目覚めれば、世界はわたし

今年の7月16日から18日に開催された「第10回大人サミット」では、宇宙的そして歴史的に観ると、この世界がどのように観えるのかについて語られました。大人サミット2日目の午後、太陽とわたしたち生命の関係から、太陽系における地球の意味、そしていのちの本来の姿についていさどんが次のように語りました。

 

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太陽の活動と地球のマグマ活動の関係は、わたしたちにとってとても重要なことです。今、地球はマグマの活動期に入っています。これは地球の事情ではありません。太陽の黒点の活動が地球のマグマの活動と連動しています。そして地震と火山の噴火を誘発しているのです。

今、世界の先進国が宇宙の中でもっとも観測しているものは、「太陽」です。なぜなら、太陽は地球のマグマの活動に影響を与えているだけではなく、太陽の変化が地球の活動に直結しているからです。たとえば、景気が良いとか悪いとか言いますね。それで安倍首相や日銀の総裁は公定歩合を上げたり下げたりしながら、景気を誘導しています。しかし、景気とは「気」のことであり、わたしたち人間の「気」分も経済活動をはじめとする人間の営みもすべて、実は太陽が左右しているのです。太陽が左右していることを人間の人智で表面的に対処しても、事は人間の思うように成らなくて当然です。それは病気に対する対症療法と同じです。人間は一方で癌細胞をつくっておき、その一方で抗がん剤でその症状を抑えているのですから、それでは矛盾の中で生きていることになります。そのように捉えたときに、太陽が人間に指針を与えていることが観えてきます。太陽は地球の進むべき方向を示し、人々の心がそこから外れて滞りが生まれれば、太陽は自らの意志を人間に伝えるために天変地異を起こし、「その姿勢を改めなさい」とメッセージを送ってくれているのです。

わたしたちはその観えない法則の存在を知り、その意志を受けて生きていく時代に突入したのです。それを理解し表現することが天の気を読み、宇宙を生きることです。この世界には必ず流れがあるのです。

人生を生きるときに、どの人も自分のために生きています。自分のために生きることは、自分の働きによって生きるということです。しかし本来、この世界は共同で成り立っています。皆によってこの世界は成り立っています。ですから、「働く」ということは、この世界が正常につながっていくために、全体の中のポジションを担っていくということなのです。「働く」の本来の意味は、「傍(はた)を楽(らく)」にすることなのです。ですから、本来生きるということは、自分のために生きるのではなく、世のため人のために生きることなのです。そうしたら、生きるために必要なものはすべて、世の中が用意してくれるのです。それがこの世界が動いている仕組みです。そうやって生きる人には、お金が必要なときにはお金が現れてきます。人材が必要なときには人材が現れ、物が必要なときには物がやって来るのです。あとは、自分が全体の中でふさわしい役割を果たせばいいのです。このような話を聞くと、「そんなうまい話があるのだろうか?」と人は思うものですが、宇宙の構造は完璧に成り立っていますよね。ですから、このように人々が生きれば、宇宙の星々の成り立ちのように、地球上にも精妙でダイナミックな世界が現れてくるのです。そういった仕組みを永遠に紡いで動いている、この世界には流れがあるのです。

さて、皆さんはその流れを読むことができるでしょうか?

流れを読めずに生きている人たちがいます。それは自分のことばかり考えているからです。自分の都合ばかり考え、そういう人に限って、「なぜわたしはこんなに一生懸命やっているのに、物事がうまく行かないのだろう?」と思うのです。そのように一生懸命やっているエネルギーが空回りしているのであれば、うまく行くわけがありません。逆に流れに乗っていると、一生懸命やらなくても、目の前にあることだけをやっていれば、事はトントンとうまく進むのです。そのような場では、自然と自分がしたことに対して、「ありがとうございます」という感謝の気持ちが湧いてきます。それとは逆に、自分がしたことで生きている人は、「自分がやったことが実ったのだ」と傲慢なのです。これからは、そういった精神で生きていくと、たいへん生き辛くなっていきます。

わたしたちはどのような仕組みで生きているかというと、太陽があるからです。わたしたちの地球が自転し、公転し、太陽と共に宇宙を動いているから、時間が存在するのです。動くということは、ここからここまでという場所を創ります。ですから、わたしたち人間が働くということは、宇宙の法の中にいるのです。それが、生きることの実体です。このように、真実の実体を理解し、広い世界観を持つことが大切です。そして、それを生活に表現していくことが、わたしたちが生きる上でもっとも重要なことなのです。

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これは太陽の黒点運動と地震発生の関係を表しています。この赤いラインは地球上で地震が起きたときの死者数を示しています。興味深いことに、太陽の黒点数が下がるときに大地震が起きているのです。この流れで行くと、来年あたりには地震で多くの人が死ぬ可能性があります。

