぶ50代の女性が出てきたけれど、彼女はおそらく昔のお妾さんの子どもとして生まれた人で、今のシングルマザーの子どもたちとは背景が違うだろうと思うんだよ。
彼女が判決に喜んでいる姿を見ていると、お金のことが目的のようで、時代的なメッセージはないと僕は観ています。家父長制が大事だった時代には、彼女のような立場の人たちは当然のように差別されてきた。それは差別というよりも、当時の人々の意識では当たり前のことになっていて、その時代の価値観の中でその立場に相応しい扱いを受ける、という意味では、平等だったとも言えると思う。ところが、時代が変わって家父長制が崩壊し始めた。だからこそ、過去の価値観の中では当然とされてきたことが、今差別として浮き彫りになってきているんだよ。
一方、今のシングルマザーの増加は女性の意識の自立によるもの。同じ婚外子でも、昔のお妾さんの子どもとは背景が違うから、そこは分けて考える必要があると思います。

では、その背景を変えたものは何か。
今、若い世代、特に女性の間で、結婚を望まない人が増えてきているね。フランスでは(同棲していれば結婚と同等の社会保障が得られるPACS婚が1999年に制定されたことにより)婚外子の割合が全体の55%になっている。若い世代が結婚を選ばなくなった理由の一つに、一度結婚をしてしまうと離婚が面倒ということがあるようだね。関係がいいうちは一緒に暮らして、合わなくなったら次の相手を選ぶ。そういった考えが、これまでの家族の概念にとって代わってきたんだよ。
僕は長年人生相談を受けてきた中で、親の不仲を見て育ってきたことで結婚に積極的になれない人たちにたくさん出会ってきた。私も結婚したらあんな風になるのか、と思うと、結婚したいとは思えないのだろうね。逆に、私はあんな風になりたくない、という想いから、理想の家庭像を描いて結婚する人もいるけれど、そのようなケースの場合ほとんどは離婚します。本来、結婚してから新たな関係を築いていくべきものを、先に自分目線のイメージを持っていてそれを実現しようとするので、それが家庭崩壊の種になっていくんだよ。
昔は女性に生活力がなかったから、我慢して結婚生活を送っていた。しかし今は所得も男性とそれほど変わらなくなって、離婚という道も選べるようになった。僕はこれまでいろんな家庭を見てきたけれど、「結婚=幸せ」なんていう絵に描いたような家族にはほとんど出会っていません。というか、ないかもしれないです(笑)。

いさお:
「結婚=シワ寄せ」とか(笑)。

ともこ:
番組では、コメンテーターが「法律婚は子どもが安定して育っていく上で大切な受け皿」と言っていたよね。実際に、日本が発展してくる過程で、1対1で結婚して「家族」という単位を形成することは便利がよかったのかな、と思いますが。

いさどん:
便利がいいって、誰にとって便利がいいの。

ともこ:
社会かな。

いさお:
国家とかね。

ともこ:
明治になって富国強兵を推進していく時に、妻が安定して家庭を守ると夫は安心して戦争に専念できる、という狙いもあったって聞いたことがあります。

いさお:
戦後は、それが高度経済成長にすり替わった。

みほ:
夫はがむしゃらに働いてお金を稼いで、妻は家で子どもを育てて、それが日本の経済成長を支えていたんだよね。

いさどん:
それが崩れたわけか。つまり婚外子の発生は、今の社会的構造から来る人々の意識の変化から、婚姻制度に対する価値観が変わってきたことによって、今の現象が起きているとも言えるね。

ともこ:
そういう制度があって日本社会はここまで発展をしてきたんだけれども、そのままの価値観では進めない段階になってきているのでは。

いさどん:
だから、何かが変わろうとしているんだよ。
ここで宇宙視点で、時代を1000年単位の移り変わりで観ていくと、日本は平安時代までは母系社会だったよね。そこから封建制度が始まって、男性中心の社会になった。それが、2012年12月21日、太陽系の冬至を境にして、新しい時代の幕が明けた。
それがどのようなことを意味しているのかというと、男性性、すなわち陽が主とされていた時代から、女性性、すなわち陰が大切な時代になっていく、ということです。競争して獲得していく時代から、調和して共にやっていこう、という時代に変化していく。女性は男性に帰属することなく、一人の人間として自立して生きていく。ある意味、婚姻制度に対する反乱とも言えるかもしれないね。