「太陽の黒点の数は11年周期で増減を繰り返している。黒点数が減少する時期は太陽活動が停滞し、太陽の磁場が弱くなるため、それまで太陽系に侵入できなかった銀河からの透過力の大きな宇宙線が地球に届くようになる。この宇宙線が地球内部を加熱すると、外核から放射される熱エネルギー量が多くなるため、地震や火山の活動が活発になるのではないかと推測されている。」

よく考えてみると、生命であるわたしたちは光そのものです。すべての生命は光の産物です。そして、それを発している元は太陽です。ですから、わたしたちの存在は思考から肉体まですべて、太陽が握っているのです。あの太陽がわたしたちのすべてであり、常に何かをわたしたちに伝えているのです。しかし、日中の太陽に語りかけてはいけませんよ。目がおかしくなりますからね(みんな、笑)。昇る朝日や沈む夕日に語りかけることが大切です。昇る朝日を食べると、一日の活力を与えてくれます。昇る朝日は食べるのです。日中の太陽は、わたしたち生命を育ててくれます。そして沈む夕日は浴びるのです。そうすると、一日活動した体を癒してくれます。そして、感謝して一日を終えることができます。朝日に対しては、「いただきます。」そして夕日に対しては、「ありがとうございます。ごちそうさまでした。」このように太陽と人間が意識でつながるようになったら、きっと太陽は「ようやく人間たちはわたしの存在の意味を理解するようになった」と思うことでしょう。 

太陽系的に言えば、太陽系全体の意志は、太陽の意志です。ですから、わたしたちは太陽の意志を受けて、地球にこのような時代を運営しているのです。さらに、地球は太陽系の第三惑星であり、生命を育むための絶妙な位置にいます。わたしたち生命は金星にも火星にも暮らすことはできません。

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ここで地球暦を見てみましょう。中心にあるのが太陽です。太陽の次の水色の惑星が位置するところが水星の軌道です。軌道がドーナツ状になっているのは、太陽から遠くなる地点と近くなる地点との差があるからです。つまり、水星の軌道はこれほどぶれています。水星は秒速48kmで太陽のまわりを88日間かけて一周します。金星はその外にあり、綺麗な円を描いています。音楽で言えば、金星の動きはメトロノームのようです。水星は直観力・情報伝達の星であり、金星は女性性を表す星です。そして、その次に来る地球は現象化の星です。ですから、地球上では想いがすべて現象化します。さらに、地球は変化をする星でもあります。緑色の惑星が位置するところが地球の軌道ですが、薄いドーナツ状になっています。2016年の太陽から一番近いところは1月3日に当たり、一番遠いところは7月5日に当たります。地球の軌道は精度が良いのですが、少しだけぶれています。

この「少しだけぶれている」ことがポイントです。そのため、地球上では大きな気候の変化はありませんが、微妙な変化が地球の生命活動の刺激となり、生命の星として存在しています。金星のように完璧な軌道を描いていれば、そこでは変化がなく、生命は生まれません。カタカムナで言う、ヒフミヨイムナヤコトのコが転がり出るように、ギャップが生まれないと生命は育まれないのです(詳細については、「大人サミットBOOK・2日目午前」をご覧ください)。地球は太陽からこの微妙な位置にあり、微妙に軌道がぶれるからこそ、この微妙なぶれが生命を育むのです。

地球の外側にある大きなドーナツは火星の軌道です。火星は高速でこの軌道を描いています。火星は男性性・行動力を表す星です。太陽系の1兆分の1の縮尺では、地球の軌道は直径30cmです。

さらに、わたしたちが地球上に生まれ出た瞬間に、太陽系のどの位置に惑星があるかによって、わたしたちの人生は決まるのです。水星から火星までの内惑星からはその人の精神性、そして木星から冥王星までの外惑星からは社会性が読み取れます。ということは、太陽がわたしたちに影響を与えているだけではなく、星と星の対話がわたしたちの人生そのものを決めているのです。

皆さん、「自分は自分」だと思っていませんか?実は、星がわたしたちの人生に大きな影響をもたらしているのです。太陽がわたしたちの生きる意味を示しているのです。そう考えると、わたしたちは人間なのでしょうか?それとも、宇宙人なのでしょうか?このように捉えれば、わたしたちは宇宙人に決まっていますね。宇宙を生きるとは、常に天の気にお伺いを立て、「わたしは次に何をしたらいいですか?」「明日はどのような行動をしたらいいですか?」と天に伺いながら生きることなのです。それが、「天命を生きる」ということです。