この間、こんな話を聞いたよ。動物でも人間でも、若いころは精力的だから、パートナーを見つけて一生懸命子作りをする。ところが子どもがある程度の数になると、本能的なものから、種を多様化させようという力が自然に働くんだって。同じパートナーとだけだと種が均質になり多様性が失われるから、多様性をもたらすための意志が自然に働いて、他の相手と新しい関係を作る。それが自然の理にかなっている、と言うんだよ。今はそれを、婚姻制度で縛っているとも言えるね。

みちよ:
国によっては、今も複数の妻を持つ文化のところもあるよね。

ともこ:
だけど、一夫多妻制と女性の自立ってどのように捉えたらいいのかな?

いさどん:
複数の奥さんがいるというと、男性が女性を多数支配しているように見えるけれど、実は自然界では、メスがオスを選んでいるんだよ。ではオスは何をしているのかというと、動物の世界の価値感にそって、自分が価値あるものとなるように磨いているんだよ。人間も、男性は男磨きをするべきなのよ。するとそのオスは、たくさんのメスに支持される。それは、優秀な種を残すという意味では有益なことだし、それが本来の自然の姿なんだよ。それが人間の世界では、誰でも一律にパートナーを持つようになったことで、自ずと優秀な子孫が生まれる確率も低くなった、とも言えるね。
もう一つ、今の社会に大きく欠落しているものがある。女性が自立していくのはとても良いことだと思うけれど、その反面、家庭から父性がなくなってきているんだよね。リーダーシップを取れる、たくましい父親像が消えてしまって、男が男らしくなくなり、家族の秩序が失われ、調和が取れなくなってきている。そこも問題の種の一つだよね。

ともこ:
でもそれも、人類が次の段階に進むためのプロセスと捉えられますね。

いさどん:
そうだろうね。これから父性というものがどのようになっていくのかは、興味深いところだね。父親の存在が、たくましい子供たちを育てるとか、家庭の秩序を保つという役割を果たしていた時代が終わり、「家庭」というものに縛られない子どもたちが育っていくとか、特定の人間がリーダーシップを取らなくてもみんなが知恵を持ち寄ることによって成り立つ社会になるとか。それは今の木の花のような社会だね。まだ途上だけれど。

ともこ:
今のところ木の花には父性があるよね。いさどんがいるから。

いさどん:
でも僕の他にいないじゃない。だから、この僕がやっているような父性の役割がいつまでもあり続けるべきなのか、それともこの父性がもっと違う形で表現される時代になるのかといったら、後者の方でなくてはいけない、と僕は思うんだよ。

ともこ:
それがどんなものかは、先に行ってみないとわからない。

いさどん:
そうだね。新しい世界だからね。だから、そこへ向かうプロセスとして秩序が変わっていくことに抵抗しない、ということじゃないかな。
どちらにしても、これは難しいテーマだよ。いくらでも可能性がある話でしょ。いろいろなスタイルがあっていいものなのに、それを無理やり一つの形に閉じ込めてきたことに問題があるんだよ。今はある意味、そこに対しての反動が起きてきているのだと思います。だから一見無秩序になっていくように見えたとしても、そこからまた新しい突如が生まれていくのだから、その時に、それを恐れないことだよ。時代は常に移り変わっていくのだから。

ともこ:
質問です。男性が男磨きなら、女性は何をするべきですか?

いさどん:
女性は、価値あるものを観る目を育てることだよ。いかにいいものを選ぶか、ということ。女性に観る目がないと、ろくでもない種を次の世代に残すことになるでしょう。それは女性の責任ですね。

ともこ:
今の発言は、聞く人によっては誤解を生みそうですが。

いさどん:
そんなことないよ。僕は今のことを言っているのではなく、自然界や、未来について語っているんだよ。自然界で成っていることが、人間だけがそうではないルールを創ってきた。その結果、また自然界へ戻っていくのではないか、という話をしているだけなんだよ。その方がみんなも気持ちが活性化されるでしょ?
今は、特定の相手を自分のものとしたらそれで良しとして、心も磨かずにのほほんとしているわけだよ。でもそこに緊張感があれば、人は学んで成長していくようになる。学びながらその相手と一生を添い遂げることもできるし、失ってそこからまた次の可能性を探求していくこともできる。それは夢のあることだと思うよ。

ともこ:
でも観る目を養うだけでは、男性に依存することにならないですか?

いさどん:
どうして?女性がしっかりした意志を持って、未来を決めていくということでしょ。男は女性たちに採用してもらうために自分磨きをするってことだよ。常に女性が主導権を持っている世界なんだよ。自然界はそうなっているし、人間社会でも、平安時代までの日本はそうだったよね。今の人間界は、オスがうまいことを言って、お金のように自然界のものとは違うものを魅力にして、メスがそこにへつらうようなかたちになっているでしょう。そこが自然界と違うところだよね。
これまでは、個人個人が自分の欲望を叶えて、その結果として今のような社会をつくってきた。その社会の中で経験を積んだ人たちが木の花ファミリーに集まり、現代社会の行き詰まりを超えた世界を表現しようとしているんだよ。
木の花では、気持ちの合う人とカップルにはなっても、結婚してお互いを縛り合う必要はないし、生活のために誰かに養ってもらう必要も、養う必要もない。必然的に、男女の関係性から結婚についての必要性が変わってくるんだよ。

ともこ:
昔ほどではないけれど、今も世間では、婚姻制度のもと1人の人を想い続けることが美徳とされている面があるでしょ。その、本来の自然の姿から離れたことを美徳として、それが価値だと思って生きているとしたら、それって一体どこから来てるんだろう?

いさどん:
その背景を考えないといけないね。

ひろっち:
宗教的な影響も大きいんじゃないかな。キリスト教でも儒教でも、一人の人と生涯を共にするのが美徳とされてるよね。そしてその方が統制しやすい。

いさどん:
僕は多くの人の相談にのってきた立場から答えるけれど、一生その人だけを想い続けられるような相手に出会ったことのある人なんて、ほとんどいないですね。僕は問題ごとの相談にのってきた立場だから、そういった人に多く出会ったとも言えるかもしれないけれど、社会全体を見ても、やはりそういった人の方が多いんじゃないかと思う。すると「美徳」という認識は、ある意味強迫観念のように人々の中にあるものだとも言えるよね。
時代は常に移り変わっている。今だって、僕が子どもの頃とはずいぶん価値観が変わってきている。僕はどんなことがあっても「おお、新しくなったなあ」という感じで受け取るけれど、人によっては自らが育ってくる中で植え付けられた「正しさ」をなかなか手放せないんだよ。だけどそれは、進化するためには囚われずに手放していくべきもので、手放せない人ほど苦労をすることになるんだよ。
シングルマザーが話題になっているけれど、ではまともと思われる夫婦の家庭の子どもはまともに育っているのか、ということも問われるね。

みかこ:
ここに相談に来る人のほとんどが、親から受けたトラウマを持っているよね。

いさどん:
両親がそろっている家庭でも、家庭の中は不安定で父性や母性が喪失していることも多く、その中で育った若い世代は、そのトラウマから、結婚願望を持てなかったり、自らが子どもをもうけて社会責任を果たしていくような大人になりきれていないことが多い。そういった人たちは、家庭を持っても、もっと遊びたいとか、自分の欲求を優先させる傾向があるんだよ。そういった様々な要因により、婚姻制度によって保たれてきた家庭に魅力がなくなってきた、とも言えるね。
かつて鳩山さんが、子どもは社会の子だから社会で育てていこう、ということをやり始めたでしょう。これはとても進歩的な話だと思ったのだけど、結局立ち消えになった。それは、社会がまだ他人の子どもを自分の子どもだと思えていないからだよ。そして自らの子どもを、次世代を担う社会にとって大切なものとは考えずに、所有している。そういったことも、そろそろ崩壊していくといいよね。
おそらく将来は、男女の縁のもとに子どもが生まれたら、それを社会が育てていくような仕組みに移行していくのでは、と僕は考えているんだよ。その時に、父性愛や母性愛が欠如した環境で子どもが生まれてくることを考えると、こういったコミュニティのように、子どもを社会全体の子として分け隔てなく育てる仕組みは、新しい社会にとって有効だろうと思うんだよ。