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ここで「命(いのち)」という字を見てみましょう。天命は天の命と書きます。つまり、天から意志が降りてきて、いのちになったのです。ですから、わたしたちは「みこと(命)」です。「命」の字の中にある「口」は祭壇を示します。そして、「口」以外の部分は、人が集うという意味もありますし、神官が帽子をかぶり天に伺いを立てる姿を表しています。つまり、祭壇があり、天に対してひざまずき、「どのように生きたらいいでしょうか?」と伺っているのです。それが「命」です。わたしたちはいのちですから、常に天に向かって「どのように生きたらいいのでしょうか?」と伺い、天と共に生きることが本来の姿なのです。

ところが、現代人は天の存在をてんで忘れてしまい(チーン♪)、自分の都合だけで生きています。上に心を向けることもありません。たいてい、「何か落ちていないかな?」「良いことはないかな?」と都合の良いことばかり考え、下ばかり見ているのです。それが下の目線です。横の目線になると、同じ土俵で対立するわけですから、「自分が獲得してやろう」「奪ってやろう」というよこしまな心になるのです。

天を意識していると、天の意志が降りてくるのです。ですから、「いただく心」になるのです。わたしたちは宇宙人なのですよ♪ここで伝えたいことは、少し目線が変わると、まったく違う世界に出会うということです。

目覚めれば、世界はわたしです。
目覚めなければ、世界は世界、わたしはわたしです。

 

僕は今までこういったことを天からいただいてきたのですが、困惑していました。
それは語れば語るほど、変な人だったからです。
しかし、2012年12月21日に真中(まなか)を過ぎ、その後の3年半が過ぎ、質的転換した今年2016年6月21日をもって、何を語っても大丈夫だと思うようになりました。
それは、天が味方しているからです。
新たな時代の扉は完全に開いたのです。
そしてこれからは、語れば語るほど、「やはりそうだったよね!」と共鳴する人がたくさん現れてくるのです。
それは、今の社会現象を観ればわかります。
今、世界中の国も民族も社会も個人も、混乱しています。
ですから皆さんが、古い囚われから自らを解き放ち、新たな気分で天の気を伺いながら素直に生きていったら、この世界の問題事は自動的に消えていきます。

 

 


瞬間瞬間がオリジナル ~ 群れが個人を目覚めさせる

いさどん:
個々の存在は、それぞれが独立した生命だ。その独立しているものをひとつにする時に、物理的に結ばれる行為がある。結ばれることによって、共通の目的が生まれ、心がひとつになる。

ただ、物理的に結ばれる行為の奥に思惑があると、それは結ばれる行為の本来の目的から外れる原因となる。そして思惑と思惑がぶつかり合い、複雑な現象がそこに生まれる。
無垢の状態でひとつになれれば、溶け合って、そこに新たなひとつが生まれる。それは美しい世界だ。そこでは、言葉はいらない。

──── 合体することは、大切なことだよ。

ともこ:
どうして男女でしか合体できないんだろう。誰とでもひとつになれるわけじゃなく、男と女でしか合体できない。

いさどん:
そんなことはない。男と女の対向発生が元となり、それが全体に広がっていくのだから。昔なら群れの中のヲサが神事として交わりを行い、女性にそれを伝えることで群れが安定した。
ただ、昔の一人は個人というよりも、単なる群れの中の細胞にしか過ぎなかった。しかしこれからは、個人がクローズアップされていく。個々が目覚めていくために、群れの中にいることが重要になっていく。一人ひとりが群れを形成するための全体性を持った個人として、目覚めるということだ。

昔は、生きていくために群れの形態をとることは必須だった。そうしなければ存続することができないから、やむを得ずそうしていた。しかし今の社会は、生きることはそれほど難しくなくなった。だからこれからの時代は、個人が群れの中に暮らすのは生きるためではなく、目覚めるためだ。
群れの生活形態が個人を目覚めさせる。全体性を学び、エゴを洗い流し、世界の構造を理解するために、群れの暮らしが必要になる。群れて生きた結果、個人はそれぞれの歩みや個性にふさわしく目覚めていく。そしてそれぞれの事情を生かしながら、全体を創っていく。

これまでの時代は、人々は自由で個性的に生きているかのようで、実際は一律な欲求に翻弄され、惑わされて、極めて個性のない人生を生きてきた。しかしこれからの時代は、群れの中で生きる者は個人としての意識がより確立されるようになる。それは、本来別々の個性を持つ人々が一律な価値観のもとに既製品化されてきたこれまでの世の中の流れとは、逆の方向に進むということだ。

僕は群れの中の一人ひとりに、個性的であることを求めている。しかし与えられることに慣れてしまった人々は、自らそれを目指し、獲得して、輝いていくということを怠る。もっとギラギラしたらいい。そのギラギラとは、宇宙の実相である活性であり、我々が生きる上での生活の表現でもある。そしてそれは、エネルギッシュで魅力的だ。その延長線上に、それぞれの役割や個性的な表現が充実していく。
そこでは、個人プレーは大いに歓迎される。それは全体性のための個人プレーだから。

ともこ:
2012年12月21日の闇のピークに向かって、時代は既製品化の方向へと進んできた。私たちはその極みに生まれた、まさに既製品化を体現している存在だと言えるね。そして時代が闇のピークを越えて新たな方向へと進み出した中で、今なお既製品になろうとしている。

いさどん:
そうだね。しかしそこに違和感を感じ、抵抗する人々も現れ始めた。

ともこ:
これまでは、既製品化しながらどんどん分離していく時代だった。

いさどん:
同じようなものでありながら、プライドが「自分だけは違う」と自分と他者と区別しているんだよ。

ともこ:
今、自分の心が分離の極みの状態になっているのがわかるよ。自我が強くて自分にばかり意識が向いて、周りとのつながりを忘れている。そういう自分たちが今、再び群れの中で暮らし、共に生きることを始めたというのは、すごくおもしろいね。

いさどん:
それを人間がやりきれない分、地球や宇宙が、群れで生きることの後押しをしてくれている。
世界は常に我々に、つながっていることや、生かされていることを教えてくれている。例えば呼吸を止めても、眠らなくても、トイレを我慢しても、食べることをやめても、食べ過ぎても、生きることの原則から外れるとすぐに苦しくなるでしょう。そうやって世界はいっぱい教えてくれている。しかし人々はそういったことを忘れているから、それが今の世の中に生き辛さとなって現れている。これまでのようにわがまま放題で好き勝手に生きることは、これからはやれなくなるということだよ。それが地球の意志であり、宇宙の意志だ。

そもそも我々は、地球というコミュニティに暮らしている。それは、災難が起きたからといって一夜漬けのように群れでつながることとは違う。日ごろから二つのものが完全に一つになるというくらい、つながって生きる。それは阿吽の関係で生きるということだ。

ともこ:
今はまだ、ひとつになることを勘違いしていると思う。既製品化することで「みんなと同じなんだ」と自分を安心させて、それでひとつになろうとしている。

いさどん:
ひとつになることは、個が自立し、目覚めるためにある。ひとつになることによって、自らのキャパを広げ、自由自在に行動し変化していくことが可能になる。そういった余裕を身に付けるということだ。
これはやはり体感を伴わないと難しいだろうか。言葉だけで語っても、結局は聞くだけになり、現実が伴わないものになってしまう。

ひとつになることは、極めて重要だ。それぞれの事情があるから組み合わせによって意味が変わってくるが、それにしても交わることはとても大切なことだ。低俗な交わりをしていては、その有用性に全く気付けないどころか、本来の意味とはかけ離れたものになってしまう。それはただやればいいというものではなく、高次の交わりをできるだけの精神状態を有していなければ、害をもたらすことにもなる。
高次の精神状態があり、それにふさわしい交わりをすることによって、その場に出会うそれぞれの者たちの事情に相応しい有効な働きが生まれる。それは、交わることにはこういう効能があるのだと言って、マニュアルのように行うものではない。この世界は瞬間瞬間がオリジナル。常に今と向き合い、新鮮に生きるということだ。

ようこ:
だからいさどんはいつも、自らの価値を高めなさいという話をする。価値を高めると、自動的に既製品の世界から脱却してオリジナルな存在になるから。

いさどん:
そうだよ。しかし人は既製品でいたがる。自分らしくオリジナルに生きることに慣れていないし、自分が自分らしく生きると、風当たりも強くなり責任も生じるから、既製品の中に逃げ込んで楽をしていたいんだよ。
中には既製品として安穏としていながら、自分の自我は表現したいというたちの悪い者もいる。

 

────── 僕はこれから、地上の肉体を考えずに生きていく。

明日は早いから早く寝なければとか、今日は作業が忙しいからその前に休んでおこうなどと想定して自らに配慮するのは、現象を先取りしているということだ。それではいけない。僕の中には、そういったことを無視している自分がいる。

そんなことを考えながら、僕はこう思った。「突然死するのはいいな」と。

僕は今、自分の体がとても不自由だ。しかしどことなく、この状態だな、これでいくんだな、という感覚がある。突然死、いいと思わない?「来た来た来たー!!」という感じで、リセット。そして僕が死んだら膨大な情報が残してあるから、それを研究する者がきっと現れる。僕が生きている限り次がどんどん出てくるから研究はしないが、もう出てこないとなったら「あれはいったい何だったのだろう」と研究する者が現れる。その時に、びっくりすることになるだろう。「こんなものが出ていたのか!」と。
僕は早く突然死するために、これからも大量の情報を残さなければいけない。それを残せば残すほど突然死が待っているのだから、よし、残してやろう。そして、目指せ突然死!!