いさお:
子どもを社会のものだと考えた時に、相続制度はどうなっていくんでしょうね。

いさどん:
多くの富を得た人は、それだけ社会を担ってきて、それだけの価値を築いたわけだよね。だけど次の時代は、その人の能力で創られるわけじゃない。だから、自分の代で得たものは自分の人生の中での表現として完結させて、新しい世代はゼロからスタートさせるべきだと思うよ。
だけど今の現実は、そうはなっていない。働かなくても親の遺産でお金が入ることもあるわけだよ。最初からそういうものはないことになっていれば誰もとらわれないのに、遺産をめぐって血縁の人間関係がドロドロしたりするわけだから、本当はない方がいいよね。そして、自分の実力でみんな生きていく。
財産は国のものとして、国家が生かしていけばいいと思います。共産主義の国では私的所有権を認めないよね。日本もこれから時代が進んでいくと、なるべく個人がものを持たないようになっていくのが理想だと思う。ただ、そういうことを言うと、多くの人は「自分のものが取られる」と考えるんだよ。例えば税金にしても、「税金を取られた」と言う人がいるでしょう。しかし、所得があるということは、その分だけ環境に負荷をかけたり社会の恩恵を受けている、とも言えるわけだよ。だから、生きてるうちは個人の財産として持っていてもいいけれど、亡くなった時には子どもじゃなくて社会に還元する心が大切だと思うよ。もともと我々は、生まれてくる時には何も持っていないのだから。
そういった心が自然に出てくるような精神性になればいいよね。法律を作って強制的に徴収するようでは、精神のレベルは低いと思うよ。そんな社会では豊かにならない。それができる精神性であることが大切だと思います。

ともこ:
そういった精神性になった時に、親が子供にしてあげられることは何でしょうか。

いさどん:
それは、子どもに欲をかけるのではなくて、愛をかけて育てるということだよ。そしてその子どもが社会へ出て、社会に貢献することを喜ぶ。子どもは社会の子だから、社会も手厚く面倒を見るべきだし、お年寄りも社会に貢献した人の最後の姿なのだから、やはり社会が面倒を見ていく。その社会を支えていくのが、社会に育てられて大きくなった人々なんだよ。

ともこ:
そもそも、血縁て何なんでしょう?なぜ人はそれに執着するのかな?

みかこ:
うちで人生相談を受けるときはその人の家系図を見るんだけど、あれを見ていると、家系というのはカルマの流れだなって思う。血縁とカルマとお金がセットになって、それがいろんな問題の発生源になっているんだけど、こういうコミュニティで暮らしたり、心の仕組みを学んでいくと、人の価値観が変化していくんだよね。

いさどん:
血縁というのは、「身内」と言って「身の内」と書くでしょう。自分を愛するように自分の身近なものを愛するという、エゴ的な愛の対象になるものだよね。
それが、他者へ愛を向けたり、社会に対して貢献していって、内と外の区別がなくなれば、何も自分に近いものだけを大事にするという必要はなくなっていくよね。すると、今の家族制度は自然と必要がなくなっていくだろうと思うんだよ。
今の社会の問題は、そういった連綿と受け継がれてきたものに魅力がなくなってきたことから生まれてきている。それは、何らかの新しいかたちが生まれてくる前兆であるとも捉えられるわけだよ。たとえば木の花のようなスタイルが世界中で存在していることや、都市の方へ行くとシェアハウスのように年齢や性別を超えて共に住むということが流行ってきているでしょう。若い人たちがこれから創る世界では、そういった新たな価値観のもとに秩序が生まれてくるのだろうね。

ともこ:
それは、人の意識が変わっていくから?