ともこ:
毎日を真剣に生きていれば、いつ死んでもいい覚悟が自然と生まれる。それは自分に対してもそうだし、人に対してもそうだね。真剣だったら誰かが突然死しても、そこに後悔はない。

いさどん:
依存していると、後悔するよ。

 


 

地球はそもそもコミュニティ

その中で生きるとは、どういうこと?

「1ヶ月間の真学校2017」

「医」「農」「食」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」─── 多彩な切り口の講座を通して、私たちはなぜこの世界に生きているのか、あなた自身の中にある真実の目を開く、ダイナミックなプログラム
1ヶ月間木の花ファミリーに滞在し、宇宙視点で日常を生きるとはどういうことかを実体験として学びます。

【日程】2017年2月19日(日)~3月18日(土)
【会場】木の花ファミリー
【定員】15名 定員に達し次第受け付けを締め切ります。
【参加費】18~22万円 収入に応じたスライド制です。受講料や食費など1ヶ月間の滞在費全てを含みます。

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この世界を創っているのは

今年の7月16日から18日に開催された「第10回大人サミット」では、宇宙的そして歴史的に観ると、この世界がどのように観えるのかについて語られました。大人サミット2日目の午後は、「この世界を創っているのは」という曲でスタートし、その後いさどんは次のように語りました。

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「この世界を創っているのは」を歌う木の花楽団のみかちゃん(右)とちなっぴー

 
《♪この世界を創っているのは》

毎日 毎日 たくさんの出来事の中で
いろんな感情が わたしたちの中にやってくる
どこからかやってくる このたくさんの感情を通して
わたしたちは 心という宇宙を学び続けている
もしそこに 不幸や対立があったとしたら
一人ひとりが その種を自分の中に見つけて
とりのぞいてゆくならば
この世界は変わってゆくだろう
それがこの世界のしくみ
宇宙のしくみ

あなたと関係のない 誰かがこの世界を創り
あなたから 自由や想像をうばい続けているのではなくて
宇宙の光の分身である わたしたち一人ひとりが
この世界を創っている
そのことにみんなが気付いたならば
自分につながる すべてのいのちのつながりを傷つけないそのために
あなたが発する想いのすべてを
今から変えてゆく それだけで
この世界は変わってゆくだろう
それがこの世界のしくみ
宇宙のしくみ

蒔いた種を刈り取るのは 一人ひとりの責任
みんなで蒔き続けた種が 今もこの世界を創っている
心の中 いろんな想いの種を みんなかかえている
何もかも 誰かのせいにすることはできない

ならば
あなたはこの世界に どんな想いの種を蒔きますか
そしてこの世界に どんな花を咲かせますか

lotus

この世界を創っているのは この世界を創っているのは
この世界を創っているのは この世界を創っているのは
わたしたち

 

《いさどんの話》

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今、「この世界を創っているのは」という曲が歌われましたが、今世界中ではテロが頻発しており、「無実の人たち」が標的にされています。一体、わたしたちはどうしたらいいのでしょうか?

先日、バングラデシュでテロが起きました。新興国の発展を支援する善良な人たちがなぜ、テロの犠牲にならないといけなかったのでしょうか?日本のマスコミでは、あのテロで犠牲になった人たちは、発展途上国に貢献してきた社会的に優れた人たちだと報道していました。僕はそのような一辺倒の報道をするマスコミの世界を観て、少し違和感を持ちました。バングラデシュでテロの被害に遭った人たちは、バングラデシュの発展を純粋に願って現地に赴いていたのでしょうか?

今まで日本のODA(政府開発援助)は、日本の国益のために行われてきました。そして、日本政府の方針に従って、日本の企業がそれに関わり、今まで海外に進出してきたのです。つまり、日本のNGOが新興国の人たちに支援する多くは、ビジネスが目的なのです。今回もJICA(ジャイカ)の支援のもとに、企業に携わる人たちがプロジェクトを組み、ダッカの交通網を整理することが目的でした。そして、バングラデシュの人たちも含めてこういった人たちは、日本のように交通が整備された豊かな国になることを望んでいたのでしょう。その多くはお金の豊かさであり、物理的豊かさです。

そして今やバングラデシュは、アジアの新興工業国の発展に続いて高度経済成長を遂げています。日本もそのような高度経済成長の時代には、社会に多くの矛盾をもたらしてきました。そういった右肩上がりの発展を続ける社会では、自らの側を正しいと主張する人たちが争ってきました。その結果、貧富の差が拡大し、貧困がさらに広がりました。そのような状況に反発した人たちが今、ISや過激な人たちに共鳴し、世界中でテロを起こしているのです。ですから、ある日突然テロを起こす人たちが発生したわけではありません。テロを引き起こす背景の社会があり、そしてテロが引き起こされるのです。

それは原因と結果の関係であり、50:50の関係です。しかし、人は自らの立場が正しいと思いたいのと同時に、自らを振り返らないのです。「この世界を創っているのは」の歌の中に「この世界を創っているのは わたしたち」という歌詞がありましたね。今まで人々は、自らを振り返らず、自分に都合の良いように世の中を見てきました。しかし、皆がそういった姿勢を取ると、立場の違いにより対立が生まれるのです。皆さん、そうは思いませんか?

さらに時代を読み解いていくと、僕が若い頃はわかりやすい時代でした。皆が一生懸命努力をし、たくさん働いて、豊かになることがほとんどの人々の目指すところでした。ですから、社会のエネルギーの使い方は一方の方向でわかりやすかったのです。その上、その頃は高度経済成長の真っ只中でしたから、世の中全体のエネルギーが強い時代でした。ですから、人々のエネルギーがぶつかり合うと、それは学生運動のような激しくわかりやすい形で、社会に表現されてきたのです。

そして僕が若者だった頃から今、半世紀が経ちました。1世紀の100年を一区切りの目的だとすると、50年は折り返し地点です。そういった意味で今、振り返ってみると、今の時代はこれまでの時代とはエネルギーの向ける方向が多様になってきています。今の時代は、自らが正しいと思う方向へ突き進み、目標を達成しようとすると、目標が違う人たちとぶつかります。その結果、矛盾が発生し、これほど地球環境がおかしくなっているのです。ですから、思いついたことをそのまま実現すればいいという時代ではもはやなくなったのです。これまでの時代のような安易な確信のもとに進んでいくと、大きな行き詰まりを迎えるのが今の時代です。

皆さんはそう聞くと、今の時代を生きることはたいへんだと思いますか?実は、良いこともあるのですよ♪悪いことの反対には、必ず良いことがあるのです。それは、僕が若者だった頃は安易に行動し、そこで行き詰まっても、またやり直せる時代でした。ところが、今は物事が行き詰まってしまうと、代わりのものを見つけるのがたいへんな時代なのです。ですから、今の時代を生きる皆さんは、自分自身を精密に観ていくことが大切なのです。つまり、こういった時代だからこそ、それだけ精度の高い生き方ができるチャンスが与えられているのです。皆さん、おめでとうございます!

自分は何者であるのか。何のために生きているのか。そして、どのように生きて、いずれどのように終末を迎えるのか。わたしたちは今、そういったことを意識しながら生きていく時代を迎えています。僕が若かった頃のように、ただ一方通行で進めばいい時代ではなくなった分だけ、今は意識が高くなければ物事が行き詰まる時代になったということでもあるのです。

「自分が人類を代表して生きている。」

そのように意識が高くなると、思考のスケールが広くなり、物事はスムーズに流れるようになります。なぜなら、それは自らの感情に囚われていない状態だからです。ところがスケールが小さいと、思考は自らのことばかり考えている状態ですから、物事は行き詰まるようになっています。それが、宇宙の法です。

ですから、この世界はとてもわかりやすく、良い世界です。しかし、僕が言う良い世界とは、自分のことばかり考えている人たちからすると、生き辛い世界です。なぜなら、そういった人たちにとっては、生きることは思うようにならない世界だからです。しかし、思うようにならないことで、自らの姿勢が間違っていて、この世界の法から外れていることを世界は教えてくれているのです。それは逆転の発想です。さて、皆さんはそのような発想を持っているでしょうか?

先程、テロについて触れましたが、わたしたちはテロを問題とするのではなく、そういったものを発生させる社会を問題としなければいけません。裁くべきは、社会なのです。介護殺人で身内を殺してしまう人を裁いて刑務所に入れることは、それも法律ですから、必要なことでしょう。しかし、裁くべきはこの社会の仕組みです。そして、この社会を創っているのは、わたしたち一人ひとりです。そして今、21世紀に入り、時代は「民衆の時代」に入りました。それは、一人ひとりが目覚めていく時代です。

今、人間たちはお金やモノ一辺倒の世界を創り上げ、自然を顧みません。それは法律的には何も罪を犯していないかもしれませんが、たとえば肉食をすることによってたくさんの動物を屠殺(とさつ)し、魂を迷わせているのです。そういったわたしたちの身近にある一つ一つを振り返ることが、この世界を変えていきます。

そのためにはまず、「自分が無実である」という考えをやめることです。わたしたちはこの世界に存在している限り、世界に現状の響きが広がることを手助けしているのです。ですから、まずは自らを観察し、どのような響きを世界に発しているのかを知り、それを改めていくことが大切なのです。

 

Source of photo: GRAN MOTION FHD901

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第10回大人サミットの場で溢れ出した宇宙の叡智が、「大人サミットBOOK」として大人サミット公式ホームページにて公開されています。
これまでに「1日目」「2日目午前」が公開され、「2日目午後」も間もなく公開予定です。皆さま、どうぞお見逃しなく!