いさどん:
そうだろうね。例えば、夫が働いて妻や家族を養うということもだんだん崩壊してきているし、家長制度も、長男に全てを譲っていたものが、兄弟に平等に遺産を渡すようになったでしょ。代々を継続していく意味がなくなってきたんだよ。

ともこ:
それによって、どこに向かうんでしょうか。

いさどん:
それは行ってみないとわからないよね。ただ、どちらかというと封建的に観える制度だったものが、もっと多様性を認める社会になることは確かだよ。実際に、フランスでは嫡出子よりも婚外子の方が多い。それでもフランス社会は成り立っている。そのまま続くかどうかは別としても、現実にそういう国が現れてきている。その先がどうなるかは行ってみないとわからないけれど、仕組みが変わっていくことは確かだよ。

ともこ:
私は単純に、血縁というものを超えた方が、より社会全体が調和的になっていくだろうと思いました。

いさどん:
それは、一概には言えないよね。普通の婚姻制度によって保たれてきた有益な面もあるわけだから、それがなくなる時に、そのギャップから生まれるデメリットもたくさん現れるだろうと思うんだよ。
どちらにしても、新しい秩序が生まれるという意味では、歓迎すべきことだよね。

ともこ:
その「新しい秩序」は、人がそういうものを築こうと意識してもしなくても、自然と生まれてくるということですか?

いさどん:
そうだろうね。これはすごく大きなことだよ。おそらくこれは、時代の波だろうと思うんだよ。一面から見た人間の倫理観の欠如とか、そういったことだけでは捉えきれない。それは倫理観の欠如から壊れていくのではなくて、今までの制度が古くなって形骸化している。家父長制度も形だけになっている。昔のように、結婚や葬式の時に人も集まらなくなってきた。これは、個人個人の生き方の多様性が尊重される時代になってきたことの表れだと思うんだよ。
古いものが壊れることに間違いはない。大切なのは、壊れた後に何ができるかということです。その中の一つの事例として、木の花のような生き方があることは確かだと思うよ。
だけど、これ一つがあればいい、という話でもないからね。そこは、他にもいろいろな価値観のもとに新たなスタイルが生まれていったらいいと思います。

ともこ:
木の花の暮らしは、未来の人々の生き方のモデルとなることを目指して始まったと思うんだけど、いさどん自身はこれ一つがそうだと限定しているわけではないということですね?

いさどん:
感覚的に、これは新しい時代の指針となる大切な生き方だという確信はあったよ。だけど、我々は意図的に集まって、こういった暮らしを組織的につくろうとしたわけではないんだよ。今もそこは変わらないけれど、ある程度、ここのメンバーはこういう人、というように特定されたタイプの人が集まってきているよね。
しかしそのようなスタイルとは違い、誰でもおいでと言って、一見無秩序に見えるような秩序を作って生きていく人たちも現れるだろう、ということなんだよ。どのようなスタイルであっても、そこに秩序がありさえすれば、それはそれで良いと思うし、そのようなところは続いていくだろうね。

ともこ:
木の花ファミリーは、ある意味すごく厳選された世界だよね。

いさどん:
そう。どう生きたら理想郷ができるだろうかということを、厳選して、研ぎ澄ました状態のモデルとして存在しているんだよ。完成形のモデルだと思うよ。
だけど、その特定の完成形が全てのモデルになるのかというと、そうとは限らない。いろんな生き方がある方が、社会は豊かだよね。
これからはライフスタイルにしても何にしても、ますます個人が尊重される時代だから、いろいろな形態が出てくるという意味では、未来の形はこれだけ、ということはないんだよ。

いずれにしても、これは答えの出ない話。銀河の周りを、太陽が惑星と共に渦を描きながら周っているでしょう。その中に我々はいて、あの渦の中に我々が表現されている。人類が誕生してから今までの期間は、太陽系が銀河を1周する間の1%にしかならないんだよ。そういった中で、これからは特定の価値観にとらわれる必要はないでしょう。