「大人サミットBOOK」

 


この世界は時代によって動いている

この世界は、時代によって動いています。ですから、人間が現状に対して問題を感じ、それを改善しようとする必要は本来はないのです。それは人間も含めてすべて、宇宙が世界に現象を引き起こしているからです。

同時に、この世界の現象は人間も含めた物語として紡がれているのですから、本来、わたしたちはそこで何をするべきなのでしょうか。それは、時代の動きや意志を感じ取り、それと連携して生きていくべきなのです。

これまで人々には、「時代が意志を持って動いている」という視点はありませんでした。人々はどこかで、「自分たちが時代を創っている」と思い、画策してきたのです。しかし厳密に言えば、誰一人、時代を動かした者はいないのです。ナポレオンであろうがヒトラーであろうが、キリストであろうが釈迦であろうが、自らの思い通りに生きられた人は誰もいません。なぜならば、世界は常に時代の意志によって運営されているからです。

その意志は思惑を持っていません。常に変化・変容・変態を繰り返し、進化し続ける宇宙の実体が、淡々と世界を紡いでいるだけなのです。

ですから、わたしたちが過去を振り返り、「あの時代はひどい時代だった」と思う必要はありません。それはあくまでも時代のサイクルの中のどこにいたのか、というだけのことなのです。そして今、わたしたちが観ている混乱した時代も、これから真実が明かされていく光の時代からのメッセージでもあるのです。そこでわたしたちは、時代のサイクルにのっとった生き方をすることが求められているのです。そのためには、まずはそのサイクルが観えることが大切です。

そのカラクリが観えている者たちは、今の逆さまの時代を正していく役割も担っていくのですから、たいへんと言えばたいへんです。しかし、時代は自ずとそのように成っていくのですから、その流れに乗ってしまえばたいへんではないとも言えるのです。

そのように進んでいくことが時代の実体であるならば、それを理解し、その流れと共に時代の意志を現象化していくことが、わたしたち地上を生きる者の本来の役割なのです。今、時代はそういった目覚めを人々に求めています。

これは、これまで宗教が説いてきたことでもありますが、宗教は自らの教えだけを絶対とし、教えの違いによってこの世界の争いの元になってきました。それをもう一度元へ戻し、今まで伝えられてきた「悟り」を生きる時代がようやく訪れたのです。

自我によって世界の本質が観えなくなってしまった人間の目を観えるようにするためには、自我を超越するしかありません。ところが、皮肉なことに人である限り、自我の目線から世界を解釈する立ち位置に立たなければ、世界を観ることはできないのです。つまり、自我のフィルターを通して観える世界のカラクリを解かなければ、自我を超越することはできないのです。その仕組みを理解し、そのカラクリを紐解くことにより、人は世界の側に立ち、この世界と同一になることができるのです。

そこに、宗教の限界がありました。ある意味、それは時代的限界でもあったのです。今、そうした段階からようやく封印が解かれる時代が訪れました。「悟る」ということ、「超越」するということは、無になることでも、何かから救済されることでもありません。それは、宇宙の実体の側に立ち、同時にヒトであることにふさわしい思考回路を有している状態になることなのです。

わたしたちはその状態になって初めて、囚われのない世界を表現することができます。お釈迦様の言われる完全なる無であるニルヴァーナ(涅槃)の境地まで到達すると、そこでは己もないのですから、ヒトとして生きることの本来の意味も表現できないのです。

わたしたちは人でありながら、ヒトとして究極の世界へ到達すると、この世界を次の世界へ導く者としての役割を生きることができるのです。それが21世紀から30世紀までの1000年紀に与えられた人類の歩みであり、進化なのです。今、その時代に至ったからこそ、それが提示されているのです。

ですから、これからの時代に人々は生きることの真の意味に目覚め、しっかりと目を開けて生きていくことが求められています。

「今、あなたは時代の申し子として生きていますか?」

時代はわたしたち一人ひとりに、そう問いかけています。

 

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2017年2月19日(日)~3月18日(土)
「1ヶ月間の真学校」開催

「医」「農」「食」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」――― 多彩な切り口の講座を通して、私たちはなぜこの世界に生きているのか、あなた自身の中にある真実の目を開く、ダイナミックなプログラム!
実際に木の花ファミリーに滞在し、宇宙視点で日常を生きるとはどういうことかを実体験として学びます。

【会場】木の花ファミリー
【定員】15名 定員に達し次第受け付けを締め切ります。
【参加費】18~22万円 収入に応じたスライド制です。受講料や食費など1ヶ月間の滞在費全てを含みます。

講座詳細やこれまでの受講生の体験記はこちら!
1ヶ月間の真学校専用ブログ

160308-103330
心の目を、開こう

 


時代の変化とともに真理すら変わっていく世界

今年の7月16日から18日に開催された「第10回大人サミット」では、宇宙的そして歴史的に観ると、この世界がどのように観えるのかについて語られました。その中でも、以下のいさどんによる分析は、参加者の皆さんにとって目からウロコの視点でした。

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ガンジーは非暴力による運動を唱えてきました。しかし、ガンジーは非暴力という暴力を使っていたことを皆さんは知っていましたか?ガンジーは拳を振りかざしませんでしたし、銃で撃つことはしませんでしたが、拳を上げ銃を使う人たちに暴力を使わずに対抗したのです。つまり、そこで対立の対象となったのです。ですからその後、「ガンジーは勝利した」と言われたのです。つまり、暴力の世界には勝ち負けという勝利があるのです。もし、本当の非暴力であるならば、そこに勝利はないでしょう。そうした真実が今、明らかになってきたのです。ガンジーも微妙な世界の中にがんじがらめになっていたのです(チーン♪)。それは、闇の時代へ向かっていく中の正義だったのです。ですから、闇のピークを超えると、その正義の質が問われるようになるのです。平和活動家が「戦争反対!」と言って新たな対立を生み出しているように、非暴力主義者は「非暴力で戦おう!」と言って対立関係の対象となるのです。それは戦いのひとつなのです。

一昨年、2014年の11月に僕はインドへ行き、デリーのガンジー記念館を訪れました。ガンジーの魂は僕にこう語りました。「新しい時代が始まりましたので、皆さんにつなげていただきたいと思います。よろしくお願いします。」彼はわかっていたのです。彼の時代はそういった時代だったので、彼は非暴力という旗印のもとに戦っていたのです。

その昔、ジャンヌダルクという人がいましたね。彼女はまさに戦士です。彼女は英雄とされてきましたが、彼女が英雄ではいけないのです。日本にauという会社はありますが(みんな、笑)、それでえーゆーとか言って(チーン♪)

それとは逆に、ヒトラーが上行菩薩であるという捉え方もこの世界にはあるのです。ヒトラーという魂が地上に降りる前、天の神様はたくさんの優れた魂たちに、「この役割は地上では人々のうけは悪いが、大切な役割であるゆえ、誰かそれを引き受けてくれる者はおらんのか?」と尋ねました。しかし、地上で悪人とされる役割を引き受けようとする者はなかなかいなかったのです。そのときに、勇気ある魂が「それではわたしがその役割を引き受けましょう」と言って、地上に降りてきました。そして見事、その難しい役割を成し遂げたのです。役割を終え、天に還っていったとき、天にいる魂たちからは「難しい役割だったが、おまえはよくやった」と褒め称えられ、その魂は上行菩薩として悟りに至りました。わたしたちの中には、ヒトラーという存在は悪の権化としての認識が定着していますが、あのような出来事を起こす人間がいることによって、人々は自らの行いを戒めることができるのです。

もしも、そういった悪人の人生を生きる者たちがわざわざそれを役割として生まれてきているとしたならば、善人と言われる人々はそういった悪人の役割をする人々に支えられて、善人の立場にいることになります。ですから、この世界には善も悪もなく、ただ人間の可能性の枠の中の役割があるだけなのです。そういったことを自らの感情や特定した視点から判断するのではなく、広い世界観のもとにすべてのことを情報として判断し理解した上で、活かしていくことが大切なのです。

このように、悪の中に善があり、善の中に悪があるのです。すべては宇宙の成り立ちであり、神様の意志なのです。2012年12月21日に闇のピークを超えた今、これまでの価値観が逆転するトキを迎えました。今までは聖域があり、聖なる存在であるキリストやお釈迦様について触れてはいけない、ガンジーの正義について触れてはいけない、ヒトラーは悪人だ、とすべて善悪を決めていた時代だったのです。ところが宇宙の法に沿って観てみれば、善があり、悪があり、正しさがあり、間違いがある――、それはどれも解釈によって正しいのです。そういったことがすべて明快に観える時代が訪れたのです。

本来、地球も宇宙の中にありますから、カタカムナ宇宙理論で解釈すると、現象化されたものはいずれ潜象界へ還ります。そうすると、すべてリセットされます。そして、響きという宇宙創造の原料に戻り、また現象界に現れてくるのです。それは時代に応じた現象の元となって現れてきます。わたしたちはここで今、何が正しくて、何が間違っているのかを議論しているのではありません。ましてや、わたしたちは正しい側にいましょうという話をしているのでもないのです。そういったことを言えば、政治家や哲学者、宗教家の世界になってしまいます。

大切なことは、どこにも属さず、ただ情報として現象を観るだけの位置に自分が立てるかどうかです。それは、自らから閃きが湧くということです。それは真我が目覚めている状態です。そこに宇宙(天)の法が降りてくるのです。それは直観です。それが五感の次にあるわたしたちの秘められた能力です。